はてなキーワード: 内藤大助とは
ボクサーの内藤大助が亀田兄弟を批判する文脈で「ボクシングは見世物じゃない」みたいなことを言ってたのが印象に残っている。
私はそれに対して「いや、見世物だろ」と思った。
見世物にしてもスポーツの技術を見せる見世物だから亀田兄弟のようなやり方が良いわけではない。
だがスポーツに真摯に取り組むだけで見世物として良いものになるわけではない。
プロのスポーツ選手は自分がエンターテナーだということに無自覚な場合があるのではないか。
技術が優れているのは当然の前提としてそれで観客を楽しませる、注目を集めるというのが彼らの仕事だ。
スポンサーは基本的に広告効果を狙って金を出すんだから報酬を受け取る側は「見てもらう」ことこそが目的になるわけ。
可能ならより良い印象で見てもらうとなお良い。
内藤大助が言いたかったことは「亀田は見せ方が誤っている」ということなんだろうということを推察できるが、その一方ではエンターテナーとしての自覚が十分にあるとも思えなかった。
おまえが社会に出る時に出鼻をくじかれたのは100%上の世代のせいかもしれないが、その後20数年経った現在の問題の責任の一端はおまえにもあるんだよ
<野球>
・種田仁 特徴的なバッティングフォームは「ガニ股打法」と呼ばれた。
・小久保裕紀 一本足打法の長距離砲。引退後は日本代表監督を務める。
・元木大介 「クセ者」として活躍。バラエティー番組でもおなじみ。
・新庄剛志 傑出したスター性で日米を沸かせた「球界のプリンス」。
・稲葉篤紀 打席に入ると「稲葉ジャンプ」で球場が揺れた好打者。
・小林雅英 ロッテ時代は「幕張の防波堤」の異名をもったストッパー。
・松井秀喜 日本を代表する長距離打者。2013年に国民栄誉賞を受賞。
<サッカー>
・岡野雅行 元サッカー選手で元日本代表。ニックネームは「野人」。
・三浦淳宏 FKの名手であり、日本における無回転フリーキック、ブレ球の先駆者。
<その他のスポーツ>
・高橋尚子 元マラソン選手。シドニー五輪金メダリスト。国民栄誉賞を受賞。
・貴乃花 第65代横綱。兄若花田とともに「若貴フィーバー」を巻き起こした。
・清水宏保 元スケート選手。二つの五輪で三つのメダルを獲得した。
・野村忠宏 柔道史上初、全競技通してはアジア人初となる五輪3連覇を達成。
<アイドル>
・GLAY CDセールス、ライブ動員数など数々の金字塔を打ち立ててきたバンド。
・平井堅 シンガーソングライター。代表作は「瞳をとじて」など。
・YUKI 元JUDY AND MARYのボーカリスト。現在はソロで活動。
・GACKT シンガーソングライター。俳優としても活躍。
・岡本真夜 「TOMORROW」は200万枚を突破する大ヒットを記録。
・華原朋美 代表曲は「I'm proud」「I BELIEVE」など多数。
・松岡充 俳優、タレント。ロックバンド・SOPHIAのボーカリスト。
・常盤貴子 代表作に『愛していると言ってくれ』『ビューティフルライフ』など。
・竹山隆範 お笑い芸人。元カンニングのボケ担当。俳優としても活動。
・塚地武雅 お笑いコンビドランクドラゴンのボケ。俳優としても注目を集める。
・サンドウィッチマン ツッコミ担当伊達みきお、ボケ富澤たけし。
・後藤輝基 お笑い芸人、司会者であり、フットボールアワーのツッコミ担当。
・梅宮アンナ ファッションモデル、タレント。父親は俳優の梅宮辰夫。
その他
・門倉貴史 経済評論家。日本における地下経済学の権威として知られる。
・荒川弘 漫画家。代表作は『鋼の錬金術師』、『銀の匙 Silver Spoon』。
・うすた京介 漫画家。『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』などが有名。
テレビ東京の「長崎~東京2000km!トラック乗り継ぎふれあい旅4」をなーんとなく見てた。(地方なんで3週間遅れで)
http://www.tv-tokyo.co.jp/sat/backnumber/20130720/
トラックオンリーでヒッチハイクして3人がリレーで長崎から東京を目指すという企画。
タイムリミットまでに東京につく必要があるんだけど、タイムリミットまであと4時間、内藤大助が甲府でトラックを探す展開に。
こんなもんヤラセで最後はギリギリでゴールするんだろ。と思って見ていたら、そこに「内藤●業」(●の部分忘れた)のトラックが!
なんだこのあからさまなヤラセwwww と思ったら、「今から家に帰る」と断られ、そのままトラックが見つからずあっさりタイムオーバー。
なにこれすげえ消化不良w
なぜ「いじめられた」人たちの言葉は、こんなに自信にあふれているのか。
朝日新聞デジタル:《いじめられている君へ》内藤大助さん - いじめと君
そんなとき、たまたま下宿先の近くにボクシングジムがあったんだ。通えばケンカに強くなれる。強くなれなくても、「ジムに行ってるんだ」と言えば、いじめっ子をびびらせられるって思ったね。
入ってみたらさ……楽しかったなあ。周りも一生懸命で、俺もやればやるほど自信がついて、どんどんのめり込んだ。自分を守るために始めたのに、いつの間にかいじめのことなんてどうでもよくなっていた。不思議なもんだ。
ボクシングの練習がつらいときは「いじめに比べたら大したことない」って考え、マイナスの体験をプラスに変えてきた。でもね、「いじめられてよかった」なんて思ったことは、ただの一度もないぜ。いまだにつらい思い出なんだ。
「いじめられたらやり返せ」っていう大人もいる。でも、やり返したら、その10倍、20倍で仕返しされるんだよな。わかるよ。
俺は一人で悩んじゃった。その反省からも言うけど、少しでも嫌なことがあれば自分だけで抱え込むな。親でも先生でも相談したらいい。先生にチクったと言われたって、それはカッコ悪いことじゃない。あきらめちゃいけないんだ。
前半の経験はいいとして、後半のメッセージ部分では、内藤が膝を屈めて無理やりこちら目線になって話してるように思われるところがある。「わかるよ」と書いてあるけど、お前ほんとうに分かってるのかとツッコミたくなる。
こういう「私はいじめられた経験があるから、あなたのことが分かるのよ」という自信はいじめ体験談全般に散見される。もちろんいじめ体験を語ること自体を否定するつもりではない。だが、世の中で様々な人がそれぞれ固有の状況下でいじめを受けているということを考えると、その自身はあまりにも無邪気じゃないか。この無邪気さは度が過ぎると残酷ですらある。それが押切もえの次の文章。
朝日新聞デジタル:《いじめられている君へ》押切もえさん - いじめと君
中学生になって嫌がらせはやみ、雑誌のモデルをするようになったら、今度は向こうから声をかけてくるようになりました。
夢と希望を持ってほしい。外見を磨くとか、学者さんを目指すとか。「誰かを笑わせたい」でもいい。声や体形がいじめのきっかけになることもあるけど、それはあなたの個性です。
人生の主役は自分。主人公が脇役からつらい目に遭(あ)わされる映画、ありますよね。でも、最後には必ず活躍する。いじめる子たちはしょせん脇役です。学校の外にはもっと広い世界があります。絶対におもしろい人生にしましょう。
そもそも押切の書いてるようないじめって相当珍しいパターンなんじゃないのと思ったが、こういういじめを受けている人もいるのだろうからその点はとりあえず置いておく。
で、これを読んで夢と希望を持てる人はいるのだろうか。押切のファンくらいじゃないの。
押切は前半で自分のいじめ経験を告白したことで、現在いじめられているであろう読者と同じ目線に立ったつもりなのかもしれない。「あなたたちのことを理解できるこの私が、あなたたちに希望を持ってほしいと思ってるのです」と。
だが、読者の置かれている状況と、押切を襲ったいじめというのがかけ離れたものでありうることは容易に想像できる。むしろ押切本人がなぜ想像できないのか謎だ。
万人が目を背けたくなるような不細工で救いようのないくらい頭の悪い人はどうしたらいいのか。夢と希望を持てだって。ふざけんな、お前に言われたくねえよ。
もちろん、いじめられた経験を書くべきでない、と言っているのではない。
ただ、経験から得られた教訓・メッセージは最小限にするべきだと言いたいのだ。
朝日新聞デジタル:《いじめられている君へ》森永卓郎さん - いじめと君
またあるとき、サッカーの試合に補欠だった私が珍しく出場したら、たまたま足にボールが当たり、ゴールが決まった。おかげでみんなに認められ、仲間に入れてもらえた。おみそ扱いも終わりました。
ビー玉やサッカーの「偶然」がなければ、いじめは続いていたでしょう。周りの子はよほど強くないと、いじめられっ子を助けてあげられない。本人が反撃し、もがくしかないと思います。返り討ちに遭うかもしれない。でも、抵抗しないままだと、いじめはどんどんエスカレートします。相手と目が合ったときに「ふんっ」って、やるくらいでもいいんですよ。
構成としては今までに見た二つと同じようなものだ。
だが、決定的に違う点として、森永の文章は自分のいじめられた経験と、それによって直接見えたことしか書いていないのだ。
森永は自分の経験を書いた上で、そこから全く関係ないメッセージ、つまり夢と希望を持てとか言わないのだ。彼が言うのは抵抗が状況を改善する可能性があること。これは前に述べられてる経験から見えたもの。
いじめられた経験のある人にしか見えず、語りえないことというのは恐らくあるだろう。
ただ、ある人が体験できるのは「いじめ」というものの一面でしかないのだ。だから、そこから語るべきは一般論ではなくて、その人の体験と、そこから導かれる最小限のメッセージじゃないのか。
これはいじめられた経験というのに限った話ではない。いじめに関する言説の多くが、断定口調で「いじめってこういうものじゃない」「君はいじめを分かってない」という言い方をする。
この国の学校で生活していれば、たいていの人は何らかの形でいじめと接するから、そういう人たちの一部は、自分をいじめの専門家だと勘違いしているのだ。
だが、「いじめ」というのにも多種多様なものがあるはずだ。私は色んないじめに接してきました、と言ったって、一人が生活の中で経験できるいじめなんてごく限られたものだ。
押切もえの文章で勇気づけられる人はいるだろうし、それはそれでいいのだろうけど、やはり彼女があそこまでの自信を持っていじめ一般論ぽいものを語るというのは、不遜であるしいい加減なように思えるのだ。
ボクシングが熱い。というか亀田一家というボクシング家族が熱い。
私はスポーツ全般に疎く、野球は辛うじてどのチームがセリーグかぐらいまでは分かるのだがそのほかの諸々は全然分からない。
そんな素人でも亀田一家は言動が汚く世間に嫌われていて次男坊はなぜかリングで歌を歌うことぐらいは知っている。なので熱いというのは世間を騒がせているというか露出度が高いという意味である。
話題のタイトルマッチ(内藤大助vs亀田大毅)の写真を見たが、最初の感想は「どっちもイイ身体してんな」であった。ネットで最弱とかまで言われている次男大毅君だが若さもあってチャンピオン内藤よりも筋肉に張りがあるように見えた。八百長とか何だとか言われてるが身体は作っているわけだ。
内藤の試合後のインタビューでも試合態度に文句たらたらながらもボクサーとしてのポテンシャルはあるというフォローのような惜しむようなそんなコメントも出している。
ふとボクシング漫画「はじめの一歩」にそんな話が無かったかと思った。とても勝てそうに無い格上のチャンピオンに挑戦するために反則も厭わず試合に挑む、みたいなもの。ドラマとしてはあり得るだろう。
そしてボクシングには厳格なルールとレフェリーとジャッジがいるわけで、反則にはそれ相応の対応をすればいい事なのではないか。
亀田一家の試合は視聴率が良いそうだ。この試合で平均30%近く最大40%にまでなった。兄興毅に至ってはさらに10ポイント増しになるらしい。ボクシングなんて嗜好の強いスポーツでここまで注目されるのは素材としては化け物以外の何者でもない。しかも亀田一家はヒーローではないのだ。
皆「偉そうでムカつく亀田の誰かが負ける」のを期待して見ている。スポーツとしてのボクシングは関係ない。因縁のドラマをゲームで決着を付けるという、まさにプロレスとしかいいようが無い興業(ショー)としてここにある。
一方でボクシングはずいぶんと奥深くセンスと技巧に富んだスポーツらしい。
からも伝わるように、良い試合ではお互いの才能と弛まぬ鍛錬でギリギリまで研ぎ澄まされた技術を認識し互いに敬意を覚えずにはいられないということなのだろう。
専門のスポーツライターは亀田一家がそういった才能や職人的な技術を軽視するような言動を嘆いているようだ。
この試合では内藤がフェイントを多用している話が出てくる。腕の挙動だけでなく、眼球の動きでも機を偽るのだそうで素直に感心してしまう。が、全然分からない。
正直私はテレビでボクシングの試合を見ても入っているパンチとガードされているパンチの区別もつかない。解説の人は要所で興奮するので分かる人には全部見えているのだろう。
結局のところ亀田一家へのブーイングもスポーツライターのような専門的視点ではなく、ヒールとベビーフェイスというプロレス的アングルへのお客のヒートアップに過ぎない。
だとすればそれは亀田一家の演出する「ボクシング興業」の上にしか成り立たないものではないのか?ショーとしての分かりやすさに皆が注目しているのにそれを否定するという皮肉。「このままではボクシングが駄目になってしまう」‐本当にそうなのか?駄目だったのは(派手さの無い軽量級)ボクシングだったのではないのか?
野球にしてもサッカーにしても興業の成功は子供時分に誰もが経験したゆえの観客の理解の厚さによるのではないかと考えている。かつてボクシングはチャンピオンが国民的ヒーローであり、ボクシングをやることがファッションだった時期もあった。その後日本は豊かになり、今後この殴り合う過酷なスポーツ競技人口が増えるとは思いがたい。
スポーツライターがその深い造詣で玄人らしい分析をするのも良いが、今必要なのは武道のような求道的態度でなくわかり易さなのではないだろうか。