はてなキーワード: 片山とは
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3) 格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題は Permalink | 記事への反応(1) | 18:32
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6491611be4b0756ff8667900
郵政選挙みたいに自民党が大勝ちした時、もし自民党の半数が女性候補者なら女性議員が大量に増えてジェンダー指数も大幅に改善したはず。
そこに期待する。
この際女性議員が何党かは問わないし、立民や共産がボロ負けして杉田、片山、小渕みたいな自民の議員ばかり増えたって構わない。
自分たちの党派に属する議員が男性も含めて全滅したとしても譲歩する。
単に女性であるだけでなく自分たちと同じ意見の議員じゃなきゃヤダ、なんて欲張りは我慢する。
とにかく、ジェンダー指数だけは恥ずかしいからどうにかできないだろうか。
マニフェストだのなんだのはその後でいい。
FIFTYS PROJECT
よだかれん←
松元千枝
近藤恵子
林美子(ジャーナリスト)
細金和子
NAJAT(武器取引反対ネットワーク)をベースに世界の平和、人権が守られた社会を次世代に受け継ぐべく市民運動をしています。「沖縄への機動隊派遣は違法東京都住民訴訟」原告
里吉ゆみ(日本共産党)
日本共産党の とや英津子
原のり子
日本共産党都議会議員の池川友一 私実は Colaboのアウトリーチの活動に一市民として参加をしたことがあります(つまり共産党のオルグ)
前川浩子
とや英津子
白石たみお
米倉春奈
みずま雪絵
change org
井田奈穂
https://www.youtube.com/live/cuW1PiKWXlg?feature=share
「犯罪が起きないようにしてあげることも思いやりと思うけどなぁ。 」
これ。
もし仏教の知識がなくこの考えに至ったのであれば、かなり徳が高い人物だと思う。
ゴキブリホイホイ設置して捕まえたーゲラゲラしたいだけやん。
数百円の被害を突き止めるためにカメラ・人件費、どんだけ使ってんのよw
ユーチューブ視聴数も稼げるし、やめられんのだろうな。
https://www.youtube.com/watch?v=gzvos-Mwi8Y
片山真司
盗むやつが100パー悪いけど
人に盗むような動機とか機会つくるような売り方も考えもんかなあと思う
S
2 時間前
残念ながらこれが本音では。
massyla92
4 時間前
無人販売書が成立するのは日本だけ。無駄に犯罪者を増やさないためにもちゃんと有人販売しろと思う。客に計算などを任せている限り、勘違いで差額以上の請求はできない。警察リソースの無駄遣い。
Haruyoshi Shibata
4 時間前
わざとドロボー作ってると思うのは私だけですか?店番ひとり置けないんですか?もともとの無人販売はお金入れてくれたら儲けもの、くらいのものでした。
Mike Kawasaki
4 時間前
それでも無人販売をする理由は何だろう? 誤魔化されても農家にとってオイシイから? 鬼の首を取ったように犯人を見つければテレビ的には良いかもしれんが、そこの所を「しらべてみたら」してくれんかな
Knifewell
いや普通に人の一人雇った方がいいだろ…
返信は求めません。
Tune Bee
18 時間前
この映像を見ていてちょっと首をかしげてしまうのは、無人での販売では、一定数不正が発生するのは初めから予測できることである。だから一般には友人販売の形式を採るのであって、無人でいくなら人件費が要らない分、ある程度の損失は盛り込むべきだ。一般のスーパーでさえ、万引き被害に苦しんでいて、悲しいかな、そもそも(人は)性悪説で捉えるべきで、性善説ありきで、結果的に不正をしやすい環境を作っておきながら、犯人捜しで徹底的に糾弾するFNNのこの番組も、視聴率が取れるのかのしれないが、趣味が悪い。ここで連行される犯人はおそらく暴行や障害など凶悪な犯罪を起こすような人たちではなさそうだ。わざと無人にしておきながら、隠しカメラで細かくチェックし、数百円の軽微な被害で警察を何度も呼びのはどうか。世間ではもっと凶悪な犯罪がおこっている日常を考えると、自己管理をせず、このような形で警察を介入させるには、税金の無駄遣いとはいえまいか。
YAMANO INDUSTRIES TV
18 時間前
無人販売って本当に治安が良くて教育がしっかりしてる状況じゃないと成り立ちませんよね。
お金入れたり、鍵開けたら商品取れるゲーセンであるように、野菜バージョンで作るべきじゃないですか?
無人でするなら
YAMANO INDUSTRIES TV
18 時間前
無人餃子もそうですが自販機みたいなお金入れたら出るみたいにすれば良いと思います。
昔と今の状況は違います。
昔の日本はマナーやしきたりがありましたが、今は何でもあり、宗教などで悪い事したら地獄行きみたいなのもないので道徳心が欠けてるんです。
一文字圭
19 時間前
ヤメロよこういう商売
こんなの当たり前だろ
やってる方が悪い
頭悪いだろ。
自己責任だよ。
tomo rrow
19 時間前
ここは防犯カメラを設置してるだけすばらしいけど、人間に対して囲いなしで無人販売をするには無謀にもほどがある。
夜に煌々と光をともして、虫に対して「近寄らないでください」と言ってるようなもの。
中村幸輔
お金を誤魔化すのが一番悪いが、犯罪が起きやすい販売方法をそのまま継続する方もどうかと思う。
誤魔化されるのが嫌ならば農家の方が直接お金を受け取る販売方法にしないとね。
犯罪が起きないようにしてあげることも思いやりと思うけどなぁ。
野菜やさんが悪いわけではなく、こんなことで一々警察を呼び出しをさせるなんて、その間交番は留守だったりするわけです。刑務所はいらないなら、罰金ものですね。それと、料金箱の前に顔が写る大きな鏡を置いたらどうでしょうか。やはり、ギョッとするでしょう。(@_@。
他のお客さんがどう思うか?盗み防止に理解を。
21 時間前
犯人をかばう訳では無いが安くない。その門構えで農家?安いの感覚がズレていますよ。ぜいきんである程度の減税を得て、副業も可能。日本の農家(専業農家を)馬鹿にしているのかな?
yk schumacher
盗まれることを前提にした販売方法に問題あんだろ!馬鹿じゃねーの。自動販売機みたいに金払わなきゃ開かない位にしないとだめだろ!嫌ならやめろ!
こんな販売の仕方やめたれや
ロッカー見たいのでも設置したれや
この程度で済むのは日本だけ
tekkae
盗人が悪いという話はもちろんだが、日本も良い人間だけが住んでるわけじゃないので、この販売方法は辞めたほうが良いと思う。
どうしても無人にしたいのであれば自動販売機を導入するとか、撮影しているモニターをモザイク無しで流すとか方法はいくらかあるような気はするけど。
バルギ
無人販売所はいい加減にしろと思う。警察の迷惑だわ。世の中すべての店舗が無人にできるとおもうの?経営者は人件費を浮かせた分儲かるし、泥棒の動画をメディアに売って儲ける2重取り。有人でも万引きされるのに完全に犯罪を助長してるシステム。無人販売所が世の中通用するなら全世界は平和だわ。
丸氏の日記
1 日前
正しいと思わないけど、人件費削減のために無人販売をしているのだと思うけど、ちょっと、取られて仕方ないと思う!だって人がいないのだもん!
ミチ
1 日前
はり〜炭酸
1 日前
それより何でわざわざ金と労力かけてこんな豪華なネズミ取りシステムを構えるのかが理解出来ない。
ametoraちゃん
1 日前(編集済み)
安く売るために無人にしてるってのは表向き正論に聞こえるけれどこれ自体が農協やスーパーへ卸すわけじゃないからぼろ儲け
盗むのは悪いこと。盗まないのが普通
ただ、
トウモロコシや枝豆なんかの無人販売の人はこんなこと問題にして騒いだしないんだよ
1 日前
too sai
1 日前
ゴキブリホイホイみたい笑
ゴンザレス74
1 日前
1 日前
まぁでも、、、この労力払うくらいなら、無人はやめたらどうよ・・・
悪い人はそりゃいるよ。防犯しようぜ。
1 日前
売ってる側が工夫してないのも悪いやろ
ユウ
1 日前
そもそも無人である事が問題なんじゃないのかな? どうぞ持ってって下さいと、そう勝手に解釈する方も居るかもだし、店員風のかかしでも設置しといたらちょっとは違うかもですね!
seguel rene
1 日前
chanchi
1 日前
FNNプライムオンラインは大体、賽銭泥棒などをする人をアップしています。次は歩道の信号を無視する人、コンビニでペットボトル回収の所に缶を入れ人を追跡すれば良いです
ひょうご
1 日前(編集済み)
これ、完全にヤルのを待ってるよね…
またテレビ局サイドはヤラセではないが、この番組・企画はヤル人間がいないと成立しないわけで… これに費やす時間・労力を考えると絶対やってもらわないと困るよね
つまり、ヤルのを待ってるよね?!
久志 桑田
1 日前
何故無人販売をしているんだろう?はじめは余った野菜を棄ててしまうのだったら誰かがもらってくれればいい感覚で始めていたんじゃないの?犯罪者扱いするのなら辞めるべき。わざわざ犯罪者を作ってしまっては本末転倒。
manga2199
1 日前(編集済み)
あのさー、監視してる人置くなら店員一人置けよ・・・と思ったけど、野菜の自動販売機にすればいいじゃん。
監視カメラあれだけつけるなら・・・「出来心」というのもあるし、ご近所ホイホイみたいになっちゃってここで生活できるの?おれは農家さんに悪い印象持つけどね。すぐ警察呼んで、どれだけ無人販売所が偉いんだよ?
hara kita
1 日前
無人販売は、罪人を作るシステムだぜ✨時して無人でなければ泥棒はしないですんだかもしれない。
飴玉ぶら下げて罠をしかけているもんだな。
hara kita
1 日前
無人販売は、罪人を作るシステムだぜ✨時して無人でなければ泥棒はしないですんだかもしれない。
飴玉ぶら下げて罠をしかけているもんだな。
hoshi hyuuma
1 日前(編集済み)
別の見方をすると、無人販売所は罪を誘発している様な物。 カネが無くてお腹をすかせて本当に困っている人が見たら、どうするか迷うかも知れない。 善人も誘悪に負けて犯罪者になってしまうかも知れない。 防犯カメラまでつけて、盗まれて警察を呼ばなければならない様な状況ならば、止めるべき。 残念ながら、古き良き日本では無くなってしまった現実を認めるしかない。 警察も、もっと大事な仕事がある。
DAY SUN
1 日前
なんか胸糞悪い番組だな
開いた口が塞がる
1 日前(編集済み)
こういうのは良くないことだけど、メディアがいちいち張り込んで一部始終をYouTubeに投稿するっていう陰湿な感じも好きになれない。
わざわざYouTubeに上げることじゃない。
f浩次
1 日前
1 日前
売り子置くコスト削減すりゃ多かれ少なかれこうなるやん
盗む奴が一番悪いけど、売り子おけや
議長(仮)
1 日前
『月刊誌『選択』(2015年10月号)は、藤田が過去に貧困ビジネスを行っていたと報じている[5]。
さいたま市議会議員の吉田一郎は、以下の行為が貧困ビジネスではないかと主張している[13][14]。
生活保護の申請支援、申請同行及び審査請求、不服申し立て手続の支援を『生活まるごとコーディネートサービス』と称して4万2000円で行っていた[13]。
8万円程度で一軒家を借りてグループホームという形式で運営し、1軒に5人程度ホームレスを住まわせて市からの住宅補助4万7000円と入居者から共益費として1万円を受け取っていた。吉田は、毎月20万円程度の粗利が上がっていたと見ている[14]。
そうした住居を15軒所有し3年間で2000万円以上利益を上げていた[14]。
この他にも吉田は、ほっとポットが不当に補助金を受けていたとして、監査請求を提出している[15]。
参議院議員の片山さつきは2012年6月14日の参議院総務委員会で、藤田の団体名を挙げてホームレスからの現金徴収を糾弾した[16]。 同委員会で片山は「ほっとポット」のサービス利用契約書の一部を読み上げ、同団体が生活保護者に帯同するなどの手続きのサービス料として一件当たり四万二千円を徴取していることを指摘。「何で一件四万二千円が必要なのかということを誰でも思う」「ぎりぎりのサービス」と疑義を呈した。 これを受け政務官が「しっかり解明をしていきたい」と答弁。その後、同団体によるホームレスからの四万二千円徴収は中止に追い込まれた、という経緯がある。』
Twitterやはてぶ、5chに至るまでこのデマに踊らされてる人達があまりにも多いので啓発しておこうと思い筆をとらしていただきました。
どんな事かというとNHKの番組で山上徹也をややセンセーショナルな見解を述べた片田珠美氏が炎上しております。その炎上付随して片田珠美は統一教会と関係がある!とさらに炎上してますが、明らかなデマなのでこの記事で啓発致します。
自分が見た中ではこの二つのアカウントがデマの拡散源になってる模様
アカウント名:@auelbuch
https://twitter.com/auelbuch/status/1548001850934566912
アカウント名: @TomoMachi
https://twitter.com/TomoMachi/status/1548025337392508933(ツイ消し済み)
@TomoMachiのアカウントですと既にツイ消ししているのでわかりませんが@auelbuchでは片山珠美が世界日報に登場しているので統一教会と関係がある!といった論拠にしているみたいでそのソースになっている記事を引用してみますと
"著書『一億総ガキ社会 「成熟拒否」という病』で、精神科医の片田珠美さんは「打たれ弱い子どもや若者たちがますます増加している」とし、「彼らの多くは、現実の自分を受け入れられないでいる。『こうありたい』という自己愛的なイメージ上の自分と、現実の自分との間のギャップが大きすぎる」と。暴発の原因を探るヒントになりそうだ。"
▼全文はこちら
えーっと読めばわかると思いますがただ単に引用されてるだけです。インタビューもされてなければ記事執筆もされてませんし、ましてやコメントも出してません、ただ著書の一文が引用されただけです。これで許諾や何かの報酬が発生しているかさえ怪しい引用で統一教会と関係があると言うとは無理があり、片田珠美と統一教会が関係があるというのはデマです。仮にこの引用で関係ある!と鼻息荒い人はいるかもしれませんが、世界日報は週刊文春や大手テレビ局の報道を引用して記事にしてることが少なくないのでここでアウト判定してしまうと日本のマスメディア関係全て統一教会に汚染されていることに…。この記事をソースにして片田珠美と統一教会が関係があるとするのはデマなので気をつけましょう。
この安倍晋三暗殺事件で関係各所に真偽不明の情報が入り乱れており、デマや事実を膨らませている記事に右往左往されている方々が非常に目立ちます。
この記事の拡散者の人達はソース確認すればすぐデマだとわかる雑魚だったのよかったですが、すぐに確認できない本当か嘘か確認するのが困難なニュース記事であったり、怪しい情報に飛びつくのはやめませんか?一旦落ち着いてニュースから離れてみてある程度情報が整理されるのを待ってから諸々確認する事をオススメします。
はてなーの皆さんはこの前安倍晋三暗殺事件が陰謀論の巣になってると言った三浦瑠麗に激しくお怒りでしたが、こんな怪しさ満点のソースに振り回されているようでは陰謀論の巣になってると言われるのも宜なるかなとは、皆さんデマには気をつけて、ソースが確認できるものはちゃんと確認しましょう。