はてなキーワード: 穿った見方とは
そもそもメジャーの場に出てくるなら顔を晒す覚悟くらいは必要でしょと思っていたからだ。
シンガーソングライターなどで顔を出さないタイプのミュージシャンもいるが、そういう種類の人でもないだろうとも思っていた。
ネット上では歌ってみたで済むけどたくさんの大人とお金が動く世界では本人だけの都合ではなかなか通らなくなる。
そこをわがままするなら例えば「自分で曲作ってるし」とかの武器を自分で持ってないといけないと思うのだ。
結局Adoの場合は「顔は出したくない」けど「メディアへの露出は求められてる」の板挟みからの折衷案みたいな感じで「檻の中で歌う影」となった。
Ado本人もなんかかわいそうに見えたし、演出としてもそこになんのコンセプトも感じなかったからだ。
ライブの場合はファンはそれでも生で歌が聞けるという楽しみができるので、一切露出しないよりはずっといいのだろうけど
同時にファン心理としていつまでも姿は見えない状態はストレスがたまっていくんじゃないかという勝手な不安も感じた。
しかし自分の中でそのネガティブな印象が変わっていくきっかけになりそうな2ndアルバムの宣伝イベントがAdo本人のアカウントで発信された。
詳しくはXの投稿を見ればわかるがなんと「握手会」をするというのだ。
投稿には丁寧に握手会がどのように行われるかのイラストも載っていた。
それをみると大きな箱の中にAdoが入っていて、箱に空いた穴から手だけ出してる。
さすがに笑った。
これはなかなか痛快だ。
穿った見方をすればもう開き直りのような、(良い意味での)バカバカしさがある。
正論で言うなら、
そもそも存在感が希薄(思い浮かべる顔すらない)なのに中身が確認できない相手にはたして握手してもらって嬉しいのか?
などいくらでもつっこみどころはある。というかつっこみどころしかない。そこが良い。
今までなんかモヤっとするとこがあったけど、これに関してはなんか吹っ切れてていい。
タイプはまったく違うんだけどSIAはコンセプチャルな顔の隠し方をしている。
それは本人が顔出ししたくないとかいうより、ビジュアル面での個性の出し方って感じだとは思うんだが(一種のコスプレみたいな感じ)
Adoの場合も「顔を出さないアイデンティティ」みたいなのを思いっきり振りかぶっていけば、一種それがもうネタ化して面白がれる域までいくんだろうなと思った。
自分は別にファンでもなんでもないけど、ネットをルーツに持つ人達頑張れと思ってるとこがあるんで、Adoの事も時々チェックしていた。
そしてこういう軽やかなスタンスでの活動を見ると嬉しい気持ちになる。
あのグロテスクなTV演出とは全然違って見えた。やっぱり逆手に取るというのはクールだ。
まあこんな事言って後々「あの握手会、ほんとはすごくやりたくなかったです」とかAdoの口から出てきたりしたら悲しいが。
でもなんとなくAdo本人も自分の事をネタっぽく俯瞰で見ながら、自分のやりやすいやり方でやっていくんじゃないかって感心した。
https://x.com/itangiku/status/1803738267613024672
これさあ。
「そろそろ」じゃなくて、風刺だって意見はあのMVが出た当日からあったし、別にそんな穿った見方ではないだろ。
信者が擁護するせいで治まらないっていう人もいるけれど、どう見てもこうやって無限に蒸し返して叩く人達がいるせいだよ。
こうなるとやっぱりMrs. GREEN APPLEは削除も謝罪もすべきじゃなかったな。
謝ったところで向こうは叩く手を止めないんだから、
開き直ってMVを流し続けるべきだった。
コロンブスの時には「今の価値観で当時を裁くな」「当時の価値観でも駄目だった」という理屈で無条件に断罪されていたが、
こっちこそ100年も経っていない、今とは大して価値観が変わらない時期の出来事なのに、
「泣いて謝罪した」程度を大袈裟に報道し、許してやろうとする寛大な世論が生じている。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240620/k10014486571000.html
自分ら日本人と同じアジア系有色人種であるアメリカ先住民に対する加害に対しては何故か白人目線で反省会して
今の欧米でのコロンブスの評価をもって過去どころか今も続く先住民への人権侵害は軽視する一方で
原爆という日本人(だけじゃないけれど)への加害には必要以上に寛大。
やってる当人らはその自覚がなく、寧ろ名誉白人を糾弾しているから始末が終えない。
もしコロンブスが泣いて謝っていた資料が見付かったらどうする気なんだろ。
多分そんな事ではやった事は変わらないって言って、変わらず叩き続けるんだろうけれど。
すずめの戸締りを金ローでみた。
終始、震災を扱う手つきが雑で、物語のエモの舞台装置にされていて不快感があった。
以下、ネタバレ注意。
見てて気になったところ。
震災は「閉じ師」が封じられるという世界観なので、大震災が起きたところは「しくじった」とされる。
人間の及ばないところだからこそ納得せざるをえなかった生死が、震災を操作できるものにすることで、個人の責任に帰結してしまう。あまりに自然災害の本質とかけ離れている。
・「人の想いがその地を沈めてきた」というセリフ
じゃあ大震災の起こった土地はその想いが足りなかったんですか???と詰め寄りたくなってしまう
・おばとすずめの言い合いの言葉のえげつなさ、なのにテンプレートなところ
「あなたがいるせいで家に人も呼べず婚活も上手くいかない」「重いの!」という言い合いのなんかいきなり生々しくエゲつないとこ、でもリアリティがないとこ。
いや、なんか新海誠の思い描く「アラフォーの独身女の苦悩=コブ付きのせいで婚活上手くいかない」っていうテンプレ感というか、取ってつけた感。今までバリバリのキャリアウーマンで年下の同僚からの恋心にも気づかなかった叔母さんの人物像とかけ離れてね?
そんで言い合う叔母さんの顔に、今までなかったほうれい線が出現して醜くなる。
「ヒステリックってブスだよね〜」みたいな偏見があるのか?という穿った見方をしてしまう。なんでおばさん、いきなり老けた?
つーかこの言い合いは、新海誠曰く「前に進めるように、ダイジンの親切」らしいけど、ハア?? 自分で選びとった言葉じゃないなら何の意味があるんだよ、この会話。
叔母さんが必死に隠してきたことがあるとして、それをすずめに伝えるとして、それが彼女の意志でなければ前に進める訳ないだろ。
・ダイジンが震災孤児だという無神経さ、そして救われないのかよ
ダイジンはかつての震災孤児が要石として名乗りを上げたらしい。この設定、いや、絶句するんだが。悲しい過去!とか自己犠牲!とか、そういう泣きのために入れていい設定じゃないだろ。なんで震災孤児がそんな苦痛の自己犠牲の選択をして、解放されて誰かの子供になれるかと思ったら無理で、また自己犠牲に戻るなんて言うストーリーを安易に作るんだよ。本当に手つきが雑!震災は感動エモ泣きのための舞台装置じゃないが…?
・結局世界は何も変わらない
すずめがうっかり抜いた要石を元に戻した。起こった現象としてはそれだけだ。別につらい役目を担っていた要石のダイジンが解放されるわけでもなく、閉じ師の運命から草太が解放されるわけでもない。
世界は前には進まない。ただすずめが、「おばさんと本音を言いあえたし過去の自分を抱きしめられた」だけだ。
面倒なので前段は省く。タイトルを見て「アレのことか」と分からない人はスルーしてほしい。
https://petitcomic.com/news240208/
この文章が一読して耐え難いほどに醜悪な理由を書く。以下、上記URLの文章について「本テキスト」と呼称する。
本テキストは「作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列からも本質ではないことが自明である「著作者人格権」の問題へミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館の責任を隠蔽すること」を目的としたものである。だから気持ち悪い。
本テキストはそもそも内容が水のようにうすくあいまいだ。それでもなお、執筆者たちの「主張」を読み取ることはできる。
前半が「著作者人格権」について。後半が「小学館はドラマ制作サイドに芦原氏の意向を伝えていたこと」について。
順番に見る。
本テキストでは、まず「著作者人格権」について触れる。その後、「著作者人格権を守ろうとしたこと」を芦原氏が「恐らくめちゃくちゃうざかったと思います…。」と自己評価していたことを明らかにする。そして「私たち編集者がついていながら、このようなことを感じさせたことが悔やまれてなりません」と続く。
ポイントは、執筆者が「何を悔いているのか」だ。本テキストにおいて執筆者が「後悔」を明確に示しているのは、このくだりだけだ。これは非常に重要なことだ。
要約するとこうなる。
「著作者人格権という権利を周知させることができなかったために芦原氏に不要な自責の念を抱かせた。著作者人格権についての認識を広げることが再発防止の「核」になる」
この後に、「これだけが原因だったと単純化はしない」としつつも、あえて本文中に「核」なる単語を使用している以上、ここには明瞭な主張がある。
それは「本件がこのような悲劇に見舞われたのは芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったからだ。その認識を与えることができなかったことを悔いている」というものだ。
暗に「芦原氏は「恐らくめちゃくちゃうざ」いことを自分がしてしまった、という自責の念によって自ら命を絶った」と結論していることになる。
……なんだか、我々とはずいぶん違う世界観をお持ちのように見える。これまでの経緯を振り返って、こう結論するのは相当に無茶なのではないか。
彼女が本当に「ドラマに口を出してしまったこと」を自責した結果として死を選んだのであれば、1月26日以降の騒動はなんだったんだ? 彼女の死に、あの騒動は関係なかったということにならないか? なぜなら「ドラマへの口出し(=著作者人格権の行使)」は、12月時点で終わっていたのだから。
そんなわけねえだろ。馬鹿か。
ここには明らかに問題のすり替えがある。「著作者人格権をめぐる認識」に焦点を逸らし、本質的な問題から目をそらそうとすると極めて醜悪な論理の欺瞞があるのだ。
明らかに本件は「芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったから」起きたことではない。
一連の騒動を振り返って「芦原氏が著作者人格権について深く認識していれば本質的に問題は起きなかった」と思う人だけが、本テキストに同意することができるだろう。
そんなやつ、どこにいんの?
誰がどう見たって本件は多岐にわたる複雑な問題が絡み合って、最悪の結末を迎えてしまった事件だろう。わかりやすい「核」なんてものがあるはずがない。
にもかかわらず、スケープゴートのように「著作者人格権」を持ち出して「核」として据えるのは、故人に対してあまりにも不誠実すぎないか。
素直に考えれば「何のための文章か」という問いに、ここで一度答えが出る。「作家、読者、関係者に「著作者人格権」を正しく認識してもらい、悲劇の再現を食い止める」だ。
つまりね、このテキストは「経緯説明」も「調査報告」も何もかもすっ飛ばして「とにかく「著作者人格権」を知ってもらえれば再発防止につながる!」という、何の根拠もない虚妄によって書かれているのだ。
ごくごくごくごく普通に時系列を追うだけで「著作者人格権をめぐる認識」が事件の本質ではないことは明らかなのに、だ。繰り返すが、論理的に考えてここが「核」なら1月以降の騒動は自殺に関係がないことになる。
ああ、めちゃくちゃ気持ち悪い。
なにが「事態を単純化させる気はない」だ。ここで行われているのは「単純化」などということではない。もっと悪い、明らかに事実関係と時系列を無視した、問題のミスリードだ。
そして、ミスリードした先にある「著作者人格権」を取り上げ、「本質に問題解決に対して寄与しない」とわかっていつつ、ここが再発防止の核であると述べる。
ここには「事態の再発を防ごう」なんていう真摯な態度は欠片も見られない。あるいのは「そういうことにしたい」という卑劣な思惑だけだ。
そうするともう少し穿った見方をしたくなる。
つまり「本件を「著作者人格権の問題」にすり替える」ことが、本テキストの目的だったのではないか、ということだ。
この「著作者人格権」にまつわるテキストの不誠実さだけでも、十分以上に気持ちが悪い。しかしもっとおぞましいのはこの先だ。
要約するとこうなる。
「ドラマに対する芦原氏の意向は、小学館がドラマ制作サイドに伝えていた。芦原氏は納得のいくまで脚本を修正した。ドラマは芦原氏の意向が反映されたものである」
本テキストを読めばわかるが、これに関する一連のセンテンス、どこか誇らしげでさえある。
正気で書いているのだろうか? 芦原氏の「言葉」を軽んじているのは、ドラマ制作サイドなのか編集サイドなのかわからなくなる。
芦原氏の意向は、よく知られている通り「原作に忠実なドラマ化」である。これが小学館からドラマ制作サイドに伝わっていたとしよう。その後どうなった?
(https://piyonote.com/ashiharahinako-twitter/#google_vignette)
ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました(略)粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1~7話の脚本の完成にこぎつけましたが…。
加筆修正の繰り返しとなって、その頃には私も相当疲弊していました。
(略)8~10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、私が準備したものを大幅に改変した脚本が8~10話まとめて提出されました。
何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。(中略)原稿の〆切とも重なり、相当短い時間で脚本を執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます。
これは芦原氏が「小学館と時系列に添って事実関係を確認し、文章の内容も小学館と確認して書かれた」文章だ。
原作者である先生にご納得いただけるまで脚本を修正していただき
馬鹿じゃねえのか。芦原氏は「推敲を重ねられなかったこと」を「悔いて」いたのだ。「加筆修正の繰り返しとなって相当疲弊して」いたのだ。
その文章を確認しておきながら、舌の根も乾かぬうちに「ご納得いただけるまで脚本を修正していただ」いたとのたまう。本当に血の通った人間のすることか? ご納得いただけるまで脚本を修正するという作業がどれほど心身に負担をかけることか、わからない編者者でもないだろう。それを何を誇らしげに「わたしたちに落ち度はありません」と言わんばかりの態度で書いているんだ?
ここに事実を捻じ曲げる意図がまったくないとでも言うのだろうか。
そもそも「意向を伝える」ことは伝書鳩のように「言いましたよ」ということではあるまい。なるべく芦原氏に負担がかからないように交渉を詰めて、芦原氏が心身を疲弊させながら手ずから「修正」をしなくてもいいように、ドラマ制作サイドに「条件の履行」を求めるのが「意向を伝える」ことではないのか。ガキの使いじゃねえんだ。「ちゃんと言いましたよ」で責任を逃れるビジンスシーンがどこにある。
明らかにドラマ制作サイドに芦原氏の意向が「伝わっていなかった」から、彼女は修正を繰り返し、自らを追い詰めなければならないことになったんだろう。そこに「伝わるまで伝えなかった」小学館の責任はないのか?
無論、担当編集者やメディア担当者が「仕事をしていなかった」というつもりはない。担当者が誰よりも働いただろうし、想像するだに困難な局面の連続だっただろう。いまの心痛はいかばかりか。結果は最悪なものになってしまったが、それは決して現場の担当者たちを非難していい理由にはならない。
繰り返すが、現場の担当者個人の責任を追及せよと言いたいのではない。むしろ、それは決してやってはならないことだ。しかしまた同時に「頑張ったから」「努力したから」「不運としか言いようがなかったから」という事実は、決して責任を消滅させる理由にもならないのだ。
小学館に責任はある。絶対的にあるのだ。それは「著作者人格権にまつわる認識を周知徹底できなかった」ことなどではない。芦原氏の意向をドラマ制作サイドに理解させることができずに、結果的にドラマ制作過程において芦原氏を心身ともに追い詰める結果を招いたことについて、責任があるのだ。
にもかかわらず、そうした自らの責任にまったく目を閉ざし、ひたすら問題を矮小化させ、ミスリードしようとする意図が、行間に充満している。
それこそが本テキストが歴史的に気持ち悪い理由のひとつだろう。
書くまでもないことを最後に書く。
ここまで確認してきたように、本テキストは「作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列からも本質ではないことが自明である「著作者人格権」の問題へミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館の責任を隠蔽すること」を目的としたものである。
その最後に付された言葉が、芦原氏への「寂しいです、先生。」だったことは、瞠目すべきだろう。人間どこまでも恥知らずになれるらしい。
この一文が本当に気持ち悪いのは、SNSで言われるように「TPOにそぐわぬポエティックなもの」だからではない。
欺瞞と自己保身のために芦原氏の言葉さえ踏みにじって醜悪なレトリックを駆使した挙句、そもそも本テキストの「宛先」でさえない芦原氏を「文章の結び」のためだけに泉下から引きずり出し、まるで批判除けのお守りのように利用してしまう、学館第一コミック局編集者一同の浅ましい精神性が悪魔濃縮されているからだ。
本件の内幕はおそらく当事者たちにすらもう分からなくなるくらい複雑化していることだろう。
小学館を悪者にして幕引きをすればいいという性質のものでもない。巷間指摘されているように、メディア化における構造的な問題、TV局の体質的な問題、悪意を増幅させるSNSというシステムの問題、他にも種々様々な問題が複雑に絡み合っているはずだ。
それでも、この悲劇を防げたプレイヤーの一人であるはずの小学館が、「ことなかれ主義の上層部」「責任回避の編集局」という内実を露呈していることは、必ず批判されなければならない。
騙されてはならない。
今までの経緯のふりかえりと、今回何が起きたかお伝えしますね。
まずは何が起きたか振り返ろう。
※ソースがない、との指摘がありますが、「本人の証言レベル」ですがありますよ。事実ベースです。後で貼っておく。
・原作者はドラマ化にあたり「原作に忠実に描く」条件を出し、日テレと合意
・いざ開始してみると原作から乖離した脚本が毎回提出され、毎回大幅に修正する始末(1話から8話まで)
・原作者と脚本家は最後まで1度も会話せず、間にはチーフプロデューサー1人のみ
・原作死守という条件が一向に守られず、他の脚本家を探す時間も無くなったため、9話と10話は原作者が仕方なく自分で脚本を書いた…が、脚本は素人なので当然不評
・脚本家の元に9話と10話の不出来について視聴者から様々なDMが届くも、脚本家は「9話10話だけ原作者が書いた、私じゃない」とインスタで弁明
・さらに脚本家は「最後は原作者がワガママで書きたがったので、仕方なく協力した」と激怒してポスト
・脚本家のインスタを受け、原作者はブログにて「窓口はプロデューサー1人のみだった。そもそも原作を守る契約が脚本家に伝わってなかったのでは?」と暴露
・暴露ブログについて、ネット上では擁護の声多数
・その後、なぜか原作者は謝罪し、記事を削除してブログも閉鎖
・なぜか原作者「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」とポスト
・原作者が自殺
・しばらくして2024/02/08、脚本家は「知らされていなかった」、小学館は「日テレには間違いなく伝わっていた」と暴露
https://petitcomic.com/news240208
小学館編集のお気持ち表明記事について批判するつもりはありません。
最後の一文「寂しいです、先生。」についてはXでトレンド入り。「打算的で女性の共感を求める戦略的コメント」などとバッサリ切り捨てた投稿がバズっていましたが、この編集は長きにわたり深い信頼関係があったようなので、救えなかった自分の無力さを嘆き感情を吐露したとしても不思議ではありません。
また、この記事では日テレとのやりとりに関する経緯について説明不足ですが、「編集として」のコメントなので致し方なしかと。
https://www.shogakukan.co.jp/news/476200
組織として検証すると宣言されたのは大きな進歩ですが、結果は公表するということですね?
この2週間何やってたのかわかりませんが、それではみんなで結果の公表を待ちましょう。
第三者検証でないと意味をなさないのですが、一歩前進かと思います。
芦原妃名子先生がが亡くなられてから二週間強、先日(2/5)以下の記事がバスっていました。
■小学館が『セクシー田中さん』に関係する記事を削除したことについて
https://anond.hatelabo.jp/20240205173407
穿った見方をすると、この記事がバズったから「もう精神的に無理です、コメント出させて」と小学館上層部に泣きついたとも推測できます。事実は不明ですが。
衝動的に記事を消すのは不要な疑念を招くことになります。恥ずかしいことがなければ堂々としていればよいのです。
しかし、はてな匿名ブログがバズらなかったら、ひょっとしたらこれらのコメントは出なかった可能性があるのでしょうか。
全部推測ですが、そうだとしたら恐ろしい話です。
え?それってやばくないですか?
終わってない?
今回のコメント表明は、脚本家と小学館が歩調を合わせて公表されています。
つまりタッグを組んだ「日テレに対する徹底抗戦」にも見えるのです。
脚本家は「何も聞いてなかった」と言い、小学館は「日テレにはしっかり伝えていた」と言う。
それに加え「原作者と脚本家の間に入っていたのは日テレの人のみ」だと原作者がブログで暴露していたことを考慮すると、
自ずと「日テレが原作を守るという約束を反故にし、好き放題コントロールしていた」ということになるのですから。
ずっと沈黙を貫くのも流石に無理があるでしょう。
今後の日テレの動向に注目が集まるところです。
自分、キモいなーと思うこともあるけど、正直に思ったから吐き出す。
推しがXで朝の挨拶をしてそれに返信してもそれにいいねがつかないのがムカつく。
たかだか数十の挨拶にいいねの反応しないなんて、客から来たメールに返信しない営業職の人みたいなもんと思ってしまった。違うんだけどね。
自分がヨイショヨイショされて気持ちよくなりたいがためだけにやってだろとか、そんな穿った見方してしまって、そんな自分にも反吐が出る。病みすぎ。それにそもそもそうやって挨拶書き込んでる自分が媚びてるみたいでキモい。メスに群がって選んでもらうために必死になってるオスみたいで反吐が出る。とにかくムカつく。病んでる?正常?自然?
それ以外、何もない。
というか被害届すら出されていない。
もちろん民事訴訟も起こされていない。
これが最低限、被害届が出されているなら少し話が違うと思う。
でも現状何もない。
とくに直近に世の中を騒がせたジャニーズの問題があるから余計だ。
あれがなければ、世の中の受け止め方もかなり違ったものとなっただろう。
しかし、ジャニーズ問題のあとでは最早疑わしきとは関わらず、が鉄則になりつつある。
ことの真偽はともかくとして、疑いがあるものとは関わりを持たない、が正義になりつつあるのだ。
果たして、こんなふうな排斥活動をしていくのは正しいあり方なのだろうか?
先にも書いたが、せめて被害届の一つでも出ていいれば随分と話は変わる。
しかし、そういったものも出さずに、ただ被害にあったとだけは週刊誌に話す。
これはどういったことなのか?
穿った見方をすれば、被害届を出して実際に捜査されると困ることがあるからではないか?
とも考えられなくもない。
週刊誌が名誉毀損で訴えられた場合、その報道の内容が真実かどうかは関係がないらしい。
ただその報道をするうえで、きちんとした取材が出来ていたかどうかだけが問題になるらしい。
その取材に不備があれば週刊誌は敗訴し、取材に問題がなければ報道した内容が間違っていても勝訴する。
つまり実際に事件性があったのかどうかは問題とならないということだ。
これは恐ろしいことだと思う。
それなのに全くそういうことは無視してただ週刊誌に書かれた、ということだけを根拠にして一人の人間を排斥するのが正義だとされる世の中。
それを批判することは「意識のアップデート」が出来ていないというレッテル貼りと言論統制。
恐ろしい世の中になってしまったと思う。
いや、正確に言うと言葉の意味は全然わかるんだけど、それをなぜフェミニストが使うかわからない。
フェミニズムって有害無害を問わずに社会に規定された「性別らしさ」ってものを全て取り除くことを目的の一つとする思想じゃないのかな?
社会に求められる女らしさを取っ払って、より個人の自由意志で生き方や立ち居振る舞いを選べるようになればいいよね?
なのになぜ男らしさについては「有害な」が付いているかってのを考えると、どうしても「自分たちにとって都合の良い無害、むしろ有益な男らしさ」は発揮してほしいと思ってるのかな?って穿った見方をしてしまうんだけど、どういう意味合いで使ってるんだろう。
言われたことも出来ないやらないなら正直居て貰わなくていいです。
外面発動してキラッキラした後、秒でスン…てなるのマジなんなん?不気味の谷なん?サイコパスなん?
36は四捨五入して30って言い出したのマジびっくりしたわ、算数出来ねーのかよ大卒のくせに。
自分をよく見せたいならこだわるのはそこじゃねぇ。
そんだけ外面取り繕うのに当たり前の日常業務、戸は開けたら閉める位当たり前の事をやらないのはあなただけです。
別に引き戸をドアに付け替えろって言ってる訳じゃない、何も難しいことは言ってない
マルチタスク出来ないなら出来なくていい、一個片付けてから次にとりかかる←なぜこれが出来ない?
その当たり前の事をやれって注意、新人でもないんだから言うのもバカバカしいんですが
見かねて言った人に対して「他の人もやってないことあるから困ってるんです、気をつけましょうね〜」じゃねんだよー己の事言われてんだよ責任転嫁すな。
そもそも他の人が30回に1回忘れるかどうかの所、お前30回に1回やればいい方じゃん。
しかもその閉めた戸もちゃんと閉めないで隙間開いてたりする始末だからね?それこの国じゃやってる内に入んねんだよ
そのケツを誰かが拭いてても感謝もねぇ、別に感謝が欲しい訳じゃないが人としてどうかと思うよ?
その事を知人に言ってどう思うか聞いてみたら「その人障害者枠かなんかなの?」って言われたよ。
でーすーよーねー???やっぱりそう思うよねー?
あんまりそういう目で人のこと見る事はしないようにと心掛けてたけど、いやもうそれならそれで割り切って見れるからまだ優しくなれるんだけど
あなたそうじゃないもんねー?流行りの大人の発達障害云々とかで、ASDだのADHDだの診断ついたらそれ傘に着られんのも違うしなーと思ってたけど
一回然るべき所でそういう診断とか受けたら?サイコパスなのは性格だとしても、その他の行動見てると多分まんまソレだと思うよ?
一回、何でその開けた戸を閉められないのかと聞いたことがあって、それについては「やろうと思えばやれるけどその行動に納得がいかないから出来ない(意訳)」みたいな事を言っていて
いやテメェが納得出来るかどうかじゃねぇんだ、当たり前のことはとりあえず四の五の言わずやれ、御託はそれからだって話なんだけども、それやんねぇと仕事してるって言わねんだわー
そもそも呼ばれたら返事する、何か問いかけられたら簡潔に答えるのは当り前、小学一年生でもやってるわ。
別に仕事すんのに仲良しこよししろって言ってる訳じゃねぇンだ、しかし最低限のコミュニケーション取れないんなら本気で辞めっちまえ(2回目)
特定の人を好き嫌いであからさまに態度変えてくるとか無視するとかやってる事小学生かよ四十路のくせに。
てかお前前のポジションでもそれやって干されたんだろ?
視野が狭いとかじゃなくてシャットアウトしてるから穿った見方どころかほんの一部分しか見てないし聞きもしない
肝心な事までシャットアウトしてるから、みんなが置いてってる訳じゃなくて、ひとりで取り残されてるの気付いてないのに
別にここがお荷物部署って訳じゃないんだけど、お前のせいで周りまでお荷物と見られるのマジたまったモンじゃねぇからな?
色々尽きないけど何で本人にこれ言わないかって?
みんな優しくていい人なのに、そうやって避けて遮って自分の居場所なくしてる
しかしここ追い出されたら次はないと思ってるのかしがみついてはいるけど、そのしがみついてる綱、よく見たら上の方腐りかけてるぜ?っていうオチ。
あなたとかお前とかテメェとか、呼び方コロコロ変わるけどアレね
こういう意味での使い分け。
読んでて混乱したわ。
検索したけどTwitterもここも元増田の投稿以前は一人くらいしかいなかったよ
当時感想を色々検索してたけど「けっこういた」と言えるほどいたとは思えない
(ホラーそのものが苦手とかこの手の実話怪談の面白さが分からない、ピンとこないって方向性の感想はちらほらあったが)
連載中は何度もトレンド入りしてブコメもたくさん付けられて話題になったけど部落差別をテーマにした作品だというのは
よっっっっぽど穿った見方をした人じゃないと見出せないということでは?
書籍化のタイミングを狙いすましたかのように難癖つけて正義棒で殴りつけたり、「そういうことか……」とかドヤってる奴らの方が
何か金貰ってらっしゃる?って感じだ
インスタ匂わせとされてるKポアイドルなんですけど
割と長い間、何人かの3次元存在のオタクをしてきたのですが推しが推してるときに炎上したのが初めてなので、今の気持ちを吐き出しておこうと思いました
一言でいうと「あーあ、やったな。うける」という感じで、あんまり辛いとか悲しいとかはなくて(少しはある)、いまのところファンやめようとか続けられないとは思ってない
なんでそこまでダメージを食らっていないかというと、たぶん一番は私が彼に対して持っていたイメージなのかな
自己紹介で「優しい、ジェントルマン」と名乗るし、たぶんそういう彼像を素敵だと思っていた人も多いのかなと今回感じたんだけど、
私は「この人は多分他人(身内以外)に対してあんまり興味がないんだろうな」と考えていました
他人に興味がない人は他人に対していやがる、怒るみたいなそぶりが少ないので結果的に優しい人だと思われがちだし、この人もそうなのかなと
誰かが明確に必要なわけじゃないけど助けたほうがいいのかなってときに真っ先に気づいて助けるのはこの人じゃないことのほうが多い気はするし(13人もいれば確率的にはそうなんだけど)
にこにこわらっていることが多いのも、私的にはとりあえず笑っておけば問題になること少ないからなのかなという印象で
一度ウケた自己紹介や喜ばれたことを何回も繰り返すのも、単に喜んでくれたからやってるのか、新しいサービスを考える気がないのか微妙なラインにもとれるし
キモオタが穿った見方して「私だけは本当の彼を知ってるの」ヅラしてるといわれればまぁそうなのかもだけど、
本当の彼というものはわからなくても私の中での彼はそうだったので、におわせが事実というか意図していた場合、
「恋人(身内)のことは大切にするけどファン(その他)については興味がないから考えが及ばない」ということである種の解釈一致だったので個人的にちょっとにやりとしてしまいました
ファンを身内ととるかは本人次第だけど、今回の件で少なくとも気遣うべき相手だとは思っていなかったって言うことなので
でも、この間ソウルコンであふれた好き、応援し続けたいの気持ちはやっぱりちょっと薄れたし、今後販売予定のグッズもまぁ買うんだろうけど、それが惰性なのか彼の肖像が欲しいからなのかは自分でもよくわからない
イルコンで姿を見たとき一気にしんどくなるかもしれないし、もうファンやめるって思うかもしれないし、やっぱり好きだって感じるかもしれない
先のことはわからないけど、もしこのことでもう無理ってなってしまったら、これまでファンでいたことでできたいろんな思い出もなんだか微妙なものになってしまって、
ジャンル変更とかはこれまでも経験あるけど、これまでのそれとは違う形の記憶になってしまうんだろうなぁという気がします
今回の件でファンをやめる人もいるだろうし、怒りが本人へ向かう人もいるでしょう
個人的には過度な攻撃はNGだけど、恨み言(好きだったのに悲しいよ、的な)を本人に届けたくなるくらいは仕方ないと考えてます
イルコンで声出しの時彼の名前呼ばないことにするって決意してる人もいたし、実際言おうとしても悲しくなって呼べなくなってしまう人もいると思う
「そんなことするならチケットリセール出せ」とか「お前みたいなのがなんで当たってるんだ」「行くなら名前呼べよ」みたいなことは、個人で思うのも呟くのももちろん自由なんだけど
傷ついてしまった人に投げかけるのはよくないよね、というか、それを言われて「じゃぁ呼びます」ってなる人なんてそうそういないんだからその攻撃(説得)に意味ないよねという気持ちしかない
だって彼はアイドル倫理は放り投げてるけど社会倫理としては特に問題がない行為しかしてないから
お薬でも〇的暴行でもないし、金銭を要求したり同時進行で複数女性と関係を持ったりしてたわけでもないし、犯罪でもなければグレーゾーンですらないごくありふれた男女交際なので、
今回のこれ(匂わせ)は失敗だけれども、今後どうなるかは様子を見る余地があるのかなと
ちなみに私が彼が脱退して個人活動するってなったときに応援できる自信がないです、「グループの彼」を好きになったから
書いてて自分でもよくわからなくなってきました
でも13人でいる彼らやそのパフォーマンスが好きだから、これをきっかけにそれが崩れてしまったら、他メンバーのファンからも恨まれるだろうし、
というかすでに最年長メンバーがそう遠くないうちに兵役に入る見込みで、休養してるメンバーもいる中でみんなで頑張ってる中でこんなことが話題になって
いやメンバーは当然知ってたんだろうし止めもしてないなら同罪やろって思う気持ちも正直あるけど、他メンバーのファンには少なくとも申し訳ないよ
騒動のさなかに2023年2作目の出荷数ミリオン認定達成してあと2週間とかで日本ベストアルバム出すのにね
9月の東京ドーム、10月カムバ、11-12月ドームツアーで活動頑張っていかなくちゃなのにね
しばらくはこのぐちゃぐちゃな感情で応援していくことになる覚悟を決めました
ファンを続けるにしてもやめるにしてもいつか笑い話にできるといいですね
台湾人の卓球選手と結婚して子を二人なしていた福原愛さん、不倫して離婚することになる。そのとき子の親権は「共同親権」とすることで合意。
2人の子(姉と弟)は夫側の元で養育される。これが2021年の話。
そして2022年夏、福原さんは夏休みの間一定期間子供を預かるため台湾を訪れる。
弁護士警察官立会いの下で面会がなされるが、夫側が2人の引き渡しを拒否、福原さんは泣く泣く弟一人だけ連れて日本に帰国。その際夫はメディアを使って福原さんを猛バッシング。いわく「誘拐だ」と。
その際福原さんも週刊誌を使って反論、ちょっとだけ世間を騒がせた。
その後1年近く世間に向けては音沙汰がなかったのだが、つい先日の7月27日夫が記者会見を開く。
そこで語られたのは1年たっても福原さんが子供を返していないこと、埒が明かないので東京地裁に申し立てた結果7月20日に引き渡し命令が下りたこと、それでも返す気がないなら未成年者略取で刑事告訴も検討していること、だった・・・。
まあこんな感じで結構センセーショナルな事件なわけだが、はてなでは全く話題になっていない。
ヤフコメですら5000コメ以上ついていて、そのほとんどが福原愛を非難するものだ。
民事の話でお互い言い分があるだろうから、ヤフコメ民のように安易にどちらが善い悪いと騒ぐのはどうかと思うが、話題にもならないのもどうかと思うよ?
ハーグ条約や行政、司法の対応、現行制度の問題点、メディアを使って応酬することの是非など、ただのスキャンダルではなく社会問題として語られるべき論点も結構あるはずなんだが。
単独親権肯定、連れ去り容認、母親無謬主義者が多いはてなーにとってあまりにも都合が悪い話題だから触れられないのかなと穿った見方をしてしまうよ。