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はてなキーワード: 全身麻酔とは

2017-05-10

卵巣のう腫の手術から1年経ったから、経過と感想をダラダラ書く。

卵巣のう腫は、卵巣の中になんか出来ちゃうやつ。

中身はまちまち、人によってはお腹がぽっこりするくらい大きくなったりする。

気付かないことも多いけれど、大きくなった卵巣がコロンとひっくり返って卵管が捻れたり、破裂したりすると一大事

詳しくは専門家HP読んでね。

https://jsgo.or.jp/public/ransou.html

私の場合はこうだった、というのを書く。

婦人科系の症状は個人差大きいので、あまり参考にならないと思う。気になることがあったら病院へどうぞ。

※後半に摘出した部位を食べ物に例える描写があるから、苦手な人は気を付けて


1.発覚

社会人なりたての頃に「自治体から子宮頸がん検査無料チケットが届いたから」とか「生理痛しんどい」とかそんな理由で近所の婦人科にかかった時に、ついでに発覚。

「片方の卵巣デカいですねー。卵巣のう腫でしょう。現状問題ないので年1回くらい様子見ましょう。」とのこと。

この時、痛いとかお腹出てるとかそういう症状はなかった。全然気が付いてなかった。生理痛はそこそこ重かったけど、のちにチョコ菓子を控えるようになったら軽減されたので卵巣のう腫とはあまり関係ないと思っている。


2.手術を決めたタイミング

時は流れて30代手前、「年1で」と言われていた検査のこともすっかり忘れた頃に結婚が決まり、別の病院ブライダルチェックを受けた。

特に問題はなかったけれど、そこでも言われる「片方卵巣デカいですねー」。

近所の病院に通ってた時よりも少し大きくなっていた。この時で6cmちょっと。通常は2〜3cmで、大体クルミと同じくらい。

このままにしておいても問題はないけれど、妊娠出産を考えるなら早めに取っちゃった方がいいですよ、とのこと。

やっぱり捻れたりするのが怖いし、妊娠にのう腫を取ることも出来るけど、今の内の方がリスク少ないし楽なんだって

それまで手術も入院もしたことがなくて好奇心はあったし、その場で手術が出来る病院を紹介してもらった。


3.手術の内容

私の場合腹腔鏡下手術と呼ばれるものだった。

へそとその周辺数ヶ所に開けた穴からガスとカメラ器具入れて患部を切ってもらうタイプ。術中は全身麻酔入院トータル1週間。お腹を切って開ける開腹手術よりも、術後が楽で回復が早いらしい。

「のう腫部分のみ切除します。術後の生殖能力には影響はないですよ」の言葉安心したのをよく覚えている。

ちなみにこの時点ではのう腫が良性か悪性か分からない。

担当医曰く「検査した結果を見ると良性っぽいけど、のう腫を摘出して中身見ないと分からない」らしい。

なんとなく、生理予定日を避けて手術の日程を決めた。


4.手術前に検査説明を受ける

入院の少し前、採血・採尿・心電図・肺気量・MRI……色々やった。

クリアファイルを片手にスタンプラリー気分で大きな病院内をウロウロ。

その後、手術を担当してくれる先生から説明を受けた。

みなさん手術や業務の合間を縫って時間を作ってくださったようで、とても忙しそう。

麻酔担当・手術の際立ち会ってくれる看護師さん・病棟でお世話してくれる看護師さん……他にもいらしたかもしれない。

「こんな手術します、こんなケアします、これ準備してください、もしもの場合も一応覚悟しておいて下さい、質問ありますか、では書類サインを」大体こんな感じ。とにかく書類が多い。

麻酔先生イケメン、眼福。


5.手術当日

前日夜から食事抜き。

当日朝に浣腸をした。初体験

浣腸の後、出来るだけトイレ我慢して下さいね。5分頑張って!」と言われたものの、1分で脱落。今入れたものがそのまま出てきた。無力。

病室で手術着に着替えてから、歩いて手術室に向かう。

手術室は予想に反して朗らかな雰囲気で驚いた。

ベッドに横になり、手術担当看護師さんとおしゃべりしている内に麻酔が始まり、気付いたら病室に戻っていた。2時間は経っていたらしい。

夫と親の顔を確認して、その後は丸一日眠った。

時折、看護師さんが私の股座をゴソゴソと開けてチェックし、時に拭い、そっと戻して去っていった。事前の浣腸もっと頑張ればよかった。

からは点滴、腰付近からは痛み止め用の管、尿道からは私が麻酔で眠った後に入れたらしい管がそれぞれ出ていた。

から出た管は小振りな筒に繋がっていて、痛みで辛い時に自分でその筒のボタンを押すと痛み止めを注入出来る。幸い使う機会は無かった。

点滴のおかげで喉の渇きや空腹感はないけれど、口が渇くので看護師さんが様子を見にきてくれる度にうがいをさせてもらった。


6.術後1〜2日目

手術から丸一日経つと、自分で歩いてトイレに行くくらいは出来るようになった。

多少下腹に痛みがあったけれど、それ以上に丸一日寝ていたせいで体力が落ちたのがしんどい

まり寝っぱなしでいると臓器が癒着するからどんどん動けと言われたので、トイレの他にも病室近くの談話スペースで漫画借りて読んだりテレビ観たり、ベッドから出てる時間を増やした。

食事も徐々にあからさまな病人から普通食事に変化していった。

シャワーは術後2日目頃から自分で浴びられるようになった。


7.退院

手術したのが月曜日退院予定は金曜日だったが、木曜の朝に「元気そうだから後で診察して問題なければ今日退院していいよ」と言われた。

執刀医2人と面談、診察してOKが出たので会計を済ませて退院した。こうもアッサリ終わるものなのかと大層驚いた。

退院後1〜2日はゴロゴロしていたが、3日目から散歩に出て、4日目には仕事に復帰した。元々暇な座り仕事なのですぐ復帰出来たけれど、そうでなければもう少し自宅で安静にしていたかもしれない。

執刀医と面談した際に確認したところ、のう腫は良性だった。

摘出したのう腫の写真には、髪の毛がピンピン飛び出した鶏皮の塊のようなものが写っていた。

中身は歯・骨・髪・脳・脂肪等。

流石は人間の素が入ってる臓器、中身のバリエーションに富んでる。実物は見せてもらえなかった。残念。


8.手術痕

私の場合は腹の4ヶ所に穴を開けたらしい。

へそ・へその下・そこから拳1つ分を空けて左右2ヶ所。

さな穴ではあるけれど、放っておけば勝手になくなるタイプの糸で縫合されていた。

術後数週間で穴の一つから糸が出てきて抜けた時は驚いたが、あとで正直に担当医に報告したら「別にいいですよー、また出てきたら抜いちゃって下さい」と言われてホッとした。糸が残っている間は少ししこりのようなものがあるが、気付いたらなくなっていた。

傷口の赤み・痒みは時間と共に薄れて、今では乳首色で小指の爪サイズの痣が3ヶ所あるだけになった。

いちばん大きな穴はへそに開けたそうだが、見た目は全く分からない。


9.費用

手術前が決まった頃、会社に指示を仰いで「健康保険限度額適用認定申請書」なるものを用意した。

医療費めっちゃかるというのが事前に分かっていれば、最初から自己負担限度額で請求してくれるらしい。

これを出さな場合は、かかった費用を一旦自分で全額支払い、後日全額から自己負担限度額を差っ引いた額を戻してもらう為の申請必要になる。

どっちにしろ、支払う額は変わらない。

詳しくはこのあたりを参考にどうぞ。

https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g5/cat550/1137-91156

私の場合、通院から手術まで全部合わせてトータル10万行くか行かないかくらいだったかなぁ……


10.生命保険

もちろんおりた。

それなりに女性特約をつけた生命保険だったので、今回の治療費をペイ出来るどころかあと2回同じ手術受けられるくらいおりた。月々安くない金額払っているだけある。

今回の費用を余裕で払える程度の貯金はあったのでお金については心配していなかったけれど、入院手術で心身しんどかった後にちょっとしたお金が貰えたことで少し気持ちが上向いたのはありがたい。

書くまでもないと思うけれど、貰える金額は各々の契約内容次第なので、私のもらった額は全く参考になりません。


11.その他

意外なことに、術後割とすぐ子作り可と言われた。人によるかもしれないので、同じ手術を受ける人は担当医にちゃんと確認してほしい。

生理周期もズレたりするかと思いきや、変化なし。

変わったことと言えば、他に要因があるのかもしれないけれど、おりもの臭いが軽減され、へその臭いがキツくなった。なんで?


以上です。

最初に書いたけど、あくま医療無知個人の感想なので「そんなパターンもあるのねー」くらいに留めておいてほしい。

2017-03-01

乳幼児期の全身麻酔発達障害

5歳の発達障害児がいる。

生後3ヶ月の時、全身麻酔手術。

2歳の時、再度全身麻酔手術。

自閉症スペクトラムになってしまった。

乳幼児期の全身麻酔リスク情報は、もっと世に出すべき。

2017-01-01

http://anond.hatelabo.jp/20161231224550

治療お疲れ様

闘病記って伝聞の部分はいい加減になるので注釈いれてみた。

 小児の片頭痛はどのように診断するか(周期性嘔吐症、腹部片頭痛

 http://www.jhsnet.org/GUIDELINE/7/7-2.htm

 岡山大学での新規片頭痛治療

 http://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id300.html

医者は恐らく筋緊張型頭痛だと考えられるが、念の為頭部MRIを撮るかと言ってその日のうちにMRIを取ることになった。MRICTと違い放射線ではなく磁気で人体内部を走査するもので、1回に40分ほど、1万円くらいかかった。

 3テスラ以上の機械で行うMRIは1600点である。単純計算で4800円である

 この日は初診料、採血なども加わったので1万円程度になったと考える。

そこで初めて医者から「未破裂脳動脈瘤」という単語を聞かされることになった。

 未破裂脳動脈瘤:どんな病気

 http://www.sankikai.or.jp/tsurumaki/disease/brain/miharetu.html

 絵で見る脳と神経の病気(未破裂脳動脈瘤

 http://neurosurgery.med.u-tokai.ac.jp/edemiru/miharetsu/

 未破裂脳動脈瘤について

 https://square.umin.ac.jp/neuroinf/medical/102.html

動脈瘤の原因について尋ねたが、未だによく分かっていないらしく、先天的に血管の壁が薄いところがあって、そこが年を経ていって膨らんでいくというふうに考えられているということだった。

 知られているリスク

 家族歴:1親等以内の2人以上に脳動脈瘤がある場合一般の人の4倍程度

 高血圧糖尿病高脂血症喫煙

 多発性嚢胞腎では10%程度

 40歳以下の若い時の脳動脈瘤

 歯周病https://medicalnote.jp/contents/160216-002-PZ

関東では全身麻酔でやることが多いらしいが、関西ではカテーテルを入れる入り口であるもも付け根に局所麻酔をするだけが多いらしく、関西病院だったので局所麻酔だけだった。

 治療中にどこに血栓が飛ぶかわからんから全国どこでも目が覚めたままでやると思うけれど。

くも膜下出血を起こしてからでは遅い。MRIを撮ったことがない人、特に片頭痛に悩んでいる人は一度MRIを撮ってもらうことをおすすめする。

 こういうお勧めはどうかなと思う。今回は片頭痛とは違う痛みだから医師判断でやったわけでしょ。(たぶんAVMのほうを除外したかったと思う)医者に任せよう。

 むしろ頭痛がある人は頭痛日記つけて、頭痛専門医にかかろう、ってアドバイスが良い。

 http://www.jhsnet.org/dr_medical_diary.html

 片頭痛と言われてますっていうけどそうじゃないひと結構いるよ。

2016-12-31

動脈瘤治療をした

私は26歳男性である

1年前,数日間頭痛が続くことがあり,病院に行った.もともと偏頭痛持ちで小学生くらいのころから定期的に頭が痛くなる体質だったが,そうした偏頭痛は大体半日くらいで治るので心配になったのだった.

医者は恐らく緊張型頭痛だと考えられるが,念の為頭部MRを撮るかと言ってその日のうちにMRを取ることになった.MRCTと違い放射線ではなく磁気で人体内部を走査するもので,1回に40分ほど,1万円くらいかかった.

結果が出るのには1週間程度かかると言われ,その日は家に帰った.私は緊張型頭痛だったのかと安心し,それから数日して頭痛が収まったので,MRの結果をうっかり聞くのを忘れたままそれから1年が経った.

ある日,病院から手紙が来た.手紙には頭部MR検査結果でお話したいことがあるという旨が書かれていた.頭痛はすっかり良くなっていたが,私は心配になり,1年ぶりに病院へ足を運んだ.

そこで初めて医者から「未破裂脳動脈瘤」という単語を聞かされることになった.

未破裂動脈瘤という病気がある.未破裂動脈瘤動脈血管の何らかの理由で薄くなった部分が風船の様に膨れる病気で,それが破裂すると大量の出血が起こる.この未破裂動脈瘤が脳の動脈に起こるのが未破裂脳動脈瘤である

逆に,破裂さえしなければ,瘤が相当大きくない限り(そもそも瘤が破裂せずにそこまで大きくなることは稀)何らかの症状が出ることはまったくない.また破裂するタイミング予測ができない.

脳と言っても,瘤が脳を覆っているくも膜の内側にあるか外側にあるかで破裂した場合の結果が変わってくる.

動脈瘤がくも膜の内側で破裂した場合くも膜下出血となり,1/3の患者が死亡,1/3の患者が重篤な障害,1/3の患者特に何もなく日常生活に復帰できるという話だった.外の場合は硬膜外出血という別の病気となる.

私の場合は左目の奥,くも膜の内側にあるためくも膜下出血の恐れがあるということだった.

聞かされたときはなんだか現実感がなかった.「この一年で破裂しなくてよかったですね」「そうですね.ははは」という会話をして再度MRを撮るということになった.

動脈瘤の原因について尋ねたが,未だによく分かっていないらしく,先天的に血管の壁が薄いところがあって,そこが年を経ていって膨らんでいくというふうに考えられているということだった.

タバコアルコール後天的な原因と考えられているらしいが,私はタバコも吸わないし,アルコールも一滴も飲まない.なりやすさは遺伝するらしいが,くも膜下出血で亡くなった近しい親族はいない.男性より女性の方が若干なりやすいということだったが,私は男性である.なぜ動脈瘤が発生したのかはよく分からなかった.

再度撮ったMRの結果としては,瘤の大きさは1年前と変わっていなかった.未破裂動脈瘤は破裂する前に大きくなることが多いため,期せずして1年間観察することになったが,とりあえずは安定しているように見えるということだった.

動脈瘤の手術を受けられる病院への紹介状を書いてもらい,今度からはその別の病院に通うことになった.

新しい病院で脳血管造影を受けた.これは造影剤を流すためのカテーテルを腕から脳まで入れてCTで血管の三次元構造撮影するもので,血管の様子を3Dモデルとして見ることができるという優れものである

造影剤が流された瞬間,血管がカッと熱くなるのが分かり,普段意識することのない自分脳内動脈がどこを走っているのかが体感として分かるという斬新な経験をした.

理由はよく分からないが,CTを撮っている時に,閉じている目の裏に飛蚊症のようなつぶつぶが動くのが見えた.

検査の結果,私の動脈瘤は細長い形をしており,長径が4mm,短径が2mmほど,先端に乳房に対する乳首のようにぽっちりと膨れている部分があることが分かった.

「通常5mm以下で形が均一なものは様子を見るということが多いが,君の場合は5mm以下だが形が不均一で,daughter sac(ぽっち)があり,かつ平均余命から考えて君はまだあと30年は生きてもらう必要がある.手術したほうがいい」医者が言った.「普通,君の年齢でこうした未破裂の脳動脈瘤が見つかることは珍しい.ほとんどが破裂してから病院に運び込まれて緊急手術して死んだり障害が残る」「破裂する前に見つかってよかったね」

破裂する確率はどれくらいか尋ねると,形や大きさにも依るが君の場合はだいたい1年で1%から2%くらいじゃないかなということだった.「君が80歳のお爺さんなら様子見するところなんだが」長く生きるならその間に破裂する確率は累積してやはり高くなる.

「そんなベルヌー試行みたいなことを言われても」と私は思ったが,実際そんなもんなのかもしれなかった.要は不発弾がいつの間にか脳内に埋まっていたということなのだ.

からある偏頭痛はこの動脈瘤と何か関係あるのか問うと,「全く関係ない」ということだった.「偏頭痛は生まれつきのもので,治るということはなく,それぞれの患者さんが偏頭痛の起こるきっかけを把握して予防するしか無い.ちなみに60を過ぎると起こらなくなることが多い.今は良い頓服薬があるから出しておこう」というので偏頭痛用にマクサルトという頓服薬を貰った.「頭痛があったからこそ今回動脈瘤が破裂する前に見つかったわけで,何がどう転ぶか分からんね」

私は病院からの帰り道に死ぬまでに破裂する確率計算してみた.医者が言うように1年で破裂する確率が2%とすると,98%の確率来年も破裂しないまま今と同じように生きているということだ.2年後も破裂しないままでいる確率は0.98*0.98でだいたい96%すなわちこの2年間の内に破裂する確率は100-96で4%ということだ.同様に平均寿命である80歳まで生きるとすると,残りの寿命は54年,0.98^54は0.34.34%の確率で破裂しない.逆に言えば,80歳までに66%の確率で破裂するということだ.

実際のところは破裂しても1/3の患者日常生活に復帰できるので,80までにくも膜下出血死ぬか重篤な障害によって死んだ感じになる確率は0.66*(2/3)で44%ほどと言える.

手術せず破裂しないのを祈るのは分の良い賭けとは言えなかった.

同様に,今から24時間で破裂する確率はどれくらいだろうと考えてみた.1年で破裂する確率を同様に2%とし,1年を365日とする.1日24時間で破裂する確率をxとすると,(1-x)^365=1-0.02であり,これを解くとxはだいたい0.000055となる.

すなわち0.0055%で24時間以内に破裂するということだ.後で調べて分かったが,これはだいたいスマホガチャゲーで一回の試行トップレアを引くのと同じくらいの確率である.私はとりあえず安心した.

同時に,自分って死ぬんだなと思った.幼い頃に死んだ祖父の冷たくなったゴムのような手を思い出し,それから交通事故で亡くなった小学生の時の親友を思い出した.

思い返すと,私は日々を死んだように生きてきたなあと思った.そしてこのまま突然死ぬのは嫌だなあと思った.死んだら何もかもどうでもよくなるので,生き残った場合に備えるべきだと思った.今まで研究にも就活にも後ろ向きな態度だったのを恥じた.

出すつもりのなかった研究予算に無理やり応募し,興味のある企業インターンに応募した.

動脈瘤の手術のやり方は2種類ある.ひとつは頭を割り開き外からクリップで瘤を留める方法,もうひとつカテーテルで血管の内側からプラチナ製のコイルを瘤内に詰める方法である.私の場合は瘤の位置がかなり脳の奥にあり,クリップで留めるのは難しいということだったので,カテーテルコイルを詰めることになった.SFが好きなのでいつか身体機械インプラントしたいと思っていたが,まさか治療のためにこうして脳内物体インプラントすることになるとは.

コイルが詰められた瘤は血が血栓として固まって破裂しなくなり,二週間程度で膜ができて固まった血栓が飛ぶ心配が無くなるということだった.ただし,術後二週間は血栓ができにくくなる薬を飲む必要がある.

治療過程カテーテルの様子をCT観測する必要があり,そのため長時間放射線被爆することになるが,最近機械は少ない放射線でかなり見えるようになっているので,そこまで気にする必要はないらしかった.昔は皮膚が放射線でやけどして赤くなったり,まれ白内障になったりということもあったらしいが,今はそんなことはまったくないとのこと.実際に放射線で皮膚や目に異常が起こることはなかった.

手術の成功率はだいたい97%程度ということだった.単純に考えて2年様子を見るくらいなら手術したほうが良いということだ.私は手術を受けることにした.

結論から言うと手術はうまくいった.関東では全身麻酔でやることが多いらしいが,関西ではカテーテルを入れる入り口であるもも付け根に局所麻酔をするだけが多いらしく,関西病院だったので局所麻酔だけだった.

なので手術中は自分脳内カテーテルが動いているのが分かった.血管自体に痛覚を感じる神経は無いらしく,違和感だけで痛みはなかった.術中はバルーンで血流を一部止めるということだったが,脳というのはよくできていて,一箇所を堰き止めても全体の血流が滞らないように根本の血管が輪になっているので大丈夫だという話だった.後で医者曰く,「いつもは破裂してくも膜下出血を起こして運ばれてきた高齢者動脈硬化した動脈瘤ばっかり手術してるんだけど,未破裂だし動脈硬化も無いし手術はやりやすかったよ.血栓による脳梗塞も見たところ起こってない」とのこと.

結局のところ手術のための入院で最も辛かったのは尿道カテーテルだった.脳に異物を入れるのよりも尿道に管を入れるほうが痛いというのも妙な話だが,入れるのも痛かったし,抜くのも痛かったし,抜いてから排尿するのも勇気を振り絞る必要があった(痛いが思い切って出すのがコツ).抜いた後排尿しようとして時折尿道から空気が出てくるのは奇妙な感覚だった.

手術直後は凄まじい頭痛が起こった.偏頭痛とよく似た慣れた痛みで,今までの偏頭痛では見たことのなかった歯車のようなギザギザしたものが空中に見えた.朦朧とした意識の中でこれが閃輝暗点というやつかと思った.気分も最悪で手術後にコイルの様子を見るためのMRを撮っている途中で我慢しきれず吐いてしまった(大変申し訳なかった).

翌日になるとだいぶ頭痛は収まったが,それでも一ヶ月ほど偏頭痛のような頭痛は続いた.最初の一週間は眠れないくらい痛い時もあった.他の脳動脈瘤治療をした人の話を調べると術後にこうした頭痛を起こしている人はいなかったので個人差があるようだ.

1日経って,シャワーを浴びるために頭に湯をかぶった時に,左目に奇妙な筋が走った.明るいものを見て目が部分的に眩んだような感じだ.初めは何か明るいものを見て焼き付いているのだろうと思ったが,いつまで経っても消えなかった.閃輝暗点一種だろうかと思い,しばらく様子を見ることにしたが,一向に消える気配が無い.翌朝眼科を受けたところ,左目の網膜の一部に浮腫ができているということが検査で分かった.原因は不明で,考えにくいが詰めた動脈瘤から血栓網膜の血管に飛んだ恐れがあるということだった.通常,血管にはそうした血栓を通さないための仕組みがあり,そうした血栓が目に行くことはあまりないことらしい.

私としては熱いシャワーを頭に浴びたのがよくなかったのではないかと思う.それで血管が広がり血栓が通過してしまったのではないか眼科医は「時間がかかるだろうが,浮腫は軽度のもので年齢的に若いから治る可能性が高い」と話した.神経の修復を促進するためのビタミン剤と血行を良くする薬を処方された.もしかしたら左目はずっと一部が見えないままなのかとウンザリしたが,見えていなかった左目の奥の動脈瘤という危険な穴が,命を脅かさない代償として目に見える位置に移動したのだと考えることにした.

退院後は血栓を作りにくくする薬を二週間飲んだ.応募していた企業インターンが受かったため,それから二ヶ月の間インターンに参加して企業結構忙しく働いたが,最初の方は頭痛が残っていた以外に動脈瘤治療が何かの問題になることは無かった(目も実際のところそんなに気にならなかった).痛みや症状がある内は不安で頭が一杯になるかもしれないが,少なくともそうした不安がずっと続くことは決してないということが分かった.人間適応するのだ.

それから数カ月が経ち,今現在は左目の網膜上の浮腫もほぼ無くなった.目が暗順応する過程もやもやとした揺らめきが時折視界の外側に見えることがあるが,ほとんど日常生活する上では気にならなくなっている.

また,あれだけ頻発していた偏頭痛ほとんど起こらなくなり,起こっても以前ほどの痛みを伴わなくなった.思えば偏頭痛で毎回痛かった部分が動脈瘤のある場所だったのでやはり何か関係があったのではないかと思う.

手術前に応募した研究予算はやはり燦々(*1)惨憺たる結果だったが,インターンさせてもらった企業から内定を貰ったので,来年から務める予定である

動脈瘤は年齢に関係なく成人の5%程度が持っていると言われている.ほとんどの人にとって知り合いの内の数人は持っているということだ.ほとんどの脳動脈瘤は小さく,破裂することは稀だが,それでも全ての脳動脈瘤は破裂してくも膜下出血を起こす恐れがある(というかほとんど全てのくも膜下出血発見されていなかった未破裂動脈瘤が破裂することで起こる.逆に未破裂脳動脈瘤が無い人はくも膜下出血を起こすことはほぼ無い).

くも膜下出血を起こしてからでは遅い.MRを撮ったことがない人特に偏頭痛に悩んでいる人(*2)は一度MRを撮ってもらうことをおすすめする.

たとえ,未破裂脳動脈瘤があったとしても,パニックになる必要は無い.5%は引くかもしれないが,スーパーレアを引くのは難しい.

(*1) 20170108修正コメントで多数指摘があった通り「燦々」は誤字.燦々たる結果だったらよかったのだけれど.指摘ありがとうございます

(*2) 20170108修正偏頭痛と脳動脈瘤無関係なのでこういった提案おかしいという指摘があったが,その通りである医者の言によれば,脳動脈瘤を持っている人の中には偏頭痛持ちの人もいればそうでない人も脳動脈瘤が無い場合と同じようにいるということだった.ただ,私の実体験として,脳動脈瘤治療後に偏頭痛の発生する頻度が激減したことと発生しても以前と比べて痛みが軽くなったことから,私の場合は両者には何らかの関係があるのではないかと考えている.しかしながら,これはたかだか個人体験から来た本人の推量であるので,一般的な話と考えるのは無理があった.指摘ありがとうございます

2016-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20161006110326

入院手術の経験は?」

と聞かれたら、

「眉で少々。」

とだけ答えるのが正解。

「眉のあたりにできた皮下腫瘍の摘出のため全身麻酔で手術して1週間ほど入院したことがある」

は長すぎる。

相手情報が不足していると思えば、追加で質問してくるし、

十分だと思えばそれ以上聞いてこない。

2016-07-26

きみは一休さんみたいな人だな?

anond:20160725201635

これからいくつか死ぬより大変なことを経験したら、

死ぬときバタバタせずに死ぬだけだとあっさり覚悟ができるよ。

ただ、できれば終末医療とかで苦痛は和らげてほしいとは思う。

自分場合はもう3ヶ月前かな、開腹手術中に全身麻酔が切れたとき

痛すぎて脳がブットンでひさびさに深く絶望したけれど、

2日くるしんで精神安定剤処方してもらって1錠飲んだらもうあっさり治った。

しかもこれ人生で初めてってわけじゃないんだよな、そういえばこういうの前もあったわ。

いっぱい絶望したんだろう(かなり忘れてるけど)。

喧嘩もしているしみているし。介護だってあるし。

生きなければならないほうが絶望は深いのかも。

死なんて対処社会で定められてるし本も病院もあるしで、

学習がある程度効くのと、

それ以上悪くなることはないんだからまだ楽なほうだ。

 

 

若いというのはそういう怯えも含めて若い感性情熱を持てるんだからむしろうらやましいくらい。

年をとったら怯え状態のものが病になるし耐えられないよ。

精神科行ったり皮膚科で症状が出たり具体的な対処必要事態になってしまう。

忘れるしかいから忘れるっていうか。

若い人はその怯えをも自分個性として大事にして、若い内になにかいいこと、名を残すことなどをしておいてほしい。

2016-07-15

幸せだと掴めない力

幸せだったから、その環境に満足してしまい、真剣に取り組んでこなかった。

人生ってすごくちょろいと思ってた。

でも、今、自分が窮地に立たされ、迫害される立場になった時、ようやく世の中の不条理好奇心論理的な考え方などの知力、そして力の大切さを知った。

小さい頃、大人達が口をすっぱくして説明してきたその重要さを、わかった気になっていた。

テキスト問題を素早く正確に解く能力は、必要な知力のうちのわずか一部分であって、もっと重要ものはたくさんあった。

もっと謙虚になるべきだった。

大人のいうことに耳を傾けるべきだった。

自分なんてただの石ころや雑草だと思うべきだった。

肥大した自己愛自己評価を歪めていた。

本当はその歪みに気づいていたのだけど、受け入れられなかった。

 

追い詰められてようやく受け入れることができた。

受け入れたら、やるべきことが見えてきた。

そして、いろんな力や知識を身につけた。

でも手遅れだった。

それを駆使しても手に入れられないものがあった。

手に入れるたくても締め切りが過ぎていた。

 

もし、小さい頃から今の力があれば。

今はそれを夢想することが心の支えになっている。

しかし、その支えも風化し、支柱にヒビが入り始めている。

 

自分は生まれ変わりを信じている。

空想的な概念からそう考えたのではなく、

自分自分意識観測していることや全身麻酔経験を考えると、自分という主体物質的なものに起因していると考えたからだ。

まれ変わり、運良く人間として生まれしまった場合、同じ過ちを繰り返してほしく無いという想いがある。

ほとんど0に近い確率であったとしても、わずかな望みをかけてこれを書いている。

もう迫害されるのは疲れた

2016-06-17

明日、手術を受けてくる。

明日、手術を受けてくる。


これまで30年近く生きてきて、親知らずを4本抜いたぐらいの手術歴しかなかったが、いよいよ医師の手術を受けることになった。

正直、気持ちふわふわして良くわからん

手術の名前micro-TESE(顕微鏡下精巣精子採取術)

早い話が、俺が種無しだった。

結婚して2年ぐらい、本腰入れてから半年ぐらいできなくて、試しに泌尿器科へいって精液検査したのが3ヶ月前。検査する前は、採精室に入って俺の浜崎真緒のVがあったりしてよしわかってるなと思ったとか、検査用のプラスチックカップに発射するの超むずい(皮オナ派はイク瞬間までこすり続けないとイケないんだけど最後カップにインサートしないといけないし、カップの縁がギザギザで痛いか押し付けられないけどこぼしたら終わりだし)からTENGAは楽にする器具を作るべきとか、出したての精液を看護師さんに手渡しするとかどんな羞恥プレイ?とか、「いっぱい出たね」とか言われたらどうしようとかノリノリだったんだけど、顕微鏡画像見せられてなんにも映ってなくて、さすがに堪えたね。


家に帰るまでも憂鬱だったんだけど、考えてみれば人生の中でこれまで大病も天変地異も綺麗に回避してきたから、こういうことがあってもおかしくないとか開き直って帰って家で話ししたら奥さんボロ泣きで、そりゃそうなんだけれど。で、手術の成功確率は3割ぐらいって言われたけれど、とりあえず可能性があるならかけようという結論に至り、(「手術受けます」って医師に伝えたら「そりゃそうだよね、でいつにする?最短は3ヶ月後だから取っとくね」ってすぐに言われて、果たして本当にそれでいいのかちょっと考えたけれど、あとから思えば悩んだらチキりそうだし、医師GJだった)AID精子バンク使って妊娠)はしない、なかったら「2人の」子どもは諦めるという話もして、奥さんも共に不妊治療に臨んでくれるとなって、本当に奥さん結婚してよかったなと思って。


で、いよいよ明日が手術の日で、今日が絶飲食かどうかさえ覚えてないぐらい、手術にかける思いが薄いけど、内心は結構ガクブルで、2cmほどだけどタマの皮を切るからタマヒュンもので、どうなるかわからないのだけれど、1つ救われているのは、俺がまだギリ30いってないし、奥さんも35いってないので、一般的不妊治療の進行具合よりも超絶先へ進んでいるという意味ではある意味救われているし、現時点の不妊の原因も俺の種無しが原因ってわかっている=対策できるので救われているので、むしろよかったなあと思ってる。まだやってもないけど。

気になる人は検査行ったほうが良いぞ。羞恥プレイ付きで1万円ぐらいで一通りできるしな。


そんな俺に力をください。

追記>6月18日20時

というわけで手術受けてきた。

精子いたー!!!!!!!!

うおおおおおおお、みんなのお陰だありがとう!!!!!トラバ勢残念だったなはっはっは。

忘れないうちにオペの様子も書いておく。

手術台に上がって、まずウソ発見器みたいなやつ(酸素を測る機械らしい)と左指に、右腕に一定の間隔で自動血圧を測る機械を、胸に心電図機械をつけたのだけれど、自分心拍数深呼吸や緊張具合でわかりやす上下して思わず笑ってしまって看護師さんに不審がられた。

次いで毛を剃られ消毒液を塗られるという一通りの剃毛プレイとローションプレイをやったあと、始めますって言われて局部麻酔を打たれる。医院によっては全身麻酔にしたり局部麻酔肩に打ったりするところもあるようだけど、今回はマジで局部(足のつけね)に打たれて、これが激痛モノ。もう余裕が一気に吹っ飛んだ。ぐおおおおおおとか唸るように痛みを堪える。看護師さんに力抜いてくださいとか言われたけどできるかってレベルで痛い。気を失うんじゃないかっていうぐらい痛い。

麻酔2本打ったところで痛みがなくなったので切り出したみたいなんだけど、まったく感覚はなくて、もちろん痛みもない。むしろたまに測る血圧計の方が痛い。で、精巣内の組織をどんどん取っていって、その度に胚培養士さんが処理→顕微鏡でチェックの繰り返し。局部麻酔なので何やっているかが全部聞こえてくる。やっぱり途中まではいまいちだね的なことを言われて、まあなと思っていたところ、先生が「これでダメだったらちょっと厳しい」といいながら大きめの組織を取って培養士さんに渡したのがわかった。

それが大当たりで、「元気に泳いでいるのもいますよ」とか聞こえて、先生からも伝えられてホッと一安心。その組織を徹底的に狙っていくことになって、粘って最終的には10本分取れたらしい。この辺りから麻酔が切れ始めて、横腹が走った時みたいに痛い→腹下した時みたいに痛いと変わりつつあったんだけど、もともとゲーリーなので十分に耐えれた。最後盲腸やった時(この時は薬で散らした)レベルまで痛くなったんだけど、右の丸だけで済んだのでなんとか麻酔2本で耐え切った感じ。


で、待機部屋に戻ってしばらく休んでたんだけど、手術成功ハイになってて、1時間ぐらい奥さんと喋ったり本読んだりして余裕ぶっこいてたら、ハイが切れてきて、麻酔も切れてきて、坐薬入れてたんだけど痛みが盲腸のワンランクアップぐらいして、横になるより座ったほうが楽かなと思って座ったら、血圧低下で倒れた。やっぱり油断してはいかん。


なんか痛い痛いばっかり書いてて、これから受ける人タマヒュンかもしれんが、手術時間は1時間程度だし、実際今こうやって日記書けるぐらいだし、本気で痛いのは麻酔の瞬間ぐらいだし、はてブにもあるけど女性の内診や手術、出産に比べれば屁みたいなもんだと思う。それに無事出産までいけたとすれば「俺もお腹を痛めた子だ」って言えるしw 逆説的だけど、いい経験したなと思っている。これがためらっている人の後押しに少しでもなればって思う。

2016-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20160207162812

眠るように、くーっと死ねたら最高ですよね。

全身麻酔を受けたことがあるんですが、気がつくと寝てた(死んでた 

みたいなのが理想です。

2015-12-21

これから胃カメラを飲みにいかなければならない

恐怖感で手足が冷たいよー

全身麻酔かけてくれたらいいのに

2015-06-15

不妊治療したのでおぼえがき

アラサーです。不妊治療しました。

自分達でタイミングとってみる半年タイミング指導2ヶ月→人工授精1回→男性不妊の通院1ヶ月→人工授精2回挑戦失敗→顕微受精1回で妊娠し、現在妊娠4ヶ月です。

治療期間はトータルで1年ほど、かかった費用は70万円です。

したこと、かかった費用、思ったこと、気付きなんかを書きました。

だらだら長いです。


したこと

タイミング指導
  • 半年自然妊娠を目指して頑張っていたけど授からなかったので病院に通いだす
  • 2ヶ月(2周期)通う
  • 排卵日をさぐるために1周期に2~3回かよう
  • タイミング取ってから様子見るためもう一度行く
  • 費用:1回の診察2500円×3~4回とかでだいたい1周期1万円程度。2ヶ月合計2万円
  • 感想排卵日近くほぼ2日おきに病院行かないといけなかったのが面倒だった+毎回2500円も高いなって思ってた
    • 男性医師に検診されることに関しては初めの数回を乗り越えると後は何も感じなくなりました

人工授精排卵日に精子をぴゅっと子宮に入れるだけのほぼ自然妊娠に近い方法

泌尿器科

その間も自然妊娠めざして排卵日にがんばってみたけど半年妊娠しなかったため、体外受精の功績がある病院へ転院!


不妊治療で有名な病院へ転院
検査
  • 卵管造影や血液検査などしなおした
  • 費用:2~3万円
  • 感想:正直、検査するたび出費増える(一回5000円~1万円)のは痛かった。
    • 検査って「必要です」ではなく、「確認しておきましょうか」という感覚だったりするのかなーと感じた。(今まで病院に通ったことがなかったため検査をいくつもすることってこういう感じなのか、と思った)

人工授精

体外受精 準備
  • やります!と言ったらすぐに卵とるのかなーと思ってたけど、準備期間が必要肩透かしだった。
  • 採卵のために採卵日に向けて10日間毎日ホルモン注射打ちまくった
  • 通常1個か2個しか排卵されない卵が、誘発によって30個できた…
  • 費用:4万程度
  • 感想ホルモン剤で取れる卵子の数を増やすということをしらなかったので、途中で「なんてケミカルなことをしているんだろう…」とへこむ。また、本当かどうかは知らないけれど「人生で作られる卵の数は限られてるので、大量にとれると後でつくられなくなる」という話を聞いてなんとなく怖くなる

採卵
  • 麻酔しながら採卵したのでその時は痛みはわからなかったけれど、次の日、よくわからない痛みがあった。生理痛でもない、腹痛でもない。でも、歩く振動下半身に響く痛み。
    • 「これはなんの痛みですか」と聞いたら「卵巣に針をさした痛みですよー」と言われた。そう言われてもよくわからない。卵巣に針をさした痛み…
  • さすがに仕事休みました。次の日立ち上がって動けなかった。
  • 費用:30万円ほど
  • 感想全身麻酔は怖いし、採卵痛みもあるし、気持ち的にもなんだかきつい。しばらく採卵したくないな、という気持ちになる

培養
  • 卵に精子を注入して育てる
  • とれた30個の卵、結局胚盤胞まで成長できたのはほんの数個だった
  • グレードが良かったのがひとつあったので、それを戻すことにする
  • 費用:この費用は上の30万の中に入ってます
  • 感想ネット書き込みなど見てると誘発剤で大量にできても卵の質が下がるという説もあるらしい。確かに8割以上お別れになりました。育たなかった卵の写真も見せてもらったけれど、形がくずれたものが大量に並んでいて悲しい気持ちになった

移植

結果



治療してみて、気付き

  • 男性が原因だったとしても、体に色々されて痛い想いをするのは女性なんだなぁと…
  • 自然妊娠子供できない…っておもっている時よりも、治療初めてからのほうが気持ち的には楽になれた。やるだけのことはやっている!という気持ちになった
  • 体外受精したいです!」と言ってもすぐに卵取って戻して完了!ではなかった。準備、様子見で2~3ヶ月かかる。
  • 私が説明会に行ってなかったこともあるけれど、簡単でもいいのでどういう治療手順を踏むのか知りたかった(誘発剤で卵を増やしていく等全く知らなかった)。
    • 検査もなんでするかよくわからないまま受けて、結果をさらっと聞かされてた。毎回帰ってから検索して、ジネコなどでその検査が「どういう目的で、その結果なにがわかるか」を知るという感じ
    • それぞれの病院でどのようなやり方・金額でしているのかもちゃんと比較できるようにしてほしい。それをみて病院を選びたかった。調べてみたら誘発剤で卵を増やすようなやり方でない病院もあるようだったし…。通っていた病院もちゃんと伝えたらそのようにもしてくれたのかもしれない。
    • 毎日10日とか週に2、3回通うのも大変だったのでなるべく近所の病院の方が楽そう。注射そんなに必要なんてしらなかったので、気にせずちょっと遠い病院に通いだしてしまった
  • 筋肉注射っていたい。でもうまい・慣れてる看護婦さんだと一瞬で終わるし痛くない
  • 体外受精、乗り越えないといけないハードルが多すぎて、ひとつクリアしたとしてもまだまだハードルが見えているので不安が続く
  • 膣剤は毎日あそこに指を入れないといけないの、気持ちがめげた
    • 今まで指をあそこに入れたことがほぼなかったこともあるからだろうけど…
  • 不妊治療で通院投薬すると、医療保険には入れなくなってた。入れても子宮関連の適応数年外されるみたい。
    • 不妊治療しようかなと思ってる人は保険先に入ったほうがいいです!
  • 自治体によっては不妊治療の補助が出ると思うのですが、保険適用内の部分だけなので、ホルモン剤検査に関しては自己負担
  • 実は10年前に今の旦那子供できたことがありました。その時は出産までいかなかったけれど、それがあるからここ数年で子作り始めた時も「私達は大丈夫だろー」って思ってた。なのにできなかった。加齢や生活リズムのせいかもしれない
    • なので、「できるかも」っておもっていても加齢でできなくなることもあるだろうから、いずれ欲しいと思うならとにかく早めに動いたほうがいいのだろうなと思った。なんならまだまだ働きたい人・相手が見つかっていない人なんかは話題になってた「卵子凍結」だけ先にするのもよいのではと思っていたりする
  • 不妊治療の痛みも、つわり気持ち悪さも、SNSにも書けなくて友人にも話せなくて結構つらかった。
    • 逆に一人でも聞いてくれる人がいたらとても楽になれた。感謝しています
  • 本当に、妊娠希望している人みんながさっと妊娠できたらいいのにな、と思ってます



以上です。

長々とわかりにくい説明ですみません

私もちゃんとわかっていなくて語句が間違っている点もありそう。

費用もざっくりです。

とにかく個人的目線メモなので、気に障るようなことを書いていたらごめんなさい。

私は不妊治療をはじめた時、周りにしている人はいなかったし、何も知らないままスタートしました。

もしここに書いて、「不妊治療ってこんなことなんだな」って思ってもらえたらと思い書きました。

少しでも参考になったら嬉しいです。

2015-05-08

数年間悩まされてきた顎関節症がどっかいった

虫歯と無縁だった関係歯医者に通う習慣が全然なかったのだけれど、

ガムの噛みすぎか、仕事中にストレスを感じると奥歯を噛みしめるクセのせいか、

気づかないうちに頬杖をついている時間が多かったのか、

原因はいまだ不明だが、4年ほど前のある日「なんか顎が痛いなー」と思ったら顎関節症になっていた。

生活に支障がない程度に口は開くんだけど、ハンバーガー食べる時とかに大きく開けるとバキって鳴るアレだ。

元々拳が口に入るタイプ人間だったので、それが指四本分になっても正直あまり困らなかった。

「なんかバキって言うようになった!」と調子に乗って踊りながら積極的に鳴らしてリズムをとったりして遊んでいたら、

2ヵ月ぐらい経過したある日突然、口を開けると痛くて半開きにするのもやっとという状況に急速に悪化した。

その段階でようやく調べて、自分顎関節症になっていることを把握、半泣きで最寄の口腔外科に駆け込んだ。

ところが、マウスピースを作ってもらって、翌日受け取りに行く頃には、

医者に「あれ?全然開くじゃないですか」とか言われる程度まで症状が軽くなって、

また「大口を開けたときだけバキって鳴る」状態に戻っていた。

自分より小さい医者の手だと、貫手を親指まで丸呑みにできる程度には開く感じ。

医者が作ってくれた硬質プラスチックの上の歯にはめるタイプの薄いマウスピースは、

つけて寝るように努力したものの、どうしても異物感が強くてつけている間になかなか寝つけないし、

ようやく口に入れたまま眠れてもすぐに外れるので朝になったら行方不明……ということを繰り返しているうちに、

寝ている間にどこかで挟まったのか、バキっと割れしまった。

実家母親地元で評判の歯医者に作ってもらって歯ぎしり対策に使っていたソフトタイプマウスピース存在を知っていたので、

なんとなくマウスピースが薄いのが良くなかったような気がして別の口腔外科受診することにした。

顎関節症用にマウスピースを作ってもらったけど薄くてすぐ外れて割れちゃったし付けづらいから、ぶ厚くて外れにくいのを頼む」

と伝えたところ、どう見ても前と同じ素材だけど上の歯の前面にもやや回り込む形状でちょっと外れにくい構造進化した硬質マウスピースを作られた。

コレジャナイ感を感じて、ソフトな素材はないのか?と聞くと、「顎関節症用はコレだ」というので、専門家がいうならそういうものなのかと思って引き下がった。

さらに、マウスピースを作る前に撮ったレントゲンを見せられて、

親知らずが真横に向いて4本とも生えてるから、これを何とかした方がいい。」と言われる。

確かに口の奥の方に生えかけのツノみたいなのが何本かある気がしてたけど、これ親知らずだったのか!

しかし、硬質でぶ厚いマウスピースは相変わらずつけたまま寝ろと言われても異物感ばかりで、

数週間経てば慣れると言われたのに全然つけたまま眠れるようにならないし、

たまに眠れても相変わらず起きたときにはどこかに飛んでいっているし、

なんとか眠ろうとして何度か徹夜になったり、あきらめて外してから寝たもの寝坊して仕事遅刻したりするので使用を中止してしまった。

顎関節症の症状自体カラオケで全力で歌うことができなくて消化不良になるのと、

サブウェイサンドイッチ丸かぶりで食べきる頃には顎がバキバキ鳴りすぎて痛むのと、

アクビや笑ったときにたまにバキっと鳴って不快なこと以外は大して困らないし、

なんとなく望んだ治療と違う気がして、二件目の口腔外科自分の中で信頼度が低くなってしまったので、

同僚から評判のいい歯医者情報を集めて、割とよさそうな医者を教えてもらって行ってみた。

ここまでで発症から1年半ぐらい経過。


三件目の医者は街中で、施設も新しくて綺麗だし、医者の説明も今までの医者よりダントツに丁寧だった。

歯石取りというのもやってもらって、歯科衛生士だか歯科助手だかのおねーさんおっぱいが云々という都市伝説現実だったのだと知って同僚に感謝を捧げた。

それどころかおっぱいが頭にあんまり当たるというか、いっそ頭に乗る勢いなのでさすがに申し訳なくてモゾモゾ逃げようとすると、

そのことに気付いたおねーさんちょっと照れながら「ごめんなさい、でも動かないでくださいねー///」とか言われてギュッと押さえつけられる始末。

おっぱいカバーの下側に入ってるワイヤーらしき硬質な感触と、それでは隠しきれない柔らかさと確かな重みを額に感じる。

なんだこれは、保健の効く範囲内でおっぱいを押しつけられた上にそのことを謝罪される空間なんて現実存在していいのか!?

っていうか虫歯のある奴らは今まで「歯医者めんどくせー」とか言いながらこんなメにあっていたのか!?チクショウなんて奴らだ!

問診で経緯は伝えたものの、相変わらず「全然開きますね……」と医者に苦笑されるくらいには口が開くし、

正式に転院しているわけではないので再度レントゲンを撮ったところ、

顎関節症親知らずが原因かもしれないからマウスピースは一旦置いておいて親知らずを何とかした方がいい。」と言われた。

「じゃあそれで」と返事をして治療プランを具体的に作ろうとしていたら奥から院長が出てきて、

親知らずが真横すぎてウチの設備では対処できないので、大きな病院を紹介します。」と言われて紹介状を書かれてしまった。

結局この病院には定期的に歯石取りにだけ通うことになったのだけれど、

歯磨きを頑張っていると、おっぱいが的確に褒めてくれるという一点に絞ってもとてもいい病院だったと思う。

その後引っ越して通えなくなってしまったけれど、その間に俺の歯茎は劇的に健康になった。

俺は今もおっぱいの教えを守って歯磨きをしている。

予約を取って大病院に行ってみたところ、

相変わらず顎関節症については「開いてるじゃないですか……」と言われ、親知らずは「見事に真横ですね……」と言われる。

親知らずは、4回通って1本ずつ抜くプラン、2回通って上下または左右で2本ずつ抜くプラン

1日入院して全身麻酔で一気に4本抜くプラン提示されたが、若干家から遠くて面倒だったので1日入院して一気に抜くことにした。

入院して、手術室に入り、看護師さんにきれいな手ですねー、爪がきれいでうらやましい、とか言われてる間に意識を失って、起きたら親知らずは無事全滅していた。

医者からは「一気に抜くともっと腫れる人が多いのに全然腫れてない、本当にあなたは運がいい。」と心底残念そうに言われ、大病院を後にした。

その後しばらくは抜糸や経過観察のために通ったもの特に問題はなく、

顎関節症についても「ウチで作っても同じタイプマウスピースになる」

「十分開いてるし、親知らずを抜いたことでバランスが整って治る場合もあるから様子見」と言われてしまい、

一応硬質マウスピースを再度作り直してもらったけれどやっぱりイマイチなじまず、

顎の筋肉をほぐす体操を教えられてその大病院とは縁が切れてしまった。

その後、まあ実際そこまで困っていなかったので顎関節症放置し、

前述の通り引っ越したりしたのもあって、また歯医者のものと縁がない暮らしに戻ってしまった。

ところが、最近になって何度か開閉していると顎がすぐ痛くなるようになったり、

平常時でも顎のあたりに感じる違和感が強くなり始めて、やっぱり顎関節症をなんとかしたいと思うようになった。

しかし口腔外科は大病院でも硬質プラスチックマウスピースだったし、

硬いマウスピースはどーも合わないし……と思うと病院探しも億劫になる。

というかもう「治したい」というより、「ソフトタイプマウスピースが欲しい!」という気持ちになっていた。

売ってた。ドラッグストアで。

お湯につけて柔らかくなったマウスピースを噛んでから冷やせば形状記憶するというもの

歯ぎしり対策用としては割と一般的に売られていたらしい。

医者はどうも作ってくれないし、千円ちょっとだし、もうこれでいいや、と思って買うことにした。

説明書通りにして使ってみる。寝床に入って装着。やっぱり異物感があって眠れない。

グギギ。グギギ。マウスピースを噛みしめながら深夜3時まで粘ったものの眠れないので外して寝た。

なんか軟質なのでつい必要以上に噛みしめてしまう気がする。

ミントの味とか染みだしたらいいのになー、などとしょうもないことを考えた。

若干オーバーサイズマウスピースの端が擦れるダメージにも、おっぱいの教えを守って鍛え抜いた歯茎出血することなく耐えてくれた。

翌日も、翌々日も、同じことを続けた。

三日目の朝。異変に気付く。

あくびをしても顎が鳴らない。

わず顎を外す勢いで口を開く。鳴らない。

拳を咥えてみる。鳴らない。

それどころか顎にずっとあった痛みも違和感もない。

数年ぶりに顎関節症から解き放たれた俺の顎がそこにあった。

ハンバーガーをチマチマかじらずに蛇のごとく縦にかじってみた。痛くない!

ヴァーティカルバーガースタイルを選べる自由を得た喜びに震えた。

足が遠のいていたカラオケに行って思いっき歌ってみた。痛くない!

久しぶりに新しい歌を覚えたくなった。

結局のところ、どういう理屈顎関節症が消え去ったのかは自分でもよくわかっていないものの、それ以後も俺の顎は好調のものだ。

俺のように、治らないものだと半分諦めている顎関節症患者も多いと聞いたので、

こんな感じで治ることもあるんだということを知って欲しかったので書いてみた。

自由を取り戻した顎は大変心地が良いものだ。

最後まで読んでくれてありがとう

京都市在住の人は、是非おっぱい歯科を探してみることをおススメする。

2015-01-14

28歳、自然妊娠できないと知らされてから出産までの約1年間

記録しておく。

25の時に結婚。いつ妊娠してもいいので結婚式から避妊はせず。

しかし2年たっても妊娠しない。

体調は夫婦ともに悪くなかった。

私は生理もきちんときていた、たまに生理痛が辛い時もあったが、病院にかかるほどではなかった。

まる2年妊娠しなかったので、不妊治療系の婦人科に行った。

初診で問題はなかった。旦那精子を追って提出した。

2回目の診察の時に、旦那の結果を知らされた。薄いと告げられた。

それが問題でしょう、とのことだったので、人工授精になると思った。

その後で、私の卵管のチェックをした。両卵管閉塞だった。自覚0だった。痛みも不調も何もなかったから。

人生で一番凹んだ。”自然妊娠できない体”というのがショックで、悲しくて泣いた。鏡で自分の姿を見るのが辛かった。

凹みながらも、もう体外受精しか道はない(手術で卵管を通すこともできるが、それはオススメしないとのことだった)ので、翌週から仕事休職し、治療に専念することにした。

勢いだった。もちろん仕事をしながら治療する人も多いと思うが、リーダーという立場上、自分の心がもたなさそうだったので思い切って休職した。

体外受精は、卵子ホルモン注射などで増やし、それを手術で取り、精子とくっつける。

2〜3日に一度病院に通い、痛い注射を打った。打った後は体はぐったりした。

約1ヶ月調整し、手術をして卵子をとった。全身麻酔で、午前中手術をしたら午後に帰れた。

できた受精卵は3つだった。もっとできると思っていたので少しがっかりした。

その月に受精卵は戻さず、すべて凍結して翌月以降から戻していった。

1回目、ダメだった。ショックだった。

2回目、妊娠反応が少しだけでたが、ダメだった。妊娠反応が出たことで、1回目よりはショックではなかった。

3回目、妊娠した!しかし、初期は流産も多いと知っていたので、あまり喜べなかった。5ヶ月ぐらいになった時、やっと少し喜んだ。

体外受精をする!」と決めてから妊娠反応がでるまで半年

その半年はすごく辛かったが、半年で済んでよかったと思っている。

私は「卵管閉塞」という体外受精直行不妊原因だったので短くて済んだのだと思う。

原因不明や、女性ホルモン系の不妊になると、タイミング療法→人工授精体外受精、とステップを踏まないといけないので時間がかかるからだ。

そこから約9ヶ月、無事出産できました。

育児はそれなりに辛いけれど。

現代じゃなかったら、私は子供産めてないのかなぁと思うと、現代医学感謝してもしきれない。


妊娠しないなぁと思っている人には早く病院に行って欲しいです。

私ももう1年早く行けばよかったなと思ったりします。


忘れないうちに、記録でした。

2015-01-10

交通事故特殊

長いけど勘弁な。

なぜか生き残らされてしまった話。

始発前の超早朝が出勤時間帯、なおかけで通勤バイクだった。

当然、そんな時間帯だし走るのは二車線の直線。

見晴らしのいい街道から制限速度ちょい超えるくらいのスピードで走ってたんだ。

まあみんなやってる程度の速度超過。

仕事終わりは当然車の量も増えてるからフツーに走って帰宅

レンタルショップスーパーで買い物等々、寄り道なんかしてね。

そんな日常を繰り返してた。

で、ある日疲れがたまってたのか寝坊した。

もちろんソッコー着替えていつもより飛ばしたよ。ただ気が急いてたから正確なスピード分からん。後々ブレーキ痕で判明するんだけど。

信号スムーズに行けよ。とか思いつつ出発。

しばらくして大きめの交差点横断歩道シマシマ模様が見えてくる。

視界を少し上に向けて信号は青。少し左に振って歩行者信号の点滅もなし。アクセルは緩めない。

と、なぜか右から左おっさんぽい人影が動いてくる。対向車線のど真ん中。赤信号のはずなのに。

え?信号無視

直進の信号が変わった?

もう一回視線を上に青信号確認

正面に視界を戻した時には

あいつまだ歩いてる!」

「え?小走りになってね?」

「ホーン!!ブレーキ!!」

おっさん気付けよ!!!!!」

ってのが0.5秒ぐらいの間に一気に頭を駆けまわり必死操作する。

ブレーキにギャッ!ってバイクがきしむ。

けどもう間に合わない。

ホーンにも気づかず正面きちゃったようわぶつかるまじかよ全然気付かねーよどーなんだよドン!!

ここから数秒ぐらい記憶が飛ぶ。

全身を強く床に打ち付けられるとしばらく動けなくなる経験ってないか?

ガキの頃少し高めの場所から飛び降りようとして失敗したとかさ。

エビ反ってウンウンしちゃうの。あるだろ?

アレの強烈版だった。

呼吸が出来ず、うー。うー。って唸りながら身動きがとれない。

けど何とか、ゆっくりだけど腕は動く。

真っ暗だった視界がゆっくりと明るくなってきて真っ黒な血だまりが目に飛び込んできた。

おまけにどうやら俺の顔のどこかからまだポタポタと血がたれ落ちてる。

そーゆー時って不思議なもんでまず口元に手を当てるのな。

ドラマで何かに気付いて「ハッ!!」ってやるみたく。

俺はジェットヘルを被ってた。

で、どうやら下顎から思い切りアスファルトダイブをしたっぽい。

そっから出血してるのか?コレまた不思議なもんで無造作に口元に指先を当てた。

手触りでいつもの形と違うのが分かる。

もう滅茶苦茶な造作になってて血でヌルヌルして唇が避けてるな。

前歯もぜんぶねーっぽいぞ?それにしても出血ひどくね?

上顎が痛い。

変な感じがする。

手を突っ込んでみると折れた下の前歯が上顎に突き刺さってるのがわかった。つまみ出す。

なにこれ?俺ヤバイじゃん。とかぼんやり考えてた。

でも身体は動かず、唸りながらも「おっさんどーなった?」と身体を何とかよじらせて見回したけど視界に入らない。

そーこーしてる間に「おい!ひでーぞこれ!大丈夫!?」なんて声が聞こえてくる。

どうやら通りがかったドライバーが駆け寄ってきてくれたらしい。

なにか話しかけてくれてたけどその時俺は顔、滅茶苦茶になっちゃったのか?ってのと、人身かよまじかよつー二種類の恐怖を味わってた。

折口の中に手を突っ込んで様子を探ったりしながら「ダメっぽい。そーれより相手の人はどーなってますか?」って話してるつもりなんだけど唇がめちゃくちゃになってるから上手く話せない。

このとき記憶はおぼろにあるけど後はとぎれとぎれ。

気付けば救急隊員が目の前にいて質問してるけどうまく答えられない。

そのまま意識飛んだのか今度は病院ストレッチャーに載せられてる。

看護士医者の「よいしょ!」って掛け声とともに処置用のベッドに移し替えられ、速攻で唇を縫われてる感覚はあるんだけど、だんだん周りの声が聞こえなくなってくる。

視界が狭まってやがて真っ暗になる。漆黒の闇ってやつだ。

感覚だんだん鈍くなる。全身麻酔なんてしてないのに。

あれ?死ぬか?

臨死体験ってのはこういったものなのかもしれない。

よく耳にするけどホントあの時は「恐怖感」ってのが全然なかった。

あー、このまんま消えるのか俺。ぐらいの軽い感じ。

過去を振り返るとかそんな余裕もなく意識、つーか思考が徐々に小さくなっていく。

気が戻ると入院棟の、あのフカフカベッドに横たわってた。点滴つけられて。

あ、まだ生きてんだ俺って思ったな。

後になってケータイ見て驚いたけど、その時自画撮りしてんだよね。

せっかくだからとか生還記念に、とかバカなこと無意識ながら思い付いてやってたのかもね。

パンッパンに顔を晴らした朝青龍みたいな俺が写ってた。

ここから少し端折る。あと自分に起こってることとはい記憶とんでるのと医者からの後聞きなので「らしい」とか「っぽい」みたいなボンヤリした書き方になるけどスマン。

聞いた話だと病院に運び込まれた時、本当に俺は死にかけだったらしく、くも膜下出血顔面多発骨折の状態で、頭部(脳?)にあまり刺激を与えたくないから唇は最小限の処置だけされてた。

当然即入院

でもって外科の前にまず生き死にだろってことで脳外科の病棟へ。

運良く運び込まれたのが某大学病院だったから各科との横断的な治療を受けることができた。

そんで顔面からダイブだったってことで不幸中の幸い、頭部以外は外傷ほぼなし。

気になる顔面の壊れ具合はつーと下顎と鼻の下の骨がパックリ縦に割れてた。

下唇は顎の途中までバックリ断裂。

事故後、初めて鏡見た瞬間「ああ、もう前の顔には絶対戻らないんだな」ってガックリきたよ。

イケメンでもなんでもないけどコレまで付き合ってきた自分の顔は一生見れないんだから

毎晩寝るとき「このまま二度と目を覚まさないんじゃないか?」って死の恐怖に襲われてた。

1週間ほどで脳内の影も消え、異常なしって診断貰って今度は顔面の修理。

ハリガネみたいので歯を縛り固められ、ユルユルだった骨折部分が多少落ち着いたら今度は手術。

臨死体験をした身としては、またあーなんのかな?とか思う間もなく深呼吸数回でサクッと落ちた。

手術は無事終了。

チンコ差しまれたションベン管も「あ、あああ、あああああ~~~~……」ってな感じで引き抜いてもらった。

術後しばらくしてからレントゲン見せてもらったけど顔のあちこち、少なくとも10所以上はボルトが埋め込まれててサイボーグになった気分。

入院してから一ヶ月近くが経ってた。

手術までの間、何度も事故ったおっさんの事が頭をかすめた。

見舞いに来てる家族にもどうなったのか尋ねたけど「全身打撲で入院してるみたい。まずはアンタの代わりに謝罪してきた」てな返事。

助かったと聞いて胸をなで下ろす。

とにかく当事者の俺が謝罪しなくちゃなんない。けど手術もある。

向こうも落ち着くまでしばらくかかるかもしれないし、間を置いて謝罪した方がいいのかも。

あーそうか人身だよな免許取り消しだろうなー。とか思ってたな。

そーこーしてる間に移動はまだ車椅子だったけどだいぶ落ち着いてきた。

退院の日もほぼ確定。まずは第一段階終了かー。

みたいに一息ついて母と話してる時「相手の方、実は即死だったの」と言われた。

そう。俺は殺人者になってた。

でっかい溜息が何度も出てくる。わけがからない。

母が言うには「手術前に精神的ショックを与えないように警察からアドバイスされてた」とのこと。

けど俺が生き残っておっさん死ぬってどーゆーことだよ天秤が吊り合わない。

落ち込みまくること数日。交通刑務所行こう。償おう。そう考えるに至った。

口の周りは神経が切れてるから動くけど痺れは10単位回復していくと言われ、無くなった前歯はブリッジ入れ歯がはめられた。

そんなこんなで事故から二ヶ月にようやく退院

ホッとする間もなく警察から連絡があり取り調べたいという。実況見分も。

日程が決まり取調室でここに書いたような話をし、事故現場に足を運んだ。

ブレーキ痕から事故当時の速度は65キロだという。

それ以前に正面衝突の衝撃で血がこびりついたスピードメーターは65キロをさしたまま潰れてた。

おっさんも俺も40メートル近く吹っ飛んだそうだ。ホットロードどころの話じゃない。

フレームがひん曲がったバイクはもちろん廃車にした。

事故現場に立てられた目撃者求む、の立て看板からは数件の目撃情報があったという。

街道交差点だっつーことで設置されてた監視カメラにも事故映像が残っていたらしい。

事故担当してくれてた交通課の担当者検察局の検事は同じことを言った。

「目撃情報カメラ映像も、どう見ても飛び込みなんだよねー。そしてあなたはホーンも鳴らしてるしブレーキもかけている。避けられない事故ってのがあるんだよ。どうしても」

真相はわからない。

相手の方が亡くなっている以上、警察にも、もちろん俺にも飛び込んだ理由を問うても答えは出てこない。

運転ミスじゃなかったのか?

飛ばし過ぎじゃなかったのか?

もっとからブレーキかけられなかったのか?

結果俺は人を轢き殺したにも関わらず無罪になってしまった。

一方、免許証人身事故の最悪のやつだから当然取り消し。

1年間免許取得出来ません。つー欠格期間が付けられた。

そして保険

個人情報関係で詳細は知らされちゃないけど、相手の方は生活保護受給している65歳の男性だった。

役所その男性の担当をしている職員と警察の間で情報の交換をしたけど、どうも故郷家族とは30年近く連絡をとっていないっつー状態。

なんとか調べて見つけた家族事故で亡くなったことを伝えても「家を捨てた人の死には関わりたくない」てなスタンスだとか。

なんでそーなるんだよ。

もちろん前述のように個人情報の都合で俺から先方のご遺族へ謝罪する、どころか訪ねていくことさえ一切できない。

どうやってこの罪の意識を背負い込み続けていけばいいんだっつって軽く絶望した。

事故の夢を時々見てはうなされる。いっそのこと交通刑務所にぶち込んで欲しかった。

事故現場に献花して冥福を祈るくらいじゃ全然気持ちが収まらない。

ひどい話かもしれないけど、罪を償って少しでも気持ちを楽にしたかったってのが正直なところ。

半年ほど合間を見ては警察に連絡したり足を運んだり。ご遺族の状況を尋ね続けた。

保険金を受け取ってくれないかと、何とか伝えることはできないものか。

最終的には保険会社が間に入ってご遺族を説得したのか、ご遺族内でなんらかの気持ちの変化があったのか、保険会社と何度か書類のやりとりを済ませ、無事ご遺族に保険金が支払われた。

で、保険金が支払われたからといって俺の精神状態は全然落ち着かなかった。

顔面に埋め込まれボルトを抜き取る再手術入院とき主治医相談してメンタルヘルスを紹介してもらうことになった。

結果、鬱傾向にあると診断された。

正直落ち込みは激しい。っつか波がかなりある

事故から2年ほど経つけど免許証はまだ取得する気にはなれない。

メンタルヘルスにゃいまも通院してる。

事故のことを知らない久しぶりに会う知人に「おや?」って感じで顔を凝視されるのはつらい。

ビートたけしはどうやって気持ちを持ち直したんだろうか。なんて考える。

もし仮に、あのおっさんが世をはかなんで飛び込み自殺したんだとしたら。

自殺は増え続けてるってゆーよな。

けど死にたい奴はひとりで富士樹海にでも行ってひっそり死んでくれ。

誰に何が起こるかなんて誰にもわかりゃしないけど、死の方向に他人を引っ張り込むような真似だけはやめてくれ。

単車載ってる奴はフルフェイス被れよ。まじで。

エラソーかもしんないが、この話が教訓になればいいけど。

おっさん冥福を祈る。

2014-10-14

犬が死んだ

ただただやりきれない。

電車に置き去りにされていた子だった。痩せ細ったパピヨン

駅に届け出て警察相談して飼い主さんの登場を待った。1ヶ月経ち2ヶ月経ち3ヶ月経ち、でも駅にも警察にも保健所動物愛護センターにも

どこにも問い合わせはなかった。

保護している間に健康診断を受けた。膀胱結石があった。

石の育ち方から少なくとも1年以上は放置されていたものだろうとの事だった。

これ以上石が育って尿道を塞いでしまったら腎不全になる恐れがある。

血液検査の結果、体の炎症を示す値も高かった。

ただ獣医師によると推定年齢が8~10であるし、やせ細ってしまっているので今すぐ全身麻酔を行う手術を行うのは躊躇われるとの事だった。

あと10日間で所有権が私にうつる事もあって、手術の日にちは11日後とし、それまで体重増加と体力作り(といっても朝晩散歩に行くぐらいだけど…

に努めることになった。

手術の日が来た。朝ごはんは抜き。

病院までちょっと遠回りして行った。散歩が好きな子だった。短い脚をちょこちょこ一生懸命動かして歩く子だった。

術後、5日間は入院になると事前に説明されていた。しばらくお散歩に行けないからね、と、でも体に負担をかけないように抱っこをして公園を一周した。

手術は3時間に及んだそうだ。子宮の酷い腫れも発見され、予定していなかったが急きょ子宮を取る手術も行ったとのこと。

手術が終わり、麻酔からも覚めることが出来た。夜、面会に行った。元気だった。

入院1日目。面会に行くと尻尾ブンブン振って出迎えてくれた。元気だった。

入院2日目。面会に行くと後ろ足で立ち上がって出迎えてくれた。抱っこをせがみ、点滴の管が外れるほど動き回っていた。

エリザベスカラーをしていた。獣医師に訊いたら、くるくる回ってカテーテルを体に巻きつけてしまうので防止にエリザベスカラーを付けたとのこと。

入院3日目。少し元気がなかった。抱っこをするとずっしりと重く感じ、お腹パンパンに腫れていた。

入院4日目。元気がなかった。あんなにフッサフッサと揺れていた尻尾がたらん、と垂れ下がっている。

それでも名前を呼んでアイコンタクトを取ると少しだけ尻尾を持ち上げてくれた。お腹パンパンだった。

明日夕方、予定通り退院出来そうです、と獣医師に言われた。

元気のなさが気になったが、翌日退院できるということもあって10分ほどの面会の後帰宅をした。

彼女が生きているのを見たのはそれが最後

その日の夜、病院から電話があった。突然悲鳴をあげて倒れ呼吸が止まっている、蘇生処置をしているからすぐに来てほしいとのこと。

傘も忘れて病院に走った。あんなに走ったのは小学生以来。

病院について診察室に駆け込んだ。そこには四肢を投げ出して横たわり、心臓マッサージを受ける姿があった。

名前を呼んだ。とにかく呼んだ。本当の名前はなんだろう、この子は置き去りにされるまで何と呼ばれていたんだろう。

本当の名前で呼びかけていたらひょっとしたら戻って来たのかもしれない。わかんないけど。そんなことを1夜明けた今思っている。

先生心臓マッサージの手を少し止めるととたんに心電図の数値が乱れる

心臓を動かす薬は全て入れたそうだ。

お尻に手を当ててみた。少しずつ体が冷たくなっていくのがわかった。

これはもうダメなんだなと思った。

先生は「これ以上はもう…」と口にした。20分間の蘇生処置。戻ってこれなかった。死んでしまった。

死因は心臓発作だった。心因性の可能性が高いらしい。

元気になったら家でお迎えをするか里親さんを探すかは決めかねていた。

から私は彼女ママにはならなかった。だけどママになってあげればよかった。

亡骸に「ママだよ、私がママだよ」と声をかけてあげても、もう遅い。

一緒に暮らした間、自分の犬同然にケアをし可愛がったけれど、もっと早くに自分里親になるという決断をしていればよかった。

そうしたらちょっとは頼もしかったのかもしれない。医学的には根拠のない発想なのかもしれないけれど。

前の飼い主がもっと早くに結石に気づいていれば、服薬で治療出来ただろう。

前の飼い主が避妊手術をしていれば、子宮病気にならなかっただろう。

そうすれば今回の手術は必要なかった。身体に負担をかけることもなかった。

歯もボロボロだった。涙やけもよだれやけも酷かった。日常的にケアをされていなかったのは一目瞭然だった。

台風一過今日は晴れ。本当なら今日夕方退院だったんだ。

帰ってくるはずの日に旅立ってしまった。

どうしてこんな小さな体の、ただひたすらに一生懸命に生きている子がこんな運命を辿らないといけないのか。

手術を決断しなければよかったのか?もうちょっと経ってからの方がよかったのか?でも膀胱の中にあんな大きな石を抱えたまま

過ごさせるのか?

どうすればよかったのか、わからない。ただ、もう何もしてあげられなかった後悔だけがつきまとう。

全てはこれからだった。退院したら。元気になったら。そしたら。

虹の橋を渡った先で、どうか幸せになりますように。

痛い思いも怖い思いもせずに、おいしいものをたらふく食べて遊び回れますように。

切に願う。

全国にこんな思いをしている子は何百匹いるんだろう。

もう犬の飼育免許制にすりゃいいのに。

2014-10-04

ゆううつのゆくえ

訳もなく悲しい。テレビで笑っている人が浅はかに感じる。仕事で”何でこうしたか経緯だけ聞かせて?”と聞かれるだけで涙ぐんでしまう。目の奥がジンと痛いような頭痛が続き、鉛を背負っているように体はだるい。大好きな曲も色あせて聞こえる。食欲だけは旺盛で、鬱屈した気持ちをどうにかしようと食べる、食べる、食べる。

深夜残業をして家に帰れど1人。部屋は散らかっている。美しくも、可愛げもない、貧弱な体をした二十代半ばの女。恋人もいない。出来合いのお惣菜を食べながら、わたしはこのまま生きている意味があるかと考える。かといって死ぬ勇気もない。昔全身麻酔をかけたことがあるのだけど、あの時のような眠るように意識が飛んで、起きたら不安要素の一つもない素晴らしい世界ワープしていないかと考える。誰も直に私を傷つけているわけではないのに、只々つらい。消えてなくなりたくなる。ベットに入るが寝つきは悪く、新聞配達バイクの音が遠くに聞こえ、焦りが余計眠気を飛ばししまう。寝不足のまま体にムチをうち、仕事に出かける。

そうこうして暮らしているうちに、下腹部の痛みが続き、もしかして…と思うと生理がやってくる。これがわたしのPMSである。毎月ある期間になると、この世の終わりぐらい落ち込むことがあって、生理が始まるといつもの能天気なわたしに戻る。使うかどうか未定の子宮のサイクルに、否応なしに巻き込まれるのは余りに理不尽である

また生理が始まれば、いつもの私に戻れるのか。毎月”今回こそこの鬱を乗り越えられないかもしれない…”と絶望的になりながらも、生理になるとケロっと忘れてしまうんだけど、(生理が始まらない)今とてもそうは思えない。

かといって、男性は楽だとも思えない。何十年も定年まで働かなければならないプレッシャーや、実力社会生理がない分強い性欲のコントロール根性なしの私では太刀打ちできなさそう。

女性もつらい。男性もつらい。生きるのはつらい。本能コントロールできないのがつらい。

2014-06-01

妻が中絶するまで

まさか自分がこんなことをさせる側になるとは思わなかった。

・経緯

結婚から結婚後数年はセックスの頻度も多いほうだったと思う。最近は回数は減ったものの、週に1回以上はしていた。コンドーム射精の時に使うだけで、挿入は生でするのが基本だった。(自分勃起時間が短いので、コンドーム装着中に萎えしまうことが多く、ついついそのまま挿入してしまっていた)

それでも妊娠することはなく、お互いに「不妊なのではないか?」と思うほどであり、ここに油断があった。あるとき我慢出来ず、中で出してしまった。

妊娠発覚から中絶決断まで

から生理が遅れていて、検査薬を使ったところ反応が出たことを聞く。驚いたが、父親になることを覚悟した。しかし妻は中絶希望した。理由は二つ。現状では仕事との両立が難しく、退職も簡単にはできない状況だということ。また準備した上ではない妊娠では、精神的及び肉体的な負担考慮しておらず、子供健康状態にも不安があり、母体ベストな状態で産みたいということ。

自分はすべてを万全な状態で産むことなど出来るはずはないわけで、中絶による母体への影響も考慮して、産むという選択肢はないかと提示したが、妻の意思は固く、自分が産むわけではない以上無理やり産ませることは無駄だと思い、最終的には中絶に賛成し、産婦人科受診した。

中絶決断の時に感じたこと

中絶させた際に思ったことは「次の妊娠ができなくなり、あのとき子供をもてばよかったと後悔するかもしれない」「母体ダメージがあるかもしれない」「子供をもったとき、生まれなかった子供比較してしまうかもしれない」「出産前とはいえこれも一種の殺人なのでは」ということだった。

インターネットで調べた限りでは、中絶による次回妊娠への影響ははっきりせず、母体への影響もほとんどないとのことだった。

将来の子供のことや殺人への恐れは自分が受け入れれば済むことであり、これも愚かな自分への罰であると考えることで受け入れた。

産婦人科

妊娠検査薬の反応が出たすぐに産婦人科受診し、中絶希望を伝えたが、エコー撮影したところまだ早すぎてはっきりわからないということで、次週の受診を指示された。保険が効かないため、受診料金は約一万円だった。

翌週の診察で、妊娠が確認された。できるだけ早い中絶手術を希望し、翌週の手術が決定した。手術の代金は約二十万円、これは最低額で妊娠の週数によりさらに高額となるようだった。(どうも前日準備が必要ななく、麻酔医が常駐しているとかで相場より高額らしい)

双子場合も高額となり、ある週数をこえると手術は不可となるということだった。

受診した病院男性入場不可であり、男性の役目は妊娠承諾書サインをするのみだった。

・手術当日

時間程度で終わった。時間全身麻酔のため、その準備と回復ほとんどで、実際の手術はかなり短時間だと思われた。母体は無事だった。麻酔のため手術直後は顔面蒼白だったが、歩いて帰宅でき、数時間後には食事できるまでに回復した。

・妻の状態

手術後二週間後経過したが、まだ出血継続している。取り残しで再手術の可能性も低くはないとのことで、診察は手術後一週間後に一回目行ったがその際は問題なしだった。

次回の診察は手術後三週間後に行うらしい。

妻の様子は手術前も手術後も変わらずあっけらかんとしている。しかしこれが内心の想いを押し殺したものなのかはよくわからない。支えねばと思っている。

中絶させる側に自分がなるなど、想像もしなかった。すべては自分の愚かさのためであり、人生の都度思い出し後悔することになるだろう。

しかし同時に、すぐに忘れてしまう可能性もあると思っている。それにこんなことを匿名ダイアリーに書いてしま自分自身はやはり異常なのではないかとも感じ、不安になる。

殺人ではないかなんて考えていたくせに、少し時間がたてば立ち直る、それが人間の強さであり愚かさだと思わなくもない。クズだと思われるだろうが。

あと、水子供養なんかは今のところなにも考えていない。供養することで救われたように思うくらいなら呪われるなり、一生悔やみ続けるべきだと思うからだ。ただこれも数年、数十年後には変わるのかもしれないと思う。

自分自身を棚に上げて恐縮だが、こんな行為をさせる人が少しでも減ればと思う。

ちゃんと避妊していれば防げたかもしれず、無駄母体危険晒し自分は責められてしかるべきだ。ただ、コンドームを常につけるのは当然だがそれでも妊娠確率ゼロではないセックスする以上妊娠中絶の可能性があるわけで、そのことを念頭に置いてほしいと思う。

自分自身の愚かさのためだが、同じことを繰り返さないために、そしてこんな行為をさせる人が少しでも減るように、反省と共有の意味も含め匿名ダイアリー投稿しておきたい。

※ちなみに病院によると「実は中絶が多い年代40代以上、妊娠しないだろうと思った中年夫婦というパターンが多い」とのことだった。

2014-03-12

http://news4wide.livedoor.biz/archives/1979034.html

おれは偏頭痛持ちでロキソニンを飲んでる

彼女生理痛ロキソニンを飲んでる

生理痛ロキソニンはわかるけど、なんで偏頭痛ロキソニン飲むんだよ・・・

ロキソニン偏頭痛に効かない理由と3つの対応

http://igot-it.com/henzutu-rokisonin-1349.html

ロキソニンは「鎮痛剤であり、脳内の血管を収縮させる効果はない」ため、偏頭痛改善することは難しいと考えられています

確かにロキソニンは鎮痛剤だから偏頭痛も抑えてくれるけど効率が悪いだろ。

痛み止めは何でもかんでも同じじゃないんだから偏頭痛ロキソニンみたいな強い薬飲むなよ。バファリン飲めよ。

偏頭痛には鎮痛効果だけでなく、血管に左右する効果のある薬飲めよ。

 

究極的には頭痛がするから全身麻酔しますみたいな効率の悪さだぞ。

腹痛がしますで、胃薬飲まずに、ロキソニン飲むのか?おかしいだろ。慢性化しちゃうだろ。

 

というか、偏頭痛ロキソニン売った薬局はどこだよ。厚生労働省指導が足りてないんじゃね?

何のために薬剤師が立ち会ってるんだ?

2014-01-01

http://anond.hatelabo.jp/20140101105912

そういうことだったのか。

だいぶ前全身麻酔で手術したことあるけど、麻酔から覚める時痛いよーっていう声が聞こえて誰が言ってるんだと思ったら自分が言ってたってことがあるからきっと記憶はないけど痛かったんだろうなと思ってた。

全身麻酔って痛み止めてないの?

さらっと恐ろしいこと書かれてるんだが、医療関係者にとっては常識だったりするんだろうな

脳死後も痛みを感じるという話もあったし、世の中には知らんほうが幸せな知識は多いな

http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20131231#1388443185

これは(数十年前の状況として)「全身麻酔は,痛みを止めるほど深くかけるより,痛みの記憶をなくす程度にした方が安全であり,実務的にもそう運用されている」という事実を公表するかどうか(公表すると患者不安に感じより麻酔がかかりにくくなる)という問題に似ているともコメントしている.

2012-10-30

流産の手術をした

アクシデントは、誰の身にも一定割合で起こる。

それが今回わたしの場合は、流産だった。

繫留流産といって、成長が止まったまま妊娠組織が体内に留まっている状態。

いま、待合室で手術を待っている。全身麻酔だってちょっとこわい。

なんだろう、もちろん望んで妊娠したし、どういう気持ちかと言われればもちろん悲しい。

とても悲しい。

けどなんか、わあっと泣き出す感じでもない。経験したことのないできごとで、気持ちの収まりがつかない。

初診から約1カ月、ずっと心拍が確認できなくて、断続的な出血があり切迫流産との診断。

先々週くらいからおそらく無理だろうと思ってたし先生にもそう言われていた。

初診後に出血があったとき、すぐに病院に来なかった。そんなものなのかなと思って。

でももしかしたらその段階から投薬治療を受けていれば違ったのかも。

もう、それ以降にどれだけ安静にしてても、意味なかったのかも。

でも、初期流産は15%くらいの可能性で起こり、

特に30代も半ばを過ぎるとその確率も高くなってくる。

手術してその原因を突き止めようとすると数十万かかるというので

結局は分からないのだが、6-7割は”本体”、つまり胎児側の問題らしい。

今回は胎児ともいえない段階、と、女医先生は言ってくれた。

10代の頃、家でごたごたあって、精神的に危機的な状況に陥った。

まさしくどん底。毎日泣いて、毎日死にたいと思ってた。

いまは家族とも和解したけど、あの暗い冷たい孤独な状態よりもしんどいのは

もう近しい人が亡くなることくらいだろうと思ってた。

今回のできごとが、あの頃よりもつらい、とは思わない。

でも軽いわけじゃない。

あ、いってくる。


手術終わった。いま、全然なんともない。なんともなくてマックで続き書いてる。

アイスコーヒーうまい椎名林檎がかかってる。

麻酔がかかっている間、幻覚を見ていてこわかった。そうなる人が多い種類の麻酔らしい。

なんかね、自分の体が足先からほどけて、すごい数の白色のLEDパネルみたいな切片になって

それが一方向にウロコができるみたいに光速でどんどん重なって進む。ジェットコースターみたいに。

つのまにか切片のひとつひとつ自分意識になっていて、

自分という存在ってなんだっけ、いまこの瞬間はどれが自分なんだっけ、

ますごい速さでうねって進んでる意識の集合体が自分なのかな、とか思ってた。

これは覚醒する直前だったのかな、こわい、とか、せんせい、とか、うわごとを言っていた気もする。

たぶん最後麻酔を打たれたのが14:30ごろ、

酩酊状態で四角い白いのと丸い月みたいのを裸眼で認めたのが15:15。

ぐわんぐわんとなりながら、処置室に入ってきた看護師さんに時間を訊ねたので。

そのあと、さっきのは幻覚だったんだ、と思った。自分はちりぢりになってもう元には戻らないと思ってた。

いちばんに現在時刻を知りたかったので、自分現実につなぎとめられていると知りたいのだと感じた。

四角い白いのは明かり取りの天窓で、曇ってた。月は室内灯だった、消えてたけど。


”本体”はエコーで分かっていたとおり、推定7週くらいの大きさで成長を止めていて

母体は3週間ほどの投薬治療効用で準備しつつはあったけれど

このまま待っても仕方がなかった、ということだった。

この1カ月間って、いったいなんだったんだろう。

初診から今日の処置まで全部で10万円弱を費やして、三度のメシより好きなお酒をやめて、

仕事をなんとか調整して安静にし、遊びの予定もキャンセルした。

投じたもの勘定したいんじゃなくて、

快楽主義自分がそうやって、生存がわからない血のかたまりを抱えて、じーっとしていた期間が

なんだったのかなって、かきわけて、なにか手応えをつかみたい。ような気持ちがする。

にちゃんやベネッセ掲示板なんかを見ていると、

流産したらそれは「お空忘れ物をしちゃっただけ」「またすぐ戻ってくる」などと言われている。

妊娠できるよ」と教えにきてくれたんだ、とか。

最初に読んだとき、そういう考え方もあるんだと、少し救われた気にもなった。

でも自分がそれで腑に落ちたかというと、そうじゃない。

次に妊娠しても、あのときの子が・・とはむしろ思いたくない。

子、でもない。先生が言っていたように。そう強く感じるのは、自分が臆病だからなのか。

そらく、心拍が確認できてから流産のほうがつらいだろう。

比較していけば、それよりも妊娠後期で残念な結果に終わるほうがつらいだろうし、

出産前後事故だったらもっとつらい。

そのあとは、つまり子どもを亡くすことで、わたしの想像にとても及ばない。

それから不妊治療の末にというわけでもないので、その結果の流産ともまた違うだろう。

書いていけば延長線上になってしまうけど、これらのケースと今回は比較にならない。

からといって、まだまし、と思いたいわけじゃない。

発生学上、初期のfatal errorはどうしようもない。

自分のせいである可能性は拭えないけど、擬人化してごめんねと思うことにもあまり意味がない気がする。

冷たいのかな。


結婚しておよそ半年。年齢も若くないし、互いの両親も孫を待っている。

自分自身の仕事も、ぎりぎり、こうした状況でも対応できる体制を整えられるようになった。

高齢出産は当たり前になってるけど、30代の妊婦はやっぱり警戒するよ、と

初診時に先生に言われて自分の来た道を振り返ったりもしたけれども

過去を変えられるわけじゃないし、やり直したって20代仕事に費やすのだろう。

親を待たせていることについて、しかし夫は

子どもをもつのは『誰のために』っていうわけじゃないでしょ」と言った。

ほんと、そう。

強いて言えば、夫に父親の顔をもってみてほしいという気持ちはあるけれど

親はもとより自分たちのために子どもをもうけたいわけでもない。

主に仕事との両立について大きな不安はあるけど、それはおいといて

やっぱり、夫とわたしの子どもに会ってみたい。

ああ、会ってみたかった。ということなのかな。

希望をいうならば、会って一緒に生きてみたかった。

今回はただ、実現しなかった。いつの時点で実現可能性が消えたのかわからないけど

じーっと抱えていたものを排出していま「実現しなかった」という結果がある。

なんにでも結果はやってくる。

さっき、手応えをつかみたいと書いたけど

希望が叶わなかった、という結果を手にした以上でも以下でもない、たぶん。

ひとことで言えばやっぱり悲しいわけで、これから家に帰ったらわあっと泣くのかもしれない。

今日、今月、いっとき保有していたものをなくした。

この先も、そんなことあったっけ?と忘れることはないだろう。

それはそれで、それとして、

繰り返すのはこわいけど、次は会って一緒に生きられるといい。な。

2012-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20120928171227

どうにも嘘くさいな。

人工妊娠中絶で点滴静注するのは全身麻酔薬。

点滴後数分で落ちて即手術。

写真撮ってtweetしてる暇なんてないぞ。

2012-09-25

稽留流産の手術してきた

妊娠7週目→8週目で胎嚢のサイズ変わらず&胎芽見えずで稽留流産と診断。母体のためには早く出してしまった方がいいのかな?理由はまぁなんでもいいんだけど、3日後に“そうは”の手術を受けた。

自分はありがたいことに超健康優良児だったので点滴すら初めてというありさま。

で、全身麻酔だと思って受けていたのは正確には「鎮静を目的とする静脈麻酔」だったんだねー。ひとつりこうになった。

その前にお尻に打った注射が本来の「麻酔」なんだね。

点滴の管に注射器で薬を入れられるのを見てたら、次の瞬間に「手術終わりましたよー」。えっ?!

なので執刀医がどんな人だったのかとか全くわからずに終了(笑)

この時点で音とかはわかるんだけど目を開ける気には全くなれず。ただ、「終わりましたよー」以降の呼び掛けには「はい」だけだけど返事できてたので、本当に「寝てる人」と同じだったのかなー。

その麻酔から目が覚める時がかなり具合が悪かった。お酒で悪酔いしてダウンするときと全く同じ感じ。吐き気がして、暑いのか冷や汗かわからないんだけど汗だくになって。そしておまけに子宮が痛い!

15分ぐらい呻きながら耐えたら治まって、ちょっと寝て、手術の2時間後ぐらいには帰れたけど。

外来担当のお医者さんがかーなーりー態度が悪いというか、こちらを気遣った優しい言葉をかけてくれるタイプじゃなかったから、流産と診断されたとき結構精神的にアレだったんだけど、同じ調子で「まぁ、これにめげずに、また作って!」と言ってくれたので、仕事とかのタイミングがとれたらまた子作りしようっと。

2012-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20120413210228

君はさ、中絶って簡単に楽々できるものだと思ってるんだろ。

とんでもない、日本では中絶手術は堕胎する女への罰と見なされていて、わざわざWHOが推奨していない安全度の低い術式が選択されているんだよ。

それはもう全身麻酔を受けないととても耐えられないほどの痛みがあり、麻酔が切れてもしばらくの間は七転八倒するぐらいの痛みが続き、場合によっては組織癒着が起こって不妊体質になってしまうような野蛮なものだ。

まり中絶手術を受ける時点で女は既に罰を受けている。

罰を受けていないのは女に中絶させている男のみなんだ。

中絶手術する場合胎児DNA判定をして相手の男を特定し、中絶させた男には1回につき1つ睾丸を取ってしまったらいいかもしれないね

1アウトまではセーフで、2回以上中絶させている男から妊娠させる権利を剥奪する。

もしくは2つとる場合精子冷凍保存すればいいだろう。

1つ睾丸がなくなってる男だったら女の方も「こいつはやばい物件だ」と警戒心を持って性行為を拒絶することができるだろうからね。

中絶が気軽に行われてるように見えるなら、それは男にとって所詮他人事からだ。

そうやって他人事じゃなくしたら男の方も必死になって避妊にこだわるようになるだろうよ。

2011-03-05

骨髄の正式なドナーに決定しました

コーディネーターさんから電話が来て、そう聞かされた。
正直「やっぱりね」という感じ。自分に決まる予感がしてたから。

父が悪性リンパ腫に罹患している事がわかったのも、ちょうど去年の今頃だった。
癌が国民病と云われるようになって久しかったけど、まさか自分家族が患うことになるとはと、母と2人最悪の事態ばかりを考えていた。
主治医の説明を受け、余命宣告されなかった事に安堵はすれども、治療の過程におけるリスクがある…即ち、何らかの原因で死んでしまうという可能性が1%でも存在しているという事が怖くて、怖くて、毎日夜になると自室に引きこもって泣いていた。

そして、今。
父は奇跡的にも腫瘍が全て消え、普段と何ら変わらぬ生活を送っている。
去年、あれほどやつれ、禄に歩くことも出来ず、ドデカい輸液パックに24時間繋がれていたのがウソたいだ。
さぁー、私も早く仕事を見つけなk(略

と、安堵していた所に届いたのが、例のあのオレンジ色の封筒だった。
バンク自体には、父の病気が発覚するよりかなり前に登録していたのだが、まさかよりによってこのタイミングで来るとは。
しかも、骨髄採取する病院は、父が入院していたのと同じところ。
普段はこんな事軽々に考えはしないんだけど…この時ばかりは「まさに運命だ」と思ってしまった。
(人の命がかかっていることだからあんまこういう事は思っちゃいけないとはわかってるんだけども…ね。)

まぁー、正直全身麻酔で? 腸骨に針ぶっ刺しまくるとか? 説明聞いただけでも結構怖かった。
一緒に説明についてきてくれた親友もめちゃくちゃビビってた。
正直今も怖いし、この一件を知った親戚からマゾだとかアホだとかとも云われてる。
(流石に腹がたったけど、まぁそう思われてもある意味仕方が無いことだから…。)

でも…それでも、私はドナーになる。
あの頃のことはあんま思い出したくなかったから今まで考えないようにしてきたけど、こうして文章にしてみたおかげで改めて決心できた。

取り敢えず、頑張ってみる(`・ω・´)
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