2024-06-21

Adoという存在見直している

俺はAdoメディア戦略について否定的だった。

そもそもメジャーの場に出てくるなら顔を晒す覚悟くらいは必要でしょと思っていたからだ。

シンガーソングライターなどで顔を出さなタイプミュージシャンもいるが、そういう種類の人でもないだろうとも思っていた。

ネット上では歌ってみたで済むけどたくさんの大人お金が動く世界では本人だけの都合ではなかなか通らなくなる。

そこをわがままするなら例えば「自分で曲作ってるし」とかの武器自分で持ってないといけないと思うのだ。

結局Ado場合は「顔は出したくない」けど「メディアへの露出は求められてる」の板挟みから折衷案みたいな感じで「檻の中で歌う影」となった。

俺はTVでそれを見た時なんかグロテスク現象だなと感じた。

Ado本人もなんかかわいそうに見えたし、演出としてもそこになんのコンセプトも感じなかったからだ。

単に金儲けのためにひねりだした安直アイデアに思えた。

ライブ場合ファンはそれでも生で歌が聞けるという楽しみができるので、一切露出しないよりはずっといいのだろうけど

同時にファン心理としていつまでも姿は見えない状態ストレスがたまっていくんじゃないかという勝手不安も感じた。




しか自分の中でそのネガティブな印象が変わっていくきっかけになりそうな2ndアルバム宣伝イベントAdo本人のアカウントで発信された。

詳しくはXの投稿を見ればわかるがなんと「握手会」をするというのだ。

顔すら出さなアーティストが「握手会」??どういうこと?

投稿には丁寧に握手会がどのように行われるかのイラストも載っていた。

それをみると大きな箱の中にAdoが入っていて、箱に空いた穴から手だけ出してる。

ファンの人はその手と握手ができる、というものだった。

さすがに笑った。

これはなかなか痛快だ。

穿った見方をすればもう開き直りのような、(良い意味での)バカバカしさがある。

当たり前だが箱の中がAdo本人なのかはわからない。

正論で言うなら、

そもそも存在感希薄(思い浮かべる顔すらない)なのに中身が確認できない相手にはたして握手してもらって嬉しいのか?

Adoが顔出し拒否ってるのになんでわざわざ握手会するの?

などいくらもつっこみどころはある。というかつっこみどころしかない。そこが良い。

握手会します。ヨロです。」

困惑イラストとともに書かれたコメントはこれだけ。

今までなんかモヤっとするとこがあったけど、これに関してはなんか吹っ切れてていい。

タイプはまったく違うんだけどSIAはコンセプチャルな顔の隠し方をしている。

それは本人が顔出ししたくないとかいうより、ビジュアル面での個性の出し方って感じだとは思うんだが(一種コスプレみたいな感じ)

Ado場合も「顔を出さなアイデンティティ」みたいなのを思いっきり振りかぶっていけば、一種それがもうネタ化して面白がれる域までいくんだろうなと思った。

自分別にファンでもなんでもないけど、ネットルーツに持つ人達頑張れと思ってるとこがあるんで、Adoの事も時々チェックしていた。

そしてこういう軽やかなスタンスでの活動を見ると嬉しい気持ちになる。

あのグロテスクTV演出とは全然違って見えた。やっぱり逆手に取るというのはクールだ。

まあこんな事言って後々「あの握手会、ほんとはすごくやりたくなかったです」とかAdoの口から出てきたりしたら悲しいが。

でもなんとなくAdo本人も自分の事をネタっぽく俯瞰で見ながら、自分のやりやすいやり方でやっていくんじゃないかって感心した。

  • 大金持ちなんやろうから 下々の人間が別に心配したり 哀れに思ってもなあ どうせ今頃億で買った豪邸で シャンパン開けてるんだろうし

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