はてなキーワード: 手作りとは
「俺は外で頑張って働いてるんだから、お前は家の中の事をちゃんとしろ!」
昭和の時代に良く聞かれたセリフを現代の男性が言うには、いくら稼げばいいのか。
まず、夫がどれだけ「頑張って働いているか」を表す指標、「労働の成果」はもちろん「給料」だ。
「長時間労働」も「重労働」も、「給料」が伴わなければ評価には含まれない。
それは家事に置き換えて考えれば一目瞭然だ。
重労働のような掃除をしても、逆に部屋が散らかっていたら意味が無い。
同じように、夫がどれだけ長時間労働や重労働を「頑張った」と主張しても、「給料」が低ければ意味は無い。
あとは平均に当てはめるだけの作業。
2015年の日本の平均年収は、男性で、521万円。(国税庁「民間給与実態統計調査」調べ)
従って、「平均的に」頑張って働いている男性=「平均的な年収(521万)」を稼いでいる夫は、妻に「平均的な家事」を求められる、と言える。
洗濯は、いつも綺麗な衣類が用意されていてアイロンがけも万全。
と考えると、「平均的な家事」において、
食事は、出来合いのものと手作りと半々、栄養バランスもまあまあ、味もまあまあ。
掃除は、埃ひとつ無く隅々までピカピカとまではいかないけれど、生活には支障無いレベル。
洗濯は、まあまあ綺麗な衣類がまあまあ用意されていてアイロンがけもまあまあ。
程度となる。
「俺は外でまあまあ平均的に働いてるんだから、お前は家の中の事をまあまあ平均的に生活できる程度にしろ!」
くらいは言える権利があると思われる。
妻に「完璧な家事」を求められる夫の年収は、2000万くらいか?
もし低収入のくせに妻の家事に不満がある男性がいたら、こう言われるだろう。
と、ここまではもちろん専業主婦における話。
共働きだとさらに条件は異なる。妻も労働して収入を得ているからだ。
仮に夫の年収と妻の年収が同額だった場合、家事分担も同等でなければ不公平だろう。
そこから考えると、夫の年収と妻の年収の「差額」が家事分配に影響を与えるのは明らかだ。
あとは前述の話に置き換えるだけの作業。
平均年収の夫は"専業主婦"の妻に対して、平均的な家事を求められる。
しかし、自身も労働している"兼業主婦"の妻に対しては、平均的な家事は求められない。
兼業主婦の妻は、夫が担当するはずだった労働を妻が分担してくれている状態とも言える。
そうなれば、妻が担当するはずだった家事は夫が分担しなければならないのは当然だろう。
そう考えてみると、「夫の年収」-「妻の年収」=「平均年収」程度を稼いでいる男性であれば、
妻に「平均的な家事」を求められるかもしれない。
年収821万の夫は、年収300万の妻に対して、(差額が平均年収の521万だから)
「俺は外で(お前よりもさらに)まあまあ平均的に働いてるんだから、お前は(外で働いていても)家の中の事をまあまあ平均的に生活できる程度にしろ!」
くらいは言えるかもしれない。
差額が0なら家事の半分は夫も担当するのは当然として、差額が260万程度なら家事の半分の半分、4分の1くらいは夫が担当しなければならないのではないか。
ここまで考えると、もし「夫が低収入で自身も働いて尚且つ家事も全部完璧にやる妻」がいたとしたら、それが如何に特異な行動かお判り頂けるだろう。
普通なら、あまりの不公平さに、馬鹿馬鹿しくてやってられなくなるはずだ。
もし何らかの信条に従って、そのような生活を送る妻が本当にいたとしたら、
「健気に頑張ってて大変だね」くらいの事は言えるかもしれないが、
そのような妻を美徳としてもてはやし、そのような特異な行動を全ての女性に押し付けることはできない。
※この文章はあくまで「夫の年収と妻の年収が同額だった場合、家事分担も同等でなければ不公平」という考えに基づき作成されたものです。
「愛に年収は関係ない!」「愛の力で妻を奴隷化する!」「愛のために夫に隷属する!」とお考えの方には無関係な文章なのであしからず。
地域によるんだろうけど、正直ピンと来ないんですよね。
自分は男ながら乳幼児期頃から子育ての世界(赤ちゃん教室・小児科受診・予防接種・親子遠足等)に関与してきたので、場慣れしてるってのはあるかもしれません。
『ママたちは賑やかだが、男性には挨拶しないだけでなく基本的に無視。 』
仲の良いグループでも無い限り、学年とか組が違って接点が少なければ女性同士でも挨拶だけってのは結構見受けられる。一般社会でもそんなもんじゃないですか?
挨拶のあとに「ノロ治った?」とか「こないだのお遊戯会上手だったよねー」みたいな(子どもに関する)一言会話を追加すると距離が縮まる気がします。
『おばあさんたちに至っては、なんでこんなところに男がいるの、とばかりににらみつけて』
むしろ「えらいねー」って言われることの方が多い。全然偉くないのにね。
『「ママバッグ入れ」とか書いてあるし、パパバッグ入れはどこよ。』
これはあるかな。「ダイアパーバッグ」とかそんなオシャレ風な呼び方を定着させたら解決したりして。
弁当作りしてると、「お母さんの手作り◯◯」みたいな商品名の冷凍食品が売ってたりするので、自分もそういうのは少し気になる時はあります。
『「みんなで手をつなぎましょう!」』
いや、つなごうよ(笑)
収納とかおかずのメニューとかたまに参考になる記事あるけどな。炊事ってしないの? たまに読んでみればいいのに。
『親の付き合いもママたちだけ。LINEのやりとりは参加させてもらえないから、子どもたちの交友関係もよくわからないし、流行っている病気などの情報も共有できない』
そもそも男女混成LINEグループってのはよっぽど仲良くないと組成されない気がする。
『学校の説明会・懇談会・PTA会議⇒基本的に平日だから行けない。』
これはもう是非休んで行きましょう!と提言したいです。そういう行事は休むものだという社会的合意の形成を担うべきだと思います。
まだ圧倒的少数派ですが徐々に男性の姿を目にするようになりました。
『連絡網で電話が来る⇒いきなり「奥様はいらっしゃいますか?」とか「奥様に伝えていただいてもいいですか?」とか聞かれるし、ひどい時には「奥様いらっしゃらないんですか、それなら私が次の人に電話しておきますね」とか無能扱いされる。男じゃ用件がわからないとでも思っているのか。』
子供のことを把握していない男性が多数派なのだから、電話口の男性に対してこういう言い方になるのは気遣いの一つじゃないのかな。
自分でも「◯◯さん(お父さん)に今伝えても大丈夫?」って一言前置きすると思う。
『パパたちだって苦しんでいるし、先輩パパに相談したいんだよ。』
こういうのはSNSとかインターネットが役に立つ場面だと思うんですよね。
僕がこういうトラバするのも一つの方法だと思うし、もっと男性の育児ノウハウが集まるようになればいいですね。
僕が育休取った7年前は全然情報無かったですよ。その頃にくらべたら徐々に世の中は良くなって来てると思います。一緒に頑張りましょう。
バレンタインも近くなり、手作りお菓子グッズが売られるようになってきた時期だ。
でももらうなら正直、手作りのものより市販のお菓子がいいと思ってしまう。
最近はノロとかもあるし、衛生面は大切。
知ってる人だと何かあった時に言い出しづらくて余計こわい。
バレンタインが近づいた日にゃ、義理チョコに本命チョコに大忙しで
事前に試験的に作ったり、みたいな手間までかけた。
この何十年で自分の中の何が変わったんだろう。
友人の多くは手作りうれしい派で意見を聞いてもイマイチ腑に落ちず。
お弁当とかサンドイッチとかも、結局おばちゃんが作ってるやんってのあるけど。
それはなんとなく売り物ってことで衛生気を付けてるだろって思うし、食べる。
去年のバレンタイン、同僚から子供と作ったというチョコをもらった。
チョコをとかして固めて、上にスプレーチョコとかアラザンを乗せたチョコ。
ちいちゃい子ががんばってつくったんだな、とか、気持ちは嬉しかったし、御礼もした。
でも食べれなかった。溶かす前のもの食べたいと思ってしまった。
素直に食べれた学生に戻りたい。
待機児童の話題だったり、「これが年収1000万の生活だ」みたいな記事を読むとサ、
昔テレビで「お小遣い月5万円のおとーさん」が出てきて嘆き節を言って一同大笑い、
みたいな番組があったりして、不肖私めも笑わせていただいていたのですが、
この年(31歳)になるともう笑えねーよ、おめー。リアリティありすぎんだよ、エッ!
なんて人にアナウンサーの司会者(推定年収1200万)が「健気ですね〜」とか言いやがってよ〜、おい、「健気」じゃねーよ、「貧困」だろうがっ!!
そういうのを見ているとさ、やっぱ子どもが金かかりすぎんだよなあ。
俺は今のところ、特に吝嗇したりせずに暮らせているけどよ、これが子ども出来たら、そうじゃいかなくなるぜ。
子どものために生活を切り詰めてさ、本も買えないし、映画も見れない、海外旅行なんて雑誌のなかの夢物語……って、バイトしてない高校生か、俺は!?
いや、バイトしてない高校生の方がマシだぜ。暇な時間があるからな。一日のほとんどを仕事に費やして、それで高校生気分って……
「部長、第二の青春が来ましたね!」って、嬉しくねーよ。部長じゃないし。
いやさ〜、「尊敬できないオッサン」っているじゃん? 俺も年下から見たらそうかもしれないけどサ。
そういう人って「お小遣い制度」が生み出していると思うんだよね。
いい年して本も読めない、映画も見れない、ってんじゃ、そりゃ情けねーオッサンが出来上がるって。
話題も乏しくて最新の流行は知らず、教養もない……「そりゃ、おめーのことだよ」って、うるせーよ!
まっ、子どもなんて百害あって一利なし、なんて状況じゃねえの?(一利はあるか、可愛いもんな)
所帯持ちの貧困生活を知っちゃうと、子どもいなくていいから、もうちょっと文化的な生活してえよな、って思っちゃうのが人情じゃない?
とにかくさ、景気だよ、景気。俺も今の年収が2倍になったら「子どもでも作ってみるか〜、読み聞かせとか楽しそうだしなっ!」って意欲が湧くよ。
俺と同じように二の足を踏んでいるやつ、いくらでもいると思うぜ。何とかなんねーのかな、これ。
http://anond.hatelabo.jp/20170131120959
これと似たようなことを叔母にやられた。母方の祖母が亡くなった時の話だ。
私の母と、母の姉である叔母は元々あまり折り合いが良くなかった。私は母からしか話を聞いてないので一方的な見解になってしまっているかもしれないが、少なくとも母の話を聞く限りでは、母の実家はかなりの機能不全家庭だったように思われた。
母は祖母ともあまり折り合いが良くなく(それでもたまに電話くらいはする仲だった)、年に一度の会う機会だった正月の訪問すら数年ほど行ってなかった。母は心を病んでいた。折り合いの良くない親族と無理に会わせる必要はない、という父の判断だった。母もそれを望んでいた。
そんなある日、親戚(叔母ではない)から祖母が入院したということを聞いた。どのような病状だったのか、私は詳しく聞いていないが、少なくとも、その時点ではそこまで深刻な状況ではなかったようだった。
夜、私がトイレに起きると、居間で母と父が何やら話をしていた。祖母のお見舞いに行くかどうか、みたいな話だったと思う。母は泣きながら「行かなきゃ、でも行けない」「怖い」「お母さんにも姉貴にも会いたくない」というような意味のことを言っていた。父は「無理して行くことない」と応えた。私はその話し合いに口を挟むことはしなかった(当時私はまだ高校生だった)が、私としては母の精神安定を最優先に考えてほしいと思っていた。精神が不安定になった時の母に当たられることも多かったためだ。
それから1、2か月くらい経った頃か。部活動が終わって家に帰ると、部屋の中から母の泣き声が聞こえた。中に入ると、ぼろぼろに泣き腫らした顔をした母と、父がいた。処方された薬を飲んで、母が少し落ち着いた後、父から顛末を聞いた。
昼間、普段は全く没交渉だった叔母から母に電話があった。祖母の葬儀を終えた、という事務的な連絡だったそうだ。錯乱状態になった母はなんとか父に助けを求め、父は会社を早退して駆け付けた。
泣く母を見るのは初めてではなかったが、あそこまでボロボロになった母を、私は見たことがなかった。
――してやる!
――してやる!
――してやる!!
目を血走らせ、物騒な言葉を口走る母を見て、人はここまで人を憎めるのか、と思ったのを今でも覚えている。
もちろん、私も叔母のしたことは許せなかった。何を思って叔母が「葬儀が終わるまで祖母の死を母に知らせない」という行動を取ったのかはわからない。叔母には叔母なりの理由があったのかもしれないが、叔母とはそれ以来絶縁状態になってしまったので、今さら聞きようもない。
❨実は私一人で一度だけ会いに行ったことがあるが、けんもほろろに追い返された。❩
「ひどい」とその時、私は父に言った。どんな理由があったかは知らないが、どうして祖母との最後の別れの機会を奪われなければならないのか。祖母のたった一人の孫として、理不尽だと思った。
葬儀の準備を進める中で、父が私に「叔母さん、どうしたい?」と聞いてきた。私は「一応連絡はしよう」と言った。連絡は父がしてくれた。電話がつながらず、直接話は出来なかったようだったが、電報を打って一応の義理を果たした形だ。
知らせない、という選択が頭をよぎったのは確かだ。しかし、人としてあの人と同じレベルにまで自分を貶めたくはなかった。生前に母に確認したわけではないが、母は多分叔母に来てほしくはなかったと思う。しかし、それとこれとは話が違う。人とのつながりの中で生きている一人の人間として最低限果たすべき義務だと私は思った。
数名しかいない、こじんまりとした葬儀だった。生前仲の良かった母の友達が一人来てくれて、棺の前で最後の別れをした。葬儀屋に渡された花をいくつもいくつも、数えきれないほど入れた。母の友達は「生前に渡せなかったから」と、手作りの人形を棺に入れた。
「じゃあね。○○ちゃん、じゃあね」
結局、叔母は葬儀には来なかった。駆けつけてくれた母の数少ない仲の良い親族の人から「私も連絡が取れないからよくは知らないが、どうも年の離れた恋人と暮らしてるようだ」と聞いた。繋がりを一つ一つ丁寧に断ち切るように生きてきたその人がどういう最期を遂げるのかは知らないが、私はその知らせを受けることはないのかもしれない。それでいいと思う。
そういうふうに、あなたは生きればいい。
久しぶりに風邪で一週間近く寝込みました。
うちの夫が幸いにも看病に協力的で、非常に助かったわけですが、一方で滅多に寝込むことがない人なので、こちらのお願いなしには何をしたらよいか分からなかったようです。
意外とこのパターンはよそのおうちでもありがちでは?と思ったので、寝込んだ時にしてほしいことをまとめてシェアしてみます。
まあ都度お願いすればいいっちゃいいのですが、高熱で立ち上がるのもしんどい時はお願い自体ハードだったりするので、この時ばかりは察してちゃんになるのも勘弁して頂きたいです。
あれば電気毛布、湯たんぽ、毛布などで寝床を暖かくして欲しいです。
熱さまシート、氷枕で頭の周りを冷やすと気持ちよさでよく寝られます。
おそらく普通の食事は体が受け付けない状態と思われるので、消化のよいものをお願いします。
スーパーやコンビニで手軽に入手可能かつ調理が簡単な鍋焼きうどんはわりとおすすめです。
これが食べられない時はレトルトのおかゆでも。
個人的には手作りおかゆだとすごく嬉しい。これが出てきたら泣いてしまいそう。 http://www.sirogohan.com/recipe/okayu/
吹きこぼれると片付けが大変なので、沸騰するまでは絶対ガス台から離れないのがポイント。
不馴れならいっそ蓋はしなくてもいいかもしれない。
ただ、せっかく頑張って作ったのに全部食べられなかったとしてもがっかりしないで欲しい。気持ちは十分伝わっています。
おかゆすら受け付けない場合はウィダーインゼリーのカロリーオフじゃないやつでも。
熱でふらふらの時は立ち仕事、とりわけ水仕事は結構しんどいです。
起きてきた時に流しが綺麗に片付いていると感動すると思います。
今思いついたのはこんなところです。
他にこんなことしてくれたら嬉しい、ということがあったら是非教えてください。
私の妻は専業主婦だ。
社内恋愛の末結婚し、妻が仕事を辞めて家事に専念したいというのでそうしてもらった。
会社に残って働いてもらって全然構わなかったし、せめてパートに出るだけでも……とは思ったが、
私の収入で十分生活はできるし、妻がそうしたいなら、と思ったのでむやみに反対しなかった。
最初のうちは良かった。毎日手作りの弁当を作ってくれる。帰ってきたら出迎えてくれたし、テレビをBGMにご飯を食べながら今日の出来事を話した。私は間違いなく幸せであったし、妻もそうであったと思う。
二年目。
弁当に冷凍食品が増えた。たまにしか出迎えをしてくれなくなった。妻は先に夕飯を食べていた。少し不満だった。けれども、別に玄関まで出迎えに来い、飯は先に食うななどと言ったわけではないし、妻はこうあるべきなどと強制するつもりもなかった。
だからそれは「カップル気分」が抜けて気安く接する本当の「家族」になれた証だと、そう自分の中に落とし込んだ。
やがて妻は家事をサボるようになった。私に少しは家事を手伝ってほしいと言ってくるのだ。
専業主婦は家事をするのが仕事だ。「専業」なのだから。それなのに手伝ってほしいとはどういうことか。
子供はいない。子供がいるならば話はまるっきり変わってくるけれども、そうでない今二人分の家事など大した労働ではないだろう。掃除も洗濯も、買い物だって車がある上近所にスーパーがあるんだから全部ひっくるめたって5時間もかかるまい。
妻が日中どういう生活をしているのかは知らないが、少なくとも会社で仕事をしていたときより遥かに気楽な生活をしているのは間違いない。
家事を手伝うのは良いがその分パートに出てくれというと、怒って拗ねる。モラハラだという。パートしなくてもやっていけるなどという。だが夫婦は対等であるべきだ。古き悪しき時代のように妻が夫に尽くす必要はないし、その逆もまた然りだ。夫婦とは二人で協力して人生を歩んでいくものだろう。
最初に書いたが、専業主婦になりたいと言ったのは妻の選択であるし、別に共働きになることに抵抗があるわけではない。共働きであるならば、長く一人暮らしをしてきたから、率先して家事をするだろうし、それが支え合う理想の夫婦の姿だと思う。
だのに働くつもりはないが家事は手伝って欲しい、というのは単なるワガママではないのか。夫婦の形態が「夫は務め妻は専業主婦をする」ものならば、その分担は、夫が「仕事」妻が「家事」を、となるべきなのに、何故夫が「仕事と家事一部」まで担わなければいけないのか。
口論をして妻への愛はかなり冷めてしまった。今まで口論は当然何度かあったが、今回は到底許し合えるようなものではないと思った。私はともに支え合える伴侶として妻を選び、妻も私を選んでくれた。
なのに妻は私に寄生して、家事すらしない「主婦」に、ニートになろうとしている。一方的に支えるだけの夫婦生活なんてごめんだ。
もとから妻は私をATMとしか見ていなかったんじゃないか、あるいは他に男がいるんじゃないかとも思った。新婚の時のあの幸せまでも否定するようで陰鬱な気持ちになった。
これからどうすれば良いのかとてもとても悩んでいる。
平日しか開いていない多治見市文化財保護センターに行ってきましたわ。
もはや意地ですわ。
博物館設備は一室のこじんまりとしたもので、常設展はないようです。
現在は「カミさまホトケさまお医者さま」展として医療と祈りに関する
迷信と笑うのは簡単ですけど、原理のわからない病気に人々が感じていた
恐怖から救われたいという思いが伝わってきました。
平成23年になっても自分の患部と同じ部分に濡らした紙を貼り付けることで
治癒を祈願する紙貼り地蔵というお地蔵さまが作られているそうで驚きました。
ちょうど「西浦焼展」がはじまったばかりで明治に新しく生まれた
繊細な絵付けの陶磁器を鑑賞できました。
同じモチーフの器でも、花の描き方や配置が違うことで
金魚の絵がついた一輪挿しが特に素敵で、表面に網を浮き出るように
西洋風の立派な建物ですが、大きな窓の下の隅に力が集中するらしく、
そこから亀裂が走っている様子が目立ちました。上はアーチで受けているので大丈夫です。
裏庭にとても雰囲気があって、西洋の歴史の舞台に立った気分にひたれました。
たいへんな面積があるふどう園はすべて葉を落とした状態で、
わたくしお酒は苦手なので、売店でクッキーセットとニック・ナックを買いました。
瀬戸ドミニカン修道院の薄くて堅いクッキーがとても美味しゅうございます。
ニック・ナックはさらに素朴な「ぼうろ」みたいな味わいでしたが、
後味がとてもよかったです。
Google翻訳で、日→英→日→英→日→英→日→英→日・・と繰り返すとどうなるか?不動点はあるのか?
河野太郎ブログ「まだまだ研究者の皆様へ」https://goo.gl/sT6KxG より
(東京工業大学における研究費の使い勝手の悪さの実例を紹介した記事)
1円から全て検収があり、納品書に検収済みのハンコが必要。1万円以上のものにはシールを貼るが、大概、箱に貼るなど形骸化している。最近は検収を受ける前に使用したとしても、よしとしている。
Tokyo Institute of Technology:
We have all inspections from 1 yen, and we need a hand-picked Hanko in the invoice. For those with more than 10,000 yen, we stick a sticker, but mostly it has become a form of skeleton, such as sticking it in a box. Recently I use it even if I use it before receiving acceptance.
私たちは1円からすべての検査を受けており、請求書には手作りのハンコが必要です。 1万円以上の人はステッカーを貼っていますが、たいてい箱に貼るなど、骨格の形になっています。 最近受け入れを受ける前に使っても使っています。
私はすべての試験を1円から受け取りました。 請求書には手作りスタンプが必要です。 1万円以上の人はステッカーを貼りますが、通常は箱にこだわるなどの骨格があります。 私は最近それを使用する前にそれを使用しています。
大きめなプロジェクトが終わり、3週間ほどの長期休暇をもらえたので、
最近家に居るんだが、嫁が洗濯ぐらいしかしていないことがよーくわかった。
起床
オレ:8:30
朝イチの行動
オレ:二人分のコーヒーを入れる
朝飯
オレ:嫁が動き出さなければパンを焼き二人分の朝飯を作り始める
嫁:たまに朝飯を作るか、オレが動き出したら作る
午前中
嫁:洗濯1回まわして、頭が痛いだのダルいだの言って寝室で就寝
昼飯
オレ:13時過ぎても動き出さなければ、オレが外食するか、嫁が作ってくれるのかを聞く
嫁:しぶしぶ作る(週に3度は外食)
午後
嫁:録りためたテレビ番組を一緒に見つつスマホゲーム。「スーパー買い物いかなくちゃぁ」と連呼。頭が痛いだのダルいだの言って寝室で就寝その2
日々の買い物(スーパー等)
オレ:仕方がないのでスーパーに一緒に行こうと行って連れ出す。
嫁:手伝わせるの悪いからいいよぉと言いつつ、ひとりで行ったのは3週間で1度だけ
夕方〜夜
嫁:基本スマホでゲーム「夕飯何にしよう...」を連呼。しぶしぶ晩飯を作る
でも、あまりに暇そうな毎日なので、パートなり趣味なりしないのか聞いてみた。
彼女の言い分は、子供が出来る事を見越してパートをするのを控えていたとのこと。
しまいには、私を責めるのかと泣き始めた。
とにかく、「偏頭痛だぁ、風引いたかもぉ」を毎日のように繰り返し、
やがて生理がやってきて「2週間はしんどい」という。彼女は別に鬱でもなんでもない。
ただの愚痴日記にお付き合いいただきありがとうございます。
病気だ病気だと騒がしい感じ、また勝手に無関心とか不仲と決めつけておられるかたも多いので「落ち着いてくださいよw」というのが率直な感想です。
また、「増田が叩かれている、フルボッコにされている」とありますが、全くそういう感覚はありませんのでご自由にどうぞ。
>最後の行で自分でも書いてるじゃないか。人間、がんばって働いても感謝されてないなと感じると努力するのもアホらしくなってくるのだ。彼女の努力をスルーしていた時代があったんだろう。
不妊治療していたころは、逐一状況と情報の共有、どのレベルまでやるかなど相談もしていましたし、
>男女逆なら穀潰しのヒモで燃えるんだけど、はてな村では専業だろうが共働きだろうが主婦を批判的に言うことは許されない。不倫などごく一部の例外を除いてな/妻の体調生活態度が悪いのは夫の無関心が原因が模範解答
主婦を批判しているのではなく、生産性のある行動を起こさない妻への不満を書いているつもりです。
また、無関心だとしたら、パートや趣味を持つことの提案をするでしょうか
このようなコメントはいくつかみかけましたが、今年旅行には何度か行っています。
また休暇前・休暇中に妻にも提案していますが「特に行きたいところがない」という回答がありました。
>具合がわるいのはほんとに具合が悪い可能性があるので医者に行ってみたほうがいいかも
>寝過ぎだし頭痛いって言ってるし、だるいのも鬱の症状の可能性ある。本当に詰む前に、一度病院行った方がいい。それに働くことに自信がないのなら発達障害あるかも。
頭痛については頻発しているので、そろそろ医者に行こうかと話していました。
>なんで休暇を取るまで実態を知らなかったんだろ。土日も似たような生活してそうだけど。お互いに無関心過ぎない?
ある程度は分かっていました。洗濯が好きで、掃除はそこそこ好き、炊事が嫌いなんでしょう。
平日に関しては、朝食を自分が作ること、夕食を私が買って帰ったり外食することが度々ありました。
土日は夫婦で買い物に出かけたりしています。平日にここまで生産的なことをしていない姿を見て驚いたのです。
うちの母は専業主婦だけど、梅干しから味噌、豆腐、蒟蒻、果実酒まで手作りしてて、暇な時は畑を耕している。主婦業を本気でやろうと思ったら一日じゃ全然足りない
「人生かわっちゃう」どういう意味でしょうか?あなたのお母様のような主婦像を求めてはいません。主婦業を完璧にして欲しいわけではなく、行動してほしいのです。
>こんな愚痴記事ひとつ読んで「鬱」なり「代謝系の病気」なり診断できる名医たち、WELQのライターとか向いてるんじゃない?
同感です。話が飛躍しすぎています。
>嫁も専業だけど子ども産まれるまでは人生の夏休みだったって言ってたなw それにしても家事しない男はボコボコにされるのにろくに貢献しない専業女が援護されるはてな最高だなw
感覚として自分が叩かれているとも、妻が擁護されているとも感じません。女性が過剰に反応している感じは受けます。
>もっと早く気が付いて、奥さんの気晴らしやライフサイクルを心配してあげればよかったのに…。
たらればです。まるで私が、妻の心配をしていないような言い回しですが、決めつけです。
英語学習についての批判をされている方に少しカチンときましたが、おそらく英語(学習をしている人)が嫌いか、英語を学習されたことがない方なんでしょう。
英語は仕事で使っており、3週間も触れなければ、メールや会話のレスポンスが遅れるなど支障をきたします。
<追記 その2 12/26>
よくもまぁみなさん評論家ヅラでいろんな事を言うもんですねー。正直何も響いてきません。
こういう傾向があるから、こういう病気かもとか、お互い話し合えとか、奥さんを理解しろとか…
人にそんなアドバイスができるほど、ご自身はパートナーを思いやれているのでしょうか?
話し合えているんでしょうか、信頼できているんでしょうか。
トラバやコメントは、ただの雑音でしかなく、結果何の役にも立ちませんでした。
そもそも、この休暇期間の1週間ほどを切り取って書いただけの事。
現在の推しに対してだけでなく、多分ガチ恋しかできないヲタクなのだとおもう。
これまで、自分の中の一番だった異性に対しては、その度にガチで恋をしてきた、つもりだ。
つい半年ほど前まで、私はあるジャニーズタレントのガチ恋ヲタクだった。学生時代から9年ほど、ずっと彼と結婚したいと思ってたしどこかで出来るかもしれない、と思っていた。当然、お金を積んで良い席にも入ったし、ファンレターを書いたりしたけど、夜の仕事やそれに近いことをする勇気はなかったし、自分の出せる範囲ギリギリのお金と体力を使ってヲタクをしていた。
多分、どんな手段を使ってでも彼に覚えてほしい、とか、繋がりたい、とか思っていなかったのは、いつかタレントになって彼と同じ立場で恋に落ちたい。と思っていたからだとおもう。
でも、例に漏れずメンヘラの私はいつも病んでいて、最後のほうは彼のどこが好きなのか、彼をほんとに好きなのかわからないくらい、彼を憎いと思う感情が勝っていた。勝手に傷ついて、勝手に怒って勝手に嫌いになって、どれだけ理不尽で邪なファンであるかはわかっていた。だからこそファンとしていつも自信がなくて、「私なんかファンじゃないほうがいいよね。」とか病みツイートを1週間に一回は垂れ流していた。
出会ったというより、見つけてくれた、彼は。
一人のジャニタレに一途になるのはつらすぎて、兼ヲタをして気持ちを分散するという術を得た私は、その頃別分野のステージに夢中になっていた。大好きなキャラクターがいて(これは現在進行形だが)このキャラクターに対しても、ガチ恋のような感情を抱き、この子に構ってほしい。気づいてほしい。という気持ちで毎週通っていたし、手作りのグッズも作っていた。
ある公演で、いつも通りそのキャラクターの手作りグッズを抱きしめていた私を見つけてくれたのが彼だった。
わたしの好きなキャラクターと同じ括りで出演していた彼が、私を構ってくれたのは不思議なことではないとおもう。今までも、コンサートや舞台で、一番好きな彼以外に構われることはあったけれど、だからといって、「一番好き」が覆るような、尻軽な女ではないことは自負している。
なぜあの時が、私が彼に向かうきっかけになったのか。今考えるとそれは、ヲタクである私を認めてくれた、と思ったからだとおもう。
真っ直ぐな気持ちを、そのまま受け止めてくれる。そういう人だ。
だから、私を構ってくれたのかどうかはわからないけれど、私は、「この人は私が○○を好きな気持ちを認めてくれた。」と思ったのだろう。
その頃もジャニタレにガチ恋していた私は、他の異性タレントに夢中になることすら浮気心だと思っていたので、負い目を感じながらも明らかに彼に夢中になっていた。
彼に気づいてもらえるように、構ってもらえるように、出来ることは全てした。結局は、ファンサ厨であり認知厨であるわけだが、本心で、認知されたいわけではなかった。
ただ、彼が私を見てくれたり、私に笑顔を向けてくれればそれが嬉しい。そういうものが欲しくて必死になった。
けれど、彼は私が彼のファンになった途端に私を見なくなった。
彼のファンがいるあたりを見なかったのか、私がいるから見なかったのかはわからない。
けれど、わたしの浮き足立っていた心はスンッと冷えたことを覚えている。
じゃあどうしたら見てくれるのか、構ってくれるのかを必死で考えた。さらに必死になったりもしたり、彼の演じるキャラクターのグッズを手作りしたりもした。
彼は私の目を見てはくれなかったけれど、そのグッズへの視線を感じて、私がいることはわかってくれてるんだ、と思った。
そして、考えに考えた結果、彼は自分のファンが自分に必死になって、その作品を見ない事、感じない事に傷ついているんじゃないか、と思った。
彼は演じている間も、あからさまに辛そうな顔をしていた。他の人にわかる程度なのかはわからないけれど、ファンになったばかりの私が気付く位には傷ついていた。
だからこそ、私はちゃんと作品を見よう、愛そう。それが、私を見つけてくれた彼に対する誠意だ。と信じて、他のファンと小競り合ったり、ピリピリした空気を出したりせずに、純粋にその公演を楽しむことにした。
確かに、彼のファンになったきっかけは構われたあの日。だけれど、彼のパフォーマンスに夢中になっていた。この時にはもう、だれよりも、彼のパフォーマンスを見ている時が幸せで、楽しかった。
そして、この公演の千秋楽。
彼は私がファンになってから初めて、目を見て手を振りかえし、頷いてくれた。
それからは転げ落ちるように彼のファンになっていき、いつの間にかジャニタレへの長年の恋愛感情も消えていた。
彼を見ているだけで楽しい。幸せと思えた時間は、どうして長く続かなかったのだろう。
彼が頷いてくれたあの日、わたしの頑張りを認めてくれたと思った。私が出した答えが、正解だって、示してくれたと思った。
彼はそういう人なんだ。彼にとって正しくないことをすれば、それ相応の態度を示される。その代わり、正しいことをすれば、些細な、大きな、ご褒美をくれる。
彼に見つけてもらえてから一年が過ぎて、彼は私がいるとほとんど必ず見つけてくれるようになった。
どんな場所だとしても、私が頑張らなくても、正しいことをしている私は彼が見つけてくれるし、ご褒美をくれる。
私は特別だと思った。
彼のことを特別わかってるし、彼もそれを知ってるから優しくしてくれる。
だって他のファンの人たちは視界に入っていなくても、私がいれば二度見してくれる。
私がいるのといないのじゃ違うの?私かどうかをそんなに確認したいの?
他のファンとは違うんだ。私は大事にされてるし、特別なんだって思った。
私が何をしても、彼の目の前にいけば彼は認めてくれる。
どこで傷ついたとしても、私がどれだけ人間としてクズだとしても、彼を好きなことは彼が認めてくれてるって思えた。
もちろん人それぞれだけれど、現実逃避のためにヲタクをする人は沢山いる。
彼の優しさに舞い上がって、私は特別だと決めつけて、半分ネタだけど友達には彼の妻だと名乗っていた。
それくらい、思いっきり舞い上がっていたし、それだけの自信があった。
恋人がいる、と言い切れるわけじゃないし、あらぬ疑いと言われたら何も言えない。
けれど、一度疑った気持ちは拭えない。
あれだけ信じていた彼が、突然わからなくなった。
今までなら、彼らしい。と流せていた言葉が、引っかかる。
どうしてファンを傷つけるようなことを言うんだろう。
にわかが、彼に目線をもらったとか、何かされたというツイートを見ても、優越感に浸りながら草を生やせたのに、今はもうよくわからない。
そこでやっと気づいた。
彼が、ファンと関係を持って身を滅ぼすような人じゃないことは最初から知ってる。
そういう、隙がないところも大好きだから。
自分に都合の良い解釈をして、それで現実逃避して、すごいなーアホみたいだなーと、急に客観的にガチ恋ヲタクであることを自虐的に見られるようになった。
自信がないから、すぐ疑う。
彼にとって特別じゃないことも、彼がくれた優しさも、言葉も、全部、100%で信じていたのに。今はよくわからない。
彼の周りにいる女の人たちさえ一人一人疑ってしまう。
彼にとっての正しさを守っていたいい子の私は、本当にいい子なわけじゃない。
彼に楽しくお仕事してほしくて、彼に好かれたくて、いい子と思われたくて、いい子をしていた。
もし、いい子でいたところで彼に選ばれないのなら、なんの意味もない。
最初からわたしは邪で、嫉妬深くて、歪んでいる、ガチ恋ヲタクだ。
彼は私のこんな気持ちに気付いているのだろうか。
気付いていたら私をどう思うのだろう。
嫌われたくないなあ。出来るなら、いい子と思われたい。
でも、いい子だから優しくしてあげよう、って思われてるなら、死ぬほど辛いなあ。
ジャニタレのガチ恋からやっと卒業できても、やっぱり、同じ運命なのかもしれない。
もし、これから辛い日が続くなら、このタイミングでやめてもいいとも思った。
けど、きっと、私がいなくなったら、彼は私を嫌いになると思う。
いなくなったらわかるくらいの存在でいられることはとてもありがたいとおもう。けど、あまたのガチ恋ヲタクが語るように、認知は辛いってことを、認知ヲタになって身に沁みてわかった。簡単に距離を置けないし、簡単に離れられない。
きっと、このままいい子でいられれば、彼はファンとして優しくしてくれるだろう。
わたしは彼を好きで居続けられるだろうか?
好きな人を嫌いになるのは、とても辛い。
「それが大多数の女性(キリッ」とか知ったような口聞かれてもな。
おれの奥さんはタオル、おれの姉貴もタオル、弟は毛布、おれはぬいぐるみ。
みんなライナスの毛布を持ってたよ。
おれも弟も今はずっと持ってないと不安てわけじゃあるまいし、しまってあるが捨てる予定はない。親が大切にとっておいてくれた。
姉貴もぼろぼろになっては母親が集めてタオル地の袋を作ってくれて、それが擦り切れたらそれらの端切れを集めてまた新しく袋を作ってってのを繰り返して初代から何代目だかまでのを全部含んだ袋を安眠の伴に枕元に今も置いてる。結婚して家出るまでそうしてたし、やめてはいないはず。もし旦那に勝手に捨てられるとか、やめることになったりしてたら絶対におれに話している。
奥さんはぼろぼろに擦り切れたのを手作りの袋に入れてお守りにして持ち歩いてる。
http://toyokeizai.net/articles/-/144847
大戸屋がやよい軒に勝てないらしい。この記事みる限り原価率が高かったり、店でちゃんと調理してたりと消費者的にはどう考えても大戸屋の圧勝なんだけどな。
おれも大戸屋がかなり好きでたまに行くんだけど、どこの大戸屋もだいたいが混んでるという印象がある。昼間だったら並ぶくらい。
どのメニューも手作りぽくておいしいし、六本木店に入ったときはオリジナルの魚メニューなんてのがあったりして驚いた。たくさん食べられない年寄りにもやさしい感じ。
年寄りといえば、うちのもう80にもなろうかという両親が大戸屋について涙ながらに語った話があった。
某モールに入っていた大戸屋に昼間にふたりで行ったらしいんだけど、やっぱり何人か並んでいて。
やっと自分たちの番がきたと思ったら、店員に名前を呼び上げられて後ろに並んでいた人たちが入店していった。名前を書いて待つタイプの店舗だということに気付かなかったんだな。
そこで店員に抗議をしたけど受け入れられなくて、一緒に並んでいたまわりの人たちも誰も助けてくれなくて、結局つよく云えなかったふたりは諦めてすごすごと帰っていった。楽しみにしてたのに。
その話を聞いておれは、マニュアル店員もひどいし、一緒に並んでたひとらもひどいなって思った。世知辛いなと。
もしこの話を大戸屋の本部に云ったらお詫びにクーポン券でもくれるんじゃねえかなって云ったら(おれは大戸屋のことは好きだからそれくらいの良心はあるだろうと)、親はもういいよ大戸屋は二度と行かないからと云ったさ。
残念な話だ。
この件の直後におれは、某錦糸町の駅ビルにある有名ラーメン屋でまったく同じことを経験した。
そのときはおれの前に並んでいた男性が被害者だった。食券を買ってから待機列に並ぶっていうルールを知らなくて、店員に食券を買ってから並べって云われてぷんぷん憤慨して帰っていった。そうは云われなかったけど食券買ってまた一番うしろから並び直さなきゃならないって思ったんだね。律儀な人だ。おれは食券買ってから同じ位置に戻っていいのにと思ったけど、そのままスタスタ行っちゃってそれを云うタイミングを逃してしまった。すごくモヤモヤした。あの人は一日気分悪かったろうな。
ここ食券買ってから並べって云われても食券機が店のなかにあるし、めちゃくちゃわかりにくいんだよ。店ルール押し付けんなっていう。青葉さんよぅ。
うるさい客をモンスターだなんて揶揄することがあるけど、こういう律儀でまじめな客ほど損をするというこの現実。
アルバイト店員というのは云われたことしかやらないロボットだし、給金並の労働をしている彼らを咎めたくもないのだけど、そうだからこそ店側にはあと一歩客のことを考えたマニュアルをつくってほしいのよ。臨機応変に対応できないんだからマニュアル化しないと。とくに「並ぶ店」。こういう飲食店で待機列をさばくときのマニュアルってどうなってんだろうか。
大戸屋はそこらのファストフードやファミレスみたいな店とは(もちろんやよい軒とも)ちょっと違うっていうのは勘違いなのかな。
"21世紀における金融政策” (教科書、2062年出版)より
2012年の安倍自民党政権成立後、日本銀行は金融政策実施に当たって政府との連携を強め、年率2%のインフレ実現を目標に掲げて、「異次元緩和」と呼ばれる大胆な金融緩和策を実施した。
2013年以降、日銀は国債とETF(指数連動型上場投資信託)を最初毎年50兆円、そして80兆円づつ買い続けた。さらに2016年には「マイナス金利」政策を導入し、イールドカーブの人為的な操作にも手を染めた。
それらの結果、2018年4月時点で、日銀の国債保有割合は発行済総額の5割に達し、ETF総額に占める日銀の保有割合も8割に達していた。
にもかかわらず、日銀はまだ2%のインフレターゲットに達成することができなかった。2017年の物価上昇率はわずか0.3%であった。
「もう買うものがない。」というのが2018年度を迎えた日銀にとって最大の問題であった。
市場に流通している国債が極端に少なくなっていく中で、日銀による国債の買入れオペを拒否する金融機関が出始めていた。
2018年4月に黒田前総裁の後を承けて就任した石黒玄総裁への圧力が高まっていた。
そんな中、同年5月中旬、日本の基幹産業である自動車産業の雄トヨタ自動車が本社を置き、日本のみならず世界有数のものづくり拠点でもある愛知県において、マグニチュード8を超える巨大地震が発生した。
地震発生から24時間以内に、東京、ニューヨーク、ロンドンなど、世界の為替市場で、円が対ドルで110円から130円まで一気に下落した。それまで「安全逃避先資産」とされ、発生地が日本であろうが、世界のどこかで危機が起こったときに大量に買われていた円が、初めて売り浴びせられ、暴落したのである。
日本政府はすぐ復興債を財源とした大型補正予算を発表したが、それまで毎年のように編成されていた補正予算に景気浮揚効果はなく、補正以外にこれといった対策を講じることの出来ない政府の経済政策への期待はもはや皆無であった。日銀による緊急対応を求める強い声が経済界からが発せされた。
就任直後から厳しい立場に置かれていた石黒総裁は、この期を逃さずに早速手を打った。
日銀は5月26、27日に緊急の政策決定会合を開催し、政府が発行する復興債を直接全額購入することを発表した。同時に、それまで手を出さなかった「実物資産」についても買い始める、という新しい政策枠組みを発表した。
日銀による芸術作品買入れ(「芸術作品買い入れオペ」と呼ばれた)の枠組みは、以下の通りであった。
① 政策発表から2週間後、日本国籍を保有している者は誰でも、その保有する芸術作品・骨董品を日銀に売ることができる。日銀は適切な判断に基づいて値段を決めて現金で購入する。売却は一人一年に一回のみだが、複数のアイテムを同時に売却することは可能とする。
② 高齢世代(先の世代)が書画や陶器など多くの伝統的芸術資産を保有している一方、若い世代はそのような伝統的芸術資産を保有していない。そこで、芸術資産を持っていない個人・家庭からは、手作り芸術作品や新たなカテゴリーの芸術作品を購入することとする。
③ 日銀は、都道府県ごとに購入した芸術作品を展示するための「アートスペース」を設置し、購入した芸術作品を一般に公開展示する。入館料は大人500円。障害者・12才未満の子供は無料。展示会の収入は全額震災復興に寄付する。
④ 芸術作品買入れオペは、年度単位で行う。即ち、オペ開始から一年後、日銀は購入した芸術作品をすべて焼却する。焼却は一般市民の参加による「焼却式」によって行う。この式の参加費は500円。焼却式後、日銀は改めて次年度の「芸術作品買入れオペ」を開始する。
⑤ インフレが安定的に2%を超える状態が達成されるまで日銀は芸術作品買入れオペを続ける。
この日銀の新しい枠組みは、2000年代後半の世界金融危機後に欧米中央銀行に採用された金融政策とは根本的な断絶を表すものであった。
伝統的な金融緩和の波及経路は主に金利だと思われていた。即ち、中央銀行が金融機関から国債などを買うことによって、銀行は貸出金利を下げることができ、その結果、個人や法人への貸し出しが容易となり、市中に資金が提供される。
他方、日銀の新しい政策枠組みは、金融機関を通さずに直接個人から資産を買うことによって市中に資金を提供する、というものであり、かつ、購入した資産は定期的に廃棄、拙い手作り芸術作品には事実上セカンダリー市場が皆無であったから、定期的に保有資産が消滅していくこの新しい政策には出口がないと日銀が暗黙に宣言したも同然であった。 実際日銀は、新しい枠組みによって増えたマネタリーベースはそのまま放置するつもりであった。
日銀がなぜ国民に直接現金を配らず、敢えて「資産」を買ったのが当時批判されたが、数年後に発表された決定会合の議事録によると政策委員は現金配布という手法に対して懐疑的だったことが明らかになった。
景気が改善しても現金配布ー現金のばらまきーをやめることは政治的に極めて困難、事実上やめられないのではないか、と過半数の政策委員が懸念を示した。資産を買って現金を渡すという仕組みにすれば、国民の芸術的衝動や芸術資産がいつか枯渇されるため日銀はスムーズにテーパーリングできる、と多くの政策委員が考えたのである。
発表から2週間後、全国日銀支店や郵便局でこの「芸術作品買入れオペ」が始まった。当時の記事と日銀の統計によると、最初は書画や陶器など骨董品の買入れが多かった。遊び心のある作品も少なくなかった。毎日新聞の記事によると、男性がお尻と手を会社のコピー機でコピーをとって印刷したものを、日銀が20万円で買い取った。鴻海シャープ株式会社の社員が割り箸で作った家電が1億円で買い入れられ、日本経済新聞の一面に載った。
しかし、買入れオペが始まってすぐ深刻な問題が起こった。日銀の「芸術」の定義があいまいすぎていた。メディアによると、砲身に「金融政策」と大書した張り子のバズーカ砲が日銀に買い取りを拒否された。女性器の形をしたティッシュ箱も断られた。
芸術の知識を持っていない中央銀行が芸術の価値を判断するのはどうか、とアーティストや学者からの批判が強まった。村上春樹が特別記者会見を開き、中央銀行に芸術を売るな、と国民に強く促した。
買入れオペへの参加が低迷した。日銀がオペ開始から半年の時点で行った全国調査によると、日本人のたった1割がしかこのオペに参加していないことがわかった。同調査によると、60歳以上の世代は代々家に受け継がれてきた「家宝」を売ることを躊躇し、若い世代は仕事や育児で忙しく芸術を作る暇がなかった。さらに総じて見れば、日本人はあまり芸術作品を売ったり買ったりすることに興味がなかった。芸術を実物資産として考える人たちはそれほど多くはなかったのである。
市場では、震災直後の暴落から回復した円がドルに対して日々高くなっていた。景気は引き続き低迷し、むしろ後退に直面していた。行き場のない資金が市場を彷徨する一方で、日銀は微妙に価値のある大量の芸術作品を保有していた。
もはや日銀は政策の失敗から自力で立ち直れないと判断した石黒総裁は、善後策を安倍総理に相談した。
しかしながら、政府もまた、残された対策は補正予算の早期執行と復興債の日銀直接引き受け位しかなく、為替市場に対しても株式市場に対してもコントロール能力を失っていた。
行ってみて思ったことを書いていく
各施設の障害者の作ったストラップや椅子、クッション、お手玉、積み木、などなど色々なものが売られていた。
いわゆる手作りのバザーのような形。
100円ショップに売ってある材料を使って作ったんだなーってものも多かった。
特に高くもなく、材料費だけというような価格かなと思えるほどの価格。
私が目を引いたのは焼き物だった。
他にも猫の形の箸置きやマグネットもあった。
なかなか可愛くていいなと思ったがそちらは少し高かったので買わなかった。
そういう目を引く物もあるけれど、
売り上げはいいのか?
バザーならいいのかもしれないけれど、
もし可能なら入所者が作るもので売り上げがあるならいいんじゃないかなと思って考えてみた。
私が思い浮かんだのは
入所者がその商品を作るとか。
アニメやおもちゃ会社も自然と社会福祉に貢献できてwinwinかなと思った。
実際はそんな簡単じゃないんだろうけど。版権とか分からないし。
例えばブレスレットを作ったとして、
そこにキャラの絵よついたものを追加するだけで価値はぐんと上がるんじゃないだろうか?
またはキャラを作る
デザインでもいい。
それならばオーダーメイド制にして、
欲しい人の為の商品を作るとか。
前向きさとか、多いのかなとか思ったので、
前向きな言葉の本とか?
あるあるだけど。
だから本人たちに頑張ってこちらに働きかけて欲しい。
何よりまぁ、一番簡単で確実だと思うのは、
これはやはりいい売り上げになるんじゃないかな?
ね、ここ大事ですよ?
あのね、イベントでね、
それは残ってて、
そういうのが売り切れてたんです。
食べたかったんです!←
障害者の方が直接物を売るのは
でもそこは裏方で良いのではないでしょうか?
表に出たい人も居ると思いますけど、
売れなきゃ意味がない。
ステージも見ていってください。
ってあったけど、
ちょっと歌が、下手でその、、。
でも、その前に付加価値をつけたら?
「ほとんど話すことのできない人が、
猛特訓をして今日、皆様に歌声を届けることが出来るようになりました!
などなど。
そんなの言われたら、
多分どんなに下手でも涙流すよ。
頑張ったんだなって。
でもそれは逆差別になりかねないな。
感動ポルノだっけ、前にどこかで聞いた。
それで無く、普通に
「俺の歌を聴けー!」
ならそこそこ聴けるくらい上手い人出してください。
そんな事ないよ。
身内でカラオケするなら良いよ好きにすれば。
運営する人も何も思わないのか?
または私がただの身内のお祭りに迷い込んでしまっただけなのか。
関係ないけど、
サービス?があって、
それは手紙のやり取りができたりする。
やってるかな?
何かできるんじゃないかな?
全部試してうまくいかなくて今の形なのかもしれないけど。。
そんなつぶやき。
長々と読んでくださった人いたらありがとね。