はてなキーワード: 全身麻酔とは
白血球を通常の10倍の量にするってのは、
パソコンをしながら
馬鹿にしていた。
そして、ついには婚約者にも断られる。
「死ぬわけじゃないって言ってるんだし、協力するだろ、普通。」
「ご都合主義、くだらない。」
そう思っていた。
先日、伯父が白血病にかかった。
突然の知らせに驚いた。
薬で治療をする、という事らしく、
本格的治療に入る前に見舞いに行ったりした。
その後、忙しくなり、なかなか顔を出せなかったが、
どうやら退院をしても良い期間と、
入院をする期間とを交互するような生活に入り、
安定してきたという話を聞いていた。
ところが急に耐えられないほどの痛みを訴え、検査をしたら、
唯一の兄弟である母が提供者となるべく、検査をすることになった。
そこで、医師より以下のような説明があったらしい。
骨髄移植には以下の2通りの方法がある。
・薬により血中の白血球数を通常の10倍ほどに増やした状態で採血(?)を行う方法
後者は薬の影響で数年後、自身が白血病にかかるケースがある、という事らしい。
そして、近年では後者が主流になってきているそうだ。
医師の話を母から又聞きしているので、情報が欠けているのかもしれない。)
テレビでタレントがドナー登録をカジュアルに訴えているような世の中なので、
恐らく医師の言ったようなリスクは非常に低い確率で発生するようなことなのだと思う。
しかしそれを聞いた時、
検査の結果、適合して伯父を救って欲しいという気持ちと同時に、
適合せずに母が安全でいて欲しいという気持ちが生まれてしまった。
仮に、母に代わって自分が行けるか、と考えると、
妊娠中の妻と、生まれてくる子供の事が浮かび、確実に躊躇している自分がいた。
まさに、鼻で笑っていたドラマの薄情な親戚そのものだった。
直接医師に確認をしていないので、情報が足りていない状況だが、
自分がそう考え事がひどくショックだった。
残念ながら母の血液では伯父に適合しなかったという連絡があった。
[A.自分の側の条件]
・自分は何をしている時がいちばん幸せか、どんな事をしている時に熱中できたか?
・人は好きか、嫌いか →他人とネゴシエーションする仕事に向いているかどうか
・これに関しては世界一になれそう、というものがあるか。
・世界はどのようであってほしいか、それに対して自分の関われる方法はあるか。
[B.社会の側の条件]
・現在の社会はどのようなしくみになっているか。特に、「価値(≒お金)」の流れと、それをもたらす人の心理(desire・・・欲望・欲求・願望・念願・要望・希望・要求・希求・ねがい)
を、なるべくサンプルを多く、具体的に、また統計的にも見ていきたい。
・自分が生きている間、社会はどのようになっていくか。少なくともここ数十年でどのような変化が起きると予想されるか。
AとBを止揚し、仕事ないし職業≒人生というものを考えていく事になるのかな。
とはいっても、Aはともかく、Bはなかなか難しい。
どんな人もネットに書いている訳でもないし、未来予想もなかなか当たらないものだ。
他人の人生というサンプルを増やしつつ、未来についてはだいたいの方向で進み、その先で情報をまた得て、
もっとも、アラン・ケイは「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」とも言ったけどね。(笑
一度死にかけた人が、肝が据わってるというのはその通り。
たぶんだけど、それは一種の覚悟というか、自己暗示のようなもので迷いを吹っ切った状態なんじゃないかな。
正しくても正しくなくても、残された時間はないんだから、迷っている暇がない、だから自分の決めた道を迷わない、という決意というか。
ちなみに全身麻酔をかけると仮死状態になります。
全身麻酔が必要な鼻の粘膜下下甲介骨切除術を受けると、
退院まで2週間かかりますが、お金もかからず(高額医療費控除で10万円を切る)
2ヶ月もあれば遅れを十分取り戻せますのでお勧めします。
最近では日帰り手術でもできるみたい。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&safe=off&rlz=1T4GGIH_jaJP282JP282&q=%E4%B8%8B%E7%94%B2%E4%BB%8B%E9%AA%A8%E5%88%87%E9%99%A4+%E6%97%A5%E5%B8%B0%E3%82%8A&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=
ただし、手術料が倍になっても、必ず片鼻ずつ手術すること。
2006年の夏、建設現場で日雇いのバイトをしていました。日給1万円もらえる仕事だったのでそれなりにキツイ内容です。マンションなどを建てる際に必要な資材の石膏ボードをひたすら運び込むというものです。
新入りの頃は一枚持つのがやっとでしたが、作業を重ねるに従い、一度に運べる量が二枚・三枚と増えていき、貧弱な僕もだんだん体力がついていくのが実感できてそれなりにやりがいを感じていました。
僕はあまり体力に自信のあるほうではありませんが、1人暮らしを始めたばかりでお金が必要なこともあり、ほぼ毎日仕事に出てがんばっていました。
その仕事に就き出して三ヶ月めの06年8月2日、仕事中から腰に違和感があり、今まで経験したことのないようなだるさ・重さを腰に感じていました。夕方、仕事を終えてバスで帰る道中、腰の違和感ははっきりとした痛みに変わっていました。座席に座っていることができません。まだ立っているほうがましです。
部屋に帰ってもその痛みはますます酷くなり、激痛といってもよい程になっていきました。
ただの腰痛だと思っていたので、とりあえず横になって痛みが引くのを待つしかないと思い、次の日の朝まで寝るつもりでした。
ところが夜中になるにしたがい痛みは増していき、もう我慢できるレベルを超えていました。
それでも、油汗をかきながら朝まで我慢し、トイレに立つこともできない僕は救急車を呼ぶ決心をしました。
なんだか恥ずかしかったです。生まれてはじめて救急車を呼びました。担架で運び込まれる時、近所の人が野次馬になってじろじろ見ていました。
近くの総合病院に着き、ストレッチャーでとりあえずレントゲン室まで運ばれました。
技師が仰向けの僕に向かって脚を曲げろだの横向けになれだのいろいろ指示をとばしてくるのですが、どんな体勢でも激痛が更に増し、無理でした。仰向けで脚を上に上げようとした僕は身体全体をつらぬくような鈍い痛みに思わず叫び声をあげてしまいました。
技師もあきらめたのか仰向けのレントゲンだけ取って終わっようです。
レントゲン室を出ると、若い看護師が僕の叫び声を聞いたようで、
「なんでこんなになるまで放っておいたの?」
といわれてしまいました。それに答えることもできない僕の手を、その看護師が握って、
「私も前にヘルニアやったからどんな痛いかよくわかるよ。」
と、慰めてくれました。
診察室で仰向けになったまま医師の診断を受けました。
仰向けのレントゲンしか取れなかったわりに腰椎椎間板ヘルニアの特徴である椎間板のはみ出し具合が顕著だったらしく、即入院ということになりました。
入院が決まった時、それまで入院なんかしたことなかった僕は正直びびりました。
しかもTシャツにパンツの格好で運び込まれ何の用意もなかったし、どうなるんだろうと思いました。
ぼくが運ばれたのは整形外科の6人部屋です。僕の他は40くらいのおじさんと、中学生の男の子と70くらいのおじいさん2人でした。
ベッドに寝たまま看護師から色んな説明を受けました。酷い痛みの中で聞いたのでほとんど頭に入りません。
小林さんというその看護師は30才くらいでこれからぼくの担当になるということです。
とりあえず優しそうな女性だったのでほっとしました。
説明が終わり、最後に
と聞かれました。
大丈夫じゃありませんでした。夜中からトイレに立つこともできず今まで我慢していたのです。
「すいません。オシッコしたいんですけど・・・」
「ちょっと待っててね。」
何も言わず僕のトランクスを全部脱がせました。僕は腰を上げて協力しようとしましたが痛みでどうにもならず小林さんにまかせました。
僕のペニスはこれ以上ないぐらい縮こまっていました。もともと仮性包茎で亀頭が隠れているのに今は包皮が完全にかぶってしまって象の鼻みたいになっていました。そんなペニスを見られるのは恥ずかしいものです。
「自分でやります。」
僕はそういって尿瓶を受け取るとペニスにあてがおうとしました。ところがちょっとでも身体を起こすと激痛が走ります。
無理でした。
「ほらー。無理でしょ。こういうのも全部仕事のうちなんだから恥ずかしいなんて思わなくていいのよ。」
ペニスが小さいからずっと支えていないとすぐはずれてしまいます。小林さんは排尿の間ずっと支えてくれていました。
長い排尿が終わり、尿瓶を床におくと、小林さんはウエットティッシュでペニスを拭いてくれました。包皮もめくって亀頭のまわりも優しく拭いてくれます。女性に触られたのは初めてだったので立っちゃうかなと思いましたが、それよりも激痛のほうが勝ってピクリともしませんでした。
小林さんは拭き終わると包皮をまたもとに戻しました。そして袋や腿の付け根もついでみたいに拭いてくれました。
「今井クン、パンツいちいち履いてたらたいへんだから、これ付けとこうね。」
そういうと、ふんどしみたいな帯をつけてくれました。
「痛み止めの座薬いれるね。」
さっきのT字帯を取って僕を横向けにさせました。
「すぐ済むから我慢して!」
座薬を奥のほうまで突っ込んできます。うんこが出そうな感覚がしましたが我慢しました。
「痛みが我慢できないようだったらこのボタンを押してね。」
小林さんは戻っていきました。
それから2時間くらいすると、徐々に痛みがやわらいできました。ほっとした僕は試しに起き上がろうとしました。
ダメでした。
ちょっとでも腰を曲げると激痛が走ります。
ただ仰向けに寝ている分には痛みがないというだけでした。それでも痛みがやわらいだことで心が随分軽くなりました。
昼ごはんはおにぎりでした。寝ながら食べられるようにとのことでしょう。左手に点滴をしながら、小林さんに時おり手伝ってもらいながら、食べました。
「とりあえず寝ている分には痛みがなくなったけど、まだまだ絶対安静だからね。無理に起き上がろうとしたら駄目よ。」
そう言いながら口の周りや手を拭いてくれました。
この日、昼間ずっと眠っていたせいで夜中に目が覚めました。
やってきたのは三十代半ばの初めてみる看護師です。この人も優しそうな雰囲気でした。
「今井さん、どうしましたか?」
ささやき声で聞いてきます。ハスキーで色っぽい声です。見ると白衣の胸やお尻の所がパンと張っていてグラマーな人でした。
「すいません。オシッコしたいんですが。」
その人、川上さんは、うなずくとすぐに僕のT字帯を取り、ベッド下から尿瓶をとりあげて、ペニスをあてがいました。
昼間、小林さんにやってもらった時はすぐ排尿できたのに、なぜか今回はなかなか出ません。オシッコしたい感覚はあるのにです。
それでも川上さんはジッと出るのを待ってくれています。
ようやく小便が出始め、ほっとしました。
「よかったね。」
そういって戻っていきました。
朝食の後、清拭がありました。
近藤さんというまだ学校出たばっかりな感じの看護師が僕の身体を拭いてくれました。熱い湯に浸したタオルで力強く拭かれるのはとても気持ちの良いものでした。
「オシモのほうは洗いますね。」
そういうと、お尻の下に差し込み便器を置いて、ぬるま湯と石鹸で洗い始めました。袋の皺の部分や、お尻の穴まで丁寧にやさしくこすってくれます。
勃起しそうな感覚はありましたが、とても恥ずかしく、また入院したばかりの不安な精神状態だったためかペニスはやわらかいままでした。
依然として起き上がれず、つらいです。
入院してから一度も大便をしていません。
まだ、ウンコが出ない。看護師さんが浣腸しようとしたが強硬に断りました。そんなの恥ずかしすぎます。
今日こそベッド上で排便しようと試みました。
でもだめです。いくらきばってもでません。
小林さんが浣腸してくれました。初めての浣腸です。浣腸した直後から鋭い便通がきました。
「5分我慢してね。」
とのことだったので必死で我慢しました。
「まだよ。まだよ。」
と囁いています。
5分後、差し込み便器めがけてシャワーのように排便しました。大量のウンコです。差し込み便器にはおさまらず、下に敷いたビニールシートにもウンコが垂れました。
小林さんはさすがに排便の間カーテンの向こうにいてくれましたが、すごい音やニオイは隠しようもありません。他の入院患者に対しても恥ずかしく、申し訳なく、もう死んでしまいたい気持ちでした。
「おー、いっぱい出たねー。よかった、よかった。」
小林さんは笑顔で僕の汚いウンコを始末してくれます。ほんとに穴があったら入りたい気分でしたが彼女の笑顔に救われたように思います。
「お尻洗うね。」
なんだか汚いウンコも見られたせいか恥ずかしいとかいう感覚がなくなったようです。パンパンに張っていたお腹もすっきりして心まで軽くなりました。
小林さんに洗ってもらってる間ペニスが半立ちになってしまいました。こんなことは入院以来初めてです。スッキリしたせいでしょうか。これはこれで別の恥ずかしさがあります。必死で違うことを考えて勃起をしずめようとしました。
「今井クンは本読むの好きなんだね。いっつも本読んでるもんね。」
小林さんも気をそらそうとしてるのか、それとも単なる世間話のつもりなのか、話しかけてきます。僕も母に持ってきてもらった村上春樹を語ったりしました。
おかげで完全に勃起せずにすみました。でも小林さんの洗い方はとても気持ちよく、やばいところでした。
ブロック注射を打つにはベッド上で横向きになりネコのように身体を丸めないといけません。そんな姿勢は今の僕には発狂しそうなほどの痛みをともないます。
それで全身麻酔を打ってからということになりました。
麻酔を打って、徐々に薄れていく意識の中で、なぜか小林さんのことを考えていました。
なぜかペニスが痛い。どうやら尿道に管を入れられているみたいです。しかも勃起しているから余計です。起き上がってみようとしましたが麻酔が抜けきってないのか身体に力がはいりません。
勃起が収まってからナースコールを押そうと思っていたのに、その前に看護師が来てしまいました。初日、夜中に小便をとってくれたグラマーな川上さんです。
「目が覚めたんだね。どんな具合?」
「まだ、身体に力が入らないです。」
「ブロック注射は何回かに分けてやるから、すぐに痛みが取れるわけじゃないよ。無理に起き上がろうするのは絶対だめよ。」
川上さんは点滴の具合を確かめ、それから僕のお腹をさして言いました。
「ちょっと確認するね。」
ふとんをはがしT字帯をとりました。
ペニスに管が入れられているのが見えます。しかもまだ勃起しています。
「はあ、痛いです・・・。」恥ずかしさをこらえて言いました。
「抜いちゃうね。」
そういうなり左手で陰茎を持ち、右手でそろそろと管を引き抜き始めました。
痛いのかと思っていたのは杞憂で、それどころかなんとも言えない快感が走りました。
なんというか、射精寸前のような感じです。
「あっ・・・・」思わず声が漏れました。
「痛い?」川上さんはいったん抜くのをやめました。
「あ、いや、そうじゃなくて・・・」
「じゃ、抜くよ。」再びそろそろと管を引いていきます。また変な感じがしてきました。なんかほんとに射精しそうです。
しかし、無事、管は抜かれました。ペニスは腹側に向かって反りあがり、ビクンビクンゆれています。オナニーしてて射精寸前でやめた時みたいなもやもや感がありました。
「洗うね。」
「え?あっ、今はいいです。明日でいいです。」
必死で言いました。今、洗われたらホントに射精しかねなかったからです。
そういいつつ、川上さんは腰の下に差し込み便器を入れました。彼女の目の前でペニスはビクンビクン動いています。
「大きくなったこと気にしてるの?若い子はたいていそうなるんだから、いいのよ。」
川上さんは先に薄いラテックスの手袋をはめます。ほんとに薄そうな感じで、はめても彼女の綺麗な白い手がほとんど透けて見えています。あんなのでこすられたら・・・。どうなるんだろう。
僕は川上さんの準備している様子を伺っています。彼女はいわゆる綺麗なおばさんとでもいうか、色っぽい熟女とでもいうか、とにかくそんな感じの女の人で、ただ若いだけの女性よりも本当に妖艶な雰囲気を漂わせています。しかも、オッパイが大きいのが服の上からでもまる分かりで、白衣の胸の部分がパンパンに張っています。
そんな彼女を見ていると僕のペニスは全く小さくなる気配も見せず、血管を脈打たせてビクビクうごいています。
(ああ、どうしよう。射精しちゃったらどうしよう。)
そんな僕の思いにもかまわず、川上さんは僕の脚をカエルみたいに左右に広げ、容器に入ったお湯をペニスにかけました。
(うわっ、なんだ?すんごい気持ちいい。)
ただお湯をかけられただけなのに柔らかな羽でさっとなでられたような感覚が走りました。
「あ・・・、くっ・・・。」
言葉にならない声をあげてしまいました。
「熱かった?大丈夫?」
「はい、大丈夫です・・・。」
川上さんはガーゼで石鹸を泡立てています。クリーム状になったところで、両手でその泡をすくい、ペニス全体に塗りだしました。
ラテックスの手袋はほとんど意味をなしていません。彼女の温かくてすべやかな手がそのまま僕のペニスに絡みついてきます。
彼女はまずお尻の穴と睾丸から洗い始めました。左手でお尻の穴をなでながら右手で袋をゆったりと揉んでいます。僕はあまりの気持ちよさに汗をかいています。必死で別のことを考えてはいるのですが、意味がありません。特に睾丸をやさしく揉まれることがこれほど気持ちいいとは思いもよりませんでした。自分でオナニーする時に睾丸をさわるなんてしたことなかったのです。
「あっ・・・。」
「どうしたの?ここは汚れやすいのよ。」
「あんっ!」思わず大きな声をあげてしまいました。
「痛いの?だめよ。がまんしないと。綺麗にしないとだめなんだから。」
新たにソープをすくうと今度は陰茎部をゆっくりと洗い始めました。左手で睾丸をやさしくマッサージしながら輪を作った右手で陰茎を上下にゆっくりとしごいています。確かに洗ってはいるのですが、その動きは僕にとってもはや快感を送る以外の何物でもありません。
「ほらぁ・・・。だんだんきれいになってくねぇ。」そんなことを言いながら、川上さんは包皮をむいて亀頭を完全に露出させました。
左手でおもいっきり皮を下にさげ、人差し指と親指で輪を作った右手で亀頭のカリの部分をクリクリと撫で回しています。
「はぁ・・・あぁぁ・・・」僕はもう気が変になりそうです。
「んー?どうしたのぉ?今井クン、ちょっと変な気持ちになっちゃったかなぁ?でも、だめよ。キレイにしてるんだからぁ。」
言いながら、川上さんの右手は亀頭全体をコネコネとこねくりまわしました。
総毛だつような快感が下腹部を襲いました。白衣を着た肉感的な女性が僕のペニスを撫で回している。想像するだけで射精しそうなのに、今、その手が実際に快感を送り込んでいるのです。
「ここは念入りにしないとぉ・・・」
過敏な亀頭全体を逆手に握り、ひねりを加えながら上下になで上げています。ぬちゃぬちゃという音が病室に響いています。
もう、限界でした。腰が甘くとろけ、溶けそうな甘美な快楽につらぬかれました。
「あーっ・・・・!!」
信じられないほどの快美な感覚に包まれながら、僕は射精していました。今までのオナニーなんて比べものになりません。ペニスを中心に腰がどろどろにとろけてしまったようです。
身体全体をビクビク痙攣させながら長い長い射精をしました。射精している間も、川上さんは優しく亀頭をこねくりまわしています。おかげで精液が飛び散らずにすんでいます。
「今井クン、出ちゃったねぇ・・・、いいのよ。しょうがないよねぇ。全部出しちゃってね。」
そんなことをつぶやきながら、川上さんは優しく亀頭を撫で回し続けます。
「フフッ、よかったねー。気持ちいいねー。いっぱい出してね。」
ようやく、最後の一撃まで出尽くしました。まだ腰は痙攣していますが。
「今井クン、全部出たの?全部出さなきゃだめよ。」
http://anond.hatelabo.jp/20090907225448
今まで他で聞いたことがないので、300人に1人もなるものなのか?と思ってググってみたら、たしかにそうらしい。
軽重はあるようだが、300人に1人なら、増田の中にも当然いるはずだ。
ペニスが小さいだとか包茎だとかなら、まだ(ネット上であれば)ネタにしやすいかもしれないが、
未だかつて尿道下裂の人の話を小耳に挟んだことはない(積極的に探したこともないが)。
尿道下裂で悩んでいる人のために、そして尿道下裂を知らない人(当然女性もだ)のために、
あくまで俺個人の例ではあるが、書き連ねてみよう。下世話な話もあるが、よかったら読んで欲しい。
酔っている(自分にではない、ビールにだ。夜中に飲んだのがまだ残っている)ので、多少読みづらい点があるかも知れないが、ご容赦を。
最初に付き合った彼女にでさえ、一部しか話していないことだ。
「おい、ちんちんみせろ」
当たり前のように言われ、当たり前のように見せていたので、特にこれと言った感情はない。
オヤジは尿道のあたりやら、むき出しの亀頭を見ては、納得したようなしてないような雰囲気だった。
今思えば、オヤジとしては自分の子どもが「尿道下裂」という得体の知れない病気であることは、
もしかしたら「こんな風に生んでしまって申し訳ない」という罪悪感と、
しかし「なんでこうなってしまったんだ」と認めたくない拒絶感を覚えていたのかもしれない。
ネットのない時代、情報もろくに集められずに不安で、不安で、不安でしかたがなかっただろう。
こう書くとすぐ差別だ云々いう奴が出てくるだろうが、俺と両親と、将来生まれるである俺の息子の問題である。
そこに差別はないと断言する。
同じく尿道下裂で悩む人をどうこう言うつもりはないし、その親を否定するつもりも皆無だ。
俺は両親を否定するつもりもない。ただ、自分の息子が尿道下裂であったら、それは申し訳ないと思う。
今は彼女がいないが、将来的に結婚する前に、ちゃんと彼女にも尿道下裂のことを説明し、息子に遺伝するかもしれないリスクを説明するつもりだ。
そして万一息子が尿道下裂だった場合は、オヤジがしてくれたように、息子に手術を受けさせようと思う。
話が横道にそれたが、尿道下裂のせいか、俺は子どものころから通常時でも亀頭が出ていた。
そのため、「むけた・むけない」の話が理解できなかった。
また、勃起したときには、下向き、横から見るとへの字型に勃起した。
だからマンガで勃起のシーンがあっても、「何故上部に盛り上がるのだろう?」と、いまいちピンとこなかった。
いくつかの性器への疑問と、風呂場でのオヤジとの「儀式」、そして夏休みに検査のために病院へ行く。
診察してもらったのは泌尿器科だった。
糖尿病の老人が多かったので、待合室にいるのはひどく恥ずかしかった。
一度だけ患者に「糖尿病?お若いのに大変ね」と言われたことがあり、違う、と思ってもうまく説明できないもどかしさがあった。
今ググって確認してみたら俺の症状は、尿道は尿道で存在し、その上でペニスの中ほどに尿道がもうひとつある「亀頭部下裂」だったようだ。
たしかに入院前くらいには、小便をする際に、勢いが強いときだと少し真ん中から洩れていた。
(「ニョウドウカレツ」という病名を受け入れるのに精一杯で、難しい用語は覚えていない。
漢字でさえ、ネットを始めてから改めてこれだったと思い出したくらいだ。)
また前述の通り、下向きに勃起し、
(外尿道口から包皮小体にかけて陰茎索といわれる結合組織束を伴うため、陰茎は腹側に弯曲するそうだ)、またペニスが短いという点がある。通常時で7センチ程度、勃起時で11センチ程度だ。
日本人男性のペニスの大きさは~などというが、そのサイズが通常時なのか勃起時なのかで非常に困る。
エロ本買う時は、完全に勃起している。短いから血が巡りやすいだけかもしれないが(笑)。
なお、元増田は胸が膨らむなど女性ホルモンの影響があったようだが、俺にはなかった。
元増田より軽度なのかもしれない。
亀頭は幼いころからむけていたので、「皮がむけたのがいつ」というのはないが、
陰毛が生えたのは遅く、中三~高一の頃だったと思う。
背は小さい方で、いじめられっ子だったので、そう言った点で多少「女々しい」のはあったかもしれないが、環境と性格的な部分に起因すると思う。
経緯は覚えていない。
手術の経過が分かるのも怖いので、全身麻酔をしてもらったが、手術後、もの凄い痛みで目が覚めたのを未だに覚えている。
それまでの入院生活がなんだったのかと思えるほどの、地獄のような痛み。
「明日になれば楽になる、楽になる」とひたすら念じていた。
手術前後に言われたのは、今後成長にともないペニスが大きくなるにつれ、下向きに勃起するためセックスがしづらい可能性があるということ、
手術後もペニスの真ん中から尿が激しく漏れるようだったら、再度手術する必要があるということだった。
一番気になったのが、「遺伝するか」。
当時は「遺伝はしない」と言われたが、ネットで見る限り、しないと断言できるわけではなさそうだ。
将来もし俺の息子が手術するようだったら、オヤジに相談しようと思う。
そして何十年越しになってしまうが、「手術を受けさせてくれてありがとう」と御礼を言いたい。
もうひとつの尿道からの、洩れは、まだ少しある。尿の排泄時に、雫が垂れる程度に。
いいのかどうかわからないが、あまり気にしないようにしている。
ただ、セックスは問題ない。
彼女には「子どもの頃ペニスの病気で手術した、下向きに勃起するが気にしないでくれ」と言ってから、セックスをした。
下向きに勃起するわ短小だわで、コンプレックスは強かったが、挿入はもちろんできたし、彼女もちゃんと感じてくれた。
その後の付き合いでも、つまらないケンカはしたが、セックスで問題になるようなことはなかった。
汚い話もすれば、風俗で遊んだこともあるが、特に何か言われたこともない。
相手もプロだから、わざわざ傷つくようなことを言わないのは当然だ(まれにそうでもないらしいが)。
だから、もしペニスが小さかったり、下向きに勃起したりする増田がいても、気にせず遊べばいい。
また女性の増田で、もし彼氏が下向きに勃起していたとしても、驚かないであげて欲しい。
下向きに勃起している=尿道下裂とは限らないと思う。そういう人もいると、受け止めてあげて欲しい。
難点としては、尿道を手術しているので、性感帯としては弱いし、痛くなりやすい程度だろうか。
風俗に行くときはアルコールが入ってからのことが多いせいもあるかもしれないが、勃起はするが射精しづらい。
そのため素股やフェラではいきづらいので、仕方なしに慣れた自分の手で処理することが多々ある
(ローションをつけていても、すぐ手コキも痛くなってしまう)。
思ったより長くなってしまったのでまとめよう。
鬱がわかりづらいように、病気や障害というと、どうしても目に見える範囲のものを思い浮かべてしまう。
だが目に見えない部分で、人には言えない部分で悩みを抱えている人もいる。
性器のことであれば、なおさら人には相談できない。
でもそういった人たちにも、極力コンプレックスなく、セックスを楽しんで欲しい。
それが(女性は嫌がるだろうが)風俗だろうと、彼女とのセックスだろうと。
言うまでもないが性欲は人間の三大本能と言われるくらいで、それを抑え付けたままにしようというのは、大変なストレスだ。
ペニスへのコンプレックスよりも、性欲の解消の方が重要で、とにかく人肌が恋しくて仕方がなかった。
女を抱かないと気が狂いそうだった。
そう言った意味で、風俗嬢には非常に感謝しているし、彼女らを侮蔑する言動は好まない。
敢えて人目にさらすことで、自信をつけたかったのもあるかもしれない。
いじめられっ子で下半身丸裸にされた経験もあり、余計下半身にはコンプレックスを持っていたが、おかげでだいぶ和らいだ。
露悪的すぎるくらいにあれこれ赤裸々に書いてしまったかもしれないが、こういったことは病院のサイトでは説明されていない。
重度の尿道下裂だとまた問題が違うかも知れないが、
俺の例を通して、尿道下裂の人やその他性器にコンプレックスを持ってる人が、少しでも楽になってもらえればと願っている。
なおWikipediaによると、
とのことである。
2000人に1人いるという半陰陽、インターセックスについては、六花 チヨのマンガ『IS~男でも女でもない性~』が素晴らしい。
丁寧な取材と温かい目で描かれた、笑って泣ける傑作だ。是非手にとって欲しい。
あ、まったくコンプレックスが解消されたわけではないので、短小乙とか言わないでくれよな!
好きな彼は、前の結婚で奥さんにパイプカットしてくれ、といわれしたそうです。
わたしは子供一人いますが、できたら兄弟をつくってあげたい、という気持ちと
彼とも家族になりたい、という野望もあって、子供を望んでいます。
そして、彼も、子供をのぞんでいます(彼は元奥さんとの間に1子おり、奥さんがひきとっています)。
が、パイプカットして数年たつと、再結合の手術をしたとしてもそもそも精子がつくられなくなってしまっていたり、
で、体外受精だと妊娠するのに1割くらいの確率で、しかも、毎回全身麻酔をしたり、副作用のある
卵子誘発剤とか使って、母体への心理的&肉体的負担が大きい、と最近
本を読んで知ってびびってしまっています・・・。
不妊治療している世のおかーさんたちは、むっちゃ苦労しているんだなぁ、と実感しました。
わたしは、子供ほしーし、子供産むならぜひ彼と再婚したい、と思っているけど、
子供をつくらないなら、再婚する必要はない気もします。(二人共稼ぎで事実婚でやっていけばいいし)
もう、36歳なので、ハイリスク出産で、ダウン症の子供が生まれる確率も年々高くなってくるので
産むなら早い方がいい、とわかっていますが、不妊治療の件でびびっていて、
正直、彼の元妻が「パイプカットしろ」といわなかったら、と愚痴も言いたくなってしまいますが、
彼と家族をやっていきたい、と思っているので、ミニマム3人でやって、経済的にも余裕がでてきたら
養子をもらうなりすればいいんですかね。
点滴から冷たい感じがする溶液が流れ込み、強烈な酒を飲んだような
この数秒の意識の中でも
『あぁこれで目が覚めないなら死ぬんだ…』
『これで一生目が覚めなくて死ねるなら結構悪くないなぁ』
『このまま死んでもちょっと糞が出るだけで綺麗な死体なんだろうな』
まぁ今回の全身麻酔は外傷だし、死ぬ気全く無しなのでご心配及びません。
まだやりたい事は沢山ございますw
ただ、看護師がいっぱいいて設備もある程度揃ってて、眠るように意識の外に
逝けるこって結構贅沢な死に方なんじゃね?と思ったわけです。
今のご時勢、やれ長生きしろ、死なせたくないと自分以外の人間に無理矢理
延命されチンコチューブされ半ば朦朧や痛みの中で何年と生かされるより
さっさと寝むるように死ねるという選択肢が無いというのが個人的に痛いなぁと
思っています。
自分は脳味噌腐って寝たきり、家族や関係者に一生迷惑が出るくらいなら
自分の意思で死にたいと思っています。ただ日本では自ら死ぬ『自殺』という
禁忌な事なのでなんとも言えないですが…。
今日、自分から死を選ぶという行為はいけないことないのでしょうか?
未だ解決できない悩みです。
俺、今20代後半で、心臓病。自分の場合は、移植は必要なかったのだが、手術中の輸血のために同じ血液型の人が大量に必要で、親の仕事の関係者とかに集まってもらって、待機してもらったらしい。とにかく大変だったという話はたくさん聞いた。今は医療技術が進歩したので、そこまで大変ではないらしいが。ちなみに、自分は「最上の命医」っていうマンガの主人公と同じ病気・同じ手術で、1巻の冒頭に手術の方法まで詳しく書いてあるので、興味があったら読んでみて。
うーん、とりあえず、自分は特殊な人間なんだ、という感覚はずっと持ってきたね。同い年で同じ手術頑張って受けたけど、手術中に血液がいきわたらず脳障害を起こして寝たきりの子の話とか聞いたし。小学校から、「運動では勝てないから勉強ではトップでなければならない」みたいに思っていた。で、東大にギリギリで現役合格したけど、その後は、あまりたいしたことのない人生を歩んでいます。
あ、あとね、9歳の時に、追加でカテーテル手術受けたんだよね。自分の心臓に管が入れられるのを、自分が見ている手術。太ももからね、カテーテルっていう細い管を入れて、心臓近くの血管まで延ばして、そこで風船みたいなのを膨らませて血管を太くする手術。この手術、手術中もちゃんと意識があるんだよね。たぶん、心臓には痛覚がないから、麻酔事故のことを考えると、全身麻酔でなく太ももの局所麻酔の方が合理的だからだと思う。同時に造影剤も入れられてね、でっかいスクリーンに、心臓と管の位置が表示されるのを見ながら手術が進むの。で、その画面、意識があるから、手術を受けている俺も見ているの。「おー、管が進んだー」とか思いながら見ているの。
正直、当時、「自分の心臓に管を入れられているのを平気で見つめていられる俺、クールで超かっけー!!」って思ってた(笑)痛みは、まぁあったよ。たぶん、バルーンが膨らむときだと思うんだけど、胸焼けのすっごいのみたいなのがくる。
まぁ、いい人生経験になったよ。たまに、人から精神的に弱いとかおっとりしているだとか言われるんだけど、「自分の心臓に管が入っていくのを自分で見つめている」とか「『全力疾走すると死ぬかもしれません』といわれながら普通に体育で全力疾走させられる」とかいう状況になっても、落ち着いていられる人にそういう発言をして欲しいなぁ、と思う。まぁ、大人だから言わないけどね。ってか、今は健常者と同じだから、いちいち心臓病のことは伝えていないし。
いや,まぁそういう主義主張でだから産まない・避妊し続けるというのなら理解できるんだけど中絶?うーんと思ったんだ。倫理的な問題は別にして。
男はぶっちゃけ「障害者だと面倒見切れない中絶しよう」の一言で一応足りるんだよね。それについていろいろ言われるかもしれないけどそういう主義ですと言ってしまえば。
中絶する女の方は,妊娠することで体の変化が起き,障害者だとわかるくらいにまで成長した子供を中絶するのにかなりの体力を使い(障害者だとわかるのが何週目からかは知らないけど染色体の異常はともかく身体異常や知能障害なんかは出産時まで分からなかったりもするんじゃないのかとか),手術歴として残り,その後も妊娠できなくなる可能性が飛躍的に高まるという単純にフィジカルな面でのリスクがかなりある。
んなわけなので障害者なら中絶するというくらいなら,最初から最後までずっと避妊し続けるか妊娠しないように気をつけるか,もしくは健常者でも障害者でも妊娠したとわかったらすぐに中絶するかってことをしてほしいなぁと思う。子供を作りませんというのなら分かるんだけど障害者なら中絶ってのはなぁ。男の人にはフィジカルなリスクはないから,言わぬが花なんじゃないかと思います。
追記:
医療崩壊の基本的な知識と経緯は大体知っている人向けの細かい補足。
墨田江東地区はそもそも総合病院が墨東病院しかない医療過疎地域。今に始まった話では無い。
初期臨床研修制度始まって、都心の医師人口は増えている。それでも、充足するにはほど遠いのはあるけれど。
君らが住んでる東京の真ん中の方は安心です。文京区に至っては大学病院4個あるし。
・墨東の産婦人科って?
壊滅的。でも、これは東京全体の問題じゃなく都立病院の待遇の悪さの問題。
ここは日本医大が派遣に来てたときは確か常勤7人位+後期研修医(3-5年目)2-4人で廻してたはず。あまりの仕事の待遇の悪さで日医が2年前に撤退したのが運の尽き。他の大学にも当たったけど派遣に出してくれそうな所は無くて今は部長クラス2人+後期専修医1人と言う未確認情報。これでも、平日2人当直だと3日にいっぺん家に帰れれば良い方だし、その間全く寝られない恐れもある。産科縮小したはずだから、夜のお産でずっと起きてるって事も無いだろうけど、ここら辺は不明。
・当直してたのは研修医?
これは都立が初期研修を終えた後の研修システムを「後期研修」と言ったり「シニアレジデント」と言ったり「専修医」と言ったり用語が安定しない。
一般的に「研修医」と言ったら最初の二年間の研修をしているヒヨっこの事を指す。
研修医も産婦人科廻るけど、1ヶ月とかだけだし、電話応対なんて出来る訳無いから当直してたのは「後期研修医」。一応、専門を産婦人科にして1-2年研修した後の医者だろうからそれなりの判断力はあると思われる。
ドロッポして開業した「医療系ブロガー(笑)」はここら辺のシステムが良く分かってなくて見当外れな指摘をしている人がいるから注意。
・ERって?
ERと今回の事件は全く別問題。ERは1次-2次救急の診療及び振り分けをするところ。イメージとしては「夜間にお腹が痛くてどうしようもない」「喘息発作でタクシーで来院」「転んで骨折った」「吐血してフラフラして救急車呼んだ」「睡眠薬服薬して救急車で運ばれてきた」辺りが守備範囲。この辺りをERで見てERで返す。吐血とかは入院しなきゃいけないから内科の当直医を呼んでぶっ込む。
ERは各内科外科系の下っぱとか研修医がローテーションしながら当直。内科系2人、外科系2人とか。今回みたいにあらかじめ産婦人科領域って分かっている患者については専門家が見ないとどうしようもないからERは全くタッチしない。
「若い女性で凄くお腹痛がっているけど原因となりうる所見が無い」とかだと一応婦人科疾患を否定しなければいけないから産婦人科の当直が呼ばれて1回専門的診察をお願いすると言う場合がある。
逆に言えば、ERみたいなのがあるからどうでも良い腹痛に産婦人科の専門性がすり減らされているとの見方も出来る。まぁ妊娠反応陽性でも出ないと文化的に産婦人科医呼ばないけどね。
・脳出血妊産婦を救うのは大変?
大変。でも、総合病院なら普通はリソースがちゃんとある(外野としての意見ね、実際診療に携わる先生は大変だろうけど)
麻酔科が脊椎麻酔かけて帝王切開して、その後全身麻酔に移行して頭の手術して、ベイビーはNICUへ(でも、今回の場合は出産間近だったとの事でリスクは少ない)、産婦はICUへ。
それぞれの処置は定型通り。1+1の負担がせいぜい2.5位になってるだけで、決して10とかになる訳じゃない。
都内の総合病院は麻酔科も脳外科も産婦人科も当直してる。あるとすれば偶発的にICU、NICUが埋まってる場合で万床って場合が良くある。
産婦人科の場合はオペ入っちゃうと身動き取れなくて病棟で何かあった時大変だから1人当直の時はオペになると分かっている妊婦を取らないとの選択は正解。
・脳出血について
国内の症例検討を元に考えると搬送がどうあれ救命しえなかった可能性が高い。http://obgy.typepad.jp/blog/2007/09/post_bc04.html
原文は全く読んでないし海外の文献も探してないから信じるかどうかはご勝手に。人に文句言ったりdisったりする人はちゃんと原典を当たりましょう。
一般的に後遺症残さずに助かる脳出血は硬膜外、硬膜下、くも膜下とかで脳内出血の場合は場所によっては出血した時点でアウト。ましてや妊婦は凝固線溶系が崩れてるのでハイリスク。
・今回の事件について?
中の人はみんな上の事分かってどうしよっかって考えてる。
実際の権限を持ってる東京都の上の事務がどれくらいまで分かってるかは不明。
石原は全く理解してない。
マスコミは論外。
医者とか墨東叩いている人達は相手にしても時間の無駄なので無視。
はてな村の人達は比較的同情的だけど、上に書いてある細かなニュアンスとか分からずに定型的な医療崩壊ネタに結びつけてるからどうぞ勝手に騒いでくださいって所。
・最後に
亡くなった方の御冥福をお祈りします。
日本で行われている中絶手術は世界的に見たらリスクが高い危険なものらしいよ。
明らかに中絶医療は,他の国々と日本の医療レベルが極端に違う事例のひとつです。諸外国では1970年代の中絶合法化以来,中絶といえば局所麻酔のみで診療室で行える吸引法と呼ばれる比較的手軽な処置のことだと思われてきました。1980年代には,フランスで開発される妊娠のごく初期に人工的に流産を引き起こすRU-486という名の薬が開発され,1990年代をかけて多くの国々がこれを合法化し,プロライフの反対の強かったアメリカでさえ2000年に解禁されました。2003年にWHO(世界保健機関)が発行した「安全な中絶」という報告書のなかでも,初期中絶については吸引法とRU-486が最も安全だと明記されています。ところが日本では,半世紀以上も,よりリスクの高い全身麻酔を用いて,掻爬と呼ばれる旧態依然たる外科手術が延々と行なわれ続けてきました。WHOの報告書では,掻爬は他の安全な方法が採れない場合の代替策でしかありません。なのに日本では他の国々とは違って吸引法が常識になっていないばかりか,ミフェプリストンの輸入は禁止され,解禁に向けた議論さえ始まっていません。さらに,他の先進国ではルーチンとなっている中絶カウンセリングや精神的なケアも皆無です。敗戦後,日本は人口政策のために世界に先駆けて中絶を合法化しましたが,今や,世界に名だたる中絶後進国になっているのが実態です。