中2ぐらいの時期はどこもそんなんじゃないの?
中2というと自分もだいたい16年前か。
教室の廊下側の窓はわれてたし、授業中は先生が教室に入れないほど酷かった。
中学生とかって手加減しらないじゃない?
先生それは違うと思います!みたいなことをね、言うんですよ。
登校拒否になったやつが2??3人居たかな。。
そんなクラスだからか東大法学部にいったやつもいれば、喧嘩で死んだ奴もいる。
人生の交友範囲ではそれくらいバリエーションがあっていいのではないかとおもう。
だめか?
名誉棄損で訴えられた時に、文章の最後に(笑)と書いてあったために、冗談とみなされて無罪になったという話を聞いた事がある。
しかし、良い子のみんなはマネしないでね。
正確に言うと、ウチの奥さん宛に、見に覚えのない
結婚式場等の資料がドバドバ送られて来ている。
届いて、そこ経由で資料が来ている模様。
暇な人もいるもんだ、と感心もしていられないので、
とりあえず、削除依頼でも出してみるとする。
引きこもニートのやろうと話してたら、「メシを自分で作ってんだから俺はマシ」とか言ってんの。意味わかんないよね。「俺は自分のぶんのメシをドアの前に置いといてもらうとかそんなクソ野郎とは違う、自分のぶんのメシは自分で作る、しかもレシピ本を見てちゃんと凝った料理も作ってる。だから俺は偉い。何もしてないニートとは違う、俺は労働をしてる」とか言うわけ。
おおおおおおおい、本気で言ってんのかぁああああああああ。
食材は親が買ってきてくれてて冷蔵庫に入ってる。それを取り出してレシピ本のとおりに調理して、それを食う。それが労働なのか。と聞いたら、「メシ食うのが労働なわけないだろ、アホか。メシ作るのが労働だよ。俺は自給自足してる」と。
そんな俺理論を語られて混乱したしそいつの自信満々な顔がヤになってきたから、その場では話を変えて、おおきく振りかぶってのアニメの声のしっくり感についてひたすら褒め称えるトークに移ったんだけど。三橋は再現不可能だと思ってたのにもうスゲーじゃんあのピッタリ感、動きの再現もスゲー。ビックル一気飲み!とか熱く共感しまくったあと、家に帰ってから考えた。
自給自足って、労働を考えるときに一番いいモデルケースだとか思ったんだよ。自分が働いて生産したぶんだけ、自分が消費できる。カネとか無いからスゲーシンプルでわかりやすい。ヤツの場合はどうかというと、ヤツがたどり着いた無人島が、「電気とガスは勝手に流れてくるから冷蔵庫とコンロは使えて、あと冷蔵庫の中には勝手に食材が補充される」という魔法の島だっと仮定したら、もしかしたらヤツがやっていることは確かに労働なんじゃなかろうか、と思った。
経済学とかよく知らないけど、労働ってのは、価値を増やす行動のことなんでしょ。労働って概念は、「頑張ったのを褒める主義」でなく、完全なまでの「成果主義」ってことだ。ヤシの実があって、それを超苦労して素手で割って1時間で1個ぶんのヤシの実ジュースを取り出すのと、専用器具を使って5分で2個ぶんのヤシの実ジュースを取り出してあとは寝てるのと、比べたらどう考えたってラクしてるヤツの方がたくさん生産してる。
ちょっと蛇足だったか。
昔って、寝てるだけで狼に襲われるとか、そういうのがリアルにあったわけじゃん。でもイマって、そんなこと考えなくてもふつうに寝てれば普通に生きて翌朝目を覚ますことができるわけじゃん。昔はさ、ムラみたいなとこで何人か交代で見張りをして、なんか異変があったら叫んでみんなを起こすみたいな仕事があったわけよね。でもイマは無い。そんなことしなくても、安全な夜っていうのは所与みたいなモンとして存在してる。
たしかに労働だったはずだけど、その労働の結果得られるモノが当たり前のモノになったとき、その労働は消え去る。
でも人間の感覚って相対的なモンで、感覚がシフトして、いままで「つらい労働」と「ふつうの行動」と「楽しい消費」みたいな関係が成り立ってたとこから「つらい労働」がなくなると、「ふつうの行動」が「労働」って感じになって、それに引きずられて「楽しい消費」が「消費」って感じになって、どんどん「楽しさ不感症」になっていく。ひどいのになると、非コミュだかなんだか知らないが、ヒトと酒を飲むのも労働とか言い出す。
狩りをしてたころなんて、狩りなんてのは命がけのやりたくもない仕事だろうさ。イマは文脈上、血沸き肉踊るスリル、みたいな、そういうのはちょっと考えない方向にしてちょ。そんなやりたくもない狩りが成功して、ムラにデカい肉塊を引きずりかえって、それを切り分けて調理するのって絶対「娯楽」だろう。ちょおワクワクするでしょ。苦労して倒したイノシシをいまから食う!そのために切り分けて串に刺してさあ焼くぞオラー!超たのしい。
それがどうだろう、狩りとかじゃなく、魔法の国で、毎朝起きたらムラの真ん中にイノシシの死んだのが転がってるとしたら。「あーあ、こいつ食うためにまた切り分けなきゃなんねーよ…。おい昨日俺がやったんだからお前やれよ。寝てるから終わったら呼んでね。」こんなやりとり、想像できないだろーか。
これとはまた別の話で、カネとかいう無機質なもんがあるから、いろいろ体感的な楽しさがなくなるってのもある気がする。
楽しいのはどっちだろ。
仕事って、なんか就職とかそういうシステムの中で働いてると、まるで「仕事」っていう一定量の定まったパイを取り合うような、そういう感覚になってる大馬鹿者が多すぎやしないか。仕事なんて、他人に何か貢献すれば、それが仕事だろう。他人に愉快を与えて、その対価として自分が愉快になる。前者が「労働」で、後者が「消費」だ。これに限界なんて無い。なるべく多くの他人になるべく質の良い愉快感を覚えてもらえるようなことをする、そうすれば、自分も他人からたくさん愉快な気分を味わわせてもらえるんじゃないだろうか。
社会は大きすぎて、他人が見えない。大馬鹿者は想像力が足りないから、こういうことがわからない。まずは尽くせ、楽しませろ。そしたら返ってくるだろう。コミュニケーションが不足して、なんとなく機嫌が悪くなって、人を悪く言って人に不愉快感を与えるヤツばかりが増えるなんて、ほんっとダサい。人をたくさん不愉快にさせるヤツにはたくさんの不愉快が降り注ぐだろう。それじゃ愉快じゃないだろう。
増田が生んだ悲劇。
足の指を舐められるのって気持ちいいですか?
10年前、5年前、3年前、1年前などから見て、あなたは成りたい自分になってますか?
自分は自分なりに努力してきたつもりだけど、「成りたい」の達成度合いは5,6割くらいのような気がする。
上見てばかりいるとそれはそれで普通の幸福を見逃してしまいそうになるけど、全くやりたくない仕事をするのもこの先考えると辛い。
どうしてこうなってしまったのか?
かのじょから別れを切り出されています。2ヶ月前にも言われたのですが。
先週末にも会ったばかり。何がわるいんでしょーねー。
きっと鬱になるんだろうな。馬鹿みたいだ。あーあ。
真実なのか単なる自意識過剰なのか厨2病なのか解らないけれど、人と少し違う。性格に問題はない。
自分を誇大する事もなければ、嫌われてる気がする、という後ろ向きさもない(大抵それは勘違いで、嫌われてるなら尚更相手に近づかなきゃね)害がないので人から仲間外れにされたことはない。悪口も言わないし。
だが、私は誰とも繋がっていない。浮いている、といった表現が正しい。
私は私を他人事のように眺めている。こうすればきっとこの人は喜んでくれるだろう、というのを考えながら生きてきたからだろうか。全ての出来事は、どこか他人事だ。
友達はできにくい。自身に問題はどこにも感じられない。問題はそこだったりもする。
どうして私は人と深く関われないのかねえ、と友人の一人と話していた時に、ふと彼女が涙を零した。
「どうして貴方はこんなにも普通なのに、今こうやって私と話している貴方に変な所は一つもないのに、普通の人の中に溶け込んでいないんだろうか。」と。
苦笑するしかなかった。それは私が一番思っていることだったから。その子は全然普通の子。友達も沢山。皆から大事にされてる素敵な子。心配させてしまって、すごい悪いなあと思うと同時に、だからこの子は皆から愛されるんだな、と嬉しくなった。
どうしたら直るのかなあ。私、頭可笑しいのかなぁ。困ったなあ。
昔松本人志が「抜く前と抜いた後の自分、どっちが本当の自分か」て問いを出してたけど
哲学者はこれに答えるべきだと思う。
どうしてあんなに落差があるんだろうか。女はどうなんだろう。
最後の「 」の中身をうまく言える&通せるようになることが、仕事が出来るようになるってことだ。結果だけが全てだ。正しい方向に頑張れ。
女子力があるとどういう受け答えになる?よくわからん。
某大手国立大学卒業、25才、大手IT系企業に勤める優秀な社員が
絵に描いたような生き方をしたら
絵に描いたような悩みを持ったんだ
それはこんなカンジだ
「あ、はい」
「できます」
「大丈夫です」
「頑張ります」
一人が無理をすれば、他の人に無理がかかるんだ
会社なんてその最たるもんだ
べらぼうな目標に向けて無理を宣言すれば
もちろん、中間層まで全て、
一番のシワ寄せを喰らうのは実務者だ
なのに、困ったことに、なぜか、どうしてか
実務者も徹夜をして勤しむ
上の人間の無理を喜んで喰って、
無理なものを無理して吸収する
そしてたまに「頑張ったな」と言われて、喜んでる
みんな頑張れ?
みんな苦しいから俺もがんばろう?
みんなが頑張ってるから俺もがんばらなきゃ?
人が死にそうなぐらい働いてるから自分死にそうなぐらい働こう?
俺も含めて、おまえら正気か?
小さなプライドは捨てるんだ
無理なものは無理と言え
目の前の「はい」は本当にそれでいいのか?
そこで「やりたくないよ」と言えない事情がある
そんなことを言ったら生産性が低下する
「はい」と言い続けてべらぼうに働く社員を持って、低コストで高い生産性を確保してる他の企業と競争したら負ける
潰れる
食えない
みんなでいっぺんに変わらないと無理なんだ
けれどみんなそれぞれが閉塞してる
何も変わらない
そりゃ少子化になるよ
誰も結婚しねーよ
べらぼうな「はい」が閉塞を生んでる
もしこれが、
この国のNoと言えない国民性に起因するなら、
流し流され自分を消して他人に合わせて得た繁栄だとしたら、
俺はこんな国はデタラメだといいたい
こんなのは虚栄だ
こんな国に未来はない
これを見ている学生、リーマン、ニート、主婦、管理職、役員、天皇でもいい
先生の言うことに全て「はい」
親の言うことに全て「はい」
偉い人が言うことに全て「はい」
恋人が言うことに全て「はい」
読んだ教科書に全て「はい」
目で見たものに全て「はい」
自分自身の思考をしないで、価値観を消して、自分の考えを卑下して
自分以外を全肯定、鵜呑み、疑いなし
「しょうがないから」
「みんな言ってるから」
「教えられたから」
「あるある大辞典が言ってたから」
「あの人に褒められればいい」
「あの人に好きになってもらえればいい」
まず自分を持て、自分を出せ、好きにやっていい、自由でいい
疑問をぶつけて、怒鳴られ、白い目で見られて、恥をかけ
これは、この社会に対して、誰でもいいから手当たり次第に言うべきだと思った
けれど上司には言えなかった
だから、ここで言う
誰か、聞いてくれ
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http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50841971.html
>私は見栄っ張りなので、NoはYesと言えるときでないと言いたくない。
http://anond.hatelabo.jp/20070529210257
って言うのね。厳密には。なるほど。
で、私の中学時代というのは、昭和から平成に変わるあたりの時代。つまり1980年代後半。
「学級崩壊」とか「授業崩壊」という言葉は当時無かったと思います。
単に「学校が荒れてる」と言われていました。
一部の学校では卒業式に警官が配備されたということがニュースで報道されたり、そういう時代でした。
とにかく、よく言えば若者がすごく血気盛んだった時代。
当時は不良のことを「ツッパリ」って言ってましたっけ。男子は氣志團みたいな格好、女子も桜塚やっくんみたいな格好をしてました。
暴走族、今で言う珍走団がすごくたくさんいてうるさかった時代でもありました。夜の駅前は暴走族の集会が開かれて危険なので気を付けるようにと言われてました。
それから、1970??80年代は不良文化も花盛り。なめぬこが流行ったり、尾崎豊の歌が流行ったり、ビーバップ・ハイスクールとか花のあすか組とか。
典型的な女子力のない女だけど、サンプル甲にはサービス(社交辞令)、サンプル乙はサービスする必要のない気の置けない間柄って感じかなあ。
メルアドが超気になるんだが、こんなところで公開したら軽蔑モノだから教えないで下さい。
あれ、自分でも何言ってるのか分からないや・・・
「w」ってのは大体2ちゃんねるなどで、冷笑をヘタクソな文章表現の変わりに伝えるときなどに使われると思っている。それを「コメントする気をなくすのです。w」などと増田で「w」を発動してる奴は、いつも三秒以内に文章表現力が低い奴だと見なしている。
他にも、括弧の多様などは下に見る。他にも書くくらいならお前は文章を推敲するべきだった。
http://anond.hatelabo.jp/20070529224359
私もそう思ったのだけれど「イヤ『こんばんはこんばんは!』の反応だけでそう考えるのは早計に過ぎるのでは…」と思ってたんですよ。自分と同じ見方をする人が居てチョとホッとしました。ありがとう。