はてなキーワード: 高田文夫とは
浅草キッドの水道橋博士が参院選で当選して2ヶ月経つけど、テレビやラジオがほとんど触れていない。水道橋博士はメディアの露出が増えてもよさそうなところ、逆に激減している。
何より恐ろしいのが、「伊集院馬鹿力」「爆笑問題カーボーイ」「高田文夫ビバリー」など、それぞれに親交の深い人たちによる、あけすけな毒舌やゴシップネタを売りにしているラジオまでが、水道橋博士を祝福するのでもイジるのでもなく、完全に黙殺していること。ほとんど犯罪者の扱いと言ってもいいレベル。
この理由は、水道橋博士が維新の会を激しく批判・攻撃する主張を繰り広げて全面的に対立していること以外に、およそ思いつかない。野党でもこうなのだから、もし維新の会が政権に入った時、その「言論統制」は現在の比ではないことが想像される。本当に恐ろしい。
この10年でAMラジオが劇的に変わっている。一言で言うと、古き良き「おじさん臭」が排除されつつあるのだ。
1980年代から帯番組でラジオを長年支え、2000年ごろにはほぼ無風で安定していた「おじさん」たちの帯ラジオ番組が、2010年代半ばになって一気に消えている。吉田照美と荒川強啓は帯がなくなり、大沢悠里はほぼ引退、文化放送の主・野村邦丸も4時間ワイド番組が昼の2時間に縮小。森本毅郎と大竹まこと、高田文夫はまだ健在だが、全員70以上。50ぐらいの元気な「おじさん」がいない。おじさんラジオの継承者筆頭だった伊集院光も、帯から追い出されてしまった。
これは単なる世代交代ではない。彼らが一様に得意としていたセクハラ風女子アナいじりなどが、コンプライアンス的に難しくなったことが大きい。吉田照美は今は左翼になって偉そうなこと言っているけど、かつてはパートナーの小俣雅子へのセクハラ罵倒ラジオで人気を博していた。TBSはジェーンスー、荻上チキ、パンサー向井と、コンプラアインス重視のシャレオツ路線に。radikoの時代仕方ないけど、おじさんラジオの安心感がなつかしい・・・。
(追記)
c_shiika "ジェーンスー、荻上チキ、パンサー向井" 30後半から40後半は立派なおじさん世代だと思う。あとTBSラジオは昔からその時代なりの左派っぽい人が多くなかった? 永六輔とか
ここで郷愁まじりに言っている「おじさん」は、単に年齢のことではないんだよね。良くも悪くも「世間の常識代表」の安心感を与えてくれる存在のことを指している。ジェーンスーや荻上チキも好きなんだけど、どちらかというとそうした「常識」を相対化して揺さぶる側で、タメにはなるけど安心感はない。だから心が弱っている時は聴けない。
こういう粗捜しをすれば他の作家の書いた物なんて、この手の文章はいくらでも出て来ると思うが。それはともかく。
ポリコレ的な文脈とは全く別の話として。死んだ人の悪口を反論出来ない状態で、しかも大して親しくも無いであろう間柄で言うのは人間として軽蔑するよ。昔の宝島で景山民夫が書いてたから町山が編集者として担当して腹の立つ部分もあったんだと思うけど(担当編集者としては『使えない』部分が少なからずあって、みうらじゅんや景山からもからかわれていた。町山本人は後にADHDだかの発達障害のせいだと言っているが担当編集としては「使えなかった」のは事実なんだろう)。
「神罰が下った」みたいな同じような内容でも、かつての盟友高田文夫が言うのと、町山が言うのは全く意味が違う。それも町山はADHDのせいだというかも知れないが、ちっとも笑えないし、単に冷酷な人としか映らないぞ。周囲も注意出来ないし、当時からそんなお寒い状況だったんだろう。
景山が怪しい新興宗教にのめりこんだのは子供が難病を持って生まれてきたからだと個人的には思っていて、自分も同じ目に遭った時に冷静でいられるとは思えないし、そういうのも知らんでもないだろうに、コケにするだけの一笑いにしようとする町山にはやっぱり軽蔑しか感じない。
当時の文章だとしてもね。
フィナーレに関する目に留まったいくつかの……多くの記事と多くの部分におよそ三十年分の記憶との齟齬があり、明石家さんを軸に百字で収まらぬあれこれを書き留めておこうと。
文字起こしではなくライブで関西ローカルラジオを全国の明石家さんファンが聴けば、おそらくその数は激減すると思う。伊集院のラジオを聴きスタッフの馬鹿笑いにたちまち拒否反応を起こす関西人よりも多かろうと。
「笑っていいとも!」へのたけし乱入はたいした事件ではなかった。登場でいきなり出演者の首を締め上げるのは当時からのお約束。たけしが人選を間違えて変になった。「お笑い論を偉そうにぶっていた康夫にカチンときた」といった経緯もない。そもそも初期のいいともはアングラ芸人タモリを始めとする監督や芸術家、作家、アナウンサーら文化人が時事風俗を斬る、社会風刺を主とする番組であったのだ(田中裕子回必見の安産祈願を巡る宗教団体の抗議等々により、観覧客だけでなく視聴者にもタモリは恐怖感を抱いてしまい、ゆるいお笑い路線となった。最終週の後説で安産祈願ネタをタモリがややムキになって話していたのが感慨深い)。ほぼ初対面で髪をぐしゃぐしゃにされた康夫がむくれたのはたけしのミス。後のインタビューで「あそこで俺の首を締めかえしたら成立したのに、これだから作家はダメ」とたけしが語っていたが、芸人矜持を偉そうに語るなら当時毒づいていたタモリに(大橋巨泉なぞに認められる奴はそろって贋物だとか)いけよと思った。たけしオタクを自負する太田ならこのインタビューも当然読んでいたはずだが、フィナーレでは反撃を恐れて放りっぱなしで逃走、康夫は仕方なく傍の田中裕二に組み付いたが本気で抵抗され、諦めて壇上を降りる康夫の背中に裕二は蹴りをかます(当たってはいないが)。「あいつは、テレビの前の皆様に向けてじゃないんですよ。あれは俺に向けてやりよったんですよ」は明石屋さんの自意識過剰だと思われ。あと、いいとも降板は選手権で笑いを取ったことを責められせいではなく、制限時間オーバーで失格と裁定されたのが気に入らなかったため。
鶴瓶のヤンタンも聴いたが、同じく最初に読み上げられたリスナーのハガキが「師匠の引き際に感嘆した、素晴らしい」だったのが象徴的。共演NGが本人よりも外野、スタッフの死活問題に帰するという見解は正しいのではと考える。さんまの毒舌というより真正面からの他者批判を聞いていれば、共演を避けるよう周囲が動くのも仕方ないなと。さんまはNGが多いタレントという印象。徳光とのNGは徳光側の意向もあるのだろうが、「次番組に呼んだら俺は降板する」とからくりTVのスタッフに伝えた野村克也のケースは異例だろう。ひょうきん族にとんねるずが出演した際、石橋に今後の相談を受けたさんまは、お前らなぞ眼中にないとばかり、そのままでええんちゃうと軽くいなしてやったと得意げにラジオで語っていた(のりおは石橋はともかく木梨なんて竜介レベル、すぐに消えると言っていた)。石橋が関西芸人敵視になったのも仕方ない。夕ニャンが終了した際は「フジテレビとしてはとんねるずよりおニャン子が惜しい、大事」と素人の私も首を傾げる業界事情を報告していた。松本に関してはさんまのまんま登場時の松本へのスカシや、最近も「すべらない話」なんて掲げる自体がお笑い失格、恥ずかしいと語っていたが、吉本芸人同士、両者に重なるスタッフもいてあからさまな共演NGとはならなかったのだろう。後輩の松本が配慮していたというのもある(まんま出演後は自らの失敗と反省していたし、「まだまだ売れるわー」の連呼もそう)。浜田に関しては先輩である寛平の頭を叩く行為に怒っているという噂も聞いたが、フィナーレでミニコントしたり、太田への浜田の苛立ちを腕を抑えて笑いにしたりと決して険悪な関係ではないのだろう。
太田は談志の後継者らしく政治的に動く人という印象(談志と揉めた後、業界の偉いさんらに悪口言い触らされたとたかじんがぼやいていた)。タモリ、さんま、石橋があの芸風を好んで許容しているのかはなはだ疑問。ファンには「プロレスをせず、真剣で戦っている唯一の芸人」なのだろうが、もしも浜田のツッコミを振り切り、例の客席、視聴者へのつまらぬアピールをやったら、浜田は加減なしでケツを蹴り上げる。今田も東野も宮迫もその覚悟を持ち共演しているが、怪我でもしたら社長が吉本に大人の申し入れをしそうでなんとも。土下座事件は噂の真相で事実のように書かれていたがこちらもはなはだ疑わしい話。たけし後継に勝手に名乗りを上げるなとプロレス好きの弟子の水道橋が乗っかっただけのように思われる。太田が著書で松本批判をしたのは確かなので、ライバルとしてではなく、何が面白いのかわからぬ後輩の売れっ子がこっちにからんでくるなと、俺らウンナンとは違うからなという程度だろうと(太田は「笑いの殿堂」でメインのウンナンの悪口陰口を石塚英彦と一緒にくっちゃべっていた)。
たけしに「男気」を感じたことは一度もない。その類のエピソードが語られるたびに、正月のフジヒットパレードでの松村との初顔合わせのVTR、どこかに残ってないかと思う。最終回いいともの辞もありきたりのベタ。「似非インテリの集団」に担がれたが自虐ネタになってないのは辛かった(山下や赤塚、浅井慎平や高平哲郎に比べ高田文夫やテリー、高信太郎はいかにも山師っぽい。筒井康隆はタモリを小説に登場させたほどだが、たけしについては俺の毒舌の二番煎じ、ぐらいに考えていた節がある)。
ナイナイも当初は太田批判をANNなどで話していた。とんねるず世代で、舞台や漫才ではなく、あくまでもテレビに出たい人。芸人にダメだしするなと中居批判、下駄を履いたジャニーズ批判もやっていて、めちゃイケ共演までははっきりと敵視していた。いいともへのレギュラーが決まった際は「見つかってもうた」と嘆き(有吉のバカに見つかっちゃったの先行事例)、その「タモリ愛」もジャングルTVから始まったものだといえる。ちなみに東野のツボ芸人は「さんまのスポーツするぞ」で会話に割っていけず泣きくれたナイナイ矢部、いいとも後期の森脇健児、どSの中川礼二、現在の爆笑太田。
鶴瓶はやはり怖いという印象。関西時代はたけしの何が面白いのかわからないと問うていた(問われた相手は爆笑こそしないがニヤリとはすると答え、そんなん笑いなら爆笑させんとと)。たけしのANN開始前に鶴瓶ラジオを参考にしていたと聞き、さらに「東京進出失敗」もあり「たけし兄さん」と呼ぶように。メインではなくサブに回るのには抵抗もあったはずだが、タモリに諭されいいとも出演を続けた。タモリとは深い親交を結んだが、さらに古いさだまさしとの親交は話さなかったらしくジャングルTVゲスト出演の際の交友フリップを見て初めて知ったタモリが「え、あんた友達だったの?」と仰天していた。いいとも出演よりもさんまの「覚えてるでえ」が東京での起爆剤になったと思う。
タイトルにした香取慎吾のスピーチは印象に残った。それぞれ良かったのではないか(石橋の発言は馬鹿にしたものじゃなく本心だと思うので、タモリの反応は可哀相だった)。これ以上の盛り上がりはない、スピーチは余計という声もあるが、芸人祭りで締めればそれこそ「バラエティーのフジテレビの終わり」で終了してしまう。
駆け足が長くなった。ここでおわり。
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http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/evil07/20091101/1257057243
全力でバカやろうぜ、的なイベントをテキストでつまみ読みして、かつマジレスとか正気を疑う。なんというつっまんねーセンスか。
「拍手の嵐」に引いてるやつもいるようだが、これ例えば「学会で画期的な治療薬の理論を発表。会場に万雷の拍手」みたいな意味でとらえてんのか。こんなもん「たけしのギャグに高田文夫が拍手」と同義だっつーの。ちょっとはその首の上の物を使って考えてみればいい、みんなが帰り道で「あの○○発言はすばらしい! 実に洞察に優れた知見だ」なんて話し合ったりするとでも思いますか? 実際は「アレはバカだったなーwwwww」「あれは確かにひでえwwww」とかですよ?
「現実の女性をデバッグ」云々も、おまえらこれが誠心誠意本気の本気で全女に向けたもんだと思ってんのか。どーーーーーーーーーーー考えてもんなこたあねえ。これはギャグだろうが。そんなものにマジで答えてどうする? あああああん?
いや、100000000000000歩譲って本気で言ってるとしようか。でだ、その場合現実の女にデバッグの余地が無いとでも? 新聞でもテレビでも、まともに情報を得てればそんなこと言えるわけがねえだろうが。
WinterMute ゲーム 恋愛ゲームの文脈でいったらそりゃ現実の人間はバグだらけなので。「現実の男もバグだらけ」「ですよねー」で仲間だもんげしてればいいんじゃ 2009/11/02
くらいのことは言ってみろと。
要するに、ここでマジに答えてるやつは、人間に対してせいぜい「尊敬すべき理想的人間-中間-卑しい愚かな人間」みたいな単純なヒエラルキーしか想定できないわけだ。「尊敬しうる要素を持ち、かつ同時に卑しい部分を持つ人間」や「敬意を抱きつつも、時には馬鹿にしたりする関係」みたいなものは了解できないんだろう。それでまたそういう馬鹿に限って「○○の多様性を認めるべき」とか「ステロタイプなカテゴライズは否定すべき」なんて言ってたりするからなあ。いやはや。