所謂平成初期当時は女性ライダーもほとんど登場しなかったが、それでもかっこいいフルフェイスメットやバイク、変身アイテムや武器に強く惹かれていた。
性自認が男だったわけではない。ただかっこいい、こうなりたいと思う憧れの姿の性別が自分と異なることなど大した問題ではなかったのである。
同級生とのごっこ遊びで、みんな当時の女児向けアニメのキャラクターになりきる中、私は仮面ライダーになりたいと言った。
誰もそれを変だとは言わなかった。魔法少女達の中に仮面ライダーが一人いても、みんな当たり前のように一緒に遊んでくれた。
それが、数十年経った今でも覚えているくらい、とても嬉しかったのを覚えている。
昨今の仮面ライダー作品では女性ライダーもレギュラーに入っている。
でも、だからといって「女の子が憧れるのは女性ライダー」と決まっているわけではない。もちろん、その反対もそうだ。
自分とは異なる性別のキャラクターに憧れたり、なりたいと思ったりしてもいい。
なりたいと思う人物像の性別が、自身の性自認に直結しているわけではない。
選べる選択肢が増えただけなのだから、どんな人に憧れるかという選択は自分の自由な意思で考えられる環境であってほしいと、そう願っている。
最近、過去の仮面ライダー作品がサブスク解禁され、当時私の憧れだった仮面ライダーを久しぶりに鑑賞した。
子供だった私には理解出来ていなかった人間ドラマや、物語の奥深さに気付くことができて非常に楽しめた。
改めて仮面ライダーという存在が背負う重圧や苦難の運命を知り、それでも戦う仮面ライダーは、大人になった今見ても充分かっこよかった。
あの時、子供だった私が仮面ライダーになりたいと言っても普通に受け入れてくれた周りの人達にはずっと感謝しているが、やっぱり仮面ライダーにはなりたくないなと今ならそう思う。
今でも彼らが自分にとって憧れのヒーローであることには変わりないが、仮面ライダーというシステム自体は結構ろくなものではないな……と思ったのである。