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はてなキーワード: 兄弟とは

2023-07-14

anond:20230714124321

子供の時は食に貪欲であっても、実は成長期が終わると、以前ほどには貪欲ではなくなる傾向があるんだよ。

兄弟がいない家庭でも、親より少しでも自分のほうが肉やお菓子果物を多く食べたがるもんなんだよ。子供のころっていうのは。

成長するってことは、それだけとにかく質量必要なんだから、食欲の次元が親とは全く異なるからね。

もちろん、あなたが異常なレベル貪欲なのか、一般的な人と大差ないレベルなのかは分からないけど、

大人になると体質は変わるってことは知っておいて損はない。

あとは、食欲をコントロールするコツは、平日はいつも腹八分我慢しておき、日曜は好きなだけ食べてよいチートデイとする。

こういう緩急つけたやり方をしておくと、我慢する感覚を体がつかみやすくなるのでお勧め

ひたすらずっと我慢し続けてしまうと、ある日爆発してしまう。

から、たまにガス抜きしてやるんだ。

暗殺者が雇われる人の最大理由3つ

1 年金保険がかかっている

2 兄弟姉妹がいる

3 賄賂で買収されたことがある

2023-07-13

親の言ってたことが嘘だったけど親に言えない

うちは片親だった。

離婚したのは自分赤ちゃんの頃で、父親の顔は覚えてない。

母親離婚してから還暦で働けない祖母(母の母)と三兄弟(姉1姉2自分)を女手一つで育ててくれた。

母親子供仕事愚痴を言わなくて、男と食事に行ったりもしなかった。

母親はよく「おばあちゃんがいて兄弟がいて十分幸せでしょ?」って言ってた。

「男なんていないほうが楽」とも言ってた。

自分もそう思ってた。

大学には当然行けないから、高卒就職した。

そのうち結婚して旦那ができた。

旦那お金に苦労したことがない。両親共ブルーカラーだけど大企業勤め。子供の頃は年1で家族旅行に行ってて、外食で蟹を食べたりしてたらしい。

結婚してからスーパーで値札見ずに買い物してくるのでよく叱ってる。

よく外食旅行に出掛けたがるので困る。

子供っぽいとこもあるけど、優しい人だ。一緒にいて落ち着く。

この前親と電話した時、子供の話になった。お金の面とか、旦那会社の安定性とか不安でしばらくは子供を考えていないって話をした。

その時に、「いざとなったら離婚して帰ってきたら良いよ!男なんて家にいないほうが楽でしょ!」と言われて、素直に受け取れない自分がいた。

片親が幸せなんて嘘だよ。両親がいる子は自分なんかよりよっぽどいい生活してたんだ。

普通の家は、お年玉は何万円単位で貰えるらしい。ゲームだって買ってもらえるし、塾にだって通わせてもらえる。学用品は当然親のお金だってさ。

友達父親愚痴を言ってる時や父親いなくて寂しくない?なんて聞かれた時、父親なんていてもいなくても変わんないよ、なんて言ってた自分は、今思えば馬鹿だったんだ。現実は、父親がいる家はウチの家より裕福だったのに。

大学だって親の金の子もいるんだってね。『なんで大学行かなかったの?奨学金あるじゃん』って聞かれて、高校奨学金借りてたから返せなくなると言うと、みんな思いもよらなかったみたいな顔をする。

自分が信じてた幸せは全部嘘で、実家暮らし世間一般的には下の方だった。それがショックでたまらなかった。

母が『いざとなったら離婚すればいい』なんて、どうしてそんな無責任なことが言えるのかと怒りを覚えた。両親が揃ってる環境を知ってしまたから、受け入れられなかった。

でも、母親言葉に言い返すことはできなかった。だって母は本当に大変だったと思う。朝から晩まで睡眠時間削って働いて、でもきっとお金に余裕がなかったからずっと神経をすり減らしてただろう。母は全力で子供を育ててくれてた。

そんな母の人生否定するような言葉を言えなかった。言ったところで母が一生の傷を負うだけで、なんの意味もない。

から適当同意して、それもいいねって言った。嘘をついた。

自分の中では、父親がいたらもっと幸せだったと思ってしまっている。

今まで母親には全部話せてたけど、嘘をついてから母親との心の距離が空いてしまった。価値観の合わない人間になってしまったと、そうはっきり感じた。

きっと母親には一生言わない。実家貧乏だったけど幸せだったよと、そのスタンスで母には一生接するつもりだ。でもどこかにぶつけずにはいられなくてこれを書いた。

読んでくれてありがとう

ブクマカってぶっちゃけ最も非倫理的だよな

ブクマカ自分たちコメントあくまで真っ当な批判であって誹謗中傷ではないって言い張るんだけど

これってたった一つの思考実験論破出来るんだよな

これからコメントは、現実社会人間関係ある人に読まれものとし、ネットにアップされる際には実名所属が明示されることになる

この思考実験を突き付けるだけど、ブクマカは黙るしかない

親や兄弟、昔から友達が読んだらきっとみんながお前はそんな立派な人間じゃないだろって笑わられちゃうんじゃないか

そんな事ないなら、是非試してみてほしい

2023-07-12

anond:20230712101204

違わないよ

近親婚だって例えばスウェーデンでは当事者の訴えで片親の違う兄弟姉妹結婚できるようになったりしたんやで

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-07-11

シン・スターウォーズ三部作の登場が待たれるほど、

スターウォーズ三部作は誰の心にも残っていない駄作だ。

なぜあれほど駄目なのものが出来たのだろうか?

いや、「あれほど」と書いたが正直内容はさっぱり覚えていない。

ただただ、駄目だっただけというガッカリ感だけが残っている。

とにかくストーリーがひどすぎる。

なんでスターウォーズみたいなスペースオペラ現代アメリカ問題点みたいなものを重ね合わせたのか?

ハン・ソロレイアとその息子、離婚した夫婦とその息子。

夢やぶれて失意のうちに引きこもり中年男性ルーク・スカイウォーカー

いや、別にそれはそれでもいいのかもしれないけれど、なんか料理の仕方が間違っている。

痛快な娯楽作品を求められているのに、なんで作りてもそれほど信じていないようなテーマを入れ込んだのか?

スターウォーズってそういう話ではないのにな。

なんで、あんなつくりにしたのか本当にわからない。

あと主人公だよな。なんで、あんな縁もゆかりもない天涯孤独みたいなやつを主人公にしたのか?

クレイジーだよ。

いったいどこの誰かわからないんだぜ。

せっかく6作品もの物語の蓄積があるのにそれを全く生かさない。

例えば、ルーク・スカイウォーカーの娘、って設定にしただけで急激に視聴者の興味を惹きつけることが出来るだろ?

主人公ルーク・スカイウォーカー娘。

しかし、実の父とは一度もあったことがない。

ある日、ルークレイアハン・ソロもとに僕の娘だ、といって赤ん坊を連れてきた。

それが主人公だ。

な?これだけで一気に物語が劇的になるじゃない。

その娘はハン・ソロの息子とともに兄弟のように育てられた。

しかし、暗黒面に落ちた兄。

そいつを助けたいがために、父ルーク・スカイウォーカーを探し求める。

こんだけで一気に旧作の視聴者物語に引き込まれるだろう。

で、第2部の終わりで真実がわかるわけだ。

実はルーク・スカイウォーカーは父ではなかった。

実は銀河皇帝主人公の父だったのだ。

まり、「アイ マム ノット ファーザー」だよ。

なんで、こんなふうにしなかったんだろう?不思議で仕方がない。

anond:20230711174331

私も奨学金借りて大学行ってたけど、新卒で月手取り25万貰っても4〜5万は返済しなきゃいけないしそこから自分生活費、将来の貯金、親の介護貯金とか考えると発狂しそうだなと思ったよ。

それに行きたい大学あっても選択し狭まるし。

から在学中は夜職して奨学金は途中で辞めて学費自分で払って、自分は行ける大学選択が少なかった(進学する時は夜職の選択肢がなかった)から妹弟にはそんな思いさせたくないと思って、兄弟学費も貯めて大学行かせたよ。

子供に苦労させたいって人もいるけど、私はしなくてもいい苦労はしなくていい派だな。

個人能力ならまだしも生まれた家に寄って教育を受けることを諦める事もあってはならないと思う。

それに今は大卒前提で、大卒じゃないと職業だって選択し狭める。

保護者として子供選択肢を狭めることもあってはならないと思う。

教育習い事も何もせずさせず狭い世界の中で幸せでしたね も有り得るかもしれないけど、今はみんな携帯持つし狭い世界の中だけで完結させるのも難しい。

親に感謝するのは良い事だけど、子供幸せを考えるなら習い事する/しないも大学行く/行かないも最低限選択肢は多く持たせてあげるのは養育者として最低限の責任だと思うけど。

2023-07-10

育児の大変さが「かわいい」を上回る

月子供が産まれて二児の母になれたけど

子育てって健常児を産んで

子供小学校高学年くらいにならないと

から育児楽しい」なんて思えないか

の子が三歳で攻撃的で、産まれてまだ1ヶ月たってない下の子嫉妬して攻撃する

子供を一人だけ育てた親が「子育てって楽しいよ。自分にもできたんだからみんなにもできるよ」ってはてなでも言ってたけど

健常児の一人っ子って一番子育ての中でもイージーパターンだろ

何せ子供一人に対し、両親がふたりついてるし

教育費は一人分

イージーモードじゃん

楽勝じゃん

一人っ子だと兄弟ゲンカの仲裁もしなくていいんだぞ

これで「自分にも子育てできたんだからみんなもできるよ」何て言われても

子供の人数が増えるほど母親幸福度さがるらしいけど、実際複数子供産んでみたら幸福度さがるのよくわかる

子供がある程度そだって、親が自分の好きなことができるようにならないと幸福度はあがらないだろ

乳児幼児依存されるのが、頼られるのが気持ちよくて「子育てがいきがいなんです」みたいなタイプの親ではないからね私は

祖母実家を出た

母方の祖母。俺、俺の両親、そして祖母実家に住んでいた。

祖母と母とその兄弟と、まあ家とか土地かいろいろ揉めたらしく、ここ数か月次第に口論が激しくなるようになっていた。

俺は22歳超えてなお子供部屋・学生・チー牛のゴミカス野郎なので発言権は無いに等しく、大人たちが言い合いしているのを傍目にしていた。

2週間くらい前、とうとうなにか決定的な決裂が起こったようだった。それからもうあれあれよと祖母荷物が片付き、3日前に母の弟と引っ越していった。行先は知らない。

俺が生まれてこの方、実家祖母がいないということがなかった。

玄関右手の部屋はずっと祖母の部屋だった。

小さい頃は勝手に入って怒られた。けどそのあとには必ず駄菓子をくれた。

一家実家を離れて暮らしていたとき、親と喧嘩したら何も言わず泊めてくれた。

戻ってきてから、母と祖母はなんかずっと揉めていたが、それでも毎日晩御飯を用意してくれた。

祖母がいなくなった実家はどこか浮いたようで、この家は祖母がいて、初めて俺にとっての「実家」だったと感じた。

「(俺)くんありがとね、お世話様でした」がたぶん最後の言葉なんだと思う。次会うときはそういう時だろう。

つんと部屋に残ったアシステックのそこそこ高いベッド(これは母が祖母に買ったもの)が寂しくて、ここで30年近く寝起きしていた人がこの部屋に戻ることはもう無い事実がただ苦い。

俺がもう少しちゃんとした人間だったら、今頃ひ孫を抱いていたのかもしれないのに。

田舎在住アラサー女の見合い事情

このたび結婚するので覚え書き

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スペック

アラサー近畿田舎まれ

ニート

同人活動もする腐女子

大学時代ミスコンに出された程度の見た目

実家田舎本家だけどそこまでお金は無い、むしろ分家の親戚は大金持ちがいくつも

サマーウォーズの縮小みたいな家

家事結構出来る

兄弟はいない

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大学時代から付き合ってた彼氏と別れた。

理由はあっちが風俗に行ってそれだけならいいんだけど、病気を貰ったらしく私に移したので愛想尽きてバイバイ

都内で働いてたけど仕事セクハラ受けて嫌になって実家に帰った。

のんびり実家家事手伝いしてて、よくしてもらってる親戚の家にお礼に料理持っていったり色々してたら見合いする運びになった。祖父母や親は一人娘に甘いのでニートしてても小遣いくれるようなおうち。むしろ結婚して東京にずっと暮らす方が嫌だったらしいのでニートでも家にいるほうがいいと口を揃えて言った。親族もみんな帰ってきてくれて嬉しいって言ってた。

ここでよく女は下方婚をしないって言うけど見合いになるとそれが顕著すぎて、私にお見合いを持ってくる人(数十件あった)はみんな挙って「会社経営開業医等のお金持ちのお家」「最低でも子供の代までは一生働かないでいられる」「新築を立ててあげる」「同居はない」「真面目で優しい男の人」「ご両親も優しく絶対同居は無い」は必須事項だった。釣書を持ってくる人全員これを言ってた。

逆に私のことは「若くて綺麗な女性」「お料理がとても上手」「こちらでずっとおうちのある本家お嬢さん。お墓も大きなおうち」というのが売りだった。

田舎のため部落でないかとかも重要事項なため一番最後はめちゃくちゃ効いたらしい。

本家から婿取りって話は子供ときはあったんだけど、祖父母や両親は別に嫁に行きたければどうぞって感じで終わってた。いまは昔ほど田舎も家や苗字に拘りはない。

そんな感じで結婚することになったんだけどいざするとなれば親族みんな揃って「嫌になったらすぐに帰っておいで」「子供連れてでも嫌になったら電話一本で迎えに行く」って言ってる。

下方婚って恋愛結婚が前提だからまれ価値観なんだなって思った。少なくともお見合いなら尚更弱者男性は肩身が狭い世界だと思う。

田舎在住アラサー女の見合い事情

このたび結婚するので覚え書き

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スペック

アラサー近畿田舎まれ

ニート

同人活動もする腐女子

大学時代ミスコンに出された程度の見た目

実家田舎本家だけどそこまでお金は無い、むしろ分家の親戚は大金持ちがいくつも

サマーウォーズの縮小みたいな家

家事結構出来る

兄弟はいない

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大学時代から付き合ってた彼氏と別れた。

理由はあっちが風俗に行ってそれだけならいいんだけど、病気を貰ったらしく私に移したので愛想尽きてバイバイ

都内で働いてたけど仕事セクハラ受けて嫌になって実家に帰った。

のんびり実家家事手伝いしてて、よくしてもらってる親戚の家にお礼に料理持っていったり色々してたら見合いする運びになった。祖父母や親は一人娘に甘いのでニートしてても小遣いくれるようなおうち。むしろ結婚して東京にずっと暮らす方が嫌だったらしいのでニートでも家にいるほうがいいと口を揃えて言った。親族もみんな帰ってきてくれて嬉しいって言ってた。

ここでよく女は下方婚をしないって言うけど見合いになるとそれが顕著すぎて、私にお見合いを持ってくる人(数十件あった)はみんな挙って「会社経営開業医等のお金持ちのお家」「最低でも子供の代までは一生働かないでいられる」「新築を立ててあげる」「同居はない」「真面目で優しい男の人」「ご両親も優しく絶対同居は無い」は必須事項だった。釣書を持ってくる人全員これを言ってた。

逆に私のことは「若くて綺麗な女性」「お料理がとても上手」「こちらでずっとおうちのある本家お嬢さん。お墓も大きなおうち」というのが売りだった。

田舎のため部落でないかとかも重要事項なため一番最後はめちゃくちゃ効いたらしい。

本家から婿取りって話は子供ときはあったんだけど、祖父母や両親は別に嫁に行きたければどうぞって感じで終わってた。いまは昔ほど田舎も家や苗字に拘りはない。

そんな感じで結婚することになったんだけどいざするとなれば親族みんな揃って「嫌になったらすぐに帰っておいで」「子供連れてでも嫌になったら電話一本で迎えに行く」って言ってる。

下方婚って恋愛結婚が前提だからまれ価値観なんだなって思った。少なくともお見合いなら尚更弱者男性は肩身が狭い世界だと思う。

プロスポーツ選手エンターテナー

ボクサー内藤大助亀田兄弟批判する文脈で「ボクシング見世物じゃない」みたいなことを言ってたのが印象に残っている。

私はそれに対して「いや、見世物だろ」と思った。

見世物にしてもスポーツ技術を見せる見世物から亀田兄弟のようなやり方が良いわけではない。

だがスポーツ真摯に取り組むだけで見世物として良いものになるわけではない。

プロスポーツ選手は自分エンターテナーだということに無自覚場合があるのではないか

技術が優れているのは当然の前提としてそれで観客を楽しませる、注目を集めるというのが彼らの仕事だ。

スポンサー基本的広告効果を狙って金を出すんだから報酬を受け取る側は「見てもらう」ことこそが目的になるわけ。

可能ならより良い印象で見てもらうとなお良い。


内藤大助が言いたかたことは「亀田は見せ方が誤っている」ということなんだろうということを推察できるが、その一方ではエンターテナーとしての自覚が十分にあるとも思えなかった。

繰り返しになるがあくまでも私が思ったという話である

しかエンターテナーである以上はどれだけ正当性があろうと観客に悪印象を持たせてしまったら失敗なのだ

2023-07-09

ポケモンカードなんで人気になってんの?

20数年前は全く人気なくて、自分の回りは私たち兄弟しかやってなかったよ?

有名人がやってるとか、人気でる要素がなんかあったの??

昔はどちらかというと遊戯王の方が人気だった。

母親が憎い

奨学金大学卒業した。

高校時代予備校には通えず通信教材で受験勉強国立一択大学時代家賃35000円の部屋。

そんな人は世の中にいくらでもいると思うけど、俺の場合本来そんなことする必要なかったか母親が憎い。

小学生入りたての時期に建設会社不動産会社を営む父と母が離婚。俺は母と引っ越した。ボロボロ公営住宅、車もない、キャンプバーベキューをしてくれる父親もいない。家庭環境は俺に強いコンプレックスを植え付けた。

父は裕福だった。優しかったしよくキャンプバーベキュードライブに連れて行ってくれた。欠点九州男児特有の頑固さと女癖の悪さくらい。俺も小さい頃祖父と父によく綺麗な女性がたくさんいる店に連れて行かれ父の膝の上でお姉さん達から可愛がられていた。

大学生になって一人暮らしを始めると父と連絡を取り合うようになった。小遣いもくれたし、免許資格試験のための予備校代も出してくれた。車も買ってくれた。その時に知ったが、母は父から養育費お金支援を拒んでいたらしい。つまり自分の意固地さで俺に無駄な苦労を強いたことになる。

社会人になってから父と父の再婚相手の間に生まれた異母兄弟とも仲良くなったが、彼らは裕福な幼少期、少年時代学生時代を送っている。本来で有れば俺も無駄コンプレックスを抱かずそんな生活が出来た。

母親にもう少し辛坊さがあれば、俺は惨めな思いをする必要なんてなかった。愛人隠し子がいようが、横柄だろうが、酒癖が悪かろうが、俺には最高の父親なんだ。

それを一方的に奪った母親が憎い。

anond:20230709084602

なぜ病院に連れて行かないのか理解に苦しむ

発達なら薬飲んだらマシになるかもしれないのに

兄弟はともかく親はあまりにも無責任だし末っ子可哀想だわ

何が一切介入しないことにしただわ

毒親もいいとこだわムカつくなあ

追記はてなtogetterってなんか提携でもしてんの?

togetterブックマークってやたら多くない?

なんか兄弟関係みたいなのでもあんのかってくらい多い。

内容もだいたいくだらないまとめだし、それはいいとしても、結構な頻度で政治バトルみたいなやつが流れてくるので不快なんだけど、誰がブックマークしてんだよ。

なんかシステム上であがってきやす優遇措置でもあんのか?

追記

乳首に生えた毛を育ててる。

最近2センチ超えた。

2023-07-08

父と母の目を覚まさせたい

60代の両親がラーメン屋で働いている。

父はサラリーマンだったがちょうど60で退職。母はパート主婦だった。私は一人娘で子供が生まれたばかり。

両親は現在1020代若者に囲まれ同じラーメン屋で働いている。早朝から仕込みのために出勤し、夜も遅い。

一度夫と食べに行ったが、強面の店主や店員から普通に怒鳴られながら一生懸命働いている。

それ自体は本人たちの選択なので構わないが、問題は2人が独立して店を持とうとしてることになる。退職金や貯金を使って。

早く目を覚まさせなければ、どうせ長持ちしないであろう飲食店にそのお金が注ぎ込まれる。お金がドブに捨てられる。

そのお金があれば、もっと余裕を持って第二子も産める。音楽教室も、グランドピアノも、幼児教室も、英会話も、受験も、塾も…生活を切り詰めることなく…

私は一人娘なのでほかに兄弟はいない…なのに…

あぁー!!!!!!!!

どうすればいいんだあぁー!!!!!!

2023-07-06

ジャニーズは復活する事は2度と無い

道枝駿佑「僕は言霊の力を信じています。今は韓国エンタメが目に見えて盛り上がっていますが、もっともっと頑張って、ジャニーズ時代をもう一度作りたい。」/『AERA』2023.7/10


と言うのを見てジャニーズって言うのは何も理解してない裸の王様なんだなと思った。


地方政令指定都市に住んでいて所謂親戚のよく分からない謎おじさんやってるんだが、ここ数年従兄弟・再従兄弟の子供達が中高生になり始めた。

コンサートに行きたいけど中高生だけでは危ない・日帰りは難しいと言うので宿泊コンサート同伴を頼まれる事が増えたんだが、圧倒的にジャニーズコンサートの出来が悪すぎる。


・公演時間が2時間前後

ダンスそもそも踊れてない

・音をガンガンに外す

MCが始まったと思ったら何故か自分ファン達をミソジニー目線disりだす

あくまでも与えてやってる立場感謝されこそすれ自分達はファン感謝する必要はないスタンス

まだデビューしていないJrでもグループ組んでたりすると同じ様な感じで舐めプ発言多数。

姪に見せてもらった動画に出てるJr達は全身ハイブランドの子も多く儲かってるんだろうなという印象。


他のジャンルコンサートでここまで客を舐めた様な態度を取ってるグループは見た事がない。

SMAP観に行った時各々がファンに対して感謝の念を伝えてたから今のジャニーズ侮蔑MCをするとは思ってなくてびっくりした。


それに対してKPOPは

・基本4時間

ダンスと歌は完璧

最後ファン感謝の念を伝えるコーナー?がある

多分相当練習したり追い詰められてるみたいで自殺したり精神病んで活動休止したりする子が多いみたいだからこれが良いとは一概に言えんが客を馬鹿にはしないのでこっちの方がマシ


やっぱりジジイチンコ吸われてたら女を馬鹿にしないとまともで居られないのだろうか。どちらかと言えばミソジニーに近い自分でも引く位馬鹿にしてたのが凄く衝撃的だったんだよな

2023-07-05

私の近所にいた弱者男性

2023-07-03

anond:20230703015626

一人っ子リスクだよなあ。うちは3人兄弟から子供できなくてもなんも言わん

家族経営惣菜屋が好きだけどムカつく

近所の弁当屋が美味しいけどムカつく。

大家族経営してる店。

まあまあ値は張るけど、惣菜弁当も美味しいしよく利用する。

だけど、三世大家族で仲良く営業してるのを見るとモヤモヤするし腹が立つ。

私は地方農業を営む三世家族で育った。兄弟も多く兄、姉、弟、妹と全てコンプリートしている。頑固でいつも不機嫌でクチャ食いの祖父離乳食粉ミルク毒物のように扱い子供には意地でも咀嚼した煮物を食べさせようとする祖母(そのせいでピロリ菌もらった)、いつも無口で赤ら顔の父、隣の家に住む父の姉家族にいつも気を使うヒステリックな母、野球をやってる(即ちうるさくてうざくて汚い)兄弟と従兄弟、意地悪な姉妹わがままな従姉妹家族が全員大嫌いだった。

地元高校卒業した後、首都圏近郊の国立大学に進み家出同然で上京。その後都内就職地方出身実家兄弟は健在で都内就職した夫と結婚した。

夫と子供と、お互いの実家に全く干渉されることのない幸せ東京核家族ライフを送っていた。

から大家族でいつも仲良さそうに楽しそうに営む惣菜屋がムカつく。商品は好きだから買う。だけど見ていて腹が立つ。

高校生の男の子が店主らしきおじいさんと一緒に料理を作り、小中学生しか見えない子供達がおばあちゃんと一緒に呼び込みしたり袋詰めしてるのを見ると反射的に嫌悪感が湧く。

「こいつらは柔和な笑顔を浮かべて児童労働をさせる極悪人だ。子供たちを自分たち家業の要員にしか見ていない封建社会遺物だ。」

そう心の中で思ってしまう。

閉店間際に女の子がおじいちゃんおんぶを迫り、家族みんなでキャッキャしてる様子を見ると仄かな羨ましさと同時にそれを掻き消す嫌悪感が湧く。

子供祖父母や親戚ではなく両親の愛だけを貰って過ごすべき。両親以外の家族の影響は子供を不幸にする。親戚や祖父母の影響が排除された都内核家族こそ幸せモデルケースなんだ。

何言いたいのかわかんなくなっちゃった

相続税えぐくね?

6億の土地+いくらかの金融資産兄弟四人で(親父が死んだらの話)相続するんだが

総資産7億だとして、

1.5億は払わなきゃいけないってこと?

そんな現金無いんだが...

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