はてなキーワード: シリアルキラーとは
悪人をみればそいつに腹が立つのは人間として当然の心理だと思う。だが、それを謎の理屈で養護してる連中を見ると更に強い怒りを感じてしまう。
中学校にDQNがいた。息を吸って吐くように人を殴るし、弱い者いじめを平気でするし、人に怪我させたことを誇らしげに語る、死んだ方がいい人間だった。そいつのことも大嫌いだったが、なぜかそいつよりも他の不特定多数の同級生の方が嫌いだった。同級生達は暴力沙汰は起こさなかったし、DQNと比べれば善人の範疇に入ると思う。だが、そいつらがDQNと仲良くしてたり、「あいつ普段はあんなんだけど、根はいい奴だよ」とか言ってるのが腹立たしかった。いじめられるのが怖いからうわべだけでも仲良くする風でもなく、割と本心で慕っていたように感じられた。そのリテラシーのなさが許せなかった。「あいつがいい奴?いい奴だったら平気で人殴ったり、それを自慢したりしねえよ。お前頭大丈夫か?」みたいなことをしょっちゅう思っていた。少しでもモラルあるなら、DQNのことを好きになれるはずがない
高校にはクラスの中心みたいなポジションにいるが、気が弱い奴には冷淡・高圧的に接するクズ、大学のサークルには牟田口廉也みたいなパワハラ野郎がいて嫌いだった。だが、そいつとつるんでる連中や慕ってる連中、お決まりの台詞「根はいい奴だよ」を言う連中がもっと嫌いだった。
おそらくこれから社会に出たときにモラハラ・パワハラ上司に出会ったらそいつよりもそいつと仲良い奴のことが嫌いになるんだろうな。
てんちむが豊胸事件で炎上した事件についてもそうだ。しくじり先生で初めててんちむを知ったが、それを見て「あっ、こいつは関わったらいけないタイプの人間だな」って思った。豊胸で炎上した際にも「どうせ、そうだろうな」ぐらいにしか思わなかった。だが、野次馬的な気持ちで謝罪動画のコメント欄を覗きに行って、擁護してる信者共を見たときなぜか腹立たしい気持ちになった。別に俺が騙されてたわけじゃないし、信者が擁護しようと俺には関係ないことなのにマジでむかつく。救いようのない頭の悪さに腹が立ったのか、悪人にすり寄ってるくせに善人面してる矛盾に腹が立ったのか知らないが、なぜか怒りを感じてしまった。
ホリエモン、キンコン西野、ヒカルについてもそうだ。こいつら自体は正直どうでもいいと思う。だが、信者を見てるとぶん殴りたい気持ちになる。
嫌いな政治家、活動家もいるが、そいつらよりも支持者の方が頭にくる。
凶悪犯罪についても加害者本人よりもそいつに軽い判決を下す裁判官や自称人権派弁護士、死刑廃止論者に腹が立つ。こういう悪人に寛容なのが美徳と思ってる連中を全員死刑にすれば日本人のモラルは向上すると思う。
テッド・バンティーとかポール・バーナードとかのシリアルキラーにファンレターとか送った阿呆も苦しみ抜いて死んでほしい。
この現象って一体何なんだろうな。
タイトルで強烈な文言を述べたが、私個人は神様を信仰していない。私は神様ではなく自分に幸福をもたらしてくれる縁や尊敬できる偉人を信仰している。
私の家系は日蓮宗であるが、それを意識することはほとんどない。葬式や父の実家の仏壇を拝むときだけだ。クリスマスも初詣もするし、お守りを持つこともある。
このような態度は無宗教と呼ばれ、日本人の多くはこれに分類される。中にはこれを宗教的態度の欠如であると批判する人もいる。私が小学四年生の時の担任教師はこれをおかしいと非難した。
しかし、私はこのような「無宗教」が日本で起こったことや、無宗教の人が宗教の恩恵にあずかれるのはおかしいことではないと思っている。
日本人の宗教観は、この世には沢山の神様がいるという宗教観である。この世のあらゆる事物にはそれぞれの神様が宿り、神様達の動きによりこの世界の因果関係が決定されると考えた。それぞれの神様は人間と同じく感情を持つものとして考えられ、祭祀や信仰はその神様のご機嫌をとることに近かった。この宗教的態度は外国から仏教や儒家思想、キリスト教などが入ってきても変わらなかった。
このような宗教的態度が生まれた背景を和辻哲郎のエセー「風土」は日本(および東アジア)の雑多な生態系と災害の多さに求めた。日本人は古来より抗いがたい災害に見舞われ、それに耐える忍耐力を養った。そしてその気象条件は同時に命の恵みも与え、我が国に植物や動物の息吹があまねく見受けられるのである。
こうした環境が日本人の精神を作り、その精神から人格を持つ沢山の神様を生み出したのである。これは自然環境が変わらぬ現在でも同じであり、欧米や中東のような一神教的な絶対神が日本を征服できないのはこのような理由がある。一神教の神は、多神教の神の国の一部として取り込まれるのだから。
遠藤周作の小説「沈黙」では、日本に伝来したキリスト教の教えが日本に根付かず改変されていることを元宣教師のフェレイラが嘆くシーンがあるが、それは上の風土を考えれば当たり前のことなのである。
一方でキリスト教やイスラム教などの一神教が誕生したのは、砂漠の国の中東からである。そこは日本とは全く異なる生命の息吹が皆無の殺意の大地である。そのような状況から砂漠の民のヒューマニズムへの関心はとりわけ高く、それが人間の味方である絶対唯一神への信仰を生み出した。
それがヨーロッパに入り浸透したのは、ヨーロッパの民族は合理的で従順だったからである。ヨーロッパは生態系が単調で、人間からすれば自然は全部「役に立つ」ものだった。そこから古代ギリシャ・ローマに代表される科学的合理的思考がこの地で起こり、それはヒューマニズムに満ちた一神教を受け入れたのだ。
ここで、あらゆる神や宗教を吸収する多神教の国日本と一神教が人々を統べる欧米や中東の差異が分かる。そして、これが日本の無宗教を受容する態度と非難する態度の違いを生み出すのだ。
一神教的宗教観は日本の無宗教を非難するが、それは無宗教が神様を信仰しないからだ。一神教の神は世界の創造者で裁定者で救済者なのである。それを信仰することが彼らの人間として生きることの証なのだ。故に無宗教は非人間的な態度であり、シリアルキラーと同類の存在なのだ。先の私の小学校の先生も無宗教を人間として無節操な態度と考え、非道徳の理由を無宗教に求めたのだ。
その上で私は一神教的宗教家の方々の私の宗教観への批判に反論したい。私が信仰しているのは神を持たない宗教であると。
先ほど私は日本の宗教観ではこの世の事物にはそれぞれ神様がいると述べたが、それはあくまでいるだけであり信仰する神ではない。物事の因果を神の所業と考えているが、それを起こす神が気まぐれでそれが沢山いる以上もうどうしようもないのだ。もしこれが人だったら早々と見限るような神々は沢山いるのだ。神は人を選ぶのだろうが、人間も神を選ぶのである。
私も以前は神は正しいメッセージを授けてくださると思っていたが、いつまでたっても授けてくださらない。それは当たり前のことであり、雑多な風土に宿る神が雑多なメッセージ以上の何かを発信することは出来ないのだ。日本の土地では裁定者たる神はいないのである。「沈黙」でも、主人公の前に裁定者は最後まで表れなかった。裁定者は日本という沼地で溺死したのだ。故に主人公は生きるという決意で生き延びたのだ。
「沈黙」では神を心のなかで生きる存在と最終的に結論付けたが、私はその神の存在意義は最初から否定した方が楽なように思えるし、そちらが神様にとってもありがたいであろうと思う。そうでないと私は神様に対する「たかり」になってしまい申し訳なさで死んでしまいそうだ。
何か危機に陥ったときにかつては祭祀や加持祈祷に頼っていたであろうが、科学の時代においては科学の方が日常生活では「烏合の衆」よりかは帰依出来る。
今のコロナ禍でも、精神的基盤を補強する役割以外では、神頼みよりも衛生的処置や医療措置の方が遥かに大事なことはすぐに分かる。
では私は何を宗教に求めているかというと、私の心と世界とのコミュニケーションである。世の中には理不尽なことは沢山ある。そんなときに世界が沈黙し私を嘲笑しているように錯覚することがある。
だが、それは私が世界とのコンタクトを放棄しているからである。世界は私を嘲笑していない、語りかける励ましの言葉はある。私がそれに気付くとき、私は心を開き癒されるのだ。その回路を開くことが私の宗教的態度である。私が信仰しているのはそうしたものである。
私は長々とここまで語ったが、私は他人の宗教的態度を否定するつもりは毛頭ない。私には私の納得する宗教的態度があり、それを大切にしている。故に他人にはここで語ったことに対抗しうるだけの宗教的態度があると考えられる。私はそれを侵すつもりはないし、相互不干渉を守りたいと思う。自分の守りたいものと同じように他人の守りたいものは守りたいのだ。
私の記事は以上だ。
近年「サイコパス」という言葉がカジュアルに使われることが増えた。
シリアルキラー・異常性愛者・ヤンデレなどと混同され誤用されている。
これは「悪の自覚がない」とは異なる。
悪いことであるとは知っているが、
そのためサイコパスは平気で嘘をつく。
自分の業績を捏造し、失敗しても巧みに言い訳をするので、表面的には魅力的に見える。
普通なら良心の呵責でブレーキがかかるところを、サイコパスなら躊躇いなく踏み込める。
それはある種の決断力とみなされうる。
サイコパスの多くはただの「嘘つき」として生きている。
社会生活上に困難をもたらす人間の特徴を「障害」と定義するならば、
サイコパスたちは「生まれつき良心に障害を抱えている」だけでしかない。
故に「反社会性パーソナリティ障害」という病名がつけられているのである。
サイコパスへの理解を阻害し、彼らが引き起こす問題をさらに大きくするだろう。
別れ際に手つなぐまでやっと行ったが考える時間がほしいとのこと。皆の言う恋愛工学に毒されている自分としては「その状況ってつまり煙に巻かれてダメなやつじゃん」と落胆してるんけどいつか後日談書きます。
否定しても証明しようがないのでここにて運営へ改善点を。他のメニューから【おでかけ機能】タブをタップしたら途中までスクロールしてても一番上に強制移動するのはクソUIだからYoutubeやTwitterを見習って。あとアクセス不具合とかあるたびにカードばらまくけど、女性はそもそもいいね来すぎてカード消費しないし男からのいいねも見てない、だから男に配っても同様に無駄。どうせなら女性はおでかけの掲載時間を24時間延長できるとか、男にはおでかけの一日上限を+5するとか実際会うのに直結した機能でお詫びをした方がいい。
きっと本当にモテる上位層からしたら、爪切る・髭剃るレベルの当然過ぎることしか書いてないと思いますけど。恋愛工学が、相手に不快感を与えない・トラブルを避けるための最低限みんな模倣できるって定義だと良いですよね。きっと必勝法って意味で使われてるんでしょうけど。
182cmの所感。モテに身長は全く関係ない。強いて言えば歯列(矯正したらちょっとモテた)。増田みたいな勉強熱心で人たらしモテ男の知人は皆小さめだった。でも例外なく結婚願望もあるのに独身中年になってる不思議。
歯並びは健全なので気にしたことなかったけど、自分の肌みたいに不安要素なくすのは良いことですよね。駅とかでナンパしてる人ってなぜか小さい印象があります。
自分は新宿徒歩圏に住んでるので、新宿で会ってもらえる時は2,3軒を使いまわして毎回同じ集合場所にしてました。あとさすがに記憶力持たないので会う回数によって服装を決めてしまい何回目のデートか忘れないようにしてました。
ヒールを履いた状態で並んで歩いた時の身長差が○○cm欲しいとか言う子が多数いて、それパイズリできる大きさって言ってんのと一緒だよっていつも喉まで出かける。
九州にいる知り合いは【おでかけ機能】の募集も過疎ってると言ってました。埼玉神奈川千葉在住で「都内で会うこともできます」って書いてる女性は多いのでやはり東京がチートかと。
「自分を知ってほしいし、知りたいと思う対象」くらいの域にしか達してませんね。一方で「誰からも咎められずキスやセックスができる対象」とかもし思ってたらこんな他の人としないでしょ。
やりたきゃ風俗行けっておっしゃる方、射精したきゃオナニーしろって言うのと同じですよね。
本命にはできないってことは同じ行動した男に釣られてパコパコしてたら嫌だとか女釣りで同じ行動で釣られる女程度だと嫌とかそういう無駄な心理的な障壁?ありそう
するどい。それもありますし、早く付き合いたい反面、恋に恋してる時間を少しでも満喫したいとも。
そんなに知らない誰かと話したいもんなのかな…。/ 会って目の前にいるのにスマホ見てて相手にしないの凄いな…。ハズレ認定してるなら帰ればいい気がするんだけど…
長年フリーランスで在宅作業なので人と話すのには飢えていますね。数こなしてるとヤバイ相手に当たっても、後日友達に話すエピソードなにか生まれないか粘るようになってきます。
大切にしてるかはそうですね。自己肯定感は中学くらいからずっと高いんですけど、ちょっと違うんでしょうね。
もっと言うとマスカッツと乃木坂と絡む時の2人に近いかもしれませんけどね。
まとめると,ヤリモク女8人に食われた,以上
少なくとも5人は確実にそうだと思います。
セックスするのと彼女ができるのはあんま関係ないだろ まぁセックスできてた方が彼女ができる確率が高いだけだわな
セックスできれば男としての肯定感あがるし、その経験をいかしていけるので全然良いよね。学習できる度量があるはずなので長期的関係も築ける。モテずにセックスできないことのほうがむなしいでしょ
セックスって単語何回も書いたのが良くなかったけど、セックスまじで副産物だと思う。話が盛り上がったからセックスできたわけでもないし。初対面の子とルノアールで4,5時間色んな話ができたとかの方が男としての肯定感あがりました。
こんなヤリチンみたいになってても好きな子ができるとロケハンしちゃうのか。好きになってもらえると良いね。
「本当に彼女にしたい子ができてからは、逆に何をどうしたら良いのか何も分からないし他事例での大胆さも発揮できてない」これが本命童貞というやつか
真面目な恋愛ができなくなるとか書かれているけど、むしろ好きな子にはより誠実でありたいと思うようになった気でいるんですよね。実行できてるか知りませんが。
セックスしたら「付き合おう」と言われたり、「また会おう」と言われたりしないの…?
セックスが先で付き合うのは可能なら僕も嫌です。セフレも今は不要でした。
セックスして「好き」と言われたら「ありがとう」と頑なに言います。「付き合おう」とか「また会おう」とか言えるメンタルの子は普通いないと思いますよ、あっちも分が悪いかただのヤリモクなので。
一人の人としか恋愛せずに添い遂げる人もいるのだから50人にそれが見いだせないとされた理由はそういうところにあるのでは。恋愛に至ってないから工学やらにもなってないよね。
虚無オチにしたことでブコメからの批判を和らげていて、実際乗せられてるブコメ多数だが、これは初日にセックスまで持ち込むゲーム
見抜かれた。おっしゃる通り自己正当化です。虚無とか書いてるけど、元カノと別れてまだ4ヶ月だし本命に失恋したわけでもないのでベースは楽しいです。
若かったら増田と友達になりたかった 夜中ファミレスで「それで結局何がしたいの」とか「ほんとは彼女なんて要らないんでしょ」とかズケズケ言って「黙れブス」とか言い返されるの昔好きだったな
ありがとうございます。まさにそういう女友達います。女友達にも容姿求めますが。
ナンパもどきってかSNSのフォロワーとのオフ会の延長の類だと思ってるんで。
これは別に普通の最低限のことを書いてるだけで。これぐらいは当たり前にやらないとダメよ。恋愛工学までいってはいない。どこでも会えてる男が沢山会えてるんだから。
ほんとそう思う。男が平均的な美意識と思って女性に求めてるものなんてもっと壮絶なものだと思う。
押井守のダレ場理論とかの話もします。『モテキ』の長澤まさみのキャラの外見が長澤まさみじゃないver.って感じです。
お幸せに!自分は昔一人目に会った子を彼女に出来て、でも逆にもっと良いのがいるのではないかと思い付き合ってもこっそりやってたから、今回は嫌気が指すまでやってみてる感じです。
二重・色白・髪質もそうだけど誰かから見て恵まれてたスペックは成功体験重ねない限り省みたり意識しないということですかね。
ヤリチンを避ける為の女の戦略は、「初回に手を繋がないし3回目まではセックスしない」ことだ。まぁアプリを使う女側も、寂しかったりセックス目的の子も15%くらいは居そうであるが
手なんて本命の子以外繋いだことなかったです。確かに3回以上会うと好意持たれるかもっていう恐怖がヤリチン側にはありそう。
たしかに増田自身を知って欲しいとあまり思ってないかも。1人の友達にだけ50人と会った事を言ってて、本命の子にはそれ以外の自分を知ってほしいかな。
ワンナイトして付き合ってもワンナイトで浮気されるの経験してるし、セフレになるのはもっと不誠実と思ってバッサリいきます。北野武が言ってたけどその分本番は一生懸命やる、そうすると後腐れないらしい。
ホントはそう願っています。当たり前だけど皆ちゃんと考えて生きてるわけで話してる時は学びもありますよね。
勃ち待ちしちゃう貧弱さなのでそれはホント同意です。あと中の広さと比例してるのか167以上の女性はサイズが合わない確率が高いとも思ってからは身長も条件にしました。
シリアルキラーのようですね。
仕事の打ち合わせも時間通りに進行したいタイプなので、複数会う予定組んで移動時間も含め完璧にこなせるとスッキリ。
バナナムーンの話が出てきて笑った
下リスナーやクソガールは少なく、星野源菅田将暉CreepyNutsをよく趣味タグで見る。
風俗行けってコメ、この増田にとってはセックスは単なる過程なのでは?
恋愛工学ガーってマウントコメが人気だけど、中身読んだら普通に人間的成長に繋がってて草。しかも長く友達でいたいって相手や絶対付き合いたいって相手まで見つけてる。やっぱり行動と改善の繰り返しなんだろうな。
おっしゃる通りです。50人会って8人とセックスできたと読み取ってもらってもいいけど、何百人とやりとりして50人と会って1人好きになれそうな人を見つけたというのだけが自分にとって重要な数字です。なので過程というか、本命とのデートを待ちわびる日々に気が狂いそうになる間の精神安定ドーピングみたいなものですよね。
自分がクズなの知ってるんで女性も課金してるようなところは教会みたいでまだ近づけない。
このスペックなら普通に有料の婚活サービスの方が食いつき良かったのでは?
無課金でタダ飯食おうとしてるヤツをぶっ飛ばしてやりたいって気持ちもたまには持ちながらやってます。
ひと学年分の女子と授業や部活で話していくうちに一人好きな子見つけると思えば数いってるとすら思わなくなりそうですよね。
別に自分の仕事が充実してたら、プライベートは相手のために喜んでうなずきマシーンにでもなる。
概算ですが10万くらいしか使ってないと思います。節約して家にしてたんですが友達にメンヘラは急に家の前立ってたりするからと言われ途中で方針変えた。
人を見下してる感じ、さすが
成功体験より無視やブロックされた経験によって屈折した男尊女卑が肥大化している自覚がある。でもこれは会いまくってなくてもアプリで日々起きてるはず。
別だから両輪でまわすんです。
身長はともかく金と時間かけて手に入るものをわざわざ面倒がる男が多くて助かってる。
4ヶ月で8人なら風俗行った方が楽なんじゃ
素人モノAV好きなので。あとどう考えてもセックスよりデートしたいですよ。セックスよりデートの方がおっさんになってから純粋なものにはありつけないと思ってる。
そう。自分が浅い人間になってる感覚もあるし初対面のドキドキを超えられない。
Tinderでだけどトロフィー集めてる自称ヤリマンに旧帝枠でヤラせてもらったことあり。
鬼滅デッキがTier1
結婚したいのかしたくないのかで変わってきそう
とりあえず、この人はすごく頭がいい、は天才ということでいいとしよう
天才的で、承認欲求が強すぎて犯罪まで走ってしまったのではないだろうか、と自分が思う人は色々いるような気もするが、
宮崎勤は宅八郎やマスメディアの扇動でロリコンだのアニメオタクだののイメージを視聴者に植え付けることに成功してしまっている気がするが、
宮崎勤はパズル雑誌を愛読しており、独自のパズルを考え掲載されもしている
もしかしたらgiftedと呼ぶに相応しい能力があったかもしれないが、幼女連続殺人を犯したというのは揺るがない事実であろう
酒鬼薔薇、少年Aに関しては宮崎勤のパズル雑誌のような話は自分は聞いたことがないが、
なんとなくではあるが、彼は弁護士資格ぐらいなら余裕で取得できるだろうと思う
少年Aが人間的にどうかは分からないが、知的水準が高いだろうなと思ったのは、あの赤い字で書かれた犯行声明文である
schoolのスペルを間違えたりはしているものの、知的な人間だというのは十分感じられる
本人は別人を装うための偽装工作だと供述しているが、自分には納得できない
「絶歌」を読んだわけではないが、報道されていた内容から考えるに、
少年が開設したHPのタイトル「存在の耐えられない透明さ」を納得させるようなものに思えた
死体に対する性的興奮、ナルシストなぐらいの筋トレ好き、ナメクジへの異常な執着などがあったようにうろ覚えだが記憶している
自分が思うに、少年Aの犯行動機は性的興奮のためでもあったと思われるが、
そのHPのタイトル「存在の耐えられない透明さ」というのはかなり的を射ている気がしたのを覚えている
しかし、それが普通の人の承認欲求のレベルではなく、自分の存在がいつも揺らいでいる、自分が存在するかどうかさえいつも不安であるとしたらどうだろうか
ラヴクラフトの「アウトサイダー」のように、他者に自分を認識されて初めて人は存在するのであり、そして自分が怪物であったことも明らかになるのである
少年Aは偽装工作と述べているが、いちいち鼻を突く挑戦的な文言は偽装工作にそぐわない
もちろん、天然でこれが偽装工作だと思っているのかもしれない
しかし、あの赤字の犯行声明は偽装工作の裏から犯人の少年Aの承認欲求が滲み出すぎてしまっている
宮崎勤は将棋も得意だったようだしパズルの能力も高かったと思われる
高校卒業後の1981年4月、東京工芸大学短期大学部画像技術科に進学する。このころはパズルに夢中になり、自作のパズルを専門誌に投稿したり、雑誌のパズル回答者として雑誌に名前が掲載されることもあった。
宅八郎やマスコミの作り上げたロリコンだのアニオタだのウルトラマンの切断技が影響しただのは疑わしい
部屋に収集したビデオは視聴目的というより収集目的であったようである
このころアニメの同人誌を発行するが、態度や言動から仲間に嫌われ、1回だけの発行で終わっている。その後は数多くのビデオサークルに加入し、全国各地の会員が録画したテレビアニメや特撮番組のビデオを複製し交換・収集するようになるが、持つだけで満足してしまい、テープのほとんどは自ら鑑賞することはなかった。ビデオサークルでは、ほかの会員に無理な録画やダビング注文をするため、ここでも仲間から嫌われていた。逮捕後の家宅捜索では6,000本近くのビデオテープを所有していたことが判明する。
無理なダビングを注文する、というのは極度の完璧主義者であったのだろう
天才かどうかはともかく、狭い領域に極端に執着するタイプであったのは事実だと思う
そして、宮崎勤の犯行声明も、これもまた挑戦的な文面だったように記憶している
凡人の自分からすると、挑戦的な犯行声明など逆効果なようにさえ思う
雄弁は銀、沈黙は金ではないが、なぜ少年Aも宮崎勤も犯行声明ではここまで挑戦的な文面になってしまうのか
コンプレックスの裏返しと述べるのは簡単だが、ここにも承認欲求の拗れみたいなのを感じるのは私だけだろうか
天才的な能力を持っていたかもしれないのでありながら、ここまで非人道的な犯罪にまで走ってしまうと、その能力を役立てることも不可能になってしまう
ただ、少年Aは少年院に入っても更生が難しく、出所後も出版物や週刊誌の内容から更生できているとは思い難いところがある
座間の事件もそうだったが、凡人の自分にはまったく理解できない話である
ではあるが、怪物のように思われるシリアルキラーも人間であることに変わりはないわけで、
根本的なルールが異常であったとしても、その異常なルールを根底に考えれば、なんとなくこんな気持ちだったのではないか、と思うところはある
少年Aにしても宮崎勤にしても、正解は自分だけが知っていて、当ててみ?という優越感はたまらなかっただろうと思う
面接する側、雇う側だけが正解を知っている、就活の面接はまったく情報が非対称なゲームである
パズルを解くというのは、その挑戦に抗い、打ち勝つことで逆転する喜びなのかもしれない
帰省をした。
それでも帰省をした。
お盆が近づいている。
国や都道府県の判断を仰ごうにも「慎重に」「感染防止を徹底して」「自分も感染者かもしれないという気持ちで」など見飽きた言葉が並ぶ。
その結果大事な人が感染しても、感染拡大の犯人の一人になっても、家族が周囲から叩かれる結果になっても、自己責任だと言われている。
顔を見に行った結果高齢の家族が亡くなっても、顔を見るのを我慢している間に会えないまま高齢の家族が亡くなっても、自己責任だと言われている。
たとえば政府が「帰省を控えろ」「旅行を控えろ」と要請する中で帰省を敢行した人が非難されるのはわかる。
しかし、今の状況で政府の呼びかけを遵守する=「感染拡大の防止を徹底して動く」を実行した人が、運がよければ非難されず、運が悪ければ非難される。
第一波がおさまり、居住地の都市でも感染者が毎日ほぼ0とか1人とかになっていた頃、本当は会いに行く予定だった。
が、予期せず施設の面会が予約制になっており、予約が取れなかった。
嫌な予感がした。次に休みが取れるのは2週間後。
「すぐじゃないの」と母はこともなげに言ったが、保健関係で働いている私は「どうなっているかわからないよ」と答えたのを覚えている。
第二波は確実に来ると言われていた。しかし、私の勤務先のある自治体を含め、ほとんど何の対策もとっていなかった。
幾人かは「夏になれば収まる」とまだ信じていた。少しは国際ニュースを見てくれ。
2週間後。
毎日0〜2人で推移していたはずの新規陽性者は毎日100人を超えていた。
普段楽観的な地元の家族も、今はやめておいたほうがと言い出した。
推奨されない行為なのはわかっている。しかし「来月にしなよ」と簡単に言う家族に対して、緊急事態宣言がもう出ないとされている以上、来月はもっと悪くなっていると説明した。
私だって嫌だ。
私のエゴで会いに行ったせいで高齢者施設で感染爆発して、おばあちゃんが死んだり、他の誰かの大切なおじいさんおばあさんが死んだりしたら。
私の仕事の都合でしばらく会えなかった時、驚くほど認知症が進んだ祖母。
入院して、一時はベッドの上で拘束具をつけられたり、医師から胃ろうを提案されたりした祖母。
そのくせ、私が胃ろうに反対し直談判するために飛んで帰ると、途端にハチャメチャ元気になって好きなおやつを口からぱくぱく食べられるようになって、秒で退院をキメた祖母。
不安がっていた施設入所も、私がたまに会いに行くと嬉しくて泣き出してしまう祖母。そのたびに私も貰い泣きする。そのあと、誰彼構わず孫の自慢話をしてしまう、ちょっと困った祖母。
会いに行くのは私のエゴだ。
でも、私が会いに行くことは、祖母の健康維持の一つでもあると信じている。
それも含めてエゴだしナルシズムっぽいのは承知なのだが、高齢者の健康状態というのは本当にあやうい。
気の持ちよう一つで死んでしまうのだと、一度は死にかけの状態だった祖母(今はぴんぴんしている)を見て私は学んだ。
そして思春期に祖父を突然亡くし、その時生意気の盛りだった私は、たくさんの約束を守れないまま大好きな相手が骨になってしまう痛みを知った。その時、祖父の大切な相手でもある祖母にはできるだけのことをしようと心に誓っていた。
帰省をした。
前日の夜まで不安がって反対する母(常識人でよかったと思う)に次のことを約束した。
・マスクをする
・祖母の施設に着いたら、施設職員とは電話で会話をする(直接対面でしゃべらない)
・実家のある町の近辺には立ち入らない
・誰かと食事をしない。ていうか誰とも会わない
実行した。
駅を降りてからとにかく努めて沈黙し、コンビニで飲み物を買ったときにもお礼さえ言わなかった。(心は痛んだ)
私の地元には古い風習があり、「大晦日の深夜にとある川にかかっている7本の橋を一言も喋らずに渡りきる」「成功すればその一年健康な体でいられる」というものらしいが、ひたすら黙っている間その話を思い出した。
今ではやっている人がいるのかわからないが、その話を教えてくれたのも祖母だ。昔、実際にやったことがあり、隣に家族がいるにもかかわらず一言も話せず、寒く辛く長い道のりだったという。
一人で行動し、スマホもある中で一言も話さずにいるのは現代人の私にとってさほど苦ではない。
が、その話を思い出した私は、祖母と祖母の周りの人と、この地域の人と、私自身の健康のための壮大な願掛けにチャレンジしている気持ちに勝手になった。
面会時間は15分。
地元の駅からバスで移動した時間も含めて、市内の滞在時間は約30分。
やってよかった、と思う。
この話を周囲にした時、反応は芳しくなかった。
「新幹線のお金がもったいないよ」…個人的にはもったいなくはない。お金の話ではない。
「最初から帰らなきゃいいだけの話」…だから帰りたくないけどそう言ってる間に祖母が死ぬかもと思っての苦肉の選択なの。
ガラスの前に置かれた椅子に座っていると、遠くから職員に案内されて祖母が歩いてきた。
最近も小さな不調を繰り返して通院していたと聞いていたので、車椅子かなとも覚悟していたが、ゆっくり、杖もなしに、頼りない足取りではあるが歩いていた。
認知症があり、たぶん今日の面会の予定を聞かされていたとしてももう忘れているだろう。老眼鏡の奥の目がいぶかしげに細くなり、あそこに座っているのは誰じゃいな、とでも言いたげだった。
それがある程度まで近づいた時、私だとわかった瞬間があった。
ぱあっと笑顔になり、私の名前を呼びながら、踏み出す足が急に力強くなった。ガラスの前まで来ると急に眉根が寄り、なんでそっちにいるの、入ってこないの?と言いながらも、ああ来てくれてありがとうねと嬉し泣きを始めた。
私もぼろぼろと泣いていた。来てよかった。新幹線代なんかに変えられるか。
保健所で働いている同僚とも話したことがあるのだが、発声を伴う感染拡大はなんだかんだ大半を占めると思っている。
私は多少手話が使えるが、たとえばもし国民全体に広く手話が普及したりなんかして、口だけにとどまらないコミュニケーションが可能になればもっと色々捗るのでは?なんて個人的に思ったりもする。(マスクは透明なものが必要になるけど)
多分皆が迷っている帰省というのはこんなんじゃなくて、普通に家族と食卓を囲んだり、近況を話し合ったりで、それができないなら意味がないし帰らないという人がほとんどだと思う。
でも今回の帰省モドキを実行してみて、感染リスクを限りなくゼロにしても、達成できる何かも存在すると思った。
「帰省」とひとくくりにして非難したりするんじゃなくて、その人の家族の在り方も、帰省の仕方も、それぞれオリジナルでやりようはあるんだと少しでも考えることができないだろうか。
感情のままの日記なので、匿名とはいえキモい文章になっていることを謝罪したい。
帰省を終えた私が一つだけ気がかりだったのは、施設の職員に託した祖母への手紙と写真、あとその日スケッチブックに書いた「おばあちゃん大好きだよ」「いつまでも元気でいてね」のメッセージだった。
手紙と写真が入った封筒はアルコールで軽く拭いたけど、スケッチブックからちぎったページは拭いていなかった…!
なんて最後まで気にしていたが、2週間以上経った今も幸い感染の知らせはない。逆に言うと、そのスケッチブック以外は心配になる要素はまったくなかった。やりようはある。「感染拡大防止を徹底しながら」家族の顔を一目見る方法はあると思う。
100人を超えていた新規陽性者数は今、さらに2〜3倍を推移している。
1日も早い収束を願ってやまない。
この説の根拠は犯罪者プロファイリングを創始したロバート・K・レスラーの言葉、
「殺人者の始まりは、ほぼ動物の殺害や拷問に端を発している」とされている。
(複数の動物愛護系サイトでこの文が引用されているのを確認した)
だが、奇妙なことにレスラー氏の著書を読んでもそのような記述はまったく見当たらない。
というより、レスラー氏が連続殺人鬼(シリアルキラー)が生まれる遠因として指摘したのは
「幼少期を崩壊過程で過ごすこと」であり、調査したシリアルキラーのほぼ全員がこの特徴を持っているという旨のことを「FBI心理分析官」で語っている。
いやいやいやいや……巷間に流布している「動物虐待=凶悪犯罪原因説」と全然違うじゃないか。どうなっている?
詳しく調べてみると、ロバート・K・レスラー氏が言ったことになっている、
という文の出処を辿っていくと、
某世界的動物愛護団体が「ロバート・K・レスラーがそう言っていた」という伝聞調のソースを挙げている記事に行き当たった。
しかし、辿れるのはそこまでで、レスラー氏本人が言ったというソースは見つけられなかった。
FBI捜査官と何の関係も無い動物愛護団体が勝手に捏造した言説が
小島秀夫も絶賛していたらしい、スウェーデンの映画『ボーダー (Gräns)』
取り替え子 (Changeling)・・・トロールなどの子どもと人間の子どもが交換されるヨーロッパの伝承をモチーフにした話で
森で暮らすヒロインがすごーーく醜いって設定
たぶん増田もはてなもミニシアター映画は観ないと思うので以下完全にネタバレ
ヒロインのティーナは不美人だが、人間の感情を嗅ぎ取り読み取ることが出来る特殊な能力を持つ
彼女は税関職員としてその力を遺憾なく発揮し、日々密輸やその他の悪事を完璧に摘発する
醜い容姿から、幼少期は虐められ、大人になり職を得た現在も不躾な視線は一向に無くならず、
疲れ果て、森の自宅へ戻っても、いるのは働かない上に浮気を隠す気がない同居人と襲いかかってくる犬
父親を見舞いに行けば「あの家はお前のものなんだぞ」とは言われるものの、
「彼は優しい。わたしは一緒にいてくれる人が欲しいだけ」と彼女は答えるしかない
そんなある日、税関で自分と似たような外見と不可解な匂いのする大男を見つける
それどころか、どうみても大男なのに女性器を持ち更には手術痕すらないという
なんやかんやあったのち彼女は自分と似たような男(?)ヴォーレを森の自宅の離れに住まわす
働かない上に浮気を隠す気がない同居人は『シリアルキラーかあいつは?なぜ僕に無断で決めたんだ』とおこだったがティーナはシカトした
そしてなんやかんやあったのち、自分は人間ではなくトロールであったことを知る
醜かったわけではなく単純に種族が違っただけだったのだ。彼女は生まれながらに完璧で出来損ないなんかではなかったのだ
人間の世界では疎外感を感じるのでヴォーレと一緒にトロールの同族を探し、同族と共に暮らすと申し出るも、
「キミは人間の世界に適応出来ている。辞めとけ」と言われてしまう
税関で児童ポルノビデオを摘発した能力を買われ、児童ポルノビデオを制作している住所を探し出して欲しいと依頼される
ヴォーレは人間の赤ちゃんを攫っては自分の生み落とした赤ちゃん(無精で出産出来る)と交換し、
人間の赤ちゃんは児童ポルノなど闇組織に売り払い、人間たちへの復讐とフィンランドにいるらしいトロールの同族探しの資金としていたのだ
ティーナはトロールが人間にどんな目にあわされたかはヴォーレから聞いている
トロールは人体実験をされ刻まれ精神病院へ閉じ込められ、その殆どは生き残ることは出来なかった
運良く生き延びられたティーナも尻尾を切られ、人間から酷い虐めを受け、今もなお不躾な視線を向けられ続けているし、
森の家を残してくれた父親にしたって、本当の両親(トロール)のことについて尋ねれば、人間の犯した罪と向き合わず、怒鳴り散らすだけだ
先日摘発した児童ポルノ制作の犯人たちにしたって普通の人間の夫婦で一見はまともなご家庭風だった
ティーナはトロールの同族探しの旅への同行は断り、ヴォーレに警察を差し向ける
ヴォーレは武装した警察官に囲まれるとフェリーから飛び降り夜の海へ消えた
浮気を隠すつもりも働くつもりも襲う犬を躾ける気も無いがとりあえずティーナと一緒にはいてくれた同居人は追い出したし、
トロールの同族だったヴォーレは外道だった上に海に消えたしで、
森の自宅でひとりで過ごすティーナの元に老人ホームから父親がやってくる
トロールの人体実験を行なっていた精神病院に警備員として勤めていた父親は子宝に恵まれず子を欲していた
もちろん、トロールの夫婦は多くのトロールと同様に人体実験の末、病院の裏に人知れず埋められたが、
しかし父親はティーナの本当の名を伝えてもなおトロールの名で彼女を呼ばず、人間がしてきたこと自分が傍観してきたことに向き合わない
完全にひとりになったティーナの元に小包みが届く。その中にはトロールの赤ちゃんとフィンランドの絵葉書が
あるぞ
ヒロインはトロール故に人間の美的価値観からしたら醜いって設定なんだけど
あと、人間との違い(不気味さ)を出す演出に『虫』を食べるがあったが、
北欧って怖いところだなって思いました、まる
陸続きなんで血が混ざり合うのは当たり前っちゃ当たり前の話なんですが
ブクマカ見てるとそう思い至らない人たちもいらっしゃるようなので追記するよ
(なお、差別は国や特定の人種では無く、個人のパーソナリティだと予め書いておきます。
奴隷解放宣言前の19世紀に教会の宗派まで変えてジョン万次郎を受け入れてくれたホイットフィールド船長然り、
同じく、奴隷解放前に、白人でないばかりか結合双生児のチャン&エン・ブンカー兄弟(シャムの双子)を受け入れた人たち然り、
厳しい時代においても差別しない人は差別しません。その逆にダイバーシティを謳う時代でも差別する人は残念ながらいます)
人間も寒くて暗いところは、アルビノ化して大型化して目もパッチリするのですが、
北欧/北米は一重まぶた(内眼角贅皮)で目が小さい小柄な人もそこそこいます
これは単純に中頻度でモンゴロイド系の遺伝子が見られるからです
そうして起こることは、A:見るからにコーカソイド、B:薄顔のコーカソイド、C:見るからにモンゴロイド、この3パターンの出現です
Aは問題無いでしょう、
Bは微妙なラインですがビョークやサーミの血のヒロインあたりの感じですかね、
どうみても冷寒対応したモンゴロイドの他に、コーカソイドの血が入っているので眉骨が出た感じの人も生まれます
おでこ(正確には眉骨)が突き出て(目が窪んで)るが、目鼻は小さく丸顔でどう見てもコーカソイドではない、のっぺ〜っとした『なにか』となります
この『なにか』が残念なことに、ブクマカの言葉を借りればいわゆる亜人顔だったりするし、Mongolian idiocy(蒙古症)=ダウン顔だったりする
たくさんの血が混じり合う地域でその血の出方によって差別が発生するのはインドのカースト然り珍しいことではありませんが、
ダイバーシティな現代において、北欧発で今さらあんなものを見せられるとは思いもしなかったというのが正直な感想です
あと虫を食べるのは奇異な行動ではありません。不気味さ(人間ではない)演出に使わないでください
東南アジアでは近代化されてもなお伝統食や風変わりなスナックとして虫を食べますし、
なんだったら食料危機を救う食材として研究もされてます(もちろん現代的でクリーンな環境で培養/養殖されたもの)
トリーチャーコリンズ症候群が原因で顔の形が変形した少年が主人公の児童文学『ワンダー 君は太陽 (原題:Wonder)』の方が
100億倍正しいと思いました。感動ポルノとか言われてるけどね