2018-09-11

地方の豊かな自然に親しむ子育て

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20180910/1536574144

地方の豊かな自然に親しむ子育て」って地方子育てをするメリットとして語られるわけなんだけど、それってなんか有意統計的な結果として現れてるものなのかなあ。たとえば、地方の方が都心部よりもいじめの発生率が低いとか、不登校が少ないとか、刑事事件が少ないとか。

寡聞にしてそういう統計を見たことはないのだけれど、印象論で言えば「豊かな自然に囲まれ子育て」って、彼らが喧伝するような「精神的な豊かさ」に、全く寄与してないように感じてる。マイナスの影響があるとまでは言わないけれど、いじめなんてどこでも同じように起きてるんじゃないかなあ。

「豊かな自然の中で子供を育てたい」って、それってたとえば「子供ピアノを習わせたい」なんかと似たような、ある種の親のエゴであって、きつい言い方で言えば、「親が他人アピールしたいライフスタイル小道具として子供を利用しているだけ」ってのはあるのじゃないか。もちろんそれはアーバンライフタワーマンション子育てをしたいってのも、全く同じような意味で、「田舎暮らし」とは別種の「アーバンライフ」っていうスタイルの誇示にすぎないわけだけど、だからこそその両者は、「そんなもの子供にしてみればどの親のもとに生まれるのか選択できないように、結局は生まれた親の趣味で育成される以外にない」という意味等価でしょう。

なんかこう、最近少子化につながる息苦しさの一端は、「子供幸福に導かなければならない」「その意識がない親は害悪である」みたいな強迫観念にあると思うのだよね。いやあ、もちろん、親になったからには子供幸せを願うし努力もするんだろうけれどさ、一方でその努力ってのはいつもどこか空回りで一方的であり、小児教育ってのは洗脳とほぼ同義であるってのは忘れちゃいけないと思うんだよ。

もちろん虐待はゆるされないわけだけど、じゃあどこまで子供に尽くせば合格なのか? みたいな競争を始めると、際限なく子育てハードルが上がっていってしまう(そして実際自分ハードルを上げすぎて自滅して病んでしまう親もいる)。今回の件で言えば「子供を育てるために田舎に(あるいは都会に)引っ越すべきなのか?」みたいなのがそれ。正解を定義するってのは同時に正解以外、つまり不正解定義するに等しい。そこまでハードルを上げれば、ほとんどすべての親が失格になってしまわないかな。そして今生きてる殆ど日本人が「失敗した教育環境製造された人間」になってしまわないかなあ。

ネグレクト推奨という意味ではなくて、子供って(つまり人間という存在って)結局自分でかってに幸せになっていく生き物だよ。周囲の教育環境をキョロキョロ見回して、自分たちを減点主義で採点し、劣等感やら罪悪感をこじらせて結局子供にあたってしまう前に、「まあこんくらいでいいだろう」みたいな落とし所みつけるのが重要だと思う。

  • 子供って、狭い所に閉じ込めると明らかに機嫌悪くなるんだよ。 タワマンの一室で夜泣きの声が隣に響いたら文句言われるとびくびくしながら子育てして、 成長後は足音響くから走り回...

    • その「支障なし」ってのがまさに親の都合だって話でしょ。 自由気ままに家の中で走り回っても制止されない環境で育った子供が、タワーマンションで育てられた子供よりも、人間的に...

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