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はてなキーワード: ライフスタイルとは

2018-10-09

底辺YouTuber兼任ブロガーの1日

月の収益20万弱~30万

ジャンルメンタルヘルス心理学ライフスタイル、それに関連した商品紹介

7:00

起床、朝食(卵かけご飯プロテイン入り牛乳)、抗うつ剤をのむ

7:30~8:00

人気の少ないうちに散歩

8:00

食器洗い洗濯掃除機をかける

8:30

ニュースSNSブログ動画コメント再生数、アクセス数をチェック。前向きなツイートをする。

9:30~12:00

前日に構成を考えた動画を撮る。合間に飯(麺類

12:00~12:30

会社員学生の昼休憩に合わせてTwitterInstagram更新

12:30~16:00

動画編集

16:00~18:00

ブログを書く。動画ブログは18時までに投稿できるようにする。

18:00

ブログ動画投稿。それに合わせてTwitterInstagram更新

19:00

ファミレスで飯食った後、Kindle読書

20:30

帰宅してテレビ動画観ながら筋トレ風呂

21:30

バズを狙ったツイートをする、Instagramストーリー更新

22:00~24:00

ネットサーフィン情報収集、翌日のブログの下書き、動画構成考える

24:00

睡眠薬を飲んで寝る

2018-10-08

ベンチャー経営陣がついつい犯しがちな20のコト

当たり前のことを何をつらつらと書いているんだとツッコミを受けそうですが(笑)

自分自身が自社や他社を見て感じたことを備忘録的に書いてみます


中には理想論のように見えること、時にはそうせざるをえないこと、

ベンチャーからこそ許されてしかるべきこと等もあるかもしれませんが、

組織の中にずっといるとその異常性に気付かないようなことや、

モヤモヤしつつも誰も異を唱えられなくなっていたりするようなことを、

改めて見つめ直してもらえたら幸いです。(もしくは、あるあるネタ的に捉えてください笑)


また、ベンチャー企業において、起業黎明期、拡大成長期、転換過渡期等のあらゆるフェーズを、

社員中間管理職役員子会社社長等の様々な立場で見てきて感じたこと、

そして自分自身、下記のうちで実際に出来ていたことは決して多くないので、

その自責の念悔恨の思いで書いたというのも正直なところでございます


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ビジョン社員に伝えない、ビジョンがぶれてしま

 →常にビジョンをぶらさず、口頭や文面等で全体に伝え続けるべき


②社内で社員ゆっくり話す機会を積極的にもたない

 →常に社内をしっかり見て、コミュニケーションにも時間を割くべき


③売上を生まない部門の人選や評価を軽視してしま

 →コスト部門という考え方を捨て、部毎の評価基準も別途作るべき


④周りの意見を聞かず、勢いやノリだけで意思決定してしま

 →重要決断の際にはきちんと情報収集し、しっかりと検討を行うべき


⑤派手な私生活素行の悪さ、ワークライフバランスの崩れ等を見せてしま

 →私生活でも模範となり、そのライフスタイルも憧れられるようにすべき


⑥部下からの頼まれごとの優先度を下げたり、無視してしま

 →そういう時こそ早さとクオリティで手本にされるような対応を行うべき


組織体制がころころ変わり、目標計画意味があまりなくなる

 →組織としての在り方や評価基準を設け、目標計画意識させるべき


⑧一人の担当範囲を広げすぎる、作りっぱなしが多い

 →任せる範囲をある程度絞り、個人専門性も高められるようにすべき


案件を選ばず、すぐにお金になりそうな案件や大型の案件に飛びつく

 →短期的な売上に捉われるのではなく、しっかりと案件を選ぶ眼を持つべ


⑩怒鳴り散らしたり暴力をふるう等、品のない言動をしてしま

 →感情的になることを控え、常に理性的かつ冷静な対応をすべき


採用時間お金をかけない、特にリファレルの場合は極端に人物評価が甘い

 →少数精鋭だからこそ組織とのマッチングを重視して慎重に採用すべき


社員に対して中途半端に隠し事をする、重要情報の共有が遅れる

 →できるだけオープンにし、小さなことでも即時共有できる仕組みを作るべき


新規事業の結果が出るまでに待てずに、すぐに打ち切ってしま

 →やると決めた事業には、とことん人と時間投資いて育てる覚悟を持つべ


⑭謎のプロジェクト説明不足のまま社員を巻き込んでしま

 →意思決定プロセスにも社員を巻き込み、腹落ち感や当事者意識重要視すべき


社員に対して心無い発言をしたり、無理やり経営者と同じ視点を求める

 →社員立場になって考えたり、社員感謝リスペクト気持ちを持つべ


⑯働く場所時間無駄に縛ったり、細かいルールを作ってしま

 →成果を大事にし、性善説個人自主性を重んじたルール作りをすべき


タスクの振り方が粗く、振る量を誰かに偏らせてしま

 →個人の抱えているタスク量を把握し、全体のバランスを考えて振るべき


プロジェクト単位でのフィードバックをせず、反省を次に活かせない

 →改善のための振り返り等を頻繁に行い、個々が成長できる仕組みを作るべき


⑲報告のためだけの会議や、会議のための会議をしてしま

 →情報共有のためだけの会議はせず、人数も必要最低限に絞るべき


クライアントパートナーよりも自社の利益を一番に考えてしま

 →外に対しても嘘をつかず誠実に、長期的かつ良好な関係作りに努めるべき

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もちろん経営は綺麗ごとばかりでは成り立たないですし、

何が正しくて何が間違っているか等は二極論で分けられるものではありませんが、

自身が次に経営をする時はしっかりと活かしていく所存です。

2018-10-03

ヴィーガンという属性

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1272519

主語を「ヴィーガン」にして叩いている連中さー。

事実誤認を含んだまま、無闇矢鱈とヘイトを撒き散らすのは止めないかい?

b:id:Dicer ヴィーガンって、フランス辺で肉食反対の暴力行為をしている集団だろ? ガン関係といい、ISと同列の扱いで良いのでは。

ヴィーガン集団ではなく、完全菜食というライフスタイル呼称です。

b:id:locust0138 トンデモさん全般に言えるけど、特にヴィーガンは自説に賛同しない人間を見下す傾向が強い。「肉食は残酷動物を殺さない私は偉い」みたいな優越感が根底にあるから

エビデンスはないと思いますが。

「肉食は残酷動物を殺さない私は偉い」みたいな優越感については、エシカルヴィーガン動物愛護の目的ヴィーガンになっている人)はともかく、純粋ダイエタリーヴィーガン健康目的ヴィーガンになっている人)や宗教上の理由ヴィーガンになっている人などには存在しないと思いますが。

b:id:MiYA-mar 自分は、ベジタリアン意識高い系ヴィーガンテロリストだと思っている。

思うのは自由ですが、無実の人間根拠もなく公然テロリスト呼ばわりするのはどうかと思いますよ。

b:id:idea_glue ヴィーガンの人、バカは死ななきゃ治らないを地でいっている

ヴィーガンの人ってヴィーガン全般のことですか?それは主語が大きいのでは?

もしも、この人個人を指しているなら、あえてヴィーガンの人と属性代名詞に使う必要なくないですか?

b:id:mouseion ヴィーガン馬鹿だなと思うのはベジタリアンもだけど、生きとし生ける生物野菜も水も例外ではなくそれは野菜や水を下に見てるからから、こういう差別主義者はさっさと十穀絶って即身仏にでもなって死ねば良い。

ヴィーガンにも色々なバックボーンの人がいるので、そうやって一律でくくるのはとても雑で乱暴な考え方だと思います。例えばダイエタリーヴィーガン志向している人たちにとっては流れ弾以外の何物でもないでしょう。

b:id:xevra ヴィーガン有害具合は最悪だな。ナチュラルに癌患者を殺しにくる様はまさに死神ヴィーガン駆逐は急務だ。

もう完全に主語が大きすぎるし、言っていることも言葉のアヤとはいえ乱暴すぎます

b:id:rameninngenn ヴィーガンのすることはいつも憐れな結果にしかならない.ヴィーガンベジソバ意識他界ラーメン店共々ヒューメンの敵だ.早くあっちの世界へ還ってほしい.

いつも哀れな結果にしかならない、は言葉のアヤですよね。でも、勢いでこういう雑なことは言わない方がいいと思いますよ。

2018-09-28

サマータイムに何か利権でもあるのかな?

サマータイム 夏終わりしぼむ 推進派「もっと早く…」

https://mainichi.jp/ch151138754i/%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0

会合後、遠藤氏は「20年五輪きっかけにして低炭素社会をつくる。その一つとしてサマータイムがある」と記者団に語った。推進派は五輪がなければこんなに話題にならなかった。議論していけば十分に五輪レガシー遺産)になる」目標軌道修正しつつある。

サマータイム 議論仕切り直し 「エンジニアパンク

https://mainichi.jp/ch151138754i/%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0

研究会会長河村建夫文部科学相会合後、「導入のための研究会だ。どのタイミングなら導入できるか、物理的にどうか、しっかり詰める必要がある」記者団に語り、五輪後を見すえて議論を続ける考えを示した。

東京五輪・パラにあわせたサマータイム導入 小池知事否定的

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180928/k10011648431000.html

一方で、小池知事は「サマータイム夕方時間活用するようになれば、別のライフスタイルで新たな需要ができる。オリンピックというデッドラインを外せば、検討してもいいのではないか」と述べ、東京大会と切り離して検討を続けるべきだという認識を示しました。

五輪合わせが無理&EU廃止に動いている中で、なんだか必死サマータイムにしがみつく人たち。

何か利権でも絡んでいるんだろうか。どんな業界を利するのか、私には全く見当がつかない。

2018-09-26

anond:20180926103449

自然界にペドはいない

自然界にホモはい

終わり

自然界に~とか言い出したら健康であるにもかかわらず20代まで出産しない近年のライフスタイルとかどうなるんだ?

都合のいい時だけ自然界を使うなよ

anond:20180920192140

独身者防衛機制と既婚者の悲哀が巨大な渦を巻き「新しいライフスタイル」などという浅薄な幻影が形成されているのダ。

2018-09-20

anond:20180920103458

恋愛生殖と共同生活育児全部セット販売する戦略、色々不都合が多いのではないかと思うこの頃。

極端な話、女性を愛する女性が、女性Aと恋愛男性Aと生殖女性Bと同居して男性Bと育児するみたいな、そういうモデルもあっていいじゃないかと思うんだけど。

まあ育児と共同生活は切り離すのが難しいにせよ、恋愛生殖・共同生活は割と簡単に切り離せるんだから、それぞれに相性が合う相手とやりゃいいと思うんだよな。

恋人としては最高だけど家庭人としては落第とか、同居人としては素晴らしいけど別に恋愛対象じゃないとか、

だったらそいつとは恋愛だけしてそいつとは同居だけしとけみたいな美味しいとこ取りができないもんかね。

まあ、そうしたいという人はとっくにそういうライフスタイルを選んでいるのだろうが。

2018-09-18

anond:20180918132252

男に救いを求めてるというより

日本を見限って海外に救いを求めて海外移住する為にその手段の一つとして国際結婚を考えてる女が多いイメージ

海外住むなら現地人と結婚するってのが一番手っ取り早いからね

海外在住国際結婚日本人妻のライフスタイルを女の憧れっぽく紹介したコンテンツも昔から定番ネタだけど

それも「夫が外国人であること」より「海外に住んでいること」がメインだよな

夫が日本人でも(駐在妻とか)、独身でも同じく羨まれるし

まあ駐在妻なんかはいずれ日本に帰って来る前提だから、ずっと定住出来る人の方が上っぽいけど

2018-09-17

暗黒の青春時代を過ごした結果

なのかどうかは分からないけど、相対的にはそこそこ良いポジション社会人に居ることができている。

というのは、この度の中学同窓会に参加しての感想

もともと、教室の片隅でなんとか出席していただけの陰キャラが、他のメンバーの状況を勝手判断しているだけにしか過ぎないけど。

本音を言えば、そう思うことでしか自己解決が出来ないだけだが。

小学生時代はそこそこイケイケ、中学生になるにつれ微妙思春期を拗らせ、周囲とはうまく絡めず

休み時間は寝たフリをして机に突っ伏し、昼休みは自宅に戻ると言う鍵っ子だった。

なので、そもそもこの同窓会に参加したのもある種偶然というか、少なくとも当初の名簿には俺は存在して居なかったの無かったのだけど。

小学生時代の知り合いが名簿に俺を追加してくれたらしく、連絡が来て、同窓会に参加することになったわけだ。

ちょうど仕事地元に戻る都合があったので、まぁついでなら、と思って参加した。

そこでは、昔の中高の青春について語るのがある主目的なのだから、そうなんだろう。

だけど、クラスでウェイウェイ系であった奴ほど、余りい良い現状には居ない。

明確には語りたがらないが、無職だったりフリーターだったり、ブラック派遣だったりする。

これらの境遇差別的にみるわけではないが、ってここでそんな取り繕いに意味はないので、

まぁ、大変だな、って境遇にいるやつばかりだ。

中高と人と余り同級生と関わらず、無駄勉強とかしていたからかどうかは別として

自身は今そこそこのステータスにいる。

今だけを見れば、それでよかったんだ、

そう、あの時のつらさや青春体験できなかったのは意味があったんだ

なんて、そう思う。思いたい。思わないとやっていられない。

結局、現状のステータスで、彼らよりも上だ、そう思わないと何というか、やりきれないんだ。

勝手にそう思って、自分を慰めているだけなんだよね、実際は。


今はそこまでイケていないと勝手に思わざるを得ない彼らの語る青春は楽しそうだし、羨ましい、というのが結局の本音だ。

齢30を過ぎた今は周囲からある程度モテるような現状は認識している。

当然、魔法使いになることは回避した。

だけど、20代後半で初体験をした時に感じたそれは、なんか難しいな、と思うだけで喜びも驚きもなかった。

ネットには慰めのごとく俺に刺さるフレーズがある。

曰く、「青春なんて幻想だ、あんものは実際無いんだ。」なんて。

だけど、同窓会で楽しそうに語る彼らの中には、実際あるように見えたし、少なくとも俺には無いということは分かった。

今こうやって、あこがれていた恋愛だのなんだのに遅れて参加しても、メンドクサイだけに思えてしまう。

それに、今はイケていないにせよ、彼らの多くは家庭持ちだ。

自身、家庭を持つということに対して自由を失うデメリットを引き算すると、あまり積極的になれない。

聞くに彼らは青春の勢いで恋愛し、結婚し、小作りし、家庭を持っているのだ。

価値観多様化した現在において、その手のライフスタイルが必ずしも正道ではない、と言われていたりする。

これもネットを中心に。

まぁ、そうだよなと思う一方で、本当にそうかと思う。

結局のところ、青春謳歌できなかった人間人生において違うルートを歩まざるを得ないのではないか

結婚した奴らが言うに

「この人と一緒に居続けたい、そう思ったから。」

というのが、その理由らしい。本当かどうかはさておいて。

今の俺には、恋愛というらしいことをする相手にそうは思えない、思えたことがない。

それは、出会い問題なのか、俺自身心の問題なのか。

ただ、通れなかった道を振り返ると、思うんだ。

結局、青春謳歌せずに、ジメジメした10代を過ごしたのが結局のところの原因だって

からないけど、あの勢いだけで走り抜けることのできた青春時代に走ることができれば

今がどうあれ、少なくとも大きな思い出という過去を持つことができるんじゃないかって。

結局俺は今のこの職業、そしてそこでそれなりにやれるという思い込みしかない。

過去には何もないんだ、今をすり減らして生きているだけなんだ、と思った同窓会

そして俺は過去もなければ、未来に何かを今後残すこともないのであろう。

社会歯車として今を消費し続けるだけ。

そして、そんな今を言い訳のごとく解釈するのだ

あぁ、あの時青春の道を通れなかったばかりに


と。

2018-09-12

anond:20180912171559

シガーバーならパイプやってる人いるよ

あとはまあ、葉巻やパイプは火の管理が難しいから外ではやらないと思う

それに紙巻きより圧倒的に金のかかる趣味から、外で紙巻き吸ってる人とはライフスタイルからして違うんじゃないか

2018-09-11

地方の豊かな自然に親しむ子育て

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20180910/1536574144

地方の豊かな自然に親しむ子育て」って地方子育てをするメリットとして語られるわけなんだけど、それってなんか有意統計的な結果として現れてるものなのかなあ。たとえば、地方の方が都心部よりもいじめの発生率が低いとか、不登校が少ないとか、刑事事件が少ないとか。

寡聞にしてそういう統計を見たことはないのだけれど、印象論で言えば「豊かな自然に囲まれ子育て」って、彼らが喧伝するような「精神的な豊かさ」に、全く寄与してないように感じてる。マイナスの影響があるとまでは言わないけれど、いじめなんてどこでも同じように起きてるんじゃないかなあ。

「豊かな自然の中で子供を育てたい」って、それってたとえば「子供ピアノを習わせたい」なんかと似たような、ある種の親のエゴであって、きつい言い方で言えば、「親が他人アピールしたいライフスタイル小道具として子供を利用しているだけ」ってのはあるのじゃないか。もちろんそれはアーバンライフタワーマンション子育てをしたいってのも、全く同じような意味で、「田舎暮らし」とは別種の「アーバンライフ」っていうスタイルの誇示にすぎないわけだけど、だからこそその両者は、「そんなもの子供にしてみればどの親のもとに生まれるのか選択できないように、結局は生まれた親の趣味で育成される以外にない」という意味等価でしょう。

なんかこう、最近少子化につながる息苦しさの一端は、「子供幸福に導かなければならない」「その意識がない親は害悪である」みたいな強迫観念にあると思うのだよね。いやあ、もちろん、親になったからには子供幸せを願うし努力もするんだろうけれどさ、一方でその努力ってのはいつもどこか空回りで一方的であり、小児教育ってのは洗脳とほぼ同義であるってのは忘れちゃいけないと思うんだよ。

もちろん虐待はゆるされないわけだけど、じゃあどこまで子供に尽くせば合格なのか? みたいな競争を始めると、際限なく子育てハードルが上がっていってしまう(そして実際自分ハードルを上げすぎて自滅して病んでしまう親もいる)。今回の件で言えば「子供を育てるために田舎に(あるいは都会に)引っ越すべきなのか?」みたいなのがそれ。正解を定義するってのは同時に正解以外、つまり不正解定義するに等しい。そこまでハードルを上げれば、ほとんどすべての親が失格になってしまわないかな。そして今生きてる殆ど日本人が「失敗した教育環境製造された人間」になってしまわないかなあ。

ネグレクト推奨という意味ではなくて、子供って(つまり人間という存在って)結局自分でかってに幸せになっていく生き物だよ。周囲の教育環境をキョロキョロ見回して、自分たちを減点主義で採点し、劣等感やら罪悪感をこじらせて結局子供にあたってしまう前に、「まあこんくらいでいいだろう」みたいな落とし所みつけるのが重要だと思う。

2018-09-08

趣味で産むのも個人自由

誰も強制してるわけじゃなし、それどころか望んでも妊娠結婚すらできない奴らもいる。

そんな中で趣味子供作りました、産みましたと言われてああそうですか、配慮しなきゃってならない。

子供を作るのは義務だ、みんな産んで当然という時代なら共感も湧くけど、勝手に恵まれ境遇の奴が好きで産んどいて万人から助けてもらえるって思うほうがおかしい。

自由ライフスタイルを実現したリベラル社会というのは、そういうものだろう。

2018-09-01

youtubeトラブル解決動画簡単に見える。

ネットを見ると、あらゆる疑問が大体解消される。

ここで言うのは学問的なことではなく、タコを柔らかく料亭のように煮る方法だったり、回るけれど抜けないネジをどうやってきれいに抜くか、美少女イラストの色塗り方法はどうやったらあんゲームみたいに描けるのか、鰹節の上手な削り方、みたいなこと。



あらゆる知識技術は、大体google検索すると、書籍のHowto本を買う必要がないレベル情報が出回ってる。

この傾向にいちばん最初ダメージを受けたのがゲーム攻略本。いまから17年ぐらい前にはもうすでにその価値が失われ始めた。

むかしはゲーム専門誌がゲーム裏技小ネタゲーム会社と話し合って「この時期にはこの裏技を出そう」とか決めてて、週刊誌が「おきて破りの全召喚獣ゲット方法」をフライングで書いてたのがスキャンダルになった時代

しかし、FF10の発売したころには、もうすでに雑誌攻略記事なんて誰も読んでなかった。圧倒的にネットの方が早く、攻略班がほぼあらゆるやり込み要素を共有してしまった。高校生攻略本の話をしたら「なんですかそれ?」といわれた。

存在自体知らないみたい。



そんで、今はあらゆる情報が娯楽に限らずいろいろネット検索で手に入る。玉石混交だけれど、それでも大体のトラブル知識としてはすぐ手に入る。

自動車の整備方法はおろか違法改造の仕方、その他かなりの専門知識まで、調べれば出てくる。

しかし、同時に「こんな簡単ことな自分でもできる」とか「原価はこれぐらいなんだからもっと安くしろよ」という原価厨が湧きやすくなった。

マックハンバーガーは一個数十円とかはともかく、実際には技術と練度が必要ものにまで、安くできるはずだという素人さんから圧力? 要望? が増えた。

特に中年以上の高齢者に。高齢者ほど、技術への経費の概念が薄い。特にyoutubeおもしろ動画ライフスタイル動画を見てるタイプは要注意。

わざわざ呼びつけられて、youtubeでやってるのを見たけれどもっと簡単にやってるぞ、高いから安くしろ、と値切りにかかってくる人間が多い。

でも、そう思うんだったら自分でやってみたらいいのになあとおもう。

できないから呼ばれて簡単だといわれるのはソウルジェムが濁る。

2018-08-25

日本景観問題を、海外文化との融合とは見なせない。

Yahoo知恵袋から

なぜ和風住宅を作らない?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011051225

街並みや建築に詳しくないが、現代日本景観問題を、海外の良いところを取り入れる日本文化だという論はさすがに苦しいと考える。

下記は疑問点。

景観問題となるのは住宅等の外観である現代においてライフスタイル等がここに影響を及ぼすことは殆どないのでは。

例えば耐震技術関係ないように思う。

・仮に海外文化など良いところを取り入れた結果であるなら、日本国内でも地域ごとに住宅の外観が「合理的な形に」確定する筈ではないか。街並みに統一感がないと批判されるようになるのは辻褄が合わないと感じる。

歴史的でない現代建築風土による地域が見られるという論を私個人は聞いた記憶がないが存在するのだろうか。

「諸外国文化スタイルを巧みに取り入れ、それを自分のものとする能力他国より抜きん出ています。つまり、「混合」されて培ってきたスタイルが、まさに「和風」なのです。」が景観問題についても当てはまっているという根拠が無い。

海外の良いところを取り入れるスタイルならば、それが現代になって問題となったのは何故か。

例えば、住宅エアコンを取り付けるとか、WIFIを設置するとか、掃除ロボットが自宅にある等のように技術面の成熟だったり普及が必要だったものは分かるのだが。海外の外観を取り入れるのであればもっと早い段階に進んでいかなかったのだろうか?



それと話がそれるが、上記で扱っているのは住宅の話だけど、電柱問題説明出来るのだろうか。

2018-08-23

表現規制反対派系男子

フェミanan批判しろよと怒るよりも、ananだってやってんだから俺らだっていいだろがよ、と主張する方がポジティブだと思うんだけど。そうならないあたり結局のところ女憎いが原動力であって表現規制を許さないという高尚な話は後付けだったんですよね?と邪推ちゃうけども。

私は女だけど、水着グラビア表紙の男性向け雑誌ananセックス特集SPA!とかと、明確におかずコンセプトの本やマンガと、それ以外、の3つのゾーニングがあれば一番快適かねとは思う。R12、R18、ノーゾーニングぐらいの。

そもそも男性あんまり読まないだろうから知らないのかもだけど、ファッション誌とかでもananのようなライフスタイル誌でも、女性誌って下品で下世話な内容が何らか入ってるものが多いよ。多くの場合は読者体験談みたいなページとか。あとはanan的なものとか、医療的なものであるけど、分量やエロ成分はその雑誌のコンセプトとか広告内容(CHANEL広告が表2に入るような雑誌では流石にやらない。それはまぁ男性誌でも同じだろう)。

ananセックス特集だめだろうと言うなら、それ以前に小学館少コミとかBLとか、フェミ視点とは別に年齢ゾーニングが要るだろうよとは思う。BL、TLはリアル書店だと売り場分かれてたりするんかな、知らんけど。でも電子だと普通に読めちゃうしね。見えてなきゃいいってわけでもなかろう。

2018-08-22

なぜ日本各地でゲリラ的な事件が続発するのか?

社会の流動化



いまや日本若者の大半がネット接続してSNSアカウントを持っている時代。つまりSNSをしている若者が必ずあなたの近くにはあるわけだ。だから犯罪ツールネットがあるというのは、その意味では当然だ。

もちろんそれが非行と直接関係しているわけではない。全国に張り巡らされたインターネット網とIT、それに伴う社会の膨大化によって、今までの日本地域社会の流動化と不安定化が進み、非行を誘発しているのだ。かつ若者高知能・所得のばらつき・欧米化により、市民日常的に目の届かない地域非行が拡大し、それにより初動が遅れる。

おそらく、暴走族活動範囲も、昔であれば地方幹線道路沿いに限られていたのが、都会のインナーティ住宅街などにまで分散しているはずである田舎だけを見回ればすむ時代ではなくなった。しか暴走族のものゲリラ化が進んでいるために警察対処ますます困難になる。こうした理由から、近年都市部を中心に暴走族が異常発生しているのであろう。

さらに、IT技術の高度化により、物的証拠などによる捜査が困難になっているという。特殊詐欺なんて昔から多いじゃないかと思うかも知れないが、インターネットを用いた詐欺事件の続発という状況は、この5年ほどに起きた現象だ。2017年社会問題になったランサムウィルスも、手口が巧妙で何の手がかりにもならない。日本中の人間が、アメリカヨーロッパなどと同じ環境に生きるようになったので、事件の手口がつかみにくくなったのである

かつ、日本社会テクノロジー化は、日本国内のコミュニケーションコミュニティ消滅させた、あるいは衰弱させた。振込みでも銀行ATMを使わなくなるようになり、スマホワンタイムパスワード機械重要になった。書店仕事量は減り、定額で本読み放題という価値観が広がった。そうなると、メディアビジネスも益々やりにくくなる。まして読書メディアチェックすらパソコンスマホで済ませる人がほとんどすべてになれば、新聞テレビ収益も減る。休日の移動で満員電車を使わなくなれば、鉄道会社収益が減る。都会の税収が減って益々不景気になるのだ。

YouTubeで立て続けに犯罪が多発したというのは、どういうことなのか?犯人の顔を知っている人が隣近所にもいなかったのか?まったく不思議だ。コミュニティが衰弱しているのは地方だけの問題ではなく日本全体の問題であると考えなければ理解できないであろう。

こうした日本全土の極端なファスト社会化の大きなメルクマールアマゾンだ。ネット化が進めばアマゾンが台頭するし、アマゾンが便利になればますます個人化が進む。テクノロジー化による個人化が進んで、コミュニティ崩壊し、流動化した地域社会犯罪抑制する機能が低下している。あらぬところから道路鉄道に乗って、どんな犯罪者が来るかも知れない。犯罪者も腹が減るから、たまには仮想通貨支払いで食事をするであろう。しかし周りに知る人はいない。そして駐車場で、たくさんあるアカウント情報のなかから気に入ったアカウントを盗めばよい。

地方都市や大都市ゲリラ不良が多発するのはなぜか?



最近ネットテレビニュースを見るとゲリラ化したヤンキーによる事件毎日のように発生している。後から出てきたニュースもどれの関連ニュースなのかわからない。業務妨害事件といってもどの事件なのか、毎日のように起きているから分からない。しかほとんどの事件貧困層マイルドヤンキーがうようよいるような地方ではなく、景気のいい大都市部で起きている。

ゲリラ暴走族が発生した道路を見ても、都心かと思えるような立派な地区も多い。だから地域的には申し分ない所なのに何故醜悪事件が多発するのだろう。特に暴走族事案が目立つのは何故だろう。子供が荒廃しているとか家庭が荒廃しているとかは前から言われていたことだが、それ以外にも国民コミュニティーが崩壊していることも原因の一つだろう。

もちろんネット社会が悪いわけではない。経済合理化近代化時代の流れで避けて通る事が出来ない。ネットが便利なところは活性化するしネットのもの雇用も創出する。外出せずに食品から生活用品まで全て買い揃える事が出来る。自宅から車で買いものに出かけて大量に物を買って車に積んで帰ってくるような生活が車無しでできる。まったくアメリカ田舎のような生活日本社会に定着した。

私の若いころには便利なネット環境や高度なネット文化はない。用事ときは必ず外出していた。ところが現在ではネットが一人一台の時代が来て、買いものネットショップで買いものするのが普通になっている。貧乏人がクレジットカードを持っていないのは過去の話だ。クレジットカード審査はより甘くなり、手数料無料かも進んでいる。

その結果、東京都心で小銭やお札をお店で目にする機会は少なくなった。持っているのは地方から観光客未成年者ぐらいだ。だから日本でも現金を持ち歩く事がなく生活できる。もちろん地方都市は今でも現金が手放せないが、大都市部のチェーン店富裕層が訪れる地域ではカードの普及が進んでいる。

このようにテクノロジー化した社会ではたとえば事件が起きても犯人捜査もままならず、犯人もあらゆる手口を使って広範囲に移動するから警察適応できない。今までは免許を持たずに生活していた階層免許を取るようになった。オートバイを乗り回す高校生現実になり、それに対する不満も生まれない。近所づきあいも薄くなったか事件の芽があっても近所も気がつかない。

このような環境学生たちにも悪い影響を与えて、学生非行の増加にもつながっているのだろう。戦後アメリカで起きた青少年犯罪の多発が日本でも起きているのだ。一見歴史ある町並みの地域青少年犯罪が発生するのはなぜか。そのような環境では家庭も個人孤立してしまうからだろう。

小説漫画テレビドラマのような社会現実に出現している。SNSを用いたゲリラ暴走族アメリカ少年犯罪象徴だ。日本テクノロジー社会がやってきたからそのようなライフスタイルが実現した。つまり日本欧米のような犯罪多発社会になってもしかたがないのだろうか。チーマーマフィアや極○も衰退し大人子供を狙う犯罪も激減した。多くの人が未知の人間と寄せ合って生活している。日本にあったコミュニティーは崩壊した。

日本では欧米のような社会理想であると教え込まれてきた。だからこそ誰もがネット接続しそれで買いものや昔ではATMでしていたことをする。しかしその理想が実現したとたん青少年非行化と犯罪が昔のように多発するようになった。凶悪詐欺事件も増えた。日本はこれでいいのだろうか。コミュニティーを再建するにも社会のものの流動化で無理だろう。

2018-08-14

未来のミライダメなところ

育児リアリティ表現したいって言っておきながら、世帯収入庶民からかけ離れすぎてて全く感情移入できなかった。

あんな家を建てておいて、土地の余ってる田舎かなって思ってたら横浜かよ。

完全オーダーメイド木造以外の構造含めると建物だけで5~6000万、無駄土地を広く使ってる分だけ設計除いても1億は堅い。

共働きしてた頃の世帯収入が1000万オーバーは確実で、あの若さを考えると2000万近くないと無理かもしれない。親の金だっけ?どっちにしても妬ましい。

そんな余裕のある生活の中で育児あるあるを見せつけられたって、お説教されている気分にしかならなかった。

証拠に、7歳と4歳の子供連れて夫婦で見に行ったけど、全員共通感想は「なんかずっと怒られてるみたいだったね」だったからね。

そりゃあそんな裕福な生活してれば全員身勝手になりますよね以上の感想がない。

ついでにいうと家の作りが子育てに向いてなさすぎて、くんちゃんがなにかする度に気になってしまってストーリー全然集中できなかった。

おもちゃの部屋に行くために玄関に続く急な階段の横を通らなきゃならないし、生活空間から子供部屋が離れてしまっているからいつ勝手玄関を出ていってしまってもわからない。

玄関扉が子供には開けられない作りなのかと思ったらすんなり開けるシーンがでてくるし、この親育児向いてねーわ。

家の中に危険がいっぱいあるのは仕方のないことだけど、わざわざそういうデザインにしたっていうなら設計士としては無能の極み。

たまにいるよね。ライフスタイル変えたくなくて育児破綻している人。特に余計なお金持っている人に多い。

同じように家の中に危険がいっぱいでもお金がなくて6畳一間のアパートしか住めないっていうならリアルだったなー。

そもそも監督庶民感覚なんてとっくに忘れてるんだろうな。金持ち爆発しろ

2018-08-12

本当に賃金上がったら消費増えるの?

短期間の我慢だったら、ちょっといから今は買うのやめておくか、賃金上がったりボーナス出たときに買おうとなると思うのだが、

長期間我慢した今の状態は、ちょっと上の憧れのライフスタイルなんて、はっきりとコレとコレを買えばよくなるといった商品は思い描けるのか?

ソシャゲガチャに突っ込むのか?

2018-08-09

無職としての学問

 特に文系において、大学研究を取り巻く環境が厳しいので、少し愚痴を書かせていただきたくお邪魔します。

* * *

 研究生活が実生活、ことに家庭生活に対し極度の不安定性を与えることは、今日に始まったことではない。

 例えばかの有名なマックス・ウェーバーによる1919年の講演の中では、「大学に職を奉ずるもの生活はすべて僥倖支配下にある」と語られており、「精神的に打撃を受けることなくこうした境遇に堪ええたためしは極めて少ない」とまで言われている。

 このような状況は、100年の時と洋の東西とを超えた今日日本においても、同様である。むしろ人口減少と学問に対する軽蔑——それはおそらく、ウェーバーが講演の中で強調した、学問がなんの「救い」も「啓示」ももたらさないということを、多くの人々が正しく認識たからに他ならないが——に直面している極東島国の方が、研究生活を取り巻く環境過酷であるといえるだろう。

 博士号を取ったとしても多くの人々には就職先がなく、あっても有期雇用で、しか低賃金であり、長期的な研究生活の途を描くことは全く不可能である

 日本より恵まれ研究環境を有する国、例えば博士課程から給与が出るアメリカや、高等教育がほぼ無償であるフランスの例を持ち出すことは簡単であるしかし、研究生活はその研究者が根ざしている言語文化、あるいは人的ネットワークにある程度は依存せざるをえない。また、他国研究環境は、一部だけを切り出せば外面的には羨望の的になりえるが、実際は、給与と引き換えに研究テーマ選択制限されたり、あるいは無償で得られる研究環境には限りがあったりするのである

 当然のことながら、研究者における研究成果はそれぞれのおかれた研究生活の諸条件に左右されるのであり、それは資本的な制約を大きく受ける理工学系のみならず、人文系についてもそうなのである

 ハンナ・アーレントのように、生地での生活を根こそぎ奪われ、新天地で大きな研究成果を挙げる例もないわけではない。大学官職への道を閉ざされてから活躍したカール・マルクスそもそも学歴のなかったピエールプルードンなども、偉大な思想家としてのちに崇められる存在であるしかしながら、すべての人が偉大な人、指導者のような人、あるいは預言者になることを目指して研究に励んでいるわけではない。実態はむしろ逆であり、陽が当たらない部屋で日がな一日、誰も読まないような古雑誌の1ページをどう解釈するかについて考え、その謎を解けた時に無常の喜びを感じる、そういう人が研究生活に入るのである。そのような、全くつまらないことこそ重要研究成果なのであり、むしろ大きな社会的反響を呼び起こす御宣託が科学的な研究成果とは全く呼べないようなものであることは、ウェーバーの指摘するところであり、歴史が度々証明してくれたところでもある。いずれにせよ、研究生活とは社会的名声や富と全く関係がないどころか、資本主義社会ではしばしばそれらは相反するものとなるのである

 尤も研究者も所詮人間であるからして、研究のものの「客観性」や科学位置付けとは無関係に、それぞれの求める研究生活上のあり方というのは存在する。名声や富を求めて研究に取り組む人もいるのかもしれない。しかしそれは明らかに悪手だ。羽生名人でも挽回できないぐらいの悪手だと思う。

* * *

 さて、反面、家庭生活はまさに「経済」の必要に駆られるところのものであり、十分な収入、定住可能な住居、そして可能な限り多くの家事労働自動化が進んだとはいえなお労働集約的だ)が投入されて、初めて成り立つものである

 収入がないなどもっての外であり、亡命収監失踪放浪なども、家庭生活とは相容れないものである

 歴史を顧みれば、自死発狂、子捨て、虐殺に至るまで研究に身を置いた人々の末路は様々であるが、なんとかしてそのような事態は避けたいと誰しもが願うところであろう。

 できれば平穏無事に、昭和時代理想とされたライフスタイル、すなわち夫婦円満子供と共にマイホームに住み、安定した立場で働き定年後は年金生活という人生を歩みたいところである(これは皮肉である)。

 しか今日の若き研究者は、子供はおろか結婚もままならず、マイホームマイカーも持たず、年金制度破綻を前に怯えながら年老いるのである

 もしあなた結婚したとすれば、それはパートナーの全く寛大な心によるものか、パートナー無知蒙昧で完全に誤った選択をしたかのいずれかであろう。

 さら子供がいるとすれば、当然あなた研究生活放棄するか、あるいはなんらかの安定した不労所得に拠って研究生活と家庭生活の両立を試みねばなるまい。(あるいは、あなたが非常に体制時代に順応的な研究をなしていたとすれば、すでに十分な収入に恵まれいるかもしれない。これこそウェーバーの言った「僥倖である。そういう人には心から祝福を送ろう。願わくば同じような僥倖が数多の迷える研究者たちにあらんことを。)

 多くの研究者たちにとって、結婚出産研究生活首にかけられた縄である

 女性研究者の研究生活性別役割分業的発想や家庭生活に対する支援パートナーから十分に得られないなどの理由によりすぐに縛り首になってしまうが、男性研究者の研究生活も同様に性別役割分業的発想や金銭支援パートナーから十分に得られないことですぐにギロチンにかけられてしまう。

 いずれにしろ他者にとって金にならず有用性のわからない行為としての研究は、家庭生活に直面すると挫折する公算が大きいのである

 だからといって、家庭生活を全く否定してしまうことも困難である穂積陳重来日本の身分法学者は、日本国民の位置付けを次の三つの身分のいずれかあるいは複数に属するもの定義した。すなわち、夫婦、親子、親族である

 しかし、親が死に、結婚もせず、親族との紐帯も弱いとなれば、その人は社会的にも法律的にも、全く孤立した存在となってしまう。

 その人は十分な社会保障の対象にならないことはもちろん、社会生活上の様々な面で制約や不利益を受けることとなる。

 実際上の問題として、社会的要請として家庭生活に入ることを我々は求められており、多くの人はその生活が全く不幸であり耐え難く絶望的なものだと感じていたとしてもなお、家庭生活に甘んじているのである

 当然、研究をしていなければ家庭生活が楽になるとは全く言うことができない。しかし、少なくとも研究生活が家庭生活と激しく対立することであることは自明であることのように思われる。

 あるいは「家庭」という理想像の崩壊高齢者二人世帯や単身世帯シングルマザーの増加、生涯独身者の増加などによって、家庭生活という名付け自体空虚ものになっているという批判があるかもしれない。

 しかし反面で、なお結婚出産経験する人は半数を占めており、「家庭」に代わるほど普遍化された結婚出産を前提とした私的領域生活モデルはいまだに存在しないわけだから、やはり家庭生活という呼称を用い、特に若い研究者たちにとってはそれを重視せざるを得ない現状もあるのだ。

* * *

 収入、定住、家事労働を求める家庭生活は、無収入、度々の転職と転居をもたらし、にもかかわらず時間の余裕を求める研究生活とは、完全かつ深刻に対立する。

 では、この間の解決はどのようにしてもたらされるのか。非研究であるパートナーの忍耐によってであろうか。あるいは研究生活の適度な抑制によってであろうか。

 前者はこれまでの男性研究者がしばしば採用した方法であり、女性人権がない時代であればよかったが、21世紀にもなってこの方法採用しようと思っている人がいるなら、その人は妻を見つけることができないであろう。

 後者方法は、実際には採用し得ないものであり、つまりそれは相撲レスラー炭水化物摂取を控えるとか、プログラマーが1日3時間しかモニターを見ないようにするとかいう話であって、研究生活を「適度に抑制する」などということは単に研究生活否定しかない。

 研究者はその人をして全的に研究に没頭せしめなければ、素晴らしい「霊感」を得られないものである。そうでなければ、特に人文学研究においては、それは単なるジャーナリズムに陥るであろう。

 そして、これもウェーバーと同じく声を大にして言いたいところであるが、そのような素晴らしい「霊感」、今日言葉であれば「イノベーション」などというものは、研究のみならず仕事や様々な形の労働の中でも、それに没頭し専心していなければつかむことの能わざるものであり、行政府が旗をふって労働時間の長短や職業訓練の有無をいくら弁じ扇動しようとも、生まれてこないものなのである

 家事労働ワークライフバランス長時間労働問題は、まさにこの没頭の可能性にあるのであり、特に家事労働時間を細切れにしてしまうために人をして何かに没頭させることを妨げること大であるワークライフバランスも、結局その目的とすることが明らかでないか低賃金かつやることのない中途半端余暇をもたらすだけである長時間労働改善しても、人々が自ら欲するところのものに取り組めるような労働時間の設定でなければ、それが長かろうが短かろうが、人々の不満は変わらない。いくら労働時間が短いとしても過労死は起こりうるし、長く労働していても過労死しない場合があるのは、この理由によるのである

 とにかく、家庭生活の求めるもの根本的に否定しなければ、研究生活は成り立たないのである

* * *

 では、解決方法は何か。家庭生活問題点は、それが夫婦という二者で成立するように想定されていることである。それゆえ、収入と定住を男性が支え、家事労働女性が支えるという構図が出来上がった。

 しかしこの想定は噴飯ものであり、シングルマザーは全て一人でやらざるを得ず、あるいは逆に親族から支援収入不安が軽減されたり、実家を譲り受ければ定住も可能というように、家庭生活の諸条件の実現は夫婦という関係性の外部で決まっていることが多い。

 もし家庭生活に関与してから研究生活継続するためには、家庭生活を成立するためのリソースを外部から調達することが最も望ましい。(逆にいえば、外部からリソース調達できなければ、ついにここで研究生活のお墓を立てるしかない。自分研究というアイデンティティよ、さようなら、と。)

 ただ、ここには二つの問題がある。一つは、リソース調達である大川周明のように徳川家から調達したり、大杉栄のように政治家からぶんどってくることができれば最高だし、あるいは明治時代のように女中を置いたりできれば最高だが、なかなかそういうわけにはいかない。もう一つは、その調達個人能力に帰せられることで、研究能力とは別にそれに取り組む環境規定されてしまうということである

 この二つの問題解決するためには、若い研究者同士で研究生活を支えるための生活ネットワークを構築するしかない。あるところには金がある人もいるだろう、あるところには手が余っている人もいるに違いない。

 どうせ研究生活に勤しんでいる人以外に若い研究者に対して同情を寄せてくれる人はいないのである

 アカデメイアリュケイオンがどうだったかはわからないが、古今東西大学に併設されている寮や大学街(カレッジ)では生活上でも学術上でも研究者のコミュニティ形成されていたはずだ。修道院のようなものである

 いま、若い研究者は官僚主義的な大学制度によって互いに分断され、地方に散住し、有能なもの国外へ出て行ってしまっている。もう最後タイミングである

 いま我々若い研究者が団結して助け合わなければ、この国の研究はすぐになくなる。もし研究のなくなり方が緩やかであれば、日本語で達成された学術的成果を、多少なりとも国際的に、人類のために遺す時間猶予が生まれるかもしれない。あるいは、国外から救いの手が差し伸べられるやもしれぬ。「タコツボ」を脱しなければならない。近くで助け合って生活し、なんなら雑誌なども出して(いまであればブログでいいのかもしれないが)、特に文系では消え掛かっている研究の灯火を、なんとか引き継いでいかねばならぬ。ならぬと思う。

いや、それとももう、研究生活を諦めるべきなのか。

2018-08-01

外こもり(日本で金をためて物価の安い外国で暮らす)とか、最近はBライフ?(小屋で暮らす)というライフスタイルが注目を集めたりしているのを見ると出来る限り働きたくないというみんなの意思をひしひしと感じて良い安心する

年収に応じてライフスタイルを決めて、他の年収ライフスタイルを見せないようにして欲しい

上のライフスタイルを望んでも、階層が固定されてしまって得られることがないのであれば、

同じくらいのライフスタイルの人の中で生活した方が幸福度が高いのではないだろうか。


AmazonGoogle年収管理し、あなただったら、これとこれを買ったら、そこそこの生活ができて、

生かさず殺さずのところで線引されるかもしれないが、幸せではないか

2018-07-20

anond:20180720140844

流行るとかそういう問題じゃないんだよなあ。

環境課題としてかならず移行することになる道。

だってそうだろ?いまどき街灯をガスで灯してるとこないだろ?

から現状で感じる技術課題人類総出で潰していくんだよ。

それこそ、道路をぜんぶ作り変え、ライフスタイルを書き換えるくらいの気勢でな。

それでもここ数百年で人類経験した町並みの変化なんかよりは小さい変化だよ。

anond:20180720122403

http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2009/08/post-b8c3.html

D「ボクは戦争はしてもいいコトだと思っています自分家族が殺されそうになったら、自分は戦います。当たり前のコトです」

カメラマン)「正当防衛ということですか?」

D「ええ、そうですね。それにそれも戦争です。それが戦争じゃないと言えるのですか。」

うじき「それをなくしていかなくてはいけないコトですよ」

D「当然です。それは」

うじき「当然と言っていながら、戦争はしてもいいといっているじゃないか

   父親戦争に行っているということは、ものすごく自分人格人生に大きな影響を与えている。

   大きな影を落として、物凄く大きな影響を与えていつ。

   人生の中のどこかで、もしかして勘違いして、何か突き進んでしまう瞬間があるのではないか。恐怖心がある。

   やっぱり、怖くて聞いていなかったのかナ。

   自分もウチの親父は息子にだけは伝えたくないというコトではなく、後世の人に伝えておきたいという意識はなかったからね。

   自分のやってきたことはね。」

D「(うじきのお父さんは)誰にも話したくないけれど、息子だから話すんだと言っていましたよ。それはどう思いますか」

うじき「そんなコト言っていたの?」

D「お父さんが話さなかっただけではなく、僕らの世代も聞かなかったことも、

   まあ、うじきさんみたいにこうして真剣に聞かれる人もいるけれど、ほとんどの人は聞いていない。うじきさん、がんばってください。」

うじき「なんだ?それ. …ウーン」



ベトナム兵を運んでいる写真を見て、さも米兵が好んで、

楽しんで死体を運んでいるかの様に言っていたが、そうではないと思います

臭いも、飢えも乾きも、写真からは解りません。

うじきには、そういった部分も理解できない様でした。

逆説的になりますが、狂信的な戦争反対を主張するなら、

その前に、自分ポリシーとして、ライフスタイルとして、国民国家世界幸福に平安にするという事に日々活動しているべきです。

それがないのに、戦争反対の主張、それも狂信的なものは、電波を通じて行う資格はないと思う。

うじきが、異常な思考判断をする人であると今回の番組を見て知った。

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