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2014-11-22

自分が”萌え擬人化”が嫌いな理由

まず手始めにはっきりと言ってしまうが、自分は”萌え擬人化”が嫌いである。

その事を述べる文章なので表現はきつくなる。それは冒頭で始めに言っておこう。

自分萌え擬人化好きだ、否定されるのは我慢ならない、と言う人はこの部分を読んでいる時点でブラウザバックを推奨する。

なお、ここで言う萌え擬人化とは本来人間ではないキャラクター人間のように描く二次創作の事であって、本来意味での擬人化ではない、と言うことは断っておく。

ここを誤解されると話が通じなくなるからだ。


前置きはこの辺にして、自分萌え擬人化が嫌いな理由を書いて行こう。

嫌いな理由は第一に、萌え擬人化は元のキャラが本当に好きでやっているとは到底思えない、と言うことだ。

「このキャラが好きで擬人化しました」という発言をよく見るが、それは本当にそのキャラが好きで描いたのだろうか?

あくまで好きなのは擬人化したキャラクター」であって「そのキャラクター」その物ではないのではないか?

擬人化されたキャラを見る度に自分はそう感じるのである

擬人化されたキャラには独自の設定が付与されている事が多い事もその印象に拍車をかけている。

元々がほのぼのとした世界観のはずなのに、「暗殺者」だの、「組織の生き残り」だの…とにかく原作無関係な設定が多いのだ。

これでは元の世界観を完全否定しているとしか思えない。そもそも元のキャラクターデザインを改変して描くこと自体が、自分にとっては「元のデザイン否定」と感じてしまうのだが…。

要は、元のキャラ交流のダシにされているだけとしか見えないのだ。

もう一つの嫌いな理由は、絵師(とも呼びたくないが、ここでは便宜上そう呼んでおく事にする)の自己顕示欲が透けて見える事だ。

本音を言うと、評価されるオリキャラを描けないから、著名な作品名前だけ借りて評価だけ得ようとしているように感じるのである

自分擬人化には全く魅力を感じない。本当に実力があるのなら、それこそ完全なオリキャラを描いたって評価されるはずである

しかし、擬人化絵師オリキャラを描いても評価されている、と言うイメージが正直あまり無い。

あくま自分イメージなので、もしかしたらオリキャラを描いても評価されている人も居るかもしれない。ただ、自分はそう言う絵師を見たことがない。)

努力と言うプロセス放棄して評価だけ得ようなんて、甘ったれた考えだとしか言いようがない。

嫌いな理由はまだある。

それはやたらと押しつけがましい態度が目立つということである

擬人化絵が求められていないところで擬人化絵を貼ったり、苦手な人への配慮検索避け等)が出来ていなかったり、と言うのもあるが

擬人化絵を描いている人、あるいは描いていなくても擬人化好きだ、と言う人の中には原型(本当はこの言葉もあまり使いたくはない。変形させる事前提みたいな言葉からだ。)をやたらと否定する者も居る。

これが最も我慢ならない。

ケモナーがどうこう、なんて話は全くしていないのにも関わらず、擬人化が苦手だ、と言う人に対して擬人化ファンが「ケモナーキモイ」と言う旨の発言をする様子はあちこちで見てきた。

…これでどうして擬人化が嫌われないと思うのか。

しろますます擬人化への印象が悪くなるだけである

それに対して苦言を呈すると、「擬人化鳥獣戯画等、古来からある。」と言った馬鹿げた反論が返って来る事もある。

しかし、鳥獣戯画擬人化はそれこそ、擬人化ファンが否定する動物本来の姿である。要するに反論になっていないのだ。

そもそも、本来意味擬人化勘違いしているのか、わざと混同しているふりをしているのかは知らないが、「萌え擬人化」を擁護するために本来意味擬人化を持ち出すのは止めていただきたい。

勿論、全員が全員ではない事は承知しているが、悪いものは目立つ、と言うこともまた事実だ。


以上が自分萌え擬人化が嫌いな理由である

特に最後の部分は擬人化コミュニティ側のマナー改善でどうにでもなる部分だ。

しろ最後の部分がきっかけで先に上げた「擬人化が嫌いな理由」が自分の中で生まれたとも言える。というより、最後の部分以外は自分にとっても正直どうでも良いのかもしれない。

まりマナーさえしっかりしてくれれば、自分の中での擬人化に対する印象は好きにはなれないとしても、多少マシな物にはなるだろう。

それにしても、やはり嫌いな物についての文章を書くとどうしても感情が出てしまう気がする。

読みにくい乱文になってしまっているようなら申し訳ない。

2014-11-21

バターの件で喧嘩売ってきたチンカスくん、早く出てきてくれる?

http://anond.hatelabo.jp/20141120195749

かるみっとだよ。


増田喧嘩売ってきたチンカスくんがいたので

バター不足について、

流通系の雑誌出してる出版社の知人に聞いてみたよ。

出版社言っても、椎名誠が務めていたようなちっぽけなところな。

業界専門で書店には並ばないような雑誌

でわ本題。


バターが不足しているのは事実だそう。


その一因は、アカヒNHKを筆頭にしたメディア報道だそうだ。

アカヒが報じてからスーパーからバターが少しずつ消えるようになったらしい。


決定的なのはNHK報道だった。

バターを2~3個まとめて買っていく人が増えたらしい。


そりゃそうだ。

危機感を煽るのがメディア仕事からな。

もともと不足しがちなこの時期に、

マスコミがでかく報道したせいで、

バターの品薄に拍車がかかったという。

暇だったのでスーパーで働く友人にも電話して聞いてみた。

やはり報道後、バターが売れるようになったそうだ。

いまは仕入れてもすぐに売れてしまうので、

一人一個に限定してるが、それでもなくなってしまって困っているという。

出版社の知人の話に戻るが、

この時期、バターが不足するのは政府農協もわかっているのに、

先んじて輸入を決めないから毎年こんなことになっているそうだ。

NHK報道にあるように、農家酪農家後継者不足も一因だが

すべて輸入で解決できる瑣末な問題だという。

というのをオイラ電話2本で簡単に調査できたのだが、

喧嘩を売ってきたチンカスくんは

いまどうしてるのかな?

都内スーパーでも回って、バター不足の原因を聞いてくることくらいできるよな?

あ、やっぱ無理か。

メディア報道鵜呑みにする、チンカスニートくんだもんな。

ちなみに

来月号に、バターが消えたほんとの理由、という題で掲載されるらしいので

業界のみんな、買って読んであげてな。

あ、記事書いたのは知人じゃなくて、知人の部下だかんな。

2014-11-09

俺がモテナイ理由を考えてみた

カラオケと飯を男女数人(男全員医者)で行ったが、モテるやつとモテない奴の差がなんとなく肌で感じ取れた。

だが、根本からないので、なんとなく書いてみる。

  

モテナイ奴はいわゆるアスペとか発達とか言われる奴っぽい

 KYとは違うが、ずれて盛り上げてるっていうか、出川っぽいっていう感じ。

 確かに、出川がどうやって女にモテるだって思う。モテるらしいが、モテ理屈が分からないし、俺が女ならNGな気もする。

 少なくともモテル奴はそういわれるような雰囲気はなかった。

 俺とかモテナイ奴は、一人だけ爆笑したり、変に自分だけ乗ってる感じの話かただった。

  

モテる奴は女子に話かけても普通に応対してもらえる感じ

 普通に話しして、相手が反応する。

 これは女子側の受け取りもあるが、男からボールの投げ方もうまいのかもしれない。

 俺とかモテナイやつも、10回話しすれば、3,4回はそういう受け答えがもらえるが、そのほかは独り言として流されるか変な応対に終始する。

  

モテナイ奴は見た目がオタクっぽい

 デブっつーか。引き締まってないっていうか。BMIが大きく標準とずれてるっていうか。

 いわゆるポチデブはいないし、全員体はできてるガチムチなんだけど、たるんで見える感じ。

 脱ぐと全員それなりなんだよ本当に。だけど、腹が出てるっていうか。

 やっぱ、だらしない体型ってのはあると思う。モテルやつらは全員筋肉カットができるっていうかな。

 筋肉があるだけでは脂肪が乗ってたらちょっとよさが分からない。

 あと、服装だけど、モテる奴は、秋コーデっていうかな。革ジャンだの、帽子だの、マフラーだのブランドだのを2,3個はつけていた。

 決して高くないとは思うんだけど、それも全部あわせてるわけではないけど。なんか突っ込まれても大丈夫な感じ。

 俺とかモテナイ奴は、ジャージユニクロしまむら。当然ヒゲもそらない。

 まあ、そういう見た目が分からないってのがアスペっぽい感じに拍車かけてるんだろうと思う。

 でも、マジで子供のころから絵画センスゼロなんだなwクラス最下位。そんで、字もクッソ汚い。かけりゃーいいだろっていう字を書くんだな俺らは。ひらがなでも意味さえ通じれば漢字いらんだろ、みたいな。

 見られることを意識した考えってのがマジで苦手。

  

自分で完結して話してる

 会話でコミュニケーション取ろうとするんだけど、自分の頭の中で話ししながら完結してるんだな、モテない奴は。相手の反応が予定調和で持ってこれるようにある程度成型して話しないとむちゃくちゃな話になって100%失敗するんだけど、そうなると相手の反応も決まっちゃうから、先に笑ってるみたいな。

 でも、確かに話聞いてるとIQ高そうな発言なんだな。よー頭回るわっていうか。

 逆にモテる奴は、相手にかなりゆだねてるっていうか。相手がどう反応するか分からないことをやってる。現実を生きてるっていうか、人格の30%くらいを相手に譲ってるっていうか。なんつーか、相手と自分での共通点を作ってるって感じ。コンビニでなく、一緒に料理してるみたいな。

 モテない奴は全部自分で作っちゃうんだよなあ。俺もそうなんだけど。ある程度分岐確認してからエロゲー選択肢を選ぶみたいに会話を進めてるっていうか。モテる奴は、MMORPGっていう感じっつーかな。

 モテない奴はお互いに共通の山とかお城とか見て品評しあってる感じで。モテる奴は、お互いを向いてお互いに興味持ってる関係を選べてるっていうか。

 自信がないから、「俺らに興味もたれてもクソほども楽しいことないでっせ~」っていうのが自分で分かるから最初から自分への興味をもたれることや自己アピール排除しちゃってるっていうか。

  

リアルでの付き合いはできるけど、SNSとかラインとかの付き合いは薄い

 なんつーかなあ、自分プライベート自分だけで完結させてるみたいな。

 モテル奴はうまいんだよなあ、ネットでも。

 よくよく考えればそういうのでちょっと頑張るだけで苦痛リアル生活がよくなるなら、やっとけってなるんだけどさ。

 なーんか、仲がいいどうしでないと楽しめないんだな、モテナイ奴は。

  

⑥ここまで一貫してる

 ①~⑤までいろいろ書いたけど、これ全部の根元がなんか一つ何かで一致してる感じを感じた。

 ナルシストと違うけど、やっぱいわゆるアスペっていうか、発達っていうか。それはもう性格レベルかー?っていうの感じる。

 どうやったら身奇麗にできるか?ってのが、なかなか分からない。何をするかを具体的に言われないと分からない。

 なんとなくできてるっていう状態がまったく理解できない感じ。

 アスペとは違うんだけど、センスが死んでるっていうか。なんつーか。

 マジでそこが課題なんだけど、何が問題かがいまいち言葉にできねえ。

2014-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20141102014412

会計士試験合格して、「俺はやっぱりそこそこに優秀なはずだ」ってスイッチでも入っちゃったんかね。

失敗だったのは、監査法人に入れてしまったことだな。

フェイクかもわからんがたぶん10合格だろ?

あの年の就職状況はひどかったもんな。年増で三大に拾ってもらえたなら大したもんだ。

それもまた自己評価拍車をかけたか

勘違いやすいけどさ、会計士試験合格世間的には凄いことだけど、監査法人に行ったら当たり前のことだから

受かって当然のやつらと競争して仕事できるかどうかで評価されるような職場なの。

特に1011就職難だったし、残った同期は若くて優秀なやつらが多いからそいつらと比べて見劣りすんのは仕方ないんじゃねーか。

周囲に猛者がいっぱいいる上に、自分能力ギリギリ仕事をこなさなきゃいけないような環境にいたらそら評価はされねーわ。

いつか辞めて独立するか一般会社に行けば増田評価せざるを得ないような職場ごまんとあんだろ。たぶん。

とりあえず修了考査には受かってんだろうな。それに落ちてちゃ評価へったくれもねえか。

今辞めるのが最悪に中途半端から、とりあえず評価が低かろうがシニアになるのに時間がかかろうが、インチャージ何件かやるまでは辞めんなよ。

死にたくなったら勝手死ね

2014-10-31

ネットが普及した今には

不特定多数の人にちやほやされたいというきもちがあるさ

いまや子供は親の監視下に居ないんだもの

親が過干渉なのが良いというわけでは決してないが

最近の子は小さなから放って置かれすぎだ

どこでもかしこでも連れて行ってるように見えて

ガキを放置して迷惑をかける親ばっかりだ

ツイッター有名人も使っている

子供たちは関わりがどうというよりフォロワが、ほしい

フォロワの数をまず気にしている

有名人と同じツールを使うわけだから

そりゃあ有名人ごっこもしてみたいんだろう

漠然と人の注目を求めるけど

不特定多数の人に囲まれてちやほやされて何か満たされるだろうか

グリーモバゲー前略プロフィール

一時期子供たちの間ではやりましたけど

これもどれだけ、〝友達〟の数が多いかなんだろう

子供たちにとっちゃ、それは称号なんだ

自慢を一生懸命拾い集めて虚栄を張る背中を見て育てば

子供一生懸命リボテを作るようになる

ツールが作った“友達登録機能”“フォロワ”“いいね”が彼らの自慢なんだ

しかインターネットの画面の向こうに

自分と同じように人がいることをわかってない子もいる

インターネット特有炎上も、初めは大したことがなくても、

炎上させる方がおかし場合も、このただひたすら暗号のように並ぶ

フォントでは人の感情がわからなくなる

人は興奮している人をより見下す性質があるため静かに近づく足音にみな大きさを揃えてついて

行ってしまうのだろう。集団コントロール力のなさに拍車をかけている 不確定な事実

同じ人が何べんも同じことが言えるし、本気なのか、嘘なのかわからない。

うたぐっているうちに、子供現実でのコミュニケーション能力は確実に下がっている

子供たちは、インターネットの上で存在する自分と、本当の自分を見てもらいたいという気持ちだろう

大体の子供たちが、現実の友人などがお互いアカウントを知っているからだ

ツイッターの話になっちまうが(一番例えやすかった)

ただひたすら ツイッターでたくさんリツイートが欲しい フォロワがほしい

という理由で始めるのならば、現実友達とは分けて考えたほうが良いだろう。

パフォーマンス公害は確実に違うからだ。

見事分裂し、インターネット上の自分を選んだ子供たちは、冷蔵庫に入ったりパトカーに乗っかったり醤油便を鼻に刺したりする

んではないだろうか。

衝動的に構われたい!人気者になりたい!と子供たちに思わせてしまうのでインターネットを早くからつかわすことはまあ良くないんだろう

そしてそのツールが、今まで不特定多数への配信を行うことのなかった民族が手にしたことによって

絵を描くわけでもなく何かの研究に日々時間と体力を費やすわけでもなく

彼らは好奇心自己顕示欲と簡単なツールにのっとられて良からぬことを考える。

まりこの長文は一言でまとまってしまうのだ。

インターネットものを発信する動機が不純だと痛い目を見るってか幸せになれないということだ。

不細工女の子をわらってください

女って悲しい生き物だね。

まあこれを男性が読んで、それは男性の僕もそうさ、という人もいるんだろう

でも女には闇があると思う。

女の子ばかりの職場で働いた。

女の子ばかりなのは正直気が楽だ

でも女を売りにした商売だったから、ダメだった。

男の目がきになるんだ。

たぶん不細工であればあるほど

不細工呪いだ。呪縛だ。

かわいい女の子は自信満々の笑顔で笑う

私も、中学始まるくらいまで、そうだった。

でもそれは、簡単に壊されてしま

いや、自分不細工な顔が、自分で壊したんだろう

ちいさなころから、社交性皆無だったが

絵を描く趣味のおかげで、男の子達と話すことができた

でもそれも小学六年生まで

女の子雑誌を読んで男の子よりさきに恋愛に興味を持つ

それが普通なんだ

でも私は醜い容姿だったか恋愛なんて考えるだけで恥ずかしかった

不細工が人を好きになることに痛々しさを感じるんだ

男の子も、女の子に好かれてる噂をきいて悪い気がしなくなる年頃だったんだ

私は、成長できなかった

五体満足、健康に生まれてそりゃないよと思った。

無情にも

男の子たちに描いて描いてと頼まれていた絵も

一人でヒソヒソ描くようになった

女の子の好きなような絵ではなかったか女の子友達はいなかったし

男の話ばかりする友達なんていらねーって思いながらつよがってた

なんでも1人くらいいれば楽しかっただろうね学生生活

中学になった。私は不細工拍車をかけちょっとデブリ始めていた。

両親の離婚理由中途半端にぐれ母親入学写真なんか撮る気なかったと思う。(最後良心で撮った)

しかしグレるといっても、一人だ。

学校に行けばサボったり絵を描いたり

見た目は完璧オタク風味

から案の定周りにはオタク風味の輩がよってきた

でも、私はアニメ漫画は全く見ていなかった

たまにみたとしても、コアなファンになったりすることがなかったので

彼女らの気持ちがわからなかった

そして私は完璧に居場所をなくした

オタク風味の輩と好きでもないのに絡んでいる上に、いじめっ子軍団にひとくくりに悪口を言われるのも癪だったか

まあ結局単独いじめられたけど

なにをかいてるかわからなくなってきたぞ

まあそんなこんなで

高校にもいかず、今時珍しい中卒という肩書きだけをもち社会に出たクズ

正直クズってありがたい便利な言葉

本当にゲスくて意地汚くてそれでも生きることに執着する哀れな人間をたった一言自虐

懺悔したような気持ちにさせてくれる神のような言葉

だらだら転職して今に至る。今ニートだ。一人暮らしで両親に無心できないのにやばいな。

若い人ばかりの職場も苦手だ。正直覚えは早いとおもっている

でも虚弱体質なのと朝に弱いのがあるけどな

それでも仕事気合を入れてやる方だ

気合を入れるが後輩にはうるさく言わない舐められるタイプ

メンタルが弱すぎる

あの空気が苦手なんだ

男女の空気

若い空気

くだらない話に笑って

SNS他人模索する

小学生から成長してない私が言えたことじゃないが

他人に興味がある振りをして全部自分に目を向けてほしいという露骨自己アピール

自己顕示欲

興味のない人間は徹底的に迫害する中学生いじめのような習性を持ってること

それに耐えられない

その心理にはやっぱり

どうして私、新しく入ってきたのにだれも連絡先とか聞いてこないんだろう

やっぱり不細工から

っていう、自分の醜い部分がある

自分からしかける気にはならんのか?自分でもおもう

でもできないんだ、うわ、なんだこの不細工っていう表情が

相手から伝わって来るんだ

でもこの時点で矛盾が生じているんだ

不細工で愛想も良くないってわかってるのにまだ他人に期待をしているきもさが。

しかし、自分より下だ と見た目で認定した 同期には話しかけることができた

クズ

ごみ

しんだほうがよろしい。

その男の子は会話に答えてくれた

今思うと心が痛い

自分が醜い

女の子ばかりの職場でも、もくもくと仕事に集中しても

自分の目の前でちやほやされる同年代に動揺する

笑うことしかできない

慣れない化粧が崩れていく

やめて、やめてよ

どうして同じ若さをもっているのにわたしは口をきいてもらえないんだろう

しかけられないんだろう

不細工から

中学生の話に戻る

笑っても笑っても不細工は叩かれる

しかもよりによって不細工男子に。

同族嫌悪かな?

わたしは男子の思う壺だった

罵られて、あってもしょうがない恥をかかされて

どんどん卑屈になった

いや、もとから卑屈だったね

他人に興味を持つって大人になることなんだな

他の不細工がいろんな夢を見つけ出すあいだに

私は未だに不細工な顔を鏡でじっとみつめて

一生懸命可愛く見える表情をして

かわいいでしょ 私かわいいでしょっていってる

いわば毒ガスみたいなもんなんだね。

2014-09-24

清原和博劣化について

 最近清原和博をめぐるニュースが、薬物疑惑DV、劇太り、後輩の離反、仕事の激減、離婚などなど、あまりにひどいものばかりだ。1990年頃に彼がここまでひどい人生になるとは、一体誰が想像しただろう。

1990年代前半まで、当時は日曜日の午後に、テレビ朝日で必ず西武戦の中継が行われていて、私は(アタック25と一緒に 笑)毎週ほとんど観ていたと思う。だから清原和博の全盛時代は目に焼き付いている。

 かといって私は清原の大ファンだったわけではない。むしろ西武では石毛宏典秋山幸二などに比べて、プレースタイルが野暮ったいという印象があり、話すことも面白みのない優等生発言ばかりで(ヤクザキャラ現在でもこれが器用にできたりするのが悲しい)、正直それほど好きではなかった。しかし、これからどのくらい凄い成績を残すのだろう、というワクワク感を抱かせる選手であったことも確かである。好きな選手石毛秋山ではあったが、毎日の成績が気になったり、テレビで是非打ってほしいと願いながら見ていた選手は、明らかに清原であった。

 清原はいから悪くなりはじめたのか。個人的な印象で言えば1993年である。多くの人は1997年巨人入団から急激に悪化したような印象を持っているだろうが、それはあくまで「キャラ」の部分である。私は西武時代後半の不調を、そのまま巨人入団後も引きずってしまったと考えている。年度別成績を見ればはっきりするが、西武時代最後の2年と巨人入団後の2年はほとんど成績が変わらない。

 それまでの清原は、PL学園時代に叩きこまれ技術をそのまま生かして、自然体の構えから、そのまま軽く素直にバットを出している感じだった。それが1993年から、力感のある構えから打席内で大きな(さらに言えば無駄な)動作をするようにな った。体つきは、かつてよりガッチリするようになり、野茂伊良部の剛速球を豪快なホームランで弾き返すことがあった一方で、明らかに雑な三振が増えるようになった。それまでも調子の起伏が激しい選手ではあったが、この頃から徐々に打撃そのもの劣化している印象があった。

 特に1995年失望の年だった。春のキャンプ清原肉体改造をして相当に絞り込んでいるという姿が伝えられ、今までとは違う精悍な顔つきの清原に、私も「これは期待できるぞ」と思っていた。しかし、シーズンに入ると成績はさっぱりで、相変わらず動作の大きな打撃フォームから、雑な三振を繰り返していた。シーズン後半に走塁中の肉離れ長期離脱をしたが、それまで故障知らずだった清原が、通常のプレー中に大きな怪我をするというのが俄かに信じられなかった。

 この「劣化」の背景には色々考えられる。一つにはよく言われていたことだが、清原自身打者としての理想や上昇志向が高すぎて、欠点を直そうとするばかりに利点を失わせてしまったこと、二つには秋山石毛、辻といった黄金期を支えたベテランメンバーが次々と西武を去り、清原自己満足的な打撃に歯止めをかける存在がいなくなってしまったこと、そして三つ目には、この時期パリーグ球場が新しくかつ広いものとなり、本塁打数も全般的に減少傾向にあったのだが、それに力で対処しようとしてしまったことである

 それでも清原が成長する過程なのかもしれない、と当時はまだ若干の期待を残していたが、巨人入団後に完全に露呈した打たれ弱さ、精神不安定さと、週刊誌の「番長キャラ」に自らも乗っかるようになったことで、清原の将来に期待することは完全になくなった。選手としての能力以前に、人格的に国民スターの器ではない(ある種純粋人間ではあるけど)ことは余りに明らかだった。週刊誌清原ネタを、自分も笑って楽しむようになってしまった。

 2000年以降に(清原によるとホームから離れて打席に立つことで)若干の復活の気配も見せたが、明らに無理なトレーニング野球選手とは言えないような体型となり、毎年のように大きな故障長期離脱を繰り返した。番長キャラにも年々拍車がかかった。オリックストレードされた頃は、既にかつての天性のしなやかさは完全に失われ、最後はまともに走ることすらできなくなっていた。若い頃の清原は頑健というだけではなく、無駄全力プレーをすることがない、身体に負担の少ないプレースタイルだったので、晩年ここまで怪我に悩まされるとは想像もできなかった。

 誰しもが思うことだが、18歳の時に既に完成されていた打撃技術をそのまま大事にし、無理なトレーニングをせずに練習で自然についた筋肉だけで勝負し、私生活でももう少し節制すれば・・・もし1990年の頃の自分に会うことができたら一体何をアドバイスするか、と清原に一度尋ねてみたい。

2014-09-18

男と女現実

女性差別が根強い日本社会で、

純粋に男女の恋愛ができるのは、社会を何も知らない中学高校生まで。

社会人になると女は男に対し、何とも言えない嫌悪感というか、敵対心を募らせるようになる。

嫌、今の女性は、ネット情報収集できるので、早々に男に対し嫌悪感を抱くのかもしれない。

女性としては、女は下、男は上、という根底にある価値観に耐えられない。

男女が信頼関係を築いていくのは不可能に近く、

性欲と打算によって、かろうじて関係が成り立っているだけ。

男性社会人になると同年代女性恋愛するのが難しくなる。

なので、無知JKに男の欲望が向かうわけだけど、

JKとしては、危険迷惑この上なく男性不信に拍車がかかる。

2014-09-17

残念ながら、浮気して当たり前

http://anond.hatelabo.jp/20140917075035

特に不満はない結婚生活だった。セックスレスでもない。経済的にも恵まれている。

不満はないという割には、満足している点が2つしか挙げられていない点

ベランダにはためく二人分の洗濯物を見ながら幸せだなあと思えていた。本当に。心から

本当に、心から、そう自分に言い聞かせることで自分抑制していた。

そもそも、私は浮気したいと思ったことが一度もなく、それは一体どんな心持ちなんだろうと不思議に思っていた部類の人間だった。

まり浮気したいわけではないが、「浮気をする人の気持ちが知りたい」とは思っていた。つまり、それを知るためには「浮気するしかない」

ある日、よく行く店で出会った隣の人と映画音楽趣味の話が合った。何度か店で会ううちにDVDを貸してくれた。

それらはとてもおもしろくて、会うたびに感想を言いあっては笑って、もっとゆっくり話したいと思うまでにそう時間はかからなかった。

学生時代に好きだった人ともこんなことをしていた私はまるでその頃に戻ったみたいに思って、どこか思い出を辿るような甘ったるい気分で何度か飲みにいった。

女が男と飲みに行くという時点で浮気したいとアピールしているようなもの本来結婚して幸せなら付き合いとはいえ男とお酒など飲まず、家で貞淑な妻としての役割を優先するはず。

それをしないということはこの時点で既に旦那との関係幸せともなんとも思ってないし、それ以上の幸せが得られるとわかってたからついていったことになる。

胸を触られながら、私、浮気するんだろうか、こんなに簡単に?浮気ってこんなものなのか?と思っていたが、事が進むうちになにも考えられなくなっていった。

彼のセックスは私の人生のなかで経験したことのないもので「セックスはこういうものなのか」と感じさせるほどによかった。

「いけないことをしている」という気持ちが拍車をかけたのかもしれないが、その後、何日か下腹の奥の感覚がよみがえり、生まれて初めて明確に自分自身の「性欲」を意識した。

浮気する自分自覚し、それに酔ってるし、満足してるからかけるこの文章

いまではベランダにはためく二人分の洗濯物をみても何も思えない。

たった一度のことで私は変わってしまったのだろうか。もう戻ることは出来ないところにいるのだろうか。

毎日さみしくてかなしくてむなしくてくるしくて泣いてしまう。旦那への申し訳なさと自分の弱さと彼のずるさに。

もともとなんともない二人分の洗濯物に幸せを見ていた当時からして頭イカれているが、

もう旦那のところに戻る必要はないし、とっとと別れて別な男とくっつけばいいと思う。

で、相手が結婚後に豹変したとしても自己責任でやればいいと思う。

ついでに言うとズルいのはお前。

浮気をした。

特に不満はない結婚生活だった。セックスレスでもない。経済的にも恵まれている。

ベランダにはためく二人分の洗濯物を見ながら幸せだなあと思えていた。本当に。心から

そもそも、私は浮気したいと思ったことが一度もなく、それは一体どんな心持ちなんだろうと不思議に思っていた部類の人間だった。

ある日、よく行く店で出会った隣の人と映画音楽趣味の話が合った。何度か店で会ううちにDVDを貸してくれた。

それらはとてもおもしろくて、会うたびに感想を言いあっては笑って、もっとゆっくり話したいと思うまでにそう時間はかからなかった。

学生時代に好きだった人ともこんなことをしていた私はまるでその頃に戻ったみたいに思って、どこか思い出を辿るような甘ったるい気分で何度か飲みにいった。

何度目かの帰り道に抱きあった。キスしていい?といわれた。だめだよといったけれど、いざキスをされたら止まらなかった。

誰もいない夜の街で5、6歩あるいてはキスをし、それを繰り返しながら、部屋まで行った。

胸を触られながら、私、浮気するんだろうか、こんなに簡単に?浮気ってこんなものなのか?と思っていたが、事が進むうちになにも考えられなくなっていった。

彼のセックスは私の人生のなかで経験したことのないもので「セックスはこういうものなのか」と感じさせるほどによかった。

「いけないことをしている」という気持ちが拍車をかけたのかもしれないが、その後、何日か下腹の奥の感覚がよみがえり、生まれて初めて明確に自分自身の「性欲」を意識した。

話の合間に見え隠れする彼の驚くほどの気遣いと表裏一体の残酷さ、それを素直に出しすぎて多くの人に誤解されがちなところ。話をする時の声。大きくてしっかりした手。甘い匂いのする髪。

気がつけばそんなことばかり、深く考えるようになってしまったので、もう会うべきではないのだろう。

いまではベランダにはためく二人分の洗濯物をみても何も思えない。

たった一度のことで私は変わってしまったのだろうか。もう戻ることは出来ないところにいるのだろうか。

毎日さみしくてかなしくてむなしくてくるしくて泣いてしまう。旦那への申し訳なさと自分の弱さと彼のずるさに。

2014-08-28

インターネッツはやっぱり怖い

ネットで圧倒的に嫌○○者が多いような趣味嗜好ばかりなんだけど。

誰にも強要しないで一人黙々と楽しんでるような人間なんだけど。

何かちょっと情報を得ようとウロウロするだけで目に入っちゃうのよね、ヘイトスピーチって言うんだっけ?大概声が大きいから目立つね。

それで自分自身を丸ごと否定されてる気分になってメンタルの弱さに年々拍車がかかっている。

改めて思うけどネットでの暴言ってものすごいよなあ。呪詛とかに見えてくる。

そういう人が普段は「ぬこきゃわわ(*´∀`*)」「なごんだ(*´ω`*)」とか言ってるんでしょ?

思春期とかじゃないですけど未だに超違和感なんですよね。ピュアなんですかね。だからメンタルやられるのかな。

  

言わせておけばいい、とか気にしなきゃいい、っていうからそうなりたいんだけどね。

メンタル強く、っていうかい意味で図太い人間になりたいのでなにかい方法はありますか。

2014-08-18

マイルドヤンキーだの田舎人間関係のしがらみが~って話に全くピンと来ないんだよな。

10万人の地方都市100万人の政令指定都市まで住んだことがあるが、ま、どこも同じ日本です。変わらん。生活レベルも。

そういうのが実感を伴ってくるのはもっと過疎地。歩いていける範囲コンビニがない。3ケタ国道沿いに時折ボロッと出てくる集落。とかそういうところなんだろうなあ。そういうところの問題はいさら語ってもしょうがないかな、という気がしている。都市への集積化という流れに対して、自分は反対ない。

問題としては、その集積されるべき地方都市でも働き口がなく、結局大都市圏への一極集中化に拍車がかかってるってことなんだろうな。特にIT系全然ない(なかった)。

個人的には大都市の超過密都市空間に対する息苦しさの方が強いです。ホントに。

2014-08-09

中城ふみ子という歌人をご存じだろうか

31歳、乳がんで早世した女流歌人だ。

北海道帯広市野江呉服店の娘として生まれたふみ子は、左乳房の切除手術を受けたが、

がんは転移しており放射線治療を受けるも1954年になくなった。

死の直前『乳房喪失』の歌集ベストセラーになり、

死後は映画乳房永遠なれ』が有名になった。

中城ふみ子が育った野江呉服店は、開拓地都市のなかでではあるがかなり裕福で、

ふみ子を帯広高等女学校から東京家政学園に学ばせる余裕があった。

解りやすい言い方をすれば「プチブル」だった。

ふみ子の写真は多く残されているが、どこか気取っていて、

しなを作ったりポーズをとったりするものほとんどだ。若いころは特にそうだ。

彼女は「プチブルなのだ。「私はあなたたちとは違うのよ」とでも言いたげな、言い方が悪いが、

いかにも「成金」的な姿勢写真からにじみ出ているようで、私はひどく嫌だった。

彼女容姿はかなり整っている方で、それが彼女の「気取り」に拍車をかけているようにも感じた。

若いころの写真に写る彼女への印象はかなり悪い。

ほどなくして彼女結婚し母となる。結婚は恵まれたものではなかった。

苦労をして離婚帯広に帰ってきた。

その後故郷で奔放な恋愛をし様々な浮名を流したという。

写真で「気取り」を見せることは少なくなったが、

この辺りの帯広での行動はいかにも「プチブル」的発想で嫌だ。

そのうちに彼女の身体を乳がんが蝕む。

性の奔放さと、女性性の象徴である乳房喪失とを併せて、

罪と罰」と捉える論者も多いが今回の話では割とどうでもいい。

死が間近に迫った病床の彼女を写した写真がある。

なんとかという女性と一緒に写っている写真だ。

この一緒に写っている女性は顔も体もでかくて(お笑い芸人バービーに似ている)、

ふみ子と一緒に写ると自分ボリュームが強調されてしまうから少し下がって写りたい!と訴え出たそうだ。

今に残る写真では、この女性とふみ子の顔の大きさは同じくらいで、

実際に女性は何歩か下がって写真に写ったようだ。

病に侵され余命いくばくもないふみ子も、

この写真を取る際のやりとりには僅かにだが笑顔を見せたという。


不謹慎承知だが、私はこの写真が一番好きだ。

この、弱ってボロボロになってたたずんでいるふみ子が一番好きだ。

彼女可憐学生時代も性の奔放さも、実は「プチブル」に担保された性質のように思う。

病は「プチブル」的なものをごっそりそぎ落とし、何かが残り写真に写っている。

そもそも文学をやること自体が「プチブル」的だったのだが、

歌人としての才はギリギリそぎ落とされずふみ子の手元に残った。

ブルジョアジーというものを、革命でも何でもなく、がんというこの時代の不治の病が打破したのだ、と私は思う。

つの身体においての事例だが、近代の克服を自分の身体を削ることで成し遂げたのだ、と本当に勝手だけど思う。


冬の皺(しわ) 寄せゐる海よ 今少し 生きて己の 無残を見むか

2014-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20140805235206

女性があんまり同時進行で複数を好きになることは少ないらしいね男性複数同時もよくあると言うよね。

ただこれも、女性が選ぶ側であることに拍車をかけているだけで、選ぶ側じゃない、って話にはならないかな。

一人の上位な男性けが他の男性差し置いて、複数女性に選ばれてる、って構図だし。

(極端に男性の数が少ない社会なら別だけど)

あと、女性は同時進行は少ないけど、途中変更はよくあるみたいだね。

もちろん選ぶ側選ばれる側、どっちが有利・偉いって話でもないね

それぞれの戦略ってことらしい。まぁ必ずしもこれに従う必要もないと思うけど。

2014-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20140718021723

おれは、大人数兄弟長男

この主と全く一緒だったけど、なんとか乗り越えた。

思春期にまともに反抗期経験できず、自我の形成、精神的自立ができない状態で、体格だけ大人になりました。

大学に入ったら好きな勉強をやると意気込んでいたら、一つの挫折からできなくなり、心が折れ、鬱になりと散々だった。

ただ、親が原因だったとはその時は思わなかった。

30歳になり、カウンセラーと話ているうちに、親から呪縛が解け、親を客観的みて批判できるようになり、ようやく反抗期を迎えられた。

>家庭にも社会にも私を私として受け入れてくれる人はどこにもいません。

それもそのはず、なぜならあなたの中に「私」という存在はまだいないから本来なら思春期に済ませておく自我の形成が終わってないから

主は、妹と自分比較して羨ましがるのではなく、心のなかで(声に出してもいいけど)徹底的に親を批判し、あんな親、大人には絶対にならない、自分ならこうする、どんな大人になるかという自分像を作るといい。

あんな親のようにはならないという反抗期があることによって、じゃあ自分はどんな大人になるのかという自我の形成が完了する。

発達心理学的には当たり前だが、長男長女はそれを経験せずに大人になることが多んじゃないかな。俺の場合兄弟の多さも拍車をかけた。

主は、もう大人です。何も我慢なんてする必要ないんだよ。親は親、自分自分。親が人間として間違っているなら、人として真正から批判してもいい。

親の言うことなんて聞かなくていいし、親に嫌われたっていい。生活を親に依存しているっていうレベルなら、なんとか経済的に自立すればいい。そしたら批判し放題だ。

主は我慢していると言っているが、我慢しないで反抗しろ。遅れてきた反抗期を迎えるんだ。

そもそも親になんか認められなくてもいい。そんなひどい親なんだろ?そんな人に認められたいか?

すると、あんな親のことなんて、どうでも良くなる。考えるだけ人生邪魔。そうやっていい感じの距離感に落ち着くでしょう。

今の俺は親と同居してますが、心は超自由です。

2014-06-17

元気のバロメーター

今まで自分ものすごい変態、性欲魔人だと思ってた。思春期をとっくに過ぎても、頭の中は恥ずかしいくらいにスケベなことでいっぱいで、自分をしっかり持ってないと狂ってしまうのじゃないかと心配するほどだった。ブサメンだったので童貞喪失が遅く、こじらせに拍車をかけた。暇さえあれば快感を求め一日中工夫を凝らした自慰をし、彼女ができようものなら、女の子疲弊させきるほどやりまくった。本当にごめんなさい、猿かよ、と自分でも思う。

そんな僕だが、仕事中間管理職のようなポジションに昇格し、鬼のように忙しくなった。給料ドン!と上がったが、自分ミスじゃないことで上司には常に怒られ、かばってるはずの部下には舐められる。残業時間も3ケタに膨れ上がり、家に帰れば体がスライムのようになってしまい、泥のように寝るしかできなかった。

オナ禁なんて昔は考えられなかったが、気が付いたら、あ、何日も抜いてないな…ということが頻繁に。一度だけ奇跡奇跡が重なり女の子と寝る機会があったのだけれど、疲労がすごすぎて気持ちは興奮しているのに全然体がおっつかず、終始ダルダルな動きになってしまうわ、息子は元気なくなるわで、なんだかホント申し訳ないけど面倒くさいな…とすらと思ってしまった。童貞のころの僕が見たらぶっ殺されるようなセックスをしてしまい、相手の人にも悪かった。しかし、あんなにすごかった性への情熱が、今は干からびてしまったように感じてさびしくなった。あの腹の底からうずくような性欲は、いのちの根源のようにも感じられた。

そんな暮らし一年ぐらい続けていたら、先日ストレスがたまり血糖値がとんでもないことになりぶっ倒れ、二週間入院栄養指導を受けた。朝6時には起こされ、9時には消灯。規則正しくご飯を食べ、昼間はかわいい看護婦さんとマンツーマン栄養指導。ノンストレス暮らしていたらみるみる元気になった。すると、あんなに干からびていた僕の性欲も水を得た魚のようにむくむく湧き上がってきた。本っ当にバカみたいなことだけど、なんだか涙が出るほどほっとした。アア、いつもの僕に戻ったと。

会社には僕がぶっ倒れたのがおおごとのようになっていて、違う課に異動になった。新しいことを覚えなきゃいけないので苦痛だが、定時で帰れるし、そこそこやりがいもある。危惧していたほど給料は下がらなかった。人に自慢できる肩書はなくなったが、あの生命がやせ細っていく感覚はもう味わいたくない。あんな猿みたいな僕でも、ハードワークからの性欲減退って本当にあるんだなと思った。

はてな村にはハードワーカーが多そうだから、みんな気を付けてね。僕は朝一粒の薬だけでよくなったよ。ヨカッタ。

BLOGOS-ポップソングが「閉塞感」ではなく「楽しさ」を共有する時代へ(柴那典) は間違っている 〜アベノミクス時代音楽、そしてミスチルのこと〜

http://blogos.com/article/88464/
「ポップソングが「閉塞感」ではなく「楽しさ」を共有する時代へ」という文章を読みました。
強い違和感を覚えたので備忘録代わりに書き残しておきたいと思いますBLOGOSコメント欄だと字数が足りないので。

 

柴那典氏(@shiba710)の文章は間違っていると思います
理由は以下の三点になります

 

まず第一にアベノミクスが将来への希望を本当にもたらしているのかという疑問があります
消費税増税過去の景気状況から国民が景気に対し、継続した右肩上がり希望的観測を持てるとは思わないからです。
加えて失業高齢化原発等、解決しない社会問題も山積する上、庶民不安はむしろ拍車がかかるのではないかと思います
まり人々は楽しさや楽観という価値観のもとに生きていないのではないでしょうか。

 

第二に日本ミュージシャン特にメインストリーム)は"カナリア"のような存在ではないということです。
これは楽曲への批判ではありませんが、翼を広げ瞳を閉じ桜舞い散る季節の中で君に出会えたキセキを歌うJ-POPには時代が反映されることはなく、それを許されてもいません。
時代を反映する曲を歌うということはつまり楽曲がある種の政治的側面を帯びるということです。
現代日本人にとって音楽政治性とは最も嫌うものです。よって必然的時代性(政治性)は排除され、似たような要素を持つ楽曲が量産されることになります
日本ではSex Pistolsの「Anarchy in the U.K.」もGrandmaster Flash and The Furious Fiveの「The Message」のような楽曲は生まれないでしょうし、また生まれてもチャートの上位に入ることはないでしょう。

そこから導ける結論としては、J-POP日本音楽の特徴はむしろ時代を反映しない」ことにあるのではないでしょうか。
現在楽曲10年前、20年前とを比較してそこに主題テーマ)の大きな変化はあるでしょうか。
せいぜい電話ポケベルLINEメールに変わったくらいで、その根本は大した変化はないというのが実情ではないでしょうか。

「いいくらし」「ええじゃないか」等、氏の挙げる楽曲はどれもJ-POPスタンダード、「励まし系」の枠を超えるものでもないと思います
これらの楽曲時代必然性を見い出すことははっきり言ってできません。
当然それが悪い訳ではありません。繰り返しますが楽曲の善し悪しとはまったく別の話です。
日本のポップミュージックの作り手は、時代の空気を先端で感じている“カナリア”のような存在ではないのです。

 

第三に「ミスターチルドレンがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」という考察が完全に間違っています
氏はその代表例として「マシンガンをぶっ放せ」を挙げています
本当に「ミスチルがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その「マシンガンをぶっ放せ」は彼らの代表曲であるべきです。
しかし、一般人ミスチル代表曲を挙げてみて欲しいと質問しても「マシンガンをぶっ放せ」と答える人が果たして何人いるでしょうか。
せいぜい「イノセントワールド」か「Tomorrow never knows」か「シーソーゲーム」くらいでしょう(最近なら「しるし」や「HANABI」かもしれません)。

マシンガンをぶっ放せ」は、出せばミリオンを達成できた時代に唯一100万枚を割ったシングルです。
加えてその曲が収録されたアルバム深海』は前作『Atomic Heartから100万枚もセールスを落としています

私はそもそもミスチル現代社会の閉塞感を曲として昇華し、それを「売り」にするバンドだとは全く思っていません。

仮に100歩譲ってそのようなバンドだったとしても、本当にその「閉塞感」とやらって「共有」されていましたか

ちなみに氏の言う「時代の閉塞感を内面化させていたミスチル」のセールスは、CDバブルに沸く世間とは対照的に見事なまでに右肩下がりでした。
アルバム『Q』は遂にミリオンを割ります

 

しかし、仕切り直し的な意味を持つベスト盤とそのツアーを挟んでの次作、『IT'S A WONDERFUL WORLD』で彼らは文字通り“蘇生します。
世の中のCDセールス頭打ちになる中、セールスは前作から50万枚も回復するのです。
このアルバムからミスチルメロディーは「ポップで王道的に」、歌詞は「前向きな内容」になり、彼らの得意分野であった「ラブソング」が完全に復活します。
ものすごく簡単に言ってしまえば「ハッピー」な作品になります

以後、今日までの彼らの方向性はこの延長線上にあります
嘘だと思ったらアルバムクレジット欄を片っ端から調べてみて下さい。前作『Q』まで二転三転してきた制作環境スタッフが、このアルバム以降基本的に統一されます
この事実意味するものは、この『IT'S A WONDERFUL WORLD』からバンドが目指す方向性が「確立」されたということです。
しかも氏の言う「時代の閉塞感を共有する」とは真逆の方向で。
その後の活躍は説明するまでもないでしょう。氏の方がご存知ではないでしょうか。
さて、本当に「ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のでしょうか?

 

改めて見てみましょう。
00年代に売れたシングルは上から順に「四次元」「Sign」「youthful days」「しるし」です。
ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その楽曲社会批判的な世を憂う内容のはずです。

自分を信じたならほら未来が動き出す/ヒッチハイクをしてる僕を迎えに行こう」(「未来」)

「傷つけ合う為じゃなく/僕らは出会ったって言い切れるかなぁ? /今 分かる答えはひとつ/ただひとつ/I love you/and I love you/and I love you」(「and I love you」)

「繋いだ手を離さないでよ/腐敗のムードをかわして明日を奪うんだ」(「youthful days」)

ダーリンダーリン/いろんな角度から君を見てきた/共に生きれない日が来たって/どうせ愛してしまうと思うんだ」(「しるし」)

一体このどこを聴いたら「時代の閉塞感を共有している」などという言葉が出てくるのでしょうか。
楽曲の内容は至って前向きなものか、もしくはラブソングの括りに入るものかと思います

 

本文の「終末のコンフィデンスソング」に関するミスリードも目を覆いたくなるような酷さです。
本文では「たまに不吉な夢見るんだよ/走っているのに進まない/ひょっとしたら実際に起きてることを夢の中で知らせるメタファーかも」という歌詞のみ引用されていますが、この曲の結末部分はこうです。

「今僕らの目の前で起こってること/楽観も悲観もなく/ちゃんと捕まえたら/足元に落とした視線を/上にあげ/胸を張れ!」

なんと前向きで力強い、ハッピーエンドな曲なのでしょう!
しかもこの曲が収録された『SUPERMARKET FANTASY』というアルバムリード曲「エソラ」に象徴されるような、とても「カラフル」で「楽しさ」を前面に打ち出したアルバムなのです。

 

今まで挙げた事例を見て頂ければ分かる通り、残念ながらミスターチルドレンは氏の望むような「ポップソングを通じて閉塞感を共有する」音楽活動は行っていないようです。
仮にそうであったとしても「ポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」ことは一度もないのは明らかです。

 

このような基本的事実を踏まえずして「アベノミクスで失われた20年は終わった!これからは楽しさを共有する時代だ!ミスチルという閉塞感を共有する時代の一つの終わりだ!」とか炎上目的ゴシップ誌の見出しのようなことを得意げに抜かすのが、私が日頃愛読している「musica」という音楽雑誌関係の深いのライターの方なのです。
私は情けなくて仕方ありません。これが「プロ」の書く文章なのでしょうか。
ちなみに同じ筆者が書いた「なぜBUMPは「国民バンド」になれないのか」という記事も酷いものでした。
願わくばこのような暴論を振り回す音楽ライターが、私の敬愛するミュージシャン音楽に関わらないでくれと祈るばかりです。

2014-06-16

増田家の借金事情

麻生太郎氏による「日本借金」の解説が超わかりやすい! 「経済をわかってない奴が煽っているだけ」 | ログミー[o_O]」

http://logmi.jp/14626

この記事のブコメが惨憺たる有様だった。

家族借金から踏み倒すつもりかとか、金刷ったらハイパーインフレだとか、国債無限に発行して無税国家にしてみろとか。

素朴()な経済観の人多いですね。

まあでも、これは元記事の「家族間の借金」の例えが悪いとも言える。

この酷い例えを、一部の自称経済通は何故かわかり易いと勘違いしてよく引き合いに出すので、誤解が拡大し議論の混乱に拍車がかかるという悪循環が延々続いている。


そこでこの例えを、実態に沿うように拡張してみようと思いました。

その目的は正確な理解を促すことではなく、

話を破綻させないための設定の無理矢理さを見て、いかに筋の悪い例えかを実感してもらう

こと。

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増田父ちゃんは母ちゃんに継続的に金を借りている。

さて、父ちゃんはその借りた金を何に使ってるのか。パチンコか酒か?

実は、増田家の増改築や補修をしたり、熱元機や家族共用車を買ったり、同居のじーさんばーさんに小遣いやったり、家族医療費払ったりしてる。

そうやって建てたり買ったりしたもの父ちゃん名義になるので、資産という意味では超持ってる。ぶっちぎりで町内一の資産家。

ところで、父ちゃんは町のどこの店に頼んで増改築したり車買ったりしてるのか。

実は、長男大工、次男が自動車工で、よそにお願いする必要がない。

さらに、増田家は子供が異常に多く、しかも全員がなにかしら手に職を持っている。

三男は農業ができ、四男は医療の心得があり、五男は(以下略

そのため、たいていのことはよそにお願いする必要はない。

また、子供たちの間でもお互いに仕事をしては代金を払っており、よそにお願いする必要は少ない。

で、子供たちは、そうやって得た金をどこに預けるのか?町の銀行

実は、母ちゃんに利子付で預けている。

で、母ちゃんは子供たちから集めた金を、仕事で何かと用入りな子供に貸したり、父ちゃんに貸したりしている。

そもそもの話だが、実はここでいう金は日本円じゃないくて、増田お手伝い券だ。

このお手伝い券は、父ちゃんに頭が上がらないおじさん(父ちゃんの弟)が作って母ちゃんに流している。

お手伝い券は、その気になれば父ちゃんも作っていいことになっている。

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疲れてきたのでとりあえずこんなもんで。カネは基本循環してるけど、経済環境によっては信用を担保に滞留してしまい、そこの額が膨らんで見えるというだけの話なんだよね。

あと、大事なのは「たいていのことはよそにお願いする必要はない」ってところ。

仮におじさんがトチ狂って何京枚も券を発行したり、増田家全員が催眠術にかけられたりして、お手伝い券の信用が毀損したとする。

もちろん短期的には、増田家内は混乱し、酷い損をする奴とか得をする奴が出るだろう。

でも、人材に由来する増田自体生産力が毀損されるてるわけではない。モノやサービスを生み出す能力はあるが、その分配ルール一時的麻痺するだけだ。

絶対量の少ないモノを争奪するモヒカンどもが跋扈する世紀末にはなりようがない。

局長い目で見れば、また新たなお手伝い券が作られるし、その価値増田家全体の供給力に見合った価値水準に落ち着く。

からハイパーインフレ(ここではすごいインフレ程度の意)なんてのは、デフレ…つまり供給力の余りまくってることの方が深刻な今の日本じゃ、起こすことの方が難しいという話です。

2014-06-12

もう頑張れない自分がいる

ささいなミスをして注意をされた。それだけのことだったのに、声が震えて喉がひっくり返ったような感覚と目頭が熱くなって出た言葉が「あ」だけだった。やり過ごしてトイレに駆け込んだ。


泣きそうだとわかった。社会人のくせに泣くんじゃない、と泣きそうになる衝動を押し殺した。とても苦しかった。こんなことを何度も繰り返すときっとどこかおかしくなると思った。

トイレから出て仕事に戻った。

月の残業は30を超えないのに弱音を吐く自分はどうかしているのかもしれない。



会社休みたい、辞めたい。

私はもとからミスの多い社員だったが、この頃は萎縮しきってしまってまともに質問もできなくなってミスの多さに拍車がかかっている。

上司には半分くらい見放されていると思う。何を聞いても端的な答えしか貰えず、意味がわからないので更に聞くと呆れたように私を見つめる。

無視されることが多くなった。他の社員には朗らかなのに私にはつっけんどんである。私が使えない社員からだ。




萎縮する。気持ちが閉塞する。

頑張ろうと思っていたのが思えなくなった。何もかもじっと耐えて過ぎ去るのを待つような気持ちで終業時間を待つようになった。



もう頑張れない自分がいる。

2014-05-29

親に孫孫攻撃されまくったので追い返したらブチ切れててワロタ

夫婦相談して作らないと決めたんだからほっといてくれと言ったんだが、全然いうこと聞かない

お互い一人っ子というのも拍車をかけてるんだろう。

あんまりうるさいから

「孫孫うるさいな、じゃあ私が孫産んでそのこを虐待死させればいいの?孫を見せるのが親孝行とか言うけど

そもそも親孝行は親に言われてするものじゃないし、

それなりに大学出て社会人として独立して生活してる段階で、ニートフリーターの親戚よりよっぽど親孝行な娘だと思うけど?

それ以前にあんたらの子育ては子供がほしいと思えるように育てたと思ってる?

孫を見せて娘が虐待して犯罪者になる方がよっぽど親不孝だと思うけど、そんなに娘を殺人者にしたいの?私殺すよ?子供なんて。」

とブチ切れたら実家出禁にされれたわ。

要求しまくって実の娘と縁切るとかほんとこの人たち馬鹿だなぁ。

私に子供産まないと孤独死するよとか言ってたくせにあんたらも実の娘に面倒なんて見てもらえないから、残念だね!孤独死だよ!

2014-05-13

メカクシティーアクターズ面白くない理由

誤解が無いように言い直しておくと、

現在放送しているメカクシティーアクターズアニメ作品単体で見た時に今のままでは面白く無い理由は何なのか?である

メカクシティーアクターズは不親切である


ただこの一言に尽きると思う。結局、この作品は、作品内で完結できていないのだろう。

ニコニコ動画動画小説など他の媒体情報を予め知っていないといけないのだ。

でも、アニメから入る人たちは、そんなことをしない。だからこそ、訳がわからないと言われる。

そこが不親切なのだ面白くないと思われる理由なのだ

訳がわからないのは、何故なのか?

5話も放送してなんで今さら訳がわからないとか言うんだコイツと思う方もいるだろう。

しかし、アニメから入った僕にとってはやっぱりこのアニメは訳がわからない。

誰が味方で誰が敵で、このアニメは何をできればゴールなのかが全く分からない。

しかも、このアニメ群像劇の形式をとっており、主人公が複数いる。

これも上の”誰が味方で何がゴールなのか”が分からないことに拍車をかけている。

どうすれば訳が分かるのか?

群像劇アニメといえば「バッカーノ」を見たことがある。

アレの場合養命酒の入ったボトル絶対的目標としてストーリーが展開している。

したがって、このアニメにもバッカーノのような何か目的目標がハッキリとすればいいのだと思う。

よって、できるだけ早めに(恐らく尺的に半分である6話くらいで)ゴールがハッキリすることを祈る。

2014-04-04

ビッグブラザー亡き後の世界

宇野常寛『リトル・ピープルの時代幻冬舎2011の続きを野木の行き帰りに読み続ける。「リトル・ピープル」とは「ビッグブラザー」と対で使われ、その意味大きな物語に対する小さな物語とかなり近い。その意味ではビッグブラザーモダニズムの真理を体現し、リトル・ピープルはモダニズム解体後の小さな物語を紡ぐ個々人ということになる。

と聞けばお決まりポストモダニズム論かと思うがそうではない。著者は村上春樹を80%称賛しながら、この対概念村上の中でどのように扱われているか分析する。それによれば、村上はお決まりポストモダニズム論に読者を引きずり込むのではなく、ビッグブラザーが壊死した後にリトル・ピープルの紡ぐ小さな神話に引き込まれることこそが最も危険なことである警鐘を鳴らしていると解説する。

そしてその小さな神話の実例としてあがるのがオオムなのである。そして大きな物語から安易デタッチメントではなくコミットメントというメッセージを発するのだが、ではそのコミットメントとは何か?

これが最も難しい。小さな神話が厭世的なカルト物語であるのならコミットメントとは社会的公共的な何かへの取り組みということになるのかもしれない。そして恐らく現代はそう言う方向へ流れている。3.11はそれに拍車をかけていると言えるだろう。しかし、ここで、はたとショックドクトリンの議論を思い出す。社会的コミットメントであればそれは全てが正しいことなのかと言えばそれはそう簡単に肯定できることでもない。ここにも様々なリトル・ピープルが潜在し目に見えない邪悪ものが潜んでいると僕には思えるのである。リトル・ピープルの時代とはそうした小さな邪悪との闘いの社会であり、それ故にビッグブラザー時代よりはるかリテラシーが求められるのだと思う。

2014-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20140331224500

ここに書いて周知してくれるのは嬉しいけど、まずニコニコに言えよ

今まで課金した分を返してもらえ

拒否されたらメールの返信でも電話の録音でもいいからニコニコにアップしてしま

Twitterブログに書いて拡散してもいい




ウェブサービス課金や登録を解除しづらい理由、というか相対的に、

その他のサービスが解除しやすい理由は「法律で定められている」から

クーリングオフ含め、いろんな仕組みで消費者を守っているし、

相談機関がその手のノウハウを十分に蓄えてるから、もはや悪いやり方は通用しない

当然ウェブサービスにもその手の法律がある

最近出来た法律ばかりだから知ってる人間は少ないし

規約」とかいう猪口才な手を使ってくるから強く出れない消費者ばかり

少額だから別にいいと思う人間も多いだろう

そういう状況が「解除しづらくする」というやり方に拍車をかけている

でも「グレーゾーンで商売するのが当たり前」なんて状況、あと数年も保たないよ

あい企業消費者がきつく当たれば折れる

そもそもニコニコって散々グレーゾーンで稼いでたが、

規模がでかくなり世間の目が厳しくなった途端に方針転換したからな

今は相当折れやす企業だよ

2014-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20140331101034

この増田がヤバさに拍車をかけてヤバい感じする。

そして魚拓でもとっとくかと思ったら既にとられてて笑ったw

2014-02-28

おれの半生と未来

※追記あり

少し長くなるが、良かったら読んで欲しい。

おれは地方の中堅都市で生まれた。父、母、俺の3人家族だ。

家族には恵まれた。こればかりは自慢だ。

目一杯愛情を受けて育った。幼稚園までは本当に楽しかった。たくさん友人もいた。自分を素直に出せた。だれをおれの存在を否定しなかった。おれは受け入れられていた。

小学校に入る。

ここからおれの人生は歪む。

おれは極度の人見知りだった。 幼稚園の頃は人に配慮することをまで気が回らず素の自分を出せていた。もしかすると友達作りに苦労したが忘れてしまっただけなのかもしれない。

交遊関係ほとんど広がらない、というか広げようともしなかった。さっさと学校から一人で帰っていた。自分でもそれでいいと思っている節があった。一人でいるのは嫌いではなかった。その傾向は3年生くらいから強くなった。幸い、おれは勉強ができた。小さい頃から親が本を買い与えてくれ、もともとも好奇心の強さとあいまって勉強が楽しかった。でもこれがいじめの引き金になった。よく考えてくれ。たいして喋らない陰気なやつが、テスト高得点をだしまくってる。むかつくだろ。おれもそう思う。おれがあいつらの立場なら恐らくいじめていただろう。

友人は離れていった。辛うじて残った友人もいたが、今は連絡をとってない。

一番残念だったのが、俺自身はそれをいじめと思わなかったことだ。視野が狭すぎた。自分人格が否定されているなんて考えに至らなかった。それに学校で辛くとも、家に帰ればおれを全肯定してくれる家族がいた。

そのまま中学に入る。いじめは続いた。この頃に入りやっと自分いじめられていることに気づいた。常にビクビクしながら生きていた。休憩時間は机に突っ伏して時間を潰した。学校で話した記憶はない。もはや友人の作り方がわからなかった。辛かったのだろうが、ほとんど記憶に残っていない。現実から目を背け続けていたからだろう。

この頃になっておれの勉強好きに拍車がかかった。というか勉強しかおれには無かった。現実をひと時でも忘れようと机に向き合った。

県で一番の進学校に入った。変わりたい。この頃はそう思うようになっていた。運動部所属した。初めて自宅以外に居場所ができた。親友と呼べる友人もでき、ただただ楽しかった。残念ながらクラスではなかなか打ち解けられなかったが、学校で話す友人がいること自体がは非常に大きな成長だった。初めて彼女もできた。ルックスは悪くなかったので、クールな爽やか系男子にに見えたらしい。無論、中身はスカスカなのですぐ別れることになった。中学の三年間ほとんど家族しか話しておらず、精神的に2、3歳ほど幼い状態だった。

引退後、失恋をバネに3年から受験勉強に全力を注いだ。頭は決して言い訳ではなかったが、要領が良かったようだ。現役で国立大文系学部に進学した。

高校大学受験をそれなりにうまく乗り切ったおれは浮かれていた。自分があたかも生まれ変わったかのように感じていた。ここで挫折経験する。サークルに馴染むことができない。高校部活では運動がメインだったので、喋りが下手でもなんとかなった。しかし、おれは自分を見誤って少しチャラいサークルに入ってしまったのだ。次第に浮いて孤立し二年に入る頃には行かなくなった。

学部の友人も数える程で、学校バイト先と家を往復する生活を過ごした。なにも楽しくなかった。夢のキャンパスライフなんて幻想はとうの昔に崩れ落ちていた。3年になる。

そんな時ふとしたことから海外に短期留学に行くことにした。卒業後は公務員になるつもりでいたので、学生の内に1度くらい海外に行っておこうという安易な気持ちだった。

しかし、これが一つ人生の転機になる。コペルニクス的転回とはこのことかと思った。今まで生きてきた世界どれほど小さかったのか、自分世界を限定してしまっていたのだ、と気づいた。

長期留学しよう。公務員になり国内まったり生きようという人生設計が狂った。その後一年留学する。しかし、ここでもコミュニケーションに苦労する。英語力は問題じゃなかった。いくら英語勉強しても、発想や語彙力、コミュニケーション能力母国語以上なることは決してない

ますますおれは絶望した。

自分コミュニケーション力の無さに。人間力の無さに。中身の無いペラペラ人間だった。

就活が始まった。おれは迷った末、公務員になるのをやめ、民間就職決断した。海外で働きたいという思いがあったのと、公務員になったら自分を変える機会は二度とこないと感じたからだ。

BtoBメーカーの営業職になった。この4月から働くことになる。コミュニケーションが苦手と言っても、雑談が苦手ななだけで、あらかじめ話す内容が予測できる就職面接はそれほど苦労しなかった。というか学歴英語力もあったので、思ったより良いところに滑り込めた。

ある程度したら経理などのバックオフィスに異動を願い出るつもりだ。

それほど派手な業界ではないため、打ち解けるとまではいかないが少なくとも浮いてはいない。

ここまでがおれの半生だ。

人生を進んでいく気力が湧かない。ある程度の企業就職できた。金も信頼もそこそこ手に入るだろう。安定してるし、年功序列的に役職にもつける。希望していた海外にも行ける。

もう将来が見えた。

おれの力じゃこの会社でレールにのりながら人生を進めて行くのがもっと現実的で最善の選択だろう。

なんだろう。このもやもやは。

もうこのまま一生独り身でささやかに生きて行くのだろう。大きな波もなく、平穏平穏に。

今は社会人デビューにワクワクしてる部分があり、人生に楽しみを残していると言える。

じゃあ五年後は?十年後は?

おそらく無理だ。途中で一人で生きていくのは辛くなるだろう。

自分のためだけに生きる人生なんて虚しいだけだ。

家族ができれば子供の成長を見ながら働くことにも精が出るだろう。おれにはそれも期待できそうにない。おれが女なら絶対にこんなやつと結婚しようと思わない。

見た目と肩書きという上辺だけのクズから

人生23年を生きてきて友人5人しか作れないようなクズが、人並みの生き方を望めるのか?

日陰でゆっくりと一人で生きるのが関の山だろう。

もう生きるのもそろそろいいかなと思い始めた。

生きる意味なんて持たなくても、飯食って寝たら次の朝が来てる。惰性だ。

これでいいのか?何度も何度も自分に問うてる。

こんな人生をあと60年も過ごすのか?と。

人生は案外楽しい。それはわかってる。少ないながら大事な友人も、尊敬する先輩もいる。飯を食えば笑顔になる、スポーツするのも大好きだ。ネットを見ればいくらでも楽しんで時間を潰せる。人と価値観をぶつけ合うのがこんなに楽しいなんて最近まで知らなかった。

それでも、子供の頃に欲張って多めの水で希釈したカルピスみたいな薄い人生をこのまま進んでいく気力が起きない。

いっそのこと、この人生は早めにリタイアして、次の人生に賭けたほうがいいんじゃないかと思う。

結局おれは弱いんだ。自殺できる人間は凄いと思う。おれはそこまでするほど本気で絶望してないってのもあるが、考え込み、悩むほど自分人生真剣に向き合えていない。

なんといえばいいのか。

ゆっくりと首を締められてる感じだ。今すぐ死ぬわけじゃないが、人生を謳歌できてもいない。

他人と体や記憶スイッチできるなら、まだまだ生きようと思えるかもしれない。

でも、そんなこと無理だ。今の自分を背負って生きるのに疲れた

人と打ち解けられない。また中学の時みたいに、自分人格が否定されるんじゃないか、陰で否定されているんじゃないかと考えてしまう。

あれは良くも悪くもおれの人格を形作った。

人格を否定される辛さを知ってるから冗談でも命令形を使うことは絶対にしないし、人の意見にはどんな小さいものでも耳を傾けるようになった。

人は変わるのもわかってる。現におれは中学の頃と比べれば遥かに明るくなった。でも変わるのもも簡単なことじゃない。時間と気力が途方もなく要る。

そんなことを考えながら目を閉じる。

目覚めれば明日だ。また始まる。何度も何度も。薄っぺらで、楽しくて、クソみたいな日常が。

一つだけみなさんに聞きたい。

みなさんはどうして、何を思いながら生きてますか?

追記

「半生」は「今まで生きてきた人生」という意味があります

煽る気は全くありませんが一応。

皆さんかなり食いついてますが、彼女はいもの童貞なので安心してください。

自分で言ってて寒くなりますが、見た目はそこそこいいです。両親には感謝しています。ただ、中身の無さとのギャップ女性露骨に離れていくとかなり傷つきます

営業職は採用数が多いのでとりあえずそれを選びました。すぐに他部署に異動できる企業なので特に問題ありません。

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