はてなキーワード: 大蔵省とは
「商品券」をお肉やお魚だけでなく、林業や農林水産品に広げて検討していく方針だそうです。何でこんなに商品券にこだわるんでしょうか。後々、今の状況をハリウッドで実写化したら良いコメディ映画になりそうですね。 https://t.co/epHlfUFavw— 須藤元気 (@genki_sudo) 2020年3月27日
ばら撒くならばまだユキチケ撒いて、そこから消費税廃止したらどう?
この問題だけは米国や英国見ていたら出羽守にならざる得ないよねw
向こうも一律で撒いているのは区分けしている時間すら惜しいからなのに。
そろそろ日本でも議員なりが感染しそうな段階にきてそうだよね。
しかし元大蔵省の自称経済学者やらが大恐慌はこないだとか麻生みたいにバラマキや減税は意味がないとか残念な事を言っていた件と言い、日本って経済に携わっている人間が致命的なまでに空気読めていないのは事実だよね。
https://www.asahi.com/articles/ASN3S5SBWN3SULFA028.html
あ、コレ駄目な奴だ。
はっきり言ってまだ現金ばら撒く方がまだマシ。
今必要なのは失業者や休職者に対する保護予算と消費税ゼロ等の極端な減税対策を緊急的に同時にやる事であって、景気刺激策ではないよ。
コロナ禍でこれからどうするか?その間の生活は?と言う話なので今までの経済施策とは根本から異なる。
他の人にも言われているけど、これが判らないんじゃ即刻大臣止めた方が良いと思う。
しかし麻生大臣もだけど財務省ももはや日本にとって害悪以外何物でもないよね。
財務省が日本の保険制度を潰そうとしていたり、CTが多すぎるとか医療をも弱体化させようとしていたのは事実だから。
当時大蔵省から名前が変わった様に今回も名前が変わる事になりそうだよね。
消費税5%への引き下げを含めて、総額40兆円の財政出動について、大臣や参議院自民党などに具体的に提案しています。詳しく解説しました
《Law63》令和恐慌を乗り越えよ‼️山田太郎の私案と根拠 https://t.co/qd8cugTzjh pic.twitter.com/3d831JBOaX— 山田太郎 ⋈(参議院議員・全国比例) (@yamadataro43) 2020年3月24日
しかし山田太郎議員に限らず、野党もだけど今回5%に減税と言った所で山田太郎議員と同じ自民の議員さんが消費税ゼロと言う更に空気を読んだ発言をしているからインパクトが弱いのは事実だよね。
そうなんです。消費税5%よりも #消費税ゼロ のほうが簡単に早く低コストで実現できる。緊急事態にはこのほうが即効性がある。 https://t.co/sefWUojZqI— あんどう裕(ひろし)衆議院議員 (@andouhiroshi) 2020年3月24日
無駄でしょ。
「でもタダじゃん」って反論する人はいるだろうけど、そりゃまあ一日中ランニングしてるだけの陸上自衛隊の一部兵科だったら、ランニングしてる時間で災害派遣させるのは税金の有効活用だ。
つーか税金もらって普段はランニングだけしてんじゃねえよって話だが。
だけど、空自や海自のような普段はランニングする以外の仕事をしてる連中が災害派遣に行ったらその分だけその普段の仕事で手を抜いているのは間違いないんだよな。
残業代すら出ない24時間働かせ放題コースで勤務してる連中が、突如投げ込まれた仕事の分も含めて120%ガッツリ働きますなんてやれるはずがない。
人間ってのはそういうもんだ。
じゃあどこでどう手を抜くかって言うと、航空機の整備だとか戦艦の整備でだ。
そして、日本海だの瀬戸内海だので血税の塊がガラクタになってしまうわけだよ。
ふざけているよ。
慣れない仕事だからと言い訳を繰り返しモタモタと風呂焚きと飯炊きをした対価として、血税の塊を潰していくわけだ。
こんなことをされるぐらいなら、正式に災害派遣隊を作ってもらった方が良い。
その分の予算は自衛隊の将官たちが「災害派遣に行くのであります!ビシィ」と大蔵省の役人にうそぶいて奪い取ってきた分の予算を回せばいい。
事務次官「えっ、どうやるんですか?」
大臣「それを考えるのが官僚の仕事だろうが。安心しろ、具体的な目標や方法には言及しなかったからよ。あのババアのセリフに合わせてセクシーな方法でやると、大衆受けすることを言ってごまかしてやったぜ」
事務次官「勘弁してくださいよ。大臣のお父様は原発廃炉を目指すと発言されたのですよ。火力も原子力も無しに、どうやって電力を賄うんですか」
大臣「親父は関係ねぇよ。地盤看板を俺に引き継いでからもう10年以上たってんだ。親父の政治運動は老後の道楽としてやってるだけで、その戯言に政府も政党も関係ねーよ」
事務次官「では、原発推進すると?昨今の風潮だとそれも難しいかと」
大臣「んなもんどっちでもいいけどよ、俺は30年後も議員を続けるつもりだってことを忘れんじゃねえぞ。削減ができなかったら、将来俺が嘘つき呼ばわりされちまうから気をつけろよ」
事務次官「ぐぬぬーっ。私は東大法学部を卒業し上級国家公務員甲種試験を合格して花形の大蔵省ではなく弱小省庁に入庁してここまで組織を大きくして事務次官にまで上り詰めたのですよ。あと数年を平穏無事に過ごすだけで最高の形で天下りができるはずだったのに、なんでこのタイミングで二酸化炭素と火力発電の削減という無茶ぶりをされなければならないのですかっ」
大臣「うるせえ!てめえのキャリアなんざ知ったことか。組織の拡大と出世にかまけていて、肝心の環境対策をしなかったことのツケが回ってきただけのことだろ。お前自らの選択でここに入ったんだからそれくらい責任もってやれよ」
大臣「それによぉ、お前はお勉強が得意で自分で将来を決めることができだんだからよかったじゃねえか。俺の人生には選択の余地なんてなかったぞ。兄貴が芸能界に行くと宣言してよぉ、親父が長男に世襲をしないと世間にアピールした瞬間から俺の運命は決められていたんだぜ。それに、俺が世襲であると同時にブレーンも世襲なんだよ。親父の選挙対策本部長をやっていたTさんはマジもんの武闘派でよぉ、昔は今と違って衆議院選挙は中選挙区制だったから同じ政党同士でも争ってたんだけどよ、Tさんは対立候補への嫌がらせに棺桶と墓石を送り付けたっていう伝説を持っているんだぜ。ピザや寿司の宅配じゃなくて棺桶と墓石だぜ。そんなTさんも実子に世襲したんだからよ、俺は世襲しないってわけにはいかなかったんだよ」
事務次官「は、はぁ…」
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戦後は飢餓状態になり、区を通じて米軍支給品のコンビーフなどを配給した。“犬と同じ餌付けだ”と感じたが、食べなければ死んでしまうからみんな列をつくって並んだ。アメリカは日本人など虫けらぐらいにしか思っていないのに、日本の偉い連中はアメリカのために死ねという法案を通す。私たちには今も怨念がある。どんどん暴いてくれ。銀座のど真ん中でやってほしい」と訴えていた。
C 原爆投下後の広島、長崎に匹敵するような悲惨さだった。米軍は春風の強く吹く3月という時期、民家を効率よく焼き払うための油脂焼夷弾の開発、空襲の手順も含めて用意周到に準備し、一般市民の民家が密集する下町地域をとり囲むように爆弾を投下している。火の壁で逃げ場をふさいで集中砲火を浴びせ、火の海を逃げ惑う人人に機銃掃射までやっている。
「機銃掃射で狙い撃ちしてくるパイロットが笑っていた顔が忘れられない」と何人もの人が語っていた。黒焦げの死体だけでなく、窒息死してピンク色をした遺体が蝋人形のように散乱し、それらが公園や学校などで山積みにされて焼かれたという。墨田区錦糸町では、錦糸公園で約1万4000体が焼かれて仮埋葬されたというが、それを伝える看板一つない。あまりの多さで処理できない遺体は何日もかけて川や海に捨てられていたという。
隅田川にかかる橋の欄干や、総武線のガード下などには今でも積み重なって焼き殺された人間の油がそのままの形で染みついて、何度ペンキを塗っても浮き出てくるのだと語られていた。5月の品川での空襲でも「真夜中にガソリンを撒いて焼夷弾をばらまいた」といわれていたが、「あれが戦争犯罪でなくてなんなのか!」と、7、80代の年配者が語っていた。とても昔話という雰囲気ではない。本当に語る場所がなかったからこその鬱積した思いがある。公園などに仮埋葬された11万体といわれる遺骨は、関東大震災の慰霊堂(墨田区横網)に一緒に入れられている。
東京空襲を弔う単独の慰霊施設はいまだにない。なぜそんなことになっているのかだ。
D 大空襲で壊滅した江東区森下5丁目町会では今年3月、町内の空襲犠牲者789人の名前を刻んだ墓誌を建立した。町会役員によれば、当時の町会長が戦後すぐに空襲による町内の犠牲者を調べ、焼失を免れた戦時国債購入者名簿を頼りに『戦災死没者過去帳』という約10㍍にもなる巻物をつくって保管していたから建立できたという。遺族の「この地域に住んでいた人人の証となる供養の場所がほしい」という願いが70年をへてやっと実現した。
E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。
地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。
終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。
D ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書のコピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔の建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。
「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。
70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。
A 25万人もの都民を殺戮しながら意図的に攻撃対象から外したものもある。ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。
C 代表格は皇居だ。東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。皇居北側の近衛師団司令部、東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷の陸軍省・参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑、浜離宮、上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。
東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。三菱本社、三菱銀行、三菱商事、日本興業銀行、横浜正金銀行、東京銀行、第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。八重洲では日銀、三井本館。永田町や霞ヶ関でも、内閣府、国会議事堂、警視庁、内務省、大蔵省などが残された。ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界とアメリカの盟友関係を裏付けている。
軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠、陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場や野砲隊の官舎群もみな無傷だ。
E 工業施設でも、東芝本社のある芝浦工業団地から品川駅付近の港湾施設も攻撃されなかった。全滅した深川区に隣接する石川島造船所、佃島、月島など東京湾に面した工業施設、南部工業地帯の蒲田でも中心市街地が徹底的に焼き尽くされたが、羽田飛行場などの軍需施設はほとんど攻撃されていない。「米軍作戦任務報告書」に記された工業的目標はわずか22カ所に過ぎないが、そのうち破壊したのは18%だと記されている。実は無差別爆撃ではない。絨毯爆撃ではあるが、アメリカの対日支配に役立つものは残し、その邪魔になる庶民は殺すと極めて明確に選別している。
B 「暗闇のなかであれほど緻密な爆撃がどうしてできたのか?」という疑問も多く語られていた。「目標から外す目印のために誰かが下から光を当てていた」と証言する人もいた。原爆投下と同じく「戦争を終わらせるためにやむをえぬ」というものではなく、日本を単独占領するために国民の抵抗力を摘むための大量殺戮だった。
米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構
A 東京空襲にも不可解な点がいくつもある。例えば、空襲直前に警戒警報を解除している。広島、長崎での原爆投下も直前になって警戒警報を解除し、みんなが安心して表に出てきたときに投下されている。あれは軍中枢が協力しなければできないことだ。300機をこえるB29の接近に気づかないわけがないが、物量で太刀打ちできないとはいえ、まともな反撃すらせずに米軍のやりたい放題を開けて通している。
F 広島、長崎への原爆投下でも、軍はB29に対してレーダー照射をして来襲を事前につかんでいた。大本営は原爆投下機の接近を信号を受信して知っていた。長崎では、B29を迎撃する部隊が大村航空隊で待機して出撃命令を待っていたが、結局、命令は下りなかった。NHKも当時のパイロットが怒って証言する場面を放映していた。
A 終戦末期になると特高警察がマークしたのは青年将校だった。敗戦が濃厚になるなかでこれらが反乱を起こすことを恐れた。左翼は早くに壊滅しているが、青年将校らは戦斗経験もあり、速やかにアメリカの占領下に誘導しようとしていた軍上層部にとっては脅威だった。敗戦が決定的になっても国民には「一億総玉砕」を叫んで、若者には特攻作戦をやらせ、本土を死守させる体制をとりながら、上層部が終戦工作にいそしむことに彼らの反発はすごかった。
天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校が近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。
B 敗戦直後、内地では軍を通じて直ちに武装解除させた。あれは天皇の命令だけでは動かない。軍司令部の指揮系統が動かなければできない。それを米軍上陸前にやらせるためには軍中枢を残しておかなければいけない。もともと海軍をはじめ軍中枢部分には親米派が多かった。陸軍も中国大陸で行き詰まって南進作戦に切り替え、南方の島島に兵隊を放り込んで食料も弾薬も送らない。ニューギニア戦線の体験者も「毎日イモばっかりつくっていた」という。南方はほとんどが餓死と病死だ。
D 敗戦を迎えるにあたって、あのドサクサのなかで米軍上陸、単独占領に誰が荷担したのか。東京大空襲で無傷だった施設を見ただけでも歴然としている。戦後は「財閥解体」といったが、財閥はしっかりと温存された。戦争に国民を投げ込んだ天皇はじめ、官僚機構も丸ごと温存された。開戦時の商工大臣をしていた岸信介が、その後CIAのエージェントとして力を与えられたのが象徴的だが、政界、官僚世界などが叩きつぶされることもなく、対日占領の協力者としてせっせとアメリカに媚びて戦後も機能していった。メディアでも大本営の中枢にいた読売新聞の正力松太郎や朝日新聞の緒方竹虎などがCIAのエージェントとして活躍する始末だ。
イラクでもアフガンでも、他国を占領しようと思えば必ず抵抗があるし、何年かかってでも肉弾戦で侵略者を叩き出そうとするものだ。日本の場合、なぜ無抵抗に近い形で単独占領することができたのか。それは支配機構が丸ごと占領の協力者になり、国を売り飛ばしたからだ。支配機構が軍事支配を受けながらアメリカの道具になって戦後は機能していった。それが今日まで続いている。
E 空襲で生き残った下町の人たちは、戦後は食べ物がなくて生活できないのでみんな市外に出て行ったという。国民を抵抗できないようにバラバラにさせている。抵抗力を削ぐために徹底的に空襲を加えたし、首都圏の人人はとにかくその日を生きるのが精一杯の状況になった。首都圏制圧のためにあれほどの空襲をやって、まさにショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で占領していった。
C 食料を意図的に統制したので、戦後の方が食料難がひどかった。当時の調達係の人が証言していたが、米軍が国内の食料倉庫を統制して食料危機に追い込んだ。米軍は関門海峡などの機雷封鎖も「スターべーション(飢餓作戦)」と名付けていた。国内から戦地へ食料を送らせない、大陸から送られてくる食料を遮断するための飢餓作戦だった。
都市部はとにかく食べるものがない。配給でもらった大豆をポケットに入れて、それを食べて水を飲んで膨らませて空腹をしのいでいたという。飢え死にが出るような飢餓状態に追い込んでおいて、ララ物資などのアメリカからの、それこそ家畜の餌になる食料が入れられた。そんな屈辱に国会で感謝決議したこともあった。
E 戦後の上野や浅草には、空襲で親を失った戦災孤児や浮浪者があふれかえり、餓死寸前の子どもたちは生きるために窃盗や売春をせざるを得なかった。GHQは「治安対策」を名目にして浮浪児を見つけ次第捕らえる「狩り込み」をやり、米軍の要請によって、脱走ができない水上の台場につくられた収容施設に強制的に送致し、檻(おり)に入れて監視・収容することまでやった。
B すでに武装解除しているのに進駐軍は必ず銃を携行して、電車も絶対に米兵専用車両に乗るし、接収した建物も日本人は立ち入り禁止にした。「彼らは日本人の反撃を恐れていた」と語られていた。
A 例えば、日本軍が満州を占領統治するのに100万人の軍隊がいったといわれる。日本を占領するには本来100万では足りない。それを日本の支配階級が従って代理政治をすることで米軍の負担を軽くできた。イラクやシリアを見ても、むき出しの占領支配になれば人民の抵抗を抑えることは難しい。それを天皇以下支配階級が全面的に協力し、それによって地位を守るという関係があったから占領できたということだ。
F 同じ敗戦国でも、ドイツではナチス関係者は戦後はみんな追放された。新聞社などもみな解散させられた。連合国による全面講和を結び一国に縛られなかったから、独立の自由性がある。アメリカが単独占領した日本との違いだ。
90年代の米ソ二極構造が終わったときもドイツは独立の方に行き、日本は対米隷属の方に行くので、ドイツ首相から「慌てるな」となだめられたほどだ。その従属路線が現在までエスカレートして、安保法制まできている。
A 現在でも官僚機構も含めて各省庁ごとにアメリカ直結だ。財務省も経産省も防衛省もだ。政策についてもアメリカ大使館の指示の方が強い。
米財務長官サマーズが何度も日本の財務省に直接怒鳴り込んできたし、原発事故のときもアメリカ政府関係者が首相官邸に乗り込んでいって菅直人を怒鳴りつけて指示を出す。アメリカの圧力なしに、民主党の鳩山、菅から野田までの変遷ぶりというのは理解ができない。現在の安倍の突っ走りにいたるまで対米従属の系譜だ。
財閥やメディアも米軍占領下で地位守る
C 原爆展キャラバンのなかで、戦時中に赤坂見附に住んでいて親族がアメリカ大使館に出入りしていたという婦人が、「アメリカ大使館の外側は私服警察の警備で物物しかったが、中にいる在日米国人は戦時中にもかかわらず中庭でゴルフをしていたり、まるで勝ち戦の後のような余裕ある生活をしていた」と疑問を語っていた。
F 当時の駐日大使ジョセフ・グルーがアメリカ本国に帰国するのは真珠湾攻撃の半年後だった。グルーは日本では天皇を中心とする「宮廷外交」を基本にし、軍部の反米派と対立傾向にあった天皇側近の木戸幸一、重光葵、吉田茂、近衛文麿などを「自由主義者・穏健派」と見なして親交を深めていた。開戦後の半年間で終戦までのプログラムをつくる工作をやっていた。
グルーは秩父宮に「安心しろ」といって帰国したが、アメリカ本国では「皇居は攻撃してはならない」、天皇は「軍国主義崇拝に役立ったと同様に象徴として役立つ」と説いて回り、吉田茂とも直接手紙をやりとりしていた。
のちの駐日大使ライシャワーは当時諜報部員だったが、この方向で「天皇を傀儡にして間接統治する」という占領プログラムをつくった。そこでは、戦争中も「短波放送の聴取が許される500人ぐらいの日本のエリートに常に知的な情報を粘り強く伝達せよ」と米陸軍に提案している。実際、1945年5月から「ザカリアス放送」という日本の上層のごく限られた者しか聞くことができない短波の日本向け放送をやり、いつどこを空襲するとか、広島、長崎への原爆投下をいつやるかも全て伝達していた。
これら米軍からの情報を集中しながら六月段階で、米軍の攻撃を全部開けて通して、「アメリカに敗北することで自分たちの地位は保証されることが約束されている」と側近の木戸幸一が天皇に提言している。
A 2月には、アメリカから情報を得ていた吉田茂が近衛文麿に天皇上奏文を書かせた。「米英は国体(天皇制)の変更までは要求していない。最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴っておこる共産革命だ」というものだ。彼らの関心は戦争の勝敗などではなく、いかに国民を押さえつけてアメリカの占領下で地位を守ってもらうかだった。そのためなら原爆を落とされることも甘受するし、東京を焼き払って人民大衆をへとへとに疲れさせることはむしろ好都合という関係だった。
F 財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。また、戦争末期には、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎、日産コンツェルンの鮎川義介、浅野財閥の浅野良三などの財界代表が内閣の顧問会議を形成していた。藤山によれば、終戦6日前の閣議でアメリカとの経済関係をただちに回復させる計画を発表し、「自分たちの時代がやってきた」と喜び、軽井沢の別荘でシャンパンのコルクを抜き、新時代到来を祝して乾杯したという。はじめからアメリカは自分たちを大事に扱うことを確信していた。グルー自身が三菱とつながりの深いモルガン財閥の代理人で、戦前から投資していた権益、金融資産を含めてどう守るかというのが主任務だった。日本の財界人との関係ではアメリカ留学組が多く、鮎川とフォード、浅野とルーズベルトなど、人脈もできあがっていた。
A 天皇をはじめとする支配中枢も財界も、中国への侵略戦争で行き詰まり、負けることはわかりきっているが、中国に負けることになれば日本における支配的地位が失われる。だから日米開戦に突っ込んでいき、アメリカに降伏することで地位を守ってもらう。そのためには国民を犠牲にしなければいけないという意図が貫かれている。
C 東京はすべての政治勢力の本部があるところだが、東京空襲の慰霊碑問題をみても、都民の切実な要求をすくい上げるところがなかった。そこには、第一に米軍による抑圧、宣伝がある。いかにもアメリカが平和と民主主義の味方であり、日本を解放するための戦争をやり、原爆も空襲も戦争を終結させるためにはやむをえなかったかのように徹底的に宣伝したし、戦前以上の言論統制と弾圧をやり、反米につながる原爆や東京空襲についての言論を封殺した。
もう一つは、人民の側に立つべき共産党の指導部が「アメリカは解放軍」と規定して、旧軍部を批判するが、原爆にしても東京空襲にしてもアメリカの犯罪を問わずに来たことが大きい。都民はアメリカと共産党指導部の両方から抑圧され、ものがいえなくなる関係だ。
B 大衆のなかでは東京空襲への鬱積した怒りがあるが、東京で生まれた戦後世代でもほとんどその全貌を知らずにきた。そこでは革新勢力が進歩的な装いで「日本軍が重慶を先に空襲したから、それを反省すべきだ」「日本がひき起こした戦争だから仕方がない」という論調をふりまいてきたことが大きい。原爆投下を「日本の軍部から解放するために必要だった」というのと共通している。
F 共産党は戦前、天皇制の弾圧もあるが、大衆と結びつけず自然消滅をたどった。そのことの反省もなく「獄中18年」を威張り、アメリカを解放してくれた友と見なす一方で、庶民を戦争に協力したと蔑視してきた。特攻隊経験者や戦地に駆り出された者も、「予科練崩れ」「戦争加害者」などといって攻撃し、敵と友を転倒させてしまった。
徳田球一ら指導部中枢は、米軍に釈放されてすぐの人民大会でGHQまでデモ行進し、「解放軍万歳」を3唱した。「民主主義革命の端緒を開いた」といってマッカーサーに感謝し、GHQに入り浸り反米の情報を提供していた。東京空襲も原爆についてもそのような感謝が根底にあるから、正面から批判させない。知識人のなかでも対米従属問題についてなかなか触れることができないということも独特の抑圧構図を象徴している。
A アメリカがプレスコードをかけて行政機構が協力したし、東京空襲についても語らせなかった。そして共産党はあれほどひどい目にあった都民のことを無視して、アメリカを平和と民主主義の友と見なした。敵と友を転倒させて、むしろ大衆を敵扱いしていった。だからいまもって東京空襲について無関心できている。都民の苦労というものにまったく思いがなかったということだ。
C アメリカ民主主義がよかったというが、70年たってみてどうか。日本の富はみな吸い上げられて散散な状況になっている。遠慮知らずのアメリカが、終いには米軍の身代わりで自衛隊を戦地に引っ張り出すところまできた。それで安倍晋三がせっせと協力している。売国政治の根っこは何もかわっていない。左翼の戦後出発について先ほども触れていたが、都民の苦難に足場を置かずに抽象的な全国政治か何かを主張しても話にならない。大衆的というのは地方的で具体的だ。そこに足場を置かなければ全国の普遍性は見えない。東京にはあれだけ政党の本部があって、学者も日本一いながら東京大空襲の惨劇について怒りをもってアメリカを糾弾する勢力がいない。
A 東京大空襲の経験は語れないできた。意図的に抹殺されて、慰霊碑も何もない。これは原爆を投下された広島と比べたら明確な違いがある。広島には平和公園も資料館も供養塔もある。八月六日になるとみなが早朝からお参りに足を運んでいる。十数万人の命日だからだ。そして町のいたるところに町内会、学校、職場などいろんな単位の慰霊碑がある。何が違うのかだ。広島はたたかってきたからだ。戦後は広島でもプレスコードがかかっていて原爆のことを語らせない力が働いていた。「終戦のためにやむを得ぬ手段だった」というので原爆投下への怒りをかき消し、徹底的にとり締まっていた。
しかし当時、風呂屋に行くとみながケロイドを見せながら延延と語っていたという。それを当時の広島では「アメリカの人類に対する犯罪だ!」と真っ向から暴露して斗争がはじまった。占領下の50年8月6日の斗争が端緒を切り開いた。そして5年後には世界大会まで発展した。
この運動を指導したのが福田正義主幹(本紙)をはじめとした共産党中国地方委員会だったが、当時も東京の共産党中枢が「アメリカ解放軍」規定で中国地方におけるたたかいを弾圧していた。これと同じ構造が東京では現在でも生きている。日本人民の苦難の側から敵を暴露するのでなく、友と見なす。戦後出発に大きな違いがあった。
分かれ道は敵は誰か、友は誰かが鮮明でないといけない。あれほど殺されているのにアメリカ民主主義のインチキに幻想をもったら大変なことだ。アメリカが日本を侵略した敵だ。日本人民は戦中も戦後も大変な目にあってきた。人民の敵に対する憎しみと人民への愛情が統一されていないといけない。その人民を代表して敵を暴露する立場でないといけない。東京でもそれが問われている。
A 東京をはじめ首都圏は、沖縄に次いで米軍基地が多い。東京都だけでも総面積は約1603㌶(東京ドーム約340個分の広さ)に及ぶ。空襲で攻撃対象から外された軍事施設は、ほぼ例外なく米軍基地や自衛隊施設へ変わった。横田基地は在日米軍司令部であり、すべての在日米軍と自衛隊を統括する指揮所だ。神奈川県には、原子力空母を擁する米海軍第七艦隊の拠点である横須賀基地が盤踞し、在日米陸軍司令部、第一軍団前方司令部など米陸軍司令塔であるキャンプ座間をはじめ、爆発事故をおこした相模総合補給廠、通信施設、燃料貯蔵施設、住宅地、演習場などがひしめいている。
とくに横田基地は3350㍍の巨大滑走路を持ち、米軍人数は約3400人、国防総省文官200人、米軍家族含め約1万4000人もおり、米軍のアジア戦略における最重要拠点だ。その影響力から「横田幕府」とさえいわれる。米本土やハワイ、グアムなどから運んできた兵器や軍事物資を相模総合補給廠に備蓄し、戦時になると横浜ノースドックから搬出し、横田基地から空輸する体制で、西太平洋・東アジアを管轄する兵站補給基地だ。
東京都港区の六本木ヒルズがある都心にも赤坂プレスセンターといわれる米軍基地がある。その中身は、陸軍研究事務所、海軍アジア室、米軍の機関紙「星条旗新聞社」、保全連絡分遣隊、座間基地第78航空隊、独身将校宿舎、麻布米軍ヘリ基地だ。横田基地を経由して日本に侵入する基点として提供され、入国審査や税関などの規制は一切なく、ここから入国する人物については情報公開義務がない。地図上でも「白地」にするほどの機密扱いだ。
そのほかにも府中、由木、大和田、硫黄島の通信施設、日米合同委員会をおこなうニューサンノー米軍センター(港区)、米軍家族専用の娯楽施設である多摩サービス補助施設がある。敗戦直後208カ所あった米軍施設は住民の頑強なたたかいで「返還」されたが、実質どの施設もいつでも使える体制にある。朝鮮戦争の出撃基地となった立川飛行場は基地拡張が砂川斗争で頓挫し「返還」されたが航空自衛隊基地は米軍との共同使用であり、広大な国営公園、広域防災基地、道路、運動場として当時の施設はそっくりそのまま残されている。
地元でも「道路はいつでも滑走路に転用できるように周辺には高い建物や民家の建築規制がある。ひとたび戦争になれば街全体が一気に軍事基地に様変わりする」といわれていた。
B さらに首都圏の上空には、「横田ラプコン」と呼ばれる1都8県(東京都、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、静岡県)にまたがる、広大な米軍専用空域がある。この空域の高度約7000㍍以下には米軍の許可なしには日本の民間機はいっさい進入できない。
羽田空港や成田空港を離着陸する航空機は、通常の離陸はできないため急激に高く上昇してラプコンを飛び越えるか、大回りしなければならない。それが離着陸時の事故、ニアミス事故の頻発につながっている。首都上空を飛行するのに米軍の許可が必要な国など他にはない。
A 沖縄が前線基地なのに対して、司令部が集中しているのが首都圏だ。日本の支配中枢を軍事で抑えつけることで日本全国を占領下に置く。その目的のために、大空襲であれほど殺し、戦後も軍事力を配置しているのだ。沖縄の問題はよそ事ではない。真珠湾でもフィリピンでも、ベトナム戦争でも、いったん攻撃をさせて「報復」を掲げて参戦するのがアメリカのやり方であり、司令部が集中する東京こそミサイルの標的にされる可能性は高い。
B 本所の東京空襲体験者の男性が、「アメリカが問題なのははっきりしているが、どの政治家や政党がこれとたたかえるのか! 結局、自分の地位を守るために裏切る政治屋ばっかりだ」と吐き捨てるようにいっていた。空襲後に軍隊に志願入隊して整備士として厚木飛行場に配置されたが、地下壕を掘らされるばかりでその地下施設を今は米軍が使っている。「戦後は焼け跡から町工場を営んできたが、TPPに参入すればこの仕事が奪われていく。全部アメリカのためだ。そういうことをもっと暴いてくれ」と切実に語っていた。昔から自民党の支持基盤であってもみんな上を信じていないし、内に秘めた思いは少少ではない。
F 東京大空襲は広島、長崎、沖縄に匹敵する大量殺戮だった。その真実をおおいに語り継がなければいけないし、それは日本を再びアメリカの戦争に引きずり込むことを許さない全国的な世論を発展させていく大きな力になる。そのためには、私心なく大衆のなかから意見を集中し、それを代表して導いていく政治勢力が必要だ。そこでは、自己主張ではなく、大衆的であると同時に敵を鮮明にして人民に奉仕する思想でやり抜くかどうかが問われる。
司会 今回の安保法制まできて、対米従属構造こそ日本の平和を脅かす根幹であり、これとの対決なしには再び日本は戦場にされる
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65890382.html
有名ブログでもまとめられているけども、投信が銀行や証券会社の現場で、情報弱者にどんどん売られているけども、本当に顧客利益に叶っていないものだ、という議論がある。
投資信託は、投資信託委託会社(運用会社とも呼ばれる)が作って、銀行か証券会社で売られる(場合によっては生損保でも)
構造的には、車のメーカーと、販売のディーラーが別の会社となっているのに似ている(系列のメーカーの商品ばかり売る会社もあれば、独立した販売をする会社もある)
※投資信託は、複数のお客さんのお金を合同してまとめ、集まったお金で株を買う仕組み。集まったお金の管理や、株を売り買いする技術の対価として手数料を一定率でとる
http://www.nicmr.com/nicmr/data/market/trust.pdf
ここ10年は、大きく増えていない。
それで騒がれているのだから、純粋に新規の資金が入ってきて居るわけではなくて、前に買ったお客さんが、また違う商品に乗り換えていることが発生している。
それから、乗り換えている商品が、あまりお客さんの利益に叶っていない、というのが金融庁の主張。
投資信託委託会社(メーカー)・・・俺らは、確かに売り手の希望で変なものも作ってるけど、マトモな商品もいっぱいある。ちゃんと売らない奴が悪い。もっと言えば、売れるってことは一定の需要があるんだから、意味ないってことはない。屁理屈も理屈のうち!
銀行・・・零金利もあるし、本業苦しいから、手数料稼げる投資信託売るしかねえんだよボケカス金融庁。
証券会社・・・そもそもお客さんと話して、その時のテーマにあった商品売ってるけど文句ある?昔の株の販売だって、相場見て買ってもらって、売り抜けたりしてたじゃん。適合性?買うやつが納得したってサインしてんですけど。
投資信託協会・・・俺たちは業界側の団体なので、自主規制ばかりしているわけではない 公益財団法人にもなれなかったし 業界を代弁しま~っす
金融庁・・・正しいことだけしなさい。それから、株式に投資してもらわないと、「貯蓄から投資へ動いた」って言えないから、株式に投資する投資信託を売りなさい。若い人に売りなさい
っていうか言うこと聞かないから、「フィデューシャリー・デューティー」があるので、真面目にやってください
ただ、業界が腐ったのは、金融庁と、投資信託協会が何もしなかった
金融庁は、検査に来れば、規則でつくらなきゃいけない書類が作られているか、規則を守っているかばかりネチネチやってた
投資信託協会は、適当な協会のルールを作って、適当な解釈を加えて、あいまいにやってきたし、業界を信頼に堪えるものにしようとしてこなかった
そして業界も甘えてた
20年前は、大蔵省にお伺いを立て「ま、そういう商品なら良いですよ」と言われて動いてた
そもそも40年以上前に投資信託が作られたのも、国の株価掲揚策として生まれた
って言ったって上手くいかないし、かえって萎縮する
江戸時代の日本は米・金・銀という三種類の通貨システムを平行して扱っていた。徳川幕府と諸侯領(明治時代以降藩と呼ばれるようになるやつ)が入り乱れた連合国家であった。諸侯領間における政治経済システムの違いは大きかった(要するに戦国の遺風を引きずった藩とそうでない藩があった)。上記のような事情があった結果金融業の発達は著しく、幕末には多くの諸侯がこうした金融業者の支配下に置かれるありさまだった。
などといった問題に対処するために、新貨条例および国立銀行条例が制定した。これらの制度は
というなにがなんだか分からない制度になっていた。しかしこれは当時の国際情勢を考えると仕方がない話で
といった状態で、日本は近代的金融システムを構築するにあたって模範とすべき制度はまだなかった。結果アメリカを真似して兌換券の分権的発行を主軸とする制度が作られた。このため各地に割拠していた金融資本は国立銀行への転換が進んでいった。
しかし殖産興業の進展、西南戦争による莫大な戦費などといった問題に対処するために、不換紙幣の発行を国立銀行に認めるに至った。
結果インフレなど金融システムの混乱が見られたため、ここにアメリカ型分権型金融システムには限界があることが明らかになり、日銀法と旧銀行法が導入されイギリス式の中央銀行制度が導入されることになった。これが 1882 年。
このような経緯があったため、金融資本の再編といった事態にまでは話が進まず、そのまま第一次世界大戦→関東大震災 に突入する。戦争景気による企業の無理な業容拡大と戦後の景気後退に震災によって銀行には不良債権が蓄積された。
上記のように各地に雑多に存在する金融資本は江戸時代のそれを引きずっていたため近代的銀行としては規模が小さく、これによって金融不安が高まり昭和金融恐慌に至った。これが 1927 年(1929 年や 1930 年ではない)。
その状態でさらに 1929 年 10 月 24 日はやってきた。 1930 年にはその影響が日本にも及ぶに至った。
かかる状況の中で昭和二年旧銀行法改正により 1927 年から中小銀行の整理が進められていたが、 1936 年馬場鍈一大蔵大臣により「一県一行主義」が掲げられた。馬場は大蔵大臣としては失格者で財界との対立の結果大蔵大臣から放逐され憤死することになるのだが、翌 1937 年に日中戦争が開戦、日米開戦もほぼ既定路線となるなかで一県一行主義は継続され日米開戦のころには中小銀行の整理は完了した。
こうした集権的かつ計画的な経済運営にあたったのはいわゆる革新官僚たちで、その親玉は吉田茂だった。彼らは社会主義的な経済思想と国家主義的な政治思想を併せ持っており、戦中戦後の日本の内政を主導した。
全然関係ない話だが、社会主義、国家主義、反自由主義という思想セットは革新官僚のリーダーの一人である岸信介の孫の安倍晋三にも受け継がれていることはよく指摘される。
戦後岸が政界に進出したこともあり、結果として一県一行主義体制および統制的な銀行体制はほぼそのまま戦後に引き継がれることになった。もちろん建前上は一県一行主義は廃止され、戦後の資金流通の円滑化のために戦後地銀がいくらか設立されたが大勢に大きな影響をあたえることはなかったのだった。
このような情勢のなかで、戦後日本の金融当局==大蔵省は銀行に対して
を求めて各種の行政指導や各種許認可を縦横にもちいて銀行群をコントロールした。これをいつしか護送船団方式と呼ぶようになっていた。
これは実際うまくいっていた。バブル崩壊までは。バブル崩壊の余波は大きく、護送船団方式では銀行を守り切れないことは明らかになっていた。 1995 年には木津信用組合と兵庫銀行が倒産するに至った。
また長らくの護送船団によって日本の金融システムの陳腐化は著しく国際社会において東京が金融都市としてまったく影響力が無い点も問題とされた。
これらの問題に対処するためとして金融ビッグバンと称し護送船団は解体されてしまった。銀行はここに自由なサービスや投資を行えるようになった。
ところで足元の経済情勢を見るに 1993 年から 1996 年にかけて経済成長率は 2-3% を維持しており、ここに橋本総理大臣はバブル崩壊による不景気は終了したという判断をするに至った。また 1995 年には武村正義大蔵大臣により「財政危機宣言」が出されており財政再建を開始すべきという機運が高まっていた。
そこで橋本内閣は 1997 年、消費税増税などを含んだ超緊縮予算を成立させる。これが大失敗であった。緊縮財政により景気は悪化、金融システム不安は再発し北海道拓殖銀行、山一證券が破綻、翌 98 年には橋本内閣は総辞職、現在まで続く長い長い不景気が始まった。
しかしここに至って護送船団方式の再開は難しく、銀行はノーガードで野に放り出されてしまった。かかる状況のなかでは銀行の経営効率を上昇させるような積極投資は難しいことは明らかで、銀行は合併による規模の拡大によって身を守るという手段をとらざるを得なかった。
結果生まれたのが三大メガバンクである。このような事情によって、消極的な理由で成立した合併であるから当事者たちは乗り気であるはずもなく、旧来の自己の立場の防衛のために果てしない内紛が始まることは、それはもう仕方のないことだったと言えるのではないか。
そのような事情の中で銀行システムの開発にあたる SIer や技術者は内紛の道具の一つとなり疲弊を重ねている。
僕が言いたいことは何か。誰か頭が悪い人が一人いたからこのような状況になっているという訳ではないということ。むしろ一人ひとりができることを着実にやった結果がこうなのだということ。つまり、逆に言えばこの状況を解決する手段など無いということ。みずほの現場で苦しむエンジニアにできることは、逃げることだけだということだ。
http://www.yutorism.jp/entry/costing は、増田の指摘やブックマークのコメント等をうけた結果(だと思われる)、修正が施されている。修正が施された結果、それ以前と比べて少し改善されたようである。ここでは、それを読んだ感想などを雑多に記しておく。
なおこれ以降において「修正版」は「修正が施された2016/05/19 時点のもの」と表記する。より正確に言うと、以下のウェブ魚拓のものを指す。
修正される前の文章などを参照したい方は、以下のウェブ魚拓のリンクを参照してほしい。一番下は↑に挙げたものと同一である。
修正版において、増田上で私や他の方が指摘した「『費用』と『原価』の意義」は削除されている。それらの指摘については以下を参照してほしい。(一番めが私が書いた増田である)
ブログではないが、twitter上で以下のようなリアクションを確認した。
この「オカキヨ」は、おそらく、岡本清教授の「原価計算 六訂版」を意味していると思う。私としては、次の記事ではなくて、この記事についても(なるべく)正確に書いてほしいと思う。少なくとも「原価厨」(これはおそらく原価計算のプロを意味する氏の造語)を名乗るのであれば、原価計算の基礎や基本について、しっかりしたまとめを見せてほしいものだ。
修正版にもいくつか間違いがある。前回は指摘しなかったが、ここで1点だけ指摘しておきたい。
では次は、原価計算をどのように行っていくのか、もう少し細かくまとめてみましょう。原価計算の手順について、下記の表のとおりまとめてみました。
という説明のあとに、費目別計算、部門別計算、製品別計算に分けられた表があらわれる。この表は間違いがある。何が間違っているのか説明したい。
と分けられているが、こんな分け方はしない。もしこういう分け方をするとなると、費目別や部門別の計算において標準原価計算が行われることが無い(!)ということになる。(ちなみに標準原価計算は簿記2級で習う範囲である)
標準原価計算 / 実際原価計算 の区別は、原価計算のシステム全体にまたがる概念なので、製品別計算の枠の中で説明できるものではない。同様に、全部原価計算 / 直接原価計算 も製品別計算の枠の中で説明しないものであろう。(もう忘れてしまっているので、間違っているかもしれないが、これらも簿記2級で習う範囲であったと思う)
大蔵省が策定した原価計算基準においては、生産形態の種類によって以下のように区分している。(以下の引用元は 『原価の製品別計算、原価単位、計算の形態【原価計算基準19、20】|会計知識、簿記3級・2級・1級を短期間でマスター【朝4時起き活動のススメ】』 http://ameblo.jp/studyja/entry-11483327103.html である)
http://anond.hatelabo.jp/20160518011455 にて、らくかちゃ氏は、
連番品ってなんやねん
総合原価計算の小分類一々かくの面倒だなあと想い、どこかのサイトからコピーしたときに混入したものだが、検索してみると『連番品原価計算』という用語を使っている人は存在するらしい。改めて『基準』の当該箇所を眺めて見ると、『連産品原価計算』(ガソリンとかの計算するあれ)は書いていないし、何者なのか俺も分からん。(最初は、『バッチ原価かなんかのことを言うのかしら』と思っていたが)
と、反応している。で、これを受けて私は、はてなブックマーク http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160518011455 上で、
lispmemo 「原価計算基準」を「連産品」で検索するとヒットするよ。(余談だが簿記一級かつ会計士の管理会計の試験範囲で、真面目に学んだことのある人はたぶん誰でも知ってる) → http://abc.shudo-u.ac.jp/pdf/genkakizyun.pdf
と返した。この一連の流れから考えたのだが、らくかちゃ氏は、今までに一度も原価計算基準を最初から最後まで通して読んだことがないのではないだろうか? 「原価計算基準」に『連産品原価計算』が載っていないのは、読んだことがある者からみると当たり前で、なぜなら、「原価計算基準」上の単語は「連産品」だからである。もし読んだことがあるならば、「原価計算基準」に「『連産品原価計算』が載っている」とは考えないだろう。
現在日本に会計基準はいくつもある。だが、「原価計算基準」は「日本に一つしか存在しない原価計算に関する基準」である。これ以外に基準はない。(↑のリンクから辿れるものでは、A4サイズで16ページである。)
かなり古いもので改訂されるべきではあるし、原価計算基準が公布された以降で、原価管理手法がさまざまな者の尽力によって発展した結果、重要性は低下していることを斟酌しても、それでも、「日本に一つしか存在しない原価計算に関する基準」を読んだことがない人が説明する「原価計算の基礎と基本」とは何なのだろうか。ましてや、自分のような会計や原価計算のプロでも何でもない、市井の人々の一人に過ぎないものから、間違いを指摘される「プロ」って一体・・・?
このエントリを書いている私とは別の人が、 http://anond.hatelabo.jp/20160517150742 で間違いや思うところを挙げている。
本当はこのエントリを書く予定は無かったが(だって書いたとしても、簿記や管理会計を知っている人から見れば自明だし、知らない人から見ればどちらが良いのかなんて判断できないので、結局自分の時間がすり減る以外の効果がないのだ)、↑の増田に触発されたので自分も少し書いてみることにしたよ。
(なお、元のエントリである『原価計算の基礎と基本について全力でまとめてみる』 http://www.yutorism.jp/entry/costing 、および↑のエントリ、そしてこのエントリは(たぶん)すべて別個の人間が書いている。前の2つはもしかしたら同一人物かもしれないが、すくなくともこのエントリを書いた私は、前の2つのエントリとは何の接点も持たない人間であることを表明しておきたい)
では参ろうか。なお、これ以降の「元のエントリ」は、『原価計算の基礎と基本について全力でまとめてみる』 を意味する。
元のエントリは最初にちょろっと「原価計算とは何か」とか、「原価計算の目的」について書いてあって、それらは正しい。前に話題になった簿記の基本の話のときは、最初からずっこけたんだけど、今回はずっこけなかったので「これは成長したなあ」なんて思って読み始めたが、やっぱりというか、だんだんと原価計算の基本とは異なる「よくわからない何か」になってゆく感じだった。とりあえずその中から自分が気がついたところをいくつか指摘する。(全部は大変なのでやらない)
そもそも原価計算基準について、元のエントリを書いた人はどういう認識なのかな? この基準は当時大蔵省がまとめたものなんだけど、拘束性がない。原文を参照してみよう。
しかしながら、この基準は、個々の企業の原価計算手続を画一に規定するものではなく、個々の企業が有効な原価計算手続を規定し実施するための基本的なわくを明らかにしたものである。したがつて、企業が、その原価計算手続を規定するに当たつては、この基準が弾力性をもつものであることの理解のもとに、この基準にのつとり、業種、経営規模その他当該企業の個々の条件に応じて、実情に即するように適用されるべきものである。
というものなので、財務会計のいくつもある会計基準と比べるとかなりルーズである。「原価計算を実施する企業体で合理的にやってね」というくらいの基準。(合理的というのは、その企業体で原価計算の目的を達成できる程度の合理性という意味合いで、何か法令で○○製品は☓☓法で処理しなければならない、などと決まっているわけではない。したがって、同じ製品を製造している企業でも、企業によって異なる原価計算手法を採用していることはありうるし、実際にあると思う。さらにいえば、この大蔵省の原価計算基準に載っていない計算方法であったとしても、その製品の計算において合理的であれば採用してかまわない。)
そういった説明が無いので、おそらく何も知らない人から見ると、「原価計算は同じものに対して何個も処理法があってよくわからない」みたいな感じになるのでは?、と思う。
くわえて原価計算基準でも指摘しているように、企業毎に原価計算の目的や計算方法が異なるのが通常なので、「○○が一般的」などということは、一般的には言えない。元のエントリはところどころに「○○が一般的です」といった説明があるが、何をもって一般的と判断しているのか?、より詳しい説明が聞きたいところ。
で、次に進む。青い太字で「分類は『誰が、どの時間軸で見るのか?』によって変わる」とあるんだけど、「誰が」とは誰なんだろう。原価計算担当者以外、原価計算を行うものは企業内でいるとは思えない。だとすると、計算担当は一人(あるいは当事者といってもいい)しかいないだろう。複数の「目」を仮定しているからこそ「誰が」という話になるんだけど、ここでなぜそういう仮定を置いているのだろう?
まあ、たまには計算担当が引き継ぎなどで変更されることがあったり、別の会社の似たような事例を参考にすることはあるので(そんなふうな試験問題もある。例えば会計士試験などでは、「ある原価計算担当者は『〇〇』よりも『☓☓』が良いと主張している。どちらがより適切か論じなさい」みたいなやつ)、絶対に無いかと言われるとちょっと怪しいけれど、「誰が」が、問題になることは、ほぼ無いのではないかな。
ちなみに、このちょっと前の、
管理可能性に基づく分類・・・自らの意思で減らすことが出来るかどうかZ
というのの最後は「Z」ではなくて「?」だろうね。分類の説明もかなりアヤシイところがあるね。(4の操業度の説明は、「製造量」で良いのかな? 操業度と製造量は別個の概念だと思うが)
製造費用の分類の画像も知らない人が見ると混乱する要因がありそうに思った。
で、あまり気にしないでどんどん進む。このあたりから、いろいろとどうなの?というところが増えていく。
費用と原価がざっくりまとめられているんだけど、この説明はこれで大丈夫なのかなあ。この原価の説明はなんか、はじめて聞いたくらい。「費用を今期分に調整」って、それが原価なの? 期間に着目して原価を説明するのは無理なんじゃないかな。(製造した製品の視点がどうしても必要だろう)
このあと、いらすとやさんの画像を使って、カレー/カレーパン/シチューを作る例で話が進むのだけど、カレーとカレーパンの工程は、少なくともパンを作る工程くらいは入れるべきだろうね。(脱線するけれど、カレーの画像に緑色のものが載っているけれど、これはなんなのだろうか。グリーンピース?)
「事務員さんによるサポート(赤矢印)」という太字のところは「赤」ではなくて、「青」だよね。
で、進む。部門別原価計算の例で進むけれど、部門別原価計算って、一番シンプルな例で進むとしたら、部門別である必要はないのでは?費目と製品別で原価計算の基本は説明できると思うけれど。実際に簿記2級で最初に習う一番シンプルなものはそんなところだったはず。
このあたりで終了。やる気のある方は、この続きや自分の指摘以外の箇所をやってください。「計算の金額:実際原価計算 と 標準原価計算」の箇所もどうかな?と思うところがあったり、他にもいくつもありますが、疲れたので終了します。久しぶりに管理会計や原価計算の本を見たりして、ぐったりした。
これらが「原価計算の基礎と基本」なのかな? すごいトリビアルな箇所があったり、説明が適切ではないところがあったりするので、知らない人からみると相当混乱するのではないだろうかと思っているんだけど、どうだろうなあ。
前の簿記のエントリ http://www.yutorism.jp/entry/2015/11/11/100336 を見ると、コメント欄に初学者の方が質問されているようだけど、その質問に対する回答も無いようなので、知っている人から見れば「ちょっと変だなあ」くらいで済むけれど、知らない人から見ると理解の妨げになりそうな感じがしております。まあそれも仕方ないのかもしれないけどね。
※ 前の簿記のエントリについて、私が書いた増田が読みたいという(奇特な)方は、
- 『簿記の人気エントリ』 http://anond.hatelabo.jp/20151112103436
- 『簿記のエッセンス(簿記という言葉の意味を間違えないために。)』 http://anond.hatelabo.jp/20151113140308
を参照していただきたい。
http://lacucaracha.hatenablog.com/entry/2015/11/11/100336 の説明を見て、簿記や会計を初めて知る人が誤解されかねない箇所が多々あり、さすがにどうかと思ったので、自分で簿記のエッセンスをまとめました。
まず辞書をひいてみよう。国語辞典が手元にあればそれでひいてほしい。残念ながら手元にない人は、Web上の辞書をひいてみよう。
できれば複数の辞書をひいてみよう。複数の辞書の意味を見較べてみよう。
ぜひ本当に引いてみて欲しいのだが、今私が引いた結果を記しておく。
Wikipediaでは、 ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B0%BF%E8%A8%98 )
簿記(ぼき、英語: bookkeeping)とは、ある経済主体が経済取引によりもたらされる資産・負債・純資産の増減を管理し、併せて一定期間内の収益及び費用を記録することである。より平易な言い方をすると「お金やものの出入りを記録するための方法」が簿記である[1]。
大辞林 第三版の解説 では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 )
ぼき【簿記】
一定期間における経済活動を,一定の記録方法で帳簿に記録・計算・整理し,財産・資本・負債の増減を明らかにする計算制度。記入方法により単式簿記と複式簿記に分けられ,業種により商業簿記・工業簿記・銀行簿記・農業簿記などに分けられる。 〔「帳面に書きつけること」の意。英語 bookkeeping の訳語。福沢諭吉「福翁自伝」(1899年)にある〕
デジタル大辞泉では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 )
会社・官庁・組合など経済主体の活動を一定の方法で帳簿に記録・計算し、一定の時点で総括して損益の発生や財産の増減を明らかにする技法。記帳方法によって単式簿記と複式簿記に分けられる。
日本大百科全書(ニッポニカ)では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 )
世界大百科事典 第2版では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 )
企業や政府のような特定の経済組織体が管理する資本や財産の価値変動を一定の表現技法にのっとり記録・計算し,その結果を伝達する行為,またはその表現技法をいう。〈帳簿記録〉という用語に由来するとされ,日本では1873年(明治6)大蔵省公刊のアラン・シャンドAlexander Allan Shand(1844?‐1930,イギリス)《銀行簿記精法》で簿記という訳語が使われて以来,一般化した。この技法は現在あらゆる経済体制を問わず,さまざまな組織で用いられている。
とそれぞれ説明されている。
どの辞書や辞典を見ても、共通する言葉がある。例えば「経済主体」や「経済組織体」といった言葉。「帳簿」、「記録」、「計算」、「一定」も共通している。「技法」という言葉や、「増減」といった言葉も目につくだろう。
どの辞典でも使用されている同じ単語を、うまく抜き出して意味をまとめてみよう。こんな感じになるだろうか。
経済主体が行う経済活動(これを取引といったり、財産などの価値の変動ともいうようだ)を、一定の方法で記録したり、計算する。その結果を帳簿に書いておく。場合によってはそれを伝達する。これを簿記という。
さらに簡単にまとめてしまえば、「お金やものの出入りを記録するための方法」を簿記という。
1.ある個人や集団がいて、
3.増加したり、減少したりしたときに、
4.それを帳簿に書いておく。場合によっては誰かに伝える。
ということが簿記のエッセンスである。簿記が行っていることはこれだけだ。とても簡単なことに見えるだろう。
よくある間違いは、簿記=財務諸表をつくるもの、といった短絡的な勘違い。財務諸表がまず何かわからない人も多いと思うが、主に会社が、ある期間の業績などをアピールするために作成している書類で、決算書と呼ばれることもあったりする、くらいの意味合いを抑えておけば十分だ。
いままで見てきたように、簿記そのものは、財務諸表ではない。財務諸表を作る上で役に立つが、簿記自体は財産の変動を記録して帳簿に書いておく、といった意味合いしか無い。したがって、簿記の説明で「財務諸表の説明だけしかしない」のであれば、それは間違いだ。簿記から財務諸表を作ることができるよ、といった説明ならば、もちろん間違いではない。簿記と財務諸表は別の言葉であり、意味は等しくはならない。
例えて言うならば、プログラミングをする上で様々なプログラミング言語があるわけだが、では、ある言語を持って、「それだけ」をプログラミングと呼ぶか?というようなものだ。「Java言語でプログラミングをする」という文は間違っていないが、「プログラミングをすること=Javaである」というようなことを言われると、それは誤解である。C言語やPythonや他にもいろいろプログラミングをする上で利用されるプログラミング言語はあるのだから。「USBメモリー=USB」みたいな、誤解されかねない意味の略し方になりかねない。
財産という言葉を聞くと、簿記や会計を全く知らない人は、現金(硬貨とか紙幣)だったり、あるいは、金の延べ棒みたいなものとか、袋にドルマーク($)が描かれたものをイメージとして浮かべがちだ。実際に簿記でもそれらは対象になるのだが、「お金自身の動きだけをもって、簿記である」と勘違いしてほしくない。あくまでも、「財産」の変動を対象にしている。この財産とは「経済的な価値を持つもの」全部を指すのだ。だから現金以外もいろいろ入ってくる。
例として、火災や天災などが挙げられる。(他にも会計的なものはいくらでもあるが、知らない人がわかりやすいのはこれ以外には少なかろう)
火災や天災によって、ある会社の工場や営業で使っている自動車が焼失したり、破損することがある。このとき、会社からお金は減っていないが自動車が使えなくなってしまうために、財産として計上している「自動車の価値」を減少させる。複式簿記の仕訳で書けば、
○月☓日 (借方) 火災損失(天災損失などもあるだろう) □□□万円 / (貸方) 自動車(車両運搬具だったりもするが) □□□万円
といったようになる。よくわからないところが多いと思うが、「お金そのもの」がどちらの側にも無いということを確認してほしい。
「簿記=お金」のイメージが学び始めのころはついてまわると思うが、だんだん学習が進むにつれて、お金そのものを扱っているといった見方では説明できないものがたくさん出てくる。むしろそういうものばかりになる。
それゆえに簿記の言葉を説明するときには、「財産」とか、「経済的な価値変動」といったような、お金よりも抽象的な言葉で説明せざるを得なくなる。わざわざ難しそうな言葉を選んでいじわるをしているわけではなくて、正確な言葉を使わないとあとあと矛盾がたくさん出てくるゆえだ。定義がピンとこない人の方が多いと思うが、誤解しないでほしい。
記録する対象が商業であれば、商業簿記になる。ここでいう商業とは、ものを仕入れて、仕入れた商品をそのまま販売することをいう。スーパーマーケットの(惣菜みたいなそのお店で調理していないで、)袋詰されて並んでいるものは対象に含まれる。加工している場合にはその加工にかかった費用を計算する必要があるので、商業簿記では取り扱われない。
工業簿記は、商業簿記とは異なり、仕入れたものを加工して販売する。典型的なのは自動車産業のようなものだ。鉄やガラスなどを加工して、自動車を作り、それを売る。加工する途中で、工員が作業を行う必要があるし、加工のために工具や電気代、燃料代などがかかるだろう。そういった加工を伴う簿記が工業簿記の範囲である。(工業とついているので、工業だけと思われるかもしれないが、加工を伴うものであれば工業以外でもよい。例えば洋服をオーダーメイドで作製する個人商店なども、布地を加工して服に仕立てるので、工業簿記の範囲だ。生の牛や豚をさばいて、畜肉にする作業も加工を伴っているので工業簿記である。テクニカルタームだが、そういうときは副産物や連産品として処理したりする。金額的な重要性によって会計処理が変化することがあるが)
他にも農業簿記や銀行簿記といった言葉もある。それぞれ農業で使用される簿記、銀行業務で使用される簿記である。(私も詳しくは知らない)
ここまでは、業種に応じた簿記の違いであった。複式簿記と単式簿記の違いは、記録のとり方(これを記帳方法と呼ぶ)の違いである。
単式簿記は、記録を取るときに、科目を一つだけにしぼって記帳する方法である。家計簿や子供のおこづかい帳のようなものだ。(と書くと、ほとんど使われていないと思われるかもしれないが、少し前までは東京都は単式簿記で記帳していたし、他の自治体は、今でも単式簿記によるところもあると思われる)
○月☓日 おこづかい 500円
などと、お小遣い帳に記帳する。もしおこづかいから、おやつを買ったときには、
○月△日 おやつを買った -300円 (あるいは支出欄があれば、そこに300円と書く)
などと書いていけば良い。この「○月☓日 おこづかい 500円」といった部分を仕訳と呼ぶ。
複式簿記は、記録を取るときに、科目を左側と右側の両方を立てて記帳する方法である。
○月☓日 (借方) おこづかい 500円 / (貸方) おこづかい受贈益 500円
などと、帳簿に記入することになる。この、「○月☓日 (借方) おこづかい 500円 / (貸方) おこづかい受贈益 500円」の部分を、単式簿記の時と同じく、仕訳と呼ぶ。(受贈益という言葉が気になるかもしれないが、今回は説明しない。正確に書くための前提知識がそれなりに必要なので。今回は例に挙げただけなので、もらって得した、というくらいの浅い理解で十分だ)
この、仕訳を書く帳簿を仕訳帳と呼ぶ。(たまに普通仕訳帳と読んだりもするが、その場合特殊仕訳帳があるケースがほとんどだ)
単式簿記は科目が1つで、複式簿記では科目が2つになることがわかるだろう。これは正確に言うと、複式簿記は科目を書く欄が「左側と右側と2つある」という理解をしてほしい。したがって、もし、お母さんだけでなく、その日にお父さんからもおこづかいをもらったとしたら、複式簿記で仕訳を作ると以下のようになる。
○月☓日 (借方) おこづかい 1200円 / (貸方) お母さんからのおこづかい受贈益 500円 / お父さんからのおこづかい受贈益 700円
右側が2行になったことがわかる。左側は1行のままだ。そして、右側の金額を合計すると、左側の金額の合計と一致していることもわかるだろう。これも複式簿記の仕訳である。このように、右側が2行になったりすることもあるし、反対の左側が2行になったりすることもある。もっと行数が増えることもある。仮におじいさんやおばあさんからももらったとしたら、3行、4行と増えることになるだろう。(狭義の簿記の範囲外だが、連結財務諸表の合算の仕訳などが典型例だ)
このように、複式簿記は「左側と右側」にそれぞれ科目を立てるゆえに「複式」簿記と呼ばれる。
(余談だが、行列簿記など、他の記帳方法も存在する。自分も詳細は知らないが)
複式簿記の場合、仕訳帳に仕訳を書いたあと、勘定科目ごとに総勘定元帳と呼ぶ別の帳簿に転載する。この転載する作業を「転記」と呼ぶ。(この後もいろいろ話はあるが、まあこれくらいのことがわかれば複式簿記のイメージが持ってもらえるはずだ。)
いろいろ例を挙げて説明してきたが、今までの内容をまとめる。
1.簿記とは「経済価値の増加や減少を記録して、帳簿につけること」を意味する言葉である。
2.簿記の頭に○○簿記と言ったように、修飾語がつくときには、その修飾語は業種や記帳法(帳簿の記入形式)を詳しく説明している。前者は商業簿記や工業簿記など。後者は単式簿記や複式簿記といった言葉がよく使われる。
3.複式簿記という簿記は、仕訳が左側と右側の2つに分かれている。左側の合計と右側の合計は同じ金額になる。単式簿記は1つである。
といったことを説明してきた。おそらくこれだけ知っていれば、簿記という言葉がおおよそ何を意味するかわかるはずだ。(会計という言葉はまた別の意味になる。単語が違うということは、当然その意味は違うのだから)
もしこれを読んだ人に子供さんがいたりして、その子供に「簿記って何?」と聞かれたとしても、今までの内容を漏れ無く、内容を興味を持てるようにある程度やさしいものに組み立てなおして説明してもらえれば十分わかるはずだ。
簿記という言葉の意味については、会計方面に接点がない人は、今までの内容を理解してもらえれば、十分である。もちろんこれから会計を学ぼうとしている人も、今までの説明で、これから学ぶ内容と矛盾が起こらないように配慮して説明してきたので、そこそこ役に立つはずだ。