はてなキーワード: 学力とは
なんかこの話思い出した
https://note.com/evjunior/n/n76457ea4b020
女子高であるせいか,豊太郎の不人気は当然のことながら,悲劇のヒロインであるエリスの評判もまたよろしくない。
豊太郎は「女の敵」であり,エリスは「女の恥」だというのである。
妊娠し,精神に異常をきたしたエリスを捨てた豊太郎を「女の敵」とするのは理解できるのだが,なぜエリスが「女の恥」なのか?
ある生徒の感想文にはこう書いてあった。
エリスは豊太郎のような男を選んだが見る目がなかった。私ならあんな男を選ばない。しかも,捨てられてしがみつくのがみっともない。私なら自分からさっさと別れて,後で慰謝料を請求する。
思わず「なるほど,だから,女の恥なのか」と納得したのだが,ここに今の国語教育の大きな問題点があると思ったのである。
結局,作品を正確に,客観的に,深く読解することなく,自分の狭い価値観から作品を歪めて解釈し,断罪する。そして,それを個性や独創性だと勘違いする。このような国語教科書の読み方をしている限り,真の学力が身につくはずはないのである。
このトラバには異論はない。そこで最後に追加で言っておきたいことを書いて終わりにする。
大学レベルの参考書(学術書)や論文を書く人も所詮は受験競争を経験した人で、受験勉強で得た知識が少なからずその後の思考の枠組みに影響を与えていると思うんだよね。
それで「枠組み」なんてものはなかなか自覚的に認識できるものじゃないから、その枠組みを共有していない人にとってはより言葉を尽くさないとわからないことでも「既知の事項として」という感覚すら持たずにそういう言語化をはしょって文章を書いている部分があると思う。
特に幾何学に関する記述は、本人のセンスにとっては空気のように当たり前のことでその説明がシンプルであったりしても、なんでそうなるのってことが枠組みの無い人にはわからない。ある人からすれば「なんかこいつすごく察しが悪いな」としか思えない。
これは大学と高校の話ではなく高校とそれ以下の話なのでたとえが悪いのだが、たとえば高校物理である角度と別の角度が同じという事実から式を導出するのに、なぜ角度が同じかという説明まではされてないみたいなことがある。
これは中学までの数学を身に着けた人にとっては当たり前のように角度が同じだと認識できるが、そうでない人には説明が必要。
しかし書き手はすべての読者のレベルに対応することは不可能だし、「枠組み」さえあれば当たり前のようにしか思えない角度の同じさを説明しようという発想すら起こらないから、こうしたことがある。
こういうことはは中学受験レベルの算数から差がはじまっていて、ああいうのが解けるような学力をセンスとしてあるいは勉強したことで枠組みとして身についてる人と、そうでない人とでは、同じ文章では伝わらない程度の断絶ができていると思う。
自分には大学レベルの本を理解する素地が足りているのか、と思うから、彼らが通っているはずの受験勉強から得た枠組みと同じものを自分にも構築すべく、高校レベルのことを勉強しなきゃという強迫観念がなくならない。学術書や論文の書き手も当然すべてのレベルの読者には対応してないし、かりに対応しようとしても「枠組み」は「空気」のようなものだから、枠組みを持たない人間を無自覚に想定読者として排除してしまうだろうから。
リンク先読んでないし読む気もないですが、私は客観的な視点から「大卒を雇う理由」を説明したのであって、別に大卒以上の高卒や専門卒がいることは否定してません。
>具体的な彼らの知識の内容(それが高卒とかでは知らないと推測できる根拠も含めて)を一切示していません。
高卒では知らないとは一言も書いてません。同等以上の漫画の知識を持っていて、学力は圧倒的に高い人間がいるので、新卒ではそっちを採用すると書いています。そもそも人気出版社は大卒で何万人と応募が来るのに、それ以下に目をやる余裕はないからです。
中途採用で実績があるのなら学歴なんて関係なく採用されたりヘッドハントされたりしますよ。私の知り合いにも定時制高校から大手出版で漫画編集してるのいますし。ヘッドハントで。
これは具体的に何を指してるんです?
まぁなんにせよ、あなたが今の出版業界に疑問を呈していて、大卒が無能だと思うなら一度会社を立ち上げてみたらどうでしょうか。
あなたに正論ふっかけてもあんま意味なさそうだし、丁寧に時間使ってたのもアホらしくなる態度なのでこれ以上は適当に返しますね。
大卒なのに気づけていなさそうことを具体的に示して実証していますが、あなたは「世の中には一流大学に入る学力があって、かつ引くほど漫画の知識がある人も数えきれないくらいいます」と言いますが、「引くほど漫画の知識がある」と呼べるその知識の具体的な内実、大卒未満より漫画の知識があると推測できる、具体的な彼らの知識の内容(それが高卒とかでは知らないと推測できる根拠も含めて)を一切示していません。
この態度の方がむしろ「学力という実績もないのに漫画の知識はあると言ってる(だけの)人」と同質ではないでしょうか。
私は「こんなの気づいてたとっくに変わってるだろ」という論理で、彼らが大卒未満でも気づていることに気づけていないという根拠としていますが、あなたの論法にはそれすらないです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12295387337
慶應を中退して東大に入った身からすると、慶應と東大の間には大きな隔たりがあるから、迷うことはおかしいと思う。頭が悪いなら慶應に行けばいいし、東大に行ける学力があるなら、特に理由がない限りは、行けば方がいい。高校生の頭でどう考えたところで、結婚とか彼氏とかベンチャーとか頭ちゃらんぽらんな価値観しかないけど、自分の価値観は大学出るころには大きく変わる。割とがんばらないといけない時点で、東大通ればラッキー、滑り止めで慶應ってところか。
おっす。オラ工業高校卒。以前に学力テストについて話をかいてみんなにいろいろ突っ込まれたおかげで知見がすげえ広がってうれしかったぞ。
最近、はてなのスター、シロクマ先生が以下のような記事を書いてたんだ。
https://blog.tinect.jp/?p=85698
こうした認識があったものだから、『安楽死が合法の国で起こっていること』を読んだ私は安楽死の導入に大きな不安を抱くようになった。欧米、とりわけアングロサクソンの国々で安楽死が制度化されるのはまだ理解できる。だが、日本のように自由と責任の建付けの曖昧な国で安楽死が制度化したら、その安楽死はいったい誰の自由意志によるものなのか、その安楽死はいったい誰のためのものなのか、やっぱり曖昧になるだろう。
と、「人権感覚の進んだ欧米では安楽死制度は運用可能かもしれんが、人権後進国の日本では無理」みたいな感じで書いてあったんだ。
でも、この文章のネタ元になっている『安楽死が合法の国で起こっていること』では、安楽死制度を導入した国で起きたエグい問題についての話がガッツリ書いてあって、人権先進国だろうがなんだろうが、とても人間には運用不可能な制度って印象なんだ。
でも、シロクマ先生記事だけ見ると「多少の問題はあるが、人権意識の進んだ国ならおおむね運用可能だし将来の有望な選択肢」みたいに見える。本を読んだオラからすれば、地球人を信用しすぎてないか?って気がするぞ!
シロクマ先生はこのあたりの事件はセンセーショナルすぎて、持論を書くには邪魔になると思ったのかもしんねえ。確かにこういう事件に感情的な反応をする人が多いから、本質的な議論ができなくなるってことはありそうだ!
でもオラは、シロクマ先生が書かなかったことはみんな知っとくべきだと思うんだ!ブコメでもあんま突っ込まれてなかったしな!
詳しくは『安楽死が合法の国で起こっていること』を借りるなり買うなりして読んでほしいんだけど、本で挙げられている「安楽死制度を導入した国で起きたエグい事件」について参考リンクを示しながら書いてみるぞ!
参考:https://www.bbc.com/news/world-europe-49660525
最初に書いておくが、安楽死を担当した医者は安楽死のガイドラインを逸脱はしていないとして無罪となっているぞ!
アルツハイマーを患っていた患者は、以前から「介護施設に入るようになるまで症状が悪化したら安楽死したい」「死ぬ時期については自分で決めたい」と意思表示していて、書面に残していたんだ。
で、実際に症状が悪化して施設に入ったんだけど、患者の状態が悪化していて意思疎通ができなったので、医師がほかの医師とも話し合って安楽死の日取りを決めたんだ。
当日、家族が見守られる中、鎮痛剤入りのコーヒー(これはガイドライン違反)で大人しくして安楽死をさせようとしたんだけど、安楽死用の薬剤を注射しようとしたとき、手を引っ込めちゃったんだ。
どうやら鎮痛剤が効かなかったようだ。そこで医者は家族にその患者を押さえつけさせて、抵抗する中で薬剤を注射して安楽死を行ったんだ!
これが「本人の意思を確認したか」という点で裁判になったんだ。死ぬ直前になって怖がるなんてこといくらでもあるからな!
結果、最初に書いた通り医者は無罪になったぞ!ついでに安楽死前に鎮痛剤とか使って大人しくするのも合法化されたんだ!
うっひょー!そんな死に方はちょっとしたくねえな!
参考:https://www.frontiersin.org/journals/psychiatry/articles/10.3389/fpsyt.2022.933748/full
19歳のときに境界性パーソナリティ障害と診断された患者がその障害の重さから仕事や私生活で苦労し続けていて、大学を卒業してパートナーを暮らし始めて安定したところで、薬物使用とパートナーからのDVとそれによる別れで鬱を発症、なんとかうまく行きかけてた人生で大きな挫折をしてしまうんだ。
もとからあった希死念慮がさらに強くなってたところにセカンドオピニオンで他の医師を受診するんだけど、その医師は安楽死を推進する団体をやっているような人で、患者がアスペルガー症候群であると新しい診断をしたうえで、それの治療を試みることなく、アスペルガーとパーソナリティ
障害が併発していることを理由に安楽死を申請して、認められ、患者を安楽死してしまったんだ。
この件は本だと無罪になったとされているが、現在は遺族が大陪審に上訴して現在も争ってるぞ。
たぶん、
こういう記事をふむふむって読んで知識仕入れてる層は原典どころか取り上げた本すら読まねえから、適当に書いてインプレ稼いだもん勝ちだしどうせバレない。
って思われてるんじゃねえかな?Webで物書いて飯を食うには確かにこのスタンスは強いと思うぞ!でも見習いたくねえな!
ちなみに、本だと
あたりも書かれてる(むしろ、こっちのほうが議論になりうそうな問題が多い)ので、このあたりの知識がない人間が安楽死制度の問題を考えるなら、まず一読するべき本だぞ!
というよりこれすら読んでない人は””制度としての””安楽死の是非についてはあまり語らねえほうがいいと思うぞ!自分が死にたいとか言うのは勝手だけど、他人を殺す基準を作るなら感情ドリブンで話しちゃだめだ!
Amazonのリンク置いとくから、気になったら買ってくれよな!:https://www.amazon.co.jp/dp/4480075771/
文部科学省の統計によると、私の地元の大学進学率は近隣市の1/4〜1/2程度で10%台半ば。県下でも最低水準とのことで、それをもって子育てに向かないやら教育行政に問題があるやらと語る人がいる。
しかしながら、私の地元や近隣市は、人口面でも面積面でも小規模〜中規模程度だ。市境を一つや二つまたいだ程度でそこまで学力に差がつくわけがない。肌感覚的な面でも、中学の同級生で大学に進んだのが5人に1人未満とは思いづらい。
ということでSNS等で貼られていた画像をもとに、ソースと思われる文部科学省の学校基本調査「卒業後の状況調査票(高等学校 全日制・定時制) 市町村別状況別卒業者数」(以下「件の統計」)を確認した。数字は件の画像と一致しており、確かに私の地元の大学進学率は低い数字であった。
ところが、よく見ると分母に当たる高校卒業者の数が、市内の中学3年生の人数の1/3程度しかない。年によって学年の人数に違いはあるが、丙午でもない限り1/3にまで減ることはまずないだろう。また、大体の人は高校に進学する上、中退がいても数が知れている。
そこでさらに調査方法を確認したところ、各学校が回答し、それを学校所在地の市町村が取りまとめる方式と判明した。
ところで私の地元は人口面でも面積面でも小規模で、高校は1校、名前を書けば受かると言われているようなものしかない。その高校の生徒数、進路実績を見たところ、件の統計と数字が一致した。
つまり、各市町村の括りで出る数字は、正確には各市町村に立地する学校の数字の集合体であるようだ。件の統計において、高校が立地していない市町村に全く数字が記載されていないことも傍証となろう。
かくして私の地元は名前を書けば受かる高校の進路状況をもって、大学進学率が低く教育水準が低いと世の人に判断される状況になっているわけだ。
なお、先述の事情から、私の地元の中学生は大学進学意思がある人はもちろん、そうでない人も大体市外の高校に進学する。
小中学生であれば、私立等を除き基本的に居住する市町村の学校に通うため、市町村単位での集計はそれなりに参考になるかもしれない。
しかし、高校生にもなると通学範囲はぐんと広がり、通う市町村と住む市町村が一致しないことも増える。この状況下で、立地する高校の数字をもって市町村の数字かのように公表するのはいささか問題があるのではなかろうか。政令市や中核市、施行時特例市くらいの規模ならいざしらず、相互に人が行き来する中小規模の市町村においてその影響は大きい。
世間一般では学力水準は居住地選択において重要なファクターのようで、住宅関係や生活ガイド的なメディアでも指標として用いられているようだ。
だが、先述のとおり、こと高卒生の進路に関してはその公表の仕方に疑義がある。文科省も件の統計が世間でどう使用されているかを考慮の上、表現に気を遣って欲しいものだ。
それはそうと、大学進学率を気にする教育熱心であろう層が、件の統計について違和感を持たず鵜呑みにしてしまうことを考えると、何か皮肉めいたものは感じる。