2023-04-24

優しさであふれる街に

子供の時、両親が離婚して母が出て行った。正直、両親が仲良くしてるところを見たことがなかったからその日はいつか来るだろうと思っていたので驚きはなかった。

とりあえず父は仕事で遅くまで帰ってこないので、自分スーパーご飯調達する毎日が始まった。

ある日いつものようにスーパーに行って入り口に近い果物エリアを通ると、「営業後、バナナかりんごとかにお布団かけといて」とスタッフの人が同じスタッフの人に指示していた。

多分お布団というのはホコリ避けのカバーか何かだと思うんだけど

自分は「お布団をかける」というワードに反応した。

父と母は仲が悪いというか壊滅的な関係だったが、自分と父、自分と母は仲が良かった。嵐の中でも愛を感じていた。

もっと小さい頃、夜に2人の喧嘩が終わって母が自分のベッドに近づいてきた。

喧嘩を聞くのに疲れていて寝たふりをしていたのだけど、母は自分に布団を優しく掛け直し、頭を撫でながら「生まれてきてくれてありがとう」と言った。

その思い出が頭を巡って、母が出て行って一度も泣かなかったのに急に声を上げて号泣してしまった。

止めようと思っても止められず、バナナりんごの前で嗚咽を上げてしまっていた。

文字に起こすとなんかバカっぽくなるけど、自分にとって人生で一番激しく泣いた時間だったと思う。

うずくまっていたのでわからなかったけど、あとで記憶を繋げるとかなりの人が心配して周りに集まってきてくれていたようだった。(普通に邪魔だったというのももちろんあるだろうけど)

スタッフの方がスーパーのベンチまで移動させてくれたけど、涙が止まらずずーっと丸まってた。

すると次々に人が来て、「何があったかからないけど元気出して」とスーパーで買ったお菓子ジュースを次々に置いて行ってくれた。おじいさんが「泣きたい時は泣け!」と言ってくれたりした。茶化すはいなかった。

しばらくして家に帰って、いただいた食べっ子どうぶつやカプコを食べた。本当に美味しくて、これからも生きていけそうな気がした。

いきなり何?と思われるだろうけど、十数年後の今、地元市議会議員になりました。

もちろんこんなエピソードちょっといじっても話せないから話してないけど

優しさにあふれる街にという話をしたのはこういうことでした。めちゃくちゃありきたりな話にしか聞こえなかっただろうけど。

これから市民のみなさまに貢献できるように頑張っていきます

かつて自分がそうしてもらったように、泣いている人がいたら手を差し伸べる人がたくさんいるような街であり続けることに貢献できるよう頑張ります

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん