はてなキーワード: イコールとは
中学校での成績やその他いろいろな事情によってタイトルのような高校に入学する事になった。
同級生には「名前が書ければ入学できる学校」などとバカにされたりもしたが、そんなことはないだろうと不安感を胸に押し留めて入学式に臨んでから早くも1週間が経った。
学校についてを書くと、特定されてしまうので詳しくは書かない。
ここでは、自分なりのこのような高校についての考察を書いていきたいと思う。
授業や休み時間の行動を見ていると、小学生のような行動を取る人が多いことに気がついた。
まだ、入学してから1週間ほどしか経っていないのにこのようなことを要求するのも酷かも知れないが、上記3点が特に気になった。
先生に認めてもらうために、発言などを周りにほとんど当たらなくらいする同級生がいた。
まだ授業は易しい内容なので、誰でも質問されたことはわかるよう。しかし、そんなに質問に張り切って挙手をし、大きな返事をし、発言をする。先生が「どうぞ」と言っていないのに発言する。
私はこの同級生を見て「まるで小学生みたいだな」と思ってしまった。失礼かも知れないが、そう思ってしまった。
何故このように張り切って発言をしているのか自分なりに考えると、このような結論になった。
底辺校と言われるような学校なので、当然、学力はあまりいい方ではないのだろう。
中学校ではみんなの前で発言をし、褒められるという経験も少なかっただろうと勝手に推理した結果このような結論になった。
そして、このような生徒をバカにするというのが、2点目だ。
積極的に発言したり、クラスのために何かをするというのは悪いことではないだろう。
「誰かを認める」というのは、なかなか簡単なことではない。
自分の考えと同じ考えをしている人がクラスにいるというは非現実的だろう。
誰かを認め合えるようになるとうのが、大人になるということの一つだと私は考えている。
そのようなことができる人は、言い方は悪いかもしれないが「賢い」と言われて中学校時代を過ごしたのだろう。
賢いことと、勉強ができることはイコールではないが、両方できる人は、進学校と呼ばれる高校に入学していった。
だから「誰かを認める」ということができない人が目につくのではないか。つまり、人間として幼い人が多い、そう思った。
最後に、3点目。以上のことからわかるように、人間として幼い人がこのクラスには多かった。
そのために、高校生ならできてほしい気配りができない人が多い。自己中心的な行動をしてしまう。
周りが見えていないことはまだ入学したてで学校に慣れていないからだ、と思いたいが、あまりにも自己中心的な人が目立っていた。
長々とへたくそな文章を書いてきたが、言いたいことは、このような学校には人間として幼い人が多いということ。
私達は、9年間の義務教育を終え、大人への道を歩みだしている。
そんな中、同級生達は、人としての成長や苦労をせずにこの学校に入学してきたのだろう。
こう考えると、顔立ちも幼い人が多いような気がしてきた。
このクラスがどのように成長していくのか楽しみだ。
変な見方をすれば桜を礼賛する右翼は、もはや愛国主義者でなく中華主義者なのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20140321231503 を書いてもう結構日にちが経ってしまったけど、コメントを多く貰えて嬉しかったので、それに答えていこうと思う。
すべてのコメントに対してではないことと、似たものはまとめていることをご了承願いたい。順不同。
http://anond.hatelabo.jp/20140322114633
終わりの移民についての考えを詳しく聞きたいな
学歴や職歴を持たないまま日本に移民してくる人をどうするかが問題と言うことかな?
つまり、そういう人たちは雇用や労働を提供するメリットよりも社会保障サービスを受給するコストのほうが国にとってしんどくなっちゃうということ?
あと、そういう人たちを「一般人と同じ思考・行動の移民」と表現するのは面白いなと思った(そういうのはヨクナイ!とは思っていないよ念のため)
読み違えていたら指摘してちょうだい
最後は急ぎすぎた。やはり読み返してみると不十分だったが、ここまで理解して頂いてありがたい。
一般人思考の移民の二世はやはり一般人になるのは、カナダで感じていた。中国系移民はチャイナタウンでものを売るという認識が強いが、それとは一線を画し、中国系でも親がカナダ本国の商社マン、大学院卒の子どもはやはり高学歴指向である。このようなケースでは移民を受け入れる意味が十分あると思うが、ここにだした工場勤務は学歴は正直関係ない(社員としてプロセスの効率化を図ったりする頭脳系は別)ので、移民で賄うよりかは、ニート・フリーターをどうやって奮い立たせるかにかかっていると思う。
つまり知識・頭脳・技能で唯一無二あるいは高いクオリティを持つ移民には賛成だが、単なる労働人口の現象での受け入れには反対ということである。ただしこれはかなり利己的で勝手な意見であることは重々承知であるし、そこまで上手くいかないことも予想がつく。
特に作業員として来て建設・製造系で働いている移民だとリーマン・ショックのときに生産が落ち込んで労働者を大量解雇したのが記憶に新しいし、次にそうなった場合、日本生まれ日本育ちの自国民を優先して移民を見捨てるのか、それとも平等に扱い福祉を提供するのかでは意味合いが全く違ってくると思う。ただ移民に永住権・就労ビザを与えておきながら社会保障・福祉を与えないのは国際問題になりかねない。
社会サービスコストに関しては、移民への支給が重荷になるとしか書いてなかったが、改めて考えると現在高齢者向けの支給が追いついてないという状況で、財源と鳴る労働者が増えるという意味では移民もひとつの手段として悪く無いと思う。少なくとも短期的に見れば税収がプラスになるから。ただその労働者が働けない状況(怪我・障碍・高齢)になったときの保障は・・・?と考えるとプラスになるのかどうか疑問である。(ここでは移民=永住権で話しているので、もし数年の期限付き就労ビザで景気が悪くなれば更新しないと言ったことは考えていない。)
http://anond.hatelabo.jp/20140322145453
>不思議なことに、ご飯作る工場なのに、その話を聞きながらご飯を食べたくはならない。誰しも言うが、一度勤めると外食について足踏みしてしまうようになる。
えーマジで?
大手コンビニチェーンの工場行ってたけど、残り物の総菜がバイキング形式で無料だったから毎日腹一杯食ってたなあ。
まあ思い出してみれば弁当持参の奴も少数ながらいた気がする。
…と書いたものの、確かにお腹が空けばそういう風に感じていても食べると思う。とくに無料なら尚更。ただ、それでもあえてお金を出して買うことはしないだろうな…と思う。
そう簡単に国籍取得はできんやろ 震災以降は年一万ぐらいらしいで(http://www.moj.go.jp/MINJI/toukei_t_minj03.html
印象・感想で物事を書いていたので、データを頂いて有難い。移民=帰化と考えているので、受け入れたとすればこれからこの数字がどう変化するのかが問題だと思う。
学生時代に下落合にある学生センターで日雇いの仕事探してやっていたので、いろんな職種に触れられたのはけっこういい経験だった。まあまだギリギリ雇用がなんとか良かった時代なのもあるが。
実は今でも学生だったり年齢が一定以上だったり年収の基準をクリアすれば日雇い派遣で働けるらしい。様々な職種に触れるし、研修なんてないところがザラだから自分で考える力と、人を見て真似る力はすごく身についたと思う。
オバちゃん強いよねー
だから言ってるじゃん、工場のおばちゃん最強だって。日本は工場のおばちゃんたちで成り立ってるようなもん/農家のおばちゃんも強い/スーパーのおばちゃんも強い/おばちゃん強すぎ勝てないw
オバチャンのルーティンワークに対する適正は異常だ。ルーティンワークって気が遠くなるほど時間が長く感じるモンだけど、オバチャンは「鼻歌でも歌ってたらスグよ!」って笑って言ってた。
…などなどオバチャン関連のコメントが多くて驚いた。オバチャンが秘める力は偉大だ。定時でスパッと退勤するというコメントがあったが、これに関しては容赦なく帰る。子どもや夫がいれば尚更だし社員さんの「帰らないで」というお願いに「イヤだ、帰ります。子どもも夫もいるんで」と言い放ったオバチャンは、定時に帰るのは当然の権利なんだけれどもとてもかっこよかった記憶がある。そして仕事ができるオバチャンほど、室長だとかそういう肩書を嫌う。気づけば力関係が出来ている具合である。
最近のFAの流れを見ていると今までは「危険」or「重労働」or「人間では無理」で「単純作業」でないとコストが合わなかったロボットが汎用化されてこの辺りでも「単純だから」という理由で普及が始まる。震源地は中国
実は働いていた工場は予想以上に人力だった。機械を導入すればここにいる3人は働かなくていいのにと思ったが、機械を入れるコストが見合わないのか、面倒くさいのか…。型にはめる作業は人間がやって、押しこむ(圧を加える)のを機械がやるような機械と人間の分業が足りないと感じた。単純作業だからこそ機械と真逆を行くような「単純作業だからこそ人間」という感じだった。
感じ方は人それぞれだと思うが、少なくとも私はここの工場労働は社会の底辺だとは感じなかった。意外に楽しかったというのもあるが、何より人間味が少しでも感じられたのが大きい。上を見ればキリがないのと同じで、下を見ても果てしないのだと思う。
彼は気付いていない。人生は単純作業の積み重ねでできていることを。
社会と経済は単純作業の積み重ねでできているとなんとなく認識したが、人生までは考えていなかった。ただ接客と事務しかしてこなかった中で、工場のアルバイトというのは少なくともここに徒然と書くほどには考えさせられる出来事だった。
たまに「高校普通科は公務員養成校」という言葉を聞くが、教育がそもそも事務系に傾き過ぎな気がする。工業系の労働者が不足しているなら工業高校や工業大学をきちんと整備しなおすべきだし、専門家が欲しいのなら高校段階ならSSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)やSELHi(英語強化)をもっと推し進めるべき。単純労働者の不足が不安定雇用に原因があるのであれば、東急ハンズのように時給制だけど準終身雇用のようなものを推し進めるべきだと思う。ただ、ここまで単純な問題でもないとは思う。
いやいや、そこは逆でしょう。苦労してがんばったんだから買ってくれって言わなきゃ >できればコンビニに行ってもカツ関連の製品は買ってほしくない。あれが一番手間がかかる。
確かにそうなんだけれども、値下げキャンペーンの悪夢と言うべきか本当に沢山買われてしまうと工場内はえらいことになる。派遣の人もすぐに来れるわけではないし、一度に働ける人数にも限界がある。甘いと言われればそれまでだが、現場は「安定・漸増」指向だろう。
工場のおじちゃんも年を重ねているが、おばちゃんに比べて働かない人が多い。考えてみるとまず働けるおじちゃんはサラリーマンか他の仕事をやっているのだろうと思う。ここで女性の社会進出まで色々論じるつもりはないが、そのような要因で社員のように(時には社員以上に)働けるおばちゃんが本来はそこまで求められないパートとしていることに驚きを隠せない。
おばさんの件はカイゼンの形で吸い上げるシステムが欲しいね。学生時代にいろいろバイトしたけど食品加工と厨房だけはもうやりたくない。臭いで食欲失せる。最後の段は他国の高学歴リソースまで食おうって話でなあ。
そのおばちゃんはシステムとして全体を見ることは(立場的に)できないので、一部しか見て提言している可能性が大きい。例えば、そこが律速でなかったら、ペースにムラができ、時間管理が面倒になるとか。
いや肉体労働系のバイトをやると天下国家を論じたくなる気持ちも、個人的にはよくわかるよ。私は年末年始に郵便局のバイトをよくやるけど、その度に自分のブログでカイゼンを論じた。あとオバチャンも論じてた(^▽^;
すっかりほとんど全ての工程が自動化していると思い込んでいたことは前の投稿で述べたが、パートが不満を感じているというのはきっとどこもそう変わらないだろうから、そこで実際に労働者が感じている不便や、オバチャンの意見をうまく吸い上げて、きちんと解決策を提示できればビジネスになると思う。特に社員さんはカイゼンをしている時間が無いので、外部のコンサルタント会社や、機械メーカー・商社が参入する余地は十分にあると思う。オバチャンは鶴の一声といったところもあるので、それを見極めることも大切だろう。室長はその部屋の中のことを見て不満を漏らしているかもしれないが、実際にその提案を受け入れてしまうと他の部屋にしわ寄せがいく可能性がある。だが、問題を見つけるのは得意だと思うので、そこをつなぎ合わせる役がほしいところだ。
初めて見たときはちょっと笑ってしまった。ステマというよりかはネガキャンだろうか。
ほかにも多くコメントを頂いてとても有難い。移民に関してはわかりにくいという意見が多く申し訳ない。全てのコメントに返信することはしなかったが、全て読ませていただいた。やろうかな、興味あるなという人は、短期派遣から始めてみてはどうだろうか。全面禁止ではなく例外もあるので、派遣企業と相談してみると良い。単純作業への適性が大きく影響する仕事であることは間違いないので、経験としてやってみるのも十分アリだと思う。少なくとも僕はとてもいい経験だったと思う。
近年、関数型プログラミングの重要性はいろんなところで叫ばれています。
Javaの最新バージョンに関数型プログラミングに関する新機能が加わりました。
Rubyも昨今、関数型プログラミングへのサポートが手厚くなってきています。
プログラミングの教科書の大手、オライリー社から、Javascriptで関数型プログラミングを行うための解説書が発行されました。
関数型プログラミングへの注目度は高まってきています。
おそらく、みなさんは既にオブジェクト指向が何か、を知っています。
でも関数型プログラミングとは何か、胸を張って語れる人は、周りに見当たらないかと思います。
実際、オブジェクト指向によってプログラミングする方法は、わかりやすい解説があちこちにある一方で、
関数型プログラミングとは何か、何が良いのか、ということについての、よいまとめは見つけることはできませんでした。
この記事を読む方の中で、「関数型プログラミングを取り入れるか・取り入れないか」で切実に悩んでいる人は、おそらくいないでしょう。
この記事はあまり細かいところに立ち入りません。関数型プログラミングを使う側の立場に立って、利点や向き・不向き、それが導くスタイルを書きました。
みなさんは鳥のように飛んで、高い空から、関数型プログラミングとは何か、何が良いのか、を見渡してください。
オブジェクト指向的アプローチは、名前をつけてプログラムを整理する。
関数型プログラミング的アプローチは、汎用部品でなんとかする。
Googleが近年リリースした言語、Goには、”継承”を直接サポートする仕組みが無いことが話題になりました。
また、Mac OSXの基幹ライブラリCore Foundationは、ライブラリ自体はC言語で書かれているにもかかわらず、その設計方針は明確にオブジェクト指向です。
その本質とは"名前をつけて対象を識別し、それを扱うこと"、にあります。
最もプリミティブなオブジェクト指向の対象は、ファイルハンドラです。あるファイルを開いて、読み込んで、あるいは書き込んで、ファイルを閉じる。
これらの処理をまとめたら、わかりやすいですよね?
対象に関する処理を、対象の周りにまとめる。これがオブジェクト指向の基礎的な理念です。
識別することとイコールで比較できることは、とても良く似ています。
イコールによる比較は、オブジェクト指向では鬼門であることが知られています。
PointクラスのインスタンスとColoredPointクラスのイコール演算をどう決めればいいかに、正解はありません(詳しくは"effective java"をご参照ください)。
また名前をつけて識別する対象は、フワフワしていてはいけません。
たとえば、"軍人の階級"をオブジェクトにしたとしましょう。"大佐"クラスのある兵士は名前のフィールドや、性別のフィールドを持っているでしょう。
ところで彼が昇格したときに何が起こるでしょうか。
新たに"少将"クラスのインスタンスが作られます。"大佐"クラスを破棄する前に、名前、性別、その他沢山のデータを引き継がなくてはいけません。フィールドを増やしたい場合はその都度コードに修正を加える必要があります(*)。
なるべくイコール比較を避けたい。対象は不安定なものではいけない。では何に名前をつけて、識別するか。そこにオブジェクト指向技術者の熟練度が現れるのです。
一方、関数型プログラミングでは、特定の何かに名前をつけるより、極力、汎用部品でなんとかしようとします。
関数自体をリストなどのデータ構造に詰めることもよく行われます。
実は、関数型プログラミングというのは本質を表していません。
関数をはじめとして、リスト・ツリーのようなコンテナ、手続きを抽象化したもの、回路を抽象化したもの。
あらゆる対象を値として、合成し、ときに分解し、新しい値を作ります。
変数に適用する処理を作りあげることが、とても簡単だからです。
四則演算が定義されたデータを詰めたデータ構造もまた、四則演算可能だったり。
誤解を恐れずに言うと、オブジェクト指向がトップダウンなのに対し、関数型プログラミングはボトムアップです。
関数型プログラミングをサポートする言語には、沢山の汎用部品が定義されています。
このような構造をインターフェイスとして、様々なライブラリが組まれているので、
たとえばモナドを知っていれば、30分程度でパーサー(解析機)を理解することができて、
パーサーを理解できれば、JSONパーサー・ XMLパーサー・markdownパーサー・C++パーサー ... などを理解するのはとても容易です。
理解しやすいこと。これが関数型プログラミングの大きな利点です。
追記:
また、汎用部品と型のお陰で、ライブラリのドキュメントが圧倒的にひきやすい、というメリットも有ります。
Haskellな人がPythonにトライした結果 - Togetterまとめ
関数型プログラミングは「厳密な事前設計を必要とするため、簡単なことをやるのにも時間が掛かる」。
>> map (*2) [1,2,3] [2,4,6]
邪魔な”儀式”や、"おまじない"のコードが徹底的に撤廃されているためです。
関数型プログラミングのコードは、潔癖かつ濃密です。
たとえばC言語でint hoge(int x,int y)が定義されているとき、hoge(3)はなんの意味も持ちませんが(コンパイルでコケますが)、関数型プログラミングでは意味があり、実際に有用です。
上の例では、「掛け算をする」(*)関数は、二引数関数ですが、それに引数を渡して作られた「2を掛ける」関数(*2)は、一引数関数になります。
関数型プログラミングでは、「簡単なことは簡単にでき、複雑なことは複雑にできる。ただし、間違ったことは殆どできないか、全くできない」。
また、静的型付けの力によって、コード補完は非常に強力になっています。インテリセンスの比ではないです。
たとえば、関数中のある表記の型を任意に表示できます(GHC/TypedHoles - HaskellWiki)。
やがてやってくる未来には、プログラムをテキストエディタで書くことは時代遅れになっているでしょう。
統合環境のサポートで、バグやミスの少ない、スムーズなプログラミングができます。
そしてその環境で動くプログラミング言語は、関数型プログラミングをサポートした言語なのです。
以下の様な兆候を感じたら、あなたはそのプログラムを関数型プログラミングで書くべきです。
一般に、オブジェクト同士の相互作用が複雑になるほど、オブジェクト指向では手に負えなくなっていきます。
そういうときは、オブジェクトを直接扱わず、替わりにその"相互作用"を扱うことで、複雑さを軽減するアプローチが有効です。
それこそが関数型プログラミング的アプローチです。
特にオブジェクト指向が有効なのは、プログラミング初心者がそのコードをいじるかもしれないときです。
関数型プログラミングは、強固さと柔軟さの代償として、高い学習コストを伴います。
オブジェクト間の相互作用が複雑でなく、着目している(名前をつけている)概念が安定しているとき。
そして、プログラムをいじる人たちの間で共通理解が図れているならば、オブジェクト指向が有利です。
遅延評価という機能によって、レガシーな言語で扱えなかった、巨大な数を扱うことができます。
関数型プログラミングで書かれたプログラムは、正確さが要求される、金融関連の業界で使われています。
手続きとしてパーサーを記述できるので、テキスト処理プログラムはより理解しやすく、メンテナンスしやすいものになります。
関数型プログラミングを知らない人は、「正規表現でおk」と言いますが、
彼の書いた複雑な正規表現は、半年後には(書いた本人でさえ)理解できなくなっていることでしょう。
手続き一般を扱うことができるので、途中で割り込みのある手続きの表現も容易です。
関数型プログラミングをサポートしていない言語ではコルーチン(ファイバー)などをつかってなんとかするしかありません。
さもなくば、非並行処理では普通に関数として記述できるところを、並行処理のために、Builder,Strategy,Command,Interpreterパターンを駆使して書き直すことになります。
Javascript使いの方は、Deferredなどの構造を使うでしょう(http://qiita.com/KDKTN/items/4c6986049d204f0645d8)。
C++使いの方はBoostで頑張りましょう。破滅的に解りにくいコンパイルエラーメッセージと格闘してください。
もう少し簡単な例をあげます。
あなたは、あるレシピにしたがって、自動的に料理を行うマシンの制御プログラムを書いているとしましょう。
1. まず玉ねぎを炒める。
2. 飴色になったら、肉を加えて炒める。
3. 野菜を加える。
4. 水を加えて煮る。
5. スパイスを加える。
…できませんよね?何故ならば、各ステップの"間に"、マシンのロボアームの位置や動きを調整する処理が必要だからです。
これをオブジェクト指向でやろうとすると、各ステップの副作用として、それらの処理を行うことになります。
そうすると、マシンが二機に増えた時などの変更量は、絶望的なものになります。
あるいは関数として表現するのを諦め、手順全体をDSLで記述できるようにします。
このアプローチは関数型プログラミング的です。しかし関数型プログラミングをサポートした言語の助けなしでは、そのDSLを記述するために沢山のユーティリティーコードを書かなくてはならないでしょう。
オブジェクト指向的アプローチでこの問題をエレガントに解こうとすると、クラス化の粒度を上げる事になります。
野菜クラス、フライパンクラス、ボイルクラス、フライクラス、焼き加減クラス、アームクラス、野菜の大きさクラス、切り方クラス、焼き方クラス、"焦げたよ"クラス、etc...
こうすると早晩レシピはプログラムのコード上から消え去ることになります。上記のたった5行は、依存性注入のオブジェクトグラフを構築するコードに取って代わることになります。そこには沢山の挙動の制御がオプションとして付記されているのです。
カレーなど、ある種のレシピに限定することで、見た目の理解しやすさを得ることができますが、一方それは表現力を損なうことを意味します。
C言語などではマクロを使うこともできますが、それは結局、関数型プログラミング的アプローチの意味するところと同じになります。すなわち、補助のために沢山のコードを書くことになるでしょう。
iOSのAppstoreアプリは、"無料"と書かれたボタンを押すと、それが"インストール"ボタンに変わり、それをもう一度押すと、ダウンロードの進捗を表すインジケータに変わり、それを押すとダウンロードをキャンセルできます。
このように、位置は同じなのに、ステートに依って見た目と機能が変わるボタンは複雑です。
これをオブジェクト指向で実現しようとすると、
という下らない問題にぶつかります。
一方関数型では、"機能"、"見た目"、"状態"、を独立に扱って、それらを合成してボタンを作るので、迷うことはありません。
「同じ位置にあるUIオブジェクトは、コード上で(インスタンスとして)独立して、他から干渉を受けない」
この条件が満たされているうちは、オブジェクト指向でGUIを実現することに無理はありません。
しかし、携帯端末のような小さい画面で、多くの機能を達成するためには、UI要素はコンテキスト依存的に複雑になりがちです。
近年、PCのディスプレイの大きさは、頭打ちになってきました。
画素数は増えているのですが、MacにおけるRetinaのように、複数ピクセルでひとつのドットを表すようになってきています。
これは、ひとつの画面に置かれるボタンなどのUI要素の数は、これから先の未来で増えることはない、ということを意味します。
したがって、未来のGUIのプログラミングは、注意深く機能をピックアップして制限するというデザイナーの努力を脇におけば、
関数型プログラミングの力を頼るしか無いでしょう。
つまり…
Haskell さいこうなのおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! おしっこ漏れちゃうのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお(゜∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
1. google:すごいHaskellたのしく学ぼう を注文する。
2. Download Haskell を自分のPCに導入する。
3. コンソールにghciと入力して、対話型コンソールを立ち上げる。
4. 次の関数をコンソールに打ち込んで、結果を見る。即値で書かれているところとかをいろいろ変更してみて、感動する。
take 4 $ map (*2) [1..]
追記:
いかがでしたか?
ちまたには、関数型プログラミングの利点は変数が無いことだ、とか、より安全だから、とか、より速いから、などという妄言が満ち溢れています。
オブジェクト指向と関数型プログラミングは、水と油ではありません。プログラマは自分のプログラムに最適なアプローチを選ぶことができます。
一般にはあまり知られていないことですが、Haskellにもオブジェクト指向へのサポートがあるんです(Lensライブラリ、これを使用したサードパーティ製ライブラリも最近増えてきています)。
この記事を読んだオブジェクト指向プログラマのあなたが、少しでも関数型プログラミングに(そしてHaskellに)興味を持ってくださって、ホームセンターの大人用オシメのコーナーが大賑わいになれば幸いです。。
地元から大学進学と共に都会に出た人間だけど、地元志向の人に対して違和感を感じていた点は、所得でも知的レベルでもなく、たった一つ。
ソーシャルグラフとインタレストグラフを一致させようとすることだけだ。
言いかえると、たまたま近所に住んでいるから仲良くなった子や、たまたま同じクラスになったから仲良くなった子、
たまたま同僚だから話すようになった人に、積極的過ぎる「趣味の布教」を行う点。あるいは布教に応じなかった人を拒絶する点。
私は、近所に住んでいる人とは地域の話をすればいいし、クラスの子とは学校の課題やイベントの話をすればいいし、
同僚とは仕事の話をすればいいし、趣味の話をしたければ趣味のコミュニティに所属すればいいと思うのだけど、
地元志向の人は、"イツメン(いつものメンバー)"と全ての話題を共有したがる傾向にある。
だから地域・学校・職場などの枠組みにたまたま結び付けられただけの人に、趣味の一致まで求めてしまうんだよね。
趣味の押し付けはヤンキーに限らず、オタクもやっていた。地元オタクの友達関係も"イツメン"的だよね。
趣味の種類が、車やバイクの改造なのか、同人誌を描くことなのかっていう違いだけで、押しつけがましさは一緒。
これが嫌なんだよ。自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間を求めている感じが気持ち悪いって感じる。
子どもは、他人と自分の違いに対して傷つき感を覚えるらしいけど、成長に従って違いを受け止められるようになるという。
地元的、"イツメン"的な人たちは、いつまでも違いを受け止められない「子供」の部分が、
外見が太ろうがシワシワになろうがハゲようが、一生むき出しになっているようで、
それが美化されて称賛されている様子がなんだか露悪的なものに感じて、引いてしまうんだよ。
そして都市部でも実は地元民同士行われてる。このひとが地元に戻れば当然そうなるだろうし、でなければ地元でも浮いているんだろう。おいらが同じ人種だからよくわかる。
東京で生まれ育って、固定化された人間関係に満足してきた東京都民とは分かりあえないだろうし、
地方Aから地方Bに移住した人となら、もしかしたら分かりあえるかもしれない。そういう感覚です。
「自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間を求めている感じ」がとにかく嫌なんですよ。
お互いにその甘えを押し付け合って、依存し合って、監視しあって、縛りあっているんです。
グループ内で数多くの不文律が出来ていて、破ると「非常識だ」。
グループ内では同じものを好きになって同じものを嫌いにならなければならず、期待にこたえないと「裏切った」。
そして「非常識だ」「裏切った」と言われないで済むように振る舞えることが「コミュ力」だと勘違いしている。
これが嫌なんです。表面的に期待にこたえて何とかしのぐことはできますが、永久にこれを続けるのは耐え難いです。
彼らはそれが幼稚な依存関係であることに気付いてすら居ない。依存関係のことを「絆」と言い換えて美化している。
そして依存関係を自分と同じように美化しない人を批判して、仲間内の依存関係を強める道具として活用するんです。
よく出来たシステムだと思います。しかし私は短期的には耐えられますが、長期的にこれに耐えるのは負荷が高すぎて無理です。
いつも同じこと出来る仲間がいることが悪いことなのか? 都会でそういうものから開放されたのに、わざわざこんなの書くのは何でかな。少しでも羨ましいという気持ちがなかったといえるのかな。
都会に出てもなかなか解放されないんですよ。都会に居る人が皆そうではないという訳ではないので。
都会に暮らし、社会的地位や経済力を持っていても、「自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間」を求めている人は居ます。
羨ましいとは思えません。"イツメン"の内部では、イジメとは行かないレベルの醜悪な「イジリ」が蔓延していることも知っています。
(彼らはイジる側に居る時は「冗談」「ネタ」と言い張って、イジリを止めようとする人を「ノリが悪い」と批判します。
そして自分がイジられる側になると「酷いイジメを受けた」と言い張るか、自分より弱い対象を探してストレス解消のサンドバッグにします)
そしてLINEグループから外される恐怖、陰口を言われているかもしれないストレスと常に隣り合わせであることも知っていますから。
特に親しい友達が居ることが悪いことだとは思わないんですよ。私にも居ますし。
ただ、違いを受け入れられない幼稚さが気持ち悪いんですよ。
オレはこれまで一人で生きてきたし、これからも一人で生きていける強い(成熟した?)人間だ、と言いたいらしい。この強さの幻想は都市空間と若さがもたらす限定的なものなので、あまり過信しないようにね。
そんなこと一言も言ってないです。
ぼくはレイシストです。まで読んだ
書いてません…。
まるで監視社会かのような濃密なコミュニケーションネットワークだと、趣味部分への干渉も同じようになされるケースは結構多そうだよなぁ。無意識だったり善意だったりする場合もありそうだし。
だからこそ、その善意に対して不快感をあらわすと叩かれるわけですけど。
ただ「善意でコーティングされた押しつけがましさに対してストレスを感じる」こと自体は、
「おまえどこ中だよ」「イツメン最高」系の人でも経験あるはずなんですよね。
「自分の趣味を押し付けたいから、押し付けられることも受け入れなきゃいけない」という取引に縛られてるだけな気がする。
で、この「押し付けたい」が幼稚であり甘えだと言いたいわけです。
オキシトシンは中枢神経で働く神経伝達物質でもあり、母子の絆や、信頼や愛情といった感情、グループ認識などの社会的行動にも複雑に関わっている。
オキシトシンは、自分の嫌いな人が何かに成功した場合には嫉妬をかきたて、嫌いな人に自分が勝った場合には得意な気持ちにさせる、というものがある。
私が嫌悪しているものって「オキシトシン過剰」の一言で説明できるものかもしれませんね。
より厳密に言うと「オキシトシンの負の側面に目をつぶってオキシトシンを礼賛するスタンス」。
とりあえず私が作ったわけではないことだけは主張しておきたいです…。
http://j-lyric.net/artist/a00839f/l027f2d.html
地元じゃない人が多い大学でも企業でも同僚に趣味や共感を求めまくる人は一定数いたから地元かどうかだけじゃなさそう。ただ、人生で会う人間の数が少ないまま大人になることで一つしか人間関係が想像できないのかも
地元志向と「知人と自分の同一化を求める人間」はイコールではないのに、私の中で強固にイメージが結び付けられているのは、
地元志向で生まれつき与えられた人間関係に籠る人ほど「人生で会う人間の数が少ないまま大人になる」傾向にあるからかなと思いました。
でも確かに偏見でしたね。調べれば確実に強力な相関があると思いますが、イコールのように言ってしまったのは偏見でした。
内容自体は趣味押し付けてくる奴うぜーの域を出ないのだが、それを地元志向とか関連性よくわからん呼び名でタイトルにしちゃったのが残念な増田。まぁさすがにレイシストは言い過ぎだろとは思うので同情しとく。
「レイシストは言い過ぎ」というか、地元志向には排他性(よそもの嫌い)が伴うので、地元志向の人こそレイシストに近いと思います。
「地元愛」と「隣の県の人間が嫌い」が表裏一体だったりします。
うざい奴が決まって持ち合わせている幼稚さは故郷を離れてヨソモノとしての振る舞いが必要な環境にいれば改善されたのではないかと思わせられるって話でしょ?めっちゃわかる。
はい…。そういう話です…。
「好きな男以外に性的な目を向けられるのなんてむしろ苦痛」だったり
「お洒落をするのは女性の目を気にするから。男性受けは二の次」なんて言い方は昔からされてるような気がする。
「性的対象になる」ことと「愛される」ことは、伝統的な女性の価値観じゃイコールではないような。
「性的対象として見られたい。それによって自分の価値を確認したい。そのためならば相手は問わない」
承認欲求の満足度を、『質的(=誰に認められるか)』より『量的(=どれだけたくさんに認められるか)』に計るというかね。
(女性ならこう、男性ならこうって決め付けるわけではなく、“伝統的に言われている”男性的・女性的な価値観で言うと、だけど)
ただ、「愛されたい」=「“勝者になりたい”ではなく、“勝者による被庇護者になりたい”」だったり
「よき支配者に、被支配者として可愛がられたい」みたいなニュアンスであればわかる気はする。
女性的な「愛されたい」って、性的魅力とバーターで自分の短所を許してほしいってことだと思ってる。
「性的視線を浴びたい」は、性的価値を他人に認めてほしいってことなので、イコールではないね。確かに飛躍してた。
体を鍛えたり格好をつけたりのいわゆる『モテ』を追求
キョロ充・リア充・エリートはこういう"まっとうな"道をたどるよね。
自分が男性として性的に魅力的な人間になることを完全に諦めてたらそうなるんじゃないかな。
生まれつきの顔がキモメン過ぎて、何をしても無駄と思ってたりとか。
実際にキモメンかどうかよりも、自分で自分をキモメンと思っているかどうかが重要なんじゃないかな。
あるいはただ怠惰なだけだったりとか。
「40歳男性が、子供を持ってる比率」(有子率)というのが、国勢調査や住民基本台帳データで存在しているのかな?と思って調べてみたが、
意外なことに、そういう基本的なデータを、国は持ってないらしい。
女性の場合であれば「経産婦か否か」というデータを取っているが、男性に関してのデータが存在しない。
国以外の機関で、そういうデータがあるのか、と調べて見たが、女性については存在しても、男性については無いようだ。
※「有子率」で検索してもダメだが、「無子率」ないし「生涯無子率」で検索したらそこそこヒットする。
女性の生涯無子率が37%なので、性比を考慮したら男性の生涯無子率は40%程度と推察出来るが、正確じゃない。
そもそも自分がなぜそのようなことを調べようと思い立ったか、と言えば、
「世間的には『いくら未婚化、少子化でも、まあ7割位の大人には子供がいるよね』という『思い込み』があると思うが、
実は40歳男の有子率は50%未満で、有権者全体の平均有子率も50%未満なんじゃないか?」という素朴な仮説。
実は自分の素朴な疑問は、11年3月4日に東浩紀が同じ疑問をツギャッターしてた。
しかも、この単純な疑問、いろんな有識者がツギャッターに参加してたが、「実は個人単位の集計が存在しない」で未解決で終わっている。
「子持ち成人が子無し成人より多数派である、という常識は間違ってるのでは?
政策決定に影響するのでは?」ということ。自分も同意見である。
政府は「子供の絶対数」を重視する為、「平均子供数」統計は重視するが、
「子持ち成人と子無し成人の社会学的な差異」は無視してる為、「子持ち成人数」「子無し成人数」というデータを用意してない
政府は「子供一人の成人と子供二人の成人の差」は「子供ゼロ人の成人と子供一人の成人の差とイコール」と見なしている。
一方、東浩紀は「子無し成人と子持ち成人では質的に決定的な差異がある」
「子供一人成人と子供二人成人の差異なんて、子無し成人に比べたら誤差の範囲」としている。
だから、40歳時点での男性婚姻率が60%未満なら、40歳男性の有子率は50%未満になる計算。
確か男性の3人に1人が生涯未婚と聞いてる。つまり40歳男の婚姻率は67%未満。
だから、40歳男の有子率が50%あるかどうか、微妙だと思う。
あと能面ヅラ美のブログにあったネタだが、「孫無し高齢者が増加することの、社会的影響」を社会学者は本格的に研究した方がいい。
孫無し高齢者は孫有り高齢者より平均寿命で1~2歳は短い、というデータが出てもおかしくない。
将来「孫無し高齢者」率は5割に達する、の予想をみたことがある。
従来の「高齢者は孫がいて当たり前」という常識は通用しなくなり、高齢者の健康・精神状況に悪影響(高齢者犯罪増加の一因にも)。
孫有り高齢者と孫無し高齢者の平均寿命分析などは、個人情報保護法を無視して、研究の為の戸籍謄本取得を認めれば、そんなに難しくない。
「女性向けに裾野が広がった」「女性向けアニメが作られるようになった」って話と
「アニメがつまらなくなった」「硬派な作品が減った」って話はイコールじゃないんじゃないの?
てツッコミだよ。
そこには相関があるの? っていう。
ほい。
ざっくり見た限りでも
・ファミリー層向けじゃなくて
・女向けでもない
アニメいっぱいあるように見えるんだが
アフロサムライ:レザレクション 木崎文智 2009/12 ゴンゾ 漫画(岡崎能士)
いばらの王 ‐King of Thorn‐ 片山一良 2010/05 サンライズ 漫画(岩原裕二)
アップルシード XIII 〜遺言〜 浜名孝行 2011/06 Production I.G 漫画(士郎正宗)
劇場版 空の境界:第四章 伽藍の洞 滝口禎一 2008/05 ufotable 小説(奈須きのこ)
GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0 押井守 2008/07 Production I.G 漫画(士郎正宗)
…
…
そもそも「硬派なアニメ」と「面白いアニメ」と「売れたアニメ」は全部イコールではないわけだけど
そうじゃないの?
で、女が何なんだっけ?
感情論でなく反論できる人、いるのかな。
<組織論>
1)大型組織の人材
看板は残る。三菱東京UFJ、みたいに。でも必要となる社員のスキルって30年後代わってるよね。99%ぐらいは。だから定期的に入れ替えた方が良い。つまり、40歳定年制がベースで、1%の幹部以外は
いらなくなるよね。
2)中型組織の人材
中型組織って99%はパーツ型組織だよね。つまり、販売/生産/企画開発の中の、どれかでしかないよね。使われる立場だよね。使われる立場の企業の人間って世の中がどんどんオープンにネットワークしてる以上、世界的な競争とスキルの陳腐化が激しい中で「安い」「頑張れる」ところ以外消えていくよね。というか、ブラック度を極限まで上げた企業がかつよね。
<営業orクリエイティブ論>
1)
営業ってさ、基本的に表現、伝達する事が仕事じゃん。ついでにいえば、伝達、整理、じゃん。
これってさ、インターネットとかネット広告とかメールやウェブ動画のプレゼンとかで、圧倒的に効率化かつ地域性を失ってきてるじゃん。
つまりさ、すごい経営者側がどこの人間採用しても同じようになったわけ。
イコールさ、1人1人の労働のバリューが下がってるわけでさ、中国人の日本語しゃべれるヤツとかスッゲー増えてる訳じゃん。
あるいはさ、すっごい営業職が1人いればさ、そいつに1000人分の仕事をさせやすくなったわけでさ(つまりウェブ動画とかさ)
そうすると、一般営業職というかそいつらってさ、価値がなくなってない?
2)
クリエイティブってさ、基本的にクライアントありきだとおもうんだ。
使ってもらってナンボというかさ。
プロブロガーみたいなのは置いといて(彼らは増えないとおもう。視聴する側の数は代わらないくて参入者は無数に増えるから、今後半端ないレッドオーシャンだよ、ブロガーでくってくの)
バリューってどうなのって話でさ。
エンジニア、デザイナー、あるいはなんかクリエイティブだとか言われてることで、仕事したことある人はわかるだろうけどさ、
「すっごく」代替可能じゃない?実は全然個性とか必要とされなくない?
クライアントの求めるアウトプットを専門性を活かして一つの正解を出す事が仕事だと思うのね。
それでいうとさ、クライアントに可愛がられるスキル命になってしまうわけでさ。
それってつまり、クリエイティブに限らずコンサルもそうなのかもしれないけどさ、
ハンパなく1人1人の意味を求められててさ、結局時間当たり生産性が他の専門職の何倍か?ってことしかパフォーマンス差でないとおもうんだよ。
特殊な価値が出せるっていうよりも、時間当たり生産性が、ってことね。
生産性が今10倍だとするよ、5年後は多分その生産性を素人でも出せるような技術がととのってると思うんだよ。つまりさ、その人の仕事の価値は自然に10分の1になるよ。
それでさ、どうせオマエらは今10倍だったら、その後も磨き続けて10倍以上を維持すんだよ、っていうだろ。
バカかってことでさ。茹でガエルか。
わかるだろ、技術の大幅な変化。技術の変化に伴う開発スタイルの変化。根本的な陳腐化してくんだよ。
デザイナーでも手書きで何度も先輩の絵を真似して書いてたヤツなんか、オナニーだってわかるだろ?
いまフォトショやイラレ使えねーと新人よりも仕事の戦力にならない。
そんな現象が今後も繰り返すんだよ。
「人類の進化!」として。
3)
じゃあ調整力が高くて人を巻き込んで使うような人材が残るのかって?
バカじゃないの?自己啓発セミナーでも行き過ぎて脳味噌とけてんじゃねえの?
アホか。
マネジメントっていうか、ミドルが圧倒的に”いらねー”世の中になってんだよ。
ミドルがなんでいらねーのかって?
「ウェブ会議」「スカイプ」「チャットワーク」「社内用の各種調整ツール」
ミドルなんかいらねーんだよ。
意思決定の擦り合わせ??
4)
金銭的にいったらそうだろね。年収1500万円以上のプレイヤーは増えるよ。
世の中のね。
トップエリート=「かえの効かない人材」になるしかないんだよ。
でもそんなもん、おるか?
いねーだろ?
「中国語と英語と日本語がネイティブ並に話せます。もちろん大卒で経済学とかバッチリです」っていうだろ?
いや、そんな人、台湾で300万円で一生懸命働く人で10万人以上いるけど大丈夫?ってはなしよ。
そいつらより、国際人を売りにしてるオマエら仕事できる?
ちなみに、経済学部って日本で一番たくさんある学部の人間だよ?
でさ、公認会計士になるじゃん。
いま、資格取得のために学習したことが活きる仕事についてるヤツって何割いるんだよ?
3割?
弁護士なんか大量に新人増加させただろ?
新人が仕事できるようになったら大丈夫みんな稼げるって、予備校講師に騙されてるんじゃないの大丈夫?
上の奴らは今の既得権益を死守。そして安い弁護士を雇って拡大を狙う。
つまり、今嬉しいのは事務所の社長だけだね。弁護士だったら弁護士事務所の社長はいいよ。中堅の使えない高給取りをフレッシュで安い若手にチェンジ!するだけ。
そんでひたすら今までのクライアントに頭下げて、ケツの穴なめてりゃいいよ。
東大生って毎年3000人よ。一橋生はよくわからんが1500ぐらいだろ。
で、早稲田慶應でもさ正直採用する側ってどっちでもいいんだよね。東大でも早稲田でもかわんねーんだ。
でもさ、4500人分も毎年新しい高度な仕事が生まれてるなんてだれも思ってねーだろ???
つまりよ、30年かけてそれなりの給与貰ってた一流人材もその辺の一流学生をちゃっちゃと教育したら、3年で使えるようになるからさ、
それで安くて元気な若手をかいこんでんだよ。
いや、ぶっちゃけさ、3年がんばって貰えばさ、30年プレイヤーより下手したらパフォーマンス上だぜ?
で、1%の層はさ、下のこいつらと壮絶に競争し続けんの。
じゃどうなるとおもうってさ、
下を徹底的に潰すだけなんだよ。
あほらしいけどさ。潰すのが正解になっちゃう。
ま、ともかくさ、ほとんどの仕事って、
5)
どうしたらいいのー? by 中川パラダイス of ウーマンラッシュアワー
ってことでさ。
鬱にナンだよ。
「結論、お前は何もんだ??」ってことだよ。
どうキャリア開発していくべきなん?ってことだよ。
いやお前がさ、すでに1500万円を安定的に年収で確保できてて、急に400万以下に転落する怖れがないならさ、しらねーよ。
でも俺は違うからさ。
まだ、この分野の◯◯ですっていっても世間的に認知されてない(狭い業界内評価なんか業界ごと浮き沈みしたら意味ネーンだよ)
で、営業職としてもさ、人脈ってどうってわけ。
いや確かに他社の一部上場企業の役員とも仕事してるし名刺は綺麗だよ。
でもさ、ビジネス上のネットワークってほとんど瞬発的なものじゃない?ちがうっけ?
ばっかじゃない?っていうのが実際なわけ。
俺さ、せっせと仕事してるし、そこそこな評価ではあるよ。
でもさ多分これ以上あがんねーんだろなっておもうんだよ。
仕事以外で何か見出せ?あーそうですかって感じ。
転職?転職したら0からやり直しだよ。ファックユー。ほとんどの転職は年収下がるんだよ。転職エージェントに騙され過ぎだろバカ。
あーくだらね。
あー、死にてー。
独立?バカじゃねーの?起業したら1年毎に30%OFFだよ、つまり10社あったら1年後には7社しか残ってない。2年後は5社。3年後は3~4社。4年後は2~3社。5年後は1~2社。ってことよ。
独立してほとんどの人間は年収が「大幅に」さがるってデータ知らねーのか?
独立して給与あがるのは、400万円以下でこき使われてた人間だが、実際1000万円以上もらう価値のある人間だったって時だけだよ。
実際な、年収高いヤツには高度な仕事させてくれやすいんだよ。年収低いヤツは低レベルな仕事につきやすいんだよ。
仕事の質がほしいんだよ。
ああ。
独立したらいいよってそれでも言うヤツは、
◯◯って欲に満ちたブログ読むといいよ。
投資家が一生懸命若いヤツを焚き付けて、カネにしようと必死だから。
投資家のおもちゃになって起業したみなさん、おつかれさまでした。
そして
投資家のおもちゃにならずに起業したみなさん、5年以内に90%が社会的に死ぬと思いますががんばってください。
そして
おれはエンジニアだ未来が綺麗とかおもってるという方は、中国やバリのエンジニア養成学校の方々と綺麗にバトルしてください。
とくにグローバルっていって社内での英語コミュニケーションが加速してる会社は楽しんでください。
そして
おれは営業だ、永遠のテーマだとか思ってる方は、営業職の役割が今後爽やかに代わっていくことを楽しんでください。
そして
おれは人材業者だ、人をまっちんぐする神の手、あるいは人事さ、と思ってる方。
マッチング業はどんどん安価になりますよ。究極的にはZEROまで収束します。Wantedlyとか、Jobshareみたいにね。
価格破壊は止まらないよ。実態の大した事ない仕事してるわけだから、君らはそのうち消える訳さ。
そして
ここを否定したくて仕方ない。
でもここは最後まで消えない気がするんだ。
でも最低10億円規模以上のファンド持ってたり、機関投資家だって人だけの話だよ?
証券アナリスト持ってますテキな人はさっきのエンジニアとかの専門職と同じ人生だからよろしくね。
そして
うん。◯◯みたいな会社もそうだね。
でも幸せなのかもなっておもうよ。
さて、
どうやれば救われる?
オマエらはほとんどそうだろうが、どうやれば救われる?
ぶっちゃけぬるま湯のカエルは、ぬるま湯に使ってた方が幸せなのか?
思考を止めた方がいいのか?
考え過ぎだというのか?
一定の解を知りたい。
思考停止するのが怖い。
諦めると自分が廃人になりそうだ。
アル中になって
あと30年やそこらの仕事ざかりを過ごして
ああ俺は特に何もなせなかったな、っていって死ぬのは嫌だよ。
ああ、こええんだよ。
ごめん。
一緒に腐っていくのかな、お前らと一緒に。
早いか遅いかだけなのかな。
あとさ、こういう不安を煽ったり一言いったりして稼いでる
から大っ嫌いだよ
あいつらは煽り過ぎでマジな情報を脚色しすぎて本質がズレてる。
こういうのじゃなくてさ、
リアルな匿名の場でさ、リアルな事情含めてさ、今後について語りたいんだよ。
コメントとかつけてくれよ。
それでさ、
一人でも多くさ、
「仕事を諦める」って以外の選択肢をさ、
導ければなって思うんだよ。
うそうそ。
楽観的に生きていけばいいんだよ。
考えたら負け。
どうせ無理なら現状を無駄に肯定して、
おれ幸せ!って毎日100回唱えろ。自己洗脳に掛かって幸せになれるよ。
ソンジャーネ
---
25時12時に追記
都合により一部削除しました。
涙目です。
---
25日18時に追記
意外とはてぶ付いててビックリ。
ほんの15年前、1999年を考えてみてよ。
Word/Excel/Powerpointほとんどなくてさ?
「コンサルティング」業務やサポートの必要が急速になくなったよね。ググれカスに代わった。
ほんとうの変化が起こるのこれからだよ。
15年後、今の35歳が50歳になんの。
ほぼ全員ネットで「ちゃんとぐぐれる」でしょ?
インターネッツじゃないひといなくなるでしょ。
購買行動かわるよ。
人と人のコラボレーションかわるよ。
当然、営業スタイルかわるよ。
当然、調整業務のスタイルかわるよ。
生き残るのは接客業の方々だね。
ってな。そういう仕事はなくならねえよ。
社長、今日もネクタイいいですね。ってなそういう仕事はなくならねえよ。
電話受付は今もなってるけど、メールフォームとか、チャットとかになって簡素化。
ああ、面白い。
今まで200人は最低必要だったビジネスが、10人で楽に回せるよ!
さしずめ、スーパーエンジニア3人、スーパー営業職3人、激ブラックな雑用3人、ファイナンス担当1人って感じかね。
.........さて、メシ食うわ。
25日21時50分追記---
結論いうとさ、実はハラを決めて、待つしかなくて、良い意味で諦めたほうが安全だぞってことだ。
▼下のような動画に動揺したら生き残れない。リクルートにカモにされるよ!これらをポジティブに受けいれよう!▼
例1:子どもに夢を託すな。
http://www.youtube.com/watch?v=yJhQx1oaAx0
http://www.youtube.com/watch?v=jpC_kJbS3RQ
例3:社内失業、2万人以上の余剰人員。
http://www.youtube.com/watch?v=tdnWgXdILG8
例4:さわやかな上司と部下の意思疎通。
「バグ対応遅すぎ」じゃねーよお前バグ報告から2時間で対応完了するスマホアプリの運営ほかに知ってんのかよ
お知らせも読まずに思い込みでずーっと批判してんじゃねーよ10文字読めばお前の文句は解決するよ
それに賛同する周りも周りだよお前ら空気に流されすぎなんだよ一回深呼吸して考えてみろよ
あとな、お前らが引き合いにだしてる他ゲーの運営な
あれ表に出てないだけで運営うちだから。対応方針も同じだから。
送ったメールちゃんと読めじゃねーよマジで誇張抜きで全部読んでるよ貴重な意見だから一通一通ちゃんと目を通して耳を傾けてるよ
でもそれと意見を取り入れるのはイコールじゃねーんだよバカかよあとさー
いちいちいちいちいちいちいちいち皮肉を織り交ぜてくんじゃねーよ言っとくけどそれマジでマイナスの効果しかねーからな
俺のモチベが下がるのはともかくお前の意見も通りにくくなるぞこっちだって人間なんだよ
お客さんを好きになるっていうのを大事にしてるんだが
こんなに好きになれないお客さんは初めてだわ
あーもーほんとどうしよーかなー
以下、ウチみたいな中小零細企業の話。
無担保の融資もあるけれど、決算の内容が相当良くなければそのハードルはクリア出来ない。
そもそも、潤沢な内部留保がある会社が切羽詰まって融資を求めることなど無いだろう。
この個人保証が経営者を悩ませ、不安にさせ、うつ病にもなるだろうし、最悪自殺もする。
そりゃ、自分で好きで始めた商売なんだから、最後は責任を取るのは当たり前だよ。
ただ、何かあった時に失うものが大きすぎるんだ。
数千、数億の借金が残って、最悪破産にでもなれば、残して良いと認められるのは現金100万円まで。
この、「全て失う」の中で最も怖いのが「住まい」だ。
家を失い、身内に頼み込んで保証人になってもらったアパートでの再スタート。
最初は強がって、また再起を図って家を買い戻すぞとか、破産してある意味さっぱりした気持ちで前向きに家族や自分に言い聞かせるけど、
もうお金を借りれなくなってる以上、再起を図る事も、家を取り戻す事は不可能なんだ。
それに気がついた時、家庭には暗い影が落ちる。
転職しようにも、経歴と年齢で取ってくれる所は殆ど無いだろう。
バイトみたいな仕事にありついたって、既に一家を支えられる収入にはなりえない。
今まで、専業主婦か経理をやらせていた妻もパートに出るようになる。
そしてお互い疲れてくる。
疲れてくれば、ストレスとなり、前向きな気持で押さえ込んでいた不満が爆発する。
こんな惨めでつらい思いをするならと、妻は離婚を考える。
妻につらい思いをさせるならと、夫は離婚を考える。
ただ、家が残っていれば別だ。
日本人にとって家というのは、人生の集大成みたいなもので家族のアイデンティティと言っても過言じゃない。
その家さえ残っていれば、どんなに疲れていたって、職場で惨めな思いをしたって、きっと耐えられるんじゃないだろうか。
高級車も、現金も、不動産も株も、何もかも失ったって家さえ残っていれば、慎ましくも家族の絆を保って過ごせるのではないか。
家を取られていい気味だと、思うだろうか。
債権者会議で誠心誠意お願いをしている元社長に、家を取られて当たり前だ、家庭崩壊なんて知るかと言えるだろうか。
何もかも奪わなければ、納得出来ないと思うだろうか。
800万程の金を回収できていない。
もし債権者集会が開かれたら、家まで取ろうとは思えないだ。
但し、その社長がまっとうな人物で、普通の家に住んでる場合に限るけど。
最悪の事態は経営者ならだれでも考える。
破産した元社長を前に、明日は我が身だと構える社長も多いはず。
やるだけやって、肩書も権力も財産も信用も失う人間に対して、せめて家くらいは残してやっても良いと思うかもしれない。
翻って、我が身にその災難が降りかかった時、同じように家だけはと思うはずだから。
今回は何故こんな事を書いたかというと、取引銀行から案内が来ていて、債務整理や破産(免責は生じてない事)したとしても
一定の資産を手元に残す事を申し出ることが出来ますよと、そういったガイドラインを作りましたよって内容だった。
そこには、「華美でない自宅」の項目もあって、最悪何があっても自宅を守れるならば、経営者はもっと前向きに事業展開出来るんじゃないかと。
実際、この一文だけで俺も心の中の得も言われぬ不安が少し取り除かれた気がして、今日は何だか気分が良いのです。
余談
世間が思うような経営者像として、社員を薄給でこき使いながら自分は贅沢三昧で高給取りってのがある。
お気楽なもんだと。
だが、実際はそんな経営者はごく一部であって、殆どの中小零細の経営者は会社を守ることに苦悩しており、
さらに保証、担保、抵当、と会社につぎ込んだ借金の返済について、昼と夜とを厭わず、精神的重圧に悶え苦しんでいる。
その結果として、ベースアップを抑制したり経費削減をするから社員から不満が出る。
しかし、会社を守る=社員を安定的に雇用する事なので、結果的には社員を守っているという意識は社長の中には必ずあるのだ。
社長はその多大なるリスクと引き換えに、多少の贅沢をすることで精神不安から逃れようとしているので、そのへんは大目に見て欲しい。
インパクトファクターって、雑誌のステータスではあるけれど、掲載論文の評価とはまた別だと思う。
引用回数の多い雑誌にのることと、その論文が数多く引用されるというのは同義ではない。
たとえば、有名マンガ雑誌に載ることは、掲載されるのが難しいという意味では凄いけれど、かといってその漫画が優れてるかどうかといえば、かならずしもイコールではない。
ただし、その金額は「死んだ社員」に発生した保険金と必ずしもイコールにはならない。会社がそれより多く支払う場合も、一部しか支払わない場合もある。
だからこの辺がさ、あくまで名目は福利厚生でなくちゃいけなくて、会社が儲かるような割合にしようとしても、裁判したら不利になるって話をしたつもりだったんだけど。
身内ノリ、楽屋ノリにイライラするんだな。児童小説の中の探偵団、おぎやはぎのいうところの6組軍団、クラブでオイコールする大学生。勝手に盛り上がってるのを傍目で見てる分には平気なの。でもふとした瞬間に肩を叩き「よー、何つまんない顔してんの?楽しも〜ぜ〜」だってさ。ひーーー、ゾワゾワする!「あ、うん、ゴメン、大丈夫」「ち、つまんねーやつ、このノリがわかんないってカワイソーに」 いやいやいや、勝手にやってるのはいいよ、気にもならない。だから【虚構】ってつけてくれ。ください。
プレステのネタも踏んでしまった。コメント読むと(記事は読んでない)前回の記事の天丼なんでしょ? その身内ノリコメント群が気色悪ーーーーーー。と、思ったのでそこが生理的に受け付けないんだろうなーと思いました。
-----------------------
追記です。
“それ「虚構新聞が」に限定されなくないか?内輪っぽい記事全部駄目ってことだし。”
そんな事書いてないですよね? 内輪ネタはいくらやって頂いても気にならないですよ。むしろ仲良くっていいなって羨ましさ半分に思っています。あと、退職エントリかどうか位ならいくら私でもタイトルで判断できます。
“虚構にイライラする人たちは何故虚構を踏んじゃうのか”
そこなんですよね。一応気をつけているつもりなんですけど踏んじゃう時があるんです。情報リテラシーが低くてすみません。例えばくだんのタイトルは『「PS4じゃない」 父親殴った息子を逮捕』なんですけど、私情弱なもので、元になった事件もパロディーにした事も知らなかったのです。実際にあった事件の記事『息子に残虐ゲーム無理やり…強要罪で義父逮捕』とかと同じ感覚でクリックしてしまいました。皆さんよく区別つきますね。
そうして虚構新聞が表示された瞬間です。私がなるべく避けてきた蓮コラ同様の不快な(失礼)ページが表示された瞬間、そこで待っているのは上記致しましたジョークの同調圧力です。そこで「イラ」っとしてしまうのです。ブラクラ踏まされた挙句アクセス数稼ぎに加担させられた気持ち、クリック詐欺、フィッシング詐欺にあったのと同様の気持ち、大げさに言えばそんな不快感です。
肩を叩かれて振り向くと私の頬にぶっ刺さる人差し指。指を立てたまま仁王立ちする虚構新聞。ニヤニヤ笑うクラスメイト達。さっさと部活に行きたいんだけどこういう場合どうすりゃいいんだっけ?笑うの?怒るの?あれ、どうするんだっけ?と。
“この文章の方がよほどイラッとするわ”
お気持ちお察し致します。気持ちを察して頂けましたでしょうか?
虚構相手に何マジになってんの?ってやつだ。きーーーーーーーーっ!イラッとする〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜