はてなキーワード: 齟齬とは
329 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2014/01/10(金) 23:38:29.62 ID:otNiXrYW0
アンチブラック企業系のまとめブログとかってその観点ではどう見てもサヨなのに
女叩きに関してだけはウヨになるのな
330 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2014/01/11(土) 00:21:24.59 ID:BqkwRuTH0
>>329
しかもそこだけとってつけたような感じだからなぁ…どうしても齟齬が生じるんだけど
彼らの中では脳内補完されているらしく気にならぬらしい
331 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2014/01/11(土) 00:42:33.71 ID:SvAdMRK40
332 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2014/01/11(土) 01:03:10.86 ID:BqkwRuTH0
あいてが契約内容を正しく理解していない、もしくは齟齬がある事を知りつつ、またはそれを目的として契約を作成することは『真実誠意の原則』に反しているから契約そのものが無効
僕(以下、甲という)と契約して魔法少女(以下、乙という)になってよ。
第1条
契約に際し甲は、乙に対して願いを1つ叶える義務を持つ。また乙からエントロピー提供を受ける
権利を得る。乙から提供を受けたものに関しては、乙による事前の同意なく他の目的に
使用できるものとする。
なお乙の所有するエントロピーは自己管理が原則であり、第5条に定める事項(別記)が
第2条
……
追記する必要性を感じた為、いくつかの指摘に対して反応しておこうと思う。
まず最初に明記しておきたいのは、特定の個人に対して何かを主張したつもりはない。
個人攻撃(発言ではなく、発言者を話題とする)と取られてしまったのであれば、ひとえに自分の書き方の問題であるので謝罪したい。
引用元を明確にするために記載しているが、発言者は置換可能だと捉えて欲しい。
既に別ポストで述べたとおり、性差別を批判する際に、その表現の中に性差別を含んでいるからと言って批判そのものには影響しないと考えている。
しかし、好ましい態度では無いと思う。
これは、「人工知能学会誌の表紙イラストの表現」を批判する際に「批判の表現は差別を含んでいても、主張が正しければ良い」という態度を肯定すると、
「人工知能学会誌の表紙イラストの表現が差別を含んでいても、主張が正しければ良い」という態度をもまた、肯定することになるからだ。
「主張」の軽重によって、差別が許容されうるとは思わない。
ただし、表現の手法によっては、より慎重であるべきという主張はあり得る。
前述したとおり、表現の手法によっては、より慎重であるべきという主張はあり得る。
同様に、人工知能学会誌の表紙イラストは、政治的な主張を可能な限り避ける努力をすべきである、という批判もあり得る。
あらゆる条件下で絶対的な価値を持つ主義は無い。そのため、それぞれの信ずる所を主張することに意義はあると思う。
ただし、主張は相手に伝わらなければ伝達にならない。相手の意志を変えることが出来ない。
好悪の表明ではなく、批判である場合は、攻撃にならないようにすべきだと思うし、前提条件を共有する努力を怠ってはならないと思う。
人工知能学会誌の表紙イラストが問題であると思う場合は、相手とその問題意識の前提条件を共有した上で、指摘する必要があると思う。
(共通認識を仮定して話すことと、共通認識に齟齬があったときに相手を非難することとは、異なる)
この件で、フェミニズムに対する差別(偏見)が生じてしまったことには、責任を感じる。
可能な限りジェンダー論(社会的・文化的な性のありよう)等の主義には踏み込まず、主張の方法論だけにフォーカスしたつもりだった。
ある主義や属性に対して、「〜だから」というのは、差別的だと思う。
例えば、「最近の若者は」と論ずるときに「最近の若者全てがそうである」ことを明示しなければ、差別的な表現だ。
ある主義主張(例えば、自分はアファーマティブ・アクションを肯定する立場だが、いくつかのフェミニズムには共感できない)は、
主義主張に対して論じられるべきであって、個人攻撃と同じように、ある主義や属性によって差別されるべきではないと信ずる。
「〜を主張する人間だから、他の意見も聞く必要は無い」は、差別だ。
全てには反応できないので、いくつか抜粋した。
saebou
ありふれた学術用語のheterosexual male fantasyって言葉を使っただけで「差別表現」と言われるのか…だいたい「家事の性差別を肯定するのは、ヘテロ男性」なんて言ってないし絵の性的含意の話をしてるわけだし… http://htn.to/6oHfV2
自分の知識が無い事で、整理をする前の段階であったという指摘であるのならば、謝罪したい。
CiNiiで、「ヘテロ男性の性幻想」や「heterosexual male fantasy」では見あたらなかったため、サーベイ論文を示していただければ読んでみたいと思う。
釈明するとするなら、自分の知っているジェンダー論に関する論文では、可能な限り性を注意深く扱っているように見えた。
Sexual fantasyや、Homosocialという単語には、男性性という意味を含まないし、男根主義(Phallogocentrism)も「主義」の話をしている。
また、発言からは人工知能学会誌の表紙イラストが性差別であると指摘しているように受け取れたので、そうなるために必要な前提条件を提示した。
論理の組み立てに誤りがあるのであれば訂正したい。読解力の問題であるという指摘であれば(前提条件の提示が無い為)同意できない。
saebou @Cristoforou
この表紙むちゃくちゃ気持ち悪い。こういう表紙にするって決めた人たちの中には女性の学会員はいたんだろうか?女性のロボットがつながれてて家事をしてるってヘテロ男性の性幻想丸出しだよね。 / “学会誌名の変更と新しい表紙デザインのお知ら…” http://htn.to/drzHrj
「こういう表紙にするって決めた人たちの中には女性の学会員はいたんだろうか?」という表現から、
「ヘテロ男性主義」という意味ではなく、性的指向としての「ヘテロ(異性愛)」性別としての「男性」を指していると判断した。
すなわち、「異性愛の男性の学会員の性幻想が表現された表紙デザインだ」と主張し、非難しているように読めた。
個人のツイートであるからそういった配慮を欠いて発言したとするなら、
性差別を指摘する際には好ましくないのではないかということは、既に別のポストで述べた。
(なお、学術用語であることは、差別表現ではないことを意味しないがそれは別の話になる。
ある集団内で定義された単語である場合は、その前提条件は明示する必要があると言うことも、既に別のポストで述べた)
nekora
そんな真面目で大層な話ではなく、現代アートの人の単なる面白半分の煽りでしたとさ http://twitter.com/5putniko/status/416366121084678144 バカフェミに延焼してキモヲタが釣れて大変ご満悦の模様
Sputniko! スプツニ子!
おっ! 朝おきてみると美少女アイコンたちから、リプが!笑 おおきいお友達のみんな、いちばんのもんだいは、表紙デザインそのものよりも 「学会がこういう論争が起きかねないことに無自覚」ということなんだよ!♡ わかったかな〜?♡ (๑˃̵ᴗ˂̵)و
リンク先のツイートを読むと、何を問題にしているかが不明確なので、良く分からなかった。
「学会がこういう論争が起きかねないことに無自覚」というのは推測であって、その根拠が明示されていない。
「いちばんのもんだいは、表紙デザインそのものよりも」という提示からは、表紙デザインの表現が問題なのではない、と読み取れてしまう。
(論争を起こす目的で表紙を掲載したのであれば問題はない、と言っているのか想像するしかない為、理解できなかった)
staton
id:hungchang 100字制限があるから攻撃的,差別的表現になっても仕方がないというのは酷い言い訳だと思いますよ.
前述したが、個人の発言と学会誌の表紙との持つ意味合いの違いは、あると思う。
ただし、既に別ポストで例示したとおり、攻撃的、差別的表現を含めずに批判することは出来たと考えている。
また、もしも文字数制限があることが攻撃的、差別的表現をせざるを得ないとするのであれば、
差別について指摘、批判する時に、文字数制限がある媒体を使うことは好ましくないと思う。
MersA
そう思っていた。
今のスペックのまま、“ちんちんがそこそこ大きい”人生を歩みたい。
俺はルックス的にはおそらく中の上、ブサイクだと言われたことはないが
皆の心の中で「なんか惜しい」と思われている空気を感じる、そんなクラスだ。
そして俺はちんちんが小さい。いわば“粗チン”であり、言うなれば SO・CHI・N である。
ちんちんが小さいがためにできなかった事やなりたかった自分の幻影が俺の心の片隅を占拠しており、
このままでは死んでも死にきれないのだが残念ながら人はいつか死ぬので、
仕方ないから生まれ変わった時にちんちんが大きい男として生まれいろんな夢を叶えたい。
こういう事を言うと必ず「ちんちんの大きさなど関係ない」とか抜かすアホが出てくる。
関係ないわけあるかぼけクソゴミ虫。ろくに考えもせず適当なこと言いやがって。考えれば簡単に分かるはずだ。
ルックスがいかに良くてもちんちんの大きさによって不可能な人生がある。
考えてもみろよ。
毎晩美女をとっかえひっかえするプレイボーイになると思うか?
街中で超絶美女を悪漢から救いその晩、彼女を抱く事になると思うか?
答えは否だ。彼は絶対にどこかでちんちんが必要にならない選択をしてしまうからだ。
やりたくないのではない。ちんちんが小さいから逃げざるをえないのだ。
どうしても最初のご開珍の場面を先に想像してしまい無意識のうちにそうならないルートを選んでしまう。
風俗でさえパンツを脱ぐのと同時にどうしても「すみません」という言葉が出てしまう。
この「すみません」は、「小さくてすみません」「小さすぎて笑いたいのを我慢させてしまってすみません」
という意味だ。
書きながら画面が滲んでよく見えない。
想像してみろ。
JAY-Zのちんちんが小さいわけがないし、SnoopDogのちんちんが小さいわけがない。
この世の中で活躍してるのは概ねちんちんがそこそこ大きいやつらだ。
反して、秋葉原などでブヒブヒ言ってるやつらはきっとちんちんが小さい。
今度アキバでチン長を調べてみて欲しい。平均チン長が明らかに小さいはずだ。
むしろちんちんが小さくないヤツがアキバにいるべきではない。ちんちんが小さくないのならもっとやりようがある。
そもそもちんちんが小さいから、世捨て人の如く内に篭って外見にも気を使わずどんどん腐っていくというパターンは
確実に多いと思う。
だってどんなに洒落て充実したところで、ちんちんが小さかったら最後でギャグになってしまうのを我々は知っているからだ。
そう、ご開チンが“最後のセレモニー”だからタチが悪いのだ。(いやタチは良いのだが)
この手の話になると今度は女子が「女にだっておっぱい格差が」とか下らないこと抜かしやがる。
くそが。
おっぱいなんか大きかろうが小さかろうが大した問題ではない、おっぱいは常に素晴らしいものであるし、
そもそもそんなものは外見からも見て取れるものだからイメージと実物の齟齬は乳輪くらいのもので限りなく小さい。
パッド偽装が非難されるのは当然であり、それはおっぱいの小ささへの非難ではない。
「小さくても問題ない」と言う俺を信じなかった事への非難だ。
あと女性のおメンクは大きい小さいという評価基準が無いのが羨ましい。
たまに広さを問題にする愚かな男がいるが、はっきり言ってそんな事はどうでもいい。
多少のガバメントは問題にすらならないし、もし産後であるならそんな素晴らしい事を責める男はクズ以下の塵に同じ。
まじであんなとこから頭が出てきた時の衝撃と神々しさは忘れがたい。
少々話が反れたが、言うなればおっぱいは“中ボス”、ストーリー上の通過点、装飾として添える華であり、
おメンクは“エンディング”なのであり、めでたしめでたしなのである。ぶっちゃけエンディングってどんなんでもいいだろ?
ところがちんちんはそう甘くは無い。(いや実際の味は知らない)
ちんちんは“ラスボス”であり最後に登場するからタチが悪い。(いやタチは良い)
最後に登場したくせに小さいと、それはもはや“オチ”以外の何物でもない。ギャグなのである。
その瞬間に流れる微妙な空気は、実際にちんちんが小さいヤツにしか分からない温度と匂いがある。
また画面が滲んできた。
たまに「セクロスの良さはポコニャンの大きさじゃないよ!」とか言ってくれる素敵な女性がいる。
氏ね。そんな優しさいらないしそれはあくまで常識的なちんちんの大きさがあってはじめて成立する話だ。
じゃあナニか?おまえのおマンションに小指を出し入れして本当に気持ちいいか?あ?
というかただでさえろくに満足させてやれなかった嫁も2人射出してからさすがにガバメント2.0になり、
なおさら俺のSOCHINでは満足させられなかったせいか見事にセックスレスになってて泣いた
もしも俺のちんちんが大きかったなら、想いのすべてを歌にしてから即セクロスに持ち込んだかもしれない。
あの時すれ違ったストライクすぎる美女に気兼ねなく声をかけてその晩ゴルゴばりに抱いたかもしれない。
近所の不良どもを片っ端からやっつけ今頃関東○合のトップで仕切ってたかもしれない。
同じチームの女性陣を片っ端からひいひい言わせて味方につけ、会社のトップに君臨してたかもしれない。
“ちんちんが大きいと得をする”と言いたいのではない。
大は小を兼ねる、ちんちんが小さいとする躊躇もちんちんが大きければ何も躊躇しない。
ちんちんが小さいことを無駄に気にして避けてしまったルートを、なんの気兼ねなく検討できる。
この感覚はちんちんが普通、もしくは大きいヤツには絶対に分からない事だ。
そんなわけで、ちんちんが小さい今世を頑張っていくしかないのでxvideos見ながら小さいちんちんマッサージしつつ(タチは良い)、
TOEICのレベル別評価一覧があまりに奥歯にものが詰まったような表現ばかりなので、俺が正しい表現に直してみた。
495~375
・自分の英語が間違っているのに、ネイティブの英語が聞き取れないのを相手のせいにして見放されます。
・聞き間違っているのにそれに気づかず失敗します。
・スピーチを聞く時は周囲の反応をうかがって、皆が笑う時にわかりもしないのに笑ったふりでごまかすしかできません。
・最低限の生活はできても、一人で楽しめるほどの行動は起こせず、ヒキニートのような生活になります。
370~275
・意思の疎通に齟齬をきたし、犯罪に巻き込まれる可能性があります。
・些細なトラブルに巻き込まれても、適切な対処ができないので、相手がしびれを切らして警察沙汰になる場合があります。
・あなたはネイティブから話すだけで精神的な苦痛を受けると評価されます。
275~5
・警官や警備員の制止、犯罪者の恐喝が理解できず射殺される恐れがあります。
・レストラン等で注文することができず、お金を持っていても飢えに苦しみます。
495~425
・相変わらず難しい文章は読めないか、読めたとしても日本語よりはるかに遅いペースでひどいストレスを感じます。
・本を通読することはできません。
420~325
・ネイティブの小学生高学年と同程度の読解力が身についています。
・およそ、ありとあらゆる契約書が読めません。
・保険や確定申告の書類仕事が手につかず、社会的な不利益を被ります。
・ネイティブが一般的な社会人に期待する速度の読解ができず、能力評価は最低ランクと評価されます。
320~225
・およそ、ありとあらゆる説明書が読めません。
・一般的な社会人としての日常生活を送るのに最低限必要とされる書類を読むだけで一日が終わります。
・結果、当然読むべき書類に目を通せず、生活に支障をきたします。
220~5
・漢字の読めない小学生と同じ程度に社会に適応するのが困難です。
・ネイティブの手書き文字は判別不能です。
こういう、「宗教学的には宗教なんだ」って反論よく見るけど、まるで意味ないよな。
「言葉の定義に差異がある」事象を、「本人に自覚がない」と解釈しちゃってるから、あの文章は間違ってるって話なのにさ。
日本で宗教と言ったら、キリスト教、仏教、神道に始まって、創価学会やらエホバの会、幸福の科学とかが出てくるわけ。
当の教授も「判っている」から、カトリックや学会員でもなければ手を上げないと語る。
んで、その判った上での「嫌がらせ」として、初めから定義の齟齬を「狙って」質問をする。
質問の中で、一般的な宗教という概念から、学問的な宗教の概念へシフトしている。
最初から、「お守りに意味を見出すのは宗教学的には宗教」と説明して「宗教学的な宗教を持つか?」と問えば、
およそ常識的な教育を受けた日本人は「YES」と答えるだろう。
ブコメとかで、日本人は宗教と言われるのを極度に嫌がるとか、ドヤ顔でウエメセの馬鹿が多くて辟易する。
・カトリックですか? or 仏教徒ですか? or 学会員ですか? ⇒ NO
・私
・好きな人(Fとする)
・Fは私をなんでも話せる女友達として見ている。
・Fとの会話は常に私が聞き役
・Fと私は仕事上のパートナーとして時間を共にすることが多い。
Fとの雑談の際、たまに元カノやねんごろになった女の子の話になることがある。
自慢話ではなく、こういうことがあった、という、本人としては笑い話、ネタ、くらいの話なのだが、嫉妬に狂ってしまって冷静に会話ができなくなる。
今までは「相槌を打つ」という対策を立ててきたのだが、感情に限界が来ている。
突然キレる、ということになりそうで、まずい気がしている。
そこで今後の対応策を考えているのだが、もしこんな戯言に付き合っていただける人がいたら、ご助言いただけますと幸いです。
ざくっと言うとこんな感じ。
「そういえば以前こういうことがあってこういう女の子と出逢ってこうだった。そのあとその子の事は押し倒した」
「喧嘩のあと、仲直りしたあとのセックスは最高に気持ちいいぞ」
私のシモネタのほうが生々しくて、Fから本気でシモネタ禁止令を言い渡されている。
現在一緒に仕事をしているため、その間もFとは顔を合わせるし、話もしなくてはならない。
1)女としての嫉妬
彼に優しく愛でられ、男モードの声で優しい言葉をささやかれ、彼に欲情されたその子たちが羨ましい。
私はセックスに対するコンプレックスとトラウマがひどく、男性と恋愛関係になることに臆病だ。(そのことはFも知っている)
セックスの快感は一応知っているが、あまりそういう機会に恵まれていないため、セックス充爆発しろ!!!と思ってしまう。
初対面の女性もほとんど落とせる。やりちんではなく、ほんとうの意味で男っぷりがいい。
「私の前でほかの女とやった話をしないでよ!!!」
「私は想像力豊かなので、お前のセックスする姿を思い浮かべることになる。恋人ではないお前の脇腹の脂肪が滑稽に揺れる様子を想像するのは生理的に不快なんだよ!!!」
告白は、今はしないと決めている。
スパっと白黒を付けたい性格ではあるが、時期と状況というものがある。
でも来年中にはすることになる。
どう伝えるか、が大事だと思う。
要は「私が傷つかないように話の内容に気を遣え」という至極自分勝手な言いがかりなのだから、「そういうことなら」と前向きな気持ちで了承してもらえるよう、伝え方を相手の立場にたって考えるべき。
この相手の立場にたって、というのが難しく、努力・工夫・成長の求められるところだ。
「私も女なので、他の女の話をされると嫉妬します」と、半泣きになりながら言ったことはある。
Fは非常に面食らっていて、「でも恋愛感情はないんだろ?つまり規格が合うということだろ」というところで落ち着いた。
Fとの仕事のためであったし、保身でもあった。そしてその頃はFでなきゃ駄目だというものでもない、とも思っていた。
Fに対して愛情はあったけれども、恋をしていなかった。
今一度、同じセリフを言ってみるとどうなるのか。
腫れ物にさわるように扱わねばならないと思わせてしまうと思う。
今でさえアスペ的反応をしコミュニケーションに齟齬が生まれやすい私にかなり気を遣ってくれているのに、さらに条件を増やすのか。
Fが私の抱えている問題は知っている。
でもここまで過敏に反応していることは知らない。セックスについて、そのくらいの話題でも傷つきかねないということを、最近の自慰の様子をもとに伝えるというのはどうか。
最近は自慰の際、AVでよがる女の子たちを見ていると、同じように乳首に当ててみた電マの音が虚しくなってタブを閉じる。
うーん、私の自慰の話を聞かされても、気持ちのよい交渉にならないよな…。
Fの思いもよらないところで私は傷つき、それについて私がFに働きかけるとき、どうあってもFが傷つくような気がする。
私がもっと器を大きくしないと駄目なのでは。
あーーーぜんぜん相手の立場に立って考えられていない。相手の立場から私を見た場合の自分の醜さ、恋愛条件に入っていなさに、耐えられない。
そもそもの問題はそこなのかと思い始める。
やはりここは3なのか
一番いいのは「自分に自信を持つ」ことではないのか。
私は自分に自信がない。
舞城王太郎の九十九十九よろしく、「こんな私、誰も好きになんかならないよ」と心の奥のほうで叫んでいる。いじけている。
自分を蔑む思考回路をもって、自分の前向きな希望や欲求を検証する癖がついている。
それが生活にも大きく影響を与えており、第三者からすれば、Fとの恋愛以前に、自分の生活、性格をなんとかしろよと言われてもおかしくないくらい、精神状態も生活状態もやばいと思われると思う。
ただ、「恋愛以前に」という考え方はしないほうがいいことを今までの経験から確信した。
だから私は生活、性格をなんとかする努力もするが、Fへの思いは人間の当たり前の感情として、抱え、持て余し、悩み、時が来たら押し付け、自爆してもいいと思っている。
なので2,3は両方選ぶことはできる。
距離を置くとかがいのだけど、状況が状況のため、常に2人でいることが多く、息抜きに他の人と話せる環境がないため途方に暮れていた。
女の部分を捨てる引き換えに一緒にいられるようなものでもあるのだけど、欲とは限りないな。
あまりに心が乱れてしまい、吐き出してしまったが、ちょっと頭が整理できた。
ここまで読んでくれた人、ありがとう。
感想でもいいかも。私がおかしいのかとか、他の人ならどうするのかなとか、そういうのも知りたい。
もしアドバイスもらえたら、嬉しいです。
ずっと振りほどけば離れてしまう程度の距離感にしか居なかったから、それが許されてしまってきたからだろうか。ちゃんとコミュニケーションが取れてるってのがどういうことかほんとにわからなくなってきた。そんな距離感の集団の中では、それでもコミュニケーション取れるほうだって思ってたんだ。でもそれってインプットとアウトプットのパターンを暗記してただけで、別に相手のことを考えてやったとか、相手の気持ちを考えてやったとか、そういうんじゃなかったんだな。そもそも、コミュニケーション能力って、情報を正確に伝える、受け取る技術のことと思ってた。
だから最近よくいわれる(もちろん、指摘してくれる人がいるのはありがたいこと、というのは"理解"できるのだが…)「相手の気持ちになればわかるはずのことをなぜいちいち説明しなきゃならん」とか、「同じ目線になってほしい」とか、逆に俺のためにしてくれたことが"的外れであっても"嬉しいとか、そういうの、目に見える部分のパターンを知識としてるだけの人間には抜けた感情が戸惑いでしかない。いやあの、望まれればそれやるし。でもどうやら、気持ちとやらが大切なようだ。うーん。
あまりそれを求められたことも多くないからなあ。(せいぜい昔付き合ってた子に「あなたはほんとに人に執着しないひとだ」と言われたくらいか。だからモテないのか。)
何だろうな、この間も何かを裏切ったっぽいんだが、俺にはこういうときはこう言ったほうがいいんだな程度のことしかわからん。
やっぱり人間って好きじゃないな。独りじゃ生きられないっていう現実は知ってるからそのための知識を覚えようとは思えても、ひとと何かを共有することを目的には生きられんわ。いっそ齟齬何ぞ知らんとかおもえりゃいいんだけど、相手を裏切ったらしいことくらいはわかるし、それはすごく申し訳ないからとか半端に感じてしまうからもうどうしたらいいのやら。しんどいわ。
昨日、モノを捨てた。って言うか、捨てられた。
昼前に起きて一階に降りたら、ステレオセットの上にのっていたものが降ろされていて、掛っていたカバーも外されていた。
どうしたのか訊いたら、捨てると言う。昨日の内に業者さんが下見に来ていて、今日これから引き取りに来るって。
エレクトーンも捨てるって。
せめてと思って、慌てて埃を払って廊下へ出した。廊下と玄関の間の引き違い戸を外して、運び出し易くした。
そうしたら、ちょうど業者さんが来た。
記念に撮影したかったけど、いい歳したオッサンがね、そんなこと言うのも気が引けて、ちょっと待ってとも言えなかった。
みんなドナドナされていった。晴れていた。昼前だけど。トラックだけど。
・ヤマハ エレクトーン C-80 & イス(エレクトーンの相方)
母方の伯母夫婦に買ってもらった。当時はお金の出所なんて知らなかったけど。
小さかったころ、知らない人が家に来て、母に「やる?」って訊かれて、よく解らないまま「うん」って言ったら、音楽教室に通うことになった。
結局、よく解からないまま、ロクに弾かないままやめてしまった。
やめてからもときどき音を出していたけど、高校受験を控えたあたりからかな、全然使わなくなって、それきりになった。
本体/ヘッドホン/イスのトリオでウチに来たけど、いつの間にかヘッドホンが行方不明になっていて、本体/イスのコンビで送り出した。
レコードプレーヤーは4段切り替えだったかな。持ってたレコードは33回転と45回転のものしかなかったけど。
プリアンプはトランジスタ、メインアンプとチューナは真空管で組まれている。
電源を入れると背面の放熱口から真空管の光が漏れて暖か味を感じさせる。使っている内に本体の天板が実際に暖かくなってくる。
夏はすごく熱くなる。ウッカリのせっぱなしにしてあったソノシートがふやけたようになってダメになった。
チューナーにはステレオビーコンがついててFMのステレオ放送を受信すると赤いランプが点る。うまくランプが点るようにチューニングするんだよね。
ずいぶん前からロクに使ってなかったけど、ときどき電源を入れると音は出た。ノイズ混じりだけど。真空管かなり傷んでるからね。
プレーヤーとアンプを繋ぐコネクターも傷んでいて、ちゃんと繋ぐにはコツがある。
コネクターの樹脂部分の中で接点金具がズレるんだ。だからガタツキのある接点に繋がったリード線をつまんで接続面側に押し付ける。
押し付けた状態でコネクターの樹脂部分とリード線を持って接続すると、接点がきちんと接触する。
ほかにも傷みは多いし、付属品も欠品が多いけど、説明書はみつけたので一応つけておいた。
こいつは自分が生まれる前からウチに居たらしい。40年くらい前から。
クラッシックのレコードやソノシートが数枚ばかりあったから、あれで胎教でもしてたのかな。
小さかったころは、母にねだってレコードや雑誌の付録のソノシートを掛けてもらったり、一緒にラジオを聴いたりしていた。
生まれた瞬間が人生の頂点だったかもしれない自分にとって、まあまあ幸せだった幼児期を思い起こさせるモノ。
母が死んだら一番の形見になると思ってたけど、その母に捨てられた。まあ、母の持ち物だし、形見なんてあっても仕方ないけど。
形見を見ながら「お前のお婆ちゃんはね…」なんて思い出話しをする相手もいないし。
親が死んだら食い詰めるし。こいつを持って、公園だの橋の下だのに移住するのも大変だもの。
他にも幾つか捨てられたけど、思い入れのあるモノはこの二点だけ。
どちらもウチで過ごした期間の大半は置物/物置台の状態だった。不遇だよね。「スキルを活かして働きた~い」的な意味で。
どちらもまだうごく筈。どうかどうか中古市場の方に流れて、新たな持ち主に恵まれて、モノとしての寿命を全うできますように。
いまだに気持ちがモヤモヤして落ち着かないので、試しに吐き捨ててみようと思って書いています。全くの私事なのだけど。
要らないモノを捨てると、心がスッキリするんじゃなかったっけ?"捨てる"と"捨てられる"とでは話が違うのかな?
何年か前から"整理術"とか"捨てる技術"とか"断捨離"とか流行っていて、テレビでも紹介されているでしょう。
あれで例示されてるケースって、服とか本とか一人が専有/専用しているモノばかりじゃないかな?
家族で共有/共用しているモノはどうするんだろ?詳細は本で?また要らないモノが増えちゃうな。
母も自分も"捨てられない人"なのだけど、今回はその母が突然"捨てた"わけです。自分にとっては「何でそれ捨てるかな?」ってモノをね。
母は食品なんかの空き箱/空き瓶をため込んでいる。保存容器などに使うために。でも、同じ商品を頻繁に買うので、同じ空き箱/空き瓶がどんどんたまる。
いま在る分を捨てても同じものがすぐにたまるのだから、それこそ捨てていいモノだと思うし、そう言ってるんだけどね。
「週刊文春」(2013年10月17日号)でCHAGE&ASKAのASKAは「シャブアス」騒動の顛末について語っている。
私がこれから書きたいことは、これまでの騒動の経過も含めて、この一連の騒動について客観的にどう理解すればよいのか、ということ一点に絞られている。それゆえ、既存の情報以上のハナシは一切存在しない。
まずはことの経過をまとめよう。
事件の前哨をなったのは、7月24日の「東スポ」であった。「超大物シンガー深刻な薬物中毒」という見出しをつけ、「超大物シンガーXの名前を公表すれば、日本中が大ショックを受ける」というスクープを掲載したことであった。そこには、そのシンガーのものと思われるシルエットも載せられ、2ちゃんねるをはじめとし、麻薬中毒とされた「超大物シンガーX」とは誰か、とおおいに波紋を呼んだ。しかし、宇宙人やツチノコの存在までも「発見」し、「スクープ」にしてしまうこの三流紙には、誰かを犠牲者にして盛り上がりたいという品性のものや、冷やかし半分の野次馬根性の持ち主しか、まともには反応しなかったであろう。
事件が大きく進展したのは、8月1日発売の「週刊文春」(2013年8月8日号)によってである。「シャブ&飛鳥の衝撃 飛鳥涼は「覚せい剤吸引ビデオ」で暴力団に脅されていた!」というあまりに衝撃的な見出しとともに、ASKAが暴力団から覚醒剤を手に入れ、それに完全に依存し、またその吸っている姿が盗撮され、その盗撮ビデオをもとに脅迫をうけているといった話が、圧倒的なリアリティをもって、書かれた。そこではまた、文春記者のインタビューに答えるASKAもあたかも中毒によって精神不安定であるかのように、揶揄的に誇張された姿で描写されていた。その記事は「Yahoo!Japan」や「MSN」のトップニュースにも載せられ、日本全国に「シャブ&飛鳥」というイメージが伝播された。
CHAGE&ASKAの事務所は、即日、その記事について、「事実に反しており、大変遺憾です。弊社としてはこれらの報道に対し、厳重に抗議いたします((なお、2013/10/9現在この事務所コメントは削除されている。))」と、これを否定した。
後追い記事もでた。東スポ((8月2日・3日・4日・5日・6日))やフラッシュ((「FLASH」(8/20・27号)・8/6(火)発売))がそれだが、それについてはまともに相手にする人は少なく((後者に関しては内容がそれ自体としてあまりに齟齬のあるオソマツなものであった。))、それは今のところは脇に置いておこう。
むしろファンたちに打撃を与えたのは当の事務所コメントであった。というのも、完全に事実に反しているのであれば、名誉棄損で訴えてもよいレベルの記事を書かれているのに、「厳重に抗議」だけで済まそうとしているからだった。さらに、ASKAが直接メディアに姿をあわらし、たとえば記者会見などをするなど、本人からの釈明がないことが、結果的にはさらなる不信感を募らせ、疑惑を深めることになった。
そこにあらわれたのがASKAの友人であるNAOMIのブログである。NAOMIは、ASKAとメールや電話などでコンタクトをとれる状態にあること、さらに「北海道時代に反社会的な友人など一人もいない」とASKAが述べ、ASKA自身はいたって普通の生活を送っていることを発信した。ファンクラブからまず発信されないことに憤りを感じるファンも少なからずいただろうが、しかしNAOMIの言葉はASKAが無実であることを信じるファンにとっては喜ばしいものであっただろう。
8月7月発売の「週刊文春」(2013年8月15日・22日 夏の特大号)では、スクープの第二弾を読んだものの、新しい情報や決定的な情報はほとんど存在しない、いわば前回のスクープの焼き増しのような内容であった。唯一見るべき内容といえば、チャゲアスサイドは事務所コメントに反して「抗議」などを全く行っていなかった、ということだった。
チャゲアスサイドのあまりに弱腰な対応に、ファンたちは、ASKAの無実を信じたい気持ちを持ちたいと思っただろう。「信じたい気持ちを持ちたいと思った」というこの言い回しは、しかしながら、維持されるべきものであるとおもう。ファンたちもまた心から何の疑惑ももつことなしに信じることが難しくなっていたのである。
膠着状態は長く続いた。twitterやblogを頻繁に更新していたChageも、ぱったりと更新をやめてしまっていた((しかし、8月25日にはBlogを更新した。鳩の飛ぶ様子を写したその写真は、ASKAの歌った「廃墟の鳩」をあらわし、「人は誰も悪いことを覚えすぎた」という冒頭の歌詞を示唆している、と推測する記事も出たが、むしろこれは「飛ぶ鳥=飛鳥」ということで、ASKAのことを暗示しているに過ぎないのではないか?))。8月中ごろから9月下旬まで、決定的な証拠がでてくることもなく、また無実の証明((だが、それにしても、なべて、無実の証明などどのようにして可能なのだろう!))になるものもなく、疑惑のみが独り歩きをしていた。
ASKAからの直接の否定コメントがでたのは、9月27日のことである。そこで語られたことは、「記事にあるような、違法なことは一切やっていない」ということ、「音楽関係者といって近づいてきた人」と金銭トラブルに巻き込まれていたこと、これが最も大きなものである。
9月27日に発表したのは、ファンクラブ会報発行の時期に併せてのことであろうが、この対応の遅さに「シャブ抜き」をしていたのではないかと訝しむものもあり、後味のわるい終結ではあるものの、これで、一応事件は終結するもののように思われた。しかし、10月9日発売の「週刊文春」(2013年10月17日号)で、事件の全貌についてASKAは告白することになる。
「週刊文春」(2013年10月17日号)によれば、文春記者を呼んだのはASKAだった、「男と男の話し合いをしたい」。
・「覚せい剤を売ってた」とされる山本が北海道時代の同級生というのは間違い。山本は北海道で仲間と飲んでる時に知り合った人。
・覚せい剤をふくめ、非合法とされる薬物を使用したことは生涯を通じて一度もない。
・ある時、寝起きが悪いASKAに山本がお土産として「アンナカ((正式名称は「安息香酸ナトリウムカフェイン」。ねむけ、倦怠感などに通常用いられ、医院で処方される薬である。))」を融通したことがあり、山本が薬事法違反に抵触する((「薬事法」第24条第1項および第84条がそれに該当するものである。なお、ここで違法とされるのは「買った側」ではなく、「売った側」すなわち山本である))
・盗撮ビデオは存在するが、それはガラスパイプなどを準備してきて、これを使えば少量の「アンナカ」で済むと言った山本に従ってガラスパイプを使って一度吸引したところを盗撮されたものである
・その盗撮ビデオをもとに、五千万円を貸してくれ、と言われていた((「貸してくれ」だからASKAは脅迫だとは思わなかったとあるが、盗撮ビデオをばらまくと言われ、金を貸してくれと言ってくる行為は立派な脅迫であり無理がある))
・今までこの事実を言わなかったのは、弁護士など身の回りにいる人々と相談した結果である
といったことである。
これらのことをASKAが「週刊文春」から告白したことは今現在、ファンも含めてネガティヴに大きな波紋を呼んでいる。次にそれらに対して答えよう。
Q.1)ASKAは覚せい剤をやっていたにも関わらず、今さら覚せい剤ではなく「アンナカ」だと嘘を言うのは白々しいのではないか?
A.1)やっていたという確証はどこにあるのか? やっていない確証をだすことはほとんど不可能に近いけれども、やっていたという確証は掴めるものである。また、疑惑だけで人を貶めることは私は正義だとは思わない。本人が「やっていない」と言うのだから、それに対して反論を唱える者は、まず、やっている証拠をださなければならない。
Q.2)ASKAは嘘をついていた!
A.2)「嘘」の具体的な内容とは具体的に何を指すのか? 「週刊文春」(2013年10月17日号)で語られたASKAの言葉が正しいのであれば、私見の限りでは、嘘は一切存在しない。ASKA本人は、事務所コメントに書いてあった通り、何一つとして違法なことをしていない。
Q.3)ASKAにはやはり「黒い交際」があったから、芸能界から追放されるべきではないのか?
A.3)そうではない。たしかに、山本は客観的には暴力団関係者であったけれども、それをASKAには話していなかった。それゆえ、その時、ASKAの主観的には山本は暴力団ではなかった。その時に客観的に知ることができないのであれば、それを客観的に知ることを要求することは人間の能力を超えており、神しか成し遂げることのできないことだ。それゆえ、暴力団と知りつつ交際している別の例との比較は成り立たない。また、ASKAはこの事件のうちで、主観的に悪をなしたことはほとんどなく、ASKAは誠実な態度を保っていると評価するべきであろう。唯一あるとすれば、それは山本の薬事法違反を容認していたことであり、もちろんそれについては反省をしなければならないであろうけれども。
Q.4)事件が収束したかに見えたのに、よりによって「週刊文春」に独断でインタビューを受けて、文春記事について一部認めるのは、よりイメージがわるくなるのではないか?
A.4)そのとおりであるように思う。もし記事にされることを承知の上でインタビューを受けていたのであれば、事務所などイメージ回復に努めようとしている周りの人びとに対しての配慮に欠けていて、またイメージ回復のための戦略的部分に関して致命的に悪い対応をとっている。戦略的部分においては、行為の動機ではなく行為の結果のみが通用する((「週刊文春」は今回の記事によって、事実上、前回の記事への自己否定をおこなっている。「週刊文春」は謝罪記事を乗せることなく、事実訂正に成功している。これを戦略的勝利とよぶのである))。それゆえ、ASKAは事務所などに対して謝罪をする必要があるように思われる。もし記事にしないことを条件にしてインタビューを受けたのであれば、あまりに人を誠実に信じてしまった「善人」である。イメージ回復という「戦略的部分」でしかない領域から見れば、やはりASKAは配慮に欠けていたと言わざるを得ない。しかしながら、人を誠実に信じる者と、誠実でない者の、どちらが「悪人」なのであろうか?
今現在の意味と言うけど、その今現在の意味を共有して、その意味で捉えている人間が何人いる?
言葉に定義がなかったら混沌となり、会話そのものが成り立たなくなってしまう気がする。
例えば誰かが「りんご」を「みかん」と呼び始めて、それが一部に広まったとして、その一部での会話は成り立つかもしれないけど、外部の人間からすれば何を言ってるのか分からないと思う。
ちょっとした齟齬が軋轢を生むなんてことは少なからずあるわけだし、その言葉の「本来の意味」は会話をする上で非常に大切なものだと思うよ。とは言っても、全ての言葉が厳密に定義されているというわけでもないだろうから、場の空気を読む的な考えも必要だと思うけどね。
色んな所に爪痕を残してしまったと思われる、レイシスト批判にかこつけたキナコ@pago18の「ネット童貞」発言問題だけど、誰も指摘してないのが不思議なんだがそもそもの所でキナコがリア充でヤリまくってるという確証は正直どこにも無いよね。多分その辺が明らかにされてないから色々と齟齬を起こしてるんじゃないかと。
極論だけどキナコの一連の発言の落とし所が「私の体でネトウヨ達の童貞を捨てさせて会心させてアゲル」だったら誰も文句は言わなかったんじゃあないか。
こう言ったら悪いけど「女子校育ちで中高6年間、男子と喋りませんでした。」っていうような人間が突然「男食いまくってるゼ、ネット童貞共バーカ」っていうような人間に変貌する可能性って高いのかな。いや、キナコがそれほどスペックが高い女性なのかそれほどまで性の抑圧があったのかは知る由も無いけど。
人の童貞性にケチをつけるような事を言う以上は、自分の性生活についてもオープンにしておかないとフェアーじゃないと思うんだよ。
だからこの問題を収める最善の策は、キナコがこれまでの経験人数や性体験などを詳細に告白するか、もしくは実際にネトウヨ童貞にヤラせてやるか、そんな所だったじゃねーかな。
どこを支持するか、という考えで投票したことが一度もないので、そう言われても困るのだが、基本的にはバランスを取る方向でもっとも自分の意見と齟齬が少ないところに入れてる(ゆえに死票も多いが)。
今回絶対に自民に入れてはならない、と思うのは、政策というよりも、政治家という連中が「自分(達)が支持されている」と勘違いすると、「自分の全てが支持されている」と勘違いするのか、建前の仮面を脱ぎ捨てて脳内本音全開のお花畑ワールドになってしまうから。なので、自分としては、政治家は「生かさず殺さず」ぐらいでコントロールしないとダメだと思っている。
というわけで、カウンターを取れそうな(バランスを取れそうな)政党に入れる、という投票行動になる。今回は共産だが、共産も(自分が重視する)世代間格差の問題に対して後ろ向きなので支持しているわけではない。
豚みたいな外見の僕が、結婚できて自分はなぜ彼女も出来ないのだろうか。
年上の後輩はどうもその当たりが納得いかないらしい。
お互いに敬語で話し合う関係の後輩と、普段は滅多に話さないが、仕事の関係で往復三時間ほどの車の中、恋愛の話をした。
彼の外見は、水木しげるが描く出っ歯のサラリーマンみたいな、カッパみたいな、お世辞にもイケメンの部類には入らない感じ。
「どこで女性と知り合うんですか?」
おもむろに彼は聞いてきた。
僕は素直に返答。どこにでも女性はいる。コンビニのレジ打ちやってる子だろうが道を歩いている子だろうが、話しかければ知り合いになれる。と返す。
後輩は納得いかないらしく、現実的じゃないとのこと。今思えば、僕の「誰か紹介しますよ」という返答を期待していたのか。
ちなみに、どんな女性がタイプかと聞くと「心がふれあえる人」だって。
こりゃ駄目だ。
逆にタイプを聞かれたので、おっぱいの大きい子だと答えると、若干軽蔑気味。
彼からすると、恋愛とは心の触れ合える相手との、心の触れあいであって、肉体的快楽ばかりを追い求めることは自分には出来ないんだと。
恋愛がナニモノであるのかについては置いておきましょう。女性と付き合いたいんですよね。もっと端的に言えばセックスがしたいんじゃないんですか。
「結果として肉体関係があるのはいいけど、目的はあくまで『心の触れあい』だから……」
ここに齟齬を見つける。僕は恋愛がしたいわけではなく、セックスがしたいのだ。彼はそうではないと言い張る。
・土下座したらやらしてくれる女の子には例えブスでも土下座をしてやらせて貰う。
・人生で一人でも多くの女性とセックス出来れば、その分得であると考えている。
etc……
文字に起こすと品性下劣な性欲の権化みたいだが、事実なのでしょうがない。僕は性欲を隠すことは食欲を隠すくらいに無為な事だと考えているのだ。
結婚してからは誘われなくなったが、呼ばれれば行ったし、呼んで欲しいと日頃から言って回っていた。そう答える。
御高説は最もですが、そうではないのです。と、もったいぶって僕も口を開いてみる。
人生が、思うままにならないのは仕方がない事で、好きになった人とセックスを出来ると僕は思っておらず、セックスを出来る人を好きになる方が効率的なのだと思います。少なくとも僕は。
「でも、体だけの関係なんて……僕はそれならセックスなんてしなくてもいい」
僕には必要だから、探す。欲求が行動の原動力になるんです。欲求がないのなら、必要な気がしているだけの錯覚ですね。
「いや、恋人は欲しいです」
だから、行動を起こす原動力が弱いんですよ。
そう言うときはじっくり待っていれば、『心の触れ合える』素敵な人が現れて求婚して来るかも知れませんよ。多分、来ないでしょうけど。
お互いに考え方が違って、統合する必要もない以上、議論なんて言葉遊びなのだ。彼は納得いかない顔をしながらも、口にすべき言葉が浮かんでこないようでむっすりと黙った。
だが、まあ何かの縁なので、ついでにもう少し掘ってみる。
『心が触れ合える』云々については、とても漠然としていて、実際の行動には向かないので、スローガン当たりにとどめた方がいいですよ。
その手前に具体的な行動目標を建てましょう。
この話題は彼も大いに興味を引いたようで食いついてきた。
例えばセックス……だとアレなんで、女性と手をつないで歩く。これでどうですか。心が触れ合ってる感も出てバッチリだし。
なるほど、と彼は頷く。「でもどうやればいいんですか?」
そう、それです。仕事や、地域活動やその他のイベントで女性と知り合ったら食事に誘いましょう。
「仲良くなったら?」
いや、知り合ったらです。一緒に食事すると相手の心情や性格も掴めるし、自分もアピールできる。その上で『心が遠い』と思えばそこで終わってしまえばいいんです。
「はあ、でも知り合った女性をいきなり食事に誘っても難しいのでは?」
そうですね。でも、それで相手にしてくれない人はだいたい仲良くなっても付き合えないですから判別が早くていいです。
押して駄目ならきっぱり諦めろ、て感じですね。
「はあ、なるほど」
食事に誘えて、相手と『心が触れ合えそう』と思えばプッシュすればいいんです。僕の場合はやれそうならプッシュしますがね。
「ううん……なるほど」
彼は少しだけ納得したようだ。
ああ、合コンは嫌なのにそれは有りなんだな~。
もうすぐ出産予定日を迎える。
妊娠は予定外の出来事だったが、思えばあっという間のことだった。
実は妊娠が分かった時には父親が末期のガンで、私を含めた家族はてんやわんやだった。
去年末に父が亡くなって、その後は葬式や法事の出来事しか覚えていない。
それらがやっと落ち着いた頃に、別の問題が浮上した。
母親と居るとひどく疲れる。気を使ってぐったりしてしてしまう。
とにかく、口を開けば亡くなった父への愚痴や批判ばかりで辟易していた。
まだ精神的に不安定だから聞き役に徹していたが流石にストレスが溜まる。
父親はワーカホリックで家に不在がち、母親は過干渉と放任の両極端。
きちんとした診断は受けていないけど、多分私はACだったと思う。
18になったら絶対に家を出てやる、それだけを心の糧にして実行した。
そうして、10年近く経ってお互い適度な距離を持つことで良好な関係になれたような気がしていた。
だが、それは私の一方的な思い過ごしだった。
私は、10年の間に大学に進学したり、就職したり、結婚したり、
人間的に成長する機会に恵まれ、少しは成長できたと思う。
だが、母の性格や中身は一向に変わっていなかった。
私のこれまでの10年と母のこれまでの10年では年月は同じでも、
生意気なことを言わせてもらえば、私はとうの昔に母親を「越えて」しまっていたのだ。
会う度に、ネガティブな感情の受け皿にされることに不満を覚えた。
これが、通常の心身状態だったらまた違っていたかもしれないが、
仮にも自分の娘が妊娠しているのに、呪いのような言葉をぶつけるだけ
少しでも、自分の思い通りの言動に私が対応しないと途端に機嫌が悪くなる母。
そんな母親の対応に怯えて、いつも疲れきっていた父と私。時々妹。
そういう恐怖に囚われていた感覚が次第に蘇ってきた。
だが、もう私は昔のような子どもではない。
もう、母親の顔色を見てご機嫌取りのようにしなくても良いはずだ。
そのことに気付いた時、憑き物が落ちたようにボロボロと涙が出た。
私にとって、今や母はモンスターだ。
もうこれ以上、人間的に成長する機会があるわけでもない。
夫も居なくなり子どもも自立した家で一人で孤独をこじらせている。
そうなった原因を、そこに至る過程を、決して自分の行動を振り返らないで
他者に要因ばかり見つけようとしている、自己愛に塗れた怪物だ。
これから先も、このモンスターに私の人生は支配されてしまうのか。
自分の思い通りになった時だけ褒め、それ以外は見向きもしない。
都合が悪くなれば、「私のせいじゃない」と匙をなげる。
今は、それが怖くて怖くてたまらない。
子どもにとって、母親というのは神様でもなるし怪物にもなり得る。
世の中の大半の普通の女性は、「自分のお母さんのようになりたい。」
というのだろうけれど、私は絶対になりたくない。絶対に。
時々、旦那に私の怒っている様は、私の母親とそっくりだと言われ、
背筋が凍りついたようにぞっとする。
私はもう、モンスターになりかけているのかもしれない。
ほらまた。
自分で欧州の言い伝えを持ち出しておきながら、知識不足を突っ込まれると相手の齟齬ってことにして責任転嫁。
自分は絶対に誤りを認めない。誤りを認めないから学習できないし訂正もできない。いつまでも間違った考えに凝り固まって、脳みそがバカのまま。
あのね、本当にお医者にかかった方がいいからね? そのバカは残念だけどキミ一人では治せないよ。誰かの力を借りなきゃダメだ。
本当に被害妄想の様相を呈してきたな。悪いこと言わないから今すぐ林先生かゆうきゆう先生あたりにメールを書いて予約を取れ。他に良い医者かカウンセラー知ってるならそっちでもいい。
人格障害は本当にマジな話障碍(最近じゃハンディキャップとも言わないんだった。チャレンジドだ)として認定されてない。そもそも精神障害に含むことすら未だに議論があるくらいだ。
障害年金の対象としても、やっぱり他の精神疾患と違ってパーソナリティ障害はそれ自体では対象に認められていない。臨床症状から判断して精神病の病態を示しているものについては、統合失調症またはそううつ病に準じて取り扱うことになっている。おそらく他の法令においてもこれに準じる判断だろう。
あと何度でも書くけど、俺は精神障害や疾患があるからキミをバカにしているのではない。端的にキミがバカだからバカにしているのだ。
バカならバカにしてもいいとは限らないのだが自分で自分の言をひっくり返して齟齬を他人になすり付けるレベルのバカだとつい反発してバカさ加減に言及してしまう。悪い癖だ。
今年米寿を迎えた祖父は、たぶん日本でも最長老クラスの自作厨(元)なんだが、
視力の衰えには勝てなくて、20inchの正方形のモニターが最近すごいことになってきた。
ブラウザの文字サイズを最大限にあげて、圧迫感が半端ない状態。
俺には文字がでかすぎてなんなのかわからないんだけど、
祖父にとってはこれが自然らしい(--;
十年前、膝を並べてPC教わったときは少なくとも普通だったのに...
ぼけてもないし、会話は普通にできるし、毎週家庭菜園に欠かさず出かけている祖父だけど、
PCのモニターと祖父の使い方を見ていて思ったのが、一度に取得できる情報量を
無意識のうちに抑えているのかもしれないということだった。
短期的に記憶できる量、マジック7を3か4ぐらいまでスケールダウンしてる感じ。
さらに言えば、端から端へ目線を移動させることも苦痛らしかった。
なんでモニター大きいのに交換しないのかと聞いたときの返事から。
結果として、日本で最初にうつったブラウン管の文字みたいなスライドで
ブラウザを見てるんだが、これはこれで中身をちゃんと理解しているらしく、
先日は、電脳戦の話をスマホとPCのモニターでそれぞれ見ながら局面について会話したけど、
全然齟齬がないのが逆に怖かった。(祖父は棋譜を見ていたので、自分が動画を見ながら
三浦八段の様子など教えてあげた)
PCに強いじじいは、たぶん今だけ通用するステータスなんだろうけど、
歳取ったら自分も祖父みたいになりたい。そう、思う。
老眼持ちの高齢者向けに設計されたUIじゃないかしらと勝手な妄想から祖父のモニターへ。
http://anond.hatelabo.jp/20130502104027
ガッカリ感がハンパなかった……orz
(普段は、派生記事に感銘を受けたら元記事にも敬意を払う、というのが基本姿勢なのだが……
今回ばかりは、さすがに……)
積み木を重ねただけの「ぼくのおしろ」的 文章※を材料にして、
単なる批判箇所の列挙でなく、
ここまでうまく料理するって、なかなかどうして、できないよ。
(※誹謗中傷扱いされると嫌なので、一応、下に理由書いとくね。)
自前で用意した尾頭付きの焼き魚に添える……みたいな。
いろいろ考えちゃうね。。。
+++※書くまでもないが、一応、理由+++
元増田さんのような力量が、当方にはないため、
「無根拠記事に無根拠反論」というお目汚しになってしまうことを
あらかじめお詫びしておく。
ということに尽きるだろうが(その他のトピックスはすべて消化不良)、
それを述べている文章自体が、皮肉なことに
「初期プレゼンテーションの失敗による悪印象」を体現している。
どういうことかというと、
記事タイトルに見合う本文
つまり、「看板(プレゼン内容)」に「実体」が見合っていない、という
齟齬であり、相手(読者)に対する不誠実だ。
こういったことは、
相手に「鼻持ちならない」という印象を与えてしまう(事例男性のような)事象よりも
(そりゃ、短期的には、好印象でしょうよ。)
どういう関係なのか記されていないが、仮にクライアントとすれば、
当人の持ち味を生かすようなアドバイスがなされてしかるべきではないか。
この2つのアドバイスを守らせた結果、
「恋人ができました!」と報告があった。
この文章に吸引力らしきものがあるとすれば、
「愛してくれ症候群」というネーミング、コピーライティング技術だろうが、
そこには疑問符がつく。
「後のことはシラネ」的な短絡的なアドバイスをされたうえ、
事例の30代後半男性は、この記事を読んでどう感じているのだろうか。
そういうスタンスをとるばかりに、「顔見知り」はできても本当の友達ができなかったのだ。