はてなキーワード: 独善性とは
ほとんどの人は、公共なら性的な表象はNG、個人の表現ならOK、
企業の広告などはケースバイケースくらいに捉えて、今回は不適切と言っているのに、
「公共の場に私の嫌いなものがある、傷つくから配慮せよと言っている。「脆弱」を盾に取ってる」とか言う人は一体何を見てるんだ。
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1411136608317829121
ツッコミどころがとても多いツリーなので大きなところから書いていきたい。
https://twitter.com/erishibata/status/1410962770082734086
https://twitter.com/erishibata/status/1410963962368172038
表現規制派・フェミニストサイドの主張ラインが行き当たりばったりの気分任せにしか見えない。
献血ポスターではガッチリ服着てて肌なんか肘から先と顔しか見えてない女の子のイラストでダメ。
規制の為にもちだされるタームである「性的」や「性的な表象」が
これはずーっと言われてるのにまともな説明が出来ない。
多分自分達でも理屈が定まってないからキモオタイラスト狩ってたはずのミッションで胸が大きいモデル業の女性まで侮蔑・罵倒して狩った。
もし同じような規制を敬虔で原理主義的なムスリムが言ってるなら基準の動機の想像ぐらいは出来る。(本来規制される側に想像を強いるべきでないが)
あ、たぶん「少しでもエロさの萌芽が私に感じられたものは全てダメ」と言ってるんだなと。
そういう宗教の人はつまり性的な興奮で信徒の社会の安定や信徒の心の清らかさが損なわれることを危惧してるし聖典の戒律でもそうなってる。
あの人達がかなり滅茶苦茶に人の服装や髪の毛すら取り締まれるのは強烈なコンセンサスのある宗教が社会を支配してて
その社会にいる=その宗教コンセンサスを受け入れてると見なされてるから。
「私がエロいと感じたものは全てダメ!」をやる権利や論理はどこから来てんの?
ここはイスラム国じゃないのであなたがたの不安神経症やヒステリーや性嫌悪に付き合う義務が他の人達には無い。
「女性誌の表紙が半裸のエロい男だったら男はそれを見てどう思うんだ!」
ミラーリング検討すら出来てない性嫌悪的な感情であると自分から白状してしまう。
https://twitter.com/gosainail/status/1407386399100137478
これで「ケースバイケース」って言われてもさ。
だって判断力も判断の動機も全く信頼性がないのだから「ケースバイケース」じゃむしろ困る。
@anatatachi_ohno
そっくりお返ししたい。
セーフアウトの基準のラインは批判したい側規制したい側が出すべきである。
なんで自分のアクションなのに相手にボールを渡すのか。そんなに「説明する側」に立つのが嫌か。
撤去されるべきと信じるほどその表現を憎むのに、憎しみの理屈を説明せよと言われると逃げ回るのが理解できない。
問題の議会のポスターは個人的にはとてもダサくて意味不明でナンジャコレと思うが
しかしこれが「規制されるべき性的表現」だといわれてるなら「その規制されるべきの基準はどういうところにあるのか」と問うしかない。
別にこんなポスターが守りたいからやるんじゃないしそんなの問う(どうせ理屈は何も考えてないかは···)のが楽しいわけでもない。
とっても面倒くさいけど仕方がないから聞いている。
トイレ掃除と同じ責務、やりたくないけどさぼるととんでもないことになるdutyとして聞いている。
「公共で規制されるべき性的表現(性的表象なのか性的表現なのか、一連のtweetなら言葉ぐらい揃えてくれよ)」の基準は何か。
あなたがたがこれをきちんと示せばもしかしたらその瞬間話が完了するかもしれないし
なんで「この表現は許されぬ」と言いながらアウトセーフのライン引きから逃げ回るのか。なぜ自分の主張の説明も出来ないのか。
挙句に規制される側へ「説明すべき」などと転倒した要求を恥ずかしげもなく垂れるのか。
ここだけでも答えてほしい。
自由が基本でしょう?
全く逆だ。
そっくりお返しする。
そもそも規制の為の論理をきちんと考えて用意してあるなら「説明するな」と言っても説明したくなるはず。
私なら嬉々として「よく聞けよ」と説明する。嫌がられてもつかまえて説明する。
あなた方が徹底的に説明を避けるのは要するに、ちゃんと考えてない、用意がないのだと見なさざるを得ない。
女子生徒の下着の色や形にアヤ付けて取り締まってくる教師がいるとしよう。
それなら「どういう下着ならセーフなのか」「今の下着はどういう理由で不味いのか」これは教師側に説明する責任がある。
大野先生が言ってるのはアヤは付けるのに説明すらしないということ。
「学校ではどういう下着がセーフだと思ってるのかお前が先生に説明しろ」というスタンス。
こういうことを書くと「普通」とは何か、あなたが勝手に「普通」を規定しているだけだとかいう反発が来るけど、
これは本当に話にならない。
とにかく相手がおかしいんだ説明なんか要らないんだというこの議論のどこに知性があるのか。
百歩譲ってそのようなアホな思い込みしているのを許そう、「明白な普通性は我にあり」も許そう。
あなたはその原理的レベルに戻って相手をぶちのめすしかないではないか。
ぶちのめしたうえで「いちいち面倒なことをさせるな、ペッ」ならわかる。
しかし原理的レベルに降りて相手をぶちのめすことをしようとしない、できない?
ただ「私が普通なんだもん」「私が正しいんだもん」と言い張るだけ?
これはもう本当に話にならない。
これは明白なことなので疑問を挟むこと自体がまずい。疑問を持つことがあなたの問題。
そこに疑問を持たないなら私が正しいのだから話は終わり。」
なんじゃこりゃ?
すんごいうんざりしてるけど、
実はこういうレベルの人の相手するのめっちゃ慣れてるんだよね。
こういう頭の悪い論理展開をネトウヨから100回は聞かされたから。
たとえばわけわからん女性差別政策外国人差別政策の推進案などを聞かされて
「欲求はわかった。しかし一体お前はどういう理屈でその政策を正当化するのか」と聞くと
「普通の日本人ならこう思うの!」と返してきて全く話にならねえ頭に糞でも詰まってんのかボケというアレ。
私は普通だもん常識だもん私の考えが普通で正しくて当たり前なんだもんみたいな話になんねえ寝言は
低学歴なネトウヨと会話してるならしょーがなーと思ってあきらめてるけど
大学の先生に同じレベルの論理で発言されるとゾッとするんだけど。
でも大野先生個人がこうと言うよりネットのフェミの人や規制の人マジでこのレベルだよね皮剥いていくと。
性的表現それ自体が悪いのではなく、性的表現は何であれある指向性を含むから、
なるべくニュートラルであるべき公共の場では使用しない方がいいというだけのことだ。
そこを押さえて初めて、個人の表現の意味が出てくるのに、表現者としてそんなこともわからないのかと言いたい。
@anatatachi_ohno
相変わらず内容不明な「性的表現」の問題はいったん流すとして、「性的表現の指向性」ってなんだろう?
ミニスカートの女性とか半裸の男性とかはニュートラルでない存在なの?指向性があるの?
じゃあ「ミニスカ女」と「半裸男」の指向性ってどのような方向かたった2例だからちょっと具体的に説明してみてくれない?
申し訳ないけど、かなり無理のあるそれっぽい表層的なお題目をやっつけで持ち出してきたようにしか見えない。
「フシダラっぽいからやめましょう、フォーマルにいきましょう公共の場だから」のほうがまだ「普通」な理屈じゃない?
柴田えりに「フシダラ狩りかよ笑」って言われたから仕方なく別の理屈ペタッと貼り付けましたってだけじゃないのこれ?
「公共の場」がはっきりしないという意見に。今回で言えば行政やそれに準ずる機関・催しは公共。他には医療、教育、公共交通機関も公共に含めていいと私は思う。
「性的な表現」とはなんなのかの説明を逃げ回る時点でこんなの何も言ってないのに等しいんだけどそこを大甘で見逃して、
性的な表現をアイキャッチにすることは避けられるべきがなんでなのかまた説明出来てないよね。
「フシダラだから」「わいせつ物に準ずる雰囲気があるから」「なんか下品だから」「週刊ローレンスかよ」のほうがまだよっぽど「普通」な理屈だと思うけど
そこはさきに柴田に攻められただけ。
大野左紀子@anatatachi_ohno
(最初から最後まで「私の思っていることや考えていること」を書いているのに、「貴方の感想」とか「個人の主観」とか言って否定できた気になってる人なんなの)
このツイート見るだけでどんなクソリプがついてるか手に取るようにわかるのでそこは同情します。
しかし大野先生の話をちゃんと通しで読んでもこれは話になんないですよ。
むしろなぜお前等に自由などが認められるべきなのか説明するべきである。
「普通」に疑問をさしはさむお前等がまずい。
公共の場で性的な表現がまずい理由はえーとえーとフシダラはダメなので…
「性的表現の孕む指向性が公共の場のニュートラルさを損ねるから!」
全体的に何言ってんのかわかりませんね。
おそらく酔っぱらうかなんかしながら連続tweetしたのもあってこの出来なのでしょうから
マジで?
柴田も大野先生もそういうとこで争ってんじゃないと思うんだけど。
何の権限もない一般人に基準を設けろなどと迫るのなら、まずは「基準が示された場合はそれに従う」旨、線引き論者全員の合意をとるべき。
なんじゃそらw
一分十回までな。
あのさあ、実際に何の権限もない連中がお気持ちであの表現だめこの表現だめつって炎上させて電凸して表現を何度も狩ってるわけだ。
と言ってんの。
そういわれるとどこまでも逃げ回るだろ?
あかんぼうかおめーらは。
つかルールが曖昧だからこそ表現者は倫理的限界を攻められるんだけどなあ
2021/07/05
「規制の基準は曖昧にしておかないとボクチンたちお気持ちチンピラがいちいち規制の理由を説明しなきゃいけなくなってたのしくない!もっと自由に暴れさせろ!」
のまちがいだろ。
大野先生にもいったけど、自由や権利が先にあって、特別な理由があるとき例外的に制限されるの。
だから制限基準が曖昧だったら恐ろしいの。それでも制限したいのが君たちなんだからせめて責任もって基準を示そうよ。
こっちの人達は線引ができれば抜け穴を作れるとしか思ってない。そんな要求に付き合う必要はない。
2021/07/05
ほらね、これが本音よ。
基準なんかなく自分の気持ちのままに規制したいからラインを示したくないでちゅ。
これでしょ?
明白かつ自明に「普通」である私たちがいて、私たちの感覚に従わない悪い奴がいる。だから無限に変わる基準で一方的に取り締まらないとダメなの。
これが本音。知能のレベルも思い上がった独善性もネトウヨと一ミリの差もねえ。
トップが入れ替わって「公的に定められたガイドラインにあのポスターが違反しておるぞ」と言うブコメが上位を占めてきてる。
今そういうステージの話をしてないと思うけど、あのポスターを叩く理由にそれを使うなら少なくとも明文化された基準が使われてるだけ文明的だと思う。
この手の主張、規制するなと言っている側が結局は具体的な手枷足枷を作ってくれと言ってるわけで、表現の幅を狭めたいのか広げたいのかどっちなのかと思う。
2021/07/05
みんなの前に具体的な手枷足枷を置けたら、「この手枷足枷は公正妥当か」についてきちんと議論出来るよ。
先生とも思ってないくせにな
敬意と親愛の情を込めたので超心外。
https://anond.hatelabo.jp/20200907220331
上記の日記を書いた増田です。仕事から帰ってきたら何件も反応があったんで返信を兼ねて少し追記したい。
私が新・国民民主党を支持する理由がちょっと弱かったんでその辺の補足をふくめて。
新•国民民主党は、主要政党の中で一番中間層に目を向けているから支持。
他の政党は、各種圧力団体等の既得権益層や、社会運動家や高齢者といったコアな支持層の方を向きすぎている。
穏健保守。日本の伝統や文化は大事にしてほしいけど、靖国参拝とかの復古的な風潮はいらない。
そんなことよりも社会の変化に対応して必要な変化を適切に取り入れていってほしい。
今の時代なら、お役所や教育といった公的セクターもIT化をどんどん進めて当然だと思うけど、今の政府は遅れているどころか世界的に見ても低レベル。そこに不満を感じる。
現役サラリーマン層の社会保障の負担軽減は必須。なんで毎月給料の1/3近くが社会保障関連費で天引きされるんだよ。
自衛のための戦力や日米同盟は必要だけど、右派が言うような核武装や敵基地攻撃能力はやりすぎ。中国・韓国に日本非難の口実与えるだけ。
原発即時全廃は拙速。天候依存の太陽光や風力、中東の原油依存の火力に頼り切って本当にいいの?
長期的にみて、安定供給できる電力の代替手段が見つかれば廃止進めても問題ないと思うけども。
そんな立ち位置なんで、今の自民党政権自体はそれなりに評価。ただ点数をつけるなら決して高評価にはならない。
自分の中ではよくて40点くらいの点数だろうか。だけど野党を評価すると20点とかそれくらいになっちゃうんで、仕方なく自民に投票している。現状そんな感じ。
少し古い話だが鳩山政権の時に、沖縄の基地移転問題で何の準備もなくちゃぶ台返しした挙句、
昔の自民と同じように辺野古移転という結論に至ったお粗末さとか、理念先行で空回りする傾向が信用できない。
あとは、日本の左派系知識人が反知性主義に近いのが嫌い。立憲がこの前擁立していたおしどりマコとか、なんで科学的根拠に基づかない主張する候補をもちあげるんだよ。
他には無駄に対決姿勢が強いところとか。旧民主党政権のときの長妻議員とか、厚労省の官僚と対立してろくに改革できなかったり、
最近だと石垣議員のように、政敵になら何を言ってもいいというような独善性とか。そういうところが普通に嫌いです。
ネオリベとは割と思想的に近いとは思ってる。ただ、競争的な環境は必要だと思ってるけど、なんでも競争させればいいってもんじゃないという考え。
大学に競争的資金制度を持ち込んだ結果が日本の大学の国際競争力の低下や教職員の待遇悪化につながってるのが悪い例だよね?
あと、現政権はネオリベ寄りといわれながらぶっちゃけ見掛け倒しだと思ってる。
電通やパソナ、リクルートといった特定業者に利益誘導するのは自由競争の精神に反するし、政府が企業の統合に介入する産業政策はぶっちゃけセンスがない。
ルネサスとかジャパンディスプレイとか明らかに失敗だよね?最近も日産とホンダの統合構想とか、マジで思考が終わってる。
国会質疑で対決型の野党と違う視点を持ち込めるのは、多様性の観点で大事。
選挙で1回議席増やして、衆議院で20議席、参議院で10議席とれば議員立法提出できたはず。
そこまで行けば個別法案で自民と連立与党の公明党の判断が分かれるときにキャスティングボートを握れる。
ていうかそもそも1回の選挙で政権取ろうって考えが私には理解できない。
かつての民主党や、もっと前の細川連立政権が勢いで政権取って失敗してるじゃん。
彼らの教訓は、外交・安全保障や経済・社会保障といった基本的な国家観が一致していないと政権は持たないという事。
政党が掲げる大義が、「自民党政権を打破して腐敗をただす」だけなら同じ過ちを三度繰り返してしまう。
新しく実現したい具体的なビジョンを掲げるのは絶対に必要なんだよ。
今の政府に不満があって政権交代の必要性を感じるなら、時間はかかっても地方選挙・国政選挙を繰り返し、
理念の一致する仲間の数を増やして地道に党勢拡大するしかないと思う。
左派を支持しない理由と同じで、反知性主義的なにおいを感じるから。
世界中の研究機関が血眼になってコロナウィルスの研究進めてもなかなか成果が出ないのに、イソジンでコロナが解決したら苦労はせんのだよ。
コロナ対策の候補が見つかれば、ちゃんと手順を踏んで治験を進めてエビデンスが得られてから認可っていうような正攻法で進めてほしい。
山本党首が目立ちたがりで、考えるよりも行動した方が早いってタイプに見えて、維新同様、反知性主義的なにおいを感じるから。
国会での葬式パフォーマンスとか、そういう左派特有の政敵に何してもいいって考えが嫌い。
山尾議員はヤバいスキャンダルを重ねすぎ。ガソリン代疑惑とW不倫の2つが重なるとさすがに人格を疑う。地元の支持者が離れた対策かわからないけど、れいわの山本党首に近づいたり、復古主義的な保守系に近づいたりと節操がない。
前原議員も外国人献金問題とかあってあまり擁護はできないけれど、民主党政権時に国交相としてJAL再建で成果上げてるのがポイント。
他の民主党議員、例えば長妻議員が厚労省改革で成果を上げられなかったのとは対照的。
他にも京セラの稲森氏を後ろ盾にしていたりとか、民主系議員には珍しく財界とコネを作ってたりと実務能力の高さを感じる点が割と評価できる。
もっとも永田偽メールに踊らされたり、小池知事に担ぎ上げられたりといった政局面での弱さが目立つので、実務に徹してもらいたいと思っている。
個人の政治的嗜好で支持政党を判断すると、風見鶏議員が離党した後の新・国民民主党は自分の方向性と見事に一致してるんで、今の自民と違って『積極的に』支持ができるんですわ。
後1週間もすれば、新・国民民主党の体制が発表されると思うんで、私のような穏健保守派の現役サラリーマンの皆さんも注目してみてはどうでしょう?
>被害妄想の激しさやバランスの悪さ、客観性のなさや独善性、社会正義感の欠落などはあるよなと思う。そしてこれらは、犯罪者が持ちやすいメンタリティではある。
増田自身が隔離されてるところにわざわざ行ってグダグダ言ってるってことは、被害妄想の激しさやバランスの悪さ、客観のなさや独善性、社会正義感の欠落がある。
よって、元増田は犯罪者が持ちやすいメンタリティを持っている。
なお、誰かが性的欲求を感じるを元に無限に何かを強いるのを許した行く末が、イスラム原理主義が女が完全防備のかぶりものをして家に閉じ込められる社会。
オタクやロリコンis犯罪者という仕立て上げ方には辟易とするけど、
またオタクバッシングだと憤るタイプのオタクや、実際に手を出してないのだからどんな妄想をネットで垂れ流そうが勝手だと言っちゃう種類のロリコンについては、被害妄想の激しさやバランスの悪さ、客観性のなさや独善性、社会正義感の欠落などはあるよなと思う。そしてこれらは、犯罪者が持ちやすいメンタリティではある。
ワイドショーあたりは見てないからわからないが、新聞やネットニュースを見ている限りでは容疑者がオタクであるというあげつらわれ方はしていないし、妄想が脳内にある限りは何を考えても当然自由だが、インターネットもワンオブ社会であるので、それを外部にダダ漏れにさせてるくせに内心の自由とか笑わせる。
毒叔母持ち増田だけど、昼休みに見に来たらツリー伸びてた。言葉足らずだったか。
私の毒叔母の毒素の原因は、増田の指摘通り性格の悪さから起因するものでもあるのだろうと思うが、それだけじゃなくて、
私が、大元増田から毒叔母を連想した理由は、客観性の無さからくる母親の愛の無根拠な信奉、そこから結果的に発生した独善性を指したつもりだった。
なので私から見た、大元増田と私の毒叔母の共通点は、独善的ということよりも深い理由、母親だけを主にやってることからくる、必然的な客観性の低下というリスクなんだよね。
独善的なやつめ、と返したのは、この構造は、どういうステータスの母親であれ、父親であれ、または子が居ない人であれ、視点が少なくなると陥りやすい罠なので、
そこに気付いている気配がない増田への当てこすりとして使った言葉です。性格が良ければ陥らない、とは限らない。
むしろ真面目で性格が良いと言われている専業主婦を狙ってあちこちで罠を張ってる過剰自然派()やら三歳児信仰やらの子育てカルト・マニアックスなんてのもよくある話。
というか高校・大学の同級生でハマった子が2人いる。彼女たちは真面目だったし子供への愛情も深かったし性格だって良かった。学生時代~カルトにハマるまでは良い友達だったしね。
共通点は二人とも賢かったし文化的素養も高いところで育っていた専業主婦で、それに若干の負い目があって、自分の存在意義を問いがちだった。
真面目さや愛情深さ×存在意義探しのパワーを、元々それなりにモノを考えられるタイプのお母さんが「子育て」に全振りしちゃうのって、割と怖いことだ。
パワーが強い(愛情由来だからね)し、ストッパーが効きにくい(視点が単眼的になりやすいし、子供への愛情由来だからブレーキが利きにくい)。
問題は、性格の良さ・悪さとか、愛情のかけ方とか、そういうった「分かりやすいフォーカス」ではなく、客観性が低下しやすい環境に置かれると人は簡単に転ぶ、ということだ。
増田も、大元増田も、私もだ。ちょっと話はずれるが、モンスターペアレント(最近聞かなくなったな)とかも同じ構造。気を付けていないと誰もが陥る可能性がある「愛の罠」
増田について言えば、ちょっとその辺をつつくと「あなたのお母さんは毒親だったんでしょうねぇ…」というリプを返しているから、割と危険度が高いのではないかと思う。
私も、ネットに書かないほうがいい事、というのはよくわかります。書いちゃいけないとまでは思わないけれど。
悪意的に見られたら確実に悪者にされてしまう隙の多い文章だし、本人も後のツイートでそれを自覚しています。
それどころか、身内から「そういうのやめたほうがいいよ」と忠告を受けていることもブログで書かれています。
けれど、人間は理性だけで制御できないもので、たとえば鬱や自殺に至る人の心理がいい例ですが、
分かっていてもできない、分かっているからこそ逆に泥沼に吸い寄せられてしまう、という心理になるときがあるんです。
仕事で上手く行かなかった彼の心理もそうした状態だったのでしょう。
だからネットに書かなくていいことを書いてしまう人が常に、必ず、一定数いる。
だからそういう滲み出てしまったものに目くじらを立てて意気揚々と叩きに行く人たちは、残酷だと思うんです。
もちろんそういう状況で書く文ですから、自己愛や独善性が鼻についたりする部分も当然あって。
ときに他人に攻撃的な言い方をしてしまう時もある。でもそれは、叩くのを完全に正当化する理由にはならない。
私はそう思います。
でも誰もが陥るかもしれないそういう事案で、その人の積み上げてきた価値を一瞬で壊してやろうという人が寄ってくる、
そういう社会には、私は生きたくないと思うんです。
とくにダテコーは業界の外から来たアウトサイダーで、業界に物申したいことが沢山あるんだと思いますよ。
もしかしたら、「オレスゲーんだぜ」と言うのにかこつけて身内のお給金事情も意図的に晒しているのかもとすら思います。
常識的には、そういうのは無用な衝突を生むから言うべきじゃないし、勝手にバラされたら怒るのが普通でしょう。
でも実際のところ、身内の人たちは彼をそういう人だと、業界をかき回したい人なんだと温かい目でみていて、
一定の理解があるのかもしれないですよね。すべての人が器用に生きられるわけじゃないです。
特に経営者になるような人は、往々にして、とびぬけて不器用だけれど、その分人を惹きつけるビジョンやパワーがある。
そうやって色んな個性と折り合いをつけていく、いい大人、いい身内に恵まれた中で生きてきた人なのかもしれない。
だから、ダテコーに巻き込まれた身内が実際表立って怒っていたら、外野の一般人で忠告しにいく人がでるのもわかりますが、
そういうのを確認すらせずに、自分の常識観に従って、勝手にマナーだとか正義を代弁して叩く、というのは、
私は行き過ぎたことだと思うんです。
のが約三年前。
年末年始および家族親族が集まるような場所に僕が一切出席しなくなった為。
理由は姪の名前を呼びたくないし、呼ばれているのも聞きたくないし、どちらをするにしても非常にいたたまれない気持ちになるから。
子供の責任じゃないという意見はまったくもって正しいのだが、正直名前を聞くたびに我が家の特徴である相手の事を考えない自己完結した独善性の象徴をみせられるようでとても気が重くなる。
なにより自分の体験から考えても子供というのは大人が自分に対して抱いている感情に非常に敏感なので、「叔父は自分に関してプラスな気持ちを持っていない」などと思われるよりは、「叔父は変わり者なので家族と会うことがない」くらいに思われていた方がよほどいい。
DQNネームというものの害悪の本質は本人や親よりもこの周囲をいたたまれない気持ちにすることにあるんじゃないかと思う。
正直兄がDQNネームをつけるまで、就職の採用なんかでDQNネームを理由にはじかれるというのをくだらない差別のように感じていたし、それは今でも変わらないのだろうけど、もし自分が仕事を一緒にする時には優秀でも一緒にいていたたまれない気持ちになる人間よりは特に優秀じゃなくてもDQNネームじゃない人間をくだらない差別であることを承知で選ぶだろう。
兄夫婦は「これからは海外に日本人がでていかなければならないのだから日本の伝統なんて無意味」との事で悪意はない。
「アメリカンスクールに通わせて国際人にしたい」「子供のころから英語を習わせたり最高の教育を受けさせたい」等とも言っている。
こういう善意に基づく神経症的な完璧主義とコントロールフリークが合体した結果、DQNネームになったのかと思うと姪の今後を考えて暗澹とした気持ちになる。
人間は良くも悪くも自分の所属する共同体から簡単に抜け出すことはできないんだし(特に子供は)その中で周囲にいたたまれなさを積み上げるような名前を与えることは親のエゴであるように感じられるし、周りのいたたまれない気持ちの積み重ねが本人にいい影響を与えるとも思えない。
そしてなによりもいたたまれなさを感じながらその人間と付き合うのは非常に感情的な労力を必要とする。
かの池波正太郎は頼まれて名付け親になることが多かったようだが、「名前は当人が意味を付与していくものだからあまり奇をてらったものは望ましくない」としてほとんどの場合~太郎といった感じのひねりのない名前をつけていたそうだ。
とりあえず僕にできることは姪には一切会わないことと、もし何年か後に姪が改名したくなった時に相談に乗り、可能な限り力になってやることぐらいしか思い浮かばない。
生まれたときは本当にうれしくて「この子をとてもかわいがろう、いい叔父になろう」と思っていたんだけどなあ・・・
名前一つで自分と家族との関係まで変わるなんてまったく想像していなかった。
こらえ性のない叔父さんでごめんよ。
追記
元増田自身の対応も「相手の事を考えない自己完結した独善性」というリアクションをいくつかいただいたので、自分では書いてたつもりなんですがそれでも独善的な対応をしていた事を本文中で明示できなかったことをお詫びします。
まあ独善的な家庭で育った独善的な人間である自分には「家族と疎遠になる」とか「子供も家族もつくらない」という選択肢があるのですが、まだ子供の姪にはそういう選択肢すらないんですよ・・・
24歳で実家暮らし。正社員としての職歴なし(短大→バイト→お見合い→専業主婦)夫と子供あり。
※1年齢間違えてました。アニメ版だと24歳、原作だと27歳とのことでした。
※2ご指摘のとおり、探偵事務所とハロー社でアルバイトの経験ありとのことでした。すみません。
専業主婦とはいえ、実際はフネさんが家事を全部取り仕切ってるから、サザエは単なる家事手伝いである。
夫もいるのに、24歳になっても3兄弟の長女として”子供のまま”でいられるのだ。
妻は言っている。
長いスパンで仕事をしたことがない、専業主婦ですらない、育児も実家に頼りきり、メンタルも母になりきれてない。
中途半端でラクすぎる立ち位置ではないか。こんな立場、今の世の中ありえない!
僕はマスオさんは個人的に尊敬している。あのコミュ力は半端ない。僕なら無理だ。
でも波平お前は駄目だ。あまりに幼児性と独善性が強すぎる。結局フネさんに甘えているとしか思えない。
追記:ご指摘を受けて修正しました。
http://anond.hatelabo.jp/20131031224610の記事を投稿して一日、想像以上の反響が得られて驚いた。
賛否は人それぞれであったが、文字だけで決して読みやすい訳ではない記事を多くの人に読んでもらえたことを非常に嬉しく思う。
ただ一つ、後悔したのは
5.なにこいつドヤッってんの?ムカツク。
のケースを「学歴コンプ乙」という短い冗談で流してしまったことだ。
http://anond.hatelabo.jp/20131101091839の記事でも書かれているように、
今回のケースで浮彫になった、もう一つの問題がある。
それは、自分のもっている意見をあたかも絶対に正しい真理であるかのように勘違いして、
自分とは異なる意見を持った人を、相手の意見を全く聞き入れようとせずに、非常に感情的・攻撃的に排除しようとする人たち のことだ。
こういった人たちは、自分と異なる意見を持つ人間が存在すること自体が気に入らず、
批判している相手に「勝ち誇られ」、「優越感に浸られる」ことが絶対に我慢ならないのだ。
かくして、彼らと異なる意見を持つ人間は、「上から目線」で「優越感に浸る」ことが目的の「道義的に誤った人間」と認定されるのである。
何を言っているのかはよく分からないが、「上から目線」で気に入らない。
どれだけ正しかろうと、「上から目線」で話すような「人格の劣った」奴の言うことは聞く価値がない。
このようにして、自分の聞きたいことだけを聞き、自分の聞きたくない情報は「上から目線」と一括りにして排除した人間たちの末路は何か。
低学歴でまともに読書もしないのに、政治家(笑)や専門家(笑)と比べものにならないほど自分が優秀だと勘違いし、自分の価値観を絶対視して
「こいつら何も分かってないなー。これが答えに決まってるのに」というようなコメントがTwitterやfacebookに並ぶのだ。
1.自分の意見が「自分の」意見に過ぎないことを自覚できない。
という二重の問題がここにはある。
そういった人たちは、今もこの記事を読んでいて、「何様のつもりだ」、「お前が言うな」などという言葉が頭に浮かび、怒りの感情を抑えることができないのだ。
一つの解決策は、彼らにその独善性を指摘することであり、それこそが今まさにこの記事がなさんとしていることである。
読者諸賢の意見を問いたい。
http://anond.hatelabo.jp/20130831224854
うーん、それはどうだろ。
一見もっともらしいけど違うと思う。
だって左翼団体や右翼団体のリーダーは依然として超偏狭で現実味のない主張をしてるよね。
リーダー経験が思考の複雑さやある種の寛容さを産むという主張であれば
結論からいうと
その思想に従わない「反動」を自信満々に罵って攻撃して取り締まるとか、
ブラックのワタミさんなんてまさにすごいリーダーシップなわけでしょ。
実際のリーダーの思考っていうのは
自分の方針と相性悪い奴を排除する。粛清するっていう方向に向かうんだ。
政治ネタでいうなら20年前に当時テレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良って人が
自分の思想信念に基づいて完全に意図的に変更報道をしちゃった。
「庶民に余計な情報を与えるな」「これが正義だ」って感じのことをはっきり言ってた。事件化して供述もとられてる。
というより、リーダーの職責を経ることで独善性や排他性が増したのだと思う。
椿さんがそこまで出世してなければもう少し考え方に余裕や寛容さが残ってたかもしれない。
だって、
リーダーの仕事としては異物や反動を排除するのって正しいからね。
戦国大名でもそうだけど、自領を守れたとか拡大出来た家というのは
それをきちんとできなかった家は必ず衰退したり滅びたりしている。
家臣や親族を斬ったというとすぐ暗愚な殿様だ残虐な殿様だとなるけど
これも現代のイメージでいうことで、本当は斬れない殿様のほうが暗愚。
斬らないのは凡人でも優柔不断でも出来る。
民主主義的フィクションに毒された我々はリーダーの資質と言うものを勘違いしがちだけど
Facebookで次のようなやりとりがあったので、貼り付けます。皆さんの思考の一助となれば。
(補足:本題は、AとC、Eのやり取りです。B、Dのコメントは前振りです。また、イメージがわきにくいので、男女の別と肩書きを付しました)
AKB48メンバーの恋愛・丸刈り問題、フランスの新聞「リベラシオン」にも掲載されました。
タイトルは「日本のダンサー少女の丸刈りに衝撃」で、事実を淡々と伝えています。You Tubeの画像が24時間で300万回以上再生されたとか、日本で大騒ぎになってるとか。彼女は「自分で決めた」と強調しているとか。それで、「第二次大戦後ナチの将校と寝たフランス女性の懺悔を思い出させる」という反応とか、「これが先例になったら困る。青少年への影響を考えろ」というツイッター上の反応とか紹介してます。そのうえで、。「このように日本の懺悔の伝統に少女を追い込んだことについても、恋愛を禁止したことについても、このような有名人プレッシャーをそれを負うには若すぎる少女に課したことについても、誰も罰せられない」と皮肉っています!
私は、You Tubeは世界中から見られるので、日本の恥を世界にさらさないで!と危惧していましたが、恐れていた通りになりました。 http://next.liberation.fr/musique/2013/02/01/surprise-chez-un-danseur-une-chanteuse-japonaise-se-rase-la-tete_878485
どこかで、次回出すCDに、切った髪の毛を入れて発売するという記事を読みました。すべては商業的に仕組まれたことだったのではと思います。本当ならば、なんとしたたかなことか。
Bさん、私も作為的なものを感じます。でも、それが商業的に成功する国・社会であってはいけないし、フランスはAKBのような存在そのものが成り立たない成熟社会です。
商業的に成功するんでしょうか?さすがに切った髪の毛をCDに入れるのには、ファンも反対すると思うのですが。まあ、ファン以外の人がたくさん買うと思うので、売れることは売れるかもしれませんけど…。
AKBのような存在そのものが成り立たないことを「成熟」と捉えることには反対です。
Cさん、反対の理由は何ですか?確かに「成熟」にはいろいろな意味があるので、ちょっと良い表現ではないかもしれませんが。
Dさん、そうでしたか。うっかり、ひっかかりました。(^^ゞ
端的に、成熟(その裏返しとしての未熟)といえる根拠がないと思うからです。逆に、成熟と捉える理由はなんですか?
ところで、フランスでは、AKBは人気がないですが、モーニング娘。は結構ファンがいるようです。どういう差なんでしょうか…?
私の考える「成熟社会」とは、自由、平等、法の支配がより行きわたる社会です。子ども、女性、障がい者等、弱者の権利がより守られる社会です。
もちろん、この問題1つだけで日本が未熟でフランスが成熟しているという根拠には不十分かもしれませんが、たとえば日本の新聞で、上のように「誰も罰せられないのはなぜ?」と疑問をなげかける新聞があるでしょうか?フランスにももちろん闇の部分はたくさんあるので、100%良い国だなどといいう気は全くないのですが、女性差別とか児童・暴力ポルノ問題への批判に関しては、日本の数歩先を行っています。モーニング娘やコスプレが人気と言っても、あくまで「しゃれ」の範囲で、今回のような丸刈り事件には大多数が反対するのがフランス社会だと考えています。
Aさんのおっしゃるような社会を「成熟社会」と呼ぶことには違和感はありませんが、AKBのようなアイドルが存在しえないことは「自由、平等、法の支配がより行きわたっていること」と関係がないように思います。
児童ポルノ問題については、日本はアメリカやヨーロッパ諸国に比べると遅れていますね。性差別については、議論が盛り上がっているということ自体は先を行っていると言えますが、議論の進展状況については、フランスでのヒジャブ禁止問題を見る限り、単純にそう言えるか微妙なところもあります。
今回の丸刈り事件については、日本でも批判的な見解が大多数だと思います。例えば、朝日新聞の記事はかなり批判的です(http://www.asahi.com/national/update/0201/TKY201302010381.html)。この記事は、むしろ、上記のフランスの新聞よりも問題状況を理解していると言えます(この件について、坊主にされたフランス人女性の話と比較させるのは的外れです。もちろん、単に市民の反応を紹介しただけ、という言い訳はできるでしょうが)。
Cさん、朝日の記事は読みましたが、私には批判的とはあまり思えませんでした。特に、後半の危機管理のプロとかいう方の「謝罪は成功」とか、「アイドルは商品。ブランドコントロールは何よりも重要です」というコメントで締めくくる記事構成は、それを是認しているととられる可能性大です。「反省してるから許してあげて」と言いますが、反省する必要はないし、それを売りにしていること自体が明治時代以来の処女神話というか、女性の商品化(差別)の表れと思うと私には耐えがたいのです。フランス社会はそれに抵抗があるからAKBのような存在が(ごく一部のマニアックな層に人気が出たとしても)メジャーになることはないと思っています。
へジャブ禁止令もそもそもイスラムの女性差別に対する批判からでてきた話で、しかも禁止は学校内だけですから、問題ないと思っています。
察するに、今回の件に関してどのような理由から批判するのか、という点について、Aさんと朝日新聞とでは視点が異なるのだと思います。朝日新聞は、「アイドルの恋愛禁止」をやや批判的に描き、「反省の手段として丸刈りにする」ということを体罰あるいはパワハラに類するものだと批判し、また、マーケティング戦略として失敗したのではないかという角度からの意見を紹介しています。そこには、「女性差別」の話は登場しません。
今回の件を女性差別の問題と捉えることは、的を失していると思います。もちろん、女性の商品化→即差別と考える人がいるのはわかっていますが、自分はそうは思いませんし、そういう考え方が一般的だとも思いません(これに対し、男性女性問わず、性の商品化自体が心地良いものではないという意見は多いと思います。それは差別とは別の問題です)。
ヒジャブ禁止は、フランスの差別解消についての独善性が出たものと思っています。ムスリム女性自身の反対を押し切って、よく施行に踏み切ったなと思います。
それはともかく、AKBが存在しえないことが成熟社会である、という言明は、Aさんのコメント内容から推測すると、結局、「女性の商品化は差別である」→「AKBは女性を商品とするものである」→「AKBの存在は差別である」→「差別のある社会は成熟していない」→「AKBの存在は未熟を表す」という思考過程を経ているという理解でよいですか?
女性の商品化=即差別とは私も思いません。それこそ大人の男女が自らの魅力を演出してそれを売りにすること自体は、職業として成り立つのでしょう。でも、そこに「恋愛禁止」のルールなど入りこむすきはないですよね?その自由の否定とそれを受け入れる社会が未熟だという考えです。校則なども一種の自由の制限として私自身は反対です。
なので、上記の「女性の商品化は差別である」という命題からは出発しません。AKBのような未成年を商売道具として利用する大人に対する批判はあるので、AKBに限らず、「10代のアイドルは大人が子どもを商品とするものである」→「特に処女性を売り物にするアイドル(たとえばAKB)は女性差別である」→「子どもを商品としたり、女性に限らず、差別を許す社会は未熟である」という思考過程を経ているかな?と思います。
このAKBの構成員たる若い女子の丸刈りが、いかに多くの女性から嫌悪感を帯びて見られているか、秋元某はわかってないでしょうね。この嫌悪感は、まさしく「女性がオッサンから商品化」され、「搾取」されていると嗅ぎ取っていることからきます。また、「若いにーちゃんがこれを見て喜ぶだろう欲求」を充たしたと、商業ベースから判断されていることを嗅ぎ取っているからでしょうね。
法や人権に携わる者が、これらのことに鈍感であってはならないと強く感じます。そういう意味での「嗅覚」、とても大切ですよね。頭で理屈づけることなど、後から暇な人がすれば良いことです。これが社会的に、また若い女性、若い男性に与える悪影響から考えると、即刻このような「性の商品化」はやめるべしだと思います。また、森美術館の例の展示も、いま問題の体罰も、根っこに同じものを感じます。
Aさんの仰ること、私には大変よく理解できます。ロースクールも法学部も、真面目にジェンダー法に取り組むべきでしょうね。
そうそう思い出しました。キャリア教育などでも「自分を商品と思って売り出すなら、なんて売り出しますか?」というフレーズを使う講師に、それは不適切だと抗議したことがあります。人間は売り物ではありません!それを、いけしゃあしゃあとやっている大人たち、買う人間がいるから売るという発想の大人、これは本当に断罪しなければなりません。
謝罪って・・・誰に対して?写真集の犯罪については責任者=男性・権力者の落とし前は社会的にも不問で、労働者=女子は人権も人格も否定される不平等が搾取だし、キモい。日本はジェンダーバランスの点では著しく未熟な社会である。
AKBの女の子と同じくらいの年齢の娘がおりますので、この女の子の丸刈り姿を直視できません…。これがもし自分の娘だったら…と考えるだけで、死にそうなくらいイヤな気持ちになります。そんな集団に入ることを許してしまった、親としての自分のあり方を呪うと思います。
この画像に対する嫌悪感は、表現しがたいほどです。女性が「罰として丸刈りにする」という行為自体が、ナチスの収容所に入れられた女性や、大戦後、ナチスとの付き合いがあったことで丸刈りにされた女性たちを連想してしまうのです…。
こんなことがまかり通る「幼稚」な国であるということを、臆面もなく世界にさらしてしまったことは、本当に恥ずかしいと思いますね。
私も朝日新聞の記事を読みましたが、あれのどこが批判的なんでしょ?しかも、その記事の横に「板野友美引退」ですよ?スポーツ紙か?と突っ込みました。
テレビのニュースも然りです。この気持ち悪さ、不快感の本質をついてくれない。
Aさんのスレッドを読ませて頂き、やっと胸のつかえがおりました。
>Aさん
女性の商品化というよりは、子供の商品化が問題であり、また、それとは別に、処女性を売り物にすることが女性差別だということですね。処女神話はたしかに女性差別の意識の発現と言えるでしょうから、処女性を売り物にすることが女性差別意識を払拭することを妨げると言うことはできますよね。
ただ、たしかに「男はあの映像を見て喜ぶ」と演出サイドが思った可能性はありますが、実際にはそんなことはおそらくありませんので(喜ぶ人もいることはいるでしょうが)、演出サイドを責めるならともかく、今回の件に対する批判の声が多い現状に鑑みると、社会を未熟と言ってしまうのは、卑下しすぎではないかと思わないではないですね。
少数派の意見を正当化しなければならないときには「嗅覚」だけではどうにもならないので、理屈付けが必要です。もちろん、問題発見のプロセスでは、理屈付けの前に「嗅覚」が先に立つわけですが、正当化のプロセスにおける理屈付けがなければ、味方同士の馴れ合いで終わりです。
>Cさん
「嗅覚」が働かないような人は、学者にも司法関係者にも人権に携わる人にもはなれませんね。どこぞの弁護士みたいに人権が飯のタネ、なら別ですが。かしこぶっても、痛みをわからない人に理屈をつけられるよりは、まずは気持ち悪さを「共感」できる人でないと、自分はおろか他者の「権利」なんて守れませんからね。「正当化のプロセス」を他者がしたり顔ですることが、問題発生のすぐの時点でそんなに必要とは思えません。それを味方同士の馴れ合いなどと断言されるというのは、やはり第三者である自分を安全地帯において評論する、というところからですかね。
Cさん、大衆論理は常に正しいんですかね。女性のことに関して女性の意見を聞かない男性に何がわかるのでしょうか。古代脳である嗅覚すらないならもはや生物とも思えません。
はもはも(・w・)にじいろ @hamo__hamo19xx
無断転載者が批判されるのは至極当然だと思うが、それをおかしいと言ってる奴って、無断転載しなきゃ成り立たないような残念なコミュニティに生きてるんですかね。自分に火の粉降りかかるの恐れてるんですかね。
2:無断転載者を発見しても、正当な法的手続きを選択することなく、延々と「論破オナニー」と「個人攻撃」
3:当然だけど、ある程度法律に詳しい人間なら、1と2の行為を見ただけでも、彼らの活動には懐疑的になる
4:そういった懐疑的な意見をエゴサーチで探し出し、「無断転載を行った」と決め付けて、延々と「論破オナニー」と「個人攻撃」
最初っから言われてる事だけど、無断転載クラスタが批判されるのは、こういう行為を実際に行っている事実があるからだよ。
もっとも最近は、そういう意見に対して、「愚痴」だの「無断転載者の負け惜しみ」だのへ理屈こねくり回して、お得意の「論点外し」で逃げまわっているようですけど。
露出狂が女子高生に性器を晒すのはどう読んでもネットに俺理論を書き込むことだろ。俺は女子高生じゃねーけど。この流れでそれ以外の文脈はありえないよ。
根拠を聞いているんだよ。何故「ネットで」「俺理論」の例えがそうなるのか?
箇所がネットであるということの根拠も不明だが(俺理論を開陳するのに最も最適な場所は本だ)、それを措くとしてもどちらかと言えば例えば掲示板に単なる猥語を書き連ねるたぐいの通り魔的な荒らし行為が該当するんじゃないか?
単に君が不快を覚えたのでその不快を表明するために引いてきた以上の意味はないんだろ?
読書が自慰なのはリアクションが期待できない行為でありまた行為者即ち読書するものはリアクションを期待していないから。
何を与えられるにせよ、読書者は自分が何かを得ることを期待しているし自分が何か与える立場になることを前提して本を読んだりはせずまたできない。
本は何も受け取らない。
ネットがややネックか。テルセックスに例えたが、ネットという媒体を介したコミュニケーションのこの手軽な割に規模のでかい感じは性的行為で例え切れてない感じはする。
いやいや、だからお前のそういう態度故にネットはオナニーではないと分類されるんだよ。
独善という言葉にこだわりがあるようだけどこれは「アクションに対するリアクションを前提としまた期待しているか否か」についての読書の性質を揶揄って表現したものだから。そこは理解してるよな?
そして読書が独善的で閉じているのと異なり、ネットは気に入らないことにケチをつけることができるしつけたケチに対してこうして短時間内に反応が返ってくる。
これだけ取ってもネットと読書は大違いだ。比較すれば読書は閉じていると言わざるを得ない。
そもそもお前はこっちの言うことを理解し受け入れることができていなくて、自分の言葉の定義と齟齬をきたしている記事が気に入らないからとりあえずかみついているだけなんだけどそれでもコミュニケーションのはしくれなんだから、お前のやってることは超絶に下ッ手くそなセックス以外のなにものでもないよ。
いやいや、だからお前のそういう態度が独善的だって言ってるんだよ。
「独善性はその態度によって測られるものであって、理解度や解釈の程度は本質ではない」ってその言葉自体がお前の独善じゃないか。どういう理屈だよ。
そもそもお前はこっちの言うことを理解するつもりも無く、自分の理論をダラダラ垂れ流してるだけなんだから、お前のやってることはオナニー以外のなにものでもないよ。
単に他人の書いたものを読んだだけならそれはオナニー。そして言うまでもなく読書はそのほぼ全てがオナニー。
アクションに対してリアクションを返すことが出来て初めて相互意思疎通即ちコミュニケーションと言える。
例え読者が本を読んで何らかの知見を得、それを文章その他に表現したとしても、既に書かれた本がそれを受けて内容を変えるといったことは物理的にありえない。TENGAがあえぐくらいにありえない。
それがなされるのは例えばその本の作者の目に読者の文章がとまり、それを受けて改稿がなされたといった場合のみであり、これは既にコミュニケーションそのものに移行しているため例としてはセックスが適切となる。
また、独善性はその態度によって測られるものであって、理解度や解釈の程度は本質ではない。