http://d.hatena.ne.jp/yoghurt/20110415/p1
読んで一言
厨二乙。で済ませれそうな文章だが、なぜかはてなで人気らしい。
おそらく多くの人間が思っているような事をシニカルに書く事で、同じ不満を持っている人間の留飲を下げる事で人気を得ようという、ほりえもんや立川談志さんなどのいわば「毒舌芸」と言った、「手法」なのだろう。
万年野党のように、ただ単に与党の、つまり実働している人間を傍から批判する「だけ」で、周りから人気を得るというのは、人類史代々受け継がれてきた人気コンテンツだ。
(この場合、別に与党が正しい行いをしているかどうかは、全く問題じゃない。与党が有能だろうが無能だろうが、それをそばから批判して人気を得る奴ってのはいるからだ)
この文章の結論を書くなら、
人の不幸(犠牲)の上に立って日常を送るのなら、お前らは人殺しと同じだ、だからせめてもっと人殺しの顔をしろ、と言う事だ。
ちょっと前に、人気になった
http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20101212/p1
上記の文章も不快だが、今回の文章も当たり前だが不愉快な事この上ない話だ。
この文章を書いた人間は、「人殺しの顔」をすれば、他人を犠牲にする事の免罪符になる世界を作りたいだけだ。
いかにも自分も被害者の一人なんですよ~、って顔をしているが、こいつらは自分が他人を犠牲にしている事の免罪符が欲しいだけに過ぎない。
僕は人殺しの顔をしています。他人の犠牲の上に立っている事を自覚して生きています。
で? それで開き直って終わりかよ。
綺麗事を抜かすなら、「他人を犠牲にしないでいいような世界を作れよ!」
って言いたいんだけど、流石にそこまでは言えない。そんなのは無理だってのは分かってるから。
でもだからって日々人殺しの顔をして生きろってのも、おかしな話だ。
どっちも、それなりの文章を書いてる。本当に。俺なんかよりよっぽど立派。
でも、その結論が「人殺しの顔をしろ」じゃね。
結局、この文章の中身は、ニヒル気取りでかっこつけな、それでいて見苦しい開き直りに過ぎない。
それが流行ったのは、単に人気コンテンツの「野党的な毒舌」の新作だったからってだけだろう。
人殺しの顔なんてしなくていいよ。
いつも通りの顔でいつも通りに生きていけばいい。
大河がエンタメに傾くのは決して悪いことではない。 フィクションを挟むのも、オリキャラじみた女キャラねじ込んで、社会派気取るのも結構。 しかし、そのために歴史を踏み台にする...