2014-03-17

兄が娘にDQNネームをつけた

のが約三年前。

それを機に自分家族関係が変わっていった事を簡単に書く。

一言でいうなら僕と家族が極めて疎遠になった。

年末年始および家族親族が集まるような場所に僕が一切出席しなくなった為。

理由は姪の名前を呼びたくないし、呼ばれているのも聞きたくないし、どちらをするにしても非常にいたたまれない気持ちになるから

子供責任じゃないという意見はまったくもって正しいのだが、正直名前を聞くたびに我が家の特徴である相手の事を考えない自己完結した独善性象徴をみせられるようでとても気が重くなる。

なにより自分の体験から考えても子供というのは大人が自分に対して抱いている感情に非常に敏感なので、「叔父は自分に関してプラスな気持ちを持っていない」などと思われるよりは、「叔父は変わり者なので家族と会うことがない」くらいに思われていた方がよほどいい。

DQNネームというもの害悪本質は本人や親よりもこの周囲をいたたまれない気持ちにすることにあるんじゃないかと思う。

正直兄がDQNネームをつけるまで、就職採用なんかでDQNネームを理由にはじかれるというのをくだらない差別のように感じていたし、それは今でも変わらないのだろうけど、もし自分仕事を一緒にする時には優秀でも一緒にいていたたまれない気持ちになる人間よりは特に優秀じゃなくてもDQNネームじゃない人間をくだらない差別であることを承知で選ぶだろう。

夫婦は「これから海外日本人がでていかなければならないのだから日本の伝統なんて無意味」との事で悪意はない。

アメリカンスクールに通わせて国際人にしたい」「子供のころから英語を習わせたり最高の教育を受けさせたい」等とも言っている。

こういう善意に基づく神経症的な完璧主義コントロールフリークが合体した結果、DQNネームになったのかと思うと姪の今後を考えて暗澹とした気持ちになる。

人間は良くも悪くも自分所属する共同体から簡単に抜け出すことはできないんだし(特に子供は)その中で周囲にいたたまれなさを積み上げるような名前を与えることは親のエゴであるように感じられるし、周りのいたたまれない気持ちの積み重ねが本人にいい影響を与えるとも思えない。

そしてなによりもいたたまれなさを感じながらその人間と付き合うのは非常に感情的な労力を必要とする。

かの池波正太郎は頼まれて名付け親になることが多かったようだが、「名前当人意味を付与していくものからまり奇をてらったものは望ましくない」としてほとんどの場合太郎といった感じのひねりのない名前をつけていたそうだ。

ああ、ビッグボスあなたは実に偉大だ。

とりあえず僕にできることは姪には一切会わないことと、もし何年か後に姪が改名したくなった時に相談に乗り、可能な限り力になってやることぐらいしか思い浮かばない。

生まれたときは本当にうれしくて「この子をとてもかわいがろう、いい叔父になろう」と思っていたんだけどなあ・・・

名前一つで自分家族との関係まで変わるなんてまったく想像していなかった。

こらえ性のない叔父さんでごめんよ。

追記

元増田自身の対応も「相手の事を考えない自己完結した独善性」というリアクションをいくつかいただいたので、自分では書いてたつもりなんですがそれでも独善的対応をしていた事を本文中で明示できなかったことをお詫びします。

まあ独善的な家庭で育った独善的人間である自分には「家族と疎遠になる」とか「子供家族もつくらない」という選択肢があるのですが、まだ子供の姪にはそういう選択肢すらないんですよ・・・

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