はてなキーワード: 社会派とは
作り手の支持とは関係無く、ビジネスで行う社会派作品は許されるのだろうか?
いくつか例を挙げると
・自身の支持政党等を公表しない、又は公表しても映画や漫才とは関係なくビジネスだと明言する。
・その時々のやらかした政治家を与野党関係なく批判したり笑い物にする。
・一つの作品で貧富の両サイドとも批判する、又はジョークとしてこき下ろす。
・政権とかもジョークにするけど、それ以上にネトウヨブサヨ等を無党派向けにコメディにする。
こういうケースはアリだろうか?
現実問題として社会派作品が増えて欲しいなら、こういう物もそれなりに許容する必要があると思うが、どうなんだろうか。
追記
大手報道7社の申し入れによりNAVERまとめからマスコミ記事のリンクが一斉に消えた。転載された報道写真や文章が消えたまではいいが、記事のリンクまでも一斉に消えた。NAVERまとめに報道7社の記事URLを載せることもできなくなった。
まあ、海賊版リーチサイトが問題視される中で、ハイパーリンクは自由だ!なんて理想論を大手を振って語ることはできないのだが、非常に残念。
これだと次は5ch系の掲示板ニュースサイトやFacebookやTwitterなんかのSNS、社会派ブログのニュース転載やURL掲載なんかも、プラットフォームが中心になって削除していくことになるんだろう。
最近のマスコミ系ニュースサイトは、記事を転載させないことに熱心だ。これは著作権侵害という話の他にも、転載サイトに利益を横取りさせないため、や、忘れられる権利の問題とか、いろいろ理由はあるだろうが、今は、アーカイブサイトに保存させないようにサイト側でブロックしたりもしていて、これはWebアーカイブを多用している自分としては、かなりムカつく。読売新聞なんかは、さらにはてなブックマークで過去記事を検索できないようにもしているのだから、よっぽど過去記事を掘られることがマスコミは嫌なんだなぁと思う次第。
マスコミ側としては、そんなに過去記事が読みたければ、図書館行くか、デジタル有料会員になれ、と言いたいのだろうが、デジタルで読める過去記事は校生が終わった最終版の記事だけでしょう? Web版の記事は、初報の内容と、初報から数十分後の報道の内容とで、内容が変わっていることがよくある。ちょっとした修正や加筆のみならず、初報がかなりの誤報で、ごっそり内容が入れ替わっていることもある。さらに記事タイトル、見出しはよく改変される。しかし、マスコミのデジタルアーカイブに、こういった修正、訂正、加筆の経過が全て保存されているわけではない。
流れの早いネットの動きを後から調べる時、いつどんなタイミングでどんな内容が報じられていたかは重要で、それは訂正前の生の記事配信の動きを追わなければ、理解は不可能。そんな時、Webアーカイブに保存された記事が非常に役立つことになるのだが、最近の著作権にうるさい方々は、このWebアーカイブを非常に目の敵にしている。マスコミだけでなく、単なるブロガーからも「Webアーカイブから消したい」という意見を聞く。自分らで歴史を作っているという認識はないのか…
( https://anond.hatelabo.jp/20180425085648 からの続き )
現代版ルパン。ダークウェブを舞台に仮想通貨を盗んだりする話。このあらすじでもう既に面白い。
何より嬉しいのが、過去作のことを並行宇宙ではなくちゃんと過去の出来事として認めていること(スライドショーみたいな感じでパラパラと触れている)。なので、ルパンたちのセリフ一つ一つにすごく厚みがあってめっちゃ痺れる。過去作のオマージュもたくさんあって嬉しい。
作画の気合もすごくて、まさか2018年にルパンシリーズで手書きのカーチェイスを観られるとは思わなかった。この時乗ってる車もカリ城のやつだし。ちなみにカリ城が公開されたのは1979年らしい。約40年前…
大野雄二による音楽は「ルパンシリーズの変わらない所」の象徴のようで、多少キャラデザや声が変わってもルパンはルパンなんやなぁ、って。
過去作と変わった点として、銭形のとっつぁんが上司と部下に別れた点。熱血で先走っちゃう性格は部下に、有能なところは上司に。
イカジャム。SAOのスピンオフ作品で、作中のゲームを遊ぶ日常アニメ。本編とは独立したストーリーらしい。イカジャムっていう呼び方って、スクワッド→スクイード→イカってこと?
現代に蘇るハートマン軍曹。チュートリアルのシーンがとても好き。ハートマン軍曹だったら「Yesの前にSirを付けろゴミ虫ども!」って言ってた。実弾の音響にも強いこだわりを感じる。主人公がすごく楽しそうにゲームをやっていて、それだけでもう新鮮。それにしてもP-90ってやっぱりカワイイよね。ちょうど「GUNSLINGER GIRL」観ていたので。
会話ややっていることがサツバツとしているのだけれど、ゲーム内の会話って実際そういう感じだよね。とても優しい雰囲気のサツバツとした世界。
音楽家の生涯を描く作品。原作は完結しているけれど、全部で26巻もあるのでどこまでやるのか気になる。冒頭のシーンがそのあたりを明確にしているのだろうか(原作未読勢)。
とにかくピアノの曲と綺麗な運指が印象的な作品。監督はピクサーとかでCGアニメーション作ってた人なので、演奏シーンにすごくこだわっているみたい。「ピアノを演奏しているキャラクターの手元」ですぐに思い浮かぶのが「四月は君の嘘」だけど、あっちはあっちですごい。あっちを動の演出とすると、こっちは静の演出、みたいな印象の違いを感じた。
クラシックが好きな人や、ピアノの音楽を堪能するための再生環境がある人向けかも。
戦記モノ。男性声優大集合。ニコニコ動画で解説を見たけれど、とんでもなく壮大な物語が始まった印象。
戦争と政治がテーマだけれど、特に戦闘シーン。EVE Onlineみたい。ここまで大規模な戦争を見たのは生まれて初めて。しかもその動きは組織的で空間的かつ戦略的で、すごく面白い。
マッドハウスによるアニメ版朝ドラ。1話10分なのも見やすい。原作が子供向け文学作品らしいのだけれど、そのため子供向けの作品になっている。横手美智子による脚本はとてもテンポが良く、ギャグシーンに勢いがあって笑える。
主人公の声を、子役タレントでおなじみ小林星蘭ちゃんが担当しているのが非常に良い。マジで朝ドラ観てる気分になってくるのが不思議。
中国の漫画原作、中国のアニメスタジオ制作のアニメ。タイトルの意味は「モルモットにされた兄弟達」みたいな感じ。いい最終回だった。
マッドサイエンティストの子供はよく研究のためにペットと錬成されて犬人間にされたりする事があるけれど、本作はそこから始まる日常アニメ。高橋鉄男のようなメンターのいない「亜人ちゃんは語りたい」みたいな。
作品を通して、日本と中国におけるアニメ文化の違いや共通点が垣間見えるとこがとても良い。例えば尺。日本のアニメは30分、10分、5分あたりがメジャー(CM含む)だけれど、本作は15分(CM抜き)。当然30分アニメには30分アニメなりの脚本の書き方があり、10分アニメには10分アニメの脚本の書き方があるので、15分アニメという長さの本作はそのどれとも違う独特な感じがある。演出も他の作品ではあまり見ないような手法が使われてたりして、全然飽きない。いい最終回だった。
一方で、キャラクターの個性は「あれ、こんなかんじのキャラどこかで見たことある」と思わせるような部分も多く、日本独自と思ってたテンプレは存外普遍的に使われている手法だったんだなぁ、としみじみ。個人的な推しは長女アシス。天然系不思議ちゃんというか、自然(ロギア)系天然ちゃんかわいい。ちなみに本作でも犬役(長男)は浪川大輔である。
酒と殺しと男と女要素が少ない推理アニメ。カトリーがすごくかわいい。子供向けコンテンツの割に人間ドラマをちゃんと描いてる作品なので、2話とか泣いちゃった。とても後味の良い作品。
踏切で電車が過ぎるのを待つ人たちを描くショートショート。5分アニメ特有の、テンポの良い会話劇。BGMと踏切のカーンカーンカーンがシンクロしている演出がすごく好き。リアルではカーンカーンカーンのBPMは踏切によって違うらしいので、話によって違う曲が流れるのかな(しっとりした曲とか、アップテンポな曲とか)。そこら辺が楽しみ。
漫画家を題材にした、やさしいせかいの日常アニメ。福島県白河市での話かと思ったら、主人公の出身が福島県なのね。主人公の豆腐メンタルを見ていると先のアニメ「スロウスタート」を思い出すけれど、あっちと比べてテンポよくオチをつけていく脚本が印象的。怒涛の展開につきBGMが軽くカオス。でも豆腐メンタルを笑い飛ばしてくれる内容に、すごく元気になれる。また公式に脚本:待田堂子・横手美智子・花田十輝 とあり、とても強い。
背景美術(ヤマノススメセカンドシーズンでお馴染みムクオスタジオ)含め、漫画家としてのの日常を描く部分についての書き込みが非常に細かい。有り物としての漫画家を描くのがひとつのテーマなのかな。
フルダイブ版MMOアクションゲーム。アバン~OPで登場した機体名がザク以外分からないという偉業を達成してしまった。
フルダイブという仕様について。自分で作ったガンプラの機体を、リアルなサイズ感で見ることが出来、搭乗する主人公を見てるととてもテンションが上がる。お台場のユニコーンガンダム見てこようかな。音楽も非常に良くて、初ダイブする主人公たちの高揚感がすごく伝わってくる。絶対楽しいよこれ。
あと謎の女の子(CV.照井春佳)が言うセリフ「諦めないで」が、めっちゃヤバイ。魂が震えた。
今期はフルダイブ型MMOをテーマにした他作品にイカジャムがあるけれど、両者におけるゲームの位置づけが少し違う。イカジャムにおけるGGOは、日常(抑圧)に対する非日常(開放)なのだけれど、本作は現実とゲームの境界が曖昧というか、地続きになっていて、主人公にとってはどっちも現実の一部として描かれている感じ。ゲームシステム上、主人公は現実ではガンプラをいじり、ゲーム内ではそのガンプラに乗っているので、ずっとガンプラで遊んでいることになる。ガンプラってすごいね。久しぶりにまた買おうかな。
AbemaTVのみ。それにしても公式サイトが見づらい。「DEVILMAN crybaby」が地上波で放送できない永井豪のエログロとすると、こっちは地上波で放送できる永井豪のエログロ。
インタビュー読んだ限りでは原作準拠のシナリオらしいけれど、何もかもが斬新。他作品であれば「当時はセーフかも知れないけれど、今ならアウトな表現なのでここは変えよう」なとこを全力で攻めていて、キューティーハニー初心者としての感想は「なんかヤバイアニメ始まった」である。キューティーハニーの連載が始まった当時も相当のインパクトを与えたんだろうなぁ、と思いを馳せる。
作画熱量はアクションシーンを中心に非常に高く、アクションアニメとしてもすごく面白い。ハニーの能力について一切の説明がないので「え!そんな事もできるんだ!」と驚くさまはまさに、当時リアルタイムで漫画を読んでいた少年少女の姿そのものである。
公式の宣伝では「あなたはどのハニー?」みたいな感じでハニーの担当声優達を前面に出しているけれど、個人的に一番嬉しいキャスティングは”ラスボス CV.田中敦子”。絶対に強いじゃん!
女児向けYoutuber育成アニメ。シンデレラストーリーを踏襲した作品としてはアイカツ!シリーズに近いかも知れないけれど、テーマとして「誰でもプリ☆チャンデビューできる!」という、Youtuberの性質を受け継いでいる点でアイカツとベクトルが異なる。
1話では、誰でもデビューできるんなら私もデビューすっか!みたいな軽いノリで始めるも途中で引き返そうとする姿が描かれているのだけれど、大抵の人はこれと似た原体験を持っているんじゃないだろうか。私の場合は”ニコニコ動画!面白そう!→ゲーム実況動画おもしろい!→無料で投稿できるんだ!いっちょやってみっか!→無理だコレェ…”という原体験を持っているので、逡巡する主人公の姿はすごく刺さった。だから本作のシンデレラストーリーはすごくキラキラして見えた。
BGMが凄く良い。女児向けアニメなのになんでJazzyな音楽なんだろう。ライブシーンのアニメーションもすごく良いし、かわいい。日常パートもテンポ良くて見やすい。
本作の監督は今期「宇宙戦艦 ティラミス」の監督も兼任していて、命を燃やすのが最近のブームなのかも。
バカップルの可愛さを描く5分アニメ。話が進むほど他の子達も強烈で好き。
異世界モノ(なろう系じゃないよ)の飯テロアニメ。借金のカタに身売りされちゃった主人公が有名宿の大旦那の嫁にされちゃって…ではなく、自らの力で異界に居場所を作って自立するお話。ニル・アドミラリの天秤と並び、まだ見ぬイケメンたちがメインの作品なのかな。それにしても銀次がかわいい。けもフレの「すっごーい!」みがあって好き。
異世界にある調味料(和食)を使って作る飯テロが非常にツボ。オムライス(和風)とかリアルで食べたい。
バウンティーハンターを描くアクションアニメ。冒頭で戦闘システム紹介があるように、戦闘シーンが非常に映える作品。使う武器が”大剣+リボルバー+魔法+魔法の鎧”な時点で厨ニ心が燃える。独特な魔法の仕様も含めて、アクションRPGみたいなワクワク感がある。ゴッドイーターとか、モンハンとかに近いかも。狩るのドラゴンだし。
何より世界観が非常に独特。現代がモチーフになっているのだろうけれど、いつの時代かよくわからない特殊な世界。
コンクリート製の廃墟(未来かな?)→今風の車が街を走る(現代かな?)→ゴシック様式の大聖堂風建物で開かれる議会(19世紀の宗教国家かな?)→貧乏な主人公の家にカラーテレビ(平成かな?)→欧風な街並み(イタリアかな?)→そろばん(東南アジアかな?)→カメラを持つ新聞社の女性社員(20~21世紀かな?)→事件現場を保全する警察と、赤青のパトランプ(現代の警察(欧州)かな?)→半ばスラムっぽくなってる欧風な街(東ヨーロッパかな?)→中東風の音楽(イランかな?)→市庁舎前の掲示板が街の人達にとって速報として機能している(20世紀初頭かな?)→立派な市庁舎のビルと照明(現代かな?)→作中に出てこないIT機器(20世紀かな?)→EDに出てくるガントリークレーン達(現代かな?)みたいな。主人公がおしゃれなスクエアメガネ(つるなし)かけてるので多分現代かな。
ペルソナシリーズ。ペルソナ5(ゲーム)はクリアに100時間以上かかる作品らしく、手っ取り早く本シリーズに触れる手段としてのアニメ、という位置づけらしい。ペルソナシリーズは一度も触れたことがないので本作がP4以前とどう繋がっているか知らないのだけれど、時系列をわかりにくくした脚本は純粋に「先が気になる」と思わせる内容になっている。先が気になる。
ぞんぞんびより。原作はペル5と同様RPGゲーム。1話の展開が時系列を敢えてわかりにくくする演出になっているのはペル5とよく似ていて、ストーリーの魅力をいかに伝えるか、という作り手の思いが伺える。ゲーム面白そう。
不気味な予感はオカルティック・ナインにも通じる感じがあって、そういうところがRPG原作アニメの特徴だったりするんかな。
かわいい方の化物語。りょうしゃにおける妖怪(怪異)の描かれ方はよく似ていて、「どこにでもいるし、どこにもいない」「神様みたいなもの」「畏怖の対象」みたいな。そういうところは脈々と受け継がれるゲゲゲの鬼太郎の特徴なのだろう。化物語が「主要なキャラクターの心の闇というか、闇の心」をテーマにした作品なのに対して、本作は「現代の闇」みたいな違いがある。わりと社会派アニメ。
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の原作者として
さまざまなインタビューで語られる通り
ここにきて過去の作品が見直され、知る人ぞ知る作品ではなくなっていることを
今回の復刊版の帯には「恋と多様性を描き続けて30年」のコピーがついた。
実際、この『回転銀河』はある高校を主な舞台としたオムニバス作品で、
一巻に収録されているのは、
姉と弟の恋に始まり、男子から男子への感情、女子から女子への感情…などなどさまざまだ。
その「多様性」という言葉の重さに、私個人は少し圧倒されてしまいそうになる。
姉と弟の恋、みたいな題材を扱っても、
なんとなく、いつも、地味だ。
姉と弟の恋のエピソードは、読者のおたより欄で
「そういうことはあるよなあ」と思ったところから始まったという。
そして「なんか地味」な原因でもあると思う。
姉から弟への想いも、
彼等はみんな、「私とは違うそういう人たち」として描かれない。
「そういうこと、あるよね」
そういう視点のまま進められる。
それは「多様性を描いている」といえば確かにそうかもしれないのだが、
「あなたと私は違う、そして認めあおう」という描きかたというよりは、
「私はたまたまそうじゃなかったけどさ、そういう感じになるの、あるよね」
という、まるで友達と雑談しているみたいな、とてもニュートラルな肯定だと思う。
多様性を祝ぐような派手さはない。
地味に、私たちの生活の地続きとして、また私自身のある選択肢として「多様性」はある。
そこに単純にある。
そういう描きかたをする作家だと思う。
そして、それこそが海野つなみという作家の稀有な美点であると思う。
(余談なのだが、2話目の主人公であるイズミという底抜けにいいやつな男子がいる。
めちゃくちゃ落ち込んで半泣きで家に帰って部屋に閉じ籠ってるのに、「にいちゃん!俺のじゃがりこ食べただろ!」と弟にキレられたりする。
そのごく短い家での場面で、隅っこの目立たないところに「ママは後妻」って書かれてある。
彼の家庭環境はそれ以降ぜんぜん話に絡んでこない。
けど、あ、わかる、と少し思った。
イズミという少年の優しさや性格の奥行きが育まれた背景があるんだ、とふと思わされる。
家庭環境が複雑な子は優しい、とか言うステレオタイプな話でなく、ただ、そこに地続きの「多様性」を思わされる)
あるじゃん、こういうこと、という感じで描く。
立ち向かうべき悪習としてでもなく、
陰惨ないじめとしてでもなく、
ただ、あるよね、こういうこと、として描かれる。
「美しき悪魔のような双子」という全然地味じゃないキャラクターが出てくる。
成績優秀冷静沈着、自分達以外に価値を認めない、少女漫画の萌えキャラ煮詰めたみたいなやつらだ。
けれど、彼等も結局この海野ワールドのなかの住人だなーと思ったのは、
彼らの行動はこのスクールカーストにえらく縛られているのだ。
それをしなければ、彼等は自分達の生活を守れないと感じている。
海野つなみはスクールカーストを「そんなのくだらない」と喝破したりしない。
あるよね、そしてそうやって自分を守る人もいるよね。
そこで繰り広げられるのは確かに主人公とヒーローの恋愛なのだけど、
いつもその片隅に、学校という生活のままならなさ、人が人と関わりながら生きていることを描いてきた人だと思う。
恋がすべてにはならないし、恋がうまくいけば生活すべてがうまく回りだしたりもしない。
そういう、どこか突き放したような距離感で描写してきた人だ(だから地味なのだが)(そして地味だから好きなのだが)。
それはたまたま彼女の描いてきたものにそういうメッセージを読み取ることもできたというだけだと思っている。
(めっちゃ細かいところではそれっぽいのあるけど、炊飯器をAmazonで買わないくだりとか)
するっとごくさりげなく描くことができる。
近視眼的ではなく一歩引いた距離で描くことができるだけなんだとおもう。
そこにはスクールカーストがあるし、
同性愛者もいるけど「同性愛ににている名前のつかない感情」もあるし、
男女の間にも恋に似ている恋ではない感情がある。
だって、いるのだ。そういう人は。いるじゃん。
ただ、いるよね、って描く。
それはわかる(『回転銀河』はアナログ時代の作画と思われるため、『逃げ恥』とはすこし感じが違うと思うが)。
けれど、もし海野つなみの絵が恐ろしく緻密な書き込みであったり、生々しく柔らかい描線であったら、
きっと「いるよね、こんな人」のようなある種心地のよい距離感はなかったと思う。
あのどこか生硬な絵柄だからこそ、すっと受け入れられるのだと私は思っている。
そして、あの絵柄だからこそ、時々ぎゅっと心を掴まれるような清潔でうつくしいコマがあることを言い添えたい。
【追記】
ごw本w人wにw見られたwwwww
(センセーショナルに、ことさらお話のために感情を煽り立てたりしない、地に足の着いた視点で描かれている、というようなことを伝えたかったのです)
kissの事情とロマンスのたまごと学園宝島と西園寺さんと山田くんとゴールデンデリシャスアップルシャーベットと豚飼い王子と小煌女が好きです…
知識の価値を選ぶ場が始まりだからね。(人力検索が最初にローンチしたサービスなので、社名がはてなである)。
否定ではなく、一段上の視点や知識を提示したつもりだけどな。(自分は。最近の増田は保育園(中略)死ねあたりから陳情含めた社会派SNSだと勘違いした人が増えてるとは思う。ここは単なる匿名ブログだ。)
もし「肯定ならずとも同位置からの共感やよりそい」を求めるのならそれ用の書き方・付き合い方(いわゆる、ネットマナー)をもとめられるのは、小町やインスタでも同じだとおもう。
匿名だよ。ハンドルがない。人格の一貫性がない。あなたの事情なんか事前に説明してくれなきゃ知ったことじゃない。いじわるな邪推でよければいくらでもする。
やんわりいっても「求めてるものが違うからここから出ていけば。」になるのは同じなんだけどね。
次のやつが勝手に消えたのでその次のリプライも追記。https://anond.hatelabo.jp/20180212225343
バッドエンドが貴重みたいな口ぶりだけど、それは自分の見方がおかしいだけでしょ。
1つ前のクールのアニメだって人気なのはどれもバッドエンドだったぞ(今やってるアニメのオチは配信派に配慮して言わない)
最後まで日本の料理が勝利し続けた結果から分かる「異世界の料理はマズい」という悲しい現実。よくよく見れば異世界食堂に通うのはハブりのよさそうな人間ばかり。異世界食堂が終始徹底して描いた「うまい飯とは一部の富める人間が特別な世界に行って食べるもの」という事実。さて、「メシの美味しくない方の異世界」は一体何のメタファーだったのだろうか。そう思いながら自炊した貧乏飯を見つめる時、視聴者は気づいていけない真実へとたどり着く。文句なしのバッドエンド
こんなものを最後まで見続けた人間がいることが人類のバッドエンド。クソすぎて面白いと笑っていた顔も最終話の中身の無さに遂には真顔に。でもね、自分が普段見ていた萌え萌えアニメも萌えとストーリーの希釈度合いを間違えるとすぐにそうなるんだよね。そう、アニメなんて全部くだらないのさ。ただ異世界なろうを馬鹿にしたかっただけなのに、気づいたら大好きな他の深夜アニメまでバカにすることになっていた。こんなオチ悲しすぎる。
海外最高!日本より給料がいいぞ!仕事もビッグだ!でも行けるのは実力がある人間だけ!実力のある人間はここまで昇ってこいと言い残して海外に行っちまう!残された人間は大事な人との別れの日に有給を取ろうという発想もないまま死んだ目で働くことになる。この国で生きるのは負け組だと気付かされるラスト。ハンカチ無しでは視聴不可能。最後に空港に行くシーンは現実だったらありえません。皆して有給も取らずにやることも大してないのに会社で過ごすのです。それが日本企業。あえて非現実を写すことで強調される現実の厳しさ。マッチ売りの少女を思わせるようなバッドエンド。
説明不要のバッドエンド。思いっきり身体壊してるからもう説明とかいらないね。更には他人をなんとも思わないサイコこそが勝ち組になると言わんばかりのラストカット。心身ともにバッドエンド。
母は強し。では何故母が強くならねばいけないのか。男は夢を追ってもいいが、女は家庭に尽くせという価値観は平行世界でも一緒だからだ。強くなくては生きてはいけない。優しくなくては生きる資格がない。それが母。女は家庭に身を捧げて人生を生きろ。吹き荒れる男尊女卑の風から逃れるにはもはや性別という概念を捨てるしか無いのだろうか。社会派バッドエンド
ウーマンラッシュアワーの漫才が賛否両論で話題になって大変結構なことだ。
政治ネタ、際どいネタがたくさん入って刺激的だったのは良いが、一方で面白くは無かった、という声も多く聞かれる。
なぜ面白くなかったのか、いくつか理由はあるが、おもに漫才の構成の観点から指摘したい。
序盤は良かった。軽い吉本批判、芸人批判からの自虐。緊張と緩和、高慢さと滑稽さの落差が大きく笑いの量も多かった。
続いての原発ネタも同様に社会批判的でありつつ、福井で夜間に電気がついておらず電気が必要ないという発電量とのコントラスト。背景に発電地と消費地がなぜ違うのかという社会問題はありつつ、それが気にならないほどの落とし方。ここが一番笑いの量が多かった。
その後は、そこに住みたい人はその地に対する愛情を示せ、そうでなければ住ませない、というやり取りのミニコントが繰り返される。ここからがややこしい。
始めは福井。新幹線かがやきが福井に来る30年後には福井の高齢者は星になって輝いている、というかなりブラックなオチ。ブラックであることもだが、これを言うことが福井愛を示していることになっているのかわかりにくい。「輝いている」と言うことを肯定的に捉え、褒めている、と言うことなのだろう。まずここで少しつまづく。が、それほどは気にならない。話芸の達者さと勢いで笑える。
次に、東京。都民ファーストが自分ファーストになっている、と言う都知事批判がオチ。これも東京愛になっているのか非常にわかりにくい。都知事は東京のためになっていない、それを指摘することが東京愛になっている、と解釈するのか。かなり好意的な解釈をすればそうなる。この辺りからほとんど勢いだけで進む。
沖縄、熊本に関しては、最も社会派発言として評価されている部分かもしれない。ここは構造的に地方への配慮を訴えることが地域愛に繋がり先述の戸惑いはほとんどない。その代わり、正論になってしまい笑いの量もあまり多くない。とはいえ、ここは次の展開へのネタ振りパートとも言えるので勢いで押し切れば十分と考えて良いだろう。
突然のアメリカ。これ自体は話の飛躍があり面白い。しかし、日本はアメリカにとって都合の良い国、と表明することがオチだが、これもアメリカ愛なのか疑問。
次に北朝鮮。ここも地域のチョイスは面白い。しかし、キム総書記の「単なる太った動物」という悪口は自分のことだろう、というオチは、それこそただの悪口で北朝鮮愛になっていない。体制に反対している北朝鮮国民目線、ということかもしれないが、説明なしでその設定はかなり無理がある。
最後は日本。この展開は綺麗で良い。ここもこれまで同様だが、ニュースの内容が悪いのは国民の意識が低いから、というオチ。もはや愛でもなんでもない。
後半は当初のコントの構造がほとんど崩壊しており、メインは二人で社会批判を勢いよく言い切る、ということだけが目的化されている。そこを面白さと捉えるなら面白いが、それにしては社会問題の切り取り方に偏りもあり、真面目すぎるようにも見える。この場合、意見に対する賛否や見る側の個々の問題に対する距離感で面白いかどうかはかなり変わる。
そして一番最後に村本が、「お前たちのことだ」と観客に指をさしながら批判して去っていく。ここでそこそこ大きな笑いが起きる。
これが笑いになるということは、つまりこれまでの社会批判は芯を食っていない、ということを示している。早口でまくし立てていること自体がやりすぎであり、ある種の道化となっているわけだ。視聴者には、このような少しぶっ飛んだ人に少々批判されても笑えるという余裕が生まれている。一段低いところからわあわあ言っている人。そのようなポジションを村本は意識的に作り出している。だからこそ、社会批判が全体として笑いに変わっているわけだ。
これは逆に言えば、社会批判が軽くなってしまう、ということでもある。
上述のように、笑いの構成として整合性にやや無理がある。それはおそらく、強引に社会批判をねじ込んでいるからだろう。その強引さ自体が笑いでもある。
つまり、社会批判の強さ、正しさと笑いの量は相反するものとなっている。
そうなると、一部で熱狂されているような、よくぞ言ってくれた、という賞賛は笑いの量の少なさ、つまり面白くない、ということの象徴とも言える。
とは言え、これも含めて計算通りなのだろう。笑いの量を減らしても話題性、あるいは自分の言いたいことを言う、と言うネタなのだ。その意味では、大いに成功していると言える。一方で笑いが多少犠牲になってしまったことも否めない。
今後、同じようなスタイルは難しいだろう。今回は話題性としては非常に良かったが、この先同じようなことを繰り返せば、笑いの量が減っていくか、道化として批判のインパクトが失われるか、どちらかに収斂して行かざるをえない。同じ社会批判の道化には爆笑問題太田がいる。彼はかなり道化よりだ。
まあ、もともと村本も同じことを繰り返す気もないだろうから要らぬ心配なのだが、一部の賞賛者が期待するような、お笑いに変革が起きて社会風刺が増える、というような形には良くも悪くもならないと思われる。
いくら中身が違います、児童を性的な目で見ていませんそんな作品ではありませんって主張してようと
あのビジュアルを知らない人が見たらそうなるわ
世に出して公に晒すというのはそういうことであり、すべての人間が理解者ではない
あれを出して許されるのは暗黙の了解が存在する同人界隈だけだろ
言っておくが自分はあの手のゲームが大好きであり最高だと思っている
だが
https://twitter.com/Piro_Shiki/status/930081645377437696
>活動漫画屋が幼女を愛するすべてのお兄ちゃんに贈るサスペンスノベルゲーム「いえのかぎ」
そもそもペドフィリアを対象としたゲームってのは自称なのになあ
なんで社会派とか居直れるんだろう
ロリコンゲーム作っておきながら「いやらしい物ではない」「社会問題を浮き彫りにした社会派作品」とかダサい言い訳するの、
女子高生コンクリ詰め殺人事件を映画化した際の制作側の言い訳と激しく類似している。
今まで何度か映画化されていて、
そのたび「実際にあった、遺族がこれ以上触れないでくれと言っているような凄惨な殺人事件をわざわざ映画化するとは何事か」と必ず批判されるんだけど
制作側は「殺人事件を批判した社会派作品である」「この事件を風化させてはいけない」って絶対言うんだよね。
結局は無力な女子高生がレイプされて酷い暴力を受けるシーンを撮りたいだけの、
事件を面白おかしく茶化したポルノでしかない低俗なものでしかないのに
実際、主演女優はAV女優、監督は元暴走族であることを強調していたりと、ポルノでしかない売り方をしているのに。
遺族がこれ以上触れないでと言ってるのに「この事件を風化させてはいけない」とは、
悪趣味マニアの間で面白おかしい話として永遠に語り継がせろ、と言っているようにしか聞こえない。
どうしてそうポルノ製作者は迂闊に「これはポルノではない」と崇高ぶっちゃうのか。
全年齢向けノベル『いえのかぎ』Steamから削除―“ペドフィリアをターゲット”と判断 - https://www.gamespark.jp/article/2017/12/14/77430.html
同人ゲーム「いえのかぎ」Steamから不当にBANされたとして異議 「幼児性愛者を対象としている」と判断され - http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1712/15/news137.html
問題の詳細は↑の記事を見てもらうとして、この話に関して2つ論点から感想を述べたいと思う。
ひとつは「『いえのかぎ』は幼児性愛者向けのゲームなのか」という点で、
もうひとつは「Steamは全年齢の幼児性愛者向けゲームを排除していいのか」という点。
エロゲオタであり、心に残るエロゲー10選を挙げるとしたらその中にかの有名な『はじるす』の後継作である『ななみとこのみのおしえてA・B・C』をチョイスする俺に言わせれば「YES! YES! YES!」というほかない。
主人公が犯罪者である、嫌悪感をもよおさせる人物であるということはこの作品のテーマ上必然性のあることで、意図的にそのように描かれています。
それぞれの問題を抱えた4人の少女と頼りない新任教師が、ふとしたきっかけから子供を搾取の対象とする悪と戦うことになり、その過程を通して児童や学校を取り巻く問題を浮き彫りにすることを目指した社会派ノベルゲームです。
http://steamcommunity.com/app/710370/discussions/0/1499000547482233373/
正直に言えば、こうやってその場しのぎの言い訳をするの、事態を悪化させるだけだからやめたほうがいいと思う。
『いえのかぎ』の公式ページに載ってるあらすじには、
ってあるわけ。ロリコン向けじゃないなら「ガチロリ」とか「女子小学4年生9才」とか何のために強調してるのかって話ですよ。
主人公紹介は
同僚や児童にも若干見下されているヘタレ。重度のロリコンで学校のトイレに 盗撮カメラを仕掛ける犯罪者。 ヒロイン幼女の罠にはまり利用されるが、それも何だか嬉しくなってきた手遅れな変態。
となっていて、Sなロリにいじめられたり顎で使われることに興奮するM男をコアターゲットとしていることがあきらかな書きっぷりである(し、盗撮という犯罪行為に一切の批判が向けられていない紹介文である)。
PVかサンプル画像を見ればわかるが、女子小学4年生9才が脚を大きく上げて、太ももをむき出しにし、短いスカートの中が見えそうになっている一枚絵がある。本作が「児童や学校を取り巻く問題を浮き彫りにすることを目指した社会派ノベルゲーム」というのならどういう必然性があってこの一枚絵を作ったのか。ライターは「お色気どころかパンチラ一つない非扇情的な作品」とツイッターで発言しているが、ならこのシーンはなんなのか聞きたい(これがもし盗撮に対する懲罰シーンというなら舐めた話だ)。
そもそも創作をやっていればわかることだが、文章ひとつとっても表現の意図がある。一枚絵をイラストレーターに発注するというコストのかかる行為は相応の意図があって然るべきである。では上述の一枚絵を発注した意図はなんなのか。
もっと言えば本作のイラストを担当したMUK氏は18禁のロリイラストを多数手がける同人作家である。直近のC92では「えっちで容赦ない少女たちのイラスト+漫画本」を上梓していて、これがまたいい仕事っぷりである(個人的に欲しい)。しかしそういうイラストレーターを起用した意図もまた当然あるはずで、本作が「児童や学校を取り巻く問題を浮き彫りにすることを目指した社会派ノベルゲーム」というのなら以下略(強調しておくが18禁の仕事をした者は、全年齢の作品を手掛けたときも常にそういう視線にさらされるべきといっているわけでは断じてない。あくまでロリエロ絵師に普段と変わらない絵柄でロリ絵を描いてもらった制作側の意図を問題にしている)。
ついでにいえばこういうツイートもあった。
ロリコンノベルゲームをSteamのストアに公開したら「お前は自分がやろうとしていることを理解しているのか!? パンドラの箱を開けようとしているんだぞ。やめろォー!!!」と大変ドラマチックな忠告を受けたが、そんなオモロイ箱があるなら何の迷いもなく開けるのである。
お前、自分で「ロリコンノベルゲーム」って言ってるやんけ……。
俺は「幼児性愛者向けゲーム」がただちに悪いとは思わない。というかペド向けゲームを作って、売ろうとして何が悪い。何も悪くないはずだ。悪いのは「ペド向けゲームですが何か?」と胸をはらない態度だと思う。そういう意図をこめ、そういう客をターゲットにゲームを作っていながら「いやそうじゃありません」とウソをつく態度に腹がたつ。
そして本作をBANしたSteamにも腹が立つ。
あかんやろ。
こう書くと「Valveは私企業だから権利がある」とか「DMMとか他で売ればいい」とか言い出す輩が必ず沸くが、Steamに比肩するPCゲームダウンロード販売のプラットフォーマーが世界に存在しないことを考えれば、彼らには一私企業という枠を超えた責任があることを議論の前提にしてもらないと困る。
TwitterからComic LOのアカウントが凍結後撤退したことやTogetterをはじめサードパーティ垢のBAN祭りがあって問題になっているが、TwitterやGoogleやAmazonやSteamといった競合のいない巨大プラットフォーマーは、利用者の権利を不当に奪わないための公明正大な運営が求められてしかるべきだろう。AmazonがLINEのAIスピーカーを販売禁止にしたときは「独占禁止法違反の可能性もある」という指摘があった(http://www.sankei.com/economy/news/171119/ecn1711190006-n1.html)。
Steamには、提供国の法律に反しない限りあらゆるゲームを取扱い、ディベロッパーやユーザーの側に立ち、世界を代表するPCゲームダウンロード販売のプラットフォーマーとしての矜持を見せてもらいたい。
ロリコンやペドフィリアについて言及することや描くことがそれらを肯定したり、それらの人間に媚びている理由にならない。勝手に作り手の意図を忖度しないで欲しい。/『いえのかぎ』問題の感想
HentekoDoujinの新作ゲームのストアページを公開しました!
うーん。
ここ数日のxevra御大へのバッシングに本当に心を痛めている信者の一人だ。
御大を崇め奉る信者として、その心境を率直に語りたい。以下は教義のPRです。
どこにでもある、ありふれた話だ。
そんな自分がまた社会に復帰できるようになったのは、運瞑睡野のおかげだと間違いなく確信している。
仕事に全力投球するのはもちろんいい事だが、しかし同時に自分の体も脳も心も、休めるべき時には全力で休める。
ヘトヘトに疲れているのにオフタイムに運動なんて勘弁してくれよと思うかもしれないが、これが驚くほど効果がある。
運動すると妙に気分がよくなり、くよくよ悩んでいた事がバカらしくなってくる。
肉体を意図的に疲れさせる事で、逆に肉体が頑張らねば!と元気が湧き出てくる。
瞑想もいい。
過去の嫌な経験や、やり直したい事について延々考えてしまう負の思考ループ、鬱病はこうした反芻思考に陥る病気である。
あるがままの自分の状態を見つめる。浮かんできた感情を客観的に眺める。
負の思考ループに陥りそうになったら瞑想していた事を思い出す。心を鎮めて、また自分を見つめる作業に戻る。
瞑想については色々なやり方があるから、各自に向いた実践方法を探すといいと思う。
書く作業に飽きてきたので省略するが、これらは全て自分を癒し、いたわり、
また明日から元気に楽しく日々を送る上で非常に有用なライフハックなのだ。
瞑想はまだデータ不足ではあるが、運動と睡眠、野菜の効果については科学的なエビデンスも多い。
オカルトと思うかもしれないが、何より自分自身、本当に効果があると実感している。プラセボでも効果があるなら上々だ。
もちろん御大に思う部分もある。野菜は350gでは足りないと思うし、もっと全体の栄養バランスについて考えるべきだと思うし、最適な運動量の考え方についても自分とは違う。
だがそれでいい。運瞑睡野をどう実践するかは各々考え、自分のライフスタイルに落とし込む作業が必須だ。
自分はブラック企業でうまく立ち回れず、大脳が壊れたメンヘルになってしまった。
当然至らない部分があったのは自分の未熟さ故だ。
だが、自分のような大脳の壊れたメンヘルを量産するようなブラック企業、歪な社会構造、
立場の弱い小作人が一方的に搾取されるような権力者中心のビジネスモデルは、
果たして看過されていいものだろうか?大脳の壊れたメンヘルの末路を、自己責任で終わらせていいものだろうか?
いきなり名指しで、上から目線で批判されたら反発するのが人情というものだろう。
だが、御大の日本や社会への批判は、大脳の壊れたメンヘルをこれ以上生み出すなという強いメッセージ性が根底にある。
メンヘルに陥りかけている人間に手を差し伸べている。おせっかいと言われようとも目の届く範囲でも救いたいという意思を感じる。
それが、大脳が壊れてメンヘルになってから知った、世界。自分が一度挫折していなかったら決してそうは思わなかっただろう。
だから罵詈雑言を浴びながらも手を差し伸べ、メンヘルを生み出す社会構造をひたすら批判する御大の事が好き。