はてなキーワード: リタイアとは
この話はそのジャンルでよく分からない何かと戦わされているただの同人作家の話である。
そのジャンルはかつてものすごく治安が悪く、無断転載、炎上、誹謗中傷、トレパク、だいたいのバズった問題には必ずアイコンがそのジャンルのキャラクターの人が関わっていると言っても過言でなかった。
数年前までは。
当時は学生が多かったということもあり、そういった問題が起きがちだった。
また、ジャンルの歴史が少々特殊なため、世代による確執も根強い。
「公式が地雷だがそのジャンルで同人をしています壁サークルです。」という作家も少なくない。
数年時が経ち、上の世代は結婚や年齢の問題などでリタイアが増え、当時学生だった子たちは成人している。
ジャンルに残った子も少なくはないが、オタクブームの波が来たこともあり、一気に流行のジャンルが増え、ほとんどはジャンルを鞍替えしていった。
私はそんな、絶滅寸前とまで言われた状況だったこのジャンルに飛び込んだ。
今ならこのジャンルをイチから再生させてもっと平和に盛り上げられると思ったからだ。
幸い同人マナーに関しては大きなジャンルが失敗と反省を繰り返している。
前例を確認し、公式を大切にしながら同人をしていくジャンルにしたかった。
私一人でジャンルをどうにかするなどおこがましいかもしれないが、いつだって流れは誰かが作るから生まれる。
流れさえできればあとは私はタダのモブ同人作家に戻る予定だった。
1年目、閉鎖寸前だったお絵かき掲示板やお絵描きグループの管理人を一手に引き受けた。
私自身はサークル参加者が居なくなってしまったBLカップリングの漫画を描いていた。
管理人を引き受けて驚いたのは特定の最王道カップリング以外は不快に思う人も居るから排除しろというとんでもない意見が飛び交い始めたことだ。
これがもし、最王道カップリング主の管理人だったら、意見を呑むのだろうか?
私が出した結論は、「”全ての”カップリングイラストの隔離」だった。
二次創作において人気があるかないかで、人目にさらして良い悪いと判断することはできない。
よって同性愛異性愛問わずすべてのカップリングイラストは専用グループを作成し隔離した。
ここで更に私は驚いた。
最王道カップリングはあまりに普及しすぎていて、ジャンル者の感覚が麻痺していたのだ。
ありていに言えば「このカップリングは人気なのでみんなが描いているしもはや公式(と思い込んでいる)だからカップリング禁止でも投稿して大丈夫」という感覚だ。
何というか、言葉を失った。
二次創作においては人気問わず、誰だって自分の感じ取ったカップリングが公式だと思って絵を描いている。
ファンの人気投票によって決められたキャラが「投票の結果だから」と、ある日突然恋人関係を結ぶようなジャンルがあったらご教授願いたいものだ。
二次創作に貴賤はない。
どれもこれも公式の関係者でもないのにただの一般人がとち狂って描いてるだけ。
描くなとは言っていない。
隔離グループであれば投稿が許されているのでそちらに投稿して欲しいと要請したにすぎない。
正直マジ疲れる。
私のカップリングだって投稿できるもんなら全部ここに投稿してやりてえわ!
と怒り狂いながらなんとか人間らしい言葉遣いで彼らを説得した。
1年目が終わりかけの頃、ようやくまともにグループが動き始めたので一安心。(私の新刊もなんとか出た。)
2年目、色んな人と関わりたくてアンソロを出した。
本当にいろんな人が来た。
やばい人かと思ってた人はことに同人に関してはまともな人だった。
結局一番やばかったのは当時色々とサポートし合っていた最も近い仲間だった。
アンソロが発行するという頃、別アカウントで私の悪口を、これまた同じジャンルの人の別アカウントと言い合っていた。
と言っていたので、アンソロは送らなかった。
後日縁は切られ「あのアカウントが私だっていう確証はあるんですか」などと騒ぎ始めたが、最終的に「私だったからとして何?献本どころか謝礼金くらい出ないの?一万円くらいくれ!」と言っていたのでシカトした。
正直今思い返せばこの時点で私はジャンルの舵取りを失敗していた。
けどこの後、リアルで親友が死んでそれどころではなく放置していた。
親友は死んだが、件の相手は生きている人間であることを忘れていた。
生きているということは、私が息をしていると同時に相手も息をし、私が人と話せば向こうも誰かと話している。
水面下で。(お恥ずかしながら気づいたのはここから2年後くらい後になる。)
2年目の終わり、ここで活動を休止していた同カップリングのいわゆる神絵師に捕捉されフォローされる。
私は実のところ先の出来事で疲弊していたし、このジャンルの神絵師がどれだけやばい奴揃いかも理解していたので、若干戸惑った。
戸惑ったが、相手がものすごく褒めてくれるのでうっかりフォローを返してしまったし、それなりにDMで誕プレ送りあいっことかしてぬるま湯に浸った。
所詮私もこの程度の一般的な同人作家だったのだ。だって感想嬉しいもん。
けど、これが更に私を苦しめることになる。
3年目は割と幸せに生きたつもりだったが、今思い返せば変なことがいくつもあった。
まず、例の神絵師だが絶対にDMでしか私に感想も誕プレも送ってこない。個人的なやり取りもない。
恥ずかしがり屋なのかなと思っていたが、よく考えたら他の人には見えるとこで送ってたわ。私だけかよ。
けど、私はただのオタクだし、推しカプで騒ぐ方が最優先だったので騒いだ。
ハチャメチャに騒いだし新刊も出た。ここで本来なら相容れない感じのカップリングの神絵師に気に入られてフォローされる。
でもまあ、統計的というか、そのカプに苦手な人が多いってだけで私自身はそのカプも全然食うしいいか~と思ってフォロバした。
そのあとたまたまそのカプのオフ会にも呼ばれ、何人かと連鎖的につながった。
いや、この時点で本当に変なんだマジで。
そして事件は起きる。
ジャンルの一番でかいイベントが終わった頃、同人誌に掲載していた連絡先に来た一件のメール。
それは先ほど書いた例のオフ会あたりで仲良くなったAさんからのものだった。
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〇〇様、こんばんは。
こちらの作品、(私の推し)がとても可愛く、色っぽく最後まで楽しく拝見させていただきました。
少し気になる点がございまして、ご連絡の方差し上げた次第です。
同じく(イベント)の”Bさん”の新刊本『(作品名)』ですが、〇〇さんの漫画のコマ一部と非常に似た所がありまして……
構図的な偶然かも知れません。勘違いでしたら申し訳御座いません。(トレパク?とまではいっていないのかも知れませんが)
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というものだった。
めちゃくちゃ厄介なのがこの"Bさん"という人物。
そして何と言いますかね、イベントのアフターでも別の作家に同じ指摘をされておりました。
ここでもう私の疑心暗鬼ポイントはMAX大変身。(ジャンルに関係はない。念のため。)
ちなみに添付画像にはBさんがAさんの構図もパクったという画像も付いてた。正直そっちはそんなにパクってないと思った。
そしてこれ、めんどくさいことに私がBさんに直々にその話をしなければならないという話にまで発展する。
「人に言われたことだったんで、私はそうでもないと思ってるんですけど、トレパクとかする訳ないですよね~」
くらいのノリで言ってきた。
「私がそういう悪い事してないのはいつも仲良くしてる”Aさん”に聞けば分かる」
これ、闇ですよマジで。
仮にAさんの私への告発が本当のことだとする。
とすると
「AさんとBさんは仲良くしているように見えるが実は仲が悪く、特にAさんはBさんのことが嫌いで、Bさんの失態をこれ幸いと私に報告してきた」
ということになる。
逆にBさんは無実でAさんが私に嘘をついたとする。
すると
「AさんとBさんは仲が良いが、実はAさんが私のことを嫌っていて、私とBさんの関係を悪くするために虚偽の告発を私にした」
ということになる。
更に拗らせた考え方をすると
「AさんとBさんは仲が良く、どちらも私のことが嫌いなので、私にトレパクの話題を吹っかけて暴れる様でも見ようと結託した」
という可能性もある。
いずれにせよ碌な話じゃない。
私はそっと、この問題に蓋をした。(後日AさんはTwitterアカウントを消した。)
ついでに愚痴らせてもらうがそのカップリングのもう一人の神絵師Cにもフォローされていたが翌年私が誕生日を祝わなかったという理由でリムーブされたのでキレてブロックした。
神絵師はみんなああなのか?誕生日祝われ慣れすぎだろ。フォロワーと貸し切りパーティーとか行ってやがる。いや、そんなの毎年付き合えねえって。
4年目、私は商業活動も始めていた。(自分でも未だに驚いている。)
ここで、水面下で私を嫌っている人物が突然浮き彫りになる。
私がこのジャンルに来るよりも前から活動していた大手作家のIである。
正直私はしゃべったこともない。
いきさつはこうだ。
その大手作家Iはクラウドファンディングで集めたお金で二次創作をしている。
関わったことはないが、マジで有名なので疑問に思う人も多く、「募金で二次創作はありえへんやろ」と私もTwitterで呟いていた。
それが多分目に留まっちゃったんだね。
私は私で、二次創作で目を付けてもらってオリジナルの商業を任されていたのだが、その成り行きがⅠさんには募金で二次創作するのと同じに映ってたようだ。
とあるオフ会で「〇〇(私)は色んな大手作家に嫌われている!あいつと関わるのはやめろ!」と言っていたようだ。
ちなみにそのオフ会に私のマブいフォロワーちゃんが居たので、事細かく事情は聴けた。
私を嫌っているという大手作家の例の中にはマジで私の知らない作家がいた。誰だそいつ。勝手に嫌われてんのか私。
と思ったらその大手作家は2年目のアンソロの時に縁を切ったアイツの知り合いだった。
つまり間接的につながってるのだ全部。こわっ。2年経ってるんやぞ。
そしてその後、ちょっとした事件があり、私が長いTwitter生で初めて鍵をかけるに至る事があった。
その時にはすでに私はIをブロックしていた。
捨て垢という時点で十中八九私にブロックされている人なわけだが、私がブロックしてんのは誕生日祝い損ねた神絵師Cと例のIだけなので、おおよその確率でⅠである。
これでCだったら誕生日祝われなかったの根に持ち過ぎだと思う。
結局その事件も何とか潜り抜け、結果的にその事件は後日、いい感じの終わりを迎える。
あまりに良い感じに終わりを迎えた事件なので詳細を話したいけど、話すと察しの良い人にはすべてが分かってしまうので泣く泣く省略。
けど結構大きい事件だったようで、しかもいい感じに終わったのが許せなかったのか、これをきっかけにⅠは本格的に私を敵視しだす。
そしてこの年も、私の新刊は出た。
けど年末に活動してなかった同カプの文字書きが突如謎の人物から誹謗中傷され、なぜか私に「お前かもう一人の神絵師のせいだ。」と呪詛を吐いて消える。
同カプ神絵師には伝えないでおいた。
なにやら違うカプのコミュニティと仲良くし始めた。サークル参加やめるとか言ってたが描くのをやめて売り子を始めたらしい。
その中にはⅠと仲が良い作家もいたが、ただの絵描き仲間だろうと思っておいてた。
けど、イベント後にお疲れ様リプを送ろうとしたら、その作家たちの裏垢からの書き込みらしきものがあった。
っていうかID見えるようにそのままその垢でそいつらにリプする同カプ神絵師。ちょっとしっかりした方が良い。
悪い癖が出てそのIDで辿ってしまった私は、見たくないもののオンパレードを見た。
なんかいろいろ察した。
けど同カプ神絵師の発言にそういうものはないし、人付き合いでそういうアカウントと仲良くすることもあるよねと思って見ないふりをした。
その年、例年さぎょいぷをしていた同カプ神絵師に「集中したいからスカイプはしない」と言われた。
そういう時もあるよね~と思い、「おっけ~原稿がんばってくだしゃい(^▽^)/」みたいな感じで返しておいた。
若干モヤモヤしてたけど、もう4年の付き合いだし、信じた。
次のイベント当日。最悪だった。
都合が悪く私の知り合い達はあまり来れないと事前に聞いていたので部数が出ないのは覚悟していた。
それにしても最悪だった。
まずⅠを筆頭にその知り合いっぽい奴らが私のサークルの前でわざと避けるジェスチャーをする。
そんなんされたの中学校入学してすぐいじめの標的になった時以来だわ。
私の居る島をカニ歩きであいさつしてた知ってる作家が隣のサークルにあいさつし終わってたので、「こんにちわ~^^」って言うと舌打ちして踵を返していった。
舌打ちしていった作家は後で調べたらⅠが言っていた私を嫌っているという大手作家のファンだった。
こんなみじめなサークル参加をしたのは初めてだった。
でも結局本は売れた。
売れたけど何かものすごく嫌な気持ちが私の心に住み着いて離れなかった。
おかしいな。ちょっとマイナーなもの描いてるから、「興味ないな~」って態度の人と会うのは初めてじゃないはずなのに。
アフターでは同カプ神絵師が黙りこんで全然会話してくれんかった。スケブも拒否られた。
それでもまだ「他の人のスケブしてたししょうがないよね~スケブしんどいの分かるし」とか考えてた私は相当浮かれポンチキである。
一緒に参加してた人には「お疲れだったのかな~」とこれまた心配された。
で、「ちょっとイベントでは悲しいこともありましたが、このジャンル好きです!来年も来ます!」と宣言した矢先、
同カプ神絵師に縁を切られた。
4年間イベントの後毎回アフターもした。
誕生日会もした。
同じカプでわいわい盛り上がったし、雑談も話せるやろうと思い私は話題を色々振ってた。
色々あるとは思った。
女性には多いことなのだが、きっと何か小さなことが積み重なって縁を切られたというのが正しいんだろう。
それでもだ。私は疑わざるを得なかった。
これまでのことを。
ついに、私を嫌う人のよく分からない波が私の好きなカップリングにまで及んでしまったのではないかと。
今、まっっっっったく創作意欲がわかない。
それでも描き続けた私だったけど、描けば描くほど嫌われるんじゃないかという気持ちがぬぐえない。
私が本を一生懸命描いてイベントに持って行くと不幸になる人がいるのだ。
反撃をすべきだという声もあるかもしれない。
でも私の反撃はすでになされているのだ。
本を出す、イベントに顔を見せるだけで、たぶん大勢の人を不幸にしている。
ただでさえ感想を貰うこともほとんどないし、人を不幸にしかしないのなら、それはもう二次創作の範疇を超えている。
私の好きなキャラクターで人を傷つけたくはない。
私が消えても正直ジャンルは何一つ傷はつかない。
私が消えても素知らぬ顔で神絵師は同カプの本を描いてくれるだろうし、Iはこれからも人から得た募金で二次創作をしてそれを売って、お金を支払うことのない同人をするのだ。
それは私がただ好きなカップリングの本を描いて出すことよりも、よっぽど人を不幸にしない。
らしい。
ボランティア自体は素晴らしいし、リタイア後のやりがいにもなるならほんとにいいことなんだけど、
ひとり、元プロの電器屋さんがボランティアでエアコンとか無償で直してて、それって「おれ年金もらってるから無償でいいよ」という善意で現役プロの仕事を奪っている、価格破壊を起こしている気がしていて、なんだかもやもやする。
仮にそういう人がめちゃくちゃ増えると、家電修理業者というのはやっていけなくなるので、修理できる人が減って、ゆくゆくはボランティアもいなくなる、みたいな未来も想像できる。
善意だったり老後の生きがいだったり、そういうのは否定できないが、専門家なのであれば、しっかりお金を取らなきゃならんのではないだろうか。
いや、人って、地下にもぐって、わからないと思うと、どんなすごいこともするんだなと思った。
今後、役職定年で、リタイアした人は、あまり具体的には書けないが、2,3段階の降格になるそうだ。
人としての倫理観の低下がすごいけど、自分たちの論理で、組織の為に正しいことしてると信じてるから、こういう
隠れた制度の延長線に、世間を騒がしている、スポーツ、大学などの不正(疑惑)に落ちていくんだと思った。
ちょっと前に、社員アンケートを入力させられたが、モラルハラスメントは通報しましょうなんていわれたけど
モラルハラスメントしている人たちに、通報するなんて、とんだ喜劇だ。
そもそも、役職定年などという、年齢で、その人の能力を差別する制度は、人としての倫理観を疑うが、、、
そんなことされて、誰が納得できるんだろうね。
どこかのWebの記事に、50代会社員が直面する「役職定年」のリアル 年収減に異動、モチベーション維持が課題
というのがあったけど、記事のピントがずれてる。役職定年の制度そのものがおかしい。
今は、違う。所詮、メディアも、企業からの広告収入で生きているので、企業よりの記事しか書けない制約があるので、ネットの発達した
今では、少し、哀れな存在だと同情する。
ブーイングは、決して安くないチケット(数万円から数十万円)を買って楽しみにしていたのに、こんなにしょうもない、後味の悪い試合を見せられたからじゃないのか。
無気力な姿勢とか、これはしかたないとはいえ怪我でのリタイアの試合が続いた後に出てくるブーイングと同じじゃないだろうか。その原因を作ったのは誰だよという話。
セレナのファンも、大阪なおみのファンも、グランドスラム決勝を楽しみにしていたファンにとっても、とても楽しめた試合ではない、誰一人として、見終わって楽しかった試合ではないように思える。
スポーツ見ない人なら、ライブを見に行ったのに、急に出ていた余計な政治的な発言で感じ悪くなって終わったようなものだよ。
昨日の朝にあった男子決勝のジョコビッチとデルポトロは素晴らしい試合だった。こうゆう試合を見たら、来年も全米に見に来ようととか、テニス中継を次も見ようと思うものだよ。
20代当時はバイトや派遣社員を転々とし、最終的には自宅で仕事できるフリーランス(広告デザイナー、という名の印刷屋の下請け)に行きついて、すでに40代後半まで来た。ずっと貧乏かつ独身だが、それは10代の頃から「そんな将来だろう」と思ってたから、俺ほどの無能でもニートでない分まだマシぐらいに思っている
それは構わんのだが、交友関係を振り返ってみると
「普通の奴」ともう20年以上接点がない。普通の奴とはつまり、正社員で、妻子がいて、オタではなく、昨日の野球の試合とか人気のタレントが出てるドラマの話題とかをする奴のことな、世の中の圧倒的大多数はそっちだったはずだろ
数年前、1度だけ郷里の同窓会に顔を出したら、少なくとも出席者の中では俺以外みんなそうだった(出席しなかった奴には、未婚フリーター、鬱その他でリタイア、ニートの類もいるのかなあ、と思う)
当然、同窓会では妻子持ち正社員の連中と話が噛み合わず、ロシア語とスワヒリ語で会話するような悲惨なことになった
こうしてこのまま、世の中の大多数のはずの「普通の奴」と接点がないまま人生を終えるのか
今年の全米オープンは酷暑に見舞われてリタイア続出だったんだけど、
女子決勝が行われた日の外気温は22度だった。
なのにアーサーアッシュスタジアムの屋根は閉じられていたため、
その前の大阪なおみとの試合では、セレナはなおみたんに負けている。
第1セット、序盤からセレナらしくないミスを連発し、なおみたんにリードを許すセレナ。(注1)
セット終了時に、選手席のコーチからアドバイスを受けたとしてセレナがコーチングの警告を受ける。
セレナは「私はそんな卑怯な事は今まで一度もやったことはない」と抗議。
それに対して主審はほぼ何も言わないので、セレナは自分の主張が認められたと考えていた。
普通だったらここで「私もそう思うけど運悪くそう見えざるを得ない状況だったので、仕事柄警告しないわけにはいかない」とでも言っておけば
セレナは矛を収めた筈なのだけど、主審はなんのリアクションもしなかった。(注2)
第2セット、サービスをブレークされセレナがラケットを折って警告(これは妥当な警告)
コーチングの警告とラケット折りで累計二つの警告となり、セレナはポイントペナルティーとなる。
ペナルティーをとられたゲームが終わった後で、コーチングの警告が撤回されたとばかり思っていたセレナは
コーチングの警告に対してまた訴える。
朝日の新聞記事だとポイントペナルティーに怒ったように書いてあるけれど、
セレナは徹頭徹尾「コーチングなどというチートなことを私はしない!」と言って怒っていた。
セレナ「私がそんなことしない人間だと、あなた知ってるでしょ」
主審 無言
主審 無言
主審 無言
ゲームが再開され両選手立ち上がったところで主審はセレナに対してゲームペナルティーを宣告。(注3)
「うそつき」に対しての警告で、累計3回の警告でゲームペナルティーになったらしい。
これで第2セット3-4が5-3になる。既にワンゲームダウンだったセレナは貴重なブレークチャンスを失う。
これには場内騒然。
セレナはレフェリーを呼んで、暫し訴えた後、納得はしていないが従うと述べて試合復帰。
このあとセレナは、この状況から考えればかなり良いプレーをし自分のサービスゲームはきちんと守ったものの、
(注1)
確かにセレナは調子が悪かった。新聞記事にも、ペナルティーがなくてもセレナが負けていたという観客の声が載っている。
でもどんな不調でも、微かな契機を掴んで調子を戻し逆転勝利に持ち込めるのがトップ選手。
もしペナルティーでここまでこじれなかったら、フルセットにもつれ込んで歴史に残る名勝負になった可能性もあった。
(注2)
それに対して主審は何故その判断に至ったかをきちんと説明している。
少なくとも私が観てきた試合ではそうだった。
ごねるけれど、審判は選手を試合に復帰させるべくすかしたり脅したりと、あの手この手で選手を言いくるめている。
(注3)
これが今回最大の争点ではと思う。
更に警告を出すとき、主審はその前に「警告だすよ」と口頭で脅しをかける。
たまに突然警告を出す場合もあるけれど、それはその前に散々言い聞かせ、「警告を出す」といっていたのに
その時は、選手が納得せずとも観客がこれならやむを得ないと納得するのだが、今回この流れで出たゲームペナルティーを納得した観客がいたのだろうか。
私がこの試合をみて思った事。
この試合について直後から差別だという非難があって、私もそう思う。
この試合の障害は主審と選手のコーチングへの認識の相違であり選手そのものではない。
主審は相違の溝を埋めようとしたのだろうか。それをせずいきなり選手の排除に動いたように私にはみえる。
決勝で男子選手にゲームペナルティーを科して試合の結果を決められるのかと。
セレナが大人しく従っていたらよかったのではとは私は思わない。
セレナは過去にも、コートサイドの愚痴を(コート内で言ったわけではない)わざわざマイクで拾われ、
それに対して大々的な批判をされた。
この時も当然ながら「男子はもっとひどい事を言っているのに騒がれないのは何故か?」という声がでた。
命に関わる病気(血栓症)のために着ていたウェアを「品位にそぐわない」として禁止した全仏のキャットスーツ騒動も記憶に新しい
。
何度も何度も、あげつらわれ嘲笑され、人格を否定されてきた経験の積み重ねだったセレナに、そうでなかった人と同じ態度を求めるのはフェアではないと思う。
そしてセレナが騒いできたからこそ、テニス界の差別が少しはよくなって、錦織や大阪が過去の東洋人選手よりは活躍できるようになったとも言える。
忘れてはならないのは、セレナは抗議はしたが最終的にはペナルティーに従い、なおかつ表彰式では鳴り止まないブーイングを制止し
会場をコントロールすることで女王の貫禄をみせつけた。短気で怒ったわけではないのはこれをみてもあきらか。
「自身の立ち居振る舞いが恥ずかしいと気づいたのか」などと書いた新聞記者は恥を知れと言いたい。
ユーゴスラビア紛争の真っ最中に彗星の如く現れた、セルビアのモニカ・セレシュは試合中に出す声が大きいと散々揶揄され、
アメリ・モレスモはレズビアンであったためか、試合に勝つ度に「本当に女なのか」「検査しろ」などなど、デリケートに扱うべき問題をあげつらわれた。
これらに誰も何もいわなかったら、今のテニス界はどうなっていただろう。モレスモはマレーのコーチを務めていただろうか?
抗議することは重要だと思う。
https://digital.asahi.com/articles/ASL9944QGL99UTQP01G.html
30歳。
家と職場の往復をあと30年35年と続けなきゃいけないことに絶望している。労働が辛い。仕事だけでなくご飯を作るとか食べるとかそういうも含めしんどい。
できることならば人生を早送りしてさっさと終わらせたいとすら思う。
でも、人は年を重ねるにつれ病気とか死ぬことを恐れるようだけど、俺もそうなるのかな?
健康だから分からないのだろうか。もう病気にでもなって労働人生からリタイアしてしまいたいのだが。
60歳70歳の人が悩んでるのを見ると不思議な気持ちになる。どうあがいたってあとちょっとでお迎えが来て無になるんだからいいもんじゃないか、と。
ああもう生きてくの辛すぎね?
少し前に、リアルタイム放映時に途中で離れていた、あるアニメの視聴を再開した。
あまりにネット上の叩きが凄まじく、見る気力が年単位でなくなってしまっていたのだ。
そうして再開してみて、やっぱり自分はこのアニメが好きだと思った。
しかし叩かれるポイントも多分に理解できるので、手放しで新規視聴勧誘は躊躇われる。無理に勧めてもお互い傷つくだけである。そういうアニメである。
最近、そんな前評判を聞いた上で、狭い門戸をクリアしてきてくれた新規視聴者が現れた。とても嬉しい。
嬉しいが、その人に事あるごとに「このアニメクソだぞ」「いずれクソになるよ」そんな言葉を流す人がいるのがどうももどかしい。好きなアニメが貶されて悔しいという感情はリアルタイム時にも散々味わったし、世間的に受け入れられないのはよく理解したのであまり気にしていない。気にしていてはやっていられない。
しかし、見ると決めて見ている古いアニメに、「視聴中に」外野から色々と言われるのは好ましくない、と感じる。悪評だから尚更だが、たとえ良い評判であっても個人的には(僕がもし同じ状況であるならば)なるべく避けてほしいところだと感じる。変な期待を持ってしまうと、かえって肩透かしだったりするし、その期待を持たせてきたのが懇意にしている人だった場合、下手な感想が言えない、というのもある。
余程のことがない限りきっと一生覆らないような、散々な前評判を聞いて、それでも見るよと言ってくれたのだ。せめて途中でリタイアでも構わないから視聴を終えて、その人なりの評価を下すまでは待ってくれないか。いわゆる信者としての、ささやかな願いである。
眼の前に横断歩道があるのにわざわざ関係ない所を渡る老害ども!ふざけんな!
路側帯を原付で走るクソガキ・クソ土方・クソリーマンども!ふざけんな!
真夜中だってのに小さいガキを外で走り回らせて騒いでるクソ親ども!ふざけんな!
てめえがデブなのが悪いってのに無理に原付を寄せて駐車するんじゃねえクソババア!ふざけんな!
人の話も聞かないで「風邪ですね」ってわけわかんねえ診断してんじゃねえよ!他の病院で調べたら入院しないといけない病気だったじゃねえか!ヤブは医師免許剥奪しろ!ふざけんな!
一時間に何度も喫煙所に向かってんじゃねえよクソスモーカーども!ふざけんな!
残業すんなって言ってんのに残って残業代稼ごうとしてんじゃねえよ!ふざけんな!
仕事の引き継ぎはちゃんとやれって言ってんだろクソ社員!ふざけんな!
年齢確認くらいさっさとボタン押せよ、いちいちあれこれ文句言ってるクソガキどもと老害どもが。こっちはサクッと支払い終わらしてえんだよ!ふざけんな!
箸もストローもいらねえなら、店員が入れる前に先にいっておけ!なんで後からいらねえのに入れてんだよって切れてんだこのクソリーマン!ふざけんな!
鬱だかなんだか知らねえけど、いちいちそんなアピールすんじゃねえ。言わなくても見てりゃ分かるんだよ。だから放っておいてやってんのにかまってちゃんかよ!ふざけんな!
人様にあれこれ説明すんのはいいけどよ、自分が技術を求められたら難しくて私にはできないじゃねーよ、だったら最初から説明もしてくんじゃねえよ、てめーで出来ないで何知ったかしてんだ!ふざけんな!
小遣い稼ぎたいっていうから仕事を紹介してやったのに、1時間も働けないでリタイアしたくせに金金うるせーよ。てめえのせいで使えないヤツよこさないでってクレームくらったじゃねーか!ふざけんな!
若いヤツは、あれこれやる前に文句いいすぎなんだよ。そもそもろくにスキルもないのに口だけは一人前で1日も居ないで辛いから辞めるわじゃねーよ。
仕事なんて辛いのばっかりなんだよ。その中で比較的辛くない仕事に出会って続けるんだよ。一日で仕事の何がわかるってんだよ?辛いから辞めるわ、ニートになるわじゃねーよ!ふざけんな!
老害共は、自分が仕事を始めた頃はとか言ってんじゃねーよ。てめえの仕事始まりと今の仕事始まりは全然違うんだよ。まず根性論唱える前に新人が逃げない方法考えろや!ふざけんな!
タトゥー云々うるせーよ、入れてるやつも入れてるやつでうっせーよ。指さされて生きるくらい仕方ないと思えや。自分で自分の生きざま作ってんじゃねーのかよ。なのに理解されないー理解されないーじゃねーよ。馬鹿かよ!ふざけんな!
クソガキどもイキったおっさんどもよ、いちいちナンバープレート曲げてバイク走らせてんじゃねーよ。警察びびってんなら、最初から乗ってんじゃねー!アホかよ!ふざけんな!
YouTuberども、視聴者ほしいなら他人様に迷惑かけないで自分のトークだけで獲得しろや。いちいち食い物無駄にしたり、やたら金使えば視聴者手に入ると思ってんじゃねーよ!ふざけんな!
SNSで、いちいち差別だなんだと喚いてる奴ら全てアホかよ。差別してんなら日常からてめえらが一番差別してんじゃねーか。他人様に口出しできる立場かよ!ふざけんな!
CMにいちいちクレーム入れてるクソバカども。気に入らねえからってヒスしてみっともないって思わねーのかよ。おめえの立ち位置が地球の中心じゃねーんだよ!ふざけんな!
食い物メーカーがちょっとツイートしたくらいで、いちいち食い物をバカにしてるとか噛み付いてんじゃねーよ。食べ方なんて人それぞれだろ。なんでお前の食い方に従わないといけねーんだよ!ふざけんな!
無課金風情がいちいち運営にかみついてんじゃねーよ。運営に噛み付いて良いのは課金して運営資金を出しているユーザー様だけなんだよ。無課金は所詮乞食と変わんねーんだ、いい加減自覚しろ!ふざけんな!
いちいち爆死報告しなくてもいいから黙ってろ。お前らの課金額はそもそも頭のおかしいレベルなんだよ。爆死した金額報告してドヤ顔して何が面白いんだよ、面白いのはお前の頭の中だけだろ!ふざけんな!
アフィまとめサイトの記事タイトルにいちいち草はやしてんじゃねーよ。何も面白い事書いてないのに草はやしてて意味わかんねーよ!ふざけんな!
他のサイトの転載してる癖に広告費が運営費になってるとかふざけたこといってんじゃねーよ。てめえが消費させてるのはドメイン費用程度じゃねーか!ふざけんな!
「あの大作の続編がついに」とか言ってんじゃねーよ、てめえらがそうやって出してくるのは全部スマホアプリじゃねーか!コンシューマーで売る自信がねえんなら出すんじゃねーよ!ふざけんな!
メーカーの商品説明ページで大事な事書き忘れてんじゃねーよ!電池の持ち時間かかねえとかアホか、問い合わせたら「わかりません」じゃねーよ!ふざけんな!
どこかのアニメ監督が凍結されたからフェイスブック使いますとか言ってたけどよ、てめえの普段の素行に問題があるから凍結くらってんだろ!いい加減理解しろ!ふざけんな!
自衛隊が戦争をイメージするとか言ってんじゃねえぞ、ろくに国民の役に立ってねえ烏合の衆よりも災害時に動く自衛隊はヒーローだろうがよ!ふざけんな!
あー、疲れたわ。
観客には日傘と生理食塩水を提供すれば多分死なないし、熱中症の症状が出た選手は競技中でもドクターストップをかけて、倒れた選手もすぐに病院に搬送すればいいのでは?
一部のメディアと国民が、近年の他国のオリンピックの不備や欠点をさんざんバカにしてきたツケで、自分たちは完璧なオリンピックをやらなきゃって自縄自縛になっちゃってるんじゃないの?
ボランティアが集まらないって言うけどそもそもそんなに素人のボランティアが必要か?オリンピックって大規模だけど結局は各種目の世界大会の集合体でしょ?公務員が全体運営と警備して、現場は各競技の協会が審判と会場運営を揃えればいいんじゃないの?
特にマラソンが問題視されてるみたいだが、マラソンの起源の逸話が英雄譚扱いされてることを考えれば仮に一人くらい死人が出ても自分の意志で走ったのなら仕方ないと思うんだ。もちろんそうなる前にリタイアして欲しいが。リタイア続出に関しては上位選手がどんどんリタイアして、先進国や高地出身の選手じゃなくて、本当の熱帯や砂漠出身の選手が金メダルとるのもありなのでは?
「最近頭が悪くなってきた」とか書いてる人がいたけど、私は集中力とモチベーションが落ちてきた。元々仕事はあまり好きじゃないうえに、2~3年で異動して新しい仕事をする羽目になるので、あとちょっとで50歳という固くなってきた脳みその持ち主には非常に苦痛なのだよ。
ここしばらくは「慣れてる仕事をやらせろ!」という要求をしつつ、あまり上司に仕事の進捗をつべこべ言われない環境が多かったので、マイペースでやれる代わりに、お尻に火が付いていても誰も気がつかず、催促もしてくれないという状況になっていた。明らかに「このペースでやってたら間に合わない」というのは分かるんだけど、「だから残業して頑張ろう」とか「もっと仕事のペース上げなきゃ」とか思えない。まぁそれでも私の仕事が間に合わなければ迷惑を被る人はいるわけで、ずばっと言ってくれる人なら督促の電話とかしてくれるんだけど、でも頑張れない。
先日親と話していて、「あんたって学生のとき勉強してたっけ?」とか言われてしまったけど、少なくとも卒論のときは徹夜して何とか仕上げ、提出に行って家に帰ってきたら飼っていた文鳥が死んでいたことを妙によく覚えている。一流と言われるほどの大学ではなかったけど、その中での成績はわりと良かった。その時は年がら年中頑張っていたわけじゃないけど、切羽詰まれば頑張れたのだ。
仕事で大事なのはモチベーションと進捗管理能力と責任感だと思う。同じ事務所で働いている相方さんは、その辺が非常に優れている人で、本人はやや他人を学歴とかで判断する傾向があるけど、何だかんだいって「いついつまでにこの仕事をやる」ということをきちんとリストアップしてちゃんと仕上げていくところが偉い。それをやるのが当たり前の人にとっては当たり前なんだけど、私の脳みそはトコロテン式に新しい情報が入ると古い情報が抜けていく。ノートなどに書き留めるようにはしているんだけど、軽く口頭でいわれて、その場では簡単そうに思えたことだとメモりそびれるし、かなり忘れる。
これは記憶力の問題なのか、進捗管理の問題なのか、モチベーションの問題なのか、どれなんだろう。「頑張ろう」「頼まれたことは抜けがないようにきちんとやろう」という気持ちはどこから生まれてくるのかと思う。早く仕事をやめてリタイア生活がしたいけど、これからの年金とか退職金とかがあまり当てにならないので怖くて辞められない。しかも「うちの業界出身者は他の業界に行ったら使えない」と評判である。実際は同じ社内の人間でも、特定の分野に精通していたり、ある種の社内事情に通じていれば転職できる人もいるんだけど、自分はその範囲に入らない気がする。自分はあと何年我慢できるのか自分でも分からない。
医者がいなけりゃ成り立たない世の中は、同時に看護婦がいなけりゃ、薬屋さんがいなけりゃ、まわらないです。
少子化でだれかが複数のしごとを持つことは当たり前になってきます。
米国のデータで女医のほうが余命が長い分野もある https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/postseven/trend/postseven-661997
AIで白血病診断するのに男女関係ない https://www.nikkei.com/article/DGXLZO05697850U6A800C1000000/
あとAIとかシミュレーター使うんだから教育費用はかかるといったら他の工学などのほうがかかるしそれでも村から一人送り出すとかいうほどかからなくなる、コモデティ対象なんだよ医者も
男子学生だけ多めにとったって国試通れない人、鬱で年単位リタイアする人だってかならずまじってきます。
なにより医者は終生はたらけるのに男性のほうが寿命が数年も短いじゃないですか。
小児科医さんには10人以上おせわになっています子持ちです。もう成人したけど。
いちばん小児科医さんでも顔にあきらかにアトピーだして働いてた。
もっとまわりみる暇とか勉強する暇とかあったほうがいいんじゃないかな。
子供という人間の幼生を身近で見るチャンスをすててまで「純粋な」医学に邁進するのはそんなに美しいことですかね。
知り合いの女医は自分の子供をもったあとで「普通の子供ってこんなに元気なんだ」っていってました(キャリアのはじまりが重症の子供がいる病院だったから)
なんで人間の生活を否定するのかというところが文科省、厚生労働省のおかしなところだとおもいますね。
https://twitter.com/you1415744/status/1024869294771859456
https://twitter.com/auxo38/status/1025125186624937984
https://twitter.com/tmaita77/status/1024992225057431554
来週から中2の息子と私の2人で父子のふたり旅に行くことになった。
去年の夏の終わり頃に私が思いつき、ついに実現の日が近づいてきた。
そこからは青春18きっぷを使い、のんびりと移動しながらこちらへ戻ってくる計画。
移動時間がどうしても多くなってしまうので、なにか新しい3DSのゲームを買っていくことを息子と相談し、昨年リリースされたがまだ手付かずになっているドラクエXIをやることになった。息子がドラクエをやっている時間は息子のオススメゲームを借りてやってみることにしよう。
秋田では10年以上ぶりに会う知人と昼食をし(息子とは初対面なので会わせるのも楽しみだ)、岩手ではわんこそば(蕎麦が大好きな息子のリクエスト)と中尊寺(寺社仏閣好きの息子にこれは見せねばなるまい)、東京ではVRゾーンでゾーマを退治すること(私は戦士をやりたいが息子に譲ることになりそうだ)、あとは宿泊地くらいしか決まっていない。
息子は「一度カプセルホテルに泊まってみたい」と言っていたので東京ではカプセルホテルを予約した。
帰ってくる頃にはクタクタになってそうだけど、息子は来年は受験で忙しいだろうし、今年の夏を全力で楽しむことにした。
息子が大人になって夏休みの思い出を思い出すとき、その1つにしてもらえるような旅行にしたいと思う。
中2の息子とどんすればそんな関係になれるんだってコメントをいただいたので、自分なりに今までの子育てを振り返ってみました。どんな子供に対してもそれが有効だとは思わないし、子どもによっては逆効果になることもあると思いますが、私は以下のようなことを心がけながら子育てをしてきました。
私は毎晩眠る前に息子も娘もハグする時間を確保するようにしてます。その時に「今日も◯◯(子どもの名前)に会えてよかったわぁ。嬉しいなぁ。また明日も元気に会おうな」と言ってから「おやすみ」を言うようにしてます。毎日会えるなんて最高に幸せなことじゃないですか。これをちゃんと伝えないともったいない。「うちに生まれてきてくれてありがとう。隣の家に生まれてこなくてよかった!」って言ってよく笑いあってます。
仕事から帰って子どもがまだ起きていたらその日のうちに、眠っていたら翌朝などにはよく聞くようにしてます。「最近学校どう?」「何か困ってることない?」「何か困ったことあったらすぐに言ってや。何があってもお父さんとお母さんはお前の味方やからな」と言うのを何回も伝えるようにしてます。
悲しいことや悔しいことがあったら一緒に悲しんだり悔しがったりするようにしてます。でもそのな中から本人が気づいていない前向きになれるポイントや、違う視点で考えれば見えてくる別の考えなども、気持ちが落ち着きつつある時に伝えて心の重りを少しでも軽くできるようにしています。
「マラソン大会で学年10位以内に入る!」と目標を立てて練習に取り組んでいた子どもが惜しくもその目標に届かない結果だった時も、まずは子どもに寄り添って悔しいね、とは言いますが私としては最後まで元気に走りきれたことだけでも万々歳なので、「でも途中でリタイアもせずに最後まで走り切れたのが最高に嬉しいよ。目標に向かって頑張ってたのはちゃんとわかってるから無駄じゃない。何の努力もせずに1位を取っちゃうより、10位に入れなかったとしてもそこに向かって努力したことの方がお父さんは嬉しいって思うよ」って本人がわかる言葉、ペースで伝えるようにしてます。また、漢検など学年のレベルからしたら取れてしかるべき級のものであっても取れたら全力で喜びます。ハイタッチしてハグして「よくやったなー!すごいやん!」って言って写真を撮っておじいちゃんおばあちゃんたちに即送信。みんなからおめでとうを言ってもらえるようにしてます。賞状を飾って何回も嬉しいなぁ、嬉しいなぁって言ってます。子どもはそんな私の姿を見て誇らしい顔をしてくれます。
「パパー、コーラ飲むー?」と息子はよくコーラのペットボトルを冷蔵庫から取り出し、グラスを片手に来てくれます(私は下戸でコーラが大好きです)。そう言われても喉が乾いていなくて、いらないときでも「いや、今はいいわ。でもありがとう」と、何かにつけて「ありがとう」と言ってます。子どもたちもそれに慣れて「ありがとう」と言うことに照れなどの感情はなく、小さなことでもお互いに「ありがとう」を言い合える関係になりました。私の父のお見舞いに行ったときにも「おじいちゃんの回復の一番の薬は君たちの笑顔だよ、一緒にお見舞いに行ってくれてありがとう」、一緒に近くの公園に出かけた時も「一緒に公園行ってくれてありがとう。たのしかった〜」って事あるごとに「ありがとう」を伝えています。
騒ぐのが好ましくない場所にどうしても子どもも連れていかなければならない場合もあります。そのような時は家を出る前など、落ち着いた時間に前もって伝えるようにしてます。「今日は電車に乗るからね。お仕事に行く人もたくさん乗ってるから大きな声で話したり走り回ったりしたらあかんよ。」とか、「今日はお父さんがお世話になってる人に一緒に会うからね。会ったらちゃんと挨拶せなあかんよ?」というように言うようにしてます。電車に乗ってテンション上がってからだと伝わらなかったりするので、家を出る前、そろそろ電車に乗る前などに段階的に伝えてます。もしちゃんと約束を守れたら全力で褒めます。「電車の中でちゃんと大人しく乗れたやん!やるやん!めっちゃ助かった、ありがとう!」って言うようにしてます。
他にもあるような気もしますが、上記のような感じです。私はもともと子どもと遊ぶのが好きなタイプの人間なので、割と子どもと普通に遊ぶ中で、人生において好ましいこと、好ましくないことを少しずつ伝えることができたように思います。
子どもと遊ぶのが好きかそうでないか、など子どもに対する考え方は人それぞれですから参考にならないことも多いかもしれませんが、うちの場合は上記のような感じで子育てをしてます。
現在日本が抱える様々な問題は、国民を50歳で強制的に安楽死させることでその多くが解決されることに気づいた。
50歳強制安楽死制度下での日本国民の一生は大体以下のようになる。
まだ若い両親の寵愛を受けて育つ。
後述の通り両親はまだ学生であるため時間も体力もあり、全面的な愛を受けて育てられる。
小学生。
現行の小学校とほぼ同様だが、来るべき中学生時代に備え恋愛やセックスに関する踏み込んだ性教育を実施する。
中学生。
男女ともに中学校にて婚約相手を見つけて婚約。第一子をもうける。
妊娠中は女子生徒は学校に通えなくなるので、e-larningや家庭教師などで国が全面的に学習をサポートする。
高校生。
大学生。
学生であるため長時間残業で子供と接する時間が取れないなどということもない。
後述するが両親はすでに退職間近であるため、子供の面倒を全面的に委託することができる。
子供の面倒に気を奪われることなく、全身全霊を仕事に注ぎ込むことができる。
退職。
40歳以上の人間は仕事のパフォーマンスが下がるため社会には不要。早々にリタイアする。
孫(概ね10歳前後)とも仕事を気にすることなく存分に触れ合うことができる。
社会人時代は身を粉にして働いたため、遊びに使う貯金も十分にある。
第二の青春と言って良いだろう。
安楽死。
「初恋をしたのは中学生の頃だった」という人も多いのではないだろうか。
この制度下では中学生時代に結婚するため、現在のような30歳を過ぎて男女ともに打算で行う醜悪な結婚とは異なり、若い純粋な恋情をそのまま婚姻という形で実らせることができる。
今日、恋愛の自由主義化はますます加速している。それに伴い男女ともに恋愛・結婚から取り残される人間が多く出現するようになった。特に男性の高齢童貞が社会に対して抱いている怨念は凄まじく、その存在自体が人々や社会に迷惑を与え、中には直接人々に危害を加える人間まで出現する有様である。
この制度下ではかつて共同体や企業が果たしていた「お見合い」の機能を中学校が代替する。これにより恋愛やセックス、結婚から漏れ落ちる人間がいなくなり、それは即ち高齢童貞の消滅を意味し、治安においても精神衛生の面においてもこの国が安定することに繋がる。
40歳以上になると体力も低下し思考も硬直化するため、労働力としての価値は低下する。
この制度下では40歳で退職となるため、20~30歳の働き盛りを労働力の中心に据えることができる。
女性は生物学的宿命により、妊娠出産のために最低でも1年近くは前線から離れることとなってしまう。一方グローバル社会での企業間の競争は日に日に激しくなり、どの企業も産休・育休による社員の前線からの離脱を容認できる体力がなくなっている。女性の社会進出の意義を企業は理解していても、どうしてもこの事情があるために女性社員の雇用や重役に任命することに二の足を踏んでしまうのだ。
この制度下では新卒入社時点ですでに女性は2~3人の出産を終えており、また祖父母による育児サポートを得ることができるため、産休・育休による戦線離脱がない。これにより企業も安心して第一線の企業戦士として女性を雇用することができる。
「24時間働けますか」とはバブル時代を象徴する栄養剤のCMのキャッチコピーであるが、この言葉通り資源のない日本は粉骨砕身の労働によって世界トップの経済大国に躍り出た。企業間の競争の苛烈さは日を追うごとに増すばかりだが、それに反するように労働者の育児に関する休職・早退の問題も増してきている。この制度下では前述の通り現役労働世代が育児の問題に悩まされることはない。気を惑わされることなく自分の取り組むべき仕事に100%のエネルギーを注ぎ込むことができる。これにより日本の競争力は高まり、グローバル経済戦争の覇者となるだろう。
両親が仕事に忙殺されるがためにネグレクトとは行かないまでも十分に愛情を受けることができない子供も多くいる。特に専業主婦が少なくなり母親もフルタイムで働くことが多くなった今日においてはどうしても子供が両親と触れ合う時間が少なくなってしまう。
この制度下では0~7歳くらいまでは両親に、10~20歳くらいまではリタイアした祖父母と触れ合うことができるため、多くの愛情を受けて成長することができる。
この制度化では中学~高校時代になるべく多く子を産むことが奨励される。
まだ学生の身分であるから仕事を気にすることなく産休・育休を取得することができる(休暇中の学習は前述の通りe-larningや家庭教師でサポート)。
また、すでにリタイヤ済みの若い祖父母に全面的に育児のサポートを受けることができる(両親は仕事に集中しているためまだ孫の養育には参加できない)。
社会としても少子化が解消されるし、仕事に熱中するあまり出産適齢期を逃して涙を流す人も減るだろう。
卵子も精子も加齢によって痛み、男女ともに年を取るごとに妊娠能力が低下する。
この制度下では生物学的な妊娠適齢期である中~高校生の間に妊娠・出産を済ませるため、不妊問題は大きく減少するだろう。
現在の日本社会では60歳定年制度すらも無くなり、65歳あるいは70歳までも働かせようとする動きがある。
70歳でリタイアしたとして、その老体でどのような第二の人生を楽しむのか?
この制度下では40歳という若い年齢でリタイアするため、旅行やスポーツを存分に楽しむことができる。
10年という余生は短く感じられるかもしれないが、まだ若い中年時代の10年の密度は後期高齢期間の数十年に匹敵するだろう。
50歳で安楽死するため退職~死までの期間は10年しかなく、現役時代の苛烈な労働によって十分な貯蓄を行うことができるため、年金制度を廃止することができる。
ガンの終末は苦しい。
ガンに限らず年を重ねるごとに重い病気によって死ぬ確率は高まる。
そうなる前の50歳という比較的若い時点で安楽死することにより、苦しみの果てに臨終するという悲劇を可能な限り避けることができる。