はてなキーワード: 青年とは
昨年、父が定年退職した。
父は40年以上ずっと運送会社で働いていた。趣味も車で、休みの日は必ずドライヴ。テレビも見ない、本も読まない、ネットもやらない。昔はよく料理をしてたけど、今はぜんぜんしてない。
学生時代は映画監督になりたかったらしい。だからだろうか、私が小さいころはよくカメラを持ち歩いていろんなものを撮影しまくっていた。8ミリ? ハンディカム? くわしいことはわからない。とにかくビデオカメラで何でも撮ってた。旅行、運動会、七五三etc
でもいつしかそれもやめてしまった。それからは車一筋。ドライヴだけが人生って感じだった。
私は父が心配だった。そんなんじゃボケちゃうよ。それにいくら車が好きだからって、もうなるべく運転は控えて欲しい。年なんだから。
父はひとりで暮らしている。母は私が2才の時に癌で亡くなった。それからずっと父娘で暮らしてきたが、私は3年前に26で結婚して家を出た。
私は父にノートパソコンをプレゼントした。父が車以外のことで時間を潰せるようになればいいなと思って。オンラインの将棋なんかを勧めてみた。それが半年前。
で、驚くべきことが起きた。父がパソコンで動画編集にはまってしまったのだ。
元映画青年の血が騒いだのだろうか。父は短期間に相当な知識と技術を身に付けていた。
『スポーツカー ベスト10』なんていう2分ぐらいの動画を作ったりしてる。ランキング形式で車の映像が流れるのだ。
その車の映像、どうやって手に入れた!? BGMもついてるし、解説のテロップも入ってる。文字がボヨーンと飛び出したりして。すげー。
いやー、よかった。これで老後の趣味ができたねー。
なんて、安心してたのも束の間。
なんと父は私の小さい頃の映像も編集し始めたのだ! ねえ、その古いテープ達、どうやってパソコンに取り込んだの?変換とかできちゃうもんなの?とんでもない機材とか買ってない?大丈夫?散財してない?
その手の知識が全くない私はとにかく心配で心配で。こんなことは簡単に出来ると父は言うのだけれど。本当だろうか?
そんな父から、先日、DVDを渡された。なんとそれ、私の思い出ムービーだっつうじゃないですか。いやあ、さすがに身構えた。
で、観たんですが、これがかなりぶっとんでまして。。よく言えば前衛的。はっきりいうと、めちゃくちゃ。
映像はいきなりビデオレター風に始まる。どこかの山の登山口にひとりで立つ父。カメラの前でぎこちなく笑いながら手を振ってる。テロップが出る。
なぜ高尾山!? どういう意図があるの?しかもこれ、三脚立てて一人で撮ったの!? 松居一代スタイル!?
父が私に呼びかける。
そうだっけ!? ごめん、覚えてない。。あ、でもなんか、すごく小さい頃、山の中でゴンドラに揺られたような記憶が、あるような無いような、、あれが高尾山?
そこでなぜかBGM。
永ちゃん!?なぜそのチョイス!?明るい山並みとぜんぜん合ってないよ。。完全に夜景向きの曲じゃん、、、
映像が変わり、実際に私が緑の中を歩いてる場面が流れる。すごくちっちゃい。たぶん幼稚園のころだ。何だかぐずっている。カメラの奥から父の腕がにゅっとのびて、私を抱き上げたところでフェードアウト。
これは良かった。なんと幼稚園から小学校5年までの私の徒競走の映像がちょっとずつ繋いであるのだ。(ちなみに6年の時は休んだ)
走りながら成長してゆく私。たまにスローになったりして。かっこいいじゃん!BGMが爆風スランプじゃ無ければさらに良かった。次から音楽担当は私にやらせて。
そっかー、父は毎年、私が走るところを必ず撮ってくれてたんだね。
そのあとも、七五三、海水浴、さくらんぼ狩り、学芸会、お誕生日会と、まあ懐かしい映像が次々と。知恵熱が出そう。
さて、問題はここからですよ。再びカメラの前に現在の父が登場。
なんと私が小2の時に書いた手紙をカメラの前で読み上げやがった!
完全に松居一代じゃん! 暴露ノート的なやつじゃん!もしかしてオマージュ!?影響受けたの!?
しかも手紙の文章をテロップに起こして、ピアノのBGMなんかつけちゃって、映画のエンドロールみたいにして晒すという、、、まさに鬼畜の所業。。
おたんじょうびおめでとう
パパのオムライスが好きです
たくさんケーキをたべてね
食べ物の話だけかい! しかもこれ、テロップにする意味ある!?
手紙、ずっと持ってたんだね。
自衛隊に入ってから、漫画やアニメなどの創作物における軍人の階級によく注目するようになった。
少年漫画なんかでよく大佐とか少佐とか出てくるけど、実際の自衛隊の1佐とか本当にごく稀にしかいない。
そしてほとんどの1佐がおじさん(おじいさんと言っても過言ではない)である。ハガレンのロイ・マスタング大佐は29歳らしいが、あんなイケメンの青年1佐とかはまずもって自衛隊には存在しない。まぁフィクションは嘘が無きゃ面白くないし、ファンタジー要素強めな漫画とリアルを比べても仕方ないけども。
もしもパッと見で青年に見える1佐なんて人がいたとしたら、防衛大学校を主席に近い成績で卒業してその後の数度にわたる教育課程も全てトップでクリアした超人だろう。残念ながらそんな神様のような人にお目にかかったことは未だない。もしかしたら日本のどこかに数人かいるかもしれない。
リアルとフィクションのギリギリの境目で階級に説得力があるのは、エヴァの葛城ミサト。ミサトさんは超エリート。29歳で1尉→3佐はまだギリギリでありうる。実際、30歳の1尉の人には一度会ったことがある。
エリートコースを突き進んだ新進気鋭の若手幹部もさることながら、長年キャリアを積んだ自衛官が中年から幹部試験を受けて任官する場合も数多い。若い3尉よりもむしろ、お年を召されている3尉、2尉といった方をたくさん見かけるように思う。
幹部にも色々ある。防衛大を出たての22歳の3尉と、20年以上自衛隊生活を重ねてから幹部になった中年3尉の序列が同じなんてことザラにある。だから「こんなに老けてるのに1尉なの?昇進遅すぎじゃない?」みたいな見方は早計だ。若くて出世が早い=有能、という等式は必ずしも成り立たない。
創作物の中では、部隊を指揮し全体を統括する立場にある幹部たちが主要人物となることが多い。そりゃそうだ。そもそも大佐とか少佐とか肩書きがカッコいいし。キャラクターにしやすいだろうし。組織を動かせる力は即ちストーリーを動かす力につながるし。
色々な漫画・アニメで、イケメンでエリートの大佐とか、とんでもないカリスマを持った少佐とかが登場するのは、面白いフィクションを創るという上で当然のなりゆきと言える。
そんな輝かしい彼らの陰に隠れて、定年間際のおじいさん大佐がいたり、そもそも幹部にもなれない(あるいは目指そうともしない)膨大な数の部下がいたりすることを勝手に空想するとなんだか面白い。
ヘルシング(漫画)はきちんとそのあたりを描写していたのが流石だなと思った。
当たり前だが現実の自衛隊とフィクションの軍隊との間には、階級における温度差みたいなものがある。
フィクションの軍人はみんな往々にして超人じみたエリートだ(じゃないとお話がつまらなくなる)。ワンピースのコビーの出世スピードなんてまさしく超人の域だ。
現実じゃこんなのあり得ない!リアリティが無い!みたいなことを言いたいのではなくて、現実は現実としての、フィクションはフィクションとしての面白みがあるなぁとしみじみ思うのです。
電車に乗った。ちょうど空席がなくて、その駅で乗り込んだひとがみんな立つくらいの混み具合。
車両のなかほどにむかっていたら、少し向こうで大学生くらいの青年が立ち上がった。まだ扉が閉まってなかったので、降り忘れて焦ったのかとおもったら、そういうことでもなく、扉付近で立ち止まってる。
電話がかかってきたわけでもなさそうだし、なにを急に立ち上がったのかわからないけどラッキーだから座っておこうとおもって空席にむかってたら、青年が立ち上がったほうの扉からさっき乗りこんできたとおぼしき小さなおばあさんが、つかみ棒にすがってちょうど立ち止まろうとしていた。
なるほどね。席を譲りたかったのか。
でも、残念なことにおばあさんは座席が空いたことにきづいてない。それどころか危うく自分が座ってしまうところだった。あぶないあぶない。後ろからおばあさんの肩をつつき、空いてる座席のほうにうながす手振りをすると、いえいえという手振りを返されるので、いえいえどうぞどうぞという手振りを強めに繰り返すと、どうもどうもすみませんというように頭をさげておばあさんは席に着いた。
ほんとうに席を譲りたかったのか、なにかほかの理由による偶然なのかはわからないけど、青年のまじめそうなかんじやタイミングから想像するに、老人が乗ってこられたから席を譲らないといけない、でも声をかけて断られるとすごい困ってしまう、とりあえず立ち上がって「空席チャンス」を作っておこう、というようなことだったのかな。
むかしはぼくもそんなふうに考えていたことあったし、実際に断られてどうしていいのかわからなくなったことにあったこともあったけど、あるとき席を譲って断られてた女性が「いえいえ、どうぞどうぞ」とさらにカブせてるのを見てて、なるほど席を譲るプロトコルは3ウェイ・ハンドシェイクなんだなとわかってから、ほとんど困らなくなった。
だいたいがいったんは断るのだ。諸葛孔明なんかは3回も断った(断ったのは2回なんだっけ?)。でも「どうぞ」「いえいえ」「どうぞどうぞ」となるとだいたい座ってくれる。それだけのことだった。面倒だとか黙って座れとか言うものでもない。人間のコミュニケーションというのはそういうものなんじゃないかな。儀礼があるなら従えばよい。誠意があるなら、だまっていては伝わらない。声に出して「どうぞどうぞ」と言ってみるとけっこう楽だったりする。
増田が言及しているブログ主に関しては、おそらく難治性であり、かつ青年期の早い時期に発症していることを考えると、これまでの間に病気に対する無理解などに傷つけられてきていることは容易に想像できる。
例え優しくて気が使える人たちでも、常に周囲の無理解(例えば増田のような)に晒されていては、いい人を演じ続けることができるだろうか?
それから、運転が許されていない類の精神薬については以下を参照されたい。
公益社団法人日本精神神経学会「患者の自動車運転に関する精神科医のためのガイドライン」の公開
https://www.jspn.or.jp/modules/activity/index.php?content_id=74
厚労省 SNRI3剤に添付文書改訂指示 条件付きで自動車運転可能に
https://www.mixonline.jp/Article/tabid/55/artid/54897/Default.aspx
https://ameblo.jp/kyupin/entry-12256144021.html
てんかん患者さんが服薬しつつ運転できるのであれば、たいていの向精神薬は服薬していても精神症状が概ね落ち浮いていれば、プライベートの運転を許可するのは自然だし、その方が日本経済にも良い影響を及ぼす。(実質、そうなっている)
http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2017/07/11/114310
「規制を求めたものではない」「少年誌にふさわしくないと言っているだけ」という理由で
反規制派の暴走であるという意見が散見されるが、決して暴走でも過剰反応でもない
上記二つの意見は、2010年の非実在青少年という単語が有名になった有害図書指定に関わる都条例改正を擁護する立場から多く見られた
「少年誌にふさわしくない」が定着した後に要求されるのは「成年マーク付きでやれ」か、「青年マークを新設しろ」になることは目に見えている
そしてCEROが公的規制に悪用されたように、青年マーク付き書物の購買年齢規制が条例レベルで始まる
そんなバカなことは起きてはならない
>なんつーか絵的に"オッサンと青年だけ"が、ゴーグル付けて部屋の中でPCイジりながら「ほーらこんなにリアルな映像、すごい体験、迫力もアップしてエッチもこーんなにww うひひひ」って感じで開発してる光景とか見たいですか? って言う。あまつさえそれを発信して海外に見られたいですか? って。
最近の例のナントカソンでよく写真が流れてきた。マジで頭おかしいんじゃない?
本当に広めようとしてるのか?
と言っても、当事者たちはこれを褒め言葉だと受け取るんだろうさ。
もう少し周囲の目ってのを気にしたほうがいいんじゃない。
ゲーマーサイドから言わせて貰うと別にいんじゃね? って思う。
なんつーか絵的に"オッサンと青年だけ"が、ゴーグル付けて部屋の中でPCイジりながら「ほーらこんなにリアルな映像、すごい体験、迫力もアップしてエッチもこーんなにww うひひひ」って感じで開発してる光景とか見たいですか? って言う。あまつさえそれを発信して海外に見られたいですか? って。
仮にそのA子だかでクラッシュしたらしたでその程度の情熱だったんだろうし、片付け・お茶くみは海外フェミがコミュニティぶち壊す時によく干渉してくるパターンな? 本人が嫌がってりゃ問題だろうしそれでメディアに取り上げられたら叩かれもするだろうけど、外野がどうこう言うことじゃねーじゃん、って。
それより権威主義的な面と女性待遇みたいに書いてるのに、どうしてそっちにしか触れてないのかのが俺は気になるなぁ……。
まぁ楽しいゲームできりゃなんでもいーんッスけどね。w 期待してますんで頑張ってくださーい。
あ、そうそう。
いつか一発当ててやるみたいなゲーム開発ってゲーム好きな飲み屋のネーちゃんにモテますよー? マジで。w
決め台詞はこうな。
さあ15分で書けるだけのことを言葉にしていく。まずいザンギ定食を食べた気分は最悪だ。ザンギはいいのだ。付いてくるご飯の最悪さよ。どれだけ古い飯を使っているのかということだ。更にはこの猛暑。汚い個人の定食屋。猛暑の猛暑の多湿の多湿。最悪の条件がいくつ揃う。こんなにまずい米があるのかと。くさい飯ってこういうことだったのか。でもよく考えればどれほどの不運かって言うとそれは結構判らないところであったりする。今までが恵まれすぎていただけなのかもしれない。そうだ、今まで苦しい思いや貧しい暮らしに触れる機会が少なすぎたのだ。普通の家庭に生まれて、普通の生活をしてきた。中流といっていいのかわからないけど、それほど悪い生活をしていたとは思わない。普通の収入の親、普通の住宅街の中にあるマンション。そんなところで生まれ育ったので残念なことに普通の青年に育ってしまった。息が詰まる。苦しさをもっと知りたかった。贅沢を言うのだと思う。こんなことを貧困にあえぐ世界のこどもたちが聞いたらきっとあきれる。でもそういう感情もあって間違いではないと思うのだ。これでもかというほど刺激に欠けた日常。母はそういうところに気が狂ってしまったのかもしれない。僕ら子ども二人はもう手の離れる歳になった。知的障害の兄は一生だれかに頼った暮らしを続けるのかもしれない。でも僕は違う。多分違うはずだ。生まれてから干支が二周回った。もう十分に大人なはずだ。俺はどれだけ自立できているのだろうか。きっとまだまだ子どもな気がする。大人にならなくちゃいけない。母は私がいなくなることをひどくおそれている。いなくならないでと泣きつく姿にひどくうんざりする。僕だけではないのだ。自立が必要なのは。大人になれないのは時間が足りないのではない。経験が足りないのだ。自分を見つめる時間がもっとたくさん必要だ。勉強して自分の頭で考える。そういうことが人生で足りていないのだ。だめだだめだ。ふがいない。誰のせいでもないのだ。自分のせいなんかじゃ決してない。他人のせいにしているわけじゃなくて、世の中の物事というのはえてしてそういうものなのだ。刺激が少ないところに生きていれば、安全なところへ、保守保守保守。人間がどんどん小さくなっていく。小さくなって小さくなって、生きるバイタリティなどどこへやら。生きるというのは苦しいことだ。それはそれぞれのステージの苦しさが存在して、誰しもが苦しいのだ。これが自分だけが苦しいように感じてくるようだとかなり危ない。母の心が壊れたのはこういうことが原因なのだろう。そして、自分の体力に似合わない仕事を押し付けられて容量を超えてしまった僕は倒れるしかなかった。社会の苦しさっていうのを知った。こういうのは誰しもが受ける洗礼だろう。でも僕の場合は人間の器があまりに脆すぎたのだ。壊れる前に、体が危険信号を出したのかもしれない。やっぱり自分は社会に出るには向いていなかったのだ。言い訳がしやすくなった。社会のゴミでも生きていけると思う。ゴミだから失うものがない。こんなにだめなんだからみんなもっとやさしくしてくれていいはずだし、僕ももっと怠けていいはずだ。要らないんなら燃やして捨ててくれればいい。燃えカスは地球を悪くするかもしれないけど、僕はそれも悪くないと思うんだ。
僕は小説を読むのは好きなのだが文章を読むのはあまり好きではないという、どうしようもない性質を持っている。
酷いときは最初の一行を読んだだけで本を放り出すこともある。なにか事件が起こる前にだらだらとまえがきのようなものが続くともう読む気が失せてしまうのだ。
なので冒頭ではさっさと本題に入って、その世界に引きずり込んでほしいと常々思っている。
特に気合を入れて臨む長編と違い、軽い気持ちで読み始める短編ではその傾向が強い。
そこでちょっと気になったので短編小説の書き出しをまとめてみた。
筒井康隆 傷ついたのは誰の心
中上健次 赫髪
三島由紀夫 雨のなかの噴水
小島信夫 馬
庄野潤三 蟹
安部公房 家
安岡章太郎 愛玩
丸谷才一 贈り物
他にもタイプはあるのだが主だったところはこんなもんだろう。
こうしてまとめてみると僕は【状況描写型】が好きなようだ。
この小説は明るい話なのか、暗い話なのか、どういったテーマなのか、いったいどこへ向かっているのかを早々と提示してくれるのはものぐさにとってはありがたい。
自動販売機頭よくなりましたよね。
導入前。
話題作が複数公開初日となる週末の朝。チケット売り場は長蛇の列。某シネコンではドラえもんの上映開始が近づくと、端の窓口の前に特急列を作っていました。上映まで30分ある番組を見るお客さんは普通に並んで、5分前までのお客様はそちらに、というわけです。特急列に並んでも満席になったらあきらめるしかない。その辺を捌くのはバイトというよりは社員のようでした。
12時を過ぎると行列はなくなり、5つ開いていたチケット売り場は徐々に1つ2つ閉じていきます。
導入後の今では、その場で席をとる人、ネット予約のチケットを交換入手する人は自販機対応となりました。週末の2時間のためにバイトをたくさん雇う必要はなくなったのです。人件費カットです。
有人チケット売り場は、特殊な優待、紙の前売り券など使用する人、無人チケット発券機を使えない人のために一つ開いていました。パンフレット売り・特典つき前売券売りと兼務です。
JRでは特急の指定席券が買えるようになりました。カップルで並びの席をとるのも窓際をとるのも空きさえあればお望み次第。みどりの窓口で並ばなくてもよくなりました。
特急の指定席券を自販機で買うとき、我々は労働しているのです。その労働の分みどりの窓口の職員はリストラされ、報酬総額は減額されJRはコストをカットしています。
利益は上がり株主は喜び、乗客はチケットの額面が(人件費が上乗せされていないので相対的に)安価であると感じます。
仕事/作業そのものはなくなっていません。誰が、誰にコストを負担させているのでしょうか。
みどりの窓口の有人窓口はアクロバティックな乗継や無理めな注文、対話型でないと解決できない複雑な条件のチケットを買うために残されているように見えました。
学校が休みのある朝、観たかった映画のために、朝いちばんの上映回に向かいました。
イオンシネマはハッピーモーニングという平日朝10時台までに上映される全作品は1300円というサービスをやっていたのです。
意外と混んでいました。私以外は御高齢者ばかりです。
出遅れたと思った私は焦りました。
数年前に体験した、週末の行列を思い出しました。でもなぜでしょう。チケット自販機の前の人影はまばらで、あいているようです。
ちょっとずつ前に進んでいくと答えがわかりました。
おばさまたちの集団は、みな有人窓口でチケットを買っているのです。
「この辺がいいわ」「どう並ぼうかしら」「前過ぎはいやよ」
かしましいです。なかには、今それを言ってもしょうがないような台詞や冗談を交える人もいました。
すり抜けて、チケット販売機で買ってもいいか?とアルバイト風のお兄さんに目で問うと、どうぞ、と案内されました。順番逆転です。
お兄さんの顔に浮かんでいたほほえみは苦笑だったのかもしれません。
なんでこんなことを書いたのかというと
http://b.hatena.ne.jp/entry/340964205/comment/Midas ”格安店のセルフレジやセルフのガソリンスタンド。これらにおける「平等」は利用客が一時的に労働者としてふるまえる知性を有してるのを前提としてる。”
http://b.hatena.ne.jp/entry/340976333/comment/Midas ”レストランでは我々は「はいこれ」とカードを差しだせばあとはサインさえできればいいが、インターネットでカード番号やワンタイムパスワードの入力を求められてるとき我々は「働かされ」てる”
を読んだからです。
平日朝一からイオンシネマに来るお年寄りは「一刻も早くチケットをとる」よりも「多少長時間並んででも対話を通じて自分が理解し納得できるチケットを<コンピュータの前で脳に負荷をかけず>取る」方を選んでいたのです。
つまり コンピュータの前で一時的に労働者としてふるまわず、時間コストを払って(自販機で買っても友人で買っても1300円で同じ)、窓口の人に労働させていたのです。
みどりの窓口で並ぶ人は、途中まで自由席、乗り換えて指定席、また乗り換えて自由席、かえりは全線指定席 途中までは乗車券だけ先に買ってある、なんていう、エキスパートとの対話なしには買えない特殊なチケットが欲しい人のケースを私は想定していました。だってただの往復指定券や自由席券なら並ばずに買えますから。
でもそうじゃなくて「”自販機操作労働者”としてふるまう(という知性を発揮する)」のを良しとしない人、できない人もいるのだなぁと思ったのです。賢い人にとってはそんなの当然のことなんでしょうが。
人工知能が進歩するとみどりの窓口のエキスパート駅員さんもリストラされて、おじいさんおばあさんがアンドロイドと会話してほしい切符を買うようになるのかもしれません。
あるいはどうしても人間が必要で、スターウォーズエピソード24が封切りされる未来には、シネコンは土曜日曜の9時から、普段ごろごろしている青年を安い賃金で雇って、12時過ぎたらあとは「ベーシックインカムで食ってろ」と放り出しているのかもしれません。
ゆっくり霊夢はFランク大学の就職課に就職したようです(ゆっくりFランシリーズ)をいくつか視聴してみた。
視聴した率直な感想でいうと、この動画の根底に流れている作者の人間観に俺は全く共感できなかった。
ゆっくりFランシリーズの動画の作成者の根底に流れているのは、「いわゆる一般論」に理論武装された自己責任論と、人間の発達(青年期のおける課題、等)を
無視した「人とはこうあるべき」という人間観の押し付けであるように思えてならない。
また、俺がゆっくりFランシリーズを視聴していて抱いた感想は以下の通り。
「Fラン大生は努力しないク〇」「Fラン大生は総じてク〇」「Fラン大に入ったのは自己責任」
「Fラン大生は何をやったところで無力で無能なので、頭は使わず死に物狂いで生きていくしかない」「努力できないのは能力の問題ではないので自己責任」
…こう感想を書き連ねてみるとはっきりわかるが、この動画の作成者、そもそも「人間の発達」についてどれだけ勉強してないんだ?と思う。
それとFラン大生のような立場に置かれている人間について、どれだけ理解しているのか疑問符がつく箇所がちらほらある。
この動画の作成者には、まず「そもそもなぜFラン大生は勉強ができないのか」という素朴でわかりやすい問題について勉強していただきたい。
もっと簡単に言うなら、「なぜ勉強できない奴が世の中にはいるのか」について勉強して欲しいと思う。
そういう問題を諸所考えていけば、「どうして勉強が不得意な奴が世の中には存在するのか」ということや、
「どれだけ学習意欲を喚起させてもFラン大生が勉強しない理由」であったり、「Fラン大生がやる気を出さない理由」が
…まあ、結論だけをいうと、Fラン大生は小中高を通じて学習意欲や適切な学習機会を奪われたある種の社会的弱者だということがみえてくるのだけど。
俺、このシリーズの動画の作成者の人間観は、はっきり言って間違ってるし人として腐ってると思う。
この動画の作成者は、学生一人一人の人生を本当に慮って就労支援しているようには思えない。
この動画の作成者は、人材を右から左にスライドさせていく、さながら人材コンサルタントのようにしか思えない。
最後に。
こんな動画を見てしまって鬱になっているFラン大生よ、こんな動画、気にするな。
君は君の思うままでいてもいいんだ。
だから大学生の間、君は君がやりたいと思ったことを、思うままにやるといい。
そして幾つかの年月を過ごしたある日、君はきっと気付くだろう。
『君の人生は、親のためでも世間のためでもなく君のためにあるということ』に君は気付くだろう。
その時になって初めて、君は「思うままであれ」という言葉の真意に気付くだろう。
思うままであれ。
主体性を取り戻そう。
ゆっくり霊夢はFランク大学の就職課に就職したようです(ゆっくりFランシリーズ)をいくつか視聴してみた。
視聴した率直な感想でいうと、この動画の根底に流れている作者の人間観に俺は全く共感できなかった。
ゆっくりFランシリーズの動画の作成者の根底に流れているのは、「いわゆる一般論」に理論武装された自己責任論と、人間の発達(青年期のおける課題、等)を
無視した「人とはこうあるべき」という人間観の押し付けであるように思えてならない。
また、俺がゆっくりFランシリーズを視聴していて抱いた感想は以下の通り。
「Fラン大生は努力しないク〇」「Fラン大生は総じてク〇」「Fラン大に入ったのは自己責任」
「Fラン大生は何をやったところで無力で無能なので、頭は使わず死に物狂いで生きていくしかない」「努力できないのは能力の問題ではないので自己責任」
…こう感想を書き連ねてみるとはっきりわかるが、この動画の作成者、そもそも「人間の発達」についてどれだけ勉強してないんだ?と思う。
それとFラン大生のような立場に置かれている人間について、どれだけ理解しているのか疑問符がつく箇所がちらほらある。
この動画の作成者には、まず「そもそもなぜFラン大生は勉強ができないのか」という素朴でわかりやすい問題について勉強していただきたい。
もっと簡単に言うなら、「なぜ勉強できない奴が世の中にはいるのか」について勉強して欲しいと思う。
そういう問題を諸所考えていけば、「どうして勉強が不得意な奴が世の中には存在するのか」ということや、
「どれだけ学習意欲を喚起させてもFラン大生が勉強しない理由」であったり、「Fラン大生がやる気を出さない理由」が
…まあ、結論だけをいうと、Fラン大生は小中高を通じて学習意欲や適切な学習機会を奪われたある種の社会的弱者だということがみえてくるのだけど。
俺、このシリーズの動画の作成者の人間観は、はっきり言って間違ってるし人として腐ってると思う。
この動画の作成者は、学生一人一人の人生を本当に慮って就労支援しているようには思えない。
この動画の作成者は、人材を右から左にスライドさせていく、さながら人材コンサルタントのようにしか思えない。
最後に。
こんな動画を見てしまって鬱になっているFラン大生よ、こんな動画、気にするな。
君は君の思うままでいてもいいんだ。
だから大学生の間、君は君がやりたいと思ったことを、思うままにやるといい。
そして幾つかの年月を過ごしたある日、君はきっと気付くだろう。
『君の人生は、親のためでも世間のためでもなく君のためにあるということ』に君は気付くだろう。
その時になって初めて、君は「思うままであれ」という言葉の真意に気付くだろう。
思うままであれ。
主体性を取り戻そう。
そして、このくだらなくも面白い世の中を、思うままに生きてみよう。
私はどこにでもいるJKなのだが、最近マックで級友から興味深い話を聞いた。現代日本には「キモくて金の無いオッサン」という一群が棲息しているらしいのである。
キモくて金の無いオッサン。なんという悲しい呼称であろうか。属性がそのまま呼び名になっている。いくらなんでも投げやり過ぎやしまいか。我々がJKと呼ばれるように、頭文字を取ってKKOと呼んであげることは出来ないものか。それだけでずいぶんポップになるではないか。PPAPのように。
そんなことはともかく、私はキモくて金の無いオッサンという生物に興味を持ち、色々と調べてみたのだが、どうやら彼らは概ね37才以上で、家賃六万円以下のアパートに独りで暮らしていることが多いようだ。特段、人生に不真面目であるわけではなく、むしろ性格は小心で、毎日、与えられた仕事を粛々とこなすものが多い印象である。ただ、様々な能力が平均より少しずつ劣っていたり、運が悪かったりすることで、劣悪な労働環境に適応せざるをえず、そういった暮らしの果てに「キモくて金の無いオッサン」に成ってしまったと言えそうなのである。私はJKなので詳しいことはわからないのだが、これはなかなか厳しい人生と言えそうである。
キモくて金の無いオッサンは、現代の労働市場において、最も弱い存在と言って良いだろう。知識や経験を蓄える機会を持たないまま生きてきたので、自然、最低賃金での単純労働に従事せざるを得ない。また、体力や脳の働きなど、個体としての衰弱も進行している為、集団内部でも下位に位置付けられてしまう。自分の息子であってもおかしくないような、髪を金色に染めた暴走族上がりの青年に、顎で使われたり、脇腹を蹴られたりすることもあるようなのだ。
キモくて金の無いオッサンは、労働後の歓楽に興じる機会も奪われている。周囲の年若い集団からは基本的に疎まれている為、酒席に誘われるようなことはまず無いのである。結果、発泡酒と値引きの惣菜を買い込み、帰宅してインターネット動画を漁りながら、明日の労働に備えることになる。 JKの私には信じがたいライフスタイルである。
キモくて金の無いオッサンは、人生の全てがバカらしくなり、大暴れして周囲に迷惑をかけるようなことはない。夜中にいそいそと自慰を行い、翌朝にはまた働きに出るのである。私はJKなので、これらはすべて想像に過ぎないのだが、なんだか泣きそうになってきた次第である。
キモくて金の無いオッサンは、時に恋に落ちたりもする。職場で一回り以上年下の女性に気安く話しかけられたり、笑顔を向けられたりすると、てきめんに恋をしてしまう。そして、これらの恋が成就した例は、有史以来、ただのひとつもない。それどころか、大抵は、悲劇に発展する。キモくて金の無いオッサンは、恋をすると、とんでもない間違いを繰り返し、キモさが数倍、時には数百倍にまで膨れ上がり、全身がヌメヌメと湿り気を帯び、激しい異臭を放ち始める。そうすると、いよいよ駆除の対象とされてしまうのである。
恋に落ちたキモくて金の無いオッサンは、職場を追われ、アパートの家賃も払えなくなり、親の年金に寄生するしかなくなる。一度寄生してしまったら、もう自立することは出来ない。社会の酷薄さを知ってしまったからである。それでどうするかというと、一日中、オンライン将棋に没頭するか、近所の図書館のソファーで瞑想に耽るか、いずれかである。
では、寄生先を持たないものはどうなるのだろうか。それはJKである私の口からは何とも言えない。いずれにしても、チョベリバである。
こんな想像をしてみる。ある朝、気がかりな夢から目ざめると、ベッドの上でキモくて金の無いオッサンに変ってしまっていることに気づくのである。私は昆虫のように固い背中を下にして、寝そべっている。ほんの少し首を上げると、無数の弓形の筋が刻まれた茶色の腹が見える。私の腹である。たくさんの細い足が生えている。私の足である。しかし、それらの足はあまりにか細く、力が弱いため、どうしても立ち上がることができないのである。
女の子が好きなんですけど、漫画に出てくる女の子の大派閥は「正しくて優しい女の子」なんですよ。
ああいう子がほんとにダメで、喜んでても酷い目に遭ってても全く感情移入出来ないんです。興味も持てない。
今のジャンプで最も典型的なところをいうと、Dr.ストーンのユズリハとかですね。
でもいい按配のクズって難しい。
常に人を痛めつけるのが趣味の極悪人とかだとやっぱり「そんな人いないでしょ」てなって興味出なくなる。
進撃の巨人のヒッチはかなりいい感じだったんだけど善人になりすぎてきちゃってるし
ユミルもワルとみせかけてすごいいい子だったので違う(なにあれマジで女神じゃん)。
己の欲望に汚いサシャも小さい子を守る為に自分の命を張るのに迷いがない。
一応クズから善への葛藤は描かれるけどその葛藤にあんまりリアルさや生活感がない。
諌山先生はそもそも当人がかなりふりきれた善人だと思う。女性についてもウジウジ洞察しようとしたりせずすごく良い面を見てる。
といって、
なんかすごい欝漫画とか「女ってこんなクズ」が見たいわけでもないんですよ。
結局は自分の趣味に合う按配の女の子が欲しいっていうだけなんですけどね。
クズさと善性とをいい塩梅かつリアリティをもって描写してくれると
うわーーーっ 超可愛い!
女性作家による女性の関心に基づく女性向け漫画も面白いですし読むんですけど
なぁしつこいかしんねーけどもし見てたら答えてくんねー?
…ゴメンな? どうも気になって仕方ねーんだわ。
相手によって会話の時間すら価値が違うんならさ、東大のセンセーとかお医者さんとか弁護士さんと会話したらお金払うの? 向こうが「時間の価値が違う」って言ったらどう思う? 教えてばっかりだったら損しかしないよな?
証券マンとかだったら数分で億単位とか普通に動かすんだけどさ、そういう人と会話する価値のある人間ってどれくらいいると思う?
あ、…いや逆か。稼ぐの大変な奴の時間が価値が高いって言ってるのかw ……そう考えるとおもしれーな。
アルミ缶何時間もかけて集めてどれだけ儲かるか知ってる? 文字も読めない難民とか後進国の人間って100倍くらい働かないと日本人と同じだけは稼げないぜ?
やっぱなんか違くね?
超イケメンだけど貧困国から来た青年と付き合うとして、ジンバブエドル(Z$)とか一時期100円が2億5600万とかだったんだけどどうする?(笑)
障碍者は? 犯罪者は? 末期がん患者の時間は貴重なの? 無意味なの? 老い先短い年寄りは?