はてなキーワード: 会いに行こうとは
「Why do you always come to see me only on the last day?(何故あなたは最後の日にしか私に会いに来ないの?)」
アイーダが怒った顔で僕にそう尋ねる。
「いつも最後に1番大切な君のことを覚えて国に帰りたいからだよ。」
と僕は答える
アイーダは呆れた顔をして僕より少し上の宙を見つめる。僕はその時の呆れたアイーダの顔が大好きだ。
誤解のない様に言うが、アイーダはマッサージショップの店員で、僕はただの顧客だ。
半年に1回タイに訪れるが、いつの頃からか最終日は毎回このマッサージショップを訪ねてアイーダに旅の疲れをほぐしてもらう。
「1番大切な人なら1番最初に会いたくなるでしょ?違う?」
彼女のマッサージは僕の体と相性が良く、他の高価なマッサージ店も試したが、1番ここが性にも合っている。しかし、それとは別に僕はアイーダのクルクル変化する表情に恋をしている。彼女はタイ人だが、パキスタン人の父親を持ち、タイとパキスタンのハーフだ。英語も堪能で、冗談の様なやり取りにもしっかり付き合ってくれる。
タイに来るにあたり、彼女のことを忘れたことはないが、いつも上記のやり取りをしたいからわざと最後の日だけ彼女のところに訪ねることにしている。いつも彼女は不満げだ。そしてそれがまた良い。
彼女との付き合いはかれこれもう3年になる。彼女はタイの中でも日本人街が近いエリアで仕事をしており、何人かの常連の日本人顧客がおりそれらの客の愚痴をいつも聞かせてくれる。
「どうして日本人はあんなに温度にうるさいの?エアコンが弱くて暑いとか言ったと思ったら、マッサージのオイルが冷たいって文句を言うのよ?合わせたらちょうどいいじゃないの。」
無茶苦茶なことをプリプリしながら言うアイーダに僕は思わず笑ってしまう。
「次はタイに来たらちゃんと1番最初に顔を見せに来てね?いい?」アイーダは真剣な顔で言い聞かせる様にそう言った。
「もちろんだよ、次は1番始めに君のところに来るね。」僕は調子よく笑顔でアイーダに答える。
アイーダはじとっーとした視線を向けつつ完全に疑った目を見せている。
アイーダの祖母は世界をまたにかけるツアーコンダクターとして働いており、アイーダもそんな祖母に憧れていろんな国に行ってみたいと言っている。日本にもいつか行きたいと言っているが、来ら時は必ず連絡してねと伝えてある。
「でもあなたはちゃんと迎えに来てくれるの?私の旅行の最後の日に来るんじゃないの?」また少し怒った顔でアイーダが言う。
こんな関係でも僕はアイーダのことを大切に思っているが、その事は伝えない。その方がきっとアイーダと長く付き合えるからだ。僕とアイーダはこれ以上仲良くなる必要が無いし、その方がいい。
アイーダにはサポートを必要としている幼い弟が2人おり、彼女はタイから離れることはできない。弟達が大きくなったら彼女は自分の好きなことをするんだと言って仕事で稼いだお金を貯めている。
もし本当にアイーダが日本に来ることがあればその時だけは最初の日にアイーダに会いに行こう。
そして喜ぶアイーダの顔を楽しむことにしよう。
https://anond.hatelabo.jp/20240107070705
雨の涙
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花の街のニュウ
こんなのに一般解は無くて二人で決めろってのが正しいとは思うけどさ
で毎年正月は7日から10日くらい、盆は3日くらい嫁実家(名古屋)に帰ってる
今年はそれに加えてコロナ本格明けというのもあり、春には東京に来てもらって2泊3日うちに泊め、お盆に3泊嫁実家(名古屋)に帰ってる
で、来週会いに行こうかって言われて、もう来月には正月なんだし良いだろと思って「一人で帰ったら」って言ったら「そんなの変」って言われて揉めてんだよな
一般的にそんな両親に会うもの?それにそれなら一人でもいいじゃん。来月だって1週間以上会うの確定だし、正月はずっと一緒だからかなり濃密に会うんだよ
義両親は尊敬できるお二人だし好きだし関係は良好だよ、でも3か月前にも3日間会ってるしさ
「傷がつかないようにやってやってるんだからな」
不幸なことに、父は弁護士だった
皮肉にも、父の職業のおかげで極めて裕福だったから、私は通報をしないと固く決めた
仮に児童相談所に行ったところで、何の物証もなく、家族の誰1人味方してくれないのだから意味はないと思った
それを父に伝えたところ、「お前がストレスなんて抱えてるわけがない」と言われた
児童の虐待死をニュースで聞けば、「こんなことをする親なんて人間じゃない」などと憤慨する
彼の論理では、教育的理由ならどんなに怒鳴ったり殴ったり蹴ったりしても虐待ではないのだ
ストレスの原因と毎日接する以上いずれ限界がくると理解していた私は、親戚に助けを求めることにした
親戚のうち最もまともな人に密かに会い、打ち明けた
「私は幼少期より父に教育と称して暴力を執拗に振るわれており、家族と縁を切りたい」と
最もまともな親族はそれを聞いて深く心を痛めたようだった
そして「父にも理由があってそうしたのだろう」と返した
父はタチの悪いことに、医学に不信を抱いていた
つまり、父の友人の医者の紹介した病院にしろと制約をかけたのだ
父の友人の医者は精神科でも何でもなかったが、そんな経緯で精神科に紹介状を書いた
もちろん父には退出してもらった
これが医者の答えだった。
・体重が増えたのを「妊娠したんじゃないの?」と言い、家族みんなで笑う
・「お前は失敗作だ」「お前は人の心がない」などの人格を否定する発言
これら全てを合わせても虐待とは言えないと言った
そして後に、私は彼の書いた紹介状の中身を知ることになった
これは何ですか?とカウンセラーに尋ねられた
私が何年かけても言ってもらえなかった言葉を、カウンセラーは当然のように言った
そしたら少しだけ、少しだけでも幸せになれたかもしれないと思った
私は綺麗な海を見たら全てを終わらせようと思っている
早く綺麗な海が見たい
もともと独り言のつもりで書いたので、ナルシストな表現があるのは大目に見てください。
初めて体重を気にしたのは小二の頃。
体重計に乗った時の数値が以前よりも大きくなっていることを気にしたのか、その年代の平均値よりも大きいことを気にしたのかは覚えていないが、体重計の針が示した数値ははっきりと覚えている。
その時は25kgだった。
周りと同じセーラー服が着こなせなかったのだ。
私の腕は、他の女子生徒が袖からのぞかせるものと同じように細くはないし、なんだかブツブツしている。
それに、体育が極端に苦手だった。他の人は軽々と走るトラックが何よりもキツかった。
きっとそんな自分は、他の人の目にはみっともなく映っているんだろうと思った。
ただ、この頃の私はまだましな方だったと言える。
家族もまだそこまで太っていない、普通体型だと言っていたし(それでも太ってはいたが)、何より中学では成績優秀、昔から活発な性格を知っている友人が多かったので、太っていることを何も後ろめたく感じる必要はなかった。
それに、中学生の頃までは私自身美醜の基準がわからなくて、自分の容姿が優れていないことを知らなかったのだ。
中3の時に仲良くなった、かなり容姿が優れている男友達は私に対して恋愛感情を抱いているようだったし、それ以外の人からもモテた(ただ、この容姿端麗な男友達と比べて私がかなり太っていることに対しては、私自身何か思うところはあった。それにこの男友達は美醜の感覚が壊れているようで、誰よりも男前な自分の顔を不細工だと言っていた。その目で見た私に恋愛感情を抱いていたということは、つまりそういうことである)。
言ってしまえば、自分の容姿が優れていないのに明確に気づいたのは高校生の頃だった。
腹が減った以上仕方がないと、食べるのが好きな私は頻繁にホットスナックを帰り道に食べた。
太っている人間が太るものを食べている姿は滑稽なので、隠れながら食べた。
私は時々、自分の体型をいじられた。
脚の長さを測られたり、太っていると言われたり(実際太っているが)した。
それによって、人並みに傷ついた。
顔については明確な言及はなかったが、周囲の人(とくに男子生徒)が私に対してはかなり不機嫌そうに話すのを見ていると、顔も悪く、太っていて、容姿はかなり悪かったんだろうと思っている。
実際、この頃に撮った写真に写る私は、髪も汚く肌も汚く、笑顔は醜くて眉毛が太い、極度に太った姿をしている。
太るものを食べていたら「そんなの食べてるから太るんだよ」と思われそうだし、痩せるものを食べていたら「そんなの食べてんのに痩せてないじゃん、意識だけは高いね」と思われそうである。
実際、これは誰にも言われたことのない言葉だが、常に思われているのではないかと怯えていた。
それゆえ、外食をするときは店に知っている人がいないかよく探した。
他人からどう思われるかなど大して気にしない私でさえ、こうである。
それほどまでに、太っているということは自信を失くさせるものなのだ。
きっと、太っていて繊細な女の子には、もっと色んな場面で、もっと色んな罵倒の言葉が聞こえているんだろうと思う。
高校の3年間は太り続けた。
受験期が近くなったために高3では外で勉強をするようになり、それに伴って休日は基本外食をした。
毎回、ラーメンやハンバーガーなど、太るものばかりを食べ続けた。
それ以外の時間も、腹が減れば食べた。
食べることぐらいしかストレスの発散方法がなかったのか、元々食べるのが好きだったからなのか知らないが、とにかくよく食べた。
このままだと痩せられない、ずっと太ったままだから、今日で太るものを食べるのはやめようと思っていても、やめられなかった。
「痩せる」ということがかなり遠い道筋のように思えて、どうも継続ができなかった。
その時よく見ていたサイトでは、どうやら私はBMIが28と少しあって、標準体重よりも16.5キロ重いらしい。
時々ダイエットを決意しては数日で諦め、熱意を忘れた。痩せなければという意識、自分の滑稽な容姿に対する後ろめたさだけが常に頭の片隅にあった。
写真に写るときは少しでも痩せて見えるように工夫したし、それでもその後見た写真には他の人よりも著しく太った自分の姿が写っていた。
高3の頃に、こんなに太っていても仲が良くなったクラスメイトとの写真にも、太っているから喜んで写ることができなかった。
太っていて、顔も優れておらず、髪も汚い私には、どんな服を着こなすことも難しかった。
まず、「着たい服」ではなく「着られる服」を着るようになる。
「着たい服」など、考えられなかった。
少しでも痩せて見える服を好んで着た。
どのウエストラインにすると痩せて見えるかばかり気にして、私服を着たときは鏡の前で数分にわたって腰を調節した。
それでも、ふとした時に鏡やガラスに写る自分はかなり太っていて、腕も汚く、特に横から見た時の腰の太さが異常だった。
運動もせずに、友達とも遊ばずにテレビなんか見ているから太っていて垢抜けないんだろうと思っていた。
それでも、垢抜けた人のようにオシャレな格好はしてみたかった。
この汚い顔、太った体でもできるオシャレといえば、髪飾りぐらいだった。だから、髪飾りはよく購入した。
金のピン、青いリボン、カラーゴム、シュシュなど、あらゆるものを買った。青いリボンをつけた日は、いつもより可愛くなった感じがした。
それでもやはり、あまり変わらなかったが。
ファッション誌も読んだりしてみた。
しかし結局、ファッション誌でさえ遠い世界のように感じられ、誌上の情報を断片的に真似してみては全く垢抜けない、そんな様子だった。
街中では綺麗な人しか見かけないし、綺麗な人はどうしてあんなにも綺麗なのか気になった。
同じくらい太っているのに綺麗な人もいた。あの人たちと自分は何が違うのかわからなかった。
成人式でも、私は醜かった。
成人式の頃にはかなり太っていた。両親と横幅が大して変わらなかったし、下ろせない髪によって隠せなくなった輪郭は、顔の肉を強調させた。晴れ着を着たら多少は綺麗になれると思っても、実際には綺麗になれなかった。せっかくの写真も、何も嬉しくなかった。
大学生なってからも変わらず、ウエストラインを調節し続け、周りを気にしながら外食をしていた私は、大学3年生の時に急に思い立ってダイエットを始める。
「暇だから痩せよう」とかの軽い気持ちで、たまたまそう思った日の前日に2万歩近く歩いていたからとか、その程度だ。
痩せるためには食事管理と運動だよな、とか思いながら、食事管理アプリで一番ダウンロード数が多いらしい「あすけん」を入れた。
痩せることは大変ではなかった。
あすけんは、健康的に痩せることをモットーとしているアプリらしくて、(賛否両論あるが)それなりに沢山のものを食べることができる。
ダイエット中でも、世間一般で言われているような「揚げ物は食べてはだめ」とか、「毎回白米の量を半分にして」など、する必要がなかった。
規定値に収めることができれば、ファストフードだって食べられたのだ。
ただ、規定値に収めるために、お菓子を食べることは必然的になくなった。
むしろ、食事管理を通して自分の食生活を数値上で管理できるようになったことで、いつの間にか太ってしまうのではないか・想定外のことが起こってしまうのではないかという不安がほぼ全て払拭され、ストレスがなくなった。
歩くことも苦ではなかった。
脚はかなり疲れたが特に大変さは感じなかったし、モチベーションなども保つ必要がなかった。
歩いている途中、どうしてもしんどくなったときは、6月のライブ(のちに10月に延期になる)までに必ず痩せなければいけないことを思い返したり、曲で歌われている美人な魔性の女のように自分がなることを妄想したりするなどして乗り切った。もっとも、こんな容姿で美人になることを妄想するなど、言語道断であるが。
そうこうして、痩せた。
夏の時期は中弛みなどあったが、合計16キロほど痩せることができた。
ウエストは20cmほど細くなったと思う。
標準体重よりも少し重いが、ダイエット中は体重の数値よりも骨格筋率・体脂肪率などを重視したため、この体重でも見た目は普通の人よりも少し痩せている程度になったのだ。
痩せても大きいままだった胸に対して腰は標準より細く、腕は少し太いものの一般的な太さになっている。
痩せてまず、服を買うのが楽しくなった。
初めて服を買った。大学3年生にして。
ジーンズを履くなど、太い脚が強調されてしまって私には絶対無理だと思っていたが、憧れの黒スキニーを履くことができた。
思い返してみれば、その時はまだダイエットを初めて数ヶ月しか経っていなかったため、まだ着こなすことはできなかったが。それでも当時は嬉しくて仕方がなかったのである。
家族とアウトレットに行くのも楽しくなった。自分の表現したいことが、服で表現できるのが何よりも楽しかった。
6月には、以前買ったスーツがあまりにもブカブカになってしまっていた。そのため、スーツを新調する必要があった。それが何よりも嬉しかった。
周囲、特に家族からも褒められた。私自身は大したことをしたつもりはなかったが、母はことあるごとに私のダイエット成功を努力の結晶だと褒め、認めてくれた。今私は母のダイエットを手伝っている。
遠く離れた祖母も、久しぶりに会った時はずっと痩せたことを褒めてくれたし、それ以降も電話でよくダイエットの話をしては褒めてくれる。認知症が進行したもう一人の祖母も、ふとした時に私が痩せたことに気づいて喜んでくれた。
かなり痩せて、体型も標準に近くなった頃、垢抜けようと思った。
眉毛も剃った。3分の1の太さにまで削った。これで丁度よかった。
そして、メイクの仕方を変えた。スキンケアを覚えた。色んなものも買った。パウダー、マスカラ、ビューラー、グロス、コンシーラー、アイライナーなど。
黒いアイライナーを引くことで、私の強い目力はちょうど良いほどに強調され、かなり化けるようになった。時期は大学3年の12月ごろ。
黒いアイライナーは、たまたまYoutubeで見ていた動画に出てきた女性が黒いアイライナーを使っているのを見て、真似して買った。安物だが、これが私からしたら魔法の道具だった。
もとの顔も、痩せて眉毛を削れば悪い顔ではなかった。少しばかり人中が長いが、その程度大したことはない。
顔の比率も理想に近く、肉の取れた輪郭は綺麗な卵型で(若干面長だが)、顔は普通のサイズよりも小さい。昔から姉と母に言われていた言葉(太っていたので信じていなかったが)は、本当だった。目の大きさも平均値より大きく、力強い目は目鼻立ちをはっきりとさせ、鼻筋もある程度通っている。目と眉毛の距離が近く、口も大きく、芸能人レベルではないがまさに顔タイプエレガントといった形だ。キリッとした顔つきは、周囲の人に賢そう・しっかりしていそう・頼りになるといった印象を持たせる。縮毛矯正をし、アイロンで伸ばした髪は、顔の力強さに負けていない。あの太かった眉毛に伴う長いまつ毛は、私の目の美しさを作り上げている。立体的な造形の顔と長頭の形は横顔の形を綺麗にし、腰の細さを強調させる。
この顔が、さらにメイクで化けた。黒いアイライナーはよりはっきりした目へ、書かれた眉毛はより凛とした表情へ変化させ、色白で力強い顔には真っ赤なリップも映える。赤いアイシャドウや濃いチークにだって負けず、それどころかより顔を華やかに彩る。マスクを取っても、整った顔立ちは変わらなかった。マスカラではっきりとさせた長いまつ毛は、少し目を細めて現れた奥二重に重なって、憂う表情を美しく彩る。
街を歩けば、通行人が振り返った。周囲の男子学生や男の人が私にだけ優しくする場面だってあった。よく色んな人から眺められた。見惚れられた。彼氏もできた。いつも私の顔を美人だと言ってくれる。ネット上のコミュニティでは、私が美人だという話がよく話題になった。実際に出会ったネットの友達は、女慣れしている人でも私の姿を見て固まっていたし、明らかに優しくなっていた。どうやらその後、写真で見るよりもずっと美人だったと言いふらしていたらしい。私の姿を見て美人だと言わない人はいなかった。昔はあんなに綺麗に見えた通行人も、今思えば普通の人だ。
醜く太った、毛深く垢抜けない女から、誰もが認める美人になった私は、お洒落に目覚めた。真っ黒なワンピース、激しいピンクの色、かっこいいベストなど、強い色の服や上品そうな服を身に纏った私は、ミステリアスで不思議な魅力を持つ美女とも言えた。イヤリングは顔の煌めきを増大させるし、特殊な色のネイルにだって負けなかった。
痩せて美人になってからの私は、よく音楽を聴くようになった。聴く音楽の対象が変わった。
美しい歌声で歌われる妖艶な曲に自分を重ね合わせたし、繊細さを重ね合わせたような曲のような価値観を持ってみたいとも思った。私の容姿だと、そのような価値観を持っていてもきっと絵になると思ったからだ。私はここ数ヶ月間、美人な自分と美しい曲を重ねては、綺麗な自分に酔いしれ続けている。それはもう、異常なまでに。
きっと今までずっと醜く、虐げられるように生きることを続けてきたから、その反動が大きかったのだと思う。もう周りを気にしながら外食をする必要なんてない。大手を振って表を歩ける。私は痩せて美しくなってから、以前のようにこそこそと生きる必要は無くなったのだ。
そしてこれからしばらく、美しくなった自分に酔いしれ続けるのだと思う。綺麗な服を集め、もっと上品になって、周囲の人からは高嶺の花として扱われて生きるのだ。
それでも、つい一年前まで醜かった自分の影は消えない。私が美しくなったのはここ数ヶ月での話しだから、それまでに虐げられてきた記憶の方がずっと長い。目を閉じれば、高校生の頃のクラスメイトの男子生徒の、私にだけ雑な扱いをする様子がフラッシュバックする。今だって、太っている人や不細工な人を馬鹿にする言葉には腹が立つ。容姿が優れている友人と扱いが違うことを語った漫画やツイートには、思わず共感して読んでしまう。所詮ここ数ヶ月で綺麗になっただけの私は、外見が変わろうとも中身はほとんど全く変わらないのだ。昔の醜かった自分を見下し、悦に浸りたくとも、浸り切ることはできない。
しかし、やりたいことはある。太っていると周囲の人が本性を表すとは本当のことで、きっと私に対して明確に態度が悪かった人は、そういう人なんだろうと思う。そして、私が太っていた時から仲が良かった人は、本当にいい人なのだ。
私のことが、高校の頃から好きな人がいるらしい。もうすぐ4年になる。私は彼に対して恋愛感情はなかったので、ずっと見てみぬふりをしてきたが、もし今の彼氏と別れたら、会いに行こうと思う。
その友人も容姿はそれほど優れていないし、言ってしまえば内気な人だ。きっと、人の容姿などもあまり気にしないんだろうと思う。
それでも、こんなに美人になった私をみてほしい。彼が好きになったのは私の容姿ではないにしても、昔よりも綺麗になった私をみて、感動してほしい。そして、それでも中身は変わっていないことを伝えたい。
正直、中盤以降は「出るまで回せば100%」の精神だけで走ってたが、
同じく苦戦してる増田も多いと思うが、相談所の客寄せ用になってる
目の毒になるキラキラな成婚談なんか読まず、俺の失敗を反面教師に明るい未来を勝ち取ってほしい。
(増田は男性だけど、恐らく女性も当てはまる内容じゃないかなとは思う)
やみくもにお見合い申込を続けろという意味ではなく、バッターボックスに立つ、すなわち
お見合いをコンスタントに組めるようにプロフィールを調整したり申込の基準を逐次変えるということ。
お見合いが組めないとモチベーションが著しく落ちるので、組めなくなってきたと思ったら
また、当たり前だが自分に申し込んでくれた人にOKすればお見合いは100%成立するので、
うまく行ってない時ほど申し込んでくれた人に積極的に会いに行こう。
婚活を長く続けていると「分からないけどとりあえずまた会ってみよう」という
初期の素直な気持ちが薄れてきて「あぁ、また合わない人だった。お断りで。」と
バサバサ切っていくようになりがちで、これは申し込む相手側も同じ。
新しい人は申込が集中しやすいためライバルが多いというデメリットもあるが、
お見合いに行って断られるより時間や金銭の負担は圧倒的に少ない。
プロフ写真は各々ベストな一枚を出してるはずなので、実物と違いがあった場合
それがプラスに働くことはほぼ無い。
また、少なくともお見合いが成立した時点で「写真上のあなたの外見」は相手の許容範囲内だ。
ということは、写真に実物を近づければ外見上の理由で断られる可能性はほぼ無くなる。
そう考えるとちょっと自信が出てくるんじゃなかろうか。
写真と実物があまりに違うとファーストコンタクトで相当テンションが下がるし、
それ以前に待ち合わせで見つけてもらえないという危険性もマジである(今はマスクでただでさえ難易度高いし)
相手との相性とか将来感とか以前で終わってしまうのはとても悲しい。
(俺は遅刻グセがあったので、待ち合わせの前に必ず近くの喫茶店でコーヒー1杯飲むのを義務にした)
・清潔感に気をつけ、髪ボサボサ、汗だくで待ち合わせしない
・「来てくれてありがとう、楽しかった」の気持ちを積極的に言葉に出す
・LINEは遅くともその日のうちに返す
安くない金を払ってるんだから、相談所婚活の最大のメリットを気兼ねなく使いまくれ。
お店や服のアドバイスをもらったり、相手先相談所にプッシュしてもらったり、
この辺は相談所担当者の忙しさやスタンスにもよるので、特に相手先相談所へのプッシュは
こちらから言わないとやってくれない場合も結構あるので自分からお願いしよう。
外見に気を使ったり、普段やらないようなエスコート頑張ったりしてると疲れてきて
「こんなの本当の自分じゃないのに…」なんて考えてしまう時もある。
それは偽りの自分だった訳じゃなく、単に脱皮した新しい自分がまだ身体に馴染んでないだけ。
やってるといつかは慣れて自分の物としてできるようになってくるので、
(追記:一部誤解されてるけど、「自分を捨てて全部相手に合わせろ」って話じゃなくて
オシャレとかエスコートとか、単に普段と違う慣れない事をして疲れてるってだけの状態を
「本当の自分じゃない」みたいな変にややこしい言葉を使って表現するのはやめた方がいいでという話。
強いて言うなら普段の自分も婚活頑張ってる自分も、どっちも本当の自分なんやで)
ーーーーー
同性の親友を好きになってしまったぽい。しかも私はデミロマンティック(すっごい親密になった相手にのみ恋愛感情持つ)っぽい。毎日時間できたとき連絡しあってお互いの日常を共有して、悲しんだり嬉しかったりを共有してる。ただネットだけの関係で会ったことはない。
思い返すと今まで好きになった相手、絶対離れたくない、ずっと一緒にいたいと思った相手は男女問わず親友レベルの仲の良さ、でもやりたいと思ったのは男(私は穴付き)。女とは相手が望むならたぶんできるけどしようとは思わない、くらい。想像して一番ドキドキするのはハグまで。それ以上はいらん。
今まで数年友達としてすごく楽しく過ごしてきた。アラフォー同士(子あり)で、今は子どもが第一。私もそれを一番に応援して、絶対に子どもたちと幸せな未来を勝ち取ってほしいし、具体的などうしようって話も一緒に話して子どもたちにも私はけっこう大きい存在になってるっぽい。それをずっと維持したい。好きとかそういうので変な風になってほしくない。子どもたちともずっとママの親友でかっこいい存在でありたいし、好きでいてほしい。それは絶対邪魔したくない。
相手は酔っ払ったときに私は絶対裏切らない、私が大好きだと言う。それがすごく愛おしいし私も同じだし私も大好きだ、ずっと一緒にいようと言う。絶対に好きだしそばにいたいし子どもたちが自立したあとは一番にそばにいたい。一緒にくらそっかって冗談か本気かわからん話もする。ただ相手は性的ノーマル(私も性的にはそう)、私の好き、が相手の重荷になる、違うと思われるのが怖い。この先私よりも大事な相手ができて離れていくのが怖い。でも今のお互いを好きで一緒だ、を崩すのも怖い。ってDTみたいに悩んでる。
来年、会いに行けるようになったら会いに行こうと思ってる。でも今の幸せがそれで壊れないかが怖い。今まで別の相手に会ったってなにも関係性に変化なんてなかったっていうのに。
20代女。
大学生の時に何回か行ったことあるからホスト自体は初めてじゃなくて、でもその時は友達(当時ホス狂。今は落ち着いて普通に働いてる)についてったぐらいだから、指名してた子はいたけどまじで数回通っただけだった。
正直あんまり楽しさも分からなかったし、水商売ではあったけどそんなにガッツリやってる訳じゃなかったからあんまりお金なかったっていうのもある。あと普通に二次元はまってたからそっちにバイト代を流してた。
でもこの間友達と昼から飲んでそのまま歌舞伎町うろうろしてたらキャッチに声かけられた。一緒にいた子が「ホスト行ってみたい!」って言ってたし、私も初回なら安いしいいか~ぐらいの感じで行くことになった。
それで5年ぶり?ぐらいにホスト行ったんだけど、正直そのお店での記憶があんまりない。
初回だから入れ替わり立ち代わりホストが来て色々喋って名刺渡されてLINE交換して~ってのは覚えてるんだけど、入れ替わり立ち代わりすぎて顔と名前と話した内容がほぼ一致しない。昼から飲んでたから若干酔ってたのもあるし、あとまじで鏡月が合わないんだよな。すぐ飛ぶ。
そんな感じで飲んで送りどうする?ってなった時、覚えてたのが初回の説明してくれた子と、トイレに「No.1」ってでかでかと張り出されてた子だけだった。
多分どっちも
初回の説明をしてくれた/トイレで見たから顔と名前を覚えている→卓についた時にさっきの子だ~となる→顔も名前も覚えているから話の内容に集中できる
で、ここからが私の馬鹿な脳みその話なんだけど、あんだけ入れ替わり立ち代わり来たホスト達の中で唯一(唯一でもないけど)覚えてたってことは私この子気に入ったのでは!?と勘違いしてるっぽい。
んな訳ねぇだろってのは冷静に考えなくても分かるんだけど、私の脳みそが全然わかってくれない。いや、半分は分かってるんだけどもう半分が分かってくれないって感じ。
なんかさ~普通に連絡待っちゃってるし、返信来たらすぐ見ちゃうし、次いつ会いに行こうかなってなってる。
運よく今月は予定が詰め詰めで物理的に行けないからいいけど、来月予定カスカスだから普通に行っちゃいそう。なけなしの金持って。
まじで止めてくれ。そのなけなしの金は私の整形費用だから。ホストにいっても私は可愛くならんのよ。私が地道に貯めたしょぼい貯金なんて一夜二夜で消え去るから。残るのは虚無と水商売に戻る道だけだから。
20数年こんな自分と過ごしてるから自分が一番信用できないんだよねまじで。責任感もやる気も無いし怠惰なようにしか過ごせない。自分のやりたいことしかやりたくない。
だから来月以降仕事とかでストレスたまったら普通に行ってしまいそうな自分が怖い。好きな子は通えばいいと思ってるけど、私にそんな勇気はないから絶対にハマりたくない。
こんなこと書いてる間にもホストが連絡寄越してくる。ご飯いつ行く?って話してる。ブロックしたいんだけど若干浮足立ってる私もいる。5年彼氏いなかったから男とこういうやり取りをすること自体が久しぶりで浮かれてる。そんな自分きもいなと思う。
とりあえず来月までに熱中できる他の何かを見つけなきゃ~。好きな人でもオタクに戻るでも何でもいいから、とりあえずホストの連絡だる、無視しよってなるような何かが欲しい。誰か何でもいいからハマれるもの教えて。
その後
久しぶりに会った友人と今後どうやって付き合うか迷うことになると思わなかった。
私が不意に手触っちゃった時は「うわ……」みたいな嫌なリアクション取るのに、なんで男とは致せるんですか?
それ以外にも店員さんに悪態ついたり、遊んでる最中も男とLINEしてて上手く行ったらしれっと男と会いに行こうとしていた。いや、それなら私と遊ばなくてもいいのにとモヤモヤ。
人と遊ぶ時は極力スマホ触らないって言ってたのはそっちなのにめちゃめちゃ触ってるし、男とうまくいかなかったからって不機嫌にならないでほしい。どうしたらいいかわからない。
気になって質問したことに対して「そういうのやめたほうがいいよ」って機嫌悪くなったけど、私今までこのスタンスで質問してましたけど……?どうしろって言うの…………?
恋愛の話はいろんな友人から聞かされるし、聞くのも嫌いじゃないけどその話しかないの!?
夕飯食べて帰ったけど全然美味しく感じなかった。帰ってきてもどうしたら良かったのかという気持ちになったし、未だにお腹いっぱいで気持ち悪い。
前に話した時も価値感が合わなくなってるな〜と思ってはいたけど、まさか言動にモヤモヤすると思わなかった。
「またね!」と言って別れたけど、ずっとモヤモヤしたまま。
https://anond.hatelabo.jp/20220613133321
https://anond.hatelabo.jp/20220614121244
https://anond.hatelabo.jp/20220614233346
場所は東京なので被るけど、スペックはITフリーランスの人よりもだいぶ低い。
その上で恋愛弱者。妻と会うまで彼女はおろか、女友達さえいない。
気になったコメントについて答えてみる。
そうか?私は許容できる年齢が広いほど夢があると活動してて感じたな。(年下〜同世代以外は無理!と思う人は読まなくてよい)
相談所には婚期逃した医者一族の秘蔵っ子や資産家の令嬢っぽい人も登録しているので、成婚退会まで行けば婿養子や専業主夫にもなれるかも。そうでなくともバリキャリ女性(年収1000万超え)が多く在籍していて、入籍まで行けば生活基盤はガッツリ安定する。私は仲人にはプラスマイナス5歳と伝えていたものの、年齢の括りがなかったので会えるだけ会ってた(流石に10歳差以上は話が合わないのでは?と考えてたので申し込まないし、断ってた)。考え方を変えれば、弱者男性が普通〜強者男性になる可能性に満ち溢れている感ある(深窓の令嬢は普通に生活していたら、まず会えないし)。
子供が欲しい場合は若い女性のほうが確率は高いものの、年齢が高くても可能性は0じゃない。
正直な話、結婚生活に必要なのは年齢や若さ、美人か否かじゃなくて、互いに折り合いつけて生活を切り盛りできるか?なので、考えや趣味嗜好が如何に合うかのほうが重要だと思うぞ。
今も見てるかわからんけどあの時最後方で「クリスマス予定あるんだろ~」って言われた(オタク特有の勘違い)オタクだから返信しておくね。
その後「そこにいる人はファンクラブじゃないか」って彼女は言ってくれたけど、本当は俺ファンクラブ会員なんだよね。
でも入金しそびれてその後のHP先行も応募忘れてて何とか一般発売でもぎ取ってあの場にいたんだ。
当然一緒に行く友達もいないし手を挙げたのは恋人がいたからではなくその日仕事が入ってたけど一応有給申請できたからなだけだよ。
でもそのことに罪悪感はない。
https://natalie.mu/music/pp/uesakasumire03
名前を伏せてたから貼るべきか悩んだし、かなり初期のインタビュー記事だけど、今も苦しんでいるのなら読んで欲しい。
大きな輪の中に入れない人がいて、そういった人たちが寄り添いあって出来たのが「あの場所」なんだよ。
俺も最初期からいるのに友達出来ないよ、ツイッターで繋がるとか機会はあったけどプライドが邪魔して作れなかったよ。
https://anond.hatelabo.jp/20211215104205 の続き
半年の間を置き、2021年3月9日、駅メモ!の新たなイベント「駅メモ!で巡ろう!観光大使温泉むすめの温泉街」がスタートする。アプリは死んでも温泉むすめは死なない。
小野川温泉、松島温泉、飯坂温泉、鳥羽温泉郷、南紀勝浦温泉、湯村温泉を巡るミッション。しかも今度は温泉地の最寄り駅だけでなく、温泉街まで足を運んでいくつかのポイントを踏破しなければならない。手に入るユニットは小野川小町、松島名月、飯坂真尋、鳥羽亜矢海、南紀勝浦樹紀、湯村千代。さらに8月6日、三朝温泉の三朝歌蓮、玉造温泉の玉造彗が追加になった。
この新イベントの温泉むすめは全員が温泉地の公認キャラになっており、温泉地では駅メモ!とのコラボキーホルダーも販売されている。こちらから探しにいかなくてもパネルもグッズも待っていてくれているのだ。前回の駅メモ!コラボ開催時は、有馬、道後、尖石(台湾)しかなかった温泉地公認を一年で6か所増やし、さらに次の一年で層雲峡、湯原、湯郷、奥津、三朝、塩原、玉造、松江しんじ湖と8か所増やしている。運営の機動力がやっぱりすごい。
だいたい騒動中に巷間で出回っていた「5年以上続くプロジェクト」「多くの温泉地から公認」「観光庁の後援」などのフレーズは相当な過大広告で、半数くらいの温泉むすめはここ一年くらいの間に温泉地に突如出現したキャラでしかない。
むしろ、世間に浸透していくのはこの先のことだろう。公認はまだまだ増える。
温泉むすめ巡りを続ける。まずは新温泉町の湯村温泉へ。温泉観光協会で湯村千代のパネルを撮影し、キーホルダーとタオルを購入。パネルには「湯村温泉観光大使」のたすきがかかっている。流石は公認キャラ、貫録を感じる。湯煙でけぶっている街を歩き足湯に浸かる。ここは吉永小百合の「夢千代日記」で有名な温泉地なので吉永小百合の銅像の写真も撮り、ドラマ資料館である夢千代館を見学。ドラマの風景を再現した展示場で、湯村が胎内被曝者である夢千代の街として新温泉町と広島市との友好の橋渡しとなり、吉永小百合の平和活動の大きなバックボーンとなっていることを学ぶ。最後に薬師湯で温泉を使い帰路につく。
次は南紀勝浦温泉。南紀勝浦樹紀のパネルは、レンタサイクルの並ぶウッドパネルのオシャレな観光案内所ではなく、古ぼけた温泉旅館組合の事務所内に設置されている。この温泉むすめにも「観光大使」のたすきがかかっている。パネルの横には驚くほど多種の南紀勝浦樹紀グッズが並んでいる。つい最近コラボが始まったばかりのはずだが本当に機動力がすごい。勝浦は冬のまぐろ祭りや太地町の落合記念館で落合専用ガンダムエクシアを見学するなど何度も訪れているので観光はあっさり済ませる。勝浦漁港のカフェでまぐろバーガーを食べて、年期の入った建物の天然温泉公衆浴場はまゆで温泉を楽しんで帰る。
鳥羽温泉の鳥羽亜矢海は、鳥羽駅そばのショッピングモール鳥羽一番街にいた。キーホルダーは隣接するレストラン兼農産物水産物の直売所である鳥羽マルシェで購入できた。一緒に伊勢茶と伊勢米とアジの干物とカキとサザエも買う。鳥羽の温泉にはあまりいい思い出がないので代わりに松阪で温泉に入って帰った。
鳥羽亜矢海のデザインはみんな大好きメリーちゃんの牛木義隆さんで、肌色成分多めなのにスポーティさが支配する健康的なデザイン、リボンやスカートの裾に入れた和柄紋、ダイビング由来の手の込んだ小物、結い上げた長い髪を下ろせば大きく印象を変えられそうな変身の余地も作って、本当に最高の仕事だった。海の街のご当地キャラデザインとして傑出した完成度がある。鳥羽はあまり好きな街ではないが鳥羽亜矢海だけは推せる。
松島温泉には車で訪問した。松島観光協会でタクシードライバー姿の松島名月のパネルを見て、福浦橋から福浦島に渡り松島の風景を楽しんだ。温泉は日帰りで利用できる芭蕉の湯という施設を選んだが、松島名月のパネルは主に海沿いの旅館に設置されていたようで結局出会えたのはタクシードライバーバージョンだけだった。
去年「凪待ち」の舞台探訪で石巻に行ったけど、松島の温泉はスルーして作並へ行っていた。松島名月のおかげで松島にも温泉があることを知られてよかった。
小野川温泉には米沢駅からバスで向かった。小野川温泉も以前は存在を知らなかったので、訪れる機会をくれた駅メモ!と温泉むすめには感謝しきりだ。この街は有馬温泉以来の街ぐるみで温泉むすめを活用している場所だった。至る所にポスターやポップがある。訪問スポットに指定されていた甲子大黒天には小野川小町の絵馬もあった。共同浴場滝の湯でクソ熱い湯に浸かり、キーホルダーを販売している名湯の宿 吾妻荘を訪れるとここにも当然小野川小町パネルが設置されている。もう嬉しくなってしまった。
いくつかの施設の人と話してみても、みな小野川小町に好感を持ってくれており、また温泉むすめが目的で訪れた私に対してもとても親切に対応してくれた。ただ、小野川小町よりもつい最近小野川温泉で大々的なロケを行った江頭2:50の方が遥かに街の人々に愛されているとも感じた。まあ、美少女もいいけど江頭と比べられたらやっぱり負けちゃうよな。
飯坂温泉では“最高の温泉むすめ”飯坂真尋に出会う。福島駅から飯坂線に乗ると列車が既に温泉のれんをかけた車両でテンション上がる。飯坂温泉には5年ぶりくらいの訪問になるが、駅を降りた瞬間から飯坂真尋の吊看板、観光案内所にも当然飯坂真尋。街中の旅館もロビーではなく玄関先に飯坂真尋のパネルを設置している。自販機には福島県の温泉むすめのラッピング。数えきれないほどのポップ。10を超えてからは数えるのを止めた。街が一変している。
飯坂真尋ほど地域の愛を一身に受ける温泉むすめを他に知らない。飯坂真尋は他の温泉むすめと比べて特徴的なルックスではないが、その分アレンジが利かせやすくどんな衣装でも着こなせてしまう。その特性を最大限に活かして、飯坂温泉の数えきれないほどのスポットに様々なコスプレをさせた飯坂真尋ポップが溢れている。
飯坂温泉は町出身のオリンピック選手か紅白歌手かのように飯坂真尋を訪問客に誇らしげに紹介している。アニメの聖地などではあまり見られない現象だが、飯坂真尋に限っては東京のオタクよりも飯坂温泉の住人の方が遥かに飯坂真尋を愛している。二年ほど前に借りてきただけのキャラのはずなのにどうしてこんなことが起きるのか。
宇奈月温泉がももクロに染まるのは理解できる。ももクロの熱には魅了されて当然。でも、同じくらいのテンションで飯坂真尋に熱狂する飯坂温泉はちょっと理解の外にある。
自分の好きなアニメキャラを普段アニメを見なさそうな人たちが同じように好きになってくれる様子を見るのが聖地巡礼の楽しみのひとつでもあるが、今日初めてその姿を見る飯坂真尋が多くの人に愛されていることを知って、同じように嬉しく思う。こんな経験は初めてだった。
芭蕉も浸かったという鯖湖湯の隣の鯖湖神社には飯坂真尋のイラスト絵馬がたくさんかかっている。小野川町の甲子大黒天を思い出す。超愛されてる飯坂真尋。でも、よく見るとイラスト絵馬の半分は塩原温泉観光協会プロジェクト88メンバーよりとか書かれてる。互助会だった。塩原温泉グリル三笠軒オーナーは飯坂真尋でなく自分の似顔絵を絵馬に描くナルシスト。鬼怒川温泉が近いせいで塩原温泉は行ったことなかったけど、近いうちに那須塩原の温泉むすめにも会いに行こうと思うよ。グリル三笠軒にも寄ろうと思うよ。
愛宕山の温泉神社前から飯坂温泉の街を眺め、旧堀切邸を見学、八幡神社を参拝、鯖湖湯のクソ熱い温泉に浸かってすぐまた波来湯のクソ熱い温泉をはしごし、ラヂウム最中とラヂウム玉子をお土産に買いこんで、地酒「摺上川」の4号瓶を購入して水郡線で水戸に着くまでに全部開けた。ここ飯坂温泉にはまた必ず来るだろう。
8月に三朝歌蓮、玉造彗が駅メモ!に実装されるとまた早速出かける。前日は皆生温泉で温泉を使い境港で海鮮丼を食べて松江のビジネスホテルに投宿。翌朝玉造温泉に向かい観光案内所で玉造彗のパネルを撮影、キーホルダーを購入する。駅メモ!勢が訪れる以前からも玉造彗ファンは相当数足を運んでいたようで、案内所の人も慣れた様子だ。その後、玉造温泉ゆ~ゆという洋式便器のような形状の施設で温泉を楽しみ、三朝温泉に向かう。
途中、琴浦町の道の駅で「琴浦さん」グッズが復活していないことを確認して、青山剛昌ふるさと館を見学、倉吉でお土産の梨を買ってから三朝温泉を少し通り過ぎて三佛寺投入堂を参拝、一人では崖の上のお堂まで行けない決まりなので行き会わせた年配のご婦人二人とチームで崖を登る。取って戻して三朝温泉、街には射的のある娯楽場、向かいには右翼の事務所、橋の方に向かうと大綱引資料館などという建物もある。小さな銭湯たまわりの湯で温泉に浸かり、観光案内所ほっとプラ座で「みささ温泉観光大使」のたすきをかけた声優サイン入り三朝歌蓮のパネルの写真を撮ってキーホルダーを購入する。
三朝歌蓮は儚げな美少女キャラで可愛いのだけれど、その隣に立つ「宇崎ちゃんは鳥取で遊びたい!×三朝温泉」の宇崎花と赤羽根健治のパネルの方が観光案内所の雰囲気にはマッチしていた。今更だけどやっぱり温泉に制服姿は似合わないわ。
しかし、観光案内所で最も強いインパクトを残したのは、三朝歌蓮でも宇崎花でもなく、三朝温泉マスコットキャラクター湯けむり怪獣ミササラドンだった。有袋類の怪獣らしくお腹のポケットに赤ちゃん怪獣も入っている。こいつが三朝温泉の温泉むすめでも良かったのに。ミササラドングッズはタオルとストラップとシールを買う。
ほっとプラ座には他の温泉地の温泉むすめの缶バッチも売られていて、ご婦人方が入れ替わり立ち代わり缶バッチを熱心に見ていた。本当はご当地キティを探していたのかもしれない。
その後、鳥取市のビジネスホテルに泊まり、翌朝すなば珈琲に寄って砂丘に寄って岩美町で「Free!」の聖地巡礼をして余部鉄橋見て帰路についた。
その後も、駅メモ!と関係なく修善寺透子、高山匠美、白浜帆南美、十津川飛香と出会ったり、別府や奥飛騨では温泉むすめパネルの存在は知っていたけれど設置場所まで足を伸ばすのが面倒でスルーしたりした。それが今年10月までの話だ。
つづく
この度はあらゆる方にご迷惑をお掛けすることとなり申し訳ございません。
誰にも迷惑をかけず、誰にも存在を認知されないまま消えたかったです。
誰にも心を割けず、人に迷惑を掛けるだけの価値のない存在でした。
本当にすみませんでした。
仕事が忙しく自分の責任能力のなさと矮小さで死を考える癖がついてしまいました。
退職直前には既にまともな思考力がなくなっていたのだと思います。
それから個人で受けた仕事も家のことも碌に手がつけれず風呂にも入らず、いつ死ねるのかどうすれば迷惑を掛けず楽に死ねるのかばかり考えていました。
友人が家に来てくれた時もありましたし、とても心配掛けました。
ほっておいてほしい気持ちと、私が鬱々とした状況に心を痛めた友人を見て許された気持ちになりました。
他人がどう思い、嫌な気持ちになるかが人一倍欠落し、自己中心的な人間なのだと思います。
死ぬ失敗と死後の迷惑がちらついて、情けなくも怖くなりました。
自殺した人が偉いとは一切思いませんが、行動に移した度胸は尊敬します。
自殺について調べた際気づいたことは、こころの相談ダイヤルに救われるなら今年だけで14000人も自殺していないです。
死ぬことも責任も放棄した全ての言い訳をみっともなく残し、自らデジタルタトゥーを彫りました。
これを書いている今も誰かに助けてほしいわけではなく、きっとどうにか自分で出来るだろうと過信している自分がいます。
一先ずここで一度、私は私を殺します。
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【追記】
自殺するつもりなわけでもなく、何か起きるかもしれないので残します。
相手もいません。
なので後悔はしていません。
前職に勤めていた頃から退職後しばらくまで、その頃の自分の精神状況は非常におかしかったと思います。
本業と同時に、友人の仕事請け負いをしていたのですが、当時勤めていた仕事が非常に激務で段々と気づかない内に自分の考え方や精神の在り方が崩れていったのだと思います。
本来の仕事と友人からの仕事、自分なら両立できると思っていましたが、自分が弱く計画性もなく、楽な方に逃げた結果、友人からの仕事は手を付けれない状況が続いていました。
しかし、退職する目途が立っていたので虚偽の進捗連絡をしました。
退職さえすればどうにかなるだろうと思っていました。
そして約半年で退職を迎えましたが、その頃にはおかしくなっていました。
自分が入社してからスタートした案件だったのですが、社内で対応できる人間もおらず、ほんのわずかな知識しかなく実績もない自分が担当となりました。
自分は人前で話すことが得意ではなく、注目を集めた状態で人前で話をすると頭が真っ白になったり声が震えたり、頭や手が痙攣したようになってしまうので精神科に通ったこともありました。
しかし自分の業務は打ち合わせ等が比較的多く、確実に負担になっていました。
件数が増えると外注先が対応しきれない案件のフォローも増え、回しきれない業務による残業・ストレス諸々で逃げ出したい気持ちが大きくなりました。
そこで初めて自殺を考えました。
朝起きる度、自殺がちらつく日が続きました。
風呂にも入らず、外にも出ず、家事も手を付けず、食事は宅配で済ませ重なる出費、前までの自分ならやばいと思えたこともどうでもよくなりました。
どうせ自殺するし今日しなくていいや、という投げやりな考え方をするようになりました。
結果、ありませんでした。
マンションでの自殺・電車飛び込みは損害賠償費が発生し迷惑になるのでNGです。
いのちの相談ダイヤルとかいうクソの役にも立たないものが出てきて少し嫌な気持ちになりました。
結果、繋がりませんでした。やっぱりクソです。
ですが死ぬぞ死ぬぞと考えて数カ月経ち、いい加減死ななきゃと思い紙ごみ用の紐を首に巻き付けてドアに掛けました。
30秒もしない内に喉が辛くなり紐を外してしまいました。
結局、私は死ぬ度胸はありませんでした。
そうなると生きるしかないので、これからどうするかぼんやり考えました。(※)
そうこうしていると虚偽申告を続け連絡を絶っていた知人の仕事について、催促の連絡が届きました。
最終的に弁護士を挟んで損害費用を請求するとも伝えられました。
本当に申し訳なかったので借金をしてお金を送りました。(今はリリースしているのを知ったので申し訳ない気持ちは消えました)
この知人が同級生なので、それから他の同級生とも連絡を取っていません。
また、同時期べつの界隈の友人からも依頼をされていたのですが、こちらも逃亡。
どん底なのでこれ以上気持ちが下がることはなですが、上がることは二度とないと思います。
他人と関わると誰かの迷惑になるので、誰とも関わらないように生きていきます。
(※)のタイミングで仕事を探していたところ、就職できました。
借金は年内に返す予定です。
もう私がストーカーになっているのか
今となってはもう何も分からないけど。
ある日、その人が関係することへの思いの丈をまとめた記事が、増田でそこそこバズった。伝えたかったこと、分かって欲しかったことを書いたくだらない文章だった。
私は本人に伝わればいいなと半分執念のような思いで記事を書いていたが、そんなこと、ある訳ないとも分かっていた。
妄想が確信に変わっていくって、こんな感じなのだろうか..?統合失調症なのか、それとも、いわゆる境界例なのか…?
増田にその人個人が特定出来る情報などを書き込む訳にも行かない。
本人に直接会いに行こうと思えば、行けるのかもしれない。
ただそのような出来事があった、というだけの話なんだけど。あまり気軽に友達に話せるようなことでもないのでここに置いてく。
発端は先月末、隣の市に住む親戚のおばさん(従姉妹の母親)が入院したことから。
おばさんは私の伯父の奥さんで伯父は20年ぐらい前に癌で亡くなっている。
伯父夫婦には2人子供がいる。兄には生まれつき知的障害があるが大人しい性格で普段は施設で暮らしている。
3歳ぐらい下の妹、つまり今回久しぶりに会った従姉妹は高校受験で地元で一番の進学校へ入ったが中退し、アニメかなんかの専門学校へ行ったらしい。
だけど就職もできずどのバイトも続かずそのまま引きこもるようになったときいてた。
伯父の葬儀でも見た目は普通の女の子だったがずっと無表情で完全に心を閉ざしている感じで、誰かが話しかけても無視か必要なら頷く程度だった。
おばさんは生前「あの子はずっと私を憎んでいたの。」と言っていた。
伯父は癌になるまで大企業の役員クラスの仕事をしていて激務だった為、家庭はほぼ妻に任せていたと思われる。
そして従姉妹は中学生ごろから両親に「どうせ兄の世話を押し付けるつもりで私を産んだのだろう。」みたいなことを頻繁に言っていたらしい。
ただその兄はもう長いこと施設で暮らしていて年末年始などたまに実家へ帰っていたが、今ではもうその施設での規則正しい生活のほうが本人は楽なようで、両親の死後もそこで暮らせるような手筈にはなっている。
伯父夫婦と私は冠婚葬祭やたまに外でごはんを食べたりお土産のやりとりなどそこそこの親戚付き合いはあった。が、どれぐらい従姉妹を立ち直らせようというような働きかけをしていたかは知らない。
おばさんは洋裁が得意で、多趣味で油絵や音楽を習ったりしていて、いつも忙しくしていた。自分の娘のことは「なるようにしかならないから悩んでもしょうがない」と諦めていた感じだ。
あまりクヨクヨしない、楽天的な性格といえばそういう性格の人だった。
おそらく従姉妹とは性格が合わなかったのだと思う。母娘でも合わないなんていくらでもあるし、本来なら相性の悪い親と一緒に暮らすのは苦痛で仕方ないだろう。
しかし従姉妹には独立できるほどの能力も気力もなかった為に親元にいるしかなく、同時に激しく憎むという生活を長年送ってきたのかもしれない。
しかし今回おばさんが急に入院、容体悪化で危篤ということになり、色々あって私が従姉妹を連れて病院へ行くことになった。
まずおばさんの家の中を見たのはたぶん5年ぶりぐらいだけど、ほぼゴミ屋敷になっていた。前から物が多いなとは思ってたんだけど、足の踏み場はかろうじてあるという感じ。
そして20年ぶりの従姉妹はかなり見た目が変わっていた。かなり太ってたのもあるし、もちろん中年になれば変わって当然なのだが、とにかく外に出ず他人との交流がない生活をしている人間だというのがひとめでわかるような風貌だ。最初はちょっと正視できなかった。そして、何を話しかけても言葉を発しない。
従姉妹に、お母さん入院したことは知ってるの?ときくと、僅かに首を横に振った。知らないしそもそも興味もないという顔だ。それで彼女に説明して
「お母さん危ないみたい。明日の朝、迎えに来るから、お母さんに会いに行こう。」と言うと彼女は小さく頷いた。
冷蔵庫の中を見ると生鮮品は古くなっていたが米はあるしインスタントやレトルト食品も山ほどあったのでしばらくは大丈夫だろうと思ったけど、もし足りないものがあれば近くのコンビニに行きなさいと従姉妹に少し現金を渡してからその日はいったん帰宅。
相変わらず何も喋らないが、もしかしたら行くのを嫌がるかと思っていたので素直に車に乗り込んだのを見て少しほっとした。
今は面会の制限が厳しいから、私だけだと入れて貰えなかっただろう。
病院につくとおばさんはICUの中で人工呼吸器をつけ意識もなく寝ていた。
医師によると最初は違う病気で元の病院に入院していて意識もあったが、そこで突然くも膜下出血を起こして手術可能なこちらへ運ばれてきたとのこと。脳内の出血がひどく完全に瞳孔が開いており、手術せずこのままだと年内もたないとのことだった。そして手術して命は助かっても植物状態で寝たきりになるという。
手術するかどうかはおばさん側の実家の親戚に電話をして経緯を話し、「しない」ということになった。
で、面会はこういう時期なので身内に限りひとりだけと言われ、従姉妹に入るよう促した。が、動こうとしない。
彼女の様子を見た看護師さんが状況を察したのか、私に「付き添いということなら、一緒に入っていいです。」と言ってくれ、従姉妹を連れて一緒に中へ入った。彼女は手を引くとようやく足を動かした。そして看護師さんが寝ている母親の手を布団から出して「もう最後ですよ。手を握ってあげて。」と言われると一瞬だけ母親の手に自分の手を重ねた。でもそれは言われたからした、という感じで、すぐに手は引っ込められ、彼女の様子からは何の感情も読み取れなかった。
もしこれがドラマとかだとそこで急に従姉妹が後悔して泣いたりするような展開なのかもしれないけど。
わかったのは、従姉妹は本当に自分の母親が嫌いだったんだろうなと。悲しい気はしたけどそれはそれで仕方ないとも思った。
彼女にとって赤の他人に等しい私には彼女の事情や内面は計り知れないし、実親が死にそうだから泣いて手を握らないといけないということはない。
自分はなんか余計なことしたのかな、という気分にはなった。
それより彼女にとってはこれからの自分のことのほうが、重要なのだろう。今までと同じ生活がもう出来ないことはちゃんとわかっているはずだし。
翌日、連絡した従姉妹の母方の親戚(おばさんの甥・姪にあたる人)がこちらへ出てきた。なんでも甥はおばさんから自分にもしものことがあったらと従姉妹の後見人を頼まれていたらしい。
そして私と一緒に従姉妹の様子を見たいということでまた会いに行ったのだけど。
彼女に僅かな変化を感じた。
相変わらず喋らないし反応も薄いけど、前日はほったらかしだった伸ばしっぱなしの長い髪は後ろで一つにきっちりとまとめられていた。たったそれだけのことでも、なんかだいぶまともに見えた。
おばさんはその数日後に亡くなり、こんな時なので葬儀も僅かな身内だけで済ませて葬儀後の会食などもせず終わり。
今後、従姉妹のことは(彼女の兄のことも含め)そちらの親戚に任せることになった。近々市の福祉課にも相談に行くとか言っていたし、ちゃんとしたしっかりした人たちなので大丈夫だろう。彼女が長年暮らしたあの大きな家も処分するのだろうな。
そして彼女がこれからどう生きてくのかはわからないし、もしかしたら私はこの先彼女と会うことは二度とないかもしれないけど。
彼女の様子を見て、自分の母親の死に対してある意味ホッとしてるのかもなって思った。
従姉妹は精神的に問題あるだろうし引きこもりだけど、8050問題になって親に刺し殺されたりするような人もいる世の中でだいぶラッキーな人だなって感想でした。