はてなキーワード: ヒーローとは
インターネットで誰でも手に入る情報で情強になったと思い込んでさ。
でもそれをやったら終わるタイミングが世の中にはあるわけ。
ぶっちゃけ今の時代における反ワク、アンチフェミ、親露はマジで最悪だと思う。
ぶっちゃけ過去の嫌韓は北朝鮮への警戒意識とか、中韓への見下しとかの一般的なモノから端を発してたから比較的一般的だった。
でも今の時代における反ワクは完全なるパブリック・エネミー。
アンチフェミもネットでやる分にはいいけど、リアルでやったときに印象に受けるダメージはかなり深い。
ウクライナに対して陰謀論を語りだすのは国際社会に対してのエネミーだからやった時点で「コイツはもう無理」で判定食らうと思って良い。
マジで駄目。
一時期のオウムムーブメントや学生運動と比べても「社会に全くその存在を許されてない異常者の集団」としての側面が強い。
今後「昔はこういう偏った考えでしたテヘペロ」で誤魔化せる機会が全く無いレベル。
一度でもそういった考えに染まる時点でもう人間として終わっているんでしょうねという烙印が押されるのは間違いない。
インターネットが幸福だったのはそうなる前に嫌韓という巨大なムーブメントによって自然免疫を得たことだね。
アレを経験してまだ妙な真実に飛びつくのは知能に障害があるとしか言いようがない。
ただ気をつけなきゃいけないのは、嫌韓の頃はまだ家にパソコンがないと身内とのメールぐらいの狭いインターネットで終わる率が高かったこと。
スマホが普及してようやくインターネットに来た人も大勢いて、その人達は当時の嫌韓ブームを知らずに「いきなり差別化よ」のスラングが残っているのを見かける程度。
そんな人達がネットで真実に染まってしまうのを見て「知能が低いんだな」と切り捨てるのはまだ早い。
でも可愛そうなことに、そこでしちゃった主張は本当にヤバイものなんだよね。
敵対してる国家間の間に起こる一般的な差別感情ではなく、僅かな優越感のために他人の生死や人権を平気で脅かすような危険な行動なんだから。
可哀想にね。
マスクを外して暴れまわっている人をニュースで見ても「凄い!英雄だ!」と思っているんだろうね。
大阪駅萌え絵ポスター擁護記事で一躍ネットの一部のオタクのヒーローになった平裕介弁護士なのだけど、少しでも疑問や間違いについてツッコミを入れるとブロックする人として以前から有名だったようだ。
"平弁護士 ブロック"でのtwitter検索結果 https://twitter.com/search?q=%E5%B9%B3%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%A3%AB%E3%80%80%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF
"平裕介 ブロック"でのtwitter検索結果 https://twitter.com/search?q=%E5%B9%B3%E8%A3%95%E4%BB%8B%E3%80%80%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF
自分も話が通じない人間や明らかな悪口を言ってくる人間はブロックしてもいいと思うのだけど、検索結果を見るかぎり敬語で礼儀正しく違う意見を送っただけでブロックされている人がかなりいるみたい。
自分や自分と同じ陣営の人間には「表現の自由」があるけど、自分と少しでも違う意見は認めないし、そういう人とは対話しないもしくはできないというタイプの人なのだろうね。
今週のプリキュアでブラペの正体バレイベントがあった。プリキュアとは別だけど、プリキュアと肩を並べて戦う、という感じで続けるようだ。
という事実と考え合わせると、他の件で言われてきたことはいったい何だったんだ……? となってしまう。
戦隊ものや少年漫画が「男の世界」であり、活躍する女性が少ないことや女性のメインキャラが「紅一点」になりがちな問題は、伝統的にフェミニズムが問題にしてきたことだ。
例:5人戦隊モノの特撮で、今までレッドを女性が務めていないのがこの国の限界 - サブカル 語る。
こういった批判に影響を受けたのかどうかは知らないが、最近は戦隊ものや少年漫画で女性のメインキャラは珍しくも何ともない。ではプリキュアは?
……そう、プリキュアは戦隊ものや少年漫画以上にジェンダー不平等な世界なのである。通年どころか「途中から加入した男性プリキュア」すらいないのだ。男性はプリキュアとは別枠で、肩を並べて戦うことはあっても、決してレギュラーを張ることはない。
もし「子供向け作品のメインキャラはなるべくジェンダー平等であるべき」と考えるなら、プリキュアは真っ先に批判されるべき作品であるということになるだろう。
(プリキュアは「女性は○○すべき」みたいな観念を否定してるのでジェンダーの問題に向き合ってるとか、そういう主張もたくさん見かけたけど、そんなこと言うなら男性ライダーが家事育児をする描写を入れれば女性ライダーなんて必要ないやんけ。アホかと。バカかと)
しかし、プリキュアと肩を並べて、つまり同志として男性が戦うこと自体は肯定されているのだから、別に男性プリキュアがいなくてもよいのでは? 今作のブラックペッパーのように、プリキュアとは別枠で男性のレギュラーがいればそれでいいのでは?
そうだね! それ同性婚支持者の前で同じこと言ってきて!
「登録パートナーシップは、『黒人と白人が同じ電車に乗れるけれど、車両が違う』というような状態です。制度が違うことこそが、差別」らしいので!
えっ? 「そもそもプリキュアは単なる娯楽作品で、現実とは関係ない」だって?
それなら女性ライダーもいらないよね? これまでやってきた「創作物中のジェンダーバイアス」をめぐる議論、全部無意味になるよね?
キズナアイがうんうん頷く聞き役なのはジェンダーバイアスじゃなかったの? 巨乳の献血ポスターは女性への性的ステレオタイプを助長するんじゃなかったの?
プリキュアみたいなゴリゴリ子供向け作品でジェンダー不平等が正当化されるなら、少年漫画や青年向け漫画は尚更ジェンダー不平等が正当化されちゃうよね? 子供向けでやっていいことを大人向けでやっちゃいけない理由ある???
別にどうも。創作物の登場人物がジェンダー不平等だろうが、そんなの個人的にはどうでもいい。創作に政治的正しさは求めてないから、プリキュアがポリティカリー・インコレクトでも一向に構わない。
ただ、他作品のジェンダー不平等やら何やらを叩いてた連中にはプリキュアも叩いてほしいし、プリキュアをジェンダー意識高い系作品だと持ち上げてた連中には「女性主人公がいない」云々みたいなケチを他作品につけるのをやめてほしい。
「女性がいない局面では『女性を入れるべきだ』と言い、女性が優位にある局面では『男性を入れるべきだ』とは言わない」のは、ジェンダー平等ではなく「女性の利権」を目指しているだけ。一人の男性としては、ジェンダー平等は支持するけど「女性の利権」は自分の利害に反するので支持できない。ジェンダー平等を支持するのか「女性の利権」を支持するのか、旗幟を鮮明にしてほしい。
https://bunshun.jp/articles/-/59414?page=5
暇空茜が嫌だったのはせっかくアホな人を煽り立ててここまで問題をヒートアップさせてるのに冷静に問題を整理されること。とくに優先順位をつけられたらこまる。山本一郎が言う通りこの話は本来そこまででかい問題じゃない。疑獄めいた話が始まってるっぽいけど少なくともColaboに関してはいろいろ情報が出そろったらそこまで問題なかったというオチで終わり、暇空茜は名誉棄損で負ける。ここまでは俺の中では確定事項。左翼連合の陰謀みたいな話は絶対にない。そもそもAV新法は自民党の連中のワンナニカ連合の上川って人が主導でやってた話でAPP研と共産党を結びつけようとするなどはツッコミどころ満載だ。Colaboの会計とどっこいどっこい。それだけもうColabo叩きネタは創作に頼らないといけないくらいネタが切れてきてる。いくらでもネタがあるように見せかけているがもうネタはピークアウトしてる。弁護士連中が裁判まで何もしなければ暇空茜はネタ切れを起こす。
そういう状態になってから山本一郎がやってきた。こいつが出てきたということはもうそろそろ新ネタがないことを把握してるってことだ。いまこいつに出てこられてネタの打ち止め宣言をされるとColabo批判はトーンダウンしてしまう。今起きてる問題が東京都メインの問題ってのにみんなが気づいてしまったらこれまでヒーローだった暇空茜の重要度は激減する。Colaboの問題は後景となり、ここまで育ててきたとんびは議員たちに全部手柄を持っていかれる。なんなら「東京都の問題なのにいつまでもColaboをたたいて金を稼ごうとしてるあさましいYouTuber」みたいな立ち位置にされてしまう。暇空茜からしたらふざけんな今まで誰がくろうしてここまで話を盛り上げたと思ってんだといいたいはず。俺だって同じ立場ならキレる。
最近やたらと議員連中が食いついてきてるのは暇空茜の陰謀論を信じてるからじゃなくてむしろその逆。これColaboじゃなくて東京都に問題があるってことが見えてきたから。山本一郎はおそらく誰かの議員の仕込みだろう。
例1:アイアンマン
いや、そうだけどもだ。
見てない奴にはどんな話か全く分からんだろ。
"アフガニスタンで自社兵器のデモ実験に参加したトニー・スタークは、テロ組織に襲われ拉致されてしまう。胸に深い傷を負い捕虜となった彼は、組織のために最強兵器の開発を強制される。トニーは装着することで、圧倒的な破壊力とパワーを発揮できる戦闘用パワードスーツを敵の目を盗み開発。敵地からの脱出に成功するが、奇跡的に生還したトニーは、ある事実を知り愕然とする・・・。自らが社長を務める会社が開発した兵器がテロ組織に使用されていたのだ。トニーはその償いをすべく、テロ撲滅に命を捧げることを決断。最先端の技術を駆使し、新たなパワードスーツの開発に着手する。
これはこれで中盤くらいまでの展開全部言っちゃってすぎ問題。
しかも別にテロ撲滅に命を捧げることを決断はしてないだろ!嘘じゃねーか!
いや、そうだけどもだ。
見てない奴にはどんな話か全く分からんだろ。
ユーモアあふれるモンスターたち、目が離せないストーリー展開、サリー&マイクとブーの心のふれあい、全て超一流のエンターテイメント!
いや、こっちも短いな。
短いながらもウリはちゃんと押し込んでる。
もはや本編見てなくても言えることしか書いてねぇ!
世界65カ国でNo.1ヒット!『アバター』『タイタニック』のジェームズ・キャメロンが放つ革新的スペクタクル・アドベンチャー!天空に浮かぶユートピア都市"ザレム"と、そこから排出された廃棄物が堆積する荒廃したクズ鉄町"アイアンシティ"。ある日、サイバー医師のイドはクズ鉄の山から少女の頭部を発見し、新しい機械の身体を与えアリータと名付ける。記憶を失ったままの彼女は、実は300年前に創られた"最強戦士"だったのだ。自分と世界の運命に立ち向かうアリータの戦いが今、始まる!
面白そうじゃねぇか!
本編はここまで面白くねぇけどな!
アニメとかだと比較的(比較的)マシなのもあるけど映画系は軒並み酷い。
絶対片手間で書いてるだろ。
なんか衝動的に医龍を読み返したくなったけど、やっと大事なことがわかった。
前から
「なんで暇空茜さんを、高学歴層な人ほどシラけた目?バランスを取ろうとする目で見るんだろう?」
というのを何人かの反応見ながら疑問だったが、その答えがわかった。
あの人…出力が高すぎるんだ。
「自分の願望や目標を実現するためには、脇目も振らず出力が高く、他人よりもたくさんの手を読める人であるべき」
なので、そこは大事なこと。
で、暇空茜さんって大出力でとことんやり抜くことにかけては天才的・神がかりな人物なことは間違いない。
この世界って、「出力が高い天才」だけが生き残る世界じゃないんですよ。
むしろ、適正サイズに出力できる人や、安定してて視野の広い人を評価するシーンもある。
高学歴な人ほど「出力が高い人」を見慣れてる分、視野の広さ・安定性・最適化といった部分で評価する人が要るんじゃないか?と思った
なんで医龍でそこに気づいたかというと、【朝田が国立を見る目が、一貫して冷めてる(初対面の時から確認したけど、基本国立をバカにしてる)】んですよ!
高度な医療すればいいってもんじゃない世界だから、国立のズレてて衰えてる癖に最先端で上からな感じを朝田は最初から嫌ってるんですよ!
「一方、その世界を知ってる人は高度さをバランスよく取り入れる最適化・判断力・姿勢も同じかそれ以上大事(だが、弱者はその領域に気づかない)」
ということに気づいて、すごく暇空茜さんへの評価っぽく見えた
・暇空茜さんの【ゲームにうち込んだことのある人ならわかるであろう、高度な読みと誘導】に憧れる素直に上位互換だと思ってる部分
・逆に、彼の好きなものを異論は認めないと言わんばかりに熱弁される圧に感じてるしんどさ
の両方がいることに気づいたわけです。
具体的に言うと、
とまで言い切ったりする感じは、私はどの趣味でも人に絶対にやりたくないのですよ。
ぼく成人向けのマンガにはけっこう詳しいし、好きなアニメもあるけど
みたいな表現は私の中では毒親に文学を押し売りされて本嫌いになった少年時代のトラウマを思い出すから、それを人にやりたくない。
それをやらないで、オタクとして布教するには出力の調整や、歩み寄る柔軟性がいる。
それができるオタクでありたい
「出力を上げて百手先まで読める人になりたい」
でも、違ったんだ。
出力を1つの手段として、色んな方法を持ってる人間になりたかったんだなぁ…と医龍読んでて気づいた。
まさに色んな医者がいろんな観点で人を治すマンガが医龍で、そこが奥深いのよ
まぁ、アレや。
医龍は5回読んでくれって話や。
所謂平成初期当時は女性ライダーもほとんど登場しなかったが、それでもかっこいいフルフェイスメットやバイク、変身アイテムや武器に強く惹かれていた。
性自認が男だったわけではない。ただかっこいい、こうなりたいと思う憧れの姿の性別が自分と異なることなど大した問題ではなかったのである。
同級生とのごっこ遊びで、みんな当時の女児向けアニメのキャラクターになりきる中、私は仮面ライダーになりたいと言った。
誰もそれを変だとは言わなかった。魔法少女達の中に仮面ライダーが一人いても、みんな当たり前のように一緒に遊んでくれた。
それが、数十年経った今でも覚えているくらい、とても嬉しかったのを覚えている。
昨今の仮面ライダー作品では女性ライダーもレギュラーに入っている。
でも、だからといって「女の子が憧れるのは女性ライダー」と決まっているわけではない。もちろん、その反対もそうだ。
自分とは異なる性別のキャラクターに憧れたり、なりたいと思ったりしてもいい。
なりたいと思う人物像の性別が、自身の性自認に直結しているわけではない。
選べる選択肢が増えただけなのだから、どんな人に憧れるかという選択は自分の自由な意思で考えられる環境であってほしいと、そう願っている。
最近、過去の仮面ライダー作品がサブスク解禁され、当時私の憧れだった仮面ライダーを久しぶりに鑑賞した。
子供だった私には理解出来ていなかった人間ドラマや、物語の奥深さに気付くことができて非常に楽しめた。
改めて仮面ライダーという存在が背負う重圧や苦難の運命を知り、それでも戦う仮面ライダーは、大人になった今見ても充分かっこよかった。
あの時、子供だった私が仮面ライダーになりたいと言っても普通に受け入れてくれた周りの人達にはずっと感謝しているが、やっぱり仮面ライダーにはなりたくないなと今ならそう思う。
今でも彼らが自分にとって憧れのヒーローであることには変わりないが、仮面ライダーというシステム自体は結構ろくなものではないな……と思ったのである。
名指しはいかんそうなんでしないが。
ーボランティアとか支援事業みたいなのは普通の人はできない、普通の感覚じゃできないことなんで、熱すぎる人ばかりになるのは仕方ないし、そういう人らがちょっと突っ走っちゃうのも仕方ない…
みたいなこという人たちがいるんですよー。
なあーにぃー?
その手の公益活動に必要な条件は社会人としての常識感覚と生活の余裕だ。金持ちじゃなくていいが経済的ないし精神的にギリギリの状態ではダメだ。
自身問題を抱えてる人が「癒し手側」に廻りたがる傾向を一概に否定はできないが、あせるな。
自分のちょっとした余裕を、世の足りないところに充当するだけの行為に変なヒロイズムは要らん。
自分の寄付するリソースが効果的に使われるか、考えるべきはまずそこだ。常識的に考えて。
一部のエキセントリックなヒーロー頼みの社会福祉活動はそもそも破綻している。
みんながそれぞれ「自分が提供するリソースの有効利用」について考えることが、ボランティアや非営利団体界隈全体の「文化的底上げ・成熟」に資することになる。
○ご飯
朝:なし。昼:カレー。夜:考え中。
○調子
真面目でお淑やかな五条風華、ヒーローが大好きで正義感に満ち溢れた田丸火凛、小動物系ではわわな湯浅水無、無口な不思議系英土麗美、彼女たちは小学生から仲良しの幼馴染の女子高校生4人組。
必ず一人には死が訪れるゲームを前に、少女たちは否応なしに本音をぶつけ合うことになる。
という設定が開幕5分で説明されて突然デスゲームが始まるホットスタートなノベルゲーム。
4人は「死刑囚」「ピエロ」、そして二人の「断罪者」がランダムに役職として決められる。
「断罪者」が「死刑囚」を有罪の判決を下し、執行のレバーをおろせば「死刑囚」以外の3人は助かる。
無罪の判決を下した場合「ピエロ」と「死刑囚」の立場が入れ替わる。
デスゲームものではあるが、ゲームのルールを利用した画策やルールの意外な盲点などの味は限りなく薄い。
そのため本題になるのは「女の子はみんな万華鏡」という作品のテーマに沿った、女子高生たちのやりとりだ。
具体的には、生き残りたい死刑囚はピエロよりも自身が役に立つことやピエロが劣っていることを表明し、ピエロは自信が死刑囚にならないよう死刑囚を貶める。
そんなデスゲーム編と、それが始まるまでの回想編が交互に進行する構成になっている。
回想編ではとても可愛いらしい絵柄に沿った女の子同士の友情と学園生活、そして小学生の頃の淡い初恋の話。
デスゲーム編では暴力、暴言(死ねや殺すは当然として、ゲロ、小便、下痢便などの汚物で相手の容姿を形容するところが良いですね)が飛び交う素敵な展開が待っている。
まんがタイムきららとヤングマガジンを交互に読んでもまだここまでの落差はないだろう。
4人全員がそれぞれに腹に何かを抱えており、それはもう醜いやりとりが繰り返される。
生き残るためならどんなに汚いことでもするのは当然かもしれないが、女の子はみんな万華鏡といえば何を言ってもよい免罪符らしく、とにかく暴言が飛び交う。
声優の熱演も要チェックで、特に風華役の茜屋日海夏さんの小便や下痢便などの汚物を比喩にした罵倒語は最高だ。
そんな、ほんわかふわふわ萌え萌えキュンと、暴の世界の交互浴の先に、このデスゲームが始まったわけが見えてくる。
見えた先には、なんと「弱者男性」は全員が自業自得であることが判明する。
まさか、社会の決定権の多くを今まで握っており、社会を形成してきた男性自身にはその社会のありようが決めた責任があり、競争から脱落して惨めな人生を送るのは、競争社会のみを褒め称える単一の価値観しか持っておらず、そんな社会を良しとしてきた男性の自業自得であり社会のせいではなかったなんて、驚き。
そして女性はそんな男性とは異なり、万華鏡のような価値観を持っているため、多様な人間がより幸せに暮らすことができる社会を作れるのかもしれない、ってことを示唆する展開も驚き。
そんないわば「幻想牢獄のTwitter」がデスゲームの先に待っている。
まあ、ライターの竜騎士07さんがこういう剥き出しのテーマ性を書くのは本当にらしいので、きっとこの仕事をしているとき、はてなブックマークやTogetterにハマってたのかもしれませんね。
最後、少し茶化してしまったし、事実そこだけ物語というオブラートに包まれてないありのままのTwitterが出てきて驚いたんだけど、だけど、面白いは面白かった。
かなり綺麗なオチも付き、丁寧にまとまっている中編といった感じ。
ボリュームは2時間ほどでクリアしたが、これぐらいが丁度よく感じたし、物語のフリとオチがしっかり付いていてスッキリ。
現代人はちゃんとプロレスを学ばずに、そこから派生した漫画ばかり読んでるから理解が浅いんですよね。
プロレスっていのは端的に言うと「より観客から「強い」と思わせた側が勝つ仕組みのヒーローショー」なんです。
何故かって言うと、プロレスっていうのはガチの勝負が持つ「え?それで勝てちゃうの?」を排除して「より納得感のある勝敗の決まり方が行われるようにした格闘技」だからなんですね。
たとえばボクシングってたまたまブロックが開いた所に頬をかすめる完璧なパンチが入ったら脳みそシェイクで一発ダウンのジャイアント・キリングがあるじゃないですか。
でもあれって納得できます?
なんかこう「裏で人間競馬やってる人達の八百長なんじゃ?」みたいな感じが一瞬よぎりませんか?
プロレスはそれを排除して「観客から見た「ダメージが入ってる感」が、それぞれの闘士の「観客から見た耐久力ある感」を超えたら負けになる」っていうルールを採用してるんです。
そのためプロレスの技は実際のダメージより「ダメージがある感」が重視されます。
ダメージが実際にあるかではなくダメージが演出できるかが大事なんです。
たとえばドロップ系の技で衝撃を逃がすかのようにわざと大きな音を出すじゃないですか。
あれって少し分かってきたと思い込んでるニワカは「ごっこ遊びで怪我しないために音にしてエネルギーを逃してる」で終わらせるんですよ。
でも違うんです。
あれは、「相手の体内への衝撃として吸収されてしまったらダメージ演出効果が薄れる」のを回避するために「音を出すために相手を叩いてるように魅せつつ実際はリングを叩いてインパクトを演出してる」んですね。
この方が「観客の査定によってダメージが決まる仮想HPダメージが増える」んですよ。
バトル漫画の勝敗決定もこの文脈からの派生で「よりダメージを与えている感を出したほうがダメージが増える」がルールなんです。
その中で能力開示をするっていうのは「能力を開示しても影響がないぐらいに強さに自信がある」を演出する効果がまずありますし、そもそも「自分がかこれから使う技の効果を読者に説明する」という効果により読者による仮想ダメージ査定を増やす効果があるんです。
この後者の「自分が使う技の性質が読者に伝わる」っていうのは本当に大事で、読者に威力が伝わりにくい技を作中で強く描くのってバトル漫画的には無しなんですよ。
なぜなら「効いてなさそうな技で勝っちゃうと八百長感が出る」から。
そのためバトル漫画において威力のある技ほど「嘘科学」とかによってその理由が補足されているんです。
そしてこの技の補足は出す前にやることで最大の効果を発揮するわけです。
つまり強い技を出したいなら技を出す前に効果を説明しろってことです。
だからってそれを相手にわざわざ伝える必要がないと思うでしょう?
「来ると分かっていたのにまともに食らってしまった技」と「不意打ちだったからまともに食らった技」、どっちの方が「ヤバイ」気がしますか?
たとえばプロボクサーが「今から君に寸止めパンチするから避けてみてよw」とワンツー打ってきたら、大抵の人はガードさえまともに出来ずに風圧を顔面にモロに受けると思います。
確かに「不意打ちで食らった」はダメージを補強するロジックとしては強いっちゃ強いんですよ。
でもソレ以上に「分かっていたのに防ぎきれなかった」の威力はヤバイんです。
「今のはメラゾーマではない」という言葉の直後に発射されるカイザーフェニックス、台詞自体が予備動作になってるんだからマホカンタすりゃええやんって気もしますよね?
でもそこで現れる圧倒的力は、「来るのが分かっていた所で何の意味もないような絶望」を読者に与えてくるんですよ。
これもしも不意打ちでカイザーフェニックス打ってから「そうか!これがアイツの本当のメラゾーマなんだ!」となっても、絶望の深さが大幅に目減りするわけですよ。
わかります?
これがプロレス的文脈における「仮想HPを仮想ダメージで削る際に演出の差が及ぼす影響」なんですよ。
バトル漫画の攻撃って結局は全部仮想のものだから、読者がより「これはまじでヤバイ!死ぬ!」と思った度合いこそがダメージ値になるんです。
それをアップさせる方法として「能力を開示する」はアリなんです。
半端にリアルを追い求めて漫画を読むと忘れてしまうでしょうが、バトル漫画のバトルのルールはプロレスからの派生。
ダメージを決めるのは「観客への印象」なんです。
いやあ、耳が痛くてもげそうだぜ!やめてくださいしんでしまいます。
団体の専従者数名が就職せずに「善行」で飯食って行くのが目的の全てみたいな誰も得しないショボい自己満足活動は今もザラにある。
そういうところに公金をイージーに流し込む行政の問題がまず一つ。
最初に言っておくけどこれ全部フィクションだからね。わかった?わかったなら次に進んでよし!
国の予想では近い将来人口ゼロ集落が続出すると予告されている町。
町だが、面積が無駄に広く人口密度はそこらの村よりも低い。自治体を維持するために昭和の大合併、平成の大合併で合併しまくった結果だ。
合併したのに従来の役場はそのまま支所という形で残し、行政改革をせずにくっつたけたけ。無駄に体力を消耗。当然集落の整理なんてできるはずも無くて、だらだらと消滅に向かっている。
この町がなんとなくでもやれていたのは、地方交付税に加えて、特殊な助成金が比較的簡単に取れるからだった。
電源立地補助金ほどは打ち出の小槌ではないが、そこそこ破綻してない申請書を書ければ、国から自動的に金が来ると言う程度の助成金がとれた。
ところが、近年になって渋くなってきた模様。そこでそれ以外の補助金に手を出すようになったのだが、流行のキーワードはこれ
「地域の力を生かす取り組み」
国もこの手の自治体に頭を悩ませており、いろいろな助成金を作って自立を促したり、整理を促したりしている。
その中で、良くも悪くも鈍い感じの自治体に改革を促すために、自治体単体ではなく、民間企業や、地域住民による地域作り団体などと共同で取り組む計画を求めるようになってきた。
こうして「おくにが考えたさいきょうの政策」を実現するために補助金を使っている。THE 補助金行政である。
とは言っても、そんな一緒にやってくれる企業などはそうそう転がっていない。
地元でがんばっている社長さんとかいるんだけど、既に頼られまくってどうしょうもないぐらいになってるのが普通。
地域おこしをするための地域受け皿がない。服を買いに行く服が無いみたいな話である。
行政の出資比率が高くなると駄目な場合があるので、行政の出資比率は見かけ上低くしているが、そのかわりに商工会議所とか、農協、地銀、信金とか、青年会議所関係とかに声をかけて出資させて、一般社団法人を作る。(オイコラそこ、めんどくさそうなメンツとか言わない!俺もそう思う)
そして、そこと共同でやるという枠組みを作ることによって、えらい人の威光を保ったたままに補助金をゲットしようと言う仕組みである。
さて、ここで求人をするとどうなるかというと、デフォルトで最低賃金での募集になる。
そもそも職なんかほとんど選択肢が無いような地域だ。社会貢献ができますよ、と言うところと、自治体が出資している安定した組織に、学歴職歴関係なく就職できるという二つばかりが注目されて人が来るのである。
だから、意識の高い系職員と、ほとんどコネで送り込まれてきたような意識の低い系職員が混ざり合ったカオスからスタートする事になる。
さて、こうしてできた一般社団法人。当時の政治家が鳴り物入りで作ったお国の制度の補助金が出る3年間はある意味やりたい放題である。
給料は安いが、儲けや結果は求められないままに、申請書をぺらっと書けば金は使える。拠点も昔補助金もらってうっかり作っちゃった交流センターを事実上の払い下げ。
行政の看板を使えるからみんなとりあえず話を聞いてくれるし、人も集まるし、金を配ってるような状態だから表面上は感謝もされる。
国の政策集にものったりするから県知事や国会議員が視察にきたりして、注目を浴びて自分がえらい人になった気になる。
何故3年かというと、中央省庁の官僚がそれぐらいで担当替えするから。そして新しい担当になった人物は、前任者がやったそれがどんなに成功していても、引き継いだところで自分の実績にならないので、打ち切るのが普通なのである。
当初の補助金が切れるとどうなるのか。
社会の中で困ってる人に手を貸そう的な活動において重要な・必要なものは、まず実務的な知識・スキル。マンパワー。(金のことを含む)行政との連携。
でも実際に活動の現場にずっと残りがちなタイプは「世直しさん」である。理念を口にするばかりで実務軽視。無駄に好戦的な無謬の正義マン。好きな言葉は「心によりそう」「つながり」。仕事がデキる実務家タイプは潮時を見つけていずれ退出していく。
国の補助金が切れた後、1年は現在の体制が維持できるだけの金を町が用意してくれた。ただお先真っ暗なのはあきらかなので、実務的にいろいろやってくれていた頼りになる人ほど、培ったコネを使って退職していく。
そして、残るのは、
もう解散してしまえ、と思うのだが、この状況に至っても広げに広げた大風呂敷を畳む奴はおらず、地域のキーパーソンに声かけまくって作ったためにしがらみが多すぎて、いつの間にかこの一般社団法人を維持していくことが目的にすり替わる。
そうして今はどうしているかというと、元々作られた地域振興のための団体、と言う看板は下ろせないままに、行政仕事の便利屋みたいなポジションになっている。
上の奴は本来は自治体職員が自らやるべき仕事だが、我々がやると、なあんと!全員最低賃金報酬非正規雇用で人をこき使えるよやったね!
社団法人を維持するためと言う大義名分で役所から出してもらっていたが、心ある町議会議員様から、それは利権だろと正論ハラスメントを受けて価格ヤスクを徹底された結果ご覧の有様です。
団体の専従者数名が就職せずに「善行」で飯食って行くのが目的の全てみたいな
ははは……。
この中で最も実入りがいいのがプロモーションビデオ作成なんだから笑える。
そして、町の仕事で安泰なんでしょとか、儲かってるんでしょとか言われる。うるせーばか
非営利の「社会的課題の解決を志向する活動」におけるコンプライアンスとは、もっと攻めの姿勢のものであるべきだ。
はい。
自分たちだけが秘密ヒーロー戦隊じゃダメなんだよ。全てをオープンにして「出資者」も一緒に運用を考えるんだよ。何にどうリソースを投じるべきか、それでその先どうなるか。コンプライアンスは制限じゃなくて指針なんだよ。
そして情報公開こそがその団体の、活動の命綱だ。
リアル社会でのリアルな人助けってのは難しい「大人の仕事」なんだぜ。
おっしゃるとおりです。
まぁ、今、地域おこし協力隊で面白い兄貴が来たのと、あと何人かを抱き込んで、反旗を翻そうと準備は進めている。今に見てろよ!
じゃなかった。
暖かく見守っていただけるとうれしいです。
例のコラボの件。
社会的な課題の解決を志向する団体活動のありかたについて、本邦の残念な現状が炙り出されていると思う。
トーンポリシングと言えばそれまでだが、その「お行儀の悪さ」はコラボやコラボ側弁護士の独善的な言動に一定の正当性を与える。
戦略としてやってるつもりなのだろうが、どっちもどっちで本当にいいのか。
そして「そこほじくったとて…」という明らかにショボいネタまで敢えて大仰に取り上げて犬笛吹きまくっている。「タイヤ交換が”久しぶり”ということは…!?」とかってさあ。勝手ファンネルどもには事の軽重は区別つきゃしないからな。何でも陰謀の尻尾に見えて「つながる…全部つながるぞ!」となってる連中を止める気は毛頭ねえのな。「女性差別を目的とする妨害行為」というコラボ側の主張を事後的に自己成就してしまってるがな。
仮に各方面からの疑惑の指摘の数々が事実だったとして、おそらくコラボなんて別段悪質なほうじゃないのだ。相対的に。
それなりに活動実績もあるし、寄付金着服で贅沢三昧しているわけでもない(だろう)。
一方で「大雪りばあねっと」のような大規模横領事件がかつて明らかになったことがある。
団体の専従者数名が就職せずに「善行」で飯食って行くのが目的の全てみたいな誰も得しないショボい自己満足活動は今もザラにある。
そういうところに公金をイージーに流し込む行政の問題がまず一つ。
池のかいぼりや、ゆるキャラやふるさと納税みたいにいったんブームに火が付けば小役人は右に倣えだ。惰性で乗っかっておけば仕事してる風のアリバイになる。ブーム前に提案されても耳も貸さない。責任とチャレンジのないミーハー行政。その時々の流行を追った、聞こえのいいネタさえ持っていけばチョロいもの。
会計の透明性や活動内容のクオリティについての説明責任、やりがい搾取問題、そういうことについてはガバガバなのがむしろふつうだろう。コラボばかりが特段悪質ではなかろうというのは、擁護ではない。界隈全体へのDISである。
社会の中で困ってる人に手を貸そう的な活動において重要な・必要なものは、まず実務的な知識・スキル。マンパワー。(金のことを含む)行政との連携。
でも実際に活動の現場にずっと残りがちなタイプは「世直しさん」である。理念を口にするばかりで実務軽視。無駄に好戦的な無謬の正義マン。好きな言葉は「心によりそう」「つながり」。仕事がデキる実務家タイプは潮時を見つけていずれ退出していく。
「困ってる人」の「心に寄り添う」ことがいかに高度にテクニカルでリスクをはらむ行為なのかということが正義マンにはわからない。
例えば宿なしの未成年を保護しておいて、「決して無理強いではなく、結果的に」別の政治活動にオルグしたりなんてこと、死んでもあってはならない。「そんな別におかしな活動ではないよ」そんなん関係ないんだよ。そこは鉄の壁で隔てておかないと全てが台無しなんだよ。わかんねえかな。わかんねえんだよな。
非営利団体の活動がガバガバになるのは「悪意でもって金をポケットに入れる輩ばかりだから」ではない。「営利」の原理と別のところでひとの金を運用するということの難しさをナメているからだ。
「自分たちは善意の団体なので、信じて任せてもらって大丈夫です」そこから躓きは始まっている。「本当か?着服してんじゃねえか?」そういう人が現れた時に「心外な!我々の正義に泥を塗ろうというのか、許さん」そういう方向でつっぱって、どこに行きつくと思ってる?
コンプライアンスという言葉の意味は、儲けが第一の営利企業なら「最低限のルールは守ってますよ」という単なるアリバイの意味になることが多いだろう。本当は違うけどな。
非営利の「社会的課題の解決を志向する活動」におけるコンプライアンスとは、もっと攻めの姿勢のものであるべきだ。
自分たちだけが秘密ヒーロー戦隊じゃダメなんだよ。全てをオープンにして「出資者」も一緒に運用を考えるんだよ。何にどうリソースを投じるべきか、それでその先どうなるか。コンプライアンスは桎梏じゃなくて指針なんだよ。
金の出どころが税金なのか寄付なのかというのも別に本質ではない。
私的な寄付だからどう使おうと文句つけられる筋合いはないというのは既に独善サイドに転んでいる。人の金預かって運用するということに違いはないので。
正義の旗手がアプリオリに正義を独占して正義を執行する。それにケチつけるものは即ち悪。そんな幼稚な世界観からいい加減脱却しないか?
初監督作品が「スリザー」はグロSFでこれで2億円で全世界興行収入は1.7億円で敗北
次に撮ったのが「スーパー!」でヒーローものを皮肉ったかなりお手製感のある映画
で、その次がガーディアンズ・オブ・ギャラクシーだからな
元々エログロコメディ畑でやってきて、基本小規模な作品(作品内のスケールも含め)を撮ってきた監督に
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーをやらせた判断は正直どうかしてる
ちなみにアヴェンジャーズのジョス・ウィードン監督がガンの登用を激推ししたらしい
マーベルのライターが2年かけて書いた脚本をガンがほぼ全部リライトして撮影
・ナノマシンにより女の脳改造して支配者の命令に従うようにする
・話術で女をマインドコントロールする
洗脳、マインドコントロールなど 他にもいろいろ考えたけど、どれもしっくりこない。
結局、弱い男が他人を支配したいっていう欲求を満たすのは難しいんだろうなぁ…………
強い男なら女を支配して好きなようにできるけどね。
まあそんなことはどうでもいいや。
「うおおぉぉぉーっ!」
『ゴブゥ?』
「おらあっ!!」
その瞬間、俺の手刀がゴブリンの首筋に吸い込まれるようにして入り込んだ。
ズドンッ!! 鈍い音とともにゴブリンの頭が吹き飛び、地面に転がる。
『ゴブッ!?』
仲間が一瞬で殺されたことに動揺したのか、他のゴブリンたちがたじろぐ。
「おらああぁっ!!」
ドサッ……
最後の一匹を倒したところで、俺は大きく息をつく。
「ふぅ~」
年齢は24歳。
俺がこんなにも強くなったのには理由がある。
そんな時だった、俺の前に女神様が現れたのは―――
「どうしたんだい太郎?どうしてそんなに落ち込んでいるんだい?」
そう言って女神様はニヤニヤと笑い始めた。
「他者はお前の存在を否定しているが―――お前には特別な才能がある。私にはそれで十分だ」
「奴らはお前に嫉妬しているのさ」
女神様のおかげで俺は生きる希望を取り戻し、前を向いて歩き出すことができた。
そして俺は生まれ変わったのだ。
でも大前提としてフィジカルやボールセンス、つまりは身体能力と運動神経が圧倒的であることを求めているスポーツなんだと感じる。
その世界に身を置いているといつの間にか「運動神経も身体能力もない奴は論外」という思想に染まるリスクが出てくるんじゃないだろうか?
実際に俺は、その価値観に染まったとしか思えないサッカー部の奴らに、体育の授業でボロカスにされた思い出を今でも忘れてないよ。
あっちに行けそっちに行け絞れ散れよく見てろと怒鳴られ、必死に走ってフラフラになりながら最後はうろたえている所に飛んできたボールが腕にあたってハンドを取られた。
当時の記憶はボヤけていて不鮮明だけど、あのときの腕の開き方を考えるとアレはそもそもハンドじゃなかった可能性のほうが高い。
そんなのもよく知らない俺はとりあえず謝ったし、周りも小学生だったので曖昧なルールで俺は退場させられた。
んでもって試合に負けた。
授業中のたった1試合に負けただけなのにサッカー部の奴らはひたすら俺に文句言ってきたし、最後には「お前なんて居ないほうが良かったんだから隅っこで立ってたほうがマシだった」と言いやがった。
確かに足元の技術がおぼつかないような奴が変にフィールドに居るよりは、消えたほうがオフサイドの心配とかは減るのかもな。
でも俺にそんなこと言われても困ったよ。
ただ元々運動神経が鈍くてスポーツが嫌いだった俺は、それをサボる口実に使おうと次のサッカーの授業で教師に相談したんだ。
そしたらどうなったか。
教師が怒り出したんだよね。
突然全員を集めて説教になった。
内容は覚えてないけど「運動がちょっと出来るぐらいで天狗になってるようだが、そこまで偉ぶれるほど上手くもないくせにえばんなよ」みたいな話を3分ぐらいしてた気がする。
んなことになるならそもそもサッカーをやるんじゃねえよって俺は内心思いながらそれを聞いてた。
普通にそれ以降もチームスポーツはあったし、毎回俺みたいな運動音痴があちこちのチームで足を引っ張っていたし、ソレに対して運動部の連中はキレ散らかしていた。
何も変わってない。
まあ実際ソレで良かったと思うよ。
もしも大きな変化があったら俺がイジメられる原因になっただろうから。
でもやっぱ一度こういうことがあるともう無理だな。
もう俺はサッカーなり野球なりバレーなりやったり見たりする度にそのことを思い出す。
「運動能力が低い人間から人権を剥奪する装置」みたいな認識がずっと付き纏ってくる。
戦術の話を見るのは楽しいけど、試合を見ていて選手を応援する気分にはならない。
どいつもこいつも性格の捻くれた戦闘力至上主義のスポーツキチガイなんじゃないだろうかってよぎった瞬間に感情移入度が完全な0で固定されてしまう。
こんな奴らがニュースで褒められてるのだって本当は見たくないんだって気持ちが湧き上がってきてイライラする。
俺はサッカー楽しめないよ。
観戦でも楽しめない。
ぶっちゃけ他のスポーツもそうだけど、サッカーはその中でもとびっきりに無理なんだ。
中学だとテニス部の奴らがクッソうざかったけど、まあ中学まで行くと皆おとなになったのかクラスの雰囲気でも「テニス部うぜー死んでほしいよね」って感じでウザさに対してのツケを払わされてる感じだったしなんか割り切れるんだよな。
小学校の教室のサッカー部はさ、なんかこう本当に誰もがコイツらに逆らえないような特権階級みたいなところがあって、人格破綻者なのに人気もあって、本当に手に負えなかったよ。
サッカー選手がテレビで褒められて国を代表したヒーローみたいに扱われててるのを見ると、今のこの人達もまさに手におえないなあ、こんだけ凄いなら裏で何でもやり放題なのかなとよぎってしまうんだよ。
小学校のトラウマから抜け出せてない俺の個人的な感想にすぎないのは分かってるけど、論理を積み上げても感想は覆せないときには覆せないせいで、感情だからこそ厄介だなと思うよ。
どうしたらいいのかは分からないから、結果だけ確認して職場では愛想笑いしながら「凄いっすよね。まあ俺あんま興味ないですけど」って感じで流してる。
サッカーなんかに必死になって暴れまわる人嫌いだからさ、自分もサッカー嫌いなんかで暴れまわりたくないんだよな。
一段高みにいる気分にでもならないと、余裕が無くなりそうだよこの時期は。
ゾーフィー「そんなに好きになったのか」
ウルトラン「ジュワワ(はい」
庵野「という話でどうっすか?」
樋口「泣ける……」
米津玄師「わかる」
多分、違うと思うんだよな。
円谷が言いたかったのって多分そうじゃないんだよな。
ただ円谷が言いたかった言葉の半分ぐらいが、「ドラえもん未来へ帰る」の方がもっと伝わりやすくかつ知れ渡っちゃってて今更もう日本人はそっちを語らなくてよくなっちゃってるっていうか。
それもあってか絶対的な存在を失ったことの悲しみと裏切られたような気持ちの解消を求める方向に走っちゃったというのがあるんだろうな。
でもそうじゃなくて、裏切られたような気持ちを1人ぼっちで抱え続ける覚悟を持てみたいな所があって、米津玄師はそれをちゃんと歌ったんだけど、庵野と樋口はそこから逃げちゃったんだよね。
そこがあの映画における最大のウィークポイントなんじゃないかと思うわけ。
意思を持つものに送り込まれた意思を持たない暴力によって信念を持って戦うはずのヒーローが負ける物語に対して、柔らかくて心地よい終わりを求めちゃ駄目だと思うんだよな。
弱い老人の姿を強い若者が浮き彫りにした映画って印象になっちゃってる。
まあ考えようによっちゃ、日本の老人達が乗り越えられなかったものを日本の若者は乗り越えたみたいに……言えないんだよね。
リアルタイムで体験した人間じゃないと分からない絶望をさも分かったように米津が歌ってるだけみたいな所もあるから。
結局さ、あのときゼットンに敗北したのを見ていた子どもたちの代表が出した答は「悲しみから逃げることの選択」だったわけで、円谷英二は天国でこれに何を思うんだろうな。