はてなキーワード: ライフスタイルとは
増田的には旬を逃してしまった感があるけれど、改めて寝る前に。
先日のはあちゅうしみけんのあれはなんとなくおさまるところにおさまった感があって見ている分には非常に面白かったけれど、
しかしあれだね。こういうことも大っぴらに発表できるようになったのは、なんというか人の生き方がホント多種多様になった時代のおかげだと思う。
自由な生き方、上昇志向・キャリア志向・大手企業偏重・大艦巨砲主義などを優先的には求めないフリーダムな暮らし、そんな言葉が巷に溢れるようになって二、三年だろうか。
その考え方がはびこるのを横目で眺めつつうっすら感じていたけれど、皆がそうなってしまうのはある種ドラッグに溺れるようなもんだとこの件で改めて思った。
婚姻にしても就職にしても進学にしても、自由な生き方をする為には自由に生きれる能力がないと、その先に待っているのは破滅でしかないのではないかな。
最初に挙げた彼らにしても、かたやなんだかんだ慶応卒で良くも悪くもブロガーとして名を馳せて色んなビジネスにちょっかいだして、まぁ不自由なく暮らしている才女、
かたやどんな業界であれトップに上り詰めた腕一本(○ニス一本、と書くか迷った)で生きている芸能人。
この2人だからこそ周りを気にせず自分たちの好きな生き方をできたわけで、目立った才やキャリアや貯蓄や各種のギフトがない人達が「自由な生き方」をして、
いったいどれだけの数が報われるのだろうか。
そのまま自分の偏差値にあった進学・就職をすれば地元でまったり過ごすくらいにはなれたのに、自由な生き方を求めて東京に出てきて何者にもなれなかったり、
そのままお見合いすればまぁまぁ平和な縁談で平凡な家庭を作れたのに、自由な恋愛を求めてハードルを上げすぎて独身アラフォーになったり、
そういう身近にあるセーフティーネットを投げ捨てて「自由な生き方」を選択できるほど、皆は自分の能力に自信を持っているのだろうか?
もちろん優れた人がより優れた生活を求めて色んな自由な選択をしていくのは良いことだと思う。けど、ネットに溢れるこういう生き方の表層だけを見て
自分もこうするべき、古いライフスタイルは可能性を殺す、って判断してしまう人って、どちらかというとその選択をするべきではないような人が多いように見受けられる。
多様化結構、働き方改革大いに結構。でもその風潮が下から上まで広まった結果待ち受けているのは、優れた人がより自由になって、優れていない人が
既存のセーフティーネットよりも更に低いところでも手に入るような薄っぺらい自由しか選べない、格差がより広がるディストピアな世界だけだよ。
自由な生き方はあなたの将来に対して驚くべき効果を発揮します。ただ中毒性がございます。体調家庭環境学歴キャリア能力収入をよく考えて、用法・用量をお守りください。
noteのテストを兼ねて。実は退職してからすでに1年以上が経過しているのですが、ようやく書きたいことがかけるようになったと思われるのでいまさらながら退職エントリを書いてみることにします。
TL;DR
文章にしてみたら、自分がどういう環境で働きたいかが整理できました。自分の思考を整理する手段として退職エントリはおすすめです。この文章にはそれ以上の価値はありません。
Safe Harbor Statement
ここに書いた内容は僕から見た一方的な内容であり、辞めたひとバイアスがかかっていることをご承知おきください。近しい人が見れば個人が特定できてしまうような記述がありますが、個人や組織を誹謗中傷する意図はありません。
楽天でのおしごと
2011年4月に新卒で入社。ちょうど6年間、金融関連事業を渡り歩きながらWebエンジニアをやってました。お客様に直接向き合うサービスを作る部署なので、開発も運用もやりました。工程でいうと要件定義/設計/実装/テスト/リリースとぜんぶやりました。役割でいうとリードエンジニアっぽい仕事もプロジェクトマネージャもプロダクトマネージャのマネごともやりました。5年目くらいからいわゆる管理職も兼任してました。
謝辞
やめる直前はとにかく退職することに全エネルギーを注いでいたうえ、決意を固めてからは有給消化という名の出社拒否を行っていたので、お世話になったみなさまにはろくに挨拶もせず退職キメてしまいました。すみませんでした。6年間好きなようにやらせていただきました。自由奔放な僕を多岐にわたり支えていただいた皆様には大変感謝しております。ありがとうございました。
現職について
株式会社ディー・エヌ・エーでお世話になっています。相変わらずWebエンジニアです。素晴らしいタレントに囲まれて楽しくすごしています。エンジニアの裁量が大きく、人材に対するリスペクトを感じます。自由なライフスタイルとマッチします。たのしいです。うぇるかむ。
よかったこと
現職での生活を1年やってみて、良かったなと思うこともまぁ少なくなかったので書きます。
面白いことがたくさん起こる
良い意味でアグレッシブな会社なので、思いもよらぬ業務提携がおこったり、わけわからんくらい事業が成長したり、(その逆もあったり、)「その発想はなかった」的な新事業が勃発したりととにかく様々なイベントに満ち溢れています。飽きることはないと思います。
内定式の直後くらいに英語公用語化がうちだされ、「入社日までにTOEICで○○○点とってきてね(とってこないとどうなっても知らんぞ)」的な脅しを人事にかけられました。おかしいな、ドメスティックな会社を選んではいったはずだったんだが・・・英語ができない子だった僕は泣きそうになりましたが、さまざまなバックアップを会社が提供してくれていたように思います。僕が在籍していた頃は英語が一定のラインに達していないと安くはない代償(労基法との兼ね合いどうなってたんだろう?)を支払うことになっていましたが。僕は強要されないと勉強しないタイプなので、結果的に英語スキルを身につけることができたのは良かったと思っています。
福利厚生が圧倒的にすごい
現職もそれなりに規模の大きい会社ですが、比べてみても福利厚生のレベルは圧倒的です。朝昼晩の食事が無償で提供されてました。会社の建物の中にジム・コンビニ・カフェ・マッサージ・クリーニングをはじめそのまま生活できそうな設備が整っています。研修も充実しています。特に、エンジニアにとって魅力的なのは海外カンファレンスに会社のお金で参加できることです。「いいから行け」的にぶっとばされます。
楽天という会社は中にいても自分たちの会社がどんな事業をかかえているのかわからないくらいにたくさんの事業を持っています。ECや金融が有名ですがそれ以外にも大小様々なサービスがあります。新規事業への挑戦も常時おこなわれています。ライフスタイルも開発スタイルも事業ごとにかなり多様性があり、希望すれば社内異動だけでだいたいのやりたいことをかなえることができます。
お給料が高い
いまでいうとインパクトは薄れましたが、僕が入社した頃はかなり高い水準の初任給を出していたように思いますし、その後もありがたいことに高い評価を頂いていたので(同職種・同年代のなかでは)お給料は高かったほうだと思います。
よくなかったこと
主に辞めた理由です。当然にネガティブな内容なので有料にして伏せておきます。楽天に転職を検討している人とか僕の愚痴をよみたい奇特な方向けです。
エンジニアの扱いがよくなかった
これは部署にもよるのでしょうが、僕がいたところではエンジニアの立場が悪かったように思います。たぶん僕の被害妄想です。とはいえ、現職と比べると圧倒的に裁量は小さかったですし、ビジネス職のメンバーとの関係も良くなかったと感じます。なんでもかんでもエンジニアが悪いことにされる傾向にあったり、筋の通らない理不尽な要求にNOといえるような環境ではなかったとは思います。
僕はたいへん素晴らしい上司にめぐまれていました。そのおかげで好き勝手やってこれたのですが、尊敬する上司の仕事は(僕にとっては)つらそうに見えました。自分が将来同じ仕事をやりたいかなと考えると胃がキリキリしてきて絶対イヤだったので。
社内には外国籍メンバーがたくさんいます。日本語がまったくできないやつも一定数います。そんなエンジニアが日本語のサービスを作っています。わからない言語のサービスを作るというのは大変なことです。間違った言葉が書かれていても間違っていることに気づけません。利用規約に間違った記述があった日には大変なことです。英語が公用語なので、英語が使えても評価されないというのはまぁ受け入れましょう。ただ、かわりに日本語が使えることが評価されるかというとそうではありません。ただ単に日本語がわからないやつの代わりに仕事が増えるだけです。ビジネスの人間は日本人ばかりで英語使わないことが多く、調整系のタスクで忙殺されるのが嫌になったので。
システムのインフラは構築はどこの部署にお願いして、rootが必要なDBの操作はまた別などこの部署にお願いして、それが何営業日必要で、とかシステム開発時の制約とか部署またぐ作業のリードタイムがなんぼとかいちいちめんどくさい上に新しいことをやろうとすると面倒なことがたくさんあったので。
僕が最後に携わっていたサービスが世の中に出たのでちょっとみてみたのですが、平成も終わろうとしているのにjQueryバリバリの2000年台初頭構成のWebアプリが完成していました。僕が置いてきたReact+マイクロサービスなアーキテクチャは無事闇に葬られていました。僕のチームがコミットしていたリリース日よりも10ヶ月遅れのリリースでした。どこからともなくさっそうと現れた「そんな複雑なシステムは運用できない」などとのたまう向上心のなさそうな、他人のアイデアにケチをつけるのがうまいベテラン(?)エンジニアがすべてをひっくり返してしまったようです。(そいつがいかにアレかを13くらいの言葉で説明できるのですが長くなるのでやめておきます)その人物が提示した見積もりは我々がそれまでに費やした工数の3分の1程度だったので、そのとおりに行っていれば去年の夏には終わっていたはずなのですが。そのエンジニアがアレなのは言うまでもないとして、そいつのアレさを見抜けない上長や、IT企業にいながらエンジニアがなにを大事にしているかを理解できずに無茶苦茶な判断をするビジネスの人間に囲まれて仕事をするのが辛くなったので。おかげさまで僕の最後の仕事はその案件で作成したすべてのソースコードの破棄でした。メンバーには申し訳ないことをしました。
退職を決意した最も大きな理由のひとつです。前職最後の人事考課の結果が極めて不満だったので。「どう考えてもこの人達より僕の評価が低いことはないだろう」と思っていた同じ職位の人間よりも評価が低かったうえに、それに対する納得の行く説明も得られなかったので。その当時僕の評価を担当していた上司は非常に管掌が広かったので、いち部下の評価まで細かいことを気にしている場合ではなかったのかもしれませんが。その瞬間この会社に対する信頼は地に落ちました。
半年待ちたくなかった
その後、非公式な場で「評価がまずかったのは申し訳なかった。半年耐えてほしい(※楽天では評価が年2回)」というようなことを何人かの上司から言われましたが、それはつまり「半年待った結果として正当な評価を受けられる」という僕がただ半年間不当な評価を受け入れるだけで、特段メリットがない提案でした。そこに対してどのような補填がなされるかといった説明はなく、耐えた後に得られるものも大したことはなさそうで、しかもそれから半年間の仕事も特段熱意を注げるようなものではなかったので。
朝会という制度がどうしても気に食わなかった
毎週1回(事業によってはそれ以上の頻度で)朝会があります。朝8時からです。そんな時間に起きたくありません。裁量労働だろうがなんだろうが関係ありません。出社しないとどういう扱いを受けるかはここには明言しないでおきます(労基法以下略)。それはヨコにおいておいても朝8時です。内容がつまらないとかではないですが、いちポンコツ社員としては「8時に始まるから7時58分までに出社しなさい」といわれて間に合うように起きることと天秤にかけるほどの重要性が最後まで見いだせなかったので。(というわけで、僕はこの制度が残っている間は絶対に楽天に戻りません。)
応募者に要求している英語のハードルが高い(割に待遇が良くない)ので、優秀な日本人を採用することが極めて難しくなっていたように思います。そのかわり英語はできるけどそれ以外は普通な人物はたくさん応募してきていた印象です。所詮は国内に根ざした企業なので、実務で必要になる英語のレベルはそんなに高くないです。なので英語ができない人のカバーをするのは難しくありませんが、優秀なエンジニアがいないのを何とかするのは極めて困難でした。会社の方針のせいで本当に採用したい人が採用できず、自分が目標にしたいと思える人物・切磋琢磨したいと思える人物が同じ組織に現れず、いろんな意味で先がなさそうだったので。
管理職は向いてなかった
上司からお話を頂いたときは嬉しかったですし、それなりの使命感をもってやっていたつもりでしたが、いま思い返すと管理職の道を選んだのは失策でした。できることは増えましたが当然にやらなくてはいけないことも増えました。僕がやりたいことではありませんでした。とはいえ当時はやりたくないといいだせる状況でもなかった(と思っていました)し、自分のキャリアアップにつながるなら...と打算的なことを考えてもいましたが、僕の考えは甘かったということが後にわかったので。
というようなことを考えていたら働く意欲がなくなったため
以上のような経緯により、それまで持っていたモチベーションが迷子になったので。面白いこともまぁまぁあり、ストレスもある環境でした。「それでも会社が必要としてくれるなら...」と思っていましたが、「お前の代わりなんかいくらでもいるよ」という空気を感じた途端に熱が冷めました。
まとめ
正直、辞めた当時は自分の判断が正しいのかどうかに結構なやみました。勤めていた時はそんなに悪くないと思っていたのですが、現職を経験して思うのはやっぱり楽天はエンジニアがエンジニアリングするのには向いてないということです。社内政治が得意な方にはおすすめです。
オウムがウヨかサヨか、はたまたオタクかみたいなのは今とは時代が違いすぎるのであんまり意味がない。90年代の日本がどうだったかというと、インターネットはまだほとんど普及していなくて一部の人がパソコン通信を使っていたくらい。
国内情勢は、91年にバブルが崩壊したとはいえ、まだまだ好景気が下り坂になった程度の印象だった。頑張れば毎年給料上がるし、きつい仕事はその分手取りも高い。投資家とかだとバブルの見え方は違うかも。一般人は好景気のなごりで気持ちに余裕があって当時の政権にも今と比べて信頼があったように思う。GoogleもWikipediaもスマホもない時代、情報も集めにくいので右翼的な思想も先鋭化しづらかったというのもあるのかな。街宣車は見かけた。
一方で左翼的な思想は、昔学生運動をやっていたような人たちが労働組合や日教組にいて、どちらかというと近寄りがたい雰囲気を持っていた。
多くの人は(米軍基地とか個別のテーマはあったものの)政治の舵取り自体はあまり批判的な目では見ておらず、右でも左でもなかった。それより前の時代はノンポリと呼ばれていたけど、90年代くらいだとそれらはサブカルに飲み込まれていったように思う。これまで同じ人気ドラマを見て同じベストセラー小説を読んでみたいなライフスタイルから、他人がどうであれ自分が好きなものを選んで楽しむことが普通になった。インディーズバンドを聴いたり、カルト映画とか、もちろんアニメも含めマニアックな趣味が細分化していった。とはいえ、ネットで検索できるわけでもないので、当時の普通のアニメオタクよりも今の一般人の方が知識があるくらいで。まあ中には化け物みたいに知識をためこむ人もいたにはいたけど、知識の検証も難しいので不正確な部分もあったりね。
サブカルというひとつの趣味があるわけではなくて、いくつもの細分化した趣味の総体をサブカルと呼んでいた感じ。いまでは考えられないけどフジテレビもサブカルっぽかった。糸井重里もサブカル、景山民夫もサブカル、千葉麗子もサブカル、丹波哲郎もサブカル、そしてオウムもサブカルだった。五島勉のノストラダムスの本もサブカル。
そんな時代。
疲れています。
それから早30年。
あまりに地方暮らしが長かったため、もはや東京出身などとは言えません。
まず、家探しが難航を極めました。
夫の働きやすさ最優先で、職住接近にこだわりました。
そして子供の通学区の選定。
ややこしく絡まり合った諸条件をひも解いていくような作業でした。
引っ越し後の家計をシュミレートした結果、まず車を処分しました。
車が無くても暮らしていけそうなので。
それを皮切りに、今、懸命にモノを減らしています。いわゆる断捨離というやつです。
地方都市でそこそこ広い家でごちゃっとモノを持った暮らしから、
地方の同市内で引っ越すのとはワケが違うし、
なんというのか、ライフスタイルそのものの見直しが迫られている気がします。
それにしても。
なんでこんなに変えることばっかりなんだ。
こんなことしてまで、なんで東京へ行くんだっけ?とか。
ふとそんなこと思ったりします。
いや、まあ、自分たちが決めたことなんで、なんでも何もないんですが。
きっと「判断疲れ」です。
なんか脳が疲れてる。早くこの状態を終えたい。
東京のみなさん。
特別デブな訳でもガリな訳でもないが、ずーっと体重が定まらないまま30年弱生きてきた。
成長期はともかく、20歳あたりからは大体年間5kgぐらいの増減を繰り返している。
原因は明らかで、ライフスタイルだとか運動量の変化とかではなく、単純に食事量が安定しないせいである。
と言うのも、未だに自分の適切な食事量というのが分からないのだ。
大学生のころに色々試してみて、1日3食・毎食腹いっぱい食べるようにしたら5kg増え、朝昼晩こだわらず気が向いた時にだけ食べるようにしたら5kg減った。
それ以降は、それを基準に昨年より体重が増えていれば昨年より少なく、減っていればその逆、というような大雑把な調整の仕方しか出来ないししていない。
まあこの調整を年単位でなく月単位でやれば問題ないのだろうが、自宅に体重計がないので測定は年1回の健康診断のみ。
そもそも食事に気を配るのが面倒だからそうしているのであって、毎月毎月体重計っては来月はこうしよう、などと考えるなんて自分には絶対に出来そうもない。
元から体型にも食にも関心がなく、食事にお金も時間も割きたくないので内容もお粗末なものである。
全て外食なのは言うまでもないが、1人で食べる時は9割方ファストフードかコンビニ飯。酷いときはウィダーインゼリーとカロリーメイトで生き延びている。
ついでに最近は百均のピーナッツがカロリー的に1番コスパが良いことに気付き、そればかり食べている。
別に5kgぐらいならギリギリ服のサイズも変わらないし、今のところ体調も良好なので問題はないのだが、とはいえ三十路を目前にしてこれでは遠くないうちにガタがくるだろう。
しかし改善しなければ、というのは分かっていても、やはり適切な食事量が分からない時点で何をどうすべきなのかサッパリである。
世間一般の人たちはどうやって体重維持してるんだろう?いちいちカロリー計算とかしてんの?マジで?
想像するだけで無理だ。
おそらく彼らは、「自分たちは○○○によってすでに権利を阻害されてきたのだ」と思い込んでいる。自分は全く納得はしないし頭がおかしいんじゃないの?と思うが、彼ら差別主義者の言い分や行動をみているとそうとしか思えない。
(本当は誰かの権利を踏みつけてきた結果不当に得ていただけでしかない)「自分たちが奪われたものを取り戻している」、というのが、彼らの差別を肯定する理由であり原動力なのではないか。
彼らが「自分が奪われた権利」だと思っているものは、自分の力で得たわけでもないし他者の権利を侵害する形でしか成り立っていなかったものでしかない、所詮は"砂上の権利"でしかない。だが、彼らに限らず人間というものは、それが不当で不法で不公平なものであれ、持っていたはずの権利を奪われると腹が立つものだ。
ダイエット的に考えると、「奪われたと思ってる権利」がそもそも明らかにカロリーオーバーだったというか、「権利の肥満状態」だったものが正常に近づきつきあるだけだ、と言ったところで、権利デブのライフスタイルはそう簡単には変えられないだろう。
彼らが主張する自分たちの権利は、本来的には不当で不公平の下敷きがあって成り立ってたものでしかないことや、そもそもキミカロリー取りすぎやからそんな権利デブなんやで?というのを気づかせるには、この「持っていたのに!」という思い込みをまずは何とかしないと、どうしようもない。しかし、そもそも人権という概念が大変希薄なうえに、自分の手に持っているものが減っていることだけには敏感である、それが元々自分じゃない誰かが差別されていた結果得られていた砂上の権利であることに気づくのは難しいだろう。
そういう彼らに人権を説いたところで、自分はすでに腹ペコペコだと思っているわけで(実際は権利デブが過剰カロリーを摂取してただけだが)、池田弁護士の手紙は、パンがないならブリオッシュ食べたらいいじゃない的なものにしかなってないのではという気がする。
「現実」を理解しないまま現実に特攻仕掛けてしまった罰を受けるのは仕方がないことではあるが、よりぐつぐつと不満が煮詰まって先鋭化する層も現れるだろうなぁという暗い気持ちもある。
生活感の無いオシャレな私室とか、セルフィーとかの写真を挙げているフォロワーが4000くらいの自称デザイナーのユーザーがいて、フォロワーは4000人くらいで。確かにオシャレで写真等も統一感あって、意識、自意識共に高い系のツイートとかしてて、セルフィーは頻繁に挙げてて「かわいいですね」とか「美しいですね」とか言われている。ふーんと思いながらヲチしてるんだけど、そういうオシャレ~なライフスタイルの写真と共にフランス語をね、付け出したんですよね。勉強してんのかなあ、と思ってたんだけど、もし本当に勉強をしていたら初心者ですらしないミスをしてて、オシャレなセルフィーの写真にそのフランス語の文をデザインしてトップ画にしているんです。
私もフランス語を勉強している者ですが、なんか、めちゃくちゃもやもちゃする。これ多分グーグル翻訳とかのやつだなあ。。なんで勉強してもない知らない言語を使うのだろう。オシャレに感じるから?かなりオシャレに気を遣っている人なのにフランス語の間違いがめちゃくちゃダサい・・これは言ってあげたほうがいいの?
プライベートのPCは趣味の調べ物をしたり、excelで家計簿をつけたり、ChromeCastで動画をモニタに移したりするような用途がメイン。
iPadも持っているけど、iOSのIMEが使いにくかったり、Bluetoothキーボードも気に入るものが中々無くて専ら閲覧専用につかっている。
仕事で使うPCを探しているうちに、持ち運びやすくて動作の軽いサブPCが欲しくなって調べていくうちに、ChromeBookにたどりついた。
Windowsもモバイル性と値段が比例していくし、ある程度スペックがあってもOSの軽快さはiOSやAndroidには及ばない。
結局は値段の安さとモノの質感が良さそうだからという理由でC101Paを購入した。
結論から言うと、Chromeのタブを直接共有するような動画のキャスト以外は満足の行くPCだった。
電源OFFからの立ち上がりは10秒も掛らないほど速い。キーボードも大きさと値段の割には打ちやすいし、トラックパットもコピペにちょっと慣れが要るもののスムーズ。そしてファンレスで静か。
充電は2つのUSB-TypeCを使える。スマホ用の充電機でも遅くなるが充電できたので、外出時はとても便利。
性能も、Chromeのタブを何十個も開くような使い方はしていないが、特に固まったりするようなこともなく、youtubeを流しながらブラウジングする程度なら十分なスペックだと思う。
当初はPlayストアからexcelでも入れようかと思っていたけど、DropBoxのexcelファイルをそのままChromeからexcelonlineで編集できたので、それも必要なかった。
Googleアカウントを使うので、スマホやPCの環境を引き継げるのでサインインからすぐにいつものブラウザ環境を利用できたのは便利だった。
ChromeOSもAndroidと似通った操作感で直感的に使えたし、読書灯(ナイトシフトの様なブルーライトカット機能)など気の効いた機能もあった。
あと主観だが、IMEが何気に使いやすくてこうしてWindowsで文書を打つと不便さを感じる程だ。
タブレットで良いじゃんという人も居るだろうけど、画面が自立しているクラムシェル型は楽でいいし、年寄りなのでハードのキーボードがあるのは嬉しい。
モノが安いので雑に使っても良いだろうし、壊れてもアカウントを入れなおせばすぐに復旧できる。試していないが、リモートで自宅のPCを動かせるのも便利だろうな。
持ち歩かないので、もう少しだけ大きい画面が欲しくなったし、上記したChromeのタブをキャストする時に気になった微妙なカクつきが出ないようなスペックが欲しくなった。
C101Paは本当に素晴らしいPCなのだけど、私のライフスタイルに合わなかったのだ。
そして、私はあまり余計なものを持ちたくない性分なのでC101Paを手放します。
切り取りだとしてもあの短い発言の中に偏った社会認識をあれだけ詰め込めるセンスはさすが日本会議(もちろん皮肉)
結婚披露宴に出席した際は「必ず3人以上の子どもを産み育てていただきたい」
披露宴では若い女性に対し、「結婚しなければ子どもが生まれないから、人さまの子どもの税金で(運営される)老人ホームに行くことになる」
結婚披露宴に出席した際は「必ず3人以上の子ども→結婚する2人のライフスタイルの強要
披露宴では若い女性に対し→出産と子育ては女性の責任という考え
結婚しなければ子どもが生まれない→婚外子、非嫡出子、シンママ・シンパパでの子育ての否定
人さまの子どもの税金で→社会保障制度全般の否定。自己責任論の強要
老人ホームに行くことになる→介護は家庭で行うのが常識で老人ホームに入るのは寂しい身寄りのない老人のみという偏見
おまけにこの老害、同性婚にも選択的夫婦別姓にも大反対しているってか。
まじで「同性婚を認めたら少子化を促進する」「選択的夫婦別姓は日本伝統の()家族観を壊す」とか思ってんだろうな。