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はてなキーワード: 音楽シーンとは

2020-12-23

J-POPアイドルとシンガロングの文化

自分音楽について専門的な知識が無いし楽器もできないので難しい話は書けないんだけど

J-POP は最終的に「アイドル」か「シンガロング」に集約されると思ってる。

アイドル」要素については顔とプロデュース力が全ての世界なので音楽的な視点で語ることはない。

もう一つのシンガロングは英語だと Sing a long になるのかな?「みんなで一緒に歌う」という意味のシンガロングのこと。

誰でも音楽聴くと気分が高揚したりすると思うんだけど日本人は「シンガロング」するのが好きな人が多い。

からメロディ重視で曲に展開があって一番の盛り上がり所のサビが必要になる。サビをみんなで大声で歌う。

一方、欧米音楽シーンの中心はR&B(含むHipHop)とクラブミュージックエレクトロニカ)になっている。

この2つは真逆の方向に見えて実はルーツは同じリズム重視の音楽で「歌う」よりも「身体を動かす」作りになっていると感じる。

(誰かが「も一度James Brownから聴け」って言ってたよね)

「歌う音楽」と「踊る音楽」の違いと言ってもいいと思う。ここが決定的に異なる。

文化の違いと言えばそれまでなんだけどこれを変えない限り世界に受け入れられるJ-POP絶対に生まれない。

という感じのことを昔からずーっと前から考えていたんだけど数年前にEDM世界でも日本でも流行ってさらにこの思いを強くした。

自分EDMのことを「エレクトロニカ界のJ-POP」と呼んでるんだけど、EDMは曲の構成J-POPにかなり似ている。

メロディがあって曲の展開があってビルドアップで気分を上げてドロップで爆発する。まんまJ-POP構成と同じ。

すごいジャンルを作り上げたもんだと思った。この構成日本EDMが受け入れられた理由だと思う。

でもなぜかJ-POP世界に受け入れられるビジョンは見えないんだよなあ。

2020-11-08

楽しみにしていたライブを途中で抜けてきた

新型コロナ蔓延して世の中が規制対策だらけになった今、私の趣味であるライブ鑑賞もその被害をこうむっていた。

新型コロナの脅威が世間に広まってきた頃のイベントは悉く中止になり、高額なチケット、倍率が高いチケット、当日にでも買えるようなチケットも含めてそのすべてが払い戻されてしまった。

新型コロナをひどく恨んだが、受け入れる他にない。

大阪ライブハウスでクラスターが起こって問題にもなり、特に私が好きな音楽ジャンルモッシュなど人が激しく接触しあうことが多いため、よりコロナ禍での開催は絶望的であった。

ライブから距離を置かざるを得なくなった私の休日はただ引きこもるだけのものとなってしまった。

  

それで困っているのは当然、私のようなライブを見に行くことを趣味にしている人たちだけではない。

ライブが出来なくなって一番困っているのはそれを食い扶持にしているアーティストたちやその関係者である

お客を呼ぶことができず閉店したライブハウスは少なくなく、私は目にしなかったがコロナ理由解散せざるを得なかったバンドもいたかもしれない。

だが、ライブが出来なくなってしまってもバンド業界はまだ諦めてはいなかった。

配信ライブや物販、新曲CDやそのサブスク収益によってなんとか食いつないでいる印象であった。

ライブに行けなくなったものの、好きであるバンドアーティストフォローしたい一心配信ライブも見たし物販でたくさんのグッズも買った。

単純に自分が見たいから、欲しいからといった理由もあるが、いつかまたライブが見れるようにとその投資意味も込めていた。

趣味ほとんどをライブにつぎ込んでいたためライブに行かなくなれば財布が潤うかと思ったが、上記理由ライブがあったころよりもさほど支出は変わらなかったほどである

  

そんな生活もすでに半年以上が経ったが、コロナ感染拡大は抑えられ徐々に有観客ライブも開催されるようになってきた。

配信ライブではやはりどこか物足りなさを感じていた私にはそれはとても喜ばしいことで、しっかりと対策をして安全ライブ遂行して見せたイベントの報告がSNSで目に入るとまたライブが見れるんだと心躍った。

  

そんな矢先、私の好きなバンドが一度に集結するイベントの告知がSNSで流れてきた。

開催するライブハウスはキャパが300名ほどの小さなライブハウスだが、コロナ対策は徹底しているようだ。

マスクの着用はもちろん、体温チェックやコロナ追跡システムの利用も必須であった。

規制が緩和されてきた中、今ならいけるかもしれない。

そう思った私はすぐさまチケットを購入した。

  

そしてその当日。

ライブイベントの参加は実に10か月ぶりで、コロナ禍前ならば1か月に2回以上は見に行く私にとってやっとここに戻ってこれたという思いであった。

目当てのバンドはその日出演する4組その全て。

全員インディーズバンドで、年齢も20代前半も珍しくない。

私より年下である彼らが音楽で頑張っている姿はとてもかっこよく、強く憧れていた。

そんな彼らの音楽がまた生で聴ける。

この日のために諦めないでいてよかったと大袈裟にそう思えた。

  

ライブハウス前に並ぶと予告の通り体温チェックもされ、コロナ追跡システムの利用もお願いしていた。

他のライブ仲間から聞いた話によると、普段タンディングが主なイベントでも今は対策により席が設けられていると聞く。

今回のイベントのページにはその類のことは記載はされていなかったが、いざ会場に入ってみるとそこに席はなく格子状にシールが地面に貼られているだけのものであった。

特に場所指定もなく間隔もやけに狭い気がするが、会場に入った観客たちはそれぞれ好きな場所シールの上で待機している。

規制も緩和されたことだし、小さいライブハイスだからだろうか。

席があったところで恐らくライブ中は立ち見することになるから別に構わないか

などと楽観的にそれを受け止めた私だったが、それが最初違和感であった。

  

そして、ついに始まったライブイベント

特に観客とステージの間にはテレビで聞いていたような透明なパーテーション等もなく、ボーカル最前の観客の間近で歌い上げる。

ここにも若干の違和感を感じたが、1組目から容赦のない爆音が浴びせられ私は先ほどの細かい違和感などすっかり忘れてしまっていた。

他の観客たちもいつもなら激しく走り回り、腕を振り、歓声をあげるところだが、それは各々で自粛しながら音楽を楽しんでいる。

その時、私は一見ルールがないようで危険だらけのカオス空間の中でも"思いやり"が垣間見えるこの音楽シーンの空気が大好きであったことを思い出した。

これならライブがまた見れる。また通うことができる。

これほど嬉しいことはないと、この時までは本当にそう思っていた。

  

バンドの持ち時間は30分ほどだろうか。

1組目の終盤に差し掛かろうとしていたとき、ある事が起きた。

私の背中ものすごい勢いで誰かがぶつかってきたのだ。

こんなこと、いつものライブイベントではよくあることで慣れていたはずだが、この時ばかりは完全に意識をしていなかった。

倒れこそしなかったものの、私はフロアの端に突き飛ばされる。

振り返ると、そこにはサークルピットが出来ておりその中では数人の観客が所謂ハーコーモッシュをしていた。

この音楽ジャンルのシーンでは当たり前のことなので普段ならその行為に苛立ちを覚えることもないし、むしろ普段なら自分もあの中に混ざっていっただろう。

周りの観客の反応も少し驚いた様子であったが、これといった嫌悪感を示しているわけでもなさそうに見えた。

  

しかし、この時の私はどうしてこんなことをするんだと思ってしまった。

やっとのことで規制が緩和され、これから徐々に、少しでも元のライブの姿に戻したい気持ちは痛いほどわかる。

だが、モッシュなど他の観客と激しく接触するには時期尚早だと私は思っていた。

そしてそれはきっと、バンド側も同じ考えなのだろうと。

本当はモッシュが見たい、させたいのだろうがイベント安全遂行するためには致し方なく、こういった規制の中でやることを余儀なくされて、またそれを了承したと勝手に思っていた。

今起こったのは興奮した観客のただの身勝手な行動だと。

しかし、モッシュをしていた観客が放った一言でそれは私の勘違いだと思い知る。

  

だって、『広がれ!』って(ボーカルが)言ったから!」

  

『広がれ!』、それはよくバンド側がモッシュピットを煽るときに使う言葉だ。

観客は自分の興奮を抑えきれなくなったから起こしたわけではなく、バンド側がやれと煽ったと主張したいようだ。

(どういう成り行きでその観客がその一言を放ったのかよくわからないが、大体予想はつくし子供じみた言い訳のようで癇に障る)

爆音音楽流れる中でその言葉を聞き逃していた私だったが、恐らく本当なのだろう。

バンド側が興奮して抑えきれなくなって放った言葉なのか、いつもの癖で叫んでしまったのか。

そのどちらにしても、観客同士の接触を煽ったのには間違いない。

その時、私の最初違和感が疑問に変わった瞬間であった。

それは『このイベントではモッシュを黙認しているのか?』という疑問である

  

モッシュ禁止は大型の音楽フェスだとよく目にする注意事項だ。

ただ実際のところそれは黙認されており、ライブハウスの場合だと事前にモッシュ禁止とすら周知されていない。

今回のイベントでも特にモッシュ禁止との記載特に明記されていなかった。

私はこのコロナ禍で、規制対策をしている中でモッシュはさせないだろうと高を括ってしまっていたのかもしれない。

  

しかし、まだ始まって1組目。

しかすると、以降のバンドではモッシュ禁止注意喚起をしてくれるかもしれない。

そんな不確かな希望をもって私は2組目のバンドライブに挑んだ。

  

2組目のバンドも激しい音楽をするが、1組目と比べるとモッシュが起きにくい仕上がりであった。

このバンドライブ過去に何度も見たことあるが、このバンドだけモッシュが起きなかったイベントは多々見たことがある。

ただそれは音楽的魅力に劣るといったわけではなく、むしろ私としてはこの日一番の目当てでもあった。

1組目と同じく、ライブの中盤にかけては観客に大きな動きはない。

皆、その場で体を揺らすなり拳を突き上げるなどして楽しんでいる。

先ほどのは何かの間違いだ、そう思えるような私が思い描いていた理想の形としてライブが進行していく。

だが、再び終盤で1組目と同じことが起きた。

ボーカルが両手を使い、扉をこじ開けるようなジェスチャーをする。

こういう時は大抵、ウォールオブデスの煽りである

その煽りに乗せられてフロアの中心が開き、両サイドから観客の波が押し寄せてフロアの中心は再びモッシュピットと化した。

この時、1組目のことでまたモッシュが起こるかもしれないと身構えていた私は後方に下がっていたので誰かと接触することはなかったが、

そのモッシュで何人もの人が激しく接触しているのを私はただ眺めていた。

  

2組目が終わり、次に3組目が始まるまでの時間で私はこのままイベントに参加するべきかどうか考えていた。

モッシュがー、接触がーなどと異常にコロナを恐れるなら出ていけばいいと言えばそれまでである

私も正直なところコロナの脅威に対しては懐疑的であり、本当はこれほどの規制をするほどではないのではと普段は考えていたので今に思えば不思議なくらいどこか神経質になっていた気もする。

個人の及ばぬ考えでコロナ禍におけるライブモッシュの有無など決めつけれるはずもない。

ならばモッシュをしたい人はすればいい。私は人と距離を取って、意地でも安全ライブを見て帰る。

そう決めた私はそのまま3組目の開演を待つことにした。

  

そして始まった3組目。このバンドも私の大好きなバンドの一つだ。

他の観客からの人気も絶大であり、これまでの2組と比べて登場した瞬間からその熱量は段違いであった。

この時から、他の観客は大きな歓声をあげるようになる。

不安はあったものの、私は今を楽しむことに専念した。

10か月待ったライブイベントを、複雑な気持ちを持ったまま終えたくないとそれだけを考えていた。

そして、そのバンドが颯爽と1曲目を終えると突然ボーカル叫び出した。

  

「お前ら!動画を消せ!」

  

それはスマホで彼らのライブ姿を撮っている者たちに向けての言葉であった。

スマホ掲げていた観客たちはすぐにスマホを下す。

撮影禁止は珍しいものではなく、モッシュ禁止無視されていても撮影禁止無視されることはないだろう。

撮影禁止ライブスマホを掲げていればスタッフが止めに入ることが多いが、

バンドボーカルステージ上でそれを叫ぶのは少し珍しく感じた。

また、小さなライブハウスでやるインディーズバンドだとライブ撮影禁止しているバンドは少ないためより違和感があった。

そして、そのままボーカル言葉が続く。

  

ネットに上げたやつも全部消せ!」

  

徹底して撮影禁止を主張するボーカル

しかし、その言い方に焦りのようなものを私は感じた。

そしてすぐにその焦りの正体がわかる。それはモッシュだ。

予想でしかないが、観客がモッシュをしている姿を、またはバンド側がそれを煽る姿をネット晒したくはなのではないだろうか。

そう勘繰らざるを得ない。

ボーカルは続けてこう発した。

(ここから記憶が朧気なので一部抜粋

  

「これは俺たちのカルチャーだ」

  

自分たちで自分たちの居場所を壊すなよ」

  

「消したか? これで俺たちは共犯者からな」

  

次々ボーカルから発せられる言葉に、私は耳を疑った。

もはや、その言葉をまともに受け止められる精神状態でなかったため彼の主張したいことを

ちゃん理解しているか不安ではあるが、以下の主張になると考える。

  

モッシュはこの音楽シーンの文化である

『だが今は公にはできない。だから動画は削除して、自分たちの居場所を守ってくれ』

動画を消したことバンドと観客はコロナ対策を謳っているにも関わらず、

実態は過剰な接触を繰り返していることを一緒に隠蔽している関係になる』

  

私には彼の言うことが浅ましく、卑劣ものに感じた。

私の中の彼のイメージが大きく崩れた瞬間であった。

モッシュがこの音楽シーンの文化であるということは私もそう思う。

残していきたい、守っていきたい対象だ。

だが、今は全く状況が違う。新型コロナ感染を考えれば、その場にいる人間だけの話ではないのは誰でもわかる。

それはバンド側もわかっていることだろう。だからこそ、動画を削除させる。

カルチャーという言葉を使えば無条件に守ってもらえると思っているような口ぶちだが、自由とは他人に害を与えない範囲有効であるべきで、今のこの状況で隠してまで行うものではないはずだ。

それでも、仮にモッシュをしたい人たちだけでやるのであればそれはイベントのページに明記するべきであり、そうすれば私のように意図せず共犯者に仕立て上げられる人も減るだろう。

  

そして最後に、彼はこうも続けた。

  

「俺たちは今回のイベンターに『ライブ』をさせてもらうと宣言して、了承してもらってます!」

  

今回のライブとあるイベンター主催したイベントであるため、バンドたちはそれに呼ばれた形となる。

そして彼のいう『ライブ』とは、観客がその場から微動だにせず声もあげない状態を指すものではない。

彼らからすればモッシュがあってこそのライブ、それを言いたいのだろう。

(私は少なからずこの意見には賛同する)

そしてそれを主催者側が了承したということは、この隠蔽も了承したということだ。

恐らく20代が大半を占めるバンドメンバーたちで決めてやったことならまだ青いところがあったなと思えるが、主催者側もそれを了承しているのはどうかと思える。

社会的責任に関して、配慮が欠けていると言わざるを得ない。

  

そのままライブは続行されたが私は他の観客と違い動き回ることもせず、シンガロングすることもせず、ただ腕を組んで地蔵状態ライブ傍観していた。

無表情を貫いている私と違い、他の観客は大いに盛り上がっている。

モッシュをしていた。ダイブをしていた。シンガロングをしていた。

彼の言うこと、やること、その全てに賛同していた。

本当に彼らのやっていることは正しいのだろうか。

自分の考えが間違っているのだろうか。

自問自答を繰り返しているうちに、曲が耳に残ることもないままそのバンド演奏は終わった。

  

4組目も、私の本当に大好きなバンドだった。

存在を知って3年も経っていないが、すでに5回以上はライブを見ている。

彼らにはつい最近出した新曲がある。私はそれのシンガロングが歌えるほどすでに聴きこんで準備をしていた。

だが、今の状態ではまともに聴くことができないのは明白だった。

また1,2組目のようにモッシュを煽ったり、3組目のボーカルのように何かを主張してくれば自分の中のイメージが壊れるのが怖かった。

このイベントに参加しているということ自体がすでにそういうことなのだろうが、

それを突き付けられるのが怖くて私は4組目が始まる前にこの会場から出ていくことにした。

  

帰り道、泣いてしまうかもと思ったが意外と涙は出ず、ただぽっかりと心に穴が開いたような感覚だった。

いつもの帰り道ならイヤホンをして電車に揺られているはずが、その日はイヤホンもせずに少しばかり離れた駅まで無駄に歩いた。

ライブを取り戻したい。その思いは自分バンドも同じなのにどうしてこうも食い違ってしまったのか。

自分が間違っているのかもしれない。あの場のノリに身を任せていれば楽しい思いだけで済んだかもしれない。

そんなことを考えながらもSNS自分と同じ意見を持った人はいいか探すが、賞賛ばかりで反吐が出そうになる。

2020-10-01

Perfumeのことを憎んでいる

90年代音楽シーンってアイドル消滅してアーティスト時代になったのよ

それで自分作詞しますみたいなのが当たり前になってさ

アイドルってホントオワコンだったのよ

ハロプロくらいじゃない?

それで紅白出るのダサいよねって風潮が90年代から2000年くらいにできたんだよ。

自分たちのファンと年を越したいとかいって自分コンサートを優先したり

年末くらいは家族で過ごしたいとかゆっくりしたいとか

そういう理由でね

井上陽水ははずかしいからとかい理由で断ってたっけw

そんな流れのなか総合格闘技バブル年末ビッグマッチが組まれてさ

もろに紅白視聴率を食いに行ってたよね。

それで紅白オワコンオワコンだってゼロ年代にはなってたのよ。

今もそうだけど当時も紅白演出は芋くさくてさ

老人演歌歌手介護演出もあったし

民放の派手な演出に比べてひどかったよね

そんな流れを変えるきっかけとなったのがPerfumeなんだよ

こいつら何を血迷ったのか紅白めざしますって言いだしたのよ

ストーリー紅白を組み込むっていう大胆なこと言いだしたのよ。Perfumeは。

事務所が言わせたのか本人がそう思ったのか知らないけど

当時の俺は何言ってんだっておもったよね

その戦略は見事だとは思うよ

ファン応援心理的を刺激してうまいよね

そして見事紅白に出ることになるのよ

もうNHKはありがたかっただろうね

若者紅白紅白言ってくれてさ

きのせいかNHKPerfume応援していたようにおもうよ

(売れたきっかけがACCMNHKでも流れてたからってのもあると思う)

なにが不満なんだ?って話だけど

Perfume自体はべつに問題なかったんだけど

ただ、Pefumeの成功もあってかほかのアイドル紅白めざしますとか言い出したのよ

それでおそらく業界人は気づくのよ

レコード会社テレビ局

自分時間大事だとか生意気なことをいうアーティストなんかよりも

大人の言うことを従順に聞くアイドルのほうがいいわけ

オーディションなどで計画的に作りやすいしね

結果どいつもこいつもアイドルになったよね

秋元アイドルジャニーズもKPOPも

どいつもこいつもしょうもないアイドルばっか

大量生産された大人の言うこと聞く奴らって感じ

それで芋紅白が復活してしまったわけよ

紅白ライバルロートル芸人の笑ってはいけないだから


Perfumeのせいじゃないのかもしれない

ロートルしかいないこの国の問題なのかもしれない

そもそもPerfume何歳なのさ

いやおばさんだからやめろっていうんじゃないぞ

でも結婚したくてもできないんじゃないか

嵐とかSMAP問題なんじゃないかってもやもやするよね

2020-07-13

日本人は幼い???

僕は昔からアイドルが好きで、主に10代後半から25歳くらいまでの女性を見て元気を貰っている。

おじさんにはない、溢れ出る若さと初々しさや成長過程を上手く魅せてくれるので応援したくなる。

そして自分の輝けなかった青春時代と重ね合わせている

そんなことを、この間海外の人と食事する機会があったので自分趣味として熱弁してみたら、奇妙がられた。

日本人はどうして幼い子供に夢中になれるの?って

アメリカ音楽シーン流行っているのは誰もが憧れる強くて自信を持った女性達だよって。

アメリカではアイドル流行らないってさ

そんな応援とかしてる暇あったら自分のこと考えた方がいいって。

日本人は働き過ぎだし真面目だからおかしくなってるってさ。

2020-06-17

anond:20200617204402

日本国内問題というものを、正確に捉えたり先行事例を理解する意味で、世界に目を向けることは間違っていないんじゃないだろうか。

おそらく数値的に改善が見られる例というのは、最低限達成されたい人の生き死にや生活水準に関わるもの、その世界での平均みたいなものを見ていったときってことだよね。そういう意味では改善していないわけはないと思う。誰だってひどい環境で生きていくのは辛いと思うから必死改善しようとする。

自分にとっての世界改善されているかは数値的なものとは別に世界がこうあってほしいという願望に対して世の中がどうあるか、という相対的ポジションの話のように思う。それで言えば世界は良くなっていないかもしれない。

昔けっこう音楽雑誌を熱心に読んでいたんだけど、海外ミュージシャンが「今の音楽シーンをどう思うかって?最悪だよ。でも最悪じゃなかったことなんかあったかい?」って言っていて、常に満足できないというのはそういう主観世界からからな、と思った。

2020-05-25

クラブという拠り所が抜け落ちた私の毎日

感染症世界蔓延により、多くの娯楽やアクティティ提供する事業者自粛をするようになってから2ヶ月が経とうとしている。自らの趣味ライフサイクルの一部から距離を置かざるを得なくなった方も少なくないだろう。私の趣味であるクラブパーティとて例外ではない。

私は、平日は会社員として働きながらも休日アマチュアDJとして活動している。活動開始から4年が経とうとしていて、自分で言うのもおこがましいが、活動している地域自分が属する界隈では新人から中堅に差し掛かっているぐらいの立ち位置だ。もちろん自分自身クラブという場所が好きで、出演が無い休日にはパーティに客として遊びに行くことも珍しくない。

昨今の感染症世界蔓延によって日本全国のクラブライブハウス営業自粛をする事になった。クラブ営業してないとなれば、クラブファン達もパーティに足を運べない日々を送ることになる。

正直な事を言うと、私の心はもう耐えきれないところまで来ている。

時差出勤やテレワーク人件費抑制によって平日の仕事に費やす時間精神リソースは減っているのに以前より「仕事したくないなあ」「仕事行きたくないなあ」「いっそ仕事辞めたいなあ」と漠然と思う事が圧倒的に増えた。

一年前に比べて熱を出すことが増えた。昨今の情勢がアレなので病院にかかるがこれといった病気は無く。かかりつけの医師は「自律神経の乱れじゃないか?」と言った。

空いた時間や暇は前よりも増えたが、DJとしての活動の幅やスキルを磨くような時間(曲を掘ったり練習したり)に充てることはできなかった。むしろこれまでよりも費やす時間が減っているようにも思える。

蓄積したフラストレーションは着実に私を蝕んでいて、苛立ったり頭に血が上るような瞬間、出来事が増えている。先日パートナーとした喧嘩はお互いにヒートアップし、取り返しのつかなくなる一歩手前まで進んだ。

心の中から拠り所が抜け落ちた自分のような人間のすき間を埋めるためか、はたまた音楽シーンの火を絶やさないためか、たくさんのクラブ関係者DJオーガナイザーインターネットを利用したオンライン配信DJイベントを日々提案していて、今も普及、進歩は止まるところ知らない。

しかし、そんな配信パーティの数々も私の心のすき間を埋めるに至らず、最近は追うことも少なくなってしまった。

もちろん初めは自分も大いに楽しんでいたし、配信する側に回ったこともある。配信パーティ企画運営するそれぞれの人々が自分なりに考え、何かしら音楽体験提供しようと努力していることも多少なり感じているつもりだ。

だがどうしても提供されるパーティを、DJが投下する音楽の数々を、5時間なり、8時間なり、前のめりに聴き続けることができないのだ。いい音楽や素晴らしいプレイ体験して、思わず酒をあおりチャットTwitterにその激情を書き込んでも、結局自分がいる場所は家なのだ。酒が回りすぎてしまったらすぐ横にはベッドがあるし、少し気を抜けば手のついていない家事も、最近ハマって進めているゲームもそこにある。その感動を伝えたくても、結局家には自分しかいなくて、通話やらメッセージやらチャットやらに行くしかない。無論、自分の甘さが、弱さがすべての原因でしかないのだが、ふとした瞬間に無性に虚しくなる。

何気なく遊びに行っていたクラブ、その場所でよく馴染んだ顔ぶれと交わすドリンク、そしてその場所が生み出してきた数々の音楽体験。それらが自分の心をどれだけ占めていたのかを再認識させられる。

今日も流れ着くイベントの中止やクラブライブハウス閉店のお知らせが泥のように重くのしかかり、まとわりつく

大好きな場所へ恋い焦がれる気持ちと、それがまた取り戻せるのかという不安で唇を噛みしめることしかできない。

2020-02-12

映画好きだけど映画シーンに興味ない

どんなジャンルコミュニティでも多かれ少なかれそういう傾向はあるけど

特に映画通は

映画の話しよう」と言うから聞いてみたら作品ではなく「映画シーン」の話しかしないのでうんざりする

やれあの作品が◯◯賞を取っただとか、◯◯が今の世界スタンダードだとか。

twitterで「映画好き」とプロフィール自称してるアカウントフォローすると映画じゃなくて「宣伝ポスターデザインが良くない」というクソどうでもいい「映画の周辺」の話で毎度ヒートアップしてる。

ネットで書き散らすだけならまだいいけど、リアル映画オタクにうっかり「映画好きです」と言ってしまって、クソどうでもいい「日本映画に物申す」論を聞かされたときには人生で初めて人が話してる途中で寝るかと思った。

映画価値ある文化だけど、映画通の映画業界語りはこの世で一番つまらコンテンツだ。

ちなみに二番目は音楽通の音楽シーン語り。

2020-01-13

はてなー2010年代以降のヒップホップわかってなさすぎ

なんで日本ではラップが流行ってないの

これのブコメとかトラバしてるはてブロガーとか一通り見たけど

ラップにはメロディがないから〜」とか

歌詞がどぎついから〜」とか

日本にはギャングいないから〜」とか

つの時代ラッパーの話してんだよ。

Dragon AshのGrateful Daysくらいしか知らんおっさんが勿体ぶってちょこちょこいってんだろうから仕方ないけどな。

流行ってるヒップホップは半分くらいこんなで↓

https://youtu.be/uQcQsIL5UNU

日本ラッパーもこんなん↓

https://youtu.be/8VGR4QPPZhY

メロディアスで色恋がどうとかいうポップソング然としたヒップホップが増えたから、

今までヒップホップに関心なかった層から支持されるようになったっつうのが今のアメリカメインストリームにいる一因とも言われてるのね。

からむしろヒップホップの方が日本人大好きなポップスに近づいてきてんのになんでみんな聞かないの??って話になるわけさ。

まあ言うても残りの半分くらいはトラップビートの上で「コカインぷんぷぷーん」とか言ってる系なんだけどね。

俺が思うに日本人は作曲できる奴が一流みたいな謎の信仰サンプリングに対する拒否感があって、そのためにちょっと馬鹿にされてるんだろうね。

あと元増田コメントにもあるけど日本だったらニコ動ボカロPとか歌い手やってたんだろなって奴がヒップホップシーンにいたりすんのよ。

向こうのヒップホップ=ネット文化みたいなとこあって、

炎上で注目集めたりコラ画像MADの素材にされることで人気でたりすることよくあるし

Soundcloudにあげた曲が好評でメジャーデビューとか

yo utubeにしこしこあげてたタイプビート売れっ子ラッパーが買い取ったとか

そういう話がヒップホップドリーム定番エピソードになってる。

そういうオタクと元来のヒップホップ好きそうなヤンキーくさいのが束になって音楽シーン盛り上げてんのね。そりゃヒップホップばっかりになるよ。

2019-12-31

結論米津玄師は神

anond:20180221183859

元増田です。

元のエントリを、令和で初めて迎える大晦日に読み返して自己トラバ


結局の所、平成最後米津玄師のLemonで締めくくられたことに、異論を唱える人は殆どいないだろう。

もつべのMVで、彼の歌い出しを聴いた瞬間、コロッと来たよ。

悲しい歌だけど、悲しいとは別の意味で胸を打つ。

力強さを秘めているのに押し付けがましくなく、聞き手にそっと寄り添うだけみたいな感じなんだけど、それが逆にとても優しくて、心地よい。

これも皮肉じゃないが、平成プライバシー重視かつコミュ力重視路線で来た、いわば社会性の時代という空気を、これまた平成ブレークしたR&B的なビートフレーズに乗せて、ボカロで腕を磨いた音屋が見事に昇華させた。

その意味では、平成最後に相応しい曲だったと思う。

ちなみに平成代表曲は、色々考えたけどブコメにも挙げられた宇多田ヒカルAutomaticかなあ。

CD売上至上主義で実際ミリオンはおろかダブルミリオンも出るくらい白熱していた、当時の音楽シーンの渦中で彗星のように現れ、前述のR&Bという、平成中盤以降の日本根付いたサウンドの、事実上源流となってしまった功績はヤバ過ぎる。


そして令和の最初パプリカが掻っ攫っていったと。

だんご3兄弟おしりかじり虫の再来という人がいるけど、個人的には平成2年のおどるポンポコリンカブる感じ?

始まった令和への希望を巧く歌い上げていて、これも日本音楽史に残るだろう。

というわけで、米津玄師の今後に期待して、年を越そうと思う。

2019-12-13

anond:20191213084834

元増田本来リクエストからは若干外れた話になってしまうが、

メガネキャラがカッコイイカワイイものとして脚光を浴び始めたきっかけはトミーフェブラリー存在だと思う。

音楽的にも彼女の影響力は大きい。彼女がいなければパフュームきゃりーぱみゅぱみゅ存在しなかっただろうし、2010年代音楽シーンは今と全然変わっていただろう。

2019-09-09

anond:20190907145052

ちょっと主旨とは違うかもしれないけど、くるり地名ネタはめちゃめちゃ強度高いと思う。

岸田繁がめちゃめちゃ歌詞から高いっていうのはあるのだけれども、

「東京」からして、京都に生まれ育って、京都バンドカルチャーの力がすごく強くて、でも音楽シーンメジャーどころはだいたい東京にあって、

みたいなちょっとしたコンプレックスみたいなものが感じ取れるわけですよね。

京都はすごく良い街で、でも、みたいな。

ぼくも生まれ育ちが関西だったので、そのへんのニュアンスはすごいわかるんです。

あとは「everybody feels the same」の世界地名を挙げたあとに最後に「東京ー」って歌い上げるところのカタルシス

すごく美しいと想います

2018-08-19

追記ポップコーン死ね

なんでみんなシネコンポップコーン食べるの?

ばりぼりばりぼり音させてさー。

ガサゴソガサゴソ袋の音もうるさい。

かに食えんのか。

てゆーか、みんな、食いながら観てて集中できなくないの?


追記

みんな、寛容なんだな。

てか、別に笑うな音いっさい出すなとは言ってない。

観客みんなで映画を観てて、劇場内でどっと笑いが起きたり、泣いたり。

そういうのは別にいいよ。笑うシーンでは自分も声をあげて笑うかどうかは別にして、

少なくとも可笑しいという感情の部分は同期してる。違和感はない。

ポップコーンを食う音もいっさい出すなとは言わない。

派手なアクションシーンや音楽シーンなんかに紛れたら気にならない。

けど、無音の静かなシーンで、真横でポリポリガサガサされると、

それまで映画に没頭していても、すっと現実に引き戻される。

スマホライトなんかもそうだ。

没頭してるところで、横の奴がスマホを取り出しライトがつくと、

気にしてなくたって、そこで一気に現実に引き戻される。

映画館の暗闇はなんのためにあるか。

映画の中に入り込むためだ。

そこに、自分感情と同期しない、映画とも無関係タイミングで雑音が入ったり光が入ったりしたら。

そんなの関係ないって奴は、普通に家のリビングスマホ弄りながら、飯食いながら、誰かと喋りながら観てりゃいいじゃん。

映画館の暗闇に来る必要ないじゃん。

2018-04-22

好きな歌手が5chで"グッズ売りおばさん"と言われている

かにメジャーレーベルを辞めた後に露骨音楽活動の停滞が見られたが"グッズ売りおばさん"まで落ちぶれるとは

彼女らが日本音楽シーンを席巻した時期も少しはあったはずなのだ

2018-02-01

anond:20180201172640

最近中華ポップスをよく聴いてる。

台湾日本音楽シーンが似てる感じが面白い

香港土地柄、広東語と、英語歌詞の曲が結構ある。

中国語圏音楽歌詞で韻を踏んだり、MVに大体字幕が入っていたり、なかなか自分常識を超えた発見がある。

2017-12-02

似ている曲

シンガーソングライター井上昌己が初期に出したシングルに『魚座たちの渚』という曲がある

最近初めて聴いたのだけれど、清冽で伸びのあるボーカルちょっと切ないメロディーが相まって、とても素晴らしいと思った

同時に、これ、どこかで聞いたことあるぞ? と思った

スターダストレビュー名曲、『もう一度抱きしめて』にサビの部分のメロディーが似ているような気がする

2つの曲になにか関係があるのだろうか、作家が同じなのだろうかと思うくらい似ている

なんのことかと思う人は、2曲ともYoutubeに上がっているので、聴き比べてほしい

魚座たちの渚』

https://www.youtube.com/watch?v=vw9G-AkNWbc


『もう一度抱きしめて』

https://www.youtube.com/watch?v=G6y2uORwWoc


魚座たちの渚』が発表されたのが1990年

『もう一度抱きしめて』が収録されたアルバムSOLA』が発表されたのが1993年

当時はこういうメロディーライン流行っていて、ありふれていたのだろうか


まさか


と思っても、自分スターダストレビューが好きなので気になってしま



なぜ似ているのかわかっても、自分人生は1ミリも変わらないと思うけど、もやもやする

当時の音楽シーンに詳しい人がいたら教えてほしい

2017-11-15

イエモンドキュメンタリー映画

特に猛烈なファンというわけでもなく、何気ない気持ちで観てみたんだけど、アラフォー自分にはじわじわ刺さる作品だった。

ネタバレに触れるかもしれないが(そもそもドキュメンタリーネタバレがあるのかわからないが)、簡単感想を書く。

90年代活躍した伝説のバンド」みたいな扱いになっているが、イエローモンキーって当時の日本音楽シーンでは、どメジャーって感じでもなかった気がする。

カラオケJAMを歌うやつはたくさんいたけど、GLAYとかラルク代表されるような90年代流行ったV系バンドほど人気があるわけでもないし、MICHELLE GUN ELEPHANTとか、エレカシほど硬派で骨太イメージもない。

当時流行ったUKロックとか、グランジとか洋楽が好きなやつからダサい馬鹿にされていた。そんな立ち位置

でも見た目は日本人離れしてかっこよかったかな。だから女子ファンが多かった。

2001年、人気の絶頂といわれた時代に突然活動を停止して、その約3年後に解散理由は明らかにされていない。

映画は、2016年5月代々木競技場での再結成ツアー初日から年明けのカウントダウンライブまでのステージ楽屋裏を淡々と密着していて、それにメンバーそれぞれのインタビューと彼らの原点であるという渋谷ライブハウスLa mama」の無観客ライブを織り交ぜて構成している。

過剰な演出もなく、シンプルに追ってるだけなんだけど、たいしてファンでもなかった自分が引き込まれしまったのは、きっと映し出されている人の「人間臭さ」なんだと思う。

皆50を過ぎたおっさんだというのに、メンバー同士アホみたいに仲が良さげであるトランポリンを跳ねたり、リーゼントにしてみたり、ライブ前後楽屋風景さながら中学校の昼休みだ。

そしてアホみたいに化粧が濃い。深い皺の刻まれた50男の顔にファンデーションを幾重にも重ね、アイラインを引き、口紅を施し、頭皮マッサージをされている姿は、ある種のおぞましささえある。

そしてその年齢ゆえ、過酷スケジュールツアー中に起きる、体の不調。

ぎっくり腰や熱、腱鞘炎に加え、ステージ中にボーカル吉井が声が突然出なくなるという、最悪のアクシデントもある。ライブが中断され、騒然とした客席、ピリピリとしたバックステージカメラは追っている。

ライブのリハやレコーディングでの音作り風景も興味深かった。「こんな細かいところまで?」「そこまでして客はわかるのか?」というくらい綿密で、本番ギリギリまで試行錯誤している。

しかしたら、解散ブランクがあるからなのかもしれない。

決してスマートではない、中年オヤジ仕事風景

それなのに、ステージの上では、煌びやかな艶とオーラもつロックミュージシャンの魅力をまとうから不思議である

上手く表現できないが、そんじょそこらの30代、40代ミュージシャンには出せそうにない「凄み」があるのだ。

これまでの日本ロックシーンで、音楽に地道かつ真摯に向き合いながらも「華のあるビジュアル」の中年ミュージシャン存在しなかったのではないだろうかと思う。

90年代20代の頃はさほど魅力を感じることができなかったが、自分不惑を迎えた歳となって、素直に「かっこいい」と思える年上のおっさんが世の中に存在するのは有難いことである

「オトトキ」ってタイトル最後まで意味からないうえ、めちゃめちゃダサいし、キャッチコピーは「4Pしようぜ!」だし、ポスタービジュアルはクソスベってるけど、この歳に出会えてよかったな、と地味に思った作品だ。

2017-09-09

デジタルな今の時代に生まれたくなかった。

ネットが発達して、誰もが便利に過ごすことが出来るようになった。

自分ごとにカスタマイズされて、求めてるものおすすめしてもらえるようになった。

これ以上ないくらい便利で、コンテンツにあふれている時代

でも、そんな時代じゃなく、もっと昔のアナログ時代に生まれたかった。

何より最強だと思われてて、番組スケールが大きくて、タレント破天荒過ぎて捕まったりするテレビ業界

サビがわかりやすく明確で、とにかくストレート歌詞がウケたりする音楽シーン

そしてなにより、テレビCMを作ることを、そこに有名ミュージシャンキャッチーな曲を使うことを、

イケてるコピーを作ることを、そしてアートして捉えられることを何より追求していた広告業界

特定の誰かじゃなくて、みんなが感動できて自分ごと化できるものを目指していた時代

細かくターゲットを設定したり、無駄とか効率化とかの尺度で考えなかった時代

そして、それがすごく美しかった時代

そんな時代に生まれて、そして、広告業界で働きたかった。

2017-08-26

の子は◯◯を知らないでマウント取る奴ってさ

進歩を許さず、悪しき伝統を残していきたいんでしょ?

自分の感じた不便や苦痛を今の子にも味わわせたいだけ。

「今の子only my railgunを知らない」件がバズってるのも、懐古厨のせいで日本音楽シーンの成長が止まっている動かぬ証拠

2017-08-25

ムック蔓延る糞ラルオタが本当に気に入らない

ムック、というV系バンドがある。

1997年に結成した彼らは、00年代V系シーンにおいて、その重厚なサウンドと自他への憎悪怨念、そして寂寞の篭ったような世界観という強烈な個性から、多くのファンを獲得し邁進してきた。

そしてその世界観を自ら打破し、ロックテクノメタル等の様々な音楽要素を取り込むなど、新たな個性として「多様性」を得た結果、今やファンも老若男女様々な層が増え、20周年の今年は日本武道館2days公演を納めただけでなく、更に年末にもう一度玉ねぎの下で大規模な主催イベントを控え、その日に向けて日夜怒涛のツアーイベントに勤しんでいる。

私は、ファン歴で言えば中堅どころにあたると自負している。

もう十余年もムック音楽に浸り、彼らのライブサウンドに酔い、最早生き甲斐ライフサイクルの一環として「次のライブに行くために、また彼らの音楽を生で楽しむために」と社畜生活従事する日々。

長らく夢烏(=ムックファン呼称ムッカーと読む)を続けてきて、もちろん不満に思う事や上がろう(=ファン卒業しよう、追っかけをやめよう)と思った事も多々あった。

しかし彼らの最大の魅力は良くも悪くも「変化し続ける事」と「ファンを裏切る事」である

何だかんだと文句を垂れ、貶しては「やっぱりムックは最高だ」と舌を巻く羽目になるからこそ、次の良い裏切りを期待して離れられずに、盲目的に好きであり続けている。

そして自身の周りの夢烏仲間も「だせぇwww」「無いわwww」「新アー写ぶっさwww」等と貶しては、生のパフォーマンスを拝んだり、新しい歌詞を読んで「やっぱムックいいわ…好き…かっこよすぎ…」と滂沱と溢れる涙を拭い、感涙に咽びながら新しい告知に躊躇無くクレジットカードを切っていた。

しかし、ここ数年、本当に心の底から気に入らないものがある。

それは新たに取り込んだ、とあるファン層だ。

2008年夏にリリースされた19枚目のシングル、「アゲハ」。

このリリースきっかけに、あるバンドファンが怒涛のようにムックに流れ込んできた。

ムックと同じ事務所所属する大御所バンド、L'Arc〜en〜Cielファンである

このシングルにはラルクギタリスト、Kenが楽曲プロデューサーとして参加している。

日頃ラルク活動の無さに飢えているファンが、ラルクの片鱗を求めてムック音楽に興味を持ったのだ。

ムックは元々、リーダーであるギタリスト、ミヤのワンマンバンドである

幼い頃より音楽を嗜み、プロデュース作曲編曲等々多方面マネジメントを行うミヤに対し、音楽のド素人から始まった他メンバー技術的な部分からから、3人はミヤに首を垂れ従い続けるのが常であった。

メンバーファンもひたすらミヤのご機嫌取りに徹するバンド」等とも称される事もあったし、夢烏を自認する私も事実そういうバンドだと自覚する。

なお余談だが、興味のある方は是非今年リリースされた「M」というインタビュー本をご一読頂けるといいだろう。

リーダーから何故出来ない、お前に期待しているのに、というスパルタ虐待親よろしく高いスキル要求され、心身に支障を来たす者もいれば、トラブルを起こす者もいた、解散しなかったのが不思議でならないかつての殺伐としたムックが。

そして20年という歳月を経て、ようやく分かり合おうとし、ほんの少し分かり合えるようになってきた彼らの、ありのままの成長の軌跡が綴られている。

さて、そんなムックが、よそのアーティストプロデュースを頼むだなんて。

当初は「は?ムックのサウンドが好きなのによそにプロデュースされるとか無いわ」という気持ちと「あのとんでもワンマンバンドがよそに力を借りるなんて、少しは丸くなったんだなぁ」という気持ちを抱いていた。

実際楽曲のものは、これまでのムックには無かった新しいテイストが組み込まれ、彼らの「多様性」に新たな1ページが加わったなぁと感慨深かった。満足であった。

しかしそのシングル曲が含まれアルバムツアーからライブ公演に違和感を覚えるようになった。

アゲハ」と、同アルバム収録のもう1曲のKenプロデュース曲「空と糸」のイントロで、何故か、黄色悲鳴が上がる。

これまでもイントロ悲鳴が上がる場面は多々あった。

V系というジャンル柄、ファン盲目的に思い入れを持つ曲が各々あったりする。また歴史を重ねるごとに、昔の音源だんだん演奏頻度が下がる。

そうした中で、たまにいわゆるレア曲を演奏したりすると、イントロの時点で泣き出したり、歓喜の絶叫を上げるファンは沢山居た。

しかし、「アゲハ」と「空と糸」はリリースされたばかり。

何ならこのツアー中は100%演奏するし、シングル曲故に今後もセットリストに組み込まれ可能性は非常に高い。

にも関わらず上がる、「黄色い」悲鳴

別にレア曲でもあるまいに。

私はただたた首を傾げる事しか出来なかったし、周りの夢烏友達もそうであった。

その正体に気付いた時には、奴らはすっかりムックに居座っていた。

あれは忘れもしない、某年の恵比寿リキッドルームでのライブ

早めに着いた私は、グッズ販売待機列で友人を待っていると、数人程前にやたら声の大きい2人組が和気藹々と歓談していた。

V系のファンバンギャもある種のキモオタなので、声が大きいのもよくある事だと、会話をBGMにTwitterを眺める私の耳に、信じがたい台詞が飛び込んできた。

ムックチケ代が安いから、ラルク待ってる間の暇潰しにはコスパがいいよね」

Kenちゃんゲストで来てくれないかな。Kenちゃん見たい」

先の台詞は百歩譲って許そう。

いくら盲目に、宗教的バンドを愛するバンギャと言えども、複数バンドファンを掛け持ちする事はザラだ。

特に本命バンド活動が乏しい場合、あの爆音の非日常空間が恋しいあまり、他のバンドに手を出す事はしばしばある。

そして本命バンド比較して、やっぱり本命バンドが一番好きだという実感を改める事は私も多々ある。

ムックが一番好きな人達ばかりのアウェイ環境で、よくもまあ大声でそんな事がしゃあしゃあと抜かせるものだと少しイラつきはしたものの、気持ちは分からなくもない。

しかし猫も杓子も二言目だ。

貴様は何のバンドライブに来ているんだと。

ムックを観にチケットを買ったのではないのかと。

そう言うのならばKenソロライブに行けと。公演が無いならばDVDでも観ていろと。チケットに書かれた出演者をよく観ろと。貴様の目は節穴かと。ムックラルクの片鱗のみを求めているのかと。

音楽シーンにおいて特に興衰の激しいヴィジュアル系というジャンルでは、新たなリスナーの獲得が今後の生死を左右する。だから、新しいファンが、殊に音源やグッズを購入し、ライブにまで足を運んでくれる存在が増えるのは大歓迎だ。

それでもムック純粋ファンではなく、ムックを通して結局ラルクしか観ていない。カードだけ剥ぎ取られて、開封もせずに捨てられるプロ野球チップスのようだと感じられる、ムック本命バンド自分からすれば侮辱しか思えない発言だった。

気持ち分からんでもない。ただせめてこの場においては、まっすぐにムックを観てくれないものか。とにかく不愉快で悲しくて仕方が無かった。

しかムックは、みるみるそれらのファンを増やし、固定させていった。

その後もKenのプロデュースの機会も増え、ラルクメンバー絡みのイベントに参加し、オールナイトイベントなんかにも出るようになり。いつかの2人組が望んだ通り、ワンマンライブゲストで現れるようにもなり。

気付けば、スタンディングのライブで友達とはぐれた時、自分の周りにいる人間は知らない空気を纏っていた。

先述の通り、私はファンが増える事は喜ばしく、歓迎すべき事だと思っている。

以前はモッシュピットに棒立ちで、ぶつから露骨に嫌そうな顔をしながらも近くで見たいからと動かない、危なっかしい新規ファンも居たが、最近ムックのノリに慣れたのかそんな人間も見かけなくなった。

ムックのものをちゃんと観に来ているファンが増えた実感もある。

しかし、あれからずっと変わらずKenプロデュース曲で上がる黄色悲鳴

チケットファンクラブ先行受付がある度に、既存の夢烏同士の規模を圧倒的に上回る人脈での人海戦術で、人数の何倍も申し込んでは、ひたすら身内に、余れば興味の薄い人間にまで回されるチケット

ムックは昔から、皆仲が本当に良い」「ボーカルさん可愛い女の子みたい」「リーダーさんが人を殴るなんてありえない」という、誤解を超えて定着してしまった新しい解釈

そして何だかんだ言っても結局、Kenが関わる話題が上がっては「Kenちゃん来ないかな」。対盤で未発表枠が告知されては条件反射で聞こえる「絶対ラルクでしょ」。

何より許しがたい、「今のムックの動員や売り上げは、ラルクに支えられているようなものでしょ」という、あまりにも乱暴で横柄な認識

何かにつけ「ラルク」「Kenちゃん」「ラルク」「ラルク」。

そして自分達が総意であり真実であるかのように振る舞う。いつしか私も、仲の良かった旧来の友人達も、周りを念入りに警戒してから遠慮がちに感想をぼやくようになった。

私のような存在老害と呼ぶのだろう。

もちろん、いいファンと悪いファンがいるのは重々承知しているし、それは旧来の夢烏にも言える事だ。

それでも、メンバー間のトラブル修羅場があったからこそ生み出された過去楽曲パフォーマンス。そして背景としてそれらがあったからこそ、紆余曲折と凄まじい努力を経たからこその「今の彼ら」が在るのに、「今の彼ら」しか切り抜かれていないようで悲しく思えてならない。

V系における2ちゃんねるのような某掲示板で、貢ぎやセフレ要員として簡単に繋がりを持てると、繋がり入門麺とまで称されたメンバーに対して、手放しで可愛いだの聖母だの褒めちぎる。

バンド運営をほぼ全て自分を中心に回し、ステージミスしたメンバー段取りの悪いスタッフを一切の遠慮なく睨み付け、手や足を出す事もザラだった、田舎ヤンキー気質の抜けないワンマンリーダーを、優しいだのと聖人君子のように捉える。

先述のメンバー程よろしくなかなか女関係が汚く、今やすっかりほうれい線の強い老け顔に対してただただ馬鹿のひとつ覚えのようにかっこいいを連呼する。気持ち悪さが売りであり、コールアンドレスポンスとして罵声が求められるパフォーマンスに対してきゃー可愛いなどと場違いな歓声を上げる。

元よりお馬鹿キャラではあったものの、立派な一人の成人男性としてオフショットでは煙草を吸ったり、平均的な態度振る舞いである事は容易に見て取れるのに、そうである押し付けんばかりにひたすらバカわいいなどと称する。

昔の楽曲も好きだけれど、暗いか最近の曲の方が好きだなどと抜かす。

汚い部分もひっくるめてのムックは今時のファンの中では息絶え、やがてムックの中でも無かった事にされるのだろうかと、一抹の寂しさを抱いた。

繰り返すが、私は単なる老害なのだと思う。

ファンの在り方は様々だ。貶し愛と呼ばれる、極端なツンデレのような愛し方をする者もいる。ガチ恋と呼ばれる、本気で結婚したいと考え必死札レターを贈る者もいる。アイドルのように無条件に可愛いかっこいいと愛でる者もいる。

ムック本命バンド人間もいれば、他のバンド本命だという人間もいる。

必死な人もいれば、緩く追っている人もいる。

十人十色千差万別。色んな愛し方があって当然だし、「多様性」を強みとするバンドならばファンも多様であっていいと思う。だからこそムックは、色んなものを身につけ、色んなものを培い、色んなものを味方につけて、色んな道を歩んできた。

からこそ、ファン同士でも理解のし合いが必要だと思う。

とりあえず、これからムックに金を落とし続けてくれればそれで結構なので、頼むからせめてダイブする時は柔らかい靴で・アクセサリー類は外す・髪は括る・ステージにもフロアにも余計なアピールをせずさっさと転がって降りるの4点くらいは徹底をお願いしたい。

それと人海戦術チケ確保も程々にして頂きたい。激戦チケットとの交換カード用に、自分にとっては余計なチケットを申し込んで転売するのもほんとに勘弁して下さい。

あーあ、やっぱりラルクソ居なくなって欲しいな。何だかんだ言ったけど、やっぱ存在が無条件にただただムカつくし気持ち悪いわ。

さん付けとかたつえちゃん呼びもきしょいし、下手くそ小学生夏休み工作以下のお手製土産(笑)を「声かけて下さい!」とか拡散してるのも本当にきしょい。

それもラルクソの文化男性アイドル追っかけてる夢女子腐女子のオタ中学生みたいですね。

ガチ恋も増えた臭いけど、やってる事だけじゃなくて身なりもオタ中学生みたいな糞ダサデブスだし、見た目も繋がるためのお金も何の努力もしてないから本当に見苦しい。

せめてまず痩せろよ。1人で2人分くらいスペース取ってるデブ本当に殺意沸く。

何食ったらそんなデブになるの?何処かの相撲部屋所属してるの?ちゃんこが美味しいのは仕方ないだろうけど、ここは土俵じゃないんですよ。

万が一にも動員落ちたら1人でチケ20枚くらいは買い支え気持ちいるから、ここらで一発ムックには炎上してみて欲しい。

ボーカルベース辺りが分かりやす誤爆やらかさないかな。でも周りの大卒が止めちゃうか。

本当に頼むからラルク活動再開してそのまま一生休まないでくれ。

2017-08-09

[] ハッピン・ウッヂ

(Rappin' Hood

エリオポリスの隣の地区ヴィラ・アラプアーで生まれた彼は、2000年代ブラジルヒップホップ・シーンを牽引したラッパー

活動家でもある彼は、ヒップホップ・シーンに限らず、老若男女問わずブラジル音楽シーンで広く尊敬される。

都市ストリートミュージックを紹介するテレビ番組で司会を務めるなど後進の紹介にも熱心だ。

  

彼は尋常性白斑を患っている。

http://gaga.ne.jp/street/column.html

https://pt.wikipedia.org/wiki/Rappin%27_Hood

Rappin' Hood - Vida Bandida

https://youtu.be/-egpxDpcJCM

2016-10-07

ハイスタは死んだ。

告知なしCD発売。

ここまではいい。

 

店頭のみ、配信なし。

意味わからん

 

ハイスタ△最高にパンク!」とか

意味わからん

 

社会に反抗するという意味ではパンクかもしれない。

だけど時代に逆行してかっこいいのか?

 

おれはね、当時のハイスタ日本未来音楽シーンを夢見てたんだよ。

甘ったれ商業音楽じゃない、インディーズでもDIYであそこまでやれる。

将来のアーティストはこうあるべきだってね。

社会に対して前のめりに反抗的だったからこそ、未来が見えたからこそ、かっこよかったんだ。

 

だがもう死んだ。こんな懐古主義を褒めてるやつはただの盲信だ。

おもしろプロモーションだと思う。でもおもしろいだけのプロモーションだ。

「告知なしで口コミだけでこんなに売れたんですよ」

SNSでこんだけバズったんですよ」

これはハイスタブランドの浪費だ。

そこらの無名バンドがやったんなら意味がある。

でも彼らはレジェンドだ。

後ろ向きの反抗心で駄々を捏ねるのはレジェンド仕事じゃない。

 

がっかりだよ

2016-07-22

歌詞が出るMVが苦手

いつからだかわからないけど、MV歌詞をいれる手法一般化している

歌詞を入れると言ってもカラオケみたくただ文字をそのまま載せるのではなく、エフェクトをかけながら演出のように載せてくるやつのこと

歌全体に使う場合もあれば、サビになると突然あらわれる場合もある

演出として言葉を登場させたいのならわかるのだけど、そうではなく歌詞押し付けられるように出てくるととたんに興ざめしてしま

MVというもの一般化したころはそんなつまらない手法ほとんど見られなかった

自分楽曲世界観を、音楽映像だけでどうやって表現するかが全てだった

はじめてこの手法に気付いて嫌悪感を覚えたのは、じつはアーティストMVではなくビートマニアIIDXで使われているムービーだった

とあるクリエーターが作るムービーには、必ずといっていいほど歌詞が、しかも様々な手法を駆使しながら画面の中を踊っていた

アーティスト映像と違い、そうでもしなくては歌詞出会うきかっけがないのだろう

しかし、それをさも格好良さそうに織り交ぜている姿はあまりに寒々しかった

致し方ないことだろうとは思いながら、それをみていると言いようのない恥ずかしさが湧き上がってきた

それからしばらくして、今度は個人クリエーターたちの自作映像などにその手法が見られるようになった

これも先ほどの案件と同様、ユーザー歌詞出会う貴重なきっかなのだから仕方がない

(とはいっても、過剰に凝った演出文字が踊るのはやはり恥ずかしく感じるが)

ところが、最近ではメジャーアーティストであっても、そうした手段が当たり前になってきている

おそらくはそういうことが当然の世代クリエーター側に参加するようになったことが一番の要因と思われるがこれはあまりにも興ざめだ

歌詞を読ませたいのであれば、歌詞歌詞らしく可読性の高い文字で表示するべきだ

意味を伝えたいのであれば、言葉なんて安直ものに頼らずビジュアルと音で表現すべきだ

なんだか、表現というものが随分とインスタントで安っぽくなってしまったようでひどく悲しい気持ちになってしまった

日本音楽シーンは、もう本当にダメなのだろう

2016-06-07

BUMP OF CHICKENサカナクション

BUMP OF CHICKENサカナクション


この2つのバンドヒップランドミュージックという同じマネージメント事務所に属しているんだけど

両者はメディア露出に対するバンドの考え方のトレンドを変えたバンドであると思う。


自分は3年前までアニソンしか聞いてこなかったんだけど

サカナクションライブテレビで見たのをきっかけに、バンドを聞くようになった人間

といってもそこまでディープではない。

一年からTSUTAYA DISCASで新旧問わず月に4枚CD借りるという

ミュージシャンにとって有り難くないリスナーだ。


そういうわけで、日本ポピュラー音楽を聞きはじめてから日が浅いので、

過去メディア記事Webでググっていろいろ調べている。


で、最初の話に戻る。

BUMP OF CHICKENサカナクション

バンドメディア露出に対するトレンドを作ったバンドであると思う。

BUMPバンドテレビに出ないという風潮、

サカナクションバンドテレビに出るという今現在の風潮。


BUMP OF CHICKEN藤原曰く

ブラウン管の前で評価されたくない。

ライブでの発言か?わからなかった。ググって。)


※追記

ブクマで、スペシャスペースシャワーTV)のライブ中継の時に視聴者に言った言葉との情報を頂いた。感謝


サカナクション山口曰く

バンドテレビに出ない美学バンドシーン、ひいては音楽シーンの衰退に繋がった。

ナタリーの「僕と花リリースインタビュー。ググって。)


※追記 「僕と花インタビュー

http://natalie.mu/music/pp/sakanaction04



BUMP藤原発言意図は当時の音楽シーンに詳しくない自分想像するしかないのだが、

音楽商業が結びつきすぎていて、音楽音楽でない評価のされ方をしている

という認識があったのかな、と想像する。

ヴィジュアルルックス音楽評価されることを嫌ったのだと思う。

音楽音楽として純粋に楽しんで欲しい、評価して欲しい。

そんな感じか。

音楽の純度を高めたい。そんな感じ。


※追記

ブクマで教えて頂きました。横山さんのテレビに出なかった理由とか書かれていて(その日自分Mステ見てなかったけどツイッターが騒いでたのは覚えてる)、

読んでみると面白かった。情報感謝


一方でサカナクション

アルクアラウンドというMVなどで知名度をあげてきた(あと大手フェスでのヘッドライナー

結構ビジュアルを重視するバンドである

インタビューを読んでみればわかるように、Mステ出たり、紅白出たり。

総合芸術というワードサカナクションに対して使われたり、裏方の仕事スタッフを紹介したりと

音楽だけでは勝負しない、というのがサカナクションスタンスであろう。

(ちなみに山口ファッション音楽乖離を嘆いてNFパンチというテレビ番組まで作ってしまったが、自分バンドテレビに出てこなかったからそういうことになったのだと思っている)


テレビに出ない、テレビに出る、というバンドの大きな流れを作った2つのバンドだけど

個人的には、

音楽音楽として純粋に聞いて欲しい、というBUMPの方が共感できるし、

正直、ビジュアル音楽が結びつくとイメージが固まってしまうところがあるので、

嫌だと思うのだけど、まぁ個人的意見

実際サカナクションイメージ固定化前提、イメージを作って、

ビジュアル的要素を音楽パッケージ化して売ってるわけだし。確信犯語句の使い方違うな)。

続いてメディア露出し始めたセカオワなどのフォロワー

ヴィジュアルイメージ重視してるし。

(でもファッション音楽が結びつくと、変に威張って排他的なやつが出てくるので社会空気が窮屈になるな、とダサい人間である自分は思う。自分みたいな奴がファッションを抑圧してるという自覚はある)


両方のバンドスタンスは違うけど

メディアの使い方は悩んでるんだろうなって思う。SNSも含め。

出ない出ない言ってたBUMPはこの前zipに出たし。

テレビに出ないのと出るの、どっちが正しいかという話でもないし。

まぁバンドの売り方と好き嫌い問題矮小化してもいいか


音楽を汚したくない、という思いは一緒だろう。


音楽の楽しみ方は人それぞれってことで。


視聴者意見としては、

今のアイドル一辺倒の音楽番組も嫌だけど、

バンド一辺倒の音楽番組も嫌だなって思う。

もっと多様化して色んな音楽聞きたい。何事もバランス

数字取れないかもしれないけど。



ちなみに個人的な話で閉めさせていただくと、

今一番好きなバンドBUMPでもサカナクションでもなく

BABYMETALです。DEATH

ドーム行きたい。

2016-05-16

メタルおじさんにこそ聞いてほしいBABYMETAL

メタルじゃないからなんだかんだと皆さん仰るけど、まあだまされたと思って一度ライブに着てほしい。9月東京ドームかあるから、是非


一見さんの多いフェスFC限定小箱ライブを除く大規模会場国内公演でのBABYMETALの客層は大きく分けて三つ

メタラー特にアイドル偏見はないが、ドルオタではない)

ドルオタメタルは知らない)

ミーハー女子コスプレじみた格好をしている


③はリピート率が低いし、スタンディングエリアには殆どいないから除外するとして、

一見似たような風貌をしている①と②の差は「ケチャ」等に代表されるオタ芸が滑らかにできるかどうか、それから開演前なにをしているかでだいたいわかる。



BABYMETALの開演前SEはザ・王道メタルばかりで、メタルを少しでもかじっていれば非常に楽しく開場~開演までを過ごすことができる。

例えばマスターオブパペッツが流れればフロア全体が拳をあげて「マスターマスター!」と叫んだりする。勿論まだメンバーバックバンドも出てきてない。客はSEを聞いて好き勝手エアギターしたりリズムに乗ったりして勝手に準備運動をしておくことができる。



BABYMETALの開演前SE大御所メタル詰め合わせプレイリストだったのはかなり初期からだけれど、客がみんなでシンガロングしたりするようになってきたのはここ二、三年のことだ。つまりメタルがわかる客が増えてきているということ。

これは単にメタラーの流入だけではなく、元々②側のお客さんにメタル布教することによって元々アイドルオタクだった層をメタルに取り込む、つまりアイドルCDを買ってたお金BABYMETALだけでなく他のメタルバンド還元することが出来ているんではないかなと思う。

なぜって客の絶対数はそんなに増えてないからだ(さいたまスーパーアリーナ幕張メッセを埋めた後のライブ横浜アリーナというキャパティ小さめの会場であることからも明らか)



BABYMETALMCの代わりに、ナレーションコメント的なもの映像を放映するのだが、必ず一番最初に「アイドルによってメタルをはじめとした音楽日本音楽業界から駆逐されつつあった。その現状を憂い、"狐様(=プロデューサーと思われる)"は三人の少女を遣わしたのである」みたいなことを流す。言い回し記憶ベースなので適当です。

まりそもそもBABYMETALアイドル一強の音楽シーンに一石を投じたいという意図があり、その道具としてアイドルを使うという皮肉じみた戦略を取っている。

から本来もともとメタルが好きであるメタルおじさんたちはBABYMETALターゲット層ではない。



しかしこれまた皮肉なことだが、BABYMETALライブを一番楽しむことが出来る客はメタラーなのだ。わかる人にしかからない故に面白いのがオマージュからだ。

こと細分化されたジャンル同士でモメがちなメタラー諸兄も共通言語としての王道はおさえているはずだし、BABYMETALオマージュ元ネタはそれを外さない。(バカにされがちなジャパメタに対してはわりと突っ込んだネタまで持ってくるが)

前述のナレーションライブツアータイトル曲名歌詞ギターリフ様々なところでオマージュは見受けられる。

引用されるのは例えば、

・Metal JusticeMETALLICA

・TRILOGY(イングウェイマルムスティーン

・NEMESIS(ArcEnemy)の歌詞の一部

・THE END OF THE CENTURY聖飢魔II)の歌詞の一部

等々。

それとライブ終わりの「We are BABYMETAL!」のコールアンドレスポンスを何度も繰り返すくだりはXのライブと同じ流れ。

これは前提知識の有無で気付けるかどうかが分かれるので、自分が気付いていないところもたくさんあると思う。もし他にもあれば教えてほしいです。

まあ要するにCDだけではもったいないなんてことはメタラーのぼくたちが一番よくわかっているわけだから、一度ライブに来て、自分たちは歓迎されている、そして縮小の一途を辿るメタル市場じわじわとこんな形で伸びてきていることに対して喜びを感じて欲しいなと思っている。


曲はドメタルなのと全然違うのとで両極端だが、この点は上田剛士氏の起用に関する話なので割愛する(出来ればどこかで上田氏およびTHE MAD CAPSULE MARKET'Sとその後の邦ロックシーンについても文章に起こしておきたい)

曲が一番大事じゃねーか!というご意見はごもっとも…。CD音源だとデジタル要素が強い曲もライブ生演奏だとかなり音作りがメタル寄りになっていてそんなに違和感はない。

ANVILの映画を見るくらいのテンション東京ドームに着てくれたら良いなと思って書きました。

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