はてなキーワード: 号泣とは
2015年の「週刊プレイボーイ」(集英社)インタビューで、吉岡里帆は「グラビアの話を最初にもらった時は抵抗があったのでは?」と質問されて「実は…泣いちゃいました。あははは」と答えている。
そして2017年もまた、同誌のインタビューで「吉岡さんは最初、水着グラビアをやりたくなかったんですよね」と聞かれ、「はい。撮影のお話をいただいたとき、『絶対私にはできない」って、マネジャーさんとの電話で号泣しちゃいました(笑)」「週刊誌に水着姿で出るということがまるで想像つかなくて。自分とは最も遠い世界のような気がして、危険な一歩を踏み出すみたいな心持ちでいたんです」と、その覚悟を明かしている。
CINRAの運営するweb媒体「She is」での、友人でシンガーソングライターの吉澤嘉代子(27) との対談では、インタビュアーからグラビアで着用していた水着の「紐の細さがすばらしい」という話を振られ、次のように語っている。
だって私は水着姿なんて絶対出したくなかったし、両親からも、『本当に結婚するような人にしか見せちゃだめ』という教育を受けてきたから。
それを、全国区の、ワンコインで買える週刊誌で披露して、1週間後には廃棄処分されて。
こんなに脱いでも、翌週には別の女の子のことを見るんだろうなと思うと、自分のその『旬すぎる時間』みたいなものがすごく辛かったです」
私は常々『腐女子は受けキャラを優先する』論に否定的で見かけるたびに歯痒い思いをしてきた
当方CP雑食で、推しのことなら攻めCPも受けCPも好きだからだ。決めつけられてムッとなることが多かった
今回やっぱりそんなことはないと思える出来事があったので書く
(なお今回例に挙げる推しキャラはどちらかというと攻め解釈の方が若干好き派)
原作はそろそろクライマックス、推し(以下A)のおそらく最後で最大の見せ場回が来た
ここのところAを中心としたエピソードが続いていて、今回はサブタイトルもAについての集大成だとはっきり示すもの
個人的な感想は推しの魅力が凝縮されてて最高の回。10回は読み返したし、号泣しすぎて頭が痛くなるほど感動した。推し一生しゅき…
結果それぞれのCP者の反応
・A×B界隈:大盛り上がりで長文感想ツイートが大量に流れ、解釈ツイートのRTがどんどん回ってくる。
・A×C界隈:ちらほら本誌読んだ報告、感動した等サラッと言って終わる人がほとんど。
むしろ本誌内容と関係ない自カプシチュ語りや同人告知を流し始め感想自体があまりにも少ない
・C×A界隈:ここも大盛り上がり、こちらはAの行動自体は大絶賛されつつ、
このセリフはこう言ってほしかったな、などの解釈違い評価も有でABとはまた質の違った雰囲気
それぞれ描き手を50↑人ずつ程フォローしてるので(なんならAC者が最もフォローしている数が多い)
※ちなみにA×D、D×A界隈も盛り上がっていた。
※いわゆる"ジャンルの最大カプ"は推し関連のカプではない。挙げた3つのCPはおそらく同じくらいの規模
(ただ当方推し以外の総受けが地雷なためBとC総受け界隈のことはよく知らない)
これを受けて
CP者議論において"攻めの扱いが軽んじられている"法則はデマ、しかし特定CPにはそういう傾向があることはある
が私の中での結論となった
そしてちょっとというかかなりAC者には萎えてしまったので心境は複雑です…元々あんまり原作の話しない人多いなと思ってたけどさあ…
みたいな弱音が、一日平均10回以上出てくる。
見るたびにうんざりする。
付き合っていた頃は、ここまでネガティブな人だと思ってなかった。
育休復帰から2度職場を変えたが、酷い頃は毎晩のように過呼吸になり、死にたい、消えたいなどと訴えた。
うつ病だと思った。そこまでして仕事をしなくてもよい、と説得しても、
働き始めたばかりだから、とか職場の上司や同僚に気後れして退職を言い出せない。
結局2回とも、俺が職場の上司と話して退職させてもらった。俺もしんどかった。
それでも納期に追われて週に数度は不安定になっているが、仕事をしないでいるのもそれはそれで不安になるというので、もう好きにさせている。
3桁はくだらないだろう。
本当に病気じゃなくて性格なら、俺はそろそろ限界かもしれない。
どうしようもなくなって突き放すような言い方をすると、子供のように号泣する。
私が邪魔なんでしょ、もう面倒くさいんでしょ。いなくなればいいんでしょ、と。
もし別れたらこの人は自殺するんじゃないか。そう思うと見放すこともできなかった。
そんな状態で騙し騙し数年暮らして、子供も言葉が分かるくらいになってきた。
しかし精神が不安定な妻は、私だけでなく子供にも依存しているような言動が目立つ。
子育てしていると絶対にあるであろう、「お父さんがいい!」とかの他意のない一言に対して、受け流せずにガチで落ち込んだり、泣いたりしてしまうのだ。
そんな母親との距離感を計りかねているのか、子供は徐々に妻よりも俺に懐くようになってきた。
「頭痛い」「気持ち悪い」「疲れた」みたいなLINEを仕事中にも送ってくるのは、結局不安が大きいのだろう。
寂しくて、かまってほしいともよく言われる。
「薬飲んで寝てな」とかそういう具体的な言葉は求めてないらしい。
シンプルに「大丈夫?」は「大丈夫じゃない」と返ってきて泥沼。
今、かろうじて導き出して多用している解答は「泣き顔の顔文字単品」だ。
本心は「よっぽど体調悪いなら早退して看病するけど、そうでないなら仕事中にネガティブなメッセージを送ってこないでほしい」だ。
妻は妻で苦しんでいるのは分かるのだが、
病識がないんだから仕方ないのかもしれないが、病気だと思えばこそ俺も「病気の妻を支えるんだ」というメンタルでやってこられた。
典型的なデブスの非モテのままアラサーになってしまい、このままではいけないと婚活を始めた。
しかし今まで何人かの人と縁があったけどいずれも長続きせず短期間で終わってしまっている…
始めは経験が無いせいで慣れが足りてないのかも…と思っていたけど、実はそうでは無かった。
ちょっと会話のテンポが合わないとか、無言の時間が続いてたのは分かるけど、歩き方とか、話し方、
些細なポイントや、食事に入って私はちょっと高めのセットを頼んでいるのに相手は安いセットで済ませてしまうとか…
そういう、他人や友達からしたら「初対面ではありがちな事」「普通はあまり気にしないし、すぐ慣れる様な所」が気になって
相手の男に対してちょっと好きかも…とか、良い人かも…と思っていた気持ちが冷めてしまって、そうなるとすぐに「つまらない男」とか「キモイ」って思ってしまう。
元々のコミュ障とかビビリ癖もあって、相手にお断りして怒られるのが怖くて、ついブロックで逃げてしまう癖もあって本当に長続きしなかった…
最短はお付き合いして2時間とかだと思う。
告白されて承諾して帰ってる時のラインの返事がちょっと遅いとか、スタンプがデフォルトのヤツでうーん…ってなって
もしかしたらこの人は私にあまり興味が無いんじゃないか、付き合えそうなデブスだから告白したんじゃないかって思うとすっかり嫌になってしまった。
始めはマッチングアプリや婚活パーティーだったけど、親の勧めもありお金も出して貰って結婚相談所に入会した。
同い年ぐらいなのに年収が800万とか1000万あって、顔も悪くなくて長男だとか身長170cmギリな所が玉に瑕みたいな
私とはとても釣り合わない様な人達だったけど、そこでも似たような事をしてしまった…
担当の人にも変に断ると怒られるんじゃないか、って思うと怖くて、つい色々嘘をついていたんだけど
ある時連絡があって、相手の方からもお話を聞いた所、あなたの方から急に連絡をブロックされたと聞いた、特に失礼な事をした覚えも無く
私が言っていた様な事(セックスを誘ってきたとか)も一切無いと言っている、一度や二度では無いのであなたの方を疑わざるをえないって
説教というより「なんでこんな事したの?」という嘆きみたいな、すごくガッカリされた様な対応されて…
自分が悪いのに凄く傷ついてしまって、相談所も逃げる様に辞めた。
そこでカウンセリングなんかも言って、そこで始めて自分は人より感情が敏感で傷つきやすい、HSPだと言うことを知った……
親にも滅茶苦茶怒られてしばらく居心地悪かったんだけど、そうしている間にもどんどん適齢期が過ぎていくのは怖かった。
私は今でも一応正社員だけど全然大した年収じゃないし、友人と比べても明らかに低くて恥ずかしいぐらいしか貰えてない。
一人で生きていくのはとても厳しいし、親からの当たりも悪くなっていく一方でますます病みそうだったので
恥を忍んで友達に頼んで友達の会社の同僚や男友達を紹介して貰ったりした。
今度こそ、って思ったけど、やっぱり駄目で…
多分一般人からしたら気にならない様な所、それこそ待ち合わせで私は20分近く前について待機しているのに相手の男が時間ギリギリ3分前とかに来た
とかで「ああ、この人は本気じゃ無いんだろうな…」って一度思うと、どんどん気が重くなってしまい、傷つくのも怖くて逃げてしまう。
そんな事をしていたら、ある日紹介をしてくれていた友人の一人に呼び出された。
彼女(Hちゃん)によると、私がやっているのは物凄く失礼な事だと言う。
「私ちゃんの為を思って、ちゃんとした良い人を紹介したのに、デートの約束してたのにドタキャンしてブロックとか、連絡もしないでブロックとか、ありえない」
「社会人としてありえない」「私達との約束は特に破るとか無いのにどうして男相手だと平気で失礼な事をするの?」
「変な人を紹介したのなら仕方無いけどそんな事はしていない、私ちゃんがブロックした人の中には次に紹介した子とすぐに付き合って結婚した人もいる」
「お店も予約してたのに何の連絡も無くブロックされたと言っていた。表立っては怒ってないけど内心どう思われているか分かったもんじゃない
会社の同僚とか旦那の友人とかを紹介したのに、そんな人達に不義理をしてしまって私が凄く申し訳ない事をしてしまったと後悔した」
「旦那にはハッキリと文句を言われた。こっちだって良い奴だけど中々縁がないって友人を紹介したのに、凄い傷ついている。
君の大切な友人だからと信用したけど裏切られた気分だ、って言われて夫婦の仲もしばらくギクシャクしていた」
「何であんな事をしたの?気持ちが無いのは仕方無いけどせめてちゃんと断って」
と言われ、私はHSPである事をCOしつつ「気持ちが冷めてしまって…」という事を正直に打ち明けると
「だからそれは仕方ないけど何で逃げる様な事をするの?私やTの紹介って事分かってるよね?見ず知らずの相手じゃ無いんだよ?」と言われ
「けれど怖かった、断って逆ギレされるかもと思ったら逃げてしまった」と言うと
「そりゃあんな酷いフリ方したら怒られても仕方無いでしょ。もう良い歳なのにガキみたいな事しないで欲しいんだけど」と軽くキレられた。
私は涙目に……
Hちゃんは慰めてはくれたけど、「やっぱりもう紹介出来ない。正直私ちゃんでも良いって人は多くないと思う。
それでも学生の頃からの付き合いのよしみで頑張ってきたけど、こんな失礼する様ではもう無理。絶対に無理」
「正直友達付き合いも控えたいとすら思っている」って怒られて、ついに泣いてしまった。
その後、何度も謝って友達付き合いは一応止めない、って事にはなったけど、男の紹介は二度と出来無いって言われた。
Hちゃんが言っていたTちゃんや、別の友達(Mぴ)も滅茶苦茶怒ってて代表して言いに来た、って言われて、大切にしてきた友達の間ですら
私が問題児扱いされている事を知って、改めて愕然してしまった…
「私達とは普通なのに、どうして男性相手だとこうも失礼なのか意味が分からない」というラインも、Tちゃんから話を聞いたKちゃんからも来て
その日はさすがに泣いてしまった…
ちょっとした事ですぐに冷めてしまう。理不尽冷めとも言われている様だ。
そこに私の場合はHSPも余計に加わったんだろうなって変に納得…多分他の人も同じ様な理由なのかもしれない。
もうアラフォーに近いアラサーで、親にも友達にもそういう面では見捨てられている。
改めて相談所とか、マッチングアプリでなんとかするしか無いんだけど、正直このままでは同じ事を繰り返してしまうと思う…
つい最近も、マッチングした人と当日にデート行く前に気持ちが無くなってしまい、ブロックしてしまった。
また繰り返している……もう嫌だ……自分でも駄目だも思っているのにやってしまう……
HSPだから自己嫌悪で更に傷ついてメンヘラになりそうで本当に嫌になる。
私はどうしたら良いんだろう…夜も眠れなくなってしまって……
文章越しだとなんとか耐えられるけど、実際に直接言われたら号泣してると思う…一部の厳しいコメントを読んで実際泣いてしまいました…
今ちょっと冷静じゃないかもです、感情的になっていたらごめんなさい…
回避性パーソナリティ障害では無いか?という指摘がありましたけど、その通りだと思います。
HSPは併発する事が多いと記事を読んだ事もあり、特徴も当てはまる所が多く、本当に生き辛さを感じています。
また非モテなので結婚よりは、まず素敵な恋愛をしてみたいという思いが強いのかもしれません。
人より理想的で、HSPもあって自分の理想からちょっとでも外れると、蛙化現象が起きて嫌になってしまうのでは無いかと…
紹介してくれた友人達には失礼をしてしまって本当申し訳ないって思っています。
書かなかったけど実は上記の件で絶縁された先輩の友人(Nさん)もいました……ラインも電話もブロックされて謝る事すら出来ません…
親の影響は大きいと思います。結婚相談所の一件もあり、それ以来ギクシャクしています。
同年代の親戚や私の友人達は二人を除いて皆結婚し、子供がいる人もいます。
その内二人は、凄いオタクで私みたいな非モテでオタ活が生きがいの子(Tちゃん)と、実はレズっぽいUさんぐらいです。
私は恋愛に関して何の障害も無いのに非モテだし、実際活動もしているのに恋愛も結婚出来ておらず、親からは呆れられています。
仕事も一人暮らしするのも厳しいぐらいの年収しか無く、キャリアウーマンになる能力もありません。
このままいくと未来が暗く孤独なので、ちゃんとした恋愛と結婚をして一人前になりたいというのが本音にはなります。
HSPなので過剰反応もしてしまっているけど、一つ言い訳させて下さい。実際に怖い思いも経験しています。
相談所で活動していた時、色々と嫌になり冷めてしまって断った相手から、相手の担当者経由でクレームというか説明要求がありました。
「私さんの誕生日が近いという事だったので、プレゼントも用意していたし店も予約していた。それをドタキャンされて交際終了となった。
理由は価値観が合わないから、と連絡があったが直前のデートでは楽しそうだったし結婚にも前向きな印象だった。納得出来ない部分がある。
こちらとしても何か無意識でしてしまっている落ち度があったのなら教えて欲しい」と聞かれ、答えに困り返事が出来ていなかったら、再度相手の担当者から
何度か催促があり、ますます答えられなくなってしまいました。連絡があると思うと怖くて泣いてしまう様にもなりました。
今思うとHSPと回避性パーソナリティ障害が同時に発動していたのかもしれません…
(普段は正直者なのに変な所で変な嘘をついてしまうのも、特徴らしいです…もろですね…)
実はその時にセックスを要求された、などとつい嘘をついてしまいました。体を触られた、とかも言ってしまったかもしれません。(すみません、正直記憶が曖昧で、とにかく早く終わらせたかった事は覚えています)
すると連絡はやっと収まったのですが、それと同じ事をまた二回続けてやってしまい、担当者の人に不信がられて、忠告されて嫌になって相談所を辞めました…
親がお金を出していたのもあり、母親が後で理由を聞きに行ったそうです。何か婚活で嫌な事があったんじゃないかと。実際に落ち込んで仕事も休みがちだったので。
話を聞いて帰った母はとても怒っていました。「恥ずかしい、良い歳してありえない!」って喧嘩になって…それ以来ギクシャクです。食事中の会話もあまりありません。
父は元々無口なので食事が楽しくなく、最近は自分でご飯を買って食べています。ますます貯金が出来なくなる…
婚活で私みたいな悩みを抱えていたり同じ様な事をしている人は多いと言います。
女性にはありがちな事ではあると思いつつ、私の場合はHSPが原因で強く出てしまっています。
自分でも蛙化現象が起きてしまうのは嫌なんです、それだけは分かって下さい…
こういう所を理解してくれる男がいたら、結婚出来るのかもしれませんが、友人からはまず自分を変えろと言われてしまいました。
それが出来たら苦労しない…
HSPの理解が浸透して欲しいです。悪気があってやっている訳では無くて、それだけは分かって欲しい…
追記2:HSPの蛙化さんに異性を紹介した友人側の話だけど 、を読みました。
そうなんですよね、一旦ネガティブな事に目が行ってしまうと、どんどんネガティブな発想だけで頭が埋まってしまって…
私も増田さんの友達同様、友人達に迷惑をかけてしまったと後悔しています…
一つだけ言い訳させて貰うと、私もブロックしてしまった人達に対し、罪悪感が無いとか申し訳無いという思いが無い訳ではありません。寧ろ強いです。
そこは完全な誤解なんだけど、コメントでは決めつけられて辛かったです…
HSPの特性として、怒られる事に対し凄い恐怖があります。私の場合は回避性パーソナリティ障害も余計にあるのだと思います。
特に、女性なので男に逆ギレされて怒られて暴力を振るわれるかも…って思ってしまう恐怖があります。
その場合、HSPもあって連絡を取る事すら困難になってしまい、直接謝るの自体が難しいです。
女性であれば多かれ少なかれあると思いますが、HSPと回避性パーソナリティ障害で更に強くなっていると思います。
シャットアウトするのは失礼だし申し訳無いと思いつつ、やってしまう、というのが現状です。
HSPが中々理解されないのはそこなんでしょうね…悪気があってやっている様に思われてしまう…
罪悪感が無いというのはさすがにちょっと酷い、想像力や配慮に欠けるコメントだなって思いました。(ああいった想像力が無いコメントをするのは大半が男なんでしょうけど…)
やりたくないのにやってしまう、というのが人間なら多少あると思いますが、HSPの場合はそれが出やすいのでしょう。
私も増田さんの友人と同じく、周囲の付き合いのある人達からは、真面目で気遣いの出来る、ちゃんとした人だと思われていました。
だからこそ余計にギャップで裏切られた気分になった、と思われたのだと思います…
HSPをCOしたHちゃんやTちゃんも、始めは中々私がHSPである事を信用しては貰えませんでした。
NさんにもHちゃんから説明があったけど、それでも嘘つき扱いされ「始めからその気が無いなら紹介してとか言わないで欲しかった、障害のせいとか言うけど全く信じられない」
と言っていたそうです…私は障害のせいにしたつもりは無いけど、そう受け取られるのが何よりも悲しかった…
「トイレや水回りの使い方が汚すぎる、何とかしろ」と。ごめんと謝って、でもつい悪気は無い最近ストレスが溜まってと言い訳をしてしまい、更に呆れられてしまいました。
良い歳してそんな事で怒られる惨めさ、それでも一人暮らしなんて出来ない収入しか無いから実家に居続けるしか無いストレス…
仕事だって最近は休みがちで、割とキツめに注意されています。これ以上休むなら次は無いよと警告もされています。
私には何も無い…HSPじゃ無かったら、もうちょっと生きやすかったのかな?
仕事か、結婚か、せめてどちらか一つ出来ていたのかもしれない…そう思うと悲しくて泣いてしまいます…
ここの所ずっと夜は泣いてばかりです…それでもこんな私を慰めてくれる優しいコメントがいくつかあったのが、不幸中の幸いです……
もうすぐ娘が生まれる。
早く顔が見たいし抱っこしたい。もうデロンデロンにかわいがりたい。ヘンテコでかわいい服を着せたいし、一緒に子ども番組を見たり、お出かけしたりしたい。子育ての辛い話も色々聞いているが果たしてどれほどの地獄が待っているのかも気になる。
病気や障害、教育費の心配もないことはないが、基本的にもう楽しみで仕方がない。ここ数ヶ月ずっとそう思ってきた。
医師から許可をもらい、先日夫と2人での最後の旅行に行ってきた。そんなに遠出ではないがおでかけ以上のボリュームではあったと思う。
万が一何かあっても医療機関にアクセスできるよう、なるべく都市部から離れず身体に負担のかからない旅程を夫は考えてくれた。ずっと体調も安定していて美味しいものも食べられたし、夫は終始子供のように笑って、それはそれは楽しい旅行だった。
帰宅後ゆっくり夕飯を食べ、ハグをして「楽しかったね」「また行こうね」と言って各々寝室に入った。(私達は別々に寝ている)
楽しかったなぁとしみじみ旅を思い返していると、なぜか急にどうしようもなく辛い気持ちが襲ってきて私は号泣してしまった。泣き疲れていつの間にか寝てた。
あんなに楽しかったのになんで急に辛くなったのか全然分からなかったが、色々考えを巡らせて今日ようやく分かった。自分は夫と2人の生活が終わってしまうのが寂しいのだ。
色々あったが、ずっと穏やかで静かで温かな生活が送れたと思う。ぜんぶ夫のおかげだ。
夫はあんまり細かいことは考えないが賢くて(賢いからこそ細かいことを考えていないのだと思う)、包み込んだり放置したりと、都度適度な距離感で理解ある夫君をやり続けてくれている。私自身は何か彼に貢献できているか分からないが、多少は理解ある妻さんをやれていると思う……そう思いたい。
夫の顔を見るのが好きだ。
特に何か食べたり熱中したりイライラしたり、ぼんやりしてる時の顔が好きで、視界に入ると頭の片隅がちょっとヌルくなり、自分の中の自分が「フフ」と笑う。不思議だ。別にイケメンでもない普通のおじさんなのに。なんか良いのだ。
私はこのヌルくなる感覚が大好きで、一緒にいるときは夫の顔を頻繁に見る癖がついた。
これから私の視界には夫の顔だけでなく娘の顔も入る。きっと頭の片隅がヌルくなって夫への思いを実感する前に、さまざまなものが娘の声にかき消されてしまうのだろう。2人きりの生活があと数ヶ月で終わろうとしている。
これからも夫は私の側にいる。娘はきっと死ぬほどかわいいだろう。生まれたら生まれたできっと楽しいし、幸せだと思う。それは分かっているのだが今はただこの、ゆったりと、夫からの愛を滝のように浴びる生活が惜しくて寂しい。たとえ娘が独り立ちする日が来ても今のような完全な形で戻ってくることは一生ないのだと思うと涙が止まらなくなる。
娘を早く愛したい。胎動を感じる度に私の中の私が「フフ」と笑う。
いつか夫の顔でフフと笑えなくなる日が来たらどうしよう。ずっと夫の愛を滝のように浴びていたいのに。
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私は来年東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。
半額ですき焼き用の肉ゲットできたので、晩ご飯すき焼きにする事にした。
子供は公文から午後7時には帰ってくるが30分くらい遅れることもある、旦那は夜勤で午後8時には家を出るので、あんま時間にゆとりがないなと思い子供に「早く帰ってきてね遅れたら先にすき焼き食べるね」と言うと「絶対食べるな!!」と公文に行った。
仕方ないから先に食べ始めたが、何かあったか、電話して探しに行かないとダメかな…と思い始めた八時頃に子供が号泣しながら帰ってきた。
「お直し終わらないと帰れなくて、焦ったらますます終わらなくて、すき焼き無くなるって…」と繰り返して泣いている、残さないわけ無いだろ。早く食べろといっても号泣し続けでなかなか食べなくて困った。
どうも初めまして。
もう10年近く経ったんだろうか。それでもスタートアップなのか謎だ。
もしかしたら、みんなが見る頃自分はこの世にはもういないかも知らない。なんつって。一生に一回言ってみたかった言葉なんだ許してくれ。
ベンチャーキャピタルとかいう方々にも投資を受けたり、個人名義で借金もした。
組織崩壊して、彼らが信頼していたという人物が競合に入ったりして、社員に脅されたりもしたっけ。
それでも立て直そうと頑張ったんだけど、もう疲れたみたいだ。やる気が一番とかいうけど、本当だな。
頑張ったんだけど、彼等は自分が代表にふさわしく無いというらしい。
かれこれ10回くらい言われ続けて、能無しとか、強みがないとか、投資した俺らがバカだったとか言われてもなんとかやってきた。
融資も何度もやったよ、会社のことしか考えなくて、自分の待遇とかどうでも良かったよ。
色々あって、もう疲れたなって思うようになった。
事業をなんとかする、人に喜んでもらうものを作る、それだけでは投資に値する事業は作れないと実感した。
脅迫された時も、事実と異なること言われた時も全部残してあるんだ。
相談した時も経営者は労働者より弱いから、俺が謝って辞めてもらえって事になったよ。
頭悪くてごめんな。みんなごめんな。
全部メンバーにしかごめんと思わんのは追い詰めたのはベンチャーキャピタルとかいう人らだからという恨みが奥底にあるからだろうな。
でも俺みたいなのに投資してくれたのに申し訳ないとは思ってるんだ。
これは多分自分の人生を、100年をギュッと濃縮したみたいなもんなんだろうな。
色んなことが出来るようになったよ。
生きててもいいことないと思ってたけど、生きなきゃと思えたよ。ありがとう、この10年。
父さん母さんは、出来損ないの俺を少しは誇りに持ってくれるかな。
ベンチャーキャピタルは仕事だからさ、仕方ないんだよ。回収しないと損失になるから。だから半分、苛立つ事もわかるんだ。
でも、追い詰めて追い詰めて、能無しとか信頼できないと言われ続けた先には俺は明るい未来は見れなかったよ。
理由は単純で、その人がいたら他の人が全員パワハラでやめたからだった。俺も病んじゃって、暴力も、モラハラも脅迫もされてたからかな。
そしたら重要人物までやめちゃってさ、そいつの事ずっと庇ってきたんだけど逆に「こいつ(俺)のせいです」って言われてしまった。
もしかしたら俺が見てる世界が別で、本当は俺は極悪人でサイコパスなのかなって今でも思ってる。
なんとか組織を立て直した矢先、みんなで少しずつ改良してきた時に、信頼してる人に裏切られてとある取引が無くなった。そこからまた俺の存在意義はない、とずっと言われ続けた。
確かに…俺のせいもあるだろうしな。俺が生きてるからダメなのかなと思った時に目の前が真っ暗になってぶっ倒れた。
気がついたら号泣して気を失ってたわ。
という事で、俺は逃げたいと思ったんだ。
どうもすみません。俺の存在が毒だと言い続けてくれたから、踏ん切りがつきました。
ただ、何がしたかったのかはよくわかりません。
思いつくとしたら、俺を潰したかったとかですかね。
憎かったですかね?すみません。
ここまで来ると疲れて、他の人に対して怒りとか責めるとかなくなるんだなって思うけど、他の人にはあまりしないであげてほしい。
パワハラとかモラハラとかじゃないって思ってるかもしれないけど、存在価値無いと言われ続けたらそれはもうね笑
もし、俺の事が界隈で少しでも傷跡として残せたらいいなぁ。
では。
どうも初めまして。
もう10年近く経ったんだろうか。それでもスタートアップなのか謎だ。
もしかしたら、みんなが見る頃自分はこの世にはもういないかも知らない。なんつって。一生に一回言ってみたかった言葉なんだ許してくれ。
ベンチャーキャピタルとかいう方々にも投資を受けたり、個人名義で借金もした。
組織崩壊して、彼らが信頼していたという人物が競合に入ったりして、社員に脅されたりもしたっけ。
それでも立て直そうと頑張ったんだけど、もう疲れたみたいだ。やる気が一番とかいうけど、本当だな。
頑張ったんだけど、彼等は自分が代表にふさわしく無いというらしい。
かれこれ10回くらい言われ続けて、能無しとか、強みがないとか、投資した俺らがバカだったとか言われてもなんとかやってきた。
融資も何度もやったよ、会社のことしか考えなくて、自分の待遇とかどうでも良かったよ。
色々あって、もう疲れたなって思うようになった。
事業をなんとかする、人に喜んでもらうものを作る、それだけでは投資に値する事業は作れないと実感した。
脅迫された時も、事実と異なること言われた時も全部残してあるんだ。
相談した時も経営者は労働者より弱いから、俺が謝って辞めてもらえって事になったよ。
頭悪くてごめんな。みんなごめんな。
全部メンバーにしかごめんと思わんのは追い詰めたのはベンチャーキャピタルとかいう人らだからという恨みが奥底にあるからだろうな。
でも俺みたいなのに投資してくれたのに申し訳ないとは思ってるんだ。
これは多分自分の人生を、100年をギュッと濃縮したみたいなもんなんだろうな。
色んなことが出来るようになったよ。
生きててもいいことないと思ってたけど、生きなきゃと思えたよ。ありがとう、この10年。
父さん母さんは、出来損ないの俺を少しは誇りに持ってくれるかな。
ベンチャーキャピタルは仕事だからさ、仕方ないんだよ。回収しないと損失になるから。だから半分、苛立つ事もわかるんだ。
でも、追い詰めて追い詰めて、能無しとか信頼できないと言われ続けた先には俺は明るい未来は見れなかったよ。
理由は単純で、その人がいたら他の人が全員パワハラでやめたからだった。俺も病んじゃって、暴力も、モラハラも脅迫もされてたからかな。
そしたら重要人物までやめちゃってさ、そいつの事ずっと庇ってきたんだけど逆に「こいつ(俺)のせいです」って言われてしまった。
もしかしたら俺が見てる世界が別で、本当は俺は極悪人でサイコパスなのかなって今でも思ってる。
なんとか組織を立て直した矢先、みんなで少しずつ改良してきた時に、信頼してる人に裏切られてとある取引が無くなった。そこからまた俺の存在意義はない、とずっと言われ続けた。
確かに…俺のせいもあるだろうしな。俺が生きてるからダメなのかなと思った時に目の前が真っ暗になってぶっ倒れた。
気がついたら号泣して気を失ってたわ。
という事で、俺は逃げたいと思ったんだ。
どうもすみません。俺の存在が毒だと言い続けてくれたから、踏ん切りがつきました。
ただ、何がしたかったのかはよくわかりません。
思いつくとしたら、俺を潰したかったとかですかね。
憎かったですかね?すみません。
ここまで来ると疲れて、他の人に対して怒りとか責めるとかなくなるんだなって思うけど、他の人にはあまりしないであげてほしい。
パワハラとかモラハラとかじゃないって思ってるかもしれないけど、存在価値無いと言われ続けたらそれはもうね笑
もし、俺の事が界隈で少しでも傷跡として残せたらいいなぁ。
※あと、俺が一応筆頭株主なので…すまんやで…。一応士業の資格も実はあるんだ…
では。
どうも初めまして。
もう10年近く経ったんだろうか。それでもスタートアップなのか謎だ。
もしかしたら、みんなが見る頃自分はこの世にはもういないかも知らない。なんつって。一生に一回言ってみたかった言葉なんだ許してくれ。
ベンチャーキャピタルとかいう方々にも投資を受けたり、個人名義で借金もした。
組織崩壊して、彼らが信頼していたという人物が競合に入ったりして、社員に脅されたりもしたっけ。
それでも立て直そうと頑張ったんだけど、もう疲れたみたいだ。やる気が一番とかいうけど、本当だな。
頑張ったんだけど、彼等は自分が代表にふさわしく無いというらしい。
かれこれ10回くらい言われ続けて、能無しとか、強みがないとか、投資した俺らがバカだったとか言われてもなんとかやってきた。
融資も何度もやったよ、会社のことしか考えなくて、自分の待遇とかどうでも良かったよ。
色々あって、もう疲れたなって思うようになった。
事業をなんとかする、人に喜んでもらうものを作る、それだけでは投資に値する事業は作れないと実感した。
脅迫された時も、事実と異なること言われた時も全部残してあるんだ。
相談した時も経営者は労働者より弱いから、俺が謝って辞めてもらえって事になったよ。
頭悪くてごめんな。みんなごめんな。
全部メンバーにしかごめんと思わんのは追い詰めたのはベンチャーキャピタルとかいう人らだからという恨みが奥底にあるからだろうな。
でも俺みたいなのに投資してくれたのに申し訳ないとは思ってるんだ。
これは多分自分の人生を、100年をギュッと濃縮したみたいなもんなんだろうな。
色んなことが出来るようになったよ。
生きててもいいことないと思ってたけど、生きなきゃと思えたよ。ありがとう、この10年。
父さん母さんは、出来損ないの俺を少しは誇りに持ってくれるかな。
ベンチャーキャピタルは仕事だからさ、仕方ないんだよ。回収しないと損失になるから。だから半分、苛立つ事もわかるんだ。
でも、追い詰めて追い詰めて、能無しとか信頼できないと言われ続けた先には俺は明るい未来は見れなかったよ。
理由は単純で、その人がいたら他の人が全員パワハラでやめたからだった。俺も病んじゃって、暴力も、モラハラも脅迫もされてたからかな。
そしたら重要人物までやめちゃってさ、そいつの事ずっと庇ってきたんだけど逆に「こいつ(俺)のせいです」って言われてしまった。
もしかしたら俺が見てる世界が別で、本当は俺は極悪人でサイコパスなのかなって今でも思ってる。
なんとか組織を立て直した矢先、みんなで少しずつ改良してきた時に、信頼してる人に裏切られてとある取引が無くなった。そこからまた俺の存在意義はない、とずっと言われ続けた。
確かに…俺のせいもあるだろうしな。俺が生きてるからダメなのかなと思った時に目の前が真っ暗になってぶっ倒れた。
気がついたら号泣して気を失ってたわ。
という事で、俺は逃げたいと思ったんだ。
どうもすみません。俺の存在が毒だと言い続けてくれたから、踏ん切りがつきました。
ただ、何がしたかったのかはよくわかりません。
思いつくとしたら、俺を潰したかったとかですかね。
憎かったですかね?すみません。
ここまで来ると疲れて、他の人に対して怒りとか責めるとかなくなるんだなって思うけど、他の人にはあまりしないであげてほしい。
パワハラとかモラハラとかじゃないって思ってるかもしれないけど、存在価値無いと言われ続けたらそれはもうね笑
もし、俺の事が界隈で少しでも傷跡として残せたらいいなぁ。
では。
キモ。まともな性教育も受けておらずエロ漫画とAVとアニメばかり見てきたんやろうなあ
エロ規制論にはすぐ表現の自由ガーさんが湧くけど、こういう悲劇の原因はまさにそれ。表現自由戦士キモオタのせいやな。そして性教育が不十分なのは安倍を落とさなかった日本国民のせいだから、お前はある意味被害者ではあるが、政治の責任は日本国民全員のせいなのでお前の自業自得でもあるんで。
ろくな信頼関係も築けなかったんやろうな。
本人に聞く前に友達と「童貞卒業」とか言い合ってる段階で相手の女性へのリスペクトがなくて草。きもすぎやろ
相手本人のことより、相手の肉で卒業できることばかり考えてるのがもう性教育の敗北。
勝手に期待を膨らませるのはいいが、卒業とか言う程度の倫理観で彼女騙せて良かったねw
永遠に相手を置いてきぼりで勝手に運命の日と呼んでるのもキモい。彼女なのに?コミュニケーションとれてなさすぎやろ。
当日に打診するのもキモい。
まあそらそうなるわな?
失礼すぎて草
お前よく女と付き合えたなw
もう人間としてのセンスないから女と付き合うの諦めたほういいよw
とてつもなく悲しくなったのは一連の旅行で最も鮮明に覚えている。
勝手に旅行中に萎えまくってる奴と旅行に行きてえ人間なんかいるわけないだろ?ウザすぎじゃね?性欲ならナンデモ無罪ってか?なわけねえだろカス、旅行中に眠いからってずっと寝てて上の空のやつとかいたら普通にムカつかね?次から旅行はソロで行けよw人間としてのセンスなさすぎ
これもキショい。相手不在で会話もなし、勝手に思い込んでるのがとにかくキショい。
性嫌悪であることをカミングアウトされた。永遠に私と性行為するつもりはないことを告げられた。最後に伝えるタイミングを逃し続けたことへの形式的な謝罪があった。
これは彼女も婚前に伝えておくべきことなんじゃないか?騙し討ちは良くないな。
気が付いた時にはもう言葉に出していた。性的な興奮が全て怒りへと変わったのを感じた。もう理性的な自分はいない。それはもう獣のように罵った。手こそ上げなかったが持ちゆる語彙で最大限に侮蔑した。
いややっぱこんなキメエ奴相手じゃ、言えなくて当然かもwww人間として終わってるwww
性欲強め女でもお前みたいなのの肉便器なんかお断りだよwwww
付き合ってたのに、一度もちゃんとお互いの話、性の話とかも含めて深い話をしてきてこなかったんやろ?つまりそういうことやんwそんなん彼女じゃないやんwwwコミュニケーションとれてないくせに入籍w
ごっこ遊びやなそれ
お前も女とセックスしたいだけで穴目当てでいまだに女性を人間として見れてません!それでも結婚してくれますか?とかちゃんと言ってないからお互い様やなーwww
いい歳してんのにまともに会話もできない、人間のセンス無さすぎ茶番すぎて笑う
確かに私は容姿にも優れていなくて平均より少し下の身長しかなく、勉強くらいしか他社より優れている要素がないような人間である。だからそんな欠陥品のような女性しか獲得できないと大人しく認め、末代になることを受容できるほどできた人間ではない。
他責やべー。欠陥品はお前だよw
そりゃ学校や会社や友達はお前に、前科なくて体力と資格と趣味の一致くらいしか求めてないだろうけどw
結婚相手としての評価は深いコミュニケーション能力と人間性が求められるからw
何故他者に害を与え続けているような何も努力したことがない中卒だか高卒だかの落伍者が愛する者との性行為の快感を知ることができ
税金払ってる人は努力してなくても立派な社会の構成員です。てかお前、そういう人らが電線直して水道整備して米や野菜や肉を生産して運搬して飲食店で飯が食えて服を買えて軍隊があって国を守ってんだよね?
お前1人で何ができたの?格差は誰のせい?得た富を人のために使えない奴がぬくぬく簡単に飯を買えて電気ついてお風呂に入れて勉強に集中できて良かったね。格差を社会に還元できないお前こそどうでもいいカス人間なんだよね
お前もう二度とインフラ使うなよ
日本のエリート層?って、大したエリートでもないくせに、社会に疎いというか教養が足りないというか?なんかオベンキョだけしてきました!オベンキョはできてエリート意識高いです!って鼻につくだけの奴なんか結構混ざってるよな
その前にエロ漫画はファンタジーであることを義務教育にしないとなwww
自分の専門分野に関してはお前はそれなりの専門家なのかもしれないが、アカデミアの人間なら他分野にいっちょ噛みするときは謙虚さがほしいな。社会学や人権学については小学生レベルなんよ。他分野に関してはズブのド素人という自覚を持って、安直に突っ込まない配慮が欲しいな。院進くらいじゃそこまでのアカデミアとしての感覚は身につかないもんなん?
本当に苛立ちが止まらない。
彼女、いや、もう関係が解消しそうなので相手と本稿では呼ぶことにしよう。大学時代、私は女性との関わりがほとんどなかった。正確に言えば自分から行動することがなかったのである。というのも入学してまだ一か月も経たない頃に行われた実験の授業で、実験班でアイスブレーキングを行うことになった時、班にいた唯一の女性が他の男子学生とは初対面にもかかわらず親しげに話していたが私とだけはどこか距離を置いて会話していた。本当に私を避けようと思っていたのか、それとも私が近寄りがたい雰囲気を出していたのかは今となってはもう推測しかできない。ただ、他の男子学生とはインスタで繋がっているが私とは繋がっていないのでそういうことであろう。と、まあそんなことを大学+大学院の計六年間も繰り返していたのですっかり異性との交際に向けた行動を起こせなくなっていた。とはいえ両親が生きているうちに孫の顔を見せてあげたいという思いがあったので結婚に向けた行動を何かしらしなければいけないと思った。そして社会人三年目、ようやく重い腰を上げ、婚活イベントに手当たり次第に出る生活が始まったのである。
相手と出会ったのは所謂街コンイベントであった。なかなか女性と連絡先交換するまでにも至らずすっかり憔悴しきっていた頃の私にとってはまさに干天の慈雨と言える出会いだった。相手との初対面で私が放った「彼氏いないんですか?」の言葉を持ち出されてよく笑われたのももう過去の話である。心を開いた相手にはとても明るくて、中高が女子校だったからか時折育ちの良さを見せる人だった。そんな相手と交際まで漕ぎつけたときはもう有頂天であった。両親に報告したら予想していた三倍は驚かれた。友人に報告したらその十倍以上は驚かれた。そして、同時に喜ばれた。「生まれ変わったんだ」、確かにそう実感したのを今でもよく覚えている。
交際して半年経った頃、泊りがけで旅行することになった。忘れもしない、沖縄である。友人にそのことを報告したら「ついに童貞卒業くるんちゃう?」との返信。
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まだ風俗に行ったことすらないバッキバキの童貞であった私には本当に待ちくたびれた歓喜の瞬間であった。その返信が来てからというものすぐさま通販でゴムと精力剤を購入し、意気揚々と宿へ向かった。
それに対し、相手は「そういうことは結婚してからがいいな。」と答えた。
その後の旅行の記憶はほぼない。しかしその後トイレで自慰し、精力剤を服用していたからか一回射精してもまだ股間が熱を帯びているのを感じとてつもなく悲しくなったのは一連の旅行で最も鮮明に覚えている。
そして何かと何かと理由をつけ同棲もせずに急いで入籍した。確かに育ちの良さ故に婚前交渉を一切しない女性も世の中にはいるかもしれない。しかしここで違和感に気づき道を引き返していたならまだお互い幸せだったかもしれない。
式が終わった後そこそこ広い家を借りて同棲生活が始まった。借家ならホテルに行かなくてもいいから経済的だと息巻いていた。そして待ちきれずに性行為を打診した。またしても当然のように断られた。今回は断られただけではなかった。性嫌悪であることをカミングアウトされた。永遠に私と性行為するつもりはないことを告げられた。最後に伝えるタイミングを逃し続けたことへの形式的な謝罪があった。
気が付いた時にはもう言葉に出していた。性的な興奮が全て怒りへと変わったのを感じた。もう理性的な自分はいない。それはもう獣のように罵った。手こそ上げなかったが持ちゆる語彙で最大限に侮蔑した。相手はそれはもう大号泣であった。それから家庭内別居が始まり、この先に待っているのは離婚しかない状態になってしまった。
確かに私は容姿にも優れていなくて平均より少し下の身長しかなく、勉強くらいしか他社より優れている要素がないような人間である。だからそんな欠陥品のような女性しか獲得できないと大人しく認め、末代になることを受容できるほどできた人間ではない。そもそも何故他者に害を与え続けているような何も努力したことがない中卒だか高卒だかの落伍者が愛する者との性行為の快感を知ることができ、幼いころから勉強はもちろん、部活にだって、婚活していた頃は美容にだって努力を重ねていた俺が、
こんな思いをしなければいけないのだろう。天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずなんて嘘っぱちじゃないか。世の中結局いい思いをするのは努力をした者ではなく容姿に優れている者なのだ。というかそもそも性嫌悪のくせに恋愛市場に上がってくるような連中のせいで今の不幸が生み出されているようなものだ。
そうすれば子供を持ちたいと望む男性が頓珍漢な理屈で性行為を拒む痴れ者と交際してしまう事故が起こらなくなる。そうなれば少子化を脱却したい国家とも利害が一致する。
文章を打ち続けて疲れてしまったのでここまで。参考までに自分と相手のスペックを特定されない範囲で載せます。来世では性嫌悪ではない女性と結婚できますように。
【年齢】33歳
【年齢】アラサー
父が死んでちょうど一年になる。
この一年は家族と宗教について、父について考えざるを得なかった。
考え出すと、寝れなかったり不安定になることがあるので、節目に吐き出したい。
というのも、元首相の殺害や、菊池真理子氏の「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~ を読み、
私自身、宗教2世として記録と想いを書き残しておこうと思った次第である。
【創価学会と私】
私は幼少期に早い段階で、「あれ、家の家族は周りと違う」と気づき、
思春期には、親への反抗と同時に学会への不信感を募らせていった。
小学生の頃から月に何度か、知らない大人が集まる場所で連れていかれ勤行をしたり、
意味の分からないビデオを見せられたり。胸糞悪い記憶が残っている。
「新聞取ってもらえませんか」
と言いに来る。
”お母さん恥ずかしいからやめて”
田舎の小学生にとって、周りの友達との関係が崩れていく事がどれだけしんどかったことか。
普通の家ではないということを、表に出さず、隠しつつ、とはいえ田舎だったので周知の事実だったと思うが。
幸い友人に恵まれ、勉強も少しはできたので、いじめも無く、表向きは周りの子供と変わらない様に過ごせたと思う。
同じ中学から進学した同級生で親友になった子も、私の家族について良く知っていたが、一度も嫌な顔をせず私に付き合ってくれた。
なるべく親の世話にならず一人で生きていきたいという気持ちが学会のせいで強くなり、
部活をせずバイトをフルでいれて(貧乏というのもあったが)、奨学金とバイト代で授業料を支払っていた。
そしてここから成人して、就職、都会へ引っ越し、出来るだけ家族と離れることで、学会と距離を取ることができた。
【父と家族】
私の父は、生まれつき心臓の病を持っていた。学会とは関係無し。
忘れもしない小学低学年、夜中に居間が少し騒がしく、トイレに起きた私は母に慰められながら号泣する父を見た。
バブル崩壊後の不況の中、持病持ちの父は会社から要らない人間扱いされたらしい。
そこからの我が家は、どん底だったとのこと。父は病気のせいで再就職もままならない。
子供が4人(兄、姉、私、弟)。今思えば、生きて大人になっているだけで儲けもんではあるが、
母は強かった。
朝から晩まで、仕事を掛け持ちして皆を食べさせて、学会の活動も、勤行も欠かさずやっていた。
朝は清掃のアルバイトで、私が朝起きて登校するまで家にいることは稀で、
母が夜にアルバイトしていた工場の冷凍肉まんをチンして弟と食べて学校に行っていた。
昼間は保険の営業をしていたらしいが、学校に行っている間なので詳しくは知らない。
たまに学校から帰って家にいるときは、内職や家事の合間に勤行をしていた覚えがある。
父は弱かった。
私が幼い頃は絶対的な存在として、一家の主として君臨していた。
家族を養えなくなり、酒に溺れ徐々に精神的にも肉体的にも弱っていった。
私が思春期の時には、何度もぶつかり合った
「なぜ仕事をしない」
「酒をやめろ」
私は父が病気だと知っていてもなお、問い詰められずにいられなかった。
そのある夜に、父が紫色の顔で鼻血を垂れ流し、シャツを真っ赤にして救急車に運ばれた。
兄は優秀だったが。
私とは別の私立高校を特待生で通っていたが、すぐに不登校になり、ここから10年近く表に出なかった。
これは原因も私には分からない。ただ精神的に不安定な人間だった。やはり家庭が関係するのだろうか。
そしてその間、私と弟は良く兄と仲違いした。
姉は男を追って遠くへ消えていた。家族の中で私と弟はこの兄が大嫌いだった。
そして私が都会に出た数年後、弟から兄が創価学会に入信したと聞いた。
私は信条の自由だとその場は笑い飛ばしたが、笑い事ではなくなった。
「いつかお前にもわかる」
「幸せとは何か」
私は本当に何度も実家に帰りたくなくなったが、それでも会いたいという父や母の為に顔だけ出していた。
それだけで息子として顔を見せるくらいは何も苦痛ではなかったが。
【父の死】
そしてちょうど一年前、父が亡くなった。
数年前に心臓病とは別にガンを発症、末期になり3月から緩和ケアに入る。
コロナで面会が難しく、5月中旬になら会えるとのことで、連休をずらして規制予定だった矢先に。
墓も遠方の学会の墓に建てるそうだ。もう兄を止める者はいない、
【最後に】
私が見てきた限り、一度も勤行をしたこともない。
けれど父は、もっと言えば母も学会にのめりこんでいたが宗教というフィルターを通さず、
兄はそんな父をなぜそのような扱いにしたのだろう。
本当に父が思っていることを聞けなかったことを後悔しているのかもしれない。
私は宗教で苦しみました。
兄は宗教で救われました。
おそらく私は一生この問題と付き合わなければいけないとも思います。
あなたがそうしたように。
【】
吐き出したいことをだっーと書いていったら、ある程度言いたいこと言えたっぽいのですっきりしました。
子供の時、両親が離婚して母が出て行った。正直、両親が仲良くしてるところを見たことがなかったからその日はいつか来るだろうと思っていたので驚きはなかった。
とりあえず父は仕事で遅くまで帰ってこないので、自分でスーパーでご飯を調達する毎日が始まった。
ある日いつものようにスーパーに行って入り口に近い果物エリアを通ると、「営業後、バナナとかりんごとかにお布団かけといて」とスタッフの人が同じスタッフの人に指示していた。
多分お布団というのはホコリ避けのカバーか何かだと思うんだけど
父と母は仲が悪いというか壊滅的な関係だったが、自分と父、自分と母は仲が良かった。嵐の中でも愛を感じていた。
もっと小さい頃、夜に2人の喧嘩が終わって母が自分のベッドに近づいてきた。
喧嘩を聞くのに疲れていて寝たふりをしていたのだけど、母は自分に布団を優しく掛け直し、頭を撫でながら「生まれてきてくれてありがとう」と言った。
その思い出が頭を巡って、母が出て行って一度も泣かなかったのに急に声を上げて号泣してしまった。
止めようと思っても止められず、バナナとりんごの前で嗚咽を上げてしまっていた。
文字に起こすとなんかバカっぽくなるけど、自分にとって人生で一番激しく泣いた時間だったと思う。
うずくまっていたのでわからなかったけど、あとで記憶を繋げるとかなりの人が心配して周りに集まってきてくれていたようだった。(普通に邪魔だったというのももちろんあるだろうけど)
スタッフの方がスーパーのベンチまで移動させてくれたけど、涙が止まらずずーっと丸まってた。
すると次々に人が来て、「何があったかわからないけど元気出して」とスーパーで買ったお菓子やジュースを次々に置いて行ってくれた。おじいさんが「泣きたい時は泣け!」と言ってくれたりした。茶化す人はいなかった。
しばらくして家に帰って、いただいた食べっ子どうぶつやカプコを食べた。本当に美味しくて、これからも生きていけそうな気がした。
いきなり何?と思われるだろうけど、十数年後の今、地元で市議会議員になりました。
もちろんこんなエピソード、ちょっといじっても話せないから話してないけど
優しさにあふれる街にという話をしたのはこういうことでした。めちゃくちゃありきたりな話にしか聞こえなかっただろうけど。
かつて自分がそうしてもらったように、泣いている人がいたら手を差し伸べる人がたくさんいるような街であり続けることに貢献できるよう頑張ります。