はてなキーワード: 齟齬とは
国際的な戦争でも、店舗内でのイベントでも、個人間での紛争でも、自分の行為が理解の範疇にあることを確認してもらっていないと第三者による介入を必要とされる可能性があります。
いきなり何の目的かわからない飛行物体を飛ばす、店舗内で騒ぎますよと許可を得ていないのに大声をあげる、個人が不快としているかどうかわからない発言をしてみる、など。
社会人としては、把握しきれていない社会のルールが沢山存在する若い時代とは異なり「常識なんじゃないの?」というあいまいな定義で行動するのは危険です。
「褒めることは不快であろうが快かろうが、良いことだろ」とか思っているピュアな心は、社会人には少し荷が重いかもしれません。
やらない善よりやる偽善がモットーかもしれませんが、無許可の人間が要資格行為をしてはいけないのは、平常時でも緊急時でもです。
いいとおもっていたことが反転した、その時対応できる知識と社会的保障のある人にまかせましょう。
この場合はその定義が個人や団体になるので、その対象が許可するものなのかどうかを事前に確認しましょう。
かわいいとか美しいとか目がくりくりしてるとか。
その子も照れながらなんなんですかーみたいな感じだった。
予定なくいきなり結果だけがでてくるわけですが、とりあえず現状ある結果について理解ができる状況のようでよかったですね。
その結果をみて、知らされていない予定について受け取り側は予測をするはずです。この流れでいくとどういうことになるか。
問題なければいいな、よいことであればいいな、問題があった場合どこでどういった行動にでるべきか、など。
前述の宣言の時点で危惧されることがあれば制止したり、停止の要求をしたりしたはずです。
現状で判断つかない場合は、自分の予測を述べた上で停止や継続を発言できたかもしれません。
今回は人命を救助できましたが、という例があっても救助目的なら特別な行動をしてもいいとは言えません。
美談で「いざとなったらすべきだ」みたいな事がありますが、必要な行動をとりたいとおもっているなら前述の許可を事前に得ているべきです。
許可は得ていないが緊急時には行動する、そういう予測不能な方が安全確保の障害要素になる可能性もあります。
「この時点で嫌なことが予測できていたなら発言してほしかった」は無意味になります。
その後の予測ができていたとして、それを予測したのは個人でありその意見を要求としたなら逆に発言者のほうが受ける「ハラスメント」になるかもしれません。
境界的なその発言内容を部下なので指摘し辛かったといわれるとハラスメントに差し掛かってきます。
進行する状況を上司として確認しなかった、ということになるとハラスメントに成りえます。
上司も部下も関係なく、や、不安・不満は自由に独自のタイミングで発言して、などを合戦の条項に盛り込んで開戦していれば軽減できた問題かもしれません。
状況を把握できていない状態で、本人の話題であるのに、本人の判断ができない状態をつくりだすことは、問題行為です。
その表現が本人の感覚としてどういった感情を抱くかしっていましたか?
その発言が相手の不快になるかどうかは予測できなかった、であれば、個人に対して不適切な発言をしたことを詫びるべきです。
そしてそのお詫びは個人にむけてハラスメントをしたことではなく、個人が聞き取って不快に思う発言を、聞こえる範囲でしたことについてです。
すっとぼけて完全に赤の他人の別件について述べたことで、聞かれたことはまずかったが、個人的な趣味で楽しむ内容を不快に感じる第三者のいたところで発言したのは自分の失態だったと詫びるのもありでしょう。
合戦行為が対象者を喜ばせるためのものであった、該当者本人が利益と感じる目的のためだった、などでハラスメントの価値を問題行動から理解のできる行動へ解釈を変えることができたかもしれません。
いずれにせよ、個人の趣向を最初に受け取られた一方的な感覚で第三者の判断に委譲されるのは、ハラスメントにしろ逆にしろ、問題のあることです。
俺と上司はあっけにとられておいおい、セクハラってゆうのは仕事中のことだろ、あと別に胸でかいとか性的なこと言ってないんだから、セクハラにはならないよって真面目に反論してしまった。
状況でハラスメントが発生するのは正しい判断です。ただし仕事中だけであるということではないはずです。
価値観の差が混在する、発言の聞き取れる範囲で問題点に触れる事について不快に感じる可能性がある発言をすることはハラスメントにつながります。
同じ発言を、同じ趣向の同じ目的をもった空間でおこなえば、ハラスメントではない可能性もあります。
個人が「性的な特徴を自分の不快と感じる表現で、自分にむかって発言された」と感じられたならセクハラになります。
いずれかを欠いてセクハラであることの認識から自己の発言を除外することができれば、セクハラは回避できます。
同性であってもセクハラは成り立ちますので二者間の性差は関係ありませんが、同性だからセクハラを意図した発言ではなかったという第三者へのスタンスをつくることはできます。
問題点は受け側と発言側なので、それにより問題が解消されるわけではありません。これはあくまで「同性なら許容範囲である」という個人的価値観をもった対象であった場合に限られる例です。
実際の同性同士であってもセクハラになりえる可能性はあります。
第三者による不利益解消のための交渉になった時点からでも問題を軽減できる要素はあると思いますが、あくまで常識的な範囲を超えて論点をそらさなくてはいけないかもしれません。
もとより女装癖があって胸には執着がある、などの要素があれば紛争解決の要素になりえるかもしれない、程度の案です。
女性むけ化粧品を昔からつかっており、商品紹介にムッチリという表現が使われており、普段からそれを良い印象だと思い発言していた、などあれば問題解消に役立つかもしれないといった程度のことです。
問題の要点は価値観の異なる二者間で不利益が発生する状況について、その偏差をハラスメントという単位によりカウントされてしまっている所です。
きみのハラスメント単位は、私のハラスメント単位とこれだけちがう、この意味においては同位だ、この差はどう考えるか、とその差をなくし利益・不利益の偏差を解消すればハラスメントという尺度は必要なくなるかもしれません。
性的な問題と感じられる発言をしたのは、個人を対象としたものではなかった、その差を指摘したのは利益のためであった、その利益を受け取るのは対象者本人であった、という構図にすることで性的な話題をハラスメントからはずすことができるでしょう。
性差があって、価値観に差があった、その現状が目の前で進行する不快感を「セクハラ」と発言していたなら回避策を相談できる状態にあったのが部下と上司という関係性であったと思います。
その知り合いであり交渉ができる関係を、交渉や対話ができない情況にしている原因が「上下関係」であったならハラスメントになります。
年齢や性別、体格その他で差があったとしても、その差関係無く対話はできるはずですが、その対話行動を抑止する原因として「不利益の発生する可能性」を示唆するものがあればハラスメントになりえます。
職場環境、肉体的優位性、生活環境や状況など、対話者間の平等性が保てなくなる理由を対話に持ち出す、または対話の理由をそれらとしてあげることはハラスメントになりえます。
「職場をよくするために犠牲になってくれ」と言うのであれば手当てなどの支給を検討するなどしてその状況について本人の理解を得て業務としてこなしてもらうのであれば犠牲はハラスメントになりません。
それを個人の意図で個人に行使するとハラスメントになりえます。
双方において「不快な発言」をし「それはセクハラです」と返されるコミュニケーションが発生した状況、この解消に何を用いたかも問題になります。
こんなことがあって酔いもさめてしまって、早々お開きになったんだけど、これじゃ気分悪いからって上司と二人で飲みなおすことに。
単位の違う事について、同単位の価値観をもつ人間だけがあつまり再考すると、その差について比較検討する結果さらにその差について明確化、そして拡大する可能性があります。
上司という立場を利用するならば、同価値観の人間で交渉の上手な人間、異なる単位を理解の方法で同単位の感覚に置き換える表現の得意な人物を相手側に送ったり、自分側につけたりすることで差を埋める事ができるかもしれません。
個人の気分を癒やすためだけに状況を利用したというのが良くない印象を与えるかもしれません。
もちろんそうした判断で良好な結果を得たとしても、その結果如何によらず不快な判断だと思えば「ハラスメント」になる可能性はありますが、良好である双方の理解があればハラスメントは回避できるでしょう。
不快な状況を無理解な状態で放置した結果、被害が発生したとなれば実被害になりえる可能性、現実としてのハラスメント行為になる可能性もあります。
「性的に不快感を催す発言をしたのはなぜか」と問われたときに「職場環境の良好さを向上する目的と自分が判断したため」と応えるならば個人の性的特徴を個人の意思として利用したことになります。
職務上の立場からみた判断として業務規定外でかつ個人的価値観を行使したことになり、ハラスメントになりえます。
会社は女性の身体的特徴を押し述べることで事務所内の雰囲気をよくする方針などは持っていないでしょう。個人の判断になります。
つまりセクハラと感じられる行為をするのは上司という立場の個人の考えであった、とするならハラスメントです。
お得意様に体で仕事を取って来い、という意味の発言を「アレをしてこい」のアレは性的ではないですが、上司という立場のハラスメントから性的なハラスメントに至ります。
身体的な特徴を個人の表現をもって公然で発言するのは個人的趣向、これを職場環境維持のため問題視しないようにと本人に要求するのは上司という立場のハラスメントからそのハラスメント成立条件として性的なハラスメントに至ります。
「セクハラです」といったのも個人的発言ですし、「ムッチリ」も個人的発言ですが、それがハラスメントとして第三者を交えた交渉に発展しないよう要求したことはハラスメントになります。
これを回避する手段は、その偏差を放置せず相互理解を求めて対話することが良いでしょう。
対話とはもちろん、話して聞く、自分に正義があれば相手にも同じだけ正義があるはずなので、そのカウントを同じに出来るよう努めることです。
差はあるが同じだ、なんて言うとその言葉はその時点ですでに齟齬があります。差があるため、溝ができ埋めるために法的手段などがあるのです。
高低差のある溝だけでは問題にはなりません。差のある価値観の違う人が多く行き交う街でも問題はそう起きていません。問題は、その溝に人が落ち込んで怪我をしたり損害を被ったときです。
対話で埋められる間に、溝は埋めておきたいですね。
数日実家に帰る。
やはりというかなんというか、たった数日の事なのにどっと疲れた。
話が通じない。
最近ではもはや異文化交流のつもりで接している。(これは地元の友達に対してもだ)
私にとって彼らは、極端に言ってしまえば(経験上、ある程度の予想と推測は立てられるものの)異星人のようなもの。
例えばなにかお祝いの品を贈る時、私自身がきちんと選んだものに対する反応は「普通はこんなものは贈らない」というものだ。
私のセンスに問題があるのかも知れないが、その時私が選んだものは、極力リスクを排除した無難なもののつもりだったので驚いた。
異文化交流だと考えるようになってからは、地元の物事に関わる時は、事前に「最低限守らなければならない事」をこちらから確認するようにしている。
が、それでも。「普通はこんなことはしない」が思いもよらないところから飛んでくる。
事前に守るルールを確認していても、その外から飛んでくるのだ。
そう、最大の齟齬は、私は一連のやりとりを異文化交流だと考えているが、あちらは異文化交流だとは露程も思っていないということだ。
彼らにとっては異文化とは常に外からやってくるよそ者がもたらすもので、自分たちの内側から生まれたものが(例え一度外に出たとしても)その根本に異文化を持っているとは考えもしないのだ。
説明もしなければ明文化もされないところに大量の暗黙の了解や「常識」がある。
「わたふつ一部」が荒れている。
自分も肌に会わなかったので、ルート固定した後のイベントをいくつか見たあたりでタブを閉じた。
もともととあるパラレル企画のキャラクターをあえて一度に終結させたお祭り企画、読者が求めるものが高い分難しいのは分かるし、読者が意固地になっている部分も多い。元々他作者だって自分のキャラを使ってほしくてデータを投げたんだから、その言い分は違うだろと思う読者様もけっこう多い。
しかしそれはそれとして、あのスレは言っては悪いが作者自身が原因で荒れを呼んでいる部分も多いと思う。色々と指摘をしている人もいるけれど自分が感じる作者の原因はそこではないように感じる。
なんというか、作者は悪い人ではないのだろうなというのはよく分かるけど、話が通じないというか意思疎通しようにも会話に齟齬が出まくる。
強く感じたのは会話安価でレンの地雷を踏んだあたりでスレ住民からの要望が出た時だろうか。
会話安価でのシンキングタイムが短いのでもう少し時間が欲しい、という要望に対しての作者の回答がとてもとてもずれていた。
あれは単純に、安価を入れようとしても文章の整理やスリムアップをしている間に直感的な一言二言の短文が投下され取られてしまい、その結果地雷を踏んでしまうから、自分の意見を少しまとめたり相手の意向を確認してヤバイ台詞を排除する時間の余裕が欲しい、つまり「制限時間にもっと余裕が欲しい」という話だった。
実際に考える時間が欲しい、ではなく制限時間を延ばしてほしい、という具体的な実際に取って欲しい措置を挙げている人もある程度いた。
ところが作者からの回答は「考える時間を確保するにはまず安価で案を複数取って、その後さらにその案の中から実際に採用する物を再度安価で選ぶ方法がある。しかしこれはお互いに負担が大きすぎる」というものだった。
最終的にはスレ住民の要望の通り時間制限を伸ばす方向にはなったけれど。
考える時間が欲しい、だから制限時間を延ばしてほしい、とはっきり言っている住民がいるにも関わらず誰も言っていない他の方法を出して、しかもそれを問題があるから採用できないと言いだされると、まあ話が通じてないなと思う。
スレ住民としては、意見が通らないことに対する不満というよりはこちらの意見を正しく理解してもらえていないという不満が存在しているのではないか。
もちろん、リアルタイムで進行していく安価スレでは相手の意見を常に裏の思いまで汲み取って100%意向に沿って動かすなんてことは不可能ではあるけれど、それを含めてもこれだけは満たして欲しい水準をクリアできていないと住民が感じている、自分の意見をわかってもらえないと感じるから余計に荒れている気がする。
それを収めようと作者がリアクションを起こすけれどこれがまた齟齬っているのでさらにわかってもらえない感が増して不信感が募るというアンチスパイラルを形成しているというのが感想。
ルート決定の時に自分が合わないなとなったのもこの認識のずれというか齟齬によるもの。
街の平和を守るルートか自分と限られた周囲のみの平穏を目指すかだった。もう一つ殲滅ルートもあったが。
このルート選択は最終的に限られた周囲のみの平穏を目指すルートになった。それ以外は「どうでもいい」と。
両立はできないのかという意見に対しては真っ向から反発しているとバッサリだった。まあどちらもというのはポルナレフの能力的に無理だとは思うが。
ただ、作者はポルナレフが自分の身を守る上で周囲に優しく接することすらをも否定した。少なくともそのように見えるロールを取った。
人間はどうしたって自分だけでは幸せにはなれない。物理的に。自分が幸せに生活するには自分の所属する大きなコミュニティにも健全に動いてもらう必要がある。
読者としては大きなコミュニティを全てカバーするのは無理でも、自身を守る過程でできる範囲の狭い部分だけでも社会に貢献する、例えば余裕があれば善性のマスターを保護するであるとか(もちろん余裕がないときにまでやれとは言わない)といった「身内の幸せを際優先として動くが善性も強く有していると分かる」ロールは普通にありだと思うし、方向性として間違っていないと思うし、別段ふわっとしているとは思わない。余力がある場合は余力の分だけ他を助け、なければ助けない。しっかりとした基準がある。
最初から余裕がないなら「余裕がないから身内を守ることに専念する、他がどうなってもいいとは思わないが何でもできるスーパーマンではないので自分が確実に守れる範囲を確実に守ることにする」でいい。
やっていることは同じでも、読者としても気持ちとして楽になるし、今後余裕ができた時に動きの幅を持たせやすい。
しかしポルナレフが言ったのは「家族さえ守れたらあとはどうでもいい」だった。これで読者の何人が「違う、そうじゃない」と思ったのかは分からないが、少なくとも自分はそう思った。
最初からどうでもいいのと、検討した上で自分にはどうにもできないことだから取捨選択し、断念する、というのは大きく隔たりがある。
実際、3ベースの1がいい、という意見もあった。これはまさに「現実的に見て自身を優先するが、余力があればその範囲内で他人を気にかける」方針だったと思う。しかしそれは否定された。
安価でこのルートに決まったから仕方ない、というには、その選択肢に求められた意味がずれている。
自分に関わらない範囲の人が幸せになってくれた方が自分も結果的に幸せになれるんだから、そういう人達には自分とは関係のないところで幸せになってくれたらいいと思う。
そういったどこかのパルクールがいた。
ポルナレフにもそういった善性を望んでいた読者が、そういう動きを期待して3を選んだところもあるのではないかと思う。
が、今のポルナレフはそういった善性を持っていたとしても、表面上はそうは捕らえにくい。そのように見えない。
・卒論から続けてたテーマが時間かかりそう、D進したらやれば?とのこと。 とりあえず修論に向けて「簡単なテーマA」が与えられる
・しかもこれまでと関連が全くない
While (卒業) {
・なかなか進まない
・私の発言を最大限マイナスに捉えた指導が入る(そんなこと一言もいってないwwwwwwってレベル)
・反映させたら「そうじゃない」と明後日へ向かうコメントがはいる
}
だと思うと億劫。
こんな環境、頼まれたってD進しないわ。
うーん。前のテーマもそれほど進捗がよかったわけじゃないけど、こんな意思疎通の齟齬は生じてなかったんだよ。主観的には。
歴代一のクズ学生認定されてもいいから、もうちょっと、こう、せめて言われたことをこなしたらポジティブなフィードバックが欲しいです、はい。
?
夢と魔法(物量)
こと、「男だけでディズニーランドに行ったら全力でモテた?お話 | nezu.log」の話なんだが、
このあと女の子のアドレスを聞いて再会するのでなければ、「モテた」とは言わない。非モテは「モテる」の定義を勘違いしている。
ネットで暗黙に仮定されているモテた/モテるは定義があやふやなので、勘違いもクソも無いだろと思うんだが、実は非常に示唆的だ。
も・てる【持てる】[動タ下一]《持つことができる意の「も(持)てる」から》
1 保たれる。維持される。「座が―・てない」
(1)人気があって,ちやほやされる。 「女に-・てる男」
(2)長くその状態を保つ。維持する。もちこたえる。 「共通の話題がなくて座が-・てない」
なんで1,2が逆になってるかは知らんが、クソ面白くもない定義なら「人気があって、好意的に接してもらえる」だ。
「モテる」は基本的には4つに分類できる。(異論は認めるので単なる分類法だが)
1,3は「複数の相手から」が必須だが、2,4は人数の多少は問わない。
もっと判りやすく言えば、トイプードルだのアメショーだのゴールデンレトリバーだのは、女の子にモテる。
これは「属性」に対して「好意的である」状況であって、複数人数から人気がある場合を指す場合が多い。
「モフモフとして愛らしい猫」がモテるのであって、「デン助と呼ばれるキッチンを定期的に荒らす猫」では無い。
つまり、かわいいキャラクターやアイコンとしての属性を愛されているのであって、具体的な特定対象を指していない。
「夢と魔法の王国に男で」の場合は、この「人気でモテる」だろう。
「ああっ女神さまっ」に出てくる「森里螢一」はやたらとモテるが、特に18巻のシュレディンガーのくじらの巻が判りやすい。
人語を解するくじらが出てくるのだが、同性かつ種族が異なる彼は、螢一と歌をうたう。
明確に好意はあるが、恋愛対象としてでも、人気があるわけでもない。
これは「属性」では無く「特定対象」として好意を持たれている状態を指す。人数の多少は問わない。
「子供に良くなつかれる」「男にモテる」等の場合は、この「好意でモテる」を指すことが多い。
一般的に話していてあまり認識に齟齬が生じない「モテる」がこれだろう。
この場合、実現の有無や実際の行動とは異なり、「そういう対象である」と見做されていれば十分だ。
具体的にはジャニーズやアイドル、一般人でも美男美女など、恋愛対象として見做されやすい相手だ。
ポイントは、第三者視点としてみる「不特定多数から恋愛でモテる」だ。
相手から恋愛対象として見られるのではなく、「自分が対象としてみた相手から、恋愛対象として見られたい」というのを、「モテたい」と言うことがある。
単独か複数かは問わない。つまり、「自分の恋愛対象から恋愛でモテる」だ。
ここだけ「不特定多数から恋愛でモテる」との違いが判り難いので、分類して説明する。
判りやすいが、「あの相手からの愛が欲しい」。狙った相手を落とす、等だ。
例えば具体的に言えば、「ジャニーズからモテるために女子力を上げはじめた独身31歳OL」が、
女子力を上げた結果、何故か「複数の幕下力士から熱烈な求愛を受け始めた」状態は、不特定多数からのモテるだ。
彼女は、「ジャニーズもしくはそれに近似する男性達」からモテたいとは思っていただろうが、関取なら兎も角、幕下力士からモテたいとは思っていなかっただろう。
全く逆に「複数の年上力士からちやほやされたい、既婚23歳主婦」が、「ジャニーズ顔の年下からモテる」のでも困惑するわけだ。
このように「自分の恋愛対象者複数からちやほやされたい」というのは、第三者視点でのモテるとは異なる。
「恋愛対象として見られることが絶無」の非モテにとって、「好意を向けられる」事そのものがレアだったりする。
だから、「自分の恋愛対象から恋愛でモテる」でも「不特定多数から恋愛でモテる」でも「好意でモテる」ですらなくても、
「人気でモテる」だけでも、十分に「オレラ今日モテてた」と言えるわけだ。
id:blueboyが言っているのは、実は2番と3番の中間で、この4分類の外にある「好意を向けられた個人を、恋愛プロセスに載せる」を指している。
(複数の相手と連絡先を交換したでも、相手からアドレスを聞かれたでも無いところがポイント)
大抵は曖昧なママなんとなく使っていることが多いので、別に雑談ならクソみたいな話題だが、辞書に載っている意味以外の「オレ定義」を説明せずに「定義が違う」と言う上司は嫌われる(偏見)
(上の4種類は単なる分類法だから、それに当てはまらない定義があって当然。曖昧な単語を曖昧なままやりとりするとフワフワするという意味)
「人気のモテる」「好意のモテる」「恋愛対象としてのモテる」「自分の恋愛対象からのモテる」は全て違う。
今回の「夢と魔法(物量)」は、「人気のモテる」であって、「大量のミッキー帽軍団」がモテていた。
ふなっしーが幼女とLINEアドレス交換してたら物議を醸すのと同じように、今回恋愛対象者を探すつもりで企画していたら、Twitterでの評判は違ったものになっていただろう。
ただ、4~5人のグループが「人気」で興味を持たれて、「好意」に変わることは良くあることだし、
そもそも恋愛対象外であったり種族が違っていても、友好的な雰囲気での接触は精神的な安定をもたらす。
つまり何がいいたいかというと、「異性」とここまで書かなかったように、男は女の連絡先を聞いてなんぼという昨今政治的にも正しくない昭和な価値観の奴が上から目線で「非モテ」とかdisってんじゃねえよ。
おそらくどこまでをサヨクとして想定してるかだな
bogusとGl17くらいのもんだと思う
もし暇ならはてサとしてどういうメンツを想定してるのか挙げといてくれれば
こちらとしてもそれに対する意見をいえる
ネットでは、ブラックな環境で低賃金重労働を強いられるアルバイターとし、主に学生アルバイターを対象としたブラック体質が挙げられる。
一方日経新聞では、普通の労働環境なのにツイッターなどで〇〇の機械とか冷蔵庫の中に入った写真を貼って営業妨害をするアルバイター自身をブラックバイトと総称している。
さて、どちらが真実か。
たちが悪いと感じられるのはやはり後者だ。
しかしながら、前者は学生アルバイトという弱みに付け込んで重労働を課す企業側に問題があり、そのブラック体質がクローズアップされるのは当然だろう。
ところで、どうしてこのような異なる見解が出来てしまったのだろうか、筆者なりに考えてみた。
ネットでは労働者が中心となっているため労働者の視点から見た企業体質の裏側をじっくり見る事が出来る、そういう立場の人間が論じている。
日経新聞のように企業側から労働者を見る、そういうスタンスの新聞であれば、アルバイトの労働環境やその体質を見た場合、どうしてもアルバイトの業務以外の側面を見てしまいがちである。
「元増田」が誰を指すつもりなのか、そこに齟齬があってやらんでもいい喧嘩をしているような気がしてきた。
ただ「親が頭悪いと取り返しの付かない」云々は同意しかねるけどな。
…と、思ってたら
http://anond.hatelabo.jp/20140530230630
こっちでは
と言われてしまった。
では何ができなかったことをもって「取り返しがつかない」と言っているんだ?それ以上の何かを目指してて、それは「一流企業に入って普通に仕事できるようになる」ではとても挽回できないくらいの大きな目標だったってことだよな。
そして、親の頭が悪くなければ、それが自分にはできたはずだと。
レツゴーのやりとりに恐怖を抱いた。
なんか、大量の知識を正確に紐づけできないんだよね。あとすぐ忘れる。
それが語彙不足というか、語彙も不足するんだけど、それより深刻な常識不足とレツゴー的判断ミスに繋がっていく。
私は雄大で感情的で流行の最中にある美しいテーマソングを口ずさむ時、しばしば「ありのままに」のようなメモリへのアクセスに失敗する。
なぜみんなあんな正確に物事をいつまでも覚えてられるのか不思議で羨ましい。
昔は昔で、モー娘。やら阪神やらなんやら覚えられなくてついてけなかったし、自衛隊の基地の近くを通った時に「あ、ヘリだ!軍用ヘリー」と言ったらなんか隣から冷たい正式名称が飛んできて「お前○○(苛められ子)に似てるな」と言われたのがトラウマだ。
今は今で、懐かしい話についていけなくて辛い。マリオRPGのボスとか思い出したいのに思い出せない。漠然と面白かったよなーとしか言えず盛り上がれなくて悔しい。
喋ることなんかずれてることが多いみたいで、一般的なコミュニティではいつも弄られキャラに甘んじてたし、そういうところではほんとなにかしら笑って突っ込んでもらえないと辛い空気になってしまう。
突っ込んでもらえると、天然ボケコントみたいなノリになって、知的優劣の雰囲気を和らげてくれるので助かる。他力本願で申し訳ない。
一般人的にはこの手の間違いは恥ずかしくて穴があったら入りたいレベルだと思われるが、私はもう恥ずかしがってても仕方がないレベルである。穴熊してても負け続けたので、戦法を変える。
私はむやみに気を抜いて喋らない。話が合うように私なりに気を遣う。CMを観ても軽く口ずさんだりするに用心する。けど、安心する人の前では気楽にレツゴーと口ずさんで、「おまwレツゴーてww女王様雪山登りにレッツゴーww気高さ台無しやんwww」と突っ込んでもらったり「レイゴーやで」「あ、そか」「ん」と流してもらっている。
「ドゥーン」Done
「ハーマイト」Hermite
なぜかなぜかわからんが、学業的なのは比較的優位だった。勉強したら頭に入る。相変わらず常識を疑われるミスはするが、それでも比較的優位だった。
私もレツゴーを頻発させていたが高校の時全国模試はだいたい偏差値70を超えていた。日常の私の論理的思考どうした。
今もそれなりの待遇の中で生きさせていただいている。
私は自分のことが頭悪いと思っている。しかし、無能とは思っていない。ようは、こう、知覚に関する複雑な要因があってのことなのだと思っている。
この文からもお察しだと思われるが、喋ってる内容を逐一俯瞰的に制御できない、そういう感覚があって、それが口下手というかコミュニケーションにおける齟齬を生む感じだろうか。一概には言えないが。
仕事におけるコミュニケーションにはなかなか苦労はあるが、ただ、目的の案件に対しては、少なくとも私の仕事の場合は、雑談に比べて非常に取り組みやすい。
頭悪いのも事実だろうけども、会話のノリが合わないのは辛いことかもしれないけど、悲観して蔑まないでやってほしい。
この思いは私の保身である。世の中の多くの人がレツゴー的な間違いに寛容になってほしいと願っている。
こんなコミュ齟齬野郎でも誰かの価値にはなれている気がするし、生きてて楽しい思いもしている。姉ちゃんは私に毎日熊画像を送りつけ、私はそれにクマーとだけ返信する日々だ。なんかそれだけでも和むし良い気分だ。
論理的思考に問題があるかと言えば、あるのだろうけども、それでも彼は彼なりに良いところがあるのだろうし、頭の良い面もきっとあるのだろう。
増田の姉ちゃん怖いよう。
※追記
今日は彼のお母さんを呼んで、一日早いけど母の日ということで二人で手料理を振る舞い、プレゼントを渡しました。
そんで寝る前にはてな見たらえらくブクマがついていて戦慄しました。
おかげで前に進めそうです。
わたし
30代女
見た目は年相応
駅弁卒
彼
30代男
見た目はなかなかのイケメン
専門卒
昨年から何度か
「彼氏と同棲しようとしている/同棲を始めたのだけど、なんかちょいちょいうまくいかない」
という内容を増田に書いている。
彼とは結婚に向けて少しずつ話を進めている。
互いに両親にも紹介済。
毎週金曜日は彼は職場のメンバーと飲み会なので、わたしも今夜は一人で近所のスシローで寿司を食べつつ晩酌をしている。
マリッジブルーというやつなんだろうけど、同棲を始めてから彼にみるみる冷めている自分がいる。
冷めている、と言っても、いびきがうるさいのも、おならが超くさいのも、バスタオルを惜しげもなくじゃんじゃん使うのも、そういうのは別にいい。全然いい。
こないだは、映画を一緒に見ていて、話の流れで「士農工商」ということばを彼が知らなかったということがわかった。
思わず
「わたしもべつに歴史とかそんなめちゃくちゃ詳しいわけじゃないけど、これはたぶん常識だから…」
と言ってしまったが、それが嫌だったようで彼は一人でしばらくイライラしていた。
たぶん同棲前までは、常に気を張って懸命に言葉を探しながらわたしと接してくれていたのだろうと思う。
ただまあ、知識がないというだけなら、まだいい。
それだけなら、なんとかなる。
彼はどうやら、そもそも頭が悪い。
「語彙が少ない」「論理的思考力に乏しい」のだ。
こんなに頭が悪い、というか、ものを知らない人だとは思わなかった。
「レツゴー、レツゴー」
って歌うから、ふざけてるのかと思って明るく笑いながら
「もう違うよ、レリゴーだよ」
って言うと
「え!レッツゴーじゃないんだ」
と照れくさそうに言う。
本当にレッツゴーだと思っていたらしい。
いやまあ、ディズニーに興味がないのは知ってるし、興味がないから適当にしか入ってこないのもよくわかる。
んだけど、さすがにそれぐらいは把握しとこうよ。
毎朝、ZIP!であんだけゴリ押ししてるじゃない。(うちは、平日朝は必ずZIP!と決まっている)
「Let it go」の「Let」の意味や用法までは知らずとも、彼もタイトル自体は何十回と目にしているし、ビートルズの「Let it be」がどういう歌なのかをなんとなくでも知ってて、そこに日本語版の「ありのままに」というフレーズも合わせて聞くなら、まあ原題のニュアンスは普通はわかるもんだと思う。
たぶん彼は、「Let」の用法は間違いなく知らない。それは仕方ない。
でも「Let it be」も知らない。聞いたことはあるだろうけれど、たぶん意味は知らない。
覚える必要があったわけではない。
今日までの日常で幾度となく見聞きする中で、自然と記憶に残っている。
ビートルズとか士農工商とかいうのは、そういうものじゃないかと思う。
思うに、情報に対する感度が違いすぎるのだ。
見聞きする機会は彼にもあったはずだ。
それを受け止めるアンテナがなく、記憶に留めるだけの容量もない。
知らないことを責めてはいけない、と思う。
わかんない人に寄ってきてほしくないので注記しますが、ビートルズだの士農工商だのレリゴーは、あくまで例示ですからね。
そのレベルのことを正確に知らないって、ホワイトカラーの社会人の知識量としてはどうなの、って意味です。
あと、はてなーはこういう話をするとバカのひとつ覚えみたいに「別れれば?」と言うが、すぐにそれを言う人は、別れずになんとかしたいからこそここにこういうことを書き連ねているのだということが理解できない人だと思うので以降話を聞かないようにしている。
誰も直視しないが、現代日本に蔓延る社会問題としてセックス満足度の低下という大問題が存在する。
例えば20を超えても自然な恋愛の結果セックスに至らなかった男はなんらかの精神疾患にかかっていると言える。
かつて鬱は甘えと言われた時代があった。
同じことである。
思春期を終えてもセックスまで至れない男は、ある種の精神的な病気にかかっている。
その結果、さまざまな社会的な問題を引き起こすことになる。
彼らを童貞病と認定し適切な治療を受けられるように政治が後押しするべきである。
具体的には戦後すぐまであった公娼制度を復活させ、医師の診断の元、童貞病に罹患していることが判明した場合、
これにより、童貞をこじらせたせいで発生する、大量の性犯罪が予防される他、
生産性が高まり、失われつつある国際競争力の回復さえ見込まれる。
さあ、高年齢童貞たちよ!
いまこそ声高に叫ぶ時である!
職業選択の自由が謳われている世の中な以上、それを覆すことはできない。
むしろ問題は、「やりたいこと」と「向いていること」の齟齬なのだろう。
その齟齬をなくすためにこれからするべきだと思うのは、早いうちに夢をあきらめさせることだ。
夢はあきらめるものであり、夢をあきらめることは悪いことではないという風潮を作ることだ。
夢はあるべき、夢は行動の原動力
ただ、夢を実現するにはどう行動し、準備したら良いかよく考えていない人が多すぎるだけでは?
本当にやりたい事があればすでに行動している
「やりたいけどどうしよう」
こんなんだからうまくいかないんだ
そうすれば、居場所のない人間がずっと少なくなって、世の中はずっとよくなるだろう。
雇用の問題、自己肯定感の問題、コミュニケーションの問題、諸々全てが、適正に合わない場所に配置されていることが原因なのだ。
人間誰しもに向き不向きがあるが、マッチングが失敗したせいで、たくさんの人間が自分自身を見失っている。
管理職と現場のどちらが向いているかということ、それに、コミュニケーションを取る仕事が向いているか、そうではないか。
単純労働や力仕事にしたって、流通のようにシステムを回すのがよいか、何かを組み立てたり工事をしたりするのがよいかで大別できる
これだけ情報技術が発達しているのだから、天職が何なのか、統計・データから早い時期に分かってもいい。
ただ問題は、それが優生思想に通じかねないところだ。
職業選択の自由が謳われている世の中な以上、それを覆すことはできない。
むしろ問題は、「やりたいこと」と「向いていること」の齟齬なのだろう。
その齟齬をなくすためにこれからするべきだと思うのは、早いうちに夢をあきらめさせることだ。
夢はあきらめるものであり、夢をあきらめることは悪いことではないという風潮を作ることだ。
最近その冊子を見返したら、今思えば完璧に当たっていて驚いたのだった。
なのに、何者かになりたいという欲が出てしまったのだ。
自分自身のもつ適性によって何かにされるのだ。
経営者が向いている人間もいるし、漫画家が向いている人間もいるが、
農家が向いている人間もいるし、居酒屋の店員が向いている人間もいる。
職業に貴賎なしとは絵空事で、前者は尊く、後者は格好悪いと思われているのが事実だ。
私は結局、前者ではなかった。
もっと早くあきらめればよかったと思っている。
フィナーレに関する目に留まったいくつかの……多くの記事と多くの部分におよそ三十年分の記憶との齟齬があり、明石家さんを軸に百字で収まらぬあれこれを書き留めておこうと。
文字起こしではなくライブで関西ローカルラジオを全国の明石家さんファンが聴けば、おそらくその数は激減すると思う。伊集院のラジオを聴きスタッフの馬鹿笑いにたちまち拒否反応を起こす関西人よりも多かろうと。
「笑っていいとも!」へのたけし乱入はたいした事件ではなかった。登場でいきなり出演者の首を締め上げるのは当時からのお約束。たけしが人選を間違えて変になった。「お笑い論を偉そうにぶっていた康夫にカチンときた」といった経緯もない。そもそも初期のいいともはアングラ芸人タモリを始めとする監督や芸術家、作家、アナウンサーら文化人が時事風俗を斬る、社会風刺を主とする番組であったのだ(田中裕子回必見の安産祈願を巡る宗教団体の抗議等々により、観覧客だけでなく視聴者にもタモリは恐怖感を抱いてしまい、ゆるいお笑い路線となった。最終週の後説で安産祈願ネタをタモリがややムキになって話していたのが感慨深い)。ほぼ初対面で髪をぐしゃぐしゃにされた康夫がむくれたのはたけしのミス。後のインタビューで「あそこで俺の首を締めかえしたら成立したのに、これだから作家はダメ」とたけしが語っていたが、芸人矜持を偉そうに語るなら当時毒づいていたタモリに(大橋巨泉なぞに認められる奴はそろって贋物だとか)いけよと思った。たけしオタクを自負する太田ならこのインタビューも当然読んでいたはずだが、フィナーレでは反撃を恐れて放りっぱなしで逃走、康夫は仕方なく傍の田中裕二に組み付いたが本気で抵抗され、諦めて壇上を降りる康夫の背中に裕二は蹴りをかます(当たってはいないが)。「あいつは、テレビの前の皆様に向けてじゃないんですよ。あれは俺に向けてやりよったんですよ」は明石屋さんの自意識過剰だと思われ。あと、いいとも降板は選手権で笑いを取ったことを責められせいではなく、制限時間オーバーで失格と裁定されたのが気に入らなかったため。
鶴瓶のヤンタンも聴いたが、同じく最初に読み上げられたリスナーのハガキが「師匠の引き際に感嘆した、素晴らしい」だったのが象徴的。共演NGが本人よりも外野、スタッフの死活問題に帰するという見解は正しいのではと考える。さんまの毒舌というより真正面からの他者批判を聞いていれば、共演を避けるよう周囲が動くのも仕方ないなと。さんまはNGが多いタレントという印象。徳光とのNGは徳光側の意向もあるのだろうが、「次番組に呼んだら俺は降板する」とからくりTVのスタッフに伝えた野村克也のケースは異例だろう。ひょうきん族にとんねるずが出演した際、石橋に今後の相談を受けたさんまは、お前らなぞ眼中にないとばかり、そのままでええんちゃうと軽くいなしてやったと得意げにラジオで語っていた(のりおは石橋はともかく木梨なんて竜介レベル、すぐに消えると言っていた)。石橋が関西芸人敵視になったのも仕方ない。夕ニャンが終了した際は「フジテレビとしてはとんねるずよりおニャン子が惜しい、大事」と素人の私も首を傾げる業界事情を報告していた。松本に関してはさんまのまんま登場時の松本へのスカシや、最近も「すべらない話」なんて掲げる自体がお笑い失格、恥ずかしいと語っていたが、吉本芸人同士、両者に重なるスタッフもいてあからさまな共演NGとはならなかったのだろう。後輩の松本が配慮していたというのもある(まんま出演後は自らの失敗と反省していたし、「まだまだ売れるわー」の連呼もそう)。浜田に関しては先輩である寛平の頭を叩く行為に怒っているという噂も聞いたが、フィナーレでミニコントしたり、太田への浜田の苛立ちを腕を抑えて笑いにしたりと決して険悪な関係ではないのだろう。
太田は談志の後継者らしく政治的に動く人という印象(談志と揉めた後、業界の偉いさんらに悪口言い触らされたとたかじんがぼやいていた)。タモリ、さんま、石橋があの芸風を好んで許容しているのかはなはだ疑問。ファンには「プロレスをせず、真剣で戦っている唯一の芸人」なのだろうが、もしも浜田のツッコミを振り切り、例の客席、視聴者へのつまらぬアピールをやったら、浜田は加減なしでケツを蹴り上げる。今田も東野も宮迫もその覚悟を持ち共演しているが、怪我でもしたら社長が吉本に大人の申し入れをしそうでなんとも。土下座事件は噂の真相で事実のように書かれていたがこちらもはなはだ疑わしい話。たけし後継に勝手に名乗りを上げるなとプロレス好きの弟子の水道橋が乗っかっただけのように思われる。太田が著書で松本批判をしたのは確かなので、ライバルとしてではなく、何が面白いのかわからぬ後輩の売れっ子がこっちにからんでくるなと、俺らウンナンとは違うからなという程度だろうと(太田は「笑いの殿堂」でメインのウンナンの悪口陰口を石塚英彦と一緒にくっちゃべっていた)。
たけしに「男気」を感じたことは一度もない。その類のエピソードが語られるたびに、正月のフジヒットパレードでの松村との初顔合わせのVTR、どこかに残ってないかと思う。最終回いいともの辞もありきたりのベタ。「似非インテリの集団」に担がれたが自虐ネタになってないのは辛かった(山下や赤塚、浅井慎平や高平哲郎に比べ高田文夫やテリー、高信太郎はいかにも山師っぽい。筒井康隆はタモリを小説に登場させたほどだが、たけしについては俺の毒舌の二番煎じ、ぐらいに考えていた節がある)。
ナイナイも当初は太田批判をANNなどで話していた。とんねるず世代で、舞台や漫才ではなく、あくまでもテレビに出たい人。芸人にダメだしするなと中居批判、下駄を履いたジャニーズ批判もやっていて、めちゃイケ共演までははっきりと敵視していた。いいともへのレギュラーが決まった際は「見つかってもうた」と嘆き(有吉のバカに見つかっちゃったの先行事例)、その「タモリ愛」もジャングルTVから始まったものだといえる。ちなみに東野のツボ芸人は「さんまのスポーツするぞ」で会話に割っていけず泣きくれたナイナイ矢部、いいとも後期の森脇健児、どSの中川礼二、現在の爆笑太田。
鶴瓶はやはり怖いという印象。関西時代はたけしの何が面白いのかわからないと問うていた(問われた相手は爆笑こそしないがニヤリとはすると答え、そんなん笑いなら爆笑させんとと)。たけしのANN開始前に鶴瓶ラジオを参考にしていたと聞き、さらに「東京進出失敗」もあり「たけし兄さん」と呼ぶように。メインではなくサブに回るのには抵抗もあったはずだが、タモリに諭されいいとも出演を続けた。タモリとは深い親交を結んだが、さらに古いさだまさしとの親交は話さなかったらしくジャングルTVゲスト出演の際の交友フリップを見て初めて知ったタモリが「え、あんた友達だったの?」と仰天していた。いいとも出演よりもさんまの「覚えてるでえ」が東京での起爆剤になったと思う。
タイトルにした香取慎吾のスピーチは印象に残った。それぞれ良かったのではないか(石橋の発言は馬鹿にしたものじゃなく本心だと思うので、タモリの反応は可哀相だった)。これ以上の盛り上がりはない、スピーチは余計という声もあるが、芸人祭りで締めればそれこそ「バラエティーのフジテレビの終わり」で終了してしまう。
駆け足が長くなった。ここでおわり。
4月1日に「2020年迄に都内の木造密集エリアを解消」なんて見出し記事が流れてた。
(荒川区町屋、世田谷区太子堂など。大震災時に大規模火災の危険性・消火活動が困難)
見出しだけしか読まない人は、2020年に木造密集エリアが「解消される」と解釈してしまうだろうが、
関係者である自分に言わせれば、完全な「見出し詐欺」としか言いようがない。
正しくは「解消するように努力する」、いや「解消できればラッキー」程度のシロモノでしかない。
タテマエは政策目標として「2020迄に解消」と国土交通省は発表するだろう。
しかし、実際に2020迄に木造密集エリアが解消するとは、当の国土交通省が思ってないだろう。
内心、「半分、いや3割が解消すれば御の字」程度の認識じゃないか?
そもそも阪神大震災の時に、散々「木造密集地の早期解消を!!」が叫ばれた。
あれから19年。19年間解消しなかった課題が、急にあと6年で解消する訳がない。
強制収用でもするのか?
いわゆる木密エリアの解消政策に、何か新たな特効薬でも用意したのか?と調べてみたが、
本気でやるなら「木密特区には、ドーンと1世帯辺り2000万円の全額補助金を付けます」位の
予算の大盤振る舞いをしないと2020年の木密解消は不可能
また役所の悪い癖で、
「建て替え費用の全額を役所が補助金で負担する」という思い切ったことはせず、
「役所は半額負担するから、あなたも半額負担してね」的補助金で、木密解消が進むと思い込んでる。
そういう手法が通用するのは、太陽光発電補助金みたく、「本人がやりたい意欲マンマンな場合」のみ。
太陽光の補助金などは、自ら「太陽光を付けたい」という「水を飲む気がマンマンな馬」が相手だから、
一方、木密エリア建て替えは、「水を飲む気がさらさらない馬」に水を飲ませる作業。
木密エリアの問題点というのは、「不燃化されてない」ということ以上に
「前面道路が4メートル未満で、建替え時にセットバック必須(敷地の一部が削られる)」な点。
敷地の一部が削られることで、建物も従前面積が建たない、狭くなる可能性もある。
つまり自分の土地財産の毀損を伴う訳で、「仮に全額補助金がついても、やりたがらない人が多い」。
それこそ
「町屋尾久243ヘクタールの不燃化に、総額1兆円を投入する」のような大盤振る舞いをしないと、
2020での100%不燃化という「政策目標」達成は不可能だろう。1兆円掛けても可能かどうかわからないが。
また、木密エリアの事情として、権利関係が錯綜してる点がある。
土地の底地権者、建物所有権者、借家権者がバラバラ、というのがザラ。
しかも借地上の建物だと、取り壊したら借地権が消滅したりするので、絶対建替えに応じない、というケースもありえる。
2020年迄に解消させるには「このエリアに関しては借地借家法の特別法を作る」くらいの荒業が必須になるが、
そういう話は聞こえてこない。
更に、木密エリア住人は相対的に年収も低く手元資金も少ない。そして高齢化している。
「自分が生きてる間に大地震が来る訳ないから、対策しない」「地震で死ぬなら天命」と諦めてる高齢者も多い。
1.「カネが掛かる」以外に
先日から木密エリア解消ニュースのツイートチェックしてるが、100はあろうか、というツイートの中で、
殆どのツイートは、単純に国交省発表の大本営発表を、そのままツイートしてるだけ。
都市防災の専門家や不動産関係者なら「2020迄の解消は不可能」と気付く筈なのに、誰も指摘ツイートしない。
マスコミが国土交通省の画餅の政策目標を無批判に垂れ流し報道し、防災関係者や不動産関係者が誰も突っ込みを入れない。
「おっ、国土交通省が2020迄に木密解消か、国土交通省もなかなかやるなあ」と勘違いして感心するのでは、と心配してしまう。
ただ、今回の木密解消ニュースは、自分が業界関係者だったから「こんなの画餅だろ?」と嘘を見抜けたが、
仮に「農水省が2020迄に●●を達成する」「厚生労働省が2020迄に●●を達成する」というニュースがあっても、
農業・厚生畑は素人である自分には画餅を見抜く能力はない。大本営発表を盲信するだけ。
そう考えると、日経辺りの役所発表記事は、相当程度「画餅」が混ざっていたんだろうなあ。
本来の日経の役割は、役所の大本営発表に対して「それは画餅だ」と突っ込みを入れることではないのか?
しかし多分、国交省内部では「固定資産税減免が木密解消の切り札になる」と「大真面目」で議論してるんだろうなあ。
議論に参加させられる若手官僚は「こんなの焼け石に水にもならない」と内心思ってるが、正論を吐くKYなことは出来ない
課長だか課長補佐辺りのキャリアが、「固定資産税の減免で、オリンピックまでに木密解消ですよ!!」と絵空事言っているのを、
「2020年までに、固定資産税減免程度で、木密解消なんて無理じゃん」と思っているんだろうが、
※でも、実は「国土交通省が2020年という目標を自ら設定」したんじゃなくて、
数はそれほど多くないのですが、賢哲とされる執政者もいました。
といっても英国は女性の先進国というべき、パイオニアが12世紀より存在していました。
彼女らによる為政がより多くの貧民を救い、また新しい文化を享受した事だと思います。
さるビクトリア女王時代には、数多くの植民地を平らげ、それに彼らの伝統的思想を蓄えさせた結果、
殆どの後進的国家では庶民が学を尊ぶといった文明開化が育まれていき、その政治の在り方に是非を考えるようになり、
また、わが国においても岩倉具視使節団などを経て富国強兵の手本としてきたのであります。
さらには東郷平八郎が英国留学中に学んだシチューを日本に持ち帰り、後日本の伝統的家庭料理となった"肉じゃが"を始め
女がパイオニアたる英国の文化が多く日本に根付いた事は今となっては感謝の言葉もありません。
その一方で、わが国は宗教を尊んでいました。
その一つが神道で八百万神を基本とするアミニズムや弥生期のシャマニズム(といっても元々は商王朝の請け売りですが)といった具合に
中でも神道においては女性を母なる産物を与える神の使いとして崇めていたことは当時の地誌であるとか神話体系であるとかに描写された事からもはっきりしています。
それだけわが国は古来より女性が先頭に立って政事を行う事が当たり前なのでした。
しかしながら、この試みは仏教伝来と共に立ち消えとなってしまうのです。
時は遡り明治維新に入ると吉田神道を軸とした復古神道から国家神道を尊ぶようになりましたが、これは女性神を崇める原始神道とは一線を課す仏教神道、すなわち神仏習合を軸とした新しい神道でありました。
その結果は、女性の人権を蔑ろにした男性による男性のための男性の政治であり、一時は富国強兵を成す事が叶いましたが、それも長くは続きませんでした。
つまり男性が政事を行って良かった事はあまりないという事なのですが、何故か女性が政治の場に立ち入らせなかった事が今日の我が国の社会形成に相成ったという主張がまかり通っているのですから不思議なものです。
反対に女性は平成時代に突入してもその権利義務は変わらず低いままなのです。
アメリカや英国などの先進国を見渡せば、女性が如何なる地位に昇っているかご存知の方も多いはずです。
しかしながら、わが国に限ってはこれまで女性がその社会の最高位に立ったことがありませんでした。
天皇家ですら明治以降男系天皇を本流してきましたので、女性がああだこうだというのは何等か齟齬が生じるかもしれません。
とにかくわが国の女性はそういう時代に生きて行かなくてはなりませんでした。
たかが性別が異なるというだけでわが国は不思議な事に女性を重要な地位に就く事を拒みました。あるいは恐れていたのかもしれません。
彼女は今日に至っては盗作や捏造疑惑で騒がれていましたが、それ以前からも彼女の人格や容姿をネタにマスコミは騒ぎ立てておりました。
これは彼女というよりも女性がそのような国を代表するような大事を成す事に苛立ったのかもしれません。
それが出る杭は打たれるが如しバッシングの嵐だったのでしょう。
とにかく今日の我が国というのはとにかく、女性が表舞台に立つ事を恐れているような節が見られます。
彼女は反日である、というのが今日の我が国の評価ではありますがそれ以前からマスコミは挙って親日家のパク・チョンヒ元大統領を褒めちぎりその娘であるパク・クネ大統領に対しては、
あくまで親の七光りといった評を下しました。
同じ様にこの間駐日大使になったケネディの末娘キャロライン氏に対してもそうでした。
彼女らは彼女ら自身の功績よりも父親の功績を以って評とされていました。
そういったマスコミや世論が女性に対して政治は男のモノで女は口出しするなといった風潮が垣間見えてくるというものです。
女は政治に向かないとどうして決め付けるのでしょうか?
まして2000年も以前より神道を尊んできたわが国ならば(他の先進国よりも長く女性を崇めてきたはずですが)、女性も表舞台で活躍するのが賢明であると判断しそうなものですが、やはり外来宗教がダメなんでしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=N8UC1RjSvMg
【三荻祥】報道されない名護市長選の実態[桜H26/2/12]
上動画を見た。見る前から大体、内容がどんなものか予想がついていたのだけれど、まあ「やっぱり」って感じ。要約すると:
1)名護市長選は、辺野古移設問題が「反日メディア」やサヨクの操作によって、戦争賛成か反対かにすり替えられた。
2)住民の七割は辺野古移設に賛成だと思われるのに、賛成派は反対派からの嫌がらせ等に苦しめられている。
3)マスメディアでは、辺野古移設反対という住民意思が反映されたと報道しているが、それは正しくない。
といったもの。
問題点を列挙しておく。
1)「反日メディア」とか「サヨク」って言葉を使ってそこで思考停止するのはやめよう。そうやってレッテル貼りをして対話の機会を逃しているのは自分たちじゃないのか。
2)今回の選挙戦が辺野古移設賛成/反対を問うものであったことは火を見るよりも明らかな事実だ。三荻祥氏の話には、それに対する客観的な反論根拠がない。住民全員から話を聞くくらいのルポ精神を持たずして安易に沖縄を代表するな、と言いたい。
3)もし「七割が賛成」であるならば、賛成派が反対派から「村八分」にされるわけがない。それは力学的に間違っているでしょう。そこを説得的に述べなければならない。
4)七割を超える投票率をほこった名護市長選において「選挙に民意がただしく反映されていない」と考えるならば、五割以下の投票率であった都知事選についてはどう考えるのか。田母神票もまたデマゴーグ票ではないのか?(違うと言うでしょうが、名護市長選を説明するときと同じ姿勢をもって接してください。あるいはその二つを説明する原理に齟齬がないようにしてください。無理でしょうけど)
上の諸論点が解決されない限り、私はご都合主義的だと思うし、あるいはダブルスタンダードを持った言説である、と思っている。「動画を見る前から大体の内容の予想がついてて、それを裏切らなかった」って最初に言ったけど、それってご都合主義的だからなんだよね。ようは、沖縄という現実を見ずに、国防や保守思想という空想と戯れているわけ。私たちは正しく思考するためには、現実主義的思考をつらぬかなければならない。自分たちにとって都合の悪い事実から目を背けて、逆に自分たちにとって都合の良い事実ばかりを強調するご都合主義的思考には注意をしなければならない。「現実を見る」ということは自分の思考が不意に裏切られる経験、つまり思いもよらなかったような新たな発見をするという経験ではなかろうか。そうした精神のないところには、私は頑迷な原理主義者や空想家の姿を見出さずにはいられないのである。
女は恋愛を望んだのであって、肉欲的に誘ったわけじゃねーだろ。男は恋愛的に何も返さず、すっとばしていきなり肉欲を欲した。そこに齟齬が生じるのは当たり前じゃん。