はてなキーワード: イコールとは
まずこの「年齢確認タッチパネル」使用の対象である購買客の中にはクレーマー老害だけでなく、「パっと見で20歳以上かどうか確信できない人」が間違いなくいる、という要素がある。
つまり元増田の挙げた1番目の仮定が妥当であるためには、“自分の判断でレジに来る購買客の中に”「パっと見で1歳以上かどうか確信できない人」がいる必要がある。
その上で初めてこの仮定が現実とイコールであると言えるようになり、議論のスタートに立てる。
また2番目の日本語云々の仮定については、これは年齢確認のタッチパネル云々ではなく、購買客が成人であることの身分証明書を提示してなお「20歳以上ですか?」と訊ねているのと同じ。
つまり今回のケースにはあてはまらない、的外れな仮定といえる。
結論。
こういう、「サービスとは何か、その範疇はどこまでか、そもそも商売とは何か」を理解できてないバカ成人が「これクレーム案件だろ(ピコーン!)」とか騒いでヒソヒソされる。迷惑。
『エンダーのゲーム』の新訳を読もうと思う。十数年ぶりの再読だ。映画は観ていない。
この昼、原作未読のまま映画を観た友人と話した。ご多聞に漏れず評価はいまひとつだった。そんな彼に向かい、奥深さが足りないのはきょうだいの活躍がないせいだろうと言ったら、妙な顔をされた。
——あのとき、あれは『エヴァ』じゃなくて『フルメタル・ジャケット』なんだよと付け加えていたら、同映画好きの彼からは理解の意志さえ望めなかったかもしれない。
ゲームというのは運命の比喩だ。ゲームには規則(ルール)があり、そこには目に見えない支配者(ルーラー)がいる。『エンダーのゲーム』とは、エンダー=終わらせるものを名乗る少年が、誰かのルールで動かされた人生の終わりを求めて闘うという意味だ。
では何と? 憎き兄か、いじめっ子か、昆虫のごとき侵略者か、それとも戦争を強要するおとなたちか。——どれでもない。そんな単純な図式はこの世界にない。
ルールだけが意味をもつ世界に、命を与えられた子どもたち。生きるために従い、人であるために抗う。本当の敵が誰なのか、だれも教えてはくれない。どこまでも歪な世界に、しかし私たちは強烈なリアルを見つけ出す。
しかしそれを描き切るには、どうしてもきょうだい二人の活躍が必要だ。
そもそもエンダーはその生まれから、天才でないかぎり存在を許されぬ命だった。
先に生まれた二人の天才児。それに続くことを期待され誕生を許された特別な三人目(サード)。それがエンダーこと、アンドルー・ウィッギン少年だ。社会の規範はそれを望んでいなかった。両親もまた同じ。だからエンダーは徴用に応じた。戦争を終わらせるもの=エンダーとしての宿命を受け入れた。ほかの選択肢がなかったからだ。
そのきょうだい、ピーターとヴァレンタインは、常にその先行する分身としてエンダーの将来を写し出す。
兄・ピーターはエンダーの鏡像であり、エンダーが認めたくない自己像の投影である(ただし事実においてピーターはエンダーが思う類いの〝人殺し〟ではない)。
その野心が選んだ道は言論による人類の思想的支配だった。そうして自らの生を規定(ルール)したピーターはヴァレンタインを同志に引きこみ、一直線に権力の頂点である『覇王(ヘゲモン)』への階段を昇りきる。
十二歳のピーターも、また十歳のヴァレンタインも、電脳世界ではおとなと同じ。彼らはそれを最大限に活用する。『ピーターのゲーム』では、勝利することとおとなになることがイコールだ。だから彼は生きることにぶれがない。
けれどエンダーはちがう。おとなたちの期待は彼の意に反する行動を強いる。しかし彼が守ろうとしているのは道徳という、人として正しいあり方だ。
だからエンダーは悩み、もがき、ときに逃げもする。だが皮肉なことに、才気あふれる兄と姉による状況認識と優性の証明が、エンダーを戦争の英雄に縛りつける。
その姉・ヴァレンタインは慈愛の両腕と明晰な頭脳を持つエンダーの庇護者であり、最愛のひとだ。その両義性はやはりエンダーと相似する。エンダーが知らないことに、ヴァレンタインのなかにもピーターはいる——彼女もまたペンによって自らの有能を試すゲームに挑んでいるのだ。〝愛情深い〟姉に向けたエンダーの過剰な崇敬は、つまるところ自己愛への飢えに過ぎない。ヴァレンタインがエンダーの善良さに寄せる信頼も同じ。四年を経て面会する日まで、ふたりは驚くほど互いを知らない。
エンダーとヴァレンタインを通じて描かれるのは「人はいかにして殺戮者となるのか」ということだ。エンダーが戦争の術を学ぶのは侵略者からヴァレンタインを守るため。しかしヴァレンタインからの手紙によって彼女がおとなたちの側にまわったと認めたエンダーは、彼らを打ち倒すゲームに没頭しはじめる。やがてエンダーは彼らのルール破りに失望し、彼らのもとを離れる。彼女にふたたび声がかかるのはそのときだ。
ピーターとの言論活動によって政治的な人格を獲得していたヴァレンタインは迷わず務めを果たす。彼女もまたウィッギンなのだ。だが戦場に戻るエンダーのうちに『カサブランカ』のような義心はない。あるのはただ、生かすために殺すという戦争の矛盾そのものだ。勝利の丘に荒ぶ風は、きっと冷たい。そう確信するから、その先の戦いはどこか空疎に映る。
この凄惨な物語の結末は、赦しだ。自らの手で滅亡させた異星人たちの遺産から、やっとはじまるアンドルー・ウィッギンの物語。それは茨と十字架の生だ。偉人のままいることもできた。けれど彼は今度こそ選んだのだ。
♯今日は4回目の命日。虚無感は未だになくなりません。
平成23年5月22日、午前8時30分(推定死亡時刻)、あの子は逝った。
2人と猫2匹で同棲していた分譲物件でタオルをドアノブにかけた非定型の首吊りによる縊死だった。
前日に喧嘩をした。予感はあった。
しかし、その前にサイズを測っておらず、違ったベッドマットを持ってきてしまい、
どうしよ~と彼女に報告した事。
要領が悪いと指摘され、いじける僕にあの子はキレた。
最後まで最低な人だったね。飼ってる猫2匹連れて1晩でいいからこの家出て行って。さよなら」
僕の中で、ベッドマットを交換してあげる事が好意で、
その好意は結果が伴っていないため、また押し付けがましいものを提案してきたのに、結果が失敗していた。
と、いうやり取りが面倒で面倒で仕方がないみたい。
僕は誠意のない謝罪を繰り返すばかりで、あの子の心を動かす事はできなかった。
僕は一泊分の簡単な荷物をまとめ、翌日に戻ってくるつもりで家を出た。
だけど、出掛けの「さよなら」がとても気がかって、
車をなかなか発車させることができなかった。
その後、実家に戻り、1晩を明け、朝一で彼女と住んでいる家に向かった。
家や携帯はかけてもやはりでない。
家の覗き穴から見るも、部屋の様子は伺えない。
よかった生きている。
僕は安心してその日予定されていた自治会の行事、マンション前の草むしりに参加した。
▼あの子が逝ってしまい、中身が入っていない器を見つけた時の話。
11時頃に草むしりを終え、帰宅し、彼女に精一杯謝って誠意を伝えよう。
意気揚々と家のドアを開けた。
距離は遠いが、明らかにあの子が不自然な体制でドアに寄りかかっているのが見えた。
見た瞬間にすべてを悟った。
2年経った今でもずっと脳裏どころか、記憶のとっても浅い所に焼き付いている。
ショックだった。これほど衝撃的な場面に僕は出くわしたことはない。
首吊りの縊死といっても、キャベツ太郎の景品で送られてきた景品ハンドタオルをロープのように使って首に巻きつけ、ドアノブでしばっているだけ。
ちょっと暴れたらすぐ取れるじゃん。こんなの。
でも、足掻いた形跡はない。彼女の中身が入っていない器は、口は半開きで眼の部分は半開きで、眼球はすでに乾いていた。
飼っている猫2匹があの子に寄り添って寝ている。
それまでは日常的な光景だったのに、この瞬間だけはあまりにも非日常的な光景すぎた。
そばには流れっぱなしのiPod。今も曲が流れている。
また、そばの椅子の上にはdocomoからの請求書に殴り書きしたような番号が書かれていた。
それはあの子が持っていたメインバンクの口座番号と暗証番号だった。
ここからは気が動転していたので、思い出せることを書くが、
「呼吸はありますか」
「脈ははかれますか」
「心臓マッサージを隊員が駆けつけるまで続けてください。」
あの子があの子であったなら、何も考えずに言われたことをやっていただろう。
でも、もうあの子は逝ってしまい、ここにいるのはあの子の器なだけなんだ。
足には縊死でなくなった方の特徴の斑ができていて、手もギュッとこぶしを握っていて開かない。
死後硬直まで起きている。
生きている人間ならば、押すと跳ね返りがあり、多少の息の返りがわかるはず。
彼女は穴のあいた風船のように押せばしぼむ、押せばしぼむの繰り返しだった。
まったく入っていく気配はない。
と、いうか口の中が乾きすぎている。
もう、誰がどう見てもあの子は器だけ残して中身がどこかへ飛んでいってしまったんだ。
救急隊員が到着し、人工呼吸を代わってもらい、その光景を見つめながら僕は天を仰いだ。
まだその辺にいるのか?いるのなら最後に話したい。
そんな馬鹿げた事を考えていた。
救急隊員があの子をストレッチャーに乗せ、マンションを出る時も心臓マッサージをした。
野次馬(失礼な言い方かもしれません)が集まっていました。
あの子に白い布が体にかぶせられていたのですが、顔はそのまま出ていた状態でした。
僕はあの子はもう、死んでしまっていて、そんな死に顔を野次馬に見せたくない、との一心で
白い布を顔までずらしました。
しかし、救急隊員は「まだあきらめちゃだめです!」とか感情論で
白い布を体にずらし、再び彼女の顔はあらわになった。
中には小さい子供や、親しくしていただいた近所の住人がいたので、
彼らはあの子を助けるつもりでいてくれた事には感謝しています。
しかし、どう見てもあの子はもう、あの子が入っていた器だったんです。
もう2年以上経って、もうすぐ3年目を迎えるのか。
そんな気は全然しないな。
命日が怖い。3周忌の予定も立てれる自信がない。
あの日以来、いっぱい泣いたけれど、四十九日を境に泣くのをやめた。
でも、本気で笑う日は少ない。
すべてあの子がいたら、の仮定でしか話を考えられなくなってしまっている。
だけど、こんな悲嘆すること言いながら、
都合いいよね。
嫁さんには大方の話はしたけれど、こんな詳細までは話していません。
でも、気落ちした私を心底支えてくれました。
大切な人が命を断つ。
あまりにも彼女の入った器を見つけたときのショックが大きすぎて、
いろいろな自死遺族の会に参加させてもらったけれども、
皆さんこもごもにケースが違う。
似たようなケースの人なんているようでいないと思っている。
また、社会に出ると毎日のように人身事故、自殺のニュースが目に入ってきます。
その遺族の方達に自分と同じような感情を持っている人はいるのだろうか。
自分の価値観が大きく崩れて、自分も首吊りで死ぬことが一番最良の方法なんではないかと
感じてきてしまっている。
後を追いたいわけじゃない。疲れたんだ。
あの子に会いたいけど、もう二度とあの子に会えないのはわかっている。
でも、少しでも、あの子が逝くその時にどんな感情だったかを知りたい。
少しでも死にたくないという気持ち、があったのか。
きっとなかったんだろうなとは思う。
hideさんが亡くなった方法もあの子と似たようなものでしたが、
それを真似したわけではなさそうです。
とりわけYOSHIKIさんが好きだったから、あの子に一度会わせてあげたかったな。
実行の際にはオムツも履いていましたし。
それほどまでに死に執着していたのか。
話代わって、死後の世界なんて、本当にないと思っている。
昔は怖い話系のシリーズを読むと、怖くて一人でトイレも行けない僕だったけれど、
あの子が逝ってから、その類への恐怖というか、関心が一切消えた。
人の死というのは、電気のスイッチと同じで、OFFになると消える。
今にも起きてきそうなほど、綺麗だったけれど、
何より、火葬場での変わり果てた姿を見たとき、あの子はもう、あの子の器すらも失ったんだと確信した。
あの子に会えるならどんな形であれ、出てきてほしいけれど、
僕の夢にも一度も出てこない。
そんなあの子が例えば幽霊とかで出てくる要素がなくなってしまった。
事情を知らない火葬場の人から「とてもお強い綺麗なお骨です。どこかを病んでいたようには思えません」と、
あの子の器だったものの骨壷を持ったときの違和感が今でも手に残っている。
しかし、そんな僕だからこそ、葬儀に至るまでの間、本当に僕の周りに迷惑をかけた。
僕の両親・友達・近所の親しい方々が心配し、泊り込みで支えてくれた。
葬儀屋の方々も感謝してもしつくせないくらい、落ち込んでいる僕を支えてくれた。
あの時の恩を返そうと、今では笑顔を作って「僕は大丈夫。幸せに過ごしている」を見せている。
葬儀の際はその遠い親戚から相続はどうするんだと搔き立てられました。
これまで大変お世話になりました。
と、言われました。
正直、あまりに辛い出来事から逃れたいが為に、すべてその遠い親戚に渡したかったのですが、
遺言書の通りにするのが一番だ、という周りの方の勧めであの子のすべてを僕が相続しました。
そのすべて、には今僕が住んでいる分譲マンション並びに預金口座も含まれています。
また、その中にはあの子が僕と出会う前にあった出来事のすべてを遺しています。
これまで育った経緯の写真。
その中でも一番心に響くのが、幼少の頃のあの子の親に大切そうに抱きかかえられている写真、
何も捨てられません。
また、この遺産を見るにあたり、ますます自分があの子を殺してしまったんだ、という気持ちが強くなりました。
今の妻に、もしこの遺産を見つかったならどう説明すればいいかもわかりません。
再度似たようなことを書きますが、世の中、毎日のように自殺のニュースを目にします。
見る分にはいいんです。社会は広いし、いろいろな人がいますから。
身の回りの日常会話の中でも「○○さんが自殺したの知ってる?」なんて話題を振られたりする。
でも、今はこんな会話を自分に振られると、一気にあの子の事がフラッシュバックして、
いてもたってもいられなくなる。
でも、社会とはそういうものなのかもしれないけれど、死こういった会話をする事がとても辛い。
けれど、その社会から逃れた生活をすることなんか出来ないし、仕方ない事なのかな。
ドアを開けて一目でわかったあの子の変わり果てた姿。
その直前までは生活音を聞いていて、生きていたであろうあの子の物音。
皆、こういう感じなのかな。
だとしたら、少しホッとする。
(追記 1/18)
多くの方に読んでいただいたようで、ありがとうございます。
あの子の事を書くにあたり、自己陶酔は確かにしているかもしれません。
僕がきっかけではなく、あの子はいずれ死を決めていただろう、とも心のどこかで思ってはいます。
でも、思うところは僕が殺してしまったに変わりありません。
しかし、時は最良の薬なのですね。
この文はあの子が逝った翌月あたりにEvernoteに書き殴っていたものに
そんな事ばかりしか書いていませんでした。
それは自分の希望であって、多くのコメントでいただいているように、
結婚し、子供を授かり、育てている以上、妻と子に人生を捧げるつもりで生きます。
上記では死んでしまいたい旨、書いてしまいましたが訂正します。
僕が一番わかっていたはずの事を忘れていました。
あの子の納骨が終わった日の夜、
15年前に付き合っていた人から10年ぶりくらいで連絡があり、それが今の妻になります。
地震発生後しばらく電話をかけていたのですが、繋がらず、心配していました。
妻曰く、当時はバタバタとしていて自分の着信に気づいたのですが、後でかけよう、と
思ったタイミングが約4ヵ月後、あの子の納骨の日だったらしいのです。
また、あの子とは話し合いの下、結婚も考えていて子作りもしておりました。
期間にすると約3年くらい。
あの子とは付き合いが長かった為、次のステップへの良いきっかけになると思っていました。
しかし、あまりにできなかった事から、あの子は産婦人科で不妊の検査、
自分の精子が極端に少なく、子供は望めないかもしれない。と、いう話をされていた。
とりあえず、僕は僕を捨て、あの子になったつもりで精一杯、死ぬまでこの世を生きてみせます。
ありがとうございました。
産経新聞と古森義久氏による不都合情報トリミングの共同作業 - 誰かの妄想・はてな版
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140111/1389455049
韓国の竹島上陸も、中国の領海侵犯も、チベットの虐殺も、東南アジアの日本の積極的平和主義の支持も、左翼は完全スルー。そして今日も日本に不都合な事実だけを話題にして、反日活動に邁進する。
それってどこのネトウヨ? だから日本の左翼は、左翼というより、チャイニーズ・ネトウヨ、あるいはコリアン・ネトウヨって呼び方がしっくりくる。
「右翼だってやってるだろ!」って文句をつけるかもしれないけど、「右翼がやってる」と「左翼はやってない」はイコールじゃないからね。
おそばせながら、感想。
評判通り、気持ち悪いというかなんというか。
シングルマザーは大変ということを描きたかったわけではなさそうだ。
田舎暮らしの苦労、田舎の人の優しさについてというのもやっぱり違う。
田舎暮らしイコール自給自足という、あくまでイメージの中の田舎暮らしであって、リアリティが全くない。
で押し切る強引さ。
田舎育ちの僕からすると、あの田舎暮らしの描き方がちょっとイラッとさせられるみたいに、子育てをしているママさんたちからすると、やはりあの子育て描写はイラッとさせられるんだろう。
僕は当初、リアルな世界にファンタジーの生き物が同居するトトロの世界観を期待していた。
蓋を開けてみると、現実のようで現実でない、ファンタジーの異世界の話だった。
シングルマザーも田舎暮らしも、狼男も、おおかみこどもも、なにかのメタファーであって、ただの舞台装置。
ほかに主題はあるんだろうなと思いながら観た中盤。
ようやく、一番の主題が逆の性格の兄弟が別々の人生を歩み出す、ということだということに気付く。
「でもなぁ、それを描くためにおおかみこどもっていう設定いるのか?
ヤンキーの兄弟とかにして、片方が普通の生き方になって、片方はヤンキー街道まっしぐらとかでいいんじゃないのか?
ヤンキーじゃなくたって、オタクの兄弟とか、相撲とか歌舞伎の家に産まれた兄弟とか、そういうのにしたっていいだろうし」
とか考えてラストを予想しながら観た。
僕が考えたラストシーンは、二人ともそれなりにいろいろあって、挫折して戻って、家族の絆を確認しあってハッピーエンド、という感じ。
ところが、読みははずれて、
「姉は人間として生きていくことにしました。弟は狼として生きていくことにしました。二人とも家を出たので、母は一人で暮らしています。」
ということに。
「…、…あ、そう、だから?」
なにを感じろと。
遅かれ早かれ、兄弟が別々の生き方をしていくのは、当たり前のことでありまして。
わからない。
結局、なにを伝えるための作品だったのか。
・ちゃんと避妊をしよう!(たとえ獣姦でも)学生が子供をつくると大変。
・キジ美味しそう。
根本的に今まで彼女というものが出来たことがない(異性に好意を抱いたことはある)三十路の独身ゲーヲタの発言なので話半分で聞いて欲しい。あとわりと品のない話でもあるので注意されたし。
野郎の性欲ってのは基礎特性として「時間とともに蓄積し、どんどん『出せ』という衝動が強くなる」というものがある。上限はあるけれど、その上限がどの辺なのかは当人ですら分からない。
(で、「『出す』と衝動が嘘のように収まる」。これが所謂賢者モードって奴)
女性なら、「ある一定以上に達するか薬を飲むまでおさまること無くどんどん強くなる生理痛」と表現すればわかりやすい、かも知れない。
この特性のせいか、野郎は基本的に「出す」ためのスイッチを入れる行為を、自分の感情とは無関係に実行できる便利な身体構造になっている。
実際に相手と行為に及ばなくとも、本能のスイッチさえ入ればいい。もちろん相手と行為に及べれば精神的にも満足できるので、それに越したことはないにしても。
このスイッチが入るようなものを指して「ぬける」「シコれる」「オカズにする」と表現しているに過ぎない。
だから男子諸君がアダルトコンテンツなんてものに「お世話になる」訳だ。
で、ここまでを基礎知識として。
「恋愛的な意味で好きな人」と「単純に性的興味を抱く人」は、イコールの場合もあるが、そうでない場合も多い。
これは上に書いたとおり、野郎は感情と性欲を別個管理するのが当たり前だし、そうしないと持たない体だから。
前者に対して…まあ最終的には性的興味を抱くことも多いのだけれど、基本的に性的興味があるから好き、なのではないし、
後者に対して…まあ人間的にも共感することもあるかも知れないけれど、基本的に好きだから性的興味がある、ではない。
傾向としては、一般的な恋愛の進行として、前者が後者にもなることは少なからずある。
ただ、どういう存在かにも拠るけれど、後者が前者にもなることはあまり多くない。グラドルだのAV女優だの二次元絵だのという「基本的に交流がない相手」ならほぼ100%ないと言い切れる。
「すごく好きだけど性的な妄想はしたくない対象」が居るかどうかは人によるけれど、わりと居ることが多い。この傾向は歳が若くスレてないほど強い。
ここまで言えば感じ取れるかも知れないが、「好きな女優や芸能人やアイドルと実用的なグラビアアイドル」も、聞こえの悪い言い方をすれば「使い分けている」訳だ。上と同じ理屈。
長くなったが、男側から説明するとだいたいこういう感じになる。
駅から少し距離のある喫茶店。この街では、それなりに長い歴史を持つお店なのだが、駅前開発の影響を受け、つい先日現在の場所に移転した。オーナーの意向で、移転を機に若い女性向けの内装となったため、長い歴史には似つかわしくないポップな洒落た空間となっている。仕事の息抜きに、ぼくが立ち寄るお店のひとつ。二十代〜四十代の、働く男性たちがこのお店を利用する主な顔ぶれだ。
移転してからというもの、近くの高校に通う女子高生たちが出入りするようになり、それはそれで平和的な絵面なのだが、どこか尻がむず痒く落ち着かない。だから、最近は専らお昼が落ち着いた時間に寄るようにしている。この時間はお客さんも少ないため、ぼくはオーナーや店員さんたちと他愛もない話をしながら、珈琲を二杯飲んで帰る。この日もそのつもりだったのだが、思わぬ出会いによって習慣を破らざるを得なくなった。
その老人は、店内に入ると軽い戸惑いの表情を浮かべたが、数秒のうちに何かを納得し、カウンターに腰を据えた。お客さんはぼくと彼だけだ。カウンターに二人で並ぶカタチになった。老人はぼくの前に灰皿が置かれているのを目にし、自らもガサゴソとポケットを探りはじめた。オーナーの女性が、スッと灰皿を出す。老人は煙草を探す仕草をいったんやめ、オーナーの機転に「ありがとう」と会釈をする。その仕草から「ダンディで、丁寧なおじいさん」という印象が漂う。ぼくは不思議と、この老人がいまのこのお店の雰囲気に最も似合っている人物であるような気がした。
芯の通った太い声に、オーナーがもちろんですよと笑顔で答える。老人は、珈琲を淹れる準備をしはじめたオーナーを優しげな目で見届け、ポケットから丁寧に折りたたまれた一枚のチラシを取り出した。すぐ近くのデパートのチラシだ。
「クリスマスケーキ…ですか。」
ぼくは何気なく尋ねた。
「ひ孫に…ね。」
老人はチラシを前後させながら、文字の読みやすい距離を測りつつ答えた。
「ひ孫さんですか。」
ぼくは少し驚きの気持ちが込められた声を出してしまった。オーナーも少し顔を上げ、驚きの表情。ご老人は、確かにご老人だが、ひ孫がいるような歳には見えなかった。そんな空気を察したのか、老人は「ふふ…今年、九十歳」と照れくさそうに自分の歳を告げた。
「九十歳!」
「…そう。長生きしてしまったねえ。ここらも変わるわけだ…。」
「九十歳というと…ぼくの六十五歳上ですね…。」
「そうかね。君は孫より歳下か…この歳になると、若い子を見ても幾つか判断つかなくなるなあ。」
「はあ…それはそうで…いや、そういうものですかね。」
「おまたせしました」
「このあたりでお仕事をされていたんですか?」
「このあたりは、たまにかな。魚をおろしに来ているんですよ。」
「魚…」
「え…!まだ現役なんですか!?」
「そうだよお!さすがに重たいもん運んだりするのは、若い人たちに任せているけれどねえ。」
「はあー…」
「いまは…いい時代になったよ。君たちは自由だ。軍人勅諭を暗記する必要もない、どんな仕事だって選べるし、勉強したいことがあれば、その道の学校はたくさんある。幸せな時代だよ。」
遠い目をして語る老人に、ぼくらは何と言ったらよいかわからずにいると、老人は「まあ、私たちだって負けじと幸せだったけどな」とニヤリと笑ってみせた。説教臭い話がはじまるわけではなさそうで、ぼくは少し安心した。店内の緊張が一気に解けていく。
「若い頃は、どちらにいらっしゃったんですか。」
「戦後は東京だねえ…東京に出てくれば何でもあると思っていた。」
「ああそうさ。あの頃、渋谷の喫茶店には珈琲とあんみつしかなかった。フルーツポンチというものを出す店が出はじめた頃は、仲間とみんなして食べに出かけたものだ。」
「…なんだか、想像もつかないです。」
「そうだろうねえ…メチャクチャな時代だったよ。何もなかったけれど、楽しかったし、若さだけはあった。それに…」
「それに…?」
煙草の煙をふかし、一呼吸置く。「…女性も美しい人が多かったねえ。」
オーナーが嬉々として尋ねる。「おじいさん、カッコイイし、モテたでしょうねえ。」
老人は煙を払うように手を動かし「ぼくは、ぶっきらぼうだったから全然ですよ。」
老人は、遠くを見つめるようで、すぐ近くのことを語っているようだった。
「ふむ…」老人は少し思案を巡らせ「…言葉遣いが綺麗な女性だね。言葉遣いが綺麗な女性は、セクシーだよ。」
この言葉に、ぼくは胸を打たれた。「美しい言葉遣い」と「セクシー」という単語が、こんなにもスマートにイコールで繋がることを、ぼくはこの時まで知らなかった。
それから、老人はぼくらの知らないこの街、東京、日本という歴史を語り聞かせてくれた。やがて「おお、そろそろひ孫のケーキを買いに行かないと」と言って立ち上がり「はじめて入ったけれど、いいお店ですね」と優しく言葉を残し、去っていった。
その言葉に煽られるようにして、予定時刻を大幅に過ぎていることに気づいたぼくも立ち上がった。
知ったのは振られたあとだけど、中年のオッサンに負けたのかと思うと悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。
だけどまわりの女の人に聞いてみると、いまどき年の差カップルなんかそんなに珍しくはないとか言うですよ。
むしろ若者よりも頼り甲斐があって、素敵な人は本当に素敵なんだと。
自分が古い常識にとらわれてるだけなんだと思うことにしました。
しかし考えてみれば、同年代の高学歴イケメンとかよりは、差異化できるんじゃないか、なんてポジティブに捉えるようになりました。
付き合ってるだけならよくても、いざ結婚となると、まわりの古い人間の反発もあるかもしれない。
それなら補欠の一番でい続ければ、チャンスは来るんじゃないかと。
そんなこんなで1年以上経ちますが、デートはツキイチぐらいのペースでできるくらいまでは来ました。
お察しください。
この記事を書くキッカケになったのは、こちらの方が書かれた記事を読んでから。
http://anond.hatelabo.jp/20130517213002
そしてこの記事を書いた目的は、自分がアフィリエイトに携わった約10年間の軌跡を記すことと、
読みづらい文章ですが、興味があれば読んでみてください。
私がアフィリエイトに出会ったのは今から約11年前、当時はブログやSNSなんて媒体はメジャーではなく
個人が情報発信するには、ホームページ作成と呼ばれる特殊な技術を持った一部の人間だけが、それを
許されていた時代です。
当時の私は、どこにでもいる中小零細企業の正社員で、Webの知識など皆無、当然
ホームページを作成する技術や知識すら持ち合わせていませんでした。
しかしそのアフィリエイトの存在を知ってから約1年後、当時勤めていた会社の部長と折り合いが悪くなってから
「こんな会社やめて、もっと大きく成功してやる!」そんな漠然と、フワッとした
野心、野望、甘え、現実逃避を当時25歳位の私は抱いていました。
そしてその当時、常に私の心の奥底にあったのが、アフィリエイトの存在でした。
たいした資本を必要とせず、個人で月収50万、実力次第では月収100万も夢ではない。
「ひょっとしたら、俺にも出来るかも。」
「もし俺にも出来たら、俺の人生は大きく変わって、ビッグに成功できるかも!」
そんな甘ったるい思考を持っていた事を今でも覚えています。
部長との折り合いが悪くなって、すぐ私は当時勤めていた会社を退職し、
派遣社員として、工場勤務の職を得て新しいスタートを切ることになります。
もちろん、その工場の仕事がしたかったから働き始めた訳でなく、
アフィリエイトで稼ぎ独立して成功していく為の、とりあえずの日銭稼ぎの仕事と
割り切って仕事をしていました。
当然、当時はアフィリエイト報酬は月に1000円も稼げていませんが、とにかく勉強し、
ホームページビルダーと呼ばれるソフトを使い、何とかサイトを完成させるまでの
スキルを身につけることができました。
しかし、そのスキルとアフィリエイトで稼ぐスキルはまるで別物。
サイトを作り上げるスキルは日々上達しても、ASP(アフィリエイト・サービス・プロバイダ)の
それでも、絶対にアフィリエイトで生計を立てる。
絶対にこれで人生を変えてやる!
そんな、狂った思考を持ち続け突っ走っていました。
当時まだ26歳だったと思います。
昼間は工場で働きながら、そして空いた時間はすべてアフィリエイトで金を
稼ぐ為だけに注ぎました。
そして今でこそ分かるのですが、私は当時働いていた職場での人間関係を積極的に築こうと
しませんでした。
なぜなら、私の心のどこかで、この仕事はそのうち辞める仕事、俺はお前達とは違う。
そういった思考を持ち続けていたので、私は意識的に人との関係を避けるようになったのだ思います。
もし仮にココでアフィリエイトに挫折していたら、まだ人生の選択肢は多く残されていたのですが、
不幸にもアフィリエイト報酬が右肩上がりになってしまいました。
厳密に言うとアフィリエイトではなく、アドセンス報酬だったのですが、月に30万以上を
稼ぐ月が続いてしまいました。
私の交友関係が狭まるのと比例して、今まで稼いだことのないようなカネを稼げるようになりました。
当時28~29歳位の話です。
アドセンスで稼ぎ続ける日々はそう長くはありませんでした。
当時のアドセンスは、クリックさせさえすれば、ある程度の報酬が見込めましたが、
それが通用しなくなったのです。
アドセンス報酬はガタ落ち、アフィリエイト報酬もほとんどありませんでした。
当時、私は個人事業主としてアパートの一室でアフィリエイト事業をしていたのですが、
アドセンス報酬に頼って生計を立てていたので、報酬が減ることはイコール、死を意味します。
「何とかしないと。どうにかしないと。」
心は不安と焦りで一杯でした。
ココで真剣に自分の人生を考えればよかったのに、やはり私の当時の思考は偏っていたので、アルバイトを再開し
その金と少ないアドセンス報酬で生計をたて、今度はアフィリエイト報酬目的でサイトを作り続けていました。
もう気付かなければいけないのに。
しかし当時の私はまだそこまで考えられない短絡的で無計画な男でした。
そして何とかして、この業界で生きていく。
それが、俺の道。
まともに、働いて微々たる金を稼ぐなんて、俺には出来ない。俺には無理。
そんな人生まっぴら御免。
こういった思考を持ち続けていたのです。
当時私が30歳位の話です。
アルバイトをしながら、アフィリエイトで何とか生計を立てる日々は続きます。
しかし、状況は好転し、ネット上ではPPC広告を使いアフィリエイト報酬を得る手法が流行り、
広告費30万突込みアフィリエイト報酬60万~70万程、月に稼ぐことに成功します。
驚くほど稼げる。簡単に稼げる。
凄すぎる世界でした。
日に5万以上のアフィリエイト報酬を得るのも珍しくなく、私は有頂天になりました。
昼間は好きな所へドライブに出かけ、好きな所へ旅行へ行き、日々の生活が怠惰になっていました。
朝は起きたい時に起き、仕事!?(アフィリエイト)は気が向いた時にやり、寝たい時に寝る。
嫌なことは一切しない。
煩わしい人間関係とは無縁。身の丈以上の金を稼いで自由に生きていました。
きっと私の心は気づいていたのだと思います。
足がしっかり地についていないことを。
しかし、私の思考はそれを否定する。
そんな事はない。
コレが俺の道。コレがコレが......。
当時私は31歳~32歳だったと思います。
私は主にサイトアフィリエイトに力を注ぎ、安定して50万~80万程度の報酬を
稼ぐことに成功していました。
金を稼げているうちは、まだ心は安定しているのですが、やはり常に不安があり、
次へのステップ(商売)を考えていたのですが、一歩が踏み出せない。
なぜなら、私にそういったアドバイスをしてくれる同僚、友人、先輩もいませんでしたし、
どこか、何となく金を稼いできた。
そんな自分に自信が持てなかったのかもしれません。
例えば大工の見習いが地道に頑張り、一人前になり工務店を構える、
そういった背景が私にはなかったのだと思います。
ただ何となく、感覚的にアフィリエイトに取り組み、そして金を稼いでいたのだと思います。
成功する為に金を稼ぐ。
私の成功は金を稼ぐこと?
なぜその仕事をして金を稼ぐのか?
もちろんココまで全て自分が撒いた種ですので誰にも文句は言えません。
ただただ自分の考えの甘さに恥ずかしいだけです。
そして2012年グーグルのアップデートが入り、全ては転落へと向かいます。
当時私が35歳の話です。
アフィリエイト報酬は急降下、何とかしなければ、何かしなければ。。。。
もう関わりたくない。二度とこんなモノに自分の人生を預けたくない。
そんな強い想いがあります。
厳しいとは分かっているが、就職し自分の人生を再起動させるしかない。
分かっています。どの選択肢を選んでも厳しい。死ぬほど厳しい。
でもココでもう一度頑張らないと、私には未来はない。
そしてWeb系(デザイナー、CSSやHTMLコーディング)の仕事に応募。
イラストレーターやフォトショップ、プログラムなどが組める訳ではありません。
もちろん、簡単なホームページは作れますが、私自身が自分をWebデザイナーではないことを自覚しています。
しかし、とにかく何かしなければ。
職を転々としていると指摘され、一つ一つ、退職理由を突っ込まれる。
みな若い....。
今まで煩わしい人間関係を嫌がっていた自分が、一から自分の居場所を築くことが
面接官が一通り施設を案内してくれた後、優しく私にこう言いました。
「現時点であなたを正社員として雇うのは厳しい。ただ、うちにはキャリアアップ制度が
あるから、アルバイトとして2年もしくは3年働いてもらい、あなたがうちに貢献できる人材なら、
正社員の道もあるよ。でもだからと言って、かならず正社員として雇用するとは断言できない。」と。
そして、もう一つ見せ付けられた事実。
思考や外見、その他色々なことが堅くなって柔軟性が無くなって来ていること。
心療内科にいくと、うつの症状が出ていますね。と言われ薬を処方される。
しかし、悪いことばかりではありません。
アフィリエイト報酬が0円になったかと言うと、そうではなく、まだ月に7万~10万程度は
見込めるということ。(二度とこの報酬に頼る生き方はしませんが)
もう一つ、過去の職場で取得した工場系や運送系で使える資格を保有していること。
焦ってはいけない。でも急がなければいけない。
自分をしっかり見つめ直し、どうのように今後生きていくか、どの業界でプロになるのか、
それを考えて考えて考え抜いて答えを出そうと思います。
コレまでの約10年間、よくココまでデタラメに生きてこれたと思います。
それまでも、かなりデタラメに生きてきたので(職歴転々)、ある意味私の人生自体がギャンブルのように
なっていました。
しかし今回、自分が自信を失うという一件があり、自分を見つめ直す良いキッカケになりました。
まだ36歳で自分自身の性格、適正なども含め、言葉では言い表せない色々な事に気付けて良かったと思っています。
そして何より、前向きに地道に頑張っていく決意が出来ました。
大切なことは、自分が何をしたいのか。もしくは、どんな風に生きたいのか。
何なら出来るのか。何なら社会に貢献できるのか。
そしてその道でプロを目指すということ。
"金を稼ぐと言うことは、その道のプロになると言うことだ。"
以上。
いや、だから、お前、
で、どうやったら独立させるん?
可換ではない、と教え、文章としては
だけが正解で、
「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか。」という問は出さない、というのがこの問題だろ?
お前意味分かってんの?これを6x4=24としてしまったらそもそもお前の言う「算数の定義」に反するんだけど。
まずは最低限自分の擁護する側の意見や意味をきっちり理解してからもの話せよ。
だから、この問題ってのはもう、そのまま3x4=12と4x3=12は全く別物なんだ、って教えてるのと同じことだ、って言ってるわけ。理解できない?
「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか。」
この二つがイコールで結べるか否か
この問題は数学ではない
算数だ
これで何が言いたい?お前の側の主張だと、そのしきは間違いだぞ?分かってんのかアホが?
正直、何十年前に決めたことを引きずっているんだと思うが、そこまで問題になっていないようなのでここで吐き出す。個別に見ていこう。
公然わいせつ罪と言われてまず思いつく犯罪は露出狂や青姦だろう。『どの範囲から罪とするか』についてのボーダーラインについては議論があるだろうが、それ以外に議論はない……と思うかもしれない。
だが実は、公然わいせつ罪が保護しているのは『あからさまな性的行為を見たくもないのに見せられたくない。見たくない権利』ではない。
では何を保護しているのかというと……一つ下のわいせつ物頒布と同じく、最低限の性道徳である。
だから、公然わいせつ罪になる行為は露出狂や青姦だけではない。ストリップ劇場で性器が見えた場合や、乱交パーティーに参加した場合も公然わいせつ罪になる。
今の時代にそれらをわざわざ取り締まって「最低限の性道徳の維持」につながるのだろうか。読者の方はどう考えますか。
第百七十五条 わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
条文これだけ? と思うかもしれないが、これだけである。まず注意して欲しいのは、『18禁マークなどをつければ取り締まられにくくなる』ような規定は刑法や関連する法律のどこにもないということだ。
18禁やその他の年齢制限は、地方の『青少年の健全育成に関する条例』のような物で規定されている。
わいせつ物に関しては小説で一時期問題になって、チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限の性道徳」を基準にすること、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。
小説より少し遅れて(四畳半よりは前だけど)ヌード写真方面でも写真家と警察のいたちごっこが繰り返された。具体的には以下のような流れだ。
警察「アンダーヘアが見えたらアウト」 →写真家「じゃあパイパンならOKですね」 →警察「性器が完全に露出していたらアウト。なお、アンダーヘアも性器の一部とする」 →写真家「じゃあパンツはかせます。アレ、少し透けてるような気もしますけど、着てるからセーフですよね」 →警察「じゃあアンダーヘアはOKだが性器そのものが見えたらアウト」 →写真家「ヘアヌードはOKですね」 →警察「一応セーフにしておくか」
ということで、現在では成人を撮影した物については性器そのものは写さない、もしくはモザイクなどの修正があればセーフということになっている。
だが、このわいせつ物頒布罪はよく読んでもらえば分かるが、作った側だけでなく、売っている書店も罪になることがある。
「それじゃ店としては何は売ってよくて何がダメなのか分かりにくいよ」というわけで、映倫やビデ倫といった組織が作られ、警察OBを含めた関係者で性器の修正などについてチェックすることになっている。もっとも、一時期『薄消し』が流行ってそれにOK出したビデ倫に捜索の手が入ったこともあったはずだ。
逆に言うと、「性器が見えないように修正していればわいせつ物ではない」「青少年にも見せないようにしてあれば青少年育成条例上の問題も無い」ということになるので、(三鷹の事件では被写体が未成年なので児童ポルノ法が適用できるが)リベンジポルノに対して現行法で対処しきれるかどうかについては若干の疑問がある。
なお漫画については「漫画であっても、性器は修正しない・不十分だとわいせつ図画」「ただし漫画などのわいせつ性は実写に比べ相当に劣る」という最高裁判決(松文館事件判決)があるが、この判決がどの程度警察の取り締まりに対し影響を与えているのかは正直、分からない。
(強制わいせつ)
第百七十六条 十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
(強姦)
第百七十七条 暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、三年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。
強制わいせつ罪の「わいせつ」は公然わいせつやわいせつ図画頒布のわいせつとはイコールではない。強制わいせつ罪が保護しているのは『個人の性的自由』である。だから、他人に対して強引にキスをする行為は立派に強制わいせつ罪になるが、路上でキスをする行為が公然わいせつ罪にはならない。リア充爆発しろとは思うけど。
現在の日本では、強姦罪の被害者は女子限定であり、正犯には必ず男子が含まれていなければならない(女が「気にくわない女をレイプしてくれ」と男に依頼して男が乗った場合など、共同正犯に女子が含まれることはあり得る)。が、それはいくら何でも時代錯誤でないか……と現に国連から勧告も受けているのだが修正される見込みは薄い。
ついでに言うと、日本の強姦罪の定義は厳しい。被害者を女子に限っているのもそうだが、「男性器が女性器に挿入された時点をもって既遂と見なす」としている。逆に言うと、器具を用いた場合やアナルセックスの場合は強姦罪にならず、一つ上の強制わいせつ罪になる。
この辺、強姦罪の成立が厳しい分を強制わいせつで補っている部分はあるのだが、いい加減に「被害者は女子に限る」は改めるべきだろう。ゲイの男が同意を得ていない相手と強引に同性愛行為を行った場合や、ショタコンの女が男子小学生を襲った場合も強姦罪ではなく強制わいせつ罪というのはおかしいと思う。
児童福祉法とか児童ポルノ規制法とか都道府県の青少年育成条例については言及し出すとこの数倍の長さになるので今後の課題とします。
「”女子”は何歳まで」議論を法律に持ち込んではいけません。強姦罪を含め、少なくない法律が成年まで含めた女性について”女子”と表記しています(笑)
現状、女性問題イコール母親問題(そして女叩きをする男からはまとめて叩かれる)として語られているのに物凄く違和感を覚えます。
男女の賃金格差などについて語られる際も、女は子供を産むとやめなければならないとか働きづらいとかの母親限定の話題ばかりで、女性全体に共通する問題について語られるのを殆ど聞きません。
芸能人でもないのに顔を基準に採用するとか、社会人の「マナー」としてのメイクを強いられているとか、年を取ったら採用され辛いとか、そういうのが女性差別だというなら分かるのですが、そういう問題はせいぜい個人の愚痴として片付けられ、政治的な問題となる事はありません。容姿や年齢は本人の意思とは無関係だれど妊娠出産は自らの意思で選んだ事なのに。
「女性の社会進出」が何故、母親が働く事に限られているのか、凄く疑問です。子供のいない女性だって女性ゆえの不利益を受けているのに…。しかもそれを愚痴っただけで「女の敵は女」「同じ女なのに」「嫉妬、僻みだろ」と叩かれる。子持ち女性が独身女性を叩いても何も言わないくせに、です。
長谷川町子さんや津田梅子さん、美空ひばりさんなど、子供を産まなくても優れた業績を残した女性もいます。そういう女性を応援しようという声を全く聞かないのは何故ですか?今のこの過剰な子持ち優遇社会では、昔に比べ独身女性が頑張るのはかなり辛くなっていると思います。
子育て支援が不要だとは言いませんが、それらは父親の育児問題も含め、女性問題とは切り離したところでやって欲しいです。どうして女全体の事のように語るのか、女には子供がつきものという事にされているのか。子供が産めない事が確定している私としては憤りを覚えます。女性の労働問題を「育児と仕事の両立」一色にしないで欲しいです。
女性の労働問題が子育て支援一本やりになっている現状は、まさに女を産む機械と見做しているのと同じだと思うのですが、フェミニストの人達はどうしてそれに疑問を持たないのか不思議です。最近のフェミニストはワーキングマザー礼賛一色で、子持ち女性優遇の皺寄せを受けている独身女性の権利を考えている人を見た事がありません。