はてなキーワード: ててとは
「いつまでもこんなことしてらんないの、わかってる?」
喫茶店の奥まった席で彼女から詰問されて、ぼくはようやくぬるくなったコーヒーに口をつけた。この話題は何度目だろう。ありがちなループに心が安らぐ。しかし彼女はそうではない。ぼくにとってループをいやがるのはいつも女性だった。もしもぼくがヒキコモリだったとしたら、きっと母親が同じような顔をして、その科白を言うのは間違いない。いや、これは個人的な体験に基づいたぼくの思い込みだった。ただ単にぼくが高校生のころ、ひきこもっていたというだけ。
「いいかげん現実をみてよ。おかしいと思わないの? いつまでも学生気分で。同じことを繰り返して」
そのあたりの感覚が、ぼくにはよくわからない。ぼくはループに慣れっこだった。考えてもごらんよ。日々の営みなんてループのようなものだよ。食って、働いて、寝て、ときどき遊んで、挫折して。少なくとも表面上は、そういうことになってる。自分の尻尾を追いかけてくるくるとその場を回る犬みたいにしていたら、いつの間にか別のループに移行してる。それをぼくらは前進と呼ぶんだ。だから慣れなきゃいけない。楽しめるようになったら最高だ。すべてはループ「みたい」なものだよ。
「あなたはきっと、それで満足なのよね。独りで楽しんで。でもわたしは違うの。もう耐えられない」
そう、ぼくは楽しい。ループが楽しくて仕方がない。でも、他のひとは違う。彼らには善いループと悪いループがある。幸福がいつまでも続きますようにと星に願う。そしてわたしを不幸の螺旋に留め置かないでと嗚咽する。でも、ぼくは違う。ロールプレイングゲームのダンジョンにある無限ループの通路を歩いているような気分でいる。正解や幸福なんてとくに重要じゃないんだ。旅が終わらなければ――キミと辛い道程をループできればそれでいいんだ。そうすれば必ずキミも楽しくなるよ。辛いとかかなしいではなくてループそのものが快感になるよ。
「ねえ? ちゃんと考えてよ、将来のこと。ねえ? わたしのこと……てる?」
彼女のか細い声に少し胸が痛んだ。ごめんよ。大丈夫。ぼくだって常識的な生活というのがわからないわけじゃないんだ。そう、楽しかろうといつまでもループしてはいられない。いくらループと言えど永遠じゃないんだ。ぼくらは生身の人間で、あのダンジョンの無限ループを歩きつづけるには脆弱過ぎた。いや、画面の中の彼らにだってできないだろう。やがてアイテムとマジックポイントが尽き回復できなくなり雑魚キャラにやられてループは停止する。ああ、ごめんよ。キミをループを断ち切る雑魚キャラに見立てているわけじゃないんだ。だからループ「みたい」なものなんだ。いずれ別のループに移るのさ。
「はぐらかさないでよ。わたしたちもう終わり? 終わりなのかもね。ううん。わたしは終わらせたい。このダラダラした関係を。一刻も早く」
早口で捲したて、彼女は席から立った。目尻に涙を浮かべてぼくを一瞥したかと思うと、すぐに背を向けて歩きだす。いつものループが音を立てて崩れだす。ちょっと待ってよ。ぼくが叫ぶと、彼女は歩みを速める。ぼくは慌てて彼女を追った。へそくりの二千円札をウェイトレスの手にねじ込むようにして握らせ、ぼくは駆けだした。コーヒー二杯に奮発したことを後悔する間もなく、彼女の背中にぼくは迫る。カランコロンと扉についた鐘が鳴る。彼女の身体のほとんどすべてが外に出ていて、辛うじて店内に残っていた彼女の左手をぼくは右手で握った。
「ひゃ」
と、彼女は素っ頓狂な声をあげたけれど、こちらを振り向くこともしなければ手を振り解きもしなかった。
「え?」
彼女が驚くのと同時に、出し抜けにぼくの背後に誰かが立った。ぼくは振りかえることなく咄嗟に、空いている左手を後ろにむかって素早く伸べた。左手がきゅ、と柔らかい感触に包まれる。よく馴染んだ感触だった。
ひと呼吸おいて、ぼくは顔だけで振り向いた。そこには唖然とした表情の彼女がぼくの左手を握って立っていた。よく見ると彼女の左手はぷっつりとなくなっていて、それはたぶん、ぼくの右手が握っているのだった。しっかりと。彼女が少し左手を動かすと、ぼくの右手が向こうに見える。
おそらく間の抜けた顔をしているであろうぼくは、間の抜けたことを思うのだった。
これがぼくのあたらしいループ。移動したんだ。たぶんこれもループ「みたい」なもので、いつか終わってしまうのかもしれない。けど、どうでもいいんだ、そんなこと。これがぼくの大切なループ。だから大好きだ。ぼくはループが大好きだから。
ぼくは彼女に微笑みかけた。彼女は意味不明と感情を顔に浮かべながら、ひきつった笑みをこちらへ投げた。
「あのー寒いんで閉めてもらえますかー」
ウェイトレスに注意された。でも、ぼくには何も聞こえなかった。頬が熱くなるのがわかった。
ループした。彼女さえいればループできるんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070226121445
出せない・・。
いや、出す方法が解らないのだろう。それくらい自分の頭で考えろよと言われても出す方法が思いつかない。発想方法に欠けるというのか、前頭葉が崩壊しているのかと思えるぐらいに応用が利かない。
結果を出すための方法ってどうやれば良いのだろう?
成功した人の方法と同じようにしてもできるわけでもなく、勿論、その人と自分のキャラクターが全然違う以上同じように成功するとも思えない。
その時点でダメなのかも知れないが。
結果を出すことの成功の秘訣は
「まず、やる事」「捨てる事」
なんだろうか。
周囲のしがらみを捨ててやる事。その先の目標を目指してしがらみを捨て去りやる事。
しかし・・やる事のモチベーションをアップするには、将来の夢をそこで見るしかないのだろうか。
学校では教えてくれないエロ単語がぼちぼち好評だったので第2弾。予め断っておきますが、あくまで俺が見てきたエロしか語っていないので、ネイティブが見れば偏ってたり抜けてたりするかもしれません。ご了承を。
ひと昔前はいわゆるTGP(たぶんThumbnail Gallery Page)、トップページからテキストを極力排除してサムネイルばかりをずらっと並べ、そのリンク先にギャラリーページを設定するってスタイルが流行っていました。かわいい女の子やぶっかけられてる女の子の縮小画像をクリックすると、その続きなんかが見れるって感じですね。
なんで廃れたのか定かではありませんが、たぶん騙しリンクの多さにユーザーが辟易したんじゃないかと思います。騙しリンクによってTGPサイトをたらい回しされるなんてしょっちゅうです。あるいは単位アクセスあたりのサーバ負荷やトラフィックが旧来より高いという、提供側の都合もあったかもしれません。
まあ何にしろ、今ではTGPを見る機会がめっきり減りました。
前回の#1を書く際にかなり参考にした、Search Gallariesやpussy.orgのような、属性テキストリンクでエロギャラリーをまとめるスタイル。後述するflickrコピーと、思想的な部分はかなり似ているように思います。
どうやってるのかわかりませんが、かなりマイナーな属性でもそれなりに見つかります。属性リンク先では、クリックすればわかりますが、そのエロギャラリーがどういうものかを説明するテキストと共にリンクが張られています。自前で画像を持つのではなく、画像を持っているところにリンクするだけのリンク集といったサイトでしょうか。
EROSHARE - share your eroticsや、その2次元版danbooruがあります。これらは日本でいえばi-bbs.sijex.netや画像ちゃんねるのように、ユーザーが画像を投稿するスタイルを取っています(日本には以前からimgboard.cgiを使って画像投稿掲示板を開設する文化もありましたが、これらは画像掲示板を専門にホストするサービスなので若干違います)。
日本の画像掲示板と違うのは、投稿された画像の属性をタグによって整理し、また特定タグの画像を一気に見れるところでしょうか。たとえばdanbooruのyuriタグページでは、百合画像を大量に一覧できます(*danbooruでは他の海外エロサイトと違い、日本のエロ単語をそのままローマ字にしたものが多いです。これらはエロというよりfunsub文化の影響が大きいみたい)。日本が私書箱ベースの、特定のスレッドを立ててから該当する画像を投稿するスタイルであるのに対し、flickrクローンはまず画像だけをポストして後からタギングによって整理するのが対照的です。
いちおう海外にも、日本の私書箱みたいなimagefapがあります。
どうも特定のエロ会社が提供するサービスではなく、横断的にエロ画像/動画をまとめているサイトが伸びている感じがします。NapsterやWinMXで、エロ画像の探し方も変わったのかもしれません。
寸評:
今回はどうも内容が薄いなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20070225092633
欲望とは他者なしでは成立しないし、発生すら危ういというのを聞いたことがある。
人に評価されることを追い求めてる人もいるけど、ひとりよがりで済むというのはありえないのではなかろうか。
例えば何かすんごい発見なり発明をして「すげーおれって天才!」と思っても誰にも認められなかったとしよう。
で「おれが満足してるからこれでよし」と思ったとしよう。
で、後日雑誌かなんかで自分のアイデアが発表されてて「あ、実は発見済みだったんだ」とか「おれのアイデア盗みやがって」とか「あ、おれと同じこと考えてる人がいる」
とか思ったとしたら、そこには他者が介在してるわけで、「おれ」一人だけの世界ではないと思う。
「おれは人の評価が気にならない人間だ」ではなく「おれは人の評価が気にならない人間になりたい」という欲望のようなものを感じた。
そもそもここにコメントを残す人たちは多かれ少なかれ他人の評価に反応する人たちだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070225034810
東大/京大クラスに行く奴ってのは傍目には「努力」してるように見えない奴らばっか。
見えないとこで努力してるのかも知れないが、いつもゲームとか漫画とかそんな話で盛り上がってて、
お前そんだけ遊んでて一体いつ勉強してるんだよ?と。
そいつらに言わすと「よく遊び、よく学べって言うだろ?遊べない奴には勉強もできないんだよ」らしいが。
つまり世の中には中卒だろうが「賢い」人はいる。逆に、高学歴でも「賢さがない」やつはたくさんいる。でも一番いいのは、「賢さ」もあって「努力」もできる人なんだよね、やっぱり。
これは同意。
http://anond.hatelabo.jp/20070225023217
相手の良いところをほめるのが一番だと思うわ。学歴コンプレックスも分かるけど、あんたには俺にないこんな良いところがある、俺はそれを認めている、だから卑屈になる必要はない、だから俺のことも認めてくれ、と。その前提として、相手の良いところを見つける能力が必要。そういう能力は、比較的頭良いやつとか優秀なやつが幸せな人生送るために、必須のスキルでもあると思う。自分以外はみんなバカ/使えない/尊敬すべき点がない、と思ってしまう奴は、学歴とか関係なしに、嫌われて当然だろう。
まぁ、そういうことちゃんとやってても、それでも妬んでくるやつはいる。あと、どう頑張ってもほめるべき点が見つけられない場合もある。それは自分の能力の問題もあるけど、相手が本当にどうしようもないという場合もある。自分のそういう能力を磨く必要性を認識しつつ、磨きつつ、それでも「相手しきれない」と思った場合は、素直に軽蔑を表に出しても、許される場合もある。もっとも、思い込みって怖いから、うかつに人を軽蔑すると、後で恥かくのは自分かもしれんけど。
http://i.hatena.ne.jp/idealist?did=22
これをみてて思った。
シリコンバレーになるのはどこじゃらほい?
やはりつくばかな?
つくばエクスプレスができたときにいってみたが、都市として田舎だよね。学の力はすごそうだけど。
そういえば天才プログラマーが在学中に会社つくったなんてニュースがあったな。ポテンシャルは高そう。
渋谷は商業地区+立地に比べ安い物件もあるのでソフトというかウエブ屋があつまっているだけの話しだと思う。
ビットバレーは無理があるだろ。
京都は学の力も自治体の力も備わっていていいと思う。土壌もかなりありそうだよね。
京都リサーチパークは(はてなもそうだけど)新興の企業をチェックしてたりするとお目にかかったりする。
自治コンサルがいると新興企業は育つし、jkondoの言うように京都は可能性があるかもしれん。
自治体で思い出したが2005年のIT先進都市世界一は東京三鷹市だったのだけど…。
スタジオジブリ以外ないな。あれこれアニメスタジオはあるけど…アニメもソフトか?
自治体の保護は手厚いしICTやSOHOなど横の連携もあって面白けどね、ベースになる学がない。
大学は、キリ大か。いい学校だけどイノベーションとは無縁だね。東大の寮もあるが寮じゃw
NTTの研究所やらはあるが三鷹では二度おりたくないという人が続出する魔境らしい。
横浜方面。
横浜の方だったら関内とかの方がでかい会社あつまってるよね。ゲーム系も関内とかになかったっけ?
もちょっと北にいくと川崎も可能性あるよね。思いつく大きな会社がいくつかある。
このクラスの会社になると、品川とか大井とかの方がでかい会社は集まってるな。
そこらにある会社で思い出したが、工場系が集まってる府中とか。
府中は競馬、競艇で財政が豊富だから自治サービス充実してるから可能性あるな。
でもスジとかががががが。
余談だが、2006年のインテリジェントコミュニティは台湾なのね。
http://www.intelligentcommunity.org/displaycommon.cfm?an=1&subarticlenbr=135
http://anond.hatelabo.jp/20070224143002
幼少期、父が「人は生まれて一番初めに知覚する限界は、肘の関節が一定方向にしか曲がらないと気付かされる時である。」などとわけのわからないことを言っていたのを記憶している
譬えの上手い父上ですね…僕も使わせていただきます。
http://anond.hatelabo.jp/20070224120211
世の中の人間は自分以外の人間に全くと言っていいほど関心がない。
追い詰められて自ら命を絶つくらいなら、何もかも捨てて逃げればいい。
同感です。
すると「まあ、学歴だけが問題じゃないんだから頑張って」と慰められたと。
ちょw大抵の工学系の子のアコガレの大学に入ってて慰められちゃうんですかwww
#俺はおもっきし落ちたので後期で滑り止めに入った。
世の中の人間は自分以外の人間に全くと言っていいほど関心がない。
追い詰められて自ら命を絶つくらいなら、何もかも捨てて逃げればいい。
あなたがいなくなっても何も問題はない。
ほとぼりが冷めたら何食わぬ顔で戻るか、何か新しいことを始めればいい。
あなたのことには誰も何も関心がないので、恥ずかしがることは何もない。
というようなことを常に意識していると生きていくのがかなり楽。
ますダイアラーは無駄なTBをりょうさんする機械
はてな匿名ダイアリーは、トラックバックの練習にいいかもしれない。ブログやっててもトラックバックバンバンって人は少ないと思う。なんとなくこう、はてな匿名ダイアリー誰彼構わずトラックバックでレスってるうちに、コツみたいなのがつかめる……ような気がする。
あんたがどこに住んでてどういった回線環境でどういったプロバイダが来ててどういう予算だ
ってことくらいまで把握してからじゃないと
目に見えて変わるよ
とまではいえない
RE;http://anond.hatelabo.jp/20070224013733
文章書けたり、プログラム書けたり、投資選定できればそれほどカツカツも働かなくてもくっていけるよ('(゜∀゜∩ いけるよ!
でも、世間の目はつめたくて遊んでるようにしか見られないので後ろ指さされたりするから覚悟が必要だよ。
パソコン弄くって金になる仕事してても遊んでるようにしか見えないらしいんだ。
あとプログラムとかいっても世間の人はホームページ作成しかしらないんだ。
仲間との議論で時間をつぶしたりできなくなるのはどうしていいかわからない。
自分はできるだけ人と話せるようになんか金にならないことやってるけど、仲間がいないのがこんなに寂しいものだとは知らなかったよ。
ココまで書いて、ひろゆきが貼り付けてたMBAホルダーと漁師の話しを思い出したよ。
http://www.asks.jp/users/hiro/9161.html
いえるのは人生に勝ちも負けもないよね。そもそも進んでる方向がちがうんだ。
自分の人生なんだから自分で選択するんだ。
その選択に後悔するかしないかだけだよ。('(゜∀゜∩ だけだよ!
ある日私は気が違った。世界の方が変わったとのだと思いたいが、常識的に考えると、やはり私の気が違ったのだろう。しかし、本当にそうなのだろうか。私の気が違ったのではなく、皆の気がすでに違っていたのではないだろうか。私は今でもそのように思っている。
私の家にかわいい女の子がやってきた。名前はみい。照れ屋で少しはにかんだ笑顔がとてもかわいらしかった。彼女は人見知りをしたが、私には特別懐いてくれたので、私と彼女はよく遊んだ。場所はもっぱら近所の草原だった。なぜかうちにはハンバーガーがたくさんあった。父が何やらツテがあるらしく、私も大好きだったので、それをお昼ご飯に持って行き、ピクニック気分で毎日のようにでかけた。そこで私と彼女は二人で寝転がりながら、いろいろなことを話した。最近あったこと、そしてこれから先の将来のことを。私はかわいいお嫁さんになりたいな、と照れながら言った彼女の横顔が今でも忘れらない。
しかし、そんな幸せな日々は終わりを告げた。朝起きて、彼女に会いにいくと、そこに彼女はいなかった。家の中も、近所中も、そして彼女が大好きだったあの場所も探したけれど、彼女はどこにもいなかった。私は両親に彼女の居場所を聞くと、彼女は売られたと言う。今朝早くに、車に乗せられ。私は泣いた。そして怒った。どうして彼女を売ったんだ!?と。両親は仕方がないだろ、と私をなだめた。しかし、私はますます怒り、そして焦った。彼女の身にもしものことがあったら!?両親につかみかかり、彼女がいる場所に連れて行け!早く!一刻も早く!両親は諦めたのか、悲しそうな顔をして承諾した。お前も家を継ぐんなら早く知っておいた方がいいからな、と。
車で1時間30分程の道のりだっただろうか。しかし、彼女のことが心配で気が気でなかった私には何時間にも感じられた。その場所につくと、私はまたもや叫んでいた。彼女はどこだと。両親が大きな白い建物を指さすと、私は脇目も振らずに駆けだした。彼女は!彼女は無事なのか!?それだけしか頭になかった。両親が電話で話をつけていたらしくその建物から出てきた白衣の人は私を見つけると案内してくれた。彼女のことを想うと殴り殺してしまいそうだったが、彼女がいる場所がわからないので、それまでは素直に従うしかない。途中、白衣を着せられ、3分程歩いただろうか。工場の内部の広い空間につくと、ほら、あそこらへんですよ。白衣の人が言ったので、私は指さされた方を見ると、彼女がいた。いや、彼女とおぼしきものがいた。無数に。数え切れないくらいに。首を切られて、解体されて、内蔵を取り除かれ、肉塊となったものが逆さにされて、数え切れないくらい吊されていた。あまりの状況に、呆然とした私は立ちつくした。肉塊と成り果てた数え切れないくらいの死体を眺めながら。
しばらくして私は彼女を捜した。肉塊を丹念に見ていきながら。しかし、やはりそれは肉塊なので、彼女かどうかはわからなかった。呆としながら歩いていると、切られた首が山積みになっている場所を見つけた。見つけた私はそこに駆け寄り、無念そうな顔、恨みがこもった顔、痛そうな顔、いろいろな顔をした血まみれの首を必死に掻き分けた。彼女の首がありませんように、彼女が肉塊に成り果ててませんようにと祈りながら。途中、両親や白衣の人が止めに入ったけど殴り倒した。そんな場合じゃなかったから。一刻も早く。一刻も早く彼女が無事であることを確かめなければならなかったから。そして、何十の首を掻き分けた頃。それは見つかった。悲しそうな、かわいいお嫁さんになりたかった彼女の、悲しそうな顔が。
その後、私は取り押さえられ病院に連れて行かれた。そして気が違っていると診断された私は入院することになった。入院中は悲しみで何もする気が起こらなかった。両親が会いに来てくれてもほとんど話さなかった。彼女のことを思うと、そして彼女と同じように処分されていた彼女たちのことを思うと、とても話せる気分じゃなかったから。しかし、少しして私は気づく。どうして彼女は、彼女たちは、首を切られ、腑を取り除かれ、並べられていたのだろうか。あんなことをされていたのだろうか。翌日、両親が来たときに私は2週間ぶりに言葉を発した。両親は驚き、そしてとても喜んだが、私の問いを聞くと、また沈んだ顔をして、静かに答えた。そして私はようやくわかった。彼女たちが何だったのか。
その後、以前のように振る舞った私は2週間で退院することになった。そして帰りに確かめにいった。彼女たちが行き着く先に。
明るい店内。賑やかな雰囲気。にこやかな接客に、綺麗な包装。その包装を丁寧に開けると、私は止まった。包装の中から彼女が。彼女たちが。大好きだったそれが、やっぱり現れたから、現れてしまったから。病院で何度もシミュレーションしたはずなのに私は止まった。止まった体が動かなかった。そして彼女との思い出が甦る。大好きだった、彼女との思い出が。何分経っただろうか。彼女との思い出を全て思い出した私は、静かに息を吸い、心を決めた。心を決めた私はかぶりつく。彼女に、彼女たちだったものに。大好きだったそれに。泣きながらかぶりつく。泣きながら、吐き気を抑えながら、拒絶する体を押さえ込みながら、ぐしゃぐしゃの顔でかぶりつく。そして数分後。私は食べ終えた。彼女を。彼女たちを。大好きだったハンバーガーを。
やはり私は気が違っているようだ。あの出来事以来、彼女のことを思い出し、全てがそのように見えてしまう。だから、スーパーなんて地獄だ。首を切られたり、バラバラにされたり、あるいは生きたまま(といっても瀕死に近い状態だが)の彼女たちが店中に陳列されているように見えるのだから。しかし、だからといって、ベジタリアンなどを薦めるつもりはない。幸か不幸か、私にも野菜はそのようには見えないが、それは他の人には見えないような光景が私には見えているように、他の人には野菜が私と同じように見えているのかもしれない。なぜなら、それらは皆、全て生き物だからだ。
だから、私が、気が違ってる私が言いたいのはそうではない。確かに私は気が違っているが、その一点、魚や肉が人間に見えるという一点において、気が違ってるだけだと思っている。だから、それ以外の点では、特にある一点ではむしろ私の方が正しくて、皆の方が気が違っていると私は思っている。それは、私がこの話をすると、バカじゃん?あれは肉や魚じゃん?と言って生き物であると認識しない人間だ。昔の私のように、それは肉や魚、ハンバーガーという名の食べ物であって、何で出来ているのか、何の命だったものなのか、それを生き物だったと、考えない人間だ。自分は生き物の命を奪うことで生きながらえてるにもかかわらず、食べるために生き物を殺す行為を忌避し(例えば生きてる魚を捌くのを嫌ったり)、そして素知らぬ顔で食べ物を貪る人間だ。
いや、まじで。
切れそうになってから慌てて食べることにならない?
スーパーだと一日でも新しいものを選ぶのにさ。
だからね、一番賢い方法としては2日以内に食べるのだけ買えばいいとおもうよ。
そうじゃないやつは冷凍庫!
すべては冷凍庫で万事オッケー
つか、それは「言いたくなかったのに言わせちゃった」という反省でシュンとしただけじゃないの?
そもそもあまり勉強したくはないが大学いっとこーという人たちの集う学校やもの。だから普通に東大とかいったヤツすごいなーという感想だと思うんだ。
マーチより上のクラスは地頭がいい上に受験勉強しなきゃはいれないでしょ。
マーチだって三教科だけだけど一応の受験勉強ぐらいはやるからさ余計受かった人の努力というか偉さはわかると思うんだ。あと、推薦・・・。あー、推薦の連中は・・・それだったらちょっとわかるかも・・・。
一般校から推薦じゃマーチより上は入れないものな。。確かにコンプレックスもっててもおかしくないか?
でも考えられるのでそれくらいだよな。受験で上位落ちて流れてくるやつも多いけど、コンプレックス持つほど我慢できないやつは仮面して受けなおしてるし。
ま、それはさておき、社会に出ればマーチなんてそれこそ毎年数万づつ量産されてるわけだし、東大卒だってそれほど珍しいもんでもない。てか、そういうのでコンプレックスもっちゃってる人って社会に出たらこんどは所属会社とか年収とかのコンプレックスに変貌するから、そういうやっかみに悩まされるのは大学生中だけだとおもうんだが、どうなんだいOB、OGの方?
大学生の高学歴は医者や弁護士が職業言うのに躊躇われるようなもんだべそ。
世間の色眼鏡は有名税みたいなもんだ。
実際に現代の会社には明確な身分制度(カースト制度)が残っており、このドラマではこの身分制度に胡坐をかいている正社員たちを強烈に風刺している。ドラマの中での身分制度は、正社員と派遣であるが、実際には総合職と一般職だとか親会社と子会社だとか、元請と下請けだとか同じような身分制度はいたるところにある。会社によっては本社様と現場の工場とか同じ正社員でもキャリアとノンキャリアなんてのもある。
今週(2/21)のドラマの中では、この身分を飛び越える行為に対してなかなか面白い発言があった。
「派遣は企画なんて立ててはいけない。企画を立てるという仕事は派遣の仕事ではない。」
面白い!この論理でいくと、現場は企画や提案をしていけなくなるし、親会社(持ち株会社)の社員は子会社の社員よりも必ず優秀という論理になる。
そもそも通常の実力主義の環境では、役割は能力に応じて割り当てられるが、こういった先に身分制度ありきの環境においては、役割は身分に応じて割り振りをされるわけで能力に応じて役割が割り振られるわけではない。したがってこうした身分制度の元では、役割の上下差(役割に上下があるかどうかはいったん置くがドラマではそうあるように描かれていた)と能力の上下差は比例しないし、ましてや個人の存在価値とはぜんぜん相関しない。
このようにちょっと考えればおかしいことをいっているいうのはすぐにわかりそうなものだが、身分制度にどっぷりとつかって、それが当然と思っている人たちには「身分=役割=人間の価値」という勘違いからなかなか抜け出せないようだ。
その実、実力主義であるからには「上司は部下よりもすべてにおいて優れていなければならない」と言わねばならないのにそうは言わない甘さが彼らにはある、これもまたいとおかし。
なぜだろうか。なぜ君はそんな態度を取るんだい?
君は貧乏だ。そして今君の隣で君と話している男はとてつも無い大金持ちだ。
会話の流れ次第では、君が一生かけても稼げないような金を、ぽんとくれるかもしれない相手だぞ?
それなのになぜ君は、相手が君と一緒にいることが苦痛になるような話ばかりするのだ。
はっきり言って君のような貧乏人が、彼のような人物と話を出来る機会などめったにない。
これは千載一遇のチャンスだ。しかも彼は今とても機嫌が良く、さらに丁度今は暇をもてあましていて、話し相手を欲しがっている。
今が正念場だぞ?今10分間いい会話をすれば、それだけで君が今後100年間今の仕事を続けるよりも多くの金が得られるかもしれないんだぞ?
君の魅力を彼に伝えて、その後で君の現在の窮状を話したならば、彼はきっと気前良く大金をくれるだろうよ。
あるいは大金ではないかもしれないが、当座の資金であったり、あるいは彼の経験や人脈を活かした的確な助言を与えてくれたりするかもしれない。素晴らしい仕事を紹介してくれるかもよ?せめて彼と仲良くなって彼の友人の列に加えてもらえれば、それだけで今後の明るい可能性が大きく増えるじゃないか。
もし君が、そんなふうに自分を売り込むようなことが出来ないなら、せめて媚びを売ったらどうだ。もしかしたら彼は、見え透いたお世辞でも喜んでくれる性格かもしれないぞ。おだてて誉めそやして金を出させろよ。彼にとってのわずかばかりのチップでも、君にとっては大金じゃないか。
まーもし君がそんなに元気がないなら、当たり障りの無い会話に始終しても構いはしないが。
それが君ときたらどうだ!なぜそんな話を彼にするのだ!そんな話をされても彼は嫌なだけだということが分からないのか?
そんな話はそこらへんのどうでもいい連中や、君がいつも付き合っているクズどもと後でいくらでもすればいいじゃないか!
君が今、話をしている相手は彼だぞ?なぜそんなに無礼でなれなれしい態度で、どうでもいい話を一方的にしているんだ?なぜそうやって、わざわざ彼に嫌われようとするんだ?
そうか、僕にも今やっと、君が貧乏な理由が分かったよ。
君は本当に、自分が何をしているか、相手が何を感じているのか分かっていないんだな。
そして他人の気持ちが分からないから、君は周りから嫌われ、今の貧乏な地位に落ち着いたんだな。
君が逃したチャンスは今回だけじゃない。今まで何度も何度もこうやってチャンスを自分で潰してきたから、今の君があるんだな。
僕は君を救ってあげたいと思っていたけど、なんだかやめたくなってきたよ。だって君は、こうして僕の話を聞いている間ですら、そんな態度なんだもの。僕も君のような人間と関わりあって時間を無駄にするのはやめて、別のことをしにいくよ。それじゃあ、もう会うことも無いだろうけど、さようなら。
・
・
・
え?なんだって? しょうがないなあ。
じゃあまず第一に、君は相手の気持ちを理解しようとしなくちゃいけない。自分勝手に話してばかりいちゃあだめさ。
想像力を使うんだよ。相手は今どんなことを考え、どんな気持ちなのかなーってね。そうしていけば、君にも色々と分かってくるだろうよ。
それじゃ、最初の練習だよ。僕が今どんな気持ちか、想像してごらん?
http://anond.hatelabo.jp/20070222010715
ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。
ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。
便利なものは急速に広まる。急速に広まり、それがある一定の水準を超えたとき、それは必需品となる。必需品になってしまえば、それを用いるのが当然となる。便利さは増さない。増えたはずの余裕は、何か別の時間に当てるべきものとされてしまう。ただ束縛される。捨てることは許されない。その社会では、それを捨てては生きていけない。しかし、それに束縛される限りは、自由に振る舞える。籠の中では自由に飛べる。
そしてまた新たな枷が――
私の書いた風刺の枝葉末節に見当違いなツッコミを入れて、「疑似科学ハンター」と悦に入っている人がいる。
こんな輩には別に何の興味もないが、前回の記事が「ネタ逃げ」だと思われている節もないではないので、敢えて補足しておく。「傲慢だ」という見当違いな非難を受けたくないし、無内容な長文を書きたくもなかったので、本当は気が進まないのだが。
まず、私のIQが152だと書いたこと、実はこれは完全な嘘というわけでもない。ネット上のIQテストで152という数値を出したことはある。もちろん、ネット上のIQテストの信頼性が高いなどと思っているわけではない。だが、130とか140あたりが上限になっているテストでは必ず上限に達していた。それともう一つ、平均的な人が知的障害者を差別する発言を見聞きすると、「お前らの頭の中身も五十歩百歩だろうが」というのが実感で、正直内心片腹痛いのは事実である。以前、障害者の介護のボランティアをしていたことがあるが、軽度の知的障害者と「健常者」の違いはほとんど認識できなかった。紙一重の差で社会に受容されているかいないかというだけの差にしか思えない。あるいは、例えば「ニート」の名の下に社会から爪弾きされている者の中には、知的障害者か否かの境界的な位置にいる者もいるのかもしれない。
もちろん、こうした見解をひとたび口に出せば暴言としか受け止められない。だから本当は書きたくなかった。しかしながら、「障害者とは相容れない、隔離せよ」といった類の暴論が一定の支持を集めてしまう現状に対しては、「天に唾でしかないこんな暴論を支持する者は、自分自身が『頭の不自由な人』だ」ということを喝破することも必要であった。だが、そういったことを直接的に書けば「煽り乙ww」、前もって断り書きをした上で丁寧に書けば「どこを縦に(ry」と言われるだけだ。所詮、「平均的な人」は「わかりやすい話」でなければ理解できないのだ。そこで苦肉の策として、わざと人目を引くような形で、一人称体の風刺小話を書いてみただけのことだ。要するに形式はネタでも意図は真面目だったわけだ。そもそも風刺とはそういうものだ。IQという数値だって本当は出したくなかったのだが、十分賢い人を連れてこれば「健常者」も障害者同然という状況をわかって頂くには、何らかのわかりやすい基準がなければならなかったのだ。だから、多少の暴論を承知でIQを持ち出したまでだ。「健常者」が「障害者」を暴論で切り捨てていることを告発するのが目的なのだから、レトリックとして敢えて暴論を用いたのは事実である。
ただし、それにもかかわらず、
彼のIQに対する主張は100%トンデモの疑似科学。また、はてぶコメントに「認知心理学では正しい」と書かれているが、そんなコミットメント(原文のママ。「コンセンサス」の誤りか?)は認知心理学会(原文のママ。正しくは「学界」か)には存在しない*1のであしからず。
このようなことを言われるのは心外であるし、正しくすらないと反駁せざるを得ない。
第一に、「知的障害者」がIQを基準に決定されていること、そしてIQを生活年齢と知能年齢の比のパーセント表示で決定する方式があることは事実である。Wikipediaの「知能指数」の記述のうち、「算出法」と「障害者認定」の両箇所を見ればよい。その程度は調べてから書いている。見損なわないでいただきたい。「100%トンデモ」と侮辱的な言葉をぶつけられたが、撤回していただきたいものである。
第二に、
「知能が2倍」ということには自明な定義があるわけではないのだ。だとすれば、知能年齢が2倍であることをもって「知能が2倍」と呼ぶことにして、なんの問題があるか。
と書いたことを「俺様定義」と批判を受けた件。これについては理解できなくもない。しかし、私はこの定義はそれなりに妥当性のあるものだと考えるし、頭ごなしに「俺様定義」と批判されることには異を唱えたい。私の生活実感からすると、未成年者同士での知能の比は年齢の比と近似的に(「近似的」である。くれぐれも「0歳児はどうした」などと下らぬことを言わぬように)一致するように思える。たとえば、18歳のときに12歳の少年と話をする感覚は、12歳のときに8歳の子供と話をする感覚とほぼ同様だった。もちろんこれは主観に過ぎず、検証もできないしできるものだとも思わない。厳密さに欠けるのは当然だ。しかし、そもそも私は学問的に厳密な話をしようとしていたのではなく、感覚的な話をしようとしていたのだ。そのことは文体からでも明らかであろう。「知能」「知能が2倍」という言葉にカギカッコを付けていたことからせめてそのあたりを感じ取って欲しかったのだが、というと望みすぎであろうか。
だいたい以上のごとしである。もはやこれ以上私は下らぬ文章を書きたくないので、これ以降、自称「疑似科学ハンター」の下らない功名心に付き合わされることのないよう望むものである。
蛇足
厳密に書く意図がもとよりないことが文中に明示されているような文章に対して
ま、拙い接続詞の使い方や、こういう詭弁を見れば、まともな論述、論理の訓練を受けてないことは明らかで、騙される事もないと思いますが一応言っとかないとね。これで大学生だったらマジどうしよう。
だとか優越感を露わにしておられるが、私は旧帝大院卒なのだが?
これに対して「学力崩壊」だと嘆くか「ハッタリ」だと憤るか、それとも逆に尻尾を巻いて逃げ出すかはあなたの判断にお任せすることとする。