月に一度あるかないかの頻度で、通勤中に遭遇するおじさんがいる。
30代後半だろうか。青い企業ジャンパーに作業ズボン、工場(こうば)のおじさんに他ならない。
私がのっそり歩いて会社へ向かっているとき、彼は追い越しざまに「おはようございます」とあいさつをする。こちらを向き、キリッとした口調で。
今時珍しい人だ。知らない人に声をかけるだけで「事案」にされる世の中で。
最初は、同じ会社の人だと思った。工場併設で、正社員から期間工、派遣まで様々な作業服を身につけた人々が昼夜働いている。おじさんもそうなんだろう、おはようございますと私も返した。
おじさんはとても歩くのが早い。信号に引っかかった私を後に、おじさんはどんどん歩いていく。
ある朝もおじさんは「おはようございます」と、格式張った様子であいさつした。私もおはようございます、と返した。
この日、おじさんは同じ会社の人ではない事に気がついた。入り口を素通りし、そのまま行ってしまった。
またある朝も、おじさんは「おはようございます」と言った。私は会釈した。
同じ会社の人ではない、では色んな人にあいさつする人なのかなと考えた。しかし様子を見た限り、すれ違う老若男女だれにも声をかけなかった。
また違う朝も、おじさんは「おはようございます」と言った。私は会釈も返さなかった。わからないのだ、おじさんの目的が。
もしかして、毎日私が提げているランチバッグが目についたのだろうか。国民的キャラクターがあしらわれた、年甲斐なくかわいらしい派手なバッグだ。
そこそこ愛用したために穴が開きかけており、これも機会と買い替えた。やはり派手な色なのは好みだからしょうがないが、絵のないデザインにした。
新しいランチバッグに変えてから初めておじさんに遭遇した朝、おじさんはあいさつしなかった。チラッとこちらを見ただけだった。やはりランチバッグが興味の対象だったんだろうか。
派手なランチバッグが手に馴染んだ頃、おじさんが追い越しざまに「おはようございます」と言った。変わらず、真面目な様子でしっかりこちらを見て言うのだ。ランチバッグ以外で個体識別したらしい。私は会釈もしなかった。
あいさつをもらったらあいさつを返すのが、模範的行為だろう。人付き合いの基礎だ。わかるよ、わかるがあのおはようおじさんに、私はおはようを返さない。不安だとか謎だとか、そういう不確定要素が最大の恐怖なのだ。おかしな話だ。ただおはようと言ってくるおじさんが恐怖。じゃあ容姿美麗な青年が同じ行為をしてきたらどうか、それでも不確定要素に変わりないのだから恐怖だろう。
通勤時間や順路は、諸事情で変えようがない。だから確率の問題だけで、おはようおじさんに追い越される。
遭遇しない事が最適解。ただのあいさつするおじさんに遭遇しない事が最適。あいさつは犬でも猫でも大事な生きる基本。矛盾じゃないか。
冷静に考えておじさんはいい人じゃないか。クソッタレは私じゃないか。おじさんは悪ではない。しかし私はおじさんにできるだけ遭遇したくない。
明日は月曜日だ。いつもは徒歩通勤だから、時たまおはようおじさんに追い越される。しかし明日は仕事の都合上、車で出勤する。だからおじさんに追い越される事はない。翌火曜日は徒歩だから、追い越されるのかもしれない。
それおまえの生き別れた父だぞ
可能性1:人違い。 おじさんは、あなたのことを誰か他の知ってるひとと勘違いしている。 可能性2:忘れてる。 実は知っている人(例えば子どもの頃の近所の人)なの...