はてなキーワード: 学祭とは
いじめの様子を目の当たりにして、僕は劇場に来たことを後悔した。
原作である漫画は全巻読んでいて、事の結末まで全て把握しているはずだった。
それでも、イラストだけでなく映像という形で視聴する事で、これが初めて観る作品であるかのような衝撃と胸が締め付けられるような感覚を得た。
いじめを招いてしまった当事者のみんなも、いじめに対し悪気は無かったのだと思う。
けれども、将也を中心とするいじめは次第にエスカレートし、植野はそれを一緒に楽しみ、佐原は辛くなり途中で逃げ出し、川井は見てみぬふりをした。
(川井の台詞は後の将也に対するいじめの決定的な理由を作った。)
高価な補聴器の紛失と故障がきっかけとなり、硝子は転校し硝子へのいじめは収まった。
ただ、いじめの矛先は将也に切り替わっただけで、硝子へのいじめが明るみになった事が、いじめそのものを無くす方法にはなっていなかった。
将也と硝子の自殺未遂に共通していた未遂の発端は、2人の弱さにもあったと思う。
作中、周りの生徒の将也に対する誹謗中傷の台詞は、将也自身の声が当てられていたが、卑屈で自意識過剰になった将也のメンタルが反映されていたと思う。
また、自分へのいじめは見て見ぬふりが出来たものの、想い人が嫌な目に遭っている事に、ついに耐えきれなかった硝子。
小学生の当時から生きやすいように、自分にとって都合の悪い部分から目を逸していたものの、それを直視せざる得ない状況になって限界を迎えてしまった。
決して2人だけが悪いという話ではない。
かと言って、誰が悪いというわけでもない。
コミュニケーションのぎこちなさが、微妙な噛み合わなさが、作中の登場人物が置かれたいびつな状態を作り上げてしまったと感じる。
ただ、2人に関わった人達が硝子の未遂と将也の転落事故をきっかけに少しづつ変化し、将也の通う高校の学祭を迎える事となる。
そこで、ついに将也の雨空のような視界が晴れやかとなった。「×」が付いていた周りの人達の顔から「×」が全て剥がれたのが、将也自身の心境に変化が生まれた証拠だろう。
硝子についても、植野に対して手話で「バーカ」と言い返していた。人に対し言いたいことをきちんと言えるような人に変化したのかもしれない。
物語終盤は、2人の未遂を乗り越えて成長した人たちの様子が描かれていたが、同時に視聴者である僕達の変化も期待されているのかもしれないと感じた。
この作品におけるいじめは、身体障害を持つ硝子の身にのみ起きたものではなく、健常者である将也の身にも起きた。
聴覚障害という硝子の身体障害がきっかけではあったものの、それが無いと起こり得ない話だとは感じられなかった。
作品の中で植野は「西宮が最初からいなければ良かった」と硝子に対して直接言ったが、後にその植野自身が手話を覚えたという事実だけで、硝子のネガティブな気持ちはだいぶ軽くなっていたと思う。
聴覚障害者、ひいては身体障害者が持つ障害という名のちょっとした壁を、たったそれだけをきちんと考慮し、周りの人が受け入れ取っ払おうと努力する事が出来れば良い話なのかもしれないと感じた。
それは身体障害者だけではなく、他の極一般的な人たちに対する差異の理解にも通ずるものだと思う。
万人がそういった感覚を持つことが出来れば、いじめは無くせると思う。
そういった理解を助けになったこの作品を視聴することが出来たことは良いと思えた。
もう当初の後悔は無い。
http://www.j-cast.com/2016/08/18275579.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.j-cast.com/2016/08/18275579.html
俺も高校時代、20人そこそこの吹奏楽部の一員だった。地区大会で金賞もとったことあるよ。でも俺なら100%甲子園選ぶと思った。
吹奏楽部にはコンクールの他にもさまざまなイベントがある。ウチの場合は最大のイベントは定期演奏会であり、
他にも高文連や地域の吹奏楽祭、学祭、学校の内外の様々なイベントに参加する。
ぶっちゃけ俺なんかは、早くコンクール終わって定期演奏会の練習したいなーと思ってた方だ。
名門の吹奏楽部だと100人くらいいて、その中からコンクールの大編成に出場できる55人を選抜するわけだ。
それに対して21人の吹奏楽部というのは、通常地区大会の最小編成(小編成は全国大会が無いので人数の規定も地区によって違う)
25または30にも満たない数字だ。
まあだいたい毎年10人前後の新入部員が入って、何人かは辞めながら20数名になる。
10名のうち楽器経験者は3,4人ってところで、あとは未経験者だ。
当然補欠はいないので、楽器を持って数カ月の連中がコンクールに出るわけだ。やっと音が出るようになった奴もいれば、
ほとんど音も出せなくて楽器を持ってるだけのやつもいるかもしれない。
なんでそれで金賞を取れるかというと、他所も似たようなレベルだからだ。
要するに、俺のいた部活なんかは完全にエンジョイ勢なのだ。某アニメとはまるで別の世界なのだ。冬場なんかは練習に2,3人しか来なかったりする。
そんな俺らの部活がもし甲子園にいけるとなったら、全員コンクールよりも甲子園を選んでたと思うよ。野球応援楽しいしな。
まあ君らはもし、あの生徒らから「甲子園は自分達で選んだ」って証言があったとしても圧力があったとかいって信用しないんだろうけどね。
自分が考えていたネタのどちらかをここに納めようと思ったが、そのうちの一つだけ愚痴らせてもらう。
まだ大学生という身分ではあるのだが、大学自体に行くことそのものを疑問に感じながらも結局のところ親が主導権を握っていることをいつも思ってる。
今日はそんなことを書き留めたい訳ではない。
自分は20代であるものの、「いつまでも絶えない30~50代くらいが想像する若者のレッテルは何故生まれてしまうのか」を最近無駄に考えていた。
しかし、「若者」とはいってもどこぞの綺麗な表紙で飾られているような清楚な若者ばかりではないのだ。
喋りや風貌からして融通の利く有能そうな奴もいれば、明らかに口だけは達者で具体的な中身がボロカスみたいな奴だっている。
そこで自分が見ている部分では、性格が合わなさそうな相手だとしてもどのような意見を持っているのかを確認している。
今の就活状況は某アニメーション映像みたく、グループディスカッションを行いながら共同で作り上げることが多くなっているかもしれない。
自分も何回かやってみたが、正直言って他力本願で他人に頼り、その内容をまるで自分がやったように自己満足している状況しかなかったように思える。
そういった経験から感じたのは、「若い人で限定した場合に集団の中で使えそうな駒がいれば、そいつに全て人任せにして得た利益を同じく貰おうとしている」という考察に至った。
何故若い人がマスコミによってあたかも中身のない無能な馬鹿みたいにされているのかがなんとなく理解してきたのだ。
「若者が馬鹿だと玩具にされる→あまり具体的なプロセスまで組み立てる思考を停止させている→そのことから現実問題に置き換えると、できそうな奴に全て用件を投げ捨てて楽をしている」ということであるのかもしれない。
これはあくまで自分がそういった人物としか当たらなかった運の悪さなのかもしれない。
だが、もしこれが1つの講義として成り立つのであれば、日本の教育は先進国の中で遅れていると言われたらその意見に同意するだろう。
大学自体がこういった双方で行う講義を積極的に盛り込むのであれば、学生側がただの談笑するレベルで進むようなことは時間と金の無駄だ。
前期でもグループワークの授業を取ることになったが、選考の仕方がコンピューターで分けただけという馬鹿馬鹿しい話だったし、志望動機は長々と打ち込めずたった1コースごとに3,4行程度だけというこの始末。
そう思うと教員はそこまで学生を見る暇もないし、説教や反省させるような態度を取るようであれば、そのようなリスクを生まないよう選考することが一番の回避策だったはず。
こうなるとバブルの時に大学を作り過ぎてしまったツケがだんだん悪化しているのかもしれない。
学歴として早慶クラスの学士博士を取得したとしても、Fランク大学で教授としていること自体に意味があるのか。
そもそも研究機関である大学なのに特に文系学部に関しては研究成果が公開されないのだろうか。
個人的な意見としては、大学として本当に機能しているのは理系の学部と十分な研究費用や材料が存在する上位の大学であると思う。
そして、一番の問題として進学することが当たり前の世の中で、何故小さな頃から勉強以外で自信の持てる個性を身につけさせないのかということである。
日本は同調、集団社会であること自体変わらない。欧米や欧州のような確立されたシステムの中で自らのキャリア構造を若いうちから立てられるチャンスが存在する。
しかし、今の日本は子供を産んだ時点からレースが始まっている。それは「受験」である。
小学校から始まり、幼稚園ではしつけや漢字を読ませるなどのことを徹底している。
このことから子供たちにとってはそれが当たり前の日常ではあるが、逆に親はどういったものを彼らに与え、何を見せているのだろうか。
最近朝のニュース番組を見ていたら、親がある日本古来の物語の一部分を子供に向かって言うと、残りの部分をスラスラと答えていた描写があった。
日本では教育施設、機関に行かせることが中学まで義務付けられている。
そして最終的な目標が受験とされている世の中で、学校に対して縋っている、甘えているのかもしれない。
学校に行けばやりたいことが見つかるのであれば、子供がが成人になるまでに彼らのやりがいが感じられる選択肢を助言することも一つの教えではないのか。
神経質な感じではあるが、自分としては金と空気を読む力さえあれば生きていけるのならそうしたい。
一般に会話における人間の口語というのは文章に起こすには堪えない程ひどい。
だが、応募してくる新卒たちの面接での発言はそれに輪をかけて酷い
俺「学生時代に取り組んだ事を教えてください」
学生「私は大学時代は演劇部に所属していて、それで友達と一緒に頑張って部のみんなをまとめようといっぱい頑張ってえっと大学の学祭イベントがあったのでそれに合わせて部で目標を作って力を合わせて頑張っていこうってみんなの前で立って話した時に私はこうやってみんなと力を合わせるのが好きだなと思ってそれでいつも思っているんですがこの業界で私が頑張れると思うのが…(後略)」
この文章、文字に起こされるとあまりにバカっぽく見えるがほとんどの学生がこれぐらいのレベルの受け答えをしてくる。長い。長すぎる。
返答が長いというだけならまだしも、頭の出来の悪い学生かつ喋れる学生というのは大体例外なく文章に稀にしか「。」が入らない。
そして最終的に主語動詞目的語が何だったのか聞いている側の頭からこぼれ落ちるような文章が生成される。
1. 発言を止めるとそこでアピールタイムが終わってしまうと思い込んでいる。
頼むから黙って欲しい。
人間同士で話しているのだから間をもたせるぐらいの会話はこちらだってするし、間が持たないぐらいで学生を落とすなんてもったいない事はしない。
面接の時間はずっとその学生のアピールタイムなのだから一文を長くすることに大した意味はない。むしろ長文過ぎると耳からこぼれ落ちて思い出せない。
2. 発言している間にもっと良いアピールが頭に浮かんでしまってそちらに話を持って行こうとする
学生の顔を見ているとこのパターンが一番多い気がしている。確かに、口を動かしている間により良い主張を閃く事は俺にもある。
だがそうやって自分が普段できるアピールの120%の素晴らしいアピールをすれば受かる、と思い込んでいるのなら甘いと言わざるを得ない。
面接官は学生の人となりを見ているのであって、剣道部の主将だろうが下っ端だろうが帰宅部だろうが大した違いはない。
聞いている側が疲れるような長文をマシンガンのように吐き出しきれば好感触だと思っているのであれば、そんなのは「女なんてデカチンで高速ピストンすればみんなメロメロさ」等と思い込んでる童貞と同レベルである。
こういう挙動は端的に言うと、頭の悪さが前面に露呈してしまう。事実頭が悪いというパターンもあるだろう。
一緒に働く事を考えた場合、例えば会議や打ち合わせでそういう頭の悪い長文を垂れ流されるとそれは周りの人間全員の損失になる。
確実に周りの足を引っ張る存在となるので最優先で落としている。
余談だが面接でこの学生はダメだなと思って書類を確認するとやはり所謂無名私立大だという割合が高い。
高学歴な学生は、やはり地頭が良いためか受け答えもしっかりしている事が多い。もちろんどちらにもいくらでも例外は居るのだが。
△対策
上に書いたダメな学生の姿勢は癖として染み付いているところもあるので一朝一夕では治らないと思う。
ダメな自覚のある学生は次から面接では以下の事に気をつけて欲しい。
1. 口を開く前にこれから話す内容の「。」の位置をどこに付けるか頭に描く。
下手な長文を口語で流し込まれるよりは、口を開く前に3秒待たされる方がマシだし知性を感じる。
ついでに言うと考えている間に「あー…」とか「えーっと」とか言わない方が良い。
2. 面接官との会話の往復数を増やすにはどうすべきか、を評価軸として自分の受け答えを見直す。
温泉卓球では隙を見つけて最強のスマッシュを打ち込む事よりも、ワイワイとラリーを続ける事の方が優先される。
今、就活を頑張っている人とは始まる時期は違うし、景気も違うだろう。
けれど、いまだに就職活動の仕組みはあまり変わっていないようだ。
そして、書類選考で提出する書類には、その会社でやりたいことや自己PRを書かされるのであろう。
書類選考用の作文で悩んでいる人はなので、開き直って1%の真実に99%の嘘で盛った作文を書けばいいよという話を下記にダラダラ綴る。。
書類選考の書類を書くたびに「企業はなんでこんなことを聞いてくるのだろう」という疑問。
すでに就活が終わっている人たちは「このぐらいのおべんちゃらや建前が書けないやつは就職しても使えないヤツ」と言うかもしれない。
実際にそういった建前を書いて入社した身としては、この疑問はなくならなかった。
「その会社でやりたいこと」そこそこ大きい会社だと、配属先によって業務が異なる。
その会社でやりたいことと違う部署に配属されることはままあるし、一生配属されないことだってあるだろう。
身近な上司や先輩、もしくはその人たちの良いところをパッチワークのように継ぎ接ぎしてロールモデルを作れといわれる。
考えが至らない私は「やりたいこと」と「ロールモデル探し」の時点で、会社の言うことが乖離しているようにしか思えなかった。
新卒で入った会社にたいして、ただ給料をもらってやることやって定時で帰りたいということだけしか考えていなかったので言われるままに淡々と処理していた。
夢や希望みたいなものを持たずに入社すると、過剰な期待をすることもなく幸せに生きることができるなと思った。
「その会社でやりたいこと」以上に、就活中に悩んだたのは「自己PR」だった。
半年ほど寝込んでいて、周囲から遅れをとって就活をはじめた私にとってとてもしんどい作業だった。
自信喪失をして寝込んでいて、少し回復したら自己肯定感たっぷりの作文をしろって言われても何を書いていいのかわからなかった。
就活サイトやアマゾンのレビューを参考に、自己PR文の書き方の参考書を購入した。
参考書を読んでも、なんだか立派な人生経験をしている人の文例ばかりで参考にならなかった。
アルバイトリーダーになったとか、留学経験があるとか、父親を亡くしたことがきっかけで生命保険の大切さが分かったとか。
アルバイト経験があってもリーダーになったことはないし、留学する時間も金も情熱もない大学生だった。
父親は私が産まれてすぐに自殺未遂をしたり、うつ病になって気分で怒鳴ったりニコニコしたり寝込んだりしていたけれど生きていた。
小論文のように決まりきった構成があり、データをもとに賛成か反対かの根拠を書いていく文章のほうが得意だ。
どうしたら、キラキラした自己PR文を書けるのか毎日悶々としながら書いては消しを繰り返していた。
悶々としている内に、どうも自分には自己肯定感が足らないことに気づいた。
自己肯定感が強い人間は、私から見て大した経験もしてなくても、その経験がいかに立派なものかをキラキラした自己PR文に落とし込み
それをさも立派なことのように発言できるようだ。
どうにかして、自己肯定感たっぷりのキラキラした人間を偽らなきゃいけない。
改めて、大学生活中にやっていた委員会やアルバイトのことを書き出してみた。
自分としては大したことではないが、人事に受けそうなネタを2つほど出てきた。
1つめは、学祭の実行委員をやっていたこと。芸能人を呼んで交渉したりしていた。
なんとなくススメられ、先輩に教えてもらうがままに作業しただけで終わったことである。
2つめは、光回線の勧誘電話をするアルバイトをしていて、在職していた3カ月ほどの間売上TOP3に常にいたことである。
マニュアルを読んで、面倒なクレームは社員に投げるだけの簡単なお仕事である。
私の中ではこの2つは立派なことではなく、ただ流れにそって作業しただけだ。
たまたま運良く上手くいっただけだ。自己肯定感が育った経験とはとてもいえない。
書類選考用の文字数をうめるものとして、この2つは役に立った。
どうしてだろう。何故だかわからぬ。
コミケではイライラしないのに、駅でみかけるとこの身体の内からあらゆる感情がムカつきに変わる。
なぜ、コミケではレイヤーさんを「がんばってるなあ」みたいな楽しい目でみれるのに、山手線でコスプレをした人間をみると「浮かれたバカをみるとぶん殴りたくなる」って思うのだろうか。
なぜ、「今年はうちの子供もコスプレさせて可愛く写真とるんだから!」とはしゃぐ親のにレバーブローを打ち込みたくなるのだろう。
わからない。
ハロウィンはコスプレしたい人がコスプレをして良い日なんだ。ただそれだけの日で、自分には何にも関係ない。
わかってる。わかってるのにこの煮え切らない気持ちは何だ。
顔にペイントをしている女子高生とかをみると、ついつい拳を握って肝臓を睨み付けてしまう。
調子乗って街中歩いてんじゃねえよ。
変身願望かなんか知らんが、一生何にもなれないスポットライトをあびることのない糞凡人が、いっちょまえに芸能人か何かの真似事か?
ということを考えてしまう。
イベント会場で見かけるレイヤーさんにも同じことが当てはまるのに、そちらに関してはそんな感情全くなくて楽しんでいる。
なんなんだ。
ハロウィンに対してのこのムカつきはなんなんだ。
部屋でくつろいでいると、ノックの音が。
ドアを開いて、ちょっと驚いた。
瞬間、誰かに似ていると思ったけど、思い出せない。
ほのかです、とその子は言った。
軽くことばを交わしながら、僕は内心の興奮を抑えられずにいた。
たとえば大学にいれば、間違いなく同期でナンバーワンと目されそうなこの子と、今からエッチなことができるのだから。
いま僕がいるのは、オナクラと呼ばれる性風俗、から指定されたレンタルルーム。
オナクラは、オナニーを女の子に見てもらうか、女の子の手で抜いてもらうか、「抜き」に関してはそれ止まりというソフト風俗。基本コースだと女の子は服も脱がないしその服の上から触ることもできない。何かの修行ですかそれは。
有料オプションを付けることで、女の子が服を脱いだり女の子の体に触ったりできるようになるけど、それでも女の子の股間には一切触れないしディープキスもない。粘膜同士の接触が基本ないので、病気の心配もあまりない。
僕は、女の子を指名しないフリーのコースで、オールヌードと乳首舐めのオプションをつけた。おまけでコスプレ衣装がついてくるというので、セーラー服もつけてもらった。
風俗に来てるんだから当たり前のせりふなのに、言っただけでドキドキしてしまう。あまりにも普通に可愛い女の子だから。言った瞬間に捕まっちゃうんじゃないか的な背徳感。
え、下着なしでですか、と一瞬戸惑った表情を見せた後、ほのかは服を脱ぎ始める。地味な上下揃いの下着を見て、ほんとに普通に私服なんだな、と思った。それも脱いで、ペラペラのセーラー服に袖を通す。僕も服を脱く。
並んでベッドに腰を下ろすと、ほのかはゆっくりと僕の股間に手を伸ばしてきた。
僕もセーラー服の脇から手を差し込んで、ほのかのCカップの胸を揉み始める。そのままたくし上げて、乳首を口に含んで転がした。この部分をオプションで追加していたことをちょっと思い出す。
さっき、大学生だと言っていた。
本当かなと思ったけど、少なくとも肌の木目とか弾力は、間違いなく相当に若い女性のそれだ。
だからセーラー服を着ていても違和感がない。そんな子が僕の股間を弄んでいて、僕はその子の胸を触って乳首を舐めている。スカートもはだけて裸の股間もお尻も見えている。ほのかの手はちょっとぎこちないんだけど、逆にそれがすごくいい。
ほのかが、不意に僕の乳首を触ってきた。
そのサプライズな刺激で、イッてしまった。なんか必殺技みたいなのを使われた気分だ。
シャワーを浴びたあとの残り時間、ほのかのヌードを見せてもらうことにした。
M字開脚した股間からふと目を上げると、ほのかの全身、そして顔が見えた。
で、気づいた。
ほのかが、むかし僕が好きだったアイドルに似ていることに。
僕は高校から大学のころ、アイドルに入れ込んでいた時期があった。
特定のアイドルに深く入れ込んではいなかったけど、CDとかを幅広く買って聞いていたし、大学では学祭にアイドルを呼ぶ企画のお手伝いをしたりもした。
もちろん、音楽的に好きとか、頑張ってる姿を応援したいといった気持ちでやってるつもりだったけど、冷静に振り返れば、かわいい女の子との擬似恋愛を「買っていた」部分は相当にあったと思う。だいたい、月に1〜2万円くらい使っていた。
学祭のイベントの手伝いで、何人かのマイナーアイドルと控室で会ったけど、みんな肌が疲れていて化粧が厚く、若干の「ケバい」部分でTV映えする、ちょっとかわいい程度の女の子なんだな、という印象だった。
いま目の前にいるほのかは、僕が学祭で会ったどのアイドルよりもかわいく、肌もきれいだった。顔のパーツがちょっと地味だからTV映えはしないだろうけれど。
僕がこの日、ほのかに会うために払ったお金は総額8000円。かつてアイドルのために使っていた月額の半分だ。
それだけのお金で、僕が実際に会ったどのアイドルよりもかわいい女の子が目の前でオールヌードになり、コスプレをして手で抜いてくれて、僕は彼女の乳首を舐めることだってできてしまう。
それで、ふと思ったんだ。
僕は当時、なんのためにお金を使っていたんだろうな、って。
もちろん、当時はオナクラなんてなかったし、当時は当時で童貞を捨てたくて格安ソープに飛び込んだりしたこともあったけど、出てきた女性は、まあ、その、なんだ、やっぱり格安店だからこうなんだな、という感じだった。
だから逆に、「そういう世界」と普段追いかけてるアイドルの世界の間にははっきりとした境界が感じられて、何も「脅かされるもの」はなかったんだけど。
かつてアイドルのために使っていたよりも少ないお金で、かつて追いかけていたアイドルよりもかわいい女の子と、アイドルとは絶対にできない過激な遊びができてしまったから。
サービスが究極的にソフトだから、料金が安いのにびっくりするほどかわいい女の子が当たり前にいるから。
この店を使ったのは2回目だったけど、1回目も指名なしで、やっぱり合コンにきたら確実に一番人気になるレベルの子がやってきたし。
ありがとうございました、今度は指名してね、と笑顔で去っていくほのかを目で追いながら、僕は、かつて自分がやっていたことの「意味」のかなりの部分も、一緒に消え去っていくのを感じた。
ブクマありがとうございます。少し種明かし&補足。
PRなの?→そう言われそうだったから最初から断ろうかとも思ったけど、PRではないです。シンプルにユーザーとしての個人的な感想。
事実?→「ほのか」って名前は仮名だけど、あとはだいたい事実。本当にかわいくてびっくりして価値観揺さぶられたから書いた。地方から出てきてお金のない大学生とかが働いてるのかな、とか思った。
どこ?→これ書くとPRになっちゃうかもしれないけど、新宿です。あとはサービス内容と料金は事実どおりなので突き合わせればどこか分かるはず。
ほのかって?→仮名。いろんなキャラとかぶってるのは単純に知らなかった。
アイドルだと処女性を求めるのに?→僕は当時からそういうのは求めてなかった。
そんなにレベルが高いの?→高かった。でも後でチェックしたら、「ほのか」はこの店のナンバーワンで、1回目のときのコはナンバー2だった。お店がフリーでもいい子を回してくれてたんだと分かった。
私は小さい頃から、特に目立たない、おとなしい子だと言われ続けてきた。そんな自分が特に嫌だったわけじゃないけど、中学校の頃にちょっとした出来事があった。
クラスでも目立って可愛い女の子がいた。可愛いけどちょっと変わった子で、クラスからは浮いてて、常に誰かの噂になってるような子だった。その噂の中に、彼が彼女のことが好きだ、というものが流れたのだ。
私は彼のことが好きだったけど、その噂を聞いて、とたんに彼が私の手の届かない人であることを感じた。きっと彼は私みたいな地味な女子は好きじゃないんだ、そう思った。
でも、この出来事で私は変わろうと思った。今みたいに地味じゃあダメなんだ、地味であることで何かを逃がすことはもうしたくない、って。
だから、高校では軽音部に入った。そこでガールズバンドを組んで、ギター兼ボーカルをやることになった。正直、とても嬉しかった。これできっと今までの自分が変わっていく、そういう確信があった。
あの子バンドのボーカルなんだって、そんな噂を耳にする度、何かを手に入れたような気分になった。
でも、学校の噂に耳を立てていると、聞きたくない噂も耳にする。例えば、あの子の噂だ。中学の時、私の失恋のきっかけになったあの子も同じ高校に進学した。そして高校でもやっぱり、可愛いけど変で目立つ子をやっている。あの子については中学の時と同じようにいろんな噂が駆け巡ってる。その噂を聞くたびに、私の中にもやもやした気分が浮かぶ。それはきっとあの子が、私が努力して手に入れたものを何の努力もなしに元々持っているからだと思う。
だけど、今度こそ負けない。少なくとも、中学の時と同じ気持ちはもう味わいたくない。だから、私はがんばるんだ。
入学してから時は過ぎて、11月になった。あと少しで学園祭だ。私達のバンドは、学園祭でライブをする機会をもらえることになった。だから、普段の練習以上にライブに向けて頑張って練習してきた。クラスメートも、絶対ライブを見に行くと約束してくれた。もしライブが成功したら、もっと自分に自信がつくはず。クラスメートもきっとすごいと思ってくれる。私はそうやって自分を変えていくんだ、って思ってた。
だけれども、神様は残酷だった。学園祭の当日、私はインフルエンザにかかってしまったのだ。
私は悔しくて悔しくて、布団の中で泣いてた。自分の練習が無駄になったのもそうだし、自分のせいでバンド仲間の練習も無駄にしてしまった。それがとても悔しかった。
学園祭の夜は、熱と頭痛と関節痛と胸の痛みでもう頭がぐしゃぐしゃになってた。そして夜遅く、ケータイに連絡が入った。きっとバンド仲間からだ。恨み言なのかなんなのか、怖かったけどとりあえずメッセージを開いた。そこには、こう書いてあった。
一体何のことなのか、よくわからない。けれども続きを読んで、私は絶望した。
私が休んでしまってもどうしてもライブをやりたかった仲間たちは、代わりのボーカルを頼んでライブを決行したのだ。しかも、その代わりのボーカルは、あの子だった。
そのメッセージには、ライブ成功おめでとう、みんなの練習が無駄にならなくてよかった、と返した。でも、それだけを返すのに、とてもとても時間がかかった。そして、それを返したあと、私の中で渦巻く黒い感情はもっと黒くなった。もう一生インフルエンザは治らなくていい、このまま治らずに死んでしまいたい、そう思った。
そうは思ったが、人間の体は丈夫にできている。インフルエンザが治ってしまった私は、学園祭が終わった学校に登校しなきゃいけない。
でも、心に決めたことが一つだけあった。それは、もうバンドは辞めるということ。
私はまたあの子に負けたのだ。もうあの子と戦う気力なんて残ってない。
登校してみて、その判断が正しかったことが身に沁みた。学内の噂はあの子のボーカルのことで持ちきりだった。それまであの子のことを変な子として快く思ってなかった人でさえも、あのボーカルはすごかった、と言っていた。
何であの子は何も努力してないのに、こんなにたくさんのものを持っているのか。神様は不公平だ。
あのバンドは私の居場所だったはずなのに、それすらあっさり奪われてしまった。バンド仲間も、ボーカルが私じゃなくても良かっただなんて、ひどい。
もう忘れてしまいたい。私みたいな人間が、生まれつき注目される花を持った人にかなう訳がなかった。対抗しようとしたことすら恥ずかしい。そうした記憶を含めてみんな忘れて、また地味に誰にも注目されることなく生きていこう、そう思った。
そして部活のみんなが帰った後に、こっそりとギターをとりに部室へ行った。半年という短い間だったけど、私の相棒でいてくれたギター。このギターをどうするかはまだ決めてなかったけど、部室に私がいた痕跡を残すのは嫌だった。
部室にはまだ電気がついていた。でももう7時にもなる。きっと誰かが消し忘れたのだろう、そう思ってドアを開けた。
そこには、クラスメートの男子が一人で残ってた。部活のメンバーではない彼がどうしてここに居るのか、訳が分からなかった。
「やっときた。ずっと待ってたんだ」
彼はそう言った。どうして?そう訊いた私に、彼はこう答えた。
「俺はさ、学祭の時、お前の歌を聴きに行ったんだ。でもまだ聴けてないからさ、こうして待ってた」
「私の歌を待っててくれたの?」
「そうだよ」
彼の言葉を理解するのに、時間がかかった。でもゆっくりゆっくり考えて、それはとても嬉しいことを言ってくれているのだと理解できてきた。
だから、私はロッカーのギターを手に取った。袋から出し、アンプに繋げる。
「私一人だけだけど、いいの?」
「一人で充分だよ」
それを聞いて、泣きそうになった。でも、これから歌うのに、泣き声でなんかいられない。
私は歌った。一生懸命練習したコードと、嬉しさ、悲しさ、全ての感情が入り混じった声で。
彼は、手拍子を打ちながら静かに聴いてくれた。
すごく泣きそうだったけど、それだけはなんとかこらえて歌いきった。でも、歌いきったら涙が溢れてきた。止まらなかった。彼は、いつの間にか私の手を握ってくれてて、大丈夫だよ、大丈夫、そう声をかけてくれてた。
その後、私達は付き合うことになった。
私はやっぱりバンドを辞めたけど、ギターも歌も辞めてない。彼のためだけに歌ってる。
彼は私の歌を聞いて、好きだって言ってくれる。
それだけでよかった。
そう、本当にそれだけでよかったのだ。もう学内の噂なんかは気にならない。私が本当に欲しかったのは、いつも注目される立場なんかじゃなくって、たった一人でいい、ちゃんと私を見てくれる人だったんだ。
彼にとって私はひとりきりで、私にとっても彼はひとりきり。
私は今、幸せだ。
当時小学生だった僕は、近所の大学の学祭へ親に連れられて行き、ゲーム大会みたいのに参加して、アニメの絵が入った下敷きをもらった
それが「きまぐれおれんロード」の絵だった
当時そのアニメは見たことがなかったが、タイトルロゴが入ってたのと、数年後に認識したという感じかな
水着のお姉さんのキャラクターが二人描かれていて、当時小学生だった僕には、ちょっとエッチで、恥ずかしくて見れないけどでも興味あるって感じだった
その後の一度もきまぐれオレンジロードの本編は見たことはないが、今では美少女キャラがいっぱい出てくるアニメを毎日のように見て楽しむおっさんになってた
まあ、それはともかく、80年台にはもう萌えアニメってあったんだな
思い返すと、アーー!と頭を抱えてうずくまることを一緒にも単独でも、いっぱいした。
約2年間
池袋に住んでいた人。
けっこう押したけど付き合うに至らず。
3ケ月くらい
その後役に立った振る舞いや勉強習慣などいろいろ教えてもらった。
約3年間
いろいろあった。就活に関する考え方は教えてもらってとても助かった。
約3年間
正直、この人に当たったのは運が良くて助かった。色々危ないところだった。
約1年くらい
赤文字系の雑誌に載るような子が好きな人で、笑えるくらい趣味嗜好が合わなかった。
合わない人とのコミュニケーションを真剣に工夫できるようになり、その後の生活に助かった。
約3ケ月
当方、体温だけが欲しかった際。その後、当の友達の結婚式で再会したりなど。
約3日
高校時代、何事にもやる気に満ち溢れていたあの頃、俺は生徒会長に立候補してみた。
なんか、うちの高校は生徒会のスタッフを1年間務めた人間が次の会長になるという暗黙の決まりがあったが、
そんなことは知ったことじゃない。色々と調べたら、生徒会費として取られている毎年1000円の金の使い道が、
コピー代と、生徒会のお菓子・飲食代であることに気付いた俺は、それを選挙演説で暴露。
生徒会費の削減を誓った結果、生徒会推薦の候補に3倍近くの票差をつけて勝った。
さて、俺は公約を守らなければならない。といっても、コピー代を抑えるアイディアは既にあって、
いわゆるタダコピのはしりみたいなものを実行。近くの商店街等をまわって広告をとってそこから費用を捻出しようとした。
といっても、要は学生祭で広告出してくれるところまわればいいだけなので、学生祭+日常でも広告出ますよという宣伝文句で広告費は余裕で回収。
お菓子代なんてどうでもいいだろってことで、会費は削減はおろか、ゼロとなった。
しかし、財源はありすぎてこまることはない。財源をさらに求めるために、俺は学校の燃料代・電気代を節減する全校的なキャンペーンを貼って、
その節減分の半分を生徒会に渡すように校長に交渉した(昨年比と近所の高校のデータからインセンティブ与えられるようにした)。
これまた、交渉成功。ってことで、節減分の半分の半分を学園祭のビンゴ大会にまわすと発表したので、
節減キャンペーンは猛烈に進んで、生徒会は豊富な財源を手に入れることとなった。
しかし、やりすぎはよくなかった。ここにきて、教師側が、広告付の紙を刷ることは資源の無駄、ビンゴ大会は射的心をくすぐるとして
俺は問題児扱いされるようになった。しかし、アナウンスしてしまった以上、ビンゴ大会はやめられないから行った。その義務感と青さが命取りとなった。
物議をかもしながら会長職も終わる10月、俺は唐突に担任から志望大学に推薦できないと言われてしまった。成績も変わっていないのに。
理由は、協調性の無さだそうだ。そして、次の生徒会長は教師側の推薦があるものが立候補ということになったとも言われた。
次の年、会費は1000円に戻り、光熱費は(多分)元通りになったそうだ。今でも思い出すと、自分の馬鹿さに情けなくなるとともに、
そんなに憤られることだったのかなぁ?と思う。とりあえず、推薦とかもなく普通に志望大学以上のランクの大学に入学して、ま、
そこそこな企業で働いて、振替休日でネットやっている今はそこそこ幸せなのでどうでもいい気もするが、心残りではある。
追記
射的心→射幸心。日本語の間違いすいませんでした。こりゃ駄目な社会人になるわけですね。
他校のデータは聞きたい高校に行って、ちゃんと訳を話せば、1週間くらいしてもらえました。
彼は私の初恋の人で、初めての恋人で、私に初めての失恋を経験させた人。私が16歳のときに彼の大学の学祭で知り合い、2ヵ月後にお付き合いを始め、私が社会人になって1年少し経つまでの7年を一緒に過ごしました。1年だけでもいいから同じ学校に通いたくて猛勉強したのに、理工学部と文学部ではキャンパスが違ったのにがっかりしたなぁ。
大学卒業後、彼は就職ではなく、遠くの学校に進学することになりました。地元に帰ってくるのは本当にたまにのことになりました。遠かったけれど、アルバイト代をためて、私も何度か会いに出かけました。
私は出版社に就職が決まり、彼は子供の頃からの夢だった職業につきました。なれない社会人生活に奮闘しながらも、夏休みには「落ち着いたら結婚します」と、お互いの親に報告をしました。
駆け出しの編集なんて奴隷だから、ボロボロになるほど忙しかったけれど、一緒に過ごす時間をなんとか捻出していました。仕事が終わってから彼の家に行き、ただ一緒に眠るだけなんてこともありました。
お互いの新しい仕事を興奮しながら報告しあったり、忙しいけれど楽しかった。
それまで、理工系で男子ばかりに囲まれていた彼にとっては、綺麗な女性の多い職場は楽しかったのでしょう。今日は職場に芸能人が来てた!なんて喜んだりしてました。
ある日、彼に「同僚に紹介したいから」と飲み会に呼ばれました。一歩入っただけで、綺麗なお姉さんと可愛い子ばかりでクラクラしました。薄化粧にGAPのジーンズ、ノーブランドのバッグの私が、とてもみすぼらしく感じられました。時計なんてGショックだし。女の子たち、みんなカルティエとかエルメスの時計してるのに。「これがA君の彼女~?可愛い~!若い~」と言う彼女たちの言葉が痛かったです。
その中でも、彼と同い年で向かいに座っていた女性、なんだか嫌な感じがしました。恋愛経験がなくても、女の勘って働くものなんですね。
両親に結婚の話をした半年後の冬、彼とお付き合いを始めて7年の記念日の二ヵ月後、彼は私の前で泣いていました。
「酔っ払った勢いで浮気して、その相手との間に子供ができてしまった」とのことでした。
相手は「やだな」と私が思った、同僚の女性でした。彼女、きっとずっとずっと、彼のことを狙っていたんでしょう。酔っ払った勢いで色仕掛けして既成事実を作って…。高校生のころから、彼以外知らなくて、合コンにすら行かなかった私では、太刀打ちできない手だれです。
彼が何を言っても、何が起こったのか、何を言われているのか、全然頭に入ってこなくて、真っ白でした。涙を流していたみたいですが、その記憶もありません。
翌日、初めて会社を休みました。現実を受け止められなくて、ただ部屋で呆然としてました。
いろんなことが頭をめぐっていた気もするし、そうじゃなかった気もします。電話もメールも取らないで、ただ、部屋でじっとしていました。
とりあえず実家に帰って、2週間ほど実家から会社に通ったこと。お母さんの切り干し大根や厚揚げの煮物を食べてポロポロ泣いたこと、彼が実家に謝りに来たのをお母さんが「そっとしておいてください」と帰したこと、彼の親からの電話を切ったあとにお父さんが黙って寝室に行ってしまったこと。友達からの「大丈夫?元気出してね」という電話やメールに、「だいじょうぶ」とかろうじて返事をしていたこと。細切れの記憶がぽつぽつと浮かぶばかりです。とにかく、人生最初の失恋は、思った以上に辛かったです。仕事に行くことで、なんとか日常生活にとどまっていられた気がします。仕事をしている間は、プライベートの辛さを忘れていられました。
彼は、責任を取って、その同僚の女性と結婚したと、共通の友達から聞きました。モデルみたいに綺麗な花嫁さんだったそうです。
彼とはそれっきりでした。共通のお友達とも、私のほうから離れていくことにしました。気を使わせてしまうのが心苦しくて。
以来、綺麗で可愛らしいけれどしたたかなハートを持った女性が苦手になり、そういう女性にころっとだまされてしまう男の人が大嫌いになりました。
出版不況が厳しい中で部数が減るばかりの編集部をやめ、アメリカのITバブルの波に乗りました。シリコンバレー発のスタートアップに「雑用でもなんでもいいから」と紛れこませてもらい、毎日が文化祭の前日のような熱気の中で働き続けました。右肩上がりの成長に興奮し、歴史的瞬間に立ち会ってることに感動しました。
プライベートでは、ずっと一人でいるのを心配され、出会いの場に連れ出されることも何度かありました。でも、合コンでは苦手なタイプの女子たちに気圧され、男の人に誘われても一線を越えることはできずにいました。それは、「また裏切られるんじゃないか」という恐怖だったり、私が”浮気相手”で他の女性を傷つけることになったら…という恐怖だったり、いろいろでした。
忙しい日々の隙間にぽっかりと時間が空くと、ものすごく孤独な気持ちになりました。年に数回、帰宅後に、彼は奥さんと子供と幸せな家族をしているんだろうな…と、レンジで温めたご飯をつつきながら泣いたりしてました。
仕事とプライベートのバランスも取れるようになってきた30歳からは、結婚や恋愛の話題を振られることもぐっと減ってきて、心穏やかに過ごせるようになりました。思い出せば胸を締め付けられるけれど、部屋で泣くこともなくなりました。
それからしばらくして、彼からの最初のメッセージがFacebookに届きました。ご飯食べに行こう、とお誘いに少し迷ったものの、「ぜひ」と返信しました。
銀座の焼き鳥屋さんで久しぶりに会った彼は、記憶の中の彼よりも随分くたびれていました。私がオバサンなんだから、彼はオジサンなので、当たり前といえば当たり前です。
楽しかった頃の話をしていたら、16の頃に戻ったみたいな気持ちになりました。手にしていたのは焼酎だけど。
お酒も進んだころ、「本当にごめんな。俺、バカでさ」と彼がぽつりと言いました。
「本当だよ。あの後、ほんっっっとうに大変だったんだからねっ!おかげでキャリアはついたから一人で生きていけるようになったけど、気づいたら三十路だよ~」と笑う私に、彼がした話は、思った以上に重かったです。
2年前から別居中であること、奥さんが妊娠したのは自分の子供ではなかったこと、成長してきても全然自分に似てこないこと、不況でリストラされること…。FBで何かあったようだとは感じていましたが、実際に聞くと重みを感じました。
「バチがあたったのかなぁ」とぼやく声が、彼のくたびれ具合を加速してました。
「そうかもしれないけど、起きてしまったことは仕方ないよ。今できる中で、ベストなことをするしかないよ。頑張れば、思い描いていたのとは違うかもしれないけれど、それなりに幸せはみつかるって」
「そうかなぁ」
「棚ぼた待ってるより、絶対いいよ」
「そっかぁ、そうだなぁ。大丈夫かなぁ」
「だいじょぶだから!」
こんな会話、彼の就職活動のときにも、社会人1年目のときにも、交わした気がします。ふと思い出して、切なくなりました。
あのとき、あのまま順調に付き合って、結婚していたら、私たちは幸せな家族になれていたのかな。
帰りの電車の中で、「S子(私のこと)と話したら元気になったよ。ありがとう」と言って帰っていった彼のことを思いました。
やっとやっと、長い間背負っていた荷物を降ろせた気持ちになりました。彼への気持ちをやっと手放せた。
あの失恋から10年が経ち、「最後にもう一度だけ」の気持ちで、結婚相手を探しはじめました。ほどなく、優しい年下の男性に出会うことができました。
アラサーというより、ミドサーといったほうがいい年齢の私にはもったいないくらい、優しくて素敵な人。順調に話が進み、今年、入籍しました。
結婚が決まったことは、彼にも報告しました。「私が人のものになっちゃうの、さみしい?」と聞いたら、「S子は幸せにならなきゃいけない人だから」と返事がきました。
私は今、夫と一緒に暮らしていて、毎日幸せな気持ちでいます。彼からのメッセージは、奥さんとの調停がやっと片がついた、でした。再び自由になったら、また、幸せを見つけて欲しいな。
追記:
今朝、はてぶを開いたら、自分の投稿が人気のブックマークに載っていたのにびっくりしました。初めての投稿が、大勢の方に面白く読んでいただけて幸せです。ブックマークしてくださった皆様、はてぶやTwitterでコメントくださった皆様、ありがとうございます。感謝です!
彼女に嫌われてから、もう何ヶ月も苦しくて毎晩のように布団の中へ泣き叫んでしまう。
彼女はぼくに対して惜しげなく好意を与えてくれた。一人の人に好かれるということを知った。ぼくも同じように好意を見せたつもりである。そのひとひらひとひらを思い起こしては切なくなる。
舞台は大学の工学系学科。その学科では、彼女とぼくは多分優秀と呼ばれる方に属している。ふとしたきっかけで仲良くなって、ごく当たり前のように惹かれ合った。そして遠ざけられてしまった。
どうしてそんな風になってしまったのか、色々なことを考える。
例えば、少し前まで所属していたサークルのことを思い出す。そのサークルは特に嫌という訳では無かったし、学祭まではそこそこ通って活動していたのだけど、学祭を過ぎるとパタリとやる気が無くなってしまった。結果的に新入生扱いされる期間中タダ飯食らいをしに行っていたことになるのだが、それが本質的な理由というわけではなくて(数万円くらい置きに行っても構わないのだがそれはそれで気味悪かろう)、そのサークルで消費する対象となるものによって成立するコミュニティ、そういうものに浸りきれなかったのだと思う。あるいは自分のコミュ力不足で単に人と馴染めなかったのかもしれない。確かにおごってもらえなくなるのがきっかけにあったのもかもしれない。今となっては良く分からないが、とにかく何かコミットしようとする気は消え失せてしまった。刹那の恋愛感情はそんな風にして失われるのかもしれない。
あるいは、ちょっと学問分野において優秀であることを格下の人に対して暗にアピールし、それによる承認感を糧としている人たち。そういう風に見える人は何となく警戒しているが、ともすると自分がそうなってしまっていて、彼女に悪い印象を与えているのではないだろうか、そんなことを考える。
はたまた、あそこでもっと自分の気持ちを率直に伝えていれば良かったとか、あんな言い方をしたせいで誤解を招いただろうかとか、延々と反省を繰り返す。彼女はやや特殊な面があるが、そのことによって迷いがあったのだろうか、仮に迷いがあったとしてその迷いをもっとはっきりした形で伝えれば良かっただろうか、むしろ彼女のそういった面を都合の良い存在としていたのではないだろうか、そんなことで延々とループする。
それとも単純に、こういう言い方をするのは決して良くないと思いつつ書くが、知的障害者のように妙に馴れ馴れしくてぼくが気持ち悪いだけなのかもしれない、という風に自分を蔑んでみたりもする。多分自分はアスペか何かであるとは思っている。
正しいものもあって、間違っているものもあって、でも全部引っくるめたところで、彼女の思いに届くことは無いのだろう。人に人の思いは分からない。少なくとも、ぼくにとって、人の気持ちはあまりに理解に遠い。彼女だって徐々に入っていたヒビを表すサインを出していたはずで、それに気づけなかったことに後悔し、だけどどうしようも無かったのだと思う。
しかしその自己分析と諦念だけならまだ良い。それだけに留まらず、ぼくは今後も彼女と仲良くすべきだと考える。色々な理由をこじつけて。
純粋に学問的な部分にしたってそうだ。まともな助言をぼくに示してくれるのは彼女くらいだ。あるいは、そうでない部分にしても、ぼくのことを正確に観察した上で的確な言葉を与えてくれる。それは間違いない。もちろん、彼女はぼく以外の誰にだってそうした力添えをすることができて、ぼくが独占する権利などどこにも無い。
こちらから彼女のことを見ると、明らかに本人が望んでいる以上に苦しいことを抱え込んでいるように見えて、少しでも力添えになりたいと思う。人間は協力し合うべきだと、声高に独善を主張したくなる。
ぼくがつまらない人間のように見えるのかもしれないが、そんな十把一絡げな学生と一緒ではなくて、自分はもっと自分自身を、あるいはこの世界を、深く考えているのだと、そんなありふれた自意識によって彼女の傍にいる権利を正当化しようとする。
こうしたこじつけは数あれど、そもそもぼくは基本的に人に関心が薄い。ではなぜ彼女に対して関心を抱くのか。結局のところ、たまたま好きになったからか。性的な欲求なのか。たまたま出会った人を愛するものだということは認めるし、それなりに性欲はある。「主たる要因」をまるで分析せずに、まともそうな理由をでっちあげて彼女と親しくあることが正しいと主張しようとする。
そう、ぼくは非論理的な態度を平気で取る。「それとこれとは違う」なんてことを考えず、自分の感情のために全てを一緒くたに主張する。そんな何もかもが混ぜこぜになった主張を一々論駁しないと気がすまない性質なのに、そんなことはお構いなしだ。いくらでも偽善ぶる。想いが先にあって、言葉なんていくらでもでっち上げられる。「恋人」という関係、近代的な恋愛感情といったものが一つの制度とするならば、自分は骨の髄から制度に侵されきっているのだろう。
別の恋をするべきなのかもしれない。そこでもまた同じように相手の気持ちを大切にできなくて同じようなことになるのもかしれない。あるいは精神科にでも行くべきなのかもしれない。もっと気楽に物事を考えるべきなのかもしれない。
これらは全てある程度正しい主張に感じられる。だけど自分にとってより正しい主張というものは、「せめて彼女と親しい友人として普通に接することができるようになりたい」というその一点であると、自信を持って言おう。
朝食は取らず、
毎日終電帰りで、帰りに松屋か富士そばに寄って軽くご飯を済ませる。
帰ったらシャワー浴びてすぐ寝る。起きたらすぐ出社。
毎日、帰りに松屋に寄って牛丼大盛りと卵、その後ファミマでファミチキを買って食べたあと、
TSUTAYAに寄ってAVを4~5本借りて自宅のHDDにリッピングして観るのが最近の楽しみというか、ストレス解消。
食べたら太る、っていうのはわかっているのだが、疲れているし今日ぐらいは…というのを毎日繰り返し、毎日後悔している。
深夜になるとお店もやってないし、できることが無い。今日はあやみ旬果とさくら結衣で抜いた。
彼女のような「細くて黒目が多い釣り目?」のような目が好きなんだが、なかなかそういう女優がいない。(居たらぜひとも教えてほしい)
タバコや酒はやっていない。酒は一滴も飲めないタイプで、タバコは服が臭くなるから嫌いだ。
もちろん、このような生活をしていれば当然いつか健康を崩すし、お陰で就職してから20キロ太った。
先日、母校の学祭に行ったら後輩数人に太ったと言われ、その事実を再確認した。
土日は幸い今のところ休めているが、
これから自分に責任が増えるにつれて土日もまともに休めなくなるのだろうか。
そう考えるとかなり憂鬱になる。
転職すれば多少はましになるかもしれないが、転職できるほどのスキルは持ち合わせていない。
それに、ここで逃げて新卒という地位を捨てて転職したら、また更にもっとひどい環境で過ごすハメになるだろう。
就活中はそれこそいくらでもひねり出せたが、今では何故か分からないが絞り出せない。
■はじめに
就活だるいよね。俺も超だるかった。でも俺は内定を3つもらった。
数年前、家庭の事情もあって、とにかく内定が必要だった。だからFランでも、とにかく頑張って内定を取らなきゃいけなかったわけだ。
普通にやってりゃ内定とれるでしょ、とか言ってる奴は、俺の頃はいなかった。本当に無い内定が多かった。中堅以上の大学のことはわからんが、俺の周りのFランではいなかった。
そうなると、マニュアルが需要を持ってくる。面接はこうしろ、とか、ESはこう書け!とか。生来捻くれもので、受験勉強もしなかった俺にはこれが全く合わなかった。でも内定が必要だったから、仕方なく色々研究して、俺独自の内定の取り方を編み出した。
というわけで、俺なりの「内定の取り方」を記述する。たぶん、就活本には載ってないというか、載せたら企業がブチ切れるだろうから。
■対象者
ポイントは、「どこでもいいから」ということ。志望してる業界があって、どうしてもそこが良くて……という奴は知らん。そういう奴は、ESだって頑張れば書けるはずだ。だって、そこに至るバックグラウンドがあるわけだから。
「なんとなくマスコミに行きたい」「食べるのが好きだから食品関係がいい」くらいの奴が、眩しく見えるようなダメ人間向けだ。
ちなみに俺は何にもなかったよ。学生時代は遊んでもいないくせに、留年しそうになって、彼女とセックスするかWiiしかやってなかったよ。大学では寝てた。たまに数少ない友達と飲んでた。楽しい学生時代だったとは思うが、人に自慢できるようなことは何も積み上げなかった。就職先もよくわからなかった。どこもつまらなそうなんじゃなくて、どこもまあまあ楽しいんじゃない?って思ってた。どうせキツくてあぶく銭ってのは変わらんだろ、という発想やね。会社に期待も失望もなかったよ。フリーターと何が違うのかな、とか思ってた。
■ES編
前置きが長くなった。まずはES。基本は、とにかく嘘をつけ。
サークルに入ってない?
そうか、じゃあ入ったことにしろ。学祭の実行委員とかにしとけ。役職は、どうせ学祭実行委員のブログとか出てくるからそこで調べて、自分にとって「スゴイ!」って思う人の役職にしとけ。
部長とか副部長でもいいけど、小心者にはオススメしない。どうしても強い役職になりたいなら、架空のサークルつくっとけ。実在しないサークルの部長なら、誰にもバレないから。
学生時代に学んだこと?そんなもんないだろ。遊び方かサボり方か、自分なんて大した人間じゃないって知ったくらいだろ。
ググれ。どんな人間にお前はなりたかった?お前が人事部ならどういう人間を採りたい?テニサー?本当に?俺ならテニサーの日焼けしたハキハキ野郎なんて絶対嫌だけどなあ。その辺は人によるか。とにかく「理想の自分」をつくれ。見た目以外は何でもアリだ。
俺は確か、ジャズ研でピアノを弾いてて経理を担当し、自分が目立つことよりも他人をサポートすることが大切だと学んだ。授業では主に人と人とのコミュニケーションについてや、歴史上の人物の行動理念などについて見識を深めることで、あらゆる立場・あらゆる人の価値を生かす方法についてよく学んだ、それは主に「相手の話に耳を傾け、相手が何をしたいか察すること」だ、御社にてこの傾聴力を生かし、懸命に頑張ることで、自分のみならず多くの人が心地よく働けるクッションのような役割を担いたい、とかそんなことを書いていたよ。全部嘘な。俺、専攻は詩を書くことだったから。サークル入ってないから。
あとはそんな理想の自分の理想の回答を書けばいい。自分にはセールスポイントが無い?そうだろうね。セールスポイントがある人間なんていないよ。でも、書かなきゃいけないから、じゃあつくればいいじゃない?どんどん嘘を吐こう!
そんで、1枚書いたらそれを使いまわすのが基本な。会社に合わせる必要なんかないから。そんなの疲れるだけだよ。どうせパラパラ見るだけさ。だから、「完璧な嘘」を1枚つくればいい。あとはそれをバンバン送れ。週に2社くらい送れ。たぶん最低でも月に2社は面接までいくぞ。
■面接編
変なことをしろ。変なことを言え。正確に言うなら、笑いを取れ。就活の面接で100点を取る必要なんてない。ぎりぎり合格ならいい。ぎりぎり、「うーん、もう1回くらい話聞きたいかな、ここで落とすのはやめとこう」って思わせればいい。それを繰り返して最終面接まで行くんだ。これ、コミュ障じゃなければ、もうES編の内容暗記して、質問の練習して数撃てばたぶんいけるけど、コミュ障だとキツいよね。目、泳ぐし、声はうわずるし、貧乏ゆすりしそうになるし。
だから、とにかく印象に残れ。あだ名がつけば勝ちだ。俺はメンヘラの彼女と付き合ってて家から2カ月出してもらえなかったときに人と人との関わり方に興味を持ったという嘘をついた。もちろん嘘でいいからな。お前が人事だったらどうだ?どういう話が来たら笑う?あだ名から逆算するのもありだ。「カップ麺」ってあだ名をつけてもらうために、カップ麺だけで生活するとどうなるかを実践して入院したとかそういう嘘ついてもいい。
印象に残れ。面接まで行った時点で、60点取れば受かる状況に来てるんだ。落ちても59点だよ。へこむことはないんだ。パーフェクトにこなす必要なんかない、とにかく練り上げた1つのエピソードだけ、家で声出して練習しとけ。鏡を見ながら目をできるだけ泳がせないように頑張れ。お前の持つ最大のパワーでいい、他人から見たらヘタクソでも、そのエピソードだけは語れるようにしとけ。
俺はメンヘラ彼女のエピソード以外はたどたどしかったけど、この戦略が割と有効で、2次への通過率は凄まじかった。そりゃただのコミュ障より、面白いコミュ障のほうがマシだからな。
捨てろ。いや、まじで。
コツは司会者になること、とにかく自分を前に出すことなんだけど、まあムリでしょ?俺もムリだったよ。ボロボロだったわ。
資料を作って持ち込むとか、そういうタイプの奴なら努力のしようがあるけど。
唯一誰でもできるコツは、「ディスカッションの答えを用意しておく」というもの。だいたい会社関係か、くだらないワークショップなんだ。前者なら、「会社とは何か」「働くとは何か」あたりの理想的な答えをググっとけ。あとはそれを1回筋道立てて喋ればオッケーだ。健闘を祈るわ。とにかく、基本はコミュ障に優しくないのがこのグループディスカッションだ。だって、コミュ力見るためにやってるんだもの。俺は10回くらいやって、2回くらいしか通らなかった。ES通過率はトータル8割くらいまで最終的に数字が伸びたから、それ考えると俺はもう最悪にコミュ障だな。通ったときは、事前に資料をつくるタイプのディスカッションだったかな。そういうものは非常にきっちり作り込みました。それは大事かもな。
60点って話をしたけど、普通の奴はこれを加算式で取っていくのね。コミュ力15点、内容20点、見た目20点、学歴10点……みたいな。詳しくはわからんけど、色んな要素を足していく。それでなんとか合格点を目指すわけだ。
でもさ、俺にはそれが厳しかった。厳しい人俺以外にもいると思う。コミュ障だし、顔も悪い。声も汚い。学歴もない。じゃあ大学で何をしたかって、これも特にない。
そこで唯一の「詰み回避」が、嘘をつくというギャンブルなの。だから、どうせなら大胆に、変な嘘ついて欲しい。どこの会社でも60点を取れる嘘じゃないかもしれない、けど、自分だったら100点つけちゃう!みたいな嘘のつき方をしてほしい。そうすれば、数撃てば、どこかにヒットする。どこか1社以外はヒットしないかもしれない。でも、別にいいだろ?「どこでもいいからとにかく内定が欲しい」わけだからな。
■最後に
俺は新卒で入った会社を、半年も経たずにやめた。どこでもいい、なんてのはたぶん嘘だったんだ。会社で働いて、ああ、クソだなと思ったよ。俺も会社もクソだわと。嘘をついて入れる会社なんてそんなもんだ。やりたいことに関わってるわけじゃないから、働くのカケラも楽しくないしな。
でも、ゼニが必要だし、親もいるし、どこでもいいから!本当に!って人はいると思う。俺はたまたま半年で辞められたけど、それまでは働かなきゃいけない事情があった。そういう人は、このように嘘をついて狡くなって、最低限の生きる金を確保してほしい。罪悪感なんて感じるな。そんな人は本当にごくごくごくごく僅かだ。
逆に、そうじゃない奴は、甘ったれんな。自己PR、本当に無いか?本当にやりたいこと、無いか?よく考えてほしい。就職したくなくて、しなきゃいけない事情がないなら、しないって選択もアリだ。就活ごときに鬱になる必要はない。嘘だけ吐いた俺が内定を取れたんだ。人事に嘘なんて分からない。分かる、って言ってる奴はそれこそが嘘だ。騙し合いでしかない。正々堂々勝負するか、嘘を吐くか、就職しない道を探すか。悩んでるなら是非まず、そのスタートから悩んでほしい。悩めるってのは、幸せなことでもあるのだ。
学祭でうちの大学にゲストで来ていた某バンドのメンバーだった。
ビックバンドの演奏を聴くのは初めてで、わーっとなりながら私は夢中で演奏を聴いていた。
その中で、ピアノを弾いていたその人が気になった。
俗にいうイケメンではないけれど、ピアノを一生懸命弾く姿がとても印象に残った。
帰宅して調べてみるとそのゲストバンドは学生団体の中では割合有名なバンドだった。
HPには各パートとメンバーの氏名が掲載されていたので、楽器からその人の名前はすぐにわかった。
ちょっと変わった名字のその人の名前をググると、個人で運営しているHPがすぐ見つかった。
その人は日々の生活のあれこれを日記に綴り、mixiのアカウントもそこで公開していた。
全く面識がないので、友達申請はできない。
だけど、ふと思い出した時にその人のアカウントをのぞきに行ったりしていた。
なぜなら日記が全体公開の設定になっていたからだ。文章に味があるのでちょっとした日記もとても面白い。
mixiが下火になるとその人は日々のつぶやきを、twitterに投稿するようになった。
mixiとtwitterでその人がいつの間にか結婚し、そして子供が産まれたのを知った。
元々恋愛感情がある人ではないので、その出来事はちょっと遠い場所での出来事だ。
その感情は誰々さんの子供が結婚したんだって、子供ももう産まれるんだってという話を人伝いに聞いた時に感じるものと似ている。
特にその人に会いたいと強くアクションしたわけではない。ただ、ネット上の投稿を眺めているだけ。
でもその期間がちょっと異常だと思う。もうその眺めている期間が10年近くになるからだ。
なんでそんなにその人の事をネット上で追いかけているのか、もはやもうよくわからない。
こういうのって相手にとってはすごく気持ち悪いよなー、と思う。
このちょっとした生活の覗き見は相手が不快感を感じたら止める。
だけど、今のこのただ眺めているだけの状況で、相手がそれを察知する事はあり得るのだろうか。
けど、地方国立と言ってもhttp://anond.hatelabo.jp/20100218122028の状況が僕と状況がまるっきり違うので、別のパターンとして書かせてもらおうかなと。
なお言ってしまうと、高専卒の多い大学。これでわかる人は結構いるはず。逆に言えば、高校からこの大学に行こうか、って言う人には需要があるかも?ないかも?
理系と文系で話が全然違うとは思うので、基記事との比較は話半分ぐらいの方が良いかもしれない。
タイトルとナンバリングは基記事と同様にhttp://anond.hatelabo.jp/20100217113611を参考にさせていただいた。
①住居
安いかと言われると、安くないと思う。
大学周辺のアパートは4万円台が中心。いわゆる、下宿みたいなところなら家賃2万以下+電気代とか光熱費が入居者の合計の割り算でかかってくる。
学部4年間は、44000円1K 7.5畳、院2年間は40000+駐車場4000円 8畳で住んでた。大学からは、歩けば10分。車で3分。
逆に、大学から離れて町中に住むと、3万円台でもっと広い部屋がごろごろあるようでした。後輩とはそういうところに住んでるね。
あと、うちの大学には寮があって、これが5000円(月、学部生の間2年間のみ)なので、こういうのは利用すべきでしょう。
結構、町の中心部や駅から離れていたから、基本的にみんな車はもっているね。だから、その分まで生活費として考えておくべきかも。
ばりばり留年する。
ちょっとでもサークルの沼にはまったやつとか、研究で途中で失敗したやつとか、履修の仕方失敗したやつとか普通に留年する。
就職が決まってようが関係ない。
それに、最後に言うように合う合わないがはっきり出てしまうので、やめていくやつは結構いると思う。
>基本的にみんなまじめっ子ばかりだからね。
>都会の大学とは違って、クソ本気で勉強しているっていう人がいない。
>地方国立大学には「第一志望落ちてここにきた。この大学マジクズww大学めんどくせえww」みたいな人間がウジャウジャいる。
いたけど、そういう人間も、この大学で大学生活を続けようと思ったら、最終的に必死にならないとやっていけなかったんじゃないかな。
あと単科大だけに、趣味が合うやつは多いからぼっちになりにくいところは有ると思う。
上を目指そうっていう気持ちがあるなら、ほかのところ行った方がいいというのは否定できないかもしれない。
でも、がんばればそういうところにもいけなくもない、そんなところだと思う。
>大学入って色々頑張りたいって思ってるんなら、地方国立大学には来ないほうがいい。絶望する。
たぶん、俺も駅弁大学へ行ってたらそんな感じになっていたと思う。
③上下のつながり
サークルは、とくに活発ではなかったイメージ。学内だけで完結してしまうものが多いからかもしれない。
他大学と連携とかは、もちろんないわけじゃないけど、さすがに地方だと限られてしまうからね。
学祭には、第○文明研究会とか出てたけど、平時に活動しているかは不明。
軽音楽なり、テニサーなり、好きなことやれば良いんじゃないでしょうか。
④個人的な意見
大学と自分の空気が合えばおもしろいと思う。ただ、空気が合わなかったらとことん最悪だと思う。
無駄に4年過ごす前に退学してほかの大学へ入学し直すとか、別の道を考えるべきだと思う。
僕は研究室の空気がマッチしてたおかげで、研究自体はそんなにうまくいかなかったけど、なんとか修了することができた(できそう)。
分野が限られているだけに、すごい学生は探せばいる。探さなくても後輩とかで勝手に出てくる。
ついでに、俺の場合は、どうせ、車がないと生活できないので、ほかの大学にこっそり行ったり、同じようなサークルがあったら声かけたりしてた。
そういうのができれば、刺激は維持できるんじゃないかと思う。
単に地方国立というと、やっぱり「県名+大学」とか、「市名+大学」がメジャーだろうけど、「地名+○○+大学」みたいなところがあるなら、十分に選ぶ余地はあると思う。
逆に言うと、専門的なことがしたいのに、そういうところが進学先の候補に入ってこないようじゃ、大学選びは半分失敗してるんじゃないかな。
⑤最後に
良い経験ができたと思う。
僕自身は工業高校を卒業して推薦で入った口なので、あまり頭がいいわけではないんだけど、特に高専から編入してくる人間達にはいろいろ刺激を受けた。
考え方がまるっきり違ったり、部活もがんばり方が今まであった人たち違う、とかの面で。
基記事の増田は学生時代は都会に住むべきというが、僕としては、地方の国立で奨学金もらって生活し、適度な頻度で都会へ空気を吸いに行くのがちょうど良いんじゃないかと思う。
特に研究室に入ってみっちり研究するような大学や学部であれば、学会発表なりで、なにかしら県外へ出かけていくこともあるだろうから、そういう時に自分のところとの比較をしてみて、自分でどうするべきかを考えた方が良いと思う。