とは言っても、2000年代の初め頃、高校生だったのでもうずいぶん経つが、僕が通った高校は教育困難校だった。
雪が積もれば授業中でも外に出て行って遊ぶヤツもいたし、校門をとおりながらタバコに火を付けるヤツもいた。
真相は不明だが、どこからか盗んできたというポータブルDVDプレイヤーでAVを見てるヤツもいた。
勉強について行けなくて辞めたり、警察のお世話になって辞めたり、まあいろんなヤツがいた。
教師陣にもやる気のない者は多く、そういう教師の授業では何を言っているか解らない授業が続く中、黒板を見もせずに寝たり、漫画を読んだり、雑談したり、パチンコの攻略雑誌を読みふけったりしていた。
外見はワザといかつく見せるのが流行り、ヒゲを生やしたり、髪型をキメたり。
あと半数以上は筋トレをしていた。とにかく強そうに見えることが大事だった。
長期休暇後の宿題は、真面目にやってくる1割以下の優等生から借りて写すか、提出しないかの二つが主流だった。
テスト期間中は午後が休みなので皆で飯をくったり、カラオケ行ったりと街に繰り出すのにちょうど良かった。
ちなみに、隣町にあった工業高校の怖い噂が時々流れていて、駅のホームで喧嘩してコンクリートブロックで相手の頭を割ったとかなんとか、制服を見たら緊張していた。
ちなみに、五年くらい前にその工業高校を出た男と飲み屋で知り合って話したら、向こうも同じくらい僕らの高校に警戒していたって話しになってお互いに大笑いした。
僕は、まあ比較的に真面目は方だったけど、それでも飲酒、不純異性交遊、深夜徘徊くらいは時々していた。
そして、今思う事なんだけど、やっぱり楽しかった。
たまに写真を見返して昔に浸ったりもする。
あの頃、どうしようもない僕たちを見捨てないでくれた大人達には感謝している。
おかげで今はどうにか働いて家庭を持って、うまくやれている。
辞めた連中と、そもそも高校進学しなかった連中の多くが犯罪者か生活保護受給者になってしまっている事を考えれば僕だってそうなってもおかしくはなかったのだ。
教育困難校教員の語りも読んだが、まったく感謝の念しか涌かない。
今の僕が当時の僕と出会ったらすぐに見放す自信がある。
それを何年も頑張っていると言うのが尊敬に値する。
膨大な労力と徒労感に苛まれながら、三年間で出来上がるのは良くて標準のちょっと下。悪ければチンピラモドキという現実。
報われないと思うかも知れないが、それに携わる人がいなくなれば、この世にはもっと貧困が蔓延るようになる。
その仕事を続けるように引き留めはしないが、なんの意義もないとは思って欲しくない。
ユーリ・スコット「人はその意志さえあれば、いつでもどこでも学ぶことができる。たとえ屋根の上では爆撃機が飛び回っていても、だ」