「優等生」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 優等生とは

2017-05-31

LGBTに対する見方と、イルカに対する見方は同じ

権利保護するに値する能力を有しているかどうかが最大の関心事

イルカ人間意思疎通したり集団生活を営むほどに知能が発達している」(他の動植物保護しなくていいの??)

「私の周りの同性愛者は感受性が強く創造的であり、美的感覚が優れている」(もし出会ったLGBTが、そういった優等生でなかったら??)

無意識のうちに「俺らは弱者を守ってやってる強者なんだよ」的な感じなのかな?

は??自惚れてんじゃねーぞ

民進党のゴールはどこなのか

さっきTwitter観てたら「♯野党は全面審議拒否を」っていうハッシュタグトレンドに出てた。

人気のツイートをいくつか見てたんだけど、改めて民進党とその支持者がどこに向けて動いているのかよくわからなくなってしまった。

彼ら曰く、「国会を止めるという異常事態喚起して国民の関心を集めよう」ということらしいけど、それって本当に意味のある行動なのか。

私は”共謀罪”に関する一連の与党の態度には疑問を持っているし、安保法案の時同様に強行採決されそうな風潮にはNOを唱えたい。

でも、「全面審議拒否」という、ある意味不貞腐れたように見える態度をとることは、メッセージを届けたい層に対して逆の効果をもたらしてしまうんじゃないかな。

ただでさえ森友や加計議論の中で(与党印象操作があるにしろ)粗を探して反対のための反対を続けている野党に対して、無関心な層がちょっと引いてしまっている風潮を考えると、今回もし審議拒否したら、同様に「野党ってクソだな」という印象をまた重ねてしまうのではないか

たとえ意味がないことであっても、いくら与党の引き延ばしにあっても、国会ルールにのっとって愚直に審議の場で反対する姿勢を示した方が、「横暴な与党」が顕在化できる気がする。どうせ強行採決されるなら、せめてうまく負けたほうが良いと思う。

身内だけで自己満アジテートして、「我が代表堂々退場す」してみたところで民進党支持率は上がらない。あなたが思うほど無党派の僕らはバカじゃないよ。

これに限らず、ゴミみたいな安倍政権を崩したいなら、愚直な優等生を演じた方がいいんじゃない。今の民進党は全打席ホームランを狙って三振してるうちに、四球エラーで失点していつの間にか与党に大差をつけられているように見える。

2017-05-25

頭で選んでるのはその通り

http://anond.hatelabo.jp/20170523181252

基本的彼女たちは優等生思考から本能で選べとかそれこそ無理ゲーなだけ

キャリア学歴経済力など今まで重視して築いてきた価値観はそうそうひっくり返らないし同じ価値観相手にもそれを求めるのはごく自然に思える

あと、息苦しいのは優等生からこそ世間一般の「結婚観」を気にしてしまうこと

結婚はした方がいい」「仕事の出来る夫をもつことが女の幸せ」など昔から一般論を振り払って逆の道を行くには彼女たちは優等生すぎるんだよね

2017-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20170513192329

サヨクってクラスでまぁ優等生グループだけど一番になれなくて本当はオレが一番なんだから一番を引きづり降ろしてやろうとか、貧乏から金持ちを引きづり降ろしてやろうという精神の現れなのだ

国会ウォッチャー精神分析サンプルにちょうどいいぞ。

2017-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20170509231646

ブコメにもあったけど,高専から大学への編入組は大変優秀な学生が多い.東大場合大学院から早稲田慶応などの私立または他の国立大学から来る学生も多いが,彼らの優秀さは東大生の優秀さとそれほど変わることなく,ヤベー感はない.よくある優等生といった感じだ.

一方で,高専からの編入組は基本的にヤベー感が高い.ゲームで言えば初期パラメータの振り方,偏りすぎてません?という学生が多い.そういう学生研究室での研究テーマ合致するとものすごーーーく成長し,バリバリ研究成果を生み出していく.(合致しないと辛いことになるのかもしれない)

おもうに高専編入組の優秀さの源泉は.通常の大学生が1-2年生のとき体験するサークル飲み会などの乱痴気騒ぎと無縁であるからではないだろうか.ある意味変人変人のまますくすくと育てられるのが高専の良さでもあるので,偏った人の強みを育ててあげてほしい.数学大好き魔人とか組み込み大好き魔人とか.

2017-05-08

魔性についての考察

 理由あって「魔性女性」に興味がある。

 魔性とは一体何なのか、何故彼女たちは魔を宿すに至ったのか、どうすれば魔に魅入られず無難にやり過ごすことが出来るのか、知りたい。

 まず、私が魔性女性に大きな関心を抱くようになった経緯をお話したい。

 もう十年以上前の話だ。

 大学に入ったものの、雰囲気が全く合わず精神的に追い詰められていた。医療系の大学だったが、勉強する内容の重要性について頭では理解出来ていても、全く興味を持てなかった。授業も、半強制的に入部させられた部活動ストレスしかなかった。

 詳しいことは省くが、家庭の状況もあまり良くはなく、どこにも安らげる場所がなかった。独り暮らしでも出来ていればよかったのだろうが、地元大学ということもあって親の意向により却下された。

 経済的問題ではなく単に束縛したかったのだと思う。ちなみに増田男性なので、娘を心配する親心とかそういうものではない。

 そんなこんなで、入学してから数年は、内面を押し殺して級友たちに愛想を振りまきつつ(閉鎖的な環境だったので、浮いてはならないという意識があった)、何とかかんとかやっていたが、ある時、留年した。

 留年したことによる自尊心の損耗と、牢獄から抜け出る時期が遅れることへの絶望を覚えたのと同時に、大学からしばらく離れられるという安堵があったことは否めない。一年間の休養を経て大学に戻ったが、当たり前だが一つ下の学年と合流しての再出発だった。そこでPさんと言う女性出会った。

 Pさんは清楚な美人で、社交性もあり、学年の中でも慕われていた。成績も優秀な上、運動神経にも優れ、所属する部活動大会では毎年優勝候補に挙がるほどだった。力のある教授運営する研究室にも出入りしており、要するにパーフェクトに近い人だった

 そんなPさんがどういうわけか私によくしてくれた。彼女の交友範囲はとても広かったが、特に学士留年生のグループと仲良くしていて、その関係もあったのだろうが、傷心だった当時の私にとっては有難いことだった。

 有難いと思っているだけで済ませられればよかった。

 お察しの通り、彼女に恋をした。入学してから一瞬たりとて心の休まる時がなかった私にとって、彼女笑顔天使のそれに思えた。彼女はよく、誰にも見えない角度でわざわざ上目遣いになって、輝かんばかりの笑顔こちらに向けてきた。

 この他にも色々あったが、当時の私が非常に純粋であったことを差し引いても、Pさんのこちらに対する態度は異性への好意を示すもの解釈して問題なかったように思う。あの状況下で彼女の内心を疑う者はまずいないだろう(個人主観ではあるが)。

 ほどなくして私は彼女告白をした。彼女の反応はすげないもので、私はとても焦った。何故? あれほど好意を向けてくれていたのに、どうして? 焦りから、青臭い感情を凝縮した内容のメールを送ってしまった。この一通のメールだけで、この後は一切電話をかけることもしなかったが、本当によかったと思っている。

 あっさりと流したが、この時は本当にしんどかった。全身の血液がドス黒く濁り、冷たく沸騰しているような感覚が続いていた。そんな時、あるクラスメイトの男と話す機会があった。仮にYとする。

 始めは野郎二人で食事をしながら世間話をしていたのだが、慰めてもらいたい気持ちがあったため、ついPさんとのことを話してしまった。するとYの血の気がみるみると引いていった。

「だからの子はそういう子なんだよ!!!

 まだ心の整理が出来ていなかった私は、どうして彼女こちらに好意もないのにあんな態度をとったのか気になって仕方がなかった。むしろまだ好意を持ってくれているものとどこかで信じていた(よくある話だが)。だからYにも意見を求めた。そうしたらこの反応。何かがおかしいと思った。問い詰めた。確実にSは何かを知っている。何を?

 私が引きそうになかったため、Yは遂に折れた。絶対に誰にも言うなよ、俺から聞いたってことも秘密だぞ、と念を押してからYは言った。

 「宗教だよ」

 今度はこちらの血の気が引く番だった。混乱する私に対してYは自分携帯電話の画面を見せてきた。そこにはPさんからメールがあった。

 「セミナーに一緒にいきませんか? 料金は私の紹介で、特別料金の〇〇〇円です」

 という内容が女の子らしいテンションで書いてあった。何のことはない、Pさんの正体は美人局だったのだ。そして私は獲物に過ぎなかった。かつてのYと同じく。Pさんがセミナー勧誘を切り出す前に私が舞い上がって告白をしたため、その後の展開は違ったが。

 後にSから引き出した断片的な情報を基に彼女ブログ特定した。目を剥いた。子供の頃UFOを見た、宇宙エネルギーを感じている、アセンション、などなど彼女が本物であることを認めざるを得ない内容がこれでもかと綴られていた。

 彼女は様々な種類のカルトを次から次へと渡り歩いているようだったが、当時、彼女が入れ込んでいたのは代替医療詐欺をメインとするカルトだった。彼女は、医療大学学生という肩書を利用して、明らかに効果がないと思われる高額な代替医療商品宣伝ブログ上で行っていた。彼女自身モニターとなっていた。

 本当に恐ろしかった。あの天使のような笑顔も、何もかもが嘘だったことが。そしてその嘘に踊らされていた私自身の滑稽なまでの無防備さが。

 恐怖とともに、怒りと恥ずかしさ、情けなさが爆発的に湧き上がって全身がねじ切れそうになった。吐きそうだった。

 ここで私は最大の失態を犯す。傷ついたプライドの代償行為。弄ばれたという被害者意識の炸裂。どこまでもみっともなく、どこまでも愚かな行動。

 「前回のメールの内容は冗談だった。ところであなたのことは全て分かっているよ」

 といった内容のメールをPさんに送ってしまった。勿論、前回のメールの内容が冗談なわけはなかったし、本気だった。何を今更としか言いようがない。見苦しいこと極まりない。

 そして「あなたのことは全て分かっているよ」。これは示威行為だ。Pさんは自身の裏の顔を隠すべきものとして認識していた。事実、事が広く知れ渡ったら大きな問題となっただろう。まだ学生とは言え、医療者の端くれが代替医療詐欺に手を貸していたのだ。ブラックジョークでは済まされない。

 私はPさんのアキレス腱を握っていた。そのことをあえてPさんに伝えることで、Pさんと同等以上の立場に戻ろうとしていた。惨めな男としか言いようがない。

 さて、この行動がどんな結果を生んだか。

 死ぬほど後悔することになった。

 想像してみてほしい。私は留年生、つまり成績不良の劣等生だ。対してPさんは先述したようにどの角度から見ても完璧優等生だった。学年内のどのグループとも交流があり、誰からも信頼されていた。教授から好感度も高い。留年生で、味方がほとんど大学内にいない私が彼女に立ち向かうことは、自殺行為しかなかった。

 おそらくPさんはそこまで計算した上で、獲物を選定していたのだと思う。もし私を型に嵌めることができず、私が暴れ出したとしよう。周囲はこの状況をどう見るだろうか? 身の程を知らない勘違い劣等生が学年のマドンナに振られてトチ狂っているとしか思わないだろう。

 そうした保険をかけた上でPさんは私に近づき、魅了してきたのだ。気づいた時は後の祭りだった。

 私は学年内において孤立することになった。いや、孤立で済めばよかった。表立っては誰も口にしなかったが、私の学年内における扱いは完全に狂ったストーカーのそれだった。

 告白を断られた時に送ったメールは既に広く出回っていた。Pさんが「勘違いされて変なメールが来た」と、多方面に流したからだ。このことはYが教えてくれた。だが、Yこそが最悪の敵だった。彼の立場にたって考えてみてほしい。

 誰が私にPさんの正体を知らせた? 内通者は当然Pさんにとって敵となる。そうなることをYは恐れたのだ。Pさんと敵対して、この学年で、この大学で生きていけるわけがない。だからこそ、Yは誰よりも激しく私を攻撃してきた。Pさんに睨まれないために。彼自身が生き延びていくために。

 私は全てを理解した。これ以上、足掻けば足掻くほど状況は悪くなってゆく。あの時点で私に出来たのは、ただひたすら身を縮めて、ひっそりと残りの学生生活をこなしていくことだけだった。復讐手段がなかったわけではない。インターネット掲示板彼女ブログを貼り付けて拡散すれば、彼女とて無傷では済まなかったろう。

 だがそれをして何になる? 私に対する大学内での風当たりはさらに強くなるだろう。裏では散々なことを言われていても、表向きは何もないことになっていた。私が何もしなければ、向こうも直接的には何もしない。そういう冷戦状態で安定していた。

 その時期、何度か私の携帯電話に非通知の電話がかかってきたくらいで、特に何事もなかった。だから私はそれ以降、影になろうと必死努力した。

 こうした経緯で私は魔性女性というものについて、大きな興味を抱くことになったのだった。

 少し長くなってしまったので、一旦、ここで区切らせて頂く。私自身の魔性についての考察は次回に持ち越したい。ところで、もしよかったらこれを読んだ方の中で、魔性女性について思うところがあれば、是非、コメント欄に書いてほしい。ブコメでもいい。魔性女性について、自分の考えを整理するための参考にさせて欲しい。よろしくお願いします。

2017-05-03

風俗ってやっぱり怖いと思った

前もって言っとくけど怖い兄ちゃんが出てきたりはしません。

丁度3年前のゴールデンウィークの頃に暇だというのもあって

性欲がケモノばりに大騒ぎしてた俺はデリヘルを初めて利用した。

格安は避けて信用出来そうな所を探して、よさげなのあったら爆サイで一応評判を調べたりした。

今頃はてな界隈がようやく爆サイを見つけたようだけど、風俗使わないで右手恋人優等生が多いのも関係あると思う。

候補絞った所で若くて小柄でショートカットヘアで少し肌が焼けてるというドストライクな子を見つけた。しかも入りたてである

90分コース指名した後、向こうが指定したホテルで何度もスマホでその子写真を見ながら仮面ライダーアギト主題歌を歌って心の準備して待ってた。

今思えば変わろうとしてた自分にピッタリな選曲だった。

ドアをノックする音が聞こえた、開けるとそこは写真と変わらぬ姿した子がいた。

マジでこんな子が来てくれるんだという驚き、しかしこの子に性欲をぶつけてもいいんだろうかと戸惑っていたら

察してくれたのかその子笑顔で接してくれた。その笑顔を見た俺は戸惑いから喜びへと変わった。

そしてズンドコベロンチョした。しまくった。2発ほど焼いた肌に人造保湿クリームを施した。

結果としては大満足に終わった。

それから俺は仕事が忙しくなり、個人的事情もあって風俗は一度も利用していなかった。

そして現在、久々に暇になった俺はふと思い出して3年前に利用していたデリヘルサイトアクセスした。

流石にもうあの子はいないだろうと内心は思ってた。

ところが一覧には3年前と同じ写真であの子がいたのである

俺は嬉しいというよりもゾッとしてしまった。

3年前からずっとズンドコベロンチョし続けてきたなんて

毎日ではないにしろ、1日に何人もズンドコベロンチョしまくってるだろうし

あの時にやったキン肉バスターを返して更に返したりするプレイだって他の男としまくってるだろうし

直接的な行為は無いにしろ3年間も不特定多数の男とズンドコベロンチョしまくってて

それは果たして当時のままの綺麗な身体といえるのだろうか?

いや、3年前に入りたてと言ってたが、もしかしたら過去にも別の店でも何年もズンドコベロンチョしてきたかもしれない。

自分身体は今の所はまだ何ともないが、もう風俗を利用することはないだろう。

リスクを背負ってまでマッスルスパークしたい人ならいいかもしれないが、やはり怖いと思った。

2017-04-27

部下が鬱で休職した

遅い昼時、流行っていない定食屋に入ると客はただ一人自分だけであった。ぼーとしていると、涙がぽろぽろ流れてきて驚いた。

何の涙かわからないが、ともかく原因はわかっている。

部下が鬱で休職した。手塩にかけたといっていいほどの部下だ。

うちの会社IT系)の立ち上げからの創設メンバーで、つい先日までバリバリコードを書いて、客との交渉要件定義をし、見積り必要工数計算までできる部下だ。

先日、突然ちょっとした言い合いか感情が爆抜したようになった後、「辛い」とだけ書かれたメールがきて休職となった。

なぜ、このようになったのか、何が起きたのかわからなかった。つい先日まで同じ部屋で同じ空気を吸っていたのだ。今年は確かに仕事の量は多かったかもしれないが過去これ以上の修羅場はいくつもあったし、乗り越えてきた。

しかし、数通のメールのやり取りと「辛い」メールの後、一回した面談で分かったのは典型的な鬱の症状だった。会社の最寄り駅の階段を上るときに動悸がする、手が震える、いっぱいたまったメールslackredmine自分を押しつぶそうとする、これらを泣きながら話す姿を見ていると鬱と思うしかない。

自分もこの会社の創設メンバーの一人だ。創設からずっと一緒だった。正直、ブラックな時もあった、いやこの春もそうだったのかもしれない。

しかし、できるだけ仕事を共有し、負担を軽減し、状況もみて「辛そうだったら、俺にふるんだぞ」と言い続けてきた。過去はくじけそうになる僕を部下が叱咤激励することさえあった。その叱咤で頑張れた。その後は社員の質の向上を会社が掲げ、仕事環境もずいぶんと向上しているはずだった。メンバー全員がよい職場づくりを考えて改善してきた。今年は例年と比べて仕事量を減らしたつもりだった。

思い当たるところはある。

一人前になるにしたがって部下に任せきりになり、安心していた。一エンジニア立場からマネージメントまでするようになって、僕の知らないところで客との交渉や調整で苦労がたまっていたのだと思う。忙しいときほどよく話すのがいつもだったが、今年は忙しくなって2人で話すことが少なくなっていった。

なぜ気が付いてやれなかったのか、どんなに辛かったのか、そんなことばかり思い浮かぶ。

電車の中、スターバックスコーヒーを飲んでいるとき帰宅途中の道で、ふと頭を空っぽにしたり気持ちが緩んだ時につい考えてしまう。そしてなぜか涙が出てくる。どうして、どうして、という思いと、こんなつらい気持ち以上に、当の本人が辛いと思うとやるせない気持ちになる。

相談してほしかった。力になれない自分が情けなかった。気がつけなかった自分が情けなかった。

周りは、直接の上司である僕がコンタクトはしないほうがよいという。だから今はメール電話もしていない。

僕はその部下にとって「過労を象徴する」者で、辛い会社代表する「悪の権化」となっているかもしれない。

今は部下が元気になれるように、休職制度手続き場合によっては転職によって仕事場環境を変えるときに不利にならないように交渉している。

定食屋の親父がこちらを見ていた。人前でいい歳の男が泣くなど自分でも思っていなかった。

僕でさえこんなに辛いのだ。僕以上に彼女はつらいだろう。そう思うとまた涙があふれてくる。どうしたらよいのだろう。

こんなことを匿名で書いていて、なんになるのだろうと思いながらも匿名ダイアリー吐露するしかない。

こんな光景3月4月日本では珍しくないのだろうか。







4/28 2回目の追記)

8時間ほど前に追記と誤字の修正をしたのだけど、後で見てなんとよい子で優等生的な追記だろうと自己嫌悪になったのでこの追記を編集する。

増田コメント優等生な追記をしてどこまで僕は馬鹿真面目なんだろう。

僕もそろそろ心療内科いかねばならない頃のようだ。いろいろなものを見直す時期だと思う。

今日、元社員に「〇〇さん(僕の名)はいいかっこばかりするんですよ」と言われた。かっこいい仕事ばかり取って金になる仕事をとらないのだという。

投資家VCの顔色を気にして、会社の業績としてぴかぴかのプロジェクトばかりとっていたのだ。金儲けする泥臭いプロジェクトを避けていたのだと思う。

ベンチャーとして頑張らなければという気持ちが強かったのだが、それは言い訳だろう。僕の頑張りは僕の自己満足でそれで他のメンバー犠牲を強いていたのだろう。

彼女は信頼できる友人、あるいは妹のような存在だと思っていた。そんな部下を犠牲にしてまでどんな業績があるというのだ。

匿名ダイアリーがいつまで保存されるか知らないが、自分への戒めのためこの日記をつけたことと今の気持ちをずっと忘れまい。

2017-04-09

2017年アニメ感想

やっと見終わった

アニメはこれからチェックする

セイレン

宮前先輩派

鹿ではネコ科には勝てなかったよ

チェインクロニクル

黒に来るが楽しかった

エロ担当があっさりで不憫

原作ゲームキャラクター世界観踏襲したままアニメならではの独自なことをやる手法としてダブル主人公というのはおもしろアイディアに思えた

けどけもフレも同じか

自分が知らなかっただけでさほど珍しい手法でもないのかな

この素晴らしい世界に祝福を2

1期同様おもしろ楽しいのだけど、宗教ネタでいじるのはちょっとどうなんだろう

ゆんゆんかわいい

ハンドシェイカー

手をつないでいる男女(同性同士でもいいけど)を見たらもしやハンドシェイカーかと身構える楽しみを覚えてしまった罪深い作品

こちらは手をつなぐ相手がいないか部外者なんだけどね

新居昭乃がいいアクセントになってた

OneRoom

主人公視点カメラ盗撮視点カメラとを交互に見せることでそこはかとなくいかがわしい雰囲気演出することに成功していたと思う

ミュージシャンの夢破れて田舎に帰るのがいたたまれなかった

政宗くんのリベンジ

人間関係とかテンプレではあるんだけど、テンプレなだけに安心して楽しめた

それだけに尻切れトンボ構成が残念

剣山 叡智への資格

1期目とは雰囲気が変わったような気がしたけど、これはこれでおもしろ

とくにおっさんがいい味出してた 水車小屋もよかった

心を試される試験では日本マンガアニメだと主人公がウジウジ悩みそうなところを、この主人公は弱い奴らのことなんか知らねーって言い切ったのがスカッとした

ニコニコで見ていたのでオープニングの馬に毎回つっこまれていたのだけど、まさかその馬が話の中で回収されると思わなくて素直に驚いた

神々の記(ニコニコ配信されていたからここに入れておく)

森川智之劇場

かわいい方向に寄せた森川智之というのは案外貴重なのではなかろうか

AKIBA'S TRIP -THE ANIMATION-

ひとくちに「オタク」といってもその中身は十人十色ということがよくわかるし、その多種多様な「オタク」をまるっとまとめて飲み込んでいたのが秋葉原という街なのかもしれない

得意分野だけではなく得意ではない分野でもそれなりに知識カバーできるような総合的なオタクのための作品なのだろうと思う

自分にはわからないネタも多かった

小林さんちのメイドラゴン

小林さんがイケメンすぎる

エルマの活躍をもう少し見たかった

スクールガールストライカーズ

途中の息抜き回かと思っていたおむすびころりんの釣りの話とかバレーボールゴレンジャー)がちゃんと結実する構成個人的な好みにどんぴしゃ

少し前に伏線が回収されればおもしろくなるわけではないといってた増田がいたけど、回収されることそのものおもしろさというものもあると思うんだ

ガヴリールドロップアウト

かわいいし笑いもおもしろくて抜群の安定感ではあるのだけど、なんというか全体的に隙が無い優等生みたいでどこか部分的に褒めるというのがむずかしい

得点は高いけど部門別にすると2位とか3位とかになっちゃうような器用貧乏みたいな感じ

2017-03-31

教師から見る離任式

小学校先生、をしている。

……といっても正規任用ではなく、1~2年で異動になることの多い講師という立場である。今の小学校には1年在籍し、異動することになった。今年は3年生の副担任として充実した時間を過ごすことができた。この仕事は好きだが、私が今回疑問に感じたのは「離任式の在り方」である

異動になることが多いため、これまで様々な学校で離任式で壇上に上がる立場になった。離任式にある「代表の子どもが作文を読み、別の子が異動される先生方に花束を渡す」という一連の流れ。このときの「花束を渡す子ども」は、今までどの学校でも「その先生に1年を通してお世話になった子」が渡すことがほとんどである。そのため、離任式が近づくと「花束を渡してくれる子は誰だろう、一緒にかけ算の筆算勉強をみっちりやったあの女の子かな…、それともあの男の子かな…誰だろうな…3年生のどの子かな。」と、異動をする前は花束をくれる子が誰かを予想することが恒例になっていた。

しかし当日、私に花束をくれたのは「まったく関わりのない新6年の子」だった。異動されるすべての先生に「新6年」が花束を渡していた。私の横にいた特別支援学級先生は、学級に新6年がいるにも関わらず、まったく別のしっかりした優等生花束を渡していた。違う、何か、違う。これは、子ども可能性を潰している。

今回勤務した学校は「花束を渡すのは、しっかりした態度で渡すことのできる子ども」という選定基準だった。離任式というものは「先生子どもたちとの別れの式」である形式はあるが、「しっかりした子が花束を渡す」ことがすべてではない。ただ花を渡すだけではあるのかもしれないが、残る先生たちはどうか、異動される先生には「その先生とかかわりのある子ども」に花束を渡すようにするべきだと感じた。

見送りの際は、3年生の子どもたちがすごくさみしがってくれた。わたしもとてもさみしい。だけど、みんなと過ごせてとっても楽しい1年だった。次の学校でも、この仕事に誇りをもって頑張りたい。

今日読んだ本

マイケル・ルイスさんのブーメランという本を読みました。

ドイツ人は表面はまじめで優等生ですが、無理してるので裏ではとんでもないことをしたがってるそうです。

そして、うんことか肛門とかがすごく大好きだそうです。

2017-03-06

空気読めない私でもTwitterは読める

大学サークルちょっと優等生な感じで気難しい子(隠れ腐女子)がいるんだけど、

しばしば会話で自分空気読めないスキルを発揮してつい触れてはいけない

地雷トークをを踏んでしまうこともあって

険悪なムードにしてしまうことが多かった。

でもたまたまTwitterでその子の垢を発見して本音を垂れ流しちゃうタイプと知ってから

定期的にウォッチ

そのころから地雷トークを避けられるようになってノッってくる話題もわかるようになったので

ちょっとだけ仲良くなれたような気がする。

空気読めなくてもTwitterは読める。

スマホ万歳

でもただ一つ残った大きな地雷

この事実をバラしてしまわないように細心の注意を払わなくては

ならなくなったことだけど(笑)

2017-03-04

勉強が出来る」と「優等生」を一緒にすんな

優等生」はただ従順なだけなとこがあってバカにされるんだろーが。

日本教育制度におけるところでな。

知的なワンパクっ子が被害被り過ぎだろ。

2017-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20170214154121

成人するのももうすぐといういい歳なのに

仕草とか喋り方とかフリートークの内容とかが

田舎中学にいる優等生みたいだからじゃね

2017-02-11

教師との恋愛という罪の告白

 先生出会ったのは、わたし中学生の時です。彼は大学院卒業後、国語非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。

 当時のわたしは、授業中は寝ているか教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。

 気持ちが変わったのは、制服シャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強楽しいと思うことができたのです。

 いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプわたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。

 先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたし地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。

 いや、違うかもしれません。分からない問題先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたし先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。

 たったの半年程度で、わたし順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。

「1位を取ったらデートしてください」

 先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席優等生の顔が浮かんでいたのだと思います先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。

 300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたし学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。

 わたしは、先生とのデート権利をかけて彼女一方的勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。

 誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたし先生からメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。

 わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキー職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。

 映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想い今日最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。

 しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生気持ちを手に取るようで、その真剣眼差しに促されるように、わたしは「はいはい」と頷いていました。

 先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄しか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さなから過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。

 先生わたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入り教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。

 高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。

 そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。

共犯者だよ、君も捕まる」

 そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。

 わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから

 物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日先生学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたし学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。

 先生は、主任校長にだけわたしたちの関係告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたし校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。

 先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女関係を辞めました。

 先生わたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断たからです。

 春休みわたし毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。

 高校3年生の時、知り合いか先生都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生いるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかたからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。

 なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。

 先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。

 わたしの家には毎年、主任校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですからわたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。

 はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたし片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。

 冬になり、主任校長一人暮らしになったわたし年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。

 2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきますわたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールはいわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧しか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。

 

 はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きていますわたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。

 しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。

 せんせぇ、さようなら

 はいさようなら

 いつか終わりを迎える日に、罪を抱えた半身の行方を知らずに眠ることが、わたしはできそうにないのです。

2017-02-10

優等生から鬱病になってクズになった僕の人生

死にたい ひたすらに死にたい

誰もこんな僕を知らないんだろ

僕が話すことや行動だけ見て僕が死にたがってるだなんてなんにも知らない家族他人 うざいんだよ 死ね 死んで見せつけてやろうか でも死ねないんだよ 死ね

今の僕を見てクズしか見えてないクズども死ね

僕が元学年トップだった過去なんて誰も知らないんだろ 死ねからもただのバカで低脳クズ扱い 死ね

今見てろクズ共 見返してやる なんて思ってなんにも出来なかった もう何も戻れないんだよ 死ね

鬱病になって中学1年二学期から不登校になった

それまで学校休んだことは無かった 部活も周りがサボる中絶対にサボらなかった

宿題も泣きながらやってた

テスト勉強ちょっとするだけで高得点が取れた

塾ではベスト5に入るようになった

自分が賢かったことに気付いた 友達も多かった

中学に上がって平然と30点を取ってる人が信じれなかった

逆にどうしたらそんな点数が取れるのかと疑問に思ってた

小学生からその時までずっと優等生だった 逆の気持ちなんてなんにもしらなかった

そこで僕は不登校になった

久しぶりにテストを受けた 何にもわからなくて初めて0点を取った

初めてこっち側気持ちがわかった

普通の人というのは普通にしてるだけで普通に点が取れることがわかった

でも1度でも落ちぶれる普通の人なんかよりも絶大なエネルギーがないと普通になんか戻れないんだよ

から普通の人は普通じゃない人の気持ちはわからない 普通じゃない人は普通になりたくても中々なり得ない

とりあえず死ね

そこから人生は180度変わった

親に毎日のように怒られ、びくびくするようになった

だって学校行けない自分絶望してたんだよ そして行きたかった 行けない自分を殺したいくらい行きたかった 自殺未遂なんか何回もした それでも行けなかった

そんな僕のことなんかなんにもしらず親は殴ってきた

無理矢理中学に連れていかれたことも何度もあった そんなことが起こる度に学校が怖い場所になりいつのまにか同じ年くらいの人間の声がするだけで心臓バクバクするようになった

そして僕の鬱病悪化していった

お前らのせいだよ 死ね 死ね

中学3年間家に引き篭もって2ちゃんねるゲームに浸る日々だけですごした

勉強なんかできなかった

それでも学校に行けない自分が嫌いで、普通の人のような人生を送ってないような自分が嫌いで、不登校になるかもしれない覚悟で少し遠いDQN高校入学した

そこには同じようなクズ達がたくさんいた 最初こそ同年代人間がいるだけで恐怖でしかなかったけど慣れていった

ヤンキーは怖かったけど実際悪い事言われたことはなく良い奴らだった

途中2週間ほど学校に休むこともあったけど必至にノートを写し、宿題完璧にし、流されない自分を作ろうと頑張ってた 休んでても特に何も言ってこない奴らで良かったと思った

それでも傷つきやすく、極度の不安に陥り、負の連鎖が止まらなくなることが本当によくあった

僕にとって一番苦しい時間だった

だが段々と僕はその負の連鎖に陥りそうになった時に結論を求めるようになった

そうするとただ1つ「考えても仕方が無い」という結論に毎回なることに気付いた

これは本当に自分を変えた思考方法だと思う なにか不安になった時、考える間もなく結論を出すようにした そうすると本当に楽になった それから段々鬱のような症状は無くなっていった

自分が傷つかない様に変われた瞬間だった

いつしか僕は不安にならなくなった

緊張感が無くなった

怒られることに恐れなくなった

自分がしてる行動に責任を感じなくなった

僕は高一の時は先生に真面目に思われてた

遅刻はしないし授業は真面目にノートを取ってテスト勉強もかかさずしていた

でもそれは自分が失敗して傷つきたくないからだった

高2高3になるに連れて僕は失敗しても傷つかない自分を手に入れていた

そうなることで僕は毎日のように学校遅刻するようになり授業中はほぼ寝るようになった

卒業できればいいと思いテスト勉強は最低限だけし、ノートに限っては1度もペンを握らなくなった

そんな今更戻れないクズが出来上がった

どれだけ怒られてもその場限りはいと言って何も実行できなかった

責任感が圧倒的に欠如した

人間不安や緊張は物事を頑張るためにある機能なんだと知った

理想だけを胸にこんなDQN学校じゃなくて真面目な自分友達でまた自分をやり直したいと思って大学進学を夢見た

でも僕は勉強を実行することが出来なかった

それどころか頑張ることが何も出来なくなっていた

頑張ることが出来ない人間 この世界で一番醜くて認められない、更にその上理想まで夢見てる アホがクズろくでなしが出来上がった

僕は浪人した 自分は家で勉強たかったのに父親がうるさく予備校にいけと行って無理矢理行かされた

僕はその学校不登校になった

そんなあからさまに酷いことをしてるのに何一つ責任を感じれなかった 焦れなかった 何円かかってるかわからないのにそれでも僕は責任感が欠如していた

僕は二浪した 自習室に行って勉強するようになった そこでも22時までの制限があるのに夕方20からしか行けなかった

だらだら怠惰でいつのまにか夜になっていた

10月になり初めて念願の自分の部屋を姉から譲り受けた 今まで僕は自分の部屋が無いから僕は勉強ができないと親に主張していた だからこんなにクズなんだと、自分の殻にこもれないか精神おかしくなったんだと 自分でそう思っていた

でも自分の部屋があっても勉強できねぇじゃねえかよ 死ね

自習室でやってたより勉強時間が減った

そんなこんなで今日Fラン大学を受けてクソみたいなやり込んだ問題も解けなくて衝動的にこの文章を書いた

鬱病になったらもう終わりじゃん

治ってもクズしかならないってなんなの?

俺に与えてくれたお金経験知識全てが0になった中学時代 いつまで背負えばいいんだよ

死ぬまでこんな思いしないといけないのかよ 死ね

俺に誰も期待すんなよ 絶望すんなよ でも馬鹿にすんなよ 全員死ね 俺なんかなんにも出来ないんだよ 頑張ることが出来ないんだから 死ね

どうしたら緊張感を出せる?不安感を出せる?焦らせれる? 責任感を復活させれる? ググっても逆の答えしか書いてねえじゃねえかよ 死ね

おまけにコミュ障どもり症バイトもできない バカにされるのも嫌だ 逆転人生狙おうとしたけど無理だった ニートも嫌だ 就職も嫌だ 専門学校も行こうとは思わない

ここで大学に行けなかったら一生普通人間に戻れなかった自分に後悔して死ぬんだ

もうどうすればいいの? 生きても地獄 頑張るしかないなんてわかってる って思いながら2年間を過ごした もうこの先は猶予がないだろ

鬱病死ね不登校死ね

なんで俺みたいな輝かしい人生を歩むつもりだった奴がこんなに馬鹿にされなきゃいけないんだよ 神様イエス様キリスト教信仰してずっと幼い頃教会に通っててずっとずっと純粋に信じてた

なにが信じるものは救われる? 信じても殺人事件で殺される様なもんだよ 取り返しのつかない不幸はどんな人間にも訪れてしまう なんで俺なんだよ 俺のせいで家族は不幸になるし俺はクズで何1つ責任果たせないし

死ね

死ね

殴り書きで初投稿 こんなクソ文誰も読まないかもしれんけど匿名から勘弁してくれ

俺は外面は死ねという言葉なんか一つも言わない善良気取りで周りからは優しくていい子だと思われてるよ

そのうちクズなことがバレてすぐ絶望されるけどな

死ね

2017-02-09

教育困難校で学んでた

とは言っても、2000年代の初め頃、高校生だったのでもうずいぶん経つが、僕が通った高校教育困難校だった。

雪が積もれば授業中でも外に出て行って遊ぶヤツもいたし、校門をとおりながらタバコに火を付けるヤツもいた。

真相不明だが、どこからか盗んできたというポータブルDVDプレイヤーAVを見てるヤツもいた。

勉強について行けなくて辞めたり、警察のお世話になって辞めたり、まあいろんなヤツがいた。

教師陣にもやる気のない者は多く、そういう教師の授業では何を言っているか解らない授業が続く中、黒板を見もせずに寝たり、漫画を読んだり、雑談したり、パチンコ攻略雑誌を読みふけったりしていた。

外見はワザといかつく見せるのが流行り、ヒゲを生やしたり、髪型をキメたり。

あと半数以上は筋トレをしていた。とにかく強そうに見えることが大事だった。

長期休暇後の宿題は、真面目にやってくる1割以下の優等生から借りて写すか、提出しないかの二つが主流だった。

テスト間中は午後が休みなので皆で飯をくったり、カラオケ行ったりと街に繰り出すのにちょうど良かった。

ちなみに、隣町にあった工業高校の怖い噂が時々流れていて、駅のホーム喧嘩してコンクリートブロック相手の頭を割ったとかなんとか、制服を見たら緊張していた。

ちなみに、五年くらい前にその工業高校を出た男と飲み屋で知り合って話したら、向こうも同じくらい僕らの高校に警戒していたって話しになってお互いに大笑いした。

僕は、まあ比較的に真面目は方だったけど、それでも飲酒不純異性交遊、深夜徘徊くらいは時々していた。

そして、今思う事なんだけど、やっぱり楽しかった。

たまに写真を見返して昔に浸ったりもする。

あの頃、どうしようもない僕たちを見捨てないでくれた大人達には感謝している。

おかげで今はどうにか働いて家庭を持って、うまくやれている。

辞めた連中と、そもそも高校進学しなかった連中の多くが犯罪者生活保護受給者になってしまっている事を考えれば僕だってそうなってもおかしくはなかったのだ。

教育困難校教員の語りも読んだが、まったく感謝の念しか涌かない。

今の僕が当時の僕と出会ったらすぐに見放す自信がある。

それを何年も頑張っていると言うのが尊敬に値する。

膨大な労力と徒労感に苛まれながら、三年間で出来上がるのは良くて標準のちょっと下。悪ければチンピラモドキという現実

報われないと思うかも知れないが、それに携わる人がいなくなれば、この世にはもっと貧困蔓延るようになる。

その仕事を続けるように引き留めはしないが、なんの意義もないとは思って欲しくない。

http://anond.hatelabo.jp/20170209104521

オバマ元大統領優等生の良い子ちゃんだからアメリカ国益優先と言いつつ、道徳的に悪いことは一切できなかった。

それが8年続いて、みんな息苦しさを感じていたんだ。

そこに登場したのが悪漢トランプ大統領

彼は言ってることもやってることも、道徳的むちゃくちゃだが、別に本人の私利私欲で行動しているわけではなく、

真にアメリカ国益を優先するために、少しだけ道徳観念には目をつむり、実践的で実効性のある施策を行っている…

国民は考えているから。

国民の大多数が、こりゃまずいと思ったなら、いくらでも弾劾手段はあるのでね。

2017-02-08

俺も教育困難校に3年勤務した。

臨任、いわゆる代用教員ってやつだ。

自分自身、成績は良かったもの優等生ではなかったし、

中学時代はいわゆる不良とも仲が良かったので、着任前は高をくくってた。

でも、現実想像を遥かに超えるものだった。

一限目は生徒の半分しかいない。

中学時代教員から見放されていた子が多く、遅刻をしても何も言われていないので

遅刻自体への問題意識もない。

奇声を上げながら学校から走り去る20人位の生徒を見た。

何があったのかと確認したら、授業の途中で嫌になってしまったらしい。

校内ではシンナー蔓延し、窓ガラスの外側はタバコの吸い殻だらけ。

注意をしたら唾をはきかけられた先生がいた。

なぐられた先生、車にイタズラされた先生も。

夜中中、暴走族が家の周りを走り回る、止まないイタズラ電話

教員名簿には住所と電話番号を載せる人が半分しかいなかった。

教室の後ろで野球をし、ぐちゃぐちゃな向きに固められた机で大声で雑談する生徒の中で、

ひたすら板書をする先生も居た。

「ね」と「れ」の違いが分からない、アルファベットが言えない、

江戸時代を知らない、自分の住所が言えない、色々な生徒が居た。

風俗街の外れのアパートで、風俗に勤める母と兄弟と、2間のアパート暮らしている生徒も居た。

卒業までに1つの学年で80人が退学する、そういう学校だった。

実を言うと私は学校先生が嫌いで教師を目指した。

でも彼らと接している内に、俺は何でここにいるんだと考えるようになった。

教師として教壇に立つという特権がありながら、

学校けが全てじゃないよ」「勉強より大切なものがあるよ」って伝えることに何の意味があるんだと。

そんなもの社会に出て教えてくれる人が山ほどいる。

俺の役割は彼らに勉強の楽しさを、学ぶことの重要さを知ってもらうことじゃないかと。

小学校中学校と、全く意味不明の授業が毎日続き、

「オレ、バカから」が口癖の彼らに「そうじゃない」って言えるのは教師しかできないことじゃないかと。

そこから必死になって勉強した。

彼らにどうやって教えるべきかを。

理解ってなんだ?知るってなんだ?身につくってなんだ?

ぶってなんだ?

振り返ると、着任前の俺は「生徒に人気のあるオレ」になりたかっただけだった。

でも、彼らと出会ってプロって何だってことを教わった気がする。

今は教育現場とは全く関係のない仕事をしているけど、

あの時の経験自分背中になっている。

素晴らしい先生との出会いもたくさんあって、忘れられない思い出だ。

増田教師を続けるかどうか分からないが、

仮に辞めたとしても「自分には全身全霊を何かに傾けた時があった」というのは、

きっとこれから人生の大きな財産になると思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170207224412

2017-02-06

日テレ番組が苦手

日本テレビ番組が苦手。

24時間テレビに始まり笑ってコラえてケンミンSHOW、行列さんま御殿等々……。

日テレ好きな家族テレビチャンネル選択権を有している関係で、嫌でも目にする機会が多くなっている。

なぜ、日テレの(特にバラエティー)番組が苦手なのか。

日テレ番組面白いしかし、どの番組優等生といった感じで、ある意味安心して見ていられるが、教科書的な規範を逸脱することは(あまり)ない。

安心感というのは、日本社会での常識価値観を、ちゃんと踏まえているということに尽きる。

ケンミンSHOWはそれが顕著で、特定地方公共団体に対する印象(常識価値観)を軸に、番組が展開する(Ex北関東は云々)。

しかし、その常識価値観のものにメスを入れるようなことはしない。むしろ偏見ともいえる常識を再強化しているようにもみえるのだ。

偏見を改めようとする試みも、「常識的に」行われるだけで、揺るがされることはない(Exしかし、素晴らしい特産物が云々)。

さんま御殿でのトークも、さんまの司会芸としてパターン化されており、ゲストの話はさんま理解できるレベルに調整され、結果としてわかりやす常識価値観に変換されて終わりである

鉄腕ダッシュにおいては、「古き良き」みたいな空気が漂う。

多くの番組教科書的過ぎて息苦しい。教科書的に振舞えと言われているように感じるのだ。世間一般感覚に従えと。

24時間テレビでの障がい者は清廉であれという言外のプレッシャー日テレ番組は、世間一般感覚を強化する。

デブデブらしく、ハゲハゲらしく、イケメンイケメンらしく。

日テレ番組は、そのズレを許さない。許されるのは、わかりやす教科書的なズレだけだ。

ブサイク美女結婚できたのは、ブサイク性格が素晴らしいから。

それが私にとっては気持ち悪くて苦手だ。私の観測範囲にある日テレ番組に限られているのかもしれないけど。

2017-01-16

増田ママが息子に教えるべきだった、たったひとつシンプルなこと

これは煽りじゃなくて本気でアドバイスするんだけど、

社会的には男女平等にして、

自分恋愛相手にだけは、男女不平等にするんですよ。

何故かというと、女の体には子を産むという価値があって、

男の体はそれを欲するように出来ているから。

子供関係ない恋愛の段階でも、セックスを前提とした男女関係ってのは、結局のところ、そういうこと)

男の体は、そのままでは女から欲しがってはもらえないから、

からセックスしたい相手には尽くしなさい。

尽くし方は人それぞれ。金銭を喜ぶ女も、優しさを喜ぶ女もいる。

ただし職場社会的な場では関係ありません。

セックスが要らない男が、これに付き合う必要もない。

いわゆる体育会系マッチョや軟派男は、

息を吸うように自然にこのことを体得しています

潔癖気味の母親に育てられた優等生あたりが、全くこの辺りのことが分かってなくて、

この増田のように固まっているのを見ますが、すごく簡単なことです。

突っ込む側と突っ込まれる側では、負担リスクも全く違うのです。

(突っ込まれる体を維持するという負担込みで)

突っ込む側が平等気分では、競争相手に出し抜かれるだけです。

ただし、突っ込むつもりのない相手には、何もしてやる必要はありません。

あなたメリットがない限り。

2017-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20170111225725

自分の知ってる顔面ボーナスさんは発言優等生だった

周囲から視線・期待によるものなのかは知らないが

話していてもなにか本音で話せずつまらないと感じた

そんな彼女も年を取り美貌も衰え、若い頃ほどではなくなった

それでも美人として生きてきたキャラってのは変わらないんだな

誰に対しても何の引け目もなく積極的に関わっていく、人から拒否されたことがないからなんだろうな

あいうのはちょっと羨ましいと思うわ

2017-01-11

沖縄本島ってどんなところ?



最後

2016-12-31

2016年懺悔詩(7)「2016」

地下鉄駅構内正体不明

過激派が暴れた

街を砕くのは漆黒のシルエット

謎の暗号は誰かの名前

俺達がまだ首都圏にいなかった頃

1995年悪魔に負けた

そしてこの事件歴史に残った

宗教アレルギーの島

求めちゃいけない

甘い口づけは

悪魔魔女が踊る暗黒の街で

何を歌おうかロキノン演歌を歌おうか

今、学生徴兵された兵士と呼ぶ

そして会社員まで兵隊扱いするのか

戦争もないのに

大卒までに

大学生のお兄さんお姉さんの

今が危ない

学歴社会

あてにはならない

俺たちを初め、多くの人達を縛りつけて

勝ち組に仕立て上げた

全ての大人優等生問題児感謝しま

2016年日本ゴミ溜め代表greatchina2

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん