はてなキーワード: せっかくだからとは
この内容で何で消したのかよくわからないけど、せっかくなのでこっちに残してみる
はてなブックマーク人気コメントがSNSの中では最も参考になるね
短文はTwitterと変わらないけどスターでコメントが評価された上で人気ランキングされているから、値や安心感がTwitterとは違うね
Twitterは波及力は凄まじいんだけど、バカッターと言われる輩がいるしね
そういえばいくつかは珍しく二階もできているね
せっかくだからブックマークされている記事のはてなブックマークへのリンクを置いておくよ
http://b.hatena.ne.jp/entry/openblog.seesaa.net/article/442779582.html
はてなブックマーク - はてなブックマーク - ◆ 三浦九段の不正疑惑(将棋)
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/openblog.seesaa.net/article/442779582.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/openblog.seesaa.net/article/442808976.html
はてなブックマーク - はてなブックマーク - ◆ 続・三浦九段の不正疑惑(将棋)
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/openblog.seesaa.net/article/442808976.html
はてなブックマーク - ◆ 続々・三浦九段の不正疑惑(将棋)
http://b.hatena.ne.jp/entry/openblog.seesaa.net/article/442831149.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/openblog.seesaa.net/article/442860312.html
「アナルに栄養ドリンクの瓶を突っ込むくらいは女性でもやらされる」(20代、元電通社員)
私が電通社員へかつてヒアリングしたエピソードには「今すぐXXへ来いと言われ東京から深夜タクシーに飛び乗った」「道端で脱げと言われて脱いだら留置場へ入った。すぐ出してもらえたのでそのまま出社した」なんてのがある。
http://toianna.hatenablog.com/entry/2016/10/15/102629 より
トイアンナさん関暁夫顔負けの都市伝説ハンターとお見受けしたので、せっかくだから、このコピペ(僕の知ってる限り、2ちゃんねるに何年も前から存在する)がどこまで実在するのか聞いてみたい。
(以下、コピペ)
神 ウンコ食べる
九段 公開オナニー、、アナルセックス(女ならマンコでバナナ切り、「産卵」、人間燭台)
八段 路上で全裸全力疾走、ラップなしフェラ、全裸で擬似SM(女なら路上で全裸全力疾走、わかめ酒、女体盛り)
七段 ケツで生け花、きゅうり、花火挿入、ラップ有りフェラ、女の頭にちょんまげ(女なら野球拳で全裸になる、公開フェラ)
六段 陰毛ファイヤー、男同士でディープキス、エリマキトカゲ、ケツにプリッツ挿入(女なら野球拳でパンツ一枚まで)
五段 マジックで体に名前書いてお盆使わず裸踊り、路上でセミ、ちょんまげ(女ならトップレスでだっちゅーの、男と公開ディープキス)
四段 革靴でビールイッキ飲み
三段 取引先の前でお盆使って裸踊り、ウォッシュレット(女ならバニーガールのコスプレやレオタードで踊る、非公開売春、野球拳で下着まで)
二段 ポッキーゲーム、女装、コマネチ、Tバック(女ならポッキーゲーム、擬似フェラ、異性とチークダンス)
人間燭台・・・全裸でまんぐりがえしの体勢になってアナルに燭台を置き蝋燭に火を灯す。実在します。
産卵・・・マンコにウズラの卵を挿入して排出する宴会芸。実在します。
わかめ酒・・・マンコに酒を垂らして男に飲ませる。陰毛がわかめに見えるからこうなづけられた。実在します。
エリマキトカゲ・・・全裸になって玉袋を掴んで引き伸ばし、「エリマキトカゲ、エリマキトカゲ♪」
ウォッシュレット・・・仰向けに横たわり口に含んだ水を全裸になった男の肛門に噴出する芸。
このランキングの段位はその段位の芸が全て出来て初めて認定されます。
ネタだと思ってたけど、トイアンナさんのブログを見てたら「あれ?実在するんじゃね?」と思えてきたので、勝手ながら質問を投げておきます。
目覚ましが鳴る前に目が覚める。
お腹が空いている以外に体の不調は感じられない。
体には力が溢れている。今日も最高の一日にしよう。
鏡の前に立ち、顔を洗う。
デザートはヨーグルトだ。
窓の外からは鳥の声が聞こえる。
中略
この後、気になる事務の○○さんを食事に誘いたいと思っている。
「ご、ご、ごごめんなさい。いきなり食事とか言われても困るっていうか心の準備が(おどおど)。どうして私なんか(きょろきょろ)」
B. 「△△さんとか××君も誘おうと思ってるんだ。良かったら○○さんも行こうよ」→「あ、ごめん。△△さんと××君急用で来れないってさどうしよう?せっかくだから二人で行かない?にぎやかな店だよ」
ふーむ。どっちでも行けそうだが、Bだとなんかズルいな。Aで行くか。
君の名は。人気はまだ続くのだろうか。自分は公開2週目位に一度見たきりなのだが、Web上で展開されている
様々な解釈を念頭に置いて、もう一度くらいは劇場に足を運ぼうと思っている。
新海監督の作品は「ほしのこえ」からの自分だが、その中では前作「言の葉の庭」が一番好みである。
50分弱という過不足無い尺。今作では少し鳴りを潜めた、現実よりやや過剰に高められた光の輝き。
ヒロインを失意の闇から救済し、精神的な絆を結びつつも、直接の対価を得ることが無い幕引き。
どれをとっても、新海誠という人物が長年その心象世界に持つ純粋な「私の世界」。
君の名は。を彼のベスト盤であると評した人がいた(本人?)ように思ったが、自分は「言の葉の庭」こそが、
最も正確に彼そのものを表しているように思う。
ただ、そういった作品性とは別に、自分が言の葉の庭を特別なものとして見るのにはもう一つ大きな理由がある。
全くもって個人的な体験に基づくもので、それを他人と共有する事に価値は無いのだとは思うのだが、
40を目前とした今、その記憶がゆるやかに風化していくにつれ、どこかにその記憶を刻んでおきたいという欲求に駆られ、
1日だけの日記としてここに記しておこうと思う。
創作では無い為物語の構成は酷く、起伏にも全く欠けるが、偶然目にする人がいたら、息抜きのつもりで読んでみて欲しい。
20年ほど前、自分は地方の私立大学に通う大学生だった。高校を出て何となくの流れに乗って通う大学生活は、
地方であること。理系であること。あまりハイブロウな属性でないことなどから大きな刺激も無く、
かといって腐ってしまうという程の退屈さもなく、毎日がそこそこのルーティーンとそこそこのイベントによって消費される、
卒業校は大学とほど近い場所にあるため、自分は時折高校時代の恩師の元を訪れ、近況の報告や、
(当時のPC弄りが好きな学生がしばしばそうであるように)師のPCメンテナンスなどを請け負っていた。
ある日いつものように師の元を訪れると、師の隣席に初めて見る顔があった。
師は、新任の先生だと言って彼女を紹介してくれた。
「今度新しく入ったH先生だ。」
「どうも初めまして。Sといいます。」
学校行事でスーツを着ていた自分を、おなじ新任か関連業者の人間と思ったのかもしれない。
彼女…H先生は突然勢いよく椅子から立ち上がり、コンシェルジュのような角度でお辞儀をしながら
と、およそその完璧なお辞儀からは相応しく無い焦り具合で挨拶をしてくれた。
少しだけ長めのボブカット。
そして何より、整った、育ちのよさそうな顔立ち。
(ははぁ。これは生徒に人気がでるだろうなぁ…。)
そう、思った。
「そう言えばH君、パソコンの調子が悪いと言っていたじゃないか。せっかくだからSにみてもらったいい」
これをきっかけに、ほんの短い間ではあるものの、自分とH先生に関係が生まれた。
その後数か月間、自分はH先生のPC周りの面倒を見ることになった。勿論、数か月といっても頻繁では無い。
実のところは、精々5・6度の話でしかなかったと記憶している。そうとは言え、ほんの少しだけ年上の
とびきり可愛らしい女性が相手だ。いつもわくわくしながら通ったのを覚えている。
見かけ通り、H先生はとても可愛らしく純粋だった。
明かりの落とされた職員室。
冷陰極管の青白い光に浮かび上がる横顔。
買ってくれた缶コーヒーの温もり。
年下の自分に中途半端な敬語交じりで話し、ソフトの使い方を教えたり、FEPの不調をメンテしたり、
壊れたFATテーブルをエディタで書き直す程度の事で、H先生はとても喜んでくれた。
見かけによらず、頑固でもあった。
突然の夕立に「いい」と言うのに頑として聞かず、駅まで車に乗せられた。
エアコンが効かず、少し蒸した車内。
一度、何かの為にソフトを借りに実業系科目の教師の所へ顔を出したとき、
と、冗談とも真面目ともとれない顔で言われたこともあった。
…その通りだと思った。
あの時自分はどうして恋に落ちなかったのだろう?
高校時代淡い好意を持っていたクラスの女の子を忘れられなかったからだろうか?
卒業校とは言え、教師という立場の相手に対しての遠慮だったのだろうか?
今となっては思い出すことができない。
ただとにかく、会いに行く時間の胸の高鳴りとは裏腹に、
自分がH先生に対して恋心を抱いたことは無かったように思う。
時が経つにつれて、H先生とは疎遠になった。卒業からしばらくOBとして顔を出していたやつが
いつの間にか顔を見なくなるという、ごくありふれた、普通の流れだった。
勿論、心のどこかで気になってはいたが、明確なきっかけも無いのに顔を出すのも気恥ずかしく、
また、自分という存在が順調に過去となっていく高校に窮屈さを感じ、足が向かなくなるにつれ、
しばらくの後には思い出すことも無くなっていった。
大学生活は相変わらず少々退屈で、授業とバイトの日々が続いていた。バイト先にはコケティッシュに笑う
年下のあざと可愛い女子大生が入り、自分はその子に相当入れあげていた。
そんなある日。
高校の「部室」へ顔を出した。
自分は高校時代ややヲタクなサークルに顔を出していた。それはよくあるアニメやゲーム好きが集まるような
内輪志向の趣味サークルで、正規の部員でこそ無かったものの、殆どコアメンバーのような立場でメンバーとつるんでいた。
先輩も、後輩も、同級生も、自分の高校生時代の交友の半分は、そのサークルに由来している。
部室にはYがいた。
Yは自分が卒業する年に入学した後輩で、少々エキセントリックな性格ではあるものの、
当時の世相でそういったサークルを志向していた女子には珍しく、並以上とは言える容姿と、
その予測不能な反応を示す性格から、OB現役を問わず大層人気があった。当時から近い表現はあったように思うが、
ヲタサーの姫がベターなワードチョイスだ。正確にはサークラ的要素も多分に混じるのだが、
方々穴兄弟にはなったものの、サークルはクラッシュされなかったので、二択であればやはり姫の方が無難であろう。
Yや他の部員たちと軽く挨拶を交わし、部室に置き去りにしたPCエンジンで縦スクロールシューティングに興じていると、
「先輩先輩。先輩はH先生知ってますか?」
驚いた。彼女が新任教師として赴任したのは自分が卒業した後であり、現役生であるYもそれは承知だろう。
卒業後に赴任した教師を話題にあげるという事は、普通滅多なことではしない筈だ。
「ああ、実はちょっとした絡みがあって少しだけ知ってるよ」
事実を答えた。Yが続けた。
「H先生、辞めちゃったんですよ」
公立高校と違い、私立高校では異動というものが殆どない。私立が主体の都会では事情が異なるかもしれないが、
地域内に同業が少ないこともあって、転職という選択をする教師も(教師という手堅い職を選ぶ本人の性向もあってか)
滅多にいなかったと思う。とにかく、短期での退職というものはあまり例が無さそうに思えた。
Yは表情を変え、ゴシップ好きの主婦のような声色を作って次を継いだ。
「それがね、聞いてくださいよ先輩。H先生寿退社…ってことになってるんですが、本当は…」
…
…
「本当は、生徒に強姦されて辞めたんです。」
それから数年の年月が過ぎた。
大学卒業後、氷河期のどん底という頃に地元の小企業に就職したが、ワンマン社長の横暴に嫌気がさし2年と少しで退職。
しばらくアルバイトをしながら職を探したが、高卒でブルーカラー職についたり土建業に入るならともかく、
大卒が志向するようなサービス業的業種にまともな就職先はとても少なく、わずかにある条件のよいポジションは
新卒で滑り込んだ者が既得権化しており、あとはそれこそ公務員くらいしか不満の少ない就職は困難だった。
それを期に、意を決して東京へ出た。
友人の家に転がり込み、転職エージェントを頼りにいくつかの会社を受けた。東京での活動は思いの外順調で、
面接したいくつかの会社から採用通知を受け、そのうち、条件はあまり良く無いものの、基盤の堅い中小企業に入社した。
入社後上司との性格の不和に苦しんだが、前職の事を思えばその程度の問題に対処することは苦労のうちには入らなかった。
給料はとても安(250程度だったと思う)かったが、それも前職に比べれば不満は少なく、初めての東京生活をエンジョイし始めることができた。
そんな矢先。
当時の秋葉原メイドカルチャーは黎明期の出店ラッシュがひと段落し、金の匂いに感づいた風俗業の面々が
続々と出店を始めた位の頃だったと思う。高校を卒業したYは東京の大学へ進学したが、
生来の不安定な性格故順調にメンヘラ属性を手に入れ、真面目な大学生という路線は早々に離脱。
生活の為か趣味かは聞かなかったが、アルバイトとしてメイドを始めた、ということだった。
メールには多少面食らったが、Yの人と成りからすれば、想像には難くなかった。
自分の秋葉原に対するスタンスは単なるパソコンショップ詣の場所で、メイドカフェへ行くことに多少の
戸惑いはあったのだが、後輩に会いに行くと思えばいい。了承の返事を送信した。
「おかえりなさいませ、ご主人様~」
Yの働く店は正確にはカフェではなく、バーだった。
万世橋を渡り少し裏手の路地の扉を開けると、今では手垢どころか擦り切れて表皮が
やや珍しい青と白の照明で彩られた店内(まるで自作PC筐体のようだ)は、多少の安っぽさはあるものの、
常連客との適度なゾーニングもされていて、居心地は悪くなかった。カウンターの向こうで客の相手をする
隣では、この場所にはやや不釣り合いな女性が独り呑んでいた。
「君、初めて?」
声をかけられた。
「そうですよ。高校時代の後輩がいるんで、まぁ付き合いです。」
「そうなんだ。じゃあ私と一緒ね。」
女性(T)は銀座でホステスをしていた。非番の今日は、ここで働く自分の彼女の仕事が終わるまで待っているのだ、
と教えてくれた。自分も自己紹介をし、それからしばらく話をした。ホステスの会話術は流石に巧みで、
後輩に会いに来たことなどすっかり忘れ、仕事の話や高校時代のことなどを話し込んだ。
2杯目のジントニックの氷が溶けるころ、Tがはたと気付いたように自分に聞いた。
「そうですよ。Yは3つ以上下だから、直接一緒になったことはないですけどね」
「そっか。そしたら君…」
…
…
「H先生って…、知ってる?」
ドキリとした。
自分の中で風化し、消えかけていた「H先生」という単語の響きが、急速に記憶の色を取り戻させた。
しかし、こんな偶然があるのだろうか?ここは00年代も半ばの秋葉原。しかも場末のメイドバーだ。
100歩を譲って、自分達の高校が埼玉や神奈川にあったとすれば分からなくもない。
だが、自分達の高校は十分に遠方にあり、増してや、彼女がH先生であったのは6年も7年も前の話なのだ。
ボブのかわいい初々しい先生だったこと
人の消えた職員室で一緒にコーヒーを飲んだこと
大した話ではない。読んでくれている人がいたら申し訳ないが、当事者以外が聞いても何の感慨もない日常の出来事だろう。
Tは、そんな自分の話を穏やかな顔で聞いていた。ひとしきり話を聞いてから、話をしてくれた。
髪型が全然違うこと 化粧が派手だったこと
プレリュードに乗っていたということ
…そして、1年程前まで、自分の彼女だったということ
少しジメジメした夏の終わり頃だったように思う。
日付なんて全く覚えていない。
でも、それくらい、自分にとって忘れられない日の出来事である。
「言の葉の庭」は、ヒロインである雪野先生が、想いを寄せられた男子生徒への対応を誤ったことを
きっかけに物語が構成されている。劇中、男子生徒を奪われ、腹いせに雪野先生の退職を画策
(そしてそれは成功する)した女生徒に主人公が抗議をするシーンがある。
客観的に見るとやや時代錯誤と青臭さがあり、本作で唯一落ち着かない場面ではあるのだが、
このシーンを見ていると、雪野先生とH先生をどうしても重ねてしまう。
勿論、自分が孝雄になる妄想を出来る程今の自分は若くない。ただ、物語は悲恋として終わるものの、
孝雄の存在は、雪野先生の人生において彼女のレールを想定の範囲内におさめる為強力に機能した筈だ。
では彼女は、H先生はどうだ?
H先生に関して一つ書き忘れたことがある。彼女は県下一の、ある業種の創業家の息女である。
名士の娘が地元の高校で教壇に立つ。頃合いをみて結婚。家に入る。
時代錯誤ではあるのだろうが、そんなルートが彼女の想定の範囲だった可能性は高い。
もっとも、実はそれが嫌で飛び出したということも考えられる。
これを読んで、「だからだよバーカ」と舌を出しているかもしれない。
それならそれで、構わない。彼女が想定の範囲の人生を受け入れていたかどうかなどわかるはずもないし、
想定されたルートが幸せだったなど、他人の人生の価値判断を想像でするべきではない。
ただ、人生のターニングポイントにおいて、1人の人間の存在が他の1人の人生に与えうるインパクトの大きさというものは、
現実であっても、いや、現実こそ想像以上に大きい。花澤香菜がワンテイクで録ったというクライマックスを見る度、
そこに感情をぶつける肩のあった雪野先生と、もしかしたら無かったのかもしれないH先生とで、
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…自分語りはこれで終了だ。
最後に少しだけ、素人の新海誠評を書いてみたい。
あくまで想像だと前置きするが、新海監督は幼少から無理目な恋愛ばかりをしてきたのではないだろうか?
恋愛という通常とは比較にならないエネルギーを必要とする行為において
その力を一方的に放出し還流を受けることのできない状況は、人を極端に消耗させる。
ある者は力尽き、ある者は別の誰かから力を得た。
またある者は、運良く力の循環に出逢えることもあるだろう。
監督はどうだ?
監督は恐らく、無から力を生み出すことを選んだ。それが新海誠の作品性の源流であり、
君の名は。の2人は、時空を超えて尚力の循環を得ることが出来たように描かれている。
これをもってして彼の心象世界との乖離を突き、不安視する声がある。かく言う自分も少しばかりは、心配だ。
だが、監督は既に力の循環を知っている。言の葉の庭の2人は、実態としての結末こそハッピーではなかったかもしれないが、
案内してもらった親しい友達に、
お寿司屋さん連れてってもらったのよ。
まあ、私はせっかくだから
ご飯の上に鶏肉が乗ったやつとか!
でも、ここはその人に乗っかってみたの。
チャッチャチャッチャラチャッチャチャチャラチャラ
まーもるもせめるもくろがねのーぉ~!
じゃんじゃんバリバリ的な
軍艦巻きよ!
彩りはイマイチだけど、
成立しないでもないわ。
でも美味しいの!
自分では、それ頼もうとは思わないけどね。
まあ、冗談よ!JYODAN!
井戸田さんばりに「あまーーーい」って言うわ、ってくらいの甘さ。
現地の人から見たら、
なんだ、このパスタ!って思われるかも知れないし、
パンツェッタ・ジローラモさんも
空腹は最高のスパイスよ!
きっと、たぶん。
おにぎりにしたわ。
もう朝はそれでいいの。
久しぶりにピンクグレープフルーツウォーラーにしました。
蜜柑買って皮剥くのめんどくさかったけど
作り出したら
楽しくなっちゃうわね。
朝の目覚めって感じ!
ちゃんと捨てなきゃ~
すいすいすいようび
今日も頑張りましょう!
最初のほうは結構楽しめていたのに、途中から「あー、これ私あんまり好きじゃないやつだ」ってなった。
最初の数話は、死んでループして死んでループして成功くらいで、3話で1ループ解決くらいだったのに、
だんだん1ループが長めになっていっている気がして(未調査)、シークバークリッククリックしながら見てた(Dアニメ)。
メイドの娘に殺されるくらいまでは、楽しめていたのだけど、
王都?に帰ってからは、主人公の熱血足引っ張りがうっとうしくなって、かなりの頻度でシークバークリックしてた。
やめろって言われているのに、後先考えずに行動して、足引っ張って、
そういうことをしないと物語が進まないのだろうなーって思いながら見てたけど。
いやいや、おれは男だけど性欲ゼロは結構あって嫁に誘われて今日は気分じゃないや~ごめん、てこと普通にあるよ?
そのあと普通にお互い寝る時と、指とかでイかせてあげる時とかいくつかパターンはあるけど。
それに小町とかにも女側が男が相手してくれないとかそういうのいっぱいあるじゃないか。
それから、夫婦契約上の義務と言われるほど重要なことなんだからってさ、義務感でやってちゃ詰まんないのも気持ちが乗らないのも当たり前だろ?
だからこそ詰まんない仕事を長時間しなきゃいけない時と同じでさ、せっかくだから楽しさを見出しちゃえばいいわけよ。
それを夫婦共同でやるわけだ。楽しいし気持ちいいし円満で悪いことなくない?
あなたみたいのはいわゆる主語がデカすぎるとか一般化しすぎっていうかね。
現在高2で理系クラスにいますが、数学がどうしても好きになれず文転を考えています。好きな科目は現代文と化学、嫌いな科目は数学と世界史、自然科学より社会科学の本を好んで読み、社会と言葉に興味がある、将来やりたいことは特に定まっていない、という状況です。
とはいえ以前は数学が得意で、ずっと自分は理系だと思っていたので、この文転したさは一時の気の迷いなのでは… という思いもあります。一人では決めかねています、どなたかアドバイスください!
思っていた以上にたくさんのご意見をいただいて驚きつつ感動しています。ありがとうございます。ブコメを読んで少しずつ考えがまとまってきたので、いくつか補足させていただきます。
まず、これは私の書き方が悪かったのですが、単に数学が嫌だから文系に行くというわけではないです。文系に行けば数学から逃げられるとも思っていません。
高2になって始まった理系数学の授業が予想以上に大変で(平均点前後はかろうじてとれているが、授業を聞いて問題を解くのが苦痛)、数学ぜんぜん楽しくない! というところから、「考えてみれば私はそもそも自然科学に興味がないのでは…?」と気づいた感じです。生物や化学の分野でやりたいことがあるならこのまま理系で頑張るべきだと思いますが、むしろ社会学あたりのほうが自分の興味関心に合うような気がしてきたので……
社会でどんな人材が求められているか、どんな学部があとあと楽か私にはわかりませんが、「就職に有利だから理系」みたいな決め方はしたくないという意識があります。せっかくだからやりたいことをしたい……まだ具体的には何も決まってないけど……
高2の夏なら選び直しに伴う負担がまだ少ないので、今なら間に合う! 文転ってどうなんだろう? と思ってはてなの先輩方にご相談した次第です。id:tick2tackさんのご指摘の通り、「自分の中では決まってるけど背中を押してもらいたい」という状態に近かったかもしれません。
さいわい選択変更の申請〆切までまだかなり日があるので、社会科学分野のなかで特に自分の関心に合うテーマはなにか、本や大学のパンフレットをいろいろ読んでじっくり探したいと思います。ありがとうございました!
実はラッキーが重なって3億円くらい持っている。そしてまだ30代で子供もいない。
同じ境遇になったら、会社を辞めて何か面白い事始めたり、完全に気を抜いてだらだら旅をしたり、そういう生活にチャレンジする人もたくさんいるんだろうし、客観的に見て恵まれた状況だとは思う。でも、そういう事をする気はない。なぜならそれが面白そうだと感じないから。
仕事が好きなわけじゃない。単なるサラリーマンだし。成り上がる!とか自己成長!とかそういう熱意を持ってるわけじゃない。社会人1年目とかは持ってたかもしれないけど忘れた。でもとりあえず仕事を辞める気はない。辞めたいかどうかで言ったら辞めてダラダラ家でニートしてたい。けど今まで通り働く。
なぜなら、それをやったら頭が停止して人間が腐って死んだも同然になってしまう気がするから。
貴重な30代の時間が少しずつ減っていくのはなんとなくイヤだし、仕事にばかり時間をかけてプライベートな楽しさを見出してないのは、年を取ってから後悔しそうな気はする。資金も、若さも、健康もあったのに、なぜあの時にこれをやっておかなかった?人生は一度きりだとわかってるのか?と。
とりあえず今の仕事は勤務時間が長い。休日も少ない。子供はまだいないけど、子育てするには向いていない会社だと思う。子供が出来たらもっと勤務時間が短いところに転職するかもしれない。そのころは早くても30後半だけど。
金はあるんだからもっと適当な働き方ができるところに今すぐ転職する手ももちろんあるけど、それをしない。
なぜなら面倒くさいからだ。今の会社で10年くらいで作ったポジションを放棄してまたゼロから作り直すのが面倒くさい。だったら今のまま、それなりにやる気を出して、わりと成果を上げて、会社業績を上げるゲームをしていたほうがなんぼか人生が面白い気がする。
仕事が好きなわけではない。やりたいことがないので、消去法で仕事してる感じ。もっとリア充的な趣味がたくさんあったら、仕事を辞めて旅行だスポーツだと充実した時間を過ごせたのかもしれない。旅行もスポーツも特段好きではない。通勤中にkindleで漫画読んで、帰宅したら犬と遊んで料理して晩酌して、休日はゲームに出かけたり、近所にうまいものでも食いに行ったり、たまに特に行きたくはないところに連れ出されて半強制的に見分を広めさせられたりするくらいで、まあ十分だ。仕事辞めたら毎日酒飲んでゲームして寝るだけの社会のゴミみたいな生活を数十年送る事になる。自分の性格ならそうなると確信する。でもそんな何もなしてない人生、年を取ってからの後悔はより深そうな気がする。
結局、それなりの充実感を得るために新しい事・不向きな事を開拓してまでってのが面倒だから現状維持を選んで仕事続けてるだけで、なんでお金あるのに働いてんの?の回答は無趣味で面倒くさがりだからですってことなんだよね。でもそれならせっかくだから、仕事もう少しちゃんと力入れて成果出したほうが充実感を得るって目的に適ってるのかな。さて、明日も仕事すっかな。
真夏のうだるような日差しの下、ぼくは海沿いにある片田舎の町の片隅に立っていた。
目の前には長年の潮風にさらされ今にも傾きそうな小さな家がある。
「こんにちわー!」
できるだけ明るいトーンを心がけ、一度で誰が来たかを理解できるように玄関に向かって声を張った。
「開いてるよー」
隙間だらけの家の中から女性の声が響き、慌ただしい足音が近づいてきた。
「いらっしゃ、、、あら?ひとりかい?」
誰が聞いても明らかな様子で後半の声のトーンを下げながら、老齢の女性は答えた。
ぼくはそれにめげないように明るい声で答える。
「えぇ。仕事で近くまで来る予定があったものですから。せっかくなので。」
何やら複雑そうな表情を一瞬見せたが、彼女の腕はすでに紙袋に伸びていた。
そう促す姿の奥に視線を送ると、高齢の男性が不機嫌そうにこちらを見ようともせずに座っていた。
恐らくテレビにでも見入っているのだろう。
「そうしたいのは山々なんですが、まだ行かなくてはならないところがありまして。それに、もともと気を使って頂かないようにと連絡もせずに来たわけですから。」
そういうとぼくは妻から預かった封筒を目の前の女性、妻の母親に手渡した。
中には毎年手渡されるはずの妻とこどもたちからの手紙と、家族の写真が数枚入っている。
「なんだか今年は進学のこととか学校の行事だとかで何かと忙しいみたいで、、、」
あえて言葉の最後を濁すと、お義母さんは意味を悟ったのか残念そうにため息を付いた。
「慌ただしくて申し訳ないですが、お義父さんもお体に気をつけて!」
無駄だとわかっていながらわざとらしくトーンを上げて反応を伺ってみるも、やはりお義父さんは相変わらず同じ方向を向いたままだった。
ぼくはそそくさと妻の実家を後にした。
妻とお義父さんとは、ぼくらが結婚をする前からすでに仲が悪かった。
小さな釣り船屋を営む父親は家庭の中でだけ威厳を示そうとして、よく母親や娘に手をあげていたらしい。
稼ぎも安定せず家族が店に出て生活を支えている中、夕食の準備を急ぐ学校の帰り道で、ツアー会社に売り込みに出ているはずの父親が見ず知らずの若い外国人女性と仲睦まじく歩いている姿を目撃してしまったそうだ。
ところが、母親は驚いた様子も見せず、ただ「しょうがない」と一言返してきただけだったそうだ。
腑に落ちないながらそれ以上聞いても仕方がないと思った妻は、その日以降父親とは聞かれたこと以外話をしなくなってしまったらしい。
ただ、それでも毎年里帰りをしていたのは、お義母さんに孫達を見せたいのと、自分から相手につけ入れられる否を見せたくなかったからとのことだった。
せめてそれが家族の楽しい思い出になるように毎年あれこれとイベントを企画してきたが、とうとうそれも叶わなくなってしまった。
それを予算のせいだからと電話一本で済ませたくなかったのは、きっと妻のプライドなのだろう。
「昔みたく、ぼくが一人で行って手紙でも届けてこようか?」
ぼくがそう妻に告げると、妻は仕方なさそうにこういった。
「本当はみんなで一緒がいいんだけどね。パパがそういうなら仕方ないわ。」
社会に出て間もないころのまだ大した稼ぎのなかったぼくは、青春18きっぷで全国を旅をしながら写真を撮るのと釣りをするのが趣味だった。
そうして訪れた先で、ぼくは妻に一目惚れをしたのだ。
ローカル線を乗り継いでいけば日をまたいで次の日の昼前には到着する。そうすれば1綴りたった11,850円の費用で往復が可能だ。
妻は父親に余計な気を使わなくて済むし電話一本で済ませるという不義理な評価を避けることもできる。
ぼくは夏の小旅行を楽しむことができるし、家族から開放された時間を楽しむこともできるというわけだ。
ただ唯一、こどもたちだけは残念がるだろう。
「せっかく行くのだからこれで美味しいものでも楽しんで、ついでにこどもたちにおみやげでも買ってきてね。」
ぼくはこの人を妻に選んで本当によかったと、心から思った。
そんな美しい物語を夢想しつつ、ぼくは「ぼくだけ留守番してるからみんなで気兼ねなく楽しんできなよ。」とつまに告げたのだった。
ただし、これで一人の時間を楽しめるかというとそれは少し考えが甘いかもしれない。
なぜなら、そもそも旅行代金の高いお盆を避けるように組まれたスケジュールだったので、本来費やされるべき有給休暇は残念ながら持ち越されてしまうからだ。
もちろんそれを不幸とも思わないし、当然全てを受け入れるつもりだ。
ゆうべは夢の中で夢を見た。
夢の中の夢では俺はマンションっぽい家の中に立っていた。
不思議に思っていると、一人の女性が「ただいま」と家に入ってきた。
それ相応に歳をとっている彼女がどうも俺の妻らしい。
その時点で俺は「これは夢だな。なんか楽しいけど、どうせ醒める。」と思ってる。
でもせっかくだからこの状況をつかの間楽しもうと彼女を抱きしめた。
もはや彼女の感触なんか覚えてないけど、単純に「妻」とこういうスキンシップができるのが嬉しい。
そうこうしてるうちに目が覚めて、でもまだ夢の中。
そのうち目覚ましアラームが鳴って、そっちの夢からも目覚めた。
夢の中の夢を思い出し、布団の中でひとり苦笑してから二度目の起床。
数年来触れるのも拒否されている嫁が、リビングで子供を怒鳴ってる。
「やっぱり夢だったか」。
LaTeXで書けばいいのか悩んだり、ワードで書くと名前欄が無駄に改ページされたりしていらつくやつ。
で、なんかせっかくだから、「学振申請書の書き方」ってやつをちょっと考えてみたんですよ。
なんかそういうのいっぱいあるじゃないですか。
自分もね、学振通ったことあるんです。二回。DCとPD。落ちたことないの。
といっても、特定の地域とか特定の文化とか、ある種の「受かりやすい」テーマってわけでもなく、大分地味なテーマです。
だから以前はよく後輩や先輩や同輩の申請書の相談に乗ったり添削したりしてました。
「ここ、もっとわかりやすく」とか「ここ、もっと強調したら?」とか「フォント変えてこの部分は箇条書きにしなよ」とか。
今日日ネットで「学振 申請書 書き方」とかで検索すると百回くらい書かれているようなテクニックを参考にしてね。
大体自分だったら、ここらへん気をつけるかなー、みたいなことを考えたりしながらね。
それでどうせ増田だし、面と向かって「アドバイスして」って言われた時に言いづらいことを書いてみます。
専門的なのはわかるし、テーマがご近所さんの自分が仲間としてみると「ほほう、興味深いねそれ!」って感じなんですけど、赤の他人が聞いてもワンダー感じそうにないようなやつ。
例えば「AにおけるBーCの関係について」みたいなテーマがあるとするじゃないですか。
その時にそのまんまそれを書くんじゃなくて、そこで一捻りいれたら?ってことなんですよ。
なんていうか、メインディッシュのテーマがあるとして、みなさんいきなりメインを出し過ぎなんです。
じゃなくて、「このテーマを別の角度から見ると、こういうテーマにもなるぞ」っていう観察をしてから、もう一回テーマ設定しなおしてみませんか?みたいな。
あるいは前菜になるような前置きとか問題提起をいくつか用意して、そこから入れるようにしたほうが、読み易くない?みたいな。
この点について具体的に言うなら、最初に「これまでの研究」って書くじゃないですか。
いきなり「研究」を書きすぎなんです。いきなり専門的すぎるんです。
やっぱり読む側は申請書を書く人間にも、そのテーマにも興味をもっていくれるわけじゃないんですから、読む側にも納得できそうな問題提起を明示して、そこから「これまでの研究」と「現在の状況」をつなげていくのがいいんじゃないかな、って。
あと「見通し・インパクト」が尻窄みだったり滑ってるのも多いですよね。
文系界隈だと書きづらいのはわかるんですけどね。
テーマ局所だけの「この分野ではこれこういうインパクト」っていうのももちろん大切なんですけど、なんかもっとワールドワイドに、時事ネタとかもしっかり見たほうがいいんじゃないかな。
でも荒唐無稽になると困るんですけど、ぎりぎりそこは頑張ってって感じで。
「アリの目と鷹の目を使い分けて」とか言われたことがありまして。小さい所も遠い所も両方見ておけってことらしいです。
とりあえず申請書のフレームは忘れて、一度自分の研究に関係ない人を捕まえて、ちょっと研究の話をじっくりさせてもらったらどうだろう。
そうすると鷹の目になったり…しませんかね。
それと申請書全体にストーリーラインがまったくないのはどうかと思います。
「学振の申請書には質問がしっかり書かれているんだから、それを読んで答えよう」みたいによく言うじゃないですか。
それを意識してるのか知らないけど、一問一答みたいになっちゃうやつ。
申請書って一問一答形式ではなくて、全体を通して読んだ時に「どういう問題意識があって」「それにはどういう意義があって」「そのために何が必要で」「自分はなにをやるんだ」っていうのが明確に示されてないとダメな気がするんですよ。気がするだけね。
申請書の質問内容にしっかり答えるのは大切だと思うんですけど、まず脳内で大雑把なラインを作っとけばいいような気がします。
業績の問題については議論がつきないところがありますよね。自分もよくわかりません。
でも観測範囲で、そこまで業績で殴りあう感じに最近なっていないように思うんですけども。
がっつり業績ある人が落ちたり、いまいちな自分が通ったりしてるんで。
スタートダッシュで業績つけなきゃ、みたいに考えた時期はあったけど、正直レベルが低い中身のない論文を量産してもなんにもならないし。
地球に厳しいだけだし。
それよりも堂々と抜き刷り渡せるようなギュッと詰まった論文をじっくり書き上げたほうが素敵ですよね。
あ、でもPDでさすがに業績欄真っ白はきついと思います。ある程度のラインみたいなものはあるような気がする。思ったよりもそのラインが高くないだけで。どこなんだろう、それ。
あとこんなの書いて難ですが、「いろんな人に添削してもらう」って副作用もあるので注意したほうがいいです。
人のアドバイスって結構拘束能力が高かったりして。あんまり従って整理しきれなかったパターンもみたことがあります。
どちらかというと一貫したラインが大事なので、相談したりしてガタガタになるよりも、「ストーリーが通っているか」「わかりやすいか」の確認程度に見てもらう程度に抑えたほうがいいんじゃないかな、って。
自分はあんまり人に相談して申請書を書いたりはしなかったんですよね。
というわけで。
付き合い始めた切欠けは、告白したでもされたでもなく、あるとき「結婚しない?」と言われたことだった。10年来の知人である。後になって訊いてみたら、その当時つきあっていた彼女にふられて挙句、相続関係で実家で問題が起こり、絶縁状態になっていて、何となく言い出したものの「ここで断られたら一生一人で生きていこう」と思っていたとか何とか。私は男性と恋をしたいとはそこまで強烈に思っていなかったのだけれど、ただ家庭を持ちたい気持ちはうっすら存在していて、以前から、どう生きても×2歳あたりまでにはそのへん、やってみるか諦めるか決めなきゃと思っていた。そのとき先方×0歳、当方×9歳。2年前の話。
話を戻したところ、先方が「せっかくだから恋人関係からやってみたい」と言い出して今に至る。数ヶ月前の話である。
付き合い始めて真っ先に認識したのは、自分には「男性が男性であるというだけで欲情するという感覚がない」ということだった。気づいたときはちょっと悩んだ。女性の魅力についてだったらまぁノンストップで三時間くらいは語れる。男性に関していうと、性的にはそこまで強烈に希求してこない。SNSで百合の話ばっかりしていると友人に笑われたことがあるし、しょっちゅう男性向けのエロ同人だとか百合系のテキストだとかイラストを漁っているのだけれど、そこは二次元の趣味で、「性癖」だとは思ってなかったのだけれど、どうももっと根本的な部分で「女性が好き」だった節がある。そういえば人生で最初に好きになった相手は女の子だった。
とはいえ、自分の性向について深いこだわりはない。世間的によくある程度の倒錯だ。
恋人について。ある種切実な話として、彼には女装歴がある(私はその頃のことを知っている)。とはいえ、付き合い始めた理由に特にそこは関係ない。現在はフツーにどっからどう見ても「男性」だし、本人曰く「女装してた頃より10kgは太った」ということだし、まぁ(格好によっては)男前ではあるのかなと思うけれど、典型的なフォーマットとして、中性的とかそういうことはない。私は「視覚的に興奮を得るのは女性」という話だけれど、かといって別に男性嫌悪者でもないので、一緒にいたり視界に存在していても、その人が傍にいる、という感覚しかない。「異性への」、というか、セクシャルな高揚、みたいなのは、最初から今に至るまで、あまり実感がない。
つきあいはじめ、相手が性的に興奮していることに対して、嫌悪や重さを感じることが多かった。性嫌悪的な傾向はとくにないじゃないんだけど、自分がどうこうする話となると話は別だ。その上で許容できていたのは、相手が「話せる」他者だったのと、この人とパートナーシップを構築するのは楽しいかもしれない、という単純な予感があったことがひとつ。もうひとつは、そのひとが単純に「触られても平気な相手」だったからだ。理由はいろいろあるのだと思う。この葛藤をどうにかする価値はある、というおかしな決意みたいなものがあった。
段々と距離感を調節できるようになって、「自分が受容できる/尊敬できる相手に、自分の存在を求められている」ということによる承認欲求が充足される感覚、とか、他者を承認し承認される快感(性的快感とはちがう)、みたいなのを感じられるようになったのはごく最近だ。大きく変わったんは、意外なことに、セックスをするようになってからだった。どうもスキンシップの欲求自体はちゃんと存在していたようで、思いの他セックスは楽しいのだけれど、「違う体を持った、受容できて話の通じる他者とあれこれ試すのが楽しい」といった部分が強くて、欲しい、みたいなのは今のところ思ったことはない。今後もないんじゃないかと思う。セックスをしていてたまに、この人が男性で私が女性でよかったのかもしれない、と思うときもある。この人が女だったら別の楽しさがあったのかなと思うこともある。
男性女性を問わず、わりと惚れっぽいというか、「いいな」と思いやすい性分だった。貞淑であるのは気が多いことに等しい。それでも「恋愛をする」コストが賄いきれなくて、長い間恋をせずにやってきた。処女だったことに、周囲とか世間が言うほどには抵抗はなくて(むしろ、例えば童貞であることをアイデンティティの欠陥であるかのように悩む人々を見て不思議にすら思っていた)、相手を選んだいちばんの理由は、たぶん単純に、「一番最初に話を持ちかけてきたのがその人だったから」だった。
選択は間違えていなかったと思うけれど、決めた相手が女性だったとして、それでもそれなりに必死になれた自信みたいなものはある。必死になる、というか、おそらくそれが「愛する」という感覚で、でも、それを知ったのはこの人のお陰で、仮に今後、分かれることになったとしても(だってこの先何があるかなんてわからない)、この感謝だけは絶対に忘れないはずだ。私は人を愛することができる。それは現在で、どのように生きるにせよ、一秒一秒、つねに過去になる。それは刻々と更新されている。その事実が、どれだけ嬉しいことか。
この社会で男である女である、というのは、ある種とても辛いことなのだと思う。自分が「もてない男」であることに悩んでいた知人が、30代を過ぎて、どんどん偏屈になっていったのを見ていた(なお、私は縁を切られた)。同世代の女の子たちは、自分が女としての生を生きなければならないことにその都度悩みを抱えていた。恋人は、(私の見ている範囲では)社会においてそれなりに有能な人だけれど、折に触れて当時「女の子になりたい」と言っていたのを見ている。私は、外見は紛れもなく女だけれど、ジェンダーロールとしての「女らしさ」をそつなくこなすことに色々な局面で駄目出しをされてきたし、今でもコンプレックスがある。
初回のデートの行き先を提案したのは私だった(そして彼は財布を忘れた)。現在のところ私のほうが収入が低いのと、けっこうすぐ困窮するので、わりとよく奢ってもらっていて(競争で財布を出しているけれど、私は人に奢るのも好きなので偏るのは不本意ではある)、あと、料理は好きなので、それぞれの家に行くことがあったら材料はこっちで用意して作ったりはする。ときどき普通の男女カップルらしい趣になっていて、ときどき、一般的に見たらおかしなことになっていて、それも特に「そうであってはいけない」とも思っていない。それなりに面白い。それは、私のコンプレックスとは無関係に。
付き合っていて感じるのは、「こうすべき」ではなくて、「こうして欲しい」「こうしたい」を相互に伝え合うことの重要性だ。一般的な男だとか女だとかのあれに結果的に近いこともあるし、遠いこともある。けれど、何より、それはとても楽しい遊びだ。遊び、だと思う。意見の相違はたびたび起きているけれど、基本的には、それを調整することもすごく楽しい。怒ってみせる(「みせる」であって、別に本気で怒っているわけじゃないけれど)こともある。情に訴えることもある。でも、そういった駆け引きも遊びの一環で、相手の根本を否定しないスタンスというのか、その上でやいのやいのやるのは本当に楽しい。この点については、彼氏のほうも同様なのではないかと思う。この遊びができる、ということはとても楽しい。逆に、「こうしてくれるはず」と思って漫然と待ちの姿勢になると何となくうまくいかない。
現実的な問題は常に起こる。お金の問題とか健康問題とか、これは各自ずっと努力していかなきゃいけないことだと思っている。けれど、男である女であるという重さより前に、「何かが起こる」「何かができる」ということが、ただただ楽しい。男だから女だから、ではなくて、恋人がいるから、でもなくて、ただ楽しい。配偶者がいる、ということに社会的なステータスが付加される風潮に疑問を感じていたし、今でも好きではない。可能なら、一緒にいてくれる人をそんな風に何かの道具にしたくはない、と思っている。一方で、ふたりで、今の自分たちは事実上のリア充だよねという話をたまにするのだけれど、でも、「恋人がいるから」楽しいわけではなくて、ただ自分たちのしていることが楽しい、という感覚は丁寧に捕まえていたいなと思う。
ろくでもない時間を生きてきて、長いことネット界隈にいると、不幸な話のほうが身近であるように感じてしまうというのか、「楽しい」というのがなんとなく釈然としないのだけれど、ある場所にはあるのだなと思ったりもする。身近な他人の、そういうような話をきいたときと同じように。遠い世界の話のように。
「らしい」愛情表現ができるほうではなくて、「好き、でいいんだよな?」と、よく確認される。
「好きだよ」と答えるけれど、いかにも恋人がいますというような、どきどきした感じは未だにない。好き、ということに、実はちょっと自信がない。先日母と電話で話したとき、同じことを話したら「つまらないんじゃないの」と言われた。どきどきしたりせつなくなったりしない恋は退屈ではないのかと。
そんな恋はそんな恋で魅力的かもしれないけれど、今の楽しさと天秤に掛けて、そちらを取れる自身はない。
恋をしている、実感は、今でもあまりない。でも、選んだのがあなたで良かったし、それぞれ負担にならない範囲を模索しつつ、楽しくやるための労を惜しまずにいたい、とは思っている。
せっかくだからひとりで買い物したりお茶したりして時間を過ごしていたら、
同じ飲み会に参加する相手から「私も早くついたから合流しよー」と言われたりする。
私はこれがすごく苦手。
友達と合う約束の時間は20時からなのであって、それまでの時間は自分の時間。
買い物をしたりお茶をしたりするのも自分の用事であって、別に暇な時間というわけではないのだ。
けど、「暇なら一緒に買い物付き合う」とか「じゃあ一緒にお茶しよう」とか言われるのだ。
いやいやいやだから、暇じゃないんだよ。私は「一人で用事を過ごす」という時間を過ごしてるんだって。
これを断ると疎遠になる女友達と、そもそも近くにいたとしても声をかけない女友達の二種類がいる。
多分後者の方々は私と同じような考え方なんだろう。
集合前にやりたいことなんていろいろあるのに、なんでそんなに早く合流しようとするのだろう。どうせ後で会うんだからいいじゃん。
何なんだよ民主党。
テメーの国に「死ね!」って言ったアタイの言葉信じて、それでも政治家だってよ。
見事に乗ってくれましたよ。
自分で言ってて言うのもなんだけど、人に向かって「死ね」と言って利益をせしめたら、立派な恐喝じゃねのーかよ。
これからもこのやり方で、税金せしめてやるって。死ねっておどして、福祉が増えたら、ジジイのことやら年金のことも、この手が使えるぜ。そんな国、日本以外にねーよ。
楽しいことばっかりで、ちょうど、会社辞めようと思ってたのよね。
ありがたくも「引用」してくれたけど、本音だんだろうよ。「日本死ね」がよ。
「死ね!」って恐喝に“共感”だってよ。笑えるぜ、街角のママさんたちよ。せっかくだから、言ってやるよ。オメーのガキなんか「死ね!」クソ。「よくぞ言ってくれました~」?そんなムシのいい話あるかよボケ。
田舎いってみろ。いったん退職、3人子育てして、パートに復帰。いくらでもいるぜ。アタイも出は田舎だからね。
汚ねー言葉で脅して保育園作らせて、そこにテメーのガキをいれて保育してもらおうって言うんだから、バカ丸出しだぜ。ていうか、ガキの将来が楽しみだぜ。アタイの狙いは、そこさ。みんなバカになってくれれば、アタイのガキが有利だからね。
こんなん成り立つのは、日本ぐらいだぜ。試しに言ってみたら、見事に反応してくれたわ、アホ!またやっちまうじゃねーか。
次のお題は決まっているぜ。「年金減額、小遣い減って活躍できねーじゃねーか。日本死ね」「彼氏に振られた。活躍できねーじゃねーか。日本死ね」・・・・何でもアリで笑えるじゃねーか。
http://anond.hatelabo.jp/20160225040508
「鉛筆が100円で消しゴムが120円だとする」とかの「とする」と同じように、
鉛筆が100円である世界は必要なく「今言及している鉛筆」が100円であればいいし、
めっちゃ歪んでる。
私なんて数学で赤点とったことがあるくらいだから証明はできない。すまん。
もし仮に半径11の円の円周率がぴったり3.14だった場合の世界って、仮定(あるいは定義)できるんだろうか?
よくわからないんだけど、少なくとも円に内接する96角形の周長よりも、円周のほうが小さいってことでしょ?
違う。非ユークリッド空間で円周率が3.14なら円に内接する96角形は歪んで小さくなる。
まず、円周率が3.14ピッタリの世界で、円に内接する96角形の面積よりも円の面積が大きくなるのか、小さくなるのか、
それすら私にはわからないわけだが。
私にも内接する96角形のほうが大きくなる条件は想定できなかった。
数学屋に聞きたいところだ。
そんなわけのわからん世界である必要はない。他のブコメでも非ユークリッド空間に触れていたが
世界のどこでも同じ円周率である必要はないので適当にゆがんだ空間で
空間内にある条件(円周率が3.14)を満たす範囲があればいいしこれは現実の空間である必要はない。
これはモデル化だと思う。
実際は太郎君は歩くときに早くなったり遅くなったりするだろうし別の太郎君はマッハ4で歩くかもしれないが
今言及している太郎君は平均では時速4㎞と認識しているという意味であり、
消しゴムは100円ショップでは100円だしスーパーなら98円にしそうだが今は100円ということにするという意味だ。
「円周率を3.14とする」は、円周率はπだが私は小数表記で正確なπを記述できないので3.14ということにするという意味だ。
あなたにはπを正確に用いて小数の計算ができるのか?もちろんπ表記のままでは計算したことにならないぞ?
時速4㎞で歩き出すのは加速時間が0となるため理論的に実現不可能だ。
あなたが目の前に円を想定した場合、その円は地球の重力により相対性理論的に歪んで円周率はπではなくなる。
必ず円周率がπである世界は何も存在しない世界である必要があり理論的に実現不可能だ。
一方、πが3.14となる範囲を含む非ユークリッド空間は理論的に実現可能だろうが
数学屋に聞きたいところだ。
残念ながら時速4㎞で歩くのを想像させるのは意外と難しい。
常に一定の速度で歩くのはおかしいとか言い出す子供はたくさんいる。
実際の世界には真理など存在しないし認識もできない。それどころか人間には実際の世界を正しく認識することすらできない。
問題文にない条件を持ち出すことが正しいなんて言い出すくらいなら実際の世界を想定しないほうがマシだ。
そのとおりだ。
書いてあるので汲み取る必要はないというか汲み取ってはいけない。これは国語の問題じゃないんだ。
そうだ、科学に対する姿勢の問題だ。何が正しいかを知っているかではなく、
目の前にある条件から矛盾しない答えを導き出すことこそが科学的な姿勢だ。
私は、どんな世界であれ押し付ける傲慢さをあなたに感じている。
もちろん私も世界を正しく認識できていないがそれを人に押し付けるようなことはしていないつもりだ。
違う。与えた条件と異なる条件を持ち出すと間違った答えになるからだ。
「円周率は3.14と条件を指定したな?あれは嘘だ」と言い出したら
私は今、「洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる」
と言ったプラトンの気持ちを痛感している(Wikipediaの引用であり国家の文面そのままではない)。
真理というものがあるとしよう。だがそれをあなたが認識しているものと私が認識しているものは違う。
真理の手掛かりとなる影を認識し集め、お互いの認識を形にし、共有する(モデル化)。そして、この共有したモデルについて話をするんだ。
だから「数学の定義では円周率はπだから私が正しい」というのは成立しない。
これはあくまで数学上のπの定義を共有しているモデル、つまり数学での話であり、
円周率がπではないモデルを共有しているときは円周率がπではない前提で話をすることになる。
例えばここに一見正しい条件がある。
・平面上の平行線は交わらない
実際に昔はこれで十分だった。
「平行線が交わりしかも矛盾しないモデルも作れるんじゃないか?」と工夫したことにより
非ユークリッド幾何学が生まれた。
そして、
・平面上の平行線は交わらない
という条件は
という条件に洗練された。真理に一歩近づいたんだ。
だが、きっと、これでもまだ真理そのものではないだろう。
だがその真理に向けて認識を表明し共有しそれを基に議論することで近づいていくことが大事だとプラトンは説いたんだ。
だからこれには、「今はそんな話をしているんじゃない」としか言いようがない。
今は「円周率が3.14としたときに計算結果はどうなるか」という話をしているんだ。
彼は悔しかっただろう。私もとても悔しい。
我々ちょい古いソフト屋はオブジェクト指向の本質を伝えることに失敗した。
認識を形にすることだということを伝えられなかった。
初めて使うので読みにくいだろうことを申し訳なく思う。
2016年最初のフェスは、年末年始に増えたユーザー数にサーバーが耐え切れなかったという波乱のスタートだったけど、終わってみればいつものように楽しいフェスだった。サーバートラブルということで、第一回のような4対1の悲劇が起こるかと思ったけどそうはならなかった。個人的にはああいう極端なマッチングも好きなんだけど。いずれにしても任天堂はネット利用料を取らずに頑張っていると思う。
毎回そうだけど、フェスの楽しみは固定チームゆえの連帯感だと思う。最初は野良で集まったイカたちが、連戦していくうちにどんどん連携が取れるようになっていきチームとしてまとまっていく。その過程がとても好きだ。連帯感が増すにつれてナイスの数も多くなり、負けても解散しなくなる。はじめは相手を倒した時にナイスが飛んでくるくらいだったのが、スペシャルをいいタイミングで使ってくれた時、壁を的確に塗ってくれた時、囮になってくれた時にナイスがでるようになる。そうなると、自分ももっと良いプレイをしたくなる。好循環が生まれ、どんどん強くなる。これがフェスの毎回の楽しみ。
今回のフェスで巡りあったチームは、かつてないほどいいチームだった。午前9時からフェス終了まで3時間、とても楽しかった。
防御ガン積みのダイナモ。フェスTはバトロイカ(防御upはつきにくい)なのに防御が2コついたので、せっかくだから防御積み。52ガロンやチャージャーの半チャージを意に介さず前進制圧をしていくスタイル。通常このスタイルだとデスがかさむけど、味方のサポートのおかげで思い切りダイナモをブン回すことができた。チームにボム持ちがいないので、シールドを破壊するのは自分の役目。ダイナモなら一発でシールドを壊せる。自分が囮になってシールドを壊し、その瞬間に96デコさんがとどめを刺すという連携は最後まで崩れなかった。「シールドは俺に任せろ…!」という気迫を全身に漲らせたためか、相手にシールド持ちがいる時は96さんが常に目を光らせてくれるようになった。
シールドにモノを言わせて前進制圧をしていくスタイル。対シールドの関係上、自分とペアで行動することが多かった。シールドを破壊しそこねてピンチになった時は即座にダイオウイカになって救出してくれるという男前ぶり。曲射が上手く、ハコフグの高台にいる敵を次々と撃ち落としていった。またアンチョビットゲームスでは、床の上げ下げの判断がとても的確で、チャージャーに狙われている味方を床を上げて救出するということも頻繁にあった。名前的にチームリーダーと思っている。
近距離はバシャで、中距離はクイックボムで、遠距離はスパショで暴れまわる、裏取りからの奇襲をしかけていくスタイル。敵チャージャーを軽々と処理していく頼もしいカーボンさん。名前は笑えるのに。「何か敵が少ない気がする」と思うときはたいていこの人が裏を荒らしまわっている。一投目のクイックボムを山なりに、二投目を直線的に投げることで、一瞬で相手を倒すという上級テクニックを披露してくれた。正直敵に回したくない。敵のダイオウイカ二体をこのカーボンさんと二人で協力して押し止め、倒したのは今回のハイライト。
最初に開幕ナイスを送ってくれたのがこの赤ザップさん。バリアも大王もないのに常に生き残り続け、ひたすら塗り続けてくれるというチームの要。味方が倒されるとすかさず安全地帯まで退避してカモンを送ってくれる。その配慮に俺は泣いた。アンチョビの開幕時、俺が左側の浮動床から最速で敵チャージャーを狙うという行動を察して、開幕時は左の床を上げ続けてくれた。おかげで最速でチャージャーを倒すことができるようになり、そのまま中盤まで主導権を握ることが容易になった。制圧組3人が全滅しても、この人だけは生き残ってくれるという絶大な信頼があったので、「自分がやられたせいで一気に巻き返された」というようなことはなかった。必殺技・ファイナルクリスタルダストのおかげで勝てた試合が何度もあった。
ヘイト稼ぎ役、キル役、裏取り役、塗り役と、ある意味で教科書通りの構成で強いのは当たり前なチームだったかもしれないけど、これほどまでに各自が役割を上手く果たしてくれるチームはなかなかないんじゃないかと思う。すごく好きなチームだった。途中、自陣近くまで押し込まれる展開が何度もあったけど、そのたびに押し返せたし、押し返せるという確信があった。敵に厄介な上手いチャージャーがいてもカーボンさんが倒してくれるという信頼があったから生き残ることに専心できたし、やられても赤ザップさんが戦線を維持してくれる確信があった。96デコさんと組んで倒せない相手はいなかったし、自分がチームに貢献できているという実感もあった。
マッサージへいくと揉み出しのころに強さはどうですか?と聞かれる。
ここでは、臆することなく「すこし強いです。もう少し弱めでお願いします」と告げられる。
もみ返し悲しいし。
で、例えば最初が腰ですこし弱くしてもらった後、自分が特にしてほしい首に来た時に「首はもうちょい強くがいいなぁーーー!!」となったときが問題。
みんな「あ、ここはも少し強くお願いします」とかを緊張せずに言えるのだろうか?
さっき弱くしてって言ったじゃん!て思われないかめちゃくちゃビクビクしながらでもせっかくだからと思って勇気を振り絞る。あの時の心的負荷はマッサージの効果を半減させるくらいに思えてしまう。
理想は、強い!弱い!ボタン(または脳波などを読み取ってほしい)があって押す。それをみて変えてくれる。
そして大事なのはマッサージ師さんはそれをみた時言葉で反応しないでほしい。
「あ、強かったですか、弱くしますね」とか声かけられた日には「うわーやっぱうざいとか思ったのかなー自分で言えないんだーとかかまってちゃんに思われたのかなー」等を気にしてしまう。
どうか何も言わず、そっと強弱を変えてほしい。
強烈なもみ返しによせて。