相手の出方を考えるのはやめた。ぼくの言葉が相手にちゃんと伝わるようだけ傾注する。
その結果については考えない。誰だって面倒はごめんだ。ぼくだってそうだ。だからできることなら人の言葉なんて聴きたくない。伝えて欲しくない。ボールを持ちたくない。
そうやってボールを一つ一つ相手のキャッチしやすい形で投げ返す。それが今できるすべてだから。あんまりボールが多いと雑に投げつけたくなる。時にはこっちに向けって明らかに悪意あるボールも飛んでくる。それでもなんとかキャッチして、他と一緒のように返してやる。それで何かに気づいて欲しいから。でも期待はしないけど。
先のことを考えると不安になる。当然だ、だから不安にならないために今を全力で過ごすことにした。結果に納得できるにはそうしないと駄目だろうから。
判断が苦手なので、ついつい人に聞いてしまう。いつもいつも判断に悩んで時間がたってるような気がする。そうやって何か判断していると、ぼくに投げれば何か判断が帰ってくる、なんて思ってないだろうか。そんな期待には答えられそうにないのに。
判断するのが好きな人がいる。自分で何でも決める人がいる。決められる人がいる。その結果についてもへこたれない人なんだとわかった。自分は判断に間違いを指摘されると、精神力がさがってしまって判断が萎縮してしまう。自信をなくしてしまうから。判断というのは自信が必要なんだとおもう。
じゃあどうすれば自信が身につくのだろう。でも、自信なんてなくてもいいのかもしれない。それこそ考えても仕方がない。自分で納得できるまで調べて、考えて、結論付けた判断なのなら、自信を持っていいんじゃないだろうか。それはすごく手間がかかるけど、自信は手間をかけないと生まれないのだと思うから。
最近、この手間を省く人が多い。経験なのか、ライフハックなのか。また手間をかけるのを許さない人がいる。その場合にぼくはもうどうしようもなくなってしまうだろう。
一生の問題
君は、自分が今抱えている問題が解消すれば楽になると思っていないかい?
問題は常に付きまとう。
問題を抱えはじめたのは小6くらいの頃だっただろうか、中学生になれば解決する問題、それは通学路だった。
小学生の一つの楽しみと言えば行きと帰りの歩き道として通学路が制定されていた。
住んでいる区域によってある程度“この道を通らなければいけない”という決められた道程があり、もしその道以外を歩いて登下校しようものなら朝と帰りの学級会で
「○○君が通学路破りをしていました。」
なんて問題にされる。
確かに親や教師達が心配してとの事だというのは解るが、中学生になればこの問題は解決し自由に好きな道を選んで登下校できた。
勿論、中学は中学で自転車に乗ってはならない等の規制があったりする。
常に問題はつきまとう。
高校生くらいになれば早く自分で働いて自分の稼ぎで自由に買い物したいと思うし、大学生になれば内定さえ取れれば等と考える。
係長になれば、課長になれば、部長になれば、役員になれば、いつになっても問題は解決しない。
我々は、問題を解決する為に生きているのだろうか?
結婚をすれば、子供ができれば、子が親元を離れれば、孫ができれば。
いつあなたは楽になるのだろうか? 欲にはキリが無いなんて事を言いたいのではない欲は大きく沢山あっていいんだ。
問題を抱えていている時というものは兎角“これがどうにかなれば後は楽だぞ”と考えやすい。
しかし、それも束の間、お腹が空いて空いて仕方無かったのに、腹いっぱい飯を食べた時の満足感は食事が終わった30分後でも持続するだろうか?
否応なしに課せられた問題もあれば自ら抱え込んだ問題まで様々だ。
そう問題に振り回されるのではなく、問題を制御しコントロールしているという自覚が、問題を問題という言葉から感じる嫌に重たいイメージを変えるのではないだろうか?
自分でしたいと思った事がすぐ簡単にはできない事であれば問題だ、色々とその問題に対し取り組まなければならない。
しかしいくら自分で設定した問題とはいえ過去に誰かが成し遂げた課題であったりすると、どうしても道無き道を突っ走る新雪の中を滑るスノーボードの様な快感は得られない、決してそれが楽とは限らないが先駆者達に寄る補正に補正を重ねられた道であるからだ。
だからそう、君も一つでいい
この宇宙でまだ誰も成し遂げた事のない課題。問題を抱えてみないか?
それはトンデモない事でいい、トレーニングで一輪車に乗れるようになるのと同じようにテレパシーで特定の誰かと会話したいであるとか、誰も作った事のない新しい料理を作るでもいい。
大事なのは常に心にその“自分だけの解決したい問題”を抱え続ける事だ。
とは言っても、その自分用の人生の問題を作るのはけっこう難しい。
生老病死というように、現代の様々な問題が無い遥か過去から、人は様々な問題に苦しんできた。
僕は逆にと言える例えでもないが生老病死の苦しみとは逆に“知想伝忘”の楽しみを一生の問題にしてみてはどうかと思う。
“知る”楽しみ 何かを知ること、新しい知識を得る事は快感である
“想う”楽しみ 何かを考える事、感じる事、思い描く事、想像、創造する事も快感だ。
“伝える”楽しみ そしてそれらの楽しみを他人に伝えて共感を得たならな楽しみを共にする楽しみもある
“忘れる”楽しみ かといって転んで痛かったり、不運や事故は起こりうる。できれば颯爽と忘れてしまえば尚楽しい。
なにかや曲のある宗教臭さがでてきて申し訳ないが
一生、問題は続く
そして、楽ではないのは問題があるからではなく
問題を他者から与えられるからであって、自分で設定していなからという側面が多分にあるからじゃないかと思ったので書いてみようと思った。
かといって、これらの問題と問題と見る事なく、淡々とこなす物として見過ぎると次にはこういった問題が浮かび上がる
“先が見えてしまう”
というものだ、問題が問題でなくなると、なんだか自分の人生を早送りしたくなる。
もっと先へ行きたいもっと早く行きたい、だってどんどん楽しくなるから。
そうすると今度は、時間の流れの遅さにいらだちを覚える。
結局本当に、時間こそ問題なのかもしれない。
いや、この話に突っ込むとやばそうだ・・・
ちょっとほら、もう、こんな私の文章にあなたは何分を費やした?
時間の問題ならば、長い人生たまには時間を見つめなおすのもいいかもしれない
あなたも今夜は色々と詮索するのは止めて暗くして布団に入り目を閉じたら
時間が見えてくるかもしれないww
そして、そうご存知の方も多いかと思うが時間の感じ方は「自由」にできるんだぜ!
だからおれはなんにでも好意を持とうと決めたのかもしれない。
遅い時も早い時も、その時の自分の時間の感じ方を楽しんでみようよ
そうすれば、また次の新しい“一生の問題”が見つかるかもしれない
@awaikumo
DeNAが「ソースは公開するが勝手な改変禁止、用途限定」の極めてユニークなライセンスを打ち出して数時間後に撤回した。
https://github.com/DeNADev/Arctic.js/commit/b92eea0a83b9b01c53eb3f6fb65fdb8af6bc0aab#diff-1
さて、「内容は公開するが、内容の改変は許諾が必要」というオリジナリティ溢れるライセンスを、この記事では「DeNAスタイルライセンス」と呼ぶ事としたい。さて、DeNAライセンスの内容から、DeNAのたくらみが幾つか想像できる。
「ウチのソースを侵害しとるやんけワレぇ、出るトコ出てもらおかい」と中小ソフトハウスを牽制恫喝し、囲い込むために敢えてソースを公開し、他社プロダクトの類似動作やモバゲー参加ベンダーへの牽制に利用したかった、と読むことは難しくあるまい。それはDeNAスタイルライセンスの指針はOSSのそれではなく、明らかに特許指向であるからも伺い知れる。MicrosoftやAppleに範を取り、知財戦争における兵器兼防衛機構としてDeNAスタイルライセンスで守られたコードを行使したかったであろう事は想像に難くない。
多くの日本企業が製品のOSS化に踏み切れないのは、正に上記の一点に尽きる。
というのがエンタープライズエグゼグティブ様の本音であることを考えると、DeNAスタイルライセンスは、日本企業の欲望を満たす厚顔無恥なジャパニーズスタイルライセンスとして社畜や下請けの皆様の献身を一身に集めたであろう。仕事のない下請けソフトハウスが、DeNAスタイルライセンスの大手SIer謹製フレームワークを必死にカイゼンしてコネ作りに励む美しい光景が、数年後には見られたかも知れない。
DeNAスタイルライセンスの隆盛が、日本のIT企業に利益を齎したかもしれないのに。DeNAスタイルライセンスが、日本のIT企業を更に強固にガラパゴス化して守る鉄壁のゾウガメの甲羅になれたかもしれないのに。「Googleっぽいからいいよね」みたいなノリでMITライセンスに安易に逃げたDeNAの及び腰が残念でなりませんでした。まる。
誰かに似てると思ったら根本敬に似てるんだわ。
趣味なんだから、自分が楽しむ事が本来の目的なのを忘れちゃ駄目だぜ。
pixivの上位陣はプロやセミプロ、半プロみたいなのがゴロゴロいる。趣味レベルの人間がそんなのと張り合っても疲弊するだけ。
さっきより右顔マシになったアイプチの使いこなしは慣れ
25くらいで絵描き始めたけど、描き始める前よりは確実にうまくなったよ
アニメ絵じゃなくて、普通に見てる物を描くスケッチとか模写とか、後はデザイン画みたいなのを主にやったんだけど
目の前にある物を描くのと、見馴れた物を思い出して描くのは格段にうまくなった
漫画の模写とか、好きな漫画の画風でオリジナルキャラを作るのなんかも、絵をちょっと勉強した後だとコツがわかるから、わりと簡単にできるようになったのは楽しい
このくらいまでは、ちょっと腰を据えて取り組めば誰でもできると思う
後は、時間と体力と根気の問題かな
体力がないと人前に出せるような密度の濃い一枚絵は完成しない
ちょっとなら描けるけど、たくさん描いて描き上げるのは難しいなぁ、と壁にぶちあたってるとこ
主観以外に何か書くべき事でもあるの?
それは君の主観であり、関係ないのでは?
それお前が言っていい台詞じゃねえんだよ。分かる?分からないなら死ね。それが無理ならせめてキーボードが二度と打てないよう手足の指を全部切り落とせ。
http://imepic.jp/20120124/759090
早速やってみた
アイプチで二重にするの難しすぎる…
こんなんでも二重にしたほうがいいの?