2018-11-13

森田ほとり(25)の人生選択の時

今日ちょっと個人的なことを書こうと思う。まぁいつも個人的なことだけど。

目的は書き出すことでの整理。それに付随して派生するかもしれないけれど、今は控えておく。

私は現在25歳。性別は女。

都会の大学卒業後、地元Uターンして就職した。

付き合っていた彼氏(まぁ今も続いているのだが)がいたが、大学私立だったので親孝行のためと、やっぱり地元が住みやすくて好きだったので、めでたく遠距離恋愛となった。

この彼(けいし君といいます)は、同い年で同じ学年だったのだが、1年休学留学をしていたので、卒業は1年遅れ。まだ学生

まぁそんな感じで地元企業営業として働いていたのだが、半年で辞めた。

辞めた理由はいろいろあるような気がするし、全部書くと長くなるのでやめておくが、一番大きな原因は

「生きることが面倒になったから」。

大学3年くらいからこんなことを考えるようになっていって、ついにそれが爆発した感じ。

この時私は本当に死のうと思っていた。

鬱だったのかと言われればそんな感じといえばわかりやすいかもしれないが、精神科先生には鬱なんて診断もらわなかった。

(時期はずれているが二人の先生に診てもらった。一人目は「また死にたくなったら来てください」と言われた。二人目の先生には安定剤睡眠導入剤を処方してもらった。)

やりたいこともわからないし、何を指針に、何に向かって生きていけばよいのかわからないし、生きる意味なんてわからないし、生きるのってとても煩わしくて面倒だな、と思った。

けいしには話をしていた。彼はもちろん私を助けようとアドバイスをくれたが、当時の私には何の救いにもならなかった。今になってみれば、彼のアドバイスが間違っていなかったことはわかるのだが、生きることに面倒になってしまった私は、自分の現状から抜け出す意味も、そんな気力さえもなかった。

多分、彼はそこをわかってくれていなかったのかもしれない。聞いてないからわからないけれど。

そんな感じだったのだが、まぁいろいろあってまだ生きている。残念ながら自殺未遂もしていない。

単に逃げたかっただけなのかもしれない。

親とか、兄弟とか、彼とか、友達とか、会社とか、そういった社会のつながりから

こうしてまたそういうつながりに戻ってきているのだが、時々逃げ出したくなる。

とりあえず話を先に進めよう。

そして職を失った(自発的に辞めたんだから、失った、てのは変な感じもするが)私は、少しだけニートになった。

それから遊ぶ金欲しさバイトを始めた。

お金はないけど時間はある中で、自分と向き合って、何に興味を持って生きていけるのかを探る期間にしようと思った。

私には、趣味らしい趣味も、好きなこともなかった。得意なこともないし、自分には何の価値もないと思っていた。あ、これは今も変わらないか

何もない自分が、どうやって価値を生み出してお金を得て生きていけばいいのかわからない。

世の中の人間なんて、自分価値がないなんて思っている人はたくさんいるはずなのに(だからあなたには価値がある」って声高に叫んでいる人が人気を集める)、みんな何がしかお金を得る手段を持って生きていけてる。そうなるにはどうしたらいいのか、どうして誰も教えてくれなかったんだ。

夢はあった。パティシエになりたかった。

そんな中で、私の中で価値があって、人生の指針になってくれる人が一人だけいた。彼だった。

付き合いも長くなっていく中で、自然結婚意識し始めた。

アルバイトを始め、ニートからフリーターとなった私は、もうひとつジュニアスイミングスクールのコーチとしても働き始めた。こちらもアルバイト。泳ぐことは昔から好きだった。子供はそんなに好きじゃなかったけど、かわいかった。1年ほど勤め、やっと慣れてきて、もっと勉強せにゃあ、と思っていた時だった。

から同棲の話を持ちかけられた。

もともと2人で、結婚の前に同棲したいよねという話はしていた。

そして遠距離が始まって2年。お互い遠距離に疲れてきていた。

でも、時期が悪かった。話を持ちかけられたのは夏だった。せめて年度末までスイミングスクールコーチとして働きたかった。

そしたら彼が言った。

「今すぐ来てくれなければ、別れる」

普通に考えたらありえない。これがもし私の友達の話だったら、私は間違いなくそんな彼氏殴ったれ、と言うだろう。

しかも彼はまだ大学生だったのだ。卒論を期限内に書き上げられず、ゼミの出席日数が足りず、卒業できずにいた。休学しながら自分バイトをして学費を貯めて大学に通っていた。

そんな生活を続けていくうちに、大学卒業する意味がわからなくなってきたと言っていた。

彼のことが好きなのか問われると、正直今はよくわからない。

私は好きじゃない人ともセックスはできる。生理的に受け付けない人とか除いたら、そりゃずっと一緒にいたら愛とか情とか湧くんじゃないの?

今の彼が例外かと言われたらよくわかんなくなってきた。

そんな奴だったが、私の人生においては一番大切にしてきた人だった。私の羅針盤だった。彼がもし死んでしまったら、私も間違いなく後を追って死んだだろう。

そんな人の言うことだから、私はこの条件をのんだ。

…私は彼に流されすぎなのだ。仕方がないことではあるけれど。

私は彼を完璧人間だと思っていた。(あほちゃうか、と思うだろう。私もそう思う)

彼の考えを聞くと、一見理論立っているように見えるのですぐに納得してしまう。私の悪いところだ。

私自身が彼を完璧人間だと思って、すがっていたかったのだ。

お互いの両親に挨拶をした。彼の両親は自己責任でどうぞ、と言ってくれた。私の両親(特に父親)には反対された。でもその反対を押し切って、同棲を始めた。

アルバイトは両方辞めた。

私の人生2度目の就職活動が始まった。

私が前職の営業を辞めてすぐ就職しなかったのは、前述した通りやりたいことを探したいから、ということと、もうひとつ理由があった。

自信がなかった。

正社員という立場で、アルバイトより責任ある立場で、仕事を続けていく自信がなかった。壁にぶちあたったら、また「死にたい」と逃げるのではないかと思った。逃げない自信がなかった。

でも、状況は変わった。これから家賃も食費も水道代も電気代も全部払っていかなくてはならない。

人は働かないと生きていけない。自給自足不可能ではないが、現在システム自分ができることでお金を稼いで、そのお金で誰かが代わりに作ってくれた野菜を買うというものになっている。賢い生き方だと思う。でも、その働くというハードルは、おそろしく高い。

いや、私が高くしているというものもちろんある。バイトでもお金は稼げるし、私がしたくないと切り捨てている仕事もたくさんある。

だけども、やっぱり高い。

転職では即戦力が求められ、半年営業経験責任感がなくて楽だと思いながらやってきたアルバイト経験だけでは、何が即戦力になるというのだ?

まだ、見いだせていない。

そもそも志望動機聞かれても答えられない。

やりたいこと?3年近く探してもまだ見つからないんですが。

本気で探してないだけかもしれない。でも本気で探す理由がわからない。

死亡動機なら答えられるのに。

けいしに流されて生きてきた人生だな、と振り返って思う。

流されてきた、というか、私の判断材料に常にいるな、こいつ、と。

そう思ったので聞いてみたのだ、彼に。

お主の人生判断材料に、私はいるのか?と。

そしたら、いない、って返ってきた。

そういう考えをしていた時期もあったけれど、そうすると、ちゃんとした仕事に就いて、養っていけるという状況を作らないといけない。それじゃダメだと。丸くなってると。

前に二人で言ったよね、お互い自立して、それぞれが見てきた世界を共有しあえたらいいよね、って。

お互いなにがしか武器を持てたら、二人で協力した時、お互いの欠点カバーしあえて最強だよね、って。

そう、言われた。

正直、私はショックだった。

私はけいしがちゃん大学卒業してちゃん就職して、私を養えなくてもちゃん収入を得て、そして結婚して、子供ができてお金必要になってもちゃん暮らしていける。そんな未来を思い描いていた。

だってもう25だ。そろそろ子供産んでおきたいのが正直なところだ。まだ全然子供を育てられるような人間じゃない。そんな人間できていない。育児ストレス自分の子供に暴力振るう自信だってある。(そんな自信はいらない)

だけど、そろそろ、そういう時期だって思ってた。

同棲始めたし、同棲長期間するつもりもないし、いずれ近々籍も入れるだろう、と。二人で同じ未来を思い描いて、お互いがお互いの人生責任を持ち合いながら生きていくのだろう、と。

そろそろ、ちゃんとしてくれるのだろう、と。

その反面、けいしの言うこともすごくよくわかるのだ。

お互い自立して、自分人生責任自分で持つ。だけれども、パートナーとして、一緒にいる。助け合う。お互いの見てきた世界を共有しあう。人生2倍。

なんてキラキラしていて、楽しそうなの、と。

どちらを選ぶかは、私たち二人次第だ。

ただ、もし後者を選ぶなら、レールから外れて生きていくことをきちんと自覚しなければならない。

(まぁ正直すでに外れている二人だが、まだ修正はきく位置はいるだろうと思っている)

現在経験資格目的もない私が就職活動に難航している。

転職アドバイザーの人からは、これ以上非正規を続けたら、正規になるのはとても難しいだろう、と言われた。

その道を突っ走るのか。

けいしの将来だって保障されたものじゃない。向こうが稼いできてくれると思ってはならない。

子供を作れないかもしれない。

でも、人生謳歌できるかもしれない。

いつか後悔するかもしれないが、やりたいことやりたいだけやって死ねる。

そもそも私はこの道を選んでどうしようもなくなって死ぬしかなくなってもいいのだ。だっていつ死んでも一緒なのだから

長くなりましたが、そんな感じで人生選択の時なのです。今。

年上の人にこういう話をしたら、みんなレールに乗るように、って言ってくる。

それが「正解」だからですか?「賢い生き方」だからですか?

私より長く生きているから、視野も広いだろうし、知識もあるだろう。”知り合いにこういう道を選んで失敗した人がいるから、私にはそうなってほしくない”とアドバイスしてくれてるのかもしれない。

でも、自由に生きている人も少数ながらいる。多分その繋がりで、ホームレス若い男の人が結婚した、なんて話も聞いた。

こういった少数派の人たちは言う。普通大人意見を求めるな。普通になるようにアドバイスしてくるはずだ、と。なりたいものがあるなら、それにもうなってる人にアドバイスを求めよ、と。それは確かにそうだよな、と思う。

少数派で生きていくなら、覚悟必要だ。

でも、それが自分が心から求めているものならば、叶えられるんじゃないのかな、とも思っている。

とりあえず、けいしと話をしなければならない。

お互いにお互いの人生を、と考えている彼は、自分の思いを聞かないと話してくれないし、わざわざ私の相談にも乗ってくれないのだ。

ほとりの人生は、ほとりの生きたいように生きればよい、と。

私は本当にこいつに一生付いて行ってもよいのだろうか。

今ならまだ、地元にいる銀行マンセフレが、嫁にもらってくれるんじゃないだろうか。

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