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2023-08-26

anond:20230825192245

実家暮らしの姉が専業主婦ってとこを除けば全く同じだわ

物を捨てれないっていうのも病的で、捨てるのがめんどくさいプラス勿体無い?みたいに感じるらしくて小学校の時に使ってた鉛筆すら捨てれなかった

働いてるうえに全ての家事を担っている母がみかねてせめて休みの日だけでも料理とかしてって言ったら「そんなことできるわけない!」ってパニックになって号泣

部屋はもちろんゴミ屋敷みたいになってるのに一番怖いのは結婚願望があって子どもがほしいと言ってるところ。

自分の面倒すら見れないのに子どもを育てられると思ってるのが“ホンモノ”って感じだ

2023-08-25

anond:20230825112723

見られた女子「(号泣)」

クラス全員「うわっキモ・・・謝れよ変態

先生増田、授業が終わったら職員室に来なさい」

こうですね!

2023-08-19

上司から避けられてる

上司が何考えてるかわからん

思考整理の意味を込めて書く。

【私】

20代半ばと言い張りたいアラサー

 悪い意味話題医療業界仕事してる。

・今の部署では正社員では一番歴が長い(後述)。

適応障害発症して数ヶ月の休養を経て最近復帰した。

上長

・うちの部署トップ

 50代半ばで今の仕事一本で食ってきた人。

職場

・主が就職する前になんやかんやあって30代〜50代がごっそりいない。それだと回らないので嘱託職員がいる。




適応障害の原因を簡潔に書くと「上長と話が噛み合わない」「嘱託ジジイ仕事しない」だった。

仕事で困ったことがあると上長相談するじゃん。上長は何でか知らないけど論点ズレた回答をするのよ。論点がズレたまま持論を領域展開するので、こっちはまあ上司が話してることだしって聞いてる。そのまま「そういうことだから!頑張ってね!」で解散になる。論点を戻しても回答は的を得ない。何も解決しないまま主は放り出される、っていうのを何回も繰り返した結果、私は思った。

上長相談しても何も解決しねえ」と。

他の人に相談しても「うーん、上長相談してみたら?」ってなる。私は思った。

「誰に相談しても解決しねえ。自分で何とかしないと」

そのまま適応障害発症ルートまっしぐらだった。


 

ちなみに相談内容っていうのは「嘱託ジジイ仕事しない上に仕事を選り好みするからいつまで経っても後輩の指導ができない」とか。「嘱託職員がいつ契約やめるかわからないんだから後輩の指導育成をやれ!」って言ったのは上長。それを妨げるから注意するなり何とかしてくれって意味相談だった。

上長の回答は「でもジジイいるから主は収益上げろとか仕事件数を増やせとか言われなくても済むんだよ?ジジイを辞めさせたら主の休みが取れなくなるよ?」だった。なんかズレてるし矛盾してるんだよな……。

他にはとある医者から完全無視される、口を開いたら罵声というどこに出しても恥ずかしくないパワハラを受けたんだが、「無視されている」と訴え続けていたが大袈裟だと思っていたのかスルーされていた。後輩が「あれはちょっとひどい」と上長に訴えた途端に配置替えになった。その後に後輩は「セクハラを受けた」と上長相談し、秒速で医者から遠ざけられていた。

医者から遠ざけられた結果、とあるものの取得が難しくなった。それがないと後輩は試験(NAR●TOでいう中忍試験)が受けられない。「どうしたらいいかな?」と上長に聞かれた時は顎が外れるかと思った。私は後輩に「ハラスメントを受けてまで仕事をする必要はないけど、試験のために取得しないといけないものをどうやって調達するか考えるなり相談した方がいいよ」と言ったんだが……。



まあそんなこんなで適応障害になった。


様子がおかしくなった私を上長は避けるようになった。嘱託職員(notジジイ)に「私(主)さんの様子がおかしいかメンタルクリニックにかかるよう助言した方がいい」と言われた上長は「俺から言うとパワハラになるから……」と答えたらしい。パワハラ定義とは……?


復帰してから上長からは避けられてる。様子を見に来るとかしてもいいと思うんだけど一切様子を見に来ないし声もかけられない。


上に書いたことで察してる人はいるだろうけど、以前から上長は主より後に就職した後輩はめちゃくちゃ可愛がってて、私との態度は他の人から見てわかるほど違うらしい。

私には「君は管理職になってこの職場を引っ張っていく立場から、後輩の指導育成をしなければならない。もっと視野を広く持って10年後20年後どうしていくかを考えて。仕事件数管理もして、勤怠の管理もして……」って感じだったけど、後輩にそんなことを言ってる姿は見たことがない。「仕事覚えるの頑張ってね」くらいだ。後輩は人手が足りないとき仕事件数制限する方法すら知らない。1年遅く就職しただけなのに。

その後輩と同じ部屋で仕事をしていると、後輩のところには足を運んで雑談する。私のことはスルーする。横に座っているのにスルーする。俺が見えないのか?こんなにパーフェクトなのに?と聞きたくなるくらいスルーする。

上長が何を考えて私を避けているのかわからない。避けられているのも結構ストレスだ。

復職時の配置の相談の際は朗らかではあった。

適応障害の一因を噛んでる部下をどう扱ったらいいのかわからなくて避けているのか?可能性は大いにある。ストレス対策から多少の情報は流れているだろうし、下手に接触して適応障害が再発されて休まれたらたまったものではないだろう。

適応障害になった部下が面倒くさくて避けてるのか?ありうる。「俺から言ったらパワハラになる」の発言もあるし、別件で限界が来て職場号泣してしまった際はささっと席を立って落ち着いた頃にそっと帰ってきた。手に負えないことからは逃げたがるタイプかもしれない。

面倒くさい部下より若くて可愛い後輩に囲まれてる方が楽だから

精神を病んだ部下はさっさと辞めさせて素直な後輩と仕事をしたいから?

無視されるのってパワハラだよな?ストレス管理室に相談するか?でも完全無視ではないし……復帰してからはすれ違った程度で一切顔合わせてないけど……。

何を考えているのかわからない。隣で上長と後輩が雑談で盛り上がったり、後輩は上長のいる部署に足を運んでキャッキャとはしゃいでいる声がする(他の仕事の手伝いしろよとは思うが、上長の部屋にいる人間仕事免除される)。

ハブられているようで精神的にきつい。まだ復帰してすぐなのに出勤するのが苦痛になってきた。

2023-08-18

日本人スウェーデン人論破され号泣

スウェーデン

相続税 0%

法人税 21.4%

消費税 25%

移民比率 13.9%

平均年収 47020ドル

一人当たりGDP 58961ドル

ジニ係数 0.28

難民認定率 15.3%

身長  177.9cm

イケメン ◎

日本

相続税 55%

法人税 29.74%

消費税 10

移民比率 1.7%

平均年収 38515ドル

一人当たりGDP 44738ドル

ジニ係数 0.33

難民認定率 0.3%

身長   172cm

イケメン ✕


俺「企業富裕層は悪だから重税をかけるべきでしょ!?」

スウェーデン「誰が雇用を生んでる?誰が給料を払う?企業大事だ」

スウェーデン相続税を重くすれば企業人材も逃げてしま馬鹿税金だよ」

俺「でも!でも!格差が!」

スウェーデンジニ係数をご覧よ。日本はひどい格差だ」

俺「でもっ!でもっ!消費税は許せない!逆進性が!」

スウェーデン金持ち消費税も多く払う。これで福祉が充実するんだ」

俺「移民の血は汚れてますよね!?日本人は天皇の赤子で日本人のDNAはすごいんです!純血なんです!…」

スウェーデン遺伝子は多様なほうがいいんだ。みてごらん君はヒロヒトそっくりのチー牛だよ」

俺「でも難民入管拷問すべきでは!?」

スウェーデン「醜いのは容姿だけにしておけ心まで日本人になるな!困ってる人は助けるのが人間なんだ」

俺「マァアアアアあああああ!!!」

イケメンの前で俺、号泣しちゃったよ…

2023-08-14

毒親育ちの彼女と別れた

2年付き合ってきた彼女がいて、先月そろそろちゃんとしようかみたいな話をした。

彼女披露宴とか結婚指輪とか、そういうものにはあまり興味がないようなことは前々から言っており

俺としては彼女が望む方向でどちらでもいける振り幅は用意していたんだけど、

それはさておき当然の礼儀として、まず「ご両親に挨拶に行きたいんだけど」って言ったら、

「もう令和の時代なんだし、そんな堅苦しいことは別に良いんじゃない?」って返事が返ってきた。


「いやでも、俺も親にきちんと婚約者として紹介したいし、ご両親に挨拶をしておきたい」って言ったら

「少し考えさせて」って言われた。

一体何を考える事があるのかと思ったけど、その時点で嫌な予感はあった。


先週末に久々にデートの誘いがあって、彼女から話があったんだけど、結果を先に言うと別れることになった。

以下は彼女の話。


自分毒親育ちで高校を出てからずっと親とは縁を切ってきたと。

→俺には大卒って言ってたから「え?大卒って言ってなかった?」って聞いたら、嘘ついてたこと忘れてたみたい。

地元のFランで名乗れるような大学じゃないって言われており、大学名も一応聞いたが確かにいたことないような大学名でそれ以降話題にしなかった。

婚約たからって親に報告するつもりもないし、式とか披露宴とかもしたくない。

結婚しても私の実家と関わりを持ってほしくないし、俺君の実家への帰省もできればひとりで行って欲しい。

→そこで「俺の両親とも一回も会ったりして関わる気が無いって事?」って聞いたら、ハッキリと肯定された。二人だけの家庭を築きたいと。


以上の事を言われて「俺は普通に夫婦帰省とかしたいけどな」って言ってしまったら、その普通と言う言葉彼女激怒した。

普通って何?俺君はたまたまいい親に生まれただけでしょ?それって幸運なんだよ。普通じゃない!」って。

しばらく話にならなかったので一通り宥めて何とか落ち着かせたあと、疑問に思ったことを色々聞いた。

ずっと実家と疎遠にしてたって、年末には毎年帰省してたのはなんだったの?って聞いたら

詮索されるのが嫌だったか年末年始は毎年ビジホに連泊してたんだって

正月中?一切外にも出ず?ってビックリして聞いたら「のんびりできて結構いいもんよ」ってしれっと言う。

だって実家からってメールとか電話とかしてたのは?」って聞いたら笑いながら「ビジホからw」って。

母の日プレゼント送ってたじゃない?あれはなに?って聞いたら、自分が欲しいもの自分宛に送ってたって。


彼女が嘘をついていたが故に俺には彼女毒親育ちってイメージは全くなかった訳なんだけど

こうも嘘を吐いてまで俺を騙していた事、親共一切交流したく無い事も含めて結婚するってなったら

飲み込んで許容してくれるだろうと彼女に思われていたのだと思うと、俺は彼女に心底チョロい男だと

思われて見下されていたんだなと心底凹んだ。そして彼女結婚するのは無理だなと思った。


2年付き合ってる間、ずっと誤魔化されていた事をま、ず最初申し訳ないとでもいった態度だったらまだ違ってたかもしれないけど

開き直りとも見える態度でこられたら、無理だよね。

思ったことを正直にそのまんま言って別れを告げたら、大号泣して激怒

その後は婚約破棄だから慰謝料請求とか言われて揉めている。婚約とかした覚えは無いんだけど実質婚約からみたいな理由で。

心底うんざりする。

それでいて周りには「親離れ出来ていないマザコンでガッカリ時間無駄にした。今度は実家依存じゃないまともな男探す」って言い回っているらしい。

最初からそういう男探せよアホらしいって思った。俺からすれば時間無駄にしたのはこっちだし、元彼女こそ「まともじゃない」って思わされたよ。

そもそも彼女の言い分だから、本当に毒親育ちだったかも怪しいもんだしな。

2023-08-12

anond:20230812152942

イタリアではみんな帰ってるだろ

コロナでは数時間残業させられて号泣していたが

親友の忘れ形見結婚した

高1の時に俺の親友が同じ学校だった彼女(嫁母)を妊娠させてしまった。


嫁母は高校中退したが、嫁父は学業を続け、高卒就職することが決定した。

17歳若さで嫁母は玉のように可愛らしい女の子(嫁)を産み、俺もそこにちょくちょく遊びにいっては赤ん坊を抱っこさせてもらった。

当時の俺は抱っこしているベイビーが未来の嫁になるとは知る由もなかった。


高校卒業後、嫁と親友結婚し、結婚して2年目に親友事故であっけなく亡くなってしまった。まだ21歳の若さだった。

親友即死では無かったので、最期の時には何とか立ち会う事が出来た。

死の間際、彼は俺に「これから成長していく娘を見られないのが残念だ。

どうかあいつらが幸せになれるようにお前が助けてやってくれ」と言い残した。


その遺言通り、俺は嫁の成長を見守るつもりだったけど、当時はまだ大学生の俺に力になれることは何一つなかった。

嫁母は就職しようとしたが、職歴学歴もないヤンママにまともな仕事はなく、夜職になってしまった。

彼女高校生で妊娠したことで親に縁を切られていたので実家に戻れなかった。


何年かして、次第に嫁母は子供放置して遊び回るようになった。

俺も嫁母に「嫁ちゃんのことも考えた方が良い」と忠告したのだが、嫁母は聞く耳を持たず、

俺が大学卒業して就職した頃に嫁母はロクでもない男と再婚してしまっていた。

嫁は継父に邪険にされて育ち、弟妹が次々生まれると家事育児押し付けられるようになって、家族旅行には連れて行ってもらえず、継父の親戚の家に預けられる始末だった。

嫁の小学校ランドセルは親戚のお下がり文房具は地味な百均だというからかわいそうになって俺がキティちゃんの筆箱や鉛筆を買ってやったこともある。


そしたらそれも妹に奪われて嫁は「俺君が買ってくれたものなのにごめんなさい」と号泣していた。

可哀想になって、嫁以外の家族旅行に行く時は「親戚に預けるぐらいなら俺に預けろ」と言って、俺が預かるようになった。

元々、継父の妹夫婦に無理やり押し付けて嫌な顔をされていたらしいから、この申し出は喜んでもらえたぐらいだった。

もちろん、20代独身野郎小学生を家に泊めるなんて普通はしないが、当時は彼女同棲していたから、できたことだった。

家族夢の国にも、北海道旅行にも連れて行ってもらえない嫁のためにとびきりお姫様扱いをして、おしゃれなカフェとか、遊園地とかデパートとか連れて行ってやった。

普段食べさせてもらえない美味しいものも食べに行った。

彼女最初の数年間は「妹が欲しかった!」と言って可愛がってくれて、嫁も俺たちを「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼んで懐いてくれた。

しかし、嫁が年頃になって美しく成長してくると彼女が嫁に嫉妬するようになってしまった。


当時の彼女もそれなりの美人だったが、20代後半になって美貌を失ってきているのを実感しているようだった。

反対に嫁はこれからどんどん大人の女性になっていく。不安しかなかったのだろう。

極め付けは彼女の「嫁ちゃんってあなたの娘でも親戚でもないんでしょ。嫁ちゃんが私より大事ならお嫁さんにしてしまえば!」というセリフだった。

それをまだ15歳の嫁がいる前で吐き捨てて、彼女同棲していたアパートから出て行った。


さすがに30代前半のオッサンアパートにもう連れてくることはできないので、

嫁に「今度からは外で会おう。俺が結婚したら、また家に呼べるから」と言ったところ、

「私じゃダメですか…?」と言われた。

「どういうこと?」

「私、俺お兄ちゃんのお嫁さんになりたいです。」

「な、な、何言ってるの!俺、嫁ちゃんのお父さんの親友だよ!嫁ちゃんの両親と同い年なんだよ!」

彼女ちゃんが私に嫉妬していたように、私もお兄ちゃん彼女嫉妬していました。

私は子供から相手にしてもらえない、彼女ちゃん大人の女性からいつかはお兄ちゃん結婚する、それが怖かった。

お兄ちゃん結婚式で綺麗なウェディングドレスを着た彼女ちゃん想像したら素直に喜べるのだろうか…。

彼女ちゃんが俺くんそっくりの坊やを産んだら、心から祝福できるだろうか…。

そんな黒い気持ちばかり抱えてました。

彼女ちゃんじゃない、他の女性がお兄ちゃん結婚しても同じこと。

ずっと私は悪い女です。子供なのにおかしいでしょ。」

「嫁ちゃんは早くにお父さんを亡くして、お母さんや継父に育児放棄されてきたから、お父さんを恋しい気持ちを俺への恋心と勘違いしているだけだよ。」

「そんなことは…ありません!」

普通、嫁ちゃんぐらいの年齢ならジャニーズ理想でしょ。それが普通だよ。俺みたいなオッサンなんてとんでもない。」

「私の大好きなお兄ちゃん卑下するな…!私はお兄ちゃんが好きなの!

私が幸せになるように助けてあげてってパパが言ったんでしょ!?だったら、その約束守ってよ」

「パパは俺と結婚しろという意味でそんなことを言ったんじゃないよ」

「形はどうであれ、私を幸せにしてくれるのはお兄ちゃんしかいないの。だから、私と結婚さてください」

「ごめん、本当に申し訳ないけど、嫁ちゃんはまだ中学生だ。子供をそんな対象で見られない。結婚だってできない。」

「じゃあ、3年後、大人の女性になった私を見てください。俺くんに相応しい大人の女性になりますから。」


嫁は高校からは寮に入って男女共学理系進学校に行くことになっていた。

生徒は男子の方が多いらしいし、3年間で素敵な彼氏

を見つけるだろうと思ったから、俺はもう嫁に会わないことにした。

どうせ、嫁の継父や嫁母は学費と寮費だけ払ってあとは放置するだろうから、俺が図書カードやら、スタバカードなどは時々送ってやった。

その間に引っ越しを済ませて新しい住所は教えなかった。

しかし、高校卒業したあと、嫁は俺を探し当てて俺のところにやってきた。

ていうか、田舎から事情を知らない友達(嫁父との共通の友人)が勝手に教えた模様。

苦笑いしながら「もう行くところがないんです」


嫁の継父は学歴がある女が嫌いでいまどき、女子大生亡国論を信じているような時代遅れなやつだったし、妻の連れ子のために大学費用を払ってくれるようなやつではなかったらしい。

学費は俺が出すから進学しなよ」と言ったが、「お兄ちゃんのお嫁さんになるのが夢だったから」と言って専業主婦になった。

俺みたいなおっさんの下にウルトラキュートでお肌ぴちぴちすべすべのボンキュッボン美少女が嫁にくるなんて開闢以来の出来事だろう。

可愛い子供も生まれ子供ハイハイたか記念カキコ

そして、親友と嫁母、30代の若さ祖父母にしてしまってスマソ。

そして、俺と嫁のせいで結婚適齢期を逃し、傷つけてしまった元カノにもいつかは謝りたいと思っている。

2023-08-11

勤務地配属

大企業で人事やってるけどキラキラOLやりたそうな高学歴文系女を敢えて地方に配属させてる。

今年も慶応卒の女が宮崎配属で号泣してたけど、しっかり社会の厳しさと働くことについて学んで欲しい。

2023-08-06

時をかける少女』を観て号泣した。

この時期になると、観たくなる映画がある。

それがアニメ版時をかける少女』。

劇場公開時、俺はちょうど大学生だった。

特に夢も希望もなく、ただ時間けが有り余っていた大学時代

俺はこの映画が好きで、何度も何度も劇場へと足を運んだ。

映画には普通に感動したし、最後の余韻にいつもジーンと来ていた。

その余韻が何なのか、意味もわからないまま。

ただ、泣くことはなかった。

感動はしたけれど、それは乾いた感動で、自然と涙があふれるようなことはなかった。

映画の影響で、夏休みには友人とよくキャッチボールをした。

炎天下の中、「あっちぃなぁ」なんて言いながら意味もなくキャッチボールをして、そのあと飲みに行ったりもして。

惰性に大学時代を過ごして、大人になって、それでもやりたいことは特に見つからなくて、なんとなくで入れた会社に入って今まで一応続いている。

やりがいがないといえば噓になるし、今の仕事を心底愛しているといっても噓になる。

所詮は、代替が効く仕事なのだから

今夏、なんとなくこの映画の事を思い出して数年ぶりに観た。

泣いた。

号泣した。

それはきっと、青春の眩しさに目が眩んだせいなんかじゃない。

彼ら、真琴や千昭や功介が、ちゃんと生きていたからなんだ。

平々凡々と夏休みを過ごしながら、それでも悶々としていて、ずっと悩んでいた。

疑問を持ち続けていた。

これでいいのか?って問い続けていた。

これなんだと、思う。

俺は大人になって、つまらない人間になってしまった。

原因は、悩むのをやめてしまたからなんだと思う。

仕事でも現状で満足して、ステップアップしようともしない。

自ら進んで悩みを生み出すようなことを選ぶのは馬鹿らしいとさえ思っていた。

疑問を持とうとしもしない。

「〇〇でいいじゃん」って、既存解決案で納得して、満足して、それ以上は考えようともしない。

もし青春が悩むことになるのなら、俺は青春卒業したのではなく、青春を捨てたのかもしれない。

俺は今になって『時をかける少女』を観て泣いた。

号泣した。

わんわん泣いた。

俺はあの頃と比べて、本当に成長できているのだろうか?

未来で待ってる」千昭のもとに、俺は少しでも近づくことが出来たのだろうか?

からない。

でも、分かったことが一つだけある。

この映画の余韻が何なのか、その意味ちょっとだけ分かった気がするんだ。

2023-08-04

中学生の頃にパンチラハンターという遊びをしていた

悪友5人で集まって近所のショッピングセンター野球場図書館などの施設に行き、ミニスカート若い女エスカレーターに向かったら数メートル空けて尾行し、下から覗いてパンチラをハントするのだ

リーダーのS君はボットン便所市営住宅に住む貧しい家庭の子だったが、俺たちハンターは彼を慕っていた

研究熱心で、どこの店のどのポジションからパンチラが拝めるか常に研究し、情報を共有してくれていたからだ

俺たちは小汚い彼の家に集まって旧式のパソコンにS君が田んぼで拾ってきたエロ本付録CD-ROMを突っ込んで解像度の低いエロ画像を見るのも好きだった(まだインターネットは普及していなかった)

そういう戦利品がなくても彼の家はパラダイスだった

彼の女子高生の姉の下着がそこら中に干してあって見放題だったからだ

メンバーのうち二人は別の中学の生徒だった

小学校は同じだったが学区の関係で離れてしまったという経緯で、気のおけない中だったのは間違いない

ただ、やはり普段付き合う人間が違えば価値観も少しずつズレてくる

その二人は次第に「やばくねえ?」みたいな事を言いだしてパンチラハントを渋りだした

関係が切れた訳ではないが、中2に上がる頃にはハンターとして参加することはほぼなくなっていた

S君は変わらず熱心だった

靴に鏡を貼り付けて能動的にパンツをハントしたり、当時出始めでまだ低性能だったデジカメを何処から調達してきて、カバンに仕込んで盗撮するまでエスカレートしていた

俺ともう一人残ったJ君はそれをサポートする立場としてS君を支えた

良くないことだという認識はあった

しかしやめられなかった、女子にも大人にも相手にされない田舎落ちこぼれ中学生にとって、それは唯一の熱中できる遊びだったのだ

その遊びは中3の夏まで続いて、唐突に終わった

S君が亡くなったのだ

S君は父親運転するバイクに二人乗りしていて事故を起こし、増水した川に突っ込んで死んだ

その後は俺もJ君もパンチラをハントする気分にはなれなかった

いや、そもそも俺とJ君はパンチラハンター以外で絡むことはほとんどなく、クラスも遠くてお互いの家も電話番号も知らなかった

そのまま関係自然消滅してもおかしくなかったが、夏休みも終りが近づいたある日、S君の姉に呼び出されて二人でS君の家を訪ねることになった

俺とJ君は自転車で合流したものエロ画像パンチラの話しかしたことがないかほとんど無言で市営住宅に向かった

父親とS君がいなくなった市営住宅はしんとしていた

俺たちが仏壇に線香をあげるのを、高校制服を着たS君の姉が後ろで仁王立ちで見ていて、終わると

「きょうはどうもね。あとうちら引っ越すことになったから、あんたらさあ……」と言って二階に上がっていった

話が途中で途切れたのでどうしたらいいもんかJ君と顔を見合わせていると、

「これ、要るでしょ」

といって段ボール箱をかかえて戻ってきた

そこにはS君のコレクション田んぼで拾ったエロ本盗撮写真データが収められたCD-ROM、それに使ったデジカメ手鏡、巨大なノートパソコンパンチラポジションが詳細に書かれたノートが詰め込まれていた

パンチラハンターなんでしょ。バカだね男って。あたしのパンツも何枚かあげよっか?」

と言って姉はケラケラと笑ったが、俺とJ君は感極まって号泣してしまった

5人で集まって馬鹿騒ぎしていた頃の記憶が嵐のように蘇って、情けないと思うのに涙が止まらない

もう最後には姉ももらい泣きして、三人で抱き合うみたいにして泣いた

遺品はJ君がほとんど引き取った

自転車にカゴが付いていたからだ

俺はデジカメだけ受け取って、その場でなんとなく三人の自撮り写真を撮った

しかしちょうどそれでバッテリーが切れたのか、液晶が切れて動かなくなった

充電用のケーブルは見つからなかったということで、無用の長物になってしまったが、一応持ち帰った

帰りの道中、「もう解散かな、パンチラハンター」とJ君に言ったら「いや」と低い声で否定した

J君はその数ヶ月で声変わりが急激に進んでいた

「ずっと残しとく。大人になってもずっと。増田も忘れんなよ」

その大人みたいな声が、俺の中に重々しく響いたのを覚えている

家にあるケーブルでなんとか充電できないか悪戦苦闘していた俺を見て「新しいの買ったほうが早い」と父親が新品のデジカメを買い与えてくれた

これがきっかけで俺は写真にハマり、数年後には東京の某芸術系大学写真学科に進んだ

一方J君は地元高専に入り、ソフトウェア開発の道に進んで関西大学編入

J君もS君の遺品のノートパソコン勉強したんだろうと勝手に俺は思ってる

彼とも中学を出てからはあまり関わりはなかったが、盆とか正月には地元で会って近況報告くらいはした

俺たちは氷河期世代ど真ん中で、その後の人生もうまくやれたとは思わない

Jは卒業すると地元の有名企業になんとかコネ就職

まもなく中学時代同級生の女と結婚したが、すぐに事業所縮小でリストラの憂き目にあい二年で離婚した

噂によるとその後また再婚したみたいだが、コロナ以降は一度も会っておらずどうなったかからない

俺は大学を出てからそこそこ有名な写真家に師事したが芽が出ず野に放たれた

しか写真は諦めきれず、不動産屋の広告に乗せる新築マンション写真を撮る安い仕事をもらって東京の安アパートで何とかギリギリ生きていた

仕事中、高級タワマンエントランスの長いエスカレーターをみると胸がざわついた

S君ならこのポジションをどう評価するだろう?って

父親が病を得たのをきっかけに俺は地元に戻った

地方カメラマン崩れに仕事はなく、高齢者に混じって非正規警備員をやっている

施設警備をしていると、エスカレーターの下で怪しい動きをする男の子たちを見かけることが有る

彼らもまたパンチラハンターなのだろう

「お前ら、バレバレだぞ」

いたたまれなくなって諭すと、「うっせージジイ!」と悪態をつきながら逃げていく

そう

俺はもうジジイになってしまった

J君の実家はもう取り壊されていて無くなっている

調べれは引越し先も調べがつくと思うが、あえてそうしようとは何故か思わない

今朝、夢にJ君とS君の姉が出てきた

女子高生のままのS君の姉が「あたしら結婚たから」と照れくさそうに言っていた

J君はバツが悪そうに視線彷徨わせていた

こちらは若くはなく、最後に会ったときの熊のような髭面メガネだった

証拠見せようか? ほら」

彼女はそう言ってあのデジカメを見せてきた

最近見てなかったけどこの人が持ってたのか、と夢の中の俺は思う

液晶画面には、俺が撮って一度も見ていない三人の自撮り写真が表示されていた

しかも、中央の俺が無邪気に自撮りしている後ろでJ君とSの姉が手を握って見つめ合っている

この頃から繋がってたのかよ、と夢の中の俺が思う

「そうだよ。確かめてみな」

目を覚ましてから、押入れの中身をひっくり返してあのデジカメを探した

昔は知識がなくてどうにもならなかったが、充電器などなくても記録媒体を取り出してマルチリーダーで読めばデータは吸い出せるだろう

しかし見つからなかったし、そのことで必要以上に感傷に襲われることもなかった

ただこれだけは言っておかねばならない

パンチラハンター支配され、パンチラハンターとして人生を終える増田もいる、ということを…

2023-08-03

anond:20230803220544

中島敦山月記」を音読することを勧めてやってほしい。話はみんな知ってるけど、これ、中年になって、売れてない(のに自信がたっぷりある)クリエイターが読むと号泣するやつ。しかも、いいこと書いてある。

2023-07-27

anond:20230727115439

それな。勝手ダメなことだと思い込んでセルフ抑圧しといてファンの前で大号泣ってアホなんか

2023-07-25

仕事を辞めて半年経った

半年前、精神疾患による困難が生じ仕事を辞めた。何もせず半年経った。

起きては寝るのを繰り返す。一歩も外に出ず床に臥せる。たまに娯楽に興じてみるがすぐに焦燥感支配されやめる。通院すら困難。

昨日やっと元気が出てずっとできていなかった部屋の掃除をした。乗らなさ過ぎてあがっていた車のバッテリーを復活させてもらった。

すごく活動的だったので、今ならいけるかも!と思い、復職に向けてそこら中に連絡した。

電話で話している内に苦しくなってきて号泣した。頭が痛くなった。

心を許していない人に向けて自分の話をするのが苦手だ。

特に疾患と就職の事を話すと確実に泣く。冷静でいられなくなる。

自分という存在相手の想定の埒外だ!」と思うと、泣いてしまう。

話せば話すほど「自分の現状はどうしようもないのだな」と絶望的な気分になる。唯一の突破口が自死だと思える。

考えが浅く、言葉遣い子供っぽい。

世界の全てに甘えているし、自分は出来損ないであり、恥ずべき存在だという感覚が全身を支配し、結果涙が止まらなくなる。

負い目がある。恥ずかしくてたまらない。まともに働けない自分他者とのコミュニケーション障害がある自分死にたい自分被害妄想と加害妄想

薬を飲んでいないからこうなるのかもしれないな。

でも今の処方に気分安定薬はない。診察の際は気分が安定しているからかもしれない。

診察中に号泣すればいいのか?薬を飲めばこのカス人格矯正されるのだろうか。

炭酸リチウムを体にぶち込んだところで健康的な腎臓が濾過してしまうのになんの意味が。

金がないのに毎月毎月薬に金を払うのも大変だし。金がない。そうだ。働かないと。外に出ないと。

働き出せば少しは自信が付くと思ったし、お金があれば自由に買い物ができるんだと思っていた。全然違った。

何をしていようが自分自分だった。変わらなかった。

くだらないことで延々と悩み、傷付き、泣き、欲しいものは買えず、死にたさはずっと付き纏い、もう縁が切れたはずの苦手な人間が夢に出て来る。

眠れないし、眠りすぎる。

嘘ばかりついている。

苦痛に耐えられない。逃げてしまう。

どうしてみんな働き続けられるんだろう。

レールから外れた人生苦痛だ。

大きな選択をするのが苦痛だ。

まれ環境に居ると思う。働けなくても、一応しばらく生きていける。

このままではダメだが、現状を動かして、酷い目に遭いたくない。

書いたら少しは楽になるかもしれないと思い書いたが全然だった。死にてえ~

息子がはじめてトイレで💩できた

息子は「漏らしちゃった😭😭😭」って号泣

いやそれできてるんや

成功してるんや

2023-07-19

きょうだいトピック心身にめっちゃ悪いのよ

ヤフコメろうかと思ったけどまとまりきれなかった↓



きょうだい児」っていう呼称をどう捉えるべきなんだろうか。

『障がいのある人のきょうだい』っていう字義はわかるんだけど、きょうだい児その人は、誰かのきょうだいと呼ばれるより先にその人でしかない。

悪く言えば卑屈な感じのする言葉だなと思う。ダブルでなくハーフ自称するみたいな、どうしようもない卑屈さ。

ダブルみたいなもっと適正な呼称があればいいのにね。


私は障がい者からきょうだい児のトピックを見かけるたび、槍玉に挙げられてる感がすごい。

だってきょうだいのせいで問題が生じることって、障がいだけでなくあまねくあるんじゃないの?

ときょうだい児トピックネガティブ感情が生々しく障がい当事者のみに向かいうるから怖い。

障がい者槍玉に挙げられていい、ネガティブ感情が好き放題に示されていいと思われるのなら、そこに差別はあるんやと思う。

大地真央号泣するってば。


きょうだい児を被害者になるより先に、障がい者が生きる最低限を稼げなかったりなまぽで部外者からやいやい言われる現状がどうにかなっていればなあ。


しかし、

障がい者が好きで困難を抱えたのではないのと同じように、

きょうだい児も好きで困難を抱えたわけではないのだから

困難を有している仲間だと、部外者から謂れのないこと思われうる者同士だと、思えたら楽だろうけどね。

さすがに無茶だよね。


って言いつつ、きょうだい児が主人公の某ノンフィクションドラマでは、健常者の姉とダウン症の弟がしっかり共存していたりする。

ここを成功例と見るなら、鍵となったのは、差別感覚が少ないこと/愛情深さ/外部にしっかり頼ってることあたりだろうか。

ちなみに三番目は原作者SNSから推察した。


障がい者ときょうだい児に限らずだけど、愛情しか救われないタイミングがあって、それをお互いにちゃんと見る余裕があったなら、きょうだい間ってうまくいく可能性があるんじゃないかと思う。

ていうかそういうのないと土台きょうだいとかうまく行かないという私見。裕福でもない家柄ならね。


尻切れになっちゃったけど明日早いので。


参照:兄の障害彼氏に言う? 消えない悩み 広がる「きょうだい児」支援




20231218


薬剤師資格持っててゴリゴリ稼いでる人が、妹が障がい者なんだって言って。

でも稼いでるから全然余裕なの。

障がい者自分能力不足で人生辛くなって、

きょうだい児は自分能力不足できょうだいへの不安が増して、

双方自分能力不足の辛さなのに、障がい者が二人分のネガティブを背負わなきゃならなくなる。そういうネガティブを示される。

きょうだいトピックの辛さはこういう感覚もあるかもな〜って、思ってこのポストも思い出したか追記した次第。

まあ稼いでても不安な人もいるし、稼いでなくても不安にならない人もいるか

あと「お前はきょうだい児だからもっと稼げ」って言われたらちょっとわけわかんないもんな。きょうだい児は言われてるように感じてるのかな。


そうですそうです、ネット愚痴るのは自由。だから自分もここで書いてる。

ただし多数派同調して増幅する。のが怖くて辛い。

2023-07-17

君たちはどう生きるかが響かなかった件について

普通にネタバレあるからまだ観てない方はスルー推奨】

結論から言って

犬王(アマプラ)

廻るピングドラム(アマプラ)

君たちはどう生きるか(劇場)

を立て続けに観た自分に、一番刺さったのはピンドラだった。

ジブリの新作がそうでもなかったや…という事実しょんぼりした理由は、自分に響いたのが

持つ者の冒険

よりも

持たざる者の救済譚

だったからだ。

ピンドラについてはいろんな人が言及してると思うから割愛する。

今回は、ジブリの新作がピンと来なかった地味なショックについて書こうと思う。

君たちはどう生きるかの中で印象に残ったのは、黄泉の国という名の生き地獄になっていたペリカンたちが最後あの塔から飛び出して、眞人に「出られたんだ、よかったね」と言われるところ。

そこで初めて自分が、乙事主よろしく老いペリカンが語った「絶望感」に共感していたのだと気づいた。

扉を開ける直前にお母さんが言い放った「火は得意よ、素敵じゃない!」は普通に泣かせポイントだったからそれはそれとして、

しか家族観をめちゃくちゃ大事にする文化を持つ韓国の人たちが千と千尋を見た時に号泣したのが冒頭の「両親が豚になる」シーンだったと聞いた。

それと同様に、半ば宮崎駿自伝ともいえる今作の通低音が「今を生きる人たちのバックボーン」とは異なりすぎてて、しかも我々のそれが割と地獄めなベクトルへ向いていることを、「自分にピンとこなかった」ことで改めて突きつけられたような気がしたのだ。

冒頭から描かれる「すげえいいとこの家」という事象けがギラギラしちゃって、内容が頭に入ってこない。

金持ちの家の子」という要素だけで、「自分とは違う子」として切り離して捉えちゃって、主人公やその周りの人物の誰にも共感できない。

目の前に展開されているのはフルスロットル宮崎駿なのに、最後までついぞ一緒に冒険できなかったのだ。

金持ち描写一つで足止めを喰らい、あの作品を正面から喜んで受け取れないくらいには、自分が貧しくなっていた。

なんかそれが妙にショックだったというか、悔しかった。

と同時に、かねがね思っていた〝最前線文化教養は「生存不安のない者」たちからしかまれてこねーんだな、そいつらの夢想という名の創作物をありがたがって消費してるのが私なんだな〟という、自分もびっくりするほど狭量な感覚に襲われた。

ってゆー結論なっちゃうのがどうしても悔しいからもう一回観に行きたいなとは思ってるんだけど、Twitterとかで「とりまもっかい見る」つってる人たちの心の中、なんか同じような感覚の人いない?

ねえいない??

コミケ原稿落ち着いたらもっかい見に行く予定ではあるんだが、その時にはすっきり消化できてたらいいなあ…

2023-07-13

anond:20230713140743

まあ俺はウソップ海賊団が解散するところで号泣しすぎてその先読んでないけど

2023-07-12

手越祐也を愛していた、愛していたかった。今でもきっと愛している。

近頃平野君と神宮寺君の、というか脱退ジャニーズ関連のニュース世間を騒がせている。

ジャニーズ卒業・脱退・解散する、というニュースを聞くたびに、私は手越のことを思い出して苦しくなる。

手越祐也がNEWSを、ジャニーズをやめて3年が経った。

なんでこのタイミングで書き起こそうと思ったかというと、前述のキンプリ騒動をはたから見る中で、そろそろ一度振り返ってみてみてもいいんじゃないかと思ったからだ。

というか、オルタネートを書いた加藤さんではないけれど、あの出来事から3年という長い月日がたって感情的ならずに思出せるようになって、でもこれ以上離れてしまったらきっと気持ち記憶も色あせてしまうから、「今」が最初最後タイミングなんじゃないかと思った。

何を話すかといわれると難しいが、結局のところ手越のことをどう思っているかというお気持ちと思い出をたどるための文章である

どこから話そうか迷ったが、時系列順で話すのが一番いいのかもしれない。

小学生のころ、私はジャニーズなんてみじんも興味がなかった。

なんか女子が騒いでるなあという感じで、当時の関心ごとといえばサッカー観戦、ポケモンイナズマイレブン受験勉強ライトノベル、あとはおままごととかだろうか。

でもVS嵐も、イッテQも、地獄先生ぬ~べ~も、鉄腕ダッシュも見ていたし、キスマイの光のシグナル(ドラえもん主題歌だった)も大好きだった。

ごくごく普通小学生だった。

中学生になって、親友ができた。

彼女は歌がうまくて、カラオケが好きで、そして増田担だった。彼女カラオケに行くと、親友は必ずNEWSの歌を入れる。

当時4+FANの合いの手リズムがわからなくて苦戦したのをいまだに覚えている。

友達が歌う曲をどうせなら一緒に歌えるようになりたいと思うのがカラオケ好きの性である

親友に頼んでNEWSCDを貸してもらい、聞いてみたのが多分2017年

まずNEWSの歌にはまった。

アルバムを4つくらい借りたのでそりゃ一曲くらい好きな曲もできるし、テゴマスは当時から歌がうまかった。

歌番組の時に親友からアナウンスがあったので、時間が合えば見ていた。

当時日テレっ子だった私は、イッテQ手越を、everyで小山さんを知っていた。

気づけば親友からテレビドラマバラエティ番組情報アナウンスも入るようになり、私はNEWSをしっかり好きになっていた。

親が厳しかったためにファンクラブは入れず、ライブも行けなかったが、私は私なりの最大風速でNEWSのことが好きだった。

それから2020年まで、のんびりと、自分なりの距離感ではあったが「好き」を貫いていた。

2020年2月NEWS LIVE TOUR 2020 STORY当落発表があった。

2017年のNEVERLAND、2018年EPCOTIA、2019年のWORLDISTA、最後2020年STORY

4つのライブ頭文字をつなげると「NEWS」になるこの4作品は、通称「4部作」と言われるもので、NEWSにとっても、ファンにとっても思い入れの深い、大事大事ライブだった。

STORYアルバム)」にはファンの将来の夢が収録された楽曲や、メンバーからファンに向けてつづられた思いのこもった楽曲、9人時から気持ち言及するような楽曲インタビューなどがふんだんに盛り込まれていた。

チームNEWS全員にとって本当に大切なアルバムで、私たちSTORYライブ成功を心から願っていたし、心から信じていた。

しかし、世界新型コロナウイルスによる混乱に見舞われた。

様々なイベントの中止が決まっていった。

STORYももちろん例外ではなかった。

「来月にはこのパンデミックが収まる」と信じて駆けずり回ってくれた方がどれだけいたのだろう。

三大ドーム城ホ横アリ

大きな会場を抑えてファンのために準備してくれていた。

ライブ直前のラジオ内で行われたマジカバナナ的なゲームでは、「準備万端といえば?」「「「「STORY!!!」」」」と4人で口をそろえて言ってくれていた。

河川敷ランニング中、桜の舞う中で聞いたその言葉を今でも覚えている。

しかし準備万端だったはずのライブは一公演一公演丁寧に中止を重ねていき、結局全公演中止になってしまった。

実はあの当時、ファンの間でうっすら「STORYが終わったらNEWS解散or 何かしら節目を迎えるのでは?」という空気があった。

実際どうだったのかは本人たちに聞かないとわからない。

それでも、STORYに込められた気持ちはそれだけ大きかったのだ。

「この作品最後なのかもしれない。そんなことはあってほしくないけれど、もしそうであれば、悲しいけれどきっとどうにか受け入れることができると思う。」

そうファンに思わせるほどものだった。

時が来れば必ず報われると思っていた努力が、世界規模の不幸によってぶち壊されてしま気持ちは痛いほどわかる。

この辺は一回全員back number水平線』と 「入学から、この世界だった僕たちへ。」を聞いてきてほしい。

当時高校生だった私も何度も泣いた。

当時仲の悪かった母親背中をさすられながら、夜中に号泣したこともある。

高校生活の中で最も大事な思い出になるはずだった最後合宿が、文化祭が、体育祭が、すべてがなくなってしまうやるせなさに、どれだけ頑張っても結局行われなかったそれらにたいして、声をあげて泣くことしかできなかった。

そんな中で、私はジャニーズWESTに出会っていた。

彼らは底抜けに明るかった。

少なくとも明るくあろうとしてくれた。

まあ彼らに救われたことに関して詳しく書こうとすると長くなるので割愛するが、ジャニーズWESTと出会たことで私のジャニーズ世界は大きく広がっていた。

NEWSはびっくりするぐらいジャニーズ内での縦のつながりがない。

気がする。

あったらごめん。

小山さんと手越からちらほら後輩の名前が挙がっていたくらいで、残りの二人に関しては正直ほとんど思い出せない。

増田さんは兄貴高橋君がいるか

加藤さんは正門君と如恵留くんがまあ居るか?と思ったが、名前が出始めたのはコロナ後かもしれない。

少なくともグループ全体でかかわりの深い後輩グループみたいなのはなかったと思う。

NEWSしか見ていなかった時代、全員顔と名前が一致していたのは正直NEWSと嵐とTOKIOだけだった。

ジャニーズWESTはそこが大きく違った。

関西での縦の結びつきは、とんでもなく強かった。

WESTと仲のいいだれだれが出ているなら、時間もあるし見てみよう、という感覚で、芋づる式に「顔と名前とざっくり性格くらいまでなら把握している」程度のジャニーズが増えていった。

とまあそんな時期、手越が飲んでた。

外で、女の子呼びつけて。

「ねーわ」って思った。

でもまあ手越だし。

そういうやつだし。

そりゃ謹慎くらいするべきやろうけど。

まあ謹慎開けたらちゃんと戻って来るやろと思っていた。

文春では退所報道とかもあった。

正直なところ不安も大きかった。

Johnny’s world HAPPY LIVE with YOUが発表され、NEWSが3人で出演すると知ったときは動揺した。

見るのが怖かった。

それでもNEWSが好きだったから、あとこれは余談だけど、同じ日の出演者ジャニーズWEST(推し)とHey! Say! JUMP(当時好きだった女の子推し)だったのでその日の配信チケットを買わない選択肢はどちらにしろ無かった。

3人のステージを見て、安心した。

泣いた。

それはもうボロボロ泣いた。

簡単セトリを書くと

クローバー」:NEWSからファンへのメッセージソング、4人それぞれが自分パート歌詞を書いた。手越ソロパート前半は歌わず、後半は3人で向かい合って歌った。

weeeek」:6人時からずっと歌っているライブ定番曲であり、代表曲

エンドレスサマー」:6人時代の思い出の曲

「Going that way」:小山さんのソロ

世界」:加藤さんのソロ

「戀」:増田さんのソロ

UR not alone」:4人の代表曲ライブ最後アンコールで必ずうたわれる名曲。ラスラビ手越ソロパートこちらも歌唱ナシ

手越ソロパート部分を歌わないという選択をした三人を見て、三人は手越の帰る場所を守ってくれているのだと思った。

ほかの2グループアイドルらしいきらびやか衣装で華やかな曲を歌っていて、言い方を変えれば自分たちのファン以外の子たちにも楽しんでもらえるような、それでいて自分たちのファンにも愛を届けられるような、そんなバランスの取れたセトリを組んできたのに対して、NEWSははなからNEWSファンと、それから手越のことしか見ていなかった。

セトリを今確認してみても、MCがないのはNEWSだけだ。

状況が複雑な中、語ることを選ばなかったのかもしれない。

当然だろう。

でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う。

私は手越の部分の空席をあえて作るその演出を「3人は手越が返ってくると考えている、これはその表明である。何も案ずることはない。もう少ししたらまた4人のNEWSになる」と受け取った。

違った。ダメだった。彼は帰ってこなかった。

3人での配信ライブが行われた次の日、「18時半に手越に関する重大ニュースがある。おそらく退所報道である」という情報リークされた。

昨日の配信ライブで得た確信なんてものはいつの間にか崩れ去っていた。

私はそのリー情報が本当な気がしてならなかった。

どうしてもその事実を受け入れたくなくて、夕方17時に布団に入った。

ただの現実逃避だ。

知るタイミングを遅らせたからと言って事実が変わるわけではないのに。

朝起きて、ニュースを見た。

不思議とこの日の朝から記憶あいまいで、もしかしたら無意識で封じ込めてしまっているのかもしれない。

泣いた気がする。

気がするだけだ。

3人の側があれだけお前の居場所を作って待っていてくれたのに、なんて不義理なんだ。

せめてSTORYは終わらせてから抜けてほしかった。

あれだけ一生懸命準備してきたものを放りだして「今」退所しなきゃいけない理由があるのか。

事務所じゃできないことって何なんだ。

会見と、その後の活動半年間くらいはみていた。

でも結局彼がわからない。

今書いている恨みつらみが、どの時点で私の中に生まれ感情なのかも正直わからない。

「やめたくなかった」「まだ続けたかった」という発言散見されていた時、「じゃあやめなきゃよかったじゃん」「今ならまだ間に合うから、戻らせてくださいって頭下げて戻ってきてよ」と思っていた。

それと同時に、私たちを、四部作を、3人を、すべてを放りだして知らない人たちと知らないところへ行ってしまたことに激しく怒っていた。

暴露にもならないような浅い内容の暴露本を出したことにはぶちぎれていた。

それでも、彼が好きな気持ちもまだあった。

心のどこかで彼を信じていた。

彼を嫌いになることで、彼がいた時代の楽しかった思い出たちまで嫌いになるのは嫌だった。

でも、脱退前後以降の彼の行動は到底許せるものではなかった。

気持ちの整理がつかなくても手越勝手にズンドコ進んでいっちゃうし、NEWSの3人も少しずつ動き始めていた。

少しずつ「3人のNEWS」が当たり前になっていって、人数が少なくなっていった自虐もたまに挟まるようになっていって。

あといつの間にかNEWSKinKi Kidsに次いで上から二番目になっていたことにびっくりした。

ずっと中堅くらいの意識だった。

そういえばもう嵐もTOKIOV6SMAPタキツバいねえや。

あとたまに忘れちゃうけど、エイトのほうが一年デビュー遅いですよ、これは増田さんへ。

ジャニーズ事務所手越アイドルでいさせてくれた。

あの事務所のおかげで、私たち魔法にかかっていられた。

脱退後のインタビューで、「多くの人は、アイドル事務所という“魔法”にかかっている」と手越が話していた。

違う。

多分違うと思う。

あなたは“魔法”をかけてもらっていたのだ。

“ただの手越祐也”ではなく、“ジャニーズ事務所NEWSアイドル手越祐也”だったから、私たちあなた素行を、すべてひっくるめて、「アイドル個性」と思って愛することができた。

むろん愛すべきところがたくさんある人だ。

花が開いたようにパッと明るく咲く笑顔が大好きだった。

周りを巻き込んで笑わせてしまうような、自分の信じているものに対する絶対の自信からくるあの笑顔が大好きだった。

人の心に直接刺さるような、それでいて華やかで、のびやかで、何にも縛られないような歌声も好きだった。

いつだかジャニーズみんなでTOKIOの『宙船』を歌ったとき、一人きりで上ハモ担当していた。

あの時の誇り高さは、あれだけの大人数でも埋もれない美しい歌声は、きっと一生忘れない。

運動能力の高さと、周りの空気を作り上げてどんな難題だってこなしてしまうところは、天性のアイドルだと思っていた。

彼以上に「アイドル」という言葉が似合う人間はいないんじゃないかとすら思っていた。

どこにも行かないとは思っていなかった。

きっといつかどこかへ行ってしまう人なのだろうと思っていた。

それでも、あなたの安住の地が、優しいあなたの探してた場所が、僕らの愛したここであればいいと思っていた。

今でも正解がわからない。

NEWSいたころの手越が大好きだ」「2020年以降のことに関しては絶対に許せない、許さない」という、相容れない感情いつまでもぐるぐる渦巻いている。

カラオケSUMMER TIMEMVなんか見ちゃうやばい

あのMV全員ビジュ良いけどその中でも手越さん可愛すぎないか

気づいた人がいるかどうかはわからないけれど、私いままでこの文章の中で二回だけ「手越さん」呼びをした。

この段落での一回と、3人での配信ライブの内容に言及したときの「でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う」という文章の中。

この三年間、私は手越を恨み続けてきた。

コロナ前までは「手越さん」と呼ぶことも少なくなかったが、退所後はかたくなに「手越」と呼び続けてきた。

ちなみに残りのメンバーはずっと「小山さん」「増田さん」「加藤さん」「山P」「錦戸君」呼びだし、ほかのグループの人のことも呼び捨てをすることはめったにない。

これはささやかな反抗だった。

私は、「私はあなたを許さない」という気持ちを込めて「手越」と呼んできた。それでも、彼のことを愛おしいと思うときには思わず手越さん」と呼んでしまうのだ。

結局私は彼に対するこの矛盾した気持ちを抱えたまま生きていくしかないのだ。

退所前後の一連の行動は許していない。

きっと一生許せないけれど、彼が健康で、幸せでいてくれるといいなと思う。

今の彼のことを応援しているファンのことを盲目だとも思わない。

彼にはそれだけの魅力もある、訴求力がある。

好きになってしまうのはしょうがない。

あの奔放さを、考えなしな一面を、どうしようもない自我の強さを、許すことができるのであれば私だって今の彼の活動応援したい。

もう一度あの伸びあがる歌声を聞きに行きたいし、はちゃめちゃさで成り立ってしま天才的なバラエティ感覚享受したい。

でもだめだ。

ダメなのだ

許せないのだ。

何一つ。

愛していたからこそ。

信じていたからこそ許せないのだ。

それでも愛しているのだ。

結局この話に結論なんてない。

せっかくなのではてなに挙げてみるが、誰かに届くかどうかなんて考えてない。

ただ、こういう折り合いのつけ方をした人間もいる。

というのをどこかに放流しておきたかった

すべてのアイドル幸せでありますように。

できる事ならファンにとっての幸せと、アイドルにとっての幸せが同じでありますように。

2023-07-09

祖父との思い出

祖父は私のことが大好きだった。

小さい頃は近所の公園まで連れて行ってくれて、もう少し歳が大きくなると自転車の後ろに乗せてイオンまで連れて行ってくれたり、お祭りに連れて行ってくれたりしたことをよく覚えている。

夏休みほとんど親の実家に帰る家だったから、子供の頃の夏の思い出は大体がこんな感じだ。

私が20歳くらいの頃だ。

祖母祖父が家に遊びに来ることになった。

祖父祖母父母私で食事に行った。4人乗りの車だったので、私だけ自転車で店まで行き帰りをすることになった。店も自転車20分くらいだし、仕方ないことなので特に何も思わなかったのだが、車で帰ったはずの祖父は私の帰りを道の途中で待っていてくれた。

心配だったのだろうか?まさか待ってくれているとは思わなかった。いいのに、と思うが同時になんて優しいんだろうと感動した。かなり印象深い思い出の一つだ。

そんな祖父も、近年は認知症を患って周りの人間のことを忘れたり、思い出したりしていた。詳しくないが、進行はかなりゆっくりだったのではないかな、と思っている。

私はもうアラサーになっており、さら一人暮らしをしている。なかなか祖父祖母に会いに行くのは難しくなっていたので母が実家に帰ったタイミングビデオ電話で少し話したりしていた。

ある時のビデオ電話だ。

母が祖父に「この人誰だか分かる?」と聞いた。私のことだ。「わからん。綺麗だなあ」と言った。

私のことを忘れていたことが辛かったのもあるが、それでもまだ私を褒めてくれるんだなという思いでグチャグチャになって通話を切ってからおいおい泣いた。

私の名前は覚えているけど…と言っていたところもまた嬉しいような悲しいような気持ちになった。

去年会いにいった時は私のことを時々思い出していて、テレビ電話と実際に会うのでは違ったりするのかな?と思った。よく分からないが、たまにでも思い出してくれてたのは嬉しかった。

そんな祖父が先日亡くなった。私の31歳の誕生日だった。

周りの人のことを忘れたり思い出したりする祖父は、性格こそ穏やかだったし前と変わらなかったように思うが、私と遊んでくれていた頃の前の祖父とは厳密には違う人だったのかもしれない。

でも、あの頃の祖父と会えなくなることと、もう祖父とは会えないことはやはり全く違う。

もう90も近いしかなりの大往生だった。

詳細は聞けてないが、おそらく老衰のような感じなのではないかと思っている。大きな病気はしていなかったはずだ。

それで90近くまで生きられるのはなかなかにすごい事だ。

なので、良かったなあと言う感情で悲しみを和らげることができるのはありがたいことだ。

まだ心の整理はついてないし、ふとした時に祖父との思い出を思い出して涙ぐんでしまう。本当にかわいがってくれていたなあと改めて思う。私も祖父のことが大好きだった。

お葬式には行けなかったが、今祭壇に囲まれ祖父遺影なんて見ようものなら号泣してしまうだろうから行けなくて良かったと言う気持ちが少しある。四十九日には行く。

父方の祖父は私が小さい頃に、祖母中学生の頃に亡くなったので、親族が亡くなるのはかなりひさしぶりのことだった。友人や知人を亡くしたこともない。ペット金魚しか飼ったことがない。それも小学生の時だ。

人と比べたことがないからわからないが、どっちかと言うと死に触れることが少ない人生のような気がする。

私はもういい大人だが、大人になったからと言って辛い事や悲しい事とうまく折り合いがつけられるようにはなってない。

自分自分の地続きでしかないんだなあと強く思った。当然のことなんだろうが、考えたことがなかった。

50になっても80になっても同じように大切な人の死はつらいんだろう。

から毎日大事に生きようとか周りの人を大切にしようとか、やっぱりそう言う結論になるんだけどそれがなかなか。前者は特に仕事をしてたら無感情のまま1日が終わっている。難しいな。

今の気持ちを書き起こしておこうと思ったので、めちゃくちゃだが終わり。

2023-07-07

飯田圭織バスツアーanond:20230707184529

出発予定日前日の2007年7月6日夕方にその報せはファンの間を衝撃と共に駆け抜けた。

『速報 元・モー娘。飯田圭織 できちゃった婚を発表!』

現役アイドル恋愛の是非などについてはここでの言及は避けるが、とにかくバスツアー飯田に会えることを心待ちにしていたような熱心なファンにとっては最悪のタイミングマスコミにすっぱ抜かれてしまったのだ。

SNSも今ほど普及していなかった時代、当時の最大手BBSハロプロファンが集う掲示板は大荒れに荒れた。*1

そして、一部ファンは眠れないまま迎えたバスツアー当日。

意外にも(?)ツアーを当日になってキャンセルするようなファンは少なかったらしく(いなかったとは言っていない)バスツアーは決行。

出発時までシークレットだった目的地は千葉県野田市にある清水公園と明かされ、また到着後から参加客のBBSでの実況で明かされるツアーの全容が「1人19,000円の会費にそぐわないのでは?」と、参加しなかった住民たちに衝撃を与え、そして以下のような現在まで語られるコピペとなっていった。

メインはバーベキュー用のソーセージと肉(肉は1人1枚。ソーセージは1人1本。)

8人テーブルに1.5リットル烏龍茶一本(キッコーマン製)。よくあるサントリーのではなく。

デザートバナナ切り落とし(約7名のテーブルに付き3本分のバナナ切り落としが皿に盛られて用意された)。

お楽しみ企画は寂びれた遊園地に在りそうなジャンボ迷路。食後に行われた。

時間推していた為に、約半数のヲタをジャンボ迷路放置したまま迷路出口で次のイベント開始。

飯田ヲタで『笹の葉さらさら』を合唱

ヲタ飯田トーク中に号泣(原因は不明

ビールは別売(一杯500円?)

最後バス飯田の周りをぐるっと一周回って帰路につく

バナナを1人の割当以上の2本食べたヲタが、スタッフに「人として失格」とか叱られていた

2023-07-02

今のオタクアイマスU149みたいな「非現実的バケモノ達の圧倒的強さの観覧」しか受け入れらないのだろうか

人並みに悩むアイドルアニメが受け入れられない時代になった。

等身大人間を描いたアイドルアニメは「この程度で悩んでんじゃね―よ」「脚本都合の鬱とかいらねーんだよ」と言われてしまう。

もはやアニメアイドルにウジウジと普通の悩み方をするのなんて許されないんだ。

成長、それも絶対的肯定するしかない成長の糧とする悩みしか視聴者求めない

愚かで人間臭いから悩むのではなく、無限に成長する可能性を秘めた怪物から、どこまでも高みを目指しそれ故に自分の至らなさと何度でも向き合う、その過程の悩みだけがある。

鬼滅の刃の炭治郎が口にした「強くなるほどに自分の弱さがよく分かる」という号泣

今やアイドルアニメで許される弱さはそれだけだ。

普通人間がするような躓き方は許されない。

強者強者故に壁に当たり、強者であるが故に素早く乗り越えまた強くなる。

その強さだけを見ている。

努力する姿を見せるのがアイドルであるとその昔誰かが言っていたが、その努力レベルが凡人と同じでは許されない。

無限努力してなお更なる強さを求める姿をオタクアイドルアニメに求めているんだ。

バケモノじゃなければ存在価値はない。

人生が本当に2周目の超常的存在や、常人なら人生を3周しても得られない精神性を持った小学生のような、絶対的で圧倒的で完璧で究極の存在でなければ「アニメアイドル」たり得ないわけである

恐ろしいものだな。

どっかのアニメで「神アイドル」という言葉があり、それが本当に天上の世界に挑む存在になっていたが、まさにそのレベルじゃなければアイドルアニメアイドルじゃないんだよ。

等身大人間を描く場所としてもはやアイドルアニメは相応しくない。

からWUGは失敗に終わった。

まり、この現象は10年以上前から既に始まっているってことだ。

オタクの考える「アイドル」の姿はいつの間にかそういったモノになり、それが一過性ブームで終わらず定着したってことだな。

2023-06-19

嫁が式の前日う○こを漏らした

うそろそろ時効なので書こうと思う

.

タイトルの通りなのだが、嫁が式前日、前泊のホテルの部屋で思いっ切りうんこを漏らした。

もう10年以上前出来事なので記憶あいまいなのだが、それでも事の衝撃のでかさである程度の記憶はまだ残っている。

その事件当日のながれから説明すると、俺と嫁は式を行うホテルに前泊を行っていた。(しかも会場ホテルの取り計らいでスーパースイートルーム的なところ)

ある程度の準備を済ませ、ホテルレストラン食事を済ませてあとは寝るだけにしようと思いレストランは向かった。

式の打ち合わせで何度か訪れたことのあるホテルだったのである程度のメニューは把握しており、前食べた~のパスタがおいしかったけど量が少なめだったかコースメニューにしようかと2人で話していた。

.

しかしここで一つ誤算があった。

打ち合わせの際に利用したときランチメニューであり、コースボリューム感は全く把握していなかったこである

2人して頼んだコースはとんでもないボリュームで、おしゃれな雰囲気の中残すわけにもいかず何とかして食べ切ったが2人ともグロッキー状態だった。

ここの段階では腹痛などはなく「多かったね・・・」と2人で話す余裕があったのだが、さあ部屋に上がろうかと立ち上がった直後から異変が起きる。

.

立って歩くと同時に「やばい・・・」とつぶやく嫁、え、どうした?と聞き返すも、一瞬立ち止まっただけで歩き出し、「いや、大丈夫、早く戻ろう」と言うのでそれに従いエレベーターに向かう。

早く上がってゆっくりさせてあげようと思っていたのだがエントランスから明日の式の為に前泊しに来た友人たちの姿が、あちらから気付かれそのまま談笑タイムへ。

みるみるうちに顔が青くなる嫁、それに気づきながらも友人の話が止まらず焦る俺。

.

やっとのことでその場を後にし、エレベーターに乗ったとたんお腹を押さえて体を傾けだした嫁。

嫁「本気でヤバイ・・・

俺「部屋まで耐えられる?スイートルームからちょっと遠いし途中のトイレかやっぱ戻って1階のトイレ行く?」

嫁「いや、戻ったらまた友達いるし部屋でゆっくりしたい」

俺「そっか、、、」

.

嫁の意思尊重して受け入れた俺だが、内心かなり不安だった。

なんせスイートルーム最上階にある上にフロアの一番奥(エレベーターから50m以上は歩くかな?くらい)なのだ

本当にやばい奴がその距離を歩いて大丈夫なのか?

そう感じていた。

.

エレベーターが着いてドアが開く、明らかに嫁の歩くスピードが遅い。リクガメのようだった。

ぶって行こうかと伝えるが振動がきついと拒否られる。

全然平気だから部屋に先に行っておけと言われたのでそれじゃあと部屋に入り、なるべくすぐ入れるようにと扉を全て開放し電気をつけ、便座のフタを開けておいた。

.

その瞬間は突然だった。

嫁が部屋に入る影が見え、これで一安心、とテレビを付けてひと段落していた瞬間だった。

部屋に響く情けない声「あぁあ無理。。。。。」

え?何?と扉を開け様子を見ると、トイレを目前にしてその場でへたばる嫁の姿。

臭いですぐにわかってしまった。

もしかして、だめだった?」

「うん、、ごめん」

.

そこからが大変だった、号泣しながら処理する嫁とそれを励ましながら風呂をためて脱いだ服を洗う俺。

最終的に下半身の服は全てだめになってしまい。ある程度洗った後に袋に詰めてごみ箱そばに置いておいた。

次の日スタッフごみを回収したとき臭いで気付かないかがとても心配で、今でも気になっている。

(もしかしたら式前日に漏らした人がいるいう噂になっているかもしれない)

完全に自信を無くした嫁は目を腫らすまで泣き続け、次の日の式でも少し腫れが残った目で執り行ってしまい、今でもたまに話題に上がる。

(勿論2人だけの秘密なので2人でしか話題にしない)

ただそのおかげかとても充実した日々を過ごせていると思うし、巻きグソのように固く結ばれた愛がある。

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ここで話すことで人に話したくなる欲が少しでも薄まればと思い、書き記すものとする。

愛してるよマイハニー

2023-06-16

anond:20230616185547

承前 https://anond.hatelabo.jp/20230616185547

雨が上がった後の、朝の空気はみずみずしい。

東京でもこんなに空気うまいなんてと思った。

タクシーを拾って帰ろうかと思ったが、病院の周りなのにまったく見当たらない。

そもそもここはどこなのだろう。

救急車に同乗していたので、土地勘がまったくない。

仕方なく、検索をして、近くの駅を探して、その方向へ歩いた。

家に着く頃は足は鉛のように重く、玄関入ったらその場で倒れて寝てしまいそうだった。

靴をぞんざいに脱いで、リビングカーペットまでよろよろと進み、膝をついた。

誰も周りにいなくなったら泣こう。

駅まで歩きながら、ぼんやり思っていた。

始発電車のシートに座ったとき、ここで号泣してしまったら、

もう動けない。

家に帰れなくなる。

乗り換えて、家の近くの駅で降りてからも、歩きながらつぶやいた。

泣くな、泣くな、ここで泣いてなんになる。

泣くな、泣くな。

頭を、カーペットにつけて、慣れた家のにおいを嗅いだら、

安心して泣こう。

そう思っていたのに。

涙をこぼす前に、頭をカーペットに付けた姿勢で、寝てしまった。

気づいたら7時半。

スマホアラームが鳴って、飛び起きた。

あ、会社に連絡しなくちゃ。

夫の会社留守電入院したことを吹き込んで、私の連絡先も残す。

チャットで状況を上司に知らせて、休暇を申請した。

さぁ、また、1日がはじまった。

昨日と同じようにはじまったが、昨日とは全然違うんだと思った。

2023-06-13

弱者男性が「お前ら席が隣になっただけで女の子号泣した経験ないくせに」ゆってて

いやリアルのお前どんだけキモいねん!思たよ

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