はてなキーワード: 年金手帳とは
姉から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分の意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟だからなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。
ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院に入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。
医者からは一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。
「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」
とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。
「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。
翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子。
溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。
その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法(プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療を検討しようということに。
母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。
程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤の副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。
実家に家族と帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。
副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。
「癌の専門医の先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医の先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。
その道の専門医の先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。
それでも、「やっぱり経験値が高い専門医の先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。
細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果の期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」
とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。
「あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。
ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。
改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医の先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。
これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤の副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してからも状態は改善しなかった。
母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。
この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。
妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャのタイミングだった。
死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー。東京で結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。
12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。
ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態に言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。
足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。
そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。
母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護の段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。
急遽、仕事を休み、実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。
少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。
妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。
「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。
その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。
泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。
訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。
そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。
最後に看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。
看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取りや役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。
一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。
翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係の手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。
覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。
おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分の祖父。自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。
納棺のときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子どもの写真を納めた。
短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから、棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで。
葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族と帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。
夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。
翌日も葬儀、火葬とバタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。
母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通の見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。
それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。
その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。
母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。
当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。
そういえば、ウィッグは友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。
ウィッグの販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。
思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。
癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。
【追記】
たくさんの方に、暖かな言葉をいただき、恐縮しております。ありがとうございました。
私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。
野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。
母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転でドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています。
経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います。特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族の介護+訪問看護の体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家の比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかったこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。
なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード、年金手帳、マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係はほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います。
長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。
どうも、30歳無職職歴なし労働意欲なし中卒おじさんです。さっき役場に行って生活保護を申請してきました。2週間以内には何らかの結果が明らかになるはずです。
一般的には申請するまでに不当な引き留め工作など「水際作戦」が行われる場合があると言われており身構えていたが、私の場合は特に何もなく、事務的な手続きだけで終わった。その方法を紹介したい。
「○○市 生活保護」で検索して、電話をかけ次の点を伝えました。
(1)生活保護を受けたい
(3)憲法22条職業選択の自由および憲法25条生存権に基づき無職であるまま、健康で文化的な最低限度の生活を送る権利を持つはずであること
(4)今現在は親の仕送りで暮らしており月1程度で連絡し関係も良好ではあるが、扶養照会については拒否する
最後の(3)(4)については説明が必要でしょう。(3)職業選択の自由は、実は無職になる自由も保障しています。これは27条の勤労の義務と衝突しますが、無職になる自由の方が優越するとされるようです。そうWikipediaに書いてあったので間違いありません。「ただ働きたくないというだけでは生活保護は受けられない」「働けない事情が無ければならない」と書いてあるブログがいくつかありましたが、私は特にそういうことは言われませんでした。
また国は基本的に家族や親族に養わせようとしてきます(4)。しかし親が国に説得されては意味がありません。かつては二親等に養える人間がいないか聞き回られたようですが、最近これを拒否できることが明らかになりました。
完全に頭がおかしい人だと思われたらしく唐突に「どこか通院されてらっしゃいますか?」と聞かれた。「正気を失ってないか確認するのはもっともなことだと思う。××メンタルクリニックに通っているが、『調子変わんないですね』だけ言って毎回薬もらってるんで先生も分からないのでは」みたいなことを言った。
折り返し連絡を受け、以下のものを持ってくるように言われた
・保険証
・メンタルクリニックの診察券
・年金手帳
・銀行通帳
・印鑑
なお、賃貸の契約書は最新版が見当たらず数年前のものを持っていき、年金手帳は払ったことないし何かの拍子に捨ててるかも、銀行通帳はネットバンクなので無い、印鑑はもともと100均のしか持ってないがそれもどっか行った、という体たらくだったが別に大丈夫だった。
わりと淡々と事務的にシステムを説明されたり、預金や借金がどこにどれくらいあるかを記入する程度でした。0を一杯書いた。唯一扶養照会拒否について、「コロコロの熱にうなされたりして何日も連絡取れなくなる恐れがある。その場合は役場から連絡してもよい」「お前のことはもう養わん的な手紙がもらえないか俺から聞いてみる」というあたりで合意した。無収入の理由については病気・能力・その他(思想上の理由)を選択した。
最後にケースワーカーさんとほんとに軽く顔合わせ。また月曜日にうちに居住実態(生活保護は住民票では無く実際の実態に合わせるとのこと)を調べがてら事情を聞きに行くね、経歴書だけ書いといてねというので解散。
開き直ってみれば特に何というほどのことでもなかった。もうダメな人はどんどんやってみるといいと思う。
俺も同じような立場になったことあるけど、解決策は一つしかない。転職だよ。
今も使えるか分からんけど俺の使った方法を書いておく。1年以上継続して健康保険の資格があることが条件。同じ会社で1年以上社員やっていれば満たしているはず。
まず、有給は使い切れ。その上で心療内科から適応障害の診断書を出してもらう。
診断書と一緒に健康保険の傷病手当を申請して休職する。雇用保険の傷病手当じゃなくて、健康保険の傷病手当ね。傷病手当はやむをえない理由で休んでいることに対する手当だから、この期間は休んだという実績が先に必要で、会社にそれを証明してもらうことになる。
給与のざっくり6割程度の金額だから生活は切り詰めなきゃいけないけど生きてはいけるだろう。
傷病手当の受給が確認できたら会社には「療養が長引きそうなので」と伝えて退職する。
退職手続きや退職日のために一度でも出社して休みが途切れると傷病手当の受給要件から外れるので挨拶に来いと言われても絶対に出社しないこと。
退職を伝える時に必ず「健康保険の任意継続をします」と言うこと。でないと退職後に傷病手当が貰えないからね。
傷病手当は毎月申請することで18ヶ月まで延長できる。加入している健康保険組合によって手続きに細かい違いがあるから電話して調べてほしい。
任意継続では毎月の保険料支払いがあること、傷病手当を継続するために心療内科へ定期通院する費用がかかること、傷病手当の申請を毎月するのを忘れないように。
退職したら離職票が会社から届くはずだから、入手したら即ハロワに行って求職者登録をする。
ハロワの窓口で失業者向けガイダンスがあること、雇用保険について説明されるけど、健康保険の傷病手当を受給していることは正直に言うこと。雇用保険の傷病手当と健康保険の傷病手当の両取りは法律で禁止されてるし嘘ついても健康保険の番号で即バレして両方停止されるのがオチ。
ハロワで求職者登録証をしたら年金手帳、印鑑、身分証明書、マイナンバー、離職票を持って市役所に行く。
国民年金の加入手続きと、同時に免除申請をする。窓口で「退職したので年金の切り替えと免除申請に来ました」と言えば具体的な説明をしてくれるはず。国民健康保険は切り替えないこと。傷病手当のために任意継続してるんだからね。
ここまでやればあとは転職活動がんばるだけだ。傷病手当継続の心療内科定期通院と保険料の支払いは忘れずに。
余裕があれば個人事業主の申請をして青色申告できるようにしておくといいかもね。確定申告の手間はかなりかかるけど普通に会社員しているよりも控除額を大きくできることもある。
誤解している人がたまにいるけど個人事業主であっても会社員として雇われている場合は雇用保険被保険者の対象だからね。
健康保険の傷病手当を貰っていても雇用保険の再就職手当は申請できるから転職活動の励みにするといいんじゃないかな。
長々と書いたけど、転職や失業に対する手当はわりと整備してあって、面倒くさがらずにちゃんと申請して、言われたことはちゃんとやればそれなりに助けてもらえることが分かったと思う。
こういう時のために税金や社会保険料を払っているんだから、使い倒しても文句言われる筋合いはないし、窓口の人も聞けば答えてくれるはず。
頑張ってね。
結婚前から仕事では活動名を使っていたので、本名が変わることに抵抗もなく、自分が相手の姓に変えることにした。
5年以上同棲したのちの結婚だったので、生活や心持ちとしてはそこまで大きな変化はなかったが、やっぱり思ってたより本名変わるのめんどい…と思ったので、経験談としてここに記しておく。
・保険証
役所で手続きが必要な身分証明類は入籍翌日に役所でまとめて手続きした。年金は年金手帳の名前を変えたいとかでない限りはそのうち戸籍に合わせて勝手に変わるようだった。
マイナンバーカードで姓は変更できるとサイトで見たので、役所帰りの足で警察署に行ったが、結婚で変わった本籍地を変更するために結局住民票がいると言われた。
入籍直後だと住民票出してもまだ反映されていないので、二度手間になる。
・銀行口座
個人事業主なので、業務中だけど請求支払いはまだな仕事などもあり、口座名義を変えるタイミングが難しかった。
あと住んでる家や公共料金の名義も全て自分だったので、変えるもの多いことに辟易した。
結局、結婚数ヶ月後に引っ越すことになったので、そのタイミングで住所と合わせて全て変えた。
銀行印は主に下の名前だけの印鑑を使っていたおかげで変更の手間が一つ省けてよかった。
あと携帯電話の名義を変えたのに、携帯会社発行のカードの名義は旧姓のまま更新されて「なんでだよっ」ってなった。一括にしてくれ…
久々に買い物とかしようとすると、旧姓で●●さんこんにちは!とか出てきて、まだ残党がおったんか…という気持ちになる。
配偶者宛の宅急便を受け取るのに、これまでは違う名前のサインをしてて、配達員さんとの間に「誰だテメェ」って空気が流れるのを否めなかったが、今では同じ姓なので躊躇なくサインできるし判も押せる。
一番実感するのがこれ…
仕事や表に出る名前は活動名を使っているので、本名はほとんど使わないし、「本名は真名なので他人に簡単に見せられない」という意識も旧姓の時より強くなった。
だけど個人事業主なので、契約や請求の時は本名になるし、仕事柄書類上で本名が要る場面が意外とあったことを実感してる。
その度に「結婚したので姓が変わりまして…」と説明しておめでとうございます〜!とかやりとりするのめんどい。生きづらい。
配偶者は住所が変わっただけなのに、こちらは住所も名前も変わったことを周知していかないといけないのが解せぬ。
旧姓の名前を見ると、「くっまだ残党がいたか!」という気持ちと同時に「お前はもうこの世で使われることのない名前なのよ」と淋しい気持ちも湧く。
現時点ではこんなところ。
これから子供ができたとしたら、本名の苗字がより強くなってきて、自分誰なんだっけ…とかなるのかな〜。
自分は納得して姓を変えたつもりだけど、この面倒臭さも淋しさも女性の方が当たり前に請け負うべきとなるのは解せぬとやはり思う。
・30代、未婚独身、職歴有り、現無職、発達障害、うつ病、車無し、借金無し、賃貸現住
・扶養照会は免れた(後述)
\困ったら迷わず活用/さぁ、生活保護を受けましょう!(外場あたる)
https://calil.jp/book/4908407339
・キャッシュカードと、同日の残高照会
・診察券
・お薬手帳
・通帳(全部)
・年金手帳
・健康保険証
・賃貸契約書
・住民票
・自分で書いた生活保護申請書類(全部役所が用意した書類に描き直すことに)
家賃が引き落とされ、来月分がいよいよ払えなくなったので住んでる区役所に。
プライバシーに配慮した?開放感あふれる個室に案内される(中は見えないが後ろのドアは開きっぱなしで天井部も空いてる。隣の声が丸聞こえで、外国人やお年寄りが来ていたのが判った)。
学歴聞かれる。高校中退してひきニートしてた時期があったが、外出はしてたかとか聞かれる。
親族に関しても聞かれる(後述)。
通帳も少し見られる。
Paypayも見られる(!)
書類(キャッシュカードと残高照会、診察券とお薬手帳)が不足なことが判明。1度家に引き返し、書類を揃え再度訪れる。
再訪のタイミングでCW(ケースワーカー)と会う。訪問の日程を決める。
…こんな感じ
https://www.watto.nagoya/entry/2021/01/29/233000
上記webサイトをスマホで開いて行ったのだが、徒労に終わった。
両親兄弟とは10年以上は疎遠で、仲が悪く、性的な虐待を受けたり、身体に傷が残る事件があった事を伝え、傷も実際に見せたところ、扶養照会は見送る判断となったようだ。
私は使わなかったが、不安な人は共産党に連絡して付き添って貰えるらしい
暮らしSOS(https://www.jcp.or.jp/kurashi-sos/)
後ろめたさがないわけではない。
「早く働きたいな」と思う一方で、またすぐ体調を壊してしまうことを考えると、就労移行支援ベストかな、と思っている
・就労移行支援かB型作業所に行く予定で、現在問い合わせ中だと言ったが、それだけ職歴あればB型は断られるだろうとのこと。
・直近の仕事は3つあったが、どれも一ヶ月ほどで辞めたので雇用保険は受けられない。
・家賃が53700円をオーバーしてるので指導対象に。「生活保護で保証人無しで見つかるの?」と聞くと「意外と見つかる」「非公開物件を紹介される」と言われたが、今どきレインズに載っててwebサイトに載ってない物件無いじゃろ…
・家に戻って物件探ししてたら風呂無しとかロクでもない物件ばっかで震えてる
電話で大きな金の流れとか追求されたわ、おっかない
通帳の中身全部見るんだな
https://note.com/yoshiaono/n/n4cd37820faf0
サイボウズの人だよね? いち社員だとしても、こんな認識で大丈夫なの?
https://anond.hatelabo.jp/20200921124203
そもそもマイナンバーカードの目的がよくわからない。身分証明のためなら運転免許証や健康保険証でよくね?そもそも何が問題なの?
まずさ「マイナンバーカード 目的」でググってみた? 社会保障、税制などの業務を円滑にするためだと書いてあると思うが。
全体的に「庶民にめんどくさいこと押し付けやがって」という論調に見えるが、マイナンバーカードが普及して困るのは悪い富裕層。 銀行口座経由の脱税がやりにくくなる。国税庁はいまだに脱税の調査に口座の名寄せを手作業でやってる。んで3情報(氏名・生年月日・性別)たまたま一致して無実の人を拘束しかけたといったミスも発生してる。デジタル化したほうが良くない? 脱税が減って税収が増えるのってメリットじゃない?
社会保障も同様、個人の年収なり雑所得なりが番号1つでビシッと分かれば不正受給も減るんでない?
マイナンバーと同等のものはアメリカや韓国、台湾ではすでに普及していて、国民なら持ってるのが当たり前、今の日本人の感覚だと「戸籍があるかどうか」に近い存在になってる。
カードに書かれたマイナンバーが漏れるとまずいらしい。漏れるとまずいのに印刷するの?みんなで便利に使うための番号じゃないの?
個人情報は表に書いて、裏面にナンバーが書いてあるでしょ? クレジットカードも同じ運用ですけど。紛失・漏洩したらちゃんと別の番号振ってくれるし。クレジットカードも同じ運用ですけど。
運転免許証持ってる? あれちょっと前まで本籍も書いてあったんだぜ。その時文句言った?
公的身分証明書の要件がそうなんだから仕方ないじゃん。韓国みたいに券面に自分の指紋をプリントした方がお好み?
だから、付属のビニールのカードケースを使って個人情報を目隠しする。仕様としておかしすぎない?誰かツッコんでくれなかったの?
お前みたいな文句を言うヤツが湧いたからビニールを後付けしたんだよ。あれはそもそも不要。
難読化って知ってる?それともあなたはQRコードみて「これは20678576……」ってわかるわけ?
費用がかかり過ぎ。もう一兆円くらい使ってない?
これは俺もそう思う。というか手際悪すぎ
ほんとこれは縦割り過ぎて連携取れなくてマイナンバーもうまく行ってないよね。
マイナンバーシステムの管理項目が、住民記録システム(住民票)や戸籍システムとかぶっている。いい機会だから統合して効率化しようって話にならなかったの?それとも無駄が好きなの?
戸籍と住民票が疎結合なのは知ってるかな? というか管轄も目的も違うから統合できないよね。免許証も、銀行口座も。そういった個人にまつわる事柄を紐付ける共通番号を振ろう、というのがマイナンバーの趣旨。既にマイナンバー的なやつを導入済みな国でも戸籍や住民票、免許証や銀行口座がなくなった訳ではない
愚痴ってないでサイボウズ様のソリューションってやつを見せてくださいよ。
これは俺も糞だと思うので、気に入らないところを10も20も並べないで的を絞って攻撃してほしい。頼むよ。
利便性が低い
コロナで日本からマスクやアルコールスプレーやトイレットペーパーが消えたのはマイナンバーカード的な名寄せ手段がなかったからだぞ。それでも不便って言う?
普及してない
こう勘違いしてる人が多いと普及させる方も苦労してると思うわ
運転免許証も同じ運用だし、健康保険証は引っ越すたびに再発行ですが。どうなってほしいの?
え????? 免許証も保険証もパスポートも年金手帳もクレジットカードも目的外利用はできないし、不要になったら返納しなきゃだよね??
それ電子証明書の有効期限だよね。仕方ないじゃん。欄をなくして暗記したいの?それともマイナンバーカードの有効期限だと思っちゃってる?
自治体に業務の負荷をかけ過ぎ。発行・再発行だけでも大きな負荷。でもって、月数百万枚しか発行できないそうよ。自治体職員を殺す気?
確かにそれは糞だと思うけど、そういった困りごとをITで解決するのがサイボウズ様のお仕事じゃないの?暇そうだし提案書でも書いたら?
仕組みが間違っているというなら、それを正確に指摘して修正する立場の職に就いているのに「なんかおかしい」と遠くから石投げるだけってサイボウズ的にどうなの?社食でそういう話ばっかしてんの?
日本で一番信用されているIDカードは運転免許証だから、全国民に運転免許証を発行すればいい(免許ない人や子供は運転できる車種が全部ゼロにして)んだけど、警察主導は絶対に嫌だという人がいる(主に左翼)
米国のIDナンバーは社会保険番号だし、日本は国民皆保険だから当然それでいけると思ってたら、公務員共済、大企業健保組合、協会けんぽ、国民健保とそれぞれ管掌が異なり、既得権益の綱引きや消えた年金問題もあってID統合どころじゃない。
しかたがないから総務省がマイナンバーを起案したけど、所得捕捉が強化されるのを嫌った人たちが、マイナンバーの利用範囲をメチャクチャ狭くして、マイナンバーの目的外利用には刑事罰までつけた。
要するに官庁の縄張り争いと治安・税務行政の綱引きなんだよね。
財務省の巻き返しによって、銀行、証券口座へのマイナンバー登録ができるようになって、それを義務化しようとしているの←いまココ
実際少し前からマイナンバー登録してない証券口座は取引できなくなってたりする。
どうせマイナンバー作るなら、運転免許も健康保険も年金手帳も携帯番号もスイカも全部入りにしてくれれば便利なのに。(そんなことされたら革命ができなくなるって左翼が言うのよ)
https://twitter.com/pink_yellowish/status/1057925168406773761?s=20
【2012年】
□第2次安倍内閣発足
【2013年】
●アベノミクス発表
●東京五輪決定
【2014年】
●消費税8%引き上げ
□第3次安倍内閣発足
【2015年】
【2016年】
【2017年】
●森友問題
【2018年】
【2018年続き】
●省庁の障害者雇用水増し発覚
【2018年続き】
□第4次安倍改造内閣発足
【2018年続き】
●平井大臣 選挙運動費用収支報告書に約700万円分の無宛名領収書61枚
【2018年続き】
●片山さつき 暴力団交際者から事務所無償提供&秘書給与肩代わり
【2018年続き】
【2018年続き】
【2019年】
【2019年続き】
【2019年続き】
●安倍首相「自衛隊募集は都道府県6割以上が協力拒否」実際は9割協力
●政府統計 2018年1月から日雇労働者120万人外し賃金操作
【2019年続き】
【2019年続き】
【2019年続き】
【2019年続き】
●消費税8%据え置きの軽減税率食料品 政府指針で増税前値上げを推奨
●エジプト・シナイ半島で活動する多国籍軍に陸上自衛官の派遣決定
●塚田一郎副国土交通相 下関北九州道路建設計画「私が忖度した」発言辞任
●新元号「令和」に米NYタイムズ紙「Order and Peace(命令と平和)」
【2019年続き】
●米WSJ紙社説 日本の消費増税が「自傷行為」になるとの見解
●F35戦闘機 米報告書で未解決欠陥966件 100件以上は安全に関わる重大欠陥→政府100機追加購入
【2019年続き】
【2019年続き】
●WTO逆転敗訴 政府の「日本産食品の科学的安全性認められた」は虚偽説明
●日の丸掲揚と君が代斉唱に従わない教職員の懲戒処分 国際労働機関ILOが是正勧告
【2019年続き】
○元号が令和となる
●経産省キャリア職員 覚醒剤使用で現行犯逮捕 省内の机から注射器押収
●自民党兵庫県議谷口氏 選挙期間中当て逃げ 親族が身代わり出頭
【2019年続き】
【2019年続き】
●トランプ氏来日 過剰接待 大相撲でソファ土俵にスリッパ 日米で批判
【2019年続き】
【2019年続き】
●人口自然減 初の40万人超 出生率3年連続減 出生数過去最少更新
【2019年続き】
●国家戦略特区 政府WG委員関連会社 提案者から指導料200万円
●非正規雇用者 10人中4人に増加 年収200万円未満75%
【2019年続き】
●老後2000万円報告書「質問への答弁控える」政府が閣議決定
【2019年続き】
【2019年続き】
●国連特別報告者 日本メディア独立性疑念への日本の拒絶反応に「驚愕した」
【2019年続き】
2週間以上経っても届かないので、不審に思って会社に電話をした。
担当者のAが電話に出て、わざとらしく「本当だ〜♪」とふざけた発言をする。
何の悪びれた様子もなく、第一声が「今日送ります」と発言する。
は? まず謝罪だろ ふざけんな。
後日、届いたが追跡履歴を見ると結局その日ではなく翌日に送っていた・・・。
多くの会社では、会社側が資格喪失証明書を送ってくれると思うが、自分でやれと言われ、
保険組合に電話したら、まだ会社から資格喪失届が届いてないとのこと。
社員が退職したら5日以内に届け出をしないといけない規則になっているのにだ。
■離職票が送られてこない
前回会社に電話したときに、離職票は今週中に送ると回答された。
しかし、これも一向に送られてこない。
このおかげで、退職後に2週間以内に国民健康保険への切り替えができなかった。
退職金が26日に振り込まれる予定だが、これも約束を破られるのではないかと不安だ。
辞めた会社のことでイライラするのはバカバカしいので、さっさと事を済ませてオサラバしたい気持ちでいっぱいだ。
おばさん、発達障害なのかな。そう思わないとやってられない。