はてなキーワード: セミプロとは
インターネットって便利ですね。
たぶん誰にでもできる。絶対できる。というわけでご紹介。
【レシピを調べる前の前知識】
便利だぞ。
・分量は守ろう。
ここに曖昧な分量について詳しく書いてあるぞ。
http://temaeitamae.jp/top/t8/pit/04.html
鮮度が良くて、旬なもの使うと、
結構あるので買わないようにね。
・調味料も(できたら)こだわろう。
ただ手に入りにくかったり、癖あったりするのもあるから、
この記事見て買ったわけじゃないけど、
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO55638500Q3A530C1000000/
【レシピを探そう】
調べているんじゃないかな?あとは、そもそも使いたい食材さえも
思いつかない場合。そのどれかかと。
試してみるよろし。
そこで、まず参考にするのはNAVERまとめ。
良い感じにまとめられてたりする。
例えば、サンマとかだったら
作りたいメニュー名を調べましょう。
http://matome.naver.jp/odai/2137691890166807101
思ったら次のステップ。
(めんどくさかったら、このままNAVERの
レシピ使っても良いけどね)
作りたい料理名が解ったら
なんもビビらなくてOK。
http://cookpad.com/recipe/1585006
http://erecipe.woman.excite.co.jp/detail/0b3928d6703942c9e4a79bae8f50cd56.html
https://chefgohan.gnavi.co.jp/card/detail/243
こんなんが出てくるので、見比べて自分で
作れそうなのを試してみる。
説明が丁寧なのが特徴。ごく稀に難しいの混じってたりもする。
誰でも上手に作れる。
ほんと、ビックリするくらい何でも旨い。
だとちょっと辛いかも。とは言え、
とにかくお手軽にぱぱっと1~2品みたいな
レシピがやたらと充実している。
結構転がってる。
http://www9.nhk.or.jp/gatten/recipes/
本当に再現度が高く失敗しない。
これを覚えておこう。なんで美味しくなるかの
という感じでレシピ探してみてください。
<レスポンス多かったので追記>
結構参考いただいてるようなので、
もう少し追記したいと思います。
・クックパッドはどう使うの?
多くの飯マズを大量に排出している原因の一つは
きわめて解りにくく、基本を身につけにくい所にある。
料理上級者がつかうと良い。
例えば、先ほどの例の「さんまご飯」だとすると
http://cookpad.com/search/%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%BE%E3%81%94%E9%A3%AF
・梅干しいれている。
など、実験例が色々と出てくる。
これらを参考に、
ナンプラーもありだな」とか
そういうアレンジの参考に使うのが正しい使い方だと思う。
ただの、アレンジ飯マズになるのでやっちゃ駄目だぞ。
佐野研二郎氏盗作疑惑について(学生個人の意見です/2015年8月23日時点)。
彼はご存知の通り多摩美術大学のグラフィックデザイン学科を卒業し、現在はアートディレクターをやりながら多摩美術大学統合デザイン学科の教授も務めています。
実際には、まだこの学科自体設立から2年目で、佐野教授自身が講義を行うことは今までにほとんどありませんでした(というか、私はまだ彼の講義を一回しか受けていません)
統合デザイン学科は、多摩美の本キャンパスとは別の上野毛キャンパス(世田谷区)にあります。
学科長はプロダクトデザイナーの深澤直人教授で、そのほかに、ウェブデザイナー・インターフェイスデザイナーの中村勇吾教授、HAKUHODO DESIGNの永井一史教授、そしてアートディレクターの佐野研二郎教授の4人と統合デザイン学科専任の講師や先生で構成されています。
現状、学校によくいらっしゃるのは深澤直人教授(統合デザイン論)と中村勇吾教授(メディア技術概論)で、あとのお二人は統合デザイン論に前期で一度講義をしたぐらいです。3,4年から講義が「プロジェクト」という形態に変わり、そこで教授別にクラスが再度編成され、たぶんそこからお二人もがっつり学校にいらっしゃるようになるはず。
世間的に言えば「つぶしのきく」学科だと思われがちなのですが、実際には「デザイン・ベーシック」つまりデザインの基礎を最初の2年間で徹底的に教わり、そのベースを生かして次の2年間で社会的にローンチできるプロジェクトのデザインを学んでいきます。具体的には現在、グラフィック・プロダクト・インターフェイス・描写などの必修と、そのほか選択を受けています。教授の顔ぶれをみてわかる通り、細分化されたデザインをあらためて"統合"することで、「これからのデザイン」に特化した人材を育成する学科です。現在、デザインそのものが非常に広い意味をもつようになり、そんな時代において「グラフィック」や「プロダクト」などに特化しているだけでなく広い知識と経験を持った人材が必要とされています。一見デザインとは直接関係のないようなこと(たとえば佐々木正人さんによる『アフォーダンス』の講義)や、表面的なグラフィックの造形技法からCADを利用した立体物、Webやメディアアート作品などに応用されるプログラミングなどいろいろな技術を学ぶことと同時に、それに付随する感覚みたいなものも学習しているように感じます。実際、そういった感覚みたいなぼわっとしたものが現場で役立つこともあり、領域の垣根を越えることでみえてくることや繋がることもたくさんあります。
(武蔵美の基礎デザインとどう違うのか、と聞かれることがあるのですが、基礎デとは根本的に近いはずです。学科長は原研哉さんで、そもそも深澤教授は基礎デザイン学科の教授だった)
(とにかくやることが多いので、課題の量は半端ないです。たまに自分がなにやってるのかわからなくなります。あと先生たちもまだどのくらいの量の課題を出したら学生達の生存に関わるのかをよくわかってないっぽい。勘弁して欲しい。)
先ほども言った通り、まだ学科が生まれてから2年しか経っていないので、3,4年を経験した学生はいませんし、卒業生もいません。だから、就職先のデータもなく、倍率はそこまで高くないのですが、統合デザイン学科特有のコンセプトに魅力を感じて、たとえば多摩グラ受かったのに蹴ってこっちに入学したり、試験内容が東京藝大のデザイン学科に似ているところがあるので(平面構成)そこを目指す人たちが受けたりすることもあるみたいです。
〜〜
ざっと学科についてはこんな感じです。詳しくは学科のサイトをみたり、各教授のNHKプロフェッショナルとか本をみたりしてみてください。デザインに興味のない人でも、おもしろいと感じる点はきっとあると思います。
さて、たぶんこれを読んでるみなさんが一番興味があるのは佐野研二郎さんについてだと思うので彼の話題に。
関係ない話ですがエンブレム発表の前日に佐野教授と現場の手伝いに行った視デの友人曰く、めちゃくちゃ笑顔だったようです。彼自身、亀倉雄策さんのオリンピックエンブレムがかなり好きで、それを(いい意味で)引用して新しいエンブレムを作り出し、それが選考で選ばれたんだから、嬉しくない理由がわかりません。
最初に自分があのエンブレムをみたとき、直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムとは一線を画すような新しいデザイン、新しい東京のイメージを担ってくれるような力強いものに感じました。そしてそれと同時に、あ、きっとこれ佐野さんのデザインだ!と思いました。たぶんそう思った要因の一つに、中央の「黒」の棒の部分があります。完全な黒ではありませんが、こういったエンブレムで無彩色の黒を使うのは一般的にはわりと暴力的で結構批判もきそうだなと思ったのですが、そもそも佐野教授自身黒色を多く用いることで有名なので納得がいきます。たとえば、「統合デザイン学科」のロゴやその周辺のデザインはすべて白と黒で形成され、学科の、現状では異端であるもののそれがこれからのベーシックになっていくはず、という考えや、力強い勢いを感じられ、学科の学生の多くはこのデザインを気に入っています。他にも東京国際映画祭のロゴをはじめ黒を多用したものは多く、今回のエンブレムに関して喪章だなんだと言われていますが、まあそういうネガティブなイメージで彼がデザインしたということはないかと思います。
造形的にベルギーのデザイナーのエンブレムと似ているということで炎上していますが、擁護派の皆さんが言っている通り、ああいった幾何学図形を利用したロゴマークである限り、なにか他のデザインと似てしまうのはしょうがないことです。というか、そもそもロゴの本とかをみると似ているもので種類分けされているぐらいです。造形的に似ているからといって、そのなかにあるコンセプトは異なります。造形的な点のみで「パクリ」だと決めつけてしまうのは、あまりにも強引なのではないでしょうか。今回のエンブレムは、エンブレムとしてのオリジナリティよりもその拡張性や普遍性を追求した、シンプルで力強いものだと感じています。
さらに、ベルギーのデザイナーはそのロゴを商標登録していないとのことです。となると、エンブレム側にまったく問題がないと言っても大丈夫なのではないでしょうか。
記者会見で佐野教授が感情的だったという話がありますが、もともと彼は自分自身でも「おれはキレキャラだ」とおっしゃっていたり、講義中に実際にキレてくれたりするので、まあ無理はないかなと思います。余談ですが彼は最近藤子・F・不二雄関係の仕事が多く(映画やTOYOTAの広告の成功から)、ドラえもんミュージアムにあるレストランで新聞広告用の写真を撮りに行った際「ジャイ子の“ハット”シュッドビーフ」がもう販売中止ということを聞いて、レストランの方に無理を言ってその場で作ってもらい、その写真を新聞広告に載せメニューを復活させたという逸話があります。好きなものに対してのオシは誰よりも強く、普段から感情的にはなりやすいような人なのだと思います。 http://fujiko-museum.com/blog/?p=18605/
このエンブレムに唯一問題があるとすれば、なんとなく「高揚感」が感じられないところです。ただ、それは佐野教授に問題があるのではなく、それはこのデザインをたくさんの候補の中から選んだ選考委員に問題があるのです。他に、もっと「オリンピックらしさ」があって、高揚感の感じられるデザイン案なんていくらでもあったはずです。
その選考が一般的な選考会の方式をとっているのであれば、いまいわれている佐野さんのデザインだから特別に選んだということ憶測もありえないのではないでしょうか。基本的に選考は名前を伏せるはずだし、原研哉さんや葛西薫さんをはじめ他にも応募した有名デザイナーはたくさんいらっしゃいます(応募基準も厳しい http://www.fashionsnap.com/news/2014-09-19/olympic-tokyo-emblem/)。
これについては、一人のデザイナーとしても、いち仕事人としてもありえない行為だと私は思います。まったく擁護できません。佐野教授の下の人がやったとしても、「佐野研二郎デザイン」と書いてしまったからにはそれなりに彼にも大きな責任が生じるし、そもそも画像からまるごとトレース(というよりコピペ)するのはまさに「パクリ」で間違いないと思います。いかに制作環境が劣悪だったかがわかります。一般的なデザイナーであれば、なにかをトレースする際、そういう素材の揃ったサイトに月額とかでお金を払って利用したりしていることがほとんどかと。こんなやっつけ仕事でお金がもらえるなんて、純粋に「いいなー」と思いました。バレてよかったですね(今後のMR_DESIGNのためにも)。
ネット上では、佐野教授周辺の関係図みたいなものが話題となっています。審査委員が同じだとか、広告代理店が牛耳っているだとか、いろんな話があります。つまり、デザイン業界は身内のなかで行われているということです。残念ながら、それは確かにあると思います。業界内で評価するシステムというのは確かにあるし、長嶋りかこは彼の直属の後輩です。
自分の話になりますが、私は実はまったくデザイナーになりたいと思っていませんでした。多摩美の、統合デザインに入りたいと思ったのは、まさにそのコンセプトに魅力を感じたからです。深澤教授のおっしゃっていた「いいものを触った時、『これがほしかったんだよね』と人は言う。本当に欲しい物のかたちは、すでに決まっている。」この言葉が、デザインのみならず広い意味で今後の「デザイン」に応用できると思ったのです。だからいまでもグラフィックやプロダクトをやりつつもそれが最終地点ではなく、デザインという思想や考え方をあらゆる事柄に応用していきたいと考えています。そういうことを学ぶには、ぴったりな学科です。そして受験勉強をするために、予備校に通い始めました。そこの授業ではあらゆる有名デザイナーの作品が取りあえげられるのですが、その中にはどうしても理解できないものもありとても悩んだこともありました。もしかしたら、そういったもののなかには現在問題視されているような業界内評価システムの土壌でうまれたものもあるのかもしれません。
一般人に受け入れられにくいデザインは、果たして優れたデザインと言えるのでしょうか。なにをもって、ただのデザインは優れたデザインになりうるのでしょうか。その答えはまだ私にはわかりません。
いま、どんどん新しい「パクリ疑惑」のデザインがネットユーザーによって見つけられてきていますが、デザインの歴史が深くなり文脈が形成されていくと、そこには明らかな引用や模倣も増えていきます。それはどんな文化でも同じで、音楽なんかもそうです。デザインもスタイルであり、継承されていくものなのです。だから、造形的な面でなんでもかんでも「パクリ」と決めつけられてしまうと、デザインの歴史が続いていくことそれ自体を否定することと同じになってしまいます。なにかから影響を受け、文脈が形成されていくことを「パクリ」の一言で否定しないでください。
今回の件で佐野教授に問題があったことも明確になりましたが、一方で、彼の講義を受けていたからかもしれませんが、とてもじゃないけどオリンピックのエンブレムにおいて彼は雑な仕事をするとは思えません。
亀倉雄策の仕事で一番好きなのは1964年の東京オリンピックのエンブレムだ。シンプルで力強く、唯一無二のデザイン。いつの日かこのようなシンプルで骨太な仕事がしてみてみたい、と思うようになった。ニッポンを、世界を、あっといわせる仕事。一生に一度でいいからそういうデザインをしてみたい。シンプルであること。明快であること。太くあること。Simple. Clear. Bold. ある日から僕のデザインの指針となった。デザインとはなんだ。デザインにはなにができる。そういう自問自答を繰り返した。(中略)目の前の画面は世界に確実につながっている。デザインはシンプルで深い。考え、それを超えるべく手を動かし、また考え、また手を動かす。邪念はいらない。デザインは思想だ。簡単に。深く。明快に。太く。でも簡単に。ストレスはある。でもいつも朗らかである。そういうデザイナーでありたい。デザインの道はまだまだ続くのだ。負けない。僕には亀がついている。亀はゆっくり、確実にやってくる。
エンブレムの問題とトートバックの問題は根本的にまったく異なるものです。そこを一緒にしてしまうことが、今後のデザインを殺すことにつながりかねません。
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・エンブレムについて、おそらく審査員も彼の作品だと見ただけで分かる人もいたかと。黒を使用したこと、そしてあのTOKYO 2020のフォント。あれは東京国際映画祭のロゴでもおそらく使用していましたし、彼のデザインだと一目でわかる点でもあります。正直、あのフォントが幾何学図形を用いたあのデザインにとって最も理想的なフォントであったとは思いません。
・学生じゃないだろみたいな意見をみて「いや学生ですけど・・・」と匿名なりに思ったりしたしそれを証明できないのもなかなか悔しいのですが、多摩美術大学統合デザイン学科の学生です。「業界の端っこにいるみたいな気分になってる時点でこの界隈の闇を感じた」美大って、セミプロみたいな人が集まるんだと思います。それは、一般大学とは別の特殊な試験内容が課せられるからで、それをクリアするために誰しもある程度のレベルの状態で入学してきます。そういった意味で、業界の端っこみたいな感覚は私自身拭えない点です。生意気だと思われてしまったら、申し訳ないですが・・・。
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・ベルギー側が商標登録していないためエンブレム盗用疑惑について私は「まったく」問題がないと書きました。著作権がある、ということだけでエンブレムとの類似性を訴えられるのであれば、本当にどんなデザインでも訴えられてしまいます。商標というシステムは、そういう意味でも機能している。ただ、自分自身勉強不足でもあるのでもっと調べてみます。 http://ipfbiz.com/archives/olympiclogo.html たださっき調べたら、東京オリンピックのエンブレムもまだ商標登録が済んでいないとのことで・・・w
・佐野教授への評価は、私自身、下がりました。学生ごときが評価とかなにを偉そうにと言われるかもしれませんが。こんな仕事をするひとにはなりたくないな、と純粋に思いました。トートバックのような小さな仕事でも、しっかりと制作しなければ、大きな仕事、つまりオリンピックエンブレムのような仕事もダメになるというか、結局ものをつくるときの姿勢ってそのひとの評価やデザインにもちゃんと反映されるんですね。この一件はデザイナーや関係者、それを学ぶ学生、もしくはいままでデザインの外部にいたとされていた人たちにとって、デザインとはなんなのか、パクリや模倣とはなんなのか、そういったことを知り考えるきっかけとしては良い機会になったと思うのです。だからこそ、そこで歪んだ考え方や間違った見解が社会に浸透していくことは、できるだけあってはならないことだと思います。なにが正しくて、なにが間違っているのかすらよくわからない時代ではありますが。
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・多摩美情デに関する批判は完全に話題から脱線している内容であり、改めて読んでも全く的を得ていないものです。訂正しお詫びします。大変申し訳ありませんでした。
・ご指摘の通り「在日」や「売国」などに関しては一部のネットユーザーが根拠のない事実を拡散しているだけだと認識しています。この一件を複雑化させるだけだと感じたので訂正しました。
自分も別ジャンル(世間ではとうに終わったとおもわれている)で経験あるのでいうけど
それはある! 人気ジャンルだ、見てくれる人がどこかに必ず居るジャンルだとおもえばやる気もおこる
万が一見てくれる人が自分よりずーっと上手くて接点なかったはずのセミプロ級の人かもと思うと自分も力量を磨く気になれる
そこから他のジャンルに移動しようとしても自分の中に空いた穴にぴったりはまる形のものはそうそうなくて
(偶然のタイミングの積み重ねでこそ燃え上がるって部分がある。ちなみにカンコレは自分は全然だった)
10年くらい小さいパーツをこれでもないあれでもないとはめてみたりしている
でもそれは自分の中から情熱が湧いてるんじゃなくてこたつに入ってちょっと暖まってるだけ
(おそらく、人気ジャンルイェーイしてるときも全員がキラじゃなくて、サポートにまわってる人もいたんじゃないか)
そうこうしてるうちにまたドカーンってくることがあるかもしれない
☆矢みたいに20年後のリバイバルもあるだろう
あ、あと女性向けかけるなら刀ラブに移行してみたら。
システムほぼ同じだけどところどころ違うしまた初心からやりなおして自分の中を見定めれば。
と慰めてはみたけど
http://matome.naver.jp/odai/2142215556611676701
https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/559165294556377088
自分で歌えなくて人脈もないような人達にボカロが重宝する理由はわかるんだけど、
タイアップもらってるような人気も実力もあるボカロPなら実力のあるボーカル募集するくらいいくらでもできると思うのになんでキンキン声のボカロにいつまでも固執するんだろう。
ボカロPが作曲した普通のアニソンなんかはボカロ嫌いな私が先入観込みで聞いても良い曲と思えるような曲がたくさんあると思う。
多分今のボカロ界隈にはセミプロ以上の人が山ほどいて、ニコニコのVOCALOIDカテゴリにはこういうレベルの良い曲がいっぱいあるのは多分間違いないと思うんだけど、
それを歌ってるのが全部キンキン声のボーカロイドかと思うと辟易するというか本当に勿体無いなぁと思ってしまう。
「小説家になろう」とかいう小説投稿サイトではキモヲタが異世界転生する話とかニートがハーレムを作るような話ばかり脚光を浴びるから実力のある人でもそういう方面ばかりに媚びだしてしまうとかそういう現象と似たようなもんなんですかね。
国語のリーディングが極まってくると、共感覚的な何かに触れることって、あると思う。
身近な例で言えば、
・小説を読んでいると、リアルに音声(会話だけでなく、砂利道を走る音、ざわめき、等々)が再生される体験をしたことがある。
・文章を読んでいるとき、ふと気づくとあり得ないような速度でページをめくっている。ものすごく集中しているとき。そういうときは、
どうやら、一語ずつを目で追っているのではなく、それを書いていた筆者の「意識の流れ」のようなものを追体験しているみたいな感覚。
・短歌とか俳句に、ときどき「あり得ないほど」感動する。一瞬で映画を全部体験するみたいに、一瞬で感動が押し寄せて、去っていく。
・びっしりと文字が書かれた書類の一箇所のふっとした誤字に一瞬で目が止まる。「多分この辺にあるだろうな」と思ったところに誤字がある。
音楽で不協和音が一瞬にして感知できるように、言葉の波の乱れが一瞬で感じられる。
…などなど。せいぜい「セミプロ」クラスくらいの自分でもこういった感じはあるので、多分「プロ」の人なら、もっとすごいエピソードがあるんだろう。たぶん。
http://anond.hatelabo.jp/20140905013559
好みの女の子に当たるまでに金がかかってるって話ですけど、金を使ってもいいなら風俗じゃなくて出会い系サイトもいいですよ。
みたいな感じです。
デリヘルの新人の素人みたいな反応がいいって話だから(3)がおすすめ。(1)は風俗に行くのと変わらないし(2)はオッサンでイケメンでもない自分には無理だけど(3)はなんとかなることがあります。
(1)(2)(3)の見分け方は希望するの男の年齢で。彼氏を探してる(2)は自分に近い20代の男を希望していて、(1)と(3)は20代前半から40代後半とか、ほぼ年齢制限をしてません。
(1)は頻繁にアダルトジャンルの掲示板で相手を募集してるしプロフィールの興味あるジャンルに「割切り」「大人の交際」みたいなフラグを立ててます。
(3)は(1)の逆で、アダルトジャンルの掲示板には書き込まないしプロフィールの興味あるジャンルも「メル友」「グルメ」「悩み相談」みたいな感じです。
で、誘い方ですけど(3)に「こんど会えませんか? お小遣い5万円です」みたいなメールをだして、無視しないで「なんで私に?」とか返信がきたら、粘り強くメールのやり取りをして説得したらけっこう会えます。
(即答で「会います!」って返事が来たら(1)の可能性が高いから、こういうのはスルー)
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このまえやっぱり5万で誘ったら「私は援助交際はしてません」とか返事をしてきた女の子がいたから「食事しない? 3万くらいで」みたいに誘ってみたら「食事だけならOK」という返事だったので、会ったらホテルまで行けました。
3万円を前払いして、食事をしながら株で儲けた話とか金持ちの交友関係の話とかして金持ちアピールしてから「これからも会ってくれない? お小遣いは月15万で月に一回か二回くらいのデートみたいな感じで」って言ったらOKで、その場でホテルに誘ったらそれもOK。
金は予定になかったから現金を持ってきてないし、次に会うときでいい? って言ったら、女の子はもう行く気になってるからそれでもOK。
自分は着てる服はユニクロだし、車は大衆車だし、普通に考えたら絶対金持ちには見えないけど、学生で社会経験とかないとこんなウソに騙されちゃうんですかね。
帰ったら、出会い系サイトでその子をブロック。話の流れで電話番号を教えることがるけど、電話も着信拒否。
3~7万とかちょっと出費がかさむけど、スレてない素人っぽい女の子とセックスできます。
で、出会い系サイトで(3)が期待するようなほいほいお金をくれるお金持ちのオジサマなんて見つかるわけがないし、実際そんな甘い考えの女の子も少なかったんだけど、自分が利用してる出会い系はiPhoneアプリを出したみたいで(3)のタイプがけっこう流入してきて面白いことになってます。
割と仲良くしていた子が、飲み会に呼んでくれなくなった
彼女が企画した飲み会を、二回連続キャンセルしたのを根に持ってるのかなと思ってる
でも、どっちも仕方ない理由だったし、ちゃんと伝えたんだよね
人数が多いから直前でも大丈夫だと思ったんだけど、二日前にはメールした
そしたら、新婦の子も幹事の子も「了解です。お仕事がんばってね!」みたいな軽い返事で、全然気にしてない風だった
二回目は女子会で、習い事(セミプロで真剣にやってる)の用事が入っちゃって「遅れるかも」って連絡したら、幹事の子からは「到着時間が分かったら連絡してね」って
結局長引いて二時間以上遅刻になったから、泣く泣くキャンセルした
でも、コースで頼んでるわけでもないし、5人はいたから、その子に迷惑かかってないはずなんだよね
なのに、それ以降、まったく音沙汰なし
相変わらず飲み会はやっているみたいで、わたしのこと仲間外れにしてんだなってちょっと嫌な気分になる
私は、察してほしいは甘えだと思ってる
キャンセルが嫌なら嫌って、はっきり言えばいいじゃん
増田文学にセミプロも作品発表意欲の高いアマチュアもいねえだろ。
もっとふさわしい場所があるし、そういう感じの増田みたことない。
こう、釣り記事とか真面目派とかの文体が文学っぽい時に周りから言われるだけで、自分でそれを書いてるつもりは多分無いと俺は思ってる。
1)論破厨
特徴:
自己承認欲求が強く、満たされていない。そのため論破して下を作りたがる。好戦的な性格。
2)正論厨
特徴:
正論をかざすのが好き。物事の表面や全体像しか見ていない。楽天的。やや権威的であり頑固。
3)現実主義者
特徴:
正論厨と対立しやすい。現場ではこうだろという目線から、現実的な話をしてしまい、正論厨から嫌われる。<4.4追記>現状追認を好み露悪的。やや視野が狭い。
4)夢想家
特徴:
ニートや学生や主婦に多い。正論厨と仲が良い。正論厨と違うのは現実主義者の意見を「そういう世界もあるのか!」と感心するが、自分の身近なものとは認識できず、自分には不幸は起こらないと信じ込めること。時々、否定されると激しく噛み付くことがある(自分の世界観が強い場合がある)増田の中で反対意見が多くなり、劣勢になると、自演乙とか、洗脳乙と言い始めやすく、逆に自演によって自分の世界観を擁護し始めることもある。場合によって成り済ましも多い。一般社会では普通にしてると人当たりもよくいい人が多い。
5)釣り師
特徴:
孤独感が強いのか、極論を投げるのが好き。脈絡がなかったり、論理的にわざと破綻させたりする。自演やバカ、クズなどの発言が多い。いわゆる構ってちゃん。
特徴:
悲壮感のある投稿が多い。現実主義者と相性がいいが、リアルにはポジティブで外交的で友達が多いことが特徴。その点現実主義者とは違う。ただ、根っからのポジティブではないので時々吐き出すために増田を使っている。人生を楽しめないちょっとかわいそうなタイプ。でも友達にしておくと良いタイプ。
7)真面目
特徴:
所詮は増田は匿名で語り合うだけの場であるにも関わらず、社会勉強の一貫に思っていたり、問題提起をしたつもりになっている。夢想家とつるむことが多いが、粘着気質がなく、ほとんどトラバやブクマもせず読んでいるだけ。夢想家はしつこく主張(というか自分の世界観を防衛)するので、行動は違う。
8)毒吐き厨
特徴:
単に日常の鬱憤を言い返せないから書き込むだけ。社会的弱者がほとんど。単発的であり、常駐はしていない。Twitterの匿名アカウントに類似の厨が多く存在する。
9)変態(ムッツリ)
特徴:
変態のくせに日常生活ではオープンにできない。だから増田となる。あまり他の文章は読んでいない。
特徴:
人畜無害。草原で言うとシマウマみたいな感じ。今日はスーパーでなんだったとか、そんなレベルの感想。たわいのない会話をする相手を持つと、聴く方もやらないといけないので、増田に書くことにした人。
特徴:
世間の反応を試してみたいセミプロと、頭の中がポエムで構成されていて増田文学になってしまうもので構成される。
特徴:
7の真面目と対立しやすい。増田を娯楽、遊び、暇つぶしと割り切っており、一般的な良識のある人間が多い。リア充か、遊んでもらえる相手がいない寂しがりか。
ただし、時々ユーモアのあるトラックバックをつけることがある。増田の発展には欠かせない。真面目以外には敵はいない。
13)通り魔
特徴:
相手は誰でもよくて噛み付きたくて仕方ない。ストレス発散を目的に読んでそうな相手にとにかく噛み付く。性格が悪く、周囲からも嫌われてるタイプ。
14)改変コピペ厨
特徴:
正論厨に類似。自分の正当性を説得できないため、一般論かのようなコピペを用いることによって説得を計る。
2chまとめをつくるやつのように、コンテンツを生み出す能力がなく、かつ権力もないために、そういうセコいことに走って自己満足をもとめる。通り魔や論破厨に絡まれやすい。
ブクマあたりでははてな村ネタとして消費されてるようだけど、似たようなこと時々考えてるのでマジレス。
とはいっても、俺は小説書いてるわけではなくて趣味で楽器弾いてる立場だから少し前提条件が違うかもしれない。それはあらかじめ承知してもらった上で読んで欲しい。
で、結論からいうと、あなたが斬新な発想が失われたと思っているのは別に「はてな」に出入りしているのが原因ではないと思う。単にあなたが大人になったからだよ。
ゲスパーを承知で言うと、あなたの若い頃の作品が「セミプロに近い実力」であったとしても、そこからプロのレベルに至るまでには見た目よりずっと大きな断崖があったはずで、あなたは現在その断崖にはまるべくしてはまっているだけだと思う。
例として、クラシック界では題名のようなことが言われる。全く当たっていない訳ではない。上手な子供はレッスンの課題で小学校高学年ぐらいでモーツァルトなんかを次々与えられて、なかなか魅力的な演奏をしたりする。一方で、超絶技巧の難曲を弾きこなす音大生に、古典的で簡素なモーツァルトを弾かせてみると機械的で散々な演奏になることもまたよくある。そうでなくても音大生の演奏って力任せで面白くないことが多い。結果、このあたりの曲には音大を卒業してからも苦手意識を持ちっぱなしという人が意外と多くて、巷のピアノ教師なんかじゃ、40代とか50代になってはじめてモーツァルトのような古典的作品のすばらしさがわかった、なんてことを言っている人が意外なほど少なくない。だいたい、中高生あたりの間にプロになるための修行に着手したあたりで、この辺の作品は練習課題にしか見えなくなってしまったりするらしいんだね。
ただ、聴き手の立場で言うとこれは理解に苦しむ現象ではあるんだ。モーツァルトって純粋で単純素朴みたいに言われるけど、聴いていて触発されるのは、憂愁とか諦念とか憤慨とか、なかなかどうして複雑な「大人の感情」も多分に含まれている。子供がこの辺の感情を消化して表現できることなんて到底できない以上、子供がどれだけ上手に演奏したって限界があるんだよ。
じゃあ子供がどうして音大生よりもマシな演奏をすることがあるかというと、逆説的だが子供は「何も考えていない」からだ。ちょうどあなたが超自然的なものについて突き詰めて考えずに感性で処理していたのと同じようなもの。そうすると、わからない部分は「適当」に弾くことになる。しかしモーツァルトの作品は音楽的に無理がなく自然に作られているから、「適当」でも一応それなりに形になってしまったりはするし、それを聴く大人は「深み」を勝手に読み取ってしまって、子供の演奏を褒めてしまったりするわけだ。実はその演奏にあらわれた「深み」は全部作曲者のおかげなのにね。
ところが音大生は違う。歳を食ってしまえば、怖いもの知らずでもはや「適当」になんか弾けやしない。一見なんてことなさそうな作品なのに、あれこれ試しても本質に触れた気がしない。だからこそ迷う。悩む。その結果何もわからなくなり、技術と理屈だけで無理押ししたような演奏になってしまう。そして聴き手からは「子供の方が上手だ」と酷評されることになるわけだ。
でも、これって退歩なんだろうか?違うよね。子供時代の、曲に乗っかっただけの「適当」な演奏が、自ら曲のよさを引き出す成熟した演奏に進化するまでの過程には、「曲に振り回される散々な演奏」という段階をどうしても通らなければいけないということでしかない(もちろん、その辺をあっさりクリアしてしまう人もいるのだけれど、そういう人は並以上の才能に恵まれていた一般化できない存在であることは明らかだから今はおいておく)。
あなたの今の状態って、そういうことじゃないの?「作品」という表面では長いスランプかもしれないけれど、あなた自身は過去より確実にものを理解できるようになった(「はてな村」がそういう訓練の場として適切か、についても言いたいことは大いにあるがこれも今はおいておく)。この状態で元の場所に引き返そうったって、戻った先に進歩があると思う?戻った先は「退行」じゃないの?
そうじゃなくて、あなたが今やるべきことは、強化されたあなたの頭で、あなたの過去の作品のよさと限界を冷静に分析することじゃないの?そして分析した結果、摩耗した感覚があったらそれを再度取り戻し、同時に過去の作品の限界を超える方法も模索していく。そういう格闘の先にしか、あなたの進歩はないように思えるんだけれど、どうだろうか。
と、全部あなたの話をネタにして自分語りしてみた。的外れだったら「ゲスパー乙」で片付けてもらって構わない。しかし、現在の気づきから再度ナイーヴさに逃避してしまうのではあなた自身の進歩を殺してしまうのではないかと心配になったんだ。
役に立とうが立つまいが、何かを考えるきっかけになってくれれば幸い。
そんな広告は若者にリーチしません、だからもっとくだけた表現にしなおしましょう」
私見だが、今の若者が
「自分の世代、レベルに合った文章にばかりネット界で接していて、自分より少し上のレベルの文章に接する機会が少なくなった」
30年前とかだと、ビートルズに関する評論本は、「大学生、大人向けの本」しかなかった。
だから、中学2年で「どうしてもビートルズについて知りたい」という生徒は、
読破するのは大変だが、副次的に、大人のボキャブラリーが身に付くようになってくる。
しかし、現代は、ネット界に多数のセミプロ・アマチュアの評論があふれている。
で、中には「中学生が書いたビートルズ評論」なんてのも転がっている。
そういう文章は、やはり、中学生に読みやすい、簡易なボキャブラリーで書かれている。
もし、ネット界に(中学生向け)ビートルズに関する評論が存在しなくても、
「OKWave」「知恵袋」という便利なツールがある。
一見便利ではあるのだが、結果として「背伸びしてボキャブラリーを体得する機会」は減少してしまう。
そう考えると、質問者のレベルのカスタマイズして回答を与える、という質問サイトは、
質問者の成長を阻害している、と言えなくもない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1046446270
>原子力って結局、お湯沸かすだけなんですか?
>詳しくないんですが、聞いたら原子力発電とかはプルトニウムを核分裂させた熱でお湯を沸かしてるだけだと聞きました。
>これが将来、地球上でエネルギーとして使うなら、核融合炉や反物質炉が出来ても、薪の代わりにお湯を沸かすだけなんでしょうか?
>追加で、鉄腕アトムなんかも体の中でお湯を沸かす設計なんでしょうか?
つくづく思うが、科学議論の場って、極めて専門化・深化して、ともすれば「専門バカ」が進行しがち。
学会とか論文の査読なんかも専門性の極北だし、科学者がわかりやすく市民に伝える、という
「市民科学講座」とか「サイエンスカフェ」なども、市民側は「多少は科学リテラシーが高い市民」が集いがち。
偏差値で例えれば、偏差値80の専門家が、偏差値55の市民に語る、という構図。
そういう場を設けることで、偏差値55の市民が偏差値60に引き上げられる効果は認めるが、
また、偏差値80の専門家も、偏差値55の「扱いやすい市民」を相手にするのだから、
専門バカは解消しない。
偏差値55の、市民講座に参加するような市民は、言ってみればお利口な市民だから、
専門家がびっくりするような斬新な視点は、なかなか出てこない。
一方、知恵袋って、玉石混交とか、質問数が多すぎて回答付かないケースが散発しているとか、
数々の問題点を孕んだフォーマットではあるが、唯一最大に評価できる点は
「リテラシー50未満のド素人が、臆せずに気軽にセミプロに質問できるフォーマット」である点。
「原子力って、お湯沸かすだけなんですか?なんだかがっかり・・」という視点は、
市民講座に集うような原子力偏差値55~60のお利口な市民からは、決して出てこない。
恐らくこの知恵袋の質問者の原子力リテラシー偏差値は50未満だと思うが、
だからこそ、このような斬新な視座で質問がなされたんだと思う。
そして、原子力リテラシー偏差値80の専門家も、この質問は「目からウロコ」だったに相違ない。
こういう偏差値50未満の一般市民とサシでやり取りするようになれば、専門バカも徐々に矯正されていくんじゃないか?と思う。
また、
「原子力リテラシー偏差値50未満の人って、こんな風に原子力見てたんだ」
個々のブログやツイッターでも一部可視化されているのかもしれないが、より鮮明に可視化できているのは、
やはり知恵袋だろう。
「偏差値50未満の人が質問し、偏差値60以上の人が回答する」というフォーマットなので、
上位リテラシーの市民と中下位リテラシーの市民がくっきり対比できる。
要は、セミプロ作家のウェブ小説を電子小説出版し、その印税を作家と投資家で山分けする、という制度。
【スキーム】
★作家は、1万円の手数料を支払って、電子小説をウェブにアップする。
★その作品は、1週間、タダで読める。
「この小説は面白い、これはヒットする」と思った読者は、100円を支払う。
★1週間の期間内に、100円払ってくれた読者が40人に達したら、
仮に、この「1週間内に100円支払った40人」を「投資家」と呼ぶ。
★有料化後に、読者が100円支払ったら、その100円のうち50円は作者に支払われ、
10円が電子出版会社に支払われ、残り40円は「投資家40人が1円づつ山分け」する。
★なので、投資家サイドから見れば、有料読者が100人現れた時点で、
当初支払った100円分は回収が図れたことになる。
それ以降は、純粋な儲け。
この作品が1万回ダウンロードされたら、儲けは1万円、初期投資100円だから、利回り10000%だ。
(もっとも、ダウンロードが40人未満だったら、元本割れだが)
100万回ダウンロード、つまりミリオンセラーになったら、作家は5000万円の収入、
出版社は1000万円の収入、投資家は1人当たり100万円の収入だ。
因みに作家サイドから見たら、有料読者が20人現れた時点で、1万円の手数料が回収されることになる。
★というように、投資家にとっては、人々がダウンロードしてくれたらしてくれるほど、自分の儲けになるから、
★なお、当初1週間の期間内で、40人の投資家が出現しなかったら、
それは「有料化する価値がなかった作品」ということで、無料で公開されることになる。
(一旦支払った100円は、元の投資家のところに戻る)
この場合は、登録手数料1万円を支払ったセミプロ作家だけが損することになる。
★40人も投資家が現れた、ということは、
「それなりに面白い小説だから、投資家が40人も現れたのだろう」という推論が成り立つことになる。
有料化された小説というのは、一定レベル以上の質が担保されている、と考えて、いいのでは?
ん?以前はてな匿名ダイアリーで自分が提案した
http://anond.hatelabo.jp/20120618210749
の続き
503 :名前が無い程度の能力:2012/09/03(月) 19:01:57 ID:UELSOMzE0
>全裸は何かないのかよ
スティッカムで絵を晒されたりっていうのが何度か続いて
最初のうちは付き合いだと思って我慢してたけど
そのうちメッセのやり取りでくだけた話しても
・・といった感じで改善されるどころか酷くなって
ほんと表裏使い分けるの上手い人だなーとは思う
燃料になるようなネタじゃなくて申し訳ないです
520 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 01:23:53 ID:MXsuCZwk0
521 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 01:44:49 ID:qpisxFEQ0
503別に潰されてなくね
522 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 01:52:37 ID:MXsuCZwk0
本当だ
なら尚更おかしいな
523 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 01:55:46 ID:qpisxFEQ0
そのシオリ周辺の連中が無理矢理叩こうとしてんじゃね?知らんけど
524 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 01:58:46 ID:MXsuCZwk0
525 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 02:00:30 ID:twBgOjG60
526 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 02:11:30 ID:Y2bBTOPs0
炊きつけたの誰なんだろ
ちょっと前のシオリの発言わざわざ拾ってきてるし
527 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 02:22:53 ID:4Ol18Mvk0
全裸はシオリにいじめ暴露された直後にシオリそっちのけで急に稲塚のネガキャン始めて
「稲塚にはひどいことされた。だから俺は悪くない。でも何されたかは言わない」
528 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 02:36:58 ID:VayRHMQE0
ボロを出さなくても十分痛いけどね全裸は
529 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 02:53:13 ID:Y2bBTOPs0
二万部って本人が言ってたの?
530 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 02:56:33 ID:4Ol18Mvk0
>>529
普段は4万部らしいですよ
531 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 03:01:31 ID:wWuagBIY0
ただのぬこーの弄り
532 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 03:16:24 ID:qpisxFEQ0
なんかぬこーがすべての元凶な気がしてきた
533 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 03:21:37 ID:4Ol18Mvk0
それはない
534 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 03:29:42 ID:Y2bBTOPs0
断定なのか推測なのかもうわかんねぇな
535 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 03:38:23 ID:wWuagBIY0
「悪い事してそう」で済むところがそういうのを表に出さないのがうまいんだろうな
536 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 05:28:53 ID:LychLTMc0
それにくらべてぬこーの要領の悪いこと
全裸を見習えよな
539 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 08:13:49 ID:AO9GhHpI0
542 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 09:34:58 ID:kjCQw4Hs0
全裸は要領いいって意見あるけど普段は割と面倒見のいい兄ちゃんなんだよ
敵対すると容赦なく潰しにかかる、そこらへんによくいるタイプのDQNって印象
稲塚はホンモノのガイキチだからかなり念入りにやられた
(やられておかしくなったとか、今はまともになってるって書き込みあったけど嘘だぞ
あれはあくまで自称であって、やられる前も今も全然変ってない)
それだけならよくある話だけどあまりにインパクトの強い物件だったので
稲塚が誰かとトラブル起こすたびに首突っ込んでいっては粘着して間接的に攻撃してた
543 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 09:46:36 ID:jh4Qd.m20
自分は2件ほど関わって知ってるけども、どちらも作者さんの所へ
突撃してこーへーさんとか太増夫さんとか複数の当時は
被害にあったうち1人はふに(現にちか)さんでC76前は
ふにさんがメッセ消したからログ残ってないけどずいぶん荒れてた。
もう1件はログは手元にあるけど、内容は
「人に言われて嫌々(全裸さんの主観)原作体験版やった程度の奴が東方利用して
売名するなよ」的な内容だけど、別に相手はそれで有名な人でも
ないからなぁ…
544 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 10:03:43 ID:AO9GhHpI0
別に犯罪者でもないただの痛い人に自分から喧嘩腰で絡みに行くのはやっぱその人も痛いですよね。
放っておけばいいのに。
545 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 10:31:15 ID:3bI8UpcQ0
>>542
当時って何時から何時まで?
稲塚はついったー見る限り今は基地外というレベルでもないと思うが
546 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 10:49:30 ID:MLk9bAFoO
棘民の素質があるな
547 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 10:51:42 ID:qdv9bJDA0
私怨乙
って言われるだけだろwww
549 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 10:57:38 ID:p4Om/3Uw0
対象に凸する時点で大きく違うだろ
550 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 11:00:34 ID:55Kowg2o0
むしろ素質があるのはシオリだろ
叩き依頼されたらつまんねーことしてんじゃねーと依頼してきた側をフルボッコにしたり
552 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 11:25:18 ID:AO9GhHpI0
ツイッターで全裸さんをフォローしようとした人に対して2年前の確執から「フォローしないほうが良い」と言ったからのようですね。
まあぬこー様は稲塚春さんが「フォローしない方が良い」と言う前から稲塚春さんにちょいちょい突っかかっていたようですけど。
↑の話のまとめです。
そのひとの他のまとめです。
553 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 11:30:48 ID:55Kowg2o0
554 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 13:15:04 ID:rE5Xp9oM0
>>552のまとめ、全裸がパーマリンク提供したのは間違いなさそうだな
556 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 14:35:38 ID:qpisxFEQ0
558 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 14:46:00 ID:xAkxbZjE0
>>556
全裸のことを言ってるんだろうけど、それ自体は大して痛い発言でもないんだよな
555 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 14:34:44 ID:vCFYvsqk0
絵師をけしかけてスレ襲撃して祭にした主犯だからなぁ(もちろんいい意味で盛り上がった)
普通にここも見てるだろうし、うまく立ち回るだけの(ズル)賢さはあると思う
557 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 14:36:34 ID:vCFYvsqk0
あ、途中でカキコんじゃった
ここでも度々名前出てたし
570 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 18:05:38 ID:.Byp8y.k0
ここは痛い奴がレスするとこじゃねーんだぞ
571 :名前が無い程度の能力:2012/09/04(火) 18:13:03 ID:8mgBIp6c0
>>570
いきなり自分語りでなんなんだが、自分はいちおうプロの小説家である。会社員をしながら、日曜にちょこちょこ書くだけの小説家だから、プロです、と言い切るにはいつも引け目を感じているが、収入的には小説家の仕事だけで年収500万円くらいにはなる。ジャンルが偏っているので、ほとんどの人は名前を言っても知らないだろうが。そこから得られる分だけで生活していける収入があるという意味では、プロを名乗っても差し支えないと思う。
たまにしか更新しないブログやマスダで、社会問題やら何やらについて書くと、内容から離れて、文章を褒められることが結構ある。プロ並だとか、カネがとれるレベルだとか、内容ではなくて文章についてそう言われる。こちらとしては、そういう文章はまったく推敲もされていないし、勢いだけで書いた駄文である場合が多い。そもそも小説の文章の作法と、ジャーナルな文章の作法は全然違う。それでもそう言われることがままあるということは、ネット上にこれだけの日本語テキストが氾濫しながら、プロかセミプロの水準に達している文章が少ないからではないか。
日本人なら普通、日本語のテキストを書ける。プロの編集者が手を加えれば、それなりに読める文章には誰のものでもなる。ただ、読める文章と読ませる文章は決定的に違う。決定的と言ったわりには、それが何なのか、私自身把握していないが、ともかくその、ぼんやりとした決定的な要因によって私は飯を食えているわけである。
音楽やイラストと比較しても、一見、特別な技能を必要としない分だけ、文章の世界は参入障壁が低い。参入障壁は低いが、じゃあ、試になにか作品を書いてごらんと言われれば、百人中九十人はまず作品を完成させることが出来ない。逆に技能が占めるウェイトが高い分だけ、技術が伴っていなくても音楽やイラストでは形にしてしまえばそれなりのオブジェになってしまうということはあろうかと思う。小説の文章は特に、構成力、表現力、構築力、ストーリーテリングの技術等々すべてがコントロールされて初めて形になり得るので、実際には参入障壁がそう低いわけではない。
経済学的に言えば、そうであるかも知れないが、いちおうはプロの表現者の実感から言えば、一概にはそうも言えないような気がする。私程度の書き手であっても、注文にすべて応じ切れているわけではない。新規参入者が増えて膨らむのは生み出される小説全体のストックであって、私の作品のストックではない。
司馬遼太郎の作品と私の作品の長さが同じだから、市場価値が同じだと言うことがあるだろうか。司馬遼太郎の作品の代わりに私の作品がなり得るだろうか。そんなことはあり得ない。司馬遼太郎の作品は司馬遼太郎しか書くことが出来ず、司馬遼太郎の読者が求めているのは司馬作品であって、他の作品は代替にはならない。究極の参入障壁ではなかろうか。
イラストでも事情は同じはずだ。他から隔絶した個性を持った作家の作品は、百枚の中に紛れていても、誰が描いたかすぐに分かる。その人の絵を描けるのはその人だけなのだから、その人の絵に訴求力があるならば、他の人の存在によって描き手としてのその人が脅かされることはない。
創作活動は究極の個人活動だということを忘れてはならないと思う。その活動をマスな視点だけで見ていては、現状を見誤ると思う。素人の作品に脅かされるのは素人だけだろう。
横だけど、ある創作作品の「予定された読者」とは誰か? という問題は、普遍的で、かつ「答がない」ことに一定の共通理解のあるテーマ。
「一般読者」というと、予備知識のない素人の集団がその大半だが、そういう「素人に受けたい」と思って創作するクリエイターは確かに少ないかもしれない。「とにかく売れるのが偉い」と豪語する人もいるので、「素人向け」を狙う創作者が皆無というわけでもない。一方、「通」とか「評論家」のために創作するわけでもない。大多数の創作者は、ある種の「ファン」とか、頭の中で自分と何かを「共有できる人」とか向けに創作している、と想定しておおむね間違いはないと思う。ただし、一旦作品が世に出た以上、その「読まれ方」について作家の意図が最優先されるというものでもない。売れないクリエイターが世相を皮肉るつもりで作った軽薄な作品が、かえって軽薄な世相にマッチしてバカ売れ…その年を代表するような作品に…ということもある。この場合、何が「正しい」とも「間違っている」とも言えない。
また、評論家のために創作して「いけない」とも限らない。たとえば半可通なセミプロ作家が、共通理解を半可通に向けて創作することはよくあることだし、デビュー以前に同人誌という形でそういうことをやるのを責めるというほどのこともない。ただ、全部ひっくるめても、「楽屋落ち」というのは一般に「詰まらない」ことの代名詞ではある。
だから、その意味で個人的には「ブラックジャック創作秘話」が評価されるのも、「バクマン」が評価されるのも、2011漫画界の貧しい風景だなあ、と思って見てはいる。
いずれにせよこういう話は創作界隈ならどこにでもある話なので、元増田が言ってることが分からないとすると、個人的には、分からない方がちょっと勉強不足なのではないかと思う。
基金訓練、今は求職者支援制度に名前が変わったみたいですけど、そこの講師をやめたというか、会社ごとやめて転職しました。
何の講師をやっていたかというと、今をときめく(?)Androidの講師です。
転職先にも少しなれてきて、今までのことを振り返って書き留めてみたのですが、せっかくなので発表することにしました。もともと僕だけが読むメモのつもりで書いたので、読みやすい文書ではないですがご容赦のほど。
Androidの講師になるまでは、Javaのサーバーサイドのエンジニアをやっていました。
お客様のところに常駐し、システムの一部ではあるけど、自社メンバーだけで上流行程から担当し、僕はそのチームリーダーでした。
プロパーの方でも仕事がないような状況で、それでも僕らのチームは半年ほどは細々とメンテなどの作業をやっていたのですが、最終的には契約終了になってしまいました。
自社に戻って、何をするのだろうと思っていたら、Androidの講師をやれ、といわれました。
Androidは、暇だった時期に少し動かしてみて、簡単なアプリなら組めるようになっていたのですが、人に教えるほどの技術はありません。しかも準備期間は1週間ほどしかありませんでした。
ビデオ教材と教科書が用意されていて、それに従っていれば最低限の講義はできるのと、最初のうちは純粋なJavaの講義だったので、前半をやっている間に講師はAndroidの勉強をしよう、という、何とも乱暴な計画を立てたのでした。
ほぼ定員いっぱい近い受講者の方が集まったのですが、スキルが全くバラバラです。
JavaやC#,C,C++の経験者がいるかと思えば、人差し指だけでキーボードを打っている方もいます。
講義の最初のうちはコマンドプロンプトを使うのですが、教材には説明がなく、最近の人は知らないだろうと思って説明書を作っていたのですが、まさかコピーペーストのやり方から説明することになるとは思っていませんでした。
それでもやる気のある方はまだましで、どうみても給付金目当てとしか思えない、やる気のない方が何人もいます。
こちらも準備不足の中、生まれて初めて「先生」と呼ばれる仕事を始めることになりました。
基金訓練を始める前は「きちんと技術を教えられるかな」ということばかり気にしていたのですが、講義の運営の方が問題続出でした。
いかにもやる気のない方々は講義中もトイレだ電話だといって抜けてしまう、講義中に当てても「わかりません」しかいわない、かといって質問もしない。当然課題も期限までに出さないので0点しか付けようがません。
そういう方でも、こちらから無理にやめさせたりすることはできないので、何とか講義だけはでてもらっていました。
けど、それがよくなかったようです。
まじめに受講されている方々から「金をもらって受講しているのにあの態度は何だ」「入校条件(キーボード入力)すら満たしていないのではないか」「講義のペースが遅すぎて時間が余る」などの苦情があがり、まじめな方から「就職が決まった」などの理由で辞めていってしまいました。
後に残った、やる気のない方々と、講義を続けていくしかありませんでした。
1度目の皆さんが修了し、2回目の講義を行うに当たって、前回の反省点を改善すべく、いろんな手を打ちました。
最後の手は、会社に怒られるのではないかと正直不安でした。実際辞めていく方が増えたのですが、こういう方は「家業が忙しくなったので手伝う」「体調が悪くなったので療養する」といったもっともらしい(?)理由で辞めていったので会社から怒られるようなことはありませんでした。
むしろ受講生の方の中から、積極的に他の方にアドバイスする方が増えたため、スキルの低い方からも「質問をしにいける人が(講師以外にも)大勢いたのでよかった」といってもらえるようになりました。
今回は、終了後の受講生の方どおしの打ち上げ会に呼んでいただきました。おおむね好評だったのだろうと思います。
未経験だけど、求職者支援制度を利用してプログラマになりたい方向けに、こういう人がプログラマに向いている、こうした方がいい、という条件を挙げてみます。
プログラムの勉強ははっきり言って辛いです。やりたいことが明確になっていないと、なかなか続かないです。
僕は「写経」と呼んでいるのですが、サンプルプログラムを実際に打ち込んでみて、エラーがあれば自分で修正する
という「訓練」をやらないと基礎が身に付かないです。そもそもキーを打つのが苦手、という人はきっぱりあきらめましょう。エラーの原因を自分でぐぐって調べられないような人も、この業界には向いていないです。
いき当たりばったりではなく、最初に手順・段取りを考えてから作業を始める方が向いています。
講義でも、課題作成に何日もかかる課題があるので、何も考えずに適当にやっていると期限までに終わりません。
「きりん、うさぎ、あひる、かば、4つの動物で仲間外れは?」みたいな問題が苦手な人は、向いていないと思います。
単に「読める」ではなく、課題を理解し、既知の技術で解けるものと未知のものに分けたり、繰り返し処理や、複数の似たような処理を一つにまとめるといった作業ができるかどうかです。
さっきの抽象的な考えもそうですが、今までそういうことを意識してやっていない、という方が多いと思います。そういう人は、しんどい思いをすると思います。
「AとBという方法がありますが、ここではAについて説明します」と講師がいったら、Bは自分で調べましょう。習ったプログラムを少し変えてみてどうなるか試してみましょう。それがうまくいかなかったとしても、経験というプラスが残ります。
講師の言うことが理解できたと思ったら、自分で応用問題を考えて、プログラムを書いてみましょう。もしそれが期待した結果にならなければ、どこかで理解が間違っている可能性が高いです。
先ほどの「試してみる」もそうですが、BLOGで実施すると、それをみた方からコメントやアドバイスをもらえることもあります。
いきなり何十行もプログラムを書いて動かなかったとしても初心者はまず動かせるようになりません。少し書いて、動かして動作を確認し、また動かして、を繰り返す方が結局早く完成します。
ちゃんと動く「プログラムの断片」を増やすことは、後で同じようなプログラムを書くときに、「断片」をそのままコピーして使えるようになると言うことです。
一度プログラムを書き始めたら、まずやることはプログラムを完成させて動かしてみることです。プログラムを書いている途中で、同じような処理があるからforで書きたいとか、メソッド化したいとか、思うかもしれませんが、プログラムの初心者はまず動くプログラムを書いて、それができてからきれいに書き直しをした方がいいです。
すぐに解けない課題は、書いて残しておきましょう。書いて整理することで、解けることがあります。今は解けなくても、後で見返して解けることがあります。
特に図に書く、という作業は意識的にやった方がいいです。講師に質問するときも、口で説明するより、図に書いた方がずっと通じやすいことがあります。
自分ができたことで他の人が詰まっていれば、アドバイスしてあげましょう。助けてあげると言うだけでなく、他人に説明すると言う作業は、自分自身の理解をより深める作業でもあります。
もちろん自力で最後まで解くことが重要な課題もありますが、そういうときは講師がそれとなく言ってくれるはずです。
とりあえずアプリを書いたら、同じ講義を受けている人や講師に見せて感想をもらいましょう。
アイコンを書くのが苦手なら、イラストが上手そうな人を見つけて、書いてもらったり、書き方を教わったりしましょう。
訓練を受けているのは同じような環境の方ばかりなので、相手だって同じことを考えているはずです。
紙のノートに講義内容を書いたり、テキストの余白にメモしている人がいますが、それは講義の内容を聞いて即理解できる人が、聞いたことを忘れないためのやり方です。
わからない人は、わかるようになるまで、何回でもノートを書き直した方がいいです。わかったことを継ぎ足して、表現を見直して、時には冗長な表現を削って、自分だけのオリジナルのテキストを作るつもりで書きましょう。当然書くのは紙のノートではなくパソコンをつかいます。
プログラミング以外の世界でもプロや、プロ顔負けの技術を持つセミプロ、ハイアマチュアといった方は自分の作品を世に出すときに恥ずかしがったりしません。不安はあっても、それを上回る意欲を持って、どんどんアプリを書いて、マーケットに載せましょう。
ひょっとすると業界の習慣よりあなたの意見の方が正しいこともあるかもしれませんが、未経験の人が言っても周囲はたぶん聞いてくれません。「私はずっとこのやり方でやってきたしこれからもやる」という意見はひとまずおいておいて、まずは周囲に認めてもらうようにしましょう。
余りに差がありすぎて自信をなくすと逆効果ですが、技術を身につけたければ自分より優れた人から学ぶのが一番です。コミュニティーや勉強会にも積極的に参加しましょう。
553 名無しさん名無しさん 2011/02/08(火) 14:40:19
そもそも何で今水池がネットの作画オタクの代表みたいに崇められてるのか理解できない
史観的に振り返るとインターネットではじめてまともに作画を語ったのはもう10年以上前
漫画家の悠里愛が自身のHPで現行のアニメや過去の作品において熱心に語り始めたのが最初だった
俺が知る中でまともな作画語り(というか素人然としていない作画語りみたいなもの、まぁ悠里は畑違いのプロではあるが)
をやったのはあれが最初
それとは別の文脈で沓名健一が出てくる
当時のくーさんの語りは今の作画スレの遥か下のにわかレベルであったが、小黒はじめ業界人がそのgifアニメの凄さに目をつけ掲示板は業界人の巣窟となる
そこでくーさんはヘッドハンティングされ今のweb系のスカウトの流れが出来上がるわけだが(最近はそれを狙ってHPで志望者がgif等を掲載するのが当たり前になっている)
その沓名HPの盛り上がりが、沓名がオサムの作品に呼ばれてセミプロになったあたりで多くの素人にも目をつけられ業界人が自重し始め一段落するわけだ
作画スレが出来上がったのはその直後だった(それまでは簡易的に巧いアニメータースレで情報交換はなされていたものの、メインは完全に沓名の掲示板だったんだ)
そしてここまでの流れを水面下でROMって知識を吸収した第一世代ネット作豚が水池屋であり、まっつねであり、たけしとであり、電源を切ってくださいになるんだよ
554 名無しさん名無しさん 2011/02/08(火) 14:48:01
そして作画スレの2桁代まではまさにその作豚第一世代、業界人、アニメーター志望者、にわかROMが仲良く同居した幸せな作画語りを築いた黄金期!
ちょうどぬるぽの初期話数がすごいすごい、松本憲生はすごいみたいな流れがネットの作画的な常識になる礎を築いたのもこの頃だ
当時の作画スレに関してはおそらく相当数の業界人のお墨付きが出ており、橋本敬史も烏のコメンタリーで
「このパートは、今2ちゃんねるの作画を語るスレで大人気の松田宗一郎君のパートで・・・」みたいな今じゃ有り得ない友好的なことも言っている
そしてそのネットでの作画語りの盛り上がりに後押しされる形で、前々からミュウミュウ等でお騒がせだった石野はじめとするへらすたの掲示板が出来上がる!
555 名無しさん名無しさん 2011/02/08(火) 14:53:38
そしてここが作画語りの分岐点になる
へらすた掲示板の嵐による閉鎖だ
にわかROM達がついに芽吹いて書き込むようになったということだ!
ここで初めて「作画オタクの=他のネットユーザーとは違う礼節を持った常識人」
という認識が崩れる
それから今に至るまで連綿と続くなが~い暗黒期に入るんだよ
ハルヒグレンコイルなど確かに作画アニメの放映による盛り上がりはあることはあった
でも具体的に作画が語られることはなくなってしまったんだ
アニメーターおたくみたいなテロップ厨という連中がいるということをテンプレに起こしてしまったのもこの頃で、今になって思えばそれもまずかったのだね
自虐的な作画を語れない作画オタク(前述したROM第一世代)が書き込むようになってしまって、もうぐちゃぐちゃになっちゃった