2013-11-30

恋愛脳はしつこくて困る

彼女に嫌われてから、もう何ヶ月も苦しくて毎晩のように布団の中へ泣き叫んでしまう。

彼女はぼくに対して惜しげなく好意を与えてくれた。一人の人に好かれるということを知った。ぼくも同じように好意を見せたつもりである。そのひとひらひとひらを思い起こしては切なくなる。

舞台大学工学学科。その学科では、彼女とぼくは多分優秀と呼ばれる方に属している。ふとしたきっかけで仲良くなって、ごく当たり前のように惹かれ合った。そして遠ざけられてしまった。

どうしてそんな風になってしまったのか、色々なことを考える。

例えば、少し前まで所属していたサークルのことを思い出す。そのサークル特に嫌という訳では無かったし、学祭まではそこそこ通って活動していたのだけど、学祭を過ぎるとパタリとやる気が無くなってしまった。結果的に新入生扱いされる期間中タダ飯食らいをしに行っていたことになるのだが、それが本質的な理由というわけではなくて(数万円くらい置きに行っても構わないのだがそれはそれで気味悪かろう)、そのサークルで消費する対象となるものによって成立するコミュニティ、そういうものに浸りきれなかったのだと思う。あるいは自分コミュ力不足で単に人と馴染めなかったのかもしれない。確かにおごってもらえなくなるのがきっかけにあったのもかもしれない。今となっては良く分からないが、とにかく何かコミットしようとする気は消え失せてしまった。刹那恋愛感情はそんな風にして失われるのかもしれない。

あるいは、ちょっと学問分野において優秀であることを格下の人に対して暗にアピールし、それによる承認感を糧としている人たち。そういう風に見える人は何となく警戒しているが、ともすると自分がそうなってしまっていて、彼女に悪い印象を与えているのではないだろうか、そんなことを考える。

はたまた、あそこでもっと自分の気持ちを率直に伝えていれば良かったとか、あんな言い方をしたせいで誤解を招いただろうかとか、延々と反省を繰り返す。彼女はやや特殊な面があるが、そのことによって迷いがあったのだろうか、仮に迷いがあったとしてその迷いをもっとはっきりした形で伝えれば良かっただろうか、むしろ彼女のそういった面を都合の良い存在としていたのではないだろうか、そんなことで延々とループする。

それとも単純に、こういう言い方をするのは決して良くないと思いつつ書くが、知的障害者のように妙に馴れ馴れしくてぼくが気持ち悪いだけなのかもしれない、という風に自分を蔑んでみたりもする。多分自分アスペか何かであるとは思っている。

正しいものもあって、間違っているものもあって、でも全部引っくるめたところで、彼女の思いに届くことは無いのだろう。人に人の思いは分からない。少なくとも、ぼくにとって、人の気持ちはあまりに理解に遠い。彼女だって徐々に入っていたヒビを表すサインを出していたはずで、それに気づけなかったことに後悔し、だけどどうしようも無かったのだと思う。

しかしその自己分析と諦念だけならまだ良い。それだけに留まらず、ぼくは今後も彼女と仲良くすべきだと考える。色々な理由をこじつけて。

純粋学問的な部分にしたってそうだ。まともな助言をぼくに示してくれるのは彼女くらいだ。あるいは、そうでない部分にしても、ぼくのことを正確に観察した上で的確な言葉を与えてくれる。それは間違いない。もちろん、彼女はぼく以外の誰にだってそうした力添えをすることができて、ぼくが独占する権利などどこにも無い。

こちらから彼女のことを見ると、明らかに本人が望んでいる以上に苦しいことを抱え込んでいるように見えて、少しでも力添えになりたいと思う。人間は協力し合うべきだと、声高に独善を主張したくなる。

ぼくがつまらない人間のように見えるのかもしれないが、そんな十把一絡げな学生と一緒ではなくて、自分もっと自分自身を、あるいはこの世界を、深く考えているのだと、そんなありふれた自意識によって彼女の傍にいる権利正当化しようとする。

こうしたこじつけは数あれど、そもそもぼくは基本的に人に関心が薄い。ではなぜ彼女に対して関心を抱くのか。結局のところ、たまたま好きになったからか。性的な欲求なのか。たまたま出会った人を愛するものだということは認めるし、それなりに性欲はある。「主たる要因」をまるで分析せずに、まともそうな理由をでっちあげて彼女と親しくあることが正しいと主張しようとする。

そう、ぼくは非論理的な態度を平気で取る。「それとこれとは違う」なんてことを考えず、自分感情のために全てを一緒くたに主張する。そんな何もかもが混ぜこぜになった主張を一々論駁しないと気がすまない性質なのに、そんなことはお構いなしだ。いくらでも偽善ぶる。想いが先にあって、言葉なんていくらでもでっち上げられる。「恋人」という関係近代的な恋愛感情といったものが一つの制度とするならば、自分は骨の髄から制度に侵されきっているのだろう。

別の恋をするべきなのかもしれない。そこでもまた同じように相手の気持ちを大切にできなくて同じようなことになるのもかしれない。あるいは精神科にでも行くべきなのかもしれない。もっと気楽に物事を考えるべきなのかもしれない。

これらは全てある程度正しい主張に感じられる。だけど自分にとってより正しい主張というものは、「せめて彼女と親しい友人として普通に接することができるようになりたい」というその一点であると、自信を持って言おう。

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