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はてなキーワード: ライナスの毛布とは

2024-07-31

しまむら商品キャンセルするアンフェども

フェミオタクコンテンツキャンセルしたときにアンフェが表現の自由を持ち出して抵抗してたが、男性叩きの商品が出たらフェミと同じようにアンフェが怒り狂って、フェミと同じやり方でアンフェがキャンセルを始めた。

結果しまむら商品販売中止することになった。

おいおい表現の自由はどうしたんだ?アンフェがライナスの毛布のようにしがみついて拠り所にしてたはずだろう。

これでアンフェはオタクコンテンツが燃やされたときにもう二度と表現の自由に頼れないねえ。

状況によって燃やす燃やさない、擁護するしないを変えるダブスタ野郎だと示されてしまった。

2021-11-18

オタクにとって萌え絵ライナスの毛布

批判されたり捨てられちゃうと思うとエクストリーム擁護してでもしがみつくことを正当化するし泣いちゃうし喚き散らしちゃう

2021-07-22

anond:20210722125143

母がスヌーピー 好きなんだけど4コマ日本語訳付きの文庫本シリーズ全巻持ってて私も全部読んだ。多分40冊くらいあったかな。

初期の方の絵柄のやつは無かったから連載全てを網羅してたわけではないと思うけど。

スヌーピーアニメもあって母が買ったビデオテープ子供の頃何回も見たよ。

10年くらい前に六本木ヒルズでやってたスヌーピー原画展に行ったけどめちゃくちゃ混んでた。全員が漫画を一通り読んでるとは思わないけどファンはたくさんいる。

どこから来たムーブメントなのかなぁ、母が若い頃にアメリカ文化ってことで多少流行ってたのかな?

登場人物子供動物のみで、大人存在するけど描かれることはない。

何も良いところはないけど心優しいチャーリー・ブラウン

その妹で勉強嫌いなサリー

チャーリー・ブラウンの友人のライナスは「ライナスの毛布」で有名、

ライナスの姉でよくチャーリー・ブラウンからかって遊んでいる意地悪なルーシー

等々他にも沢山いる登場人物達が子供のくせに落ち着いたトーンの会話とユーモアクスリと笑わせてくれるんだ。

チャーリー・ブラウンはやることなすこと上手くいかないけどのび太みたいに一々大騒ぎしない。

「僕っていつもこうなんだ…」みたいな感じ。

諦念というか受容というかそんな感じ。

チャーリー・ブラウンの飼い犬のスヌーピー は犬なのに二足歩行だけど声を出して喋るわけではない。

でも思考はめちゃくちゃしていて哲学的だし、弁護士作家パイロット等にもよくなりきっている。

バイタリティ妄想力に溢れるスヌーピー とそれに振り回されるチャーリー・ブラウン、という構図がよく繰り広げられている。

「あのおかしな犬をなんとかしなさいよ!チャーリー・ブラウン!!」とかよくルーシーに叫ばれている。

そんなスヌーピーキャッチコピーは「 The World's Most Famous Beagle(世界で1番有名なビーグル犬)」

宇宙にも行ったことあるんだよ。(ぬいぐるみがね)

2021-02-23

anond:20201201184650

この増田の話、「自慢したい相手がいない」というところに集約されていて、私は地方暮らしを楽しめない人間ですという吐露東京age合理化してるだけなので皆さんもう解散するよろし。

東京圏(日常的に、山手線の駅まで概ね1時間で到達できる駅くらいの立地まで。概ね国道16号の内側)で生まれ育った人か、そうでないかで反応は大きく異なるのではないかと思う。大阪は住まったことがないのでわからないが概ね環状線内ということになるのだろうか。生まれてこの方自動車などが家にあったことがないというひとならそれがデフォルトから自動車生活の基盤に吸えるという発想自体そもそも無かろう。自動車があって当たり前というところで生まれ育った人ならばそれがデフォルトになるし、非都市部では車がないと著しく不便な生活を強いられることを知っている。以降、めんどくさいので車の不要大都市圏「東京」と一緒くたに呼ぶことにする。東京では「駅まで徒歩何分、そこから何分」の世界が非東京では「自宅から車で何分」という世界だ。別の国だ。だからこの増田東京という別の世界の別の国の別の国民の話である

人口6千人ほどの関東近辺に生まれ育った私は高円寺あたりのアパートに数年住んだがあそこは無理だった。狭い。部屋も道路土地も果ては人の心までも狭い。もっとも部屋が狭かったのは私が貧しかたかであるが。「老人と運転免許」の問題もつながるが、行きたいところに安価に短い時間で好きなときに行けるというのは極めて価値のある「自由である東京ではそれは主に公共交通でなされる。自家用車依存しているところは東京ではない。では駅からバスで十数分みたいなところはというと、そこはやはり東京都内にあっても東京ではない。ところでlibertyとfreedomの違いはあんまりないと言うが、ここで言う自由はたぶんlibertyのほうがしっくり来る自由である

東京では公共交通がないか極めて貧弱であるハイハイから二足歩行に移行してようやく人らしくなるように、徒歩と自転車のみから卒業自動車という二足歩行生活することが自立した人間の証明となる。車がないと人間ではないか自由がない。この増田は車持ってないし買うつもりもないという。人権を手に入れてないのだからそれは辛かろう。

東京最高っていう意見には郊外志向の私も賛同せざるを得ない。ADSL草分けである東京めたりっくもFTTHも、東京からだった。非東京に便利なものが来るのは常にあとだ。それがインフラともなればなおさらだ

といっても、私は根が田舎者なので土が見えない世界で暮らすのはつらい。将来的には郊外に移っていくことだろう。といっても、東京からちょっと行けば色んな所に行けると言っているように、私は「ちょっと行けば東京」という場所を選ぶだけの話だろう。電気都市ガス上下水道光ファイバーau携帯電波(ドコモ電波日本である限りどこでも入る。彼らのプライドである。)、あとTBSラジオがあればそれ以上は過剰な贅沢というものだ。5Gの電波・・・初めて聞いた頃はまた新技術かと思ったが知ってみればうわーこれ劣化PHSじゃんかと思ったから多分死にそうになる頃まではいらないだろう。この増田は人気(ひとけ)のないのがつらいという。人が作った色んなものがないのが寂しいという。私には東京は人気(ひとけ)が過剰である自然の作ったものが少ないのが寂しい。育ちによって培われた志向の違いとはこういうものである

根源的にはライナスの毛布問題である。慣れ親しんだボロ毛布、捨てられると思ってたけど実は捨てられなかったというだけの話。多くの人間はそんなもんなのだがこの増田東京にあるいろいろなものがそれであったということである

2021-01-17

ライナスの毛布

 小さい頃からピンクの大きなタオルケットが好きだった。くたくたに柔らかくて、天日干しするとお日様の匂いがするやつ。滑るようになめらかでやわらかくて、すっぽりと身体を覆える。眠る時以外も暇があれば引きずってた。まあ多くの人にこういう思い出はあると思う。タオルケットじゃなくてぬいぐるみでもなんでも。

 けど、大人になってもタオルケットを使っている人は少ないかもしれない。タオルケットがあるとよく眠れる。さすがにサイズが違うし擦り切れるから、2〜3年に一度は買い替えてるけど。幼児の時は好きなキャラクターの描いてある同じタオルケットじゃないと泣きわめいたし、洗濯したら手触りがごわごわになるから数日不機嫌だった。

 タオルケットが無くても普通に眠れるが、眠りの質がもう全然違う。精神的に不安定だった受験就活の頃も、お気に入りタオルケットに包まれれば五分もせずに寝られた。

 今のタオルケットは白い花の描かれたピンク色。重要なのは手触りなのに、なんでか毎回ピンクを選んでしまう。好きな色は寒色系なので、部屋の中でタオルケットだけインテリアから浮いている。

 この歳になってライナスの毛布はまずいかなあと少し思うところはあるが、まあ精神安定剤になってるからいか

2020-09-04

非モテあるあるだけど

非モテ、「彼女さえ出来れば」って思いがち。

彼女という存在を「世間的に認められた」っていう合格メダルだったり、あれば安心するライナスの毛布だと思ってるやつが多いなぁと思う。

あと彼女がいればセックスに困らないと思ってたりして、それを指摘すると「そうじゃないなら作る意味ないじゃん」みたいな反応する人間も多い。

まぁ、そうだな、それで作る意味ないなら、作らなくていいんだろうな……でもそう思ってる人って結構彼女合格メダル」の一派と被ってたりもして、生きづらそうにも見えたりする。

訂正 本当に彼女いらないと思ってるタイプ非モテは含まず。

2020-07-11

🍆

ナスぬいぐるみ本当にいい

サイズがいい、手触りがいい、デザインがいい、モチーフがいい

窓の外の雨を見せたり一緒に映画観たりしとる(情操教育!)

毎晩一緒に寝とる

家にいるときほとんどずっと触っとる

ナス食うのが申し訳いから食わなくなった

後天的ライナスの毛布っぽさがある

ああーナス ナスよ 元気でいてくれ

2020-05-24

anond:20200523115226

人形愛好家が人形に感じてる思考は、

スヌーピーに出て来るライナスの毛布と大体同じだろ。

別に他人迷惑をかけないなら、そういう思考もあるんだでいいだろう。

増田もこの事が障害になる人間関係は望んでいないようだし。

ネット上の井戸端会議を、さも国際会議かのように語る風潮も考え物。

2020-02-05

赤ちゃん用のぬいぐるみ買った

Jellycatっていうイギリスぬいぐるみメーカーが出してるナスぬいぐるみ最近買った( これhttps://jellycat.official.ec/items/25539732 )

なんでも赤ちゃん最初に触れるものという想定でつくっているらしく、手触りがよく柔らかくてかつ丈夫にできている

すごくいい 家でスマホいじってるときとかずっと手に持って頬擦りしてる

犬猫うさぎとかじゃなくてナスっていうのがまたいい 感情がないから あと紫色かわいい

もう成人してるのにライナスの毛布的なものが新たにできてしまった気がする さすが赤ちゃん用というだけある

ぬいぐるみ馬鹿にできない

2019-02-22

代わりの完璧ママ

とある愛着障害コラムを見かけて調べてくととあるサイトにたどり着いた。

https://attachment-kou.jp/愛着障害を克服する方法/#i-3

サイト内の診断だと、不安愛着スタイルになったけれど、ああいう大ざっぱな質問だと、フツーに誰でも当てはまる。

いや、分かる。分かるよ。安全基地ね。あると最高。超ほしい。

でも、そんな都合の良い人間に誰がなってくれるんだ?

そんな完全な人間をやってくれるのは詐欺師だけじゃ?

周囲の人間も見たところ不安型か回避型。

自分ママンは自分より強い不安型だから、経緯説明してもっかいママンやって?って言ったら否定されたと感じると思う。じゃぁほかのひとに「代わりに完璧ママンやってくれ」って、そんな酷な話をするわけにもいかず。かといって、「さぁ!代わりの完璧ママンをやってくれる新しいひとを探そう!」ともならず。

条件つきじゃない愛とは?条件つきじゃない愛とかめっちゃ欲しい。でも、自分は条件つきじゃない愛、相手にあげられるかな?無理だよね。

から今日ライナスの毛布に包まれ眠るしかない。

2019-02-16

anond:20190216024700

すごい有用情報ありがとうカドリーシリーズは素晴らしいよね。認知症の母に添い寝してもらってるよ。

私のおすすめはfolkmanis puppets。リアルキュートの間をついてくるパペットタイプで、空想の生き物からねずみまでいろいろある。柔らかいから抱きごこちもいいよ。

うちにはロシアンブルーの猫がいて、夜な夜な夫婦アテレコして遊んでいるよ。あなたライナスの毛布的くまちゃんと生涯寄り添えるといいね

https://www.folkmanis.com

2018-01-27

anond:20180127091129

僕はタオルケットが大好きだったな。赤ちゃんの頃、病気入院していたので、僕と一緒にベッドに入れられてた私物のそれに依存していた模様。当時は親の付き添い必須ではなく、実際僕の見舞いは祖母達が交替で数時間来てくれただけだったから(でも毎日来て貰えただけ僕は恵まれていた方だ)、一人きりで過ごす時間が多く寂しかったのだろう。

退院後も、僕がお気に入りタオルケットにくるまれて端しっ子噛んでいた時は主に一人で寂しい時だった。

ところで以前、ネサフしていたらライナスの毛布を人工的に作る方法を紹介するサイトに漂着した。赤ちゃん母乳依存にしない為に、早期に断乳させて代わりにライナスの毛布(安心毛布)に依存するようにするという話だった。

ライナスの毛布、だからといって実際毛布に依存させると洗うのが大変なので、小さなハンカチを同じの数枚用意して、それをローテーションさせていくのだという。

うまいこと考えるなあと感心すると同時に悲しい気持ちになった。それがどうしても必要場合なら実に名案なんだが、特に必要でもないのにわざわざやるのはどうなんだろう。

2016-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20161219122957

んー、いや増田から別にいいけど、気持ち悪いとまで言われると気分は悪いなあ。いやいいんだけど。

おれは姉貴がそうだったか普通に受け入れてたし自分でも長く持ってた(小学校入るまで程度だけど保管はしてる)。

から今の奥さんと付き合ってほどない頃に、お守りの中身がライナスの毛布だって教えてくれたし、いやそれはまさに類友ってことなのかな。

まあおれが姉貴や奥さんを気持ち悪いと思ってないからいいよ。

http://anond.hatelabo.jp/20161219125636

あと「(子供の頃も含めて)当人の多くは恥ずかしいことだと思ってるからさないだけ」という前提もなあ…

そんな発想自体ががなかったわ

そりゃ大人になってもそれが無きゃ眠れないとかなら恥ずかしいだろうけど

子供の頃に卒業したってならごく普通じゃね?

そもそもそんなもんの存在忘れてる人も多そうだし

私も持ってたらしいけど全く覚えてない(母親曰く自然卒業したらしい)

他人に聞かれてもそのまんま「子供の頃持ってたらしいけど全く覚えてない」としか答えようがないし

そもそもライナスの毛布の話なんて普通に生きてたら他人にする機会滅多にないと思うんだけど…

http://anond.hatelabo.jp/20161219125037

お前のママの話はどうでも良いわけで。

元増田の嫁と子供の話をしてやれよ。

はらぺこあおむしタオルライナスの毛布だとして、どうすりゃいいんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20161219122957

お前が気持ち悪いと思うんならそれでいいが、「ライナスの毛布 大人」あたりでぐぐってみ?普通に手放せない大人いるから。そういう人はそれはそれで悩んでたりもしてるし。

http://anond.hatelabo.jp/20161219124047

そもそもライナスの毛布を持たない(特定のものに執着する事がない)子供も多いんで…

誰もが持ってて当たり前という前提で語られても困る

これ別に極端な例じゃねーぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20161219120209

当人の多くは恥ずかしいことだと思ってるからさないだけ。そもそもライナスの毛布は、ずっと母親に抱かれてた乳幼児母親から自立して歩き始める時に一時的不安の仮託先として設定する”持ってると安心もの”。大抵の人は”卒業”するのも確かだが、親に理解がないと無理矢理取り上げられてトラウマになるし、自分の子供にも同じこと繰り返す。そういう人は文字通りの”乳離れ”に失敗してる(強制されてる)から、別の物に依存してる可能性が高い。

こいつは弟や姉とも理解を共有してるそうだから、そういうのに寛容な親だったんだろうし、だから奥さんも話せたんだろう。

自分の”ライナスの毛布”のこと(子供の頃の話にしても)を話してくれない場合配偶者恋人にそこまでの信用をされてない可能性あるぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20161219024111

「それが大多数の女性(キリッ」とか知ったような口聞かれてもな。

おれの奥さんはタオル、おれの姉貴もタオル、弟は毛布、おれはぬいぐるみ

みんなライナスの毛布を持ってたよ。

おれも弟も今はずっと持ってないと不安てわけじゃあるまいし、しまってあるが捨てる予定はない。親が大切にとっておいてくれた。

姉貴もぼろぼろになっては母親が集めてタオル地の袋を作ってくれて、それが擦り切れたらそれらの端切れを集めてまた新しく袋を作ってってのを繰り返して初代から何代目だかまでのを全部含んだ袋を安眠の伴に枕元に今も置いてる。結婚して家出るまでそうしてたし、やめてはいないはず。もし旦那勝手に捨てられるとか、やめることになったりしてたら絶対におれに話している。

奥さんはぼろぼろに擦り切れたのを手作りの袋に入れてお守りにして持ち歩いてる

ボロボロでも不潔と思ってない女性がおれの母・姉貴・奥さん・奥さんのお母さんといるよ。

親の方針おかげだか類友だか、特殊な例がたまたま集まってると言われても否定はしようがないけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20161219000913

誰に肩入れするかって意味では子供一択

嫁さんも育児疲れとか色々あろうが子供に当たってはいけない。いけないが、そこでええかっこして子供の肩を持って嫁さんを悪者にしてここに書き込んでる元増田馬鹿だ。

新しいの与えれば良しって話ではなくて、子供氏には「それ」が大事なんだよ。ライナスの毛布なんだよ。わからんの?そういうの持ってなかった?

代わりのものを与えればいいってもんじゃない。

取り上げたらもっと粗相がひどくなるかも知れない。おねしょとかおもらしとかするようになるかも知れん。

(取り上げれば案外しばらくすると忘れるかも知れんが、別のものに執着するだろう)

ボロボロになろうが色が薄れようが、それが大事なんだよ。

衛生的どうのってひと、ハイターとかで消毒漂白せんの?(毎回じゃないけど洗濯で落ちない汚れが残るようになったらするよね)

2015-01-23

エロ漫画における絵の巧さが押しつける異常性癖のおぞましさについて 追記

もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。

汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。

面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。

私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。

自分の精いつぱいの物を。

然し、必ず、こはれるものを。

然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。

それより外に仕方がない。

それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。

私が、私自身に裁かれさへしなければ。

たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。

坂口安吾著「余はベンメイす」

序論

自分前回、少なくとも今の自分が"そうである"と信じる所を書いた訳である

批判こそあれど、撤回をする事で偽るべきではないと思う

しかし、いくつかの指摘には自らの答えを以って表明とするのが正しいと信じ、追記をする

前回の記事を書いた後の指摘にて自分が後悔したのは"欲望がどこから来るのか"という部分だ

タイトルだけに反応すれば、自分のスケベさを絵のせいにするなよ、と。

性的嗜好覚醒とは外から来るのか自らの内から来るのか。それはあたか信仰に似ている。

それは押し付けられたのではなく、もともと潜在的に有していたモノが開花しただけかもしれない。

人間は欲望が渦巻くスープであり自然は際限なく冷酷なものであるから

クジラックスが好きだけど異常性癖になった事はない、ただ少女愛は元々備わっていて偶々手に取ったのがそういった趣向のエロ漫画だったというだけだ。


これらの指摘は、全く正しいと思われた

そう、自分自分パスカルの「パンセ」を引用

"人はエロ漫画の持つ力で屈服させられ、目覚めさせられ、開発され、汚染される"といった趣旨の事を書いたように思う

私は私の体験を文章として切り取ったにすぎず、故にこれを撤回しない

しかし、人は自らの体験を真実、伝えきることはできない

ここにおいて自分象徴界限界を知る事になる

しかし、自分自分表現し得る辺縁の部分まで突き詰めてみたく思う

本論

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。

おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

フリードリヒ・ニーチェ著「善悪彼岸


まり、ここでは"力を振るうのは誰か"と言う事が問題となる

自分を屈服させ、従わせ、駆り立てるのは誰か

エロ漫画によって異常性癖になった」などとは言わない

それは私の作品への投影に過ぎない(※1)

あくまで「自分が選び、自分が惹かれ、自分決断し、自分が選んだ」に過ぎない

決めたのは自分自身に他ならない

然しそれでも、私の主観としては「作品によって、自分は屈服させられたのだ」という感覚を捨てきれない

春本を読む青年子女が猥セツなのではなく、彼等を猥セツと断じる方が猥セツだ。

そんなことは、きまりきつてゐるよ。君達自身、猥セツなことを行つてゐる。

自覚てゐる。それを夫婦生活の常道だと思つて安心てゐるだけのことさ。

夫婦の間では猥セツでないと思つてゐるだけのことですよ。

誰がそれを許したのですか。

神様ですか。法律ですか。阿呆らしい。

許し得る人は、たゞ一人ですよ。自我

坂口安吾著「余はベンメイす」


では、自分自身意識は何によって駆り立てられたか

ジャック・ラカン提唱した概念対象aと言うものがある

「明らかに自分が選んでいる筈なのに、屈服させられていると感じる」という主観

主体と客体の逆転がここで生じることについて、このエピソードが近しいのではないか

若きジャックは、よくいる活発で利発な青年の一人として、

自らのインテリとしての優遇された生活に疑問を覚えてか、

荒い海で漁師として働いたことがあったという(一夏のアルバイトであったと想像しよう)。

この時、船の上で、彼の同僚である教養な男が、海上を指差した。

そこにはどこから流れてきたのか、一つの空缶が浮かんでおり、

強い陽射しを反射して、キラキラと輝いていた。男は次のようなジョークを放った。

「こっちからは向こうが見えてるけど、向こうからはこっちが見えていないんだぜ」。

しかしこの時、ラカンは、「違うのではないか、むしろ向こうこそがこちらを眼差しているのではないか」と直観した。


対象a

人間が一生を通して追求するもので、想像界象徴界現実界中間にあり、欲動が求める対象

他の精神分析学派の主張する部分対象や移行対象自己対象との関連性が指摘される。

経験として象徴化された世界の背後の示唆、亀裂、欠如としてのみ経験される。

単なる事実以上の何かを孕んでいるという不確定な過剰さを喚起するもの

自らの世界の中に象徴化された欲望の対象痕跡

満たされない欲動の向かうところ

詳しくはこれを参照して欲しい





幼児期において、人間は万能であるという錯覚がある

求めれば完全に満たされ、不快なことはすぐに排除され、自分意志によってすべてが好転する

世界には他者などおらず、自己しか存在しない

しかして、その世界には終わりがある

聖書にて失楽園があったように、人間にも楽園からの追放がある

自我の芽生えである

世界には自分以外の存在があり、すべてが自分の思い通りなるわけではない」という事が分かるようになる

絶対的依存や信頼、母子密着状態からの脱却、対象との関係性の生起である

しかし、人間はこの時の愛着を忘れない

例えば、母親との絶対的な密着を忘れられない子ども

母親の代わりに毛布を肌身離さず持ち歩くようになる(※1)

成人した後は、形を変えて残る

人は過去の幻影を追って止まないし、追わないで居られるほど聖人君子でもない

「夢を追う」「面影を探す」「憧憬する」「焦がれる」「つい見てしまう」「どうしてか同じ行動をしてしまう」

幼児の頃の万能な世界や、絶対的幸福、真理や真実表現されるもの探し求める

しかし、それはみつからない

絶対的愛情存在しないし、絶対的幸福存在しないし、絶対的絶望存在しない

完璧文章などといったもの存在しない。

完璧絶望存在しないようにね。

村上春樹著「風の歌を聴け



しかし、人はそれを求める

逆説的であるが、人がそれを追いかけるときに初めて真理は存在することとなる

然し、真理といふもの実在しない。

即ち真理は、常にたゞ探されるものです。

人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。

探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。

真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。

人間人間の形をした豚ですよ。

真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。

坂口安吾著「余はベンメイす」



結論

自分が信じた正義(今回で言えば、緑のルーペ氏が描いた人間尊厳冒涜するエロ漫画否定する事)は

主観としては作品のものの力によって屈服させられたように感じられる

しかしその実、それは作品の力という要因だけに帰属しない

自分自分の力によって自分正義破壊したに過ぎない

自分を駆り立てものはいだって「ガラクタ」、「吊るされた人参」、そして坂口安吾の言う所の真理である

欠如の象徴としてのそれらを埋めるため、自分は「人の倫理破壊する作品」に惹かれる

それと同時に、自らの正義がそれを許容せず「自分が望んでいるのではない、望まされたのだ」と投影させる

氏は「宇宙人の冬」を業の深い作品と説明した

それは、こうした葛藤を生じさせることに意識的であったからだろうか



脚注

※1:投影

投影(projection)とは、自分のなかにある受け入れがたい不快感情性格他者が持っているかのように知覚することである

たとえば、怒りっぽい人が、自らの怒りの感情を受け入れず、それを他者投影して逆に他者自分に対して怒っているのだと決めつけるような場合である

※2:俗に、ライナスの毛布と呼ばれる。移行対象のこと

ラカン

現実界

フロイト現実原則や、カント命題"ein leerer Gegenstand ohne Begriff"(「掴み得ぬ空虚対象」。独語

などから敷衍した概念で、空虚で無根拠な、決して人間が触れたり所有したりすることのできない世界の客体的現実を言う。

以下に記述する想像界にも象徴界にも属さな領域であり、例としてはトラウマ不安現実における体験などで言及される。

象徴界

人間存在根本的に規定する言語活動の場のこと。

また数学などもこれに含まれる。

ラカン言語活動によって形成される人間のつながりを大文字の他者と名づけている。

これは自己他者をつなげる共通の第三者としての言語を指している。

大文字の他者言語活動の一部であることから象徴界に属するものとして考えられている。

想像界

想像界とは、たとえば「日常」平和」「不幸」といった、

人であれば誰しも漠然イメージできるけれども、

その正確な描写となると大変な労力を要するような対象世界を指しており、

かつわれわれが頭で思っているものを言う。

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