はてなキーワード: シミュレートとは
「おかえりなさい、あら、その袋はなあに? まあ、私のために? ありがとう、シュークリーム、こんなにたくさん。
でも、なんでシュークリームなの? 昨日あなたが食べたのは私のエクレアだったはずよね?
私が喜ぶと思ったって? なんでそう思うの? あなたは勝手に楽しみにしていた食べ物を別なものに差し替えられたら喜ぶの?
そう、なら今度あなたから食べたいもののリクエストがあったらぜんぜん違うメニューにしてあげるね、嬉しいでしょ? 喜べよ。
え、なに、自分の分もあるって、へぇ、あなた、昨日エクレア食べて、そのうえ今日はシュークリームまで食べるんだ、へー。
それなのに私はシュークリームしか食べられないのね。ふうん、そう。
あ? 君のために一生懸命選んだ? そんなことに割く労力があるならその前にちゃんと謝るのが筋ってものじゃない?
いい年した大人が自分の過ちも認められないなんてみっともないったらありゃしないわ。
なに? 男にはプライドってものが? はっ、ミスをミスと認められずにごまかそうとするのをプライドとは言わねえんだ、保身っつーんだよ。
仕事でもおんなじような事してんじゃねえだろうな、そんなことばっかしてっといつか足元すくわれっぞ。
まあいい、とりあえずそのシュークリーム全部よこせ。あと今からコンビニ行ってエクレア5本買ってこい。なに? ケーキ食べた上にまだそんなに食べるのかって?
そうだよ、昨日てめえにエクレア食われてこっちは頭にきてるんだ。ケーキの一個や二個じゃ腹の虫が収まらねえんだよ。わかったらさっさとコンビニ行け。歩いてんじゃねえ、走れ!」
企業説明会の方はふつう総務人事だから営業素人さんが担当してる。
つまり営業実績のない人たちがエッラそうに熱弁奮ってドヤ顔してるわけだ。
データでしか語ることが出来ない、それが企業説明会担当者の痛い所。
だから、突っ込んだ質問をすると、「私は担当者じゃないので」と回答を濁したりするし、
逆に既に質問100問集みたいなのを何度も読み返してシミュレートしてるから事務的にだけど
回答する人はいるけど、本質的には理解してないから、まったく理解不能でも就活生はわかりました、
ありがとうございましたというテンプレ挨拶で済ませるし、その会社上司と見られる人が「質問は以上ですね?」と
質問者に水を向けるので、基本的には素人でも無難な説明会を構築できる寸法だ。
たまに土木建築系の会社のようにガチの営業担当者も来るけど、理屈っぽい話には終始感嘆するか若干不満そうに見てる。
で、パネルとかOHPとかを使った説明会形式では基本的に総務人事の人がやってるけど、営業担当者はパネルでなく熱っぽく
精神論や根性論を全面に出してるところが多いものの、実体験に基づいたエピソードばかりなので存外参考になる。
そうした所に営業のプレゼンというのが如実に現れてるように見えるわけだ。
問題は総務人事の方で、終始淡々としているし、柔和な態度や姿勢があり、また女性の担当者が陣頭に立っていることが多い。
別に女性が問題ではなくて、女性が担当者ということで就活生の気を引こうとしているだけであって、
むしろ彼女らには説明会なのに事務的な説明しか要求されていないので、どうしてもパネルやOHPが必要になってくるし、
自社か提携会社の商品で釣る作戦を取ってくる。俺は釣られた(笑)。
ともかく企業説明会で大事なことは、営業か総務人事のどちらが担当者かでわかる。
営業の苦労話とかの方がタメになる分営業担当者の話の方が大事であるのは間違いない。
でも、権限は人事担当者が持ってるのでおべっか使うなら人事担当者にだけでいい。
別に後は学歴、コネ(教授推薦も)、筆記、面接の4点だから、他は特に気にする必要はない。
それを考慮すれば、実は営業のプレゼンも大して重要でなかったりする。
正直営業の人たちの練習なんだから、それに付き合う必要もないしね。
ノート取ったり前の席でうんうん頷くのも何となく営業のプレゼンっぽくて参考にしてる。
参考にするだけで実践では使わないけど。
好きなSF短編で打線組んだ(http://anond.hatelabo.jp/20140604175240)
が楽しそうだったので、便乗。短編に限らずに打線組んでみました。
フランチャイズ小国家、凄腕ハッカー、スケートボードに乗った運び屋、仮想空間上のAI人格等々、わかりやすいサイバーパンク的ガジェットを詰め込みつつも説明臭くはなく、スピード感ある展開で一気に読めるエンターテイメントSF。よくできたハリウッド映画みたいで素直に楽しい。粘り強いバッティングと走力に裏打ちされた出塁率の高さから、不動の先頭打者。
バチガルピは、個人的には長編だとちょっとダレる感があって、そういう意味ではこの短編集の方が好み。ねじまき少女の世界観濃縮版「カロリーマン」、文明がゆるやかに崩壊する恐怖「第六ポンプ」が好み。現代を代表する作家の一人に数えられますが、独特のディストピア・バイオパンクを突き詰める職人気質。2番ショートで起用。
現代と地続きの近未来からスタートして、加速度的に変容する社会と人類が技術的特異点を迎えるまでを描く大作。ストロスはコンピュータ関連のジャーナリストってこともあって、ギーク文化との親和性も高そうなディテールが満載で楽しい。抜群の守備範囲の広さ、打てば長打を量産する勝負強さで3番に定着。
イーガンは短編が無難と言われてますが、この「順列都市」は素直に面白いと思う。荒唐無稽なアイデアを、超力技で煙に巻かれてなんとなく納得されられてしまう快感。本書冒頭の、コンピュータ上でシミュレートされた人格のコピーが、目覚めて状況を把握してから辿る思考過程を描いたシークエンスが最高で、10回は読み返してる。イーガンほど投手にプレッシャーを与える打者はそういないでしょう。ネクストバッターズサークルにいるだけでも圧倒的存在感。
現代SF・ファンタジーの最右翼(本人は左翼だけど)。スキンヘッドにピアスのイカツイ兄ちゃんです。一見ありふれたハードボイルド警察小説?と見せかけて「重ね合わされる都市」というとんでもない舞台装置、どうやったらこんなもの思いつくのか。さらにそれを言語化できる力量もすごい。
ここまででお分かりの通り、増田は現代SF好きです。が、この「地球の長い午後」は入れざるを得ない。遠未来、自転が停止した地球。動物と植物の力関係が逆転した異常な世界で、食物連鎖の下層で右往左往する人類の、圧倒的無力感。ベテランならではの味わい深さと駆け引きの巧さ。
6番・オールディスの直接的な影響下にある、椎名誠のSF三部作。の中でも、この「武装島田倉庫」が一押し。奇妙な生き物が跋扈する文明崩壊後の世界を、さまよい、戦い、逃げ惑う人間たちの群像劇です。これも何度も読み返してるな。漬汁がなんか旨そう。
海外文学方面では、現代SFにおけるイーガン的大正義ポジションを占めておられますマッカーシー御大の手による、核戦争後と思しきポストアポカリプス世界をさまよう親子を描いたロードノベルです。沈黙の音が聞こえそうなくらいの静寂と、真綿で心臓を締め付けられるような絶望と哀しみ。大変地味ですが間違いなく大傑作。
ギブスンといえば「ニューロマンサー」でありそれに続くスプロールシリーズなんでしょうが、増田はどうにもこの「ヴァーチャル・ライト」が好きでして。何と言っても作中に出てくるベイブリッジ。閉鎖された橋をホームレスが選挙して好き勝手に増設を繰り返し、無計画・無軌道に成長してしまった構造物…すてきすぎる。
増田の中では「柔らかいイーガン」という位置づけにあるんですけどどうでしょうか。「実存」をメインテーマに据えながら、幻想的・宗教的な色彩の強い作品群。ワンアイデアをじっくり煮詰めて、これ以上ないくらい適切に料理した佳作集。死ぬほど寡作なのが玉に瑕。最近何してんの。
増田的には究極のSFはステープルドンになるんじゃなかろうかと思っています。20世紀から20億年後までを俯瞰する人類史。これほどのタイムスパンで書かれた作品は他にないんじゃなかろうか。しかもこれ1930年の作品ですよ。半端ない。
はてなブックマーク - 「エクスプローラー使うな」と警告 米国土安全保障省 ハッカー攻撃の危険 - MSN産経ニュース
これ。
疎い人は「エクスプローラー」を「インターネットエクスプローラーだよね、あの青いeの」って思うよね。(多分)
疎くない人は一瞬怯んだ後に「ああ、IEね、だと思った」ってなるよね、ブコメにもあるようにそういうの気になって夜も眠れない系多いから。(多分)
この略し方なんだけど、
これ、あるとするじゃん。
「はてはブックマーク - 「wiki使うな」と警告 ※国土安全保障省 ハッカー攻撃の危険 - なんとかニュース」
疎い人は「wiki」を「Wikipediaだよね、あのインターネット百科事典」って思うわけないよね。あのゲーム攻略サイトのってなるよね。(多分)
疎くない人は一瞬怯んだ後に「ああ、Wikipediaね、だと思、わねーよ」ってなるよね、ブコメにもあるようにそういうの気になって夜も眠れない系多いから。(多分)
この略し方なんだけど、
これシミュレートしてみるとwiki略十年戦争もむべなるかなって感じだよね。
私は人の気持ちがわからないコミュニケーション不全の人間である。なぜそう思うのかというと、みんなの暗黙の了解を自分だけ理解できていないらしい場面に何度も遭遇してきたからだ。言葉の裏が読めない。例えば、ある人が荷物を持っていたとして、「この荷物すごく重いんだ」と言ったとする。これは普通の人には『だから荷物持つの手伝って』という意味を持っているらしいが、私にとっては言葉通りの意味でしかない。逆のパターンもある。手料理を食べていて、単に料理が冷めていたから私は「この料理冷めてるね」と言う。それは普通の人には『手際悪いんだよ』という非難の声に聞こえるらしい。前述の通り、単に料理が冷めていたことを形容しただけなのだが。
しかし不思議なことに空気が全く読めないわけではない。私が言葉の裏を読めなかったために起こった微妙な空気は察することが出来た。そのため居づらい思いをしたのは数えきれぬほどである。つまり、生きづらさを感じて生きてきた。幸い、今は子供の時分よりも少しは落ち着いて生きることができている。言葉の裏を読む訓練を重ねたからだ。
その訓練とは単純なもので、微妙な空気になった会話を思い返し何が悪かったのか理詰めで考えることである。そしてその結論を自分の中のデータベースに蓄積し、次に同様のパターンに遭遇した時に反映させる。とはいえ、それには膨大な時間を要した。他人との挨拶と世間話に困らないレベルになったのが20代前半になってやっとのことであった。
ただ、やはり普通の人とは違うと感じる。普通の人には人の感情をそのまま読み取るような力があるらしいが、私は観察と理屈がないと人の感情が分からない。今まで私と同類らしい人との遭遇に気づいたことはないが、ネット上を見ると私と同様の生きづらさを抱えて生きている人が散見される。
なぜ我々(勝手に我々と呼ばせてもらう。それが正しいように思える)が生きづらい思いをしているのか、考えてみたので勝手に語ってみる。
結論から先に言うと、我々はインプットに重大な欠陥を抱えているために結果として生きづらい思いをするハメになっている。それをこれから説明しよう。
まず重要なのが、我々には感情がないわけではないということだ。我々には感情がある。だから、他人に感情があることを理解している。そしてその感情が自分たちと同様の働きをするものだと暗黙的に信じている。だからこそ他人が自分の意図しないところで怒ったり悲しんだりすることに動揺する。自分の心の働きと他人の心の働きがどうやら違うらしいことに気が付き、そのことで悩み苦しむ。だが、私の結論からすると、我々の心も普通の人の心も同じ働きをするものであるらしい。続ける。
我々の心と普通の人の心が同様のものであると仮定する。まず、普通の人が他人の感情が理解できないという状況に陥ったらどうなるかシミュレートしてみると、我々と同様に驚き、狼狽すると想像できる。次に、我々が他人の感情に気づけたらどうなるかシミュレートしてみると、普通の人と同様に振る舞えると想像できる。冒頭で出した例で言うならば、荷物持つの手伝ってと言われたのならそれをあえて無視することは考えづらい。
では普通の人と我々を隔てるものは何なのか?それは読み取る情報の量である。普通の人は我々が想像できないくらい高レベルに他人の感情を読み取るらしい。だから、荷物が重いと言われたら手伝ってほしいという気持ちを読み取り、料理が冷めてるねと言われたら非難されていると思う。
重ねて言うが、我々には普通の人と同様の感情がある。言葉の機微を読み取れたなら、我々も自分の性格にそって普通に対応ができる。だが、その言葉の機微を読み取ることが出来ない。それはなぜなのか?
私はそれを頭の悪さだと考えていた。どうやら知能とは違うベクトルで頭の良し悪しがあり、我々はそれが極端に悪いのではないかと。結局それが正しいように思う。料理が冷めてるねという発言の例で言うのなら、それを発した我々に裏はないのに、普通の人は裏を読み非難されたと思う。これは仮に普通の人がテレパシーか何らかの方法で他人の感情を直接読み取っているのだとしたら起こりえない現象だ。つまり、普通の人は言葉の裏を一瞬で考えられるくらい頭がいい。
ただ、何度も繰り返すが我々に欠けている能力はそれだけだ。我々は頭が悪いから、言葉に込められている、込められてしまう感情の機微に思いが至らず、頓珍漢な言動をしてしまう。ただ、それさえ除けば後は普通なのだ。だから我々がどんなに冷たいように見えても、心の中はそんなことはない。人を傷つけてしまったらそのことに傷ついたりもする。
我々にとって、日常は地雷原のようなものだ。頭が悪く言葉の機微を上手く扱えないことによって、知らずのうちに他人を傷つけてしまう。しかし他人を傷つけたことには気づけてしまうことが多い。言葉の機微を上手く読み取れない我々が気づくくらいに他人が傷ついたというシグナルを発するのだ。そしてそれは辛く、恐ろしいことである。だから人とのコミュニケーションを拒絶し、更に孤立してしまう我々も少なくないように散見される。
そんな我々が普通の人とうまく付き合うためにはどうしたらいいのか?
それは考え続けることしかないように思う。幸い感情の動きが同じ心を持っているのだから、相手の気持を考えることはできる。それは極端に遅い速度であるしその時には時間切れになったりすることも多いが、人と関わり続ける限り、次に生かせる場面はきっと来る。
そして、普通の人を恐れないことだ。普通の人は案外優しい。それが、自分は普通では無いと疎外感を持ちながら普通の人を恐れていた私が30年生きてきて結論づけたことだ。普通の人も我々も同じ心を持つ人間だから、当たり前すぎる結論かもしれない。ただ、我々の心を普通の人にも分かってもらいたいと同時に、人と関わることを恐れている我々にも、普通の人を理解してほしい。我々が言葉の機微を(なんとか)読み取り適切に対応したのなら、普通の人を恐れる理由はどこにもないのだ。
渡せなかったら自分で食べるだけだし、と言い訳しながら、チョコを買ってしまった。
遠距離のあの人に次に会えるのは3月。渡すには遅すぎるかもしれん。
一応持っていくけど、どんなタイミングでなんつって渡せばいいんだ。
どうしようどうしよう、て誰かにいいたい。
冷やかされなくても、相談しているところを想像しただけでなにやら暑くなってくる。
人の話を聞くのは好きだけど、自分の話をするのはすごく苦手。
誰がなんと言おうと、私にとってはおデートだ。
あの人がいかにも好きそうなネタで誘ったから、誘うのはうまくいったけど
ネタのチョイスを巧妙にしすぎて、どっちに釣られてくれたのか分からない。
私の盛大な勘違いだったらどうしよう。
オンラインでは気楽にやりとりするふりをしているけど、
まだ数回しか顔を合わせたことがなくて、ネットでも直接話せることは少ない。
他人事だったら、そんな相手に恋だなんて、勘違いだろうと言う。
でも顔を見たいし声を聞きたいしぎゅってしたいし、まあその、いろいろしたい。
一ヶ月待てば会えるけど、本当は明日会いたい。
毎日が長い。とても長い。
そんでなんつって渡せばいいんだようチョコはよう。あーもう。
http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2013/10/18/141915
読んだ。面白かった。冒頭かなりエコに対して正しくあろうと配慮した記述が続くんだけど、すごく惜しくてモヤモヤしたので思わず書く
おばあさんが松とココヤシをブレンドした天然由来の洗剤で洗濯をしておりますと、大きな無農薬の桃がドンブラコとも言わず無音で流れてきたのでおばあさん以外の近隣住民は何一つ不快な思いをしませんでした。
おばあさんの使ってる洗剤ってたぶん違うと思う。
これ書いてる人、ホントに「芝刈」だと思ってるのかな。思ってるんだろうなあ。
だってこれ「柴狩り」だと知ってたら、こんだけ話広げられる人ならエコに絡めないはずないよね
柴狩りは主に燃料用の枯れ枝を集める行為だけど、もう少し広めに日用の材木の調達も含むかもしれない
昔は炊事、風呂、暖房、全部薪を燃やしてまかなっていたので結構量がいるし
拾った柴を乾燥させてサイズを揃えて燃料用の薪に仕上げるのは手間がかかる
この「柴狩り」の実態がイマイチ伝わらずに、洗濯しているおばあさんに比べて
おじいさんは山で遊びほうけていると理不尽にDisられているのを見るのは心が痛い
ただ、おじいさんもおばあさんも柴狩りと洗濯では生産活動に一切従事していないので
どうやって日々の糧を手に入れていたのかについては既に色々な説があるだろう
個人的には、山の世話や薪の対価に隣人から食料を貰っていた説だと思ってる
「正しい」納税ゼロ生活も可能だと思われるので、その辺は詳しい方が
シミュレートしてくれたら読みたいところです
さて、つまり「柴狩り」とはエネルギー調達行為であり、それは「エコ」なのだろうか。
木材の燃焼はCO2排出はもちろん、煤や有毒ガスも出るので一見エコとは程遠いが
有限の化石燃料や、放射性物質から電気を作り消費することと比べて
山林保全の立場も絡めればそれなりに多様な論点のあるトピックだと思う
その辺りを現代的価値観から「正しく」配慮した記述があれば個人的に面白かったねという話
自分がその辺「正しい柴狩り」が書ければいいんだけど、ごめんね
あ、忘れてた。おばあさんの洗剤
たぶん、薪を燃やした灰汁とか米糠とか使ってたんじゃないかなあ
はてな村民レベルの算出方法は数多く開発されてきたがここではFucking HatenaSayoku Algorithm[2007]を紹介する。
2007年にkanoseらによって開発されたこのアルゴリズムは、はてな左翼(通称はてサ)を物差しにすることではてな村民レベルを算出するもので、シンプルかつ高精度なアルゴリズムとして知られている。
---------一般村民-----------
---------村の幹部クラス-----------
レベル15 はてサ内にも様々なクラスタ(穏健派・武闘派・歴史修正派・アンチ自民派・貧乏派)がある事に気付く
レベル17 記事タイトルを見ただけでブコメにはてサが群がってるとわかるようになる
レベル19 橋下部落問題などでダブスタ墓穴を掘っているはてサを愛でる事ができるようになる
---------村で10年は語り継がれる命知らずの勇者クラス-----------
レベル20 はてダなどでidを出してはてサを批判することができる
レベル21 はてサが光が丘病院に入院したという情報を入手したらこっそり訪問し氏名と面構えを把握する
これでも誰もが考えるでしょw 「粘りまくれば、投手に200球とか投げさせられるやんw」と。
ボクシングでも、正当に目の前から殴るボクシングと、外からフットワークで散らしてジャブを当てていくアウトボクシング。 アウトボクシングは確かに「つまらない」と言われるが、技術はきっちりある。
野球も、こういう戦法が認められると、ゲーム性が変わっておもしろいなあとは思う。
でも、メジャーリーグで通じないルールを日本の野球が採用するだろうか。
日本のプロ野球では当然認めないだろう。 認めてこういう選手が続出すると日本の野球がガラパゴス化してしまう。
そして、プロへの登竜門である甲子園では、日本のプロで認められないルールを認めたらあかんだろうね。 甲子園とプロ野球が完全に別げーになったらまずいから。
かりに、パワプロでこういう戦法が使えるようなキャラ、出塁率8割! なんてのが出たらどうだろう?
監督からしてもすごくこの子1人いるだけで戦略の幅が広がったと思う。 すごくおもしろい試合だしw
そりゃそうだ、球は飛ばないw
そういうハンディを持って生まれた人にとっては、プロは無理だろうなあってのはあるだろう。
だが、工夫次第で甲子園でプレイできるかも、、、? となれば、、、突っ込むというのに走る人もでるのでは?
奇策で強者に対抗する。 これに燃えない人はいないんでないか?
そりゃ、強者の投手が消耗させられるのはかわいそうっていうのはあるんだけど。
身長に野球人生つぶされた何万人のことを考えると、こういう反逆もある意味うれしい。
逆に、これを感情的に叩く人って、、、、恵まれてたんだろうなと感じる。
弱者が強者に一矢報いるために、必死になってこれまでに無いものに野球人生突っ込んでギャンブルしている姿に熱くならないだろうか?
俺はなる。
バント(?)技術もさることながら、細かいとこもすごいじゃないと思う。
足も50m6秒でしょ? すごいよ。 これ鍛えてないと無理でしょ? 軽いことを逆手に取ってるんだな。
ガッツポーズも、心理戦略でしょ。 心からやってるわけじゃないのは大人は分かるでしょ。
盗塁偽装も、わざとでしょ。 たぶん、盗み見してなくても、揺さぶるためでしょ。
こういうところもあれだけど。
彼は、視線から見て、たぶんいろんな事考えて一つ一つのプレイを完成させている。 たぶん画面から見えないところで死ぬほど計画して、死ぬほどいろいろな奇策を立てている。
「打順がきたら、、、相手の守備位置、、、あの高校のアノ選手の癖、、、」そういうもの一つ一つを自分の戦術とすりあわせて死ぬほどプラン建てて試合に臨んでいる。
だれでもやってるというかもしれないが、彼の武器はそういう細かいところで、大きな所では強者には及ばないと思っている(バッティングセンスは実は高いかもしれないという話はあるが)
こういう、「ダレもやってない打法を究極まで突き詰める」という求道者みたいな姿勢も、すごくおもしろい。
彼は、状況判断もすごいと思う。
強者の場合は、かなりおおざっぱでいいというか、「自分の持ってる力で対応すればOK」というところがある。 160キロの球が投げられれば、こちらが対応しなくても、ある程度通じてしまう。
そういう選手に比べ、力が無いほうは、「細かく状況を前もってシミュレートしなきゃだめ」なのだけど。
彼は、それを死ぬほどやってるんだろう。 相手が対応してきても、「想定の範囲内」になってしまうのだろう。
世のスポーツはともすると「技術の応酬」になるが、技術だけでなく判断力も問われるようになると格段にゲームがおもしろくなる。
そして、彼の状況対応力は、十分「ゲームとしておもしろい」レベルにまで仕上がっている。
彼のこういう、「画面ではパットは見えない」技術、そして、「一般の人が見ても分かる状況打破のやりかた、パフォーマンス」にも魅力を感じる。
むしろ、余計な知恵を持たれたら困るから体育会系を優先的に取ってる会社の方がよっぽど優秀だ。
間抜けな会社ほど学歴や学力で人を採用するから3年以内離職者が増加するんであって、
何故かというと、やってる事は勉強の延長じゃなく体育会の飲み会の延長だからだ。
当り前だが、顧客獲得に一番必要なのは勉強じゃない。嘘を吐き通せる程の営業力(ゴマすり)=コミュ力だ。
何のためにコミュ重視するのかって会社は、意味もなく学歴や学力を入社前には尊重しておきながら
間抜けな会社ほど、この傾向が異様に強く、最悪ブラックと呼ばれてる。
例えば、理系の会社で体育会系を取るのと、体育会系の会社で理系を取るのとを比べると後者は適性が合うが、前者は畑が違い過ぎて合わない。
理系の専攻は概ね専門技術職や研究開発やデスクワークだから、体育会系のように学のない人間が出来る分野ではない。
馬鹿の一つ覚えのようなルーティンワークに苦もなく出来る体育会系にとって、それは何も考えなくて良くただ体力勝負で何とかなるからだ。
逆に、設計や建築CADといった専門性を扱う職種とかマウス実験等研究開発職とか、デスクワークなどというのは、ただルーティンワークを熟せばいいわけではなく、
日々の変化に対応していかなければならない事や、顧客の要望による変更作業をしなければならないといった精神的苦痛を伴う仕事であり、
体育会系のような頭の出来の良くない人には向かない事が大半だ。
一方、後者の場合理系は様々な過程をシミュレートし、かつ計画的に効率的に行動できるため、また何も考えない体育会系より優秀であるため、彼らの上に立つ事はあっても下に甘んじるということはない。よりたくさんの技術を伴った仕事へとキャリアアップする事ができるため、会社内での理系の立場も非常に安定かつ上昇気味だ。
会社に従順で反抗しないバカ力を持った体育会系が重宝されるのは、多分同じくバカ力で上に行った者が理系に小馬鹿にされるのを嫌うためだろう。
バカはバカだけを採用すればいい。
ジューン・ブライドの季節になった。
ネットの情報を漁っても、30代男の婚活事情についての情報が案外少ないことが気になった。
私は33歳から婚活を始めて35歳で何とか無事婚約し、結婚した。
現在婚活に勤しむ男性諸氏(女性も?)に向けて、少しでもお役に立てる情報をお送りできれば幸いである。
30代始め頃になれば周りの友人達も次々に結婚し、自分も結婚したくなる時期である。
このまま生涯独身であり続けるのか?それは絶対に嫌だ。伴侶が欲しい。子供も欲しい。そう思い立ってまずは某大手結婚情報サービスの門を叩いた。
こういうところは何せ初めてだったので、特に他の業者と比較することも無くとりあえずそこに入会した。
ただ当時は、結婚情報サービスならぬ結婚相談所というところに対しては成婚料というものが何10万円もかかるというし、釣書、お見合いというのがどうも古風に感じられて嫌厭していた。
そこの結婚情報サービスは入会金100,000円、月謝15,000円くらいだったと思う。基本ネットを使ってお申込みをし、双方OKであればあとは双方で連絡を取り合い、待ち合わせをして会う。
最初は喫茶店とかでお茶しながら1時間ほど会話をする。馬が合えば次に続く。合わなければそのままフェードアウト。
ちょっと待て、これじゃあ結婚情報サービスって独身女性を紹介してくれるだけじゃないか??私はすぐにこのサービスに疑問を持った。
しかしちょうどその頃、運良く出会えた3歳程年下のお相手と少しだけお付き合いできていた時期で、少しだけ浮ついていた。
しかしその女性も、1ヶ月ほどお食事~ドライブなどを繰り返す内にどうも性格的に合わないのが明らかとなり、最後は向こうからのメールであっけなくお付き合いは終わった。屈辱だった。
程なくして私はその結婚情報サービスを退会した。
結論、結婚情報サービスで結婚できる人なら、合コンや紹介でも十分相手を探せる、ということだ。
初めてこういう世界を真剣に検索したが、日本にはいくつか仲人連盟があって、その連盟に周りの相談所が登録しているという仕組みになっていた。
私は近所の連盟に問い合わせをし、紹介してもらった2件の相談所と数回の面談を重ね、最終的にここと決めた相談所に入会した。
そこの結婚相談所の料金体系は入会・登録に70,000円ほど、月会費6,000円、お見合い1件につき3,000円だった。これは比較的お安い方だそうだ。
しかし、成婚すれば最後に成婚料300,000円を支払う必要がある。痛い出費だが、結婚相談所はお見合い成立後もお見合い日程の調整や、交際のお断りをする際の中立ちなど、結婚情報サービスにはないケアを一杯してくれる。
そこから考えればありえない金額では無いかもしれないが、100,000円くらいでも良いのではないかというのが正直な感想である。
さて、お見合いの仕組みは、専用サイト上で年齢や出身地、職業などの検索条件を入力し、条件に引っかかった女性の中から気になる人に申し込みをするというもの。
今回はもう後には引けないので、20,000円ほどかけてプロに撮影してもらった。我ながら良い写真だと思えるほど良い写真だった。
結果、当初は面白いように向こうからもお見合いのお申込みが来た。勿論私からも申し込みをしたが、申し込みをOKしてくれる確率は1割に満たないほどだろうか。
当然、容姿、年収、居住地、年齢などの条件が良い男性には沢山のお申込みが入るらしいし、申し込みのOK確率も高いらしいが、私のように並の人間であればだいたいこのくらいの確率もあれば良い方らしい。
当時のカレンダーを振り返ってみると、最後の相手を見つけるまで実に20名ほどの女性とお見合いをしていた。
色んな人がいた。
一緒に食事をした時の代金を奢ってくれないからという理由でお断りされた。
何となく合わないという理由でお断りされた。
小さなことの積み重ねという曖昧な理由でお断りされた。
バツイチの気持ちが分からない人はダメという理由でお断りされた。
私の写真を見てどうしても会いたいと申し込んで来たのに、お見合い後にお断りされた。
良い感じで数回デートを重ねていたハズなのに、ある日突然連絡が途絶えたと思っていたらお断りされた。
反対に、私からもお見合いの時に目を見て話さない人はお断りした。
コーヒーをご馳走してもお礼を言わない人はお断りした。
写真では綺麗だったのに会ってみたら歯並びがとてつもない人がいてお断りした。
飲み物を手で持たずにテーブルに置いたままストローで飲むような人はお断りした。
そんな日々を1年あまり過ごした。
多くの週末がお見合いや交際に費やされ、お金もそれなりにかかり、上記のような理不尽な理由で断られ、それはつらい日々だった。
早く良い相手に出会ってこんな世界をとっとと抜け出したい、そう考えていた。
そうやって数々のお見合いを重ねた末に、今の妻にようやっと出会えた。
出会った当初は一切ピンと来るものは無かったが、交際を続ける内に段々とこういう人と結婚したいと思えるようになってきた。
今の妻に会って良い人だと思えたのも、私がそれまで20人ほどの女性とお見合い経験を積んでいたからだと思う。
もし最初にお見合いした人が今の妻だったとしたら、私はもしかしてお断りしていたかもしれない。
そう思えるくらい、数々のお見合い経験は私の女性を見る目を大きく変えてくれた。
かくして婚約し、結婚相談所に300,000円の成婚料を支払って無事私の婚活は卒業を迎えたのである。
そうやって素敵な相手と出会えれば、必ずや結婚して本当に良かったと思える日々があなたを待っているであろう。
ご健闘をお祈りする。
4000*3000くらいの画像を50fpsくらいで記録しようとすると36MB*50fps = 1.8GB/sでストレージ容量もバスの転送速度もCPU/GPU速度もメモリも全然たりねー
その画像をステレオペアにしてリアルタイムでステレオマッチングしてデプス推定とかしたいけど全然できない。
分子構造とか結晶構造とかのシミュレーションしようとしても現状じゃ数十程度の原子数が限界でしょ。数桁足りない。
計算センター1個分くらいの処理は本当は手元で手軽にやりたい。地震発生確率をシミュレートして保険料を算出することすら現状ではまともにできない。
厳密な流体計算による航空機翼形状の多目的最適化だって全然解けない。
リアルタイムでハリウッド映画レベルのレンダリングは全然できないし、AIで相互作用と意思決定アルゴリズムを入れたキャラクターとの両立もできない。
Googleは考えてると思うけど、そのうち世界中に自動運転ビークルをばら撒いてリアルタイム3次元テクスチャつきグーグルアースとかやりたいわけ。全然できないけど。
小学生くらいのころから、「これを言ったら相手はどう思うかシミュレートして話す」ということをやっていた。
それが社会人になって、「相手が何を言いたいのかをシミュレートして先取りする」になるに至って失敗した。
シミュレートした考えが必ずしも正しいわけではないし、正しかったとしてもそれがコミュニケーションにおいてベストじゃなかったから。
誤った決めつけをしてしまえば相手を不快にさせるだけだし、正しかったとしても先読みされてペースを握られるばかりではストレスがたまるだけ。
コミュニケーションはキャッチボールだから、わかりきっていてもお約束なやりとりが必要なんだよね。
わかっててももなかなかできなかった。いや、わかってたかどうかも今思えば怪しい。
つい結論から先に求めがちなんだけど、あえてめんどくさい手順を踏む必要があるのが日常会話なんだよね。
○○?って聞かれたらそれについてだけ答えればいいのであって、○○って聞かれたってことはこれを聞きたいんだねというところまで勝手に答えるのはウザすぎる。
これを女相手にやってたと思うとゾッとするわ。。。
俺は十年も前、思春期に考えた。
思春期に彼女が出来ないような人間は後から何しても無駄じゃん、と。
よく、「学生時代に冴えなかった奴が社会的に成功して逆転」みたいな話があって
だから頑張れ人生はこれからだみたいに励まされるしそれは正しいんだけど、
「本来異性に好かれないような人間が財産や地位を築き、そういうのに寄ってくる異性と付き合う」
醜いよね。社会的見下しの対象でもある。
(よく世間的な揶揄の対象になるのも、「正しいカップル」より一段以上低い・卑しいものだからだろう
「正しいカップル」最上位は勿論、若く互いにホルモンに突き動かされて付き合ってるような2人)
まずこれ目指して頑張るっていうのは俺は気力が湧かなかった。
一番恋人とか欲しいのは十代から二十代の初めまで。 精神的にも肉体的にも。
二十代後半だの三十代だので異性に寄ってこられてもそもそもあんま嬉しくなくね?
少なくとも嬉しさ十分の一ぐらいかそれ以下だよ、思春期だったらに比べて。
また、その異性が同い歳前後だとすると、言っちゃなんだけど、相手の市場価値もがた落ちした頃だよね。
取引が成立する頃にはもう取引をする動機がかなりうせてるんじゃないかと予想した。
最重要。
だって、金や地位でひきつけた異性なんて、本当は俺の相手なんかしたくないわけで。
俺と居る間ずっと打算や仕事気分でいる人が欲しかったんじゃない。
俺のプレゼントを即効で換金して本当に好きな人にプレゼント買う異性にプレゼントしても楽しくない。
と考えるとこんなの全然、わざわざ獲得する価値がないモノとわかる。
(シミュレートすると、愛人作ってガッハッハというタイプの男のマッチョさは想像を絶する
相手が腹で自分を好いてなかったり憎んだりしててもそんなのお構い無しで楽しんじゃうんだから)
こういう予測を十代の頃に立てて、
(予測を立てたと言うかあらゆるルートの絶望が身に染みただけだが)
仕事や趣味は頑張ろう、しかし恋愛とかはすっぱり諦めて降りるしかないんだ・・・と決めた。
そして今二十代後半になった俺は、一応社会的ステータスのある資格の仕事についたけど
キリンですし元増田の言うことがよくわかる大人になっちゃいました。
とっぴんぱらりのぷう。
人権というものを語るとき、必ずといっていいほどまで言われることがいくつかある。
たとえば、「人権というものは近代国家を満たす要件のひとつだ」というぐあいだ。
ホッブズは社会契約説として自然権を考えたが、彼の見据えた先は絶対君主制であり、巷で言われるような近代国家とはまた異なる。
ロックは間接民主制を見据えていたので、これはさらに民主主義を推し進めたという意味でより近代的である。すなわち、近代国家というのは民主的であるというのも大事なのだ。
他に言われることとしては、「障害者に人権がなかったら、虐殺される」というものや「お前みたいなクズが生きていられるのも人権のおかげだ」というたぐいのものだ。
常識的に考えてみて欲しいのだが、人権の有無と虐殺の有無は異なる。人権がなかろうと人を殺せば刑法に触れるのであり、ふつう虐殺など起こらない。人権がない、すなわち無法地帯というわけではないのだ。後者に至っては発言者のゲス具合が遺憾なく発揮されており、恫喝以外の何物でもないと考える。
さて、憲法改正議論にあたって基本的人権の尊重などというのが槍玉に上がっている。これを廃することは、近代国家の否定だという人が思ったよりいる。
少しシミュレートして欲しいのだが、この国から人権を廃して、何か変わるだろうか?
警察の対応が杜撰になる?そんなことはない、もとから人権など顧みない杜撰な組織だ。
国家が国民や他国の人間を守らなくなる?そんなことはない、人権等より実質的な国家的相互監視によって、そんなことは許されないし、軽微なものならこれまでも無視されている。
自由が奪われて息苦しい時代になる?そんなことはない、それはある程度は景気の問題であって、人権があるかどうかと自由があるかどうかは関係ない。人権があろうとなかろうとわれわれはこれまでも「公益及び福祉のため」にこれを実践してきたし、人権の有無にかかわらず公共の福祉のために衝突があれば調停してきた。
ここまできてわかっただろう。この国に人権などいらないのだ。人権などいらないと言いのけても矛盾ないほどまでに杜撰な国家に杜撰な国民、杜撰な社会だと言うのもいいし、人権などいらないと言うまでに自律的かつ他律的な国家国民社会なのだ、と言うのもいい。
いずれにしても、民主的手続きで人権を放擲するならそれは最大限尊重されてしかるべきだし、今回の改憲が実現したとして人権がきれいさっぱり憲法からなくなるというわけでもないのだから、反対派にしても良かったじゃあないか。
これ、そういう話だろ。
「0人ないし2人」を助けるというタスクを達成するためのコストとして、延べ6993376時間が払われている不経済を言ってるんだろ。
は? 本気で言ってんの?
その「延べ」の把握は間違っていますよってのは既に指摘したけど、理解できないの?
それに「0人ないし2人」を助けるタスクのためのコストってのは実際には消防活動や医療救助の計上になるんですけど。
算数出来ないし予防と救助の区別もつかないとか、お前本気で小学校行き直した方がいいよ? いや真面目な話。
その肝心の訓練コストの見積もり方がインチキだからに決まってるじゃないか。「訓練やめた方がコスト安」の根拠が無いんだよ。
だいたい「0人ないし2人」で済んだのは何故かってことの分析だってできてねえじゃねえか。訓練の賜物だったらそれ取りやめてどうすんだ?
あ、「火が元々小火だったから訓練とか要らない」という話はナシな。
地震の件で多くの人間が学んだことと思うが、大人数が集まる施設で避難行動取るにはいろいろとコツや取り決めが必要なんだ。
このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。そういうことにしろください。
10年前、20代になったばかりの頃の僕は、今思えば本当に最低な生活を送っていた。高校を中退し、実家とは疎遠で、友達もなく、金もなく、夢も希望もなく、ただバイト先と自宅を行き来するだけの毎日。いつも視界には霞がかかったようで、底の見えない空虚さだけが僕の心を支配していた。
それでも趣味らしいものはあった。オンボロマシンにRedHatを入れ、ダイヤルアップの細い回線で自宅サーバを立て、Perlでガラクタのようなプログラムを動かす。そんな子供じみた遊びだけど、プログラムを組んでいるときだけは空虚さを忘れ、画面の中に没頭できた。
ただ、そのときの僕はもうすでにいろんなものに打ちのめされていて、若者にありがちな全能感などというものは霧散していた。自分がプログラミングで何かを成すだとか、それを仕事にしようなんてことは一切頭になかった。このまま夢も希望もなく人生を終えるのだと、そう思っていた。
それでも転機は訪れる。
勤めていた工場で派遣切りにあった僕は、「働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!」とか言いながらニート生活をしていた。そろそろ翌月の家賃も払えなくなってきたころ、派遣会社から電話がかかってきた。「プログラム開発の仕事があるんですがやりませんか?」と。そういや履歴書だかスキルシートだかに、Perlがどうたらとか書いたっけ。実務経験もない中卒に仕事まわすとかwww ……とは思ったものの、このままでは本気でホームレス一直線だったので引き受けた。
派遣された先は従業員数10人くらい、パートさん含めても50人くらいの小さな会社だった。現在手書きの伝票でやっている処理をWeb化したいのだという。システム担当者はおらず、事務員さんがExcelやAccessを使える程度。すべて僕一人でやらなければならない。マジか。
ともあれ、まずはサーバである。後々の運用を考えるとLinux系は使えない。事務所の片隅に放置されていたWindows 2000マシンにApacheを入れてそれでよしとした。
次はデータベース。でもこの頃の僕は「正規化ってなんれすか?」というレベルだったので基礎から勉強した。なんかMySQLってのがいいらしい→社長に申請→「今Access使ってるからそれでいけ」→「はい」→パフォーマンスの面で問題出るだろうなとは思ったがしょうがない。
次は言語。最初はPerlで書こうと思ってたけど、PHPってのが流行ってるらしいのでこっちにした。ウホッ! いい言語……。
そして業務内容を把握するため、現場をあっちこっち駆けずり回りながらヒアリングする。ときには部長から愚痴を聞かされ、ときにはパートのおばちゃんから誘惑され、そんなこんなを繰り返し、仕様をつめていく。
そして数ヶ月かけて開発したシステムの稼働である。そのときのことは今でも忘れない。
現場の人がラインからデータを入力する。サーバにデータが送られてくる。別の事業所からも送信されてきてる。問題ない。事務員さんが伝票処理を行う。問題ない。すげえ、ちゃんと動いてる。お遊びで作ったプログラムではなく、本当に本気の業務用プログラムである。それを僕が1人で作ったのだ。このプログラムで業務がまわり、利益を生み出すのだ。社会に対して、何らかの作用を及ぼすのだ。僕みたいなクズにでも、そんなことが可能だったのだ。
そのことに気付いたときの感動を、僕は今でも忘れない。
それからちょっといろいろあって、ホームレスになった。うん、急展開なのはわかってる。でもこの間のことは語ってもあまり面白くないし、公序良俗に反する話もあるのでざっくりはしょる。どうせフィションなんだから細かいことを気にしてはいけない。
話を戻そう。
ホームレスになってからの数日はひどい精神状態だった。足元から世界が崩れていく感覚。視界がぐにゃりと歪む。帰りたい。でも帰る家がない。だからホームレスというのか……というトートロジーを何度繰り返しただろうか。
もうあまり覚えていないけど、このときの僕は本当にもう何もかもどうでもよくなってたと思う。ただ、自分の全財産がバッグ1つしかないということに対する心地よさ、開放感があったのはよく覚えてる。そんな状況で地べたに座り込んで見る風景。きっと、今はもう見えない。あの頃の僕にしか見えない風景が、そこにはあった。
いろんな人と出会い、流れ流れて、最終的に西成のあいりん地区にたどり着いた。関西圏の人には説明不要かもしれないけど、よく言えば日雇い労働者の街、ぶっちゃけて言えばホームレスのメッカである。今はもう綺麗になってしまったし、治安もそこそこよくなったけど、僕がいた頃はまさに「カオス」としか表現のしようがない状況だった。
どこから持ってきたんだといいたくなるようなガラクタばかりを並べた泥棒市。簡素な骨組みにビニールシートをかぶせただけの飲み屋。「ないかーないかー」と声が聞こえてきたので見てみると、警察署の近くなのに道端で堂々と丁半博打をやっている。コンビニのトイレの張り紙には「トイレが詰まる原因になるので注射器を捨てないでください」とある。いやトイレが詰まるとかの前に気にすることがあるだろ。ケンカなんて日常茶飯事。頭から血を流したおっさんが普通に歩いてる。数百人規模で並ぶ三角公園の炊き出しは圧巻。四角公園の炊き出しでは誰もいない場所にワンカップの瓶とかがたくさん並んでる。何かと思って聞いてみたら「あれで並んどることになってん」と返ってくる。学食の席取りルールみたいだ。ああもう全然書ききれない。
でも一番印象に残っているのは、南海線の高架下、うず高く積まれたゴミ山の前でガラクタを解体していたおっちゃんのこと。奇声を発しながらハンマーを振り下ろしていたおっちゃん。その両目は、これ以上ないほどにキラキラと輝いていた。その鉄屑を売った金でビールが何本買えるか皮算用でもしているのか、あるいは幸せになる魔法の薬でもキメているのか、そのときの僕にはわからなかったけど。
そして、人生を投げ出していた僕に付き合ってくれたおっちゃん、あなたのことも忘れません。モーニングをおごってくれて、いろんな話をしてくれて、聞いてくれて、役所の福祉課まで連れて行ってくれたおっちゃん。あなたがいなければ、僕は今でも西成でぬるま湯の日々を送っていたかもしれない。
いろんな人に助けられて、ホームレスの施設に入ることになった。舞洲という人工島にあるのだけど、これがまた周囲に何もないのだ。スポーツ関連施設、ゴミ処理場、物流センターが点在するくらい。コンビニ1件ありゃしない。だけど施設での生活は意外にも楽しかった。2段ベッドが6つ並んだ12人部屋。むさくるしいけど、みんなバラエティに富んでいた。刑務所上がりのいかついおっちゃん、虚言癖のひどいおっちゃん、ほとんど一日中寝てるじいちゃん、薬のフラッシュバックがひどい兄ちゃん。そんな人達の中で過ごせば、自分がどれほどクズであっても気にならない。やはり僕はこちら側の人間だと再認識した。
市街地にある施設へ移ってからはいろんな仕事をした。生駒の山奥にドブさらいに行ったり、事務所移転のバイトで腰をやってしまいそうになったり、なんやかんやあったけど、長くなるのではしょろう。結局のところ、またプログラマをすることになるのである。
そろそろ身バレしそうな領域に入ってきたのでここでもう一度強調する。このお話はたぶんフィクションです! たぶんフィクションです! 大事なことなので2回言いました。
そう、またプログラマとして働くことになった。今度は従業員数300人くらいの大きな会社である。日本人なら誰でも知ってるであろう大企業の子会社ということもあり、本社からの出向社員は東大京大卒当たり前みたいな状況。そんな人達の前で中卒の僕が前に座ってプレゼンやら仕様検討会やらをするのだ。何の罰ゲームだよ……。
最初に思ったのは、「ここにいる人達は育ちがいい」ということだった。みんな礼儀正しい。喋り方や立ち居振る舞いまで、今まで僕がいた世界とは何もかもが違っていた。まるでドラマに出てくるような「ちゃんとした人生を送っている人達」だ。そんな人達に囲まれていると、「生きていてごめんなさい」と言いたくなる。本当に。
他に驚いたこと。社内で連絡を取り合うのにメール使ってる。やばい。社内メーリングリストとかもある。やばい。定期的にミーティングとか勉強会とかもする。なにそれ怖い。自分がいっぱしの社会人になったかのような錯覚に陥る。ちょっと前まで西成でゴミ拾いのバイトしてたのに。「勘違いするんじゃない! 西成の日々を思い出せ!」と何度も自分に言い聞かせ、自我を保った。
とはいえ、萎縮してばかりもいられない。気付いたことはどんどん提案した。あちこちに散らばっている共通の処理をライブラリ化したり、サーバで負荷がかかっている部分を改善したり。却下されたものも多かったけど、採用されたものもそれなりにあった。業務の改善案を考えるのは楽しい。誰かがプログラマの三大美徳に「無精」を上げていたっけ。極度のめんどくさがりで、楽をするための苦労は惜しまない僕には、こういう仕事は天職なのかもしれない。
システム開発の方も順調に進んでいた。この頃はMicrosoftですらWeb版のOfficeを出すような状況で、デスクトップアプリに比べても遜色ないレベルのWebアプリがどんどん出てきていた。この会社で開発しているのも、そんなAjax技術を多用したWebアプリだ。JavaScriptを用いた本格的な開発に最初はとまどったけど、書けば書くほど言語が自分の手に馴染んだ。クロージャ、prototypeといった基礎をちゃんと学ぶと、書けるコードのレベルが段違いに上がっていくのが楽しかった。
仕様にもこだわった。実際に使う人がどんなふうに操作するのか、何度も何度も脳内でシミュレートし、どんなUIが最適なのか、データ構造はどうするべきか考え、実行速度とメンテナンス性の板挟みに苦しみ、何度も何度もリファクタリングを繰り返す。
そのとき開発していたシステムは、メイン画面でほとんどの処理を行うタイプのものだったのだけど、そのメイン画面のJavaScriptコードは最終的に1万行を超えた。もうこの頃にはJavaScriptでのオブジェクト指向的な開発手法というものも自分なりに構築されつつあった。そしてこのカチャカチャとした手触りの、安物のオモチャのような言語は、僕の一番好きな言語になったのだった。
そんなある日、僕が作ったシステムのメインユーザーである他部署の偉い人が来て、開口一番こう言った。
この機能が素晴らしい、とか、あの発想はなかったわ、とか、とにかくべた褒めして、そして去っていった。機能追加要望の前口上だと思って身構えていた僕は拍子抜けした。「あの人が他人を褒めることなんてめったにないよ、すごいね」と近くの席の人が言う。
どこにもはまることのない歪な歯車。その僕が、社会という大きな機械の中に組み込まれる音だったのだと思う。まあすぐに外れてしまうのだけど。その一瞬だけは、僕は確かに社会の一部になれたのだ。
これからどうするか? 今の技術力ならそれなりのところに就職できるかもしれない。でも僕にはやってみたいことがあった。半年かけて海外を旅するのだ。
今、僕の手元にはまとまったお金がある。こんなのは人生で初めてのことだ。そして僕は今、どこにも所属していない。どんなところに行ったっていいし、何をしたっていい。この先、そんな状況がどれだけあるだろうか? 人生長いのだ、そりゃあ何度だってあるかもしれない。でも今回やりたいことをやらなかったのなら、僕はきっと何度だってやらずにいるままだろう。
もちろん怖くなかったわけじゃない。なにせ海外なんて行ったことがなかったのだ。ずっと極貧の生活をしてきた僕は、国内旅行だって満足にしたことがない。
いろいろと考えた。ない頭を使って考えた。自分の英語は通じる? 病気になったときは? 荷物をなくしたら? あれこれ考えると心配事ばかりが頭をめぐって、わけがわからなくなる。
最終的に決定打になったのは、自分が何も持っていないという、この状況だった。
そう、僕は何も持っていない。家族も友達も、夢も希望も。だけど、そんな人間だからこそできることがあるんじゃないかと思ったのだ。何も持たないからこそ、どこにだって行けるし、何にだってなれる。それはタロットカードの「愚者」みたいなものだ。愚かな者は恐れも何も知らぬからこそ、無限の可能性を秘めている。
心を決めたら後は早かった。
パスポートを取得した。航空券を手配した。住民票を海外転出した。トランクルームを借りた。住んでいた部屋を引き払った。
空港へ向かう電車の中で、懐かしい感覚に襲われた。あの日、ホームレスになったばかりのころの感覚。世界が足元から崩れていく感覚。でもあのときとは決定的に違うことがあった。それは、今回は自分が望んでこうなったのだということ。流されるまま生きてきた僕が、初めて自分の人生に対して主導権を得た。それだけが決定的に違っていた。それだけで十分だった。足の震えは、これからの旅路への、期待に対する震えなのだった。
自分とは異なる人種、異なる言語。街の看板すらまともに読めない。レストランの注文すらおぼつかない。ちょっと電車に乗るのも大仕事だ。それでも時間をかけてひとつひとつなんとかしていった。
見知らぬ街の匂い、喧騒、バケツをひっくり返したようなスコール、旅の中で出会う怪しい人、優しい人。僕の前でたくさんの風景が流れていく。
川辺のレストランで昼ご飯を食べた後ボケーッとしていると、猫が膝の上に乗ってくる。動くのもめんどくさくてボケーッとしてたら日が暮れてた。そのまま猫と一緒に晩ご飯を食べた。そんな日もあった。
長距離列車に乗っていたとき、車内食にピーナッツバターのようなものが付いていたので、普通にパンに塗って食べた。でも梅干的なものだったらしく、めちゃくちゃ酸っぱかった。「すっぱ! すっぱ!」とかやってたら向かいの席の女の子が爆笑していた。僕も笑った。そんな日もあった。
最初は少し移動するのにも大変な思いをした。でもいつの間にか、ローカルバスに乗って気ままに旅するようになっていた。
たどたどしかった英語も、日常会話程度なら普通に喋れるようになっていた。
いろんな国のバックパッカーにもたくさん出会った。お互いつたない英語でやりとりするのも楽しかった。今度は彼らの国にも行ってみよう。だからいつか世界一周に出ようと、僕は心に決めた。
こんな旅に出たところで自分は何一つ変わらないと思ってた。でも、何かが変わってきている。それが何なのかはわからない。たとえば図太さだったり、適当さだったり、そういうのもあるのだけど、何か違う。それよりもっとプリミティブなもの。感情になる前の感情、行動になる前の行動。マグマのような熱量を持ったドロドロとしたものが、自分の中に渦巻いているのを感じる。それがいつ形を成すのかはわからない、今はまだ。だけどいつかどこかで、忘れた頃にひょっこり出てくるんじゃないかと思う。そのときを楽しみにしていよう。
そして夢のような日々は終わる。
日本に帰ってきたとき、手持ちの金は10万以下だった。部屋は解約していたので住むところもなかった。普通にホームレスだった。僕は焦らず慌てず、西成へ向かった。
しばらくはドヤ(安宿)に泊まった。一番安いところなら500円から泊まれる。西成はいいところだ。
前の会社から戻ってこないかと誘われたけど、「働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!」と言って断った。
いや働きたくなかったのは本当だけど、もう1つ理由があった。職業訓練で組み込み系を学ぼうと思っていたのだ。
スマートフォン含むタブレット端末の市場がこれからも拡大していくのは間違いない。そうすると必要になってくるのは組み込み系の知識。いやアプリ作るだけなら必要ないかもしれないが、そういった知識があれば、自分ができることの幅がぐんと広がると思う。
それに、今の僕には基礎的な力が圧倒的に足りない。すべてを独学で、我流でやってきたけど、やはり限界を感じる場面が多々あった。だから今回ちゃんと体系的に学んで、足元を固めようと思ったのだ。
結果的には正解だったと思う。本当に基礎の基礎から学べた。
ブレッドボードを用いて回路を組むところから始まって、アセンブラ、C言語、組み込みLinuxでのデバイスドライバ開発、アプリ開発。これまで高級言語の十分に進化しきった部分にしか触れてこなかった僕にとっては、どれも難しかったけど、どれも面白かった。これからどういう道に進むかまだわからないけど、ここで学んだことは絶対に無駄にならないと思う。
そうして職訓で勉強するかたわら、悶々と考えていたことがある。世界一周についてだ。
今はまだ金もないし、そんな金を稼げるあてもないのだけど、いつか(たぶん10年後くらいには)行こうと本気で思っている。
ルートだけでも今から考えておこうと思って、いろいろと旅程検討アプリを試してみたのだけど、どれもいまいち使い勝手が悪い。海外のものも含めて探しまくったけど、自分が思うようなものは見つからなかった。
だったらもう自分で作るしかない。せっかくだから就活のときにポートフォリオとして使えるよう、ちゃんとしたWebアプリを作ることにした。
最初の1ヶ月は地図APIの選定と、検証コードを書き捨てるだけで終わった。
2ヶ月目は基礎部分の構築だけで終わった。
3ヶ月目に本気を出し、ほぼできあがった。
そしてベータ版をリリースした。 http://planetter.com/
それが先週の話。
だからこのお話はここで終わりだ。正確に言うなら、ここから先の展開はまだわからない。
10年間を振り返ってみて思う。あの頃と比べて、何か変わっただろうか?
家族や親類とは縁が切れたままだし、いまだに人付き合いは苦手だし、金はないし、夢も希望もない。それは今でも変わらない。ただ、あの頃あれほど感じていた空虚さは、跡形もなく消えている。
西成の高架下で見た光景を思い出す。ガラクタを解体していたおっちゃん。あのキラキラした目。たぶんあの瞬間に僕は、自分にとって一番大切なものは何なのか、心の深い部分で理解したんだと思う。
世界一周だなんだというのも本当はどうでもいい。僕はただ、いつだってドキドキしていたいのだ。
初めて人を好きになったときの気持ち。知らない街で暮らし始めたときの気持ち。そして、プログラムが思い通りに動いたときの気持ち。
それを持ち続けていたいのだ。いつだって新しい世界にワクワクしていたいのだ。
ふと目を閉じれば、まぶたの裏に映る、あの日のメッセージ。
"Hello world!"
このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。でも、ここに綴った僕の想いは、ノンフィクションです。
どうするんすかね。
どうすんのとか聞いてるってことはヒントとかあるってことか。
先週貰った資料か。ヒントとかないだろあれ。
昨日先輩から転送されたメールか。ろくなこと書いてなかったわ。
知らんわ。
何も出てこん。
やべーこれ怒られるのほぼほぼ確定だわ。
んで何考えてたんだっけ俺。
先輩遠くからニヤニヤしてやがる。
緊張して屁が出そうだ。
それにしても沈黙長くて気まずいわ。
部長眉間が痙攣してる。
何やってんだ俺はよ帰りたい。
みたいな事が頻繁にあって精神が参ってる。
理系大学院出たものの就職難で全く関係ない分野の営業職に就いて数ヶ月。
よっぽどぬるま湯な学生生活送っててすっかり忘れてたけど、想定外の事態になると頭が真っ白になるんだった。
アドリブとか、とっさの機転とか、20と数年間無縁で過ごしてきた。
発達障害でも持ってるんじゃないかと疑いたくなるけど、確認したところで事態が好転することもなさそうだ。
辞める事も何度も考えたけど、貯蓄ないしこれが社会のスタンダードならどこ行っても同じ結果になるし1年も働かずに転職する根暗を受け入れてくれる会社もないと思ってる。
あとは死なずにこの会社に数年は居続けるとしたらどうすればいいか考えるしかないだろ。
最優先で解決するべき事項は間違いなくこのとっさの対応力の無さだ。
そしたらどうやって補うかっていったら、可能な限り想定される質問を事前にシミュレートするのがベストアンサーだろう。
そういえば学校の試験も想定される問題を事前にシミュレートしないといけないものだった事を思い出す。
小学校~高校の、将来に役に立たないと思われてる勉強をさせる意味の1つは、とっさの対応が必要になる事態を減らす思考を提供することなのかもしれない。
そしてそんな思考もあんまり万能ではないと思ってるのが今。