はてなキーワード: Jrとは
彼女はコートなのかワンピースなのか何なのかよくわからない物を着ていた。
セーラー服のように肩から背中に垂れ下がった布切れには両側の隅に十字架の切り抜きがなされていた。
素材はフェルト。そのモコモコ感を童貞はガーリッシュだと思い込む。
こんな不穏なオーラを発する服を着込んで街を闊歩する輩など童貞殺し以外にはいないだろう。
頭頂部から肩にかけて華厳の滝の如く真っ逆さまに降ろされた童貞殺しの髪は、
僕は漆黒のその髪からちらと見える顔から目が離せなくなっていた。
化粧っ気のない、地味な顔。
いや化粧をしていてもパッと目立つようなタイプではない。あっさりとした顔立ちである。
だがしかし均整の取れた造形ではある。
僕はまじまじと彼女の顔を観察する自分に気がつき驚きおののく。
童貞殺しは童貞に飽き足らず素人童貞である僕まで魔の手にかけようとしているのか?!
駄目だ。このままこの人を見つめていては駄目だ。
そう言い聞かせ僕は目線を逸らして下車する駅まで待った。
視線の先には190cmはあろうという長身に女子中学生のそれ程の大きさしかない頭部がのっかった、
それまで自分が乗っていた車両は童貞殺しを乗せたまま隣町のほうへ発車してしまった。
童貞殺しは多分明日も童貞を殺し、オタクどもが集ったサークルという名のまやかしを崩壊させる。
Aesthetics of Destroy
そんなことを思いはせながら改札を通ろうとすると横から割り込む若い男が。
何だと舌打ちしてその姿を見て僕はこう思った。
書き起こしたのが2/6なので、2/5のことをずっと“昨日”と呼ばわってますが、お許しを。
2/5(日)。デビュー5周年を迎えたばかりのジャニーズ某5人組の5周年おめでとうイベントに行った。
その5人組はジャニーズ内では世間的認知度がたぶんいちばん低くて、このグループが好きなんだよねって言っても誰?って言われることが多い。
それでも約1年前に本格的に沼落ちしてからわたしはこの5人をずっといちばんに応援してきた。彼らはデビュー前にも長い歴史がある上にファンも古株が多いので、度々自分の担歴の浅さに苦しみながらも5人の今とこれからを見守りたくて全力で追いかけてきた。
今まで色々なグループを見てきたけど、正直この1年間がどのグループを応援していた時より充実していて楽しくてしょうがなかった。知名度の低さや売上の伸びなさに勝手に悩むのも、今までなかったことだから正直新鮮で楽しかった。メンバーの1人がオリコン1位を獲りたいと言うから最新シングルは僅かなバイト代から捻出して15枚買ったし、ドームに立ちたいと言えば絶対に同じ景色見ようねっていちいち勝手に決意を新たにしてきた。
昨日のイベントは最新のシングルCDに封入されていた参加券があれば誰でも参加できるというものだった。ポスターお渡し会という名のハイタッチ会である。担当している人のみならず他グループを担当している人なども数多く来ていて、それはそれは盛況だった。2ループまでという制限だったのでわたしはもちろん2ループした。待ち時間はほとんど屋内だったし、長い待ち時間を気遣ってか歴代MVも放映されていたので思ってたよりはつらくなかった。いや、やっぱりちょっと嘘。室内は空気も悪かったし、MVは観すぎてもう向こう3ヵ月くらいは観たくなくなった。1ループ目と2ループ目で合計9時間くらい待った。
結局2回とも剥がしが早すぎて言いたいことなんて何も言えなかった。まあハイタッチ会に何を求めているんだと言われたらそれはそうなのだけど。2回目なんてメンバーは10時間くらいオタクとハイタッチし続けているから明らかに疲れが滲んでいて。
実は去年同様のイベントがあって、それは抽選だったのだけど、それに参加していたわたしは正直ちょっと物足りなかった。
どんなに疲れていてもありがとう、と目を見て伝えてくれる5人のことはやっぱり大好きだなと改めて思った。でも、正直去年の方がおいしかったなとも思ってしまった。売れてほしい売れてほしいと言いながらも現状を手放したくない自分に気付いてしまって、嫌になった。
最近某掲示板で、実際彼らは現状のままでいいと思わない?というスレがあった。そのスレには今後も活動を続けていける程度の勢いを維持してくれればいいとか、倍率も低いし相場も安い今がいちばんとか、おいしい思いしたいから売れなくていいとか、そんな意見がたくさん並んでいた。
わたしは5人が売れたいと言うなら、ドームに立ちたいと言うなら、それを全力で応援するのがわたしの役目だと信じて疑っていなかったし、彼らのペンライト一色に染まるドームの景色を見せてあげたいと心の底から思っていたので、正直驚きしかなかったし、そんなにいい思いしたいならJrにでも降りてろよと思った。わたしは彼らの意思より自分の利益を尊重するようなこの人たちとは違うと思った。
でも、昨日のイベントで、たしかにわたしも少なからず思ってしまったのだ、これ以上遠くに行ってしまったらどうしよう、と。
昨日のイベントは本当に色々な人が絶賛していた。多くの担当がますます彼らが好きになったと幸せに満ちたツイートをしているし、他担も彼らの顔の綺麗さとか優しさとか対応とかにとにかく感激してくれている。これがきっかけで彼らを好きになってくれた人も少なからずいるだろう。
なのにわたしは、ハイタッチじゃ飽き足らず、去年のことを思い出してはやっぱりあっちのほうがおいしかった、今回も抽選でよかったのにと心のどこかで思ってしまった。ハイタッチできただけで幸せとか思えなくなった。誰より彼らに売れてほしいと思っていたはずなのに、彼らが売れるための心の準備なんて微塵もできてなかった自分を知ってしまった。
10時間以上も絶えずファンと接触しながら笑顔を絶やさなかった彼らの優しさを知っているのに、彼らの優しさと愛をもっと多くの人に知ってもらいたいと思っているのに、これじゃわたしはあの掲示板の人たちと同じだ。
5年後も、10年後も、その先も、彼らと同じ景色を見ていたい。できることならもっと大きなところで。なのに、もっといい思いしたいとも思っている自分がいて、矛盾しすぎて腹が立つ。もっと大きくなったら、こんな風に気軽にハイタッチすることすら叶わなくなることもわかっているのに。
正直、思ってたようなリアクションが返ってこなかったことによる僻みが少なからずあるっていうのは自分でもわかっているんだけど笑。
たくさんの人の、彼らへの愛を再確認した愛いっぱいのツイートを見ては自分の心の狭さにうんざりした。おめでとうと、ありがとうだけの気持ちで終われなかった自分に、いつの間にかこんなに強欲になっていた自分に。
帰ってから、5人から直接もらったポスターと、入場のときに手の甲に押されたスタンプを見つめて泣いた。シングル買えば誰でも行けるなんて無謀に決まってるイベントを決行してくれた5人の思いにやっと気付いて、祝うためじゃなくありがとうを言うためでもなく、ただ自分の欲を満たすためだけにあの場にいた自分のあさましさを笑った。おめでとう、ありがとう、その10文字をもっと全力で伝えたかったと思った。
今さら何を思ったって遅いし、もう二度と接触の機会なんてないのかもしれない。だってわたしは5人がもっと大きくなることを望んでたんだから。そう考えてまた泣いた。
数年前まで7万人入るスタジアムのてっぺんから米粒くらいのアイドルを応援して満足していたわたしはすっかり欲張りになってしまった。8年応援したあの人たちに、わたしは指1本だって触れることはなかったのに。
オリコンランキングを毎日毎日チェックしてはもっと買い足さなきゃだめかなって心配したりすることがないくらいに。
今年もやるよ!って、当たり前にドームに立てるくらいに。
昔は接触イベントもやったね、今やったら大変なことになるね、って言えるくらいに。
豆粒になっても、米粒になっても、ゴマ粒くらいになっても、当たり前のようにハイタッチしたことが夢だったんじゃないかと思えるくらいになっても。まだ少しだけ心の準備が足りてないけど、5人が目指す未来を、これからもずっと応援しています。
でも、もう少しだけでいいから、ほんの少しでいいから、今を満喫させてください。
色々書いたけど、やっぱり世界一の5人だと胸を張って言えます。
クタクタになったし、ちょっとだけほろ苦い思い出になりそうだけど、今日も5人の笑顔と歌声で元気になっちゃったよ。
未来がどうなるかなんてわからないけど、5人の笑顔が好きだからどこまでもついていきたい。気付いたらすごいとこにいるんじゃないかな。だってわたしが好きになったのは世界最強の5人だから。
5周年、本当におめでとう。そして、ありがとう。
gudachanことbonchacchangaです。2013年から2016年まではてなブログをやっていた者です。
私は本当の意味での田舎者なんですけど、今回声を大にして訴えたいことがあります。
私は神奈川県の湘南地方に住んでいるいわゆる田舎者です。買い物で川崎や横浜や東京に行きます。
鉄道は日本人からすれば大きな商売かつ貴重な交通インフラです。でも良く考えてください。
今は昔と違って本当の意味での貧しい人は多くいません。増えたのは富裕層でないという意味での貧しい人です(中間層の存在を思いつかない頭の貧しさにもうんざりします)。本当の意味での貧困者は減っているんですよ。車は駄目でもオートバイとか自転車持てる人がいくらでもいます。20年~30年前より減っているはずです。人口減少ほど豊かになると言うことを考えれば、人口増加説が当たらない限り日本はさらに豊かになるはずです。
あたかも都会の人々を社会ぐるみで障がい者みたいに特別扱いしているのと同じです。都会人だって障がい者よりかは健常者のほうが多いですし、貧しくない人のほうが貧しい人より圧倒的に多いです。まさに「日本くたばれ!!!」ですよ。都会人が田舎者以上に見下されているんですよ。
しかも、都会の財政は地方に比べて豊かです。地方に私鉄が多いのは、法人税を回収するためなんです。地方はとにかく貧しいんです。そうでなければ今時公営鉄道か本物の車社会になっている筈です。もちろん私は公共交通が駄目になりますます車社会に苦しむ地方にも同情します。
また、欧米では少なくとも都会の旅客鉄道は「原則公営」です。あくまでも公共インフラに過ぎないからです。
最近鉄道会社は商売に煩くなってますが、公共インフラとして利用している人にはいい迷惑でしかありません。
さらにいえば、外国のどの都市も道路は日本で言う地方の道路並に広くなっていて使いやすくなっているのですが、日本の都市はどうでしょうか?
財政の豊かなはずの都会が道路整備や公共交通整備を怠り、民間の鉄道インフラを使わせているという状況に外国人や日本の田舎者すらあきれています。都会人はどう思っていますか?
田園都市線問題を期に今こそ、都会人が立ち上がるときなんですよ。都市部でのインフラを欧米水準少なくとも韓国や台湾や中国水準に引き上げるべきです。
大都市の私鉄がレガシーになり、都会の鉄道が公共のためのものにすべきなんですよ。道路を便利にしよう、「狭い道路は時代遅れ」に田舎も都会もないんですよ。
札幌・仙台・名古屋・大阪・福岡みたいなところや地方都市には私鉄は必要ですが、首都圏からみればダサいもいいところですよ。
皆さんが鉄道通勤ラッシュや鉄道の副業第一のことを外国人や田舎者に叩かれても都会人は何も疑問に思わない。東京の私鉄社会は終わりです。JRか都営鉄道にしましょう。そして道路拡張などの整備を促しましょう。
車は公害の元は昔のものです。ハイブリッド車やエコカーや電気自動車。オートバイなら電動バイクがかなり普及しています。バスをみて下さいよ。排ガスの黒い車はほとんど走っていません。
皆さん声を上げましょう。都会のインフラの近代化です。私も闘います。都会のために。
私は東京で道路の使いづらさに苦しむ人達の悲鳴を何度も聞きました。時代遅れの偏見のせいで道路整備が進まない。だからこそ訴えているんですよ。
暴走族が怖いだ?暴走族はとっくの昔に絶滅してます。(※完全には絶滅していないという声もありますが、個人の悪ふざけ以外殆ど見かけません。集団でのそれなんて私の知る限りここ5年間見ていません。そもそも私の住む街には2014年を最後にそれら含めて1度も見ていません。)
一年前の今日、某テーマパークに行きパレードに出演している男性ダンサーを好きになった。
ダンオタというのはテーマパークダンサーを好きな人たちのことで、だいたいどこのテーマパークにもいる。夢の国にも、関西の映画の国にも、忍者村にだっている。
流行りの服装で一眼を持ってショーやパレードを待っている女の子がいたら、ほぼダンオタだと思って間違いないだろう。
では、何故どこのテーマパークにもダンサーのオタクはいるのか。それは私がのめり込んでしまった起因でもある。
一般的にテーマパークには多くのキャラクターがいて、ショーやパレードの主役はそのキャラクターたちだ。
ミッキー、キティちゃん、エルモ、アンパンマンなどなど、テーマパークで行われるショーの主役は彼らであり、彼らを中心に物語が描かれる。
キャラクターだけいればショーは成立するのでは、そう言われればそれまでで、最もその通りなのだが、テーマパークの広大な敷地のすべてにキャラクターを配置することはまず不可能だろう。そして、それが可能だとしても、絵面は寂しくなりそうだ。
そこで、テーマパークダンサーが現れる。主役のキャラクターを引き立て、ショーを盛り上げる。あくまでも、引き立て役であり脇役なのだ。
なら、どうしてそんな脇役にオタクがつくのか。
私は元々ゴリゴリのジャニオタだった。月に一回は何かしらのコンサートか舞台に行き、自担くんの出演舞台は全通もした。チケットにいくらかかったかはもう想像できない。大学生の時ですら、年間3桁の額を使っていた。
自分の服や化粧、食費は最低限で、バイトをいくつも掛け持ちしていたし、友達やゼミの飲み会には一切参加しなかった。今思うと、悲しすぎるキャンパスライフである。
しかし、それでもよかった。365日のうち300日はどこかで踊っている自担くんが大好きで、彼を見に行けるなら他のことなど必要なかった。
どうして自分が自担に対し盲目的でいて、そこまで必死に頑張れていたのか理由は分かっていた。
ジャニーズJrというのは、デビューしている先輩もしくは後輩のバックで踊っているダンサーのことで。Mステなんかで嵐が歌っているとき、やけに背景がうるさいなと思ったことはないだろうか。そういうときバックで踊っているのがJrだ。
Jrでいる間は事務所をいつ辞めるのかは自由で、昨日までいたのに今日はいなくなっているということはザラな世界だ。しかも、いつ辞めるという知らせは一切ないどころか、辞めたかどうかすらはっきりと分からない。
そんな儚い存在のジャニーズJrが目指すものはみな一様にデビューだ。CDデビューをして初めてJrを卒業する。それまでは、バックダンサーという立ち位置にしかなれない。
長くJrをやってデビューすると、こう言われがちである、「Jrの方がよかった」。せっかくデビューして事務所を辞める心配がなくなって、なおかつCDを買ったりコンサートツアーをやったり、活動する場所はどんどん増えていくのにだ。そして、何より夢にまで見た主役になる。
しかし、広いステージの真ん中でマイクを握る姿より、ステージの片隅で踊っている姿の方が良かったと思えるのだ。
世の中、なんでもそうだと思う。漫画の人気投票で主役よりも脇役の方が人気なことは多いし、コンテストで優勝した人よりも審査員特別賞の人の方が売れたりする。真ん中に立ち、スポットライトを浴びることだけが魅力ではないのだ。
ライトが一切当たらない暗がりを見ている人はいて、その暗がりにいる脇役を見つけたときは何とも言えない優越感がある。主役は誰にだって見える、というか見せるためにいる。主役が見えることは当たり前で、見えたときの感動はそう大きくない。
大勢の人が主役を見ている中で、私は脇役を見ている、私だけが脇役の演技を知っている。その感覚が常に私を頑張らせていた。
Jrは夢を持つ、目標を持つ。その誰にも見えない夢を私は応援したかったのだ。
Jrを好きな人がみなこんな理由で応援しているとは限らない。たまたま私の自担が舞台の仕事とバックダンサーが多かっただけで、バックにつかずテレビに出て活躍しているJrの子もたくさんいるし、そういう子のファンは違う感覚を持ち合わせているはず。
そして、件のテーマパークダンサーだが、彼らもまるでジャニーズJrのようだなと私は感じた。
テーマパークという枠に囚われ仕事を与えられ、主役になることを夢見ながら脇役として仕事に徹し、いつの日か音もなく目の前から消えていく。
誰かに気づいてもらいたいと思いながら懸命に踊る姿は、見た人の胸にそれは刺さるだろう。
私の場合も、「笑顔がかわいい人だなぁ」と思って見ていたら目が合って、手を振ってもらったのが始まりだ。「見つけた」「見つけてくれた」の瞬間である。
そんなこんなで、テーマパークダンサーはJr担の性癖に見事にジャストミートした。
皆が皆、同じような気持ちでダンオタをやっているとは思わない。ダンスが素敵だったから、顔がかっこよかったから、理由は人それぞれだが、ショーの脇役を見て好きになった境遇は同じなはず。
あまり脇役脇役いっていると怒られそうなのだが、ダンサーもショーの重要な一部だということは分かっているので悪しからず。
そんな私も盲目的にテーマパークのしきたりを守りながら追い続け、今現在は顔と名前を覚えられているところまでいった。パレードの最中に目が合うと「あっ」という顔をされ、今も「見つけた」「見つけてくれた」の関係は続いている。しかし完全にその立場は逆転し、今は私が見つけてもらう側になっている。なんでもそうだが、オタクが優位でいられるのは一番最初、好きになった瞬間だけであるから、これはもう致し方ない宿命だ。
これは私事だが、ダンオタというのはジャニオタに比べれば懐に優しい趣味だが、ダンサーというJrよりも一般人に近い存在のオタクをしている性質上、メンタルが抉られる事案が多いなと感じる。距離が近いため、手紙に書いた内容が次の日のパレードに全てダイレクトに反映されるのだ。そのレスポンスの速さたるや、自動返信サービスかと思う。
ファンサされたり、干されたり、機嫌の良い悪いですぐ態度をころっころ変える一般人に振り回される毎日だが、それでも楽しくてやめられずに1年経った。
ちなみに私の自担くんは今もJrだ。デビューはもうできないだろうと言われている。
脇役だろうとなんだろうと、私は好きな子はいつだって主役だった。
スポットライトを浴びることを夢見て踊る姿は、誰よりも輝いていたし、この子を好きでいることは自慢だ。
Jrもテーマパークダンサーも、儚い存在だけど何よりも強い存在感を放つ。それが人を惹き付ける魅力なんだと思う。
自担くんは今日も劇場で踊っている。テーマパークのダンサーは今日もパレードに出演している。
きっと、今日も誰かの主役になりながら。
先日発生したJR蕨駅での全盲男性がホームから転落して死亡した件
日本視覚障害者協議会が点字パネルの確認を行っており、点字パネルは正常に設置されていたのだろう
盲導犬を連れていたので点字パネルをあまり意識せずに端へ移動し足を踏み外したのだと思われる
非常に不幸な事故だと言わざるを得ない
あえて言えばホームドアが設置されていれば事故は防げたので、JR他鉄道各社はホームドアの設置を進めてほしい
で、終了すべき事案であったはずなのに
全盲男性死亡 駅員ホーム不在 | 2017/1/14(土) 23:01 - Yahoo!ニュース
東京新聞:蕨駅転落死事故 駅員、盲導犬男性に声かけせず 介助申し出なく:社会(TOKYO Web)
盲導犬男性、改札の駅員が認識…蕨駅転落死 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
昨晩からずっと「駅員がちゃんと見ていなかったからだ」という責任追及が始まっている
確かに駅員が介助していれば不幸な事故は起きなかったかもしれない
だがそれは「もし」の話であって、「重大な過失」扱いするべきではないと思う
飄々と杖を使い、目が見えているかのようにすいすい移動するので、介助が必要だと言われなければ「必要なさそうだ」と思っても仕方ないと感じる
記事にもある通り、男性が普段から駅を利用していたならば駅員はそれ以上に感じていたと思う
駅員は同支社の聞き取りに「男性は普段から駅を利用しており、この日も改札を通った後に立ち止まることもなかったので、声かけしなかった」と説明したという。
むしろ「いつものことなのにこの日に限って」となれば、それは「不注意による転落」であって、視覚障害等関係なく誰にでも起こり得ることではないだろうか
わたしはもう10年以上ジャニーズが好きだ。わたしが好きだったグループは、デビューしてそこそこ人気もあり、メンバーの誰かは毎日どこかのテレビ番組に出演している。CDも買えるし、DVDも見れる。だからいつでも声は聞けるし(メディア媒体で)、売上に貢献することもできた。
しかし、ある日ふとテレビを見てまだ幼い子が目に飛び込んできた。ダンスはへにょへにょ、マイクも持たせてもらえない、一番後の列の端で踊っていた。ダボダボの先輩のお下がりであろう衣装を着せられて。
びっくりした。こんなにも隅にいるのに、精一杯、ふにゃっとした笑顔で踊り続けていた。スポットライトも当たらず、先輩が踊るずっと後ろに少しだけ映り込む程度なのに。
しかし、デビューしたグループのことしか知らなかったため、当然のことながら何もわからなかった。コンサートはあるの?CDは買えるの?
どちらともなかった。あったとしても、先輩グループの舞台のバックダンサーか、先輩たちのMVのバックダンサー。もちろん名前が出ているわけではないため、どれを買えばいいのか分からなかった。一通り買ってみたが、結局出ているものは片手で数えられるくらいだった。
それから月日が経ったが、相変わらずいちばん最後の列の端で踊っている。いつでもどんな時でもふにゃふにゃな笑顔なのも変わらない。
しかし、へにょへにょだったダンスが大きく堂々と踊れるようになった。踊っている時にキョロキョロしてしまう癖が直り、前を見て踊れるようになった。マイクを時々持たせてもらえるようになった。ストレートだった髪が時々セットされるようになった。カメラを見てアピールすることができるようになった。ひとつひとつ成長を見ることが出来た時、本当に嬉しかった。
いいこともあるかもしれないが、立ち位置は変わらない。ジャニーズJrが溢れている現在、今後のことを彼なりに考えているだろう。まだまだ若いため、可能性は無限大だと思う。彼の同期はほぼ辞めたか、グループに属していった。
きっと彼がステージを降りるとき、わたしのジャニーズのファンも幕を閉じる。
でも、その時が来るまで、彼を全力で応援したい。どこに出るかも分からないが、出るならば見に行きたい。あなたを応援している人はいるんだよということを伝えたい。スポットライトが当たらない最後列の最下手であっても、わたしの中の彼はいつでも0番だから。
わかりきっていたのよ
だましてた、今日までみんな
信じていたでしょう
高山直人
ホントのことを言ったら
車嫌いなんて働けない
ホントのことを言ったら
私だって怖いの
オフィスの外で
静かに働いてもらうわけよ
2年間の長期外泊
桜井誠も
それ一筋で成り上がる。
想定外がすべての
人生なの
そうさ、アンタは何も悪くない
高山直人
前日の飲み会に比べて疲れたな。って感じたのは自宅で大学同級生と飲んだのと違って,
名古屋までJR使って足を延ばしたからかな。なんて考えながら帰ってきて,
夜中に酒による吐き気で起きた時に,気づいてしまったから書き残しておく。
高校の同級生と合うのはたぶん5年ぶり。31歳。結構あっていなかった。
高校時代,とても仲が良かったし,5年前までは毎年のようにあっていたので自分でも今年誘われたとき,
なんで5年も空いたのだろうか。と不思議だった。
メンバーは医師,某ビール会社の開発(肩書き付),トヨタの完全子会社のなんか出世が約束されたとこ。
世間的にみたらいわゆる受験戦争の勝ち組。医者以外は国立大(院)卒。
給料も手取りで1千万とか,ちょっと足りないぐらいだとか言ってた。
今年は4,5回海外旅行いって,元旦からもカンボジアに旅行に行ってくる。とか,
新しい車を2回ほど買い換えた。とか,今の日本の景気状況と比べたら別世界のような話をしていた。
でもなんか違和感があった。
石に刻まれた絵画,歴史,モチーフ。その壮大さに腰が抜けるかと思った。
シャムリアップの人々の生活は豊かではなかったが,良く笑っていた。
だまして売りつけるという空気感は無く,ラオスに通じるおおらかさを見た。
展示物を見た後に飯がのどを通らず,
うざい声かけしてくるおっさんタクシードライバーも,この戦争を乗り越えたんだと思ったら,
涙がでるかと思うぐらい,愛おしかった。
でも,そんな話は昨日の飲み会では通じなかった。
自分が行った時の話をさえぎり,俺もその場所に旅行したことある。で,どこのホテルに泊まったの。と別の彼は言った。
でも,家のマットレスを40万の良いものに変えたらどこの高級ホテルでも寝られない。といって話は違うところへいった。
どこに行ったのか。何を食べたのか。どこに泊まったのか。そのホテルの格は何か。どんな女を買ったのか。
いくらつかったのか。
どんな贅沢をしたのか。
すべての話は結局そこに落ち着いた。
結婚式を挙げるホテルはマリオット,ヒルトン,ウェスティン。どこが良いかな。
共働きの夫婦だから夕飯にいつも困って,こんな高いものを食べたよ。
でかい4Kテレビを買って,見るものないからyoutubeでスロットの解説動画をみてるよ。
どうでも良いことで悩んでいるんだな。と思って聞いていた。
でも,さっき気づいた。この話はすべて品評会だったんだと。
俺は他の男と違ってこんな金のかけかたができる。
こんなにも裕福になった。贅沢ができる。で,お前はどうなの?そう聞かれていた。
できない嫉妬なのだろうか。いや,絶対に違う。それぞれはしたければできない贅沢ではない。全部は無理だけど。
自分を羨ましがってもらって,自分のしてきたことは正しいことなんだ。
自分の経験値は間違っていないんだと正当化して欲しいだけなんだ。
東大で過ごした博士課程の3年間。とうぜん周りの人間は東大生ばかり。
でも博士課程に進学するだけあって,あまり,分かり易い欲が見えなかった。
でも,こんな経験がしたい。これが見たい。これが食べたい。これが知りたい。
そんな純粋な自分の欲求をみたすために,全員のベクトルは異なっていたが,貪欲だった。全力だった。
いわゆるマッドサイエンティスト的な雰囲気がそこにはあった。最高だった。
ベクトルが自分と違うから見えにくいだけで,そこには確実に,なるべき自分をそれぞれに持っていた。
高校・大学時代に勉強しておいてよかった。と昨日の彼らは言っていた。
いや違う。君らは何も先人たちの英知を学べてはいない。
ただ,学歴を勝ち取って,そこを卒業し,資格を取り,お金という対価を比較的短い時間と交換できるようになっただけだ。
今,自分が何をしたくて,どう行動して,世界にとって必要なものは何か。何も考えていない。
君たちの言う学問とは何か。世間でいう勝ち組,世間でいう高学歴とは,この人たちなのだろうか。
神を畏れることは知恵のはじめ。無知なものは知恵をも諭しをも侮る。
現勤務校にも,卒業高校にも,たまたまキリスト教高校なので,この一句が飾ってある。
勤務校ははっきり言えば底辺校,教育困難校。卒業高校はまぁまぁの進学校。
それは進学に力をいれるばかりに,キリスト教教育を怠っているからだと宗教主任は語っていた。
それを聞いたとき,あぁ,そうですか。でもそれは勤務校の生徒がアホだからでしょ。って思ってた。
でもこの評判は,正しいのではないだろうか。
自分はキリスト教徒でもない。若い時には宗教アレルギーも強かった。
とはいえ,聖書に書いてある諭しや教えの多くも,学問を通じて,経験を通じて,失敗を通じて気づけていた。
だから,受験で使わない聖書の授業は,宗教の授業は,勤務校の生徒がアホだから「教えてあげなければならず」,
アホじゃなければ「自分で身に着けられる」と勝手に信じていた。自分で作った宗教にはまっていた。
でも恐らく違うんだと気づかされた。
昨日の3人はおそらく,知恵をも諭しをも侮る,無知なもの。だと思う。勉強も仕事もできるはずなのに。
小さな自分の価値観を,他人に羨んでもらうことでしか確認できないようになったのはいつなのだろうか。
学部生の時に友人に「お前は資本主義の権化だ」と言われた。その時は全く理解できなかった。
だって何か特別なこともしてないし,ものを買った覚えもなかったから。
仲が良かったということは,すくなくとも高校時代のあのころは彼らも同じ価値観だったはずだ。
でも昨日の彼らは,いや,昨日の彼らも,資本主義の権化だった。見ていて・聞いていて辛かった。
自分は若いうちに言ってくれる友人ができて,師に会えて,幸せだったわけだ。
その後,学問の道にすすみ,お金はなかったし,挫折もしたけれど,
自分のやりたいことだけ,やりたい場所で,時間をつかえて自分を見直せてよかった。
大学で何を学んだのか。の差だと思う。教育はすごいと確信した。
5年間会っていなかった理由をこの文章を書きながら思い出してきた。
2011年に会ったとき,東京は計画停電と自粛ムードでどんよりしていた。
でも原発はもう一度壊れるかもしれない。そこには自然があり,生き物がすんでいる。
自分は,人間だけの都合でその環境を再生不可能な形に改変してはいけないと強く言っていた。
あの時,少しの呆れと絶望を感じたので,昨日まで会っていなかったのだろう。
昨日の飲み会で生じた感情もおそらく同じだろう。自分にとって残念であった。
学ぶ時間は大切だと痛感した。彼らは良い師に巡り合えなかったのだろう。
良き友人らと朝まで色々な価値観のもと,議論できなかったのだろう。
ただ,もちろん,彼らの価値観が間違っているわけでは無いと思う。自分と相いれないだけ。
でも,仲の良かった友人たちが忌み嫌う価値観のど真ん中にいたことは自分にとって残念でならない。
人間は,もっと自然から,歴史から,周りの人間から学んでいくべきであるし,そのために高等教育があるはず。
受験戦争に勝つことも,高いお給料をもらうことも,もちろん大切なことの一つであるが,それだけではない。
学問とは,大学とは,高校とは,教育のすべては本来そうあるはずだし,そうあるべきであろう。
君らの心は貧しい。と言ってあげるべきだっただろうか。たぶん笑わるし,理解されない。
飲み会の席で今の感情に気づいていれば,あの時の自分は言っていたのだろうか。
30超えたおっさんに説教しても変わらないのでしなかったと信じている。
熱く語って恥ずかしくなってもっと早く帰っていたかもしれない。たぶん,そうだっただろう。
なんだか教師としての道が見つかった気がする。
昨日までは教科教育に精一杯だったが,なんだかやりたいことが見つかった。
あの空間に自分の生徒を送り込んでやりたい。一人でも多くの若者に自分の価値観の狭さを実感して欲しい。
別に東大じゃなくてもその空間はあるかもしれないが,自分があの空間を経験したのが東大だから仕方がない。
少なくとも一昨日まではその空間が維持されていると聞いているし。
それは私自身が生きやすい世界のために必要な手段である。あくまでも自分のため。
もうすぐ息子が起きてくる。
はてな匿名ダイアリーって文字数制限があるのかな?途中で切れていたので続きを下記に。
一回の出張で複数の用務をこなすことは時間と経費の節約になるはずだが、その場合は行きの旅費しか出ない、その業務に関する滞在費が出せない。
↑未だに旅費法の世界なので。国の問題。あるいは大学法人が旅費法を離脱する決定をするか。その場合会計検査院はどういう意見を出すだろうか?会計検査院の問題。リスクが高すぎる。
★旅費法
↑旅費法の世界。国の問題。あるいは研究者がJALは嫌だとか、座席は通路側じゃないと駄目だとか、わがままを言い出さなければ、すべて大学側でチケットを手配して、直接代理店に支払うことは可能と思われる。それを実践している大学もあると思う。
学会のために地方に出張するさい、「始発で間に合うのであれば前泊は禁止」「学会後終電で帰宅できるのであれば延泊は禁止」というルールがある。「5時発の始発でも間に合うのであれば前泊禁止」ということになってしまい、結局、全国のほとんどの場所で開催される学会では前泊が禁止される。
学会の後はほぼ必ず、オフィシャルではない懇親会が開かれることが開かれる。学会における質疑応答時間はあまり多くは設けられていないため、基本的にはそういう非公式な場でのディスカッションが学術的には非常に有益であり、かつ不可欠だが、延泊できないため、最終日の午後に発表する場合などは、たいしたディスカッションもできないまま開催地を後にせざるを得ない。
宿泊費を自腹で支払うと旅費が出ない。
例えば旅費は20万円しかない場合、海外のミーティングに参加する時に、飛行機代が10万円、宿泊費が10万円かかるとすると、10万円は自腹で払っても海外のミーティングに行きたい、と言っているポスドクが2人いる場合、宿泊費は各自の支払いということで、10万円ずつ飛行機代を出してあげたい、と思っても、宿泊費を出さない出張はカラ出張の原因になるから、という理由で、一人分、20万円しか出せない。
↑たぶんこれも旅費法の問題。減額するのに限度があったはず。おそらくそれに引っかかっている。
海外からの招聘にかかる旅費執行(科研費)について海外からシンポジストなどを招聘する際にかかるフライト代を科研費で請求する際、以下の書類が必要になる。フライトチケットの領収書、クレジットで立て替え払いした場合はクレジットの利用明細書、フライトチケットの半券(往復分)。往路チケットの半券は来日時に提出してもらうにしても、復路分の半券はシンポジスト帰国後、郵送してもらうか(半券をPDFなどにしてもらって)メールを送ってもらう必要があり、海外からくるシンポジストに過度な負担を与えるとともに、招聘側としても事務手続きが煩雑になる。
↑来たら間違いなく帰るだろうから、復路分の半券は無理に必要無い気もするが、会計検査院の問題。ある程度の書類が必要になるのはやむを得ない。会計的な説明責任はすべて書類によるものが原則。
↑カラ出張防止のためやむなし。そういう輩がいるから。チケットの転売とか。
新幹線や特急を使う出張には特急券を持ち帰るというルールがある。これは在来線で移動し、差額を着服することを防止するためらしい。しかし新幹線の特急券は改札機にて回収されるため、駅の係員に事情を説明して持ち帰らねばならない。事故等で改札が混雑しているときなどは、そのために相当の時間がかかり、乗り継ぎにも支障を来している。
↑ローカルルール。大阪大学の問題。このルールが導入された経緯があるのではないか?阪大も不正が多かった。
国内の移動にタクシーを使用できない。福岡は、交通機関が東京や大阪ほど発展していないため、調査で学校訪問をする際に、公共交通機関を利用できない(あるいは、本数が少なく、現実的ではない)場合があり、こうした場合、タクシーを利用せざるを得ないが、研究費による国内でのタクシー利用が一切認められていない。
↑タクシーは高額になるため、利用に制限があるのは仕方無い。一切認められていないのは厳しすぎるか?福教大の問題。あるいは会計検査院に、バスがあるのになぜ高額なタクシーを利用するのかと指摘されるのは想定されうる。
出張時に,基本的に航空機での移動が認められていない。時間がいくらかかろうと,電車で行かれる範囲は飛行機利用が許可されておらず,用務先に到着するだけで1日使ってしまう,というようなことが生じる。
↑岡大の問題。具体的にどこまでJRで行く必要があるのだろうか?
本学では、毎月毎月、どこで何を何時間していたかを記録した紙の勤務報告書の提出を求められる。事務に確認したところ、裁量労働制の場合でも、厚生労働省の指導により事業主(大学)は、 勤務状況の把握することが必要となっているとのこと。
その際、勤務のルールとして、
法令上は、例えば大学入試センター試験業務など、具体的な土日勤務の命令があってはじめて勤務とみなされる。
この書式はいまだにサインをして紙で提出することになっており、それを事務職員が全員分目視でチェックして、出張日と学内勤務日が重なっていないか確認している。
コンプライアンス研修という、法律遵守の講習が義務付けられ、年に一回必ず出席し、番号をもらわなければ、翌年の予算が使えない。
↑東工大は不正が相次いだのでこれは仕方あるまい。自覚が無いのだなあ。
週3日でアシスタントを雇っているが、保育園の行事やお子さんが急に熱が出た時など、その日は休んで曜日をずらして働きたいという希望が本人にあっても、契約で曜日が決まっているので、有給をとってその日は休むということしかできない。週3日のような、シフト制のような雇用も許可してもらいたいと事務に依頼したが、年中行事は最初から分かっているはずである、なるべく行事の少ない曜日で契約すれば良いだけ、パートは曜日を確定した契約しかしない、ということで、受け入れてもらえない。
ノートパソコンが備品として扱われるため、学外持ち出しに毎回書類にて申請が必要。しかし、教員も事務職員もルールの存在を知りながら、全く遵守していない。
↑パソコンは私物化されたり、売り払われたりしやすいので仕方無い。神戸大学は上にもあったが、パソコン周りが厳しい。
出張前に1枚、出張後に2枚のExcelシート(出張理由、出張先での面談者、出張先での用務、出張の成果等を数行ずつ記載)を毎回作成する必要がある。近距離の出張であっても必要。最近では、面談者・宿泊確認・移動の事実確認を求めようという動きもあり。
↑出張先の情報確認は国全体の流れなのでローカルルールではない。国の問題。出張前の書類作成は、出張が「旅行命令」となっている意味を考える必要がある。
文科省が直接実施している研究費で購入した備品のプロジェクト終了後についての問題。
1.科学技術振興調整費、スーパーコンピュータ関係のプロジェクトなど文部科学省が直接管理するプロジェクトで購入した20万円以上の備品は、全て文部科学省備品となり、大学は貸与を受けて使用している。プロジェクト終了後も特に理由が無い限り、貸与が続く。
2.文部科学省備品には耐用年限という概念がないため、例え15年前のコンピュータでも、文部科学省に返還、廃棄する方法がない。
3.返納し、廃棄するためには、備品が故障している、修理しようとしても製造業者・納入業者では修理が不能な場合に限られる。
例えば、非常に古くなり使用に耐えない、使用する人がいなくなったので使用されず、回覧して次の使用者を探したがいなかった場合などでも認められない。
4.そのため、各備品1点1点について、以下の事務処理が必要になる。
各備品について全体写真、資産シールの拡大写真を撮影し、エクセルフォームを作る(写真票)
各備品について、製造業者等に問い合わせ、修理不能証明書を発行してもらう。証明書には社印、代表者印が必要
各備品について、故障状況説明書をエクセルで作成し、どのように故障しているか、何故修理不能であるかを説明する。
以上がとりまとめられたところで、文部科学省会計課と協議し、本当に返納・廃棄してよいかどうか精査され、多くの修正意見が戻ることにより、さらに事務作業が増える。
(1)文部科学省からの貸与制度を止め、大学の備品として調達・使用、廃棄する。
(2)常識的に見て非常に古いもの、一般的にコンピュータは5年、その他物品は10年を越したものは、簡易な手続きで、廃棄できるようにする。
海外から研究者を招聘した際に、旅費(航空費、宿泊・日当等)や謝金(講演料等)が支払われるが、それがすべて所得だと見なされて、所得税・地方税・復興税の20%が源泉徴収される。謝金について、それが所得であり、所得税が課せられるのは理解できるのが、これが、その招へいで来た本人が、航空券を立て替えで購入した際の返金に対しても20%が引かれて返金される。招聘する大学が直接旅行代理店(国内)に支払うという形を取れる時は、課税されない。
ただ、いつもそうできるわけではなく、招聘する研究者によっては、特に著名な研究者であればあるほど、一度の海外出張で、いくつもの国・都市を講演などで回る。そうすると、複雑な旅程になり、その本人が居住地の旅行代理店で、すべてをセットとして購入するのが一番煩雑ではなく、さらに通常、安くできる。例えば、オーストラリアの研究者が、オーストラリア>東京>ドイツ>イギリス>オーストラリアという旅程で移動する時、これを一括して購入すれば大きな割引がある。しかし、オーストラリアから東京の間のみを招聘する日本側で購入すると、残りの部分が周遊ではなく、すべて片道となり、結局本人としては非常に高くついてしまうことになる。ところが、オーストラリア>東京間も含めて本人が購入し、この部分について日本側が精算・返金すると、20%が引かれた額が本人に返金されることになる。
この源泉徴収は、租税条約を結んでいる国であれば、書類を揃えることによって回避することができるが、必要な書類は6点、特に居住地で居住証明書を本人に申請・取得してもらわなければならず、国によってはその手続きに2~3ヶ月かかる可能性がある。多忙を極める研究者にはそんなことをしている時間はとてもなく、そして、租税条約を結んでいない中国などの場合は、この回避方法すらない。
さらに、この仕組みについて、国税庁のウェブサイトにも英語の説明があまりなく、大学の事務員がこれを本人に英語で説明できるはずもなく、結局、関係教員が平謝りに謝っているのが現状。
疲れたのでとりあえず。
気が向けば追記予定。
この二つの市、同じくらいの人口の県庁所在地だが、街の中心の賑わいが全く違っている。
はりまや橋の辺りからひろめ市場まで、それなりに人通りもあり、新しくできた現代的な店も多い。
イオンモールにおされているというが、まだまだ活気があると思った。
かたや、和歌山市。
「ぶらくり丁」という中心街がある(あった)が、駅から離れていることもあり、完全に寂れてしまっている。
JR和歌山駅前に新たな繁華街ができているかというとそうでもなく、駅ビルや百貨店に人が集まっている程度で、近くの商店街はやはり寂れている。
同じくらいの規模の市なのに、何故これだけ差があるのか。
和歌山市は、近くに大阪という大都市があるから、そこに人がどんどん吸い取られているのに対し、
高知市は、近くに大都市がないから、人を集める「求心力」を持っている、
そんなところだろうか。
北陸新幹線の敦賀・新大阪間のルートが、小浜・京都経由できまりそうと聞いて、もう日本は駄目かも、と思った。現在の日本の財政的窮状が見えていないバブル脳の老害がまだ政界に跳梁しているのか。
https://www.mlit.go.jp/common/001152043.pdf
舞鶴経由なんてもとより頭がおかしい。もともと無茶な小浜経由の影を薄くするために、わざとスケープゴートとしてむりやり候補にねじ込んだとしか思えない。
新大阪駅・京都駅間の人口密集地にもう一本、新幹線を作る?どれくらいのお金と時間がかかると思っているんだ?(資料では2.1兆円とあるが、とてもそれですむとは思えない)。新快速がバンバン走る中、どれくらいの需要があるんだ?しかも、既存の東海道新幹線と並走するんで、災害時の迂回ルートにもなりはしない。そして小浜市という人口3万の町のどこに、わざわざ迂回してまでも行かなければいけない巨大な旅客輸送量のニーズがあるんだ?それって、(米原ルートとの小浜ルートの建設費の差額の)1兆5千万の価値があるのか?国家予算が50兆円の時代の1兆5千億円の価値が分かってる?日本人の美徳の「もったいない」精神はこれだけ規模がでかいと忘れ去られるのか?
一方の中央新幹線の大阪延長は、国の融資支援による前倒しが決まっていて、現状では2038年開業予定になってる。北陸新幹線は、2023年春に敦賀まで開通予定で、その直後に着工しても、小浜ルートの工期15年だから、結局、開業時期は同じだ。
だとしたら、北陸新幹線は米原ルート(工期10年)にし、米原駅のホームを、東海道新幹線から北陸新幹線にドア・ツー・ドアで乗り換えられるように改造し、5年間は米原での乗り換えを我慢する。中央新幹線が開通し東海道新幹線の便数が激減する 2038 年から大阪からの米原経由・直通便を出すようにするのが、もっとも経済的に合理的だろう。
ソフト施策としても、たとえば米原での乗り換え時に、プラットフォームで隣の車両の移動するだけですむよう、指定席を車両単位でシンクロさせるとか、指定席特急券は特例で通しで買えるようにするとか、いくらでも施策は打てる。「JRの会社が違うから」などと言うのは、兆円単位の工費の違いに比べれば些細な差に過ぎない。
今の日本は高齢化が洒落にならない状況に深刻な状況に陥っていて、お金は少しでも多く、今後の高齢者を養う力を持つ若者を育てる教育と、国際的にお金を稼げる技術力の種を産む研究開発費に突っ込まなければいけない。そして2100年には人口は8千万人まで減少すると予測される中、地方から「撤退」して、生活資本整備は都市部に「集中」と「選択」をする政治的に難しい舵取りをしなければならない。
経済的にあまり効果がない土木工事には1円ですらお金を費やす余裕はない危機的状況なのだが、「北陸新幹線は小浜ルートで」などと寝呆けたことを言っている連中は本当に日本の現状がわかっているのだろうか?
米原ルートのもう一つの利点は、米原の北東側に、北陸新幹線と名古屋方面への短絡線を作れば、横浜・静岡・名古屋から北陸方面への新幹線移動も可能になる点だ。しかも安くできる。繰り返しになるけど、2038年に中央新幹線が大阪まで開通すれば、東海道新幹線はがら空きになる。それを有効活用し、災害時に迂回路としての役目を果たせるよう、メインルートから距離を離しておくのは、ものすごく重要だ。
なので、我々がすべきことは、2038年開通予定の中央新幹線を新大阪までしっかり期限内に完成させて、空いた東海道新幹線をすぐに北陸新幹線に転用できるよう、東海道新幹線と北陸新幹線の制御系統の共通化などソフト面での対策を、時間をかけてしっかりやっておくことに尽きる。
場合によれば測量・説明会運営・用地買収は政府や自治体が支援すれば、中央新幹線の開通はもっと早められる可能性もあるだろう。
これまでも、日本の鉄道の災害対策は「天災で路線にダメージが出たら、工事担当者が集中して復旧作業して、素早く再開させる」のが基本で、需要にまったく見合わない東海道・北陸・中央新幹線のトリプルネットワークの整備は筋が悪すぎる。どんな災害でも素早く状況を見て復旧ができるような人材の維持・育成こそ大切だ。
少しでも多くのお金は日本の未来を担う人的資源の育成に。土木事業で業界を潤すという考え方は早く捨てないと、日本に未来はない。最小限の投資で最大限の効果を実現するよう、願わくば、多くの関係者に再考をお願いしたいと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20161120213215
都会から田舎に戻っているものだけど、車ないと生活できないので、地元でも80代の軽トラおじいちゃん&おばあちゃんはたくさんいるね。
俺も最初は都会に生活していたので、似たような意見だったけど、彼らをみたり自分も久しぶりに車をフルに使う生活をしていて、実際問題、日本の場合は地方で生活することをまともに政治や行政として議論してこなかったんじゃないかなという実感。
例えばJRになってから地方路線は3セクに転換されたけど結果として、どこも基本赤字経営で生活に利用できないレベルの本数や運行に → 車
バスは通ってるけど1日2本 朝、晩だけ → 車
この土地に代々生まれてきて地籍があるのは我々の問題じゃないので、その我々を合理的にしかも生活レベルを落とさずに移住するに足りうる説得材料を真剣に都会の連中は用意できてないと思うし、議論も始まったばかりという気がする。
うちの近辺だけで言えば、自然環境が厳しいので段階的に国定公園などの広大化で現世代以降の人の居住を制限するのがいいのではと思ってるけど。そうしないといつまでたっても、こんな辺鄙な所に舗装通して、上下水道いれてなんて感じになってしまう。
何れにしろ、それらも含めて都会も、田舎の連中も公共投資での利益誘導ばっかアホみたいにやってないで、グランドデザインを考える方に優秀なやつまわせやって思ってる。