はてなキーワード: セミプロとは
プロやセミプロとは比べるべくもないが、あの年の男性としては立派な自炊ができる。
現在は私よりも彼の方が家にいる時間が長いので、彼が食事を作ってくれる。
ちょっと私の趣味と違う場合が5%、普通に美味しいのが85%、とても美味しいのが10%というところ。
しかし私は必ずしも喜んで彼の食事を食べていない。
その日の気分と違う物が出ると喜べない。日によっては家で食べること自体が億劫だったりする。
美味しいと感じても、それを口にして次もまた同じ反応を期待されたら、と思うと言えない。
だって次は気分が違って同じ物でもそこまで喜べないかもしれない。
「これ美味しいね」の一言から始まるであろう一連の会話が面倒というのもある。
他人に食事を作ってもらいながら、この態度は酷い。我ながらそう思う。
逆の立場だったら、何と作り甲斐の無い相手かと腹が立つだろう。
彼には何の否もない。
私は心から喜んで彼の食事を食べるべきなのだ。そうできない私が問題なのだ。
なのにそれを直せず、今日もおもしろくない顔で私は食事をする。
もう食事は作らないでいい、と彼に伝えることすらできずにいる。
今は、一人での食事が一番心が休まる。
泥沼だ。
先日、高校の頃からの友人と食事をする機会があった。彼は体育会に所属する学生で高校の頃は優秀だったが大学では知への放棄をしてしまった残念な人である。その彼から珍しく食事を、ということだったので楽しみにしながらその日を待っていた。
と、ひとしきりお互いの近況報告が終わったあと彼は言った。彼は体育会に所属しているが、うちの大学にセミプロは存在しない。当然、彼の大学にも純然たるセミプロは存在しない。彼の疑問点はここにある。セミプロの場合、その体育会はひたすら勝つことを目的に活動すればいい。つまり、早慶に代表されるセミプロ集団に属する人間は(例えば野球部ならば)チームとしての実績を積み、その中で個人としてレギュラーの座を射止め活躍することにより、ドラフトで指名され晴れてプロ集団の仲間入りすることが目標であり同時に目的化される。つまり、常に就職活動をしているようなものなのである。しかし彼は違う。
彼は週に5~6日活動し、過酷な(ただしセミプロのそれと比べれば実に緩いであろう)練習を積み、筋トレに励み、より良いパフォーマンスができるような身体を作る。彼自身はチームの中では指折りのキープレーヤーである。主将候補筆頭でかつ1年生の時から出場している。彼がよく体育会に加入した理由を聞かれた時に答えていたのは「すぐに試合に出れる自信があったから」であった。とはいえ、彼のスキルは、セミプロも含めた場合、並以下である。彼の個人的なスキルは組織内の比較優位としては高いがとてもじゃないけれどプロにはなれない。
とまぁここまで詳しく語れるお前は何なんだと思った人もいるかもしれないが、それは当然のこと、ぼくは彼と高校の頃に同じ部活に所属していた同期なのである。これはかなり重要な事実であるが、ぼくも同じように比較優位があったので体育会加入はよくよく考えた結果、しなかったのだ。これが正しかったのかは別問題であるけれど。つまり、彼と同じように学部1年の頃、「セミプロ以外の体育会の存在意義」について悩みに悩んだ末に体育会に所属することなく大学生活を送ることを選んだだけの話であるが、体育会には体育会の論理で彼らは仲間にしようと誘ってきた。その話を彼にも同じようにした。セミプロ以外の体育会には最終目標がないじゃないか。
高校球児はみな甲子園を目指す。果たしてこれは本当なのであろうか。ルーキーズの様に、その先に待っているものがなければそれでもいいかもしれない。しかし、現実はそうではない。進学校の高校生は部活をやっていたとしても、当然その中には「受験勉強」を優先する人たちが一定数存在する。当然、受験勉強に精を出した方が、「比較優位」で彼らは部活に人生を注ぐよりもはるかに有益なものになるだろう。
同じように比較優位を考えるとセミプロ以外の場合、体育会に所属してそのスポーツに精を出すよりも、勉強に励んだり留学したり等々のそれ以外の活動に大学生活を費やすほうが有益なものとなるだろう。セミプロは全国から指定推薦などで才能ある選手を集めてくる。しかし旧帝大の様な国立大学はそういうわけにもいかない。受験勉強を勝ち抜いてきた人間が趣味としてスポーツをやるのならばやはり体育会ではなくてサークルでやればいい。ぼくははっきりと言った。
いや、口では「リーグ2部昇格を目標に活動...」とか言っているような奴らだってプロになれるとは思っていない。勝負事に負けることを意識して臨んでいる時点でクズだと言える。あの大学には勝てないな、とか、あの大学には負けるけど他で勝ちを拾おうとか。ではもう正直に、セミプロ以外の体育会に所属しているなら正直に言えばいいのに。
って。それがむしろ潔い。勉強することから逃げ、好奇心のままに自由な大学生活を送ることを犠牲にしてまで手にしたコネクションであり、「運動会」という肩書きなのだから必死になって守ればいい。守るために努力する。その身体を鍛えるのも組織内での評価を上げることととほぼ同義だ。やるなら徹底的にやれ。
「たしかに俺らはセミプロじゃない。けど、やってる以上は勝ちたい。すべて。」
と、彼は少し悲しそうな顔をしながら言った。そんな後ろ向きな努力をしているとは知らなかった。どうせやるなら勝つためにやるのが普通のような気もした。とはいえ就活を意識していないのも嘘ではなさそうだ。彼に限っての話だが。どう考えても好きなことを好きなだけやっているように見えるが組織全体としては違う。
彼らは新歓期に仲間を増やそうとするときに「うちはOBが強いから就職有利だよ」とか見当違いの勧誘をする。まだ大学に入学して数日しか経っていない、明るい未来しか見えていないフレッシュマンに対する誘い文句としてはエゲツないんじゃないか。まるで高校生が同じクラスの女の子を口説く時に、「うちのお父さん年収5,000万だから俺と付き合えば金持ち気分味わえるよ」とか言うようなもので、下品な上に、まるで自分たちの活動には価値がないかのような言い分である。正確に言えば価値がないのだろう。
当然、一つ目の理由は情報の非対称による格差である。簡単に言えば、新入生という情弱を騙して、雰囲気や勢いで仲間に入れてしまうその常套手段のことだ。往々にして体育会に勢いで入ってしまう人間に限って、やめる勇気がない。やめる勇気がないのだからやめられず続ける。そのうちどんどん体育会の論理が身体に染み付いていく。さらにやめられなくなる。そうして、やめようと思ってもサンクな部分に気を取られて続けることを選択してしまう。そして続ける。続ければ成果が出るのは間違いない。事実、運動会は就職に有利なのだ。
二つ目の理由は、これが複雑とも言えるけれど、組織内における優位性だ。高校の頃は公立高校で勉強ができた人間が一流大学に入ったら都内進学校や灘、ラ・サールのようなレベルの人間と勉強というフィールドで戦うことを(本能で?)避けてしまった結果として、自分の得意分野に所属するのというアレだ。体育会の序列は年功序列だが、その中にも実力主義な部分があると聞く。つまり、実力さえあれば試合に出れるし試合に出れれば活躍できてチームに貢献できる。チームに貢献する人間が劣悪な状態にされるはずもなく丁重なもてなしを受ける。それが実力主義な部分である。
しかしこの友人は違う。バンプオブチキンでもなければもしドラでもないが、圧倒的不利な状態で勝ちたいらしい。はて、どんな夢物語を考えているのか。しかし、人の夢を哂うことは許されない。ぼくは真剣に話を聞いていた。
「俺は勝ちたくてやってる。本気でセミプロに勝つための努力をしている。だけど周りはそうは思っていないらしくて温度差がある。練習中にサボっている奴もいる。そいつらにどうやって注意すればいいのかわからない。俺には注意する権利があるのかもわからない。そいつらの体育会の存在意義が俺のそれと違えばサボる自由があるのかもしれないじゃんか。」
間違いなくこういう人間がいる限り、周りからすれば迷惑だろう。なぜか。生きていく上で、本音と建前の使い分けは非常に重要だ。体育会に所属していることだって就職活動のためかもしれないけれど、やはり外受けが良いように「勝つため」と言うしかない。もちろん他の理由がないわけでもない。ぼくが体育会に所属している他の友人になぜ体育会に所属しているのか聞いてみたところ、次のような理由(建前)があった。「(そのスポーツを)本当に好きだから」「精神を鍛えられるから」「高校の先輩がいて逃げられなかった」「新歓でお世話になったから」「先輩がいい人だったから」「同期がいい人だったから」「酒の勢いで」。。。。。。中には建前にすらなっていないものもあるけれどそれはまた別の話だが、彼らがいかに物事を考えていないかがよくわかるような気もした。
しかしそれとはまた別の話である。セミプロ以外の体育会に存在意義はあるのだろうか。ぼくの立場は一貫して「勝てない体育会には存在意義がない。」というものなので、セミプロ以外の体育会には存在意義が一つしかないと思っている。そのスポーツが好きで大学でもやりたいのであればサークルに入ればいい。練習は緩いし拘束時間も少ない。サークルがないのであればクラブチームに入ればいい。野球で言えば、草野球チームだ。高校時代の友人とチームを作ってもいいだろうし、親の会社のチームに参加させてもらうのもいいだろう。
「勝ちたい」のであれば、セミプロに行けばいい。セミプロがない大学の場合は、再受験して早稲田や慶応に行けばいいだけの話である。別に体育会に所属しないからといって精神が鍛えられないわけでもないし高校の先輩がいようが強い意志さえあれば断ることはできる。新歓中にお世話になったからという理由で大学4年間を犠牲にするほど安い期間ではないだろうし、先輩がいい人なのは新歓中はどこに所属している人も自分たちのいいところしか見せないだろう。同期なんて概念を捨てて外に飛び出せばより多くの同世代がいるし酒の勢いってお前は未成年ではないのか?という話だ。
つまり、セミプロ以外の体育会の唯一にして最大の存在意義は「日本の就職活動で有利である」ということだ。要するに就職活動を4年間やっているようなものであって、体育会が就職活動で有利と言われるのはセミプロの存在があっての事であり、セミプロ以外はその恩恵に肖っているだけの存在とも言えるような気がする。
これだけ書いておいて言うがぼくは決して体育会をdisっているわけではない。が、ぼくは個人的にこのぼくが大好きな友人以外で、本当の意味で真剣に「体育会」を全うしている学生を知らないというだけだ。彼のような人が煙たがれるような体育会であればさっさと滅びるべきだしぼくは彼の姿勢に心底尊敬の念を抱いている。
Twitter上にいる体育会の学生をちらほら見るけれど、本質的に描く「体育会」像が違う。勝つつもりがない体育会の連中が一般に言う「意識高い学生」をしている状態に違和感を感じてやまないしそういう奴らをぼくは、体育会におけるフリーライダーと呼びたい。
体育会に所属している人、特にセミプロ以外の体育会に所属している学生はその辺をよく考えた方がいい気がする。人生は有限である。貴重な時間を体育会に費やしているのならば堂々と「就活に有利だからテキトーにやってるわ」と宣言するくらいの図々しさがあってもいいような気もするけれど。
特に大学に入学して3ヶ月ほど体育会でぬくぬくやっているキミへ。強い意志でやっているのではないならば、今すぐやめるべきだ。高学歴な人たちは尚更やめるべきだ。身体を鍛えるついでに頭を鍛えるのではなく、頭を鍛える気分転換程度でスポーツをやった方が楽しめるんじゃないか?
まとまってないけどこんなところで。
母はテニススクールに通っている。時々そこのドロドロとした内情を聞くことになる。
テニスってのはどうしてもお金がかかる。ある程度お財産が無いと、時間もお金も捻出できない。
コーチと生徒(おばさん)の例
コーチ業はなかなか薄給で重労働らしい。どうもほっとけないらしく、なんだかんだと貢いでしまうのだ。
若いコーチともなると、セミプロみたいな人も多く、その人の試合を見に遠征する人もいる。
もちろんコーチなんてイケメンばかりでもないけど、もっぱらモテるんだそうだ。テニスはやはりうまいけどね。
まぁ酷いものだと、種違いの子供を両親に預けて試合に繰り出す、なんてのもあるらしい。夫はその間もちろん仕事に行ってるのだが…。
バレるとひどいもんだ。テニスも出来なくなるし、慰謝料も親権も取られて親元に帰るしかなくなる。そういう例はまだ少ないけど、
まわりの人間は大抵気づいているんだよね。コーチと付き合っているの、なんて自慢する人は問題外だが。
生徒と生徒の例
自営業やお医者さん、会社役員や定年退職者など、時間やお金に余裕がある人がテニスをしに来る。
そういう人が休みを見つけて練習をしに来るんだけど、上手になったらやっぱり試合に出てみたいって思うようになる。
シングルスもあるんだけど、中高年層にはダブルスが人気。体力的にもキツイし、ペアの人との連携が面白いし。
ミックスダブルスってのもあって、これは男女でペアを組むこと。たいてい男性がコーチ並に上手(あるいはコーチ自身)というのが典型例。
こういうのってやっぱり不倫の温床になるんだよね。不倫→ペアかもしれないけど。数的には上に遠く及ばないけど、割合としては10ペア中
9ペアがデキてるというのが現状のようだ。勿論夫婦のペアも多いよ、一応。
テニスに限らず、どこでもおんなじなんだろうね。小さいコミュニティーでも大きいところでも情事が絶えない。
学校もその例に該当すると思う。クラスで先生と付き合う例の多いこと多いこと。
これはひねた考え方かもしれないけど、この関係って他者に対する優越感を少なからず孕んでいるんだと思う。
コーチや先生って、そういった小さなコミュニティーの中で支配者とかヒーローに位置づけられているんだ。それを独占できることに
酔っているんだろうな。ただ、ちょっとコミュニティーを大きくすると、やっぱりそういう人は頂点でなくなって、ただのサービス業に従事する社員、
教師っていう肩書きに変わってしまうけど。
後付けの「うちの大学は有名だし才能ある人がいるしOBも活躍してる」は
本人のいかにも地方在住の小規模大学生らしい世間知らずぶりとの矛盾など疑問点が多く、
またそのあたりの記述がコロコロ変わるので信憑性もリアリティに乏しい。
たまに「それはお前食えてるって言わねえだろwww」みたいなセミプロがいたりするけどね。
あまりこういうこと書いてると801ちゃんに「だから私達を分析すんなっつってんだろ!」と言われそう。
所用で某地方都市の駅に向かう。
時間に余裕がある為声かけ
一声かけ目でモデル体型の黒髪っ子に声を掛ける。
中々アリな子、165cmあってかなりスタイルもいいし、そこそこかわいい。
2時間弱で家に帰らなければいけないらしいので、
http://d-jacksun.com/?pid=3644587
とかなんやらで盛り上げる。
良くキャッチとかナンパされるらしい、黒髪だけど背高いし、見た目映えるからなぁ。
普段ナンパについていかない、とか人生で人とこんなに短期間で仲よくなったの始めてとかなんとか。。
俺はよくあるけどね。
1時間程してお茶終わり、家が駅から5分位の場所なので一緒に送る。
ここですでに手つなぎ腰に手回し状態。
家付きぎわに抱き合ってベロチューやらさわさわして次回アポの約束してさよなら。
場所が場所なら即出来てるレベル、まぁ地方の田舎でなら上出来か。
次回でHは確実な所まで持っていけた。。
声かけて1時間でこんなんですよ、と。
行こうとしてた所用の場所は終わってたので明日また行こうw
そんな日記。
友人以上恋人未満な男がいる。
大学時代に知りあって
わたしは彼の才能にけっこー惚れてるんだ。
それなりに輝いて見えてた。
だからたまに飢えてるそいつにご馳走したりしてる。
まー、パトロンみたいなもんだよね。
夜、わたしの家に来て一緒にご飯食べて
一晩泊まって朝どっかに出て行く。それが週にニ、三回。
そのせいか、ぜんぜんハングリー精神がない。
こっから這い上がろうみたいな闘士が感じられない。
わたしのせいだ。わたしが彼の潰している。
先日、ちょっとした事件があった。
夜、彼と寝ているときに彼がわたしの身体を求めだした。
ここまで来るともう、「いい加減にしろ!」と言いたい。
心を鬼にして縁を切ろうかどうか、考え中。
もう契約満了から2年経過したし、そろそろ話してもいいかな、と思ったのでこちらに。
同人ゲームやらそうでないゲームやらお手伝いする中で、当然開発に至らなかったゲーム、というのも存在する訳です。
謝礼も振り込まずに素材だけ受け取って逃げた、とかなら別の話なんですが、素材開発も完了して、依頼料も受け取って、それでも開発完了と至らなかったケース。
これはこれで今考えるととても厄介だよなぁ。
謝礼を頂いてしまった手前、僕はあれこれ主張する立場にはないし、相手を避難する立場には無いので、どのような扱いを受けても文句を言ってはいけないのですが。
やっぱりお手伝いした立場としては、製作したデータが表に出ずにそのままお蔵入というのは悲しい。僕にとって最初の同人活動だと思うと尚更です。
あくまで僕はお手伝いをしただけであって、その素材がどのような扱いをうけたとしても、それは依頼主の裁量だと思っているのでなんとも言えないのです。
幸いなことにそのゲームの事前評価がよかった手前、それで次の依頼や後に繋げることができたので、ノウハウも勉強出来たぶん、全体的に見れば成功だったんだと思うのだけど。
どうしても心に蟠りとして残っているのがアレなんだろーと思います。
そりゃあ開発では自分も未熟(今もだけど)だったので色々と衝突したこともあったし、依頼主もプライドの高い方だったので喧嘩になったこともありました。
まぁ今になって考えれば、僕等の立場とすれば依頼主のイメージを形にするのが第一であって、あまり自身を主張してはいけない(担当部署としてもそうするべきだった)立場にあったので、依頼主にあれこれ文句(ex;マトモな仕様書を出せ)を言ったのは間違いだったと思います。
今はみんなでわいわい楽しく同人やろう、なんて気持ちはもう無くて、割り切って作業として考えるようにしたので精神的負担はかなり減ったのですが、当時はまだそんな気持ちも残ってたのでやっぱり精神的に負担になりすぎたってのはあります。どうしても言葉尻がきつくなってしまって、依頼主のプライドを傷つけてしまいがちになってしまいました。立場はわきまえるべきだと今では反省しております。
立場をわきまえた上での話ですが、それでも開発終了に至らなかったのはシナリオ担当兼リーダーの責任です。
自己評価が苦手なので自身についてはあれこれいうのは控えますが、あのプロジェクトに関わっていた自分以外のスタッフは極めて優秀だったと思います。どのスタッフもセミプロだったりプロだったりする方々で、少なくともヴィジュアル面においては、他の追随を許さない出来でした。結局完成しなかった今、何を言っても絵に描いた餅でしかないのですが、完成していれば、ヴィジュアル面だけでも相当の評価を得ていたのは間違い無いと思います。これだけ優秀なスタッフを抱えていて、それでも完成しないとすれば、それはやっぱりリーダーの責任としか言いようがありません。リーダーがあまりにも未熟過ぎたのが開発失敗の原因なんだと思います。
集団作業で製作される作品の失敗、成功はリーダーの能力に左右されます。今回の件ではまさにリーダーの能力が失敗の原因なんだと思います。
仕様書もまともに出さない、質問する度に説明が違う。曖昧な指示、一部スタッフとの過剰な癒着、リーダーのプライドの高さ。数々の問題があったと思います。
というかリーダーは某スレのやめとけ基準全てに当てはまるような地雷だったわけだし
その辺を見抜けなかった自分も未熟だったといえばそれまでの話なのだけれど。
まぁ二度と製作物が日の目に出ないのはあまりにも不憫だなぁー、と思う。僕だけの問題なら残念でもいいけど
他のスタッフ様にしてみても、貴重な時間の能力を費やして製作したデータが表に出ないのはつらいだろーなぁ。
その辺のことを他の方がどういう風に対処しているのかは知りたい所。
他にも色々と手伝わせて頂いているし、失敗した例にいつまでも取り憑かれているのはあれだから、どっかで毒を吐いて過去と決別しなければならない。それだけの話でした。
努力は無駄になるということはある程度覚悟して作業していくべきなのかもしれません。同人ゲーに関わらず、なんにせよそーなんだろーけど。
かと言って努力しない理由にはならないし。
関係あるだろ。
「コスプレイヤー」なんて括りには全く意味なんてないんだから。
声優に君は含まれない。
コスプレイヤーに君は含まれる(可能性)
って言われても分からない??
ないわ。そこで間違ってるわ。
”広まってる”なんて曖昧な基準で、星の数ほどいるコスプレイヤーをどう絞り込むんだ。
それがなんの基準になるの。
声が本業の声優と、何の資格も基準もなくなれる(できる)コスプレイヤーと、「顔でその肩書きが判断されない」ってのは同じかもしれないが、「同じくらいブサイク」だのという”集合体”として比較するには、コスプレイヤーってのは単なる個人の趣味でしかないんだから、対象になりえないんだって。
(まさか、比較する意味がない、って比喩で、わざと使ってるのか?)
とりあえず、「コスプレイヤー」の定義について、調べてきたほうがいいと思うわ。
ヲタじゃない人の認識なんて、そんなモンって事は承知してるよ?
でも、完璧に間違ってるから。
基本的にコスプレ嫌いな自分が言うのもなんだが、
「買ってきました」
「セミプロに作ってもらいました」
という衣装が多すぎる。
あれを愛と呼ぶなら、そりゃ、金で買える愛ってやつだよな?
更に言うなら
「全然作品に興味ないけど、人気あるみたいだからやった」
「キャラ知らないけど自分に合ってるでしょ?」
「衣装可愛いから」
って人間が多すぎる。
これも愛じゃないよな。単なる自己満足だ。
カメコに対する愛はあるかもしれないが。
昔は腐女子もダンボールで作った聖衣をデブオタ男が着ているのを囲んで、
「これダンボール?見えな??い!」
ってキャッキャしたもんだ。
「自分で作った」努力の結果と、その技術にしか目が行っていなかった。
本当のヲタってのは本来、こうしたフィルターを持っているものだ。
本当のヲタなら、「努力->挫折->他力本願->負け犬気分」を知っている。
どんな上手い奴でも、一度は渡る橋だ。
負け犬上等で見かけや上っ面で他人に媚びる事を選ぶヲタもいれば、
自分を切磋琢磨して、上達する奴もいれば、永遠のアマチュアになるヲタもいる。
どういう道を選ぼうとも、過去の自分を知って居ればこそ、
そこに愛を見る事はできるはずだ。
やれる事を、とか、やらなきゃいけない事を、じゃない。
やりたいからやる。
やりたいことをやれる。
それがヲタだ。
最近は便利なツールもあってお気に入りのブログの更新をお知らせしてくれるのですが、奇妙な時間帯に更新されるブログが多いことに気がつきました。平日の真昼間に更新されるのです。特に有名ブロガー(アルファブロガー)と呼ばれる人ほど、平日の勤労時間帯の更新が多い傾向があるようにみえます。いつも平日の昼間に更新されるなら納得もいくのですが、不規則に夜中であっても更新が来るタイプの方もいらっしゃいます。
先日、J-castや探偵ファイルなどで嘘がとりあげられた「ぐっちー氏」ですが、彼のブログも面白い時間に更新されてます。
(具体例としてだしても彼だけは、いまさら問題なさそう)(´∀`*)
ブログをやる方は、わりと自由に時間を使うことが許される方が多いのでしょうか。
日本のブログには専業ブロガーはいないもののIT関係の仕事をしてる方などはセミプロみたいなものですから、仕事の合間や移動の車中でブログの更新でも・・・などという感じでしょうか?
自分の大好きなブログが「よくあるヒッキーしてます。つまり、社会逃避して引きこもって生きているわけです。」
などというものは想像したくないものです。
過去に頭でっかちの男が、ブログでは憂国の士を気取り、現実の世界では犯罪者だった例があります。
ネットで口角泡を飛ばしながら正論を主張してるブロガーだからといって、実社会でも信用できるわけではないのが、この新聞記事からも伺えます。
ブログ上に展開される人格がどんなに素晴らしくても、「いったいどんなメチャクチャな生活してるんだろう」と言いたくなるような更新時間だと悲しいですよね。
みなさんのお気に入りのブログはどんな時間に更新されてますか?
蛇足ですがもう一個気になってるのが、はてなのブックマークが平日の昼間にいっぱいつくことです。
ブックマークする人たちっていったい?
この春、女に振られて、なんだかヤケクソになって、出会い系サイトに登録した。三十路のオタク。
前回http://anond.hatelabo.jp/20080531200003書いたように、「Yahoo!パートナー」で女の子との出会いを求めて右往左往して4日目。昨日、メンヘラーの匂いを感じたA子さんは僕の職業の細かい中身を聞いてくる。正体がバレれると、特定されやすいんで本当に困る。おい、まだ連絡して3日も経っていないのに……と思いつつ、様々な打算も働く。本命は隣県に住むB子さん(僕より一つ下)。向こうからの要望で、早くも有料メールからYahoo!のフリーメールでのやりとりに変更。元カレとの別れが辛いんだそうだけど、それはこちらも同じ。ゆっくり連絡をしていこうか。
さて、晴天の今日。掃除が終わった後、別な出会い系に登録してみた。
と大きく分けて三つのタイプがあるらしい。Yahoo!パートナーは"3"になる。無料の所がいいのは当然だが、男ばかりで殺伐とした雰囲気が漂っていた。とりあえず"2"を探してみた。
有料の所も、登録すれば、最初の何百円分かはお試しとしてポイントをくれるので、それを消費するまでは無料でできる。三つほど試してみた。
さて、H社。大手の割には掲示板にアクセスしてくる相手が少ない。いや大都市だと引く手あまたなんだけど、その周辺の県ではかなり少ないようだ。割り切り希望の同県在住の女の子が釣れた。条件は別●円。それを込み●円で了承。もうちょっと値切れば良かったか。やりとりの途中でポイントが切れ、仕方ないので3000円分をカードで購入。そして携帯メアドでの連絡に切り替える。
今日から値上げしたガソリンを満タンに入れて、クルマで某駅の駅前へ。僕は勝手な妄想をしていた。なんか淡々と恥ずかしそうなメールが返ってきた。なんとなく、
な女の子が現れそうな気がした。いや、間違いない。もし、後々この子が犯罪に巻き込まれたとき、オレまで巻き込まれるんじゃないか。そのときはどーしようとか考えていた。
1時間半ほどかかって駅前に着くと、現れたのは……
「仕事のお客さんってどんな人が来るの?」と聞くと、「仕事でも客とも違うって!」とツッこまれた。とりあえず30・40歳代しか相手にしないんだって。若いのはスルーするということらしい。まあ、20歳代前半と違うと怒るヤシもいるんだろう。ドム系(めちゃデブ)の可能性もあったわけで、それよりスリムなグフ系で我慢せねば。でも、段取りとかテクはセミプロでした。
むかし、宮台真司の本を読んで、テレクラとかQ2に連絡してくる女の子の痛々しい姿を知ることができた。どこかでそういうのを求めていたんだけど、十数年も経てば違っているような。現実はそういうものなのか……と考えながら、同じ道を1時間半かけて帰りました。
家に帰って、再びパソコンの前に向かった。同じスペックの子が別名でアクセスしている。ああ、仕事熱心だなあ。
ポイントは2600円分余っているけど、他に使いようがない。仕方ないので、H社の「テレホンH」というのにアクセスしてみた。1分200円でこちらの番号を晒さず、相手と話しをできるらしい。
こちらからメールを送ると、相手から自動交換経由で電話がかかってきた。同県在住の30歳。ツッこむと、僕と同じ年と言うことが分かった。仕事で転勤した春からH社に何度かアクセスしていて、10人くらいと相手をしたらしい。その中の1人とお付き合いされていると。で、条件を聞いてみると、タダでいいらしいんで、今週か来週、平日の夜に会うことになりました。その集合場所もクルマで1時間以上かかる。
なんだか、オレってだんだん落ちていくなあ。と思いながら、電話を切りました。10分弱で2000円分が消えた。
その後、Yahoo!パートナーの女の子たちからメールがいくつか。ちょっと後ろめたさを感じながら、さてどのように返信すればいいのか迷っている。だから、先に増田で日記を書き込んでしまった。
今日は部屋とパソコンのお気に入りを掃除した。どこに何があるのかわかるのはとても清々しいな。
今日の何よりの発見は、画像系のSNSだった。画像系のSNSというのは自分の写真なり、絵なりをアップロードして評価させ合うSNSである。
今まではお気に入りの中でくすぶっていたんだが今回、がっちり組み合うことにしてみた。そしたら、これがまた便利なのな。
ひとつは評価ランキングみたいなのが存在することによって簡単な検索で質のいい作品がすぐにみられるってこと。
なんでもトップアマから、セミプロ、プロまでいるんだから驚き。ランキング形式で弱者は淘汰されてって、
ランキングの上位は割と質がいいんだよなぁ。
もうひとつはお気に入り登録をすることで自分の画廊が作れること。また大抵のSNSは作品や作者を
お気に入り登録することができるみたいだ。そんで、お気に入り登録した諸群は、SNSのホームでルールに従ったりランダムに
サムネイルで表示されたり、それ専用の一画が設けられる。そこを開けばいつでも自分好みの画廊ってわけだ。
ちなみに今日、組み合ったSNSは画像はPixiv、写真はZorgってところ。Pixivはネットっていう媒体の性質上、
ポップアートが多数を占めてた。まぁ、ポップアート中心になるのは仕方ないんだが、他にもかっつりした肖像画とか模写とか風景画が
あればいいなぁ、なんてのは思った。こういうかっつりしたのは、やはり普通のキャンバスに書いたほうがいいんかね。
Zorgの方は好き好みのないなんでも屋で、こっちはかなり満足してる。
こういう鑑賞の仕方もあるのか、なんて今日はとても清々しいのである。まだ、試したことのない人は
ぜひ試してみることを勧める。そんで、他にもネットで楽しめるこういう文化があったらぜひとも教えてくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20080406221241
もう十年近く前になるが、俺も君と全く同じようなことを考えた。しかし今となってはかなり辛い思い出だ。
俺は俺なりに努力もした。だが、結局は当初思い描いた道は断念し、ごく平凡な京大生の進路をたどった。
そうなった経緯をいまここで語るつもりはない。君と俺とは違う人間であり、君が俺と同じことを考えているとは思わないからだ。
ただし、このことだけは覚えておいてほしい。君の同級生や先輩は、少なくとも入学式の時点までには君と同程度の努力を積み重ねた人間だ。少なくとも潜在的には君と同程度の能力を持っている。つまりは、たかだか一週間で勝利宣言をできると思っていると、足元をすくわれかねないということは覚悟しておいた方がいい。
実際のところ、「パラダイス」というのは半ばは自嘲であり、半ばは自慢だ。高校生と大学生は余りにも世界が異なり、自分の理想通りものごとを運ぶことがいかに難しくて非現実的か、自分の理想として描いた夢がいかに陳腐で貧しいか、それを何度も挫折しつつ学び、そして自分のやり方を確立していく過程でもある。そして、それに挫折して自堕落に陥ってしまった人は自分の境遇を自嘲して「パラダイス」と呼ぶだろうし、自分の道を見つけた人は心底からその環境を「パラダイス」と呼べたりするのだ。
本当のことを言うと、多くの人が「パラダイス」という言葉を使うときには、そのニュアンスが何らかの比率で入り混じっている。それが読み取れないということは、君もまだまだ人を見る目が甘いというか、どこかで自分の優秀さに慢心しているということだろう。
一度、「遊び半分で」適当に過ごしているような人と話し込んでみるといいよ。そういう人たちの中には少なからぬ比率で、セミプロ級のレベルの趣味だとか珍しい体験だとかを持っている人がいるし、そんな人でなくとも、本棚の中身は量はともかく質の点で非常に充実しているものだ。
要するに、馬鹿に見える彼らも、君と同じぐらいの頭の中身は持っている。彼らは彼らなりに真面目に考えて生きた結果がそういう行動に表れているのだ。君にはそれが、偏っていて愚かであるように見えるかも知れない。しかし、見る人が見れば君の価値観も偏っていて愚かであるかもしれないということは自覚しておいた方がいい。
ちなみにそんなエラそうな説教をしている俺が現在何をしているかというと、誰でも知ってる大企業の研究所に勤めている。京大理系の平凡な卒業生の就職先というとそんなところ。これが堕落なのか努力の結実なのかの判断は君に任せる。
たとえ話の本気と冗談の境目は、もう1人の方が言われていることに私も同意。
で、それとも関連するここのとこなんだけど、
> 15歳のアマチュアボクサーが言ったことを何で本気にしてるんだろう。
一応の区分はアマチュアだけど、それまでの経緯が他のアマチュアとは違う。プロボクサーの兄弟を含む「亀田3兄弟+オヤジ」というブランド付で、日本を代表する(一応首都圏キー局だからね)テレビ局の事実上支援を受けて活動してる、名目上アマチュアなわけだ。事実上のセミプロと言ってもいいかもしれない。
本気と冗談の境目の判断も、そういう立場にある者の発言という条件付きで解釈すれば、言葉の重みが違ってきて当然と思うのだが。
俺の手元にメディアの作り方という本がある。別冊宝島。B5判。中身はミニコミ、同人誌の作り方。デザインの方法(DTPじゃないよ)から印刷、製本の流れ、流通のノウハウまで手とり足とり。さすがに仲間の集め方とか記事の書き方までは載っていない。
当然、いくつかのミニコミ、同人誌も取り上げられてる。いわゆる同人誌から、セミプロ級のミニコミ、プロが趣味で作ってるミニコミ、完全に商業ベースのやつまでいろいろ。
こういうのを読むと、やっぱり現在はメディアの作り方の敷居は低くなった。白木みのるくらい低くなった。例えばはてなダイアリー。簡単、コストが低い、キモい。どんくらいキモいかっていうと新興宗教と同じくらいキモい。