幸せだったから、その環境に満足してしまい、真剣に取り組んでこなかった。
人生ってすごくちょろいと思ってた。
でも、今、自分が窮地に立たされ、迫害される立場になった時、ようやく世の中の不条理、好奇心論理的な考え方などの知力、そして力の大切さを知った。
小さい頃、大人達が口をすっぱくして説明してきたその重要さを、わかった気になっていた。
テキストの問題を素早く正確に解く能力は、必要な知力のうちのわずか一部分であって、もっと重要なものはたくさんあった。
大人のいうことに耳を傾けるべきだった。
本当はその歪みに気づいていたのだけど、受け入れられなかった。
追い詰められてようやく受け入れることができた。
受け入れたら、やるべきことが見えてきた。
そして、いろんな力や知識を身につけた。
でも手遅れだった。
それを駆使しても手に入れられないものがあった。
手に入れるたくても締め切りが過ぎていた。
もし、小さい頃から今の力があれば。
今はそれを夢想することが心の支えになっている。
しかし、その支えも風化し、支柱にヒビが入り始めている。
自分が自分の意識を観測していることや全身麻酔の経験を考えると、自分という主体は物質的なものに起因していると考えたからだ。
生まれ変わり、運良く人間として生まれてしまった場合、同じ過ちを繰り返してほしく無いという想いがある。